しりあがり寿が拡張する葛飾北斎の世界 「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」が示すパロディの可能性

世界で最も有名な日本の浮世絵師といえば、今もなお葛飾北斎の名が挙がる。躍動する波の刹那を絵に留めた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」などは、誰もが知る1枚だと言っても過言ではない。

そんな北斎を敬愛する漫画家・現代美術家のしりあがり寿は、かねて北斎をモチーフにしたパロディ作品を手掛けてきた。そして今、北斎としりあがり寿の2人展「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」がすみだ北斎美術館で開催中だ(会期は2021年7月10日まで)。本展示は、2018年に同館で開催された展覧会「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 しりあがり寿 北斎と戯れる」で発表されたパロディ作品に加え、新作や北斎のオリジナル作品なども展示した、より大規模な展覧会となっている。

パロディの名手は、葛飾北斎の世界とどのように戯れたのか。そして見えてきた北斎の作品の強さとは。インタビューで語る。

森羅万象を描き尽くそうとした、圧倒的な存在

――しりあがりさんは2010年にリリースされた文庫版『北斎漫画』のあとがきを担当したことがきっかけで、葛飾北斎に興味を持つようになったと伺っています。

しりあがり寿(以下、しりあがり):僕は『真夜中の弥次さん喜多さん』のような江戸の作品も描いているし、アート的な活動もしている。だから「漫画家ならこの人」と声がかかったのかなと思っています。

――それ以前、北斎や江戸時代の表現にどれくらい関心があったのでしょうか。

しりあがり:浮世絵は昔から好きでした。僕が中学生や高校生だった1970年代、アメリカのカルチャー一辺倒だったところに寺山修二さんのような日本にルーツを持つ表現が出てきて。特に僕は、浮世絵が持つ独特の色に惹かれました。

――特定の作家というよりも、日本的な表現方法に興味があったと。

しりあがり:そうですね。ただ、今思い出したんですが、小学生の頃に(歌川)広重の『東海道五十三次』シリーズの切手を集めていました。今も実家のどこかに仕舞ってあると思うんだけど。

――それから数十年の時を経て、急速に北斎に再接近していったわけですね。

しりあがり:『北斎漫画』のあとがきを書かせてもらったり、すみだ北斎美術館が開館した時のシンポジウムに呼んでもらったり。気付いたら北斎の情報がだんだん集まってきて。この人、すごいなって思い始めたんです。そして2018年に、すみだ北斎美術館からパロディ作品を作る機会をもらいました。

――北斎のどんなところに惹かれたのでしょうか。

しりあがり:北斎の生涯と作品、その両方です。生涯については、とにかく長生きして、次から次へといろいろなことにチャレンジしていって。森羅万象をすべて描き尽くそうとした生涯は、本当にかっこいいと思います。

――北斎はこたつから出ないで絵を描き続けたとか、猫が上手く描けなくて泣いた、などと伝えられていますね。

しりあがり:北斎はとにかく絵が好きな人。僕も絵を描きますが、そこまで描けないなと思います。今、僕の知っている中だと、本当に絵が好きなのは寺田克也さんですね。飯を食う時は、その絵を描いてから食べるんですよ(笑)。いつでもタブレットを持っていて、新幹線の中でも描いている。祖父江慎さんも近いかな。一緒に仕事をすると、時間がなくても、とにかく良いデザインにこだわる。あれほど好きだという気持ちは、なかなか求めて得られるものではありません。

――逆に、しりあがりさんが北斎にシンパシーを感じる点はありますか。

しりあがり:あまりかっこつけていないところですかね。つまり、絵が好きだという気持ちに素直に生きている感じがして。それでいうと、僕は「絵がそんなに好きじゃない」という気持ちに素直に生きているわけで(笑)。そこで嘘をついてもしょうがない。

――作品についてはいかがですか。

しりあがり:もちろん作品のほうも本当に素晴らしくて。構図の大胆さが魅力ですよね。北斎は世界で一番有名な日本画家とも言われていて、「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は海外で「グレートウェーブ」と呼ばれています。今でも「波」と言えばみんなあれを思い出すでしょ。

――北斎は70歳を過ぎてから「冨嶽三十六景」を描き始めたと言われています。そのことはどう思いますか。

しりあがり:僕は今60代ですけど、老眼とか、握力が落ちるとか、肉体的な衰えが来ています。僕は毎日のように4コマ漫画を描いていますが、線が上手く描けなくなってきていて。それを北斎は、70歳を過ぎてあんなに細い線を描いている。デジタルじゃないし、アンドゥもできないのに(笑)。北斎は、「もっと長生きすれば、もっと描ける」と言ったと伝えられていますが、そう言えること自体がすごい。肉体的な衰えは考えないのか?みたいな。

パロディをものともしない構図の強度

――北斎のパロディ作品を制作してみて、どんなことを感じましたか。

しりあがり:オリジナルの構図がすごくしっかりしているので、多少いじったところで壊れない。逆に、ムードや雰囲気で押してくる作品は、どこをどう変えたらいいか難しくて。でも北斎の作品は、構図さえ崩さなければどうにでもできます。本当は、僕は少ししか変えていないのに全体が変わってしまうような作品が好きなんですね。だから、波を太陽のフレアに変えた「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球」という作品を作った時は、「こんなに変えたら北斎の絵じゃなくなるのでは」と心配したけれど、やってみたらちゃんと北斎の作品のままだった。あの強さには驚きましたね。

――しりあがりさんは、もともとパロディを得意としていますが、北斎の作品はとりわけパロディにしやすい題材だと言えるのでしょうか。

しりあがり:とてもしやすいですね。まず多くの人がオリジナルを知ってること。あと、絵の世界がニュートラルで、細部だけでもいろんな方向に変えられる。

――今回の展示でも、パッと見は北斎の絵のままで、近づいてよく見ると細部が変わっているというものが多くありました。

しりあがり:北斎の絵は何も言っていないのがいいのかもしれないですね。楽しいとか、悲しいとか、感情的なところが全然なくて。例えば広重の絵の方が僕は旅情のようなものを感じます。北斎の絵はカラッとしていますよね。よく言われることですが、北斎の絵はシャッター速度が早い。歌舞伎の役者さんが見得を切った一瞬のような。写真的とも言えるかもしれません。

――しりあがりさんがパロディ作品を制作する時のルールはありますか。

しりあがり:いろいろな人のやり方があると思いますが、僕はなるべく変えない方がかっこいいなと思っています。放送作家の倉本美津留さんがパロディの本を出していますが(『パロディスム宣言』)、倉本さんも1箇所だけを変えることにこだわっているそうです。僕も倉本さんと近くて、よく見るとおかしい。あるいは、「ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球」のように、色を変えるだけで何もかも変わってしまう。そういう作品が好きですね。

――もし、北斎がしりあがりさんのパロディ作品を見たらどういう反応をするでしょうか。

しりあがり:「けっ!」って感じじゃないかな(笑)。「俺ならもっと上手くできる」って。もし北斎が今の時代に生きていたら、アニメーションは作りたがるでしょうね。「After Effectsを教えろ」とか言われるんじゃないかな(笑)。見てみたいよねえ、北斎のアニメ作品。そういえば庵野秀明監督は「アニメはアングルがすべて」のようなことを言っていますよね。それは北斎も同じ。ぜひ2人の勝負は見てみたいな。

笑いの奥底には、何かしらの真実が潜む

――今回のパロディの作品群を見ていると、まだまだ無限に作品が生まれそうな印象を受けました。

しりあがり:無限にできますね。今回の1つの手法が、北斎の世界の中に現代のものを入れ込むということ。スマホやドローンを取り入れたネタもあります。時間が経てば新しいものが出てくるわけで、時代が変わればいくらでもパロディは作れます。日々、現実は更新されていくわけですから。

――例えば風刺画がそうですが、往々にしてパロディは何らかのメッセージやイデオロギーを発信する手段としても使われます。しりあがりさんは、パロディやユーモアの効用をどのように考えていますか。

しりあがり:多様性という言葉をよく聞くようになりましたが、違った人たちが一緒に生きていく社会では、絶対に摩擦や批判は避けられません。みんなが求める社会は、イコール、摩擦や批判のある社会でもあります。そこをいかに分断しないでやっていくか。その時に笑いが必要です。一方、注意しないと笑いは人を傷つけてします。笑われた方も、こりゃ1本取られたな、と思えるようなユーモアでやっていかないと。

――多様性の時代ゆえに、笑いが重要なのですね。

しりあがり:だけど、「笑い」って人の感情の中でも特にコントロールが難しいんです。「笑い」という成分の中には驚きや緊張の弛緩などいろいろな要素が混ざっているし、意外だけど納得できる、という時にも人は笑いますよね。漫画でも風刺画でも、つい笑ってしまったという事実が大切で、その時はわからなくても、きっとそこには真実につながる何かがあるはずなんです。

――たしかに、今回の展示もクスッと笑える作品ばかりでした。今回、北斎のパロディ作品を通して、しりあがりさんが伝えたかったことはありますか。

しりあがり:逆にそういったことは考えないようにしました。社会へのメッセージなどは新聞の4コマ漫画の方で発信していますし。1枚1枚の絵を見るとメッセージがあるかもしれないけど、全体としては北斎の巨大な世界を楽しみましょう、ということに尽きます。純粋に北斎の世界をもっと豊かにして、いろいろな方向から楽しんでもらいたい。僕は北斎という巨人の足元で戯れさせてもらっただけだけど、改めて北斎のすごさを感じましたね。

しりあがり寿
1958年静岡市生まれ。1981年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝などを担当。1985年単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年独立後は、幻想的あるいは文学的な作品など次々に発表、新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなどさまざまなジャンルで独自な活動を続ける一方、近年では映像、アートなどマンガ以外の多方面に創作の幅を広げている。
HP:http://www.saruhage.com
Twitter:@shillyxkotobuki

■「しりあがりサン北斎サン -クスッと笑えるSHOW TIME!-」
会期:~7月10日
会場:すみだ北斎美術館
住所:東京都墨田区亀沢2-7-2
時間:9:30~17:30(入館は17:00まで)
休日:月曜日
入場料:一般 1,000円/高校生・大学生・65歳以上 700円/中学生・障がい者 300円/小学生以下 無料
会場ウェブサイト:https://hokusai-museum.jp/sansan/

Photography Kentaro Oshio

author:

玉田光史郎

1982年、熊本県生まれ。INFASパブリケーションズに勤務後、広告の制作ディレクターを経て、2014年よりフリーランスのライター・エディターとして活動。テクノロジーやビジネスに関する記事執筆のほか、映画、アートなどカルチャー分野の記事も手掛ける。趣味は毛鉤釣りと岩登りと園芸。

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