神田桂一 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/神田桂一/ Mon, 14 Nov 2022 11:20:14 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 神田桂一 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/神田桂一/ 32 32 台湾と日本、2つの音楽シーンの交錯点 神田桂一とSpykeeが語る、そのこれまでとこれから https://tokion.jp/2022/03/28/keiichi-kanda-x-spykee/ Mon, 28 Mar 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=104771 台湾のDJ/イベントオーガナイザー・Spykeeと『台湾対抗文化紀行』著者・神田桂一に、インディーシーンにおける日本と台湾の交流について尋ねる。

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台北に住むSpykee(スパイキー)は、かつて台北の人気ライブハウス「ザ・ウォール(THE WALL)」のディレクターも務めたDJ/イベントオーガナイザーで、2022年からライブハウス「台北 月見ル君想フ」 を運営する「浪漫的工作室」のディレクターを務める。DJとしては20年以上のキャリアを誇り、イベントオーガナイザーとして、これまでceroやyour song is good、KID FRESINO、VIDEOTAPEMUSIC、yogee new waves、never young beachなどなど数多の日本人バンド、アーティストの台湾でのライブを実現させ、台湾と日本の音楽的交流の一翼を担ってきた人物だ。

そんなSpykeeと、幾度もの訪台を通し体感したかの地のオルタナティヴ・カルチャー/インディペンデント・シーンの熱気や可能性を綴った『台湾対抗文化紀行』(晶文社)を昨年11月に上梓した神田桂一が、ZOOM越しで2年ぶりに再会(同書には神田によるSpykeeのインタビューも収録されている)。2人の出会いから台湾と日本の音楽シーンの交流、台湾で現在起こっていることなどについて、両者に尋ねた。

2人は互いの地の音楽にいつ、どのように出会ったのか

——お二人はいつ頃に出会ったのでしょうか?

神田桂一(以下、神田):2018年に、「lute(ルーテ)」という web メディアで、台湾の音楽シーンを追いかける三部作の映像コンテンツのディレクターを務めたんです。その第1部で台北にあるライブハウス「ザ・ウォール」に forestsというバンドのライブを取材しにいったんですけど、その時にスパイキーくんがDJをやっていて。通訳を務めてくれていた寺尾ブッダさん——青山と台北にあるライヴハウス「月見ル君想フ」の代表で日本と台湾をつなぐ重要人物です——がスパイキーくんを紹介してくれて、少し話をしたんです。それが最初の出会いですね。

——スパイキーさんは、DJとして音楽業界でのキャリアを開始し、その後、ライブハウスのディレクターやイベントオーガナイザーなど多岐に渡り活動されています。まず最初に DJ を始めた時のことを教えてくれませんか?

Spykee:大学生の頃に「SPIN」という DJ バーに毎週末遊びに行っていたんですけど、 だんだん自分でも DJ をやりたいと思うようになり、DJ機材を買いそろえました。それで台北のレコードショップでレコードを買うようになったんですけど、そのお店のオーナーの方が「SPIN」で DJをやっている方で。その縁で僕も「SPIN」でDJをやるようになって、1年後くらいにレジデントDJを務めるようになったんです。

——キャリアの初期から現在に至るまで、 DJスタイルに変化はありましたか?

Spykee:2000年代初頭からクラブイベントでレジデントDJ を務めるようになったんですけど、最初の頃はドラムンベースを、その後はエレクトロクラッシュを中心にプレイする感じでした。もともとバンドミュージックも好きだったこともあり、そういう音楽もセットに混ぜたい気持ちはあったのですが、クラブだとなかなか難しくて。転機になったのは、「地下社会」というアンダーグラウンドなライヴハウスでレジデントDJを務めるようになった時。そこで、ジャンルや時代もバラバラな音楽を1セットでかけるDJスタイルを確立しました。

神田:最初に会った「ザ・ウォール」の時もバンド系でいろいろかけてた記憶がありますね。はしゃぎすぎて細かくは覚えていないんだけど(笑)。

——そんなスパイキーさんは、いつどのようにして日本の音楽に出会ったのでしょうか?

Spykee:2014年に自分でレコードショップを開いたんですけど、その頃はとにかく「もっといろいろなジャンルの音楽を知りたい」「今まで聴いてこなかった音楽と出会いたい」と思っていて、そんな中でいろいろと聴いていて特にハマったのが日本のインディーズだったんです。レコードショップでは、自分が気に入った日本の作品をセレクトして販売していました。その時に、さっき神田さんのお話に出てきた寺尾ブッダさんと出会ったんです。

——最初にハマった日本のバンドは?

Spykee:Yogee New Wavesですね。最初に見つけたのは確か「JET SET」のウェブサイトだったと思うんですけど、彼等の音楽を聴いてすぐに魅了されました。あと、思い出野郎Aチームには、自分の音楽に対する価値認識を改めるきっかけになるくらい、とても強い影響を受けましたね。台湾には彼等のような音楽を奏でるバンドはいませんでした。そんなきっかけで、彼等と同じ時期に活動している他のバンドも聴いたり、ルーツとなっている昔のバンドをさかのぼって聴いたりして、日本の音楽への理解を深めていったんです。

——一方、神田さんはどのように台湾の音楽と出会いはまっていったのでしょうか?

神田:台湾に初めて行ったのは2011年なんですけど、その時に入ったレコード屋で最初の出会いがありました。僕、旅に出る時はいつも宿を決めないんですよ。その時も予約なしで行って、最初に中山っていう駅の近くの宿に泊まったんですけど、そこが最低で(笑)。日本語が通じるいわゆる「日本人宿」だったんですけど、「ウェイ系」ばっかいて全然合わなくて。しかもその日に近くで火事が起こり煙がめちゃくちゃ入ってきて…… 、1日で別れを告げたんです(笑)。それで次の宿を探して、たまたま、師大っていう、台湾師範大学の近くの街のゲストハウスに泊まったんですよ。そしたら、その街がライブハウスやレコード屋がいっぱいある「音楽の街」だったんです。っていう理解でいいんだよね?

Spykee:うん、そういうエリアですね。

神田:それで散策してたらレコード屋があって、フラッと入ったんですよ。そしたら、日本語を喋れる店員さんがいて、台湾の音楽を詳しく説明してくれて。それで何枚か買って帰って聴いたら、めちゃくちゃ良かったんです。それから台湾の音楽にハマった感じですね。

——その時どんなバンドの作品を買ったのでしょうか?

神田:その時に流行っていた透明雑誌(編注:ナンバーガールやソニックユース、ピクシーズに影響を受けたという台湾のオルタナティブロックバンド)と傷心欲絶(編注:2008年活動開始の台湾発パンクバンド)と、あと1枚は何だったけな……。

透明雜誌「少女」(2011)
傷心欲絕「忘記吧」(2011)

Spykee:その感じだと、盪在空中(Hang In The Air)じゃない?

神田:そう、それだ!

Spykee:盪在空中は、日本のフィッシュマンズみたいに、ダブやレゲエの要素を取り入れたロックバンド。その頃、日本のインディーズ系が好きだったらその3つのバンドを勧める感じでしたね。

神田:それまで全く台湾の音楽を知らなかったから、すごく新鮮で。そんなわけで、その後、台湾を訪れる際はその辺りを拠点にして動くことになりましたね。ちなみにちょっと行ったところには鼎泰豊の本店があって。そこで小籠包を食べまくるっていう楽しみもあります(笑)。

台湾の若いアーティストたちはDIY精神に満ちている

——現在の台湾の音楽シーンについて教えていただきたいのですが、若いアーティストたちに特徴的なことって何かありますか ?

Spykee:ガレージスピリット、DIY 精神がありますね。メジャーレーベルに所属しなくてもいいと思っているアーティストが、わりと多くいるように感じます。EPやアルバムを出したければ、政府から補償金をもらえることもありますが、基本的には自分たちで資金を出しています。

神田:確か落日飛車(サンセット・ローラーコースター)も自分たちの会社を作ってやってるんだよね。

Spykee:さっき神田さんが挙げていた透明雑誌のドラムのトリックス(唐世杰)くんも自分のレーベルを持っていますね。

——そういうDIY精神はどこに由来しているのでしょうか.?

Spykee:上の世代のアーティストが、メジャーに所属したことでマーケットに合わせて音楽性を変化させなくてはならなかった姿を見ていることが大きいですね。もちろん、それが悪いということではないですし、メジャーを目指しているアーティストもいます。ただ、自分たちがやりたい音楽性を貫きたくて、メジャーに所属することをゴールだと思わない若いアーティストは増えていると感じます。

——マーケットというところで言うと、自分たちの音楽を届ける先についてグローバルに考えているアーティストは増えているのでしょうか?

Spykee:例えば「落日飛車(サンセット・ローラーコースター)」は、最初からインターナショナルに活動していきたいと考えていたと思います。歌詞も英語にしてね。今は世界中で多くの人がサブスクリプション・サービスを利用していていろいろな国の音楽を聴くことができますし、台湾のみをマーケットとして捉えなくなっている傾向はあるのではないでしょうか。

神田:今の台湾のアーティストたちを見ていると、「世界に向けて届ける」という意識は日本のアーティストよりもものすごく強いと感じますね。日本は国内市場で食えちゃうのもあって、国外を意識しなくても済むじゃないですか。その辺りについては、日本のアーティストは台湾のアーティストから刺激を受けると思うんですよね。

台湾と日本のアーティストの交流を仕掛け始めた経緯

——日本と台湾のアーティストの交流というところについて、神田さんはこの10年を見てきてどのように感じていますか?

神田:僕が初めて台湾に行った2011年頃は、ほとんど日本と台湾の音楽的交流がなかったと思うんです。「影響を受けた」とかあっても、一方通行みたいな感じで。だけど、その後、日本のバンドやミュージシャンが台湾に行ってライブしたり現地のバンドと対バンしたりとか、どんどん交流するようになっていって。それは多分、スパイキーくんたちが仕掛けていたことだと思うんですけど。

——スパイキーさんはどういった経緯で日本のバンドを台湾に呼ぶようになったり、イベントを仕掛けるようになったりしたのでしょうか?

Spykee:先ほど僕がYogee New Wavesの音楽にハマったとお話ししましたよね? その後すぐ、どうしても彼等に台湾でライブをやってほしくて、寺尾ブッダさんに相談したんです。その結果、2015年9月にYogee New Wavesと、彼等のレーベルメイトのnever young beachの2組を台湾に呼ぶことができて。そこから、日本のバンドを呼ぶイベントの企画・オーガナイズを手掛けるようになっていきました。

——日本のバンドのライブやイベントを企画する際に意識していることはありますか?

Spykee:台湾に日本のバンドを呼ぶ時、最初はジャンルやスタイルが合いそうな台湾のバンドで対バンを組むことが多かったんです。台湾では、メインアクトとオープニングアクトの音楽性が異なっていると、炎上することもあって。だけど、日本ではよくジャンルが異なるバンドやアーティストが一緒にやることも多いじゃないですか? そういうことを台湾でやりたくて、この3、4年間は自分なりにチャレンジをしてきました。例えば、思い出野郎Aチームを呼んだ時はLEO37という台湾のラッパーに出てもらったり、KID  FRESINOを呼んだ時はリニオン(LINION)というR&B〜ネオソウル系のシンガーソングライターに出てもらったりして。

LEO37 + FLOWSTRONG「Makes No Difference (feat. 謝明諺 Minyen Hsieh)」 | [THE MIXDOWN SERIES](2021)
LINION「Oh Girl」(2020)

神田:そういったスパイキーくんたちの動きもあって、これから化学反応でいろいろと新しいものが生まれてきたらいいなと思っていたところで、コロナ禍になってしまって……。交流が滞ってしまっているのはとても残念です。

台湾と日本、これから先に描かれる両シーンの未来について

——本当にそうですね。コロナ禍もまだ収まりきっていませんが、台湾で最近おもしろい動きなどあれば教えてください。

Spykee:コロナ禍の影響もあると思うのですが、今までよりも小さな規模感のイベントが多く行われるようになっていますね。東京にたくさんあるようなDJバーやちょっとしたライブもできるようなバーが、これまで台北にはあまり無かったんですけど、そういう場所もだんだんと増えてきていて。週末の特別なイベントというよりも、日常的な感覚でライブを楽しむような感覚が根付いてきていると感じます。

神田:なるほどね。ところで、台湾ってトークライヴハウスってあるの? ロフトプラスワンみたいな、ミュージシャンがトークをするだけのイベントをやったりするような場所。

Spykee:うーん、どうだろう……、そういう場所はないと思いますね。

神田:そうなんだ! 東京ではそういう場所がめちゃくちゃ多いんだよね。俺、台北でトークライブハウスやろうかな(笑)。

——ビジネスチャンスかもしれませんね! ちなみに神田さんが最近気になっている台湾の動きって何かありますか?

神田:フレディ・リム(編注:台北出身の立法委員〔国会議員〕であり、ヘヴィメタルバンド「閃靈(CHTHONIC|ソニック)」のボーカルも務める人物)が住民投票でリコールされかけたけど、成立に至らず大丈夫だったっていうニュースがあって。とても素晴らしいことだと思いましたね。

閃靈(CHTHONIC)「烏牛欄大護法(Millennia’s Faith Undone)」(2018)

——なるほど。政治の話で言うと、台湾は若年層でも投票率が高いですよね。

Spykee:普段はそんなに「誰々に投票する」とか熱心に話したりはしないけど、きちんと投票には行く感じですね。日本では、2021年10月の衆議院選挙の時に、SNSでアーティストや文化人の人たちがスタンスを表明したり、「みんな選挙に行こう」とメッセージを発信していましたよね。それは何かが変わるきっかけになったのかな?

神田:確かにそういうSNS上の動きはよく見られたんだけど、エコーチェンバーというか……。それはあくまで僕等のタイムライン上での話で、そういったことに関心がない人たちは、ネットの外にめちゃくちゃいるんだよね。SNSで自分のタイムラインを見てると、「これは野党がいけるんじゃないか?」って思えていたけど、実際の結果は……っていう。ただ、それでも前よりはみんな政治の話をするようになっているとは思うけど。

——最後に、台湾と日本のこれからについて、思うところをお聞かせください。

Spykee:日本のバンドが台湾でライブをやると10代の子たちも来ていて、彼・彼女たちは英語もできるし、これから先、今まで以上に日本と交流することができるようになる。そんな未来が見えます。音楽でも、それ以外の領域でも。お互いがそれぞれ受信と発信の両方をできるようになることが大事だと思います。

神田:そうですね。今、例えば脱原発についてもLGBTの権利についても、様々なところで台湾に学ぶべきところがあると思っています。カルチャーでも社会的なところでも、お互い良い影響を与えながら、高め合っていければいいですね。あと、僕はコロナになってから台湾に行けていないので、一刻も早くまた行ける日が来ることを願っています。そして、この前出した本(『台湾対抗文化紀行』)の出版記念イベントをぜひ台湾でやりたいですね!

神田桂一
1978年、大阪府生まれ。ライター/漫画原作/総合司会。「ポパイ」「ケトル」「スペクテイター」「週刊現代」「論座」などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良と共著)。2021年11月に『台湾対抗文化紀行』(晶文社)を上梓。
instagram:@pokke0902
Twitter:@pokke0902

Spykee
浪漫的工作室ディレクター、DJ歴20年。イベントオーガナイザーとして、いままでcero、your song is good、STUTS、KID FRESINO、VIDEOTAPEMUSIC、スカート、yogee new waves、never young beach、homecomings、思い出野郎Aチームらの台湾でのライブを実現させてきた。

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漫画『めぞん文豪』原作者コンビが語る、制作背景と文学への想い https://tokion.jp/2021/08/31/maison-bungo/ Tue, 31 Aug 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=55807 ベストセラー本『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』執筆者の神田桂一と菊池良が再びタッグを組み、漫画連載をスタート。その制作背景と意気込みを尋ねた。

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この5月から「ヤングキング」(少年画報社)で連載が開始された“妄想文藝フィクション”漫画、『めぞん文豪』。太宰治が現代に転生し、武者小路実篤や坂口安吾らとシェアハウスで暮らし始める――。そんな荒唐無稽な設定のもとに彼らの日常を描く今作の原作を手掛けているのは、神田桂一と菊池良だ。彼らは、太宰治や三島由紀夫、村上春樹、そしてヒカキンや「週刊文春」などなど、多種多彩な文体模写で100通りの「カップ焼きそばの作り方」を綴った『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(2017年、宝島社)の著者コンビである。そのユニークな視点と巧みな技巧により大きな反響を呼んだ同書に続く新作漫画で、彼らは何をもくろみ、何を描こうとしているのか。『めぞん文豪』誕生の前史と背景、込めた想いについて、2人に尋ねた。

なぜ2人はコンビを組み、文体模写本を出すに至ったのか

――お2人は『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』(以下、『もしそば』)でもコンビを組まれていましたが、結成の経緯や意気投合したポイントを教えてください。

神田桂一(以下、神田):2015年の暮れに、僕ら2人の共通の友達が忘年会を開いたんですけど、その時、僕の前に菊池くんが座っていたんですよ。初対面なので名刺交換をしたら、肩書きに「コンテンツボーイ」って書いてあって。「なんだこいつは?!」っていうのが菊池くんの第一印象(笑)。

菊池良(以下、菊池):その時はまだ新卒で入った会社に所属していたんですけど、名刺の肩書きを何にしても良かったんですよ。僕はゲームボーイが大好きで、『発明BOYカニパン』や『ガリバーボーイ』が好き。なので、「コンテンツボーイ」にしていました。

神田:その肩書きが気になって、家に帰ったあとにちょっと菊池くんのことを調べたら、ネットで有名な人だということがわかったんです。僕、ネットにうとい人だったので全然知らなくて。その時に菊池くんの作品をいろいろと見たら、笑いのセンスにめちゃくちゃ共感できるところがあったんですよ。それで直感的に「2人で組めばかなりおもしろいことができるんじゃないか?」と思って、すぐにFacebookのメッセンジャーで熱い想いを伝えました(笑)。それが僕らの最初の出会いですね。

――その出会いから『もしそば』が誕生するまでの経緯について教えてください。2016年の春頃、菊池さんが村上春樹の文体模写をTwitterで行い大きな反響を生みましたが、それがきっかけとなったのでしょうか?

菊池:あのツイートに書籍化のオファーは1件もきていません。それよりも、神田さんのモチベーションによるところが一番大きかったですね。企画が動き出したのが出会ってから半年くらいたった頃だったんですけど、その時、神田さんの「本を出したい熱」がとても高まっていたんです。

神田:そうそう。「30代で1冊本を出さないとまずい」みたいな強迫観念があって(笑)。その焦りから、本の企画書をいっぱい書いていたんです。そしたらある時、「村上春樹のライフハック本」というアイデアを思いついて。いろいろな人生の局面を村上春樹の作品の主人公になりきることによって切り抜ける、みたいな内容で。それが朝の8時半くらいだったんですけど、すぐ菊池くんにメッセンジャーで連絡したんです。「こういうの思いついたから一緒にやろうぜ!」って。

菊池:おもしろいと思ったので神田さんの企画に乗って、2人で企画書を詰めていったんです。婚活とか就職の面接とか、実際にいくつかのシチュエーションで書いてみたりして。

神田:それを持っていくつか出版社を当たったんですけどダメで。そこで「村上春樹でいろいろなシチュエーションを書くよりも、1つのシチュエーションをいろいろな作家が書くほうがおもしろいんじゃない?」ってなったんですよ。そうして、宝島社に持って行ったら一発でOKが出たんです。

――『もしそば』では、川端康成や谷崎潤一郎、シェイクスピアら「文豪」のみならず、ナンシー関やヒカキンら著名人・文化人、そして「週刊文春」や「ポパイ」といった雑誌などを対象に、多岐にわたる文体模写が行われています。その経験を通して改めて感じたことなどあればお聞かせください。

神田:よくモノマネには「デフォルメ型」と「リアリティ型」があるっていわれるじゃないですか? 前者がコロッケで、後者がコージー冨田みたいな。それが文体模写にもあるんだなってことがわかりましたね。そのどちらが優れているということではなくて、模写する対象によって使い分けたほうがいいというか。『もしそば』に収められているものだと、百田尚樹や小林よしのりらは「デフォルメ型」で、蓮實重彦や井上章一らは「リアリティ型」で書いていくと、いい感じに似てくるんです。

菊池:そう、「リアリティ型」で模写していくと似ないというか、多くの方が似ていると思う文体にならない作家がいるんですよね。あと僕が思ったのは、文体の特徴は「情報とは別の部分」にあらわれるということ。例えば「主人公が走った」は、ただの情報ですけど、そこに「やれやれ」などを盛り込めば村上春樹風の文章になっていく。情報につけ加えられた「余計なもの」に、その作者の、特徴や癖が入ってくるんだな、と。

神田:つまるところ、文体っていうのは、その人の個性の1つなんですよね。1人ひとり全く違うものを持っていて、 究極的にはどうまねても全く同じものになることはないというか。文体模写の本を出しておいて何言ってんだみたいな感じですが(笑)。でも、続編も含めてめちゃくちゃ文体模写を行って、最終的にたどり着いた答えがそれなんです。

 妄想文藝フィクションが生まれた背景とは

――そんなお2人が再びタッグを組み、この5月から「ヤングキング」で『めぞん文豪』の連載が開始となりました。どのようにして連載が実現したのでしょうか?

神田:発想で勝負した『もしそば』でいい結果を残せたこともあって2人で企画ユニットみたいな感じで動いていこうという話になったんです。そうして諸所に企画書を出すなどして動きはじめていたところ、僕の友人でもある「ヤングキング」の編集長が「うちにも何か企画出してよ」って声をかけてきてくれて、4案ほど企画を出したんです。そのうちの1つが『めぞん文豪』で、編集部的に「これがいいね」となって、連載が無事に決まったという流れですね。『めぞん文豪』はわりと前から温めていた企画で、大元のところは菊池くんが考えたものなんです。

菊池:発想の最初のポイントとしてはすごくシンプルで。「文豪たちが共同生活していたらおもしろいだろうな」というアイデアがありました。その後、漫画作品として企画を練っていくにあたり、『めぞん一刻』や『まんが道』、『バクマン。』といった作品をイメージしつつ、シェアハウスでの共同生活の様子や、クリエイター同士が切磋琢磨していく物語の骨子を具体的に考えていきました。それをもとにして、神田さんと膨らませていった感じですね。登場メンバーも早い段階からもう固まっていました。

――今作の主人公となる太宰治は、『もしそば』においても、表紙を飾りつつ、一番最初の模写文として登場するなど、特別な位置を与えられていますね。太宰治に対する思い入れなどあればお聞かせください。

菊池:『もしそば』で太宰の文体模写は僕が書いたんですけど、その時に改めて彼の作品を読み直して感じたのが、「文体が完成されている」ということ。太宰の文体って、現在の小説の文体とさほど変わらないんですよね。太宰よりも前の小説を読むと、「(今の小説と)ルールが違うな」って感じてしまいます。3人称で書いてあるんですけど、「この男(登場人物)についていってみよう」であったり読者への呼びかけがあったり、「作者の声」が地の文に入ってきて、現在からすると違和感を覚えるところがある。一方、太宰はすごく自然に読めるんです。時代をさかのぼって読んでいくと、太宰の時代に小説の文体が完成されたんだなと感じます。現代の小説の大元のところに太宰がいる、そんなイメージが僕の中にはあって。それが、彼や、同時代の作家たちを現在によみがえらせてみる、というアイデアにつながっていったところもありますね。登場する主要メンバーで言うと、武者小路実篤と石川啄木は神田さんがアイデアを出してくれたんです。

――神田さんはどうしてその2人を加えようと思ったのですか?

神田:別件でコミューンやヒッピー関連のカルチャーについてリサーチをしていたんですけど、その時に、武者小路実篤の「新しき村」(編集部注:武者小路実篤とその同志により、人道主義的観点からの理想郷を目指し1918年に創設された村落共同体)を知って。正直、武者小路実篤については、昔学校で習って名前を覚えていた程度だったんですけど、「そういう系の人だったんだ!」というのがわかって、とても興味を引かれました。それで、メンバーの中に、ヒッピー系というかオーガニック志向というか、そういう方面のキャラがいたほうが作品に厚みが出ておもしろくなるんじゃないかと思ったんです。石川啄木については、「クズキャラ」を1人入れようかなと思い加えた感じですね (笑)。

――2人とも、神田さんの狙い通りに、作品の中でうまく生きていると感じます。お2人とも漫画は初挑戦の領域となりますが、具体的にどのように制作を進められているのでしょうか?

菊池:作業の内容的には、まず僕らがテキストベースでストーリーを書いて、それを作画担当の河尻みつるさんに渡して漫画として構築してもらう、という流れですね。僕たちは漫画に関しては門外漢みたいなところもあるので、『めぞん文豪』が漫画作品として成立しているのは、河尻さんの力がすごく大きいです。コマ割りだったり見開きの構図だったりで「読ませる漫画」にしてくれていて、本当にありがたいですね。あと、編集の方にもいろいろとフォローしてもらっています。

神田:1話あたりの僕たちの作業期間については、およそ1週間くらいですね。隔週連載なので、終わって次の1週間で他の仕事をしていると、すぐにまた『めぞん文豪』の1週間がやってくる……みたいな感じで、わりと大変な日々を送っています。ただ、「おもしろい」が大変さを上回っていますけどね。少なくとも今のところは(笑)。あと、ツイッターなどのSNSで結構反応があるんですけど、それがモチベーションになっているところもあります。というか、それがなかったら続けられないかもしれない(笑)。無反応というのが一番きついですから。

シリアスとギャグの間から見えてくること、2人が考える文学の魅力

――『めぞん文豪』は、史実性とフィクション性、そして文学的教養というか啓蒙的な感覚とコメディ的な感覚が絶妙に入り混じっていて、そのバランスがおもしろいと感じました。

菊池:2人でやっているバランス感が、いい具合に働いているんじゃないかなと。おおよその役割分担としては、史実のネタを入れるのは僕が多くて、ぶっ飛んだアイデアを考えるのは神田さんっていう感じですね。

神田:そうですね、僕は「ギャグ漫画がやりたい」という気持ちが最初にあって。史実や彼らの創作物を尊重して生かしつつ、どうギャグをやるかを毎回必死に考えています。そこには、『もしそば』の時もそういうところがあったんですけど、キャッチーな要素を掛け合わせることによって、文学のおもしろさが広く届けばいいなという気持ちもありますね。

菊池:そういう意味でも、全体として重くなりすぎないことは大切で。彼らに関する史実や逸話についてはひたすら調べていて、いつもどのネタをどう入れようかと勘案していますが、マニアックになりすぎないようには注意しています。

――ざっくりとした質問になりますが、お2人が文学について思うところなどを伺いたいです。

菊池:僕は芥川賞の受賞作はすべて読んでいるんですけど、全員が同じ1つの理想を追求しているように感じるところがあるんです。100年近くも同じルールの中で、純文学というものが、競われ磨かれ続けている——それって本当に奇跡的なことで。そんな切磋琢磨の尊さみたいなものは、『めぞん文豪』でも伝えられればいいなと思っています。

神田:長いこと「文学離れ」とかいろいろと言われていますけど、今、文芸誌も盛り上がっていますし、個人的には「全然そんなことないな」とは感じていますね。あと、僕はノンフィクションがすごく好きでよく読むのですが、そのことで、より「文学の言葉」の凄みを感じることがあって。たまに実際の事件を題材にした小説ってあるじゃないですか? 例えば、桐野夏生の『グロテスク』。この作品は1997年に起きた東電OL殺人事件をもとに書かれているんですけど、当該事件を扱ったノンフィクションの作品群に圧勝しているわけですよ。人間の業や性、底知れない暗部を描ききったその文学的想像力の凄まじさにおいて。それは、村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』で描いたノモンハン事件についても言えることで。「文学の言葉」には、時にノンフィクションよりもリアリティが宿るところがあるんだと思っています。

――最後に、お2人それぞれの今後の予定について教えてください。

神田:台湾について取材・執筆した単著がこの秋に出る予定です。現地の音楽や出版文化、オルタナティブ・スペース、政治など、さまざまな領域で取材しまくってかなり濃い内容になっているので、台湾に関心がある方には絶対に楽しんでもらえると思います。

菊池:僕のほうも秋くらいに単著の予定があって、先ほどお話しした芥川賞について、その歴史を総括する1冊になります。博士と少年のコンビがタイムマシンに乗って、石原慎太郎からスタートして、各時代の重要な作家・作品を紹介していくような構成で。ぜひ『めぞん文豪』と合わせて読んでもらいたいですね。

神田桂一
1978年、大阪府生まれ。ライター/漫画原作/総合司会。「ポパイ」「ケトル」「スペクテイター」「週刊現代」「論座」などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良と共著)。11月に『台湾対抗文化紀行』(晶文社)を刊行予定。
https://kanda.theletter.jp/
Twitter:@pokke0902

菊池良
1987年生まれ。作家。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・神田桂一と共著)、『世界一即戦力な男』(‎フォレスト出版)、『芥川賞ぜんぶ読む』(‎宝島社)など。
https://kikuchiryo.me/
Twitter:@kossetsu

Photography Kazuo Yoshida

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