ダフト・パンク Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ダフト・パンク/ Mon, 06 Dec 2021 03:25:58 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png ダフト・パンク Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ダフト・パンク/ 32 32 連載「PKCZ®が世界中のDJに聞くアフターコロナのクラブシーン」 Vol.2  ビジー・P編 https://tokion.jp/2021/12/08/post-covid-club-scene-vol2/ Wed, 08 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=79868 EXILE MAKIDAI、白濱亜嵐、VERBAL、DJ DARUMAによるクリエイティブユニット、PKCZ®によるグローバル連載。世界を股にかけて活躍するDJとのクロストークを通してアフターコロナのクラブシーンを探る。2回目のゲストは、ペドロ・ウィンターことビジー・P。

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EXILE MAKIDAI白濱亜嵐VERBALDJ DARUMAによる音楽クリエイティブユニット、PKCZ®による連載企画の第2回。連載ではメンバーが注目する、世界中のDJや音楽プロデューサー達に、コロナ禍におけるクラブシーンの現状と今後についてクロストークしていく。フィジカルな現場が激減してしまったクラブミュージックの未来とは。

今回フランスはパリ発のエレクトロニックレコードレーベル、Ed Banger Recordsを主宰し、ビジー・P(BUSY P)名義でDJとしても活躍する、ペドロ・ウィンターがゲスト。DJ DARUMAと交流するようになり約15年。変わらぬスタンスを貫き、世界へナイスな音楽を発信し続けるペドロは、取材当日も晴れやかでご機嫌だった。

ひとびとはクラブで踊りたがっているし、音楽を欲している

ビジー・P(以下、ペドロ):Oh la la(アララ)! ひさしぶり!!

DJ DARUMA(以下、DARUMA):TOKION初登場ということで、ペドロのプロフィールを教えてもらえるかな?

ペドロ:もちろん! 僕の名前はペドロ・ウィンター。パリ出身の46歳。BUSY “MOTHER FUCKIN B!”ともいう(笑)。2003年にスタートして、今年で18年目を迎えたエレクトロニックレコードレーベル、Ed Banger Recordsを運営しているよ。
1996年から2008年まではダフト・パンクと12年間仕事をしてきた。友達が大好きで、エレクトロニックミュージックが大好きで、DJは1995年からやっている。それが僕のイントロダクション!

DARUMA:日本はコロナ禍でまだ大変なんだけど、フランスのクラブシーンやフェスティバルはどう?

ペドロ:パリのクラブは約1年の休業を経て、この夏に再開をしたよ。だけど、どこもフルキャパシティではないから、すべてのクラブが再開しているというわけではないんだ。代わりにアウトドアのパーティが多く開かれていて、それが素晴らしい。先週は僕もパリで開催された新しいパーティ「Elektric Park Festival」でDJをやったんだけど、15000人もの人達が集まって、僕はMolécule(モレキュール)とB2Bをやった。すごくいいパーティだから、いつかこのパーティを東京でできたらいいな。
フランスではほとんどの人がワクチンを打ち終えていて、ワクチンを打ったことを証明するQRコードなどの証明が、クラブやフェスティバルに行く際には必要なんだ。今週末、パリで一番有名なクラブ「レックス・クラブ」が再開するけど、少しずつ前のようにノーマルになりつつあるよ。僕が一番実感しているのは、ひとびとはクラブで踊りたがっていること。そして音楽を欲しているということ。みんなエナジーがあって、ポジティブで、人間的な部分を感じることができるパーティに行くことを望んでいるんだ。パンデミックは僕達を変えたけど、エレクトロニックミュージックへの愛は変わっていないんじゃないかな。

DARUMA:ありがとう!とはいえコロナ禍以前と変わった部分もあると思うんだけど、あるとすればなんだと思う?

ペドロ:コロナ禍以前と以後ではクラブシーンはもちろん変わったと思うけど、僕自身が先日ひさしぶりにフェスティバルでプレイしたばかりだから、正直なところまだよくわからないんだ。というのも、ロックダウン後にクラブにはまだ行けていないからさ。昨日、ようやくベニュー再開の初日に開催されたセバスチャン・テリエのコンサートに行ってきたんだけど、音楽を楽しみに外へ出るということを再認識できたというか……。コロナ禍前はクラブに考えることなく気兼ねなく行けて、パーティができたことがラッキーだったことに気付いた。今はできる限りのことをできたらいいなと思う。この状況もいずれは終わるし、昔のような日々に戻れればクラブやパーティを楽しむことがかけがえのないことに気付くはずだから。

自分達がやりたいことをやり続け、音楽に対する愛を保ち続けている

DARUMA:Ed Banger Recordsは変わらずリリースが活発だけど、最近はどう?

ペドロ:2021年はリリースがたくさんできて、Ed Banger Recordsにとっては素晴らしい年になっているよ。(レコードを持ってきて)これは僕、ビジー・Pのマスターズ・アット・ワークのリミックス、そしてローラン・ガルニエミドギャスパール・オジェミスター・オワゾーマド・レイオマー・Sブレイクボット、あとレーベルの1stコンピレーション。コンピレーションはレコードだけでリリースしたんだ。これはファッション……友達がやっているフランスのブランド「エチュード」のファッションショーの曲をレコードにしたものだったり、「シャネル」とコラボレーションをしたレコード「CHANEL ELECTRO」もあるよ。レーベルが今年で18年目を迎えたこともあるし、これから先も続けていくのにとても重要な年になったと思う。そして、これはエクスクルーシブな新しいプロジェクト。(本を見せながら)『CHAOTIC HARMONY』というハウス&テクノミュージックのTシャツのコレクション集を作ったんだ。

DARUMA:それヤバいね! ラップTシャツ集みたいなものはあったけど、確かにこれはない!!

ペドロ:僕はHeadbangers Publishingという出版社もやっているんだけど、これはもうまもなくリリース予定(現在発売中)。ということで、とてもビジー(忙しい)、ビジー(笑)。

DARUMA:Ed Banger Recordsのようにクリエイティビティとイカしたセンスをキープする秘訣を教えて!

ペドロ:いろいろと考えすぎないようにしているんだ。自分達がやりたいことをやり続け、音楽に対する愛を保ち続けているだけ。オフィスにはいつも2~3人しかいなくて、僕らはスモールファミリーだしね。そして一番大切なことは、コンスタントにリリースを続けること。レーベルを始めて18年、ダフト・パンクのマネージングを含めると音楽に携わって25年になるけど、コンスタントにやってきた。DARUMAと知り合った15年くらい前と同じことをやっているでしょ。年を取ってメガネはかけるようになったけど、いまだに同じパッションとエナジー。レコードをリリースして有名になったアーティストもいるし、アンダーグラウンドで活躍し続けているアーティストもいる。僕がエレクトロニックミュージックが好きな理由は、昔に比べてメインストリームになったけど、アンダーグラウンドなものであり続けているからなんだ。グローバルでオルタナティヴ、音楽的でフィロソフィーがあって、そしてファッションとも連動している。それをシェアしているのがエレクトロニックミュージックだと思うんだよ。

DARUMA:昔、僕が渋谷のクラブでパーティをオーガナイズした際に、そのクラブの店長がフランス人だったことで、まだ知り合っていなかったペドロが飛び入りでDJしてくれて、その時にジャスティスの「Waters Of Nazareth」をプレイしていたんだけど、覚えてる? 僕はそれを初めて聴いて、すごくノイジーなエレクトロニックミュージックで衝撃を受けたことを覚えているよ。

ペドロ:2005年のことかな? 当時のダンスミュージックは、ロックンロールなエナジーを持っていて、パリはちょうどロックとヒップホップ、それにエレクトロニックミュージックが一緒くたになっていた時だった。エレクトロニックなDJセットの真ん中でランDMCをかけてマッシュアップしたりさ。その状況にジャスティスは、音楽的なクオリティの高さでベストだった。

Justice 「Waters Of Nazareth」

DARUMA:僕は“エレクトロ”の源流ってパリだと思っているんだけど、やっぱりダフト・パンクの3rdアルバム『Human After All』が出てから、流れが変わった。ペドロは、エレクトロの始まりについてどう考える?

ペドロ:ダフト・パンクの3rdもそうだけど、あの時のフレンチエレクトロミュージックは、今日の音楽プロデューサー達にかなり影響を与えているよね。1990年代の終わりから2021年までの間にフレンチエレクトロは新しいチャプターを迎えているんだけど、ダフト・パンクはそのムーブメントにおいてすごく重要な存在。

Daft Punk 「Human After All」

DARUMA:「コレット」(2017年末に閉店したパリの人気セレクトショップ)のドキュメンタリーを観たけど、ペドロは常にストリートカルチャーの中心にいるなと思った。

ペドロ:「コレット」はすごく重要な存在だった。1997年にショップがスタートして、その年はダフト・パンクの『Homework』もリリースされて、「コレット」とダフト・パンクがパリに明かりを灯したんだ。その年のパリは、エナジーとクリエイティビティにあふれていたよ。僕はラッキーボーイなんだ! いい時に、いいところにいる。

DARUMA:ペドロが触れていったものは、すべて大きくなっていったよね。いつも素晴らしいチョイスをしている。

ペドロ:僕はアーティストを選ぶ立場にもいるけど、アーティスト達も仕事をする際に僕を選んでくれている。互いにグッドチョイスをしているんだ。僕はダフト・パンク、DJ メディ、カシアス、ジャスティス、Mr.オワゾー、ブレイクボット、セバスチャン、そして最近は、ミドといった、才能があって、ユニークで、素晴らしいアーティスト達と仕事ができていることは本当にラッキーだと思う。その中で僕はスポンジの役割を果たしているというか。みんなのグッドヴァイブスを受け止めて、僕は何ができるかを考えているんだ。

ダフト・パンクは、自分達で物語の本を閉じた

DARUMA:この話の流れで聞いてしまうけど、世界中のみんながペドロに聞きたいことがあると思っていて。それはダフト・パンクの解散をどう捉えているかなんだけど、どうかな?

ペドロ:みんなと同じように、あの映像が公開された日に、僕もYouTubeで彼らの物語を知ったんだ。それで僕はトーマス・バンガルテルに電話をして、トーマスが折り返し連絡をくれて説明をしてくれたんだ。みんなと同じようにとても悲しかったよ。28年ものキャリアを持つ素晴らしいアーティストだし、いつもポジティブなシーンをもたらしてくれて良い思い出しかない。彼らは自分達で物語の本を閉じたんだよ。
すでにトーマスはトーマスで、ギ・マ(ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト)はギ・マで、それぞれの音楽を作っているし。だけどファンの人にとって嬉しいのは、彼らの音楽はまだ続いているってこと。それといろいろな人達が、ダフト・パンクについて本を作り始めている。先日はダフト・パンク『Discovery』についての本を作ったイギリス人に会ったよ。

DARUMA :今後、彼らは単独名義で作品をリリースする可能性はあるということなのかな?

ペドロ:トーマスはバレエダンスの曲を作っていて、ギ・マもまた音楽を作っている。だけどそれがリリースされるのかは、僕にはわからない。

DARUMA:ありがとう。次は、ヒップホップのことについて聞きたいんだけど過去の話や、青春時代のヒップホップからの影響などを教えて。

ペドロ:ヒップホップに関しては、最初に知ったのはランDMC。休暇でカナダへ行って時に音楽を土産として持ち帰ってきたんだけど、それですぐにランDMCに恋をした。もちろんビースティ・ボーイズにも。僕はラッキーなことに、ヒップホップのベストな時代とも言える1980年代、1990年代をリアルタイムで過ごしているから、メインストリームにいったBad Boy Entertainment(現Bad Boy Records)や、ノトーリアス・B.I.G.なんかも好きだったけど、もっとアンダーグラウンドなヒップホップが好きだったんだ。その多くはニューヨークにいる人達で、中でもDJプレミアJ・ディラなどのプロデューサーにも興味を持つようになって。他にもティンバランドザ・ネプチューンズナズバスタ・ライムスといった、最新のヒップホップよりも自分がたくさん聴いていた時代のヒップホップが好きなんだ。10代の頃はヒップホップを聴くのが大好きだった。曲の内容を聴いて、ドラックディーラーのストーリーや抗争なんかに影響を受けたりね。いまだにDJをする時にヒップホップをプレイするのが好きだし、聴くのも好きだよ。

DARUMA:日本では若者がヒップホップに夢中で、特にドメスティックのラップに夢中になっているんだけど、フランスではどうかな? オススメのフレンチラッパーはいる?

ペドロ:パリでも同じで、ヒップホップがキッズに一番人気があるよ。エレクトロニックミュージックはもうトレンディではなく、ヒップホップが大人気。僕自身はフレンチヒップホップはそこまで聴いていないんだけど、1人、気に入っているアーティストがいる。彼の名前は、Benjamin Epps(ベンジャミン・エップス)ちょうど先日、彼のスタジオに行ってきたんだけど、彼は天才! 25歳で、ノトーリアスB.I.G.のようなラップをするオールスクールなフローが素晴らしいんだ。彼のことはアンダーグラウンドラジオ、RADIO NOVAを聴いていた時に見つけたんだ。彼の曲がかかった瞬間、彼の曲に夢中になった。唯一、フレンチヒップホップで好きなアーティスト。トラックがメローでいいんだよね。

Benjamin Epps & Le chroniqueur sale 「GOOM」

DARUMA:へえ! 気になるね。日本だと舐達麻っていうアーティストがいて、彼らもメローなトラックにラップをのせていて、すごく人気なんだよ。ペドロの好きなブランド「ワコマリア」とコラボレーションしたりしているよ。

ペドロ:ワオ~!!!

ハウスやテクノは革新的でアヴァンギャルドだから好きなんだ

DARUMA:次はハウスやテクノについて。過去の話や、青春時代に聴いていたハウスやテクノからの影響について教えて。

ペドロ:僕は1990年代初頭にスケートボードをしていたんだけど、その頃の友達がレイヴに誘ってくれて、1992年に初めてレイヴへ行ったんだ。20代前後の若者達が一斉に音楽を聴いて踊っていて、その時のエナジーに飛ばされたんだ。なんといっても自由を感じた。そこでマジックな時間を過ごして、音楽はもちろん、エレクトロニックミュージックのカルチャーにのめり込んでいったんだ。
DJがサンプリング、ドラムマシンとテクノロジーを駆使して、ビートや曲を生み出して、それをアンダーグラウンドラジオで聴いて、レコード店へ行って曲を買ってと、どんどん好きになっていったよ。それから25年たった今もこのムーブメントが好きだし、リリースされているエレクトロニックミュージックは、毎日できるだけ聴いて新しい発見を探している。ハウスやテクノはいつも革新的でアヴァンギャルドだから、今も好きなんだよ。

DARUMA:最近のヨーロッパはハウスやテクノなど4 by 4(四つ打ち)のグルーヴが再び加熱しているような気がするけど、ペドロはどう感じてる?

ペドロ:Ed Banger Recordsの波が大きくなったあとに、新しいジャンルも出てきて、アメリカではラウドでノイジーなEDMのムーブメントが起きて、EDMは日本やヨーロッパでも注目を浴びた。だけど今はまたノーマルになってきていて、アゲアゲな感じなものよりも、例えばケリー・チャンドラーやマスターズ・アット・ワークのようなバック・トゥ・ザ・ルーツ的な感じを求めている。僕達が好きだったハウスミュージック的な。ブラック・コーヒーペギー・グーなんかはソウルフルなハウスミュージックをプレイしているしね。全体的にハウスが戻ってきている感じはするよ。

DARUMA:だよね! 僕らも同じように感じてる。では少し話を変えてプライベートな質問も。パパライフはどう?

ペドロ:最高だよ! DARUMAもパパだよね。父親としての生活は最高!! なんてったってフルタイムジョブ(笑)。

DARUMA:(笑)。

ペドロ:(レコードジャケットを持ってきて)娘がこれを描いたんだけど、僕達は彼女に音楽を教えているんだ。スタジオに遊びにきた時はミュージックマシンを見たり、触ったりしているよ。そういえば、DARUMAはうちのオフィスにきたことがあるよね?

DARUMA:もちろん! あるよ!

(ペドロがオフィスの中を歩き回りながら紹介する)

ペドロ:これは、ダフト・パンク『Homework』のオリジナルだよ。

DARUMA:えぇ! ヤバいね!! そういえば、DJ メディの子どもはすごく大きくなったね。

ペドロ:15歳になったんだよ! この写真は、メディの息子と僕と、ナイル・ロジャース。とまぁ、僕達のオフィスはこんな感じさ。ともかく、日本が恋しいし、日本の友達に会いたいよ。2022年には会えるといいね。それまで僕の愛を日本のみんなに届けていきたい。
そして、これは僕達にとってもとても重要なことだけど、BIG-Oの件に関して、僕らフランスのファミリーから、心よりお悔やみを申し上げたい。僕達にとっても、ものすごく悲しいできごとだった。彼は僕達にも影響を与えてくれた、シャイニングスターだったから。

DARUMA:そうだね…。僕もオオスミ君が居なくなってしまったなんて今も信じられないよ。
今日は忙しい中本当にありがとう。また東京で会える日を楽しみにしています。

ビジー・P
本名、ペドロ・ウィンター。パリ発エレクトロニックレコードレーベル、Ed Banger Recordsおよび、出版レーベル、Headbanger Publishing主宰。1996~2008年、ダフト・パンクのマネージャーを担当する。2002年にレーベルを立ち上げて以来、ジャスティス、DJメディ、セバスチャン、ブレイクボットといったエレクトトロニックアーティストを世に打ち出し、2000年代に世界を魅了したフレンチエレクトロシーンの流れを作る。ビジー・P名義では、DJとしてもワールドワイドに活躍中。
http://www.edbangerrecords.com
Instagram:@edbanger
Twitter:@edbangerrecords

Text Kana Yoshioka

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ダフト・パンクはいかに音楽業界に影響を与えたのか 2つの視点から読み解く  https://tokion.jp/2021/04/07/how-daft-punk-has-impacted/ Wed, 07 Apr 2021 01:00:28 +0000 https://tokion.jp/?p=27838 突如解散したダフト・パンク。28年に及ぶ活動が、音楽業界に与えた影響を音楽批評家のimdkmが解説する。

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2月22日、突如解散したダフト・パンク。YouTubeに「Epilogue」がアップされるやいいなやSNSでは解散を惜しむ声が相次ぎ、普段音楽に対して言及していない人からも多くの投稿があった。ダフト・パンクは、1993年にギ=マニュエル・ド・オメン=クリストとトーマ・バンガルテルによって結成された。日本では、2000年、松本零士が手がけた「One More Time」などの一連のMVでも広く知られるところとなり、2001年の2ndアルバム『Discovery』の大ヒットによりミュージシャンとして確固たる地位を築いた。加えて彼らの象徴でもあるヘルメット姿は、ある意味でファッションとしても先進的に捉えられたことも、音楽面だけにとどまらない人気につながっている。今回、彼らの28年に及ぶ活動がいかに音楽業界で影響を与えてきたのか。音楽批評家のimdkm(イミヂクモ)に読み解いてもらった。

突然の解散による衝撃

2021年2月22日、ダフト・パンクが突如解散を表明した。YouTubeにアップロードされた「Epilogue」なるビデオで、唐突に、しかもあっけなく。「Epilogue」は2006年の映画『DAFT PUNK’s ELECTROMA(邦題:ダフト・パンク エレクトロマ)』のワンシーンを再編集した動画だ。荒野を歩き続ける2人組のロボットがふと立ち止まると、いくらかの逡巡を思わせる間を経て、片方がもう一方に自爆スイッチを押してもらい、爆散する。残されたもう一方はさらに荒野を歩き続けることになる。映画ではこのあと残されたロボットもまた印象的な末路をたどっていくのだが、「Epilogue」ではあえて爆散のシーンをクライマックスにおいたことで、奇妙に爽やかな印象が残る。まるで『気狂いピエロ』のラストみたいな。「え、ほんとに解散なの?」という困惑を呼んだ理由は、その唐突さだけではなく、「Epilogue」に漂う、笑いそうになるような不条理さだったように思う。

という具合に、解散の報せで世界に激震を与えたダフト・パンク。1993年の結成以来、ダンスミュージックのフィールドのみならず、世界的なポップミュージックの動向にも影響を与えるデュオとして活躍を続けてきた。華々しいキャリアは、2014年のグラミー賞での5冠達成や同授賞式でのレジェンダリーなパフォーマンス(ナイル・ロジャースやスティーヴィー・ワンダーをはじめとした大ベテランとの共演!)で1つの頂点に達したと言えよう。もちろん、ザ・ウィークエンドとのコラボレーションなどを通じて、その後も寡作ながら2010年代を通じて存在感を放ち続けたことは言うまでもない。それだけに、このまま数年に一度ふっと姿をあらわしてはインパクトを与えていくものかと思っていた。

ロックとクラブカルチャーの架け橋的存在に

この2人組といえばやはり、「ディスコ」の印象が強いかもしれない。しかし、ダフト・パンクは1作ごとにめまぐるしく変化する時代のトレンドと密接に関わってサウンドを変化させてきたし、それ以上に常に徹底的にエクレクティックであり続けた。「Get Lucky」のインパクトに隠れている面もあるが、あの『Random Access Memories』(2013年)だって、実際に収められているのはディスコ、エレクトロポップ、西海岸風のジャム、プログレ……など多岐にわたる。まさにさまざまな記憶にアクセスするかのようなエクレクティックさのあるアルバムだ。なんというか、音楽おたくの走馬灯みたいな趣がある。

いまとなってはわざわざ語られないポイントかもしれないが、こうしたアティチュードは、ロックとダンスを架橋しようとする人々にとって大きなインスピレーション源となっていた。まず、その点について少し掘り下げたい。

ジェームズ・マーフィー率いるLCD サウンドシステムによる2002年のヒット、「Losing My Edge」にはこんなくだりが登場する。「I was the first guy playing Daft Punk to the rock kids / I played it at CBGB’s / Everybody thought I was crazy(おれがダフト・パンクをロック・キッズに向けてプレイした最初の男だ/CBGB’sでかけたんだ/みんなおれがいかれたものだと思ってた)」。クラブカルチャーとロックを架橋するキーパーソンとして台頭し活躍してきたマーフィーが、ここぞというとき象徴的に言及するのがダフト・パンクであった、という点は見過ごしてはいけないポイントだ。さらにLCDには「Daft Punk is Playing at My House」という曲まである。

2manydjsとしての活動でも知られるソウルワックスは、ダフト・パンクのユニークなカヴァーを残している。2005年の『Nite Versions』に収録された「Teachers」だ。オリジナルは『Homework』(1997年)に収録されていて、ダフト・パンクが自分達に「教え」を授けてくれた先人達の名前を列挙する歌詞になっている。ソウルワックスはそのアイデアと基本的なフィーリングを踏襲しつつ、ほとんどロック一色に染まったそのラインアップはやや異様でもある。ラインアップの中には、当然出てきそうな1組――というのはつまりダフト・パンクなのだが――が欠けている。しかし、このラインナップが「Teachers」のカヴァーというかたちで表明されていることこそがもっとも重要なのだ。

そもそも「パンク」を名前に掲げているようなユニットだ(前身バンドを酷評する文言をそのままいただいた、そんな命名の経緯もよく知られたエピソードだが)。実際作品に耳を傾けてみれば、ロックの要素がそこかしこに含まれていることはよくわかる。曲名にロックを冠した「Rock’n Roll」(『Homework』収録)や「Robot Rock」(『Human After All』2005年収録)もさることながら、「Da Funk」(『Homework』収録)のリフや303にかかったノイジーな歪みはテクノやハウスの枠組みからあふれでそうな衝動があふれている。

あのフィルターディスコチューン「One More Time」で幕を開ける『Discovery』だって、「Aerodynamic」でのタッピングによるハードロックか何かかと思うばかりのギターソロや、「Superheroes」の疾走するエイトビートとアルペジオにはロック色が強く出ている。「Digital Love」のキーボードソロの響きはまるでギターヒーローのそれのようでもある。個人的な話をすると、『Discovery』を初めて聴いた当時はまるでロックに興味がなかったので、こうしたロック成分には正直当惑したものだった。なにしろ、全部「One More Time」みたいな感じなんだと思っていたのだ。

ともあれ、「Losing My Edge」にしろ、「Teachers」のカヴァーにしろ、同時代まで続くロック史とクラブカルチャーの精神が交差する地点に、ダフト・パンクは召喚されている。そこには作品に内在的な必然もあったし、なによりもダフト・パンク自身のアティチュードがそれにふさわしかった。

巧みなカットアップからたどるダフト・パンク流「フレンチタッチ」

もう1つ、ダフト・パンクを語る上で欠かすことができないものがあるので、その話もしたい。巧みなカットアップである。

ディスコミュージックからサンプリングしたループに、フィルターで巧みに展開をつけていく。そうしたフィルターハウスの基本的な技法は、ダフト・パンクをはじめとする1990年代~2000年代にフランスのプロデューサー達の躍進によって「フレンチタッチ」として一種ブランド化していくことになる。ダフト・パンクがそこに果たした役割は大きく、特に『Homework』と『Discovery』はまさにその権化というべき作品だ。そんなフレンチ・タッチにおいては、展開をつけるためにサンプルを刻んでリピートさせるなんてことは常套手段ではあったのだけれども、ダフト・パンクの凝り方はちょっと群を抜いている。もはや、切り刻むことの快楽こそが前景化している楽曲も少なくない。

例えば、ダフト・パンクの解散発表と前後してSNSを中心に話題になったとある動画では、「One More Time」のサンプリング元と比較して、あの印象的なループがいかにこみいったカットアップで構築されているかが視覚的に示されている。しかしこれもまだ序の口で、『Discovery』では「High Life」や「Face to Face」、「Too Long」、「Crescendolls」などで印象的なカットアップが聴かれる。「Harder, Better, Faster, Stronger」のサンプルとロボット・ヴォイスのかけあいもカットアップのスリルに満ちている。

これにはもしかしたら、DJプレミアがチョップ&フリップを開発したように元ネタをわかりづらくする意図があったのかもしれない。しかし、サイドチェインをかけて音を弾ませたり、フィルターをかけて音を変化させたりするのと同じようなプリミティヴな楽しみに没頭しているようにも感じられる。ほかにも、『Homework』収録の「High Fidelity」も、マイクロサンプリングに片足をつっこんでいるような手触りのカットアップに貫かれていて面白い。まるでAkufenだ。

それだけに『Human After All』のいささかなげやりにすら思えるシンプルな構成(ほとんどワンループの曲ばかり)には肩透かしを食らったものだが、『Alive 2007』に収録されたライヴパフォーマンスで素材としてがんがん切り刻まれるごとに輝き出していくのは抜群におもしろかった。

また、『Human After All』のリミキシーズはカットアップの観点からおもしろいポイントがある。このリミキシーズにはそれこそ当時活躍していた錚々たる面々が参加しているのだけれども、なかでもフレンチ・エレクトロの旗手というべきパラ・ワン(「Prime Time of Your Life – Para One Remix」)とジャスティス(「Human After All – Guy Man After All Justice Remix」)の仕事はすごい。これでもかというくらい刻みまくっている。ダフト・パンクが刻まないなら自分たちが刻んでやるとでも言うかのように。カットアップの作法自体はダフト・パンクとパラ・ワンとジャスティスでは少しずつ異なっているとはいえ、ダフト・パンクのサウンドに埋め込まれていた要素との共振が、ダフト・パンク以降のフランスのプロデューサー達に見られることは興味深い。

フレンチ・タッチ~フレンチ・エレクトロに流れるカットアップの系譜は、思わぬ契機からなぜか日本にも影響を与えてもいる。浜崎あゆみが2008年にリリースしたリミキシーズ『ayu-mi-x 6 -GOLD-』に収録された「Greatful days(Para One Remix)」。原曲をこれでもかと刻み倒した迫力のあるリミックスなのだけれど、それにインスピレーションを受けた関西のある若者が、dj newtownを名乗ってさまざまなポップミュージックを切り刻みだした。活動期間はそう長くなくしばらく沈黙を守っていたが、2019年にはtofubeatsの楽曲を切り刻んだ『WEST MEMBERS』を発表し、方法としてのカットアップに対するこだわりを改めて提示したのだった。

もちろんほかにも2000年代末のアメリカのヒップホップシーンでダフト・パンクがサンプリングされたり(バスタ・ライムス「Touch It」やカニエ・ウェスト「Stronger」を参照)、オートチューンによる歌唱が与えたインパクト(これは1998年、シェールの「Believe」が先駆けだが)であったり、ダフト・パンクがジャンルを飛び越え、あるいは特徴的な技巧をもって与えた影響ははかりしれない。ダフト・パンクの2000年代のライブセットは、2010年代に巨大化・スペクタクル化していったEDMフェスの舞台装置の原点と指摘されることもある。2人組の功績はあまりにも大きい。

しかし、改めて強調するならば、そうした功績の根源は、ダフト・パンク自身が常にエクレクティックであり続けてきたことにある。まだ掘り起こされるべき解釈の鉱脈が眠っているはずだ。

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