漫画愛にあふれる楳図かずおが語る漫画家としての飽くなき創作意欲

『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』など名作漫画を数多く生み出してきた漫画家・楳図かずおが27年ぶりに新作を発表した。その中身は、101点からなる連作絵画で、今年86歳を迎える楳図がここに来て、新境地を切り拓いている。今年頭には東京シティビューで開催された「楳図かずお大美術展」が大盛況を博し、続いて9月17日からは大阪・あべのハルカス美術展に場所を移して開催されている。

名作『わたしは真悟』が「アングレーム国際漫画祭」で賞を取ったことにより、発表された101点の連作絵画『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』へとつながっている。

今回のインタビュー記事を読んでいただければ、楳図先生のバイタリティあふれる精神性がビシビシと伝わってくるに違いない。

そして、インタビュー後半では“岡本太郎”の名前も飛び出してくる。そう、“人類の進歩と調和”をテーマに掲げた大阪万博(1970)において、「人間はちっとも進歩していない!」という考えの下、岡本太郎はもっとも原始的な“太陽の塔”を会場の屋根を突き破って作り上げた。その精神性は、楳図先生の考えとも共通していると気付かされる。

楳図かずお(うめず・かずお)
1936年9月3日、和歌山県生まれ。小学5年生の時、手塚治虫に触発され、漫画家になることを決意。1955年、18歳の時に『森の兄妹』でプロデビュー。その後、『ねこ目の少女』『へび少女』などの作品で、恐怖漫画家として全国的に知られるようになる。1975年には『漂流教室』他一連の作品で第20回「小学館漫画賞」を受賞。その後、『まことちゃん』『おろち』といったヒット作品を連発。1980年代には『わたしは真悟』『14歳』など近未来世界を描いた作品を発表する。その独創的な作品世界で世界中にファンを抱える。現在、大阪・あべのハルカス美術展にて「楳図かずお大美術展」が開催中。
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僕ってやっぱりきれいな色を使って描こうと思っている人なんだな

――まず今年1月から3月にかけて、「楳図かずお大美術展」が開催され、東京公演が終わってしばらくたちます。今回の大美術展に足を運んだ方の反響や感想は、先生の耳にも届いていますか?

楳図かずお(以下、楳図):道を歩いているとよく声をかけてもらえるので、観てくださった方が多いようです。「つまらなかった」と言った方は1人もいませんでした(笑)。

みなさん感動してくれたような元気の良い励ましの声をかけてくださるので、僕もそれを聞くと力が湧いてきますね。やっぱり「良かった!」と言ってくれるだけで、嬉しくなります。挨拶をしてくれたり、声をかけてくれたりするのは、大変注目してくれていることの証拠ですから。そういう方がいっぱいいるということは心強いですね。やった甲斐があったなと思います。

――私も大美術展に行きましたが、何より印象に残ったのは先生の色使いを含めた「絵の美しさ」でした。原色はもちろん、ビビッドなカラーを意識して使われているように感じました。絵を描くにあたり、色使いという点で意識したことや工夫したところがあれば教えてもらえますか?

楳図:自分で描いていて気が付いたんだけど、「ああ、僕ってやっぱりきれいな色を使って描こうと思っている人なんだな」って思いました。

中学生の頃に描いていた絵を見ると、やっぱりそういう色使いをしていました。色使いだけじゃなく、絵の具の種類もいろいろなところから持ってきてこだわっていました。赤い色は赤インク、水色は染料、黄色は食紅とか、中学生の時はそういうふうに色にこだわっていましたね。

「楳図かずお大美術展」で絵を描くのに使ったのがアクリルガッシュなので、「さあ、どの色を使おうかな」と楽しみだったんですけど、やっぱり色はどれを見てもきれいですね。ダークな色もきれい。どうきれいかというと、その色自体が持っている独特の美しさもあるけど、そこに別のきれいな色を持ってくると、両方が引き立ってくるんですよね。なので、なるべくきれいな色を使おうと努めました。

美術として、人によってはごちゃ混ぜにしちゃいけないとか、絵の具のそのままを塗っちゃいけないとか言ったりするけど、最近の絵の具ってきれいなんですよ。

――確かにきれいに感じます。

楳図:絵の具は混ぜるも何も、混ぜたような色がまた別にあるので、そういう余計な努力をしなくても良いというのがあるんです。

あと今回は、「連作絵画」というテーマでやっているのですが、絵は好きなように描いていいと言っても、どうしても約束ごとは出てくるんですよね。つながっているのに急に違う色になってしまったら、やっぱりそれはなんで? ということになりますから。だから、その約束ごとがある中で、マリンになる女の子は赤とピンク、サトルになる男の子は青と緑と決めていたから、どこにいってもその色を使いました。とはいえ、ズボンは黄色だったり、茶色だったりするんですけどね。

ただ、1枚だけで完結するんだったらそれでいいけど、絵がつながっているのに色を変えてしまったら、全体を通して見た時の迫力がなくなったり、一丸となって飛び出てこなかったり、そういう不利益があるんです。昔の人が考えた美術的なお約束ごとというのはあるんだろうけど、自分で好きなように作り替えていくほうが、美術が新しく進化していくことになるかと思います。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

「みんなをドキドキさせて、ビックリさせるようなことをやらなきゃ!」と思って描きました

――奇しくも今回の東京公演、そして、9月からの大阪公演もコロナ禍の中での開催となりました。先生の中で、今のご時世にご自分の大美術展を開く意味というものはどういうふうにお考えですか?

楳図:コロナ禍に僕自身も放り込まれてしまったので、考えましたけど、どんなに世の中でコロナや不景気、争いが起きたとしても、人間は生きている限りどこかで刺激を欲しているし、楽しみを望んでいると思うんです。

今回のタイトル通り“「ゾクゾク」する”というのはどんな場合であっても、たとえ天地がひっくり返ろうとも、「うあ~、おもしろい!」と気を取られてしまうものがあってもいいと思うんです。どんな時でも生きる糧は必要ですから。

でもそんな面倒くさいことは考えずに、どんな時だってドキドキするものは必要だと思います。僕はコロナだろうがなんだろうが、「みんなをドキドキさせて、ビックリさせるようなことをやらなきゃ!」と思って描きました。観ている時は一瞬でもパッと違うところに気分が集中して、嫌なことを忘れてると思うんですよね。それってすごく大事なことだと思うんです。

――そのお考えにはとても共感します。そして、これは他のインタビューでも言われていたことですが、今回の『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』を描いている時に「人間退化」という言葉が浮かんだそうですね。この言葉をどういう形で作品に落とし込もうと考えられたのでしょうか?

楳図:作品の中では「ロボット対人間」っていう競い合いみたいなことを描いています。ロボットが進化すればするほど人間はついていけないから、人間は退化するっていう単純な発想で考えました。僕、世の中の人はすべてのものはみんな進化していくもんだとばかり思い込んで、「退化」ということは考えていなかったと思うんです。

この「退化」という言葉を思い付くきっかけになったのは、日常生活で起こる“人を殺めてしまうような事件”です。それぞれ理由はあるんだろうけど、「ああ、これは退化してる」と思いました。進化っていうのは有り様が良い方向に行くものだけど、有り様が悪く、みんな機嫌が悪くなってしまう。その行先は「自然に戻る」ということだと思うんです。進化する文明がなくなっちゃったら、自然回帰で原始に戻るしかないでしょう。それが今、人間の手からは進化の最先端が届かないくらいまできている。

そして今の進化は数字ですから、数字は結果が出たら、もう変えようがないのでどんどん進化していくでしょう。でも人間はそういうことをわからずに、その下で「ああしなさい、こうしなさい」という科学の指令に従って動いているだけです。もう今は電気が止まっちゃったら、その進化の部分も止まっちゃうからね。そうすると人間は何もできなくて、退化するしかない。だから今向かっているのは退化のほうなんだろうなと思います。これを「退化の改新」と言います(笑)。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

描く時は、自分の中から「それいいね」という声が聞こえないと描かないんです

――(笑)。話は変わりますが、先生はずっと吉祥寺に住まわれてますよね。私も先生のご自宅からわりと離れていない場所に住んでいて、たまに吉祥寺周辺を歩いている先生の姿をお見かけします。吉祥寺という場所が創作意欲やアイデア作りに影響を与えている部分はありますか?

楳図:まったくないです。吉祥寺をテーマにして描いているものは、日常生活の日記みたいな作品だと思うんですね。ドラマかドキュメンタリーかでいうと、ドキュメンタリーのほうなんです。ただ、僕はそういうところをまったく目指していません。吉祥寺にいても、サンフランシスコにいても、ニューヨークにいても、あるのは頭の中だけなので場所は関係ないです。ただ吉祥寺は買い物に便利(笑)。

――先生の作品は、海外でも高い評価を得ています。ご自身で海外の読者は、先生の作品をどう捉えていると考えますか。もしくは、海外の方からはどのような反応をもらいますか?

楳図:直接会ったことがないからよくわからないけど、海外でも「ああ、僕の作品から取ったな」というような映画などがあったりするので評価を得ていると思います。スペインの本に僕のことを書いているものも読みました。

あとは海外で『神の左手悪魔の右手』が翻訳出版されると聞いたので、日本語版を読んでみたんです。僕は1度描いたら自分の作品を改めて見たりしません。もう1回見る時は、「ああ、こんなこと描いてる! すごい!」と読者目線になっているんです。自分で言うのもなんですが、すごかったです。他の映画とかを観ようかと思ったけど、やっぱり自分の漫画のほうがおもしろい! と思ってやめました(笑)。

自分で自分を褒めているようだけど、そのくらいインパクトはあると思います。まだ一般的には、人間性という点ではみ出ている部分があって、手が出しにくいところがあるだろうけど、話としてはよくできている。だから海外へはこれからです。今はまだ始まったばかりです。

――『わたしは真悟』でのコンピューターがそうですが、先生の作品は現代社会を予言したかの内容で、今読んでも驚かされます。この発想はどのように思いついたのでしょうか。また、令和の時代にはさまざまなことが起きていますが、先生が想像する未来や進化はどのようなものでしょうか。

楳図:みんな「進化」はするものだとまだ思っている。しかし「それは思い込みだ」と思わないといけない。それしか未来を良くする方法はないと思う。僕は次に何が起きるかを描くことが漫画家の仕事だということに、ある時気が付いたんです。

物語を一生懸命、頭の中で考えているけど、世の中がどうなっているかとか、現実的なことは一切考えていなかった。ただ、振り返ってみると、今まで描いたどの作品もその都度ちゃんと次にはやる路線にうまく乗っている。自然にうまく時代の流れに乗っているとしか言いようがないと思う。論理で未来を予想しているわけではまったくないですよね。

――では『わたしは真悟』の制作はどういうふうに進めたんですか?

楳図:『わたしは真悟』を描いた時、詳しく調べ上げて描いた作品はウケないというジンクスがあったんですよ。それがあったので本来はロボットとか調べなきゃいけないけど、うかつに調べて、それをそのまま取り入れたらウケない作品の仲間に入ってしまうと思いました。だから、工場とか現実的な絵柄は写真で参考にさせてもらったけど、当時のコンピューターは四角い箱がずらっと並んでいるだけで見たっておもしろくもなんともなかったですんよね。

絵柄的におもしろいものはやっぱり自分で作らなければならないんですね。だから工場の工作ロボットは、実際に比べたら全然違うし、自分で描いたロボットの絵をコンピューター専門の人に実際にこれは使えるかとか、そういうことを聞いてどれだけ想像と現実を結びつけることができるか工夫しました。

僕、描く時は、自分の中から「それいいね」という声が聞こえないと描かないんです。だからそれを聞いたら周りが何を言ったって聞かなくて、もうひたすら描き通す。6年の間に長い期間描いているときっと邪魔が入るんですよね。その周りの声に耳を傾けて折れていたら、全体がそれこそまた“わや”になっちゃいます。全体がまとまらなくなって作品が崩れてしまう。だから、たとえその時評判が悪くても、自分の中で「それいいよ」って声が聞こえたから、それを信じてやり通すしかないんですよ。

――描き始めたら、自分の信念を貫き通すと。

楳図:もう1つ、僕が良いと思うことは、他の人の中にも共通している部分があるような気がしてるんです。そこをハズしていなければ、大体僕が好きなように感じたことは世の中で起きてしまうんですよね。そういうことはあると思うんです。

新しいことを描けば自然と未来のことになって、気が付かないうちに未来の出来事を先取りしてるんです。ここには「幼児性」というのが、かなり重なってくるような気がしています。科学や論理で調べて現実になって使えたからって言っても、それは新しいお話ができたということではない。現実で起きたことをそのまま移し替えただけだったら、驚きとかおもしろ味とかあるわけないんですよ。

事実はあるけど……事実とお話は違うんです。僕はどこを描きたいかといったら、おもしろいお話を描きたいんです。僕はその「幼児性」というのは大変意義深い言葉だと思っています。それが僕にあるとしたら、それは大きな拾得物です。そういえば、けっこう幼児が出てくるお話が多いから、そこは具体的につながっているのかなと思います(笑)。大人からしたらそんなバカなことと思っても、幼児にとってはそれが大事と思っていたり、その違いだよね。僕がお話を描く時は、主人公をどうするかということで、大体決まってしまう。どんどん年齢が低いところまでいっちゃって、『14歳』では3歳までいっちゃいました。3歳なんて幼児性じゃなくて、幼児そのものだけど(大笑)。

――確かに(大笑)。

楳図:そう思っていたら、最近、川端康成さんが生きている頃に「幼児性がないとダメなんだ」と言っていた記事を読んだんです。「情緒的で日常的な作品を描いている川端康成さんが幼児性!?」ってつながる気がしなくて。ただ、そう言っているところを見ると、やっぱり幼児性というのは作家性やドラマ性につながるというか、そういうものがない作品はやっぱりダメなんだなと思いました。

だから1つの目安として幼児性というのは大事なんですよ。だからといってドキュメンタリーをバカにしているわけではないんです。日常生活はそのものがドキュメンタリーなので、それをお話として成り立つように見せるにはドキュメンタリーとつなげないといけない。どのようにつなぐかは作家の技によるものなんです。

――そこが作家の腕の見せどころというわけですね。

楳図:昔の漫画は「幼児性」があるけど、最近の漫画は簡単に言うと、どれも職業別の漫画ですよね。漫画は本来、職業を描くものではなく、ワクワクドキドキするような幼児性がないといけないと思う。幼児性と作品性があることが大事。そういう意味で、僕が一番よくできてると思う(再び笑)。

『神の左手悪魔の右手』もかなりメチャクチャなことを描いてると思うけど、それはある意味幼児性が表れているんじゃないかな。こういうものを描きたいんだ! これこれー! っという感じ。幼児性が大事というのは、イコール芸術性にもつながっていくところもあるので、その言葉が僕の中では大変響いているんです。

と言っても、現実性をバカにしているわけではないです。現実は現実にあるから変えようがないけど、せめて頭の中で自由さはほしい。どんな時代であっても人間として進化してきたのであれば、その想像性をフルに生かしてこんなことを想像しました、としたいよね。

「楳図かずお大美術展」東京展(閉幕)展示風景、六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー

とにかく僕は誰にも負けないように描いたので、ぜひ観てほしい

――そして、9月から先生の大美術展が大阪で始まっています。これから大美術展を観に行く方に先生なりの見所があれば教えてください。また、大阪という街に対するイメージや、過去に訪れてみて、何か思い出などがありましたら教えてください。

楳図:何度も観に来てくださるということは、大変ありがたいことです。東京で観られた方も初めての方も気持ちを揺り動かされるものが絵のどこかにあると思う。コロナの中で一生懸命描いたので、どこか引っかかって気になる部分が絶対あると思うんです。そういうところを探してみてもらうといいですね。「あ、こんなところをこんなに丁寧に描いてる!」とか観ている人のどこか心の中に引っかかるところがあると思います。

あと、大阪のイメージと言うと、大都会。僕は隣の奈良県五條市が出身で、五條からすると一番近くの大都会は大阪だから。漫画も初め、集英社の「少女ブック」で投稿したらそのまま載って連載もらって、『母よぶこえ』は1年間連載して、読み切りも描いたりしたけど、「まだ僕はその実力じゃない」と思っていました。それでイチから出直そうと思い、大阪の出版社に持ち込みをして、そこからやり始めたんですよね。その出版社がなくなっちゃうまで、ずっと大阪で描いていました。そうしてそこがなくなっちゃったから東京に出てきたんです。

――大阪で漫画を描かれている時期もあったのですね!

楳図:大阪の文化は、東京の文化と違ってきどりがなくて、幼児性丸出しの漫画がたくさん出ていておもしろかった(笑)。赤本は俗っぽい塊って言われたけど、その俗っぽいのがおもしろい。大阪の『ヤネウラ3ちゃん』っていうのが笑える。大阪のほうが感情がちゃんと出てくるお話があったような気がする。それで、街もそういう人が多かったような気がします。だから大阪の人は、大阪の人でまた東京とは違う感覚の置き方で展覧会を観てもらって、「おもしろかった」「あそこはギャグだった」とか、いろいろ受け取ってもらえれば嬉しいです。怖いところもギャグって思う部分があるかもしれないしね(笑)。

とにかく僕は誰にも負けないように描いたので、ぜひ観てほしい。それと、大阪と言えば岡本太郎さんで、力強くて素晴らしいけど、僕は僕で別の角度で力強くて、お話の部分は絶対誰にも負けない! と言い切れる。そこの部分だけ言うと、岡本太郎さんにも負けていません! ピカソも漫画を描いていたけど、それにも負けていません! どこ向いても負けていません! 大阪の人も負けていない! という気分で観てもらえると、もっとテンションが上がるんじゃないかな(笑)。

楳図かずお大美術展
会期:11月20日まで
会場:大阪 あべのハルカス美術館
住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
時間:(火〜金)10:00~20:00、(月、土、日、祝)10:00~18:00
※入場は閉館の30分前まで
入場料:一般 ¥1,700、高校・大学校生 ¥1,300、小・中学生 ¥500、小学生以下無料
Webサイト:https://umezz-art.jp

author:

荒金良介

大分県出身の音楽ライター。1999年からフリーのライターとして執筆を始める。ハードロック、ヘヴィメタル、ラウド、パンク、ハードコア、ミクスチャーなど洋邦問わず激しい音楽が好み。

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