テレビアップデート論 Archives - TOKION https://tokion.jp/series/テレビアップデート論/ Mon, 10 Jul 2023 13:35:27 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png テレビアップデート論 Archives - TOKION https://tokion.jp/series/テレビアップデート論/ 32 32 「わかりやすさ至上主義が成長を止めてしまう」 テレ東・上出遼平に聞くテレビアップデート論-後編- https://tokion.jp/2020/12/10/modernizing-tv-part2/ Thu, 10 Dec 2020 06:00:12 +0000 https://tokion.jp/?p=13298 テレビ東京で、プロデューサー兼ディレクターとして働く上出遼平に聞く、「テレビアップデート論」。後編では、テレビ局の新たな可能性について。

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テレビ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のディレクター兼プロデューサーを務めるテレビ東京の上出遼平。2020年3月には書籍『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を出版し、テレビ業界外からも注目を集めている。テレビ業界で働きつつも、そこに染まらず、独自の視点で番組を制作する姿勢に共感する人は多い。そんな上出に前編に引き続き、「テレビはアップデートできるのか」をテーマに話を聞いた。後編では、「わかりやすさ至上主義」から「音声ドキュメンタリーの可能性」などを語ってもらった。

——前回の話からの続きとなりますが、テレビ業界の未来を考えると、視聴者の意識も変わっていく必要があると?

上出遼平(以下、上出):テレビ局の人間がこんなことを言うと、責任転嫁も甚だしく聞こえるかもしれませんが、制作者はできることを精一杯やるので、視聴者はただの消費者じゃなく、共に文化を作っていく担い手であってほしいと思っています。ちゃんとリテラシーをもった受け手がたくさん存在して、そのフィードバックでどんどん良い番組が育まれていく。それが当たり前のはずだけど、今は消費者も楽しければそれでよし、楽しくなかったらクレームという世界が広がってしまっている。それが成熟した社会なのか、というと疑問ではありますよね。もちろん、我々テレビ制作者の努力不足は否めませんが。

——テレビに限らず、わかりやすいものを求める傾向が強まっていると思いますが、それは番組を作るうえでも求められますか?

上出:求められまくりです(笑)。逆にそれだけを求められていると言っても過言ではないかもしれません。僕は「わかりやすさ至上主義」と呼んでいます。最近はもうほとんどありませんが、例えば僕が1ディレクターとして誰かの番組のVTRを作って、それを上の人にチェックしてもらうと、まず「わかりにくい」と言われる。判断基準は「おもしろい・おもしろくない」よりも、「わかりやすい・わかりにくい」ということになってしまっている。本当は、おもしろいけどわかりにくいものこそが、新しい価値を作っていくと思っています。「わかりにくいけどおもしろいぞ」っていうモヤっとした混乱みたいなものを解きほぐしていく過程が制作者や受け手の成長になっていくはず。だから、わかりやすさを最上位に置いた瞬間、成長が止まってしまうんです。

前回の話に戻りますが、僕は遅いなりにテレビ番組は進化していると言ったけど、わかりやすさのプライオリティが高くなっていくことは、成長の速度をさらに遅らせていくことに直結します。別の言い方をすると、「わかりやすさ至上主義」は、作り手の「視聴者はこれ以上は理解できないだろう」という過小評価に基づいている。そこに高め合いはなくて、低いところにコンテンツを投げ込んでいるだけなので、ちょっとでもわかりにくいと「もっとわかりやすくしてよ」ってなっちゃう。それが今のテレビ作りになっている。

ぼーっとしていても入ってくるような、なるべく考えさせない。それが消費者中心社会の「わかりやすさ至上主義」の世界。そんな中、無理やり立ちあげたのが『ハイパーハードボイルドグルメリポート』なんです。なんの説明もないし、なんのナレーションもないまま進んでいって、こんなことがあったよ、というのを見せて終わる。番組側の解釈もないから受け手はしんどい。ぼーっと見ていると訳がわからなくて、チャンネルを変えちゃう。当然視聴率が悪いから続かないという感じ(笑)。

——一方で、単純に何も考えずにテレビを楽しみたいというニーズもあると思いますが。

上出:ニーズがあるどころか、視聴率の分布を見ればそちらが圧倒的に優勢です。安心感のある出演者、慣れ親しんだ起承転結、待ち望んだどんでん返し……。高視聴率を取る番組はこれらの要素を備えています。小難しい話や、心理的な負担を伴う話を聞きたがっている人はテレビじゃなくてネットにアクセスします。当たり前ですよね。「アロママッサージ」を受けに来た人に突然「足つぼ」かましたら怒られますよ。だけど、アロママッサージに来たお客さんにまっとうなアロママッサージだけを施術したとしたら、そのお客さんは満足して帰るかもしれないけどそれじゃもうダメなんです。一か八か、最後に「コルギ」をかまして「気持ちよくなった上に顔も小さくなった!」と150%の満足感を持って帰ってもらう。そうすると、そのお客さんは店を友達に勧めてくれるわけです。もともとマッサージ好きじゃない友達にも勧めてくれるかもしれない。「とりあえず行ってみてよ。ただのマッサージじゃないんだよ」って。今のテレビにはそれが必要なんです。新しい客を呼んでもらえるような手を打たないといけない。

——最近では芸能人でもYouTubeで自身の番組を持つ人も増えています。自分で発信できる時代に、テレビ番組としての役割はなんだと思いますか?

上出:やっぱり倫理じゃないですかね。さっき(前編)は「テレビ局も営利企業であるから金を稼ぐことが必須である」と話しましたが、その前提はYouTubeのほうが一層顕著に当てはまります。我々テレビ局はまだ企業としての体力を持っているので番組作りに幅を持たせられますが、YouTubeの場合は1本1本で確実に金を稼いでいかなければなりません。そうなった時に、倫理が置き去りにされる危険性はテレビより高いと言えるでしょう。裏を返せば、倫理感を失ったテレビ局の存在意義は限りなくゼロです。

——VRなども普及してきた中で、テレビもVRで見るとか、視聴体験も変わってくるのでしょうか?

上出:正直言えば、テレビの最大の強みは受け手にとっての“手軽さ”だと思うので、身体に装着する機材が必要になるようなものは相性が良くありません。そこには一定の能動性が必要なので、やはりネットの独壇場だと思います。また、技術革新が進んで手軽なVRが実現した際に我々のコンテンツと融合していくことは十分あり得るでしょうが、そうなった時には「テレビ」の定義がもはや不明になっているでしょう。

音声ドキュメンタリーという新たな挑戦

——そうしたわかりやすさ至上主義が求められる中で、上出さんは新たに音声コンテンツをスタートするそうですね?

上出:簡単に言うと国内版『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の音声ドキュメンタリーです。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』よりも、もっとわかりにくいけど、受け手が没入して想像してくれると、もっとエクストリームで楽しい体験ができると思っています。ある意味では受け手を信じていて「ついてきてくれよ」って想いで作りました。

——映像ではなく音声だけに絞ったのはどういった意図があったんですか?

上出:もともと『ハイパーハードボイルドグルメリポート』は、「これまでのロケクルー(3〜4人、多い時で10人)では入っていけない場所に、ディレクター1人なら入っていける。そしてそこには今まで誰も見たことのないストーリーが待っている」というコンセプトでスタートしました。やってみて、そのもくろみは間違っていませんでした。だけど悪い癖で、カメラがなければさらにもっと先に入って行けると思うようになりました。音声コンテンツでは字幕がつけられないので、外国では実現不可能だったんですが、このコロナ禍で日本でロケをせざる得ない状況になり、それなら音声だけでも成立するし、ベストチャンスだと思ってやってみました。そしたらやっぱり、相手の警戒心が低くて、今までよりもすごくリアルな言葉が録れました。今までにこんなリアルな突撃系の音声コンテンツってなかったんじゃないですか。

——確かに音声コンテンツのほうが没入感は高そうですね。

上出:そうですね。作り手側の発想で音声コンテンツを作ったんですが、受け手側としてもものすごく新鮮で刺激的で、音声ドキュメンタリーにはものすごく大きな可能性を感じました。テレビの映像って受け取り手としては受け取りやすいんですが、モニターっていう明らかに外界を感じさせる障壁(窓)が用意されているので、その世界にどっぷり入っていくことが難しい。それに比べて音声コンテンツだと、鼓膜に直接外界が入ってくるので、仕組みとしてはその空間にいる感覚に近い体験ができます。

あともう1つは情報量が映像とは違って圧倒的に少ない。映像はたくさんの情報があって、それがあるからわかりやすいけど、受け手としては限りなく受け身にならざるを得ない。次から次へとやってくる情報を自分の中に取り込んでいくだけ。音声だと情報量が一気に減るので、自分の脳みそを動かして、想像力を用いないと楽しめないんです。それは体験としてすごくおもしろいと思います。

——取材はかなり進んでいるんですか?

上出:わりと進んでいます。キーワードとしては「令和・日本・不良群像」で、令和の「不良」といわれるジャンルの人、いろんな人にスポットを当てて、そちら側から今の日本を描くイメージです。基本的には突撃取材をして、一緒に飯を食いながら話を聞くという感じです。

——そこでも一緒に飯を食べるんですね(笑)。

上出:そうですね。基本的にはやはり一緒に飯を食べたいんです。街宣右翼の方にも取材しています。8月の終戦記念日の靖国神社に行って、黒塗りの街宣車で走り回っている人に「すみません!」って声をかけて、一緒に飯を食いに行く。そこで「そんなことを考えて、こんなことしているんだって」ってすごく新鮮な話が聞けました。普段、道ですれ違ったら絶対目を背けるような、そんな人達も、話すとその辺にいる人と変わらないところもたくさんあるし、もちろん違うところも出てきて、取材していてめちゃくちゃおもしろいんです。あとは僕以外のディレクターが担当したセックスワーカーの女性の回もあります。

——取材先は知り合いに紹介してもらうとかではないんですね。

上出:もちろんこの辺に行けば会えるだろうなと情報収集はしていきますが、完全アポなしで、その場で声をかけて交渉しています。

——取材相手も一筋縄ではいかなそうですが、そうした人達とのコミュニケーションで気をつけていることはありますか?

上出:いえ、みんな僕達と同じなので特に気をつけることもありません。会社の上司と話をする時のほうが恐ろしいです。

——お話を聞いただけでも大変おもしろそうなコンテンツですね。どこで配信されるんですか?

上出:これはまだ検討中で、僕はあんまりプラットフォームにこだわりがなくて、受け取る人が受け取りやすい場所に置ければいいと思っています。だからいろいろな映像・音声プラットフォームにうまいことリンクしていければと考えています。

「クリエイティブ動物園」ことテレ東・伊藤部とは?

——上出さんは今春からテレビ東京の名物プロデューサー・伊藤隆行さんが部長を務める「クリエイティブビジネス制作チーム」(以下、伊藤部)に所属になったんですよね。今までと変わった部分はありますか?

上出:やりやすくなりました。僕がもともと会社員としては破綻している部分がすごくあったので、間に伊藤さんが入ってくれるようになって会社員的に助かっています。あと、「地上波にこだわらなくていいよ」っていうのは僕にとっての免罪符みたいなものを手に入れたというか。今まで何やっても、地上波で響くものが作れてなくて、今回の音声コンテンツもそうだけど、広く皆さんに喜んでいただくことが得意じゃない。たぶん僕は、自分が「これは絶対おもしろい」と思うもの以外は作れない。それは甘えともエゴとも言えるけど、1部の人が強く支持してくれるのが僕のやりたいモノづくりだし、目指すところ。例えば今後はそれが課金にもつながると思うし。もともと伊藤部というところは地上波の視聴率にとらわれない収益のあげ方を模索しようという部署なので、ぴったりといえばぴったりなんです。

——地上波のテレビに限界を感じている部分もありますか?

上出:収益的にはもちろん縮小の一途をたどっているので限界は感じています。それにすがっていたら、いずれ滅びるというのはみんな感じているところ。地上波全体が滅びるわけじゃなく、弱者が淘汰されるのは火を見るよりも明らか。テレビ東京は東京のテレビ局の中では弱者なので、イベントや配信、物販とかそういう方向でどうにか収益を上げることを考えていかないといけない。

——テレビ東京はイベントやLINE、YouTubeなどでのライブ配信も積極的ですよね。Twitterでもテレビ東京の人の発信はとても個人が際立っていて、おもしろいなと感じています。上出さんは「テレビ東京は弱者」と言いましたが、「学生が就職したいテレビ局」でも1位になるなど、テレビ東京のファンは確実に増えていると思います。そうしたファンを増やしていくことはうまいのかなと思いますが?

上出:僕は疑ってますよ、その「1位」を。本当は日テレでしょ?って。ただ、わかるところもあります。若者たちが、組織の歯車に成り下がりたくないという思いを持っているのだとしたら、明らかにテレビ東京が輝いて見えるでしょう。組織としてのパワーが弱いから、テレビ東京は個の力を引き出し切って利用しないと生き残れない。結果、エンタメラジオモンスター佐久間(宣行)Pのような人が生まれます。あとは、「人の言うことを聞かない」っていうのが我々の長所だと思っています。違うかもしれないけど。まぁそんなようなことが、若者達の目に魅力的に映っているのかもしれません。

——確かに、テレビ東京は外から見ると自由にやっていそうに見えます。今回の音声ドキュメンタリーも「テレ東」らしいユニークな発想で。今回の音声ドキュメンタリーはテレビ局にとっても新たな活路となりそうですね。

上出:すごく可能性は感じています。本当に音声って嘘がつけなくて。人間は声で真実を聞き取ることができるそうです。だから「ラジオのリスナーはラジオを信用している」ということにもつながっているのかもしれないです。ラジオには嘘がないとみんな思っているのは、パーソナリティーが嘘をついたらわかるから。今回の音声ドキュメンタリーに関しても、テレビの場合はドキュメンタリーといってもいろんな嘘をついたり、仕込んだりしながら作っていくのが常だから、普通のテレビ制作者だとできないと思う。逆に僕らは突撃することを楽しむので、嘘なしで番組を作れている。だから音声で作ってもおもしろい作品に仕上がっている。

——いつ頃公開される予定ですか?

上出:来年の早い段階で公開される予定です。ぜひ、期待してください。あと音声コンテンツをカセットテープでも発売できればと思っていて、60分テープで。そちらも楽しみに待っていてください。でもおもしろくなかったらすいません。

——上出さん自身の話がすごくおもしろいので、音声コンテンツとは相性よさそうですね。以前、佐久間さんのラジオ(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』)に出演された時もすごくおもしろかったです。ご自身でもラジオをやってみたいと思いますか?

上出:それは無理だと思います。僕は頭の回転が遅くて、瞬発力がない。だから生放送の番組が大嫌いです。じっくり考えて、少しずつ言語化していく方が向いているので、ラジオで話すよりは文章を書きたいですね。

上出遼平
テレビディレクター・プロデューサー。1989年東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、2011年テレビ東京に入社。テレビ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画、演出、撮影、編集まで番組制作の全工程を担う。2020年3月には書籍『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を出版するなど、活動の幅を広げている。Twitter:@HYPERHARDBOILED

Photography Yusuke Abe(YARD)

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「AかBかだけではなく、Cを探すのがテレビ番組制作者の義務」 テレ東・上出遼平に聞くテレビアップデート論-前編-  https://tokion.jp/2020/11/10/modernizing-tv-part1/ Tue, 10 Nov 2020 06:00:17 +0000 https://tokion.jp/?p=10350 テレビ東京で、プロデューサー兼ディレクターとして働く上出遼平に聞く、「テレビアップデート論」。

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テレビ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のディレクター兼プロデューサーを務めるテレビ東京の上出遼平。2020年3月には書籍『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を出版し、テレビ業界外からも注目を集めている。テレビ業界で働きつつも、そこに染まらず、独自の視点で番組を制作する姿勢に共感する人は多い。そんな上出遼平に「テレビはアップデートできるのか」をテーマに話を聞いた。前編では、「古い価値観に基づく番組制作」や「テレビの構造的問題」などを語ってもらった。

——今回のテーマとして「テレビはアップデートできるのか」についてお聞きできればと考えています。そもそもこのテーマを思いついたのが、コロナ禍で家にいることが増えたことで、テレビ番組を見る機会も増えました。そこで昔と変わらない価値観のテレビ番組を見て、「テレビって進化しないんだな」と感じたんです。その辺り、実際現場で制作されている上出さんはどう考えていますか?

上出遼平(以下、上出):一見、進化してなさそうに見えて、実はテレビ番組は少しずつ進化していて、20年前の番組と現在の番組を見比べたら全く違うものになっている。よく企画会議なんかで、「昔の○○みたいな番組できないかな」って言う人がいるんですが、その番組を今見たら全然おもしろくないってことも多いです。だから僕としては、「テレビ番組はどんどんおもしろくなっている」と思っています。一方で、それが前提にありつつ、その変化の速度はウェブメディアなどと比べると大変遅い。もっともっと進化していってもいいはずなのに、と感じることはもちろんあります。

——例えばよくバラエティー番組で見られる「容姿をいじって笑いをとる」「古い価値観によるツッコミ」なども、今の時代には合っていないと思ったりしますが。

上出:僕もそう思います。自分自身がそういうバラエティーを作ったことがないので、一般的な視聴者と同じ感覚で、業界の感性が時代の潮流からは3周遅れくらいしていると感じています。それこそ、テレビ業界には男女差別の問題、人種差別の問題、ルッキズムの問題もある。最近は出演するタレントさん自身がその問題について発言することも増えていて、敏感な制作者はそういった番組作りはもうやってないはずです。

ただテレビの制作現場は村社会化していて、番組も基本は身内で作っている。長寿番組だと20年近く同じようなスタッフで作っているというケースもありますし、そうした現場だと新しい価値観を拒絶してしまうこともあります。さらに制作現場の職場環境も、以前と比べるとよくなっているとはいえ、まだまだ厳しく、女性の活躍の機会が限られていることもあって、男性優位の業界になっている。その結果、男性だらけの中で番組が作られているので、女性の視点が欠けるのは当然なんです。ただ、これも少しずつ改善されています。「少しずつよくなっているからいいじゃないか」とは言わないですが、「だからテレビはダメなんだ」と一括りにすることもできないとは思っています。

さらに付け加えると、テレビ番組は制作者の自己表現の場としてやっているわけではなく、視聴者からのフィードバックの結果、今の内容になっているところもあり、テレビと視聴者の共犯関係の中で生まれているものだと認識したほうがいい。報道は別であるべきですが、バラエティーは売れるものを作ることが求められているので、視聴者の態度ってものもすごく重要なんです。責任転嫁に聞こえるかもしれないけれど、テレビを批判するなら、テレビ局と視聴者の両方を批判的に点検しないといけない。そうしないと業界が先には進みません。それが欠けがちな視点だと思います。

——なるほど。では、まだまだそうした「容姿いじり」「古い価値観によるツッコミ」は視聴者にも容認されていると。

上出:そこが今ちょうど意識が変化しているところだと思います。ただ「容姿の言及」が一概にすべて悪いかというとこれまた難しい問題で。どこを出発点にこの事案を考えるかで結論が変わってくると思います。例えばルッキズムの問題でいうと「きれいですね」って言うことも「美しい/美しくない」という概念を作ってしまうからいけないという考えもある。ただし、「言わなくなること」が、はたしてその概念を「消滅させること」になるのかどうか。時代や土地によって変化こそすれ、「人間の美醜」というものは存在し続けるとすれば、それを「隠すだけ」になりはしないか。この潮流が、「嫌な思いをする人がいるから、ないものとしよう」と、なんでもかんでも臭いものにふたをしていくことにしかならないのかもしれない。そういう可能性も懸念すべきことだと思います。

また、逆の見方をすると、見た目の美しさや見た目の滑稽さを武器にすることを許さない社会ということになってしまう。その流れは本当に幸せなのかっていうことも考えなければいけない。本人が嫌がる「いじり」はもちろんダメなんですが、本人がそれを武器にして笑いをとったりすることまでは否定すべきではないと思います。ただ、テレビに出ている誰かが武器としている容姿の特徴が、テレビの外の人にとっては全然武器になり得ないということももちろんあります。例えば「○○さんに似ていると言われた人が、○○さんが番組でいじられるのを見て、嫌な思いをする」こともあるわけで、そういう人のことを忘れて番組を作ることはとても危険です。笑うほうにはなんの負担もありませんが、笑われるほうには大きな負担がかかります。

テレビ業界は遅れている部分があるし、偏った目線だし、多様な視線が欠けているけれど、「今世界がこういう流れだから、それに乗るべきなのに乗ってなくないですか?」って議論に対しては、「その潮流自体をなぜ正解とするのか?」ということを、一回疑ってみないとダメじゃないのかという意識もあります。社会的潮流が「こっちだ」となったら、そっちじゃないほうに耳を傾けるのも大事なことなので。AかBかだけじゃなく、世界がBで、テレビがAだから、テレビもBに行けじゃなく、Cを探す義務が僕達テレビ番組制作者にはあるような気がしています。

テレビに出ることのリスクは自覚するべき

——最近はネット炎上みたいなことが過剰すぎると感じるところもあって、一方的にたたきやすいものをたたくような風潮があると思います。特にテレビ業界はそれを受けやすいと思いますが、それについてはどう感じていますか?

上出:いろいろ感じるところはあります……。番組が炎上することもあれば、出演者が炎上する場合もありますよね。もちろん炎上自体はほめられるべきことではないですが、トリッキーなことを言えば、そのためにテレビ番組というものが存在している部分もあると思います。みんなのストレスがSNSへの批判書き込みで解消できるのであれば、それはテレビの立派なサービスの一つなんじゃないか、という見方もできる。全くもって本懐ではないですが。

——テレビ番組自体が批判されることはそういう見方ができますが、それが個人の批判に繋がるのは問題だと思いますが。

上出:もちろん個人に対しては批判する人達が悪いし、番組制作サイドはしっかりと出演者を守るべきであるのは大前提なんですが、この時代にテレビに出るにはそういったリスクがあるということは、自分を守るためにも絶対に自覚すべきだと思う。そのリスクを考えずにテレビに出ようとするのはあまりにも危険です。

——例えば出演者のコメントで「これ使ったら物議を醸す」というものを、使うべきか、使わないべきかの判断は、テレビディレクターとしてはどう判断するんですか?

上出:それはすごく難しいですね…。概して本人が意図していなかったり、気を抜いた瞬間に出た言葉が一番おもしろい。だから僕らテレビディレクターとしては絶対にそこは使いたいと思っています。それがお互いに許されているのが、タレントとテレビマンの関係。だからおもしろいと思ったら、タレントの言葉は容赦なく使います。ただ難しいのはテレビタレントじゃない人が出演する場合です。「あんな言葉は使わないでほしかった」と言われることもありますが、「私はこう見せたい・こう見られたい」という部分はおもしろくないし、その人のPR動画を作っているわけではないので、意図していない場面が使われると思ったほうがいい。ただ、これも番組によって考えは違うし、「出演者」と「被取材者」とでも話はかなり変わります。「リアリティーショー」で問題が起こるのは、そのあたりの境界線が曖昧だからだと思います。

——確かに「出演者」であれば、何かしらの役割を求められてキャスティングされるわけで、そこは理解しておかないといけないですね。少し話が変わるんですが、ネットやSNSの普及だったり、そもそも家にテレビがない人など、若者の「テレビ離れ」がいわれていますが、そういった現状に対してはどう感じていますか?

上出:僕も普段はリアルタイムではテレビを全然見ないので、人ごとじゃないです(笑)。ただ、「テレビ離れ」とはいわれていますが、YouTubeだったり、TVer、Netflix、Amazon Primeなどを通じて、テレビコンテンツはある程度見てもらえていると思っています。視聴方法が変わってきただけとも考えられる。そもそも「この時間じゃないと見られない」という意味がわからないし、僕より下の世代はみんなそうだと思う。見たいタイミングで最初から見られたらいいし、スマホで見たいだろうし。アクセスしやすいデバイス・プラットフォームに合わせてコンテンツを供給していけば基本的にはいいと思っています。

偽コンプライアンスが台頭している

——テレビはコンプライアンスによって、昔より自由度がなくなっているともいわれていますが、実際に感じる部分は?

上出:僕は本当に全くないです。「これが正しくて、これがおもしろいんだ」って思って作った時に、何かにひっかかることはありえない。それこそ「コンプライアンスで番組作りが不自由だ」と思う人は、単純に自分の感覚が時代に追い付いていないだけだと思います。そこがテレビマンの腕の見せどころというか、そこに時代感覚をアダプトできているかどうかがわかる。それがずれていたらコンプライアンス的にもアウトだろうし、おもしろい番組は作れない。今おもしろいコンテンツを作れる人は、問題を感じずに作れているはずです。

そもそも「コンプライアンス」の定義自体も曖昧で、「テレビ局が社会に伝播させるコンテンツとして正しいかどうか」というのが本来のコンプライアンスだと思いますが、今はスポンサーのご機嫌をそこねないかどうかみたいな、偽コンプライアンスが台頭してきて、それに対しては疑問を感じています。そんな僕はスポンサーを気にせず番組を作って、しばしばひんしゅくを買っていますが。

——今後のテレビ業界はどうなっていくべきだと思いますか

上出:最近、バラエティーと報道との垣根が曖昧になっていてると思っています。僕が制作した『ハイパーハードボイルドグルメリポート』はバラエティーだけど報道的な空気感も少しあり、「世の中にこんな問題があるよ」ってことを見せています。一方でその逆方向の現象も起こっていて、報道番組といわれているものの中で、純粋な報道がどれほどあるかというとあまりない。どれもこれもエンターテインメントの部分がどんどん増幅していって、情報番組みたいになっている。報道番組なのに、全然報道じゃないものが紛れ込む。それがテレビの信用を失わせている要因だと思っています。

でも、なんでそうなったかというと、第一に民放テレビ局が営利企業であるから。どんな報道だろうがバラエティーだろうが、なんであれお金を稼げなければ存在意義がない。それが宿命なんです。純度100%の報道番組がなぜ作れないかというと、視聴率が稼げなくなったから。そこには視聴者の問題もある。視聴者が、派手で、大きな話題で、白黒はっきりした情報だけを求めた結果、勧善懲悪、水戸黄門スタイルの、「待ってました!この人の一言!」みたいな、気持ちいいものが求められていって、それがテレビ局にお金を生んでいったという経緯がある。そこの共犯の中で、中立的な報道がなくなっていって、政府に忖度したり、視聴者に忖度したりして、骨のない番組が多くなっていったんだと思います。

それはある意味でもう仕方がないことだと思いますが、どこにその救世主がいるかというと、スポンサーじゃないかと思ったりします。視聴率がとれなくても番組を存続させるには、端的に言ってその番組でテレビ局が稼げればいいわけです。つまり、視聴率以外のなんらかの価値(例えば社会正義)に対して企業にお金を出してもらう。それこそCSR活動の一つとして、「どんな番組にお金を出しているか」がその企業の評価につながるように、ステークホルダー達のコンセンサスを取れるようになれば…。気概のある企業と気概のある作り手が手を組んで、万人にウケはしないけどテレビの文化を引っぱっているとか、マスメディアとしての存在意義を保っているとか、そういう番組が存在できるようになればいいなと思います。的外れで夢見すぎですかね。

後編へ続く



上出遼平
テレビディレクター・プロデューサー。1989年東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、2011年テレビ東京に入社。テレビ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画、演出、撮影、編集まで番組制作の全工程を担う。2020年3月には書籍『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を出版するなど、活動の幅を広げている。Twitter:@HYPERHARDBOILED

Photography Yusuke Abe(YARD)

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