杉田協士 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/杉田協士/ Sat, 06 Jan 2024 02:26:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 杉田協士 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/杉田協士/ 32 32 自分に嘘をつかない——『彼方のうた』杉田協士監督が映画づくりで考えていること https://tokion.jp/2024/01/06/interview-kyoshi-sugita/ Sat, 06 Jan 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=221452 新作映画『彼方のうた』の杉田協士監督へのインタビュー。本作はいかにしてつくられたのか。

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杉田協士

杉田協士
映画監督。東京都出身。過去作に『ひとつの歌』(2011)、『ひかりの歌』(2017)がある。東直子の短歌1首を原作とした『春原さんのうた』(2021)が第32回マルセイユ国際映画祭にてグランプリを含む3冠、第36回高崎映画祭では最優秀監督賞を受賞。今作が長編4作目となる。
X:@kyoshisugita

「何も語らないことが、すべてを語ることにつながるのだと、本作に教えられた」と映画『彼方のうた』にコメントを寄せた、原田マハ。静かなスクリーンは心情の機微をたしかにとらえ、その作品世界にグッと引き込まれる。第80回ヴェネチア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門の公式出品を皮切りに、ウィーン、マンハイム=ハイデルベルク、釜山と世界各地の国際映画祭に出品され、ついに1月5日から日本での上映が始まった。

本作の監督を務めるのは、前作『春原さんのうた』で第32回マルセイユ国際映画祭にてグランプリを含む3冠を受賞した杉田協士監督。助けを必要としている見知らない人に声をかける主人公・春(小川あん)を中心に、中村優子、眞島秀和など名優がその悲しみと喪失に寄り添う。これまで短歌を原作とすることが多かった杉田監督の、12年ぶりのオリジナル長編を軸に映画づくりのこと、生活と映画関係性など話をうかがった。

※本記事内には一部、作品の内容に触れる記述がございます。展開には触れておりませんが、映画を観ていただいた後にも読み返していただくと、作品世界をより楽しんでいただけると思います。

ラストの春の表情を映すために『彼方のうた』を作った

——本作はどのような思いから生まれた作品なのでしょうか?

杉田協士(以下、杉田):私はこれだけ前作から間を空けずに映画を製作することがなかったのですが、前作の『春原さんのうた』で世界各地の映画祭を回っている間に、次回作について興味を示してくれる人たちにたくさん出会えたことがまず大きかったです。そんなところに『春原さんのうた』を気に入ってくれたプロデューサーの方からお誘いをいただき、一緒に映画を作ることになりました。

——周りの期待もあったんですね。

杉田:もちろん映画製作に気持ちを持っていくためには、自分のモチベーションをまず高めなければと思い、今回はわかりやすい“目標”を持つことにしました。せっかく作るなら世界三大映画祭(カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア)を目指そうと。期待してくれている周りの人達が、気をつかって言葉にしないようなことを、自分から言っていくことにしたんです。目指しますと(笑)。

——そうしたモチベーションの違いが影響していたのか、『春原さんのうた』とロケーションも雰囲気も似通っているけれど、これまでの監督作品と全然違う種類の映画、という印象を受けました。

杉田:その印象は当たっているかもしれません。特に前作とは登場する人も場所も共通する部分が多いので、一見似ていると思われるかもしれませんが、今回の映画でやろうとしたことは別の種類のことだったと思います。

——それは、脚本の執筆など製作の初期段階から、これまでと違うことをやろうとする意識があったのでしょうか?

杉田:そうですね……お話ししながら思い出したことですが、『春原さんのうた』の時は、その場所で生まれていく時間の重なりをじっくりと見つめ続けるという意識を持っていました。今回の『彼方のうた』は、ラストの主人公・春の表情、あの一瞬を写すために作っていたと思います。到達点をはっきり想定していたという点で、それまでの映画とは違いました。作品の長さが84分と今までで一番短い理由もそこにあると思います。

SF的感覚

——映画を拝見して思ったのが、「杉田監督の映画はSFだ」ということです。以前インタビューで、杉田監督は幼少期にジョン・カーペンター監督やスティーヴン・スピルバーグ監督の映画がお好きだったというエピソードを聞き、本作とそのエピソードが私のなかでつながった感覚がありました。

杉田:劇場用パンフレットに、私が映画美学校在籍時の恩師である映画監督の筒井武文さんに私の作品論を寄稿いただいたのですが、まさに私の映画のSF性と言いますか、作品には一度も登場していないはずの宇宙人について書かれていました(笑)。

——監督は、どう思われましたか?

杉田:何かを見抜かれたようで気恥ずかしくなりました。私が筒井さんの文章を読んで思い出したのが、映画美学校を出た頃のことでした。一通りのカリキュラムを終えたところで、私に足りないのは自分自身でカメラを構えて人にレンズを向けることだと気づきました。それで、脚本と監督を務めた修了作品の完成試写を終えた日に、その足で姫路まで移動し、地元の中高生達がひと夏かけて野外劇を作るというワークショップをドキュメンタリーとして撮影することにしたんです。

そのワークショップは、大学時代の恩師の劇作家・如月小春さんが長く講師を務めていたもので、亡くなられたあとも弟子や地元の有志の方々の協力によって続いていました。私はそこで演劇を作っている人たちを必死になって撮っていましたが、同時に心のどこかで、もう会うことも叶わなくなった如月さんの姿も追い求めていました。撮れないはずのものを撮ろうとしていたんです。その日々のことをまず思い出しました。

——それがSF的な感覚につながっていったのですか?

杉田:突飛に聞こえるかもしれませんが、そうです。そのワークショップの会場が安藤忠雄さんによる設計の「兵庫県立こどもの館」という施設で、山や湖といった自然物と、コンクリートという無機質な素材の建造物が一体になっている、言ってしまえば宇宙的な場所だったのも影響していると思います。ある日、子どもたちが施設の中で稽古している様子を外から窓ガラス越しに撮っていたのですが、私の背景にある山の木々が風に揺れている様子が窓に反射して、人々の動きと木々の揺れが重なった時に、これかもしれない、と腑に落ちる感覚がありました。いま自分は目の前にあるものを撮っているけれど、果たしてそれすらも本当だろうかと。そこに写っているものが何なのかを判断できるのはもはや自分ではないかもしれない。例えばいつか人類が滅んだ後、別の生命体がこの星にやってきてこの映像を見るようなことがあったら、その時に初めてわかるくらいのことをやっているのかもしれない。それ以来、私が映画をつくっている時にはその意識が根底のどこかにあります。私がこんな変な話を大真面目にしてるのは筒井さんと、質問してくれた羽佐田さんのせいです(笑)。

眞島秀和の覚悟

——そういう気持ちが、絶対的なある一瞬を映そうとするのかもしれないと思いました。本作であれば、「キノコヤ」の窓辺に春と剛(眞島秀和)が座り、互いの記憶をたどるシーンがとても美しかったです。

杉田:あのシーンは、あらためて眞島秀和さんという俳優のすごみを感じました。少ないセリフの中で、その言葉には収まらないたくさんのことを伝える必要のある難しい演技が必要なシーンだったと思いますが、眞島さんは何度テイクを重ねても、ブレのない高い質の演技を維持し続けてくれたんです。小川さんは、あのシーンで春が抱えている複雑な感情を、溢れる手前の状態に保つことを維持してくれて、テイク毎にその時だけの演技を見せてくれる。その眞島さんと小川さんの演技のバランスを見極めながら、一番いい状態で記録することが監督の役割として必要なことでした。

——具体的にはどのように調整を試みるのでしょうか?

杉田:できることは少なくて、本当にちょっとしたことなんですが、例えばそのための最良のカット割りと撮影順を決めることだったりします。私はよくカット割りを事前に決めずに撮影するのですが、テストで2人の芝居を見た時に、あるタイミングまでは引きで撮り、あとはそれぞれの表情にグッと寄ることにして、寄りのカットの撮影の順番としては小川さんから先にいくと決めました。シンプルなことですが、そういう現実的な判断や調整が大切になります。そのうちに陽がいい感じに暮れ、どんどん現場が静かになっていき──どこまで光が持つだろうかと考えながらも、現場の集中力が非常に高くなっていったのを覚えています。

——眞島さんが杉田映画にピッタリとハマっていて、普段のお芝居の印象とまた違った魅力を感じました。

杉田:眞島さんを初めて観たのは、主演作の李相日監督『青〜chong〜』(1999)でした。感銘を受けて、映画学校の修了作品への出演をオファーしたら出てくださって。その後撮影した『河の恋人』(2006)にもワンシーンだけ出演いただいて、いつか自分が商業映画を作る時が来たら、またお願いしたいと思っていました。それで今作は、雪子役の中村優子さんもそうですが、出演していただくために眞島さんと中村さんに当て書きした脚本を用意してからオファーすることにしました。眞島さんは舞台のツアー中だったのですが、なんとかその合間の1週間を私達の撮影のために空けてくださったんです。

——撮影に入るにあたって、事前の打ち合わせなどもされたのですか?

杉田:そこは、私のいつも通りのやり方でもあるのですが、特に打ち合わせなどはしませんでした。印象的なのが、剛の自宅でのシーン。脚本にはなかった物語上の説明の補助になりそうなセリフを足すかどうかを迷っていた時に、「杉田映画はそんなセリフ言わなくていいでしょ」と眞島さんが提案してくださって。きっと私達を和ませるために、すごく軽い調子で(笑)。この現場でおそらく最も俳優として説明的なセリフを言ってきた方が、率先して私の映画のことを考えて意見してくれてうれしかったです。

——杉田監督の作品に向かう覚悟を感じますね。

杉田:剛が生花店に入っていくシーンがあるのですが、ドアを開けて「すいません」と言った時も驚きました。眞島さんのあまり耳にしたことのないテンションの「すいません」を聞いて、この映画のためにすごく考えてきてくださったんだなと思いました。あのなんでもないシーンが好きなんです。

嘘をぜったいにごまかしてはいけない

——杉田監督の作品は、なにをどこまで決めているのか、観ていて気になります。今作で印象的だったのが“視線”のやりとり。ラスト、いつもと違う春さんを感じ取る雪子(中村優子)の視線が印象的です。

杉田:あのシーンは映画の要で、そこに向けて撮影を進めていたようなものでした。撮影最終日だったので、私にできることは少なくて。その日までの積み重ねの中で、最後に小川さんと中村さんが見せてくれるものを最良の形で記録することに集中していました。

撮影の飯岡幸子さんが構えるカメラの位置がキーになったと思います。それまでは主に春にフォーカスを合わせていく撮影が続いていて、ラストシーンもカメラは春を中心に最初はとらえていました。ですが、2人の演技を見つめていくうちに、ああ違う、ここは中村さんが演じる雪子の方が中心なのだと気づいたんです。それを伝えると飯岡さんもすぐに察してくれて、そうだね、それがいいねと。あるカットの撮影の途中でプランを変更しているので、同じカットでも春の視線を追っているテイクと雪子の視線にフォーカスを当てているテイクの両方が残りました。編集の大川景子さんとも事前の打ち合わせはしないのですが、そんな現場の事情を知らない大川さんは、雪子の視線を追ったテイクを中心につなぎながら、さらに春の視線をとらえたテイクもいい塩梅で織り交ぜてくれて、初めて見た時に思わず拍手を送りました。

——答えを見つけるのは、非常に感覚的なものですよね。

杉田:その時にならないとわからないので怖さもあるのですが、怖さを絶対にごまかしてはいけないと思っています。撮影初日から、常に「本当か?」と自分を疑う。今回は、今までにないくらい事前にカット割りを考えることもあったのですが、それも常に疑うことが必要でした。

一番気づいてよかったのが、ファーストシーンのことでした。撮影スケジュールが半ばを過ぎたくらいから薄々感じていたことが、先ほど話した最終日のシーンを撮っている時に確信に変わったんです。いまあるファーストシーンの手前に、もうひとつのシーンがあるはずという感覚でした。脚本に書かれていたシーンをすべて撮り終えた後に、番号としては「1」より手前の「シーン0」をさらに撮影することに決めました。予備としてみなさんのスケジュールをおさえていた1日を使って、20年以上前にプライベートで訪れたことのある、私にとって大事な場所に向かいました。映画を作っている間には、心が折れそうになることもあるのですが、あの日に飯岡さんが構えるカメラの横で春の横顔を見つめている時に、「これはきっと映画になる」と最後の手応えを得られたんです。仕上げの期間もずっとその時の手応えが気持ちを支えてくれました。

——どういう時に心が折れそうになるのですか?

杉田:……自分が嘘をついてしまいそうな時でしょうか。例えばそれを映画らしく作ることはできるけれど、本心からそれを映画だと思えていなかったら、嘘をつくことになります。教育現場で映画制作を志している若い人達にもよく話すのですが、誰よりも自分自身がいいと思える状態の映画にすることを目指した方がいいです。嘘をついたらすぐに自分にはバレるから、実は最初の厳しい観客は自分自身なんです。今回はこれまでよりも撮影と仕上げのスケジュールがタイトだったので、迷うことに使える時間が少なく、そういう点で苦労しました。時間が少ない分、嘘をついてしまいそうなタイミングが来るのが、それまでより多かったと思います。

——セリフが少ないのも、嘘をつかない意識からですか?

杉田:セリフが少ないとよく言われるのですが、本当はそこまで少ないとは思ってないんです(笑)。基準はいつも自分の心で、自分の「本当」を目指すとたまたまこのラインになってしまうだけです。一度、劇作家の松井周さんに「“本当”のラインがバグってますよね」と言われたことがあります(笑)。観客としては、会話劇も含めて、登場人物がすごくしゃべる映画を見るのは好きなので、自分で作るとどうしてこうなるのか不思議です。

生活と映画、その関係性について思うこと

——劇中でも過去作の映像が使用されていた濱口竜介監督が、インタビューで「友人と喫茶店で話していた時、ここにカメラを置いたら映画になる、という気づきが映画を撮る出発点にある」と仰っていました。まさに、杉田監督の作品も生活の大事な一瞬を撮られていると思います。生活と映画、その関係性について、監督が思うことをお伺いしたいです。

杉田:私も以前から、カメラを持ち込まなくてもそこに映画はある、という感覚があります。たまたま、誰かがカメラを置くことで形として残るけれど、撮らなくても満足していることもあります。

本作ですと、ピアノを弾いているシーンはあの場に立ち会えただけで満足だと思うところがありました。映画作りだからカメラを置くけれど、あの空間に居られただけで本当は充分で。

——出演されている方は実際に杉田監督の映画ワークショップを受講されていた一般の方だと伺いました。

杉田:そうですね。私自身があの美術館で講師をしてきたワークショップの時間を、今作の一部として組み込んでいます。私が書いた脚本をベースに受講生のみなさんが受講生役を演じてくれているので、フィクションとドキュメンタリーが混じり合ったようなパートになっています。あそこは、受講生が自分の記憶に残っている過去の小さな出来事を自分の手で映画化するというシーンです。たまたまその美術館の講堂にはグランドピアノがあったので、せっかくだからそれを使ったシーンにすると決めて、かつてはピアニストだったと聞いたことのある、受講生のひとりの五十嵐まりこさんに出演のお願いをしました。そうして撮り終えた後に、その場にいた別の受講生の方が、「五十嵐さん、20年もピアノを辞めていて、絶対に鍵盤を触らなかったんですよ」と教えてくれたんです。「その五十嵐さんがピアノ弾いてるでしょ、しかもすごく良くって、わたし嬉しくって」と涙ぐんでいたんです。……すみません。この話をすると、私も涙が出てきてしまうのですが。

——そうだったんですね……。事情を知らずに杉田監督は五十嵐さんにピアノを弾くシーンをお願いして。

杉田:はい。私の図々しいお願いをどうして受け入れてくれたかはわからないですが、ご自身にはいろいろ思うことがあったのかもしれないです。あと、五十嵐さんがピアノを弾く姿を、架空の自分の記憶としてビデオカメラで撮影する役をお願いした別の受講生の方にも、ピアノとのご縁があったと本番直前に知りました。私が「念のために訊きますが、誰か近しい人がピアノを弾くのを、隣に座って聴いてた思い出なんてないですよね?」と尋ねたら、パートナーの方と出会った頃に、ピアノが置いてあるレストランでそういう出来事があったと言うんです。

そこで、元々は祖母との思い出を映画化しているという架空の設定を考えていたのですが、パートナーとのかつての思い出ということにして、ご自身の記憶と重ねながら演じてもらうことにしました。そうしたら、急に立ち方も、ビデオカメラの構え方から発声に至るまで、見違えるくらい変わったんです。何よりたのしそうに演じてくださって。そういう時間に立ち会えて本当にありがたかったです。もう映画として撮影しなくてもいいんじゃないかと思えるくらいの幸せな時間でした。ただ、私が映画をつくることにしなかったら起きなかったことでもあるので、責任を持ってしっかりと残さなくちゃという気持ちにもなりました。たまに自分が何のために何をしているのか、わからなくなる時があります。

——最後に、杉田監督は観た人に「こう感じてほしい」と期待して映画を作ることはありますか?

杉田:観てくれる方がどのように感じるかまでは、私はコントロールしたいと思うことがないですし、実際にできないことだとも思います。そうかと言って、「自由に解釈してほしい」という態度で映画を作ることも失礼だと思っています。自分の作品に関しての解釈や意図を持ちながら作りつつ、その上で観てくれる方の中でその作品が完成するという感覚を持っています。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

『彼方のうた』 1月5日からポレポレ東中野、渋谷シネクイント、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

■『彼方のうた』
1月5日からポレポレ東中野、渋谷シネクイント、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

出演:小川あん、中村優子、眞島秀和ほか
脚本・監督:杉田協士
撮影:飯岡幸子
編集:大川景子
プロデューサー:川村岬、槻舘南菜子、髭野純、杉田協士
制作プロダクション・配給:イハフィルムズ
製作:ねこじゃらし
2023年製作/84分/G/日本
https://kanatanouta.com

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映画監督・杉田協士 × 詩人・高橋久美子 対談後編 「見過ごされがちな日常にある豊かな時間を描く」 https://tokion.jp/2022/01/14/kyoshi-sugita-x-kumiko-takahashi-part2/ Fri, 14 Jan 2022 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=90745 短歌を原作とした映画『春原さんのうた』の杉田協士監督と詩人の高橋久美子による対談。前後編の後編では、『春原さんのうた』の撮影方法や2人が愛する詩や短歌の魅力について語ってもらった。

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第32回マルセイユ国際映画祭のインターナショナルコンペティション部門にてグランプリ、俳優賞、観客賞の3冠を受賞するなど、各国の映画祭で高い評価を得ている杉田協士監督の最新作『春原さんのうた』は、歌人・東直子の短歌が原作。今回、杉田監督と、詩人として活躍する高橋久美子との対談をお届けする。

前編では2人の出会いから『春原さんのうた』や映画と短歌の共通点について語ってもらったが、後編では『春原さんのうた』の撮影方法や2人が愛する詩や短歌の魅力について話を聞いた。

※一部、作品の内容に触れる記述があります。展開には触れていませんが、映画を観ていただいた後にも読み返していただくと、作品世界をより楽しんでいただけると思います。

心に留まった人の生活を、見守るように撮っている

──お二人の共通点を自分なりに考えた時に、余白を大事にする姿勢ではないかと思いました。そしてお話を聞きながら、お二人の作品に余白を感じるのは、自然を自然なまま切り取ることを大切に、日常をつぶさに見つめていらっしゃるからだと感じました。

高橋久美子(以下、高橋):そうかもしれませんね。人が好きなので、よく見てしまうんですよ。今日も、聖蹟桜ヶ丘の駅に着いて、駅の周辺のベンチに座っている方やクリスマスプレゼントを抱えている子ども(取材は12月24日)など、じっと見てしまって。そこだけを切り取っても、その人自身の歩んできた人生の奥行きを感じますよね。なんか、無意識の姿っていいんですよね。発表会でステージに立っている姿よりも、舞台袖で待機している姿にグッとくるみたいな。

杉田協士(以下、杉田):わかります。『ひかりの歌』を撮影している時に覚えた感覚で、もしかしたら私は街でたまたま見かけて心に留まった人を、フィクションの力を借りて追いかけて、その人の生活をしばらく見させてもらうように撮っているのかなと思いました。それに気付いたのが、編集の大川景子さんとのやりとり。ある作品を仕上げている時に、できあがったものを見させてもらったら何か違う気がして、今のようなことを伝えたんです。そうしたら、「ああわかった」と言ってすぐに編集し直してくれて、それがすごく良くて。もしかしたら最初は、お客さんが主人公の謎を読み解けるようにつないでくれたのかもしれないんですが、私はたぶん、謎は謎のままにしておきたかったんです。

高橋:だから、「見守る」感じを受け取ったのかもしれません。観る人にいろんなことを委ねていて、監督も観客も見守るようにその物語に一緒に入っていくような感じがありますよね。

杉田:撮影もその姿勢だから、自分もその時にならないと、どんなシーンになるのかわからないんです。高橋さんが好きだと言ってくれた道案内のシーンは、たどり着いた2人の目線の先に目当ての建物があるんですね。普通ならそちらを背景に記念の写真を撮るはずだけど、現場でそうはならなかった。彼女は建物が写らない道路を背景に、沙知にカメラを手渡したので、自然と沙知もそちらに向きました。そこで私も、ああ、ここに来た自分を撮ってもらうんだなって思えて。

高橋:それがリアルだなと思いました。時々ありますよね、カメラを向けるのを忘れているというか。ただその場にいた空気を収めておきたいだけなんですよね。でも、それがその場での判断だったとは。

杉田:大体のシーンがそうです。

──それは、演者さんを信頼しているからできることですよね。

杉田:一方的ですけど、信頼していますね。自分でキャスティングもするので、この方はきっと受けとめてくれると思う人を呼んでいます。それぞれの人物像や、どうして道に迷ってまであそこに来たのかは説明していなくても、くみ取ってくれてるんです。

高橋:細かいディテールは描かないけれど、杉田さんの中であるんですか?

杉田:あるんですけど、聞かれたら言うくらいです。沙知がフェリーに乗るシーンで、こちらが思っていたのとは違う理由がありそうな顔になっていると感じた時は自分から話しました。だけど、「こういう顔をしてください」というディテールの話ではなく、沙知がどういう状況にいるのか前後の物語を説明する感じです。そうすると、スッとわかってくれて、はっきりと変わりました。

詩や映画の創作は、自分を整えるために必要な行為

──杉田監督は、「その人自身の生活を追いかけるように撮る」とおっしゃっていました。高橋さんは詩をどんな風に作られていますか?

高橋:そうですね……まだ見つかっていないことを見つける感じですかね。すごくいい瞬間があったとして、だけどみんなが見過ごしてしまっていることってよくあるんですね。私も無意識で急いでいると気付かない時もあるんですけど、タイミングが合って、たまたま発見したり感動したりした時に「誰かに教えたいな」と思いながら書きます。発表するつもりもないんだけれど必要に迫られて書くというか、自分が整っていく感じがしますし、きっと誰かもそう思ってくれているんじゃないかなって。

杉田:その感覚わかります。『春原さんのうた』は2020年に撮ったのですが、自分を整えるのに必要な映画だったと思うんです。周りの大切な人達もコロナの影響で放っておいてしまうと危うい部分もあったように感じて。それが何になるかわからないけれど、今この映画を作っておくのは“きっといいこと”だと。

高橋:作っていると絡まっていた何かがほどけていきますよね。後から作品を見返すとおもしろくて、その当時の瞬間がギュッと閉じ込められていて、一点から当時の私が全部見えてくるんです。

──日記やエッセイなど長文ではなく、短い言葉でまとめることの魅力はどう思われますか?

高橋:なんやろう……やっぱり、美しいからじゃないでしょうか。日記にもその人のセンスみたいなものは表れるけれど、報告的ですよね。だけど詩は余白の部分がたくさんあって、一瞬が輝いてるというか……うまく答えられないけれど。

杉田:私は高橋さんを前にすると、どうしてもみかんの木のことを考えてしまって。みかんの木は見た瞬間の説得力があるじゃないですか。日記やエッセイと詩や短歌の違いは、そこにあるのかなって。短い言葉に説得力がある。

高橋:そうですね。みかんの木みたいに、詩も短歌もあたりまえにそこに存在していて、その一言で納得させるものがある気がします。

──お2人が初めて感動した短歌や詩を教えていただけますか?

杉田:初めて買った短歌集は穂村弘さんの『シンジケート』でした。20歳の時。私は大島弓子さんが大好きで、帯を書いていらしたんですよ。大島さん推薦の歌集なら高くても買おうと、買ったお店の様子まで全部覚えています。その中の一つの短歌が好きで、頑張って言ってみますね……「体温計くわえて窓に額つけ『ゆひら』とさわぐ雪のことかよ」。

高橋:はあー、素敵な短歌ですね。杉田さんっぽいというか。

杉田:今思い出したんですけど、今回の映画を観たいろんな方から「窓の話」をしてもらうんですね。ある方には、「杉田の映画はいつも『窓』だ」って。確かにほとんどの映画に窓が絡んでくるんですけど、よく考えたらこの短歌も「窓」ですね。無意識に、窓というものに惹かれているのかもしれない。

高橋:窓って、のぞき込むじゃないですか。自分自身や人の生活、意識をのぞき込んでいる感じがあって、それは短歌や詩、杉田さんの映画にも感じます。

杉田:スティーヴン・スピルバーグ監督の映画が好きなんですけど、彼の映画は一番大事なシーンに必ず窓やガラスが登場するんですよ。例えば『E.T.』で、エリオットとE.T.がお別れのあいさつをする時もガラス越し。ガラスを避けて回り込むこともできるのに、あえてガラス越しなんですよね。鼻息でガラスが曇っていたりして。

高橋:エリオットにとって、ガラスは必要だったんでしょうね。私が初めて読んだ詩集は、中学生の時に読んだ金子みすゞさんの童謡詩集です。めっちゃかっこいいと思ったんですよね。生まれるずっと前に作られたものなのに、感覚が今もなおさえていて。詩は難しいものだと思っていたけれど、平易な言葉で世界をひっくり返すことができるんだと感動したことを覚えています。例えば、お魚がいっぱい漁れて浜では大賑わいしているけれど、海の底では魚達が弔いをしているだろう、という詩があって。その人の視点次第で世界をいかようにも捉えられるし、詩を書いてみたいと思えたのはみすゞさんの影響が大きいです。

杉田:高橋さんの作品も何気ない日常の中で、視点が変わる気がします。高橋さんの視点で見つめると、気付いてなかったことにハッとするんですよね。

高橋:杉田さんが、登場人物の1人の時間を想像したように、何事も想像力だと思うんです。明るい人だって、落ち込むこともある。無意識な部分を昇華させてあげることができるのが、映画や詩ですよね。

杉田:作品を作っていると、自然と自分の無意識も表れるじゃないですか。それって結構恥ずかしいことなんだけれど、諦めるしかないなと思いながら作っています。

高橋:癖みたいなものですもんね。自分の机を飛び越えて、世の中に作品を出すというのは自分を晒すことなんだと私も思います。歌詞の時は、歌や声という窓を隔てて相手に届くのだけれど、詩だと丸裸な感じ。2010年に詩の展覧会をした時に親戚一同がやってきたんですよ。本当に恥ずかしくて(笑)。だから、詩集が発売されても内緒にしています。

「ここまで見守れたら十分」というタイミングで映画を終える

──『春原さんのうた』は、第32回マルセイユ国際映画祭インターナショナルコンペティション部門にて日本映画初となるグランプリのほか俳優賞、観客賞の3冠に輝くなど国境を越えて、多くの人が感動されています。それには、どのような気付きがありましたか?

杉田:前作『ひかりの歌』は、「光」をテーマにした短歌コンテストの受賞作を映画にしたものなので、作者に対するプレゼント的な気持ちで作っていました。今回は、自分や周りの人に「必要かもしれない」と思いながら作ったので、正直海外まで遠くに目を向けてなかったんですよね。だけど、今自分が必要とするものを作ったら、たまたま多くの人にとっても必要だったんだなと感じました。

高橋:人に会うことの幸せ、みたいなものがここ2年漂っているじゃないですか。だから、世界中が求めていたし、必要だったんだなと思います。

杉田:この映画を観ることで、身近な人と離れてしまった記憶を引き寄せて、会えない人との時間をどう過ごすかということを考えてくださるんですよね。だから、おもしろいくらいに世界のどこに行っても受け取る感想が同じなんです。「自分にも覚えがある」「ほっとした」「ありがとう」ってよく言われて。NYの映画祭では司会の人が話しながら泣いてしまって、それを翻訳する通訳さんもうるっとしていて、ありがたかったです。

──今回の映画にも通ずるテーマだと思うのですが、喪失から回復していく、というのは今の人々が歩いている過程なのかもしれないですね。自分では気付いていないけれど、数十年後に振り返ったらそうだと気付くのかもしれない。そんな中で、食事のシーンが印象に残りました。それは喪失から回復するためには食べることが必要だ、と認識したのですがいかがでしょうか。

杉田:無意識だった部分もありますが、どこかで人間は食べないと生きていけない、と思っているところはあります。どんな状況であれ、沙知は食べられるし水も飲めている。本能的に欲する機能が働いていれば、次の日も来るよっていうのは思っていました。生きることへの希望、みたいな言葉は一旦置いておいても、食べられているのならギリギリ大丈夫だと思ったんです。でも、指摘を受けたのは、1人のシーンだとほとんど食べていないんですね。唯一食べていたのが、どら焼きで。

高橋:それは思いました。誰かといるとお腹いっぱいでもまだ食べちゃう、みたいなことがありますけど、1人だと夕飯を食べてなかったってことありますもんね。言葉にはしないけれど、それくらいギリギリだったのかなと思いました。

──『春原さんのうた』は台詞も少なく、沙知がどういう状況に置かれているのか、何に悲しんでいるのか、全く説明がないまま見る人に解釈が委ねられています。最近の映画には、わかりやすい説明を求められることもあると思いますが、説明的でないのは意図的なのでしょうか?

杉田:自分なりには全力で説明しているんです。だけど、それが言葉ではなくて、「映している」という感じですね。

高橋:音楽も少ないですよね。暗がりの中で洗濯物を取り込んでいるシーンとか、無音の中でカーテンが風になびいていて。音を入れると感情が引っ張られてしまうんだけれど、ないことで、自分の心だけで感じて見られるんだと。それも、意図して引き算をしているんだと思っていました。

杉田:引き算というより、このスクリーンができるだけ満ちればいいな、と思って作っています。それを邪魔しないように映るものを調整するくらいですね。唯一悩んだのは、沙知がアパートから帰ってきてポストに立ち寄り、階段を上がるシーン。テストでは転居先不明の葉書を手に持ってる姿が一瞬だけ映ったんですけど、本番では映る直前のところでかばんにしまい終えちゃったんです。ただでさえポストも映していないから、なんのことかお客さんはわからないかもと思って。だけど、沙知の動きは全部本当だし、演じた荒木さんはその都度自然な状態を選んでくれています。それを信じられたし、一番大事なものは撮れたと思えたので結局1テイク目を使いました。

高橋:それ聞きたかったんです。監督はどれだけを、どんな風に決めているんだろうなと。それはきっと、これまで観られてきた映画や自身の感覚によるものなんでしょうけど、絶妙なあんばいで決められているんだなと思いました。あの、道案内をしながら歩いていくシーンの尺も、どれくらい自分の中で時間を決めているんですか?

杉田:自分の中で、ここまで見たら十分、と思えたらカットをかけます。映画はどこかで終わらなければいけないから、そのタイミングは私もよく考えるんですけど、「登場人物をここまで見守れたら大丈夫」と思えたタイミングで映画も終えるようにしています。十分お邪魔させてもらったし、見ていいのはここまで、という感じですかね。

高橋:なるほど。「見守る」っていいですね。なんか……私は、雪さんの視点で映画を見ていたのかもしれないです。ケーキを食べているシーンも、すごい引きで撮っていたじゃないですか。あれも、雪さんの視点で見ているような感じがしました。

杉田:雪が一体どんな存在なのか、彼女を映せるのだろうかと悩むこともありました。だけど、1つだけルールがあって、別れた後は二度と同じフレームで沙知と雪を映さないようにしたこと。それは、この先も二度と彼女達は会えないことがわかっていたからです。それぞれであり続けたことで、高橋さんのような解釈で彼女はスクリーンの中に映ったのかもしれないですね。

杉田協士
1977年、東京都生まれ。映画監督。2011年に長編映画『ひとつの歌』が東京国際映画祭に出品され、2012年に劇場デビュー。長編第2作『ひかりの歌』が2017年の東京国際映画祭、2018年の全州国際映画祭に出品され、2019年に劇場公開。各主要紙や映画誌「キネマ旬報」において高評価を得たことなどで口コミも広まり、全国各地での劇場公開を果たす。他、小説『河の恋人』『ひとつの歌』を発表(文芸誌「すばる」に掲載)、歌人の枡野浩一による第4歌集『歌 ロングロングショートソングロング』(雷鳥社)に写真家として参加するなど、幅広く活動をつづける
Twitter:@kyoshisugita

高橋久美子
1982年、愛媛県生まれ。詩人・作家・作詞家。チャットモンチーでの音楽活動を経て、2012年より文筆家に。詩、エッセイ、小説、絵本の執筆、翻訳、さまざまなアーティストへの歌詞提供など精力的に活動。主な著書に、詩画集『今夜凶暴だからわたし』(ちいさいミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)など。近著に『その農地、私が買います』(ミシマ社)。現在、長野県上田市で詩と絵の展覧会「ヒトノユメ2021」を開催中(〜5/8)
公式HP:んふふのふ http://takahashikumiko.com
Twitter:@kumikon_drum

映画『春原さんのうた』

『春原さんのうた』
前作『ひかりの歌』が口コミなどの評判により全国各地での公開へとつながった杉田協士監督の長編第3作。歌人の東直子による第一歌集『春原さんのリコーダー』の表題歌を杉田協士監督が映画化し、撮影を飯岡幸子(『うたうひと』『ひかりの歌』『偶然と想像』)、照明を秋山恵二郎(『花束みたいな恋をした』『きみの鳥はうたえる』)、音響を黄永昌(『不気味なものの肌に触れる』『VIDEOPHOBIA』)が務める。第32回マルセイユ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション部門にて日本映画初となるグランプリのほか俳優賞、観客賞の3冠に輝いた。ポレポレ東中野では1月8日の上映初日から3日間、計6公演とも満員御礼になるなど注目も高い。上映劇場はオフィシャルホームページで要確認
https://haruharasannouta.com

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

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映画監督・杉田協士 × 詩人・高橋久美子 対談前編 『春原さんのうた』で映す“人生が見えてくる一瞬” https://tokion.jp/2022/01/12/kyoshi-sugita-x-kumiko-takahashi-part1/ Wed, 12 Jan 2022 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=90232 短歌を原作とした映画『春原さんのうた』の杉田協士監督と詩人の高橋久美子による対談。前後編の前編では、2人の出会いから『春原さんのうた』や映画と短歌の共通点について。

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第32回マルセイユ国際映画祭のインターナショナルコンペティション部門にてグランプリ、俳優賞、観客賞の3冠を受賞するなど、各国の映画祭で高い評価を得ている杉田協士監督の最新作『春原さんのうた』。歌人・東直子の短歌を原作に、パートナーを失い、喪失感を抱えた女性が日々ささやかな暮らしを続ける姿を見つめる。

杉田監督は、前作『ひかりの歌』でも短歌を原作に映画化するなど、一瞬を切り取る詩歌と映画を重ねて、自身の創作を紡ぐ。詩人・作家の高橋久美子も、そうした一瞬を見つめ、作品を生み出している。親交がある2人は、互いの創作に惹かれ、共通点を見出しているのではないだろうか。本作について、詩歌の魅力を前後編でお届けする。

前編では2人の出会いから『春原さんのうた』や映画と短歌の共通点について語ってもらった。

※一部、作品の内容に触れる記述があります。展開には触れていませんが、映画を観ていただいた後にも読み返していただくと、作品世界をより楽しんでいただけると思います。

「無意識を意識する」創作の感覚が近い2人が、共鳴したこと

──お二人が出会ったきっかけは?

杉田協士(以下、杉田):長編1作目『ひとつの歌』(2011年)の公開に向けて、配給のboidとフリーペーパーを作ったんです。その中で映画レビューを書いていただくコーナーがあって、第1回は出演者でもある歌人の枡野浩一さんにお願いをしました。それで枡野さんのお店に遊びに行った時に、たまたま棚にあった高橋久美子さんの詩集を読んだら、ものすごく素敵で。私はいつもそうなんですが、直感で「いい」と思ったら突き進んでしまうタイプなので、高橋さんに書いてもらいたくて、面識もない中でご連絡したのが始まりです。

高橋久美子(以下、高橋):杉田さんおすすめの下北沢のカレー屋さんでお会いしましたね。

杉田:そうでしたね。その時の文章は高橋さんのエッセイ集『いっぴき』にも「魂の歌を聞いた」というタイトルで収載されています。とても素敵な文章なんです。そこから、映画の公開に合わせたトークショーに出ていただいたり、2作目の『ひかりの歌』ではパンフレットで対談をしたり、今日は約1年ぶりにお会いしますね。

高橋:初めて連絡をいただいた時は、お会いしたことがなかったし、過去の作品も知らないし、私で書けるかなって不安があったんです。だけど、映画を観て、ぜひ書きたいと思いました。すごくポエジーというんですかね、私が詩を書く時の感覚と近いものを監督に感じて、しびれた記憶があります。

──『春原さんのうた』は観てみて、いかがでしたか?

高橋:しばらく、後を引く感じがありました。作品との関係がぷつっと終わってしまうのではなくて、自分の生活の中に映画が染み込んでいく感覚になるというのか。観た後も映画のシーンを思い出すことが度々あって、「自分もそこにおったなあ」と思いました。例えば主人公が友達とケーキを食べるシーンとか、自分も横に並んで一緒に座っているような感覚になったんですよ。

大好きなシーンが、道に迷っていた女性と主人公の沙知が、目的地に向かって道をずっと歩いていくところ。通常の映画だと、あの尺の1/3くらいで切られてしまいそうなところを、長いこと撮っていましたよね。

杉田:そうですね。

高橋:あれは、必要なんですよね。彼女達が歩いていけるだろうか、どこに向かっていくのだろうか、それは全編を通して友達や親戚のような気持ちで、後ろからずっと見守っている感覚がありました。

杉田:現場にいる私達のたたずまいも、きっと「見守っている感じ」になっているかもしれません。自分で書いた脚本だし、キャスティングも自らするんですけど、登場人物たちの中にお邪魔させてもらっている感覚がずっとあって。なので、撮影中は端っこに座って、ことの成り行きを見ている感じでしたね。

その人に似合う1人の時間を思って、脚本を当て書きする

高橋:自然なものを自然に描くってすごく難しいと思うんです。だから、『春原さんのうた』で無意識を意識させられる感じに、グッと来たのかなと。それは、俳優さん達が演じているように見えない、というのも大きいのかなと思っています。その人自身が、そのまんま出ているんじゃないかと思うくらい自然体だったじゃないですか。脚本にされる際に、俳優のパーソナルな部分も投影されるんですか?

杉田:出演者が決まってから脚本を書くので、当て書きといえばそうなります。だけど、役とは少しずつ性格が違うんですよ。特に沙知を演じた荒木知佳さんは、もっと動的な人。沙知は物静かで大人しそうだけれど、荒木さんは動物っぽいです。ただ、普段の自分そのものではなかったとしても、潜在的なその人自身が役に生きているのかもしれません。

高橋:人前にいる自分と、潜在的な自分は違いますしね。明るい自分ももちろん私だけど、家に帰って1人で湯船に浸かってぽけーっとしている自分も私で、後者を映されたのかもしれないと思いました。

杉田:確かに、その人の1人の時間は知らないけれど、そういう時間が「似合うだろうな」と思って書いているかもしれないです。見たい居住まいというか。例えば沙知のお風呂シーンなんかは、予定になかったんですよ。だけど、荒木さんとちょっと話したいことがあって電話をすると、100%お風呂場にいる(笑)。本人に聞くと、暇さえあればお風呂に入っていると言うんです。だから、大好きなお風呂のシーンを撮るのはどうですかと聞いたら「ぜひ」と返事があったので撮りました。撮っていたら、そのまま寝てしまってびっくりしましたけど。

高橋:そんなことあるんですね(笑)。沙知を見守る叔父さん役の金子岳憲さんは長いお付き合いだと思うので、パーソナルな部分が色濃く出るものですか? すごく優しくて素敵な叔父さんで、大好きでした。

杉田:あの優しさは、本人とどこか通ずると思います。彼がいると現場が和むんですよ。沙知の自宅で撮影する時も、私が遅れてアパートに向かっていると、部屋の中から笑い声が聞こえてくる。それは彼が現場を和ませているんだろうなと思って。全員が家族みたいな感じになっていました。

──映画の撮影現場というのは、スケジュールも厳しく決められていて、ピリッとした雰囲気の現場も多いように思うのですが、杉田監督の場合は違うんですね。

杉田:映画の撮影現場、という感じとは結構遠い気がします(笑)。日常の延長、というんですかね。大体私は10時半くらいに現場に入って、みんなのおしゃべりがなんとなく終わったらワンシーン撮って、頃合いでお昼を食べて、午後にもうワンシーン撮れたら十分。日が暮れたら帰る、という感じです。

高橋:何テイクも撮り直すことはないんですか?

杉田:叔母さんと叔父さんが沙知の家にやってきて、叔母さんが押し入れに隠れるシーンはなかなかOKになりませんでした。リコーダーも吹かなきゃいけないし、どら焼きも食べるし、2ページくらいの長いシーンで、私も結構難しいシーンだなと覚悟していたんです。1日置きに撮影スケジュールを組んでいたので、撮りきれないものは翌日に回すことにしました。最後に、みんなもいよいよ疲れてきて、芝居とかもよくわからなくなった頃のテイクがOKになりました。

高橋:あのシーンも、大好きでした。どら焼きで例えると、沙知が餡子(あんこ)なら、叔父さんと叔母さんという皮が彼女を包んでくれているようで。あとは、沙知が水を飲むシーンも良かったです。半分は部屋の観葉植物にあげて、もう半分を自分で飲む。植物が生きるのと同じように、自分に水を与えている感じがしました。そうやっていろんなことを想像していくと、すごく詩的な映画だし、短歌から生まれたということがわかりますよね。短歌って、瞬間を切り取るじゃないですか。

杉田:そうですね、長い人生の数秒を切り取って歌にしますよね。

高橋:この映画には「瞬間こそ永遠なり」というのが詰まっていますよね。その一瞬一瞬を大事にしながら、私もどら焼きの餡子になったり皮になったり、はたまた水を半分飲むように、誰かに守られたり守ったりしながら生きていきたい、という気持ちになりました。

短歌の前後に描かれた人生を見つけて、あぶり出していくように撮る

──本作は、東直子さんの第一歌集『春原さんのリコーダー』(ちくま文庫)の表題歌「転居先不明の判を⾒つめつつ春原さんの吹くリコーダー」が原作です。短歌を映画にする際に、どのように物語を組み立てていかれるのでしょうか?

杉田:「瞬間こそ永遠なり」という話で思ったのが、人それぞれに人生があって、どこを切り取っても説得力があると思うんです。例えば喫茶店でお茶を飲んでいても、ただ歩いているだけでも、その人自身がその一瞬に表れる。だから、四六時中人生を追わなくても、人生の数秒を見るだけでもその人自身が伝わってくる気がします。

高橋:数秒に全部ある、みたいな感覚ですよね。

杉田:そうですね。映画も短歌に似ていて、長い人生の数秒を切り取ってつなげるもの。時間が短歌よりも長いだけだと思っています。なので、1つの短歌から妄想を広げていくというよりも、短歌の前後にある人生を私なりに見つけて、あぶり出していく感覚が一番近いかもしれません。そこにあるんだけど、自分達には見えていない時間を浮かび上がらせる作業というのか。

高橋:それは、創作とはまた違う感覚ですね。翻訳に近い気がします。

杉田:歳をとったせいかもしれないんですけど、わざわざ作り出さなくても“ある”という感覚になってきました。それを撮らなくてもいいんだけれど、自分達がせっかく居るなら一応撮っておいてもいいんじゃないか、くらいの気持ちでカメラを向ける。撮影の飯岡幸子さんも同じ感覚で、「どこにカメラを置いても映るから大丈夫」と言う人なんですね。カメラ位置に厳格ではなくて、その場をただ大事にしてくれて、その中でも最良の場所はどこだろうと選んでくれます。

──光の取り方や構図が芸術的な印象があったので、緻密に決め込んでいらっしゃるのだと思っていました。

杉田:よく、そう言ってくださるんですが、全然作り込んでないです。現場を見たら、拍子抜けされるかもしれない(笑)。撮影序盤で、沙知が勤めるカフェ(キノコヤ)の2階で、書道のパフォーマンスをするシーンを撮ったんです。撮影するには狭いスペースだし、まだスタッフも含めてこれがどんな映画になるのかもわかっていない状況だったので、「この場面は一体なんだろう?」みたいな空気が漂っていて。撮影中も目の前ですごいことが起きていることはわかったけど、カメラにはどう映ったんだろうって思っていました。飯岡さんに聞いたら「何かは撮れた」と(笑)。何かが撮れたなら大丈夫だと思って、そのシーンは終えました。そんなことの繰り返しです。

──決めすぎない方が面白いものが撮れる、という感覚もあるのでしょうか?

杉田:決めてしまうと映す対象を縛ってしまう、というのは思っています。カメラが開発された当時の心境を詳しくはわかりませんが、目の前のものを「残したい」という欲求が最初にあって、それで生まれたのがカメラだと思うんです。だから映画の現場でも、本来はこれを映したい、が先にあって、その後にカメラが置かれるのがいいはずです。でも、その順番が逆になってることはよくあります。カメラを先に置いて、そのフレームに合わせて出演者に30センチ動いてもらうとか、当たり前に起きたりします。それに対して、私は「待って、待って」となってしまうんですよ。

高橋:不自然になってしまいそうですね。

杉田:そうなんです。30センチずらしたら崩れませんか? と思う。私が何も言わないで、俳優たちがその役として無意識に選び取った距離に、そこにいる人達や場所の関係が表れてるはずで、それを映したい。カメラを優先して位置関係をずらしてしまうと、自然と選び取ったものがなくなってしまって、俳優が「誰でもない役」になってしまう気がします。

高橋:なるほど……みかんの木、みたいですね。

杉田:ん?(笑)。

高橋:説明が必要でしたね(笑)。私の家は自然農法でみかんを育てていますが、みかんの木って、枝を一本切ってしまうと均衡が崩れるんです。木は、自分達で光が取れるように上手に成長しているから、人の手が入る必要はほとんどない。自然を自然なまま受け入れて、彼らの塩梅を信じて作っていく感じが映画と似ているなあと思って。

杉田:なるほど、それは似ていると思います。

高橋:自然であることを大事にしているから、映画として別物にするのではなくて、自分の人生の延長にこの映画があるんだと思いました。

後編に続く

杉田協士
1977年、東京都生まれ。映画監督。2011年に長編映画『ひとつの歌』が東京国際映画祭に出品され、2012年に劇場デビュー。長編第2作『ひかりの歌』が2017年の東京国際映画祭、2018年の全州国際映画祭に出品され、2019年に劇場公開。各主要紙や映画誌「キネマ旬報」において高評価を得たことなどで口コミも広まり、全国各地での劇場公開を果たす。他、小説『河の恋人』『ひとつの歌』を発表(文芸誌「すばる」に掲載)、歌人の枡野浩一による第4歌集『歌 ロングロングショートソングロング』(雷鳥社)に写真家として参加するなど、幅広く活動をつづける
Twitter:@kyoshisugita

高橋久美子
1982年、愛媛県生まれ。詩人・作家・作詞家。チャットモンチーでの音楽活動を経て、2012年より文筆家に。詩、エッセイ、小説、絵本の執筆、翻訳、さまざまなアーティストへの歌詞提供など精力的に活動。主な著書に、詩画集『今夜凶暴だからわたし』(ちいさいミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)など。近著に『その農地、私が買います』(ミシマ社)。現在、長野県上田市で詩と絵の展覧会「ヒトノユメ2021」を開催中(〜5/8)
公式HP:んふふのふ http://takahashikumiko.com
Twitter:@kumikon_drum

映画『春原さんのうた』

『春原さんのうた』
前作『ひかりの歌』が口コミなどの評判により全国各地での公開へとつながった杉田協士監督の長編第3作。歌人の東直子による第一歌集『春原さんのリコーダー』の表題歌を杉田協士監督が映画化し、撮影を飯岡幸子(『うたうひと』『ひかりの歌』『偶然と想像』)、照明を秋山恵二郎(『花束みたいな恋をした』『きみの鳥はうたえる』)、音響を黄永昌(『不気味なものの肌に触れる』『VIDEOPHOBIA』)が務める。第32回マルセイユ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション部門にて日本映画初となるグランプリのほか俳優賞、観客賞の3冠に輝いた。ポレポレ東中野では1月8日の上映初日から3日間、計6公演とも満員御礼になるなど注目も高い。上映劇場はオフィシャルホームページで要確認
https://haruharasannouta.com

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

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