三島由紀夫と澁澤龍彥がブラックメタルシーンに与えた影響――風格主義的黒金属(Manneristic Black Metal)試論

初期ブラック・メタル・シーンを代表するノルウェーのバンド、Mayhemにまつわる逸話をもとにした映画『ロード・オブ・カオス』が日本でも公開され、大いに話題となったことは記憶に新しい。それを機として、「日本〈と/の〉ブラック・メタル」に新たな角度から光を当てるべく、暗黒批評家・後藤護に寄稿を依頼。「ゴシック」を基軸として古今東西の文学や映画、音楽などを横断的に論じる同氏が、日本とブラック・メタルの間に見出した接続線とは。

三島由紀夫とブラックメタルをつなぐものとは

ブラックメタル界の帝王ヴァルグ・ヴィケーネスがナチ信奉者であったことは映画『ロード・オブ・カオス』でも如実に描かれていたが、実際彼はヴィドクン・クヴィスリングという、第二次世界大戦中にドイツとの協力体制をとる政府を樹立し、戦後まもなく裁判にかけられ処刑されたノルウェーで悪名高い人物の崇拝者でもあった。

さらに映画の「その後」ということになるが、地元にKKK支部を創設し、人種差別主義の極右団体アインザッツグルッペの指導的立場にあったトム・アイターネスとヴィケーネスは刑務所で知り合っていたりと、とかくブラックメタルシーンは(そのサタニズムないしペイガニズムの土着崇拝も相まって)極右思想と結びつきやすい。

その意味で日本刀をもった上半身裸の「極右」三島由紀夫をジャケットに配したKommodusの『An Imperial Sun Rises』(2019年)は注目に値する。日本産かと思いきやLepidus Plagueなる人物によるオーストラリア発の一人ブラックメタルバンドで、三島の墓参りをするほど熱心なファンらしい。

Kommodus『An Imperial Sun Rises』

三島のインタヴュー音声や『からっ風野郎』主題歌がサンプリングされる二曲目「Four Rivers」なども面白いが、四曲目「Acolyte Ignite」が特に重要だ。Bandcampでこの曲の(プリミティヴ過ぎて聴き取り不可能な)歌詞を見てみると、『金閣寺』をテーマにした曲だと前置きがあり、ブラストビートと地下牢で叫ぶようなヴォーカルを組み合わせた典型的ブラックメタルサウンドのさなかに「浄化の火」といった歌詞が出てくる。

ブラックメタルシーンに通暁していなくても彼らが教会放火に明け暮れていることは何となく知っている人は多かろう。こうした放火行為には土着の神(北欧ならオーディーンなど)を崇拝するペイガニズム、すなわちキリスト教に駆逐された「古代的なもの」の復権という目論見(ないし建前?)がある。「美」を目的に金閣寺に放火した三島小説の主人公と目的は違えど、Kommodusは明らかにブラックメタルの原‐身振り(ウル・ゲベルデ)というべき放火行為を三島美学に重ね合わせている。

5曲目の「Resurrection of Ancient Might(古代の力の復権)」はタイトル通りの内容で、下敷きになっているのは『太陽と鉄』というテクスト。また歌詞にわざわざ「元型(アーキタイプ)」とナチのお気に入りだったユングの心理学用語が出てくるのは、「太陽」と「鉄」というシンボリズムが(三島の文脈を超えて)人間の集合無意識に働きかける超古代的なものだということを示しているだろう。三島のアポロン的古代崇拝を、ブラックメタルのディオニュソス的古代崇拝で破壊的に解釈したもののようで壮絶だ。

「三島ブラックメタル」にかこつけて言えば、我が国でもInfernal Necromancyが欧米のナチ崇拝を換骨奪胎して皇国史観をメインテーマにして大東亜共栄圏を讃えるがごとき「インペリアル・ブラックメタル」を実践していることは忘れてはなるまい。

Infernal Necromancy『Infernal Necromancy』

澁澤龍彥以降の日本耽美マニエリスム派の美学を継ぐ、一人ブラックメタルバンド

こうした右翼政治学方面で三島とブラックメタルはつながったわけだが、マニエリスム美学方面でもつながる。Jekyllによる国産1人ブラックメタルバンドにManierismeというのがいて、J・A・シーザーとか天井桟敷系サブカルチャーを経由したような呪殺系ブラックメタル・サウンドには、澁澤龍彥以降の日本耽美マニエリスム派のテイストが感じられる。

というのも端的に澁澤美学にも決定的な影響を与えたG・R・ホッケによるマニエリスム美学書『迷宮としての世界』が種村季弘と矢川澄子によって奇跡的に翻訳されている我が国において、Manierismeというバンド名を名乗ることは重大な「宣言」のようなもので、澁澤や高山宏の本を読んでいないとは考えづらいのだ(三島がこの『迷宮としての世界』に伝説的なアジ文?を捧げていることは有名だ)。

ところでManierismeというバンド名はブラックメタルというジャンルそれ自体への自己言及にも思える。技術至上主義・引用過剰(進化を拒む結合術のスタイル)・デカダン(進化を拒むゆえの頽廃的遊戯性)・韜晦的(秘密結社的)などマニエリスムの諸特性に概ねブラックメタルは当て嵌まるし、メタルというジャンルが異様に細分化されていて博物学的好奇心を煽るのは逆説的にメタルないしブラックメタルが「様式化」していて、それにニュアンスをつけたり捻ったり他ジャンルとグロテスクにくっつけたり(例:ゴシックメタル)した「手法(マニエラ)」の問題に過ぎないということで、その様式を進化させることなく死体のようにいじくり回し、裂いたりくっ付けたりするフランケンシュタイン的な黒い頽廃遊戯=マンネリズムの、救済も進歩もない退化論的悦びを享受する高貴さこそがブラックメタル、ひいてはマニエリスムと読むがいかに? 大ざっぱなジャンル論はさておきManierismeの個体性にも目を向けよう。極力装飾を剥いで「異教的」で「古代的」な雰囲気を醸し出すローファイなサウンドを特に「プリミティヴ・ブラックメタル」と呼ぶ。自主制作のCD-Rとして100枚にも満たない数がリリースされ、その後4曲追加してNekrokult Nihilismレーベルから666枚限定発売された『過去と悲哀』(2010年)がまさにこの「プリミティヴ」でローファイなサウンドで、フランスのLes Legions Noires勢の影響が強いが、先述したように澁澤・寺山修司的な日本土着マニエリスムの美学もそこはかとなく漂う。

Manierisme『過去と悲哀』

タイトルに「過去」とあるが、Jekyllが別名義でやっているReminiscenceというプリミティヴ・ブラックメタルの1stアルバムも『Nostalgia in Melancholy』と「ノスタルジー」が強調されていて、何やら失われて永遠に取り戻せない過去への強烈なオブセッションが感じられ、するとこのローファイな音はマーク・フィッシャー言うところの「憑在論的」サウンド、過去(アナログ)の亡霊が現在(デジタル)に浮かび上がった怨念のように思える。

さてManierismeの最新別名義バンドはInferior Wretchで、血で染め上げたような邪悪な赤に首なし女の上半身がうっすら浮かび上がるジャケットのそのアルバムは『Dedicated to the Blood Countess(血の伯爵夫人に捧ぐ)』(2020年)と題されている。これは澁澤が『世界悪女物語』で1章を割いた、女吸血鬼の元祖ともされるエリザベート・バートリを指しているのはほぼ明らかで(というのもジャケの首無し女はバートリ)、ゴスカルチャーないしヴィジュアル系ロックバンドの耽美的流血趣味と共鳴している。

ゴス、ヴィジュアル系、天井桟敷、澁澤趣味、プリミティヴ・ブラックなど、さまざまな暗黒の美学や様式を「マニエリスム」的結合術で1つにしてしまった謎多きJekyllの音楽活動から今後も目が離せそうにない。

Inferior Wretch『Dedicated to the Blood Countess(血の伯爵夫人に捧ぐ)』

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後藤護

暗黒批評。著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)、『黒人綺想音楽史 迷宮と驚異(仮)』(中央公論新社、2021年予定)。『金枝篇』(国書刊行会)訳文校正を担当。「キネマ旬報」「映画秘宝」「文藝」「ele-king」「朝日新聞」に寄稿。『機関精神史』編集主幹。 http://note.com/erring510  Twiiter: @pantryboy

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