映画『アアルト』から紐解く アルヴァ、アイノ・アアルト夫妻の素顔

2023年に生誕125年を迎えた、フィンランドが誇る偉大な建築家・デザイナーのアルヴァ・アアルトのドキュメンタリー映画『アアルト』が10月13日に公開された。アアルトが世界中でアイデアを形にしていった過程を美しい映像と音楽で綴った本作は、その人生と作品を巡るだけでなく、同じく建築家だった1人目の妻アイノとの愛の物語を描いた初めての作品だ。貴重な家族写真やアーカイブ映像、関係者の証言に加えて、アルヴァとアイノの間で交わされた親密な手紙を通して、その知られざる素顔に触れることができる。ここでは、日本公開を前に来日したフィンランド出身のヴィルピ・スータリ監督に、映画の制作秘話やアアルト作品への想いを聞いた。

ヴィルピ・スータリ
1967年生まれ。フィンランドのヘルシンキを拠点に、映画監督、プロデューサーとして活躍。ヨーロッパ・フィルム・アカデミー会員。映画『アアルト』は、フィンランドのアカデミー賞と称されるユッシ賞にて音楽賞、編集賞を受賞した。

アルヴァ・アアルト
1898年、フィンランドのクオルタネ生まれ。本名フーゴ・アルヴァ・ヘンリク・アアルト。 測量技師として働く父のもとに生まれ、1916年からヘルシンキ工科大学(現アアルト大学)で学ぶ。代々、森林官を務める家系に生まれ、幼い頃から樹木に親しみながら育つ。1923年、アルヴァ・アアルト建築事務所設立。1935年、妻アイノとともに、2人がデザインする家具や照明器具、テキスタイル等を世界的に販売することを目的に「アルテック」を創業。生涯、200を超える建物を設計し、そのどれもが有機的なフォルム、素材、そして光の組み合わせが絶妙な名作として知られている。

アイノ・アアルト
本名アイノ・マルシオ=アアルト。ヘルシンキ生まれ。1913年、ヘルシンキ工科大学(現アアルト大学)に入学。1924年にアアルト事務所で働き始める。その後、アルヴァと結婚。32年に発表したグラス「ボルゲブリック/アイノ・アアルト グラス」でその名が広く知られるようになる。49年に亡くなるまで、アルヴァの公私にわたるパートナーだった。

アアルト建築で過ごした幼少期の体験を軸にした物語

――まずは、監督とアアルト建築や作品との出会いについてお聞かせください。

ヴィルピ・スータリ(以下、ヴィルピ):フィンランドにはアアルトによる建築が多いですし、ほぼすべての家庭にアアルトがデザインした製品があるので、国民の誰もがアアルト作品に触れているはずです。アアルトが手掛けた幼稚園用の家具もあり、学校でもアイノ・アアルトやアルテックの他のデザイナーによる家具が使われています。私達にとって、アアルト作品は日常生活の一部なんです。

私が本作を作るきっかけとなったのは、ラップランド地方の北極圏のそばにある故郷の街、ロヴァニエミでの幼少期の記憶でした。ロヴァニエミは第二次世界大戦で破壊され、完全に焼け落ちてしまったのですが、1950年代から1960年代にかけて、アルヴァ・アアルトを含むフィンランドの建築家達が復興支援のためにやって来て、再び都市計画を始めたのです。アアルトはロヴァニエミのために数多くの記念碑的な建築物を設計したのですが、そのうちの1つが、私がほぼ毎日、放課後に訪れていたアアルト図書館でした。ロヴァニエミの冬はとても厳しく、マイナス30℃まで気温が下がるほど寒いので、私は暖を求めて図書館に通っていたんです。それは私にとって大切な場所となり、メインホールの形やレザーの椅子、美しいガラスのランプ等、あの図書館のすべてが大好きになりました。さらに、私はアアルト・シアターの音楽学校にも通ったので、アアルト建築の中で過ごす時間が長く、その記憶が残っていたんです。

約30年にわたってドキュメンタリー映画を制作してきた私は、そろそろアルヴァ・アアルトや妻のアイノ、そして2番目の妻のエリッサがどのような人だったのか、注意深く探求すべき時だと考えました。個人的にも彼等のことが知りたかったですし、なぜあの図書館で過ごした時間があんなにも素晴らしいものだったのか理解したいと思ったのです。あの場所の何がそんなに特別だったのか? 彼等の建築的思考はどのようなものだったのか? 自分自身が理解した上で、フィンランドをはじめ、日本や他の国のみなさんとも共有しようと思いました。

――アルヴァ・アアルトはフィンランドのみならず、国際的にとてもアイコニックな存在です。そのような人物についてのドキュメンタリーを手掛ける上でプレッシャーは感じましたか? リサーチにはどれほどの時間を費やしたのでしょうか?

ヴィルピ:とても良い質問ですね。というのも、フィンランド人は誰もがアアルト建築について意見を持っているんです。フィンランドのタクシーの運転手は、その誰もがアアルト建築の最高の批評家だと自負しています(笑)。彼等は非常に批判的ですが、同時にとても誇りに思っています。また、アアルトのピューリタンというか、“アアルトについては決して批判してはならない”という考えのファンもいるんです。

つまり、誰もが意見を持っているわけですが、とても注意深くリサーチして、自分自身の視点からアアルトの映画を作るべきだと考えました。自分の美学を大切に、アアルト建築で過ごした幼少期の体験を主軸にしようと考えたのです。そのためには、愛やユーモアや温もりが感じられる作品にする必要がありました。リサーチをしっかりして最も良い形で素材を使えば、作品に自信が持てるはずだと思ったので、その通りにしたんです。4年にわたって、まるで我が家にアアルト夫妻が住んでいるような状況でした。夢に出てくるほど、私は常に彼等のことを考えていたんです。最終的に、夫はちょっとうんざりしていました。俳優の夫は本作でアルヴァ・アアルトの声を演じてくれたのですが、映画が完成すると、とても優しく、でもはっきりと、「そろそろアルヴァとアイノに我が家から出て行ってもらおう」と言いました(笑)。今回は彼等を日本に連れてくることができて、本当にうれしいです。

――本作は非常に人間的なドキュメンタリーで、アアルトによる建築や作品だけでなく、その中心に人としてのアアルトが描かれていたのもうれしい驚きでした。このようなアプローチでドキュメンタリーを作ろうと決めた理由は?

ヴィルピ:アカデミックな映画にはしたくなかったんです。もちろん、間違いがないように綿密なリサーチをするつもりでしたし、正確な情報を得たいと思いました。でも、私は誰にでも楽しんでもらえる映画が作りたかった。本作を観るのに専門家である必要はありません。もちろん、建築家が観ることもできますし、リサーチャーや専門家にも新しい発見はあるはずです。でも、普通の観客も本作から多くのことを学んでもらえると思います。私はどんな人にも伝わる映画を作りたいんです。もちろん、建築やディテールや美しい作品にも興味はあるのですが、私は人間に興味があるんです。ドキュメンタリー作家として、人間こそが私の興味の対象なのです。

私にとって、アルヴァ・アアルトやアイノ・アアルトが何者だったのかを理解するためには、舞台裏に目を向けることが重要でした。また、アアルト建築やデザインにおける、アイノ・アアルトの重要性に光を当てることが非常に重要だったのです。夫妻が手掛けた建築の美しいインテリアは、そのほとんどが彼女によるものでしたから。アイノや2番目の妻のエリッサを心から称賛するべきだと思いました。

「最も心を揺さぶられたのは、晩年のアイノの孤独」

――アルヴァとアイノの手紙を通して、これまでに見えなかった彼等のパーソナリティーや関係、仕事上でのコラボレーション等が理解できて、とても興味深かったです。手紙を読んで最も驚いたことは何ですか?

ヴィルピ:彼等の考え方がとても現代的だったことに驚きました。100年前と言われると、どこか古めかしい人達を想像しがちですが、彼等は彼等の時代を生きていたのです。特にアアルト夫妻は、生活のあらゆる面においてモダンな考え方の持ち主でした。新しいテクノロジーに興味を持っていましたし、セクシュアリティや健康についての概念を広げることにも興味を持っていたようです。それは私にとって驚くべき発見でした。

でも、私が最も心を揺さぶられたのは、晩年のアイノの孤独です。アルヴァ・アアルトはとても社交的で外交的な人でした。素晴らしくチャーミングな性格の持ち主でしたが、自己中心的でもあったんです。時にアイノ・アアルトは、CEOとアートディレクターとして家具会社のアルテックを1人で運営していました。家には2人の10代の子どもがいて、建築家でもあり、やることが山積みだったのです。それに、アルヴァ・アアルトがアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で仕事をしていた頃は、1人で過ごすことが多かったようです。手紙を読んで、アイノが自らの抱いている孤独感や、アルヴァのように物事を大きく考えられないことについて、常に自分を責めていたことに心を揺さぶられました。

また、アルヴァの手紙からは、夫婦で仕事を始めた初期の頃を懐かしがる様子が何度も出てきたのが印象的でした。夫婦の関係がうまくいっていて、一緒に新しいモダニズムを見出していた時期について、彼はいつも夢見ていたのです。2人で仕事をしていた当時の精神状態に戻りたいと何度も書いていました。

――劇中では貴重な家族写真等も使用されており、アアルト夫妻の素顔を垣間見ることができます。本作を手掛けるにあたって、アアルト家の方々とはどのようなお話をされましたか? 何か制約はあったのでしょうか?

ヴィルピ:信用してもらうまでに少し時間を要して、アアルト家の方とお孫さんに何度かお会いしました。信用を得てからは本当にオープンに接してくれて、制約も全くありませんでした。もちろん、常に連絡は取っていましたし、自分の計画を共有していましたが、素材は完全に自由に使っていいと言われたんです。アルヴァが描いたアイノの死に顔等、中にはとてもデリケートな素材があることは承知していました。あのような貴重な素材を扱う際は、細心の注意が必要でした。

アアルトのお孫さんが私のオフィスにいらっしゃった日のことは忘れられません。彼が車のドアを開けると、中から大きな茶色い箱が出てきました。私達はそれをオフィスに運び込み、中に入っていた手紙を読んだのです。そして、私はアシスタントに、「OK、この映画を作ろう」と伝えました。建築だけでなく、美しい夫婦の間にあった、時代を超越した創造性についての映画を作る上で、彼等の手紙は私に自信を与えてくれました。

――例えば代表的な作品の1つであるマイレア邸等において、アアルトは日本の建築からも影響を受けていたと聞きました。監督がリサーチする中で、アアルトが日本から受けていた影響等は感じられましたか?

ヴィルピ:そう思いますし、私より詳しい方々も、あの邸宅には日本からの影響が見られるとおっしゃっています。例えば、ウィンターガーデンには日本を感じさせるフィーチャーや空間があります。アアルト夫妻は日本に行ったことがなかったのですが、文学には触れていたようです。それに、当時はストックホルムにとても有名な日本の茶室があり、多くの建築家が影響を受けていました。リサーチャーによると、アアルトもおそらくあの茶室を訪れたことがあり、アイデアを得ていたはずだとのことです。木材の使い方も、まるで森がインテリアに入り込んでいるような感じですよね。リビングルームには複数の木の柱があり、日本の考え方と類似する部分があります。インテリアとエクステリアの対話もそうです。

マイレア邸は、私がこれまでに訪れた中で最も美しい民家だと思います。撮影クルーと一緒に滞在して、朝の日差しや夜の暖炉の炎等、さまざまな光の中であの家を眺めたり、腎臓のような形をした美しいプールで泳いだりと、贅沢な時間を過ごすことができました。そういう時は、「ドキュメンタリー作家って、なんて素晴らしい仕事なんだろう!」と思います(笑)。 

――多くのドキュメンタリーでは、専門家が語る姿が次々と出てきて、とてもアカデミックな印象を受けます。本作では専門家のコメントがナレーションのみで紹介され、美しい音楽とともに終始アアルトの世界観に浸れるのが素晴らしかったです。そこは監督のこだわりだったのでしょうか? 

ヴィルピ:間違いなく意図的なものでした。アーカイブを基に、すでに存在しない主題についての映画を作るのは、とても難しいものです。本作における課題は、映画を流動的でオーガニックなものにし、アーカイブ素材から埃を取り除くこと。そのためには、サウンドスケープや音楽、そして編集が大きな役割を果たしました。専門家の姿を映さず、複数のナレーターを1人のようにまとめることは、重要かつ大きな選択でした。大変な作業でしたが、観客がアアルトの世界観に飛び込めるような、よりオーガニックで美しい映画に仕上がったと思っています。

アアルトが得意としていたディテールが生み出す美しさを、より鮮明に感じられる作品

――本作を観て、より一層アアルトのことが好きになりました。監督が特に好きなアアルト建築や家具があれば教えてください。

ヴィルピ:今、こうして東京のアルテックのお店(Artek Tokyo Store)に座っていると、美しい椅子やランプを全部持ち帰りたくなります(笑)。私は本作を完成した後、自分へのご褒美にパイミオチェアを買いました。最高に座りやすい椅子とは言えないかもしれませんが、毎日眺めて惚れ惚れしています。本当にゴージャスで、まるで座れる彫刻なんです。本作を作る過程で、アアルトが得意としていたディテールに気付くことができました。ドアのとってや手すり、それにもちろん、家具やガラス製品まで、すべては細心の注意を払って作られています。映画を観た後は、ディテールが生み出す美しさをより鮮明に認識することができると思います。

――最後に、映画を楽しみにしている日本のアアルト・ファンや映画ファンに伝えておきたいことはありますか?

ヴィルピ:世界中のアアルト建築を巡る、魅惑的で特別なツアーをお届けする作品なので、ぜひチェックしていただけたらうれしいです。フィンランドだけでなく、アメリカやヨーロッパ各国の建築も楽しめます。今すぐ旅に出られないとしても、映画館に行ってチケットを買えば、もっとリーズナブルに旅することができますよ。そして、モダニズムを代表する偉大なカップルである、アルヴァとアイノの美しい愛の物語に没頭してください。

■『アアルト』
原題:AALTO
監督:ヴィルピ・スータリ(Virpi Suutari)
制作:2020年 配給:ドマ 宣伝:VALERIA
後援:フィンランド大使館、フィンランドセンター、公益社団法人日本建築家協会 
協力:アルテック、イッタラ
2020年/フィンランド/103分/(C)Aalto Family (C)FI 2020 – Euphoria Film  
公式HP:aaltofilm.com

author:

Nao Machida

ライター/通訳。音楽、映画、アートなどを中心に執筆や通訳・翻訳を行う。

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