ハライチ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ハライチ/ Mon, 22 Aug 2022 03:23:17 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png ハライチ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/ハライチ/ 32 32 芸人ラジオのニュースタンダード『ハライチのターン!』をめぐる、ラジオとハライチの絶妙な距離感——後編 鼎談:岩井勇気 × 澤部佑 × 宗岡芳樹 https://tokion.jp/2022/08/23/haraichi-yuki-iwai-x-yu-sawabe-vol2/ Tue, 23 Aug 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=140872 TBSラジオで放送中の人気番組『ハライチのターン!』。放送300回を迎え、ハライチの2人と番組ディレクターの宗岡芳樹の3人が番組作りについて語る。

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左からディレクターの宗岡芳樹、ハライチの岩井勇気、澤部佑

毎週木曜日、深夜24時からTBSラジオで放送されている番組『ハライチのターン!』が、6月23日に300回を迎えた。2014年4月にはじまった前身番組にして、ハライチ初のラジオレギュラー番組となった『デブッタンテ』を経て、2016年9月に『ハライチのターン!』がスタート。番組開始当時と比べると、大きく活動の幅を広げたハライチの岩井勇気と澤部佑が、ラジオと芸人をテーマに、現在までの8年間を振り返る。後編では、ハライチの2人に加えて、番組を裏で支えるラジオディレクターの宗岡芳樹にも同席してもらい、担当スタッフから見るハライチのラジオの魅力について語ってもらった。

前編はこちら

裏話もエピソードトークもするつもりはない

——宗岡さんから見て、ラジオパーソナリティとしてのハライチはいかがですか?

岩井勇気(以下、岩井):お、やっと宗岡さんの順番がきましたよ。

澤部佑(以下、澤部):何もしゃべらないで終わるかと思いきや、まわってきましたね。

宗岡芳樹(以下、宗岡):そもそも僕は『ハライチのターン!』を担当するまでは、芸人さんのラジオで1時間の番組ってやったことなかったんです。しかも収録で。前にいたニッポン放送の時に担当していた『オールナイトニッポン』は、2時間で、基本は生放送でしたから。『ハライチのターン!』は、最初から今も変わらず、冒頭に2人で話すトークゾーンがあって、次にコーナーが来て、最後に1人ずつのトークという構成。これを作った宮嵜さんはすごいなと思います。芸人さんのラジオ番組は、最初にフリートークがあって、コーナーは後半に持ってくるのが一般的なので。

それと、岩井さんはフリートークとは言わず、「トークゾーン」って言うんです。僕はそれがすごい好きで。岩井さんは、10分間なり15分間なり、音が出ていればいいんでしょっていう考えなんです。フリートークって言っちゃうと、いわゆるフリがあってオチがあって、みたいな、芸人さんのおもしろいエピソードトークを期待しちゃいますけど、そうではなく、とにかく音が出ていればいいと。

岩井:エピソードを話そうとはまったく思ってないですからね。説を唱えてもいいし、なんなら嘘ついてもいいし。

澤部:嘘はついちゃダメですけどね。

岩井:ラジオはエピソードトークをしなくちゃいけないって、誰が決めたんでしょうね。誰も決めてないと思いますよ。

宗岡:そういう考え方が、一般的な「深夜の芸人ラジオ」とは大きく違うんですよね。だからこそ、初めて聴くような人も入ってきやすい。それこそ僕が『オールナイトニッポン』を担当していたときは、まさにザ・内輪受け的な深夜ラジオをいろいろやってきたので、そのギャップは大きかったです。

——一方で、内輪受けのほうが熱狂を生みやすかったりはしませんか?

宗岡:う〜ん……どうなんでしょうね。一部そういうリスナーもいるかもしれませんが、初心者でも聴きやすいことを意識して間口を広げたところで、ヘビーリスナーを突き放すわけでもないですし、おもしろければ熱狂はしてくれるはず。それよりも、今のラジオは、とにかく新規のリスナーを獲得することが絶対的な使命なので、ハライチのやり方も正しいと僕は思います。

——テレビの裏話とかも、ほとんどしないですよね。

澤部:何かすごいおもしろいことがあったらしますけど、そんなにないですから。『平野レミの早わざレシピ!』くらいですね。

岩井:単純に自分自身が、テレビだったり芸能界の裏話とかを聴きたいって思ったことないんですよ。聴いてうれしかったこともないですし。ラジオだけじゃなく、テレビもあんまり見てこなかったんで。そもそも自分のこと芸能人だと思ってないですから。なので、普通の感覚として、仕事の裏話を他人にしようとも思わないし、特別な存在っていうか、芸能人のハライチ岩井としてしゃべるのも気持ち悪いって思っちゃうんです。あくまで1人の人間としてしゃべってるだけなので。

『ハライチのターン!』が新しいスタンダードを作った

——岩井さんのTwitterのプロフィール欄には、「大体のことはTBSラジオ『ハライチのターン!』を聴けばわかります」と書かれていますよね。

岩井:いろいろ書いてた時期もあったんですけど、あそこに情報をいっぱい書いてると、なんかガツガツしてるやつに見えていやだなと思って。仕事ください!って感じがするじゃないですか。

澤部:そういうふうに使ってる人もたくさんいるからね。

——このたび放送300回を迎えましたが、感慨はありますでしょうか。

澤部:まったくありません。通過点に過ぎないので。思い入れもないです。ただの通過点なので。

岩井:僕は感慨深いですよ。ついに300回か〜って。

澤部:ほんとに!? そんなこと思ってる?

岩井:『デブッタンテ』から数えると、もっと長いですからね。ラジオを聴いてこなかった人間のラジオがこんなに続くとは。非常に感慨深いです。

澤部:嘘くさいな〜。

——印象的なコーナーや思い出に残る回はありますか?

岩井:そういうのはないです。

澤部:それはないのかよ。

岩井:ないというか、まったく覚えてないです。

——長く続いているコーナーが1つもないのは、やはり珍しいですよね。

宗岡:固定のコーナーが全然ないのは珍しいですけど、『ハライチのターン!』以降、そういう流れにはなってきているのかもしれません。少なくとも、新しいスタンダードを作ったとは思います。ほかの番組では、いちいちコーナーの説明をしない場合もありますけど、『ハライチのターン!』では毎回必ず丁寧に説明してますからね。それでも2回とか3回で終わって、長くは続かないんですけど。

岩井:ちゃんと説明しないと、自分達でもどういうコーナーだったか覚えてないので。するしかないですよね。

澤部:ようやく覚えかけた4週目くらいになると、コーナーのはじまりに音が付いたりして、またわかんなくなっちゃうんですよ。で、音にもなれてきた頃には終わるっていう。

——宗岡さんは印象的な回ありますか?

宗岡:自分のことで大変恐縮ですが、僕の結婚式にハライチの2人が来てくれて、そのことを話した回ですね。僕の話とかは関係なく、同じ出来事を2人が体験して、それを2人がそれぞれ別の視点から語るって、まずないじゃないですか。そういう意味で貴重な放送だったなと思います。今でもたまに聴き返してます。

岩井:あの日はいろいろトラブルもありましたからね。

宗岡:2人とも披露宴から来てもらう予定が、呼んでない挙式から来ちゃったりとかね。

岩井:呼ばれてないのに誰よりも早く着きました。

澤部:僕は遅刻しましたし。2人とも招待状ちゃんと読んでないんですよ。

ラジオディレクターの特殊な能力

——ハライチのお2人から見て、ラジオディレクターとしての宗岡さんは、どんな人ですか?

岩井:宗岡さんって、ハライチのしゃべりを1回も滞らせたことがないんですよ。絶対に勢いを止めない。話を広げるとか、そういうことじゃなく、流れを遮らない能力っていうのがあるんですよね。

澤部:三四郎の小宮さんとたまに話すんですけど、ラジオディレクターってほんと異常な能力の持ち主なんです。僕らがしゃべっている時に、ぼそっとほんの一言だけ何か言ったりするんですけど、その速度だったりタイミングだったりが絶妙で、その能力何?っていう。

宗岡:収録でも生放送でも、現場におけるディレクターの仕事って、SEの音を出したりはしてますけど、それよりも大事なのは、滞りなくしゃべってもらいつつ、必要があれば何か一言入れることなんですよね。それだけが仕事と言ってもいいくらいで。

澤部:一言入れるときって、楽しいなぁって思ったりするんですか?

宗岡:すっごい楽しいです。

澤部:楽しいんだ!

宗岡:でも、こわさもありますよ。自分の一言で「え?」とかって流れが止まって、振り向かれたら一発で終わりなので。

澤部:それはそうですよね。

宗岡:だから『ハライチのターン!』の担当になった最初の頃は、ほとんど何も言ってないはずです。収録前とか後の楽屋で、ちゃんと関係性を作ってから、ようやく言えるようになりました。

——たとえばディレクターが一言も発しない、というのはダメなんですか?

宗岡:もちろん芸人さんは、それでも十分におもしろいしゃべりをしてくれます。でも、ディレクターの発言によって、1でも2でもプラスになることが必ずある。そのプラス1やプラス2をしなかったら、いる意味ないですからね。それこそ、ハライチのお2人だけでYouTubeやPodcastをやったとしても、絶対におもしろくなるのはわかっていますが、じゃあラジオでやる意味はどこにあるの、っていう。

——では最後に。かつてと比べて、ラジオ全体が盛り上がっているような動きは感じていますか?

宗岡:それこそ1980年代の『ビートたけしのオールナイトニッポン』みたいに、多くの若者が夢中で聴いていた時代のほうが盛り上がっていたとは思いますが、10年前と比べたら、いくらか盛り上がってるかなと思います。でも、その程度ですね。ものすごい盛り上がっているとは言えないでしょう。

澤部:雑誌とかウェブの取材は増えましたよね。なので、注目してくれている人はいるのかなって。

岩井:今の時代には合ってると思いますよ。何か作業しながら聴けるじゃないですか。みんな損したくないし。ラジオは耳だけなので得ですよね。あとは、たしかに「ラジオ聴いてます」って言われることは増えたんですけど、おれはそれも疑っていて。タレントとか「いつもラジオ聴いてます」って言っておけば芸人に好かれると思って、すぐ言うんですよ。なので、ラジオが好きとかじゃなく、「聴いてます」って言うためだけに聴いてる層が一定数いて、さらに、その「聴いてます」によって、盛り上がってる風の空気ができている。だから「ラジオ聴いてます」って言われても、おれは常に警戒してますよ。

ハライチ
幼稚園からの幼馴染だった岩井勇気と澤部佑が2006年に「ハライチ」結成。結成後すぐに注目を浴びる。
岩井勇気
1986年埼玉県生まれ。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。
Twitter:@iwaiyu_ki
澤部佑
1986年埼玉県生まれ。ツッコミ担当。趣味はNBAとロックフェス巡り。特技はバスケットボール。

宗岡芳樹
1980年大阪府生まれ。2002年にニッポン放送入社。『ナインティナインのオールナイトニッポン』や『オードリーのオールナイトニッポン』を担当。ニッポン放送を退社後、2017年4月からTBSグロウディアでラジオディレクターを務める。『ハライチのターン!』のほか、『赤江珠緒たまむすび(木曜)』、『土曜朝6時 木梨の会。』などを担当している。
Twitter:@yoshiki_muneoka

■『ハライチのターン!』
毎週木曜日24:00〜25:00にTBSラジオで放送中
TBSラジオの深夜の入口をバッと盛り上げる、お笑い芸人による60分のトークバラエティ!
https://www.tbsradio.jp/ht/
Twitter:@tbsr_ht

■ハライチライブ『けもの道』
開催日:2022年10月23日
場所:LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
※詳細は追って発表

Photography Takahiro Otsuji(go relax E more)

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「M-1グランプリ2021」鑑賞記——「Life is beautiful」は漫才という営みへの賛辞 https://tokion.jp/2021/12/21/m-1-grand-prix-2021/ Tue, 21 Dec 2021 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=85481 『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後。』や『2020年代お笑いプロローグ 優しい笑いと傷つけるものの正体』『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』などの同人誌を発行する会社員兼評論作家の手条萌(てじょう・もえ)による「M-1グランプリ2021」鑑賞記。

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12月19日に開催された「M-1グランプリ2021」は、錦鯉の優勝で幕を閉じた。筆者は3回戦と準々決勝を各会場、準決勝をオンラインで観戦していたが、予選から波乱に次ぐ波乱だった。優勝候補が多数敗退し、初出場5組がファイナリストとして選出された。昨年勃発した「漫才論争」へのM-1としてのアンサーは、今回のファイナリストの選出をもってして行われたように見える。キーワードはおそらく「多様性」だ。この大漫才時代において、漫才にも多様性があり、そしてそれを大衆より先に、権威としてのM-1が認めるということに大きな意味があったことだろう。

加えてもう1つ、今大会のテーマとして期待されていたのは、キャッチコピーである「人生、変えてくれ。」 に象徴されるような、シンデレラストーリーとしての役割だ。M-1チャンピオン、あるいは爪痕を残したファイナリストの人生は、確かに決勝戦以前と以後でガラリと変わる。その役割は今に始まったことではなく、2010年までの「旧M-1」においても同様だ。M-1が権威である以上は、大会内で存在感を残すことや優勝することで漫才師として箔付けをされる。もちろんそれだけではなくテレビスターとしての人生を歩むきっかけにもなるのだ。そして今大会は、どちらかというと後者を期待され、「一発逆転劇」「地下からの逆襲」が強調された建付けであっただろう。そのようなテーマ設定で展開された2021年大会であったが、突然人生が変わるというよりは、長年の努力が結実した結果となった。M-1の予選までの思惑と微妙に乖離(かいり)している結論に着地した今大会について、決勝を振り返りながら詳しく見ていこう。

決勝戦で特徴的だったのは、何よりも前半と後半で空気が一変したことだった。特に6番目のオズワルド以前と以後でまったく会場のボルテージが異なっている。2019年、2020年の決勝戦において、自身の出番のあとの空気を落ち着かせるという意味で「おくりびと漫才」などと一部で揶揄されていたオズワルドが、今回は起爆剤となった。過去には「静かな東京漫才」と呼ばれたかと思えば、逆に「声を張り過ぎている」とも言われ、静か動かのはざまで悩んでいる時期もあったように思われたが、彼らが出した結論は、静から動への意識的な接続と、その絶妙なダイナミズムだった。それが大きな爆発を生み、評価され、ファーストラウンドにおいての最高得点である665点を叩き出した。落ち着いたムードの大会が一組のコンビの躍進で大会自体のうねりを生む。この現象は2019年大会決勝のかまいたちによるものが記憶に新しいだろう。このうねりが発生することで以後の出番のコンビが跳ねやすく、そしてパフォーマンスがしやすい空気となる。これが出順が重要だと言われている大きな理由である。実際に、オズワルドが生み出した熱は、ロングコートダディ、錦鯉、インディアンスへと引き継がれていった。かつては静的漫才の象徴だったオズワルドが今大会の一番熱を帯びた瞬間を作ることとなることなど誰が予想しただろうか。劇場での彼らは、ただ舞台数をこなすだけではなく、あらゆる手法、そしてパフォーマンスの試行錯誤を繰り返していた。その努力が1つの到達点を迎えた瞬間だっただろう。もちろん作品としてネタが評価されるのも重要なことではあるが、結局のところパフォーマンスにも大きく依拠するのだと思い知らされた。

逆に大会自体の方向性、厳密には決勝の方向性が定まる前の前半組においては、パフォーマンスが上手くハマらないというもどかしい現象も起きる。今回のみならず、特に決勝戦における前半のハマらなさは、決勝自体の方向性が未設定ゆえの手探り感によるものであり、後半のハマらなさはその方向性とのズレによるものと解釈できる。その意味において、ゆにばーすはネタ、パフォーマンスともにスキルの高さを見せつけることに成功していたが、なぜか後一歩という評価で着地してしまった。これは決勝戦自体の方向性が未設定の前半の出番であったがゆえに発生する事象である。

また同じく前半組であり、ニューフェイス、多様性という側面で期待されていた存在のモグライダー、ランジャタイ、真空ジェシカは、予選までのテーマ設定とは解釈が一致している出場者であった。しかし決勝においては、予選やファイナリスト選出までのテーマ設定は一度リセットされる、ということを体現した形となった。予選と決勝では、審査員も観客も視聴者の層の厚さも異なるので当たり前なのだが、決勝は決勝の自然発生的なテーマで進行することとなる。これを勝ち抜くには予選までの空気を信じながらもリセットされることを理解し、さらにテーマを自分から再設定できるような存在になる必要がある。

逆に後半組であるロングコートダディ、ももは、ネタの構成も内容もおもしろく、完成度も高く、場の空気自体もコントロールできるネタ運びであり、実際に評価もされていたが、今回の決勝で作られてきた解釈とは不一致となってしまったと考えられる。特にロングコートダディはこの1年でのネタ調整の努力がすさまじく、準決勝敗退となった昨年の反省をもとに、より良いネタ、パフォーマンスを目指していた印象である。具体的には観客の感情移入をしやすいように、ヘイトバランスを細かく調整し続けていた。その結果が正当に評価されファイナリストに選出されたが、決勝の方向性においては逆に外連味がもう少しほしいという印象につながってしまったのかもしれない。ももも同様に、結成して以来毎日ネタ合わせを行っているからこそ、流暢さからもう一歩、緊張以外のフックを求められたのだろう。

すなわち、理論上のM-1攻略法としては自らがテーマを設定できるくらいの強度があるか、あるいは設定されたテーマに当てはまるパフォーマンスができるかを検討することだと考えられる。しかしそれだけでは優勝はできない。ここで最後の最後に自分自身の思想を示せるかが重要な決め手となる。

今回の決勝でのテーマとしては、静から動へのダイナミズム(奇しくも決勝自体の構成そのものと同じである)、あるいはひたすらにアッパーなところでテンションが維持される表現、というもののように見えた。しかしそこに1つ欠けていた――しかし絶対に必要だった――ピースを最後にはめたコンビがトロフィーを手にすることになった。

錦鯉が最後に見せたもの、それは神々しさである。

地下からの這い上がり、人生を変える努力……それらの泥臭い心意気は予選から決勝に至るまでに十分に示されてきたM-1側からのテーマだった。しかしM-1の歴史の中で、もっとも重視されてきたのは、漫才に尊さを与えることだったはずだった。それは権威と言い換えることもできるかもしれない。かつてはクラスの人気者がお笑い芸人を夢見たが、現代では大学お笑いの隆盛にも見られるように、意識や感度の高い若者が目指すところとなり、お笑い芸人はもっともリスペクトされる職業の1つとして世間に認識されている。そんなお笑い芸人の中でも、丸腰で舞台に向かう漫才師は特別な存在である。憧れているだけでは漫才師にはなれないし、漫才師であることを維持できないのだ。漫才をしていないと漫才師ではいられない。だからみんなM-1に出場するし、戦う季節を過ぎてもどうにかして人生の終わりまでマイクの前に立ち続けたいと願うのである。

お笑い芸人、ひいては漫才師を特別な存在としてきたのは、新旧合わせたM-1グランプリの歴史の積み重ねによるものだ。過去の出場者達の鬼気迫った勝利への執着、すなわち「ガチ」さがぶつかることで、想像以上の力学が働いて誰も予測できない展開を見せ、その様子に人々は夢中になっていった。もはや誰の手にも負えないもの、予想できないもの、それは神の領域であり、尊さそのものだった。尊さゆえにM-1は多くの漫才師やそのファンに甘い夢を見させ、あるいは残酷な地獄に落とすのだった。

錦鯉のネタは簡単に言うとおバカ系とカテゴライズすることができるだろう。これは一見、尊さとはかけ離れているように思える。しかしファニーさを突き詰めた先にあるのは狂気、そしてさらにその先に見えるのが神々しさである。ファイナルステージの錦鯉の漫才のオチ、まるで成仏させるように寝かしつけてからの「Life is beautiful」に象徴される、生と死のはざまで行われる漫才という営みへの賛辞は、漫才自体、そしてM-1に再び権威を吹き込んだ。「多様性」「地下からの逆襲」「ニューフェイス」というポップでキャッチーではあるがいささかあざとく見えがちなテーマにより奥行きを失っていたM-1は、彼らの優勝の瞬間に神性を帯びたのだった。

記録に残るネタは記憶にも残る。歴史に刻まれているチャンピオン達のネタは、必ず爆発ポイントがあり、そこを切り出した編集をするだけで当時の空気を思い出させるほど印象深い。錦鯉もこの流れの中で語り継がれる存在となるはずだ。そして何より重要なのは、これは50代であったとしても漫才を続けていたからこそもたらされた明るい未来だと、多くの漫才師が目の当たりにしたことだった。彼らは希望を見ただろう。

さて、ここでファイナリスト最後の1枠を決める戦い、すなわち敗者復活戦について言及する。当日の14:55より六本木ヒルズアリーナの野外ステージで行われていた敗者復活戦で、最後のファイナリスト1組が選出された。今大会ではラストイヤーのハライチが国民投票により選出された。先述のとおり決勝戦の出順は大会の結果に大きく影響するものであるが、敗者復活戦の勝者が呼び出される瞬間は決勝戦の緊張は緩和し、お祭りムードとなる。極寒の野外からの熱気を纏い会場に向かってくる生還者により、決勝のステージはさらに独特の雰囲気となる。

筆者は前日の18日、大阪なんばの「よしもと漫才劇場」の寄席を見に行っていた。ファイナリストのロングコートダディ、もものほかに、敗者復活戦出場の見取り図、ヘンダーソン、マユリカ、からし蓮根、カベポスターが出演しており、翌日に向けての最終調整を行っていた。その寄席では全員ウケていたのに敗者復活戦ではあと一歩のコンビもいれば、勢いそのままのコンビもいた。しかし結果としては、このメンバーからは誰も敗者復活戦を制することができなかった。決勝には決勝の勝ち筋があるのと同様に、敗者復活には敗者復活の対策法があるはずなので、それを探る難しさという壁にぶち当たった印象である。敗者復活戦出場が初めて、あるいは久々の出場者にはナレッジが蓄積されていないので、極めて難しい戦いとなる。仮に過去に決勝戦で善戦したことがあったとしても、敗者復活戦は決勝、あるいはここまでの予選ともまったくの別理論で進行するためである。

そして今回のハライチのように敗者復活戦で勝ち上がったとしても、敗者復活戦の空気や評価軸を抱えて決勝の場に行くことになるため、決勝の空気感と微妙に噛み合わない印象となる。民衆の総意である敗者復活者であるならば勢いそのままに決勝の場をハックできるかもしれないが、特に票が割れているように見える今回のような場合は(2位の金属バットと僅差だった)、敗者復活からの優勝、あるいは善戦は難しいのかもしれない。その意味で、2015年の敗者復活戦を制したトレンディエンジェルが優勝したのは、復活後初めてのM-1および敗者復活戦だったため、蓄積されたナレッジがなかったことが功を奏したからと思われる。

ここまで駆け足でM-1グランプリ2021決勝の総括を行ってきた。決勝のみならず予選、そして予選のみならず劇場では、たくさんの漫才師が各々の気持ちと意志を込めた漫才を行い、客席を笑わせている。重要なのは、チャンピオンだけが漫才をし続けることを許されるのではないということだ。逆にこれまでのチャンピオン17組しか漫才師を続けられないなどという馬鹿げた話があってたまるものか。どんな結末だったとしても、人生は続いていくのだ。それぞれの漫才師にはそれぞれのM-1があり、そしてそれぞれの漫才師人生がある。M-1にエントリーしようがしまいが、そして結果を残そうが残せまいが、これからもずっと漫才をしてほしい。どうか胸を張ってほしい。前を向いてほしい。そして遠い未来までずっと劇場に立ち続けてほしい。深く皺が刻まれた顔で、M-1戦士だった頃のことを懐かしみながら、屈辱も栄光も笑いに変えてほしい。大漫才時代を漫才師達とともに生きたことが、多くのお笑いファンにとっての誇りなのだから。

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