荒金良介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryosuke-arakane/ Fri, 09 Dec 2022 05:37:22 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 荒金良介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryosuke-arakane/ 32 32 伝説的ギタリスト、ランディ・ローズが後世に残したものとは。アンドレ・レリス監督が映画『ランディ・ローズ』で伝えたいこと https://tokion.jp/2022/12/07/interview-andre-relis/ Wed, 07 Dec 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=159052 ギタリストのランディ・ローズの没後40周年のタイミングでドキュメンタリー映画『ランディ・ローズ』が日本のみで劇場公開されている。本作品の公開を記念し来日した監督のアンドレ・レリスに話を聞く。

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映画『ランディ・ローズ』予告編
『ランディ・ローズ』©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022

1982年3月19日、飛行機事故により25歳の若さで亡くなった伝説的ギタリスト、ランディ・ローズ(Randy Rhoads)。彼はクワイエット・ライオット(Quiet Riot)からオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)とキャリアを重ね、活動の絶頂期において天に舞ってしまった。その彼の存在は、ヘビーメタル界に大きな衝撃を与えた。

今年、没後40周年というタイミングで映画『ランディ・ローズ』が日本のみで劇場公開されている。今回、本作の監督を務めるアンドレ・レリスが緊急来日することになり、いろいろと話をうかがうことができた。

個人的には本インタビューとこの映画をきっかけに、オジー・オズボーンの1stアルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説(Blizzard of Ozz)』と2ndアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of a Madman)』、ライヴ盤『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(Tribute)』はもちろんのこと、そこからさかのぼって当時日本だけでレコード発売されていたクワイエット・ライオットの1stアルバム『静かなる暴動(Quiet Riot)』、2ndアルバム『暴動に明日はない(Quiet Riot II)』も入手しやすくなったので、これを機にランディのギタープレイに触れてほしいと願うばかりだ。

アンドレ・レリス
1975年生まれ。カリフォルニア出身の映画監督。映画への関わりは、1990年代後半にFoxスポーツテレビのプロデューサーとしてキャリアをスタート、後にAmazing MoviesやLionsgateなどで映画配給を行う。その後の2010年には、ハリウッドを拠点とする映画製作会社「VMI Worldwide」を設立、現在も多くの映画を製作し、全世界に配給している。近年では、北村龍平監督『The Price We Pay』、トミー・リー・ジョーンズ&アーロン・エックハート主演『WANDER』などを製作。2015年には、ヒップホップグループ、N.W.Aの真実を暴くドキュメンタリー『N.W.A & EAZY-E:キングス・オブ・コンプトン』で初めて監督を務め、本作で2作目。

文化的にも東京という街に刺激を受けたんだ

——監督は今回の来日で何度目なのでしょうか?

アンドレ・レリス(以下、アンドレ):多分、これで6度目の来日になるんじゃないかな。

——わりと日本に来られているのですね。

アンドレ:そうなんだ。家族で1回、小さい頃に1回、1人でも1回、出張では3回ぐらい来ているんだよ。

——10代の頃に日本に住んでいたこともあるそうですね。

アンドレ:ああ、きっかけは家族で日本に来たからさ。父親が政府関係の仕事をしていて、台湾、フィリピン、日本、中国、タイと回ったんだ。そこでうまく言葉にできないんだけど、日本にとても親近感がわいて、もう1度日本に戻りたいと思ってね。それで、夏休みにタコベルでバイトしてお金を貯めて、また日本に行こうと思ったのさ。父親の友人が日本に住んでいて、その方の家に居候したり、他のところに住んだりして、ひと夏を過ごしたよ。

——日本のどんなところに親近感がわいたのでしょうか?

アンドレ:おかしな言い方かもしれないけど、アメリカよりも自由を感じたんだ。日本に住んでいると、解放感を感じたというのかな。何よりも自動販売機でビールが買えるのは嬉しいよね。少年にとって、こんなにクールなことはないよ(笑)。あと、文化的にも東京という街に刺激を受けたんだ。街のイルミネーションはすてきだし、美しいお寺にも魅力を感じた。そして、日本人は親切だし、食べ物もおいしい。

——日本の映画や音楽で監督が好きな作品があれば教えてください。

アンドレ:人の夢を描いた映画が印象に残っていて……。あれは何だったかな、タイトル名を思い出せないんだけど、黒澤明監督の映画だったかもしれない。あと、日本の古典音楽を聴くと、気持ちが落ち着くんだ。自分の育ちとしては、いろんな宗教を総合した教団に所属していたこともあり……、ヒンズー教にはあまり共鳴しなかったんだけど、仏教にはとても惹かれるものを感じたよ。だから、日本には自然と親近感を抱くのかもしれないね。

芸術については日本画の繊細なタッチも素晴らしいね。他に盆栽も好きなんだ。10代で日本に来た時に盆栽に興味を持って、それから自分でも盆栽を買って手入れするようになったんだよ。それで父親に盆栽の水やりを任せていたんだけど、その水やりを忘れられたことがあって、枯れてしまったよ。その時はすごくガッカリして、父親に対して怒ったよ(笑)。

N.W.Aとランディ・ローズにも共通点があると思うんだ

——(笑)。では映画監督になったきっかけは?

アンドレ:僕はもともとミュージシャンで、それから映像に携わるようになったから、音楽が主軸にあるのは間違いないね。音楽系の映像を作る「Vision Music」というレーベルも2003年に立ち上げたんだ。自分が興味があるのはミュージシャンのドキュメンタリーで、「KING RECORDS」と初めて手掛けたのがパンクバンドのジャームス(Germs)の伝記映画『ジャームス 狂気の秘密』で、それが初めてプロデュースしたものになる。

——お好きなドキュメンタリー映画を挙げると?

アンドレ:たくさんあるね。音楽で言えば、オリバー・ストーン監督が手掛けた『ドアーズ』、アレックス・コックス監督の『シド・アンド・ナンシー』、サークル・ジャークス(Circle Jerks)を取り上げた『My Career As a Jerk』とか。他に音楽ものではないけど、『タクシードライバー』も好きだよ。

——パンクミュージックもお好きなんですか?

アンドレ:ああ、僕はパンクバンドをやっていたからね。

——そうなんですか! てっきりメタルバンドだと思っていました。

アンドレ:パンクバンドではあるけど、メタルの要素も取り入れていたんだ。それで映画の話に戻すと、『ザ・デクライン』の3部作(『ザ・デクライン』『ザ・メタリイヤーズ』『ザ・デクライン Ⅲ』)も好きだね。シリーズによってパンクロックだったり、ヘビーメタルをフィーチャーしているからね。僕の中ではパンクとメタルは別ものという意識ではなく、どこか相通じるものを感じるんだ。

——ハードコアパンクとスラッシュメタルを融合させたS.O.D.なども監督はお好きですか?

アンドレ:『SPEAK ENGLISH OR DIE』(※クロスオーバースラッシュの名盤でS.O.D.の1stアルバム)!

——(笑)。映画『ランディ・ローズ』の前に、監督はアメリカのヒップホップグループ、N.W.Aのドキュメンタリー映画『N.W.A & EAZY-E:キングス・オブ・コンプトン』を製作されていますね。この映画を撮ろうと思ったきっかけは?

アンドレ:パンクやメタルにハマッていた頃にN.W.Aも同時に聴いていたんだ。黒人としてのリアルな体験を音楽に落とし込んだ人達だけど、ヒップホップもパンクとメタルに通じるものを感じんだ。それと同じように響いたのがランディ・ローズだった。

——そうだったんですね! そして、N.W.Aのドキュメンタリー映画に続いて、今回はクワイエット・ライオット〜オジー・オズボーン・バンドで活躍したランディ・ローズを題材に取り上げました。ヒップホップからヘビーメタルまで、この振れ幅の大きさも興味深いです。

アンドレ:N.W.Aとランディ・ローズにも共通点があると思うんだ。N.W.Aはギャングスタラップの生みの親であり、革命的な存在になった。それと同じようにクワイエット・ライオット、オジー・オズボーンと活動してきたランディ・ローズもヘビーメタルの生みの親という認識を持っているんだ。イギー・ポップ(Iggy Pop)やニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)がパンクロックを生み出したようにね。

ヒップホップ、パンク、ヘビーメタルはまったく違うジャンルであり、サウンド的にも違うものだけど、反骨精神という部分で共通点を感じる。僕がやっていたパンクバンドでも、同じレーベルでヤング MC(Young MC)というラッパーと手を組んで、1997年にパンクロックヒップホップ曲を作ったんだ。アイス-T(Ice-T)ボディ・カウント(Body Count)もそうだけど、パンクとヒップホップは相性がいいんだよ。

——確かに。では本作の話を聞かせてください。監督がランディ・ローズのギタープレイに触れたのはクワイエット・ライオット、オジー・オズボーンどちら先だったのでしょうか?

アンドレ:ランディ・ローズを知ったのはオジー・オズボーン経由だね。なぜならクワイエット・ライオットの最初の2枚のアルバム(※1stアルバム『静かなる暴動』、2ndアルバム『暴動に明日はない』)はアメリカでは発売されていなくて、日本でのみレコードが発売された状況だったんだ。正直なところ、このドキュメンタリーを手掛けるまでは、クワイエット・ライオットの音楽をちゃんと聴いたことがなかったよ。

『ランディ・ローズ』©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022

ランディ・ローズがヘビーメタルに与えた影響は革命的だったと思うよ

——そうだったんですね!

アンドレ:もちろん、クワイエット・ライオットの最初のアルバム2枚の存在自体は知っていたけどね。ただ、このドキュメンタリーを製作する過程で、何度もクワイエット・ライオットのサウンドを聴き込むにつれて、素晴らしい作品であることに気付いたんだ。あの2枚のアルバムを深く聴き込んでみて、その後のクワイエット・ライオットの作品よりも、最初の2枚のほうが音楽的には優れていると思ったよ。

——全米1位を獲得した3rdアルバム『METAL HEALTH〜ランディ・ローズに捧ぐ〜(Metal Health)』よりも、初期2作品のほうが監督の胸に響いたと。特にどの辺りに魅力を感じられましたか?

アンドレ:何よりもミュージシャンシップを感じるし、純粋にいい曲が多いと思う。その後の作品でヒットした曲はカヴァーソング(※スレイド(Slade)のカヴァー「Cum On Feel the Noize」)だからね。商業的に大成功を収めたのは、その後の作品であることは間違いないけれど、最初の2枚のアルバムのほうが内容的に優れているし、もっと評価されてしかるべき作品だよ。

『ランディ・ローズ』©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022

——なるほど。オジー・オズボーン時代のランディ・ローズを知っている人は多いと思うんですが、今回の映画『ランディ・ローズ』を通して、クワイエット・ライオット時代からランディの才能はすでに開花していたんだという事実が映像から伝わってくるところが素晴らしいなと感じました。

アンドレ:僕もそこにグッと来たんだ! だけど、ランディ・ローズのように豊かな才能の持ち主であっても、あの時代にレコード契約を結ぶことは難しかった。厳しい現実を目の当たりにするわけだよね? ミュージシャンとして生きていくことは、それだけ大変なことでもあるんだ。それもこの映画を通してわかることだと思うよ。

——そもそも映画『ランディ・ローズ』の青写真はどういうものだったのでしょう?

アンドレ:まずこの映画のポイントとなったのは、2012年に撮られた大元のドキュメンタリーがあって、そのライセンスをクリアして製作できたことが大きい。だから、クワイエット・ライオット時代のランディ・ローズをフィーチャーすることできたんだ。それから彼がヘビーメタルというジャンルをどう切り開いてきたのか、そして、オジーのソロキャリアにおいてランディがどれほど大きな力をもたらしたのか、それをクローズアップしたかったんだ。

——監督が思うランディ・ローズの魅力というと?

アンドレ:音楽一家に育ったところが彼のプレイスタイルにも大きな影響を与えているはず。出し惜しみせずに人に音楽を教え、キャリアにおいて頂点にいた頃もギターにのめり込んで、勉強することを怠らなかった。ランディ・ローズがヘビーメタルに与えた影響は革命的だったと思うよ。あのギター・サウンドは本当に素晴らしい! 1980年代のヘビーメタルを聴くと、ギターリフや音楽性にしても、クワイエット・ライオットの最初の2枚のアルバムでやったことが大きな影響を与えているんじゃないかな。

『ランディ・ローズ』©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022

『ランディ・ローズ』©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022

■『ランディ・ローズ』
 出演・音楽:ランディ・ローズ他
 監督:アンドレ・レリス
 脚本・編集:マイケル・ブルーイニン
配給:アルバトロス・フィルム
後援:文化放送
https://randy-rhoads.jp

Photography Shinpo Kimura

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漫画愛にあふれる楳図かずおが語る漫画家としての飽くなき創作意欲 https://tokion.jp/2022/10/11/interview-kazuo-umezu/ Tue, 11 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=142773 27年ぶりに新作を発表し、展覧会を開催するなど、今なお現役の漫画家、楳図かずおに聞く新作と自身の進化について。

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『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』など名作漫画を数多く生み出してきた漫画家・楳図かずおが27年ぶりに新作を発表した。その中身は、101点からなる連作絵画で、今年86歳を迎える楳図がここに来て、新境地を切り拓いている。今年頭には東京シティビューで開催された「楳図かずお大美術展」が大盛況を博し、続いて9月17日からは大阪・あべのハルカス美術展に場所を移して開催されている。

名作『わたしは真悟』が「アングレーム国際漫画祭」で賞を取ったことにより、発表された101点の連作絵画『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』へとつながっている。

今回のインタビュー記事を読んでいただければ、楳図先生のバイタリティあふれる精神性がビシビシと伝わってくるに違いない。

そして、インタビュー後半では“岡本太郎”の名前も飛び出してくる。そう、“人類の進歩と調和”をテーマに掲げた大阪万博(1970)において、「人間はちっとも進歩していない!」という考えの下、岡本太郎はもっとも原始的な“太陽の塔”を会場の屋根を突き破って作り上げた。その精神性は、楳図先生の考えとも共通していると気付かされる。

楳図かずお(うめず・かずお)
1936年9月3日、和歌山県生まれ。小学5年生の時、手塚治虫に触発され、漫画家になることを決意。1955年、18歳の時に『森の兄妹』でプロデビュー。その後、『ねこ目の少女』『へび少女』などの作品で、恐怖漫画家として全国的に知られるようになる。1975年には『漂流教室』他一連の作品で第20回「小学館漫画賞」を受賞。その後、『まことちゃん』『おろち』といったヒット作品を連発。1980年代には『わたしは真悟』『14歳』など近未来世界を描いた作品を発表する。その独創的な作品世界で世界中にファンを抱える。現在、大阪・あべのハルカス美術展にて「楳図かずお大美術展」が開催中。
http://umezz.com/jp

僕ってやっぱりきれいな色を使って描こうと思っている人なんだな

――まず今年1月から3月にかけて、「楳図かずお大美術展」が開催され、東京公演が終わってしばらくたちます。今回の大美術展に足を運んだ方の反響や感想は、先生の耳にも届いていますか?

楳図かずお(以下、楳図):道を歩いているとよく声をかけてもらえるので、観てくださった方が多いようです。「つまらなかった」と言った方は1人もいませんでした(笑)。

みなさん感動してくれたような元気の良い励ましの声をかけてくださるので、僕もそれを聞くと力が湧いてきますね。やっぱり「良かった!」と言ってくれるだけで、嬉しくなります。挨拶をしてくれたり、声をかけてくれたりするのは、大変注目してくれていることの証拠ですから。そういう方がいっぱいいるということは心強いですね。やった甲斐があったなと思います。

――私も大美術展に行きましたが、何より印象に残ったのは先生の色使いを含めた「絵の美しさ」でした。原色はもちろん、ビビッドなカラーを意識して使われているように感じました。絵を描くにあたり、色使いという点で意識したことや工夫したところがあれば教えてもらえますか?

楳図:自分で描いていて気が付いたんだけど、「ああ、僕ってやっぱりきれいな色を使って描こうと思っている人なんだな」って思いました。

中学生の頃に描いていた絵を見ると、やっぱりそういう色使いをしていました。色使いだけじゃなく、絵の具の種類もいろいろなところから持ってきてこだわっていました。赤い色は赤インク、水色は染料、黄色は食紅とか、中学生の時はそういうふうに色にこだわっていましたね。

「楳図かずお大美術展」で絵を描くのに使ったのがアクリルガッシュなので、「さあ、どの色を使おうかな」と楽しみだったんですけど、やっぱり色はどれを見てもきれいですね。ダークな色もきれい。どうきれいかというと、その色自体が持っている独特の美しさもあるけど、そこに別のきれいな色を持ってくると、両方が引き立ってくるんですよね。なので、なるべくきれいな色を使おうと努めました。

美術として、人によってはごちゃ混ぜにしちゃいけないとか、絵の具のそのままを塗っちゃいけないとか言ったりするけど、最近の絵の具ってきれいなんですよ。

――確かにきれいに感じます。

楳図:絵の具は混ぜるも何も、混ぜたような色がまた別にあるので、そういう余計な努力をしなくても良いというのがあるんです。

あと今回は、「連作絵画」というテーマでやっているのですが、絵は好きなように描いていいと言っても、どうしても約束ごとは出てくるんですよね。つながっているのに急に違う色になってしまったら、やっぱりそれはなんで? ということになりますから。だから、その約束ごとがある中で、マリンになる女の子は赤とピンク、サトルになる男の子は青と緑と決めていたから、どこにいってもその色を使いました。とはいえ、ズボンは黄色だったり、茶色だったりするんですけどね。

ただ、1枚だけで完結するんだったらそれでいいけど、絵がつながっているのに色を変えてしまったら、全体を通して見た時の迫力がなくなったり、一丸となって飛び出てこなかったり、そういう不利益があるんです。昔の人が考えた美術的なお約束ごとというのはあるんだろうけど、自分で好きなように作り替えていくほうが、美術が新しく進化していくことになるかと思います。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

「みんなをドキドキさせて、ビックリさせるようなことをやらなきゃ!」と思って描きました

――奇しくも今回の東京公演、そして、9月からの大阪公演もコロナ禍の中での開催となりました。先生の中で、今のご時世にご自分の大美術展を開く意味というものはどういうふうにお考えですか?

楳図:コロナ禍に僕自身も放り込まれてしまったので、考えましたけど、どんなに世の中でコロナや不景気、争いが起きたとしても、人間は生きている限りどこかで刺激を欲しているし、楽しみを望んでいると思うんです。

今回のタイトル通り“「ゾクゾク」する”というのはどんな場合であっても、たとえ天地がひっくり返ろうとも、「うあ~、おもしろい!」と気を取られてしまうものがあってもいいと思うんです。どんな時でも生きる糧は必要ですから。

でもそんな面倒くさいことは考えずに、どんな時だってドキドキするものは必要だと思います。僕はコロナだろうがなんだろうが、「みんなをドキドキさせて、ビックリさせるようなことをやらなきゃ!」と思って描きました。観ている時は一瞬でもパッと違うところに気分が集中して、嫌なことを忘れてると思うんですよね。それってすごく大事なことだと思うんです。

――そのお考えにはとても共感します。そして、これは他のインタビューでも言われていたことですが、今回の『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』を描いている時に「人間退化」という言葉が浮かんだそうですね。この言葉をどういう形で作品に落とし込もうと考えられたのでしょうか?

楳図:作品の中では「ロボット対人間」っていう競い合いみたいなことを描いています。ロボットが進化すればするほど人間はついていけないから、人間は退化するっていう単純な発想で考えました。僕、世の中の人はすべてのものはみんな進化していくもんだとばかり思い込んで、「退化」ということは考えていなかったと思うんです。

この「退化」という言葉を思い付くきっかけになったのは、日常生活で起こる“人を殺めてしまうような事件”です。それぞれ理由はあるんだろうけど、「ああ、これは退化してる」と思いました。進化っていうのは有り様が良い方向に行くものだけど、有り様が悪く、みんな機嫌が悪くなってしまう。その行先は「自然に戻る」ということだと思うんです。進化する文明がなくなっちゃったら、自然回帰で原始に戻るしかないでしょう。それが今、人間の手からは進化の最先端が届かないくらいまできている。

そして今の進化は数字ですから、数字は結果が出たら、もう変えようがないのでどんどん進化していくでしょう。でも人間はそういうことをわからずに、その下で「ああしなさい、こうしなさい」という科学の指令に従って動いているだけです。もう今は電気が止まっちゃったら、その進化の部分も止まっちゃうからね。そうすると人間は何もできなくて、退化するしかない。だから今向かっているのは退化のほうなんだろうなと思います。これを「退化の改新」と言います(笑)。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

描く時は、自分の中から「それいいね」という声が聞こえないと描かないんです

――(笑)。話は変わりますが、先生はずっと吉祥寺に住まわれてますよね。私も先生のご自宅からわりと離れていない場所に住んでいて、たまに吉祥寺周辺を歩いている先生の姿をお見かけします。吉祥寺という場所が創作意欲やアイデア作りに影響を与えている部分はありますか?

楳図:まったくないです。吉祥寺をテーマにして描いているものは、日常生活の日記みたいな作品だと思うんですね。ドラマかドキュメンタリーかでいうと、ドキュメンタリーのほうなんです。ただ、僕はそういうところをまったく目指していません。吉祥寺にいても、サンフランシスコにいても、ニューヨークにいても、あるのは頭の中だけなので場所は関係ないです。ただ吉祥寺は買い物に便利(笑)。

――先生の作品は、海外でも高い評価を得ています。ご自身で海外の読者は、先生の作品をどう捉えていると考えますか。もしくは、海外の方からはどのような反応をもらいますか?

楳図:直接会ったことがないからよくわからないけど、海外でも「ああ、僕の作品から取ったな」というような映画などがあったりするので評価を得ていると思います。スペインの本に僕のことを書いているものも読みました。

あとは海外で『神の左手悪魔の右手』が翻訳出版されると聞いたので、日本語版を読んでみたんです。僕は1度描いたら自分の作品を改めて見たりしません。もう1回見る時は、「ああ、こんなこと描いてる! すごい!」と読者目線になっているんです。自分で言うのもなんですが、すごかったです。他の映画とかを観ようかと思ったけど、やっぱり自分の漫画のほうがおもしろい! と思ってやめました(笑)。

自分で自分を褒めているようだけど、そのくらいインパクトはあると思います。まだ一般的には、人間性という点ではみ出ている部分があって、手が出しにくいところがあるだろうけど、話としてはよくできている。だから海外へはこれからです。今はまだ始まったばかりです。

――『わたしは真悟』でのコンピューターがそうですが、先生の作品は現代社会を予言したかの内容で、今読んでも驚かされます。この発想はどのように思いついたのでしょうか。また、令和の時代にはさまざまなことが起きていますが、先生が想像する未来や進化はどのようなものでしょうか。

楳図:みんな「進化」はするものだとまだ思っている。しかし「それは思い込みだ」と思わないといけない。それしか未来を良くする方法はないと思う。僕は次に何が起きるかを描くことが漫画家の仕事だということに、ある時気が付いたんです。

物語を一生懸命、頭の中で考えているけど、世の中がどうなっているかとか、現実的なことは一切考えていなかった。ただ、振り返ってみると、今まで描いたどの作品もその都度ちゃんと次にはやる路線にうまく乗っている。自然にうまく時代の流れに乗っているとしか言いようがないと思う。論理で未来を予想しているわけではまったくないですよね。

――では『わたしは真悟』の制作はどういうふうに進めたんですか?

楳図:『わたしは真悟』を描いた時、詳しく調べ上げて描いた作品はウケないというジンクスがあったんですよ。それがあったので本来はロボットとか調べなきゃいけないけど、うかつに調べて、それをそのまま取り入れたらウケない作品の仲間に入ってしまうと思いました。だから、工場とか現実的な絵柄は写真で参考にさせてもらったけど、当時のコンピューターは四角い箱がずらっと並んでいるだけで見たっておもしろくもなんともなかったですんよね。

絵柄的におもしろいものはやっぱり自分で作らなければならないんですね。だから工場の工作ロボットは、実際に比べたら全然違うし、自分で描いたロボットの絵をコンピューター専門の人に実際にこれは使えるかとか、そういうことを聞いてどれだけ想像と現実を結びつけることができるか工夫しました。

僕、描く時は、自分の中から「それいいね」という声が聞こえないと描かないんです。だからそれを聞いたら周りが何を言ったって聞かなくて、もうひたすら描き通す。6年の間に長い期間描いているときっと邪魔が入るんですよね。その周りの声に耳を傾けて折れていたら、全体がそれこそまた“わや”になっちゃいます。全体がまとまらなくなって作品が崩れてしまう。だから、たとえその時評判が悪くても、自分の中で「それいいよ」って声が聞こえたから、それを信じてやり通すしかないんですよ。

――描き始めたら、自分の信念を貫き通すと。

楳図:もう1つ、僕が良いと思うことは、他の人の中にも共通している部分があるような気がしてるんです。そこをハズしていなければ、大体僕が好きなように感じたことは世の中で起きてしまうんですよね。そういうことはあると思うんです。

新しいことを描けば自然と未来のことになって、気が付かないうちに未来の出来事を先取りしてるんです。ここには「幼児性」というのが、かなり重なってくるような気がしています。科学や論理で調べて現実になって使えたからって言っても、それは新しいお話ができたということではない。現実で起きたことをそのまま移し替えただけだったら、驚きとかおもしろ味とかあるわけないんですよ。

事実はあるけど……事実とお話は違うんです。僕はどこを描きたいかといったら、おもしろいお話を描きたいんです。僕はその「幼児性」というのは大変意義深い言葉だと思っています。それが僕にあるとしたら、それは大きな拾得物です。そういえば、けっこう幼児が出てくるお話が多いから、そこは具体的につながっているのかなと思います(笑)。大人からしたらそんなバカなことと思っても、幼児にとってはそれが大事と思っていたり、その違いだよね。僕がお話を描く時は、主人公をどうするかということで、大体決まってしまう。どんどん年齢が低いところまでいっちゃって、『14歳』では3歳までいっちゃいました。3歳なんて幼児性じゃなくて、幼児そのものだけど(大笑)。

――確かに(大笑)。

楳図:そう思っていたら、最近、川端康成さんが生きている頃に「幼児性がないとダメなんだ」と言っていた記事を読んだんです。「情緒的で日常的な作品を描いている川端康成さんが幼児性!?」ってつながる気がしなくて。ただ、そう言っているところを見ると、やっぱり幼児性というのは作家性やドラマ性につながるというか、そういうものがない作品はやっぱりダメなんだなと思いました。

だから1つの目安として幼児性というのは大事なんですよ。だからといってドキュメンタリーをバカにしているわけではないんです。日常生活はそのものがドキュメンタリーなので、それをお話として成り立つように見せるにはドキュメンタリーとつなげないといけない。どのようにつなぐかは作家の技によるものなんです。

――そこが作家の腕の見せどころというわけですね。

楳図:昔の漫画は「幼児性」があるけど、最近の漫画は簡単に言うと、どれも職業別の漫画ですよね。漫画は本来、職業を描くものではなく、ワクワクドキドキするような幼児性がないといけないと思う。幼児性と作品性があることが大事。そういう意味で、僕が一番よくできてると思う(再び笑)。

『神の左手悪魔の右手』もかなりメチャクチャなことを描いてると思うけど、それはある意味幼児性が表れているんじゃないかな。こういうものを描きたいんだ! これこれー! っという感じ。幼児性が大事というのは、イコール芸術性にもつながっていくところもあるので、その言葉が僕の中では大変響いているんです。

と言っても、現実性をバカにしているわけではないです。現実は現実にあるから変えようがないけど、せめて頭の中で自由さはほしい。どんな時代であっても人間として進化してきたのであれば、その想像性をフルに生かしてこんなことを想像しました、としたいよね。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

とにかく僕は誰にも負けないように描いたので、ぜひ観てほしい

――そして、9月から先生の大美術展が大阪で始まっています。これから大美術展を観に行く方に先生なりの見所があれば教えてください。また、大阪という街に対するイメージや、過去に訪れてみて、何か思い出などがありましたら教えてください。

楳図:何度も観に来てくださるということは、大変ありがたいことです。東京で観られた方も初めての方も気持ちを揺り動かされるものが絵のどこかにあると思う。コロナの中で一生懸命描いたので、どこか引っかかって気になる部分が絶対あると思うんです。そういうところを探してみてもらうといいですね。「あ、こんなところをこんなに丁寧に描いてる!」とか観ている人のどこか心の中に引っかかるところがあると思います。

あと、大阪のイメージと言うと、大都会。僕は隣の奈良県五條市が出身で、五條からすると一番近くの大都会は大阪だから。漫画も初め、集英社の「少女ブック」で投稿したらそのまま載って連載もらって、『母よぶこえ』は1年間連載して、読み切りも描いたりしたけど、「まだ僕はその実力じゃない」と思っていました。それでイチから出直そうと思い、大阪の出版社に持ち込みをして、そこからやり始めたんですよね。その出版社がなくなっちゃうまで、ずっと大阪で描いていました。そうしてそこがなくなっちゃったから東京に出てきたんです。

――大阪で漫画を描かれている時期もあったのですね!

楳図:大阪の文化は、東京の文化と違ってきどりがなくて、幼児性丸出しの漫画がたくさん出ていておもしろかった(笑)。赤本は俗っぽい塊って言われたけど、その俗っぽいのがおもしろい。大阪の『ヤネウラ3ちゃん』っていうのが笑える。大阪のほうが感情がちゃんと出てくるお話があったような気がする。それで、街もそういう人が多かったような気がします。だから大阪の人は、大阪の人でまた東京とは違う感覚の置き方で展覧会を観てもらって、「おもしろかった」「あそこはギャグだった」とか、いろいろ受け取ってもらえれば嬉しいです。怖いところもギャグって思う部分があるかもしれないしね(笑)。

とにかく僕は誰にも負けないように描いたので、ぜひ観てほしい。それと、大阪と言えば岡本太郎さんで、力強くて素晴らしいけど、僕は僕で別の角度で力強くて、お話の部分は絶対誰にも負けない! と言い切れる。そこの部分だけ言うと、岡本太郎さんにも負けていません! ピカソも漫画を描いていたけど、それにも負けていません! どこ向いても負けていません! 大阪の人も負けていない! という気分で観てもらえると、もっとテンションが上がるんじゃないかな(笑)。

楳図かずお大美術展
会期:11月20日まで
会場:大阪 あべのハルカス美術館
住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
時間:(火〜金)10:00~20:00、(月、土、日、祝)10:00~18:00
※入場は閉館の30分前まで
入場料:一般 ¥1,700、高校・大学校生 ¥1,300、小・中学生 ¥500、小学生以下無料
Webサイト:https://umezz-art.jp

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国境を越えたバンド活動を15年。コロナ禍でも歩みを止めないCrossfaithが貫くスタンス https://tokion.jp/2021/11/11/crossfaith-keeps-their-own-stance/ Thu, 11 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=74275 世界を舞台にライヴ活動を展開する大阪発のメタルコアバンド、Crossfaith。結成15年の節目を迎え、己の道を切り開いてきたバンドの道程を新曲とともに振り返る。

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世界を舞台に闘い続ける大阪発のメタルコアバンド、Crossfaith(クロスフェイス)。エレクトロやストリングスを導入し、ドラマチックなヘビーサウンドを武器に、海外の大型フェスやツアーで存在感をアピールし続けてきた。2021年はバンド結成15周年というアニバーサリーイヤーを迎え、己の道を切り開いてきたまれなバンドの道程をじっくりと振り返ってもらった。

世界各国を回り続け、さまざまなバンドやオーディエンス、カルチャーを目の当たりにしながら、吸収し続けるCrossfaithの音楽性は今なお進化し続けている。今回は、世界的なパンデミックを通して感じたこと、そしてその影響から生まれた今年9、10月に配信リリースされた新曲のこと、さらにはCrossfaithというバンドを形成する獰猛なロックスピリットの源泉について、KoieHirokiTeruのメンバー3人に聞く。

バンド結成から世界へ飛び出した15年の活動

——今年はCrossfaithは結成15周年を迎えるわけですが、結成当時と現在で大きく変わったところはありますか?

Teru:タトゥーが増えました(笑)。

Hiroki:俺は結成当時いなくて、2年後に加入したんですけど、その頃はメンバーで車を運転して、物販もやってましたからね。でもこの15年でCrossfaithという船に乗る人が増えて、任せるところは任せられるようになりました。

Koie:結成当時に思い描いた海外ツアーとか、そういう夢はかなえることができたと思うんです。ただ、15年目の今ならありえないくらいロックスターになれるやろうと思ったけど……、壁にぶつかる経験もしましたからね。バンドを続ける中で幸せなこともあれば、たまに逃げたくなることもあるし、そういうリアルも感じるようになりました。昔はほんまにガムシャラでしたからね。

——2014年にはイギリスで開催されている「ダウンロード・フェスティバル」のステージに立たれました。この出演は、バンドの夢をかなえた瞬間ではなかったんですか?

「ダウンロード・フェスティバル」でのライヴ模様(2014)

Koie:かなえたと言えば、そうなんですけど……。出演とはいえ、頂上(メインステージのヘッドライナー)には行けてないから。まあ、今も楽しみながら、同じメンバーとチームでやれているのは幸せなことですね。

——ではバンド結成時に描いていた夢を改めて教えてもらえますか?

Koie:「ダウンロード・フェスティバル」のヘッドライナーとか、人に話したら無謀と言われるような夢を追いかけてきて、海外にだって、ほぼ毎年ツアーに行くようになりましたからね。2012年に初めてイギリスに行ってライヴツアーをした時も夢の1つはかなっているんですよ。結構タフなスケジュールで、バンでイギリス中を回りました。

Teru:もちろん「ダウンロード・フェスティバル」のヘッドライナーをやりたいという野望はあるけど、俺達は結成した時にすでにバンドをやるという夢はかなっていて、今もその夢の中にいる気分なんですよね。ただ、コロナ禍でライヴが全然できなくなり、海外にも2年ぐらい行けてない。ここ最近は、海外ツアーをしている夢まで見ますからね。

——初の海外ライヴはいつになるんですか?

Hiroki:2010年の中国です。中国政府がやっている音楽フェスで、3万人ぐらい集まると言われて出てみたけど……。

Koie:500、600人しかおらんかったな(笑)。

Hiroki:そう、セキュリティも万全とは言いがたく、地元の警官が俺らのライヴをずっと観てました(笑)。

Koie:そういえばくるりも出てたもんな。

Teru:蒼井そらもいたもんな?

Hiroki:ああ、蒼井そらがトリでしたね。

——Crossfaith、くるりに蒼井そら……かなりカオスなラインナップですね。

Hiroki:蒼井そらは中国でも人気があるし、一番盛り上がってましたよ。

Teru:でも少なかったとはいえ、中国での俺らのライヴはすごくプリミティブな反応だったんですよ。だから、こっちもテンションは上がりましたね。俺達はプロディジーが主催している「ウォリアーズ・ダンス・フェスティバル」のライヴやメタリカがロシアでやったライヴだったりを観てきて憧れてきたので。

——崩壊寸前のソ連のモスクワで開催された「モンスターズ・オブ・ロック 1991」のメタリカですね。あの観客の大熱狂ぶりはすさまじいですよね!

Teru:そういった映像を観て、ロックが持つエナジーに刺激を受けましたからね。

Hiroki:ロックが根付いていない場所でやると、予想を超えるような反応が返ってくるから、それがおもしろいですよね。

Teru:例えば俺らが中国ツアーをやった時はプロモーターにやる曲のリストを送ったんですよ。で、「Jägerbomb」ってなんだ?と。

Koie:爆弾(bomb)は危ないと言われるという……(笑)。

Teru:しかもそれが理由で「Jägerbomb」をライヴでやることができなかったんですよね。

Hiroki:検閲的なものがあったんですよね。

Crossfaith 「Jägerbomb」

——曲名や歌詞をチェックされて、ライヴでプレイできる楽曲が制限される話は聞いたことがあります。

Koie:まさにそうでしたね。

Teru:中国以外での海外経験で言えば、イタリアのめちゃくちゃ田舎の街でもライヴをしたんですけど。ここに人が来るのかなという場所なんだけど、ライヴの時間になると、人が集まってきたんですよね。これも日本では体験できないことでした。

Hiroki:親子でロックを楽しみに来るといった場所もヨーロッパにはある。日本はふらっと今日、ライヴに行く? って感じではこないないと思うんですよね。そういった面でも日本のライヴシーンやロックフェスは特殊だなとも感じますね。

Crossfaithが海外でライヴを重ねる理由と魅力

——Crossfaith以前にこれほど海外ツアーにガンガン行く日本のバンドはいなかったと思います。継続して世界に出向くモチベーションの源とは?

Teru:俺は大阪の堺で育ったんですけど。最初に作ったアルバム(『The Artificial Theory For The Dramatic Beauty』)は、まずどうやってレコーディングすればいいかもわからない状況でした。それでも自分達でやったんですよね。それで、海外に行きたいという漠然とした夢があったんですけど、その時に現マネージャーに出会いました。彼に「アメリカに連れて行くから」と言われたんですよ。初対面だったから「誰やねんこいつ」と思ったけど、彼は単身でアメリカに行って、俺達の曲を海外のマネージメントに聴かせて、すごく行動力のある奴だなと。じゃあ、一緒に仕事をしようと。俺らは海外に行きたい、彼は日本のバンドを海外に連れて行きたい。その気持ちが合致して、海外での活動が現実化を帯びていくという。

——そういう流れだったんですね。

Koie:俺が海外に行き続けている理由は、楽しい! という部分が大きいですね。もうヤミツキになりました。たまに日本のバンドで海外に行った話で「めっちゃ疲れたわ」と聞くと「マジで!?」って気持ちになります。もちろん、しんどいことだってあるけど、イギリスで空を見上げた時の「ああ、俺は今イギリスにいるなぁ」と感じたことが忘れられないんですよね。ほんと海外にいると、360度から刺激を受けますね。いわば、俺らは海外でやることに自分たちのバンドの核みたいなものを見つけたというか。今は2年ぐらい海外に行けてないので、メンバーと集まっても「早く海外、行きたいなあ!」って、そんな会話ばかりですよ(笑)。

——海外が恋しくてたまらないなと。

Hiroki:抽象的な話になってしまうんだけど、海外でライヴをした時にハマる時とハマらない時があるんですけど、その時にバンドとしてゼロの地点に戻れるんですよね。ハマらないなら、次のセットリストはこれまでとは違ったものに変えてみようなど、そういった時に俺達はバンドしてるなぁと思いますね。個人単位のエピソードだと、ツアー先では街を歩くようにしています。今まで40ヵ国200都市ぐらい回っているんですけど、そこで聴く音楽や歩いて見える街並みも新鮮なんですよね。
日本でツアーを回り続けるだけでは、バンドとしてゼロになれる感覚はなかなか味わえないですよね。海外で新鮮なものをインプットして、受けた影響を日本でアウトプットする。その循環がCrossfaithというバンドを作っているのかなと。

——海外でライヴやツアーを重ねる中で何か発見したことは?

Koie:イギリスに行った時、バンでの移動中に聴いたイギリスのバンドの音源が日本で聴いている感覚とまったく違ったんですよね。それで気付いたのは、その土地で育った音は、その土地の音楽になるんだなということ。それまではアメリカ、カナダ、イギリスといった音楽はどれも同じように聴こえていたんですけど、今はこのバンドめっちゃイギリスやな! ってわかるようになってきたかというか。だから、Crossfaithの音楽も聴く人が聴けば日本の音って伝わるのかなと。

Hiroki:俺はフランスのライヴハウスに行った時なんですけど、ライヴハウスにはシェフの人がいて、お客さんにキャンドルやワイン、パンを準備するんですよ。これは日本のライヴハウスじゃ考えられないこと。フランスのライヴハウスではこれが日常なんやなって思いましたね。音楽の楽しみ方の幅広さというか。それも新鮮でしたね。

——Teruさんは?

Teru:リンプ・ビズキットのツアーに参加したり、海外のフェスでもかっこいいバンドを観てきて、俺らは負けず嫌いなので、そこで大きな刺激を受けてきたし、自分達も成長できましたね。どうすれば海外のバンドに負けないステージングができるかと。あとは、海外でロックだなと感じたものを日本に持って帰りたいというのもあります。そういったことを日本のライヴで「Crossfaithがいたら、いつもと違う風が吹いているぞ」と伝えたい。

Koie:うん。「Crossfaithを観て、海外に行きたいと思うようになりました」と聞いたりすると嬉しいですね。なので日本のバンドは、もうちょっと海外に行ってほしいなと思います。

——ちなみに海外で感じたロックな部分とは?

Hiroki:例えばですけど、フェスの会場にゴミが落ちたまんまでも、そのフェスに落ちているゴミよりももっと大事なものがあればよしというか。なぜならロックは合理的なものでは語れないし、荒削りな部分が魅力的だったりしますからね。

——確かに。海外のロックフェスだと、ゴミ箱がないフェスもあれば、係員みたいに監視するスタッフがいないフェスもありますよね。そんなフェスの会場は、純粋に音楽を楽しみに来ている人ばかりというか。あの開放感は海外ならではのフェスの風景かもしれないですね。

Teru:ロックに求める自由さは、海外のフェスのほうが強い気はしますね。

Koie:協調性を重んじる日本のような国もあれば、他人なんか関係ない、今日は祭りだから自由に楽しもうぜ! というノリの国もある。逆に「フジロックフェスティバル」に海外のアーティストが出演したり遊びに来たりした人は、すごくキレイで感動する人が多いです。でも俺達は海外のロックバンドに憧れてきたので、荒削りなものに引かれてしまうんです。

——そこに正解、不正解はなくて、自分はどっちが好きなのか、もはや好みの問題ですからね。

Koie:そうなんですよ。

15年の活動で築き上げたことと見据えるその先

——海外の話から、次は国内の話を聞かせてください。2019年にCrossfaithが主催の「ONE MAN TOUR 2019-EX_MACHINA CLIMAX」でのライヴで、Koieさんは「旅の途中で、コールドレインシムヘイ・スミスと出会い、彼らと出会ってなければ今ここに立っていない」とMCをされていました。Crossfaithとして海外と日本の音楽シーンを見てきて、あのタイミングで何か思うことがあったのでしょうか?

Koie:そうですね。俺らと近い価値観を持ったかっこいいバンドが日本にもいると気付けたし、そう思わせてくれたバンドと今も切磋琢磨できている状況に感謝というか。日本で活動し続けるのも1つのロックやと思うし、国内や国外といった色眼鏡はなくなったかもしれないです。その反面、許容しすぎてしまう自分も怖い。常にどこかで中指は立てておきたいし、その姿勢を自分は失いたくない。昔と比べていろんな音楽を聴けるようになったけど、それを成長と取るべきかどうか。

Teru:それはあるよな。自分で自分の核みたいなものは大切にしないといけないから。ダサイことをやっている奴にはダサイと中指立てる気持ちも大事やし、それで俺達は今まで活動できたと思うこともありますからね。

——では、この15年間の中でターニングポイントになったできごとはありますか?

Koie:初めてイギリスに行った時や「ダウンロード・フェスティバル」に出た時、そして『ZION EP』を2012年にリリースした時もそうやしって、数え切れないほどありますね。個人的には、最初にイギリスに行った時の刺激が今でもハイライトです。めっちゃ細かいことまで覚えていて、それだけ衝撃的やった。

Hiroki:俺は、2013年の夏に「ワープド・ツアー」でアメリカを60日間かけて40本ぐらいライヴしたことかな。1台のバスで毎日移動してってことを、2ヵ月まるまるアメリカでやりましたからね。それこそオフでもメンバーと一緒。しんどくてもライヴは毎日のようにあるし、パーティだってあった。ツアーってこういうもので、これがバンドなんだなと体験しました。でも今となってはツアーは楽しかったですよ。

Teru:一瞬一瞬だと思うんですよ。「ダウンロード・フェスティバル」に出た時に喜びはもちろんあったけど、ステージから降りると、「このままやったらヘッドライナーはまだ無理やな」って考える冷静な自分もいたんですよね。

Koie:お客さんはパンパンに埋まっているけど、今俺らはまだここまでしか盛り上げられてないんだなと感じました。俺らは海外のロックフェスをたくさん観てきたから、いつかは全員をロックさせたいんですよね。
俺は個人的にTeruがめっちゃ変わったなと感じたのは、1stアルバムの時かな。この頃は、セルフミックスでセルフプロデュースで、時にTeruはすごく追い込まれていたんですよ。

Teru:俺はほんまに1200万枚くらい売るつもりやったんですよ。リンキン・パークの『HYBRID THEORY』と肩を並べてやるんだと。

Koie:そうそう。その最後のマスタリングの時に「まだミックスが終わってない。間に合わないかも……」って。でもそれを乗り越えて、Teruは責任感が強くなった。そう考えると、1stアルバムを出したのは、俺の中でもターニングポイントでしたね。

——そして新曲の話にも触れたいんですが、9月に「Slave of Chaos」、10月に「Feel Alive」と配信で2ヵ月連続リリースされました。両作ともいつ頃に作った楽曲なんですか?

Crossfaith 「Slave of Chaos」

Koie:最初に「Feel Alive」を書きました。昨年の3月末ぐらいですかね。

Teru:両方ともコロナ禍にできた曲で、対照的な2曲になりましたね。「Feel Alive」は、コロナ禍におけるガイドラインがあっても、お客さんの前でライヴをしたいし、お客さんも一緒に参加して完成できる曲を作りたかったんです。コロナ禍で大変な世の中になったけど、それでも人の持っている力を信じて、みんなで共鳴できる曲を作りたかった。「Slave of Chaos」に関しては、フラストレーションも溜まっていたので、その衝動を曲にしました。

——「Slave of Chaos」のイントロでKoieさんはラップにも挑戦していましたね。

Koie:Teruが作ったトラップに合わせた感じですね。いろんなフロウを吸収して生まれたものだし、静と動をヴォーカルでも意識しました。新しいアプローチという感じで捉えてもらえたら嬉しいです。

——新たな挑戦もありつつ、Crossfaithらしいヘビーな曲調でとてもかっこ良かったです。対して、「Feel Alive」はいろいろ経てきたからこその楽曲と感じました。こちらも新しい質感の曲調かなと思います。

Teru:ミックスは、イギリスのモードステップというアーティストのジュシュにお願いしました。俺達は結成当時からバンドとエレクトロの融合を掲げているので、イギリスのドラムンベースシーンの第一線でやっている彼にやってもらいたかった。俺達の可能性をまた広げることができましたね。Koieの歌の表情もより人間味が出たものに仕上がってるかなと。

——はい。歌詞を含めて、これほど優しい表情をたたえた歌声も初めてぐらいじゃないですか。

Koie:ヴォーカリストとして心で思っていることをどう伝えればいいのかをすごく考えました。自分にできることも増えてきたので、2021年のKoieとして表現できたんじゃないかと思います。

——歌詞は英語ですけど、内容は昔の日本語パンクバンドのようにド直球でした。

Koie:ははは。和訳したらそうですよね。Teruから、みんなでユナイトできる曲にしたいと言われたので、そこに思いを重ねて歌詞は書きました。

Teru:曲は自分達で演奏するので、それは自分達の体に作用しますからね。「Feel Alive」はお客さんにも響いてほしいし、俺達もライヴでプレイして意味のある曲になるんだろうなと。

Hiroki:俺達は攻撃的な曲が多いけど、歌詞も含めて自分達も癒されていますからね。バンドとしてライヴできない期間があったからこそ、できた曲だと思います。

——「Now we find can’t live alone」と温かみのある歌詞も印象に残りました。

Koie:マスクをして、ソーシャルディスタンスを取ってって、ある意味みんなが分断されたわけじゃないですか。ライヴには不特定多数の人が来るけど、そこに束ねる思いがあるから、みんなが集まると思うんですよ。それができなくなった時に虚無感を感じますからね。でも俺が感じているということは、みんなも感じている気持ちかなと。絶対に明日は来るし、雨はやむから、1人じゃないよって、それが伝われば嬉しいです。

Crossfaith(クロスフェイス)
2006年に大阪で結成されたメタルコアバンド。メンバーは、Koie(ヴォーカル)、Kazuki(ギター)、Hiroki(ベース)、Tatsuya(ドラムス)、Teru(ヴィジョンプログラム)の5人。国内はもとより、海外でも精力的にライヴ活動を展開し、2021年は結成15周年を迎えツアーを敢行中。
http://crossfaith.jp/
Instagram:@crossfaithjapan
YouTube:CrossfaithOfficial

Photography Takaki Iwata

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銀杏BOYZに刺激を受けたガールズバンド、東京初期衝動――コロナ禍を“初期衝動”全開で駆け抜ける現在地 https://tokion.jp/2021/06/14/tokyo-syoki-syodo/ Mon, 14 Jun 2021 08:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=36518 新メンバーを迎えたロックバンド、東京初期衝動。その第2章を告げる音源が完成。バンドの成り立ちから新曲までを聞く。

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これまで東京初期衝動みたいなガールズバンドはいなかった。パンクロックで大暴れしたかと思えば、フォーク/歌謡曲に通じるセンチメンタルなバラードもかき鳴らし、Jポップ的なキャッチーなメロディでも聴く者を骨抜きにする。バラエティ豊かな曲調をそろえつつも、それらをすべて純度の高い精神性で鳴らす様がほれぼれするほどかっこよくも新鮮だ。ひさびさに日本のロックシーンに火をつけるガールズバンドと言っていい。

これからがますます楽しみな東京初期衝動に、自分達の音楽的原点でもある銀杏BOYZの魅力、また昨年コロナ禍の中で行った全国ツアー(その最中にメンバー脱退を発表)、そして、新4人体制で初となる3rd ED『Second Kill Virgin』の中身について、メンバー全員に話を聞いた。

最初は峯田和伸が誰か知らなかったんですけど、みんなが叫んでいるから、この人が峯田なんだ!って

――もともと銀杏BOYZが好きで結成されたそうですが、しーなさんは実際にライヴも観に行かれてるんですよね?

しーな:そうですね。きっかけは友達に連れられて、新木場に観に行ったんですが、それからライヴはめちゃくちゃ行ってました。最初は峯田和伸が誰か知らなかったんですけど、みんなが叫んでいるから、この人が峯田なんだ!って認識しました。

――(笑)。銀杏BOYZのどこに一番引かれます?

しーな:詞ですね。メロディも良いけど、情景が浮かぶじゃないですか。

――好きな曲を挙げるなら?

しーな:なんだろう。「ぽあだむ」「漂流教室」「夢で逢えたら」とかですかね。でも初めて聴いた曲は「あの娘は綾波レイが好き」でした。最初はうるさい音楽だなと思ったけど、この音楽をわかる人になりたいなって感じました。熱狂的にコアなファンがいたから、そこに中二病の私は引かれたんです。

――希さんは高校生の頃に銀杏BOYZに出会ったそうですね。

希:はやってましたからね。人生楽しい! って人に向けた音楽じゃないところが好きですね。学校生活で主張できない、私みたいな人に向けた音楽だなと。

――なおさんはそこは通ってないんですよね?

なお:はい……。

しーな:なおさんは全然通ってないですよ。

――あさかさんは?

あさか:東京初期衝動に入る前に「銀杏BOYZを聴いておいてよ」と言われて聴きました。自分はパンク系も好きなので、聴きやすいなと思いました。

――それで東京初期衝動の始まりは、GOING STEADY /銀杏BOYZの「BABY BABY」のコピーから始まったんですよね?

しーな:そうです。すごくつまんなかったよね?

希:というか、完成できなかったよね。

しーな:Gコードさえも押さえられなくて、初ライヴはエアギターでやりました(笑)。でも楽しかったですよ。腕にうんことか落書きをして出たのは黒歴史ですけど。

希:めちゃくちゃお酒飲んじゃったんだよね?

しーな:うん。初ライヴの時はまだドラムは男性で、ウチらは女子のノリが好きだから、女子にしたくて。それで、なおちゃんを見つけて、強引に入れました。

――なおさんは何回目のライヴでたたいたんですか?

しーな:確か3回目のライヴで客は2人ぐらいしかなかったかな。

なお:全然覚えてない……。

しーな:彼女はアルコールで記憶が抹消されているんです(笑)。

希:終わったあとも小さいやつを飲まされて……。

しーな:それ、テキーラって言うんだよ。

きれいな詞も並べたいし、ポップな曲もやりたい

――銀杏BOYZの「あの娘は綾波レイが好き」みたいな曲を作ろうと思って生まれた初のオリジナル曲が「兆楽」だと聞いています。

しーな:そうです! あの感じの曲を作ろうと思ったら、「今すぐやりたい」みたいな歌詞が浮かんで来て。

――いきなり振り切った歌詞ですよね。

希:そっち方面でやりたかったんだよね?

しーな:最初は赤痢みたいな毒々しいことをやりたかったけど、だんだんしんどくなったんです。普通にきれいな詞も並べたいし、ポップな曲もやりたいなと。年に1回はバカみたいな曲も作りたくなりますけど。「黒ギャルのケツは煮卵に似てる」「高円寺ブス集合」、今回の「さまらぶ❤︎」はそうですね。

東京初期衝動「ロックン・ロール」

――「兆楽」はメンバー内でワイワイ言いながら作った感じですか?

しーな:そうですね、フザケて作りました。

――銀杏BOYZを通ってないなおさんは、このような曲は嫌だとはなりませんでした?

なお:いや全然(笑)。私はバンドをやりたかったから。正直、音楽はなんでもよくて入りましたからね。

――「もっこり」というコーラスも「私やりたくない!」とか不満もなく?

なお:それもないです(笑)。

しーな:そのコーラスに関しては、あさかが一番戸惑っていた気がする。「ほんまに?」って(笑)。

――ああ、ライヴで披露する際にですね。

あさか:「もっこり」、「今すぐやりたい」とか言ったことがないから。

全員:(爆笑)。

――2019年の12月に東京で行われたライヴは、ソールドアウトするほどのすさまじい熱狂でした。2018年4月結成なので、まだ1年ほどのタイミングでとても驚きました。あのライヴを振り返っていかがですか?

2019年12月18日に下北沢シェルターで行われたライヴの模様
東京初期衝動 「BABY DON’T CRY」

しーな:あの頃まではまだ楽しかったです。

――えっ(笑)?

しーな:そのライヴの1週間後ぐらいにメンバーに辞めると言われたので、あの時期までは楽しかったんですよ。

コロナにかかったらしょうがないというか、かかるのはどこにいたってかかる

――そして、バンドとしては昨年コロナ禍にもかかわらず全国ツアーを敢行しました。あの時期にツアーを回ったバンドはほぼいなかったと思うんですが。

しーな:そうですね。メンバーの脱退が決まっていたし、早く切り替えたい気持ちもあり……。コロナにかかったらしょうがないというか、かかるのはどこにいたってかかりますからね。

――その全国ツアーはどんな気持ちで回りました?

しーな:ウチらは変わっていないけど、お客さんは緊張していたんじゃないですかね。かかりたくないだろうし、覚悟して来ているのはステージからも伝わりました。

――僕は名古屋で行われた今池ハックフィン(2020年7月19日)でのライヴを観ましたが、フロアの雰囲気は通常とはかけ離れたムードだったので、バンド側はどんな気持ちで挑んでいたのかなと。

しーな:拳を上げることしかできないけど、内心はめっちゃ盛り上がっているみたいな。お互いにそういう気持ちだよね? という思いでやりました。

――希さんはどうでした?

希:実は北海道でのライヴ前日に脱退発表をして、ホテルでみんな泣き出しちゃったんです。で、次の日のライヴの「中央線」の「さよならは言わない」の歌詞でしーちゃん(=しーな)が泣き出して、自分もつられて泣いて、なおちゃんも泣いていた気がする。

なお:泣いた。

しーな:ずっと前に決まっていた脱退をこの時まで言えなくて、ウチらも緊張感があったんです。脱退発表したら、誰か責められる人がいるんじゃないかって。北海道のライヴは一番つらかったですね。私、ロープを持参したんですよ。

――なぜロープを!?

しーな:脱退発表後に誰かに何かを言われて、Twitterで暴走しないようにウチを縛ってくれ! って。なので実際、しばらくホテルで縛られてました。

――(笑)。なおさんはいかがですか?

なお:私も北海道のライヴは心に残っています。悲しかったけど、めっちゃお酒飲んで大騒ぎしました(笑)。

――ツアーファイナルの恵比寿リキッドルーム(2020年8月16日)の感想は?

希:これでこのメンバーでの活動は終わっちゃうなと思いました。

しーな:次に入ってくるメンバーの楽しみもあったけど、すごく悲しかったかな。

希:めちゃくちゃ泣いた。DVD(初の映像作品『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』)観れないもん。

しーな:ね? めちゃくちゃ泣いた。

――あのライヴで聴いた「SWEET MELODY」は1つのハイライトで、しーなさんはかほさん(前メンバー)のほうを向いて演奏する場面もありましたね。

しーな:あれは浸っちゃってたよね?

希:かわいそうな自分みたいな(笑)。

しーな:あの時は会場どうこうより、かほに向けて歌ってました。

東京初期衝動「SWEET MELODY」

――現場では気付かなかったんですが、DVDを観ると、しーなさんはライヴ後にステージ袖で号泣してましたね。

しーな:私はプレッシャーに弱くて。リキッドルームが終わるまで……。現在もそうなんですけど、辞めるからには頑張らなきゃいけないなと。なのでリキッドルームは自分の中では大きな山でした。もっと優しくしていれば辞めなかったのかなとか……、すごくいろんなことを考えたので、しんどかったです。

――なおさんは?

なお:かほちゃんがいなくなる喪失感はすごくありました。

しーな:リズム隊だしね。

――そして、あさかさんは一般公募で加入したんですよね?

しーな:そうですね。インスタグラムのベース募集にいいね!を押してきて、この子ベースやっているんだなと。かわいいし、性格良さそうだし、明るそうでいいなと。こっちから「応募しませんか?」とDMしたら、「応募するところでした」と返事が来たので、運命を感じました。

――初めてスタジオで合わせた時はどうでした?

しーな:良かったですよ! めっちゃ緊張してカチコチだったから、それもかわいいなって。しかも全曲ベース弾けたんですよ! 1週間前に言っただけなのに。

あさか:めっちゃ練習しましたよ。1日3、4曲覚えるスケジュールを立てるほどに。

――ライヴを観ていて、あさかさんはコーラスもできるので、そこも大きな武器ですよね。

しーな:ぶっちゃけ、そこまで望んでいなかったけど、あさかがちゃんとできたから。

あさか:「さまらぶ❤︎」はほんまにテンション上げなきゃいけなくて、最初は全然歌えなかったんです。

しーな:ウチに怒られてね。

あさか:殻を破るところから始めました(笑)。歌ヘタやけど、自分らしさを出すことが大事やなと。

――前作『LOVE&POP』を経て、今作『Second Kill Virgin』はいろんな意味で振り切れたサウンドになりました。今はバンドの状態が良いんだろうなと思いますが。

しーな:そうですね。前作は暗いですもんね。

――暗いというか、張り詰めた緊張感は感じました。

しーな:ブチ切れながらレコーディングしてましたもん。メンバーを来させない日もあって……。コーラス含めて全部1人でやりました。「東京初期衝動」はみんなが歌ってくれましたけどね。

なお:私なりに暗くならないように頑張ったんですけど……気は使ってました。

しーな:かわいそう(笑)!

――前作は前作で素晴らしい内容でした。

しーな:ほんとですか? ありがとうございます。今回は楽しい感じでやれましたよ。今はメンバーの仲もいいから。

希:前作とは全然違いますね。

夢はいつか夏に日比谷野音でライヴをやりたい

――今作『Second Kill Virgin』の最初のイメージというと?

しーな:アゲアゲで行こうかなと。『LOVE&POP』が全然ラブ&ポップじゃなかったから、次こそはラブ&ポップにしようと。あと、あさかが入って、雰囲気も良くなったので元気で前向きな曲を作ろうと。『SWEET 17 MONSTERS』(1stアルバム)を作っていた頃の制作意欲まで上がりました。

――「さまらぶ❤︎」は陽キャ全開ですもんね!

しーな:そうですね。去年は全国ツアーを回ったけど、他は何もできなくて。自粛中でしたけど、山とか海とか自然に触れて、陽キャ的な部分が上がったのかもしれない。

――「さまらぶ❤︎」の次の「blue moon」がまた対照的で、同じ夏をテーマにした曲とは思えない切ない曲調ですけど、今作の中で一番好きな曲です。

東京初期衝動 「blue moon」

しーな:私も好きです! 夏の夜はバラードを聴きたくなるじゃないですか。

――なるほど。この曲はメロディがとても良くて。切ないけど、胸がキュンキュンします。

しーな:ははは(笑)。曲でキュンキュンさせたいんですよね。

なお:今までと違う感じでリムショットを入れたりして、楽しかったですね。

――「愛のむきだし」もベース始まりでしたけど、この曲もベース始まりであさかさん加入を印象付けるイントロだなと。

しーな:そうそう! せっかくあさかが入ったから、ベース始まりの曲を作りたくて。いわばウエルカムソングです(笑)。

――ラストの「春」はどうですか?

しーな:『LOVE&POP』を出す時に「春」を作って、1年ぐらい放置していたんですよ。最初、あさかに聴かせた時に「歌詞が暗過ぎるので、変えたほうがいいです」と言われて。それでレコーディング2日前に歌詞を変えました。

――そんなに暗い歌詞だったんですか?

あさか:もう心配になるくらい(笑)。自分が入る前の東京初期衝動は詳しく知らなかったけど、歌詞を見ただけでこんなにつらい思いをしたんやなと。ここで区切って明るくいったほうが聴いている側もいいのかなと。それで変えてもらいました。

――新メンバーの意見も素直に聞き入れるんですね。

しーな:自分の嫌いな人に言われたら、「はっ、お前ふざけんなよ?」となるけど、好きなメンバーに言われたら、OK! OK! ってなります。

希:「春」のAメロはめっちゃ好きですね。メロディもレコーディング時に変えて、そっちのほうが元気そうでいいなと。しーな節が発揮されているから。

あさか:希ちゃんのギターがすごく良くて。間奏とアウトロはほんとに良くて、泣いちゃうくらい感動するギターです。

東京初期衝動「春」

――東京初期衝動は毎回ライヴもすごくて引きつけられるんですけど、このバンドの一番の魅力はメロディ、楽曲の良さだと思っているんです。音楽的にはどんな影響が強く出ていると思います?

しーな:最近のYOASOBIとかも聴くけど、歌謡曲とか昔の音楽ばかり聴いているかもしれない。何十年も聴かれるような、それこそ教科書に載るような音楽が好きですね。

――ライヴのクロージングSEも森田童子の「ぼくたちの失敗」を使ってますもんね。

しーな:日本人はエモい音楽が好きじゃないですか。森田童子もそうですけど、チャットモンチーの「染まるよ」、桑田佳祐の「白い恋人達」、(忌野)清志郎さんの「スローバラード」とか。私はバラードが好きなのかもしれない(笑)。でも作りやすいのはロックです。バラードは実体験とか、ほんとに自分の気持ちが入らないと書けないので。

――では、東京初期衝動としての今後の夢というと?

しーな:いつか夏に日比谷野音でライヴをやりたいです。希ちゃんが野音野音と言っていたから。じゃあ、ウチも日比谷でワンマンやりたいなと。

希:THE BLUE HEARTSの野音の映像とかめちゃくちゃ良かったから。

――なおさんは?

なお:音楽だけで食えるようになりたいです。あと、自分の好きなアーティストと同じフェスに出たいですね、UVERworldとか。

あさか:今話を聞いてて、私は大阪に住んでいたから、東京は日比谷、大阪は大阪城野外音楽堂でやりたい! という夢が今できました(笑)。

――最終的に目指すバンド像みたいなものはあります?

しーな:あまり先のことは考えたくないけど、ガールズバンドって長年やっている人があまりいないじゃないですか。なぜかみんな若いうちに辞めていく。なので東京初期衝動というブランドを確立させたいですね。年相応の見た目と音楽でバンドをずっとやっていきたいです! 美しく、たくましく、どこまでも。

東京初期衝動
2018年4月に結成。2019年4月に1st ED『ヴァージン・スーサイド』でデビュー。同年11月に1stアルバム『SWEET 17 MONSTERS』を発表。2020年4月に2nd ED『LOVE&POP』をリリース、そのレコ発ツアー終了後、ベースが脱退。同年11月一般公募により、新ベース加入により しーなちゃん(Vo&Gt)、希(Gt)、あさか(Ba)、なお(Dr)による新体制での活動をスタートする。
Instgram:@tokyo_syoki_syodo
Twiiter:@tk_syoki_syodo
http://東京初期衝動.com
3rd EP『Second Kill Virgin』 配信リンク:https://FRIENDSHIP.lnk.to/SKV

■LIVE:東京初期衝動「サマーツアー2021」
出演者:東京初期衝動他
日時:
「ここまで来たら吸い付きたいあなたのたらこ唇〜Only Love 編〜」
6月12日@福岡 INSA  
「あんたといるとはかはかする、、〜めちゃくちゃ好きだっちゃ!牛タンKISS 編〜」
6月19日@宮城 仙台 FLYING SON  
「札幌海鮮女体盛りvs東京初期衝動 編」
6月27日@北海道 札幌 SPiCE 
「揺らせタマキン!照らせ太陽!東京初期衝動とパーフェクトサマー沖縄 編」
7月3日@沖縄 那覇 Output  
「やっぱりピカイチが一番美味しい❤〜名古屋盛り上げブチアゲ手羽先幻ライブ 編〜」
7月23日@愛知 名古屋 HUCK FINN   
「恋を金するため心斎橋には人が来る〜トキョショキ∞ 編〜」
7月24日@大阪 心斎橋 ANiMA  
「あなたと行った恵比寿のBar今は誰と行っているの?〜切ない夏の夜空 編〜」
7月30日@東京 恵比寿 LIQUIDROOM 
https://xn--1lqt7f1ph36dwlak54n.com/live 

Photography Shinpo Kimura

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