連載「自由人のたしなみ」 Vol.10  無限に広がる祈りを抱く、建築家・中村拓志の新しいマスターピース

日本の“たしなみ”を理解することをテーマに、ジャンルレスで人やコミュニティー、事象を通じて改めて日本文化の本質を考える本連載。今回は建築家の中村拓志が登場する。

ル・コルビジェの国立西洋美術館、その向かいにある前川國男の東京文化会館、谷口吉郎による東京国立博物館東洋館、その子息である谷口吉生が手掛けた法隆寺宝物殿、そして安藤忠雄の国際子ども図書館……。日本で近代建築の巨匠達の作品が最も多く集まっているエリアといえば、上野恩賜公園周辺だろう。国宝やパンダに注目が集まることが多いが、上野は建築好きにとってぜいたく極まりない場所である。そんな上野にまた1つ、今を代表する若手建築家の作品が生まれた。しかしそのスケールは、世界遺産にも認定されたコルビジェの国立西洋美術館をはじめ、美術館や博物館、劇場といった他の作品に比べると、驚くほど小さく、驚くほど主張がない。

件の建築、上野東照宮「神符授与所」と「静心所」は上野動物園のほど近くにある。東照宮といえば徳川家康公をまつった神社だが、ここは400年近く前の1627年に誕生。参道の先に鎮座する本殿に向かって左側に「神符授与所」、その建物の内部を通った先に「静心所」は位置している。設計したのは中村拓志。昨年徳島県上勝町に造った上勝ゼロ・ウェイストセンターが、国内で最も権威ある日本建築学会賞(作品)を受賞。40代で若手と言われる建築の世界でトップを走る人物だ。

数百年この地を鎮守してきた大樹が主役となって生まれた建築

「当初依頼を受けたのは、東照宮にお参りに来る方達に御札やお守りを授ける場を、ということでした。現地を訪れた私は、その先にある樹齢600年を超す御神木を中心に添えた、祈りの場として計画したいと考えたんです。そこで御神木を囲むように参道を造り、御神木と対面して心を清め落ち着かせることのできる祈りの場・静心所と、当初の依頼であった神符授与所の2つの建築物、そして回廊型の奥参道や庭という構想が生まれました」

中村の提案で誕生したという静心所は、このクスの御神木と対峙する場に設計。また神符授与所に設けられた窓からは、御神木が真正面に眺められるようになっており、数百年この地を鎮守してきた大樹が主役となって生まれた建築と言いたくなる。

メインロールが純白の御幣を抱いた御神木であるのなら、影の主役とも言える存在が静心所の背後にある巨大なイチョウの切り株だろう。防火樹として長らく社殿を守ってきたが倒木のおそれがあるということで、惜しまれながら伐採されたものである。

「どうにかこの場で生きながらえてほしいと思いましたが、安全上の問題からやむなく伐採されました。しかし私はこの大イチョウをどうにかして蘇らせたいと考えたんです。そこで伐採したイチョウを製材し、屋根に採用しました」

イチョウというのは、まな板に使われることもある硬い木材だが、屋根に使われることはほとんどない。またこの大イチョウの幹は腐朽により内部が空洞となっており、十分な幅の木材をとることができなかった。資材が細くなってしまうので非効率と思われる再利用であるが、中村はそれもいとわず採用。経が大きくなくても実現可能なシェル構造とすることで、屋根は半円形のフォルムが連なっておりセミプライベートな空間が生まれている。この造形がより御神木と自己以外のノイズを遮断する役目も担っているようだ。防火樹としての命を終えた木が新たな役割を得、この地に残したいという意思が機能に転換されているのである。

目に見えない祈りや命、神という存在をいかに建築として表すかということ

五輪の計画を契機に、昨今また活発になっている東京の再開発は、パンデミックを経ても方向転換されることはなかった。そのほとんどが経済性を中心とした合理性を重要視し計画されたものである。しかし中村が上野東照宮でやっていることは、それとは明らかに一線を画すものである。本来なら廃棄する腐朽樹木に役割を与え、自身の建築物ではなく土地の先住としての神木を主役に据え計画を立てる……。さらにその構想は、上野という土地を抜け大きく広がっているのだった。

「神符授与所の屋根は本殿に頭を垂れるように傾斜がついていますが、この庇の意匠は東照宮社殿を囲っている透塀にも見られる二重菱格子からとっており、これ自体が構造の役割を担っています。さらに格子の垂木は、一方が本殿と日光東照宮を結ぶ方向、もう一方が久能山東照宮がある家康公の地元・駿府を向いています」

しかも日光東照宮と駿府を結ぶ直線上には、霊峰富士が重なるのだという。乱世の後、約260年も続いた江戸幕府の開祖である徳川家康公が東照大権現となり祀られたことを、この建築物自体が表現しているようである。

東照大権現が祀られているという背景を意匠に組み込むこと、数百年守ってきた存在に対する敬意や蘇生。神符授与所と静心所で建築家・中村拓志が導き出した答えと手法は、スケールの大きさや金彩や極彩色といった見た目の派手さではなく、むしろ目に見えない祈りや命、神という存在をいかに建築として表すことを選択したと言えるのではないだろうか。

「震災や疫病など、技術の発達した現代を生きる私達でも、人間がどうにもできないものに翻弄されています。そんな出来事があるたびに、謙虚であることや目には見えない大いなるものに祈りを捧げるということが大切なのではないかと考え至るようになりました。自然環境を制圧するのではなく共存すること、自然に生かされていると感じることのできる建築とは一体どんなものか……そんな問いに思いを巡らせます。そういう意味では、この上野日光東照宮に祈りの場として生んだ建築は、1つの到達点と言えるかもしれません」

2000年代に今はなき、アルベール・エルバスにより見事に蘇ったメゾン「ランバン」の、フラッグシップブティックをデビューとする中村。ファッションと建築の蜜月というムーブメントの主流にいた彼が、その後も建築家として歩んだ道は、まさに“サニーサイド“である。しかしその志向は、いにしえから日本人の魂に息づくような他力思想や八百万に神が宿るという信仰を感じさせるもので、華やかなイメージより実はずっと慎ましやかで奥深いのではないだろうか。

日本における建築の一大拠点ともいえる上野。どのマスターピースよりも小さな建築は、祈りという無限に広がる存在を抱いているのである。

中村拓志
1974年東京都生まれ。1999年、明治大学大学院理工学研究科博士前期課程を修了し、同年「隈研吾建築都市設計事務所」に入所。2002年に「NAP建築設計事務所」を設立。自然現象や人々のふるまい、心の動きに寄りそう「微視的設計」による、「建築・自然・身体」の有機的関係の構築を信条としている。そしてそれらが地域の歴史や文化、産業、素材等に基づいた「そこにしかない建築」と協奏することを目指している。若手建築家の第一人者として注目されており、日本建築家協会賞やグッドデザイン金賞、ARCASIA Awards for Architecture 2016, Building of the Year等、国内外の受賞多数。主な著書に『恋する建築』(アスキー)、『微視的設計論』(INAX出版)がある。

Photography Kunihisa Kobayashi

author:

田中 敏惠

編集者、文筆家。ジャーナリストの進化系を標榜する「キミテラス」主宰。著書に『ブータン王室は、なぜこんなに愛されるのか』、編著書に『Kajitsu』、共著書に『未踏 あら輝』。編書に『旅する舌ごころ』(白洲信哉)、企画&編集協力に『アンジュと頭獅王』(吉田修一)などがある。ブータンと日本の橋渡しがライフワーク。 キミテラス(KIMITERASU)

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