“僕らのアイテム1つひとつに存在意義がある” DIYすることで魅力が増す「ザ・サルべージズ」×「ウェンブレックス」×ダグラス・ハート、トリプルネーム・シャツ

JESUSロゴのアイテムに続き、「ザ・サルべージズ」はデザイナーのバーンズリー手掛けるシャツブランド「ウェンブレックス」、そしてThe Jesus and Mary Chainのダグラス・ハートとトリプルネームでDIYシャツをリリースした。自らの手で染め、カットし、パッチやボタンなどがあしらわれたカスタマイズ・シャツには1970年代から脈々と引き継がれてきたDIY精神が詰まっている。マルコム・マクラーレンが生み出した「ウェンブレックス」を素材として使用したシャツは、ここ日本ではアナーキーシャツと呼ばれ、今でも高値で取引されている。その伝説のシャツ・シリーズを現代によみがえらせ、1980年代のポストパンクなエッセンスをプラスした作品は、既存のアイテムとは一線を画すアートピースとしてコレクションしたくなる。前回に引き続き、「ザ・サルべージズ」のアーン・チェン、そしてバーンズリーに今回「TOKION」でリリースされたDIYシャツの魅力を聞いた。

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——アーンさんはバーンズリーさんに出会う前から存在を知っていたんですか?

アーン・チェン(以下、アーン):2000年初めのロンドンに出入りしていた私は、バーンズリーの名を周りからよく聞いていて。私がいたそのシーンで、彼は有名人だった。その当時、「ゾルター・ザ・マグニフィシャント」をバーンズリーが手掛けていて、時代を先取りするショップだった。彼はその他にも*「ザ・チャイルド・オブ・ザ・ジャゴ」、「サンダーズ」を手掛けて、どの店もブランドもセンス抜群で憧れの存在だったし、1970年代の終わりから1980年代初頭、「キングス・ロード430」(かつて“SEX”があった場所)でのバーンズリーの逸話を私も聞いていた。彼はサブカルチャーのシーンのパイオニアとして知る人ぞ知る存在だったよ。

*「ザ・チャイルド・オブ・ザ・ジャゴ」は、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドを両親に持つ ジョセフ・コーとバーンズリーによって、2007年にロンドンで立ち上げられたブランド&ショップ。

——TOKIONではどんなラインアップを今後増やしていこうと思いますか?

アーン:TOKIONでしか手に入らないDIYアイテムを増やしていきたいね。既存のものをDIYすること自体、とてもサステナブルだし、手を加えることでオリジナリティを打ち出せる。子どもの頃、みんなと同じ格好が嫌だったのもあって、自分でカスタムするようになった。その当時の精神を忘れず、より多くのアイテムを生み出していきたいと思っているよ。

バーンズリー:シャツというより、私は「ウェンブレックス」というブランドに打ち込んでいて、ブランドのオリジナルのディテールを忠実に守りながら、サステナブルかつ現在の気候にあったものへと発展させているんだ。1970年代のロンドン、当時ティーンエイジャーだった私は「パンク・ミュージック」に夢中だった。ライブに来ている客達がどんな服を着ているのか、それを観察していれば、そこでのトレンドの移り変わりがどれだけ早いのかは明確だった。「NME(ニュー・ミュージック・エクスプレス)」「メロディー・メイカー」「レコード・ミラー」の誌面をチェックして、ミュージシャン達がどんなレコードをリリースしているのか、どんなファッションをしているのかを知ることができた。雑誌は今でいうインターネットみたいな存在だったし、私達はとても若くてエネルギーにあふれていた。そして、(セックス)ピストルズみたいなファッションに憧れた私は、ジャンクショップで古着を買って、仕立て屋などに出さずに自分の手でカスタムするようになった。C級のボロい服を針と糸、最小限のツールを使ってハンドメイドした服が次第に人気になり「Sex」で取り扱われ、「セディショナリーズ」へとつながっていった。私達の活動の拠点はロンドンのキングス・ロードで、「セディショナリーズ」が閉店した後も、ハンドメイドの服を買いたい客がいたので、転売屋みたいに店を通さず、自分達で売るようになった。

インターネットが主流となる以前の1980〜1990年代には、公衆電話から注文の電話がかかってきて、パブの外で受け渡しをするスタイルが定番となっていた。今ではもうこんな販売の仕方はしていないけれど、売買する人はほんの一握りで、レアな存在だった。「ウェンブレックス」シャツはアナーキーシャツの素材として使用され、「SEX」や(ドンレッツが運営を手掛けた)「アクメ・アトラクションズ」で取り扱われていたのはもちろん、テディボーイ達に愛される定番アイテムであり、その後モッズの象徴アイテムとなったため、無地のものは特に人気アイテムだった。1970年代のキングス・ロードでは車を洗う労働者達も「ウェンブレックス」シャツを愛用していて、気がつけば入手困難なアイテムとなっていた。以前よりも知恵がついた私は、世界的に「ウェンブレックス」を商標登録したことで、運良くオリジナルのサンプルやラベル、デッドストックを手に入れることができた。彼の後任に名乗り出る人がいなかったから1980年にブランドは一度なくなってしまったけれど、偶然にもブランドオーナーが私の友人の親族だということが分かって。シンデレラの元にガラスの靴がちゃんと戻ってきたように、40年の歳月を経て「ウェンブレックス」のシャツは私の元へやってきてくれたんだ。

——ダグラス・ハートとのコラボレーションはあなた達にとってどんなプロジェクトでしたか?

アーン:1980年代からずっと(彼らに憧れてぐちゃぐちゃのヘアスタイルにして、シャツはパンツにタックインせず、「レイバン」のサングラスをかけるほど)The Jesus and Mary Chain、そしてダグラスが制作したビデオのファンだったから、彼のセンスやテイストをアイテムに落とし込むプロセスはとても自然なものだったよ。

バーンズリー:どのアイテムもDIYカスタムすることでアイテムの魅力は高まると思うんだ。ダグラスと私はロックフェスティバルなどでも一緒にDJしたりして、長い友人関係を築いてきた。音楽やファッション、タイポグラフィ、ポスターなど共通の趣味やセンスを持っているし、ユーモアやシリアスになりすぎない性格が似ていて、通じるものがあるからこそ、ずっといい友達でいられるんだと思う。その一方で、洋服の細かいディテールについては、とことんこだわるところが共通しているし、年齢もほぼ同じなんだ。

——コロナはそれぞれのブランドに対してどんな影響がありましたか?

アーン:コアな顧客のために小ロットで制作するスタイルはずっと変わってないから、特に影響はなかった。パートナーのニコレットと私は本質的なところを見極めつつ、自分達でコントロールしながら洋服作りに取り組んでいる。彼女がデザインを担当しているんだけど、私達は常に密なコミュニケーションを心がけているよ。

バーンズリー:ロックダウンは「ウェンブレックス」に大きな打撃を与えた。「ウェンブレックス」はどんな人でもウェルカムなタイプのブランドではなく、確固たるプライドを持って厳選された顧客のための洋服作りを手掛けている。ロックダウン中は工場が閉鎖し、生産停止は避けられなかった。他を当たろうと思ったが、以前、2人のテーラーにひどい目にあわされたトラウマがあって。その1人のテーラーは、ドーバー ストリート マーケット ギンザで私達のアイテムがどんどん売れていくのを知って、急に下代を2倍に引き上げてきた。普通はロット数が増えれば、1つ当たりの価格は安くなるはずなのに、説明しても理解してもらえず。仕方がなく他のテーラーに依頼しようとしたら、料金を前取りされた挙句、逃亡されてしまったんだ。

ロックダウンの最中、私の天才的なパートナーである、マディーことモリー・モーティマーがミシンを買ってきて、私のボロボロの洋服やタオル、ベッドのシーツまで練習材料として駆り出していたよ。そこでアーン、ダグラス、私の3人も着古されたシャツをカスタムしていた時のオーセンティックな手順を踏襲しながら、シャツを作ることにした。もちろん、マディー、私はそのシャツを作るために何日も夜鍋することになったが、何度かの試作の末、なんとか完成形までたどり着いた。1950年代、1960年代のアンティークのボタンを不ぞろいに付け替え、ヴィンテージのファブリックをパッチのようにたくさん手で縫い付けた。マディーはレッスンを受けることで、技術を習得し、今では立派なテーラーとして、私を支えてくれている。それに、辛抱強くアイテムを待ち続けてくれる顧客やアーンの存在にもとても励まされたね。たとえ時間がかかったとしても、愛情を注いで作られたハンドメイドの服の価値を彼らはちゃんとわかってくれると私は信じていたんだ。

——「ザ・サルべージズ」や「ウェンブレックス」のアイテムに人々が引かれる理由はどんなところにあると思いますか?

アーン:ブランドとして信頼がおけるからだと思う。そしてアイテム1つひとつに存在意義がある。古着店で販売されているヴィンテージTシャツや洋服に価値があるように、愛着を持って長く着続けることによって、アイテム自体の魅力が増していくんだ。ほつれたとしても、長く着られるようにリペアを施す。そんな風にすればよりサステナブルで、服のオリジナリティを醸成することができる。

——アーンさん、バンズリーさんにとってお互いはどんな存在でしょうか?どんな風にコミュケーションしていますか?

アーン:僕らは電話でよく話をするんだけど、アイデアを持ち寄り、交換するプロセスの時点ですごく盛り上がる。互いに刺激を与え合う存在だね。バーンズリーは1970年代後半のパンク・シーンで育ち、「SEX」と「セディショナリーズ」を運営するマルコム・マクラーレン、ヴィヴィアン・ウエストウッドがいたシーンの熱烈なファンだった。その一方で私は1980年代前半のポストパンクの時代に育った。異なる時代に育ちながらも、私達は互いに共鳴するスタイルを持っている。何よりも私にとってバーンズリーはレジェンドであり、彼から学ぶことがまだまだたくさんあると思う。

バーンズリー:実際のところ、ポストパンクから受けた影響もかなり大きい。その時代も私は若く、ライブやファッションに夢中だったからね。私達の共通点をあげるとすれば、右腕となるビジネス・パートナーがいて、自宅でアイデアを生み出しながら、もの作りができる環境にあること、そして他の人が作らないようなオリジナルのアイテムを作ることに夢中なところかな。服のデザインを練る上で、ファッション自体よりも音楽からの影響が大きいところも共通していると思う。それに、ダグラスと私は常に作る服のアイデアを互いに投げ合って切磋琢磨している。アーンと電話で話す内容は、服の話だけじゃなくて、音楽や映画、本や伝統的なスタイル、最近興味があること、それに何気ない日常の話などさまざまさ。ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)と話す時はほぼ音楽の話だね。彼の素晴らしいところは純粋な音楽ファンなところと、常に音楽に対してアンテナを張っているところさ。ボビー、ダグラスそして私は筋金入りの音楽好きで、バンドなら、パブリック・イメージ・リミテッド、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、サブウェイ・セクト、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ホークウィンド、シン・リジィ、ステイタス・クォー、スライ&ザ・ファミリー・ストーン 、マルコム・マクラーレンが手掛けたバンドなどに夢中だし、ジャンルでいうなら、ソウル、R&B、ロックンロール、フレンチ・ポップ、エレクトロニカ、クラウト・ロック、サイケデリア、ファンク、レゲエ、ヒップなジャズに精通しているんだ。かつて、ジョン・レノンが「エルヴィスの前には何もなかった」と言っていたように、ロックンロールは、ほぼすべてのジャンルの音楽、そして我々の“過剰な”スタイルの起源となっていると私は考えているよ。

author:

多屋澄礼

1985年生まれ。レコード&アパレルショップ「Violet And Claire」経営の経験を生かし、女性ミュージシャンやアーティスト、女優などにフォーカスし、翻訳、編集&ライティング、diskunionでの『Girlside』プロジェクトを手掛けている。翻訳監修にアレクサ・チャンの『It』『ルーキー・イヤーブック』シリーズ。著書に『フィメール・コンプレックス』『インディ・ポップ・レッスン』『New Kyoto』など。

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