対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力」山邊鈴 前編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳の時に地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在はアメリカのウェルズリー大学に通う、山邊鈴。前編となる今回は長崎で生まれ育った経験から浮かび上がる想いや、地元と東京、日本とアメリカの風景の違いについて聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大学・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
Twitter:@carpediem_530
https://note.com/__carpediem___

地方から見た景色、東京から見た景色

佐久間裕美子(以下、佐久間):鈴さんが書いた「この割れ切った世界の片隅で」という文章は私達に見えている範囲の“普通”とは、ということを世の中に突きつけ反響を呼びました。どんなことが書く動機になったのでしょうか?

山邊鈴(以下、山邊):長崎の高校に通っていた1年生の頃にアメリカの大学に行きたいと考え始めて、スピーチコンテストや〇〇会議といった、留学に興味のある子達が集まるようなコミュニティに意識的に自分も参加するようになりました。そういう場所で都市と地方の格差に関して私が感じていたことを話しても「でも、あなたはここに来られているじゃない」とか「俺、そうやって甘えてる人は好きじゃないんだよね」という言葉が返ってきました。その子達のような人が、数十年後に日本の社会の仕組みを作り、意思決定をするようになるだろうけど、その立場にいる人が“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力を持てないと、社会の仕組みや性質は変わらないと感じたんです。もともとは自分の文章があんなにも広がるとは全く想定していなくて、友達に伝えたい、読んでほしい、という気持ちで書きました。

当時の世の中に需要がある内容だったとは思います。最近は特に地域格差がいわれ、生まれがどうこう……というトピックは関心を集めやすくもありますし、私が海外の大学を目指していたという文脈もトレンドに合っていたのだと思います。

佐久間:長崎で自分の目に映っていた風景と、東京から見たそれとのギャップが大きかったということでしょうか。特にどんなところに違いを感じましたか?

山邊:1つ目は、(地方でも東京でも)人の能力にそこまで変わりはないと思いますが、東京では「自分にもこれくらいできるだろう」と自分の可能性を高く見積もっている。一方、地方では同じくらいできるはずなのに、まず「九州から出たらダメって言われてるから」と制限があったり、「自分にはそんなことできるはずがないから」と自分の能力を低く見積もってしまうところがあると感じます。

2つ目は、都会の方が実社会に触れる機会が多いために、傾向として地道にコツコツやるよりも上手く(他者に)見られるポイントを押さえるというか、社会の中で器用に生きる能力が身に付いているように思います。

弱者性自慢では終わらない、格差と分断

佐久間:「この割れ切った世界の片隅で」は、「伝えたい」という動機があって書いた文章ですよね。多くの反応を受けて、鈴さんの気持ちが伝わった感触はありますか?

山邊:貧困をうたった短歌などはずっと昔からありますし、格差の話だけだと「弱者性自慢」のように捉えられてしまいがちなところを、格差の話の後に分断の話へ文脈を持っていったことで「こうやって“普通”は形作られていて、自分に見えているものがすべてではなくてね……」というメッセージに落とし込めました。こうしたは口頭だけでは伝えにくいんですね。音声情報だけではやはり人は自分が理解できるものだけを拾いがちなので、口頭で友達に言うだけだとやはり「貧乏自慢」とか「この人はまた“左”っぽいこと言っている」で終わってしまったかもしれないけれど、自分が言いたことをゆっくり時間をかけて何度も読み返せる文章の形にしたのは良かったと思います。

佐久間:鈴さんの文章は立体感があって裏表がなく自然に身についた感じというか、頭の中でこうやって話しているのかな、という印象を受けました。子供の頃から文章を書かれていたのでしょうか?

山邊:新聞もとったことがないような家で、文章を書いた経験もあまりありませんでした。文章が上手いわけではないのですが、伝えたいことが人よりも多いのかもしれません。嘘がつけないというか、頭の中をそのまま模写するように書いているので、色気がないんですけど。

佐久間:育った環境の中で記憶に残る、現在の方向に進んだきっかけや出会いはありますか。

山邊:これだと思えるきっかけは特にないのですが、あるとすれば共感能力が人一倍強かったことは影響していると思います。例えば、インフルエンザの季節に赤ちゃんが予防接種の注射を打たれるニュース映像も痛そうで見ていられなかったし、テレビ番組で、砂漠に10年間も捕われていた子供の実話を知り、思い出すだけで苦しかったり。他人の痛みを自分のものとして感じてしまう性質が強い人間で、そこに対して自分にできることをいち早く行動に移さないと納得ができないという気持ちがありました。

長崎に生まれ育ったこともあって、今自分が生きているこの地では70数年前に原爆が落とされて、皮膚が焼けただれながら歩いていた人達がいると考えるだけで身震いがしたり、この瞬間にも地球のどこかでは泣きながら警官に追いかけられている孤児達がいるんだろう、ということを考えていました。小学1年生くらいの頃から「自分はただ運が良くてここにいるだけなんだから、自分の命を誰かのために使わないと死ねないな」と、なんとなく思っていましたね。

長崎で感じた「私には声があるんだろうか?」

佐久間:長崎で生まれ育ち、公立学校の教育を受けた鈴さんは原爆投下の事実に重みを感じて育ちましたか。

山邊:自分が生きているこの長崎という地が、世界史の文脈の中で大きな意味があるということで、自分と社会や世界のつながりを感じやすかったかもしれないです。その一方、日本がオランダと交易をしていた時代に長崎がいかに重要だったかも学び、原爆が落とされた特殊な地とは分かりつつも、今この現在の長崎には声があるんだろうか、と感じていましたし、長崎に限らず「私が今見ている世界は誰によって作られ操作されていて、誰にとって価値があるんだろう」と疑問でした。ずっと自分の中にあった「自分の声がどこにも届かないような、価値がないような気がする」という気持ちが「片隅」というワードに現れ、特に何も考えずにつけた「この割れ切った世界の片隅で」のタイトルへつながった気がします。

佐久間:原爆が投下された都市として、広島に比べて長崎は影が薄いと思っている人もいるでしょうし……。

山邊:昨年、アメリカの大学で東アジアの第二次世界大戦の授業をとって学んだのですが、戦後の都市復興計画会議の結果、広島は平和都市として声をあげようという方針で都市が形成されました。それに対し、長崎は国際文化都市という形で発展していく役割に決まったこともあり、原爆についての語りを「平和へのメッセージ」という、マイルドなイメージに包んでしまう傾向があるんですね。広島では原爆といえば赤や茶色のイメージカラーと結び付けられますが、長崎では水色。キリスト教が根付いている影響もあり、主張というよりかは祈りの方向で、「神が私達に犠牲を払わせた意味とは」という感じ。学校で書かされた作文のテーマも「あなたにとって平和とは?」でした。「私達は平和を願っています」と、理想論で終わってしまっていると感じ、そこが少しもどかしかったのかもしれません。

違いを前提にするアメリカ

佐久間:今、アメリカで勉強されているわけですが、特に大学ではリベラル的な価値観が強く、戦争や帝国主義的なものに対して抵抗が強いけれども、一方で、リベラルな価値観の中でも軍は国防の要として大切にされ、(軍事力を)平和と相反するものとして認識されないこともある。戦争は必ずしも悪いものではないというムードを感じることがあります。

自分が子供の頃の日本は、「戦争は大失敗だった」という空気感が強く、教科書などから受け取ったメッセージも「日本はとても悪いことをしたから、これからは平和に生きていきます」というものでした。戦争教育を受けてよかったと思うと同時に、今になってよく考えると、戦後もずっと日本が植民地的な状態であることなども含めて、子供の自分が受け取ったメッセージは至極単純で稚拙な世界観に基づいていたともいえます。

長崎でもどかしさを感じながら育ち、現在はアメリカの大学で学ばれる鈴さんの立ち位置からアメリカの風景はどう見えますか?

山邊:日本では自分がやりたくてもやれていない、「授業中に発言をする」「おかしいことをおかしいと言える」といったことを、逆に要求される環境に入ったらどうなるだろうと考えてアメリカの大学を選びました。

アメリカに来て驚いたと同時に、日本とのコントラストが一番大きいと感じたのは、相手と自分は本当に異なる存在だと捉えている点です。移民の第1世代だけが履修できる女性学の授業では、私以外の全員がヒスパニックの学生でした。そこでは何度も「私達は人種を越えられない(We can’t go beyond the race)」というフレーズが出てきたんですね。思想でも何でも、ある人について考える時には必ず人種を考慮に入れなくてはいけない、と教わりました。日本で生まれ育った自分はやはり人種を強く意識した経験はなく、その人自身を見るよりも先に人種を考慮しなければならないというのは少しつらくもあり、これが多民族国家の格差や紛争の結果ということなんだとも思い知りました。

政治の授業で習った選挙区の区割りの話では、「この地域はカトリックの住民が多く、かれらの思想はこうだろうから、共和党に票を投じてくれるだろう。だから選挙区の区割りをこうする」というように、人々は異なるという前提を上手く利用し社会のさまざまな仕組みが回っている。これは個人的には苦しいと同時に、日本の社会はその逆だと思う点で、文章で表現したかったポイントでもあります。

日本の場合、実際には人々は少しずつ異なっているにもかかわらず、みんなが他人も自分と同じような生活をしているだろうという思い込みが分断につながっていると思います。アメリカと日本の分断の性質は違うので、アメリカほどに“違うから分かり合えない”という方向に行く必要はないけれども、日本がより良くなるためには「あなたはそういう感じなのね。私はこういう感じ。でも一緒に生きていきましょう」という、日本特有の若干無関心のある共存の形ができたらいいのではと感じます。

佐久間:私はかつてアメリカ・カルチャー・オタクで、ある種の憧れを持って渡米したので、やはり人種の問題にはショックを受けました。特に近年は、自分を見た人はまず「アジア人だ」と人種を意識されるのだなと改めて感じるようになりました。以前はあまり深く考えずとも生きてこれてしまったのですが、今はずっと水面下にあった多くの苦しみや悲しみが、構造的な差別が可視化され一気に吹き出してきたところだと見ています。

中編へ続く

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

author:

佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に「Weの市民革命」(朝日出版社)「真面目にマリファナの話をしよう」(文藝春秋)、「My Little New York Times」(Numabooks)、「ピンヒールははかない」(幻冬舎)、「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。2020年12月に「Weの市民革命」を刊行したのをきっかけに、コレクティブになったSakumag Collectiveを通じて勉強会(Sakumag Study)、発信(Sakumag Stream)などを行っている。Twitter:@yumikosakuma Instagram:@yumikosakuma

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