GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポー インタビュー Archives - TOKION https://tokion.jp/series/gezan-マヒトゥ・ザ・ピーポー-インタビュー/ Tue, 14 Mar 2023 07:02:57 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポー インタビュー Archives - TOKION https://tokion.jp/series/gezan-マヒトゥ・ザ・ピーポー-インタビュー/ 32 32 マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、GEZAN新作『あのち』とオルタナティヴな音楽の可能性-後編- 反戦平和への希望、またはアイヌの「歌」と多元的な時間 https://tokion.jp/2023/03/14/interview-gezan-mahito-the-people-vol2/ Tue, 14 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=174100 『あのち』をリリースしたGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのインタビュー。後編では「No War 0305」やアルバム『あのち』、全感覚祭について。

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マヒトゥ・ザ・ピーポー

GEZAN
マヒトゥ・ザ・ピーポー(vo. / gt.)、イーグル・タカ(gt.)、ヤクモア(ba.)、石原ロスカル(dr.)の4人組オルタナティブロックバンド。2009年に大阪で結成。2012年、拠点を東京に移し全国各地で独自の視点をもとに活動を行う。国内外の多彩な才能をおくりだすレーベル・十三月を主催。『面白さの価値は自分で決めてほしい』というコンセプトから、入場フリーの投げ銭制の十三月主催野外フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目となるフルアルバム『狂 -KLUE-』を発表。2021年5月に新しいベーシスト・ヤクモアが加入し、「FUJI ROCK FESTIVAL 2021」から新体制にて始動する。Million Wish Collectiveと共に制作された3年ぶりのフルアルバム『あのち』を2023年2月1日にリリース。
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Twitter:@gezan_official
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Twitter:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople___gezan

2023年2月24日、ロシア軍によるウクライナへの侵攻から1年が経過した。なぜ戦争という極めて悲惨な出来事へと人間は歩を進めてしまうのか。そしてどうすればこの最悪の状況を打開することができるのだろうと悩みつつ、どうすることもできない無力感に打ちひしがれながら生きてきた人々も少なくなかったはずだ。そうした中、GEZANのニューアルバム『あのち』が届けられた。

戦争を直接的に停止する力を持つわけではないにせよ、昨年3月にGEZANの自主レーベル〈十三月〉が主催した反戦集会「No War 0305」には大きな意義があった。もちろん各所で反戦デモは行われていた。だが大半は「ウクライナと共に」もしくは「反プーチン」を掲げたものだった。それはそれで正しい、が、そこにある敵/味方の論理には戦争と近しい危うさが潜んでいる。「No War 0305」が掲げたのは「反戦」というただ一点。それはいわゆる音楽の力が人々の身も心も一致団結へと向かわせるものであるのに対し、むしろバラバラに分かれ、多様な意見が多様なままに共存する場としての連帯の可能性を音楽を通じて垣間見させるものだった。

『あのち』にもやはり、多様で複雑な音そして声がひしめいている。新たな時代のレベル・ミュージックだと言ってもいい。それは一見すると戦争を受けた反戦アルバムのようにも聴こえるが、「プロテスト・ソングではない」とすらマヒトゥ・ザ・ピーポーは語る。では一体、『あのち』とは何なのだろうか。

怒りの叫びと希望の祈り

——ヴォイス・アンサンブルのMillion Wish Collectiveと作り上げた今作『あのち』は「声」が大きなテーマになっています。ただ、同じ「声」でもアルバム前半は怒りの叫びの要素が強く、それに対して祈りのような後半はどこか希望さえ感じさせます。前半がストリートから発されるリアルな声だとしたら、後半はそれを俯瞰する未来的な視点を提供する、ある意味でSF的な構成と言えばいいでしょうか。こうした2面的な構成はどのような構想のもとに制作していったのでしょうか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):コロナにしても戦争にしても、さっき(前編で)仰っていたようないろいろな事象って、それらが起きる前の時代の人に話したら、全く現実感が湧かないと思うんです。むしろすげえSF的じゃん、って思うんじゃないかな。安倍晋三が銃殺されるなんて2010年代には誰も予想しなかった。つまり現実がそもそもSF的なことになっている。だから自分としては普通に音楽をやっていても、SF的な響きに向かっていかざるを得ないということはある。

映画でも例えば『E.T.』(1982)のような昔のSFって、あくまでも地球人に軸を置いていて、地球人が宇宙人に出会うというストーリーだったけど、今は『ブレードランナー 2049』(2017)のようにレプリカント側からの視点を描く。要は「向こう側」と言われていた方に軸を置いて、人間が見るのではなくて、人間を見ているわけですよ。少なくともSFは「向こう側」を垣間見るというようなジャンルからは解放されていて、それぐらい混乱した未知のゾーンに入っているから、自分としては自然なプロセスだった。

気候変動の問題だって同じですよね。もう後戻りできないポイントまで来ているけど、何が起きているのかといえば、人間が個体としては到底捉えられないような、とてつもなく長い時間の尺度で測らなければわからない問題が起きている。でもそのことに向き合わなければいけない。それはある意味でSF的な視点を持つことだと思います。地球という星の期限もそう。戦争で核兵器を使い始めたら普通に壊れてしまうけど、それが今、めちゃくちゃ遠いファンタジーの世界とも思えないようなリアルさを持っているじゃないですか。だから、それこそストリートの感覚のレベルで考えないと、SF的な現実に向き合うことは難しいんじゃないかって。

ただ、アルバムの後半で希望的な響きに寄っているのは、それは『狂(KLUE)』を作った時よりも明らかに世界が混乱していて、自分も追い込まれているということでもあるんです。閉塞感が漂う中で、そのことを写実的にスケッチしたくなかった。ちゃんと嘘をつきたかったというか。『あのち』に含まれている希望の割合は、自分の見ている世界がどれだけ歪んでいるかということでもあるかな。希望があるということをちゃんと言い切る必要があって、それを追いかけて走っている時の方が自分自身も調子が良くなりますからね。

「No War 0305」に込めた想い

——『あのち』には反戦の要素も多いですが、いわゆる反戦アルバムとも少し違っています。イデオロギーをそのまま掲げるのではなく、そもそもなぜ反戦平和が必要なのか、人間が生きていることと深いレベルで向き合った結果生まれたレベル・ミュージックと言いますか。そのあたりの距離感もお伺いしたいのですが、今作を作る上で、ロシアによるウクライナ侵攻や新宿南口で開催した「No War 0305」はどのように流れ込んでいるのでしょうか?

マヒト:今は何かを明言するにはあまりにも複雑な時代だから、記号みたいなもので人を判断したくないとつねづね思っているんです。生きている背景も見ている景色もみんな違うから、あちら側が敵でこちら側が味方、と言い切れるほどシンプルではない。わかりやすく議論を進めるために記号で括って語ることはあるけど、そんなことでは裁けないですよね。「私」という記号すら無理があると思っていて、自分の中にも菌類含めて数多くの他人がうごめいているし、表に出てくる言葉や感情は1つでも、その裏にはいろんな気持ちがある。天使も悪魔もいるけれど、そこで小さな民主主義みたいなことを通して、一応「私」という1人称がそれらを引き受ける役割を果たしている。それぐらい、そもそも誰もが混乱していて、誰かをカテゴライズすることはできるわけがない。

だから、カテゴリーで切り分けて分断を認めることは難しいと思いつつ、そうは言っても「戦争反対」ということに関しては議論の余地もないだろうと。「No War 0305」のステートメントにも書きましたが、ウクライナがすべて正しくてロシアがすべて間違っているというナショナリズムの話をするつもりはなくて、いろんな意見があるけど、少なくとも人が人を殺していい正当な理由なんかないでしょ?という、まずは一旦そのことだけで集まる価値があるし、この感覚はもっとフランクに使われるべきだなと思いました。「No War」という記号は政治的なワードとして使われているけど、「Love」とか「Peace」とかと同じレベルで使われていい言葉、というか同義語だとすら思うし、いかに暮らしと密接で誰一人例外なく全員が当事者なんだと考えると、ジャンルの話ですらない。だから主義主張を明言して切り分けるよりも、せめて感覚だけはもっと解放したい、というね。

そうしたことはこのアルバムでもやっています。だから反戦アルバムとは全然思っていなくて。まあ、全曲でそれに近いことに触れているとは言えますけど、今言ったように、別にそれはラヴ・ソングだって触れることができる。それは生きることを肯定することと何も変わらないですから。

——「Fight War Not Wars」と叫びつつも、ある意味ではプロテスト・ソングではないと。

マヒト:うん。そういうジャンルに置き換える必要すらないと思うんですよね。「No War 0305」の時も、例えばカネコアヤノや(原田)郁子さんはMCで何かを主張したわけではないし、ただステージの上にいていつも歌っている歌を歌って帰っていったんですけど、むしろそれがとても重要だなと。普通のことが普通にできなくてどうすんのって。なんで戦争になったら「いやいや、それぞれに立場というものがあって……」とか言い出して、身動きが取れなくなってしまうんだろう。立場とかの話じゃなくて、プリミティヴな感覚の話として、議論の余地なく戦争はクソでしょ。だからこのアルバムもプロテスト・ソングという気持ちは全くないですね。『狂(KLUE)』よりもないかもしれない。

——「No War 0305」でとても印象的だったのが、それこそカネコアヤノさんは反戦歌を歌ったわけではないにもかかわらず、例えば「爛漫」という曲の「わかってたまるか 涙が溢れる」というフレーズが非常に切実な言葉として響いたことでした。そうした場面がたくさんあった。だから『あのち』がプロテスト・ソングではないということも、むしろそのことによって、イデオロギーとは異なる政治性に深いところで繋がっていくのではないかと思いました。

マヒト:そうなんですよね。ちょうど「No War 0305」をやる直前に、あるミュージシャンと居酒屋で出くわして、その人が「自分はラヴ・ソングしか歌えないからデモは無理だなあ」とか言ってきたことがあって。いやいや、そのラヴ・ソングを歌う気持ちだったり恋をするということだったりが、いかにして成り立っているのか、それは平和というものが担保された上でようやくできあがるものじゃないのか、って思っちゃって。そういう、一見すると無関係に思える数多くのことが「No War」に繋がっている。というか、戦争がない時間の中で許されていた営みがいっぱいあるんですよ。

だからプロテストしているかどうかじゃなくて、例えば家で猫と一緒に過ごす、コーヒーを飲む、あるいは好きな人と散歩をするとか、そんなことだってすべて「No War」の範疇にありますよね。そういうことの立体感を見せることが「No War 0305」の1個の目的でもあったし、実際にそれぐらいの広がりを言葉自体がもっと内包していくべきだと思っています。でも、そういうことに自覚的な人も増えているんじゃないかな。折坂悠太が年明けに「あけましておめでとうございます。本年もよろしくどうぞ。戦争反対」ってツイートしていて、ああいうふうにフランクに使われていいはずだよなって。

音楽に反映される時代性

——今回の『あのち』から、例えば七尾旅人さんの『911FANTASIA』を連想したリスナーもいたようですが、マヒトさん自身が影響を受けたり好きで聴いたりしてきたレベル・ミュージックにはどのような作品がありますか?

マヒト:全然違うかもしれないけど、ニーナ・シモンを聴いているとリアリティを感じることはありますね。浅川マキさんがニーナ・シモンに触れて「ジャズは黒人の体温だ」みたいなことを言っていて、私にとってはああいう息づかいとか、そこに存在していること自体がレベル・ミュージックに聴こえた。それは今聴いても同じように感じる。やっぱり、もっと人間の息づかいみたいなものに目を向けるべきだと思うんです。今は記号的なものが加速していく人ばかりじゃないですか。AIに絵を描かせるのが流行ってますけど、私からしたら全然笑えない。そのままいけばもう数年後にはイラストレーターの仕事がなくなるだろうし、同じことは音楽でも起きていて。遠からずAIが作る曲も人間が作るのと遜色なくなっていって、それどころか学習量で言えば人間を遥かに凌駕するようになる。言い方を変えると、そうした記号的な操作ではできないことをちゃんと美しいと呼ぶ準備をカルチャーと言われるものが責任を持ってやっていかないと、人間が人間である意味を見出せなくなってしまいますよね。だから、AIブームは全然笑えない。

例えばオノ・ヨーコさんの《青い部屋のイヴェント》というインスタレーションで、1本の線が引いてあって、その下に「この線はとても大きな円の一部です」と書いてある作品がありますよね。人間って真っ直ぐの線を引けなくて、直線のつもりでも左と右が微妙にズレていて、それを引き延ばしていくと最後は円になってしまう、という。そういう、真っ直ぐの線を引けないというところに人間の強さがあるのだと思う。そういう強みとか、曖昧さや不完全さに可能性があると言い切らなきゃいけないんじゃないかな。

——ニーナ・シモンと言えば、「時代を反映させることはアーティストの責務である」という名言でも知られています。それに対して「ミュージシャンはただ音楽を作ればいい」と意見する人もいますが、マヒトさんとしては、やはりニーナ・シモンのスタンスに共感するところが大きいですか?

マヒト:もちろん共感するし、そもそも、どうやって時代と無関係に音を出せるのかわからないね。言葉があろうとなかろうと、この時代を生きていて、同じ雨に打たれているし、ウイルスという見えないものにも同じように怯えただろうし、同じ閉塞感も感じたはずだし、どうやって無関係でいられるのかがわからない。ずっと家の中に閉じこもって、外でミサイルが飛んでようが雨が降ってようが、遮光カーテンを閉め切って制作するみたいなやり方で無関係でいることもできるのかもしれないけど、ちょっと私には想像もできないですね。

ただ淡々と音楽を作ればいいって言うけど、ただ淡々と作るものにも時代性が反映されてしまうことになぜ気づけないのかなとも思う。そのことに反発して時代性を無視するということもすごく時代を反映した表現だと思うし。手を取り合って時代と向き合うという方法だけじゃなくて、そことは距離をとったりズレていったりすることもやっぱり関係の範疇だと思っていて。それはさっき言ったようなカネコアヤノが歌う歌が「No War」になる、ということと同じで。みんなで同じ方向を向くとか、一緒に歩みを進める、というわかりやすいハモり方だけじゃない、複雑な関わり方が許されていると思うし、そういう意味で考えれば無関係でいられる人なんていない。

淡々と音楽を作ればいいって、視野が狭いんじゃないかって思うよね。それを少し掛け違えたら「ていねいな暮らし」みたいなところに行き着く。それはもう貴族的な人にしか許されない感覚で、でもそんな人ですらコロナも戦争も無関係ではいられなかっただろうし。『あのち』にも当然、時代が反映されている。ただ、私としては時代と向き合おうとしたわけではなくて、あくまでも自分の中のストラグルを見つけて希望みたいなものと対峙しただけではあるけれど。

アイヌとの関わりから得た経験

——『あのち』の制作でマヒトさんが対峙したものの中には、GEZANが出演したウタサ祭りやアイヌとの関わりも大きなものとしてあったのでしょうか?

マヒト:うん、でかいね。

——そもそもアイヌとの関わりはいつから始まりましたか?

マヒト:3年前、2020年に開催された1回目のウタサ祭りに行ったのが最初。やっぱり歌との距離が近いことが衝撃的でした。私はミュージシャンだからステージの上で歌っていて、それを聴く観客がいる、という構造があるんだけど、アイヌのウポポ(註:アイヌの伝統的な集団歌唱の1つ)には歌い手か否かと言う境界線はなくて、打ち上げなんかが顕著だけど、全員が歌って輪踊りを踊るみたいな状況。そこにはプロもアマもないし、オンとオフもなくて。その歌との距離が衝撃的で、とても面白かった。しかもサイケデリックな輪唱だし、単純に音楽的に惹かれるところもある。そうしたアイヌの歌との付き合い方は新鮮で。

盆踊りも似ているかもしれないですよね。職業柄どうしても「自分は個性的でいなきゃいけない」みたいなアイデンティティの問いかけが常に追いかけてくるところがあったんですけど、ああやってみんなが円になって回っていると、そういうものから解放される気分になる。別に自分が前に出て目立たなくてよくて、輪の中の1つになればいいっていうか。それはアニミズム的な、大きな自然と一体化する感覚にも近くて、気持ちよかったんですね。それでアイヌの歌に惹かれたというか、恋をした。

——アイヌとの関わりから得た経験は、『あのち』ではどのように流れていますか?

マヒト:もちろん自分はヴォーカルで、ストーリーテラーとして言葉を発するんだけど、それとはまた違うストーリーがコーラスの輪唱でずっと続いていく。でもそういった立体感って、本当は現実の世界にもたくさんあるんですよね。例えば時計が刻む秒単位の時間がある。けれど外の季節には春に向かってゆっくりとグラデーションしていく時間が流れている。それに自分の中には体内時計的な時間も働いているし、寿命という時間もある。あと、一昨日(2月5日)見たウタサ祭りの記憶がだんだん思い出になっていく速度もあって、そういう複数の時間が同時進行で共存する中で私達は生きている。

1つの機械的なクロノス時間しか動いていないなんていうのは絶対に嘘なわけで、本当は誰もが複数の時間を生きるという器用なことをやってのけている。そういうことが1枚のアルバムの中、1つの曲の中でも起きているだろうし、特に『あのち』では複数の時間の軸が回っていく立体感を意識していましたね。そういう関わり方については、やっぱりウタサ祭りでアイヌの人達と一緒に紡いできた時間があったからこそ考えたことでした。

——ところで、タイトルの「あのち」は、聴き慣れない言葉ですが、何かアイヌと関係があるのでしょうか?

マヒト:いや、全然関係ないです(笑)。

——どういう由来があるのでしょう?

マヒト:1個の生命体みたいなものが生まれた感覚というか。例えば神社やお寺にいる狛犬って、「あ」って口を開けているのと「ん」って閉じているので、阿吽で対になっていますよね。そこには生まれてから死ぬまでという意味もあって、だから始まりの音として「あ」がある。それで「あ」をつけたかったかな。

全感覚祭に向けて出会い直す

——なるほど、わかりました。最後に全感覚祭についてお聞きしたいです。2023年に開催する予定はありますか?

マヒト:今年中にやると言い切りたいです。まだ何も進んでいないけど、必ずやる予定。やっぱりコロナで失ったもので言うと、全感覚祭のクルーがバラけていってしまったのも大きかった。あれは仕事としてお金の契約で繋がっていたわけではないから、環境が変わったことでどうしてもチーム内が砕けていってしまったんです。だからそのあたりはちゃんと出会い直さないと再スタートは切れない。今これを読んでいるあなたにもしも気概があったら、私達と出会ってほしいと思うね。力を貸して欲しいというよりは、雷を落としたような感覚を必要としているというか。

『あのち』に収録した「JUST LOVE」という曲は、すごく青い歌詞ですけど、「こんな夜をわたしずっと待っていた/だからわたし/歌うことが好きなんだ」と歌っていて。それは全感覚祭で歌うことをイメージしながら書いた歌詞なんですね。歌が好きでやってきたから、またこの景色、この夜が戻ってきたというか、また始まることができた。だからある意味で「JUST LOVE」は全感覚祭で歌わないと完結しないと思っていて、その意味でもやりたいですね。

——それは人間にとって祭りが必要だということでもあるのでしょうか?

マヒト:本当にそうだと思う。祭りっていわゆるフェスとは違って、もっと日常に溶け出していくものだし、前後の暮らしにエフェクトがかかっていくんですよ。そういう時間が作れたらいいなと。正しさではなくて、細胞が沸き立つような出来事を体感として提示したい。やっぱり自分が好きなライヴもそういうものだし、それは暮らしのレベルにある、音楽という範疇では届かないところにもたくさんあって。ご飯を食べるということもそうです。そうしたことが立体的に目指せるという意味でも、今、全感覚祭でしかできないことが自分の中にすごくある気がしていて。それは『あのち』の1つ先の話になるんじゃないかなって。

Photography Yuki Aizawa

■『あのち』
リリース日 : 2023年2月1日
フォーマット : CD/デジタル
価格:(CD)¥3,300
TRACKLIST
1. (い)のちの一つ前のはなし
2. 誅犬
3. Fight War Not Wars
4. もう俺らは我慢できない
5. We All Fall
6. TOKYO DUB STORY
7. 萃点
8. そらたぴ わたしたぴ(鳥話)
9. We Were The World
10. Third Summer of Love
11. 終曲の前奏で赤と目があったあのち
12. JUST LOVE
13. リンダリリンダ
https://gezan.lnk.to/ANOCHI

■あのち release BODY LANGUAGE TOUR 2023
2023年1月27日 東京・渋谷 WWW X
2023年2月1日 北海道・札幌 Sound lab mole
2023年2月25日 静岡・浜松 FORCE
2023年3月2日 愛知・名古屋 CLUB UPSET
2023年3月4日 大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2023年3月18日 福岡 LIVEHOUSE CB
2023年3月19日 広島 4.14
2023年3月21日 岡山 YEBISU YA PRO / WITH Age Factory
2023年3月31日 神奈川・横浜 F.A.D YOKOHAMA / WITH 崎山蒼志
2023年4月2日 埼玉HEAVEN’S ROCK 埼玉新都心VJ-3 / WITH 君島大空トリオ
2023年4月18日 東京・中野 サンプラザホール
https://gezan.net/live/

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マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、GEZAN新作『あのち』とオルタナティヴな音楽の可能性-前編- コロナ禍での別れと出会い、または身体性の回復に向けて https://tokion.jp/2023/03/13/interview-gezan-mahito-the-people-vol1/ Mon, 13 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=174095 3年ぶり6枚目となるフルアルバム『あのち』をリリースしたGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのインタビュー。前編ではコロナ禍でのバンド活動や激動の時代におけるオルタナティヴな音楽の可能性、そして新作アルバムで「声」をテーマとした理由について聞いた。

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マヒトゥ・ザ・ピーポー

GEZAN
マヒトゥ・ザ・ピーポー(vo. / gt.)、イーグル・タカ(gt.)、ヤクモア(ba.)、石原ロスカル(dr.)の4人組オルタナティブロックバンド。2009年に大阪で結成。2012年、拠点を東京に移し全国各地で独自の視点をもとに活動を行う。国内外の多彩な才能をおくりだすレーベル・十三月を主催。『面白さの価値は自分で決めてほしい』というコンセプトから、入場フリーの投げ銭制の十三月主催野外フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目となるフルアルバム『狂 -KLUE-』を発表。2021年5月に新しいベーシスト・ヤクモアが加入し、「FUJI ROCK FESTIVAL 2021」から新体制にて始動する。Million Wish Collectiveと共に制作された3年ぶりのフルアルバム『あのち』を2023年2月1日にリリース。
http://gezan.net
Twitter:@gezan_official
http://mahitothepeople.com
Twitter:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople___gezan

マヒトゥ・ザ・ピーポーが率いるロック・バンド、GEZANが3年ぶり6枚目となるフルアルバム『あのち』をリリースした。ほぼ全曲をBPM100に統一し踊りと身体性に革新をもたらした前作『狂(KLUE)』に対し、今作では総勢17名からなるヴォイス・アンサンブルMillion Wish Collectiveを引き入れ、無数の「声」が飛び交う未曾有の作品へと結実した。

前作発表後の最大のトピックはやはり、新型コロナウイルス禍の到来だろう。リリースツアーが中止となるなど、以前のようにライヴができないという大きな制約ももたらされた。さらにブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動の世界的な広がり、ロシア軍によるウクライナへの侵攻、安倍晋三元首相の銃殺と、世界は目まぐるしく変貌し続けている。GEZANからはベーシストのカルロス尾崎が脱退。だがコロナ禍の中では「全感覚菜」を試みるなど新たな挑戦もあった。何より後任のベーシストとしてヤクモアが加入した。Million Wish Collectiveとの出会いもしかり。そのように動き続ける世界の中で『あのち』は生み落とされた。

コロナ禍はバンド活動にどのような影響を及ぼしたのか。激動の時代におけるオルタナティヴな音楽の可能性とは何か。そして新作アルバムで「声」をテーマとした理由とは。GEZANの中心人物、マヒトゥ・ザ・ピーポーに話を訊いた。

コロナ禍での身体性の喪失

——前作『狂(KLUE)』をリリースしたのが2020年1月、ちょうどその直後にコロナ禍が猛威を振るい始めました。パンデミックはGEZANの活動にも少なくない影響を及ぼしたと思いますが、実際、どのような変化がありましたか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):やっぱり一番大きかったのは身体性が奪われたことでしたね。コロナが来たらライヴができなくなってしまった。ライヴは経済的な収益を得るだけのためにやっていたわけじゃなくて、いわば同じ水を共有するようなコミュニケーションの場だったんですよ。同じ空間の中で自分達もお客さんも唾液や汗を飛ばし合って、飛沫を吸ったり吐いたりしながら水を分かち合う。それはバンドにとってすごく重要なことでした。

コロナになった直後はオンライン・ライヴが流行ったじゃないですか。あれは視覚的/聴覚的な情報としてはライヴと似たようなものを届けることができるけど、ライヴの本質的な部分にある温度の交換や衝突は奪われてしまう。そういった身体性に救われてきたから、だいぶバランスを崩したんですよね。バンドメンバーもそう。カルロスが脱退したのも日常のペースが崩れたことにも原因があったので、そういう意味でコロナには大きな影響を受けました。

でも同時に、失われたものがあったことで何が自分達にとって大切だったのか、問い直す機会にはなった。自分達でもいくつか配信ライヴを試みたり、オンラインでインタビューを受けたりもしました。言葉って文字にすると「ありがとう」も「さようなら」も5文字になってしまうけど、対面で振動を共有しながら話すと同じ5文字でも全く意味が変わってきますよね。5文字でも質量が全然違う。やっぱりそこが重要だったから、自分が何に依存してきたのか気づけた部分はありました。

——2020年5月に「全感覚祭」ではなく「全感覚菜」を開催しましたよね。私自身、何かにすがるような思いもあって見ていたのですが、あそこで石原ロスカルさんが30時間のドラムマラソンという、極限まで身体を追い込むようなことにも挑戦されていました。それはある種の身体性やライヴ感をインターネットを通じて届ける試みでもあったと思うのですが、実際にやられてみて、手応えはいかがでしたか?

マヒト:あの時期はとにかく「ステイホーム」が叫ばれていて、まるで生きている世界は部屋の中がすべてだ、とでも言わんばかりの状況になっていました。もちろん部屋から出ざるを得ない人もいましたけど、どうしても情報に向き合う時間が大きくなっていった。スマホやテレビで見る感染者数だったり、ワクチンができたかどうかとか、そういう情報が神様みたいになってしまって、そこに祈るしかないような状況。それに疲れちゃったんです。

人に何かを伝えるというよりも、たとえ世の中で何が動いていようが気にせずただひたすらバスドラとスネアとハイハットの動きとロスカルの体力だけに向き合う時間が欲しかった。だからその30時間はすごく心地よかったんです。で、配信でも温度みたいなものを伝えることはできるんじゃないかとは思ってトライしていて、できなかったとも思っていないですけど、ああいうふうに苦労してやるべきなのかどうか、ちょっと今はわからないですね。死ぬほど大変だったから(笑)。それに終わった直後にBLM運動が拡大する動きもあって、情報を遮断して救われた気になっていたけど、そうした中でも時代は動いて走り続けているという現実も突きつけられて。逃げても逃げ切れないみたいな、そういう両面があったかな。

——ミュージシャンによっては、「ステイホーム」で逆に録音制作に注ぐ時間が確保できたり、バンドであれば結束力が高まったという人もいましたが、コロナ禍がGEZANにもたらしたポジティブな側面というのはありましたか?

マヒト:うーん、自分達に関しては基本的にブレまくっていましたね。より結束力が高まったということは全くない。アルバムを作ってライヴをするというのは、何かを歌って何かがメッセージになるということが半分で、もう半分は言葉にできない衝動みたいなものを言葉にできないまま叫んだり掻き鳴らしたりする中で、自分の中にいる怪物みたいなものと対峙していたようなところがあって。この2つが共存していた。メッセージは音源制作でも、それこそSNSでも発信できるんだけど、ライヴがなくなったことで自分の中にある狂気や衝動との向き合い方がわからなくなってしまった。だからブレたんです。

でもそれがポジティブな面でもあるというか、さっき言ったように、そのことがいかに大事か、改めて自覚することができた。だから映画(『i ai』)を作ろうと思ったところもあります。映画は時代の設定さえ変えてしまえば嘘がつけるから、「10年前の設定ですよ」と言ってしまえばライヴもモッシュもできる。「全感覚祭」ができない中で、噓をつけるというファンタジーのあり方に救われたんですよね。コロナが来て最初の頃は本当に、このままライヴは二度とできない世界になっていくんじゃないかという怖さもあったので、ちゃんとその時の記憶を記録しておく必要はあるなと。だから映画を製作することができたのは良かった面の1つなのかもしれないです。

——確かにフィクションの世界であればライヴができますよね。そもそもなぜ人が集まれなかったのかと言えば、もちろん感染拡大を防ぐためであり、ライヴハウスが閉鎖していたからではありますけど、それと同じくらい大きかったのが「不安の感染」(西田亮介)とでも言うべきものでした。つまり、たとえ感染のリスクがゼロであろうと、集まること自体に批判が集まってしまっていた。

マヒト:ギター背負って電車に乗るだけで舌打ちとかされましたから(笑)。やっぱり学校のイジメの構造と一緒で、何か攻撃対象を設定してそこに負のエネルギーを向けてしまう。それはイジメられる子が何かをやったからではなくて、特に何もやっていなくても、そういう構造自体を求めてしまうところがあるというか。大人達が暮らす人間社会そのものにイジメと同じ構造がある気がします。それであの時期にはライヴハウスが槍玉に挙げられた。でも、そうしたライヴハウスでのコミュニケーションがやっぱり自分を生かしてきたし、そのことをより自覚できるようになったから、意地でも取り返そうとは思っていました。

それとコロナになってからは、バンドメンバーが脱退していなくなったり、身近な人が亡くなってしまったり、そういうことがたくさん起きたんです。コロナだけが原因ではないですけど、そういった喪失とどう付き合っていけばいいんだろうと思うきっかけにはなりました。あのコロナ禍の静寂が。今は幸いにも自分は何かを残すことができる仕事にいるから、音楽に限らずいろんな手段を使って残していかなければいけないよなと。

「まずは現実と同じだけ歪む」

——振り返ると2020年代の幕開けというのは、実はコロナではなくて米軍によるイランの国民的英雄ソレイマニ司令官の爆殺から始まりましたよね。当時は第3次世界大戦の危惧も囁かれました。それからパンデミックになり、BLMが世界的に広がり、汚職まみれの東京五輪、さらにウクライナとロシアの戦争、安倍晋三元首相の銃殺等々、目まぐるしいほどに現実が変わっていっています。いわゆるオルタナティヴな音楽というのは、そうした現実における常識や足場がいつでも崩れ去ってしまうもろいものだ、ということと向き合い続けてきた音楽とも言えますが、実際に常識が通用しない世界に突入していった時、その現実はどのように受け止めましたか?

マヒト:一緒に混乱するしかない、まずはチューニングを合わせるために同じだけ歪まなきゃいけないとは思っています。もともと「純粋」という言葉は美徳とされてきましたけど、もう今は私はそんなの綺麗な言葉とは思わなくて。例えば「純日本人」と言った途端、「純粋」は差別の世界でも使われる言葉になりますよね。潔白で何の染みもなく、一点の曇りもない、みたいなことは綺麗でもなんでもなくて、本当はいろんなレイヤーが絡まって編み込まれている。そういう複雑なものと対峙する時に、やっぱりこちら側も混乱していないとチューニングが合わないなと。真っ直ぐな表現が正解だとは全く思っていなくて。

抽象的な言い方になってしまうけど、「まずは現実と同じだけ歪む」ということは、この時代に表現することの絶対条件だと思う。頭の中で記号的にいろんなものを組み合わせて自分の世界を作る、ということを多くの人はやっていると思うんですけど、そうじゃないなと。どうにかして現実と対峙しなければいけない。少なくとも言えるのは、何か1つの強い光で1色に染め上げるみたいなことは今やとても暴力的ですよね。「一点突破するのが男だ」みたいなことが美徳とされていた時代もあったわけじゃない? もうそういう力の時代じゃないんですよ。

私、馬が好きなんです。それで馬についていろいろ勉強することもあるんですけど、馬って群れになると必ずリーダーを作るんですよ。でも馬の群れでは、体が大きくて力があるヤツがリーダーになるんじゃなくて、一番足が速いヤツがリーダーになる。要は肉食動物に襲われたり何か危険が迫ったりした時に、一番初めに逃げ出せるヤツをリーダーにするんです。だからドナルド・トランプみたいなものとは真逆(笑)。さっき仰っていたように今は本当にいろんなことが立て続けに起きていて、ぐちゃぐちゃな世の中で、ある意味で有事とも言えますけど、そういう時に一番初めにちゃんと怯えて、ちゃんと混乱できて、逃げ出せるヤツをリーダーにするというのは、男らしい一点突破の力の美学とは真逆ですよね。そういう感覚はすごい重要だと思います。

——『狂(KLUE)』のリリース後にそうした混乱したいくつもの現実に直面していくことになりましたが、次のアルバムを出そうというのはどういう経緯で始まっていったのでしょうか?

マヒト:カルロスが抜けた次の日にはもう、Million Wish Collectiveの原型でスタジオに入り始めていました。何かが手放されて消えていく時は、その空いた手でまた次の何かをつかむように入れ替わる時だとも思っているんですね。もちろん感情的にはすごく悲しかった。けれど同時に、一歩前に出て動くと必ず出会いが待っていると考えていて、とりあえずこれを機にメンバー全員で新しい楽器をやろうぜ、みたいな。それでタカはバグパイプを見つけて、私はトランペットを手にし、ロスカルは自転車を(笑)叩いたりし始めた。カルロスが抜けると決まって発表した次の日にはもう練習を始めていたんです。

出会いと別れというのは同じ数になるように設定されていると思うんですよ。というか実際に、出会ってきたものはすべて、最後は自分がいなくなることで必ずお別れになる。この数はどっちの方が多いということはなくて、必ず決まっているから、大きなものが離れていった時は必ずまた大きなものに出会う。それは今までの経験からしてもそうなんです。だから悲しい気持ちはありつつ、出会いの準備はもうスタートしようと。その意味ではカルロスが抜けた瞬間にもう次のアルバムを作ろうとは思っていたかな。

——新しい楽器を始めると言っても、バグパイプを吹き始めるのは珍しいですよね。

マヒト:最初に会った時からそうだけど、タカも腹の中に変な怪物を飼っているから、とにかく汗をかきたいという物理的な理由もあったんだと思います。でもバグパイプってよく聴くとすごく政治的な音がしますよね。祝祭みたいな時にも鳴らされるし、軍歌でも鳴らされるし。すごい楽器を引いたなと私は思ってる。必然的だなとも。

完璧になり切れない不完全さの記録

——新たな出会いとしてヴォイス・アンサンブルのMillion Wish Collectiveと組み、2021年のフジロックフェスティバルで初披露されました。なぜ「声」をテーマにしていったのでしょうか?

マヒト:コロナ以降、一番良くないものとされていたのが、大人数で集まることと声を出すことだったじゃないですか。フジロックのレッドマーキーが初ライヴだったんですが、ステージ上がその禁止されている2つで満たされた状態になったんですよね(笑)。でも、声って本当に多様だと思います。学生時代、「変な声だね」とか言われることもあったけど、良い声も悪い声も全然ないなと思っていて。世の中的に便利な声とか、都合のいい声、心地いいとされている声というのはあるかもしれないけど。だとしても、私はもうずっとこの声で生きてきたわけだし、何かを誰かに伝える時も全部この声が背負ってきたわけで、そういうものを肯定できないと嘘だなと。

最近は特に、歌をレコーディングするとピッチを修正したりノイズを除去したりして、とにかく綺麗に仕上げますよね。確かに自分の声も歪んでいるところもありますけど、それはその声自体が持っている複雑さなのであって、それを生産性があるかどうかみたいな基準で削ってしまうことはおかしいんじゃないかなって。写真もレタッチされたものばかり。芸能人がホクロを消したり残したりしているのを見ると、なんかすごい世界だなと。もう自分達が見ているものが写真なのか合成画像なのかわからないですよね。Instagramにもアプリで綺麗に加工した写真が溢れてる。

問題なのは、綺麗なモデルの写真というか合成画像を見た子達が、鏡で自分の姿を見て「私はなんて醜いんだろう」と思ってしまうこと。そうやってコンプレックスをあおることで、もっと化粧品を買おう、整形にお金をかけようと、資本主義に繋げて加速させる動きがいろんなところに仕込まれている。それは歌の世界にも同じようなことがあると思うんです。楽器の音でもそう。バンドと銘打っているけど打ち込みと変わらないみたいなね。例えばドラムであれば、揺らぎや衝突、そこで叩いていたという痕跡や息づかいがあるわけで、正確な位置にスネアやバスドラがくればいいわけじゃないですから。なのに、そつのないギターとベースがきて、機械でも歌えるような歌がきてしまう。

でも本当は歪んだ声の方にその人の痕跡があるわけですよ。だから自分は一旦そういう声をちゃんと肯定したい、と思ったことがMillion Wish Collectiveに繋がっていったかな。そもそもMillion Wishのメンバーは声が良いから選んだわけではないですから。実際に声を出してみて「あ、意外と歌えるのか!」と驚くこともあった(笑)。

——前作のように、ヴォイスの録音をいくつも重ねてループさせることで合唱を作るやり方もありますし、今作でもそうしたコラージュ的な面白さを聴かせる楽曲もありますが、それよりもまず、多様な声というものがあったと。

マヒト:そうですね。霊性と言われるようなものだと思います。写真とかを見ていてもそうですが、撮影当時の時代の匂いが焼きついていて、ちゃんと過去になる作品が好きなんですよね。多くの表現は永遠を目指していて、何かしらそのことを意識しながら制作していますけど、私はちゃんと古くなることを大事にしたいなって。歌もバンドも、レコーディングでは追い込んで完璧を目指すんだけど、完璧になり切れない不完全さみたいなところが重要だし、好きな部分なので。というか、そもそも他者と関わるってそういうことだと思うんです。もちろんアルバムを作る時は音楽だから取捨選択はしますけど、そういう「気配」みたいなものをどうしたらパッケージに残せるのか。しかもただのドキュメントという形じゃなくて、ファンタジーの切り口の中にどうしたら残せるか、というのはテーマでしたね。

だから『あのち』は、5年後、10年後に聴き返した時に「ああ、懐かしい」って思うはずですよ。声もそうだし、その時に関わっていたことも含めて。古くなるということは過去になっていくことですけど、同時に、そういうちゃんと古くなったものが未来的な輝きを放つこともあって、時間は一方向に流れていくだけじゃないんですよね。特に今、ネット上にアーカイヴとして残る時代はなおさらそうなんじゃないかな。時間が双方向に開かれている、ということがどんどん明るみになっている感じはすごく楽しい。逆に言うと、誰もやったことがない未来的なことは全然求めていないんですよね、自分は。

後編へ続く

Photography Yuki Aizawa

■『あのち』
リリース日 : 2023年2月1日
フォーマット : CD/デジタル
価格:(CD)¥3,300
TRACKLIST
1. (い)のちの一つ前のはなし
2. 誅犬
3. Fight War Not Wars
4. もう俺らは我慢できない
5. We All Fall
6. TOKYO DUB STORY
7. 萃点
8. そらたぴ わたしたぴ(鳥話)
9. We Were The World
10. Third Summer of Love
11. 終曲の前奏で赤と目があったあのち
12. JUST LOVE
13. リンダリリンダ
https://gezan.lnk.to/ANOCHI

■あのち release BODY LANGUAGE TOUR 2023
2023年1月27日 東京・渋谷 WWW X
2023年2月1日 北海道・札幌 Sound lab mole
2023年2月25日 静岡・浜松 FORCE
2023年3月2日 愛知・名古屋 CLUB UPSET
2023年3月4日 大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2023年3月18日 福岡 LIVEHOUSE CB
2023年3月19日 広島 4.14
2023年3月21日 岡山 YEBISU YA PRO / WITH Age Factory
2023年3月31日 神奈川・横浜 F.A.D YOKOHAMA / WITH 崎山蒼志
2023年4月2日 埼玉HEAVEN’S ROCK 埼玉新都心VJ-3 / WITH 君島大空トリオ
2023年4月18日 東京・中野 サンプラザホール
https://gezan.net/live/

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