アーティスト・大友昇平は、ボールペンを使って作品にメッセージと魂を込めている。大友は今回描き下ろした「グッチ」とのコラボレーション作品でもそれを実行している。ボールペンで描き上げたとは思えないような緻密で圧倒的な描写力。そして作品に表現される“日本”らしさ。グローバル化が進み日本人が忘れかけている、“日本”を感じさせる作品はどのように生まれ描かれるのか。制作過程のラフ画と完成した作品を観察しながら、大友昇平の魅力を考察する。
アートはテクノロジーの進化とともに幅が広がっている。AIにVR、さらにARと、表現方法は時代が進むにつれて多種多様に広がっている。この進化と広がりは、表現者も観る者もアートを欲しているからだ。今やアートはテクノロジーのみならず、ファッションや音楽といったカルチャーとも深く絡み合い、大きな海のように広がっている。それはSNSを見ればたくさんのアートが日々投稿されていることでもわかるはず。これだけ身近になったアートは観る人が自由に楽しめばよいのだが、ただ鑑賞するだけではなく、ときには表現者の気持ちや視点、制作背景にも目を向けたい。
白黒の緻密で繊細なドローイング作品をボールペンで生み出す画家、大友昇平。大友の作品は、どこにでもある事務用のボールペンを使って描かれている。このやり直しがきかない一筆きりという緊張感が漂う表現方法に観る者は引き込まれてしまう。今回は大友が「グッチ」のアイコニックなエレメントをテーマに描いた新作と、その制作途中のラフスケッチをじっくりと観察し、その背景に込められたメッセージと作品の魅力を本人のコメントとともに探りたいと思う。
「グッチ」のエレメントと“希望”を込めた2作品
2作品のうち、1つは躍動的で美しい女性のモチーフ、もう1つは漆黒の中に浮かび上がる獅子が描かれている。ともにボールペンで描いたとは思えないような細かく写実的な作品だ。両作品を見比べてみると、陰と陽という対の関係にあるように感じる。「グッチ」の総柄のエレメントを下から上へグラデーションで表している女性の作品が陽とするならば、かたや暗闇にダブルGが浮かび上がった獅子口は陰。このような対照性ゆえに、込められたメッセージが異なっているのかと推測すると、答えは違う。「白と黒、2作品でコントラストを持たせてみました。女性の絵は上昇していくイメージで、日本で古くから厄災や邪気を退散する意味を持つ獅子は、内に宿る力強さのようなイメージです」。両作品についてそう語る大友は、ボールペンをもってして作品に“希望”を込めているのである。
©SHOHEI OTOMO
次に本作の制作過程のラフスケッチを観察してみる。特攻服を着た暴走族風の女性に、脇差を持った女性の腕、そしてサングラスをかけた花魁。過去の作品を見てもそうだが、大友は日本の伝統文化やカルチャーを積極的に作品に取り入れている。日本文化にサングラスといった現代の象徴を融合させるこの表現方法で、大友はオリジナリティを確立している。そう、このスタイルが観る者に新しい価値を提示し、心を揺さぶるのだと思う。
もっと観察してみる。よく見てみると、女性はサングラス、獅子は闇によってと、ともに“目”が隠されていることに気が付く。目を描かない作品は過去にも多く見られる大友の特徴だ。大友は過去のインタビューで「全部描くことでリズムが崩れる、というか描かないことでリズムが生まれる気がする。(中略)そうすることで謎めいた深みが出るし、そこが作品に近づく入り口になってほしいという思いもあります」と答えている。すべてを描かないことで、余白や間を生み出している。この余白や間というのも日本人ならではの感性であり、大友の個性だと観察することで見えてくる。
先が見えない不安な世界をボールペンで切り開く大友昇平
学生時代に油絵を専攻していた大友は、なぜ筆ではなくボールペンで絵を描くのだろう。「自分にとって絵を描くスタンスは、ノートに落書きしていた頃から根本的に変わっていません。専門的な画材よりも文房具のほうがしっくりくるんです。授業中に落書きをするのも、字を書くために作られたもので絵を描くのも感覚が似てるんですよね。ボールペンは事務用の安くて描きにくいやつがいいんです」。大友は幼い頃からの愛用品を使い続け、長い年月をかけていくつもの作品を作り上げてきた。この積み重ねが大友の真骨頂である高い描写力につながっている。
新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中に生み出された、大友の魂が込められた2つの作品。それは希望や不安が入り混じった日々を過ごす私たちの心を勇気づけてくれる熱い力強さがある。過去と現在をボールペンで紡ぎ続ける大友昇平。そんな稀有な表現者はこれからどこへ向かうのだろうか。