後藤護, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/mamoru-goto/ Mon, 14 Nov 2022 11:19:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 後藤護, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/mamoru-goto/ 32 32 諸星大二郎の壺中天——風格主義的漫画(Manneristic Comics)試論 https://tokion.jp/2021/09/30/manneristic-comics/ Thu, 30 Sep 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=62589 デビュー50周年を記念した大規模巡回展が開催中の漫画界の鬼才、諸星大二郎。その深淵なる作品世界に暗黒批評家・後藤護が迫る。

The post 諸星大二郎の壺中天——風格主義的漫画(Manneristic Comics)試論 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
古代史や神話、伝承などを題材として、非凡な想像力により数々の名作漫画を紡ぎあげた鬼才、諸星大二郎。異端の考古学者が日本各地の奇怪な現象・事件に遭遇する「妖怪ハンター」シリーズ(1974年〜)、パプアニューギニアを舞台に現代文明と神話的世界の交錯を描いた『マッドメン』(1975〜82年)など、いくつもの領域をまたぐ独創性に満ちた作品世界は時を越え数多の読者を魅了し続けている。そんな諸星のデビュー50周年を記念した大規模の巡回展「異界の扉」が開催されている(現在は東京の三鷹市美術ギャラリーで開催されており、会期は10/10まで)。この機に、諸星の深淵なる作品世界に新たな角度から光を当てるべく、暗黒批評家の後藤護に寄稿を依頼した。本稿において後藤が考察対象としたのは、「西遊記」をモチーフとした幻想的な冒険譚『西遊妖猿伝』(1983年〜)をはじめとする中国もの作品。澁澤龍彦との接続線を糸口として、諸星作品のマニエリスム美学の深淵へと迫る。

諸星作品における澁澤龍彦的なマニエリスム美学

諸星大二郎『諸怪志異(2)-壺中天』(双葉社)

「暗黑美学大师」なる肩書とともに涩泽龙彦(Shibusawa Tatsuhiko)がいま中国で大量翻訳されていることをご存じだろうか? ドラコニア澁澤がいよいよ龍の国チャイナに帰ったという感じで感慨深いが、なぜ一見関係ないようなこんな話から始めたかというと、諸星大二郎の初期作「夢みる機械」(1974年)に「市井の哲学者」を自称する「渋川立彦」なる人物が出てくるからである。

諸星の澁澤への関心は高い。同じく74年に発表した錬金術マンガ「肉色の誕生」を覗くと、パラケルススを崇拝するマッド・サイエンティストの本棚にはユイスマンス『さかしま』だのエリファス・レヴィ『高等魔術の教理と儀式【ママ】』だのいかにもな澁澤趣味全開のタイトルが並べられている。また「ユリイカ」の諸星特集号のインタヴューを見ると、これまた74年発表の代表作「生物都市」の着想源に澁澤本があったことを明らかにしている程だ。

しかしこうした表面的な言及以上に、「妖怪ハンター」シリーズで民俗学的フィールドワークを描きながらも自らは出不精を自認し、夥しい書物を駆使してブリコラージュ的に作られたモロホシワールド自体が、そもそもシブサワワールドと同じような極度に人工的な作られかたをしているのではなかろうか? シブサワワールド、と簡単に片付けてしまったが、その根底にあるものはミニチュア偏愛の、室内遊戯的なマニエリスム美学であろう。

「夢みる機械」「肉色の誕生」「生物都市」が発表された74年には、澁澤マニエリスム美学の最高峰と目される『胡桃の中の世界』(青土社)が刊行されている。その名の通り極小の胡桃の中に極大の世界が格納された、所謂ミクロコスモスとマクロコスモスの照応(対立物の一致)をテーマにした本で、机の上でブッキッシュに小宇宙を操作する幼年皇帝のこの魔的権能は、J・フレイザー『金枝篇』の「肘掛け椅子の人類学」にも通底するもので、つまりはモロホシ暗黒民俗学のインドア的な在り方にも手法的に一致する。古本屋の娘と新刊書店の娘2人が活躍する「栞と紙魚子」シリーズにおけるボルヘス「バベルの図書館」への言及からして、諸星が書物の堆積から自己形成してきた迷宮的人間であることはほぼ疑いないように思える。

「壺中天」という中国式ミクロコスモス、そこにあらわれる西洋美術史からの強い影響

さて、この諸星の澁澤的マニエリスム趣味が最も顕著なのが『西遊妖猿伝』に代表される一連の中国ものマンガである(ちなみにこの記事のサブタイトルの「風格主義」はマニエリスムの中国語訳)。最初に取り上げたいのは「諸怪志異」シリーズ(双葉社アクションコミックス全四巻)の第二巻『壺中天』で、同名タイトル作は、小さな壺のなかにアナザーワールドの天地が広がっているという驚異譚だ。この「壺中天」という中国式ミクロコスモスは、諸星のみならず澁澤の隣人である種村季弘をも捉えたようで、日本文学史をマニエリスムの観点でまとめた書物を『壺中天奇聞』と名付けてしまったほどである。

同書収録の「三山図」も壺中天の一ヴァリエーションとして特筆に値する。ある木こりが江州の山中で三つの(人間くらいの大きさ)の奇岩と「鎮」の文字が封じられた玉を発見する。皇帝に上奏するためにその玉を引き取った県令は、奇岩の存在も知ることになり現地に赴くと、気に入って邸の庭に運び込ませた。奇岩は湿気が多い日は白い蒸気を発して、さながら仙山に白雲がかかったような趣きであったゆえ、県令は眺めるのに飽き足らず陶然として庭の石の中に踏み出し、気が付けばそのミニチュア世界のなかに迷い込んで、雲の上を飛んでいた。

県令が天上界に逢着すると、あの3つの奇岩は蓬莱(ほうらい)・瀛州(えいしゅう)・方壺(ほうこ)の3つの仙山の立体縮小地図即ち「三山図」だと明かされ、赤脚大仙(せっきゃくたいせん)が地上に置き忘れたものだと判明する。県令が庭の三奇岩(ミクロ)から聳え立つ三仙山(マクロ)にトリップする描写は的確に壺中天のヴァリエーションであるわけだが、それ以上にこのマンガで僕の印象に残ったシーンは、赤脚大仙が3つの奇山(立体)をクルクル巻いて一枚の巻物(平面)に次元変換してしまうマジシャンの手つきであった【図】

出典:諸星大二郎「三山図」、『諸怪志異(二)壺中天』(双葉社、1991年)、206頁。

この描写はしばしば諸星がフェイヴァリットに挙げる画家サルヴァドール・ダリの『水の影に眠っている犬を見ようと、細心の注意をもって海の皮膚をつまみ上げている幼女である私』(1950年)【図】の想像力やテクスチャーに近いもので、ダリの「海の皮膚」にちなんで言えば諸星は「石の皮膚」をつまみ上げたと言える。

Salvador Dali – “Dali at the Age of Six When He Thought He Was a Girl Lifting the Skin of the Water to See the Dog Sleeping in the Shade of the Sea” (c)Salvador Dali
(出典:https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/dali-at-the-age-of-six-when-he-thought-he-was-a-girl-lifting-the-skin-of-the-water-to-see-the/ / Fair Use )

ここでダリの名に突如言及したのは、日本民俗学や中国説話の印象が強い諸星が、実は西洋美術史からも強い影響を受けていることを言いたかったからで、特に『失楽園』ではボス、ゴヤ、デ・キリコ、ダリからの露骨な引用が見られる。その視点で諸星マンガの1つの金字塔と目すべき、東北の隠れキリシタンを描いた「生命の木」(1976年)の有名な昇天シーン「おらといっしょにぱらいそさ行くだ‼」を見てみると、意外なソースが浮かび上がる。

デビュー50周年記念「諸星大二郎 異界への扉」展ではこのシーンをティントレットの「キリストの昇天」と並べているが、ハッキリ言って「無重力」のモチーフだけで両者を並べても視覚的に説得力に欠ける(たとえG・R・ホッケが「浮遊」をマニエリスム美術最大の特徴と見なしていたとしてもだ)。むしろ本作の6年前の1970年に種村季弘によって翻訳刊行された、ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』に見開きページでデカデカ掲載されたルイ・ブーランジェ『夜宴の輪舞』とアルベルト・マルティーニ『地獄の最後の時』の連続する二枚の図版を合成したイメージに思われる【図】。構図的にも、夥しい人間や魑魅魍魎の連続感・量塊感的にも「生命の木」のシーンとの類似度は高い。

二元論が生じる前の原初的合一性への憧憬

閑話休題。中国ものへと話を戻そう。諸星の中華風格主義を最も如実に示した「無面目」を最後に取り上げたい。天窮山に住む、天地開闢以前から思索を続けていた無面目と綽名された神仙がいて、顔がないのっぺらぼうでもあった。そこに別の2人の神仙が現れ、試みに人間の顔を書いてみると人間的自我に目覚め、世俗で権力欲にまみれて堕落して最後には死んでしまう。【図】

ここで注目すべきは無面目の本名が「混沌」であることだ。異端中国文学者の武田雅哉「宇宙卵クンルンの謎」によれば、このマンガは『荘子』「応帝王篇」に見える混沌神話から取られたものだと分かる。武田によれば黄河の源とされた伝説の山「崑崙(kun-lun)」と「混沌(Hum-Dun)」は音韻学的に同一グループのもので、この二語は中国神話初の人間である盤古によってカオスが打ち破られ二元論が生じる前の原初的合一性、いわゆる「宇宙卵」をイメージさせる宇宙的タームなのだという。

さらにラーメンの上に載ってるワンタン(hun-tun)もこの同じ音韻グループだから、ワンタンもまた宇宙卵の断片なのだという武田の綺想(?)はさておき、混沌(Hum-Dun)と卵人間ハンプティー・ダンプティー(Humpty-Dumpty)の洋の東西を超えた音韻的一致には目を瞠るものがある。一度割れたら二度と元に戻らない卵人間の悲劇は、卵型の面に顔の造作を書き込まれた瞬間に破滅へのカウントダウンを始める混沌(無面目)の神話に忠実に対応している。壺中天、三山図と続いたミクロ・マクロ照応の諸星風格主義の行き着く先は、天と地、陰と陽が未だ別れず対立物の一致を果たした、「全体性のイメージ」(エリアーデ)としての宇宙卵への憧憬であった。

出典:諸星大二郎『無面目・太公望伝』(潮出版社、1993年8刷)、16頁。
卵型の面にエッグアートさながらに顔を書き込まれることで凋落を始める混沌は、宇宙卵崩壊の神話を反復している。

The post 諸星大二郎の壺中天——風格主義的漫画(Manneristic Comics)試論 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
三島由紀夫と澁澤龍彥がブラックメタルシーンに与えた影響――風格主義的黒金属(Manneristic Black Metal)試論 https://tokion.jp/2021/04/29/yukio-mishima-tatsuhiko-shibusawa-black-metal/ Thu, 29 Apr 2021 06:00:09 +0000 https://tokion.jp/?p=31061 暗黒批評家・後藤護が「日本」と「ブラック・メタル」の間に見出した接続線とは。

The post 三島由紀夫と澁澤龍彥がブラックメタルシーンに与えた影響――風格主義的黒金属(Manneristic Black Metal)試論 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
初期ブラック・メタル・シーンを代表するノルウェーのバンド、Mayhemにまつわる逸話をもとにした映画『ロード・オブ・カオス』が日本でも公開され、大いに話題となったことは記憶に新しい。それを機として、「日本〈と/の〉ブラック・メタル」に新たな角度から光を当てるべく、暗黒批評家・後藤護に寄稿を依頼。「ゴシック」を基軸として古今東西の文学や映画、音楽などを横断的に論じる同氏が、日本とブラック・メタルの間に見出した接続線とは。

三島由紀夫とブラックメタルをつなぐものとは

ブラックメタル界の帝王ヴァルグ・ヴィケーネスがナチ信奉者であったことは映画『ロード・オブ・カオス』でも如実に描かれていたが、実際彼はヴィドクン・クヴィスリングという、第二次世界大戦中にドイツとの協力体制をとる政府を樹立し、戦後まもなく裁判にかけられ処刑されたノルウェーで悪名高い人物の崇拝者でもあった。

さらに映画の「その後」ということになるが、地元にKKK支部を創設し、人種差別主義の極右団体アインザッツグルッペの指導的立場にあったトム・アイターネスとヴィケーネスは刑務所で知り合っていたりと、とかくブラックメタルシーンは(そのサタニズムないしペイガニズムの土着崇拝も相まって)極右思想と結びつきやすい。

その意味で日本刀をもった上半身裸の「極右」三島由紀夫をジャケットに配したKommodusの『An Imperial Sun Rises』(2019年)は注目に値する。日本産かと思いきやLepidus Plagueなる人物によるオーストラリア発の一人ブラックメタルバンドで、三島の墓参りをするほど熱心なファンらしい。

Kommodus『An Imperial Sun Rises』

三島のインタヴュー音声や『からっ風野郎』主題歌がサンプリングされる二曲目「Four Rivers」なども面白いが、四曲目「Acolyte Ignite」が特に重要だ。Bandcampでこの曲の(プリミティヴ過ぎて聴き取り不可能な)歌詞を見てみると、『金閣寺』をテーマにした曲だと前置きがあり、ブラストビートと地下牢で叫ぶようなヴォーカルを組み合わせた典型的ブラックメタルサウンドのさなかに「浄化の火」といった歌詞が出てくる。

ブラックメタルシーンに通暁していなくても彼らが教会放火に明け暮れていることは何となく知っている人は多かろう。こうした放火行為には土着の神(北欧ならオーディーンなど)を崇拝するペイガニズム、すなわちキリスト教に駆逐された「古代的なもの」の復権という目論見(ないし建前?)がある。「美」を目的に金閣寺に放火した三島小説の主人公と目的は違えど、Kommodusは明らかにブラックメタルの原‐身振り(ウル・ゲベルデ)というべき放火行為を三島美学に重ね合わせている。

5曲目の「Resurrection of Ancient Might(古代の力の復権)」はタイトル通りの内容で、下敷きになっているのは『太陽と鉄』というテクスト。また歌詞にわざわざ「元型(アーキタイプ)」とナチのお気に入りだったユングの心理学用語が出てくるのは、「太陽」と「鉄」というシンボリズムが(三島の文脈を超えて)人間の集合無意識に働きかける超古代的なものだということを示しているだろう。三島のアポロン的古代崇拝を、ブラックメタルのディオニュソス的古代崇拝で破壊的に解釈したもののようで壮絶だ。

「三島ブラックメタル」にかこつけて言えば、我が国でもInfernal Necromancyが欧米のナチ崇拝を換骨奪胎して皇国史観をメインテーマにして大東亜共栄圏を讃えるがごとき「インペリアル・ブラックメタル」を実践していることは忘れてはなるまい。

Infernal Necromancy『Infernal Necromancy』

澁澤龍彥以降の日本耽美マニエリスム派の美学を継ぐ、一人ブラックメタルバンド

こうした右翼政治学方面で三島とブラックメタルはつながったわけだが、マニエリスム美学方面でもつながる。Jekyllによる国産1人ブラックメタルバンドにManierismeというのがいて、J・A・シーザーとか天井桟敷系サブカルチャーを経由したような呪殺系ブラックメタル・サウンドには、澁澤龍彥以降の日本耽美マニエリスム派のテイストが感じられる。

というのも端的に澁澤美学にも決定的な影響を与えたG・R・ホッケによるマニエリスム美学書『迷宮としての世界』が種村季弘と矢川澄子によって奇跡的に翻訳されている我が国において、Manierismeというバンド名を名乗ることは重大な「宣言」のようなもので、澁澤や高山宏の本を読んでいないとは考えづらいのだ(三島がこの『迷宮としての世界』に伝説的なアジ文?を捧げていることは有名だ)。

ところでManierismeというバンド名はブラックメタルというジャンルそれ自体への自己言及にも思える。技術至上主義・引用過剰(進化を拒む結合術のスタイル)・デカダン(進化を拒むゆえの頽廃的遊戯性)・韜晦的(秘密結社的)などマニエリスムの諸特性に概ねブラックメタルは当て嵌まるし、メタルというジャンルが異様に細分化されていて博物学的好奇心を煽るのは逆説的にメタルないしブラックメタルが「様式化」していて、それにニュアンスをつけたり捻ったり他ジャンルとグロテスクにくっつけたり(例:ゴシックメタル)した「手法(マニエラ)」の問題に過ぎないということで、その様式を進化させることなく死体のようにいじくり回し、裂いたりくっ付けたりするフランケンシュタイン的な黒い頽廃遊戯=マンネリズムの、救済も進歩もない退化論的悦びを享受する高貴さこそがブラックメタル、ひいてはマニエリスムと読むがいかに? 大ざっぱなジャンル論はさておきManierismeの個体性にも目を向けよう。極力装飾を剥いで「異教的」で「古代的」な雰囲気を醸し出すローファイなサウンドを特に「プリミティヴ・ブラックメタル」と呼ぶ。自主制作のCD-Rとして100枚にも満たない数がリリースされ、その後4曲追加してNekrokult Nihilismレーベルから666枚限定発売された『過去と悲哀』(2010年)がまさにこの「プリミティヴ」でローファイなサウンドで、フランスのLes Legions Noires勢の影響が強いが、先述したように澁澤・寺山修司的な日本土着マニエリスムの美学もそこはかとなく漂う。

Manierisme『過去と悲哀』

タイトルに「過去」とあるが、Jekyllが別名義でやっているReminiscenceというプリミティヴ・ブラックメタルの1stアルバムも『Nostalgia in Melancholy』と「ノスタルジー」が強調されていて、何やら失われて永遠に取り戻せない過去への強烈なオブセッションが感じられ、するとこのローファイな音はマーク・フィッシャー言うところの「憑在論的」サウンド、過去(アナログ)の亡霊が現在(デジタル)に浮かび上がった怨念のように思える。

さてManierismeの最新別名義バンドはInferior Wretchで、血で染め上げたような邪悪な赤に首なし女の上半身がうっすら浮かび上がるジャケットのそのアルバムは『Dedicated to the Blood Countess(血の伯爵夫人に捧ぐ)』(2020年)と題されている。これは澁澤が『世界悪女物語』で1章を割いた、女吸血鬼の元祖ともされるエリザベート・バートリを指しているのはほぼ明らかで(というのもジャケの首無し女はバートリ)、ゴスカルチャーないしヴィジュアル系ロックバンドの耽美的流血趣味と共鳴している。

ゴス、ヴィジュアル系、天井桟敷、澁澤趣味、プリミティヴ・ブラックなど、さまざまな暗黒の美学や様式を「マニエリスム」的結合術で1つにしてしまった謎多きJekyllの音楽活動から今後も目が離せそうにない。

Inferior Wretch『Dedicated to the Blood Countess(血の伯爵夫人に捧ぐ)』

TOKION MUSICの最新記事

The post 三島由紀夫と澁澤龍彥がブラックメタルシーンに与えた影響――風格主義的黒金属(Manneristic Black Metal)試論 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>