ピチカート・ファイヴ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ピチカート・ファイヴ/ Wed, 02 Feb 2022 08:36:56 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png ピチカート・ファイヴ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ピチカート・ファイヴ/ 32 32 Night Tempo × 野宮真貴対談 後編 共作曲「Tokyo Rouge」に登場する女性像から、現在の音楽シーンまで https://tokion.jp/2022/02/02/night-tempo-x-maki-nomiya-part2/ Wed, 02 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=92553 2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。後編は、コラボした「Tokyo Rouge」や「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作背景や、現在の東京への印象などについて。

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2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。後編は、コラボした「Tokyo Rouge」や「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作背景や、現在の東京への印象などについて。

1980年代から1990年代にかけての東京のカルチャーは、どんな輝きを放っていたのか。なぜ今それが国境を超えて再び注目を集めているのか。

そんなテーマをもとに、日本とアメリカを中心に活動する韓国人プロデューサー/DJのNight Tempoと“元祖・渋谷系の女王”こと野宮真貴による対談を行った。

後編では、Night Tempoが新アルバム『Ladies In The City』で野宮真貴をフィーチャーした楽曲「Tokyo Rouge」、リミックスを手掛けた「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作や、2020年代以降の東京について感じるについて話を聞いた。

前編はこちら

90年代の都会に住む女性を描いた「Tokyo Rouge」

――Night Tempoさんが野宮真貴さんとコラボしようと思ったきっかけは?

Night Tempo:『Ladies In The City』というアルバムは80年代から90年代までの時代が1つのコンセプトになっているんですが、野宮真貴さんは、自分にとって、その時代のおしゃれ音楽の“総理大臣”なんです。野宮さんがいないと、このアルバムの世界観がまとまらない。アルバムを作るにあたって、最初に野宮さんにお願いすることを思いつきました。

――共作曲の「Tokyo Rouge feat. 野宮真貴」はどういう風に作り始めたんでしょうか?

Night Tempo:この曲は野宮さんにオファーできると聞いて、こういう機会を逃しちゃいけないと思って作りました。これまで自分の人生で我慢して損したことがたくさんあったので、今はやりたいことがあったらそのまま意見を出すことにしていて。確信が無かった段階から曲を書いていたんですけれど、オファーを受けてくれなくても粘るつもりでした。

――歌詞は野宮さんが書かれたわけですが、どういうやりとりがあったんでしょうか?

野宮真貴(以下、野宮):いただいた音源の中に、すでに都会の喧騒とか車のクラクションとか電話の音がSEで入っていて、すでに曲の世界観が出来上がっていたんですね。最初にリモートで打ち合わせをして、どういう内容の歌詞を書いてほしいかをNight Tempoさんに聞いたんですけれど、その時にも「90年代の都会に住む女性を描いてほしい」という要望もあった。そこから自分なりにイメージを膨らませて作りました。

――非常に映像的な描写のある歌詞だと思うんですが、そのあたりも意識しましたか?

野宮:そうですね。あとは、90年代の歌謡曲を意識したので、歌詞としてはあえてちょっとベタな部分を残しました。今は珍しいかもしれないけど、日本の演歌などで脈々と歌い継がれている“待つ女性”という女性像ですね。当時はまだ携帯電話も普及していなくて固定電話しかなかったので、ホテルの一室なのか、自分の部屋なのか、そこで待っている女性を思い浮かべて書きました。「東京は夜の七時」に登場する女性は「早くあなたに会いたい」って待ち合わせに出かけていくのですが、「Tokyo Rouge」では彼からの電話をひたすら待っている。

あとはリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』に登場するレイチェルも少しイメージしていました。彼女はレプリカントだけれど、ハリソン・フォードが演じる主人公のデッカードをずっと待っている。あれは1982年の映画で、描かれているのは2019年のLAなので、今はもう当時思い描いていた未来を超えてはいるんだけど、Night Tempoの作る音も、レトロなんだけど未来っぽいサイバーな感じがするし、その辺のイメージも自分の中で少し入れました。ミュージック・ビデオではレイチェルのスタイリングを意識していて、待ちくたびれて洋服をたくさん着替えちゃう女性(笑)を私が演じています。

――「Tokyo Rouge」という曲名は野宮さんから?

野宮:そうですね。ピチカート・ファイヴのイメージがまさに“東京”だったから「Tokyo」というワードを入れたかったのと、あと口紅というのは、女性にとって何かを決心するときにひくお守りみたいなものでもあるので。特に赤いルージュは決意を示すときや、女性であることの表明みたいなところもある。そういうことを考えてこの曲名にしました。

――それを受け取ってNight Tempoさんはどう感じましたか?

Night Tempo:ミーティングの時の会話からも野宮さんとは感覚的に似てるなって思ったんですけれど、歌詞を見て確信しました。感覚が近い方って、作業する時にも心が通じやすいんです。性格も見ている目線も似てると思いますし、自分が考えたイメージがまさに歌詞に書かれていて、すごく嬉しかったです。

Night Tempoが再構築した「東京は夜の七時」

――一方、野宮さんのデビュー40周年記念プロジェクトの一環として、Night Tempoさんが「東京は夜の七時」をリミックスしていますけど、どういうアイディアで始まったんでしょうか?

野宮:私は今年デビュー40周年イヤーなんですけど、そのプロジェクトの1つとして「World Tour Mix」というのをやってみたかったんですね。今はコロナでなかなか海外にも行けないけれど、音楽を通じてだったらどこにでも行けるし、どこの国の人とも一緒にいられるので。世界中のクリエイターに私やピチカート・ファイヴの代表曲をプロデュースしてアレンジしてもらい、あたかもワールド・ツアーをしているかのように音楽を楽しんでもらいたいという思いがあって。Night Tempoさんは80〜90年代の日本の音楽に対して、すごく愛とリスペクトがあるのを感じていたので、歌謡曲的なものと洋楽のサウンドの融合を表現してもらえるかなと思ってお願いしました。今後も他の国のクリエーターとの「World Tour Mix」をデジタル配信していきます。

――Night Tempoさんはこの話を受けてどう思いました?

Night Tempo:「東京は夜の七時」は、まさにリファレンスとしてよく聴いていた曲だったんです。最初にプロジェクトのお話をいただいた時から、僕は「できれば『東京は夜の七時』をやりたいです」と言っていました。自分がリファレンスとしていた曲を自分で再構築できるという魅力的なお仕事でした。渋谷系の曲のリミックスには、原曲から離れたスタイルにするものも多いんですけれど、僕は逆にそこまで変える必要はないのかなって思って。まっすぐな渋谷系として、新しくプロデュースしました。サウンド的には90年代のハウス・ミュージックですね。渋谷系のサウンドにピアノハウスというジャンルがあったので、それをベースにしてスムーズに作れました。

――野宮さんが仕上がりを聴いての印象は?

野宮:Night Tempoの“昭和グルーヴ”のサウンドのイメージが強いので、もっとバキバキにアレンジメントをするのかなと思っていたんですけど、とってもスマートでクールにグルーヴを作っているトラックに仕上がっていて。2022年の「東京は夜の七時」ができたと思っています。アレンジの元ネタみたいなものはあったんですか?

Night Tempo:「東京は夜の七時」をもとに、あとは自分の音をちょっと足した感じです。僕は爆発的にバーンって盛り上がる音楽スタイルではないので。最初のイントロから雰囲気をずっと持っていく感じの曲をよく作るんですけど、今回の曲もそうで、最後に盛大に終わる感じです。本家のものをイメージしながら今の時代のサウンドにすることを目標にしました。

2人から見た現在の東京は?

――最後にお二方にお伺いします。今、2020年代の東京については、どういう印象を持っていますか。

Night Tempo:シーンが多すぎて、戦国時代みたいな感じがしています。似たカテゴリーの人達が一緒に頑張ってお互いの文化を尊重しながら盛り上げていったらいいと思うんですけど、分かれてしまって悪口を言い合ったりしているようなところもある。社会の雰囲気もあるとは思うんですけど、そうやって争いを起こそうとしている人達が目立つのは残念だなと思います。日本のマーケットには入っていきたいんですけれど、どこか1つの狭いシーンに所属したいとは思わないですね。

野宮:今の東京には、コロナもあって、80年代と90年代のような活気はないですよね。でも、だからといって前に戻りたいかって言うと、そうでもないんですが。今は環境や人権のようないろんな問題をしっかり考えていくタイミングだと思うので、浮かれている感じでは全然ないんですね。音楽にも、90年代の渋谷系みたいな底抜けに明るいものも、Night Tempoが発掘している80年代の歌謡曲のような雰囲気もあんまりないから。だから逆に渋谷系と言われる音楽が再燃したり、Night Tempoがリミックスした音源が求められたりしているのかなとも思います。今回の『Ladies In The City』は、彼がフィーチャリングしたそれぞれの女性アーティストへの愛とリスペクトを感じる作品で、本当にいいアルバムだと思っているので。私も参加できて嬉しかったですし、今後も日本の音楽の良さを世界に伝えてほしいなと期待してます。

Night Tempo
1980年代のジャパニーズ・シティ・ポップや昭和歌謡、和モノ・ディスコ・チューンを再構築したフューチャー・ファンクを代表する韓国人プロデューサー兼DJ。アメリカと日本を中心に活動する。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリエディットして、欧米でシティ・ポップ・ブームをネット中心に巻き起こした。角松敏生とダフト・パンクをこよなく敬愛する、昭和カセット・テープのコレクターでもある。昭和時代の名曲を現代にアップデートする「昭和グルーヴ」シリーズを2019年に始動。Winkを皮切りに、杏里、1986オメガトライブ、BaBe、斉藤由貴、工藤静香、松原みき、中山美穂、秋元薫、菊池桃子、八神純子、小泉今日子とこれまでに12タイトルを発表。2021年5月には、昭和アイドルにフォーカスした『昭和アイドル・グルーヴ』のコンピレーションCDもリリースした。オリジナル・アルバムは、『Moonrise』 (2018年)、『夜韻 Night Tempo』 (2019年)、『Funk To The Future』 (2020年)、『集中 Concentration』 (2021年)のほか、2021年には初のメジャー・オリジナル・アルバム『Ladies In The City』をリリース。2019年にフジロックフェスティバルに出演し、同年秋には全国6都市を周る来日ツアーを成功させた。
https://nighttempo.com

野宮真貴
ミュージシャン。1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として渋谷系ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイ執筆など多方面で活躍している。
http://www.missmakinomiya.com

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Night Tempo × 野宮真貴対談 前編 2人が描く/体験した1980〜90年代の東京はどんな都市だったのか? https://tokion.jp/2022/01/25/night-tempo-x-maki-nomiya-part1/ Tue, 25 Jan 2022 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=92537 2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。前編では、Night Tempoの新譜の舞台である1980〜90年代の東京を実際に過ごした野宮の話や、当時の印象に迫った。

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1980年代から1990年代にかけての東京のカルチャーは、どんな輝きを放っていたのか。なぜ今それが国境を超えて再び注目を集めているのか。

そんなテーマを元に、日本とアメリカを中心に活動する韓国人プロデューサー/DJのNight Tempoと“元祖・渋谷系の女王”こと野宮真貴による対談を行った。

両者は互いの作品でコラボしたばかりだ。Night Tempoは昨年12月にリリースした初のオリジナルアルバム『Ladies In The City』に野宮真貴をフィーチャーした楽曲「Tokyo Rouge」を収録。一方、野宮真貴はデビュー40周年を記念したプロジェクト「World Tour Mix」の第1弾としてピチカート・ファイヴの代表曲をNight Tempoがリアレンジし、野宮がセルフカバーした「東京は夜の七時 (feat. Night Tempo)」をリリースしている。

前編では、『Ladies In The City』の舞台である80年代から90年代の東京における野宮の活動や、Night Tempoから見た当時の音楽シーンについて語ってもらった。

Night Tempoとピチカート・ファイヴに共通する“外側からの視点”とは?

――『Ladies In The City』のコンセプトはどういうところから生まれたんですか?

Night Tempo:コロナ禍になって自分が一番ハマったのがトレンディドラマだったんです。そこからインスピレーションを受けました。トレンディドラマが流行った時期の日本の現代史を研究したんですが、男性に比べて女性の作品はそこまで目立っていないように感じました。その時代の女性を自分がもっと紹介できたらと思って、そこからコンセプトを決めました。

――野宮さんはNight Tempoさんにどんな印象を受けていましたか?

野宮真貴(以下、野宮):日本にも歌謡曲のDJはたくさんいますけれども、やっぱりちょっと違った視点が入っているのが興味深かったです。それがアメリカですごく受けている状況を見て、90年代にピチカート・ファイヴが海外で支持されていた感じにも似てるなと思っていました。

――ピチカート・ファイヴが海外で支持されていた感じに似ているというのは?

野宮:Night Tempoさんは80年代生まれだから、日本のその頃の音楽を新鮮な耳で聴いていると思うんですけれど、ピチカート・ファイヴも海外の60年代の音楽をリスペクトしていて。それに音楽だけじゃなくて、ファッションとか映画とかアートとか、60年代カルチャー全般に影響を受けています。ピチカート・ファイヴがやっていたことって、海外の隠れた名曲を掘り起こして、それを私達なりに解釈して、再構築して、発表していたということですね。それが海外で受けたというのは、つまり、60年代にそれぞれの国にあった宝物を、私達が外から掘り起こしてプレゼンテーションしたことで気付いたという一面があったと思うんです。それと同じように、Night Tempoさんがやっていることは、私達が気付いていなかった80年代や90年代の日本の素晴らしい音楽を違う視点で紹介してくれて、気付かせてくれる。そういう感じが似ているということですね。

――時代と国は違えど、視点が共通しているということですね。

野宮:そうですね。同時に、ピチカート・ファイヴには当時の東京のエッセンスがいっぱい入っていたし、90年代の東京はたぶん世界で一番かっこいい都市だった、そういう憧れも混ざって支持されたのではないかと。

Night Tempoから見た80〜90年代の日本の音楽シーン

――Night Tempoさんはピチカート・ファイヴの音楽にどういう魅力を感じていましたか?

Night Tempo:僕がまだ若かった頃は90年代の日本の音楽を詳しく知らなかったんですけど、韓国でも聴かれた日本のアーティストが何人かいて、そのうちの1組がピチカート・ファイヴでした。他にもBONNIE PINKさんや宇多田ヒカルさんがよく聴かれていました。それらの音楽を聴いて、韓国の当時の歌謡曲と全然違う、最先端の感じがしていて。だからこそ、もし自分が音楽を作る人になったらこういう音楽をやってみたいと思っていました。結局、当時は周囲からの反対もあってできなかったんですけど、その頃からの憧れでした。で、最近になって、自分の世界観を広げるために90年代の音楽をいろいろと聴くようになって感じたんですけれど、80年代から90年代までの日本の音楽シーンって、理想的な流れだったと思うんです。韓国でも台湾でも音楽シーン自体はあっても、オシャレな音楽がマーケットになったのは日本だけだった。日本の人はそこまで気付いていないと思うんですけれど、アジアから見たら、憧れがずっとありました。

――80年代後半から90年代の日本の音楽シーンをいろいろ研究したということですが、Night Tempoさんが魅力を感じたポイントはどういうところにありましたか?

Night Tempo:80年代末は日本の若者がすごく熱かったと思います。ハートが熱くて、音楽スタイル自体も派手だった。でも、90年代に入ってどんどん落ち着いたおしゃれなものになっていくんですね。80年代は“派手なおしゃれ”だったのが90年代は“クールなおしゃれ”になって、雰囲気が変わっていくので飽きないんです。個人的に学ぶことも多かったですし、やっぱり好きな時代は80年代から90年代半ばくらいまでですね。あと、いろんな人が「90年代はバブル経済が弾けてダメになった」と言いますが、実際はそうでもないと思っていて。会社の社長とかお金持ちは大変だったと思うけれど、若者にとってはあまり変わらなかった。だから、みんながカルチャーを楽しむことができた時代だと思います。

「東京から発信しているものが世界で一番かっこいいと思ってた」(野宮)

――野宮さんはどうでしょう? まさに当事者として、80年代から90年代の東京の社会やカルチャーをどう体感していましたか?

野宮:80年代は、景気は良かったと思いますが、私にはあんまり関係なかったですね。私は81年にデビューしたんですけれど、全然売れなくて、お金も本当になかったから、自分だけ取り残されているような感じでした。その少し前は、お金がないからよくディスコに行ってご飯を食べていましたよ。当時のディスコって、新宿とかの大バコだと飲み放題、食べ放題で、レディースデーというものがあって、女性は無料で入れたんです。そんな時代だったんですね。その後にポータブル・ロックというバンドを組むんですけど、それも全然売れなかった。ゲームのサントラの曲を歌ったり、CMソングを歌ったり、他のアーティストのバッキングボーカルをしたり、そういった音楽の仕事をしながらバンドも並行してやっていました。浮かれた感じとはちょっと違っていました。そうこうしてるうちにピチカート・ファイヴに加入するんですけど、最初はコーラスとしての参加でした。

――時代のムードや当時のカルチャーについてはどんな風に見ていましたか?

野宮:80年代の広告はすごく派手でしたね。好景気で大企業が広告に予算を投下して、広告の世界にお金があった時代。私もCMソングの仕事が途切れることがなかったことを考えると、やはりバブルの恩恵を受けていたのかな。ピチカート・ファイヴに正式に加入したのは90年だったんですが、その頃もヒットさせるためにCMとのタイアップが重要だったんですよね。ピチカート・ファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」もそうですけれど、化粧品のCMソングからヒットが生まれた時代でした。そこから90年代は、バブルが崩壊したといっても、ディレイしてCDバブルは2000年まで続きますから、まだまだレコード会社にも予算が潤沢にあったし、ピチカート・ファイヴでは一流のミュージシャンに演奏してもらうこともできました。特殊仕様のCDジャケットを作らせてもらったり、ジャケット撮影のために海外に行ったり、いろんなことができたので、すごく幸せだったなと思います。

――野宮さんは「90年代の東京は世界で一番かっこよかった」と仰ってましたが、それはどういう感覚でしたか。

野宮:80年代までは、音楽もカルチャーもファッションも、海外のものに憧れていて、それを円の強力な力でインポートしていたけれど、90年代にそれが逆転したような感覚がありました。食べ物も洋服も音楽も世界中のものが手に入る超消費社会になって、今度はそれをミクスチャーして独自のカルチャーを作り出していった。サンプリングとかコラージュとか、世界のカルチャーのいいとこどり。その“いいとこどり“をリスペクトと愛を持ってセンス良く構築したのがいわゆる“渋谷系”と言われる音楽だと。そうやって日本から、東京から発信しているものが世界で一番かっこいいと思っていました。ピチカート・ファイヴにしても、アメリカのマタドール・レコードからデビューして、海外でリリースしてワールドツアーもして、自分達が世界で一番かっこいい音楽をやっているんだって思いながら“外タレ”気分でやっていましたね。当時はSNSがなかったので、十分に日本にフィードバックされなかったかもしれないけれど、本当にスターでしたね。パリコレや海外のCMや映画のサウンド・トラックに起用されたり、アメリカツアーもヨーロッパツアーもどこへ行ってもチケットはソールドアウトだったりで、熱狂がありました。

「ケイタマルヤマ」さんが1997年にパリコレクションに初参加した時は、ランウエイでピチカート・ファイヴの曲を歌いました。それから25年経って、昨年12月の「ケイタマルヤマ」のファッションショーで、再び「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」や「スウィート・ソウル・レビュー」をパフォーマンスできたのは感慨深かったです。25年経っても小西康陽さんが作ったピチカート・ファイヴの曲は色褪せないし、それをNight Tempoという次世代のアーティストがリアレンジしてくれたということがとても嬉しい。私は歌手として名曲を歌い継いでいくという使命があると思っているので、それが叶ったという感じです。

Night Tempo:もし野宮さんが当時ピチカート・ファイヴをやっていなかったとしたら、他に目を付けていた音楽ジャンルはありましたか?

野宮:私はもともと歌謡曲の歌手になりたかったんですね。子どもの頃から歌謡曲を聴いて育ったので。そこから洋楽のロックを聴いたり、バンドをやったりするようになって、81年にデビューして。80年代はニューウェーブ、90年代は渋谷系、そこからソロでやっているわけなんですけれど、それは自分から選んだというよりは、その時その時の出逢いと時代の流れに応じていた感じがありますね。だから、基本的に私の中には歌謡曲の要素がすごくあるような気がしています。昨年の筒美京平先生のトリビュートライヴに往年のスターの方達と一緒に出演させてもらったんですけれど、それは「歌手になってよかった」と一番思った最近の出来事の1つでした。そういうところもNight Tempoさんとのつながりがあるのかなと思います。

――Night Tempoさんは90年代には女性の作品があまり目立っていなかったと仰っていましたが、野宮さんとしては、女性ミュージシャンだからこその活躍しにくさは感じていましたか?

野宮:それは全然なかったです。世間一般の社会では女性が生きづらかったりしたのかもしれないけれど、私はずっと音楽の世界にいたから。音楽の世界も男性のほうが圧倒的に多かったですけど、やはり音楽は自由なので、男も女も、日本も海外も関係なく、そういう境界を全部超えられるものだと思うので。女性だから苦労したとか、そういうことを私は感じたことはないですね。

後編に続く

Night Tempo
1980年代のジャパニーズ・シティ・ポップや昭和歌謡、和モノ・ディスコ・チューンを再構築したフューチャー・ファンクを代表する韓国人プロデューサー兼DJ。アメリカと日本を中心に活動する。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリエディットして、欧米でシティ・ポップ・ブームをネット中心に巻き起こした。角松敏生とダフト・パンクをこよなく敬愛する、昭和カセット・テープのコレクターでもある。昭和時代の名曲を現代にアップデートする「昭和グルーヴ」シリーズを2019年に始動。Winkを皮切りに、杏里、1986オメガトライブ、BaBe、斉藤由貴、工藤静香、松原みき、中山美穂、秋元薫、菊池桃子、八神純子、小泉今日子とこれまでに12タイトルを発表。2021年5月には、昭和アイドルにフォーカスした『昭和アイドル・グルーヴ』のコンピレーションCDもリリースした。オリジナル・アルバムは、『Moonrise』 (2018年)、『夜韻 Night Tempo』 (2019年)、『Funk To The Future』 (2020年)、『集中 Concentration』 (2021年)の他、2021年には初のメジャー・オリジナル・アルバム『Ladies In The City』をリリース。2019年にフジロックフェスティバルに出演し、同年秋には全国6都市を回る来日ツアーを成功させた。
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野宮真貴
ミュージシャン。1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として渋谷系ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイ執筆など多方面で活躍している。
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