山邊鈴 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/山邊鈴/ Thu, 27 Apr 2023 10:23:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 山邊鈴 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/山邊鈴/ 32 32 対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「一歩踏み込んで相手を知ってみよう」山邊鈴 後編 https://tokion.jp/2023/04/27/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part3/ Thu, 27 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154271 佐久間裕美子と山邊鈴の対談。後編はインド留学経験から得た気付きや、自身が目指す人物像、対話の可能性について。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「一歩踏み込んで相手を知ってみよう」山邊鈴 後編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳で地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在は米国ウェルズリー大学に通う、山邊鈴。後編となる今回はインド留学経験から得た気付きや、自身が目指す人物像、対話の可能性について聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
Twitter:@carpediem_530
https://note.com/__carpediem___

インドに行って、日本のために働きたいと思った

佐久間裕美子(以下、佐久間):鈴さんは子供の時には何になりたかったですか?

山邊鈴(以下、山邊):ずっと国連職員になりたかったんです。アニメの『ちびまる子ちゃん』が通訳になりたいと語る回で通訳という職業があると知り、幼稚園の時は通訳になりたいと言っていて。小学校で読んだお仕事図鑑の本で通訳のページの隣が国連職員で、赤いリップをつけてハイヒールを履き、颯爽と国連の建物で働くイメージ。現場にも赴いて現地の人に寄り添えるような人になりたいと思っていました。

佐久間:お仕事図鑑から得たインスピレーションを実際のアクションに起こすところがすごいですね。

山邊:幼い頃から自己分析が好きで、周囲から私が国連職員になるのが普通だと思われたらきっとなれる、と信じて自分のやりたいことをとにかく外に表現してきました。学校新聞の卒業特集にも「国連職員になりたいです」ということをダーっと書いていたので、同級生の親からもそういった分野に興味がある子だと認識されていたと思います。インターネットを使わせてもらえるようになった小学5年生の頃から、学校から帰ってきたらランドセルをほっぽり出して、ユニセフのホームページを5時間くらい見るような子供でした。

中学2年生の時に県から数人を格安で国連本部へ派遣してもらえる機会があって、実際にスイスの国連本部を見てきた頃から、現在に至るさまざまなことに派生していきました。

今は30代後半くらいには日本で政治家になりたい気持ちがあります。インドの高校に1年間留学した時、若者達から次々に「インドの未来は自分達の手の中にあって、自分達がこれからこの国を作っていくんだ」という言葉が出てきました。留学中にスラム街の子達と作るファッションショーのプロジェクトに力を入れて取り組んだのですが、自分がインド人だったほうが効率がよかったのでは、と少し感じた部分もありました。それまでは開発経済学を学び途上国で働きたいと考えていましたが、日本のことは誰がやるんだろう? と。

佐久間:自分が1996年に日本を出るまでに見えていた日本の政治風景には、女性の政治家も活躍していて、日本で初めて女性の党首だった社会党の土井たか子さんが男性達を後ろに引き連れている姿が格好良くて憧れました。自分も一生懸命に政治に関わらなくてはいけない社会だということすら忘れてしまうほどに女性達がやれてる風に見えてたんですね。それが、気が付けば女性の政治家がいたポジションも男性に取って代わられてしまっている。特に私の世代や少し上の世代には、今まで何をやっていたのだろうと痛感している人も多いはずです。

経済発展と「切り捨て」はイコールではない

佐久間:インドではスラムに暮らす人達は「前世に悪いことをしたから」だと考えられている、という話を書かれていました。自分より境遇の悪い人には本人に原因や理由があるはずだというのは「甘えてる人は好きじゃない」といった発言にも共通する、本当に恐ろしい発想です。“自己責任“という言葉がメディアなどで頻繁に使われるようになったのは私が大人になってからで、2004年のイラク日本人人質事件の際、国家が国民を救出するのは当たり前であるべきなのに「自己責任だ」とたたかれた時がきっかけの1つだった。それ以前は今のように望ましくない状況にあるのは本人のせいだ、という考えは広く世の中に浸透していなかったと記憶しています。この傾向はZ世代の世代観に投影されていたりはすると思われますか。

山邊:Z世代は全体として“ジェネレーション・レフト”と呼ばれることもあり、少なくとも私の周囲の人達でいえば左っぽい傾向はあると思います。一方、思想が若干右に偏っている頭の良い男の子などからは、上の世代の男性から多く聞かれる「ここまで日本の経済が停滞し続ける中、“自己責任”と言わなければ経済が発展しないじゃないか」という旨の発言を聞くこともあります。でも、「経済発展と自己責任論」や「経済発展とジェンダー」といった、一見して相反しそうな要素を対極にあるものとして見出す必要は全くない。自己責任論を持ち出したところで人間の性質は変わらないんだから「人の性質ってこうだよね、じゃあどうしたらいいだろう?」という方向で考えなければ何も進まないのに、一体何を言っているんだろうと思いますね。

なりたい政治家像

佐久間:将来の日本を想い描くと、この人が政治家でいてくれたならと望む方々はいるものの、政治の世界を見ると、女性の政治家はたたかれる傾向が強いし、男性の政治家は家族総出で選挙戦に挑んだり、こんなにも大変なことを誰にお願いできるだろうかとつくづく感じます。それでも使命感を持って日本の将来や市民のために尽くしていらっしゃる方々には頭が下がります。

鈴さんの目にも政治の世界の厳しさが映っていると思いますが、それでも政治家を目指す動機はどこにあるのでしょうか。

山邊:小さい頃から自分を自分たらしめるものとして「自分はただ運が良かっただけ」という想いがあるんですね。政治家になって何かをしたいという意図はもちろんありますが、人々という、自分が仕えたいものに仕えられる職業という意味が大きいです。なおかつ、自分がなりたい人物像があって、その人物にはどこにいてほしいかを考えると、やっぱり政治の場。ウェルズリー大学を選んだ理由は1つだけで、大学のモットーが「仕えられるより仕えなさい(Not to be ministered unto, but to minister)」なんですね。私がなりたい私になれると思ったんです。

政治の場には自分のような人物が足りていないとも思います。私はおそらく女性らしく育てられたタイプの人間で、生活者の視点からしか物事を語れないのは強みであると同時に弱点にもなり得るので、別の視点からも語れるように友達や大学に鍛えてもらっています。生活者の視点を持った上で、国防や財政政策などの見識もあり、資源をこの程度割いてもこの政策はやる価値がある、という風に総合的に判断できる人を目指しています。言葉が大きくなってしまって恥ずかしいのですが、国のお母さん的な役割ができる人になれたら嬉しいなと思います。私の母はやりくりをしつつ、家族が帰れば必ずおいしい料理を提供してくれるという良い母親の典型で。そんな風に何があっても国民を飢えさせない役割ができる政治家。最近は女子大で学んでいることもあって、特に「女性性と経済」「女性性と政治」について考える機会があった影響も大きいです。

対話の可能性

佐久間:自分がなりたい人物像の話がありましたが、ロールモデルはいますか。

山邊:1人のロールモデルがいるというより、要素によって尊敬する方々がいます。私欲がなく何があってもこの人達のために働きたいという姿勢でいうなら、アフリカのモザンビークで子供へ支援をされている栗山さやかさん。決断力の観点では、みなさんの尊敬の対象であろう緒方貞子さん。何を優先すべきかを自信を持って表明でき、そこに向かって「この人を救えるならばやりましょう」とプライドなくバッサリと決断できる。

私は中学生の頃から、優しい世界を作ろうという理念のもと活動する市民活動家のような方々に育てていただいたと思っています。そういった市民活動家の方が、例えば同性愛嫌悪といった全く異なる思想を持っている方と議論する時、ただ傷つくだけで終わって議論ができないという様子を見てきました。

全く異なる思想を持つ二者が、相手を話す価値がないと思い決して交わらない状況にどうにか解決策を生み出せないかと思っています。相手が何を大切にし、何を優先しているからそういった(同性愛嫌悪的な)言葉を紡いでしまうのか。一番なりたい人物像は両者の言語を理解できる翻訳者のような存在ですね。現在は大学や実社会でさまざまな立場の言語を勉強しているところで、その上で自分の立場は決めたいと考えています。

佐久間:現在、特にアメリカの社会では少なくとも20世紀以降最大の分断が起きているといわれます。ウェルズリー大学は女子大ということもあり、アカデミアの中ではおそらくセーフ・プレイスにあたる環境だと思います。その環境で学ばれていて、「対話」というものの可能性をどう感じますか?

山邊:成功体験は少しずつ積み上がっています。中高生の頃は対話の要員というより、グレタ(・トゥーンベリ)さんのように“アイコン要員”として使われることが多かったんです。でも最近は自分に政治や経済の知識がついてきて、昔とスタンスはあまり変わらないまま、実際にどう落とし込めるかという話ができるようになっています。そういった成功体験のおかげで、対話の中で相手の発言に「うっ」となったとしても、一歩踏み込んで相手のことを知ってみようと思えるようになってきた気がします。

佐久間:大学で政治学を学んでいた際、ディベートの授業を受けたことがありますが、そこではAとBの相反する考えのどちらが正しいか勝ち負けを決めるのが目的で、わかり合うことを目的としていなかったような気がします。そのように勝ち負けベースでさまざまなことが決定・運営されてきた結果、今の分断があるのではとも見ています。例えば、中絶の権利問題ではあまりにも自分の意見と異なる主張をする集団には寄り添いにくい。また、相手はなぜこれを主張しているのか? と想像するのは簡単ではないケースもありますが、鈴さんがおっしゃったような対話のあり方をより多くの人々が考えたら、社会がより良い方向に舵を切る可能性が増えていくのではと感じます。

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「意見とは議論できるものであっていい」山邊鈴 中編 https://tokion.jp/2023/04/25/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part2/ Tue, 25 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154258 佐久間裕美子と山邊鈴の対談。中編は自身のSNSとの関係や、マイノリティの立場、日米両方の女子大に通った経験から見えた相違点について。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「意見とは議論できるものであっていい」山邊鈴 中編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳で地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在は米国ウェルズリー大学に通う、山邊鈴。中編となる今回は自身のSNSとの関係や、若者あるというマイノリティの立場、日米両方の女子大に通った経験から見えた相違点について聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大学・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
Twitter:@carpediem_530
https://note.com/__carpediem___

日本のZ世代コミュニティ

佐久間裕美子(以下、佐久間):世代とは同時期に生まれた人の集団というだけのものですが、触れるメディアやテクノロジーや経済状況といった共通項によって、世代観のようなものが浮き上がります。各国や地域の違いも踏まえ、ご自身がZ世代であることや、Z世代についていわれていることについてはどのように感じていますか?

山邊鈴(以下、山邊):日本のZ世代はアメリカや中国のZ世代とは違うけれども、韓国のZ世代と少し重なるところはあると感じます。国土が狭く、Z世代の人口が少ないことや、インターネットによってつながりやすくなっているので、社会のイシューに関心がある人とは顔見知りになりやすいです。私自身も日本でZ世代としてメディアに取り上げられている子達とは大体一緒に遊んだことがあります。いったんコミュニティに入り、仲間と認識されるとみんながいろいろとシェアしてくれますし、一緒に築きたい社会に向かっていこう、と連帯する感じは他の国や地域にはあまり見られないのではないでしょうか。30年後、40年後に社会の意思決定の場にいる人達は、きっと知り合いかまたその知り合いなんだろう、という感覚があります。

ただ、ほんの一握りの「問題意識のあるZ世代」以外は、どの世代とも変わらないんじゃないですかね。インターネットを通じて誰かがキャンセルされたり、批判されているのを日常的に見る中で、逆に何かにNOということへの嫌悪感は増していっているような気がします。だからこそ、先ほども言ったような「日本特有の社会変革のかたち」を考えていく必要があると思っています。

SNSで発信をしたから、今の自分がある

佐久間:私の場合、アメリカに来てから他人にどう思われるかを以前より気にしなくなったのですが、アメリカでもZ世代はSNSを通した他人の目が常にあり、それが精神的な負荷になっている面もある。多感な時期をいわばSNSのナルシシズム文化の中で育つのは大変なことだと想像します。SNSとはどうつきあっていますか?

山邊:SNSを通し360°見られている前提で生きることに関して言うと、私は中学2年生から本名も顔も出してTwitterを使っているんですね。その理由は、いろいろな活動を12歳頃に始めると、地元の大人達から「調子にのんなさんな」とか「あそこの山邊さんはまたあんなことばしてから」と言われることがあまりに多く、このままだと自分は変化を起こしたいと思うことをやめてしまう気がしたんです。田舎なので近所の人は私のSNSアカウントをフォローするだろうから、自分の本当に言いたいことをSNSで発信し、当時自分が働きたいと思っていた国連やNGOの人達からもらうコメントやいいねといったポジティブなフィードバックを近所の人に見てもらうことで「あれ、この子はこの町の外では認められているのかもしれない」と、外に評価軸があるとわかってほしくてSNSを始めたんです。それが成功したことがきっかけになって、約7年も続けているので、すべてをSNSにさらすのは日常になっています。それは自分にとって怖くもあり、自然なことでもありますね。

佐久間:その勇気を14歳の子が持っていたことに感嘆します。SNS上で怖い思いや嫌な思いをする場合はどうやって乗り越えていますか?

山邊:嫌な場面もたくさんありますが、SNSで発信をしていなければ今の自分はなかったと思います。また、東京や他の地域で同じように発信する同志と出逢い、実際に会い、友達になり……と本当の意味で自分をわかってくれる大切な人々との関係ができたので、インターネット上の有象無象はあまり気にならないです。当時からずっと応援してくれる大人の方も多くいてくださって、たくさんの親がいるような感じです。一瞬通りがかったっただけの人に何か言われるのとは違い、5、6年も見てくださってる方から建設的なアドバイスをいただく機会もありますし。

マイノリティとして意見すること

佐久間:鈴さんはある文章の中で「納得できない」という言葉を使われていました。現在私達に与えられている条件に納得しなくてもいい、という大切なメッセージと感じたんですね。

長期政権の影響や、日本の経済が停滞し貧富の格差が広がる状況にあって、生まれてきて存在する人々はその現状や未来を納得し受け入れるように教えられてきて、諦めが投票率の低さに現れてしまっている気もします。でも、納得する必要はないんですよね。

山邊:そうですね。実は私はそんな文章を書いておきながら、世の中に対しての意見を持てないのがコンプレックスだったんです。唯一、分断については自分の中で確かなものとして意見を伝えられるレベルでした。

例えば、社会保障や子育て支援に関していうと、年収の所得制限に対して仮に「所得制限を設けるのは子供を産むのが難しくなるというメッセージである」という意見を持っていても、経済全体を見た時に本当に子育て世代に優しいのかがわからない。意見を持つことの難しさを感じ、誰かが大きな声で意見するのを見るたびに、どうしてみんなはそんなに自信を持って意見を言えるんだろう……と悩みだったんです。

東アジアの歴史の授業でペーパーを書いてる時に、教授から「もっと議論できるものを書いて(Your paper needs to be more arguable)」と言われたんです。「そっか、意見とは議論できるものであってもいいんだ」と気付いたら、感動してその場で泣いてしまって。

中学生の頃から行政などの場で発言させてもらえる機会がありましたが、そういう場では大人達からなめられがちというか、批判や反対意見を受けたり「現実的なことを言うんじゃない」みたいな形で怒られることがとても多かったんですね。その経験から、まだ自分は意見を言う資格がないんだ、とどこかで感じていました。肯定された経験がとても少なくて。でも、そんな風に怒られてこなかった子達は正しくなくても意見を持っているものですよね。

佐久間:鈴さんに意見がなかったわけではなく、大人達から押しつぶされてしまったように聞こえます。怖くなってしまったのでしょうか。自分が女性であることは関係していると思われますか?

山邊:そうですね、意見を言うたびに押しつぶされると怖くなりますし、自分のスタンスを表明しないようにしていったところはあると思います。

女性であるということも、人口統計的には全くマイノリティではないのですが、意思決定的な場ではやはり“マイノリティ側”に入ることが圧倒的に多く、自分1人が何かを言うとその場では新しい意見になるんですね。だからまず否定から入られる。当時は知識が今より少なかったのでそれ以上は発言できずに、どこに行っても「あ、すみません……」と謝っていた気がします。

教授から言われた「argurable(議論の余地ある)」という語に含まれる、絶対的な正しさはないという視点を得られたのはアメリカに行って一番良かったことです。

自己肯定感と特権

佐久間:自分の意見を否定されたり、怒られた時に、自信をなくす方向に働いてしまったのですね。自信や自己肯定感のようなものを持たずに意思決定の場などに足を運ぶこと自体が、個人の精神面にとって厳しいことのように見受けます。鈴さんにとって、それに勝る何かがあったのでしょうか?

山邊:みんな自信がないし、意見を言わないから、それなら自分が言ったほうがいいと考えていた気がしますね。他者から肯定された経験なしに自信を持つのは難しいと思います。そもそもある程度の強者性がないと自己肯定感は持てないもので、肯定された経験もある意味で特権という感じがします。

今の私はもう自信を持ってしまったので、本当の意味での片隅の人達の声は代弁できないと思っていて。自信がない人達の声をすくっていくには辛抱強さや優しさが必要だと思うので、そういう強者でありたいです。

佐久間:自己の特権性に自覚的である必要はあると思いますが、一方で自分には特権があるからと遠慮している人達が、社会全体を見た時に、実はそんなに特権的な立場にはない場合もあります。もっと大きな敵がいるというか。集団的な罪悪感(collective guilt)のようなものを持ちすぎるのは果たして有効だろうか、とも考えることもあります。

例えば、女性は全体的にはいまだに男性より所得が低く、家事や育児を担う割合が不釣り合いに多いなど、フェアではない状況は事実としてありながら、その中でもやや特権的である女性が「私は恵まれているので……」と重く罪悪感を持ってしまったり。同時に圧倒的な特権を持っているはずの肝心のおじさん達が無自覚だったりする。

山邊:とてもわかります。人々に罪悪感がありすぎるから、貧乏自慢みたいな話を徹底的に叩くのでしょうね。私も日本にいる時は調子にのっていると思われないよう、どこか過度に謙虚になっている気もします。

日本とアメリカの女子大に通って

佐久間:ジェンダー規範についてですが、若い世代でも九州出身の女性から「女だから大学に行かせてもらえなかった」といった声を聞くことが普通にあります。もちろん九州に限った話ではないし、時代と共に変化しているとはいえ、比較的女性に厳しい通念が残る地域ではあるとのかなと思います。九州の長崎で生まれ育った鈴さんは、ジェンダー規範や男尊女卑的な空気を意識してきた感覚はありますか?

山邊:同級生などの状況を見ると、女子のデフォルトとして九州から出させてもらえないことはありますね。私自身は比較的、あからさまな男尊女卑の状況下にはなかったと思いますが、出しゃばりすぎると良くないとはずっと言われてきました。今こうして上手く言葉にならない時点で、あまりに当たり前の観念として潜在意識に眠っているのかもしれないですね。

これは私がそう育てられてきたからなのか、それとももともと自分に備わる性質なのかはわかりませんが、いわゆる“女性らしい”とされているものが好みで、幼い時はただピンクがかわいいという理由で長崎大学の産婦人科のホームページを眺めているような子でした。議論より対話、理系科目より文系科目が合っているし、女性の作家も好きで江國香織さんや山田詠美さんの作品を大学生になってから乱読しています。

アメリカで通っているウェルズリー大学は女子大なんです。アメリカと日本の女子大を比較する意味もあって、お茶の水女子大学に2021年4月から9月まで通いました。そこでは子供関係の学科は充実していますが、経済学部はなく、経済といっても家庭経済的な範囲しか勉強できない。マクロ経済学や政治学が学べないんです。生活科学部があり、生活者の視点で物事を見られる人になりましょう、と。でも既に女性はそうあるべきと世間からずっと言われてきましたよね。みんな優秀だし、凛として素敵な学生も多いですが「東大受験も考えたけどお嫁さんになりたいし、だからお茶大かな」という感じで選んだ人は一定数いるようでした。

私も日本で高齢の男性ばかりが集まる会議などに参加する時はかわいいメイクをしたままでは行けませんでしたし、高校時代でも眉毛を太く描いて、フリフリした服は着ないようにしたりと、かなり気をつかっていました。

ウェルズリー大学では仲間の学生と編み物をしながらウクライナ情勢について話したり、ガツガツした経済学のフォーラムをみんなでかわいいお菓子を食べながら聴くことができたり。そうやって、“女性らしさ”を言い換えると“おじさんぽくない”要素を持ちつつ、恋バナの延長で世界政治や金融政策について議論できる。自分を変える必要を感じずに、自分自身のまま思う存分勉強できる環境が嬉しいです。

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力」山邊鈴 前編 https://tokion.jp/2023/04/23/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part1/ Sun, 23 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154250 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第5弾の対談相手は「この割れ切った世界の片隅で」と題した記事が話題となった山邊鈴。前編では、長崎で生まれ育った経験から浮かび上がる想いや、地元と東京、日本とアメリカの風景の違いについて聞いた。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力」山邊鈴 前編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳の時に地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在はアメリカのウェルズリー大学に通う、山邊鈴。前編となる今回は長崎で生まれ育った経験から浮かび上がる想いや、地元と東京、日本とアメリカの風景の違いについて聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大学・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
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地方から見た景色、東京から見た景色

佐久間裕美子(以下、佐久間):鈴さんが書いた「この割れ切った世界の片隅で」という文章は私達に見えている範囲の“普通”とは、ということを世の中に突きつけ反響を呼びました。どんなことが書く動機になったのでしょうか?

山邊鈴(以下、山邊):長崎の高校に通っていた1年生の頃にアメリカの大学に行きたいと考え始めて、スピーチコンテストや〇〇会議といった、留学に興味のある子達が集まるようなコミュニティに意識的に自分も参加するようになりました。そういう場所で都市と地方の格差に関して私が感じていたことを話しても「でも、あなたはここに来られているじゃない」とか「俺、そうやって甘えてる人は好きじゃないんだよね」という言葉が返ってきました。その子達のような人が、数十年後に日本の社会の仕組みを作り、意思決定をするようになるだろうけど、その立場にいる人が“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力を持てないと、社会の仕組みや性質は変わらないと感じたんです。もともとは自分の文章があんなにも広がるとは全く想定していなくて、友達に伝えたい、読んでほしい、という気持ちで書きました。

当時の世の中に需要がある内容だったとは思います。最近は特に地域格差がいわれ、生まれがどうこう……というトピックは関心を集めやすくもありますし、私が海外の大学を目指していたという文脈もトレンドに合っていたのだと思います。

佐久間:長崎で自分の目に映っていた風景と、東京から見たそれとのギャップが大きかったということでしょうか。特にどんなところに違いを感じましたか?

山邊:1つ目は、(地方でも東京でも)人の能力にそこまで変わりはないと思いますが、東京では「自分にもこれくらいできるだろう」と自分の可能性を高く見積もっている。一方、地方では同じくらいできるはずなのに、まず「九州から出たらダメって言われてるから」と制限があったり、「自分にはそんなことできるはずがないから」と自分の能力を低く見積もってしまうところがあると感じます。

2つ目は、都会の方が実社会に触れる機会が多いために、傾向として地道にコツコツやるよりも上手く(他者に)見られるポイントを押さえるというか、社会の中で器用に生きる能力が身に付いているように思います。

弱者性自慢では終わらない、格差と分断

佐久間:「この割れ切った世界の片隅で」は、「伝えたい」という動機があって書いた文章ですよね。多くの反応を受けて、鈴さんの気持ちが伝わった感触はありますか?

山邊:貧困をうたった短歌などはずっと昔からありますし、格差の話だけだと「弱者性自慢」のように捉えられてしまいがちなところを、格差の話の後に分断の話へ文脈を持っていったことで「こうやって“普通”は形作られていて、自分に見えているものがすべてではなくてね……」というメッセージに落とし込めました。こうしたは口頭だけでは伝えにくいんですね。音声情報だけではやはり人は自分が理解できるものだけを拾いがちなので、口頭で友達に言うだけだとやはり「貧乏自慢」とか「この人はまた“左”っぽいこと言っている」で終わってしまったかもしれないけれど、自分が言いたことをゆっくり時間をかけて何度も読み返せる文章の形にしたのは良かったと思います。

佐久間:鈴さんの文章は立体感があって裏表がなく自然に身についた感じというか、頭の中でこうやって話しているのかな、という印象を受けました。子供の頃から文章を書かれていたのでしょうか?

山邊:新聞もとったことがないような家で、文章を書いた経験もあまりありませんでした。文章が上手いわけではないのですが、伝えたいことが人よりも多いのかもしれません。嘘がつけないというか、頭の中をそのまま模写するように書いているので、色気がないんですけど。

佐久間:育った環境の中で記憶に残る、現在の方向に進んだきっかけや出会いはありますか。

山邊:これだと思えるきっかけは特にないのですが、あるとすれば共感能力が人一倍強かったことは影響していると思います。例えば、インフルエンザの季節に赤ちゃんが予防接種の注射を打たれるニュース映像も痛そうで見ていられなかったし、テレビ番組で、砂漠に10年間も捕われていた子供の実話を知り、思い出すだけで苦しかったり。他人の痛みを自分のものとして感じてしまう性質が強い人間で、そこに対して自分にできることをいち早く行動に移さないと納得ができないという気持ちがありました。

長崎に生まれ育ったこともあって、今自分が生きているこの地では70数年前に原爆が落とされて、皮膚が焼けただれながら歩いていた人達がいると考えるだけで身震いがしたり、この瞬間にも地球のどこかでは泣きながら警官に追いかけられている孤児達がいるんだろう、ということを考えていました。小学1年生くらいの頃から「自分はただ運が良くてここにいるだけなんだから、自分の命を誰かのために使わないと死ねないな」と、なんとなく思っていましたね。

長崎で感じた「私には声があるんだろうか?」

佐久間:長崎で生まれ育ち、公立学校の教育を受けた鈴さんは原爆投下の事実に重みを感じて育ちましたか。

山邊:自分が生きているこの長崎という地が、世界史の文脈の中で大きな意味があるということで、自分と社会や世界のつながりを感じやすかったかもしれないです。その一方、日本がオランダと交易をしていた時代に長崎がいかに重要だったかも学び、原爆が落とされた特殊な地とは分かりつつも、今この現在の長崎には声があるんだろうか、と感じていましたし、長崎に限らず「私が今見ている世界は誰によって作られ操作されていて、誰にとって価値があるんだろう」と疑問でした。ずっと自分の中にあった「自分の声がどこにも届かないような、価値がないような気がする」という気持ちが「片隅」というワードに現れ、特に何も考えずにつけた「この割れ切った世界の片隅で」のタイトルへつながった気がします。

佐久間:原爆が投下された都市として、広島に比べて長崎は影が薄いと思っている人もいるでしょうし……。

山邊:昨年、アメリカの大学で東アジアの第二次世界大戦の授業をとって学んだのですが、戦後の都市復興計画会議の結果、広島は平和都市として声をあげようという方針で都市が形成されました。それに対し、長崎は国際文化都市という形で発展していく役割に決まったこともあり、原爆についての語りを「平和へのメッセージ」という、マイルドなイメージに包んでしまう傾向があるんですね。広島では原爆といえば赤や茶色のイメージカラーと結び付けられますが、長崎では水色。キリスト教が根付いている影響もあり、主張というよりかは祈りの方向で、「神が私達に犠牲を払わせた意味とは」という感じ。学校で書かされた作文のテーマも「あなたにとって平和とは?」でした。「私達は平和を願っています」と、理想論で終わってしまっていると感じ、そこが少しもどかしかったのかもしれません。

違いを前提にするアメリカ

佐久間:今、アメリカで勉強されているわけですが、特に大学ではリベラル的な価値観が強く、戦争や帝国主義的なものに対して抵抗が強いけれども、一方で、リベラルな価値観の中でも軍は国防の要として大切にされ、(軍事力を)平和と相反するものとして認識されないこともある。戦争は必ずしも悪いものではないというムードを感じることがあります。

自分が子供の頃の日本は、「戦争は大失敗だった」という空気感が強く、教科書などから受け取ったメッセージも「日本はとても悪いことをしたから、これからは平和に生きていきます」というものでした。戦争教育を受けてよかったと思うと同時に、今になってよく考えると、戦後もずっと日本が植民地的な状態であることなども含めて、子供の自分が受け取ったメッセージは至極単純で稚拙な世界観に基づいていたともいえます。

長崎でもどかしさを感じながら育ち、現在はアメリカの大学で学ばれる鈴さんの立ち位置からアメリカの風景はどう見えますか?

山邊:日本では自分がやりたくてもやれていない、「授業中に発言をする」「おかしいことをおかしいと言える」といったことを、逆に要求される環境に入ったらどうなるだろうと考えてアメリカの大学を選びました。

アメリカに来て驚いたと同時に、日本とのコントラストが一番大きいと感じたのは、相手と自分は本当に異なる存在だと捉えている点です。移民の第1世代だけが履修できる女性学の授業では、私以外の全員がヒスパニックの学生でした。そこでは何度も「私達は人種を越えられない(We can’t go beyond the race)」というフレーズが出てきたんですね。思想でも何でも、ある人について考える時には必ず人種を考慮に入れなくてはいけない、と教わりました。日本で生まれ育った自分はやはり人種を強く意識した経験はなく、その人自身を見るよりも先に人種を考慮しなければならないというのは少しつらくもあり、これが多民族国家の格差や紛争の結果ということなんだとも思い知りました。

政治の授業で習った選挙区の区割りの話では、「この地域はカトリックの住民が多く、かれらの思想はこうだろうから、共和党に票を投じてくれるだろう。だから選挙区の区割りをこうする」というように、人々は異なるという前提を上手く利用し社会のさまざまな仕組みが回っている。これは個人的には苦しいと同時に、日本の社会はその逆だと思う点で、文章で表現したかったポイントでもあります。

日本の場合、実際には人々は少しずつ異なっているにもかかわらず、みんなが他人も自分と同じような生活をしているだろうという思い込みが分断につながっていると思います。アメリカと日本の分断の性質は違うので、アメリカほどに“違うから分かり合えない”という方向に行く必要はないけれども、日本がより良くなるためには「あなたはそういう感じなのね。私はこういう感じ。でも一緒に生きていきましょう」という、日本特有の若干無関心のある共存の形ができたらいいのではと感じます。

佐久間:私はかつてアメリカ・カルチャー・オタクで、ある種の憧れを持って渡米したので、やはり人種の問題にはショックを受けました。特に近年は、自分を見た人はまず「アジア人だ」と人種を意識されるのだなと改めて感じるようになりました。以前はあまり深く考えずとも生きてこれてしまったのですが、今はずっと水面下にあった多くの苦しみや悲しみが、構造的な差別が可視化され一気に吹き出してきたところだと見ています。

中編へ続く

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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