観客とともに作り上げるという感覚 「FRUE」主催者がコロナ禍での開催を経て感じ取ったもの

2020年は各業界同様、音楽業界にとっても困難な1年だったことは言うまでもない。大型音楽フェスは軒並み延期・中止となり、中小規模のイベントも人数制限を余儀なくされている。

そんな中、音楽フェス「FESTIVAL de FRUE」が静岡県掛川市の「つま恋リゾート 彩の郷」で10月31日と11月1日に開催された。

「FRUE」は“魂の震える音楽体験”をコンセプトとして、2012年にクラブイベントとして立ち上がり、2017年にフェス形態の「FESTIVAL de FRUE」がスタート。ジャズやロック、電子音楽、民族音楽など多岐にわたるジャンルの海外アーティストを中心に、ブラジル音楽界の巨匠トン・ゼーや、モロッコのリフ山脈南側に位置するスリフ族の村のスーフィーの音楽集団、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカを招聘するなど、他のイベントでは見ることができないラインアップでコアな音楽ファンを獲得してきた。

新型コロナウイルス禍での開催となった今回は、海外アーティストが思うように呼べず、予定していたブラジルのミュージシャン、ファビアーノ・ド・ナシメントの来日も前日にキャンセル。それでも「FRUE」の独自性は失われず、トレンドと一線を画し自身のクリエイションを貫く有数の国内アーティストが出演した。ファビアーノの空いた枠には石橋英子と山本達久のデュオ出演が急遽決定し、見事な演奏を披露した。

会場は約6000人のキャパに対して1日の来場者は1300人程度となり、他人との距離も取りやすいのも印象的だった。マスクをしていても苦しくない気候で、開催時期と会場選びという根本的な要素が奏功した。

イベントに伴う新型コロナウイルス感染者も報告されず、無事1カ月が経過した。「FRUE」主催者の山口彰悟と吉井大二郎はコロナ禍での開催を経て、何を感じとったのだろうか。

――「FESTIVAL de FRUE」を開催する決断はいつ頃だったのでしょうか?

山口彰悟(以下、山口):いつ頃だったんだろう。もちろん状況を見ながらでしたが、最初から開催するつもりでした。コロナだからと言って開催しない選択肢はなかったし、どうにかなんとかするというのが「FRUE」の信条ですので。

吉井大二郎(以下、吉井):協賛企業もないし2人だけだから、やろうと決めてスタッフさえそろえば開催できるということもあります。会場を所有しているホテル(「つま恋リゾート 彩の郷」はホテルやレジャーを擁するリゾート施設)もイベントに理解があって助かりました。コロナ禍だと公営の会場は借りられないこともありますし。

山口:インディーじゃないと開催できないけど、当然インディーすぎてもできない。コロナ感染の第2波が落ち着いてから本格的に動き始めたので、準備期間は1ヶ月半くらいしかなかったけど、4年目である程度は体制が整っていたのも開催できた理由の1つだと思います。それにちょうど陽性者の数が落ち着いていた時期だったのもラッキーでした。

――結局、海外アーティストの来日は難しくなってしまった。

山口:海外勢は呼べないかなと思ったのが、9月末から10月頃です。1月に出演発表していたザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ&ジ・オーブも夏ぐらいには来日できないだろうと判断しました。それでも海外アーティストは諦めきれなかったし、いつまでに国内アーティストを中心として開催の決断をするかという難しさがありましたね。

――それでは国内アーティストのブッキングを始めたのは、開催が近くなってからでしょうか?

山口:GEZAN、折坂悠太、冥丁、POWDERは3月くらいにオファーをしていました。ただ、出演できるという返信がきたのが夏から秋にかけてでした。各アーティスト、それぞれ考えるところがあったと思います。

――11月1日に出演予定だったファビアーノ・ド・ナシメントはキャンセルになってしまいましたが、その枠に石橋英子さんと山本達久さんの出演が急遽決定しました。どのような経緯だったのでしょうか?

吉井:ファビアーノとは10月30日までやりとりしていたのですが、向こうの書類の不備やビザを申請するための面接のアポイントが進まず、どうしても飛行機に間に合わなかったんです。

山口:そんな中、コアスタッフの1人が下北沢のスプレッドというクラブで働いていて、そこで「FESTIVAL de FRUE」の10日前に石橋さんと山本さんに出演してもらっていて、そのつながりで僕からメールでオファーしたのが、10月30日の深夜2時頃でした。

吉井:そこからアーティスト写真を取り寄せたり、どんな機材が必要かを聞いた後に制作チームに話して用意できるものをまた2人に戻して……とやりとりしていたのが31日。イベントの最中にブッキングを進めていました。お二人はジャズの人だから即興での対応能力が高い。

山口:演奏だけじゃないです。さすがだと思いました。普通は急にオファー来ても断っちゃいますよね。山本さんには過去2度ほどご連絡を差し上げたこともあったので、どういうフェスなのかご存じだったのかもしれません。

――今回の「FESTIVAL de FRUE」全体を通して印象に残っていることはありますか?

山口:一番最初にライヴをした ALKDOが音を鳴らし始めた時はやはり感動しました。開催までこぎ着けたことと、こんなに音楽を求めていたんだと思って。あと1日目の夜、POWDERが最後にプレイしながら踊っていたんですが、その姿にジーンときました。人前でプレイできる喜びがあふれているかのようでした。
それから、本番当日はお客さんの顔がマスクで隠れていてあまり見えなかったのですが、インスタなんかで笑顔の写真がアップされていて嬉しかったですね。

コロナ禍のイベントでの、主催と来場者の関係性

――公式サイトやSNSでは「FESTIVAL de FRUE」前後の1週間の自粛を呼びかけるなどユニークな呼びかけをしていました。イベント当日はどのような施策を行っていましたか?

吉井:ある程度のフォーマットは用意されているので、マスク着用や人との距離を意識することなどの基本事項を書いた張り紙を貼ったり、その内容のアナウンスを録音してライヴの終わりに流したりしました。あとはステージ近くのところどころにプラ柵を設置したり。きちんとお金をかければ感染症対策はできると思います。

山口:「FESTIVAL de FRUE」の前に開催した別のフェスが炎上したのですが、そのことを知っていた来場者も多かったからか意識がすごく高くて、主催としてはとても助かりました。感染症対策はもちろん大事だけれど、ガチガチに規制するにも限界がある。それにお客さんが「そもそも自由である」ことはとても大事なポイントなので、そのためには「自分で考えて行動してください」ということをどう伝えたらよいのかと考えました。フォーマットをコピペするだけではなかなか伝わらないかと思って、そのような呼びかけを行うことになりました。

ただ、GEZANのライヴが最高潮に達しようとした時は、「あぁモッシュ起きるなぁ、どうしよう」とフロアで考えていました(笑)。でも結局起きなくて、そのまま1人ひとりが個として燃え上がっていくフロアは最高でした。皆さん、ありがとう!って感謝の念が湧きましたね。

――なるほど。今までもいろんなイベントを「みんなで作り上げる」という考え方がありましたが、今回「FESTIVAL de FRUE」に実際に来場した時にそれをより強く感じました。主催者だけでなく来場者も意識的な行動を心がけて「みんなで作り上げる」ことがより重要になってくるように思います。

山口:そうですね。やっぱり遊び場は自分達で守らないといけないという気持ちがあったような気がします。ゴミもほとんど落ちてなくて、主催として助かりました。

――イベント準備を進めるにあたり、開催決定前は想像できなかった問題はありましたか?

山口:スタッフ間でもコロナに対する認識が全然違ったので、そのズレに苦労しました。僕は「FRUE」とは別で仕事をしていて、緊急事態宣言前後のピリピリしていた時でも、電車で週に2、3日通勤したり、4月と6月に「FRUE」のオンライン配信もしていたので、外出することや人と会うことに抵抗はありませんでした。

一方で、音響や照明、舞台監督の外部スタッフ達は2月頃からすべての予定がキャンセルになって、お家でグレイトフル・デッドのジグソーパズルをやってたっていう人もいるし。笑いごとではないですが……。8月頃にそのスタッフ達とミーティングをしたんですが、皆さん顔は晴れないですよね。他のコアスタッフからも、感染症対策をきちんとやらないと今年は手伝えないよと言われるし、周りの環境や得ている情報の違いで、ここまでコロナに対しての認識が違うのかと思いました。そして認識をすり合わせて、どこに落としどころを作るのかというのが大変でした。

例えば、エントランスの検温でどれほど感染を防げるかは疑問なのですが、それをやるのが感染症対策だし、もしなんかあったらどうするの? と他のスタッフから諭されると、ぐうの音もでない。でも「FRUE」は今までも「本音」だけでやってきたから、その気持ちをにじませるために今年のチケットは2021年と2022年も利用できるようにしました。「そもそも体調が悪かったら無理して来ないでね」というメッセージです。

ただ、コロナの影響で良かったこともあって。これまでステージのマイクなどは使いまわしていたのですが、各アーティストが使うたびにちゃんと消毒した上で取り替えるなど、今後のスタンダードとなるような改善も行いました。コロナがなかったら考えなかったこともあります。

来年の開催へ向けて

――来年も「FESTIVAL de FRUE」は開催予定でしょうか?

山口:もちろん開催します。来年の11月には、さすがに海外からの来日も大丈夫だろうと思うので、2021年1月末ごろから小出しに、月2、3組ずつ出演の決まったアーティストを発表し、音源などを紹介していけたらいいなと思っています。変な言い方ですが、楽天的じゃないとやっていられない部分もある。

――どんなアーティストをブッキング予定でしょうか?

山口:ラインアップは構想中ですが、今年出演してほしくて連絡していたり、以前からアプローチしていたり、新譜が良かったり、出てほしいアーティストはたくさんいます。楽しみにしていてください。

それから、新たな試みとして出演アーティストをクラウドファンディングで決める仕組みができないかと考えています。「FESTIVAL de FRUE」には、バンドとDJがそれぞれ10組くらい出演しているのですが、そのうちの1、2組をファンドした人の投票で決められないかなと。4回もフェスをやっていると、レーベルの人やプロモーター、アーティストの友達などいろんな人達から、「〇〇を呼んでほしい」というリクエストを受けます。だから、その「〇〇を呼んでほしい」枠を僕に近い人だけではなく、お客さんにも開いてみたいと思っています。どういう方法で進めていくかは考え中ですが、今年はマナー面も含めて、来場者の方々と共に「FESTIVAL de FRUE」を作り上げている感覚が強くて、その感覚をもう少しだけ膨らませてみたいです。

――是非とも、そのクラウドファンディングには自分も参加したいですね。

山口:みんなそれぞれ推したいアーティストがいるはずなので、参加してもらえるとありがたいです。そして、自分が出したアイデアがもしかしたら少しずつ形になっていくかもしれないという醍醐味を味わってもらえたらいいなと。

山口彰悟 
1977年熊本県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。ライヴの原体験は10歳の時に生で観た立川談志師匠の落語。大学卒業後は、フリーのライターとして活動しながらさまざまな職を経験。「愛・地球博(2005)」「Greenroom Festival(2006)」「TAICOCLUB(2006)」で、イベント制作と運営、「True People’s CELEBRATION 2006」「Organic Groove」の後期コアスタッフとして人生を変える体験のお手伝い。2012年3月から、吉井大二郎とともに、年に2、3回のペースでイベント「FRUE」を開催。2017年から毎年11月に、静岡県掛川市で野外音楽フェスティバル「FESTIVAL de FRUE」をプロデュース&ディレクションする。

今回、ステージの1つ「THE HALL」に登場した複数のアーティストに、出演しての感想や思いを聞いた。(掲載は出演順)

Ramza

コロナ禍の息苦しさを完全に忘れてしまうほどの風通しの良さがそこに用意されていました。ロケーションや食事は素晴らしく、インフラ部分に至ってもストレスのないようにしっかりと配慮されていました。出演者に関しても意義深い海外勢が多く出演している「FRUE」ですが、国内勢のみで作り上げなければいけないという条件の中でも、その向かう方向や強度は決して薄れていませんでした。

自分は普段から外的な影響を多く受けないタイプだと感じていますが、コロナ禍において外界に触れる機会が減ることでそれに拍車がかかっているようにも感じます。抽象的ですが、自分の内なるシンクタンクにずっとこもっているみたいな感覚です。そうするとより自分の音楽はパーソナルなものになります。「FRUE」ではそんな最近の自分をぶちまけたという感じでした。

冥丁

まず最初に言わせて頂きたいです。本当に楽しかったです。今年は予定されていた国内外のほぼすべてのショウがキャンセルになりました。そんな過酷な時期であるにもかかわらず、このような機会を与えて頂いたことに感動しました。この場を借りて「FRUE」の皆さま、オーディエンスの方々に心から感謝を申し上げたいです。また「FRUE」でプレイする日を楽しみにしています。ありがとうございます。

「FRUE」では、現在リリースしている作品の持つオリジナルの世界観を再解釈してセットリストを作りました。基本的に冥丁はアルバムごとにテーマの異なるトラックを用意しています。それにすべてのアルバムはショウ化することを前提に作っていないんです。それもあって個々の音楽性を確立しているトラック同士を1つのセットに入れることには、個人的に戸惑いがあります。理想は1つのアルバムにつき1つのセットを確立させることですが、新しいアルバムもリリースされていく流れの中でそれを実行するのは今はまだ難しそうです。冥丁がライヴをすることは一生ないと思っていたので、自分がステージに立ってプレイすることは今もまだ不思議です。これからライヴを通じて生まれる自分の新しい視点、世界観に関心があります。とにかく大切に日々精進します。

石橋英子(山本達久とデュオ出演)

(オファーを受けた時は)びっくりしましたが嬉しかったです。「午後のリラックスしたひとときを石橋さんの歌で……」と言ってくださり、いびつな歌ばかりだしスケジュールが詰まっていたので正直少し迷いましたが、ちょうどその1週間ほど前に山本達久さんとやったライヴがとても楽しかったので、その形でまたやれたら楽しいと思って山本さんをお誘いしました。

出演後はいびつな歌でも受け入れていただけそうな懐の深いフェスだとわかりました。フェスティバルなのに、小さい箱に演奏に来たような感じもあり、お客さんが1人で来てくださってもリラックスして楽しめる空気感がいいなと思いました。演者は「お客さんを盛り上げよう!」、お客さんは「あれを見なきゃ!」ではなく、演奏する側もお客さんも真剣にその場にあるものをそのままとして楽しむという海外のフェスのようなすてきな雰囲気でした。何が起こるかわからない世の中でそういうことに価値を見いだしていくことがもっと大事になってくるのではないかなと思いました。

山本達久(石橋英子とデュオ出演)

今年初めての野外フェスで、直前のサウンドチェック中も例年と違ってステージ前にお客さんの姿もほとんど見受けられず新鮮でした。普段ライヴ中は客席を見ないのが癖なのでお客さんがどんな楽しみ方をしていたのかは未確認ですが、今のところクラスターなど発生してないようで良かったです。そもそも我々の音楽が感染拡大を助長するような音楽ではなかったというのもありますが……。

実は一昨年も昨年も別口でオファーを頂いていたこともあり、気になっていた催しの1つでもあったので出演できて素直に嬉しかったです。ご縁を感じました。今後ともよろしくお願いいたします。

イノヤマランド(井上誠/山下康)

正直、この時期にこのような大規模イベントが行われていること自体が「???」でしたが、現場に接してみて、「行うべきことを行えば、行える」と感じました。主催者、スタッフの皆さん、このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。スケジュールの都合でリゾートホテルに宿泊できなかったのが、ちょっと心残りでしたね。

今回に限らず演奏に関しては、場所、雰囲気、聴衆などをあまり意識しないことを意識しています。が、行ってビックリ! 会場がデカ過ぎましたね。でもそこからは楽しめました。演奏ポジションからは日のあたる雑木林がよく見えたので、風で揺れ動く木々や、差し込む光とのセッション。もちろん、お客さん達との気分や意識が行ったり来たりのセッションも。ああ、楽しかった!

折坂悠太

会場についてしばらく現実感がありませんでした。「FRUE」が独自なのかもしれませんが、音楽イベントの様相をした新しい集まりのような感じがしました。久々の景色を見て楽しみながらも、去年までとは何もかも違うんだと実感しました。ステージで鳴っている音の1つひとつが使命を帯びていて、以前より切実に響きました。

(複数の新曲を演奏したことに対して)見てくれる人を信頼して、とにかくやりたいことだけを入れさせてもらいました。自粛前と考え方が少し変わって、ライヴの現場においては音楽をパッケージ化するのをやめようと意識しました。よりみずみずしく健やかだったと、自分では思っています。

author:

等々力 稜

1994年長野県生まれ。大学卒業後、2018年にINFASパブリケーションズに入社。「WWD JAPAN. com」でタイアップや広告の制作を担当。『TOKION』復刊に伴い、同編集部に異動。

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