Nao Machida, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nao-machida/ Mon, 23 Oct 2023 01:09:32 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png Nao Machida, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nao-machida/ 32 32 映画『アアルト』から紐解く アルヴァ、アイノ・アアルト夫妻の素顔 https://tokion.jp/2023/10/23/interview-aalto-virpi-suutari/ Mon, 23 Oct 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=212784 建築家・デザイナーのアルヴァ・アアルトのドキュメンタリー映画『アアルト』公開中。日本公開のために来日したフィンランド出身のヴィルピ・スータリ監督に、映画の制作秘話等を聞いた。

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『アアルト』原題:AALTO 監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari)

2023年に生誕125年を迎えた、フィンランドが誇る偉大な建築家・デザイナーのアルヴァ・アアルトのドキュメンタリー映画『アアルト』が10月13日に公開された。アアルトが世界中でアイデアを形にしていった過程を美しい映像と音楽で綴った本作は、その人生と作品を巡るだけでなく、同じく建築家だった1人目の妻アイノとの愛の物語を描いた初めての作品だ。貴重な家族写真やアーカイブ映像、関係者の証言に加えて、アルヴァとアイノの間で交わされた親密な手紙を通して、その知られざる素顔に触れることができる。ここでは、日本公開を前に来日したフィンランド出身のヴィルピ・スータリ監督に、映画の制作秘話やアアルト作品への想いを聞いた。

ヴィルピ・スータリ
1967年生まれ。フィンランドのヘルシンキを拠点に、映画監督、プロデューサーとして活躍。ヨーロッパ・フィルム・アカデミー会員。映画『アアルト』は、フィンランドのアカデミー賞と称されるユッシ賞にて音楽賞、編集賞を受賞した。

アルヴァ・アアルト
1898年、フィンランドのクオルタネ生まれ。本名フーゴ・アルヴァ・ヘンリク・アアルト。 測量技師として働く父のもとに生まれ、1916年からヘルシンキ工科大学(現アアルト大学)で学ぶ。代々、森林官を務める家系に生まれ、幼い頃から樹木に親しみながら育つ。1923年、アルヴァ・アアルト建築事務所設立。1935年、妻アイノとともに、2人がデザインする家具や照明器具、テキスタイル等を世界的に販売することを目的に「アルテック」を創業。生涯、200を超える建物を設計し、そのどれもが有機的なフォルム、素材、そして光の組み合わせが絶妙な名作として知られている。

アイノ・アアルト
本名アイノ・マルシオ=アアルト。ヘルシンキ生まれ。1913年、ヘルシンキ工科大学(現アアルト大学)に入学。1924年にアアルト事務所で働き始める。その後、アルヴァと結婚。32年に発表したグラス「ボルゲブリック/アイノ・アアルト グラス」でその名が広く知られるようになる。49年に亡くなるまで、アルヴァの公私にわたるパートナーだった。

アアルト建築で過ごした幼少期の体験を軸にした物語

――まずは、監督とアアルト建築や作品との出会いについてお聞かせください。

ヴィルピ・スータリ(以下、ヴィルピ):フィンランドにはアアルトによる建築が多いですし、ほぼすべての家庭にアアルトがデザインした製品があるので、国民の誰もがアアルト作品に触れているはずです。アアルトが手掛けた幼稚園用の家具もあり、学校でもアイノ・アアルトやアルテックの他のデザイナーによる家具が使われています。私達にとって、アアルト作品は日常生活の一部なんです。

私が本作を作るきっかけとなったのは、ラップランド地方の北極圏のそばにある故郷の街、ロヴァニエミでの幼少期の記憶でした。ロヴァニエミは第二次世界大戦で破壊され、完全に焼け落ちてしまったのですが、1950年代から1960年代にかけて、アルヴァ・アアルトを含むフィンランドの建築家達が復興支援のためにやって来て、再び都市計画を始めたのです。アアルトはロヴァニエミのために数多くの記念碑的な建築物を設計したのですが、そのうちの1つが、私がほぼ毎日、放課後に訪れていたアアルト図書館でした。ロヴァニエミの冬はとても厳しく、マイナス30℃まで気温が下がるほど寒いので、私は暖を求めて図書館に通っていたんです。それは私にとって大切な場所となり、メインホールの形やレザーの椅子、美しいガラスのランプ等、あの図書館のすべてが大好きになりました。さらに、私はアアルト・シアターの音楽学校にも通ったので、アアルト建築の中で過ごす時間が長く、その記憶が残っていたんです。

約30年にわたってドキュメンタリー映画を制作してきた私は、そろそろアルヴァ・アアルトや妻のアイノ、そして2番目の妻のエリッサがどのような人だったのか、注意深く探求すべき時だと考えました。個人的にも彼等のことが知りたかったですし、なぜあの図書館で過ごした時間があんなにも素晴らしいものだったのか理解したいと思ったのです。あの場所の何がそんなに特別だったのか? 彼等の建築的思考はどのようなものだったのか? 自分自身が理解した上で、フィンランドをはじめ、日本や他の国のみなさんとも共有しようと思いました。

――アルヴァ・アアルトはフィンランドのみならず、国際的にとてもアイコニックな存在です。そのような人物についてのドキュメンタリーを手掛ける上でプレッシャーは感じましたか? リサーチにはどれほどの時間を費やしたのでしょうか?

ヴィルピ:とても良い質問ですね。というのも、フィンランド人は誰もがアアルト建築について意見を持っているんです。フィンランドのタクシーの運転手は、その誰もがアアルト建築の最高の批評家だと自負しています(笑)。彼等は非常に批判的ですが、同時にとても誇りに思っています。また、アアルトのピューリタンというか、“アアルトについては決して批判してはならない”という考えのファンもいるんです。

つまり、誰もが意見を持っているわけですが、とても注意深くリサーチして、自分自身の視点からアアルトの映画を作るべきだと考えました。自分の美学を大切に、アアルト建築で過ごした幼少期の体験を主軸にしようと考えたのです。そのためには、愛やユーモアや温もりが感じられる作品にする必要がありました。リサーチをしっかりして最も良い形で素材を使えば、作品に自信が持てるはずだと思ったので、その通りにしたんです。4年にわたって、まるで我が家にアアルト夫妻が住んでいるような状況でした。夢に出てくるほど、私は常に彼等のことを考えていたんです。最終的に、夫はちょっとうんざりしていました。俳優の夫は本作でアルヴァ・アアルトの声を演じてくれたのですが、映画が完成すると、とても優しく、でもはっきりと、「そろそろアルヴァとアイノに我が家から出て行ってもらおう」と言いました(笑)。今回は彼等を日本に連れてくることができて、本当にうれしいです。

――本作は非常に人間的なドキュメンタリーで、アアルトによる建築や作品だけでなく、その中心に人としてのアアルトが描かれていたのもうれしい驚きでした。このようなアプローチでドキュメンタリーを作ろうと決めた理由は?

ヴィルピ:アカデミックな映画にはしたくなかったんです。もちろん、間違いがないように綿密なリサーチをするつもりでしたし、正確な情報を得たいと思いました。でも、私は誰にでも楽しんでもらえる映画が作りたかった。本作を観るのに専門家である必要はありません。もちろん、建築家が観ることもできますし、リサーチャーや専門家にも新しい発見はあるはずです。でも、普通の観客も本作から多くのことを学んでもらえると思います。私はどんな人にも伝わる映画を作りたいんです。もちろん、建築やディテールや美しい作品にも興味はあるのですが、私は人間に興味があるんです。ドキュメンタリー作家として、人間こそが私の興味の対象なのです。

私にとって、アルヴァ・アアルトやアイノ・アアルトが何者だったのかを理解するためには、舞台裏に目を向けることが重要でした。また、アアルト建築やデザインにおける、アイノ・アアルトの重要性に光を当てることが非常に重要だったのです。夫妻が手掛けた建築の美しいインテリアは、そのほとんどが彼女によるものでしたから。アイノや2番目の妻のエリッサを心から称賛するべきだと思いました。

「最も心を揺さぶられたのは、晩年のアイノの孤独」

――アルヴァとアイノの手紙を通して、これまでに見えなかった彼等のパーソナリティーや関係、仕事上でのコラボレーション等が理解できて、とても興味深かったです。手紙を読んで最も驚いたことは何ですか?

ヴィルピ:彼等の考え方がとても現代的だったことに驚きました。100年前と言われると、どこか古めかしい人達を想像しがちですが、彼等は彼等の時代を生きていたのです。特にアアルト夫妻は、生活のあらゆる面においてモダンな考え方の持ち主でした。新しいテクノロジーに興味を持っていましたし、セクシュアリティや健康についての概念を広げることにも興味を持っていたようです。それは私にとって驚くべき発見でした。

でも、私が最も心を揺さぶられたのは、晩年のアイノの孤独です。アルヴァ・アアルトはとても社交的で外交的な人でした。素晴らしくチャーミングな性格の持ち主でしたが、自己中心的でもあったんです。時にアイノ・アアルトは、CEOとアートディレクターとして家具会社のアルテックを1人で運営していました。家には2人の10代の子どもがいて、建築家でもあり、やることが山積みだったのです。それに、アルヴァ・アアルトがアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で仕事をしていた頃は、1人で過ごすことが多かったようです。手紙を読んで、アイノが自らの抱いている孤独感や、アルヴァのように物事を大きく考えられないことについて、常に自分を責めていたことに心を揺さぶられました。

また、アルヴァの手紙からは、夫婦で仕事を始めた初期の頃を懐かしがる様子が何度も出てきたのが印象的でした。夫婦の関係がうまくいっていて、一緒に新しいモダニズムを見出していた時期について、彼はいつも夢見ていたのです。2人で仕事をしていた当時の精神状態に戻りたいと何度も書いていました。

――劇中では貴重な家族写真等も使用されており、アアルト夫妻の素顔を垣間見ることができます。本作を手掛けるにあたって、アアルト家の方々とはどのようなお話をされましたか? 何か制約はあったのでしょうか?

ヴィルピ:信用してもらうまでに少し時間を要して、アアルト家の方とお孫さんに何度かお会いしました。信用を得てからは本当にオープンに接してくれて、制約も全くありませんでした。もちろん、常に連絡は取っていましたし、自分の計画を共有していましたが、素材は完全に自由に使っていいと言われたんです。アルヴァが描いたアイノの死に顔等、中にはとてもデリケートな素材があることは承知していました。あのような貴重な素材を扱う際は、細心の注意が必要でした。

アアルトのお孫さんが私のオフィスにいらっしゃった日のことは忘れられません。彼が車のドアを開けると、中から大きな茶色い箱が出てきました。私達はそれをオフィスに運び込み、中に入っていた手紙を読んだのです。そして、私はアシスタントに、「OK、この映画を作ろう」と伝えました。建築だけでなく、美しい夫婦の間にあった、時代を超越した創造性についての映画を作る上で、彼等の手紙は私に自信を与えてくれました。

――例えば代表的な作品の1つであるマイレア邸等において、アアルトは日本の建築からも影響を受けていたと聞きました。監督がリサーチする中で、アアルトが日本から受けていた影響等は感じられましたか?

ヴィルピ:そう思いますし、私より詳しい方々も、あの邸宅には日本からの影響が見られるとおっしゃっています。例えば、ウィンターガーデンには日本を感じさせるフィーチャーや空間があります。アアルト夫妻は日本に行ったことがなかったのですが、文学には触れていたようです。それに、当時はストックホルムにとても有名な日本の茶室があり、多くの建築家が影響を受けていました。リサーチャーによると、アアルトもおそらくあの茶室を訪れたことがあり、アイデアを得ていたはずだとのことです。木材の使い方も、まるで森がインテリアに入り込んでいるような感じですよね。リビングルームには複数の木の柱があり、日本の考え方と類似する部分があります。インテリアとエクステリアの対話もそうです。

マイレア邸は、私がこれまでに訪れた中で最も美しい民家だと思います。撮影クルーと一緒に滞在して、朝の日差しや夜の暖炉の炎等、さまざまな光の中であの家を眺めたり、腎臓のような形をした美しいプールで泳いだりと、贅沢な時間を過ごすことができました。そういう時は、「ドキュメンタリー作家って、なんて素晴らしい仕事なんだろう!」と思います(笑)。 

――多くのドキュメンタリーでは、専門家が語る姿が次々と出てきて、とてもアカデミックな印象を受けます。本作では専門家のコメントがナレーションのみで紹介され、美しい音楽とともに終始アアルトの世界観に浸れるのが素晴らしかったです。そこは監督のこだわりだったのでしょうか? 

ヴィルピ:間違いなく意図的なものでした。アーカイブを基に、すでに存在しない主題についての映画を作るのは、とても難しいものです。本作における課題は、映画を流動的でオーガニックなものにし、アーカイブ素材から埃を取り除くこと。そのためには、サウンドスケープや音楽、そして編集が大きな役割を果たしました。専門家の姿を映さず、複数のナレーターを1人のようにまとめることは、重要かつ大きな選択でした。大変な作業でしたが、観客がアアルトの世界観に飛び込めるような、よりオーガニックで美しい映画に仕上がったと思っています。

アアルトが得意としていたディテールが生み出す美しさを、より鮮明に感じられる作品

――本作を観て、より一層アアルトのことが好きになりました。監督が特に好きなアアルト建築や家具があれば教えてください。

ヴィルピ:今、こうして東京のアルテックのお店(Artek Tokyo Store)に座っていると、美しい椅子やランプを全部持ち帰りたくなります(笑)。私は本作を完成した後、自分へのご褒美にパイミオチェアを買いました。最高に座りやすい椅子とは言えないかもしれませんが、毎日眺めて惚れ惚れしています。本当にゴージャスで、まるで座れる彫刻なんです。本作を作る過程で、アアルトが得意としていたディテールに気付くことができました。ドアのとってや手すり、それにもちろん、家具やガラス製品まで、すべては細心の注意を払って作られています。映画を観た後は、ディテールが生み出す美しさをより鮮明に認識することができると思います。

――最後に、映画を楽しみにしている日本のアアルト・ファンや映画ファンに伝えておきたいことはありますか?

ヴィルピ:世界中のアアルト建築を巡る、魅惑的で特別なツアーをお届けする作品なので、ぜひチェックしていただけたらうれしいです。フィンランドだけでなく、アメリカやヨーロッパ各国の建築も楽しめます。今すぐ旅に出られないとしても、映画館に行ってチケットを買えば、もっとリーズナブルに旅することができますよ。そして、モダニズムを代表する偉大なカップルである、アルヴァとアイノの美しい愛の物語に没頭してください。

■『アアルト』
原題:AALTO
監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari)
制作:2020年 配給:ドマ 宣伝:VALERIA
後援:フィンランド大使館、フィンランドセンター、公益社団法人日本建築家協会 
協力:アルテック、イッタラ
2020年/フィンランド/103分/(C)Aalto Family (C)FI 2020 – Euphoria Film  
公式HP:aaltofilm.com

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写真家チャド・ムーアが“コロナ前と後の世界の探求”で見出したもの https://tokion.jp/2022/06/20/interview-chad-moore/ Mon, 20 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=125375 チャド・ムーアが写真集『Anybody Anyway』を発表した。出版を記念して来日を果たしたチャドに、作品への想いやコロナ禍における創作活動等について話を聞いた。

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ライアン・マッギンレーのアシスタントとしてキャリアをスタートし、現在はニューヨークを拠点に活躍する写真家のチャド・ムーアが、「スーパーラボ」から写真集『Anybody Anyway』を発表した。“コロナの前と後の世界の探求”だという本作に反映されたのは、それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなった今。その作品の多くで友人たちを被写体としてきた彼が、人間と近いスピリットを感じたという夜空の写真や、コロナ前に撮影された未公開のアーカイブ写真、そして、人間の回復力をキャプチャーした最新のポートレートで構成されている。出版を記念して久々の来日を果たしたチャドに、作品への想いやコロナ禍における創作活動等について話を聞いた。

高校生の頃は、アヴェドンの写真を真似たりしていた

−−日本へようこそ! 今日はお時間をありがとうございます。

チャド・ムーア(以下、チャド):こちらこそ、ありがとう。前回は2019年12月に来日して、それからコロナ禍になったから、もう2年半近くになるんだね。

−−今回は何度目の来日ですか?

チャド:確か8回目か9回目だと思う。2012年に友人のライアン(・マッギンレー)が個展を開いた時が初来日だったんだ。また来られてうれしいよ。

−−まずはバックグラウンドについてお聞かせください。どこで生まれ育ったのですか?

チャド:フロリダ州のタンパで育ったんだ。21歳だった2008年にニューヨークに移住して、それ以降はずっとニューヨークで暮らしている。

−−ニューヨークに移住しようと決めた理由は?

チャド:僕はずっとニューヨークに魅力を感じていたんだ。フロリダからニューヨークへのフライトは意外と安いから、時々友達と訪れていた。それから、一緒にBMXをして育った2人の友人がウィリアムズバーグ(ブルックリン)に引っ越したんだよね。僕はフロリダで車を持っていたんだけど、ある時事故に遭ってしまって、自分は大丈夫だったんだけど保険金が入ったんだ。そこで、その保険金を使って、自分が所有していた物をすべて持って、電車でニューヨークに向かった。電車だと荷物をいくらでも持ち込めるからね。ニューヨークでは、スネーク・ラウンジと呼ばれていたロフトに入居した。全盛期のウィリアムズバーグではなくて、当時は何もなかったし、すごく人気が出る1、2年くらい前だったかな。それから最終的にチャイナタウンに引っ越して、大体そこに住んでいる。

−−写真を始めたきっかけは?

チャド:僕は10歳の頃からBMXに乗っていたんだ。今でも乗っているけど、昔ほどではない。もうケガをするには歳を取り過ぎているからね(笑)。BMXはスケボーみたいな感じで、ビデオカメラで仲間を撮影したり、写真を撮ったりしていた。当時、僕にはProfileというスポンサーがついていて、よくいろんな国のライダーとロードトリップに出ていたんだけど、旅には必ずカメラマンが同行していた。それで、その1人が僕にオートフォーカスのカメラをくれたんだ。自然な流れだったのかもね。

−−ご自身が写真家を目指すインスピレーション源となった写真家はいますか?

チャド:僕の写真と全然違うから意外かもしれないけど、きっかけとなったのはリチャード・アヴェドンなんだ。他にもたくさんいるけど、一番のインスピレーション源はアヴェドンだったと思う。高校生の頃は、白い壁をバックに友達を立たせて、アヴェドンの写真を真似たりしていた。

−−ライアン・マッギンレーとはどのように出会ったのですか?

チャド:BMXの仲間がみんな同じ時期にウィリアムズバーグに引っ越したんだけど、スコットというヤツがスクール・オブ・ビジュアル・アート(マンハッタンにあるアートスクール)に通っていて、学校で(インターン募集の)フライヤーを見つけて教えてくれたんだ。今思うとクレイジーだけど、Instagram以前の時代の話だから、インターンの求人にはフライヤーしか手段がなかったんだろうね。僕は業界のことをよくわかっていなかったんだけど、それでも受けてみたら、マーク・アランという人が採用してくれた。マークが僕の人生を変えたようなものなんだ。もちろん、ライアンもそうだけど、間違いなくマークもね。それから、僕とライアンはとても仲の良い友達になったんだ。

−−ライアンとの仕事で一番クレイジーだった体験は?

チャド:洞窟のシリーズかな。彼の作品の中でも屈指のものだと思うけど、撮影は地獄だった(笑)。僕らは3ヵ月にわたって、全米の洞窟をまわったんだ。東海岸を下って、南部に行って、それからカリフォルニアを北上して、アメリカのてっぺんまで戻ってきた。だから、僕はおそらくどんな洞窟探検家よりも多くの洞窟を見てきたと思う。洞窟は見つけるのが難しいし、とにかく大変だった。でも、振り返ってみると、あれは最高に素晴らしい経験だった。

新作はイーヴン・アズ・ウィー・スピークの曲のタイトルがインスピレーション源

−−普段はフィルムカメラを使用しているんですか?

チャド:ほとんどそうだけど、特別こだわっているというわけでもないんだ。夜空の写真の多くはデジタルで撮影したものだよ。デジタルの方が適しているからね。それに、最近はフィルムがめちゃくちゃ高いし、現像に時間がかかり過ぎるということもある。でも、楽しいんだよね。20本のフィルムが現像されて戻ってくると、まるでクリスマスみたいなんだ。

−−お気に入りのカメラは?

チャド:ヤシカのT4とキヤノンの1Vを使っている。あとは、夜空をより良く撮るために、赤色のフィルターを外したニコン850を使うこともある。

−−今回は「スーパーラボ」から写真集『Anybody Anyway』が出版されました。このプロジェクトはどのようにして始まったのですか?

チャド:ヤスノリ(「スーパーラボ」オーナーのホウキヤスノリ)からメールをもらったんだ。

−−以前から知り合いだったのですか?

チャド:知り合いではなかったんだけど、覚えている限りずっと「スーパーラボ」のファンだった。友達と一緒にいる時に、「あの人からメールが来た!」と喜んでいたら、「なんの話だよ!?」と言われて。「最高にイケてる人で、本を作っているんだ」と話したのを覚えている。だから、今回のプロジェクトができて、とても光栄に思っているんだ。ほとんどが彼のアイデアで、一緒にレイアウトを考えて、装丁もカードボードの表紙もスリップケースも……本当に良いものができた。とても満足しているよ。それに、来日する理由もできたしね。

−−写真集のタイトル『Anybody Anyway』に込められた意味は?

チャド:イーヴン・アズ・ウィー・スピークというバンドの曲のタイトルなんだ。僕は音楽からアイデアを得ることが多いんだよね。この曲はスチュアート・マードック(ベル・アンド・セバスチャン)によるプレイリストに入っていて、偶然見つけたんだけど、ぴったりなタイトルだなと思って。

−−本作はコロナ前と後の世界の探求とのことですが、今回のパンデミックは創作活動にどのような影響を与えましたか?

チャド:夜空の写真を除いて、僕の被写体はほとんどが人物だからね。ニューヨークは完全に閉鎖されていたから、多くの時間をルームメイトのサーシャと過ごした。だから、彼女の写真は撮っていたけれど、普段は1週間に20本ほどのフィルムを使うのに、ほとんど撮らなくなったんだ。というのも、あの時期は憂鬱で、外に出かけて何かしようという気にもならなかったから。だから、本作の写真の多くはアーカイブから選んだもので、すでにある中から見逃していたものを選んだり、あとは街が再びオープンになってから、夜空を撮影しに行ったりした。今までとは少し働き方が変わった。

−−コロナ禍において、芸術的な意味で何かおもしろい部分はありましたか? 

チャド:少しはね。僕はただ毎日写真を撮っているだけではないし、写真家の仕事の90パーセントはパソコン上の作業だったり、メールを返したりといったことなんだ。だから、ある意味では締め切りに追われず、切迫感がなくなって自分のやりたいことに集中できて良かった。とはいえ、最終的には全然仕事ができなくなってしまったんだけどね。でも、そんなプラスの部分もあった。それに、誰もいないニューヨークの光景は最高だよ。BMXでタイムズスクエアに行ったらまるでゾンビが出てきそうな、この世の終わりみたいな光景だった。

−−ランドスケープでは空の背景が多いように感じました。

チャド:特にパンデミックの最中は人物の撮影ができない中で、夜空から同じようなエネルギーを感じたんだ。人間のスピリットに近いというか……あまりクレイジーに聞こえないといいけど(笑)。

−−作品を作るにあたって、クリエイティビティと商業性のバランスは、どのようにして取っていますか?

チャド:それはいつも難しいことなんだよね。今はほとんど自分が信用している人とだけ仕事をするようにしている。例えば、ファッションの仕事は素晴らしいクリエイティブディレクターである友人のフェルナンドと手掛けているんだ。僕は彼を信用しているし、彼は僕の趣味に合わないことは絶対にやらせないんだよ。だから、誰と仕事をするか選ぶ必要がある。そうでなければ、自分が稼ぐお金の価値なんてないからね。

写真作品とInstagramの共存

−−スマートフォンやInstagramがある今、誰もが毎日気軽に写真を撮ることができます。大好きなアーティストの作品に簡単にアクセスすることができてうれしい反面、Instagramは有毒な存在にもなりうると思うのですが、どう思いますか?

チャド:Instagram等に苦言を呈する人は多いし、僕も同意できる。なぜなら、すべてが高速化されて誰もクオリティを気にしなくなったから。同時に、Instagramは、必ずしも自分の作品を発表する場、声を上げる場を持たない多くの人に、その場を提供することができる。自宅待機の期間中、「IMA」から写真コンテストの審査員を依頼されたんだけど、素晴らしいキッズがたくさん参加してくれた。その中には高校生もいたから、もしInstagramがなかったら、写真を披露する手段がなかったはずなんだ。そういった意味では、とても良いものだよね。でも、その一方で、5インチのスクリーンをスクロールする代わりに、壁に飾られた写真を鑑賞するのはこの上なく特別なこと。だから、ギヴアンドテイクだし、共存していくしかないと思っている。  

−−日本には何度も来られていますが、必ず行くお気に入りのスポットはありますか?

チャド:とても良い場所があって、今回も行こうとしたんだけど追い出されてしまった。原宿と渋谷の中間にある、最初のオリンピックの頃に建てられた古いアパートの屋上なんだ。もちろん、本当は入ってはいけないわけだから、ロビーで誰にも目撃されないことを願うしかない(笑)。この前はみんなを連れて行ったんだけど、「住民と知り合いじゃないよね? 出て行って」と言われてしまった。とにかく、毎回訪れているお気に入りの場所なんだ。 

−−過去のインタビューで、路地裏が好きだとお話しされていましたね。

チャド:ああ、とてもクールだと思う。昨夜はゴールデン街に行ったんだけど、すべてがすごくクレイジーで、ちっぽけで、とても美しいところが大好きなんだ。 

−−もし誰でも選べるとしたら、誰の写真を撮りたいですか? 

チャド:良い質問だね。僕が撮りたいのはブラッド・ピットとか、モリッシーとか……わからないな。少し考える時間が必要だよ。

−−日本でもチャドさんにインスピレーションを受けている人はたくさんいます。写真家を目指している人に何かアドバイスはありますか? 

チャド:よく聞かれるんだけど、ただひたすら写真を撮り続けることだと思う。

−−現在のインスピレーション源は? 

チャド:あまりに久しぶりの来日だから、今回の旅ではたくさんのインスピレーションを受けている。散歩しているだけで楽しいんだ。時差ボケは最悪だけど、朝6時とか7時に起きて、まだ誰もいない街に出て世界最大の交差点を歩いたり、路地裏を歩いたりするだけで最高だった。だから、今回の来日だけでもかなり刺激的だよ。

チャド・ムーア
1987年、フロリダ生まれ。ライアン・マッギンレーのアシスタントを務めた後に独立し、ニューヨークのダウンタウンアートの次世代を担う。2016年に「oodee」から発刊した写真集『Bridge of Sighs』が話題となった。これまでに、アムステルダムのFoam美術館や、Stieglitz19Gallery(アントワープ)、Galerie&co119(パリ)、Agnes b.(NY、東京)等で展覧会が開催され現在は主にファッションなどの分野で活躍。最新の写真集に『MEMORIA』(2019年)がある。今作『Anybody Anyway』は6作目のモノグラフにあたる。

スーパーラボ
2009年にホウキヤスノリによって設立された写真集専門の出版社。プロジェクトには国内外の名だたるアーティストが多数参加、これまでに120タイトル以上の写真集をリリースする。2019年3月、神保町に『SUPER LABO STORE TOKYO』をオープン。展覧会やイベントの開催、作品の販売も手掛ける。
www.superlabo.com
www.superlabostoretokyo.com

■チャド・ムーア「Anybody Anyway」

■チャド・ムーア「Anybody Anyway」
会期:6月26日まで
会場:SUPER LABO STORE TOKYO
住所:東京都千代田区神田猿楽町 1-4-11
時間:12:00〜18:00
休日:日曜、月曜
入場料:無料

Photography Masashi Ura
Edit Jun Ashizawa
Translation Nao Machida

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