valknee、なみちえ、ASOBOiSM、Marukido、あっこゴリラらとのギャル・サークル=Zoomgalsの一員としても活動し、トラックメイクやMVも自ら手掛けるなど多才ぶりを見せるアーティスト・田島ハルコ。自らを「ニューウェーブ・ギャル」と称し『聖聖聖聖』(2018年)や『kawaiiresist』(2019年)などのアルバムを発表してきた田島ハルコは、この3月にリリースした楽曲「ECCENTRIC青年BOY」において「自らの内にある男性性」を解放し、新たな表現領域の扉を開くこととなった。ジャンルの重力やカテゴライズの力学に抗い、変遷し続ける田島ハルコに、そのクリエイションの源泉にあるもの、独自の活動スタンスの背景にある想いについて、尋ねた。
「ギャル」から「青年BOY」へ移行した理由
――「ECCENTRIC青年BOY」はMVも含めてとにかく情報量が多いカオティックな作品だと思いました。
田島ハルコ(以下、田島):私は情報量の多い画像みたいな人間なんですよ。しかもすべての要素にピントが合ってる、みたいな(笑)。その中で自我も常に流動してる。
――まず伺いたいのは、田島さんが男性に変身し、しかも二人になってしまったことです。
田島:それも自分の流動性の1つで。「kawaiiresist」を出して以降、私は「言いたいことを言ってくれる女性」みたいなラベルが雑につけられました。確かにあの作品は、女性のカルチャーや生活様式があまりにも語られてないという問題意識から制作しました。結果的にガールズエンパワメントみたいな表現にはなってるけど、私としてはもっと複雑怪奇なものを作っているつもりだったんです。
――「ギャル」は世界観の一要素でしかないのに、そこだけがクローズアップされてしまった、ということですか?
田島:はい。いわゆるZ世代の子たちは、男の子も普通にメイクするし、ジェンダーに縛られない服装も当たり前になってきた。その背景を踏まえて、あえて「ギャル」という言葉を選んだ。「ギャル」には女性的な要素が含まれるけど、はっきりとジェンダーやセクシャリティに対する言及にはなっていない。だけど「ギャル」の表層的なイメージだけが先行してしまって。なので、今回は視覚的にわかりやすく男に振ってみようと思いました。アイデア自体は2018年にドリアン・エレクトラの「Career Boy」のMVを見てからずっとあったんです。でも当時はまさに「kawaiiresist」を制作していた時期だったので、自分の中のタイミングと合わなかった。
――「Career Boy」のMVのどんなところに惹かれたんですか?
田島:男性性をファッションとして再定義していることですね。ジェンダーの制約や解放云々ではないのが良かった。MVを見た時、自分の中の男性性が救われた感じがしました。
――自身の女性性を否定せず、同時に男性性も並行している表現ですよね。
田島:私には学生時代から「自分はなんなんだろう」という気持ちがずっとありました。女性としての苦しみもあったけど、いわゆる性的に消費される苦しみではなく、女性扱いされないという苦しみ。先日ネットで、デカい女性はある一定の男性に嫌悪感を抱かせるという文章を読んだけど、私が経験してきたのもまさにそういったものでした。何もしてないのに謎に怖がられたり。あと高校生の頃、私はネットに自撮りをアップしてたんです。当時は今みたいにインスタグラムとかがない時代だったから、2ちゃんで「オカマかよ」「男でしょ」と叩かれたり。私はそれを読んでも不快さや悲しさは感じなかった。それ以上に「私って何?」と思うようになったんです。
二者択一から自由になること、「複合体」としての自己
――田島さんの中には女性性と男性性が他の要素と同等に共存していて、いわゆる「ギャル」期で感じた違和感も込みで、「青年BOY」にたどり着いた。
田島:でも「青年BOY」が自分の主体なのか、客体なのかっていうのも流動的なんですよ。女性が消費してる感じのアイドル的な男性像ではあるけれども、それは自分が消費したいという気持ちなのか、自分が消費されたいのかも混乱してる状態があって。今回はそのまま出した感じですね。
――田島さんが二人になっているのも混乱を象徴してる?
田島:そこはアルカが「Nonbinary」のMVで、プリキュアみたく白いアルカと黒いアルカになって、言い合いしてるシーンを見たのがきっかけですね。自己像って常に1つじゃないなって思ったんです。アルカは当時のインタビューでも「自分は複合体だ」みたいなことを言ってました。「Mequetrefe」という曲のMVでは複合体が流動していく様を表現してた。私自身もまさに複合体だと思ってたけど、これまで男女の二者択一で悩まされることが多かったので、今回は二人で表現してみようと思いました。
――トラックはどんな意図で制作されたんですか?
田島:ハイパーポップの文脈に影響を受けてはいるけど、いわゆる欧米ナイズドされたものではなく、もっと自分らしい土着的な表現を強く意識しました。だけど難しかったです。全然カッコよくならない。ダサいのは良いんですけど、2割はカッコよくしたかった。その良いバランスを見つけるのに本当に苦労しました。
――「ハイパーポップ」という定型にハメていく作業ではなく、あくまで自分に根付いた作品にする必要性があった、と。
田島:はい。今ハイパーポップはアイコン的に注目されているけど、そういう簡単に消費されていくものではなく、私は革命的なものだと思っています。LGBTQのコミュニティーと連動してSoundCloudに自然発生してきた。そういう意味では決まった音楽の形はないと思う。大事なのは、私が共感したハイパーポップのコンテクストを自分なりに表現すること。noteにも書きましたけど、そういう意味で今回はやり切りました(笑)。
“わかりやすさ”に抗いながら、しっかりと自分の表現を伝えていく
――田島さんを見ていると、キャリアを通じて自身をアップデートし続けてきたデヴィッド・ボウイを思い出します。
田島:私は常に変動している魂の性質を表現したいと思ってるんです。だからこそ雑に見られたくない。もちろん「自分が満足してることをやれればいいや」って思う瞬間もある。けど、同時に全力でスベってるんじゃないかって恐怖感もある。あれこれ気にしないほうがおもしろいものが作れるのはわかってるけど、Zoomgalsのメンバーとして注目されてからは数字が気になるようになりました。それは負担というより、自分の表現をしっかりと伝えたいという欲求です。さっきも言ったように、私の表現はアンダーグラウンドだと思う。だけどポピュラーな層にも伝えたい。
――日本ではよく「ブレない」という言葉が使われますが、一歩間違うとただの思考停止になってしまう。しかも近年はわかりやすさのみが尊ばれて、複雑さや曖昧さが排除されているように感じるので、だからこそ田島さんのようなカオスをありのまま表現できる人は重要だと思いました。
田島:簡単ではないですけど、制約がより良い表現を生むこともあると思うんです。それはラップをやって気付きました。実は昔は歌がしんどかったんです。私の声域では、私が気持ちいいと思うメロディーが出ない。思うように曲を作れなかった。でもラップなら、ビートに言葉をハメていく形で作れる。自分にはラップが合ってると思いました。しかもラップをやったことで、出しやすい声域がわかって、今は歌っぽいこともできるようになりました。そういうこともあるから難しい状況も悪くないかなって。それにZoomgalsで1人だけスベってるみたいのは嫌じゃないですか(笑)。

田島ハルコ
インディペンデントなDIY精神でワックな社会に波風を立てるニューウェーブギャルラッパー/トラックメイカー。アートワーク・映像などもしばしば自身が手掛ける。幼少期から経由してきた2000年代カルチャーをはじめ、様々な時空間をサンプリング/コラージュ的に張り合わせて心象風景をユニークに表現する箱庭的な作風が特徴。6人のMCによるギャルサークル「Zoomgals」のメンバーとしても活動中。
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Photography Asami Minami