大友良英 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/大友良英/ Wed, 27 Dec 2023 02:43:15 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 大友良英 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/大友良英/ 32 32 「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -後編- https://tokion.jp/2023/12/27/interview-yoshihide-otomo-part2/ Wed, 27 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218624 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー後編。ほぼ前人未踏だったと言っていい実験的ターンテーブル奏者としての活動を中心に話を訊く。

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大友良英
1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。
https://otomoyoshihide.com

ギターもターンテーブルも今まさに最高のプレイができる——前編のインタビューで大友良英はそのような手応えを語っていた。『Solo Works 1 Guitar and Turntable』(2023年)には、そうしたいわば自在境に到達した彼のインプロヴァイザーとしての姿がありありと収められている。リリース元は昨年スペシャルビッグバンドの『Stone Stone Stone』を出した新レーベルLittle Stone Recordsだ。同レーベルからは今後も大友のソロ・ワークスがリリースされる予定で、『Solo Works 2』はライヴ盤を、『Solo Works 3』ではクリスチャン・マークレーをテーマに構想中だという。

前後編に分けたインタビューの後編では、ほとんど前人未踏だったと言っていい実験的ターンテーブル奏者としての活動を中心に話を訊いた。即興でのコラージュを出発点としつつ、カンフー映画を手本に(!)スピードを追い求め、さらにレコードを使わないエクストリームなターンテーブル演奏からインスタレーションへと繋がっていくなど、その足跡は実にユニークだ。そして多くのリスナーがおそらく意外に感じるかもしれないが、大友は自身について「フリー・インプロヴィゼーションの文脈の人間ではないかもしれない」とも語る——。

クリスチャン・マークレーという衝撃

——後編ではターンテーブルを中心にお伺いできればと思います。ターンテーブル奏者としてのキャリアが本格的にスタートしたのは、高柳昌行さんのもとを離れてからですよね?

大友良英(以下、大友):そうですね。でも実際は高柳さんのところにいた頃から演奏自体はしていました。ライヴは禁止されていたから、人前では数えるぐらいしかやっていなくて、ほとんどは宅録だけれども。だから本格的に演奏活動を始めたという意味では、高柳さんのところを飛び出した後ですね。

——ターンテーブルではないものの、子どもの頃からテープレコーダーを用いた音楽制作はされていたとか。

大友:中学、高校の頃かな、テープレコーダーでコラージュを作ってました。ターンテーブルも最初はコラージュとしてやりたくて、ヒップホップとは全く別の文脈で始めたんです。

——コラージュというのは、いわゆる具体音楽(ミュジーク・コンクレート)のようなものですか?

大友:そう、ピエール・シェフェール的な具体音楽を即興でやりたいと思ってた。でもターンテーブルだけを使うようになったのは、やっぱりクリスチャン・マークレーと出会ってからです。それまではカセットテープやオープンリールテープをターンテーブルと一緒に使っていたけど、クリスチャンを見て「ターンテーブルだけの方がカッコいいな」と思った。それも音楽を聴く前、最初はクリスチャンの写真だけを見たんですよね。

——あの有名な、ターンテーブルをギターのように肩から下げて弾いている「フォノギター」の写真ですか?

大友:いや、それじゃなくて、ターンテーブルを4台並べて演奏してる写真でした。それを見て純粋にカッコいいなと思った。だから想像上のクリスチャン・マークレーみたいなものが僕にとってターンテーブル演奏の1つの出発点になってるんです。音を初めて聴いたのは副島輝人さんのドキュメンタリー映画でした。「メールス・ジャズ・フェスティバル1984」を撮影した8ミリフィルムの映像。その後、ジョン・ゾーンのレコードでもクリスチャンの音を聴いて、やっぱりカッコいいなと魅了されていった。1984、85年頃。その頃はもう完全にターンテーブルだけで演奏するようになっていたかな。

——1986年にクリスチャン・マークレーが初来日した際も観に行かれていますよね?

大友:もちろん。東京公演全部観てる。というか、来日時クリスチャンのアシスタントをやっていましたから。副島輝人さんの企画だったけど、前の年に副島さんから「デヴィッド・モスを日本に呼ぼうと思っていて、もう1人呼ぶ予算があるんだけど、誰がいい?」って相談を受けて。それで「絶対にクリスチャン・マークレーにしてください! オレ、手伝いますから!」って懇願した(笑)。だから僕、手伝いで毎日ずっとくっついて回っていたんだよ。で、やっぱり実際にクリスチャンを観たらかなわないと思いましたね。とにかくカッコよかった。スピード感といい音源のチョイスといい、もうひれ伏すしかないぐらいすごかった。

「即興でコラージュすることが圧倒的に新しかった」

——ターンテーブル演奏には、やはりギター演奏とは異なるおもしろさがありましたか?

大友:そもそも全く別の技術が必要ですからね。ターンテーブル演奏は当時、作曲でコラージュするのとは違って即興でコラージュができるというのが、僕にとっては圧倒的に新しかったかな。録音された素材をその場でどんどんコラージュしていく。当時はまだちゃんとしたサンプラーもなかったから、即興でのコラージュはとにかく新しく見えた。可能性も感じた。その前にやっていたカセットテープのコラージュの先に行ける気がしたというか。

当時、高柳昌行さんがカセットテープのコラージュに取り組んでいて、実はあの機材は僕が作っていたんです。だからそういう種類のコラージュはずっとやっていたけど、スピード感という点で、カセットはどうしても作曲作品みたいになるんですよね。それよりもターンテーブルの方が即興的でカッコよくて。その意味でも人生で最も打ちのめされたのは、やっぱりクリスチャン・マークレーのライヴを観た瞬間かな。

今だから言うけど、高柳さんのところを辞めた大きなきっかけも、クリスチャン・マークレーと出会ったことだと思う。もう、すぐにでもライヴをやりたくて、でも高柳さんのところにいるとライヴをやらせてもらえない。それまでも隠れてやっていたけど、クリスチャンと出会ってからは、もうライヴをやりたいってしかならなくて、それが雑誌に載ってバレちゃって、大喧嘩になったんです。それで高柳さんのもとを飛び出したから、今考えるとクリスチャンがきっかけだよ。

——1980年代にジャズ寄りの現場で実験的ターンテーブル演奏のライヴをすることはとても珍しかったですよね。というより大友さんしかいなかったと思うのですが、周囲のミュージシャンからはどう受け止められていたのでしょうか?

大友:いやー、孤独だったよ。いわゆるジャズの人達の大半は僕のことなんか認めてくれなかったし。ただ、その時におもしろがってくれた人達もいて、それがたとえば広瀬淳二さんや黒田京子さん、加藤英樹や植村昌弘、勝井祐二や菊地成孔だった。広瀬さんや黒田さんは少しだけ先輩で多少は知られていたけど、加藤、植村、勝井、菊地あたりはまだ無名の青年だった。1987年に黒田さんのバンドに参加してからジャズ・ミュージシャン達との付き合いも生まれたけど、当時はジャズがやりたかったわけではないからね。たまたまジャズの現場が最初だっただけで、その後はホッピー神山やレックとやるようになってロックの現場にも行き出して、そしたらロックの方が遥かにオープンだと当時は感じました。とにかくおもしろい音を出したら何でもオッケーみたいな。そうそう、今思い出したけど、ホッピー神山とかレックとロックをやるときはギターも弾いてたな。

だから、やっぱり高柳さんなんですよね。「ロックは高柳さんとは関係ない」という言い訳が僕の中にあったんだと思う。ロックの現場ではノイズ・ギターもやっていたけど、普通にギターを刻むこともあった。ホッピー神山とかレックのバンドだと気楽なんですよ。高柳さんが関係ないから。ジャズの現場に行く時だよね、ギターを持って行けなかったのは。ターンテーブルでライヴをやっていたのも、僕の中では「ギターじゃないからライヴやってもいいでしょ」という言い訳があった(笑)。そのくらい高柳さんの存在が大きくのしかかっていたんだと思います。でも確かに当時ターンテーブルは珍しかったです。ヒップホップ以外ではそもそもターンテーブルを持ち込む人なんかいないし、僕の場合はテクニクスじゃなくて自作のターンテーブルを使ってましたからね。そんな人は日本では誰もいなかった。

カンフー映画で培ったターンテーブルの速度

——本来ターンテーブルは音楽を聴くための装置で、演奏するために作られた楽器ではないですよね。セッションの際にギターのように即座に反応することは難しいと思うのですが。

大友:これは自慢みたいになってしまうけど、ターンテーブルでも割と即座に反応できたんです。だからいろいろなところに呼んでもらえたのだと思う。1年間ぐらいヒカシューのゲスト・メンバーになったこともありました。あれは1990年だったかな。

——ターンテーブルの演奏技術に関しては、ヒップホップを参照することもありましたか?

大友:いや、ヒップホップの影響は全く受けなかった。スクラッチもやらないし。そうではなくて、コラージュをひたすら速くやる感じかな。だから全くの独学ですね。もちろんクリスチャン・マークレーの影響はあるけど、その前からやっているので。ピエール・シェフェールみたいなことをライヴでやりたい、というのが出発点で、その後クリスチャンを知って「これだ!」と思った。

最初はテープレコーダーとかを使っていたけど、ライヴでテープを使う人は、高柳さんもそうだし、ボブ・オスタータグとか、そういう人達の音楽ももちろんチェックしてました。でも当時はテープだと作曲っぽくなる感じがしたのと、ゆっくり変化する感じのものが多くて、やっぱりカットアップみたいに速くしたかったんです。そこにはジョン・ゾーンの音楽の影響も大きかったし、ハイナー・ゲッベルスとアルフレート・ハルトの「Peking-Oper」みたいなコラージュと生演奏のカットアップを自分でやるのには、ターンテーブルはぴったりの楽器だと思ったんです。瞬間的にカットアップできるし、速いビートに合わせて変化させられる。で、独学だったけど、当時はとにかく速くやりたかったので、香港のカンフー映画に合わせてターンテーブル演奏の練習をしてました(笑)。

——速度を求めていたと。

大友:そう。スピード。誰よりも速くなりたかった……なんか阿部薫みたいな言い方になってるけど(笑)。もしかしたら、どこかで高校生の頃に憧れた阿部薫の影響もあるのかもしれません。とにかくスピードを追い求めていました。とにかくクリスチャンの演奏が物凄すぎて、とてもかなわないって思ったんで、どうにか自分流の方法でなんとかしなくちゃって、それで当時は香港のカンフー映画を参考にしてたんです。サモ・ハン・キンポーとかユン・ピョウが出演している映画のVHSビデオを繰り返し観ながら、彼等の動きとぴったり合うようにターンテーブルから音を出す。バカっぽいですよね。いや〜バカだったんです。でも1990年代中頃まではずっとそのやり方で演奏してましたね。今考えるとそういうターンテーブルの使い方が、ギターをU字金具で演奏する技術にも繋がっているのかなと思います。どちらもスピードと強いアクセントを出すためでしたから。

サンプリング・ウイルス計画〜幻のアルバム『Dear Derek』

——1990年代の大友さんは「サンプリング・ウイルス計画」を提唱されていて、1993年に『The Night before the Death of the Sampling Virus(サンプリング・ウイルス死滅前夜)』というアルバムもリリースされています。この計画はターンテーブルによるコラージュの延長線上にある試みだったのでしょうか?

大友:そのアルバムについてはターンテーブル演奏ではなくて、それこそピエール・シェフェールのように、主にテープの切り貼りで作りました。ターンテーブルも使いはしたけど、あくまでも作曲作品。あとはCDのマスタリングの時にデジタルの音声素材を繋げたぐらいで。

「サンプリング・ウイルス計画」をやり始めたのは、「サンプリング」という考え方が当時新しく出てきたというのが大きい。それまでコラージュとしか言えなかったものが「サンプリング」という言い方も出てきたことでコラージュとは異なる音源再利用の可能性を感じたんです。一方で「コンピュータ・ウイルス」なるものも出てきて、著作権の問題も含め、この辺のことをアイデンティティのはっきりしない「ウイルス」をキーワードにして一緒くたにして考えていこうと思ったんです。ただ、コンピュータ・ウイルスといっても、当時はまだ素朴なコンピュータしかないし、今みたいにインターネットで即座に世界中と接続できるようなネットワークもない時代だから、そうした環境下で頭の中だけで考えてやっていたところが大きいかな。

——とはいえ、「サンプリング・ウイルスの種が自分の手を離れて増殖/変化しながら広がっていく」という、他者との関係性の中で音楽を捉える考え方それ自体は、その後のオーケストラの作り方やアジアン・ミーティング・フェスティバルにおける交流の在り方、またはインスタレーションで装置同士が相互に反応し合う状態などに引き継がれていると思います。「サンプリング・ウイルス計画」が「アンサンブルズ」などに名前を変えながら、大友さんの思想としては一貫していると言いますか。

大友:確かに、それは一貫しているのかもしれません。ただ単に個人の創作だけで何かが成立しているのではないという考え方が背景にはあるんだと思います。もっとさまざまな外的な要素が個人の意図とは別に絡み合っているというのを前提にする考え方です。ただ、1990年代は今みたいにネットワーク環境が整備されていたわけではないから、やっぱり脳内ネットワークだったとは思う。

——1990年代にはアナログレコードではなくCDを操作するCDJも登場しましたが、CDJに乗り換えずターンテーブルの演奏を今も続けているのはなぜですか?

大友:最初はすごいハマったんですよ。一時期はCDJだけで作品も作っていて、結局リリースしなかったんだけど、『Dear Derek』というデレク・ベイリーに捧げたアルバムも作ってた。ベイリーの演奏をサンプリングした音素材をCDJでコラージュしたもので、ベイリー本人から許可も取っていたんだけど、出す直前になってやっぱりつまらないと感じて、リリースをやめました。

でもCDJはすぐ飽きてしまったかなあ。CDJだけでなくサンプラーもです。多分サンプリングに飽きたのだと思う。コンピュータやサンプラーがどんどん進歩して、そうするとCDJはすごく不自由なサンプラーでしかないと感じるようになっていった。デジタル・データのサンプリングはどんどん発展して、この先もっと簡単に大容量でできるようになっていくはず……そう考えたらなんでだか興味を失ってしまいました。やっぱりターンテーブルの方が不完全で、かつ自由に演奏しやすいって感じちゃったんです。パッと手に取って針を落としてギャーッと音を出せないと嫌で。デジタルは遅いし、同じ音しか出ないって。ラップトップも少しやったけど、やっぱり遅くて続きませんでした。もちろんその後、そうした機材で、素晴らしいことをやる人達がたくさん出てきたのを見て、自分は完全にオールド・ジェネレーションでアナログ人間なんだなって思いましたが(笑)。

レコードを使わないターンテーブル演奏から展示作品へ

——ギターとの共通点を考えると、大友さんはターンテーブルでもフィードバック・ノイズを発生させるアプローチを取っていますよね。そうした手法は1990年代からすでに試みていたのでしょうか?

大友:やってました。1990年代中頃にはもうフィードバックを使っていたかな。ターンテーブルのフィードバックは、ギターと比べると、よりコントロールができない。そこが逆におもしろかったです。もちろん、続けているとある程度コントロールできるようになってしまうのだけど、だからどんどんINCAPACITANTSのようなノイズ・ミュージックに近づいていったと言える気がする。

——大友さんのターンテーブル演奏には2つの側面があると思います。1つは既存の音楽をサンプリング/コラージュする側面。もう1つは必ずしもレコードを使わずに、ターンテーブルそれ自体の即物的なノイズを発生させる側面です。特に後者のような、レコードを使わないというある種エクストリームなターンテーブル演奏に乗り出したのはなぜですか?

大友:やっぱりマルタン・テトロのライヴを観たのが大きかったかなあ。1997年、ちょうどGround-Zeroで『Consume Red』を作っていて、そろそろカットアップは止めようかなと思っていた時期でした。それ以前からマルタンのことはクリスチャン・マークレーを介して知っていて、アルバムも聴いていたんだけど、彼はもともと美術畑出身で、コラージュをやるターンテーブル奏者だったんですよね。けれど1997年にイタリア・ボローニャのアンジェリカ・フェスティバルで観た時は、サンプラー奏者のディアン・ラブロッスとデュオで、ほとんどレコードを使っていなくて。ターンテーブルのノイズがメインだった。ステージにいるのにほぼ演奏していなくて、ひたすらギュ〜とかノイズを出してるの(笑)。でもそれがカッコよかった。潔さに衝撃を受けたかな。あの時はGround-Zeroのメンバーと観ていたけど、おもしろがっていたのは僕とSachiko Mだけでした。

——翌1998年にはSachiko MさんとのFilamentで最初のアルバムをリリースしています。

大友:そうだね。だから、1回すべてご破算にしてそっちの方向性に行こうと思ったのがあの時期でした。もうコラージュではないな、と。それはマルタンの影響も大きかったと思う。その後すぐにマルタンとはデュオをやるようになったから、ステージ上でお互いにレコードを使わない、コラージュではないターンテーブルの演奏が増えていって、どんどんお互いにいろんな手数を習得していった。すごく相互影響はあったと思う。

——ターンテーブルは自動式の音響装置としても使えますよね。大友さんの最初のインスタレーション作品《without records》(2005年)もポータブル・レコードプレーヤーを使用したものでしたが、それはターンテーブル演奏の延長線上にある試みだったのでしょうか?

大友:そう、最初の《without records》に関してはハッキリとそうでした。レコードを使わないターンテーブルの扱い方というのがそのまま展示に移行していった。だけど重要なのは、その後の『ENSEMBLES』展(2008年)の時に、いろんな人が自作したターンテーブルとも一緒にやるようになっていったことで、個人の創作ではないものがどんどん入ってきた。そこが個人のターンテーブル演奏との大きな違いかな。

「勝手に動くモーターを相手にするか、それとも固定した振動する弦を相手にするか」

——1990年代終わりにコラージュではない方向性へと転換しましたが、その後、再びコラージュ的なアプローチもするようになって、今回の『Solo Works 1 Guitar and Turntable』にもそうしたターンテーブル演奏が収録されています。サンプリング/コラージュに再び取り組むようになったのはなぜでしたか?

大友:率直に、そこまでストイックにならなくても、時々ならいいかなと思いました。それと、昔はコラージュをメインにしていたけど、今はメインでフォーカスしているわけではなくて、レコードに入ってる音を使っているというぐらいなんです。1990年代はコラージュの音が何の意味を持っていて、それがどうカットアップされるか、ということが重要なテーマだったけど、今はレコードに録音された音の質感として扱っている程度。少しだけ意味合いがあるとしたら、実は阿部薫のレコードを使っていることかな。それはギターで「Lonely Woman」を弾くことと似ているのかもしれない。

——今ではギターもターンテーブルも使用されていますが、どちらの方が使いやすいですか?

大友:いや、どっちもどっちだよ。両方とも自分のメイン楽器ですからね。どっちがより使いやすいとかはない。ただ、この音楽だったらギターの方が合うだろうとか、この相手だったらターンテーブルだろうとか、自分で思うことはあるけれど。 例えば坂本龍一さんのピアノと一緒に演奏する時はギターがいいかなとか。実現しなかったけど、最後の頃、坂本さんがギターを弾いて、僕がピアノを弾くのもアリだなと思ったこともありました。

——そういえば、大友さんはピアノ演奏のライヴ盤『Piano Solo』(2013年)もリリースしていますね。

大友:ピアノは自分の中ではギターの延長線上なんです。弦がたくさんあるギターだと思ってる。だからピアノ演奏という感覚ではないんですよね。極端な多弦ギターを扱っているというのが近い。

——大友さんにとってターンテーブルを演奏することのおもしろさは、どのようなところにあると感じていますか?

大友:ターンテーブルは演奏者の意志とは別のものとして、しかも不完全な、いろいろと隙だらけの装置としてあるから、そこがおもしろい。デジタルの装置だと隙がないんですよね。例えばCDだとCDで音を出す以外の使い方がほとんどない。もちろん刀根康尚さんのようにCDに粘着テープを貼って誤作動を起こすということはできるけど、ターンテーブルだといくらでも違う使い方ができる。要するにモーターとマイク(カートリッジ)だからね。

ギターは弦とマイクだけど、ターンテーブルはモーターとマイク。どっちもアンプから増幅された音が出てくるところは共通していて、マイクとアンプである以上はフィードバックも引き起こすことができる。勝手に動くモーターを相手にするか、それとも固定した振動する弦を相手にするかの違いだけとも言える。でも重要なのは、どっちもマイクがあって、アンプから音が出るってことかな。そこが共通しているから、ギターにしてもターンテーブルにしても、やっていると音が似てきちゃうんですよ。

「フリー・インプロヴィゼーションよりもノイズ・ミュージックの文脈に近いかもしれない」

——『Solo Works 1 Guitar and Turntable』は、ライヴ盤ではなくスタジオ盤ということもあり、短いトラックが多数収録されているところが1つの特徴になっています。各トラックには番号が振ってありますが、これはテイク数でしょうか?

大友:そうです。番号をつけてトラックを選ぶやり方は、実はデレク・ベイリーの『Solo Guitar』(1971年)に倣いました。今回、僕の中で唯一意識した他の人のアルバムが『Solo Guitar』かな。あれのA面みたいな感じにしたいと、どこかで思っていたような気がする。そんなに長尺じゃなくて、いろんな即興演奏が収録されているけど、曲ごとにコンセプトが違うわけでもない、みたいな。

——『Solo Guitar』は初めて聴いた人に大きな衝撃をもたらすアルバムだと思うのですが、大友さんとしては、今聴き返しても新鮮に感じることはありますか?

大友:正直に言えば、何十年経っても同じような新鮮さで聴けるわけではないけど、ただ、いつ聴いてもすごいなとは思うんですよね。よくこんなところに行ったな、と。やっぱりズバ抜けている。もちろんデレク・ベイリーは『Solo Guitar』以降も素晴らしいアルバムをたくさん出しているけど、最初のソロ作でいきなりあれを出したわけですから。

——デレク・ベイリーに限らず、フリー・インプロヴィゼーションの録音作品を、例えば1960〜70年代に出すことと、2020年代の今出すことでは、意味も受け取られ方も大きく違うと思うんです。その辺りは大友さんはどのように考えているのでしょうか?

大友:そりゃ、全然違うと思う。だって今フリー・インプロヴィゼーションをやることは、それだけでは冒険でも挑戦でもないからね。どこにでも転がっているありふれたアプローチでしかない。だから今回の『Solo Works 1 Guitar and Turntable』も、そういったどこにでも転がっているものの1つとして作ったところはあります。

——とはいえ、フリー・インプロヴィゼーションというスタイルを録音したかった、というわけでもないですよね?

大友:はい、違います。即興といってもフリー・インプロヴィゼーション以外にもいろいろあって、そういうふうにいろいろあるという大前提の上で作りましたからね。ひょっとしたら僕がやっている音楽はフリー・インプロヴィゼーションの文脈よりも、どちらかというとノイズ・ミュージックの文脈の方に近いかもしれないとも思う時もあります。ヨーロッパのフリー・インプロヴァイザー達と一緒に演奏すると、自分は違う文脈で演奏してるなってよく思います。影響はものすごく受けたし、一緒に演奏するのは本当に楽しいけど、でも、何か違う言語を話しているのかもって。

——フリー・インプロヴィゼーションかノイズ・ミュージックか、そこの文脈の違いというのは、具体的にはどういうことでしょうか?

大友:大きくは前後の音楽史の捉え方の違いなんじゃないかな。うまくは言えないけど、フリー・インプロヴィゼーションの場合は、初期は「即興でなければならない」という考え方があった上で今がある。けれどノイズは「ノイズでなければならない」という思想ではないと思うんです。もうノイズをやった時点でどん詰まりだから、何をやってもいい、としかならない、そんなふうに感じてます。少し抽象的な話になってしまうけど、その上で僕は即興演奏をやっているところがあります。その意味ではとてもパーソナルな音楽なんじゃないかな。10代の頃に阿部薫のライヴやデレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションを聴いて衝撃を受け、その後、高柳さんとの出会いがあり、クリスチャン・マークレーやジョン・ゾーンに衝撃を受け、同時にノイズや即興演奏をやる同世代の人達とたくさん出会い、さらには音遊びの会なんかとの活動を経て、半世紀経った人間が作っている極めて個人的な音楽なんだなと思うんです。

■『Otomo Yoshihide Solo Works 1 Guitar and Turntable』
リリース:8月16日
価格:(CD)¥2,000
トラックリスト
1.turntable with a record 8
2.guitar 2
3.guitar 6
4.turntable with a record 1
5.turntable without a record 1
6.guitar 4
7.turntable with a record 10
8.guitar 5
9.guitar 1
10.turntable without a record 4
11.turntable without a record 6
12.turntable with a record 2
13.guitar 7
14.turntable without a record 3
15.turntable with a record 5
16.turntable with a record 9
17.turntable without a record 5
18.guitar 8
19.turntable with a record 3
20.guitar 3
https://otomoyoshihide.bandcamp.com/album/otomo-yoshihide-solo-works-1-guitar-and-turntable-3

■大友良英 PITINN 年末4デイズ8連続公演
会期:12月26〜29日
会場:新宿PIT INN
住所:東京都新宿区新宿2-12-4 アコード新宿 B1
時間:昼の部 14:30(オープン)/ 15:00(スタート)、夜の部 19:00(オープン) / 19:30(スタート)
12月26日(火)昼の部「The Night Before Pandemic in Fukushima!」
大友良英(G)、岩見継吾(B)、林頼我(Ds)
12月26日(火)夜の部「Small Stone Baritone Ensemble」
大友良英(G, Per, 指揮)、江川良子、東涼太、本藤美咲、吉田隆一(Bs, 指揮)、木村仁哉、高岡大祐(Tuba, 指揮)、かわいしのぶ(B, 指揮)、イトケン、小林武文(Ds, Per, 指揮)
12月27日(水)昼の部「Daytime Special」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、石若駿(Ds)、小暮香帆(Dance)
12月27日(水)夜の部「The World Without Him (Peter Brötzmann Tribute)」
大友良英(G)、永武幹子(P)、須川崇志(B)、落合康介(B)、本田珠也(Ds)、山崎比呂志(Ds)
12月28日(木)昼の部「細井徳太郎 キュレートセット」
久場雄太(俳優)、荒悠平(ダンス)、細井徳太郎(G, Vo, キュレーション)、君島大空(G, Vo)、高橋佑成(P, Synth)、大友良英(G)
12月28日(木)夜の部「大友良英 ニュージャズアンサンブル」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、高橋佑成(P)、上原なな江(Marimba)、水谷浩章(B)、芳垣安洋(Ds)
12月29日(金)昼の部、夜の部「大友良英 スペシャルビッグバンド」
大友良英(G)、江藤直子(P)、近藤達郎(Key)、齋藤寛(Fl)、井上梨江(Cl)、江川良子(Sax)、東涼太(Sax)、佐藤秀徳(Tp)、今込治(Tb)、大口俊輔(Acc)、かわいしのぶ(B)、小林武文(Ds)、イトケン(Ds)、上原なな江(Marimba)、相川瞳(Per)、Sachiko M(Sinewaves)
http://pit-inn.com/newarrivals/0tomo4days/

■ONJQ : Otomo Yoshihide’s New Jazz Quintet EUROPE TOUR 2024
会期:2024年1月26日〜2月11日
1月26日 Sons D’hiver, Paris [FR]
1月27日 Pannonica, Nantes [FR]
1月28日 Autres Mesures, Rennes [FR]
1月30日 AB Club, Bruxelles [BE]
1月31日 Radar, Aarhus [DK]
2月1日 Jazz Club Loco, København [DK]
2月2日 Nasjonal Jazzscene, Oslo [NO]
2月4日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月5日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月6日 NOSPR, Katowice [PL]
2月7日 Divadlo29, Pardubice [CZ]
2月8日 In Situ Art Society, Bonn [DE]
2月9日 Handelsbeurs, Gent [BE]
2月10日 Centro D’Arte, Padova [IT]
2月11日 Area Sismica, Forlì [IT]

Photography Masashi Ura

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「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- https://tokion.jp/2023/12/26/interview-yoshihide-otomo-part1/ Tue, 26 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218597 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー前編。ギタリストとしての活動を中心に話を訊く。

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大友良英
1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。
https://otomoyoshihide.com

1980年代後半からライヴ活動を本格化させ、35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英。インディペンデントなノイズ/インプロヴィゼーションのシーンにおける活躍から数多くの映画音楽やテレビドラマの劇伴、あるいは市民参加型のプロジェクトを手掛け、さらにインスタレーションの制作や芸術祭のディレクターを務めるなど、これまで多方面で膨大な数の仕事に取り組んできたことからは意外にも初となる、ギタリスト兼ターンテーブル奏者として録音した全編即興のスタジオ盤『Solo Works 1 Guitar and Turntable』が2023年8月に世に放たれた。

ギタリストとしてもターンテーブル奏者としても大友良英ほどオリジナルなプレイを聴かせるミュージシャンはそういないだろう。全20トラックの小品を収録した『Solo Works 1』は、そのような彼の現在地を克明に記録したアルバムに仕上がっている。そこで今回、大友のプレイヤーとしての側面にフォーカスしたインタビューを実施し、前編ではギタリストとしての活動を中心に話を伺った。かつてギター演奏を「封印」していた時期もある彼は、なぜ再びギタリストとして活動を開始し、そしてどのように独自のスタイルを確立するに至ったのか——。

再びギターを弾き始めた理由

——大友さんが最初にギターを手にしたのは中学時代ですが、その後、20代で高柳昌行さんの門を叩き、あるいはノイズしか出ないギターを自作するなど、ギターとの付き合い方はさまざまに変遷してきたと思います。大友さんとしては、ご自身のギタリストとしてのキャリアはどのように捉えていますか?

大友良英(以下、大友):高柳さんのもとにいた1980〜86年頃は、まだ本格的に世に出てないですし、演奏家としては修行中の身でした。飛び出した後は挫折した以上、もうギタリストとしてはやってけないって覚悟でいました。それで1980年代終わり〜90年代はターンテーブルを使おうと決めてたかな。ただ、やっぱりギターの要素は残したかったので、あえて自作したギターも使ってました。チューニングもできないようにしたノイズ発生装置としてギターを使うことで「ギタリストではない」ってアリバイを作りたかったのもある。

それが転換したのは2000年頃からです。菊地成孔や芳垣安洋が「大友、お前ギター弾け」と散々言ってたのもあるけど、やっぱり率直にギターを弾きたいという思いが強かった。ずっと我慢してきたからね。誰かみたいに弾こうと思わなければいいやって感じで弾き出したのが1990年代終わり〜2000年代頭くらい。だからギタリストとしての自分のキャリアはそれからだと思ってます。

——ギターを使うにしても、例えばキース・ロウみたいにテーブルトップにして、それこそノイズ発生装置を貫くというやり方もあったと思いますが、そこであえていわゆる通常のギター演奏に向かったのは、なぜでしたか?

大友:ノイズ発生装置は別にギターじゃなくても十分にできたからかな。ターンテーブルでもできるし、当時いろんな自作のガジェットも使っていたので。やっぱりチューニングされたスタンダードなギターを演奏したいという気持ちが強かった。もともと高柳さんの教室に入ったのもいわゆるギタリストとして活動したいと思っていたからなわけで、教室を飛び出した後、高柳さんとの関係にある程度とらわれなくなりつつあった時期に、ノイズ発生装置ではない形でギターを弾こうと改めて思ったんです。

——その頃、どんなギタリストを聴いていましたか? 特に印象に残っているアルバム等はありますか?

大友:ギタリストのアルバムを聴き込んで研究したのは、やっぱり高柳さんのところにいた時期。とにかくいろんなものをたくさん聴いてました。もう1回ギターを弾き始めた時は、いちから練習し直さなきゃいけなかったから、結構オーソドックスなアルバムを聴き返していました。ジム・ホールとかね。もちろん、オーソドックスなギターを演奏したかったわけではないので、ジム・ホールのスタイルを取り入れようとしたわけではなくて、ハーモニーの付け方を少し参考にしたぐらい。あくまでも自分独自のやり方で弾けるようになればいいとは思ってました。

2005年のソロ作『Guitar Solo』について

——ギタリストという意味では、やはり2005年のソロ作『Guitar Solo』が1つの節目になるアルバムだったと思います。doubtmusicのレーベル第1弾でもありましたが、大友さんとしては当時、録音作品としてギター・アルバムをどのように作りたいというモチベーションがあったのでしょうか?

大友:1つはやっぱり、昔からの知り合いの沼田順がディスクユニオンを辞めてレーベルを作るというから、餞に音源をプレゼントしたいという思いがありました。あまりお金をかけるわけにもいかなくて、だからスタジオに入らず新宿ピットインのライヴでレコーディングをして(註:録音は2004年10月12日)。プレゼントする以上、他にも参加ミュージシャンがいるとややこしくなるので、ソロにしようと。で、ちょうどその少し前からソロ・ライヴをやっていたし、映画音楽でもギターを弾いていた——実は90年代も映画音楽ではギターをちょこちょこ弾いてたんです——ので、そろそろギターのソロ・アルバムを作りたいと思っていた。ただ、普通のギタリストのような技術があるわけではないから、できる範囲で自分なりのソロ・ギターをやろうという挑戦ではあったかもしれない。

——2002年にデレク・ベイリーがジョン・ゾーンのTzadikレーベルから『Ballads』というソロ・アルバムを出したじゃないですか。内容は大きく異なりますが、それと大友さんの『Guitar Solo』が重なって見えるんです。つまり、どちらも完全即興ではなくあくまでも楽曲を取り上げていて、けれどいわゆる楽曲通りに演奏しているわけでもなくて。もともとインプロヴィゼーションやノイズに取り組んできたミュージシャンがあえて楽曲の演奏に挑んだ結果生まれた奇妙なアルバムになっていると言いますか。

大友:確かに、『Ballads』が出た時はすごく衝撃を受けて、「このやり方もアリなんだ」と思ったのは事実です。何回も聴いたなあ。もちろん、この世界で音楽をやろうと思った時からデレク・ベイリーはずっと大好きだったけど、そのベイリーが『Ballads』を出したのは、実は僕にとって大きかったのかもしれない。例えば『Ballads』は冒頭に「Laura」が収録されているけど、ジャズであれば、「Laura」のコード進行と小節をキープしながら展開していくじゃない? でもデレク・ベイリーの演奏を聴くとそうではないんですよね。テーマから始まるけど、その後は好きなところに行って、また「Laura」に戻ってくる。でもそれで全然成り立っている。それはすごく自由でいいなと思った。

ただ、そのやり方そのものはニュー・ジャズ・クインテットですでに試していたんです。最初にテーマがあって、でもテーマと全く違うアドリブを展開させたり、全然違うところに行ったりしてから最後にテーマに戻るという。それまでのジャズのフォーマットではないやり方は試していて、けれどソロ・ギターでそれをやってもいいんだと気づかせてくれたのは、確かに『Ballads』だったのだと思う。もちろんデレク・ベイリーみたいには弾けないので、僕は自分なりのやり方でやろうとは思っていたけれども。

——楽曲ではなく、完全にノイズ/インプロヴィゼーションだけでソロ・ギターのアルバムを作る、ということは選択肢にありましたか?

大友:その時は選択肢にはなかったです。ノイズや即興だけで録音するのは、もう今更やらなくていいんじゃないかとさえ思っていて。ライヴでは散々やってたけど。で、実はCD-Rで『Guitar Solo Live 1』(1999年)というギター即興の作品を出したことはあるんですよ。だけどあまりおもしろいと思わなくて、即興はその場で消えてしまえばいいやと考えていた。アルバムとしてリリースするなら、ある程度曲の形になっているものを残したかった。当時はその方が新鮮だったんだと思う。

ソロの即興って実は難しくて、本当の意味での即興ではないんですよね。デュオやトリオの場合はその場で考えていることが多いんだけど、ソロだと、純粋にその場で考えているのか自分に問いかけると、そうでもないなと思っていて。それまでのいろいろな経験に強く縛られていて、そこから抜け出すのはとても大変。それにソロ・インプロヴィゼーションのアルバムって、デレク・ベイリーをはじめ先達の素晴らしい作品がたくさんある。オレはああいうふうに即興を切り拓いてきたタイプではない。だからあの時点では、即興やノイズだけでソロ・ギターのアルバムを作ろうという気持ちにはなりませんでした。

「Lonely Woman」は高柳昌行が遺した「宿題」

——仮に即興と楽曲を両端に置くとするなら、大友さんのギター演奏において中間にあるものが「Lonely Woman」のような気がするんです。もともとはオーネット・コールマンの曲ですが、大友さんが完全即興でライヴをやる際も、自然と「Lonely Woman」が浮かび上がってくる時があるじゃないですか。

大友:ある。そう、ギターで即興演奏をやる時に何も参考にしていないかというと、本当はそうではなくて、やっぱり高柳さんのソロ・ギター・アルバム『ロンリー・ウーマン』(1982年)はとても大きかった。影響を受けちゃうからギターを再び手にした時は、聴かないようにしていたけれど。自分の記憶の奥底に秘めておこうと思っていたけど、どうしても頭をよぎってしまう。だったら毎回「Lonely Woman」を演奏してもいいや、と決めたのが2000年代だった。どういう形で演奏してもいいやって。即興演奏の中で突然出てきてもいいし、最初から「Lonely Woman」を弾いて崩していきつつリズムを出すのでもいいし、とにかく演奏しようと決めてた。それはオーネット・コールマンというより、やっぱり高柳さんの存在が、ギターを弾く時に僕にとってあまりにも大きかったということなんだと思う。

もちろんオーネット・コールマンも大きいですよ。彼の作品の中でも最初にハーモロディック的になったのが「Lonely Woman」だと僕は思っているので。あくまでも自分なりの解釈ね。だからそれはどこかでジャズ史と繋がっていたいという思いもあるのかもしれない。とはいえ、オーネットの曲は「Lonely Woman」以外はほぼやっていないから、やっぱり、あくまでも高柳さんを通したジャズ史をどこかで意識してしまっているんですよね。

——高柳さんにとっても「Lonely Woman」はやはり特別な曲だったのでしょうか?

大友:そこは謎なんですよね。知る限り高柳さんはソロでしか「Lonely Woman」を演奏していなくて。ライヴもほぼ全部観ていたけど、アングリー・ウェーヴスのようなグループだと「Lonely Woman」はやらない。ソロの時だけなんですよ。しかも当時の高柳さんは特にオーネット・コールマンについて何も言っていなくて、いつも聞いていたのはアルバート・アイラーの話。なのになぜ「Lonely Woman」だったのか……正直、よくわからない。

ただ、高柳さんが最後に「Lonely Woman」を演奏したのは、おそらく1984年。副島輝人さんと一緒に北海道をツアーしたんだけど、最初のコンサートで「Lonely Woman」を演奏して、他は全てノイズだった。それ以降はもう「Lonely Woman」はやらなくなって、東京に戻ってからも演奏していなかったんです。ガーッてノイズをひたすら出す「アクション・ダイレクト」に移行していったからね。それを傍で観ながら、オレとしては「アクション・ダイレクトの中で『Lonely Woman』を弾いてもいいんじゃないか」とずっと思っていて、高柳さんにも言ったんだけど、その度に「大友、お前わかってない」と言われて。「あれは一緒にできない。違うもんなんだ」って。

そうだよなと思いつつ、でも一緒にやりたくなる欲望にも駆られる。だから僕は「Lonely Woman」を、ノイズの中から突然出てきたり、あのテーマから始まるけど全然違うところに行ったり、そういうものとして演奏してきたのだと思う。「Lonely Woman」は僕にとっては高柳さんが遺した「宿題」みたいなものなんです。高柳さん自身も次のアクション・ダイレクトに行ってしまって、ただ楽曲だけがポンと残されたというか。

大友良英のギター・スタイルの確立プロセス

——『Guitar Solo』のリリースからすでに20年近く経過していて、ギタリストとしての大友さんの活動は、実はそれ以降の方が長いですよね。あえてこういう言い方をするなら、大友さんには独自のギター・スタイルがあるとも思うんです。ご自身としては、いつ頃からそうしたスタイルが確立してきたと思いますか?

大友:2000年代を通じてかなあ。部分的には20代前半からすでにやっていたけれど。2000年代に特にこだわっていたことの1つは、フィードバックをどう扱うかでした。高柳さんもフィードバックは扱っていたけど、「Lonely Woman」の中ではほぼ出てこないんですよね。だからその中にフィードバックを入れたいというか、それを骨格にできないかと思っていて。高柳さんには「フィード・バック」という曲の録音もあって、富樫雅彦さん達と一緒にやった1969年のアルバム『ウィ・ナウ・クリエイト』に収録されている演奏。あれと「Lonely Woman」を混ぜたような、どちらにでも行けるようなものはできないかな、と。

それでフィードバックを飼い慣らしながら、コントロールできる部分/できない部分と付き合いつつ、メロディーや和声にいつでも移行できる、みたいなギター・アプローチを身につけていきました。それは2000年代に入ってから10年ぐらいかけて取り組んでいたかな。それまではフィードバックと言ってもいわゆるノイズ・ギターだったんですよ。ギャーってやるだけ。良くも悪くもだけど、それはコントロールできるものではなかった。そういうアンコントローラブルなノイズ・ギターから、ある程度コントロールしつつ、でもやっぱりコントロールできない部分も残しつつ演奏を進める、みたいな方向に向かっていきました。

——ギターのフィードバックという意味では、大友さんはしばしばジミ・ヘンドリックスからの影響も語られています。

大友:ジミヘンの大部分の演奏は、あくまでもブルースの中でフィードバックを使っているんだけど、1969年のウッドストックでアメリカ国歌を演奏したライヴは、途中から完全にフィードバックになる。あれは今聴いてもカッコいいし、やっぱりすごい。だから、高柳さんの教室に入った最初の頃から、ああいうふうにフリージャズをやりたいとは思ってた。全く似ていないんだけどね、でもそこはジミヘンからの影響だとオレは思ってる。

——フリー系のギタリストと言えば、例えばアッティラ・ゾラーやラリー・コリエル、もしくはソニー・シャーロック等々もいますが、ジミヘンのようにフリージャズをやりたかった、と。

大友:もちろん、ソニー・シャーロックもラリー・コリエルもフィードバックを使うし、ものすごい好きだけど、メロディーラインとフィードバックを行き来するコントロールの仕方としては、オレは圧倒的にジミヘンのやり方が好き。もう20代前半の頃からそうでした。でもそれが実現できたのは2000年代も後半になってからかな。やっぱりライヴの現場でギターを飼い慣らしながら自分のものを作っていったんだと思う。

ドラムに対してギターがどうサウンドするか

——2000年代に大友さんのギター・スタイルを確立するにあたって、特に影響を受けたセッション相手はいらっしゃいましたか?

大友:やっぱり芳垣安洋かな。芳垣のドラムとやった時に、どうサウンドするかということが大きかった。セッションでもバンドでもそうですね。あのドラムに対してギターがどうしたら納得いく感じで鳴るか。特に2000年代は芳垣と一緒に作っていた感じがします。山下洋輔さんが森山威男さんとあのスタイルを作ったように。リズムとかアクセントの作り方とかも含めて、芳垣のドラムに対応できるように自分のギター・スタイルを作ったような気がする。

芳垣に限らず、いろんなドラマーともやるわけで、それぞれで合わせ方があるんだけど、どちらにせよさまざまなドラマーと合わせながら自分の演奏を作っていたんだと思います。まずはそこから始まりました。その上で、サックスやピアノは少し後になってから対応できるようになっていきました。フリー・インプロヴィゼーションを考えるにあたっても、ジャズを考えるにあたっても、ポップスでもそうだけど、まずはドラムとその上でベースに対してどうサウンドするかを考える癖がある気がします。その次がサックスかな。フィードバック音とサックスをどうサウンドさせるかは、すごくおもしろいテーマだった。

ハーモニーとかコードのことを一切考えずにドラムとやる場合は、音色とリズムだけで押し切れるというのもある。そこにベースが入っても、単音同士であれば、ハーモニーはどうにでも可変できるし。なので、ピアノとやる時はどうしても最初のうちはハーモニーを気にしすぎて、できないと思ってたんです。でも、ここ10年ぐらいは変わってきて、むしろおもしろくなっていった。それこそ坂本龍一さんとやり出したのも大きかった。ドラムとやる時とはまた別のアプローチができるんですよね。ピアノのハーモニーに対して、ギターの弦で出す音色なり音程なり、ハーモニーがどう溶けるかというようなアプローチ。それが 2010年代初頭あたりからできるようになりました。今ではピアノとやるのはすごく楽しくて、坂本さんはもちろん、藤井郷子さんや佐藤允彦さんとセッションするのもとてもおもしろいです。

——2011年1月1日に放送されたラジオで坂本さんと初めて一緒にデュオ・セッションをされましたが、その時も「Lonely Woman」を演奏していました。

大友:そうそう。あれ、実は坂本さんから「『Lonely Woman』をモチーフにしましょう」と提案されたんですよ。で、「Lonely Woman」はキーがDマイナーなんだけど、あの時はDマイナーに対して何の音を出しているのか探りながら演奏してた。そういうアプローチをしてもおもしろいものができるという気づきが坂本さんとのセッションから得られて、それまではハーモニー的なアプローチがあまりできないと思ってたからね。だから、最初はやっぱりドラムとの関係で、音色とスピード、あとグルーヴだけで探っていたけど、坂本さんとのデュオあたりからハーモニーも探るとおもしろいなと思えるようになっていきました。

即興演奏の捉え方の変化

——坂本さんとのラジオのトークで大友さんは音遊びの会の話をされていて、「自由」について改めて考えることになったと仰っていました。大友さんと音遊びの会との出会いは2005年ですが、その時期に即興演奏に対する捉え方の変化もありましたか?

大友:あった。すごくありました。それまでは、変な言い方だけど、即興演奏は即興演奏のようにやらなければならないと思ってた。つまり従来のメロディーやハーモニー、リズムが出てしまうのはもってのほかで、要はデレク・ベイリー的な発想でやらなければならないと。けれど音遊びの会と一緒にやるようになってから、そういったことがどうでもよくなってしまったんです。かつては即興演奏といった時に、そこに即興演奏とは別のベクトルのいろんなヒストリーをどう入れていくかを考えながらやってましたが、ちょっと待てよ、と。即興演奏を中心に据える考え方がとても偏っていたと気付いたのがその時期でした。音遊びの会の子ども達と対峙する時に、そんな自分のヒストリーをメインに持ってきても始まらないですから。まずは目の前の一緒に音を出す人のことを考えようと。

坂本さんは坂本さんで、かつてやっていた即興演奏を再評価するようになっていった時期で、それとも重なって、互いに影響を受け合ったような気がします。もちろん即興演奏を即興演奏のようにやるのはおもしろいところもあるけど、それだけでどうこうという時代ではもはやないなと思うようになって、そしてそれは僕がギターを再び演奏し始めた時期ともクロスしているんです。だからギターを必ずしもノイズのように弾かなくてもいいって素直に思えたのかもしれない。チューニングしてもいいし、しなくてもいい。それは自分の中ではすごく大きな変化だったと思います。

——別の言い方をすると、即興演奏を通じて美学的に新しいことを目指すというよりは、あくまでも方法論として人と人がコミュニケーションすることを重視するようになった、ということでしょうか?

大友:そうだと思います。即興演奏って会話みたいなものだから、そこから新しいことが生まれることもあるかもしれないけど、別にそれだけが目的ではない。それに、あまりにも即興演奏に強い価値を置きすぎてしまうのはどうかとも思うようになりました。

まあ、会話と言っても、別に相手が「ポンポン」って音を出したから「カンカン」って返事をする、みたいなことでは全然ないんだけどね。構成をつけてもいいしつけなくてもいいし、共演する相手と自由にやり取りをする状態。それはターンテーブルよりもギターの方が自由にできるなと思ってました。ターンテーブルだとやっぱり応答の仕方が限られてしまうし、何よりセッティングも含め不自由だけど、ギターはもう少し身軽な感じがしました。

もちろん、どこまで行っても自分のギターでしかないから、そういう不自由さは感じてました。ただ、以前であればフリージャズ的なものをやる際にいろいろ考えたり、それこそ高柳さんのこと抜きでは演奏できなかったけど、2010年代以降はそういうこともあまり考えず、自分のやれることをやるという方向に向かったかな。その中でいろいろ自由にできるようになっていったので。

「今の状態は10年後にはないかもしれない」

——今、大友さんにとって、ギターを演奏することの楽しさはどのようなところにあると感じていますか?

大友:これは良いことなのか悪いことなのかわからないし、この言い方が正しいのかどうかもわからないけど、自分の演奏がどんどん上達している感じがしてます。それがおもしろいです。このスピード感で前は演奏できなかったものができるようになった、とか、フィードバックの中で前はできなかったことが今ならできる、とか、そういうことが年々増えている。それが音楽的に良いことなのか悪いことなのか自分では全然わからないけど、そのおもしろさの欲望には勝てない。

もう自分の身体が動くうちは徹底的にそうしたこと、スピードを上げたり、アプローチを増やしていったりってことをやろうと思っている。もちろん、きっと身体的な限界があるから、どこかまでしか行かないんだけど、とにかく今はどんどん行ける感じがする。だからこの『Solo Works 1 Guitar and Turntable』というアルバムを録ることにしたんです。コロナ禍で人前で演奏する機会が激減していたことも録音のモチベーションにはなったけど、でもやっぱり、今のこの状態が10年後にはないかもしれないし、それどころか、もしかしたら今だけのことかもしれない、という切迫感も大きかった。自分と同世代や少し上の先輩達が相次いで亡くなっているからね、ここ数年は特に。

坂本龍一さんも、高橋幸宏さんも、プロジェクトFUKUSHIMA!を一緒に立ち上げた遠藤ミチロウさんも、遠藤賢司さんも、皆、70歳前後で亡くなられているんですよ。で、自分が今64歳ということを考えると、もしかしたら本当に10年後はないかもしれない。そう思うと余計に、今まであまり出してこなかったソロの即興アルバムを出したいと強く思うようになりました。それはギターだけじゃなくて、ターンテーブルもほぼ一緒です。技術的にはギターとターンテーブルは全然違うんだけど、ターンテーブルの演奏も前より遥かに自由にできているので、その両方を今の状態のまま録っておきたいな、と。

■『Otomo Yoshihide Solo Works 1 Guitar and Turntable』
リリース日:2023年8月16日
価格:(CD)¥2,000
トラックリスト
1.turntable with a record 8
2.guitar 2
3.guitar 6
4.turntable with a record 1
5.turntable without a record 1
6.guitar 4
7.turntable with a record 10
8.guitar 5
9.guitar 1
10.turntable without a record 4
11.turntable without a record 6
12.turntable with a record 2
13.guitar 7
14.turntable without a record 3
15.turntable with a record 5
16.turntable with a record 9
17.turntable without a record 5
18.guitar 8
19.turntable with a record 3
20.guitar 3
https://otomoyoshihide.bandcamp.com/album/otomo-yoshihide-solo-works-1-guitar-and-turntable-3

■大友良英 PITINN 年末4デイズ8連続公演
会期:12月26〜29日
会場:新宿PIT INN
住所:東京都新宿区新宿2-12-4 アコード新宿 B1
時間:昼の部 14:30(オープン)/ 15:00(スタート)、夜の部 19:00(オープン) / 19:30(スタート)
12月26日(火)昼の部「The Night Before Pandemic in Fukushima!」
大友良英(G)、岩見継吾(B)、林頼我(Ds)
12月26日(火)夜の部「Small Stone Baritone Ensemble」
大友良英(G, Per, 指揮)、江川良子、東涼太、本藤美咲、吉田隆一(Bs, 指揮)、木村仁哉、高岡大祐(Tuba, 指揮)、かわいしのぶ(B, 指揮)、イトケン、小林武文(Ds, Per, 指揮)
12月27日(水)昼の部「Daytime Special」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、石若駿(Ds)、小暮香帆(Dance)
12月27日(水)夜の部「The World Without Him (Peter Brötzmann Tribute)」
大友良英(G)、永武幹子(P)、須川崇志(B)、落合康介(B)、本田珠也(Ds)、山崎比呂志(Ds)
12月28日(木)昼の部「細井徳太郎 キュレートセット」
久場雄太(俳優)、荒悠平(ダンス)、細井徳太郎(G, Vo, キュレーション)、君島大空(G, Vo)、高橋佑成(P, Synth)、大友良英(G)
12月28日(木)夜の部「大友良英 ニュージャズアンサンブル」
大友良英(G)、松丸契(Sax)、高橋佑成(P)、上原なな江(Marimba)、水谷浩章(B)、芳垣安洋(Ds)
12月29日(金)昼の部、夜の部「大友良英 スペシャルビッグバンド」
大友良英(G)、江藤直子(P)、近藤達郎(Key)、齋藤寛(Fl)、井上梨江(Cl)、江川良子(Sax)、東涼太(Sax)、佐藤秀徳(Tp)、今込治(Tb)、大口俊輔(Acc)、かわいしのぶ(B)、小林武文(Ds)、イトケン(Ds)、上原なな江(Marimba)、相川瞳(Per)、Sachiko M(Sinewaves)
http://pit-inn.com/newarrivals/0tomo4days/

■ONJQ : Otomo Yoshihide’s New Jazz Quintet EUROPE TOUR 2024
会期:2024年1月26日〜2月11日
1月26日 Sons D’hiver, Paris [FR]
1月27日 Pannonica, Nantes [FR]
1月28日 Autres Mesures, Rennes [FR]
1月30日 AB Club, Bruxelles [BE]
1月31日 Radar, Aarhus [DK]
2月1日 Jazz Club Loco, København [DK]
2月2日 Nasjonal Jazzscene, Oslo [NO]
2月4日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月5日 Pardon, To Tu, Warszawa [PL]
2月6日 NOSPR, Katowice [PL]
2月7日 Divadlo29, Pardubice [CZ]
2月8日 In Situ Art Society, Bonn [DE]
2月9日 Handelsbeurs, Gent [BE]
2月10日 Centro D’Arte, Padova [IT]
2月11日 Area Sismica, Forlì [IT]

Photography Masashi Ura

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大友良英が江之浦測候所でサウンドパフォーマンス「MUSICS あるいは複数の音楽たち その1」を開催 https://tokion.jp/2022/10/04/yoshihide-otomo-musics/ Tue, 04 Oct 2022 02:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=149028 大友良英が11月5日に江之浦測候所でサウンドパフォーマンスOtomo Yoshihide Ensembles 2022新作初演 「MUSICS あるいは複数の音楽たち その1」を開催する。

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大友良英が11月5日に江之浦測候所でサウンドパフォーマンスOtomo Yoshihide Ensembles 2022新作初演 「MUSICS あるいは複数の音楽たち その1」を開催する。

出演アーティストは雅楽・笙の演奏家として国際的に活躍する石川高をはじめ、大友良英スペシャルビッグバンドのメンバーでもある今込治や江川良子、加藤彩子、木村仁哉等を予定している。

大友は同イベントの開催について「私、音楽家・大友良英は、様々なジャンルのミュージシャンやアーティストとともに、『即興』をキーに観客 を取り巻きながら『音楽』を創っていきます。多数の人によって成り立つ“アンサンブルズ”の「新作」を、 江之浦測候所の地から共鳴させていきます。
2008 年に出した大友の最初の著作『MUSICS』にちなみ、今後『MUSICS あるいは複数の音楽たち』のシリーズを展開してく予定で、今回はその1作目になります」とコメントしている。

■Otomo Yoshihide Ensembles 2022 新作初演「MUSICS あるいは複数の音楽たち その 1」
日付:11月5日
会場:小田原文化財団 江之浦測候所
住所:神奈川県小田原市江之浦362-1
時間:13:30〜16:30
入場料:¥6,600(江之浦測候所入館料含む)
※小田原文化財団公式HPで10月14日10:00から発売予定
公式サイト:https://www.odawara-af.com/

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クリスチャン・マークレーと5人のアーティストによるサウンドパフォーマンスが2日間限定で小田原の江之浦測候所で披露  https://tokion.jp/2021/10/14/foundinodawara-christianmarclay/ Thu, 14 Oct 2021 11:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=68622 2019年にスタートした現代アートプロジェクトの第2弾。クリスチャン・マークレーのサウンドパフォーマンス「Found in Odawara」が11月27、28日に江之浦測候所で開催。

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小田原文化財団は、2019年からスタートした現代アートプロジェクトの第2弾としてアーティストのクリスチャン・マークレーのサウンドパフォーマンス「Found in Odawara」を江之浦測候所で開催する。会期は11月27、28日の2日間。

視覚と聴覚の交差点から作品を発表してきたマークレーは、1970年代末にターンテーブルとレコードを楽器として用いた音楽作品を作り出す、ターンテーブル奏者として前衛的な音楽活動を行う一方で、1980年代以降は、視覚的な情報としての音や、現代社会における音の物質化や商品化に着目した、現代美術と音楽との結びつきを探る作品を生み出してきた。近年では、身近なものが作り出す音を用いたプロジェクトをイタリアのヴェニスやイギリスのハダースフィールドで開催している。

「Found in Odawara」は、小田原の江之浦測候所で音楽家の大友良英、巻上公一、サウンドアーティストの鈴木昭男、アーティストの山川冬樹、美術家の山崎阿弥の5人とともにマークレーが即興音楽を披露する。

マークレーはパフォーマンスに関して「2012年以降、私はレコードとターンテーブルからしばし離れ、身の回りのものが生み出すアコースティックな音に焦点を当てるようになった。これは、楽音が増幅され媒介となることの多い、私達を取り巻く環境に対するリアクションである。私は何も持たずに日本へ行き、小田原で見つけたありふれたものを用いて、日本の音楽家やパフォーマーとともに音楽を作り、披露する。5名のうち大友良英や巻上公一とはこれまでも長年にわたり共演してきており、鈴木昭男、山崎阿弥、山川冬樹とは今回が初めてのコラボレーションとなる。杉本博司が構想した素晴らしい江之浦測候所という場所にふさわしい自由形式のパフォーマンスを彼らとともに創り上げることになる」とコメントしている。

■小田原文化財団 現代アートプロジェクト vol.2 クリスチャン・マークレー 「Found in Odawara」
会期:11月27、28日
会場:小田原文化財団 江之浦測候所
住所:神奈川県小田原市江之浦 362-1
時間:13:30〜16:30
入場料:¥3,300(江之浦測候所入館料含む)
※小田原文化財団公式HPで10月29日10時に発売予定
※チケット情報、交通案内等詳細については公式HP、SNSを参照。
Webサイト:小田原文化財団 HP

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