イギリス・ロンドンで1980年に生まれた伝説的なカルチャー誌「THE FACE」は、音楽やファッションをはじめとしたカルチャーを分け隔てることなく扱い、エスタブリッシュドもストリートも横断する編集方針をとっていた。そして、カルチャーシーンを鮮烈に伝えるカラー写真や、洗練されたエディトリアルデザイン――。そんな魅力をたたえた「THE FACE」と藤原ヒロシが、最初の出会いから約40年の時を経て「再会」を果たした。この度、藤原ヒロシが主宰するクリエイティブ集団「fragment design」と、「THE FACE」のコラボレーションが実現。同誌の歴代の表紙やロゴ・フォントセットを用いたTシャツやバッグなどのアイテムが、12月1日から英国「Selfridges」のオンラインストアで、12月12日から「TOKION」のオンラインストアとミヤシタパークの「TOKiON the STORE」で販売開始となる。今回のコラボレーションに寄せて、「THE FACE」との出会いや、ロンドンの地でのエピソード、制作アイテムの背景にある思いについて、藤原ヒロシに尋ねた。
ファッションも音楽もすべてが融合した、初めての雑誌が「THE FACE」だった
――藤原さんが「THE FACE」と出会ったのはいつ頃ですか?
藤原ヒロシ(以下、藤原):「THE FACE」が出たばかりの頃ですね。僕が行く洋服屋やレコード屋に置いてあったんです。当時はロンドンのものにしか興味がなかったくらいの時期でした。
――「THE FACE」の第一印象はどうでしたか?
藤原:やっとちゃんとしたカラーの紙の雑誌が出てきたなと。「RECORD MIRROR」もカラーだったけど、もっと音楽寄りだったし、タブロイドだったし。インディーなポップスターがカラーで見れる雑誌なんて他にはなかったし、「THE FACE」と出会った時のことはすごく覚えていますよ。音楽やファッションをはじめとしたカルチャーが分け隔てることなく扱われていて、エスタブリッシュドもストリートも横断するような内容に、とても魅力を感じました。「THE FACE」には、その頃に好きだったヴィヴィアン(・ウエストウッド)とかマルコム(・マクラーレン)も出ていたし、バウ・ワウ・ワウとかの好きなアーティストの表紙も多くて、夢中になって読んでいました。
――当時はほかにどんな雑誌を読んでいたんですか?
藤原:「New Musical Express」とかの音楽誌とか、普通に日本の「POPEYE」や「an-an」も読んでいました。情報を得る手段が本しかなかった時代なので、ほぼ毎日のように本屋に行っていました。それしか娯楽がなかったんでしょうね。
それまで、音楽誌とファッション誌は別々のものだったので、「THE FACE」のように音楽とファッションが融合している雑誌は存在しませんでした。今でも存在しないのかもしれませんが。
――80年代はインターネットがなく、雑誌が若者のカルチャーにアクセスする唯一の手段でした。藤原さんをはじめとしたその時代の若者にとって「THE FACE」はどんな存在だったのですか?
藤原:僕にとっては、海外で起こっていることを知る唯一の手段。海外のパンクがどうなっているのか、とか。日本の音楽誌などで追っていたりはしたけれど、例えばバウ・ワウ・ワウをダイレクトにカラー写真で見たのは「THE FACE」が初めてだったと思いますよ。
80年代は、情報がスローで、新しいものが生まれる可能性に満ちあふれていた
――藤原さんは80年代のイギリスの音楽、ファッション、サブカルチャーのどの部分にハマっていたのですか?
藤原:全部一緒ですね。音楽だけ、ファッションだけとか、そういう風には分けられない。イギリスは中学生の頃から好きでしたが、初めて自分から好きになったのはパンクです。パンクはファッションと音楽が一体になっていて、それが一番の魅力でもありました。
その前からビートルズは聴いていましたが、「いい子」の聴く音楽というイメージがあって。あとあと調べると、ビートルズも初期は「REBEL(反抗)」感があったことがわかるのですが、その頃に「REBEL」を感じたのはセックス・ピストルズなどのパンクが初めてでした。
――「THE FACE」と同じように、パンクはファッションと音楽が融合していたのですね。
藤原:それはパンクが初めてで、だからセンセーショナルだったんです。ファッションと音楽を分けて考えられない存在は、今はもういないんじゃないかな。レディー・ガガと同じ格好なんて誰もしないでしょ(笑)。大抵のアーティストは、もともと存在するファッションをしているだけじゃないですか。でも、ヒップホップの人達だったら、まだファッションと音楽が融合しているのかな。トラヴィス(・スコット)みたいな服を着たい、とかね。
――当時、音楽とファッションが不可分でいることができたのは、なぜなのでしょうか?
藤原:80年代は、まだ新しいものが生まれる可能性があったから。今はもう、新しいものがない。その必要もないんじゃないですか。当時は、次から次に新しいものが生まれていた気がします。
――情報があふれている現在とはまったく時代が違ったわけですね。
藤原:まったく違ったし、いい意味で情報がスローだった。新しいものが生まれたら、1年くらいかけてじわじわと盛り上がっていって、アンダーグラウンドでいる時期が今より長くて。そして僕らが追いついた時には、もう違うところに行っている。
――今だと情報のスピードが早くて、盛り上がるまで一瞬ですよね。そしてすぐに消えてしまう。
藤原:そう。でもその頃はそうだった、というだけの話で、良いも悪いもない。
当時はファッションや音楽が最先端でおもしろかったけれど、それが今も同じかはわからないですよね。もしかしたら、医学の進化やテクノロジーや、ゲームのほうがおもしろいのかもしれない。まあ、当時はゲームもなかったんだけど。
「THE FACE」で活躍した伝説のクリエイティブ集団「Buffalo」との交流
――藤原さんのクリエイションと「THE FACE」の間には共鳴するものがありますか? カルチャー全般をフラットに扱う「THE FACE」と、ジャンルを横断した活動を行う藤原さん。近いところもあるように感じるのですが。
藤原:今でこそ、そう言われるだけで、当時はファッションや音楽がつながるのは当たり前だったんです。ストリートの中ではファッションも音楽もフラットに存在していたから、「THE FACE」のような雑誌が生まれた。
――今回のコラボレーションについて、憧れの雑誌を扱うというのは、どのような気持ちでしたか。
藤原:ただ嬉しかったですね。表紙を選ぶのも楽しかったです。
――今回セレクトした中で、思い出深い表紙はありますか?
藤原:この、ユルゲン・テラーが撮ったシネイド・オコナーの表紙とか。シネイド・オコナーの「Nothing Compares 2 U」のミュージック・ビデオは、ジョン・メイベリーという友達が撮ったんですよ。彼は、僕が1982年にはじめてロンドンに行ったときに居候させてくれました。
――藤原さんが18歳の頃、1982年にロンドンで2ヵ月間を過ごしたそうですね。当時のロンドンはどうでしたか?
藤原:音楽とファッションのカルチャーがすごく盛り上がっていました。その時期のロンドンを経験できて、僕は本当にラッキーでしたね。
――初めてロンドンに行くまで、「THE FACE」を読んで想像を膨らませていたのですか?
藤原:そうですね。実際に行ってみたら、イメージと違うこともあったんですけど。例えば、モデルみたいな美女ばかりじゃないじゃん、とか(笑)。クラブに行ったら、イギリスのヒットチャートが流れていると思っていたら、普通にニューヨークのディスコがかかっていたり。その中にパンクっぽい服装の人がいたりとかね。
――当時の藤原さんは、全身セディショナリーズみたいなファッションでした?
藤原:そうなんですが、その頃のロンドンでは、そういうファッションが終わっていた頃で、日本人でそんなファッションをしている子がいるんだ、と思われていたかもしれないです。
だからかな、みんな声をかけてくれて、親切でしたよ。危険な目にも遭わなくて。当時のロンドンにはルールというか、お互いにシェアするような文化があって、部屋もみんなでシェアしているし、クラブ帰りも知らない人同士でタクシーに乗って帰ったり。クラブには、イギリス中の変な格好をした人がいて、マイノリティ同士の結束がありました。僕もその中にいたんですけど。
――当時のロンドンで一番影響を受けた人物は、マルコム・マクラーレンですか? そのほかには?
藤原:一番はマルコムかもしれませんが、「Buffalo(バッファロー)」というチームもカッコよかったですよ。レイ・ペトリというスタイリストが率いていて、バリー・ケイマンやジェイミー・モーガンがいて。ケイト(・モス)やナオミ(・キャンベル)も「Buffalo」周りの知り合いでした。当時、「Buffalo」の人達はみんな黒いMA-1を着ていて、僕らは「バッファロー・ジャケット」と呼んでいました。僕も「バッファロー・ジャケット」を着ていましたね。靴はドクターマーチンを履いて。
もう亡くなってしまったけど、レイはカッコよかったです。レイがスタイリングした「THE FACE」(1985年3月号)もよく覚えています。
――「THE FACE」のセレクトされた表紙を見て、どんなことを感じますか?
藤原:色あせないというか、やっぱり洗練されています。グラフィックデザイナーには勉強になることがいっぱいあるんじゃないですか。僕も知らない間にいっぱい影響されていると思います。
音楽やファッションは、「奥行き」こそが面白い
――藤原さんはファッションデザイナー、ミュージシャン、プロデューサーでもあります。異なる活動分野は相互に作用していますか?
藤原:そうであってほしい、とは思っています。でも実際はわからない。世の中では全然別物になっていますよね。僕の中では、トラヴィスを聴く人はナイキを履いていてほしい。ビリー・アイリッシュを聴くなら、少しだけでも緑を取り入れるとかね。何かしら(音楽とファッションのリンクを)想像させてほしいです。
――音楽とファッションはセットであってほしい、と。
藤原:だけど、やっぱり今の時代はすべてが一瞬でメジャーになっちゃうから、上辺だけを受け取る人も多いんでしょうね。「奥行き」がないんです。音楽を聴いていて、そのアーティストがどんな靴を履いているか、意識しない人も多いと思います。僕らの頃は、好きなアーティストがどんな服を着ているか、どんなものが好きか、すごく掘り下げていた。情報が少なかったから、自然とそうなっていった。
――今の時代は情報のあり方も違います。「THE FACE」の時代の空気を若い人にも知ってもらいたいと思いますか?
藤原:そうですね。物事には「奥行き」があって、それが本当はおもしろいんだって、少しは言いたい。興味があるんだったら、掘り下げる気持ちはもってもらいたい。でも、わざと本質を隠す人もいるんだよね。気付かない人は上辺だけで通り過ぎてしまう。だけど、自分から気付くおもしろさってあるじゃないですか。僕もそうだけど、気付く人だけが気付づいてくれて、喜んでくれるほうが楽しいです。
――「THE FACE」は、「奥行き」を感じられる雑誌だったわけですね。
藤原:本当にそうで、インディペンデントの良さも「THE FACE」が教えてくれたと思います。「THE FACE」では、無名のモデルも、超有名なスターも、フラットに並べることができます。ポップなアイドルでも、インディペンデントな雑誌に出ることでカッコよくなれる。お金がなくても「THE FACE」だったら喜んで出るという人もいる。そういうところもいいですよね。「THE FACE」は、インディペンデントな雑誌のロールモデルだったと思います。
藤原ヒロシ
音楽家、音楽プロデューサー、fragment design主宰。1980年代よりクラブDJとして活動を開始。その後、音楽家として活動の幅を広げるとともに、独自のセンスと審美眼からファッション領域でも活躍。主宰するfragment designでは、ジャンルを超えたクリエイティブ・ディレクションを手がける。
Instagram:@fujiwarahiroshi
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「fragment design」×「THE FACE」コラボレーションアイテムは、英国「Selfridges」のオンラインストア、「TOKION」のオンラインストアとミヤシタパークの「TOKiON the STORE」で購入可能だ。
・「Selfridges」オンラインストア(12月1日から販売開始)
https://www.selfridges.com/
・「TOKION」オンラインストア(12月12日から販売開始)
https://estore.tokion.jp/collections/all
Photography Kentaro Oshio