マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、GEZAN新作『あのち』とオルタナティヴな音楽の可能性-前編- コロナ禍での別れと出会い、または身体性の回復に向けて

GEZAN
マヒトゥ・ザ・ピーポー(vo. / gt.)、イーグル・タカ(gt.)、ヤクモア(ba.)、石原ロスカル(dr.)の4人組オルタナティブロックバンド。2009年に大阪で結成。2012年、拠点を東京に移し全国各地で独自の視点をもとに活動を行う。国内外の多彩な才能をおくりだすレーベル・十三月を主催。『面白さの価値は自分で決めてほしい』というコンセプトから、入場フリーの投げ銭制の十三月主催野外フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目となるフルアルバム『狂 -KLUE-』を発表。2021年5月に新しいベーシスト・ヤクモアが加入し、「FUJI ROCK FESTIVAL 2021」から新体制にて始動する。Million Wish Collectiveと共に制作された3年ぶりのフルアルバム『あのち』を2023年2月1日にリリース。
http://gezan.net
Twitter:@gezan_official
http://mahitothepeople.com
Twitter:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople___gezan

マヒトゥ・ザ・ピーポーが率いるロック・バンド、GEZANが3年ぶり6枚目となるフルアルバム『あのち』をリリースした。ほぼ全曲をBPM100に統一し踊りと身体性に革新をもたらした前作『狂(KLUE)』に対し、今作では総勢17名からなるヴォイス・アンサンブルMillion Wish Collectiveを引き入れ、無数の「声」が飛び交う未曾有の作品へと結実した。

前作発表後の最大のトピックはやはり、新型コロナウイルス禍の到来だろう。リリースツアーが中止となるなど、以前のようにライヴができないという大きな制約ももたらされた。さらにブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動の世界的な広がり、ロシア軍によるウクライナへの侵攻、安倍晋三元首相の銃殺と、世界は目まぐるしく変貌し続けている。GEZANからはベーシストのカルロス尾崎が脱退。だがコロナ禍の中では「全感覚菜」を試みるなど新たな挑戦もあった。何より後任のベーシストとしてヤクモアが加入した。Million Wish Collectiveとの出会いもしかり。そのように動き続ける世界の中で『あのち』は生み落とされた。

コロナ禍はバンド活動にどのような影響を及ぼしたのか。激動の時代におけるオルタナティヴな音楽の可能性とは何か。そして新作アルバムで「声」をテーマとした理由とは。GEZANの中心人物、マヒトゥ・ザ・ピーポーに話を訊いた。

コロナ禍での身体性の喪失

——前作『狂(KLUE)』をリリースしたのが2020年1月、ちょうどその直後にコロナ禍が猛威を振るい始めました。パンデミックはGEZANの活動にも少なくない影響を及ぼしたと思いますが、実際、どのような変化がありましたか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):やっぱり一番大きかったのは身体性が奪われたことでしたね。コロナが来たらライヴができなくなってしまった。ライヴは経済的な収益を得るだけのためにやっていたわけじゃなくて、いわば同じ水を共有するようなコミュニケーションの場だったんですよ。同じ空間の中で自分達もお客さんも唾液や汗を飛ばし合って、飛沫を吸ったり吐いたりしながら水を分かち合う。それはバンドにとってすごく重要なことでした。

コロナになった直後はオンライン・ライヴが流行ったじゃないですか。あれは視覚的/聴覚的な情報としてはライヴと似たようなものを届けることができるけど、ライヴの本質的な部分にある温度の交換や衝突は奪われてしまう。そういった身体性に救われてきたから、だいぶバランスを崩したんですよね。バンドメンバーもそう。カルロスが脱退したのも日常のペースが崩れたことにも原因があったので、そういう意味でコロナには大きな影響を受けました。

でも同時に、失われたものがあったことで何が自分達にとって大切だったのか、問い直す機会にはなった。自分達でもいくつか配信ライヴを試みたり、オンラインでインタビューを受けたりもしました。言葉って文字にすると「ありがとう」も「さようなら」も5文字になってしまうけど、対面で振動を共有しながら話すと同じ5文字でも全く意味が変わってきますよね。5文字でも質量が全然違う。やっぱりそこが重要だったから、自分が何に依存してきたのか気づけた部分はありました。

——2020年5月に「全感覚祭」ではなく「全感覚菜」を開催しましたよね。私自身、何かにすがるような思いもあって見ていたのですが、あそこで石原ロスカルさんが30時間のドラムマラソンという、極限まで身体を追い込むようなことにも挑戦されていました。それはある種の身体性やライヴ感をインターネットを通じて届ける試みでもあったと思うのですが、実際にやられてみて、手応えはいかがでしたか?

マヒト:あの時期はとにかく「ステイホーム」が叫ばれていて、まるで生きている世界は部屋の中がすべてだ、とでも言わんばかりの状況になっていました。もちろん部屋から出ざるを得ない人もいましたけど、どうしても情報に向き合う時間が大きくなっていった。スマホやテレビで見る感染者数だったり、ワクチンができたかどうかとか、そういう情報が神様みたいになってしまって、そこに祈るしかないような状況。それに疲れちゃったんです。

人に何かを伝えるというよりも、たとえ世の中で何が動いていようが気にせずただひたすらバスドラとスネアとハイハットの動きとロスカルの体力だけに向き合う時間が欲しかった。だからその30時間はすごく心地よかったんです。で、配信でも温度みたいなものを伝えることはできるんじゃないかとは思ってトライしていて、できなかったとも思っていないですけど、ああいうふうに苦労してやるべきなのかどうか、ちょっと今はわからないですね。死ぬほど大変だったから(笑)。それに終わった直後にBLM運動が拡大する動きもあって、情報を遮断して救われた気になっていたけど、そうした中でも時代は動いて走り続けているという現実も突きつけられて。逃げても逃げ切れないみたいな、そういう両面があったかな。

——ミュージシャンによっては、「ステイホーム」で逆に録音制作に注ぐ時間が確保できたり、バンドであれば結束力が高まったという人もいましたが、コロナ禍がGEZANにもたらしたポジティブな側面というのはありましたか?

マヒト:うーん、自分達に関しては基本的にブレまくっていましたね。より結束力が高まったということは全くない。アルバムを作ってライヴをするというのは、何かを歌って何かがメッセージになるということが半分で、もう半分は言葉にできない衝動みたいなものを言葉にできないまま叫んだり掻き鳴らしたりする中で、自分の中にいる怪物みたいなものと対峙していたようなところがあって。この2つが共存していた。メッセージは音源制作でも、それこそSNSでも発信できるんだけど、ライヴがなくなったことで自分の中にある狂気や衝動との向き合い方がわからなくなってしまった。だからブレたんです。

でもそれがポジティブな面でもあるというか、さっき言ったように、そのことがいかに大事か、改めて自覚することができた。だから映画(『i ai』)を作ろうと思ったところもあります。映画は時代の設定さえ変えてしまえば嘘がつけるから、「10年前の設定ですよ」と言ってしまえばライヴもモッシュもできる。「全感覚祭」ができない中で、噓をつけるというファンタジーのあり方に救われたんですよね。コロナが来て最初の頃は本当に、このままライヴは二度とできない世界になっていくんじゃないかという怖さもあったので、ちゃんとその時の記憶を記録しておく必要はあるなと。だから映画を製作することができたのは良かった面の1つなのかもしれないです。

——確かにフィクションの世界であればライヴができますよね。そもそもなぜ人が集まれなかったのかと言えば、もちろん感染拡大を防ぐためであり、ライヴハウスが閉鎖していたからではありますけど、それと同じくらい大きかったのが「不安の感染」(西田亮介)とでも言うべきものでした。つまり、たとえ感染のリスクがゼロであろうと、集まること自体に批判が集まってしまっていた。

マヒト:ギター背負って電車に乗るだけで舌打ちとかされましたから(笑)。やっぱり学校のイジメの構造と一緒で、何か攻撃対象を設定してそこに負のエネルギーを向けてしまう。それはイジメられる子が何かをやったからではなくて、特に何もやっていなくても、そういう構造自体を求めてしまうところがあるというか。大人達が暮らす人間社会そのものにイジメと同じ構造がある気がします。それであの時期にはライヴハウスが槍玉に挙げられた。でも、そうしたライヴハウスでのコミュニケーションがやっぱり自分を生かしてきたし、そのことをより自覚できるようになったから、意地でも取り返そうとは思っていました。

それとコロナになってからは、バンドメンバーが脱退していなくなったり、身近な人が亡くなってしまったり、そういうことがたくさん起きたんです。コロナだけが原因ではないですけど、そういった喪失とどう付き合っていけばいいんだろうと思うきっかけにはなりました。あのコロナ禍の静寂が。今は幸いにも自分は何かを残すことができる仕事にいるから、音楽に限らずいろんな手段を使って残していかなければいけないよなと。

「まずは現実と同じだけ歪む」

——振り返ると2020年代の幕開けというのは、実はコロナではなくて米軍によるイランの国民的英雄ソレイマニ司令官の爆殺から始まりましたよね。当時は第3次世界大戦の危惧も囁かれました。それからパンデミックになり、BLMが世界的に広がり、汚職まみれの東京五輪、さらにウクライナとロシアの戦争、安倍晋三元首相の銃殺等々、目まぐるしいほどに現実が変わっていっています。いわゆるオルタナティヴな音楽というのは、そうした現実における常識や足場がいつでも崩れ去ってしまうもろいものだ、ということと向き合い続けてきた音楽とも言えますが、実際に常識が通用しない世界に突入していった時、その現実はどのように受け止めましたか?

マヒト:一緒に混乱するしかない、まずはチューニングを合わせるために同じだけ歪まなきゃいけないとは思っています。もともと「純粋」という言葉は美徳とされてきましたけど、もう今は私はそんなの綺麗な言葉とは思わなくて。例えば「純日本人」と言った途端、「純粋」は差別の世界でも使われる言葉になりますよね。潔白で何の染みもなく、一点の曇りもない、みたいなことは綺麗でもなんでもなくて、本当はいろんなレイヤーが絡まって編み込まれている。そういう複雑なものと対峙する時に、やっぱりこちら側も混乱していないとチューニングが合わないなと。真っ直ぐな表現が正解だとは全く思っていなくて。

抽象的な言い方になってしまうけど、「まずは現実と同じだけ歪む」ということは、この時代に表現することの絶対条件だと思う。頭の中で記号的にいろんなものを組み合わせて自分の世界を作る、ということを多くの人はやっていると思うんですけど、そうじゃないなと。どうにかして現実と対峙しなければいけない。少なくとも言えるのは、何か1つの強い光で1色に染め上げるみたいなことは今やとても暴力的ですよね。「一点突破するのが男だ」みたいなことが美徳とされていた時代もあったわけじゃない? もうそういう力の時代じゃないんですよ。

私、馬が好きなんです。それで馬についていろいろ勉強することもあるんですけど、馬って群れになると必ずリーダーを作るんですよ。でも馬の群れでは、体が大きくて力があるヤツがリーダーになるんじゃなくて、一番足が速いヤツがリーダーになる。要は肉食動物に襲われたり何か危険が迫ったりした時に、一番初めに逃げ出せるヤツをリーダーにするんです。だからドナルド・トランプみたいなものとは真逆(笑)。さっき仰っていたように今は本当にいろんなことが立て続けに起きていて、ぐちゃぐちゃな世の中で、ある意味で有事とも言えますけど、そういう時に一番初めにちゃんと怯えて、ちゃんと混乱できて、逃げ出せるヤツをリーダーにするというのは、男らしい一点突破の力の美学とは真逆ですよね。そういう感覚はすごい重要だと思います。

——『狂(KLUE)』のリリース後にそうした混乱したいくつもの現実に直面していくことになりましたが、次のアルバムを出そうというのはどういう経緯で始まっていったのでしょうか?

マヒト:カルロスが抜けた次の日にはもう、Million Wish Collectiveの原型でスタジオに入り始めていました。何かが手放されて消えていく時は、その空いた手でまた次の何かをつかむように入れ替わる時だとも思っているんですね。もちろん感情的にはすごく悲しかった。けれど同時に、一歩前に出て動くと必ず出会いが待っていると考えていて、とりあえずこれを機にメンバー全員で新しい楽器をやろうぜ、みたいな。それでタカはバグパイプを見つけて、私はトランペットを手にし、ロスカルは自転車を(笑)叩いたりし始めた。カルロスが抜けると決まって発表した次の日にはもう練習を始めていたんです。

出会いと別れというのは同じ数になるように設定されていると思うんですよ。というか実際に、出会ってきたものはすべて、最後は自分がいなくなることで必ずお別れになる。この数はどっちの方が多いということはなくて、必ず決まっているから、大きなものが離れていった時は必ずまた大きなものに出会う。それは今までの経験からしてもそうなんです。だから悲しい気持ちはありつつ、出会いの準備はもうスタートしようと。その意味ではカルロスが抜けた瞬間にもう次のアルバムを作ろうとは思っていたかな。

——新しい楽器を始めると言っても、バグパイプを吹き始めるのは珍しいですよね。

マヒト:最初に会った時からそうだけど、タカも腹の中に変な怪物を飼っているから、とにかく汗をかきたいという物理的な理由もあったんだと思います。でもバグパイプってよく聴くとすごく政治的な音がしますよね。祝祭みたいな時にも鳴らされるし、軍歌でも鳴らされるし。すごい楽器を引いたなと私は思ってる。必然的だなとも。

完璧になり切れない不完全さの記録

——新たな出会いとしてヴォイス・アンサンブルのMillion Wish Collectiveと組み、2021年のフジロックフェスティバルで初披露されました。なぜ「声」をテーマにしていったのでしょうか?

マヒト:コロナ以降、一番良くないものとされていたのが、大人数で集まることと声を出すことだったじゃないですか。フジロックのレッドマーキーが初ライヴだったんですが、ステージ上がその禁止されている2つで満たされた状態になったんですよね(笑)。でも、声って本当に多様だと思います。学生時代、「変な声だね」とか言われることもあったけど、良い声も悪い声も全然ないなと思っていて。世の中的に便利な声とか、都合のいい声、心地いいとされている声というのはあるかもしれないけど。だとしても、私はもうずっとこの声で生きてきたわけだし、何かを誰かに伝える時も全部この声が背負ってきたわけで、そういうものを肯定できないと嘘だなと。

最近は特に、歌をレコーディングするとピッチを修正したりノイズを除去したりして、とにかく綺麗に仕上げますよね。確かに自分の声も歪んでいるところもありますけど、それはその声自体が持っている複雑さなのであって、それを生産性があるかどうかみたいな基準で削ってしまうことはおかしいんじゃないかなって。写真もレタッチされたものばかり。芸能人がホクロを消したり残したりしているのを見ると、なんかすごい世界だなと。もう自分達が見ているものが写真なのか合成画像なのかわからないですよね。Instagramにもアプリで綺麗に加工した写真が溢れてる。

問題なのは、綺麗なモデルの写真というか合成画像を見た子達が、鏡で自分の姿を見て「私はなんて醜いんだろう」と思ってしまうこと。そうやってコンプレックスをあおることで、もっと化粧品を買おう、整形にお金をかけようと、資本主義に繋げて加速させる動きがいろんなところに仕込まれている。それは歌の世界にも同じようなことがあると思うんです。楽器の音でもそう。バンドと銘打っているけど打ち込みと変わらないみたいなね。例えばドラムであれば、揺らぎや衝突、そこで叩いていたという痕跡や息づかいがあるわけで、正確な位置にスネアやバスドラがくればいいわけじゃないですから。なのに、そつのないギターとベースがきて、機械でも歌えるような歌がきてしまう。

でも本当は歪んだ声の方にその人の痕跡があるわけですよ。だから自分は一旦そういう声をちゃんと肯定したい、と思ったことがMillion Wish Collectiveに繋がっていったかな。そもそもMillion Wishのメンバーは声が良いから選んだわけではないですから。実際に声を出してみて「あ、意外と歌えるのか!」と驚くこともあった(笑)。

——前作のように、ヴォイスの録音をいくつも重ねてループさせることで合唱を作るやり方もありますし、今作でもそうしたコラージュ的な面白さを聴かせる楽曲もありますが、それよりもまず、多様な声というものがあったと。

マヒト:そうですね。霊性と言われるようなものだと思います。写真とかを見ていてもそうですが、撮影当時の時代の匂いが焼きついていて、ちゃんと過去になる作品が好きなんですよね。多くの表現は永遠を目指していて、何かしらそのことを意識しながら制作していますけど、私はちゃんと古くなることを大事にしたいなって。歌もバンドも、レコーディングでは追い込んで完璧を目指すんだけど、完璧になり切れない不完全さみたいなところが重要だし、好きな部分なので。というか、そもそも他者と関わるってそういうことだと思うんです。もちろんアルバムを作る時は音楽だから取捨選択はしますけど、そういう「気配」みたいなものをどうしたらパッケージに残せるのか。しかもただのドキュメントという形じゃなくて、ファンタジーの切り口の中にどうしたら残せるか、というのはテーマでしたね。

だから『あのち』は、5年後、10年後に聴き返した時に「ああ、懐かしい」って思うはずですよ。声もそうだし、その時に関わっていたことも含めて。古くなるということは過去になっていくことですけど、同時に、そういうちゃんと古くなったものが未来的な輝きを放つこともあって、時間は一方向に流れていくだけじゃないんですよね。特に今、ネット上にアーカイヴとして残る時代はなおさらそうなんじゃないかな。時間が双方向に開かれている、ということがどんどん明るみになっている感じはすごく楽しい。逆に言うと、誰もやったことがない未来的なことは全然求めていないんですよね、自分は。

後編へ続く

Photography Yuki Aizawa

■『あのち』
リリース日 : 2023年2月1日
フォーマット : CD/デジタル
価格:(CD)¥3,300
TRACKLIST
1. (い)のちの一つ前のはなし
2. 誅犬
3. Fight War Not Wars
4. もう俺らは我慢できない
5. We All Fall
6. TOKYO DUB STORY
7. 萃点
8. そらたぴ わたしたぴ(鳥話)
9. We Were The World
10. Third Summer of Love
11. 終曲の前奏で赤と目があったあのち
12. JUST LOVE
13. リンダリリンダ
https://gezan.lnk.to/ANOCHI

■あのち release BODY LANGUAGE TOUR 2023
2023年1月27日 東京・渋谷 WWW X
2023年2月1日 北海道・札幌 Sound lab mole
2023年2月25日 静岡・浜松 FORCE
2023年3月2日 愛知・名古屋 CLUB UPSET
2023年3月4日 大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2023年3月18日 福岡 LIVEHOUSE CB
2023年3月19日 広島 4.14
2023年3月21日 岡山 YEBISU YA PRO / WITH Age Factory
2023年3月31日 神奈川・横浜 F.A.D YOKOHAMA / WITH 崎山蒼志
2023年4月2日 埼玉HEAVEN’S ROCK 埼玉新都心VJ-3 / WITH 君島大空トリオ
2023年4月18日 東京・中野 サンプラザホール
https://gezan.net/live/

author:

細田 成嗣

1989年生まれ。ライター、音楽批評。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。国分寺M'sにて現代の即興音楽をテーマに据えたイベント・シリーズを企画、開催。 Twitter: @HosodaNarushi

この記事を共有