玉田光史郎, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/koshiro-tamada/ Tue, 29 Jun 2021 03:56:30 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 玉田光史郎, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/koshiro-tamada/ 32 32 しりあがり寿が拡張する葛飾北斎の世界 「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」が示すパロディの可能性 https://tokion.jp/2021/06/29/kotobuki-shiriagari-hokusai/ Tue, 29 Jun 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=41195 葛飾北斎のオリジナル作品と、しりあがり寿のパロディ作品をともに展示した企画展が開催中。しりあがり寿が語る、北斎の魅力やパロディの真髄、笑いの効用とは。

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世界で最も有名な日本の浮世絵師といえば、今もなお葛飾北斎の名が挙がる。躍動する波の刹那を絵に留めた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」などは、誰もが知る1枚だと言っても過言ではない。

そんな北斎を敬愛する漫画家・現代美術家のしりあがり寿は、かねて北斎をモチーフにしたパロディ作品を手掛けてきた。そして今、北斎としりあがり寿の2人展「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」がすみだ北斎美術館で開催中だ(会期は2021年7月10日まで)。本展示は、2018年に同館で開催された展覧会「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 しりあがり寿 北斎と戯れる」で発表されたパロディ作品に加え、新作や北斎のオリジナル作品なども展示した、より大規模な展覧会となっている。

パロディの名手は、葛飾北斎の世界とどのように戯れたのか。そして見えてきた北斎の作品の強さとは。インタビューで語る。

森羅万象を描き尽くそうとした、圧倒的な存在

――しりあがりさんは2010年にリリースされた文庫版『北斎漫画』のあとがきを担当したことがきっかけで、葛飾北斎に興味を持つようになったと伺っています。

しりあがり寿(以下、しりあがり):僕は『真夜中の弥次さん喜多さん』のような江戸の作品も描いているし、アート的な活動もしている。だから「漫画家ならこの人」と声がかかったのかなと思っています。

――それ以前、北斎や江戸時代の表現にどれくらい関心があったのでしょうか。

しりあがり:浮世絵は昔から好きでした。僕が中学生や高校生だった1970年代、アメリカのカルチャー一辺倒だったところに寺山修二さんのような日本にルーツを持つ表現が出てきて。特に僕は、浮世絵が持つ独特の色に惹かれました。

――特定の作家というよりも、日本的な表現方法に興味があったと。

しりあがり:そうですね。ただ、今思い出したんですが、小学生の頃に(歌川)広重の『東海道五十三次』シリーズの切手を集めていました。今も実家のどこかに仕舞ってあると思うんだけど。

――それから数十年の時を経て、急速に北斎に再接近していったわけですね。

しりあがり:『北斎漫画』のあとがきを書かせてもらったり、すみだ北斎美術館が開館した時のシンポジウムに呼んでもらったり。気付いたら北斎の情報がだんだん集まってきて。この人、すごいなって思い始めたんです。そして2018年に、すみだ北斎美術館からパロディ作品を作る機会をもらいました。

――北斎のどんなところに惹かれたのでしょうか。

しりあがり:北斎の生涯と作品、その両方です。生涯については、とにかく長生きして、次から次へといろいろなことにチャレンジしていって。森羅万象をすべて描き尽くそうとした生涯は、本当にかっこいいと思います。

――北斎はこたつから出ないで絵を描き続けたとか、猫が上手く描けなくて泣いた、などと伝えられていますね。

しりあがり:北斎はとにかく絵が好きな人。僕も絵を描きますが、そこまで描けないなと思います。今、僕の知っている中だと、本当に絵が好きなのは寺田克也さんですね。飯を食う時は、その絵を描いてから食べるんですよ(笑)。いつでもタブレットを持っていて、新幹線の中でも描いている。祖父江慎さんも近いかな。一緒に仕事をすると、時間がなくても、とにかく良いデザインにこだわる。あれほど好きだという気持ちは、なかなか求めて得られるものではありません。

――逆に、しりあがりさんが北斎にシンパシーを感じる点はありますか。

しりあがり:あまりかっこつけていないところですかね。つまり、絵が好きだという気持ちに素直に生きている感じがして。それでいうと、僕は「絵がそんなに好きじゃない」という気持ちに素直に生きているわけで(笑)。そこで嘘をついてもしょうがない。

――作品についてはいかがですか。

しりあがり:もちろん作品のほうも本当に素晴らしくて。構図の大胆さが魅力ですよね。北斎は世界で一番有名な日本画家とも言われていて、「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は海外で「グレートウェーブ」と呼ばれています。今でも「波」と言えばみんなあれを思い出すでしょ。

――北斎は70歳を過ぎてから「冨嶽三十六景」を描き始めたと言われています。そのことはどう思いますか。

しりあがり:僕は今60代ですけど、老眼とか、握力が落ちるとか、肉体的な衰えが来ています。僕は毎日のように4コマ漫画を描いていますが、線が上手く描けなくなってきていて。それを北斎は、70歳を過ぎてあんなに細い線を描いている。デジタルじゃないし、アンドゥもできないのに(笑)。北斎は、「もっと長生きすれば、もっと描ける」と言ったと伝えられていますが、そう言えること自体がすごい。肉体的な衰えは考えないのか?みたいな。

パロディをものともしない構図の強度

――北斎のパロディ作品を制作してみて、どんなことを感じましたか。

しりあがり:オリジナルの構図がすごくしっかりしているので、多少いじったところで壊れない。逆に、ムードや雰囲気で押してくる作品は、どこをどう変えたらいいか難しくて。でも北斎の作品は、構図さえ崩さなければどうにでもできます。本当は、僕は少ししか変えていないのに全体が変わってしまうような作品が好きなんですね。だから、波を太陽のフレアに変えた「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球」という作品を作った時は、「こんなに変えたら北斎の絵じゃなくなるのでは」と心配したけれど、やってみたらちゃんと北斎の作品のままだった。あの強さには驚きましたね。

――しりあがりさんは、もともとパロディを得意としていますが、北斎の作品はとりわけパロディにしやすい題材だと言えるのでしょうか。

しりあがり:とてもしやすいですね。まず多くの人がオリジナルを知ってること。あと、絵の世界がニュートラルで、細部だけでもいろんな方向に変えられる。

――今回の展示でも、パッと見は北斎の絵のままで、近づいてよく見ると細部が変わっているというものが多くありました。

しりあがり:北斎の絵は何も言っていないのがいいのかもしれないですね。楽しいとか、悲しいとか、感情的なところが全然なくて。例えば広重の絵の方が僕は旅情のようなものを感じます。北斎の絵はカラッとしていますよね。よく言われることですが、北斎の絵はシャッター速度が早い。歌舞伎の役者さんが見得を切った一瞬のような。写真的とも言えるかもしれません。

――しりあがりさんがパロディ作品を制作する時のルールはありますか。

しりあがり:いろいろな人のやり方があると思いますが、僕はなるべく変えない方がかっこいいなと思っています。放送作家の倉本美津留さんがパロディの本を出していますが(『パロディスム宣言』)、倉本さんも1箇所だけを変えることにこだわっているそうです。僕も倉本さんと近くて、よく見るとおかしい。あるいは、「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球」のように、色を変えるだけで何もかも変わってしまう。そういう作品が好きですね。

――もし、北斎がしりあがりさんのパロディ作品を見たらどういう反応をするでしょうか。

しりあがり:「けっ!」って感じじゃないかな(笑)。「俺ならもっと上手くできる」って。もし北斎が今の時代に生きていたら、アニメーションは作りたがるでしょうね。「After Effectsを教えろ」とか言われるんじゃないかな(笑)。見てみたいよねえ、北斎のアニメ作品。そういえば庵野秀明監督は「アニメはアングルがすべて」のようなことを言っていますよね。それは北斎も同じ。ぜひ2人の勝負は見てみたいな。

笑いの奥底には、何かしらの真実が潜む

――今回のパロディの作品群を見ていると、まだまだ無限に作品が生まれそうな印象を受けました。

しりあがり:無限にできますね。今回の1つの手法が、北斎の世界の中に現代のものを入れ込むということ。スマホやドローンを取り入れたネタもあります。時間が経てば新しいものが出てくるわけで、時代が変わればいくらでもパロディは作れます。日々、現実は更新されていくわけですから。

――例えば風刺画がそうですが、往々にしてパロディは何らかのメッセージやイデオロギーを発信する手段としても使われます。しりあがりさんは、パロディやユーモアの効用をどのように考えていますか。

しりあがり:多様性という言葉をよく聞くようになりましたが、違った人たちが一緒に生きていく社会では、絶対に摩擦や批判は避けられません。みんなが求める社会は、イコール、摩擦や批判のある社会でもあります。そこをいかに分断しないでやっていくか。その時に笑いが必要です。一方、注意しないと笑いは人を傷つけてします。笑われた方も、こりゃ1本取られたな、と思えるようなユーモアでやっていかないと。

――多様性の時代ゆえに、笑いが重要なのですね。

しりあがり:だけど、「笑い」って人の感情の中でも特にコントロールが難しいんです。「笑い」という成分の中には驚きや緊張の弛緩などいろいろな要素が混ざっているし、意外だけど納得できる、という時にも人は笑いますよね。漫画でも風刺画でも、つい笑ってしまったという事実が大切で、その時はわからなくても、きっとそこには真実につながる何かがあるはずなんです。

――たしかに、今回の展示もクスッと笑える作品ばかりでした。今回、北斎のパロディ作品を通して、しりあがりさんが伝えたかったことはありますか。

しりあがり:逆にそういったことは考えないようにしました。社会へのメッセージなどは新聞の4コマ漫画の方で発信していますし。1枚1枚の絵を見るとメッセージがあるかもしれないけど、全体としては北斎の巨大な世界を楽しみましょう、ということに尽きます。純粋に北斎の世界をもっと豊かにして、いろいろな方向から楽しんでもらいたい。僕は北斎という巨人の足元で戯れさせてもらっただけだけど、改めて北斎のすごさを感じましたね。

しりあがり寿
1958年静岡市生まれ。1981年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝などを担当。1985年単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年独立後は、幻想的あるいは文学的な作品など次々に発表、新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなどさまざまなジャンルで独自な活動を続ける一方、近年では映像、アートなどマンガ以外の多方面に創作の幅を広げている。
HP:http://www.saruhage.com
Twitter:@shillyxkotobuki

■「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」
会期:~7月10日
会場:すみだ北斎美術館
住所:東京都墨田区亀沢2-7-2
時間:9:30~17:30(入館は17:00まで)
休日:月曜日
入場料:一般 1,000円/高校生・大学生・65歳以上 700円/中学生・障がい者 300円/小学生以下 無料
会場ウェブサイト:https://hokusai-museum.jp/sansan/

Photography Kentaro Oshio

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藤原ヒロシが振り返る、80年代のメディア・ロンドン・クリエイティビティ――「fragment design」と伝説の英国カルチャー誌「THE FACE」のコラボレーションに寄せて https://tokion.jp/2020/12/01/hiroshi-fujiwara-the-face/ Tue, 01 Dec 2020 11:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=13392 藤原ヒロシが主宰する「fragment design」と英国カルチャー誌「THE FACE」のコラボレーションが実現し、同誌の表紙やロゴを用いたアイテムが発売となる。「THE FACE」との出会いや80年代のロンドンのことを、藤原ヒロシに尋ねた。

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イギリス・ロンドンで1980年に生まれた伝説的なカルチャー誌「THE  FACE」は、音楽やファッションをはじめとしたカルチャーを分け隔てることなく扱い、エスタブリッシュドもストリートも横断する編集方針をとっていた。そして、カルチャーシーンを鮮烈に伝えるカラー写真や、洗練されたエディトリアルデザイン――。そんな魅力をたたえた「THE FACE」と藤原ヒロシが、最初の出会いから約40年の時を経て「再会」を果たした。この度、藤原ヒロシが主宰するクリエイティブ集団「fragment design」と、「THE  FACE」のコラボレーションが実現。同誌の歴代の表紙やロゴ・フォントセットを用いたTシャツやバッグなどのアイテムが、12月1日から英国「Selfridges」のオンラインストアで、12月12日から「TOKION」のオンラインストアとミヤシタパークの「TOKiON the STORE」で販売開始となる。今回のコラボレーションに寄せて、「THE  FACE」との出会いや、ロンドンの地でのエピソード、制作アイテムの背景にある思いについて、藤原ヒロシに尋ねた。

ファッションも音楽もすべてが融合した、初めての雑誌が「THE FACE」だった

――藤原さんが「THE FACE」と出会ったのはいつ頃ですか?

藤原ヒロシ(以下、藤原):「THE FACE」が出たばかりの頃ですね。僕が行く洋服屋やレコード屋に置いてあったんです。当時はロンドンのものにしか興味がなかったくらいの時期でした。

――「THE FACE」の第一印象はどうでしたか?

藤原:やっとちゃんとしたカラーの紙の雑誌が出てきたなと。「RECORD MIRROR」もカラーだったけど、もっと音楽寄りだったし、タブロイドだったし。インディーなポップスターがカラーで見れる雑誌なんて他にはなかったし、「THE FACE」と出会った時のことはすごく覚えていますよ。音楽やファッションをはじめとしたカルチャーが分け隔てることなく扱われていて、エスタブリッシュドもストリートも横断するような内容に、とても魅力を感じました。「THE FACE」には、その頃に好きだったヴィヴィアン(・ウエストウッド)とかマルコム(・マクラーレン)も出ていたし、バウ・ワウ・ワウとかの好きなアーティストの表紙も多くて、夢中になって読んでいました。

――当時はほかにどんな雑誌を読んでいたんですか?

藤原:「New Musical Express」とかの音楽誌とか、普通に日本の「POPEYE」や「an-an」も読んでいました。情報を得る手段が本しかなかった時代なので、ほぼ毎日のように本屋に行っていました。それしか娯楽がなかったんでしょうね。

それまで、音楽誌とファッション誌は別々のものだったので、「THE FACE」のように音楽とファッションが融合している雑誌は存在しませんでした。今でも存在しないのかもしれませんが。

――80年代はインターネットがなく、雑誌が若者のカルチャーにアクセスする唯一の手段でした。藤原さんをはじめとしたその時代の若者にとって「THE FACE」はどんな存在だったのですか?

藤原:僕にとっては、海外で起こっていることを知る唯一の手段。海外のパンクがどうなっているのか、とか。日本の音楽誌などで追っていたりはしたけれど、例えばバウ・ワウ・ワウをダイレクトにカラー写真で見たのは「THE FACE」が初めてだったと思いますよ。

80年代は、情報がスローで、新しいものが生まれる可能性に満ちあふれていた

――藤原さんは80年代のイギリスの音楽、ファッション、サブカルチャーのどの部分にハマっていたのですか?

藤原:全部一緒ですね。音楽だけ、ファッションだけとか、そういう風には分けられない。イギリスは中学生の頃から好きでしたが、初めて自分から好きになったのはパンクです。パンクはファッションと音楽が一体になっていて、それが一番の魅力でもありました。

その前からビートルズは聴いていましたが、「いい子」の聴く音楽というイメージがあって。あとあと調べると、ビートルズも初期は「REBEL(反抗)」感があったことがわかるのですが、その頃に「REBEL」を感じたのはセックス・ピストルズなどのパンクが初めてでした。

――「THE FACE」と同じように、パンクはファッションと音楽が融合していたのですね。

藤原:それはパンクが初めてで、だからセンセーショナルだったんです。ファッションと音楽を分けて考えられない存在は、今はもういないんじゃないかな。レディー・ガガと同じ格好なんて誰もしないでしょ(笑)。大抵のアーティストは、もともと存在するファッションをしているだけじゃないですか。でも、ヒップホップの人達だったら、まだファッションと音楽が融合しているのかな。トラヴィス(・スコット)みたいな服を着たい、とかね。

――当時、音楽とファッションが不可分でいることができたのは、なぜなのでしょうか?

藤原:80年代は、まだ新しいものが生まれる可能性があったから。今はもう、新しいものがない。その必要もないんじゃないですか。当時は、次から次に新しいものが生まれていた気がします。

――情報があふれている現在とはまったく時代が違ったわけですね。

藤原:まったく違ったし、いい意味で情報がスローだった。新しいものが生まれたら、1年くらいかけてじわじわと盛り上がっていって、アンダーグラウンドでいる時期が今より長くて。そして僕らが追いついた時には、もう違うところに行っている。

――今だと情報のスピードが早くて、盛り上がるまで一瞬ですよね。そしてすぐに消えてしまう。

藤原:そう。でもその頃はそうだった、というだけの話で、良いも悪いもない。

当時はファッションや音楽が最先端でおもしろかったけれど、それが今も同じかはわからないですよね。もしかしたら、医学の進化やテクノロジーや、ゲームのほうがおもしろいのかもしれない。まあ、当時はゲームもなかったんだけど。

「THE FACE」で活躍した伝説のクリエイティブ集団「Buffalo」との交流

――藤原さんのクリエイションと「THE FACE」の間には共鳴するものがありますか? カルチャー全般をフラットに扱う「THE FACE」と、ジャンルを横断した活動を行う藤原さん。近いところもあるように感じるのですが。

藤原:今でこそ、そう言われるだけで、当時はファッションや音楽がつながるのは当たり前だったんです。ストリートの中ではファッションも音楽もフラットに存在していたから、「THE FACE」のような雑誌が生まれた。

――今回のコラボレーションについて、憧れの雑誌を扱うというのは、どのような気持ちでしたか。

藤原:ただ嬉しかったですね。表紙を選ぶのも楽しかったです。

――今回セレクトした中で、思い出深い表紙はありますか?

藤原:この、ユルゲン・テラーが撮ったシネイド・オコナーの表紙とか。シネイド・オコナーの「Nothing Compares 2 U」のミュージック・ビデオは、ジョン・メイベリーという友達が撮ったんですよ。彼は、僕が1982年にはじめてロンドンに行ったときに居候させてくれました。

――藤原さんが18歳の頃、1982年にロンドンで2ヵ月間を過ごしたそうですね。当時のロンドンはどうでしたか?

藤原:音楽とファッションのカルチャーがすごく盛り上がっていました。その時期のロンドンを経験できて、僕は本当にラッキーでしたね。

――初めてロンドンに行くまで、「THE FACE」を読んで想像を膨らませていたのですか?

藤原:そうですね。実際に行ってみたら、イメージと違うこともあったんですけど。例えば、モデルみたいな美女ばかりじゃないじゃん、とか(笑)。クラブに行ったら、イギリスのヒットチャートが流れていると思っていたら、普通にニューヨークのディスコがかかっていたり。その中にパンクっぽい服装の人がいたりとかね。

――当時の藤原さんは、全身セディショナリーズみたいなファッションでした?

藤原:そうなんですが、その頃のロンドンでは、そういうファッションが終わっていた頃で、日本人でそんなファッションをしている子がいるんだ、と思われていたかもしれないです。

だからかな、みんな声をかけてくれて、親切でしたよ。危険な目にも遭わなくて。当時のロンドンにはルールというか、お互いにシェアするような文化があって、部屋もみんなでシェアしているし、クラブ帰りも知らない人同士でタクシーに乗って帰ったり。クラブには、イギリス中の変な格好をした人がいて、マイノリティ同士の結束がありました。僕もその中にいたんですけど。

――当時のロンドンで一番影響を受けた人物は、マルコム・マクラーレンですか? そのほかには?

藤原:一番はマルコムかもしれませんが、「Buffalo(バッファロー)」というチームもカッコよかったですよ。レイ・ペトリというスタイリストが率いていて、バリー・ケイマンやジェイミー・モーガンがいて。ケイト(・モス)やナオミ(・キャンベル)も「Buffalo」周りの知り合いでした。当時、「Buffalo」の人達はみんな黒いMA-1を着ていて、僕らは「バッファロー・ジャケット」と呼んでいました。僕も「バッファロー・ジャケット」を着ていましたね。靴はドクターマーチンを履いて。

もう亡くなってしまったけど、レイはカッコよかったです。レイがスタイリングした「THE FACE」(1985年3月号)もよく覚えています。

――「THE FACE」のセレクトされた表紙を見て、どんなことを感じますか?

藤原:色あせないというか、やっぱり洗練されています。グラフィックデザイナーには勉強になることがいっぱいあるんじゃないですか。僕も知らない間にいっぱい影響されていると思います。

音楽やファッションは、「奥行き」こそが面白い

――藤原さんはファッションデザイナー、ミュージシャン、プロデューサーでもあります。異なる活動分野は相互に作用していますか?

藤原:そうであってほしい、とは思っています。でも実際はわからない。世の中では全然別物になっていますよね。僕の中では、トラヴィスを聴く人はナイキを履いていてほしい。ビリー・アイリッシュを聴くなら、少しだけでも緑を取り入れるとかね。何かしら(音楽とファッションのリンクを)想像させてほしいです。

――音楽とファッションはセットであってほしい、と。

藤原:だけど、やっぱり今の時代はすべてが一瞬でメジャーになっちゃうから、上辺だけを受け取る人も多いんでしょうね。「奥行き」がないんです。音楽を聴いていて、そのアーティストがどんな靴を履いているか、意識しない人も多いと思います。僕らの頃は、好きなアーティストがどんな服を着ているか、どんなものが好きか、すごく掘り下げていた。情報が少なかったから、自然とそうなっていった。

――今の時代は情報のあり方も違います。「THE FACE」の時代の空気を若い人にも知ってもらいたいと思いますか?

藤原:そうですね。物事には「奥行き」があって、それが本当はおもしろいんだって、少しは言いたい。興味があるんだったら、掘り下げる気持ちはもってもらいたい。でも、わざと本質を隠す人もいるんだよね。気付かない人は上辺だけで通り過ぎてしまう。だけど、自分から気付くおもしろさってあるじゃないですか。僕もそうだけど、気付く人だけが気付づいてくれて、喜んでくれるほうが楽しいです。

――「THE FACE」は、「奥行き」を感じられる雑誌だったわけですね。

藤原:本当にそうで、インディペンデントの良さも「THE FACE」が教えてくれたと思います。「THE FACE」では、無名のモデルも、超有名なスターも、フラットに並べることができます。ポップなアイドルでも、インディペンデントな雑誌に出ることでカッコよくなれる。お金がなくても「THE FACE」だったら喜んで出るという人もいる。そういうところもいいですよね。「THE FACE」は、インディペンデントな雑誌のロールモデルだったと思います。

藤原ヒロシ
音楽家、音楽プロデューサー、fragment design主宰。1980年代よりクラブDJとして活動を開始。その後、音楽家として活動の幅を広げるとともに、独自のセンスと審美眼からファッション領域でも活躍。主宰するfragment designでは、ジャンルを超えたクリエイティブ・ディレクションを手がける。
Instagram:@fujiwarahiroshi

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「fragment design」×「THE FACE」コラボレーションアイテムは、英国「Selfridges」のオンラインストア、「TOKION」のオンラインストアとミヤシタパークの「TOKiON the STORE」で購入可能だ。

・「Selfridges」オンラインストア(12月1日から販売開始)
https://www.selfridges.com/

・「TOKION」オンラインストア(12月12日から販売開始)
https://estore.tokion.jp/collections/all

Photography Kentaro Oshio

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