台湾と日本、2つの音楽シーンの交錯点 神田桂一とSpykeeが語る、そのこれまでとこれから

台北に住むSpykee(スパイキー)は、かつて台北の人気ライブハウス「ザ・ウォール(THE WALL)」のディレクターも務めたDJ/イベントオーガナイザーで、2022年からライブハウス「台北 月見ル君想フ」 を運営する「浪漫的工作室」のディレクターを務める。DJとしては20年以上のキャリアを誇り、イベントオーガナイザーとして、これまでceroやyour song is good、KID FRESINO、VIDEOTAPEMUSIC、yogee new waves、never young beachなどなど数多の日本人バンド、アーティストの台湾でのライブを実現させ、台湾と日本の音楽的交流の一翼を担ってきた人物だ。

そんなSpykeeと、幾度もの訪台を通し体感したかの地のオルタナティヴ・カルチャー/インディペンデント・シーンの熱気や可能性を綴った『台湾対抗文化紀行』(晶文社)を昨年11月に上梓した神田桂一が、ZOOM越しで2年ぶりに再会(同書には神田によるSpykeeのインタビューも収録されている)。2人の出会いから台湾と日本の音楽シーンの交流、台湾で現在起こっていることなどについて、両者に尋ねた。

2人は互いの地の音楽にいつ、どのように出会ったのか

——お二人はいつ頃に出会ったのでしょうか?

神田桂一(以下、神田):2018年に、「lute(ルーテ)」という web メディアで、台湾の音楽シーンを追いかける三部作の映像コンテンツのディレクターを務めたんです。その第1部で台北にあるライブハウス「ザ・ウォール」に forestsというバンドのライブを取材しにいったんですけど、その時にスパイキーくんがDJをやっていて。通訳を務めてくれていた寺尾ブッダさん——青山と台北にあるライヴハウス「月見ル君想フ」の代表で日本と台湾をつなぐ重要人物です——がスパイキーくんを紹介してくれて、少し話をしたんです。それが最初の出会いですね。

——スパイキーさんは、DJとして音楽業界でのキャリアを開始し、その後、ライブハウスのディレクターやイベントオーガナイザーなど多岐に渡り活動されています。まず最初に DJ を始めた時のことを教えてくれませんか?

Spykee:大学生の頃に「SPIN」という DJ バーに毎週末遊びに行っていたんですけど、 だんだん自分でも DJ をやりたいと思うようになり、DJ機材を買いそろえました。それで台北のレコードショップでレコードを買うようになったんですけど、そのお店のオーナーの方が「SPIN」で DJをやっている方で。その縁で僕も「SPIN」でDJをやるようになって、1年後くらいにレジデントDJを務めるようになったんです。

——キャリアの初期から現在に至るまで、 DJスタイルに変化はありましたか?

Spykee:2000年代初頭からクラブイベントでレジデントDJ を務めるようになったんですけど、最初の頃はドラムンベースを、その後はエレクトロクラッシュを中心にプレイする感じでした。もともとバンドミュージックも好きだったこともあり、そういう音楽もセットに混ぜたい気持ちはあったのですが、クラブだとなかなか難しくて。転機になったのは、「地下社会」というアンダーグラウンドなライヴハウスでレジデントDJを務めるようになった時。そこで、ジャンルや時代もバラバラな音楽を1セットでかけるDJスタイルを確立しました。

神田:最初に会った「ザ・ウォール」の時もバンド系でいろいろかけてた記憶がありますね。はしゃぎすぎて細かくは覚えていないんだけど(笑)。

——そんなスパイキーさんは、いつどのようにして日本の音楽に出会ったのでしょうか?

Spykee:2014年に自分でレコードショップを開いたんですけど、その頃はとにかく「もっといろいろなジャンルの音楽を知りたい」「今まで聴いてこなかった音楽と出会いたい」と思っていて、そんな中でいろいろと聴いていて特にハマったのが日本のインディーズだったんです。レコードショップでは、自分が気に入った日本の作品をセレクトして販売していました。その時に、さっき神田さんのお話に出てきた寺尾ブッダさんと出会ったんです。

——最初にハマった日本のバンドは?

Spykee:Yogee New Wavesですね。最初に見つけたのは確か「JET SET」のウェブサイトだったと思うんですけど、彼等の音楽を聴いてすぐに魅了されました。あと、思い出野郎Aチームには、自分の音楽に対する価値認識を改めるきっかけになるくらい、とても強い影響を受けましたね。台湾には彼等のような音楽を奏でるバンドはいませんでした。そんなきっかけで、彼等と同じ時期に活動している他のバンドも聴いたり、ルーツとなっている昔のバンドをさかのぼって聴いたりして、日本の音楽への理解を深めていったんです。

——一方、神田さんはどのように台湾の音楽と出会いはまっていったのでしょうか?

神田:台湾に初めて行ったのは2011年なんですけど、その時に入ったレコード屋で最初の出会いがありました。僕、旅に出る時はいつも宿を決めないんですよ。その時も予約なしで行って、最初に中山っていう駅の近くの宿に泊まったんですけど、そこが最低で(笑)。日本語が通じるいわゆる「日本人宿」だったんですけど、「ウェイ系」ばっかいて全然合わなくて。しかもその日に近くで火事が起こり煙がめちゃくちゃ入ってきて…… 、1日で別れを告げたんです(笑)。それで次の宿を探して、たまたま、師大っていう、台湾師範大学の近くの街のゲストハウスに泊まったんですよ。そしたら、その街がライブハウスやレコード屋がいっぱいある「音楽の街」だったんです。っていう理解でいいんだよね?

Spykee:うん、そういうエリアですね。

神田:それで散策してたらレコード屋があって、フラッと入ったんですよ。そしたら、日本語を喋れる店員さんがいて、台湾の音楽を詳しく説明してくれて。それで何枚か買って帰って聴いたら、めちゃくちゃ良かったんです。それから台湾の音楽にハマった感じですね。

——その時どんなバンドの作品を買ったのでしょうか?

神田:その時に流行っていた透明雑誌(編注:ナンバーガールやソニックユース、ピクシーズに影響を受けたという台湾のオルタナティブロックバンド)と傷心欲絶(編注:2008年活動開始の台湾発パンクバンド)と、あと1枚は何だったけな……。

透明雜誌「少女」(2011)
傷心欲絕「忘記吧」(2011)

Spykee:その感じだと、盪在空中(Hang In The Air)じゃない?

神田:そう、それだ!

Spykee:盪在空中は、日本のフィッシュマンズみたいに、ダブやレゲエの要素を取り入れたロックバンド。その頃、日本のインディーズ系が好きだったらその3つのバンドを勧める感じでしたね。

神田:それまで全く台湾の音楽を知らなかったから、すごく新鮮で。そんなわけで、その後、台湾を訪れる際はその辺りを拠点にして動くことになりましたね。ちなみにちょっと行ったところには鼎泰豊の本店があって。そこで小籠包を食べまくるっていう楽しみもあります(笑)。

台湾の若いアーティストたちはDIY精神に満ちている

——現在の台湾の音楽シーンについて教えていただきたいのですが、若いアーティストたちに特徴的なことって何かありますか ?

Spykee:ガレージスピリット、DIY 精神がありますね。メジャーレーベルに所属しなくてもいいと思っているアーティストが、わりと多くいるように感じます。EPやアルバムを出したければ、政府から補償金をもらえることもありますが、基本的には自分たちで資金を出しています。

神田:確か落日飛車(サンセット・ローラーコースター)も自分たちの会社を作ってやってるんだよね。

Spykee:さっき神田さんが挙げていた透明雑誌のドラムのトリックス(唐世杰)くんも自分のレーベルを持っていますね。

——そういうDIY精神はどこに由来しているのでしょうか.?

Spykee:上の世代のアーティストが、メジャーに所属したことでマーケットに合わせて音楽性を変化させなくてはならなかった姿を見ていることが大きいですね。もちろん、それが悪いということではないですし、メジャーを目指しているアーティストもいます。ただ、自分たちがやりたい音楽性を貫きたくて、メジャーに所属することをゴールだと思わない若いアーティストは増えていると感じます。

——マーケットというところで言うと、自分たちの音楽を届ける先についてグローバルに考えているアーティストは増えているのでしょうか?

Spykee:例えば「落日飛車(サンセット・ローラーコースター)」は、最初からインターナショナルに活動していきたいと考えていたと思います。歌詞も英語にしてね。今は世界中で多くの人がサブスクリプション・サービスを利用していていろいろな国の音楽を聴くことができますし、台湾のみをマーケットとして捉えなくなっている傾向はあるのではないでしょうか。

神田:今の台湾のアーティストたちを見ていると、「世界に向けて届ける」という意識は日本のアーティストよりもものすごく強いと感じますね。日本は国内市場で食えちゃうのもあって、国外を意識しなくても済むじゃないですか。その辺りについては、日本のアーティストは台湾のアーティストから刺激を受けると思うんですよね。

台湾と日本のアーティストの交流を仕掛け始めた経緯

——日本と台湾のアーティストの交流というところについて、神田さんはこの10年を見てきてどのように感じていますか?

神田:僕が初めて台湾に行った2011年頃は、ほとんど日本と台湾の音楽的交流がなかったと思うんです。「影響を受けた」とかあっても、一方通行みたいな感じで。だけど、その後、日本のバンドやミュージシャンが台湾に行ってライブしたり現地のバンドと対バンしたりとか、どんどん交流するようになっていって。それは多分、スパイキーくんたちが仕掛けていたことだと思うんですけど。

——スパイキーさんはどういった経緯で日本のバンドを台湾に呼ぶようになったり、イベントを仕掛けるようになったりしたのでしょうか?

Spykee:先ほど僕がYogee New Wavesの音楽にハマったとお話ししましたよね? その後すぐ、どうしても彼等に台湾でライブをやってほしくて、寺尾ブッダさんに相談したんです。その結果、2015年9月にYogee New Wavesと、彼等のレーベルメイトのnever young beachの2組を台湾に呼ぶことができて。そこから、日本のバンドを呼ぶイベントの企画・オーガナイズを手掛けるようになっていきました。

——日本のバンドのライブやイベントを企画する際に意識していることはありますか?

Spykee:台湾に日本のバンドを呼ぶ時、最初はジャンルやスタイルが合いそうな台湾のバンドで対バンを組むことが多かったんです。台湾では、メインアクトとオープニングアクトの音楽性が異なっていると、炎上することもあって。だけど、日本ではよくジャンルが異なるバンドやアーティストが一緒にやることも多いじゃないですか? そういうことを台湾でやりたくて、この3、4年間は自分なりにチャレンジをしてきました。例えば、思い出野郎Aチームを呼んだ時はLEO37という台湾のラッパーに出てもらったり、KID  FRESINOを呼んだ時はリニオン(LINION)というR&B〜ネオソウル系のシンガーソングライターに出てもらったりして。

LEO37 + FLOWSTRONG「Makes No Difference (feat. 謝明諺 Minyen Hsieh)」 | [THE MIXDOWN SERIES](2021)
LINION「Oh Girl」(2020)

神田:そういったスパイキーくんたちの動きもあって、これから化学反応でいろいろと新しいものが生まれてきたらいいなと思っていたところで、コロナ禍になってしまって……。交流が滞ってしまっているのはとても残念です。

台湾と日本、これから先に描かれる両シーンの未来について

——本当にそうですね。コロナ禍もまだ収まりきっていませんが、台湾で最近おもしろい動きなどあれば教えてください。

Spykee:コロナ禍の影響もあると思うのですが、今までよりも小さな規模感のイベントが多く行われるようになっていますね。東京にたくさんあるようなDJバーやちょっとしたライブもできるようなバーが、これまで台北にはあまり無かったんですけど、そういう場所もだんだんと増えてきていて。週末の特別なイベントというよりも、日常的な感覚でライブを楽しむような感覚が根付いてきていると感じます。

神田:なるほどね。ところで、台湾ってトークライヴハウスってあるの? ロフトプラスワンみたいな、ミュージシャンがトークをするだけのイベントをやったりするような場所。

Spykee:うーん、どうだろう……、そういう場所はないと思いますね。

神田:そうなんだ! 東京ではそういう場所がめちゃくちゃ多いんだよね。俺、台北でトークライブハウスやろうかな(笑)。

——ビジネスチャンスかもしれませんね! ちなみに神田さんが最近気になっている台湾の動きって何かありますか?

神田:フレディ・リム(編注:台北出身の立法委員〔国会議員〕であり、ヘヴィメタルバンド「閃靈(CHTHONIC|ソニック)」のボーカルも務める人物)が住民投票でリコールされかけたけど、成立に至らず大丈夫だったっていうニュースがあって。とても素晴らしいことだと思いましたね。

閃靈(CHTHONIC)「烏牛欄大護法(Millennia’s Faith Undone)」(2018)

——なるほど。政治の話で言うと、台湾は若年層でも投票率が高いですよね。

Spykee:普段はそんなに「誰々に投票する」とか熱心に話したりはしないけど、きちんと投票には行く感じですね。日本では、2021年10月の衆議院選挙の時に、SNSでアーティストや文化人の人たちがスタンスを表明したり、「みんな選挙に行こう」とメッセージを発信していましたよね。それは何かが変わるきっかけになったのかな?

神田:確かにそういうSNS上の動きはよく見られたんだけど、エコーチェンバーというか……。それはあくまで僕等のタイムライン上での話で、そういったことに関心がない人たちは、ネットの外にめちゃくちゃいるんだよね。SNSで自分のタイムラインを見てると、「これは野党がいけるんじゃないか?」って思えていたけど、実際の結果は……っていう。ただ、それでも前よりはみんな政治の話をするようになっているとは思うけど。

——最後に、台湾と日本のこれからについて、思うところをお聞かせください。

Spykee:日本のバンドが台湾でライブをやると10代の子たちも来ていて、彼・彼女たちは英語もできるし、これから先、今まで以上に日本と交流することができるようになる。そんな未来が見えます。音楽でも、それ以外の領域でも。お互いがそれぞれ受信と発信の両方をできるようになることが大事だと思います。

神田:そうですね。今、例えば脱原発についてもLGBTの権利についても、様々なところで台湾に学ぶべきところがあると思っています。カルチャーでも社会的なところでも、お互い良い影響を与えながら、高め合っていければいいですね。あと、僕はコロナになってから台湾に行けていないので、一刻も早くまた行ける日が来ることを願っています。そして、この前出した本(『台湾対抗文化紀行』)の出版記念イベントをぜひ台湾でやりたいですね!

神田桂一
1978年、大阪府生まれ。ライター/漫画原作/総合司会。「ポパイ」「ケトル」「スペクテイター」「週刊現代」「論座」などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良と共著)。2021年11月に『台湾対抗文化紀行』(晶文社)を上梓。
instagram:@pokke0902
Twitter:@pokke0902

Spykee
浪漫的工作室ディレクター、DJ歴20年。イベントオーガナイザーとして、いままでcero、your song is good、STUTS、KID FRESINO、VIDEOTAPEMUSIC、スカート、yogee new waves、never young beach、homecomings、思い出野郎Aチームらの台湾でのライブを実現させてきた。

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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