自分に嘘をつかない——『彼方のうた』杉田協士監督が映画づくりで考えていること

杉田協士
映画監督。東京都出身。過去作に『ひとつの歌』(2011)、『ひかりの歌』(2017)がある。東直子の短歌1首を原作とした『春原さんのうた』(2021)が第32回マルセイユ国際映画祭にてグランプリを含む3冠、第36回高崎映画祭では最優秀監督賞を受賞。今作が長編4作目となる。
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「何も語らないことが、すべてを語ることにつながるのだと、本作に教えられた」と映画『彼方のうた』にコメントを寄せた、原田マハ。静かなスクリーンは心情の機微をたしかにとらえ、その作品世界にグッと引き込まれる。第80回ヴェネチア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門の公式出品を皮切りに、ウィーン、マンハイム=ハイデルベルク、釜山と世界各地の国際映画祭に出品され、ついに1月5日から日本での上映が始まった。

本作の監督を務めるのは、前作『春原さんのうた』で第32回マルセイユ国際映画祭にてグランプリを含む3冠を受賞した杉田協士監督。助けを必要としている見知らない人に声をかける主人公・春(小川あん)を中心に、中村優子、眞島秀和など名優がその悲しみと喪失に寄り添う。これまで短歌を原作とすることが多かった杉田監督の、12年ぶりのオリジナル長編を軸に映画づくりのこと、生活と映画関係性など話をうかがった。

※本記事内には一部、作品の内容に触れる記述がございます。展開には触れておりませんが、映画を観ていただいた後にも読み返していただくと、作品世界をより楽しんでいただけると思います。

ラストの春の表情を映すために『彼方のうた』を作った

——本作はどのような思いから生まれた作品なのでしょうか?

杉田協士(以下、杉田):私はこれだけ前作から間を空けずに映画を製作することがなかったのですが、前作の『春原さんのうた』で世界各地の映画祭を回っている間に、次回作について興味を示してくれる人たちにたくさん出会えたことがまず大きかったです。そんなところに『春原さんのうた』を気に入ってくれたプロデューサーの方からお誘いをいただき、一緒に映画を作ることになりました。

——周りの期待もあったんですね。

杉田:もちろん映画製作に気持ちを持っていくためには、自分のモチベーションをまず高めなければと思い、今回はわかりやすい“目標”を持つことにしました。せっかく作るなら世界三大映画祭(カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア)を目指そうと。期待してくれている周りの人達が、気をつかって言葉にしないようなことを、自分から言っていくことにしたんです。目指しますと(笑)。

——そうしたモチベーションの違いが影響していたのか、『春原さんのうた』とロケーションも雰囲気も似通っているけれど、これまでの監督作品と全然違う種類の映画、という印象を受けました。

杉田:その印象は当たっているかもしれません。特に前作とは登場する人も場所も共通する部分が多いので、一見似ていると思われるかもしれませんが、今回の映画でやろうとしたことは別の種類のことだったと思います。

——それは、脚本の執筆など製作の初期段階から、これまでと違うことをやろうとする意識があったのでしょうか?

杉田:そうですね……お話ししながら思い出したことですが、『春原さんのうた』の時は、その場所で生まれていく時間の重なりをじっくりと見つめ続けるという意識を持っていました。今回の『彼方のうた』は、ラストの主人公・春の表情、あの一瞬を写すために作っていたと思います。到達点をはっきり想定していたという点で、それまでの映画とは違いました。作品の長さが84分と今までで一番短い理由もそこにあると思います。

SF的感覚

——映画を拝見して思ったのが、「杉田監督の映画はSFだ」ということです。以前インタビューで、杉田監督は幼少期にジョン・カーペンター監督やスティーヴン・スピルバーグ監督の映画がお好きだったというエピソードを聞き、本作とそのエピソードが私のなかでつながった感覚がありました。

杉田:劇場用パンフレットに、私が映画美学校在籍時の恩師である映画監督の筒井武文さんに私の作品論を寄稿いただいたのですが、まさに私の映画のSF性と言いますか、作品には一度も登場していないはずの宇宙人について書かれていました(笑)。

——監督は、どう思われましたか?

杉田:何かを見抜かれたようで気恥ずかしくなりました。私が筒井さんの文章を読んで思い出したのが、映画美学校を出た頃のことでした。一通りのカリキュラムを終えたところで、私に足りないのは自分自身でカメラを構えて人にレンズを向けることだと気づきました。それで、脚本と監督を務めた修了作品の完成試写を終えた日に、その足で姫路まで移動し、地元の中高生達がひと夏かけて野外劇を作るというワークショップをドキュメンタリーとして撮影することにしたんです。

そのワークショップは、大学時代の恩師の劇作家・如月小春さんが長く講師を務めていたもので、亡くなられたあとも弟子や地元の有志の方々の協力によって続いていました。私はそこで演劇を作っている人たちを必死になって撮っていましたが、同時に心のどこかで、もう会うことも叶わなくなった如月さんの姿も追い求めていました。撮れないはずのものを撮ろうとしていたんです。その日々のことをまず思い出しました。

——それがSF的な感覚につながっていったのですか?

杉田:突飛に聞こえるかもしれませんが、そうです。そのワークショップの会場が安藤忠雄さんによる設計の「兵庫県立こどもの館」という施設で、山や湖といった自然物と、コンクリートという無機質な素材の建造物が一体になっている、言ってしまえば宇宙的な場所だったのも影響していると思います。ある日、子どもたちが施設の中で稽古している様子を外から窓ガラス越しに撮っていたのですが、私の背景にある山の木々が風に揺れている様子が窓に反射して、人々の動きと木々の揺れが重なった時に、これかもしれない、と腑に落ちる感覚がありました。いま自分は目の前にあるものを撮っているけれど、果たしてそれすらも本当だろうかと。そこに写っているものが何なのかを判断できるのはもはや自分ではないかもしれない。例えばいつか人類が滅んだ後、別の生命体がこの星にやってきてこの映像を見るようなことがあったら、その時に初めてわかるくらいのことをやっているのかもしれない。それ以来、私が映画をつくっている時にはその意識が根底のどこかにあります。私がこんな変な話を大真面目にしてるのは筒井さんと、質問してくれた羽佐田さんのせいです(笑)。

眞島秀和の覚悟

——そういう気持ちが、絶対的なある一瞬を映そうとするのかもしれないと思いました。本作であれば、「キノコヤ」の窓辺に春と剛(眞島秀和)が座り、互いの記憶をたどるシーンがとても美しかったです。

杉田:あのシーンは、あらためて眞島秀和さんという俳優のすごみを感じました。少ないセリフの中で、その言葉には収まらないたくさんのことを伝える必要のある難しい演技が必要なシーンだったと思いますが、眞島さんは何度テイクを重ねても、ブレのない高い質の演技を維持し続けてくれたんです。小川さんは、あのシーンで春が抱えている複雑な感情を、溢れる手前の状態に保つことを維持してくれて、テイク毎にその時だけの演技を見せてくれる。その眞島さんと小川さんの演技のバランスを見極めながら、一番いい状態で記録することが監督の役割として必要なことでした。

——具体的にはどのように調整を試みるのでしょうか?

杉田:できることは少なくて、本当にちょっとしたことなんですが、例えばそのための最良のカット割りと撮影順を決めることだったりします。私はよくカット割りを事前に決めずに撮影するのですが、テストで2人の芝居を見た時に、あるタイミングまでは引きで撮り、あとはそれぞれの表情にグッと寄ることにして、寄りのカットの撮影の順番としては小川さんから先にいくと決めました。シンプルなことですが、そういう現実的な判断や調整が大切になります。そのうちに陽がいい感じに暮れ、どんどん現場が静かになっていき──どこまで光が持つだろうかと考えながらも、現場の集中力が非常に高くなっていったのを覚えています。

——眞島さんが杉田映画にピッタリとハマっていて、普段のお芝居の印象とまた違った魅力を感じました。

杉田:眞島さんを初めて観たのは、主演作の李相日監督『青〜chong〜』(1999)でした。感銘を受けて、映画学校の修了作品への出演をオファーしたら出てくださって。その後撮影した『河の恋人』(2006)にもワンシーンだけ出演いただいて、いつか自分が商業映画を作る時が来たら、またお願いしたいと思っていました。それで今作は、雪子役の中村優子さんもそうですが、出演していただくために眞島さんと中村さんに当て書きした脚本を用意してからオファーすることにしました。眞島さんは舞台のツアー中だったのですが、なんとかその合間の1週間を私達の撮影のために空けてくださったんです。

——撮影に入るにあたって、事前の打ち合わせなどもされたのですか?

杉田:そこは、私のいつも通りのやり方でもあるのですが、特に打ち合わせなどはしませんでした。印象的なのが、剛の自宅でのシーン。脚本にはなかった物語上の説明の補助になりそうなセリフを足すかどうかを迷っていた時に、「杉田映画はそんなセリフ言わなくていいでしょ」と眞島さんが提案してくださって。きっと私達を和ませるために、すごく軽い調子で(笑)。この現場でおそらく最も俳優として説明的なセリフを言ってきた方が、率先して私の映画のことを考えて意見してくれてうれしかったです。

——杉田監督の作品に向かう覚悟を感じますね。

杉田:剛が生花店に入っていくシーンがあるのですが、ドアを開けて「すいません」と言った時も驚きました。眞島さんのあまり耳にしたことのないテンションの「すいません」を聞いて、この映画のためにすごく考えてきてくださったんだなと思いました。あのなんでもないシーンが好きなんです。

嘘をぜったいにごまかしてはいけない

——杉田監督の作品は、なにをどこまで決めているのか、観ていて気になります。今作で印象的だったのが“視線”のやりとり。ラスト、いつもと違う春さんを感じ取る雪子(中村優子)の視線が印象的です。

杉田:あのシーンは映画の要で、そこに向けて撮影を進めていたようなものでした。撮影最終日だったので、私にできることは少なくて。その日までの積み重ねの中で、最後に小川さんと中村さんが見せてくれるものを最良の形で記録することに集中していました。

撮影の飯岡幸子さんが構えるカメラの位置がキーになったと思います。それまでは主に春にフォーカスを合わせていく撮影が続いていて、ラストシーンもカメラは春を中心に最初はとらえていました。ですが、2人の演技を見つめていくうちに、ああ違う、ここは中村さんが演じる雪子の方が中心なのだと気づいたんです。それを伝えると飯岡さんもすぐに察してくれて、そうだね、それがいいねと。あるカットの撮影の途中でプランを変更しているので、同じカットでも春の視線を追っているテイクと雪子の視線にフォーカスを当てているテイクの両方が残りました。編集の大川景子さんとも事前の打ち合わせはしないのですが、そんな現場の事情を知らない大川さんは、雪子の視線を追ったテイクを中心につなぎながら、さらに春の視線をとらえたテイクもいい塩梅で織り交ぜてくれて、初めて見た時に思わず拍手を送りました。

——答えを見つけるのは、非常に感覚的なものですよね。

杉田:その時にならないとわからないので怖さもあるのですが、怖さを絶対にごまかしてはいけないと思っています。撮影初日から、常に「本当か?」と自分を疑う。今回は、今までにないくらい事前にカット割りを考えることもあったのですが、それも常に疑うことが必要でした。

一番気づいてよかったのが、ファーストシーンのことでした。撮影スケジュールが半ばを過ぎたくらいから薄々感じていたことが、先ほど話した最終日のシーンを撮っている時に確信に変わったんです。いまあるファーストシーンの手前に、もうひとつのシーンがあるはずという感覚でした。脚本に書かれていたシーンをすべて撮り終えた後に、番号としては「1」より手前の「シーン0」をさらに撮影することに決めました。予備としてみなさんのスケジュールをおさえていた1日を使って、20年以上前にプライベートで訪れたことのある、私にとって大事な場所に向かいました。映画を作っている間には、心が折れそうになることもあるのですが、あの日に飯岡さんが構えるカメラの横で春の横顔を見つめている時に、「これはきっと映画になる」と最後の手応えを得られたんです。仕上げの期間もずっとその時の手応えが気持ちを支えてくれました。

——どういう時に心が折れそうになるのですか?

杉田:……自分が嘘をついてしまいそうな時でしょうか。例えばそれを映画らしく作ることはできるけれど、本心からそれを映画だと思えていなかったら、嘘をつくことになります。教育現場で映画制作を志している若い人達にもよく話すのですが、誰よりも自分自身がいいと思える状態の映画にすることを目指した方がいいです。嘘をついたらすぐに自分にはバレるから、実は最初の厳しい観客は自分自身なんです。今回はこれまでよりも撮影と仕上げのスケジュールがタイトだったので、迷うことに使える時間が少なく、そういう点で苦労しました。時間が少ない分、嘘をついてしまいそうなタイミングが来るのが、それまでより多かったと思います。

——セリフが少ないのも、嘘をつかない意識からですか?

杉田:セリフが少ないとよく言われるのですが、本当はそこまで少ないとは思ってないんです(笑)。基準はいつも自分の心で、自分の「本当」を目指すとたまたまこのラインになってしまうだけです。一度、劇作家の松井周さんに「“本当”のラインがバグってますよね」と言われたことがあります(笑)。観客としては、会話劇も含めて、登場人物がすごくしゃべる映画を見るのは好きなので、自分で作るとどうしてこうなるのか不思議です。

生活と映画、その関係性について思うこと

——劇中でも過去作の映像が使用されていた濱口竜介監督が、インタビューで「友人と喫茶店で話していた時、ここにカメラを置いたら映画になる、という気づきが映画を撮る出発点にある」と仰っていました。まさに、杉田監督の作品も生活の大事な一瞬を撮られていると思います。生活と映画、その関係性について、監督が思うことをお伺いしたいです。

杉田:私も以前から、カメラを持ち込まなくてもそこに映画はある、という感覚があります。たまたま、誰かがカメラを置くことで形として残るけれど、撮らなくても満足していることもあります。

本作ですと、ピアノを弾いているシーンはあの場に立ち会えただけで満足だと思うところがありました。映画作りだからカメラを置くけれど、あの空間に居られただけで本当は充分で。

——出演されている方は実際に杉田監督の映画ワークショップを受講されていた一般の方だと伺いました。

杉田:そうですね。私自身があの美術館で講師をしてきたワークショップの時間を、今作の一部として組み込んでいます。私が書いた脚本をベースに受講生のみなさんが受講生役を演じてくれているので、フィクションとドキュメンタリーが混じり合ったようなパートになっています。あそこは、受講生が自分の記憶に残っている過去の小さな出来事を自分の手で映画化するというシーンです。たまたまその美術館の講堂にはグランドピアノがあったので、せっかくだからそれを使ったシーンにすると決めて、かつてはピアニストだったと聞いたことのある、受講生のひとりの五十嵐まりこさんに出演のお願いをしました。そうして撮り終えた後に、その場にいた別の受講生の方が、「五十嵐さん、20年もピアノを辞めていて、絶対に鍵盤を触らなかったんですよ」と教えてくれたんです。「その五十嵐さんがピアノ弾いてるでしょ、しかもすごく良くって、わたし嬉しくって」と涙ぐんでいたんです。……すみません。この話をすると、私も涙が出てきてしまうのですが。

——そうだったんですね……。事情を知らずに杉田監督は五十嵐さんにピアノを弾くシーンをお願いして。

杉田:はい。私の図々しいお願いをどうして受け入れてくれたかはわからないですが、ご自身にはいろいろ思うことがあったのかもしれないです。あと、五十嵐さんがピアノを弾く姿を、架空の自分の記憶としてビデオカメラで撮影する役をお願いした別の受講生の方にも、ピアノとのご縁があったと本番直前に知りました。私が「念のために訊きますが、誰か近しい人がピアノを弾くのを、隣に座って聴いてた思い出なんてないですよね?」と尋ねたら、パートナーの方と出会った頃に、ピアノが置いてあるレストランでそういう出来事があったと言うんです。

そこで、元々は祖母との思い出を映画化しているという架空の設定を考えていたのですが、パートナーとのかつての思い出ということにして、ご自身の記憶と重ねながら演じてもらうことにしました。そうしたら、急に立ち方も、ビデオカメラの構え方から発声に至るまで、見違えるくらい変わったんです。何よりたのしそうに演じてくださって。そういう時間に立ち会えて本当にありがたかったです。もう映画として撮影しなくてもいいんじゃないかと思えるくらいの幸せな時間でした。ただ、私が映画をつくることにしなかったら起きなかったことでもあるので、責任を持ってしっかりと残さなくちゃという気持ちにもなりました。たまに自分が何のために何をしているのか、わからなくなる時があります。

——最後に、杉田監督は観た人に「こう感じてほしい」と期待して映画を作ることはありますか?

杉田:観てくれる方がどのように感じるかまでは、私はコントロールしたいと思うことがないですし、実際にできないことだとも思います。そうかと言って、「自由に解釈してほしい」という態度で映画を作ることも失礼だと思っています。自分の作品に関しての解釈や意図を持ちながら作りつつ、その上で観てくれる方の中でその作品が完成するという感覚を持っています。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

『彼方のうた』 1月5日からポレポレ東中野、渋谷シネクイント、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

■『彼方のうた』
1月5日からポレポレ東中野、渋谷シネクイント、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

出演:小川あん、中村優子、眞島秀和ほか
脚本・監督:杉田協士
撮影:飯岡幸子
編集:大川景子
プロデューサー:川村岬、槻舘南菜子、髭野純、杉田協士
制作プロダクション・配給:イハフィルムズ
製作:ねこじゃらし
2023年製作/84分/G/日本
https://kanatanouta.com

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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