ハシム&アキコ・バルーチャ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ハシム&アキコ・バルーチャ/ Tue, 15 Feb 2022 12:41:49 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png ハシム&アキコ・バルーチャ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ハシム&アキコ・バルーチャ/ 32 32 LAから日米エレクトロニック/オルタナティヴ・シーンをつなぐ夫婦ユニット、ハシム&アキコ・バルーチャ インタビュー後編 https://tokion.jp/2022/02/06/interview-hashim-and-akiko-bharoocha-part2/ Sun, 06 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=94886 カルロス・ニーニョやTENTENKOら総勢21名の日米アーティストが集結した『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』の企画・監修を務めたハシム&アキコ・バルーチャにインタビューを実施。後編は参加アーティストらに思うことやLAシーンの現在、これからの展望を語る。

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2006年に東京からLAに移り住んだハシム&アキコ・バルーチャは、それぞれライター/翻訳家、フォトグラファー/ヴィジュアル・アーティストとして活動しながら、2人で音楽レーベル「Plant Bass Records」の主宰やイベントの企画・運営、ユニット・SunEyeとしてのDJや音楽制作なども行う夫婦ユニット。カルロス・ニーニョやマーク・フロスティ・マクニールらLAのキーパーソンとも交流を持つ2人は、現地で日本のテクノポップやレアグルーヴをフィーチャーしたイベントを主催するなど日米のシーンをつなぐ媒介者としての役割も果たしている。

そんな2人が企画・監修したコンピレーション・アルバム『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』が、この1月にリリースされた。日米から総勢21名のアーティストたちが集結した今作のリリースを機に、「TOKION」は2人にインタビューを実施。東京にいた頃のことや渡米の理由、今作の制作背景などが語られた前編に続く今回は、参加アーティストのカルロス・ニーニョやサム・プレコップ、山口美央子&松武秀樹やテンテンコらについてキュレーターとして思うところや、LAシーンの動向、現在地について。

日本からは山口美央子&松武秀樹、小久保隆やTENTENKOらが参加

V.A.『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』
V.A.『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』

――ここからは『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』の参加アーティストと楽曲について伺っていきたいと思います。今作のイントロとアウトロは、お2人のユニットであるSunEyeと、IMAという「4歳のブルックリン出身の新人アーティスト」の共作曲です。IMAというアーティストと、楽曲の制作プロセスについて教えてください。

アキコ・バルーチャ(以下、 アキコ):IMAくんはハシムの甥っ子で、今回参加しているYOKUBARI(ヒシャム・バルーチャ)の息子です。曲に参加してくれた時は、IMAくんはまだ3歳で、その可愛い声を「Kumoko Daisuki」と「Kumoko Outro」の2曲の中で封じ込められたのは宝物だと思っています。KUMOKO第一弾のコンピレーションでは、今作に参加しているターン・オン・ザ・サンライトことジェシー・ピーターソンとミア・ドイ・トッドの長女イネズの声が、冒頭とエンディングを飾っています。KUMOKO cloudchildシリーズでは、必ず子供の声をイントロとアウトロに入れるコンセプトにしているのですが、みんなの中にあるインナーチャイルド、子ども心を忘れないでいてほしい、という想いが込められています。

ハシム ・バルーチャ(以下、 ハシム) :IMAくんが参加しているイントロとアウトロの曲は、モジュラー・シンセで音作りをしました。コロナ禍になってから、自宅で時間を過ごすことが多くなったので、LAでもハウスプラントがブームになり、プラントショップはどこも一時期は長蛇の列になってました。私たちも一時期LAにあるさまざまなプラントショップに通うようになって、家の中が植物だらけになりました(笑)。そんな中で、モジュラー・シンセと植物を繋げて、植物からのバイオフィードバック・データを音に変換できるモジュールがあることを知り、それを入手してこの曲で使いました。このモジュールでは、植物が音階を演奏できるように設定できるんですが、この曲の幻想的なメロディは、本当に家にあったスネークプラントなどの植物が演奏しています。つまりこの2曲は、人間と植物と機械のコラボですね。

――山口美央子さんと松武秀樹さんの共作曲、小久保隆さんの楽曲が収録されています。お三方のこれまでの作品・活動についてどのように見てきたか、また、日本のシンセサイザー・ミュージック、アンビエント・ミュージックの世界的な(再)評価について思うことなどをお聞かせください。

ハシム:SunEyeとして二人でDJをするようになってから、それこそYMOだったり、山口美央子さん、松武秀樹さんが関わった曲をプレイしていたので、その流れで僕らのネットラジオ番組SunEye Radioで、彼らのような偉大なアーティストにインタビューすることができて、たくさんの刺激を受けました。同時期に、YouTubeから世界的に日本のシティポップがブームになり、そこから派生して日本のシンセ・ポップス、環境音楽、アンビエント、ジャズまでも海外のリスナーから注目されるようになって、さまざまなコンピレーションもリリースされるようになりました。

さらにコロナ禍になってからは、やはり癒やしを求めている人が多いせいか、世界中からYouTubeなどで日本のアンビエントを聴いている人が増えたみたいで、僕も毎日のように小久保隆さんの『Ion Series』などのアルバムを聴いている時期がありました。小久保隆さんの90年代の『Ion Series』や、吉村弘さんの作品など日本の環境音楽は、YouTubeで再生回数が数百万回を超えてますけど、LAでも日本のアンビエントに影響されたと公言するアーティストは多いです。日本人特有の自然を大切にする感覚や、エゴを感じさせない流麗なサウンドが、日本のアンビエントが世界的に評価されるきっかけになったと思います。LAのシーンで「アンビエント・ポップ」というジャンルが流行ってますが、山口美央子さんは『月姫』などの作品で既にそれを何十年も前に形にしていて、今の時代生とぴったりハマっています。

――TENTENKOさんは、アイドルを出自としながらアンダーグラウンドシーンでカッティングエッジな活動・リリースを展開しており、昨年3月にはドイツのTALからEPもリリースしました。彼女のアーティストとしての魅力や、今作の楽曲を聴いて感じたことをお聞かせください。

アキコ:TENTENKOのことは、Bisに入っていたことは知らずに、たまたまYouTubeで「Good bye, Good Girl」のミュージックビデオを見て、曲、映像、歌詞もすごいなと感心し、シティポップ系の新しいアーティストだと思っていました。私たちがdublabのイベントやクラブで、昔のシティポップと「Good bye, Good Girl」をミックスしてプレイすると、アメリカ人の女の子が突然踊りだしたり、反応がいつも良いんですよね。そこから、TENTENKOのより実験的なサウンドも知って、独自のセンスやアウトサイダー的な感覚に共感できましたし、さらに好きになりました。今回の『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』のために作っていただいた曲を聴いた時は、KUMOKOが竜巻から飛び出して、黒雲の中を走り回っているようなイメージが浮かびました。TENTENKOの声も入っているんですが、まるでKUMOKOの声のように聴こえてきて、そこにもグッときましたね。TENTENKOは、カワイイだけにとどまらず、彼女が作る斬新な曲には、独自の鋭さがちゃんと反映されていると思います。

TENTENKO
TENTENKO

ハシム:以前から南波一海くんと交流があったんですが、僕らがアメリカに来てから彼がアイドル界で有名なライターになっていることを知って驚きました。南波くんにTENTENKOの連絡先を教えていただいて、今回の参加が実現したんですけど、僕が日本でリアルタイムで経験したような実験音楽、ノイズのカルチャーをTENTENKOが受け継いで、新しい感覚で表現していると思いましたし、彼女の音楽からは一種の懐かしさと新鮮さを感じています。

カルロス・ニーニョやジャメル・ディーンらLAシーンを象徴するアーティストたち

――ヒップホップやジャズ、エレクトロニックなどジャンルを横断しながら、プロデューサー/アーティスト/DJ/オーガナイザーなどさまざまな立場から音を紡ぐカルロス・ニーニョは、近年のLAシーンを象徴するアーティストの1人だと感じます。お2人は彼の活動をどのように見てきましたか?

ハシム:カルロスは、もともとdublabや地上波のラジオ番組のDJとしてLAでは有名だったんですけど、本当にジャンルレスなDJプレイが昔から大好きでした。彼は昔からLAのジャズ・ミュージシャンの作品をプロデュースしたり、ビルド・アン・アークとしても活動したりしていたし、いち早くLAでニューエイジ・ミュージックやアンビエントをプレイして、流行らせた先駆者でもあると思います。今では、パーカッショニストとしても大活躍していて、ジャメル・ディーンのような若手から、ネイト・マーセロー、Pan African People’s ArkestraのようなLAのベテランとも共演しているので、一人のミュージシャンとしての進化も目覚ましいです。

カルロス・ニーニョ
カルロス・ニーニョ

今回カルロスが提供してくれた曲には、今LAのジャズ界で最も注目されているピアニスト、ジャメル・ディーンと、ジャイZ、リゾなどにヒット曲を提供したことでも知られるネイト・マーセローが参加しているので、かなり豪華なメンツの曲です。

アキコ:私はスポークン・ワードで、カルロスの『Aquariussssss』の「Trance Elation of Transformance」という曲に参加させてもらったり、雑誌の取材で彼の写真を撮ったり、公私共に縁の深い人です。カルロスは、アーティストとしてだけではなく、人間としても魅力がありますし、愛があってピースフルな人です。いつも顔を合わせていなくても、どこか心で繋がっている感じがします。

――Jira ><は、先日本名のジャメル・ディーン名義でリリースしたアルバム『Primordial Waters』でもその二面性が表現されていましたが、ヒップホップ/ビートミュージックとジャズをモダンなセンスを持って行き来する若手アーティストです。LAの音楽シーンにおける彼の立ち位置や魅力について教えてください。

Jira >< / ジャメル・ディーン
Jira >< / ジャメル・ディーン

アキコ:何年か前に、ハリウッドにある小さなギャラリーで行われた、カルロス・ニーニョのライブを見に行ったんですけど、その時にジャメルがピアノを弾いてました。当時、彼はまだ20歳くらいだったんですけど、すごく才能あるなーと思ってその時から注目してました。彼はニューヨークにある名門ジャズ大学のニュースクールの出身なんですが、ジャズ・ピアニストとして天才的な演奏ができる一方で、ビートメイカーとしてJira ><という名前でトラックを作ったり、ラップもやっていて、新進気鋭のアーティストです。私たちの想像を超える素晴らしい曲を提供していただきました。彼はソロでJira ><として楽曲を提供してくれただけではなく、カルロスの曲にも参加しています。

ハシム:ジャメルが日本でリリースしたアルバムのライナーのために僕は何度かインタビューしていますが、20代前半の青年というよりかは、80歳の長老に話しているかのような、あらゆる分野において博識な人です。彼はサウスLAの、ラマート・パークというLAのジャズの聖地として知られているエリアで育っていて、LAのジャズ・シーンの重鎮であるPan Afrikan People’s Arkestraのメンバーと幼少期から学び、大学までどっぷりジャズの教育を受けながらも、ヒップホップとかエレクトロニック・ミュージックも同一線上で影響を受けているまさに新世代のジャズ・ミュージシャン。彼は、ピアノを演奏することも、ビートを作ることも、ラップをすることも、基本的に同じで、「ブラック・ミュージックは定義づけられるものではない」と話していたのがとても印象的でした。彼はコンピのために、ビートを提供してくれるのかと思ったら、そこでまた意表を突かれて、アンビエントを作ってきたので、いい意味で期待を裏切られました。

マニー・マークらベテラン勢が現在のシーンに残したもの

――マニー・マーク、ジョン・テハダ、サム・プレコップら、ジャンルを超えたベテラン勢の参加も目を引きます。彼らが築き上げてきたもの、切り開いてきたものは、後続アーティスト、シーンにどのような影響を与えていると思いますか? 

ハシム:マニー・マークが来日する時は、僕が通訳やライターとして仕事をすることが多くて、おそらく20年くらい前からの関係です。LAに引っ越して、彼のスタジオが僕らの家のすぐ近くにあることを知り、いろいろな現場や、スーパーでも顔を合わせることが増えました(笑)。マニー・マークは、ビースティー・ボーイズやジャック・ジョンソンなどの大物との共演で知られていますけど、彼は「宅録」で作品を作り上げる美学をソロ活動で何十年も前から実践していて、それは今のビートメイカーや、インディーズ音楽の制作全般に多大な影響を与えていると思います。しかもマークは今も新世代のアーティストとコラボをやっていて、新しい学校のリーダーズの新作をLAで制作したり、自身の美学を保ちながらも、最前線のサウンドを作っています。いつも予想外のことをする人ですが、今回コンピレーションのために作ってくれた曲がピアノ・アンビエントだったので、またもや僕らの想像を超えてきました(笑)。

マニー・マーク
マニー・マーク

アキコ:マニー・マークは、あらゆる枠に収まらない、私にとっては人間的にも、音楽的にも永遠におもしろい人です(笑)。サム・プレコップは昔、ジャパン・ツアーをした時に、私たちが住んでいた東京の下北沢の家に遊びに来てくれました。彼はレイ・バービーと同じく、いつもライカのカメラを持ち歩いてストリート・スナップを撮ってました。サムとレイ・バービーは、音楽、写真、ビジュアル・アートも同時にやっていて、私たちも音楽もビジュアル・アートもやっているので、そういう意味でも昔から共感しています。

ハシム:サム・プレコップは、ザ・シー・アンド・ケイクのボーカリスト、ギタリストとして、その甘い声と独特のギターの演奏で知られていましたが、彼らのジャパン・ツアーのコーディネートをしていたので、かなり昔からの関係です。サムはその後、モジュラー・シンセを操るエレクトロニクスのソロ・アーティストとしても注目されるようになり、コンピレーションのテーマとピッタリの音楽性だったので、久しぶりに連絡をしてみたら、オファーを快諾してくれました。今回彼が提供してくれた曲も、彼の独特のメロディの世界観とモジュラー・シンセが融合しています。

サム・プレコップ
サム・プレコップ

アキコ:ジョン・テハダのことは昔から知っていて、私たちがアメリカに引っ越す前に日本で仲良くなって、彼のお母さんに、アメリカに移住する時にだいぶ助けていただきました。彼は大学で教えてもいて、彼を取材したついでに、モジュラー・シンセについていろいろと教えていただきました。

ハシム:ジョン・テハダが日本でライヴをやった時に仲良くなったんですけど、今はテクノのアーティストとして有名ですが、ウィル・アイ・アムが昔やっていたアットバン・クランをプロデュースしたり、実はLA初期のヒップホップ・シーンに関わっていたことを知って驚きました。彼の音楽には、ヒップホップ、テクノ、ハウスなどあらゆるタイプのエレクトロニック・ミュージックの要素が反映されています。彼が提供してくれたトラックは、テクノっぽいフレーズなんですけど、ビートレスなところが面白くて、『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』のストーリーにぴったりでした。

――その他、今作において注目すべきアーティスト、トラックについて教えてください。

アキコ:例えばBOY DUDEは、彼の「Cassette for You」をよくDJの時にプレイしていて、今回の『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』に彼の曲を取り入れたら世界観が広がるのではないかと思って声をかけたら、80年代っぽいファンク・サウンドでKUMOKOを表現してくれて感動しました。

ハシム:r benyは、北カリフォルニアのモジュラー・シンセを使っているエレクトロニクスのミュージシャンですが、彼が提供してくれた曲は、自然を感じさせるサウンドでありながら、聴いているだけで精神が溶けていくような極上のアンビエント・サウンドです。レイ・バービーはギタリストとして知られていますが、彼のギタリストではないエレクトロニクスの一面を見せてくれたのが良かったです。ジェレマイア・チュウは、LAのモジュラー・シンセ・シーンを代表するアーティストですし、YOKUBARIはレイヴっぽいトラックを提供してくれて驚かされました。ロブ・マズレクはトランペット奏者のイメージが強いですが、モジュラー・シンセで作ったノイジーなトラックが、彼のアブストラクトな絵画とリンクします。ラッキー・ドラゴンズはアートと音楽を融合させた活動で知られていますが、彼らのトラックにもそのアプローチが反映されています。瀬川英史さんと岩城由美さんは、日本の映画やテレビ業界で活躍している作曲家ですが、以前はLAに住んでいて、モジュラー・シンセのアーティストとしても注目されています。Leaving Recordsのオーナーであるマシューデイヴィッドとパーカッショニストのブリンがコラボ曲を提供してくれましたが、マシューデイヴィッド周辺のオールジャンルなシーンは、まさに今のLAを象徴していると思います。

アキコ:XLミドルトンは、LAのモダン・ファンク・シーンを代表するアーティスト。ライブをする時は、ショルダーキーボードを使ったり、オリジナリティがありながら、エイティーズの要素を感じさせて、格好いいんですよね。彼は日本のシティポップにも詳しくて、Salt Box Recordsというレコード店をLAのチャイナタウンで経営しているんですけど、今回提供してくれた曲も、どこかシティポップっぽくてクールです。彼とは今後もコラボレーションを予定しています。ターン・オン・ザ・サンライトの曲には、ブラジルのタルマというシンガーと、鹿野洋平さんが参加していますが、まるで昭和のアニメ・ソングのような楽しさがあって、子どもたちが踊りたくなるような曲です。

SunEyeの曲で私は今流行りのAuto-Tuneを使って歌っています。主にヒップホップで使われているエフェクトですが、地声を使うと現実に引き戻される感覚がしたので、声を変化させながら、日本語と英語で歌いました。KUMOKOというキャラクターとAuto-Tuneの組み合わせは意外かもしれないですが、遊び感覚で歌声をAuto-Tuneで試してみたらしっくりきたので、KUMOKOへのラブソングが完成しました。

SunEye “Yummy Cloud” Lyric Video From ELECTRONIC KUMOKO CLOUDCHILD

LAシーンの現在とこれからの展望

――お2人は、さまざまな立場・角度から、日本とアメリカのエレクトロニック~オルタナティヴシーンにコミットされ続けています。日米のシーンの違いやそれぞれの魅力はどんなところだと感じていますか? また、今注目している動きはありますか?

アキコ:LAのエレクトロニクスやインディー・シーンでは、小さいコミュニティではありますが、ギャラリーだったり、公園みたいな場所を使って、リラックスした雰囲気の中でイベントを開催しているのが、今のLAらしい動きです。

ハシム:LAのシーンではアーティスト同士がサポートし合っているところがあって、そのおかげでこのコンピが実現したと思います。LAではさまざまなシーンのアーティストが常にコラボレーションをして、新たな化学反応が起きているところも興味深いです。日本は、海外にインスパイアされながらも、それを取り入れて新しい音楽を生み出していると思います。最近のシティポップや環境音楽の流行りもそうですが、日本から生まれた音楽が、逆に海外に影響を与えていることもあります。

――新型コロナウイルスのパンデミックは、LAの音楽シーン、お二方のご活動にどのような影響を与えましたか? 現在の状況や、今後の見通しなどについて教えてください。

アキコ:パンデミック中は、世界中どこもそうだったと思いますが、アメリカでもイベントがだいぶ減ってアットホーム時間が増えた分、私たちは『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』の制作に集中することができたと思います。このような時代だからこそ、KUMOKOのような存在に価値があるのでは、と直感が働きました。空と雲はどこまでもつながっています。このコンピレーションを通して、国や人種が違っていても、音楽を通してつながりたいという想いが込められています。風の時代に入ったと言われていますが、新風に乗ってKUMOKOが戻って来たと私は捉えています。

――お2人の今後のご予定や、見据えていることについて教えてください。

アキコ:KUMOKO cloudchildはのんびりペースではありますが、雲が形を変えて流れていくように、次回のKUMOKOもテーマを変えて数年後に戻ってくると思います。これは利益優先よりも、クリエイティブを追求しているプロジェクトなので、子供心をいつまでも忘れずに、楽しみながら続けていけたらと思っています。

ハシム:今後はSunEyeとしての作品に力を入れながらも、Plant Bassのレーベルとしての活動を広げていきたいと思います。

ハシム・バルーチャ、アキコ・バルーチャ
2006年に東京からLAに移住。ハシムはライター/翻訳家、アキコはフォトグラファー/ビジュアル・アーティストとして活動しながら、レーベル「Plant Bass Records」主催、イベント運営、DJ、音楽制作など多岐に渡る活動を2人で行っている。インターネットラジオ局dublab.では番組「SunEye Radio」を担当し、YMO、矢野顕子、大貫妙子など、多数の豪華ゲストのインタビューを公開中。
KUMOKO Twitter:@kumokosays
SunEye Twitter:@suneyemusic
Plant Bass Records Twitter:@Plant_Bass

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LAから日米エレクトロニック/オルタナティヴ・シーンをつなぐ夫婦ユニット、ハシム&アキコ・バルーチャ インタビュー前編 https://tokion.jp/2022/01/28/interview-hashim-and-akiko-bharoocha-part1/ Fri, 28 Jan 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=93187 カルロス・ニーニョやTENTENKOら総勢21名の日米アーティストが集結した『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』の企画・監修を務めたハシム&アキコ・バルーチャにインタビューを実施。前編は東京からLAに移り住んだきっかけや、今作の制作背景について。

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2006年に東京からLAに移り住んだハシム&アキコ・バルーチャは、それぞれライター/翻訳家、フォトグラファー/ヴィジュアル・アーティストとして活動しながら、2人で音楽レーベル「Plant Bass Records」の主宰やイベントの企画・運営、ユニット・SunEyeとしてのDJや音楽制作なども行う夫婦ユニット。

そんな2人が企画・監修したコンピレーション・アルバム『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』が、この1月にリリースされた。2016年にリリースされた『KUMOKO』の続編となる今作には、総勢21名の日米アーティストたちが集結。アメリカからはカルロス・ニーニョやサム・プレコップ、マニー・マークら、そして日本からは山口美央子&松武秀樹、小久保隆、テンテンコら豪華多彩な面々が、SunEye=ハシム&アキコの考案した「KUMOKO」という架空のキャラクターにインスパイアされた楽曲を紡ぎあげた。日米のエレクトロニック/オルタナティヴ・ミュージックが交錯する今作のリリースを機に実施した2人のインタビューを、前後編の2回に分けてお届けする。前編となる今回は、雑誌「FADER」への参加など日本・東京で活動していた頃のエピソードや渡米した理由、今作の制作背景について。

90年代後半からゼロ年代の東京の音楽シーン、LAに渡り見えてきたこと

――日本にいた頃を振り返った時に印象に残っていることや、現在拠点としているLAに移住を決めたきっかけや理由について教えてください。

ハシム・バルーチャ(以下、ハシム):僕は日本で大学を出てから、HEADZ(編集部注:著述家・佐々木敦が1995年に設立した団体・音楽レーベル)に入って、「FADER」という雑誌(編集部注:1997年に創刊され2005年まで11号にわたり国内外のカッティングエッジな音楽、カルチャーを伝えた)でライターと翻訳家として関わりながらも、フリーランスのライターとしても活動し、アメリカやヨーロッパからのアーティストのツアーの招聘業務にも関わっていました。90年代から2000年代にかけてのHEADZ周辺や東京のアンダーグラウンド・シーンは、世界でも稀に見る雑多性があり、実験音楽からヒップホップ、ポスト・ロックからフリージャズ、アンビエントからノイズなど、世界中のマニアックな音楽を同一線上で吸収できる環境だったので、そこで音楽に対するジャンルレスなアプローチが形成されたと思います。そんなハイブリッドな音楽的アプローチがその後の自分のDJ活動や、トラックメイカーとしてのアウトプットにも反映されました。

また、その時期に、シカゴ、ベルリン、LAなどのアーティストをインタビューしたり、彼らのツアーに同行したりしたことで作りあげた人間関係は、LAに移住してからのライター、プロモーター、レーベル活動にもダイレクトにつながっています。東京に住んでいるときから、LAのインターネットラジオ局Dublabのメンバーや、Stones ThrowなどLAのレーベルとの交流が始まったので、LAに移住すれば、ライターとしていろいろなアーティストの取材がしやすくなったり、DJ活動や、その他の新しいビジネス展開の可能性が広がったりするのではないかと思い、LAに引っ越すことを決断しました。僕は10代までカリフォルニアに住んだ経験があったので、LAに住むことは決めやすかったです。

アキコ・バルーチャ(以下、アキコ):私たちは、LAに移住する前までは東京の下北沢に住んでました。私はその頃はフリーランスのフォトグラファーとしてすでに活動していましたが、クリエイターとして仕事の幅や人脈を広げる意味でも、これはチャンスだと思い、2007年に渡米することに決めたんです。

実際にLAに住んでいて感じることは、やはり表現の自由があるということ。日本だと、どこか枠からはみ出さないことを気にしながら表現する傾向があると思うんですけど、LA在住になってからは、もっと遠慮なく、思いっきり自分を自由に表現してもいいんだ、という意識に変わりました。もちろんアメリカ社会の裏には、人種差別があったり、銃社会の問題があったりと、納得がいかないことも多々ありますが、自由に自分を表現できるという点では、居心地の良さを感じています。

――お2人が主宰するレーベル「Plant Bass Records」の設立のきっかけや経緯について教えてください。

ハシム:2007年にLAに移住した頃は、ちょうどLOW END THEORYというクラブ・イベントやフライング・ロータスをはじめとするビート・ミュージックが大ブレイクする直前でした。このシーンの人たちと自然と仲良くなり、LOW END THEORYのジャパン・ツアーのオーガナイズに自分が関わるようになったわけですが、世界的にもビート・シーンが影響力を及ぼすようになりました。しかし、2018年にLOW END THEORYが終わってから、徐々にLAのシーンはビート・ミュージックから、ジャズ、アンビエント、ニューエイジ・ミュージックにシフトしていきました。現在はコロナの関係もあり、クラブなどの室内のイベントよりも、公園などでのアウトドアのイベントの人気が高まっています。

そんな流れもあったことと、僕らがもともとアウトドアや大自然が好きだったことが融合し、「自然」を意識した音作り、レーベル活動にシフトしたと思います。Plant Bass Recordsを立ち上げたのは、僕らの周りに素晴らしい実験音楽やインプロヴィゼーション・ミュージックをクリエイトしている仲間のアーティストがたくさんいて、それをリリースしたいというところから始まりました。カルロス・ニーニョは、LAのジャズ、インプロヴィゼーション・ミュージック、ニューエイジ、アンビエントにおけるキーパーソンで、彼とは長年仲がいいのですが、彼とファーマー・デイヴのユニットによる『Espacio Especial』を2017年にリリースしました。

カルロス・ニーニョ&ファーマー・デイヴ『Espacio Especial』

また、ジェシー・ピーターソンというミュージシャンがカルロス・ニーニョとやっているターン・オン・ザ・サンライトというユニットとは、ジャパン・ツアーにも同行したことがあって、彼らのアルバム『Warm Waves』もリリースしましたが、どちらも「自然」の要素が色濃い作品です。とにかく、自分たちが聴きたい仲間の音楽をスローペースでもいいので、リリースしていこうというコンセプトのレーベルです。

ターン・オン・ザ・サンライト『Warm Waves』

――お2人のユニットSunEyeでの活動どのように始まったのでしょうか。

アキコ:Plant Bassを立ち上げる前の、2015年ぐらいにSunEyeを結成したのですが、私たちが旅先で経験した自然からのインスピレーションが大きかったと思います。当時、モニュメントバレー、シャスタ山、セドナ、ハワイ、ジョシュアツリーなど数々の自然豊かな旅先をロードトリップなどで訪れて、そこで体感した壮大な大自然の風景の数々や、そこで聴こえてきた自然の音を音楽として表現したいと思い、SunEyeを結成しました。実際、旅先で録ったフィールドレコーディングを作品で取り入れました。私自身は、人間からインスピレーションを受けることよりも、自然からインスピレーションを受けることの方が圧倒的に多いです。LAはビーチ中心のイメージが強いと思いますが、こちらに住んでわかったのが、少し車を走らせるだけで、砂漠や森など、あまり知られていない大自然の風景を体感できるということです。

アメリカに住むようになって、特に身体の健康や、環境問題、動物愛護を意識するようになったのをきっかけに10年前からヴィーガン(完全菜食)になったのですが、アメリカでは菜食主義のことを”plant based”と呼びます。レーベル名は、それにインスパイアされていて、”Plant”が自然界から受けたインスピレーション、”Bass”は低音を意味しているので、Plant Bassがレーベル名として、私たちらしいと思ってつけました。

ハシム:LAでDJをするようになって、他のDJと差別化する意味でも、最初から自分は日本のレア・グルーヴやシティポップを、アメリカや他の国のレア・グルーヴとミックスしていました。それもあって、自分たちがDublabでやっているインターネットラジオ番組SunEye Radioで、YMOの坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんや、松武秀樹さん、山口美央子さん、大貫妙子さん、フォーク界の金延幸子さんなどをインタビューし、日本だけではなく、英語圏のリスナーに向けて、日本の音楽の素晴らしさを発信してきました。僕らのラジオ番組を通して出会ったアーティストとの関係性が、今回のコンピレーションにもつながっています。

■「KUMOKO」というキャラクター、コンピレーションアルバムはいかにして生まれたのか

――今回リリースされる『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』は、2016年にリリースされた『KUMOKO』の続編となります。改めて、両作の根幹に通底するコンセプトと、いま続編を作ろうと思った経緯について教えてください。

ハシム:2011年にマウイ旅行に行った時に、飛行機の窓から美しい雲海を眺めていて、確か僕がふと「KUMOKOというキャラクターを作ったらおもしろいかもね」と言いました。席の前に入っているエチケット袋に、KUMOKOというキャラクターのアイデアをいくつか書き留めて、それをアキコがずっと保管してくれていたんですけど、その時のことはあまり覚えてないんですよね(笑)。

アキコ:そのエチケット袋を持って帰ってきて、2人で相談し、KUMOKOのイメージを膨らませ、私が色鉛筆などでキャラクターを試行錯誤しながら描き始めました。そこで、KUMOKO cloudchildという雲のスピリットが誕生したんですよね。そこからさらにストーリーを2人で広げていき、KUMOKOは空の「大いなる目」から誕生し、雲を使ってアートをクリエイトしたり、空を色鮮やかに染めるという、空の芸術家という世界観が出来上がりました。このストーリーは終わりではなく、まだこれからもいろいろな形で発展させていきたいなと思っています。

ハシム:初めは絵本からスタートさせようという話もしていたのですが、もともとミュージシャンの知り合いや友達が多いので、KUMOKOというキャラクターをテーマに、仲間のミュージシャンに自由に解釈してもらって、音楽として表現してもらったらおもしろいんじゃないか、という話になりました。

アキコ:ちょうどKUMOKO cloudchildの企画を立ち上げた時に、LAで開催されたハローキティの40周年のイベントに行く機会がありました。そこで、ハローキティのデザイナーである山口裕子さんとお話しすることができ、図々しくも「KUMOKOというキャラクターを作っているんです」という話をさせていただいたら、「頑張ってね」と言ってくださって、その言葉がお守りになり、さらにやる気に拍車がかかりました。

ハシム:そこで、今まで関わりのあるミュージシャンの中から、KUMOKOというコンセプトに賛同してくれそうなアーティストに声をかけたら、意外とおもしろがってくれる人が多くて、LA、日本、ベルリン、ニューヨークから25人のアーティストが第一弾の「KUMOKO」コンピレーションに参加してくれました。日本からはACOさん、ボアダムスのYOSHIMIOさん、Chocolat & Akito、ナチュラル・カラミティなどが参加し、ドイツからは、グリッチ系のパイオニアであるOval、LAのエレクトロニクス・シーンのベテランであるDntelやデイデラス、カルロス・ニーニョ、ストリングス奏者のミゲル・アットウッド・ファーガソンなどが参加し、27曲入りのコンピレーションを2016年にリリースしました。

V.A.『KUMOKO VOL.1』

アキコ:初めての試みでしたし、25人のアーティストをまとめる作業は決して楽ではなかったので、そこから5年間くらい次のKUMOKO cloudchildをリリースするまでに十分な充電期間が必要でした(笑)。その間は、Dublabで放送している私たちのSunEye Radioという番組の活動や、LAのZebulonというクラブなどでDJイベントを開催したりしていました。それ以外にも、私はアートのグループ展などに参加したり、他の仕事をしたりしているうちに、あっという間に5年ほど経ってたんですよね。5年間休息している間に、実際にKUMOKOを続けていくべきか考えていたんですけど、せっかく生み出したので、またKUMOKOというコンセプトをのんびりペースでもいいから、長く続けていこうと2020年に腹をくくった瞬間がありました。

ハシム:同時期に、LAではモジュラー・シンセやアンビエントなどの小さな野外イベントが川岸や公園などで開催されるようになり、EDMやメインストリームのクラブ・ミュージックではない、より実験的でカテゴライズ不能で、DIY感が強いエレクロトロニック・ミュージックのムーヴメントが盛り上がり始めました。その後にコロナ禍の時代が訪れて、世界的にアンビエントや日本の環境音楽など、癒やし効果のある音楽への関心が高まって、僕らもそういう音楽にどんどんハマっていきました。

アキコ:そのようなイベントに顔を出していくうちに、自ずと第二弾のKUMOKO cloudchildはエレクトロニック・ミュージックにしよう、という方向性が見えてきました。その頃、私たちのSunEye Radioで、80年代に『月姫』をリリースし、世界的に再評価されている山口美央子さんや、YMOとの活動やシンセサイザー・プログラマーの第一人者として知られる松武秀樹さんを2020年にインタビューする機会があり、その時にぜひ次のKUMOKOのコンピレーションに参加してもらいたいね、と2人で話し合っていました。2年前くらいからテーマの企画を練り、21人のアーティストを絞り込んだわけですが、曲が集まるまでにかなり時間がかかりました。

日米から21名の豪華多彩な面々が集結したコンセプト・アルバム

V.A.『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』
V.A.『ELECTRONIC KUMOKO cloudchild』

――今作には日本とアメリカから総勢21名のアーティストが参加しています。どのような基準やプロセスで人選を決めていったのでしょうか?

アキコ:テーマが「エレクトロニック」だったので、KUMOKO cloudchildというコンセプトを理解してくれて、KUMOKOの世界観をさらに広げて、おもしろくしてくれそうなアーティストに声をかけました。それぞれのアーティストには、「KUMOKOというキャラクターと世界観を自由に想像してもらって、音として表現してください」というお題を投げかけました。

ハシム:声をかけたアーティストは、僕らが個人的に関係性のあるアーティスト、または僕らが純粋にファンのアーティストばかりです。ここ数年の間に、僕らがライヴを見たり、取材をして関係性が始まったアーティストもいれば、昔からの友達もいたり、YOKUBARIは自分の弟だったりするので、幅広い層のアーティストが参加しています。最初はモジュラー・シンセやアンビエントのアーティストを中心に考えていたんですが、「エレクトロニック・ミュージックをもっと幅広く表現しよう」という方向性に自然とシフトして、さまざまなジャンルのアーティストに声をかけました。

アキコ:今回参加したアーティストは意外性のあるコンビネーションかもしれないですが、「どういう風にKUMOKOに色付けをしてくれるのかな?」と思わせてくれるアーティストに声をかけました。アーティストたちから曲が届いた時は、逆にこちらもさらに想像力をかき立ててくれるような意外性のあるサウンドが戻ってきたので、毎回刺激的でした。普段だったら決して交わることのないようなアーティストが集結したことが、このコンピレーションのユニークなところだと思います。

今回のジャケのアートワークも私が描いたのですが、参加アーティストに、曲を作ってもらう前にこのアートワークを見せて、想像力を膨らませてもらいました。アートワークは、第一弾のKUMOKOのイメージを大切にしつつも、音の波動とか波形を視覚的に表現するように心掛けました。音楽と人が国境を越えてつながるというメッセージも入っていて、平和への願いを込めてミサンガ用の糸で描きました。サードアイから出ているレインボーカラーの音波は、モジュラー・シンセのケーブルをイメージしています。

後編に続く)

ハシム・バルーチャ、アキコ・バルーチャ
2006年に東京からLAに移住。ハシムはライター/翻訳家、アキコはフォトグラファー/ビジュアル・アーティストとして活動しながら、レーベル「Plant Bass Records」主催、イベント運営、DJ、音楽制作など多岐に渡る活動を2人で行っている。インターネットラジオ局dublab.では番組「SunEye Radio」を担当し、YMO、矢野顕子、大貫妙子など、多数の豪華ゲストのインタビューを公開中。
ハシム・バルーチャ Twitter:@hashim_b
KUMOKO Twitter:@kumokosays
SunEye Twitter:@suneyemusic
Plant Bass Records Twitter:@Plant_Bass

The post LAから日米エレクトロニック/オルタナティヴ・シーンをつなぐ夫婦ユニット、ハシム&アキコ・バルーチャ インタビュー前編 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

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