インタビュー Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/インタビュー/ Wed, 28 Feb 2024 08:59:50 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png インタビュー Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/インタビュー/ 32 32 ベルリンに広がるリスニングバー Vol.3 Unkompress × 『Records Culture Magazine』対談 https://tokion.jp/2024/02/28/listening-bar-berlin-vol3/ Wed, 28 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225483 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第3回は「Unkompress」オーナーのケヴィン・ロドリゲスと『レコード カルチャー マガジン』編集長のカール・ヘンケルによる対談。

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ケヴィン・ロドリゲス(左)カール・ヘンケル(右)

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第3回は、クロイツベルク地区に2023年にオープンした、カジュアルさが人気のリスニングカフェ兼バー「Unkompress」。オーナーのケヴィン・ロドリゲス(Kevin Rodriguez)と交流のある『Record Culture Magazine』編集長のカール・ヘンケル(Karl Henkell)を迎えて、日本と海外のリスニングバーの違いや楽しみ方について話を聞いた。

日本と西洋で異なるリスニングバーの在り方

−−2人の出会いは「Unkompress」ですよね?

カール・ヘンケル(以下、カール):そう。初めて訪れたのは、オープンして数ヵ月後だったかな? とても居心地のいい空間で、マドリッドにある「Faraday」という友人のリスニングカフェを思い出した。優れたサウンドシステムがあるし、パーソナルな空間をつくり出してると思う。他のバーや商業スペースとは違って、家庭的な感じがするんだ。それにおいしいワインもあるし。

ケヴィン・ロドリゲス(以下、ケヴィン):ありがとう! 「レコード カルチャー マガジン」のことは知ってたよ。素晴らしい写真とインタビューが載ってる雑誌だからね。

−−以前はお互いNYに住んでいましたが、好きなリスニングバーはありましたか?

ケヴィン:ここ数年でオープンした店はたくさんあると思うけど、思いつくのは、「Public Records」だけ。

カール:僕も同じ。「Unkompress」や他のリスニングバーのような親密さにこだわって、ハイエンドな機材を揃えたスペースはあまりなかったよね。

ケヴィン:あと「mezcaleria milagrosa」という店があって、すごくおいしいタコス屋に併設されていたんだ。その2店が本当に際立ってるね。

−−「The Loft」を主催したDJのデヴィッド・マンキューソをはじめ、アメリカには日本とは違うリスニングバー文化がありますよね。

ケヴィン:ジャズ喫茶とリスニングバーがどういうものかわかってくると、みんな自分の好みだって気付くんだ。レコードを集めている人の多くは、他の人と一緒に楽しみたいからね。僕もデヴィッド・マンキューソの音響について考えてきたし、「素晴らしい音響とレコードと一緒にビールが飲める店を開きたい」と思ってたんだ。それから何年も経って、自分のアイデアがそもそも日本にあることを知って、正しかったんだと実感したよ。今ではNYだけでなく、アメリカの人里離れた場所にもあるしね。

カール:どちらもオリジナリティーがあるし、アメリカやヨーロッパではすべてが融合され始めている。日本では「The Loft」みたいな文化はないけど、だからこそ新しいスタイルが生まれたんだ。

−−西洋でバーは会話を楽しむ場であるのに対し、日本ではほとんどの人が静かに音楽を楽しんでいます。このような違いについてどう思いますか?

ケヴィン:個人的にはおもしろいと思う。日本の文化って、外から見るとすべてに目的があるように感じるよ。だから、ジャズ喫茶やリスニングバーについて語る時、そこには理由があって、人々はその理由のために行く。西洋でのバーは友人や家族、楽しい時間が集まる場所。音楽はいつもその背景にあるものなんだ。音楽が前面に出るようなリスニングバーを始めたことで、西洋の人達の認識は変わってきてると思うけど、みんながいつも静かにする場所にはならないね。だからこそ、多くのリスニングバーや「Unkompress」でさえ、特定の夜におしゃべりも電話も禁止のリスニングセッションを開くんだ。

カール:若い頃は、ただ座って聴くだけのアルバム・リスニング・パーティーというコンセプトがしっくりこなくて。でも僕にとってリスニングバーは新しい場所で、ナイトクラブの文脈とは違う音楽をかけたり聴いたりできる。より繊細で、瞑想的で、家で聴くような音楽、それがなんであれね。ナイトクラブやバーに行ってあれこれ聴くのではなく、もっと幅広い音楽を楽しめる。

世界的に広がる、食とサウンドに特化したコンセプト

−−海外のバーのよさも残しつつ、日本式の楽しみ方が浸透しているんですね。2人の住んでいたスペインはどうでした?

カール:マドリードには「Proper Sound」というリスニングバーがある。20人ほどの超小型店だけど、いつも賑わってるし、DJのプレイを毎晩聴ける。最近だと、オーストラリアのメルボルンには「Skydiver」っていう昼間はレコ屋、夜はバーになる店があるよ。こういうコンセプトは、とても理にかなっていると思うな。


ケヴィン:僕がバルセロナに住んでいた頃はまだなかったな。今は少なくとも3、4軒のリスニングバーがあるって聞いたよ。ロンドンには「Brilliant Corners」があるよね。でもあそこもレストランだし、食とサウンドって最近よく見かけるコンセプトだと思う。

カール:パリはワイン文化があるし、すでにカジュアルバーのコンセプトも根付いていて、その方向に進んでるよね。

ケヴィン:今考えてみると、こういった場所のほとんどは食事とワインを楽しむような場所で、リスニングバーといいつつ音にこだわってるとは限らないよね。多くの人が食事や会話をしてるし、100パーセント音楽にフォーカスしているかはわからない。

カール:フランスのボルドーに「Café Mancuso」ってカジュアルな高級レストランがあるんだけど、音がいいって評判だよ。同じコンセプトのレストランでも、いろんな工夫がされていると思う。

ケヴィン:ビジネスの観点から言えば、お酒を飲めば人はお腹が空くし、料理にはお酒が付きもの。そういう経済的な側面もあるよね。でも「Unkompress」のような場所では、食事ではなく、音楽と文化に重点を置きたいんだ。いいサウンドシステムがあっても、やっぱりレストランはレストラン。音楽を聴くために行くかどうかはわからないね。

その人に合ったリスニングバーの楽しみ方

−−2人はどんなリスニングバー が好きですか?

ケヴィン:その時の気分と、その場所が何を提供してくれるかによるかな。リスニングバーなら、音楽とサウンドに集中する。パートナーや友達だけなら、ちょっと小声で話しながら、ただ音に耳を傾ける。でも5人のグループだったら、あまり聴かないかもね。

カール:僕はのびのびとした性格だから、予約なしで行けて、混んでないお店っていうのが大事。「Unkompress」もきっと混んでいるんだろうけど、今のところいつ来ても席を見つけられるからよかった!一方で、ちょっとハプニングがあったりするような場所も楽しいね。よく友人と遊びに行ったり、社交的なことが多いから。

−−最後に、リスニングバーを楽しむベストな方法は何だと思いますか?

ケヴィン:オープンマインドで行けばいいと思う。友達と一緒でもいいし、グループで行ってもいい。会話ができないわけではないけど、音楽やサウンドに敬意を払うことを念頭に置いて、小声で話すこと。今聴いているものに感謝すること。

カール:おいしいワインと音楽を楽しむこと。友人がDJをやってたら、自分が知らない音楽や風変わりなアルバムを持ってたりして楽しいし、自分を驚かせることができる。文脈が特別なものをつくるんだ。選曲する人達も、観客を踊らせるってプレッシャーがない分、いろんなことができるしね。

■ Unkompress
住所:Fichtestraße 23, 10967 Berlin, Germany
営業時間:水木14:00~23:00、金土14:00~1:00
休日:日月火
unkompress.berlin
Instagram:@unkompress

Photography Shinichiro Shiraishi

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誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編- https://tokion.jp/2024/02/28/interview-stefan-marx-part2/ Wed, 28 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224805 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスへのインタヴュー後編。

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ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。後編では彼の代表的作品テーマであるタイポグラフィやパブリックアートについてのスタンス、新作の本の紹介と趣旨、他アーティストとのコラボレーション等についてヒアリング。アートをオープンスペースとして捉え、人々の自由な感性の交流や相乗効果を導く取組みについて伺った。

体験から得たインスピレーションの視覚化、タイポグラフィ

−−先日NYのギャラリー「Ruttkowski;68」にてタイポグラフィ作品中心のエキシビジョンが開催されましたが、そのステートメントに「テキストは歌詞からインスパイアされている」とありました。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):確かに初期の頃は歌詞からインスピレーションを受けて作品を制作していましたが、現在は違います。例えば『Sunrise Sunset』は言葉と構図のアイデアが頭の中でイメージ化され、作品として具現化したものです。最近の作品は画面上の上部と下部に言葉が配置され、間にスペースがある構図にフォーカスしています。

また『Listen to the Rain』は日本で着想を得たものです。日本では雨が降ると多くの人がビニール傘を差し、その上に雨粒が落ちると大きな雨音がする。「雨の音が聴ける」という日本ならではの現象が作品のインスピレーションになりました。

このようにタイポグラフィ作品は、さまざまな場所を訪れ、状況や体験から得たインスピレーションがヴィジュアル化されたものと言えます。

−−最近の作品は詩的な雰囲気のものが多いですね。

ステファン:言葉もドローイングも視覚的なイメージとして捉えています。常に言葉とドローイングのことを考えていて、日頃からあらゆる発想を頭に蓄積し、それらがミックスされて作品になっています。

歩いている時、電車に乗っている時、音楽を聴いている時、本を読んでいる時…時にはSNS上のコメントを読んでアイデアを思いついたりもします(笑)。

タイポグラフィ作品では、言葉上の意味だけでなく、そこから派生するイメージを効果的に表現できないか考えています。

『Heaven』という作品はシンプルなワードですが、視覚的な効果の組み合わせによって複雑な意味を擁し、創造の枠を超えることができます。『Moonlightsss』も同じくシンプルな言葉ですが、蛍光色が暗闇で光ります。

『Love Letter』においては、作品の裏面に「〇〇から△△へ」という情報を記し、一点物としてカスタマイズ可能にしました。こうすることで言葉の持つ重みや意味合いが変化するのがおもしろいですね。

−−今回は日本語の作品にも挑戦しました。

ステファン:前回日本を訪れた際、空港やレストランでスタッフが「おまたせしました」という言葉を使うのを何度も耳にし、どんな意味なのか気になっていて、友人に意味を教えてもらいメモしていました。

そして今回、この「おまたせしました」をタイポグラフィの作品にしてディスプレイしようと思い立ちました。TOKYO ART BOOK FAIRのサイン会では列に並んで待ってもらうこと、また本展にはずっと参加してほしいと言われていたこと、二重の意味を込めたかったんです。

今後も日本語の作品に取り組みたいと思っていて、ひらがな、カタカナ、数字などを勉強しています。

誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-
誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクス インタヴュー -後編-

地域を反映し、誰もがアクセス可能な民主的所在のパブリックアート

−−タイポグラフィの作品の中には、ある種のビルボードのように、都市空間の中で大きなスケールで設置されているものもありますね。このプロジェクトについて教えてください。

ステファン:ドイツの都市の30ヵ所にパブリックアートを設置するプロジェクトがあり、そのうちの3ヵ所……ボーフム、ドルトムント、エッセンにオファーを頂きました。その後、スイスのバーゼル等、他の都市でもオファーを頂きました。デュッセルドルフではクンストハレという美術館の内部の壁に描いた作品を、外部からも誰でも観ることができるようになっています。

パブリックアートは誰もが無料で鑑賞できるという民主的な点が好きなんです。制作は非常に大変で、作品を描くのにふさわしい大きな壁を見つけてオーナーに許可をもらったり、高所作業が可能か確認してリフトの費用を確保したりと、なかなか一筋縄ではいかないことが多いですが、すごく楽しんでやってます。たくさんの人々に自分の作品を知ってもらうきっかけにもなりました。

−−公共スペースにてスケールが大きな作品を制作する際に気をつけていることはありますか?

ステファン:街中で大きなスケールで制作する場合、基本的に色はモノクロにします。最近ではカラーの作品も制作していますが、白黒の方がシンプルで周囲に溶け込むのではないかと考えています。白と黒という対照的なコントラストで表現を引き立たせるのが好きなんです。

パブリックアートの場合、大きなスケールの作品を多くの人が目にする空間に設置するため、その場所の成り立ちや歴史を調査しながら制作を進めます。

最初に実施した3つの都市はかつて鉱業が盛んな地域だったので、19世紀に労働者の間で親しまれていた歌の歌詞からインスピレーションを受けて言葉を選びました。

また、壁のサイズや形を考慮して、作品がどんな見え方になるか、建築的、空間的に何度も検証しながら作品を制作していきました。

日常世界を観察し多様な形態の作品を描き続けることで、あらゆる人に楽しんでもらいたい

−−今回TOKYO ART BOOK FAIRに初参加されました。新作の本についてご紹介ください。

ステファン:NY Art Book Fairは初期から毎年参加してますが、TOKYO ART BOOK FAIRは今回初めて参加しました。友人のHIMAAさんや、ユトレヒト、twelvebooks等、サポートしてくれる仲間から「いつ来るの?」と毎年言われてたので、実現できたのが嬉しいです。

今回の新作は4冊あります。まず蛇腹折りの本が2冊。公園のある一点に立ち、同じ位置で360°回転しながらパノラマの絵を描くシリーズを書籍化したものです。1冊は2023年の4月に東京を訪れた際、「スタイリスト私物」の山本康一郎さんが駒沢公園を案内してくれた時に作ったもの。もう1冊は代々木公園で描いたものです。2006年以来、来日するたびに毎回代々木公園で絵を描いていて、あるレコードのジャケットにもなっています。

それとNYの「Dashwood Books」と制作した本が1冊、ベルリンの伝統的な出版社「Hatje Cantz」から出版された塗り絵の本が1冊です。後者は、2019年8月にThe NY Timesに毎日連載していた31点の挿絵を塗り絵できるようにしたものです。子ども達が大胆に色を塗り込めるように大きいサイズにして、簡単にめくれるよう、ごく軽量の紙を採用しました。

この本は子ども向けではありますが、同時に大人がアーティストブックとしても楽しめるようにしています。

−−なぜ子ども向けの本を制作することにしたのでしょうか?子ども向けということで特別配慮したことはありますか?

ステファン:本を作る時はいつも、特定の誰かのためにとは考えてなくて、どんな人でも楽しめるものを作りたいと考えています。以前スイスの「Rollo Press」と子ども向けの本を作った時も、子どものプレゼントのために買ってくれる人も多かったのですが、同時に大人も楽しんでくれていました。

基本的に自分の表現をあまりカテゴライズしたくなくて、常にみんなが楽しめるものを目指しています。言語と違って、絵というものは世界中の人が一目見て瞬時に理解できるものです。そういう絵の作用をベースにしてシンプルに表現することが、多くの人々の共感を生むのではないかと思います。

僕のファインアートの作品は高価で誰もが買えるものではないですが、レコードやZineはいろんな人に手に取ってもらうことができます。多様なアウトプットを提供することで、すべての人がアクセスできる民主的な場を作りたい。ファインアートだけでなくコマーシャルの活動も続けています。Tシャツはその最たる存在だと思います。

この姿勢は、自分の日常や周りにあるものをよく観察して、感じたものを描き続けることにも通じていると思います。

創造スペースを分かち合うことでさらなる発展を生み出す、アーティストとのコラボレーション

−−これまでにさまざまなブランドとコラボレーションされていますが、「コム ギャルソン」とのコラボレーションでは、構築的なシェイプのドレスの全面にステファンさんの作品が大胆に施されていました。お互い非常に芸術的な指向が強いと思いますが、コラボレーションはどのように進めていったのでしょうか?

ステファン:始まりは唐突でした。ある日曜日の夜、NY Art Book Fairに行くためのパッキングをしていたら、川久保さんのアシスタントの方から突然メールが来たんです。「コム デ ギャルソン」のコレクションで僕の作品を使いたいという内容でした。彼等が使いたい作品は決まっていて、それがどのようにデザインされるかは「コム デ ギャルソン」に全て委ねるという条件。ショーで発表されるまでは、どんなものになるのか誰にもわからない状況でした。僕は条件を全て理解した上で、受けるか否かの返事をしなければならなかったんです。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションの方法は非常にストレートなものですが、自分もレコードジャケットのデザインの際に同じようなやり方をしているので、どこか共感できるものがありました。即座に「やりましょう」と返事をしました。

実際にコラボレーションの内容はショー当日まで全くわからない状況でした。PRのチームもショーで初めて見たそうです。前衛的なヘアスタイルのモデルが着たドレスはすごく良くて、結果には大変満足しています。

「コム デ ギャルソン」のコラボレーションはとても勉強になりました。お互いにリスペクトがあるからこそ創造的なスペースを分かち合い、自由に取り組むことによって、さらに創造性を発展させることができるんです。

−−これまで何度も来日されていますが、先述の『Listen to the Rain』のように日本でインスピレーションを受けたものや、おもしろいと感じたものはありますか?

ステファン:日本は友達がいるし好きな食べ物もあるので大好きな場所です。思い出深いプロジェクトを複数経験できたこともありがたく思っています。これまでに書店のユトレヒトやギャラリーの「SALT AND PEPPER」で展示をしたり「GASBOOK」とさまざまなプロジェクトを行ったり「ユニクロ」や「ビームス」と仕事もしました。

日本は街中にある何気ないものにまで細やかに配慮が行き届いているところにインスピレーションを受けます。また、都市や街・建築がさまざまなレイヤーでどのように構成されているか観察するのが好きなんですが、東京は他の都市とは全然違う感じがしています。地下鉄のしくみや社会、コミュニティーの様相は、一見複雑に見えますが不思議と機能している。その観点では他のアジアの都市とも東京は違うように感じますね。

−−今後創作を続けて実現したいこと、さらに挑戦したいことについて教えてください。

ステファン:2023年はアートショーや展示で世界中を飛び回っていたので、2024年はアトリエにこもって静かに創作に向き合いながら新しいことにチャレンジしたいと思っています。具体的にはイタリアで石やジュエリーを使って友達と作品制作をするプランがあります。彫像のような3Dのものではなく、プレートのように、フラットに石を用いるドローイングのようなアプローチを考えています。

Photography Masashi Ura
Edit Akio Kunisawa

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映画『すべての夜を思いだす』で清原惟監督が描く「不在の存在」——「失われてしまったと思うものも存在している」 https://tokion.jp/2024/02/28/interview-yui-kiyohara/ Wed, 28 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225438 映画『すべての夜を思いだす』の清原惟監督へのインタビュー。本作で描きたかったことについて話を聞いた。

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清原惟
1992年生まれ。映画監督、映像作家。武蔵野美術大学映像学科卒業、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域修了。修了制作『わたしたちの家』がベルリン国際映画祭に正式出品、上海国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞。『すべての夜を思いだす』もベルリン国際映画祭に正式出品され、ほか世界各国の国際映画祭に招待される。昨年秋には北米で劇場公開された。最新作として、愛知芸術文化センターオリジナル映像作品『A Window of Memories』がある。ほかにも土地や人々の記憶についてリサーチを元にした映像作品の制作をしている。
X:@kiyoshikoyui
Instagram:@kiyoharayui

父親を失った少女と記憶を失った女性、2人の物語が一軒の家の中で交錯するデビュー長編作品『わたしたちの家』でPFFアワード2017グランプリ、第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたことで話題の映画監督、清原惟。5年ぶりの最新長編作品『すべての夜を思いだす』は、東京の郊外・多摩ニュータウンを舞台に、世代の異なる3人の女性の記憶や変化が小さく呼応する、ある一日の物語。本作も第73回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、世界各国の映画祭に出品された。

彼女の作品は、構造が美しい。独立しつつもお互いが影響し合うような関係で人々が存在し、映像、音など映画を構成するものが優しく、時に不穏に響き合う。また、舞台となる場所も、現存するのにそうは見えない摩訶不思議さがあり、想像を掻き立ててくれる。前作とはまた異なる世界観をつくりあげた清原監督に、幼少期の記憶をたどりながら多摩ニュータウンや本作で描きたかったことについて話を聞いた。

幼少期に過ごした「多摩ニュータウン」の記憶

——前作『わたしたちの家』は家が舞台だったこともあり、内向きな印象がありましたが、本作『すべての夜を思いだす』は他者や社会など外の存在と私が交錯し、前作とはまた違う温かさや余白を感じました。それは、撮影監督・飯岡幸子さんのカメラワークによるところもあると思うのですが、例えば冒頭、カメラが人を追いかけるのではなく左右に振れて、人々の表情を映すようにやり取りをとらえる。そこで画面の外で思わぬことが起きていると気がつき、ハッとさせられました。左端にいらした変なおじさんの映り込み、大好きでした。

清原惟(以下、清原):あのおじさん、よかったですよね。

——撮影を気にせず、ラジオ体操のような、不思議なポーズを取られていましたよね。

清原:あの方はキャストではなく、たまたまそこに居た人で、最初は普通に座っていただけだったんですけど、何度か撮影を重ねていたら、いつの間にかあのポーズになっていました(笑)。

——映画だとスクリーンに映ったことがすべてだと思いがちですが、私達の世界にもスクリーンの外にもいくつもの世界が広がっていて、人間が生きていて、そういう広い視点になれる素晴らしい冒頭でした。

清原:ありがとうございます、嬉しいです。

——「多摩ニュータウン」を舞台に選ばれた理由は?

清原:私が幼稚園くらいのころまで住んでいた街で、いつか映画に撮りたいと思っていました。コロナ禍で、私自身も家の周りをよく散歩していたのですが、そこで外に出たい気持ちが大きくなったのかもしれません。ある時、ふと思い出したように多摩ニュータウンを久しぶりに訪れてみたら、当時の記憶がぶわっと蘇ってきて。長い距離を歩きながら、この街全体を1つの空間のように撮りたいと思ったんです。

——どんな思い出がある街ですか?

清原:公園がたくさんある場所なんですね。団地と団地の間に必ず公園があって、名前の付いていない小さな公園も無数にありました。小さな頃は、いろんな公園を巡って遊んでいたことを懐かしく思い出しました。毎日冒険みたいで楽しかったけれど、一方でなんとなく“寂しかったこと”も覚えていて。ネガティブだけではない感情なのですが、公園の風景と寂しかった記憶は多摩ニュータウンの原風景としてあります。

——寂しさを感じたのは、どうしてでしょうか。

清原:はっきり覚えていないのですが、とてつもなく広い面積に対して人が少ない印象がありました。友達もいたけれど家族以外と頻繁な交流があったわけではなく、その日公園で会った友人と遊ぶ。年代によってはコミュニティが強固だったようですが、次第に解けていって、私自身は決まったところに属せていない感覚がありました。それが、寂しさに結びついたのかもしれません。

「死」が意図的に排除されたような街であえてそれを撮ろうと思った

——公式インタビューにある「多摩ニュータウンは基本的に生活に必要な機能がほぼすべて揃った形で開発されているのですが、実は火葬場やセレモニーホールのような『死』をあつかう場所は都市計画に含まれていない」というコメントが非常に印象的でした。それは、歩きながら気づかれたのですか。

清原:知らないところはないくらい多摩ニュータウンをたくさん歩いたのですが、その時に計画的に開発された区画とそうではない区画にはっきり違いがあることを知りました。本来なら、街と街は地続きに溶け合っているのに、ニュータウンは他と景色が全く違う。明確に境界線が引かれているんです。区画外に出ると急に神社が現れて、その階段をくだるとセレモニーホールが見えたりして「死」が都市計画から排除されていると感じました。そうした場所で、あえて死にまつわることを撮ろうと思ったんです。

——映画の中にも区画外の場所は登場しますか?

清原:多摩ニュータウンは多摩ニュータウン通りと南多摩尾根幹線道路という2つの大きな道に囲われるように建設されています。なので、街を出る時は必ず大きな道路を通らなきゃいけない。夏(見上愛)は隣町の写真屋を訪れるために、南多摩尾根幹線道路を走っていきます。

——登場する女性3人は、それぞれに「死」や「喪失」といった影を落としていますが、対称的なシーンとして「踊る」シーンが素晴らしかったのですが、なぜ入れたのでしょうか。

清原:まさに、踊りは生きていることを実感できる行為の1つだと思っています。「死」に対抗する手段としての踊りというものを、考えたりすることがあります。人工的なあの街で、人間が生きることの生々しさみたいなものを映したいと思った時に、「踊る」行為そのものを映したいと思いました。

——踊りのジャンルもユニークでしたよね。コンテンポラリーダンスのような。

清原:夏が踊っていたのは、ヒップホップをベースにした踊りです。ヒップホップを取り入れたのは、ストリートで始まり人々を魅了してきた踊りだからです。たった1人でも、道で踊ることで誰かの心を動かすことがあるかもしれないし、踊っている人がこの街にいることで風景が明らかに変わって見えるということもあるのではないかと思いました。

音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないように

——早苗(大場みなみ)が遭遇する記憶がおぼつかないおじいさんの足取りが、なんとなく死に向かって歩いていくような寂しさを漂わせていたのですが、そうした時に差し込まれる踊りのエネルギー、同時に音楽にも気持ちが高ぶりました。全編を通して音楽も素晴らしかったです。

清原:ありがとうございます。音楽はジョンのサンとASUNAさんにお願いしていて、私も好きなダンスシーンの音楽はESVさんが作ってくださった曲なんです。

——音楽に関してはどのようなやり取りがあったのでしょうか?

清原:基本的には音楽家の方々に脚本を読んだ上で任せるかたちでつくっていただきました。私が伝えていたのは、音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないでほしい、ということ。

冒頭で登場するジョンのサンが劇伴をつくってくれたのですが、彼等がつくる音楽も1つの登場人物として映したかったので、映画に登場してもらいました。彼等の音楽が、今も街の何処かで鳴り響いているようなイメージで映画が進むといいなと思い、そうしたイメージも伝えました。

——街自体も人が住んでいるとは思えないような静けさがありましたよね。

清原:車が走る道と人が歩く道が分離されているエリアなので、都会ほど人間の生活音が聞こえてこない場所かもしれません。車の音が聞こえない代わりに、虫や風といった自然の音がよく聞こえる場所です。

——そういった静かな音にも集中できるくらい、あまり台詞の多い映画ではなかったと思うのですが「わかりやすさ」みたいなことは、どのくらい意識されて撮っていましたか?

清原:基本的には、一生懸命伝えようとしています。自分の中ではこれくらいなら伝わる、と思って作っているのですが、どうでしょう(笑)。その塩梅は難しいですよね。ただ、伝わらなくてもいいや、とは一切思っていないです。

前作『わたしたちの家』が、意図的だったわけではないのですが結果的にたくさんの謎を生み出してしまいました。それは「わかりやすさ」とは違うベクトルかもしれないのですが……謎があると人は答えを欲するんだと気がついて、その答え合わせのようなことは私自身興味を持てないんです。なので、今作は答えを求められるような謎みたいなものはつくらないように、とは心がけていました。

——伏線回収という言葉があるように、謎を見つけて意味を見出すことを求める流れがありますよね。もちろん、そうした物語のおもしろさもわかりますが、想像する楽しさや豊かさを映画に求めたいという思いもあります。

清原:説明台詞によって額面通りに受け取られてしまうと、それ以外の可能性がすべて消えてしまうような気がしていて、これくらいの台詞になっているのかもしれません。いろんな可能性を秘めながら映画を観たい、という個人的な考えもあると思います。

不在の存在を確かめるように描く

——映画を拝見して、物語において「不在」を意識的に撮られたのではないかと想像しました。ハローワークでぶち当たるアイデンティティの不在、親しい人の不在、ままならない態度の彼を横に見る幼少期のビデオから誰かに愛されていた事実の不在、のようなことを想像したのですがいかが思われますか。

清原:なるほど、そういう視点は新鮮です。私は、どちらかといえば「既に失われてしまったと思うものも存在している」という感覚でこの作品をつくったと思います。不在とも捉えられるのだけれど、見方によっては失われていない。例えばおじいさんがかつて住んでいた家は空き家で、そこにあった思い出も何もかも消えてしまったかのように感じるけれど「記憶」として残り続けていると思うんです。つまり、「不在の存在」のようなことを意識して撮っていました。ビデオテープも、忘れていた過去の記憶が存在しているというイメージでしたが、おっしゃっていただいたような捉え方もあるなと思いました。

——見方によって、全然違うものですね。

清原:私も普段は失ってしまったことに気がついて、落ち込んでしまうことはよくあります。そういう感覚は当然持っているけれど、この映画をつくる時は「失っていないと思いたい」という感覚でした。

——「失っていないと思いたい」と思うようなできごとがあったのでしょうか?

清原:たびたびそう思うのですが、今思い出したのは、私の家の近くに友達が住んでいたことがあって、すごく近かったのでしょっちゅう会っていたんですね。帰り際にちょっとだけ話したり、物を受け渡したり、まるで自分の家の離れのようなふしぎな距離感だったのですが、友達が引っ越してしまって。駅までの道に友達の家があり、がらんどうになった家の前を通るたびに「友達はもういない」と不在を確認していました。それが、最初は寂して、楽しかった思い出がすべてなくなってしまったような感じがしました。

でもあるとき、ふと、友達の家で遊んだ日のことや会話が蘇ってきて「あの時間はなくなったわけじゃなくて、今もここにある」と思えたんですね。家の中に時間が残っているような感覚を覚えて。

——時間が経つと、物事が多面的に見える瞬間がおとずれますよね。

清原:私は時間が決して直線ではないと思っていて、直線だと失うという感覚を持つけれど、時間は複数に点在しているかもしれない。年齢や時計に合わせて、ふだんは自分自身も一直線に進んでいるけれど、ときどき時間の複数性を感じて、見え方がガラリと変わります。

——その感覚はこの映画とつながりますね。3人それぞれの時間が過去・現在・未来と一直線ではなくて複数に点在していて、それぞれの時間や記憶を行ったり来たりしていたのかもしれないと思いました。撮影をしながら、幼い頃に抱いていた街に対する印象は変わっていきましたか?

清原:だいぶ変わったと思います。幼い頃の記憶なので、多摩ニュータウンは思い出の中の一部であり、外部の人間の視点しか持っていませんでした。映画を撮るにあたって、昔から住んでいる方々にインタビューをして、私が知らなかったかつての街の景色を教えていただいたんですね。そうした目線で街を歩き直すと、見え方や印象はずいぶんと変わりました。

——印象的なエピソードはありましたか?

清原:コミュニティが非常に強固だった、というお話ですね。特に1970、80年代は似たような家庭環境の方々が住んでいて、お母さん達は都心に通勤する旦那さんを見送ったあと、近所の子ども達と公園で遊ばせながら母同士でおしゃべりをして、何かあった時に助け合っていたそうです。共同保育のような、みんなで子どもを育てる意識があったと聞きました。

あとは、地域の課題を解決するために女性達で集まって話し合っていたと聞きました。例えば、当時はごみの分別ルールがなく、社会全体でリサイクルが課題になっていたそうです。そうした社会の動きを自分ごとにとらえて、リサイクルのルールを女性達で定めて街に働きかけたそう。街に対して具体的にコミットして、地域を変えていった歴史にはおどろきました。

——登場する3人が決して絶望的ではなく迷いながらも生きていく光のようなものを纏っていて、それは女性達が強く生きた土壌のある“ここ”だから交錯するのだと、今の話を聞いて思いました。

清原:かつての女性達のように、声を上げて具体的なアクションを起こすことも大事ですが、今の時代はそこまでできないこともあるかもしれない。それでも、踊ったり、自分なりにできることが誰かを動かしている可能性もあるのかなと思います。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

■『すべての夜を思いだす』

■『すべての夜を思いだす』
第26回PFFスカラシップ作品
3月2日からユーロスペースほか全国順次公開 
出演:兵藤公美、大場みなみ、見上愛、内田紅甘、遊屋慎太郎、 奥野匡、能島瑞穂、川隅奈保子、中澤敦子、佐藤駿、滝口悠生、高山玲子、橋本和加子、山田海人、小池波
脚本・監督:清原惟
製作:矢内 廣、堀 義貴、佐藤直樹 
プロデューサー:天野真弓 
ラインプロデューサー:仙田麻子 
撮影:飯岡幸子
照明:秋山恵二郎
音響:黄 永昌
美術:井上心平
編集:山崎梓 
音楽:ジョンのサン&ASUNA 
ダンス音楽:mado&supertotes, ESV 
振付:坂藤加菜
写真:黑田菜月 
メインタイトルロゴデザイン:石塚俊
制作担当:田中佐知彦 半田雅也 
衣裳:田口慧
ヘアメイク:大宅理絵 
助監督:登り山智志
製作:PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF 
制作プロダクション:エリセカンパニー
配給:一般社団法人 PFF 
©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』
アーティスト:ジョンのサン、ASUNA、mado & supertotoes、ESV 
企画番号:WEATHER 85 / HEADZ 262
価格(CD):¥2,530
発売日:2024年3月8日 ※3月2日からユーロスペースにて先行発売予定
フォーマット:CD / Digital
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html

■映画『すべての夜を思いだす』公開記念コンサート
日程:2024年3月17日
出演:ジョンのサン & ASUNA、ESV
会場:パルテノン多摩オープンスタジオ
https://www.parthenon.or.jp/access/
時間:開場 13:00 / 開演 13:30
料金:予約 ¥2,500 / 当日 ¥2,800
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html
https://twitter.com/HEADZ_INFO/status/1760575623926607965

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誰もが楽しめるオープンスペースとしてのアート ステファン・マルクスインタヴュー -前編- https://tokion.jp/2024/02/27/interview-stefan-marx-part1/ Tue, 27 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224773 ファインアートからコマーシャルの分野まで多面的に活躍してきたステファン・マルクスに、創造の原点について話を聞いた。

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ステファン・マルクス

ステファン・マルクス
1979年ドイツ生まれ。ハンブルクからベルリンを拠点に移し、活動するアーティスト・イラストレーター。ドローイング、スケートボード、本、スケッチブックなど、彼が「愛するもの」を活動源とし、作品集の出版、アートエキシビション、パブリックアート、レコードジャケットのデザインなど幅広い分野で才能を発揮している。ドローイングや絵を通して彼の世界観、思想、スケートボーダーとしてのインディー精神を表現し、独自の目線で世界を描く。弱冠15歳でインディペンデントT シャツレーベル「Lousy Livin’Company」を立ち上げ、少数生産ながらクオリティー・クリエイティビティの高いT シャツをデザインしている。また、ブランドや企業とのコラボレーションも多数手掛けており、「マゼンタ・スケートボード」や「ファイブ ボロ」等のスケートボードブランドから「イケア」までプロジェクトは多岐にわたる。これまでに「Nieves」や「Dashwood Books」等の出版社から数々の作品集が出版されている。
@stefanmarx

ドイツ・ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ステファン・マルクス。彼は少年時代から愛好しているスケートボードや音楽などのカルチャーの影響から、Tシャツやレコードジャケットのデザインといった創作活動を始め、その後ファインアートの分野に進出。インスピレーションが凝縮された浮遊感のあるタイポグラフィは、読み取る各人の想像力を利用し、非限定的なイメージの拡張をもたらすデバイスのような効果を持つ。

また、日常の観察と絶え間ないプラクティスによって生み出されるドローイングは、ストリートグラフィティよりも柔和で愛らしくコミカルな印象で、素直な感性が幅広い層に共感を呼び起こしている。

さらに彼の作品が構築的な空間やアーキテクチャ・プロダクト上に施されることにより、形而下の意味を超えた暗示のようなインパクトが生じ、場所や存在に新たな意味をもたらす。

自身の創造性を発展させつつも、彼のインディペンデントな姿勢は不変で一貫しており、近年では「シュプリーム」や「コム デ ギャルソン」等のファッションブランドとのコラボレーションをする等、アートとコマーシャルの融合についても可能性を広げてきた。

今回来日したステファンにインタビューを実施。前編では彼が創作活動をスタートした背景、ストリートカルチャーへの熱中と溢れ出るアイデアをレーベル活動へと昇華させていった少年時代、グラフィックと音楽のクロスオーバー等、キャリア初期からのアティテュードについて話を聞いた。

多様なカルチャーの人々が交差する地点を目指して

−−アートを志すようになった経緯、バックグラウンドについて教えてください。

ステファン・マルクス(以下、ステファン):ドイツのシュヴァルムシュタットで生まれ、トーゼンハウゼンで育ちました。とても小さな街です。小さい頃からアートやタイポグラフィ、グラフィックアートが好きで、その後スケートボードのカルチャーに興味を持つようになりました。当時はまだインターネットが普及していなかったので、雑誌などが主な情報源でしたが、田舎では洗練された雑誌を見つけることはすごく難しかったですね。

そんな環境下だった15歳の時、スケートボードをする友達のために服を作りたいと思い、「Lousy Livin’ Company」というTシャツのレーベルを始めました。

その後ハンブルクの大学に進学しましたが、学業だけでなく、自分のレーベルのTシャツデザインを継続し「CLEPTOMANICX」というスケートボードの会社にグラフィックを提供する仕事もしていました。

大学卒業後、ハンブルグを拠点に活動するKarin Guentherというキュレーターとの出会いが転機となり、ギャラリーで作品を発表できることになりました。ファインアートの創作活動と並行してコマーシャルワークは続けていて、自分のレーベルのカタログを作ったことをきっかけに、自分自身のドローイング作品をまとめたZineを作るようになりました。スイスの出版社「Nieves」のベンジャミンがそのZineを気に入ってくれて、翌年ベンジャミンと一緒に本を制作しました。そこから毎年、「Nieves」から本を出版し続けています。

−−少年時代の情報が限られていた環境下で、アートやタイポグラフィ等への興味や関心をどのように発展させていったのでしょうか。

ステファン:何か特別なきっかけがあったわけではないですが、幼少期から視覚的な表現に興味があり、「絵を描く」という行為に楽しみを見出して没頭していました。常に何かを描いてましたね。誰しも子どもの頃は絵を描くのが好きだったと思いますが、僕は大人になっても描くのをやめずにずっと続けている感じです。絵を描くことが純粋に好きなんです。

また絵を描くことによって、自分の身の回りにあるものを観察してヴィジュアル的にエッセンスを吸収し、イメージを人と共有することができる。それが大きなモチベーションとなっていて、今でも絵を描き続けているのではないかと思います。

−−15歳という若さで自身のレーベル「Lousy Livin’ Company」を設立されたことについて、当時の具体的な活動内容や目標を教えてください。

ステファン:当時スケーターの友人の間でアメリカのスケートブランドの人気が高かったんですが、ドイツではとても高額で買えなかったので、代わりのものを自分で作ろうと思い、レーベルを始めました。

スケートボードに関心を持った時、それを取り巻くカルチャー全般、ファッションやグラフィック、音楽等にも興味を持ち、それが服作りにも繋がっていきました。既存のデッキやTシャツのデザインについて、「もっとこうしたらおもしろくなる」というアイデアがいっぱいあったんです。

レーベルを始めたばかりの頃は、アイテムの作り方や運営方法など全く知識がなかったので、周りの大人達に聞いて情報を集めました。そしてシルクスクリーンでTシャツにプリントしてくれる会社を見つけたんです。姉に制作費用を借りて一番最初のTシャツを作りました。

レーベルは1人で運営していたので、デザインだけでなく自分でできることは何でもやりました。スケートショップの卸の会社に行って自作のTシャツの営業をしたり、学校の校庭で友達に売ったり(笑)。自分が作ったものを見てもらいたくて、楽しみながらやっていました。すべては友達が喜ぶのを見たい一心でしたね。周りの友人は僕が頑張って服作りしていたことを知っていたので、みんなで僕の服を着て、活動をサポートしてくれました。

レーベルの活動を続けていくうちに、スケーターの友達に着てもらうアイテムを作るだけでなく、スケートボードをしない友達にも理解されたい、もっと広範囲の人々に関心を持ってほしい、という思いが強くなりました。当初はスケートボードのブランドとしてスタートしましたが、結果的に多くの人々が身に着けてくれるブランドに成長しました。さまざまな人々がブランドを通して交差する、そういう場を作りたかったんです。

音楽にグラフィックが視覚的要素を与え、リスナーのイメージを拡張する

−−幼少期から音楽に親しまれ、レコードのジャケットのデザインも数多く手掛けていらっしゃいます。どのようなきっかけで音楽に関わる仕事を始めたのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインは小さい頃からの夢でした。でも僕がデザインのキャリアをスタートした時期は、ちょうどレコードがCDに移行して、CDもMP3に移行するというタイミングだったので、レコードジャケットの仕事はもうできないだろうと思っていました。

それでもインディペンデントの分野ではアナログで作品を発表するアーティストが残っていて、偶然にもIsoléeというミュージシャンの「We Are Monster」のレコードジャケットをデザインする機会を得ました。それが大ヒットになったのがきっかけで、ハンブルクのアンダーグラウンド・テクノ/ハウスのレーベル「Smallville Records」からリリースされるレコードジャケットのデザインをすべて僕が担当することになったんです。

「Smallville Records」のデザインを始めた当初は、レーベルが長続きするとは思っていなかったので、5枚くらいデザインができれば十分という気持ちでやってました。でも予想に反してレコードは結構売れて、レーベルは20年近く継続しています。コロナの期間は業績が良くなかったので、自分とパートナーで会社を作り、「Smallville Records」の権利を全て引き受けました。現在はレーベルの株式の50%を保有して、運営にも携わってます。

「Smallville Records」でのデザイン手法はシンプルで、すべてのレコードジャケットの構成が、表面は僕の絵のみ、裏にミュージシャンの名前やクレジットが表記されるというスタイルです。この方式がジャケットデザインとして斬新だったので功を奏したのだと思っています。

−−レコードジャケットのデザインにおいて大事にしていることをお聞かせください。音楽作品の内容からイメージを広げていくのでしょうか。

ステファン:レコードジャケットのデザインはソニック・ユースの感覚が好きで、同じような効果を出したいと考えています。ソニック・ユースはレイモンド・ペティボンやマイク・ケリー、ゲルハルト・リヒター等、さまざまなアーティストにレコードのジャケットのデザインを依頼していましたが、新規にデザインされたものではなく、既存の作品をソニック・ユースがセレクトして使っていました。おそらく自分達の音楽作品にどこかリンクするイメージを選んでいたのでしょう。

レコードジャケットの存在を通して、リスナーは頭の中で視覚的な要素と接点を持ち、さまざまな解釈をしながら音楽作品を聴くことになる。時には違和感もあると思いますが、リスナーのイメージを拡張するようなデザインが重要だと考えています。ジャケットをデザインするにあたっては、事前に対象の音楽作品を聴くことはせずに、タイトルやトラック名を見てイメージを膨らませます。テキストから想像してタイポグラフィやデザインに落とし込むんです。

僕はデザインに関しては、アーティスト側の要望は一切受けません。いつも2、3のアイデアを出して、その中からアーティストに選んでもらうというやり方です。アーティストがデザインについて要望を出すケースもあるでしょうけど、僕の場合はそれをしていないんです。

レコードとは別に制作していた作品がレコードジャケットになったこともあります。そもそもレコードジャケットのデザインはレコードのためにデザインしているのではなく、自分の他の作品、エディションが付いたアート作品と同じように捉えて制作に取り組んでいます。

Photography Masashi Ura
Interview Akio Kunisawa

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マヒトゥ・ザ・ピーポー × 富田健太郎 映画『i ai』が記録する「生きた時間の痕跡」 「自分が死んだらお墓ではなく、作ってきたものに祈ってほしい」 https://tokion.jp/2024/02/27/mahito-the-people-x-kentaro-tomita/ Tue, 27 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225316 マヒトゥ・ザ・ピーポーの初監督作『i ai』を通してマヒトと主演の富田健太郎が何を感じたのか。

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『i ai』の主演の富田健太郎(左)と監督のマヒトゥ・ザ・ピーポー(右)

マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲を行いボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである全感覚祭を主催。2019年には初小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画『Tribe Called Discord』が全国上映開始。2020年1月5th アルバム『 狂KLUE』をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ『ひかりぼっち』(イーストプレス)が発売。2023年2月にはGEZAN With Million WishCollective名義でアルバム『あのち」』をリリース。今作では初監督、脚本、音楽を担当。
X:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople_gezan

富田健太郎
1995年8月2日生まれ。東京都出身。主な出演作に、『サバイバルファミリー』(2017年/矢口史靖監督)、『モダンかアナーキー』(2023年/杉本大地監督)、ドラマ『来世ではちゃんとします』(2020年/テレビ東京)、ドラマ『前科者 -新米保護司・阿川佳代-』(2021年/WOWOW)、ドラマ『初恋、ざらり』(2023年/テレビ東京)、舞台『ボーイズ・イン・ザ・バンド ~真夜中のパー ティー~』(2020年)、舞台『雷に7回撃たれても』(2023年) などがある。本作オーディションで応募総数3,500人の中から主演に抜擢され、話題を集める。
X:@tomitatomita82
Instagram:@kentaro_tomita_

バンドGEZAN のフロントマンで、執筆や全感覚祭の主催など、独自の活動を続けるマヒトゥ・ザ・ピーポーが初監督を務めた映画『i ai(アイアイ)』が3月8日から公開される。

本作はマヒト監督の実体験をもとに、主人公のバンドマン・コウと、コウが憧れるヒー兄、そして仲間達が音楽と共に過ごした日々、出会いと別れなど、彼らの切実な時間が綴られていく。主人公コウ役には、“全感覚オーディション”と 銘打たれたオーディションで約 3,500 人の中から選ばれた富田健太郎を抜擢した。そして主人公の人生に影響を与え、カリスマ的な存在感を放つヒー兄役には森山未來を起用。そのほか、さとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子、吹越満らが出演する。

マヒトと富田、2人は『i ai』を通して、何を感じ、何を伝えようとしているのか。公開を前に今の想いを語ってもらった。

※本作にはストーリーに関する記述が含まれます。

初の映画監督について

——『i ai』はファンタジー要素も交えた独創的な青春映画でとても初監督作品と思えない作品でしたが、どのような経緯でプロデューサーの平体さんと出会い、本作を制作するに至ったんでしょうか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):パンデミックで、いろんなやりとりがリモートでしかできない期間が結構あったじゃないですか。もちろん情報交換はできるんだけど、自分が音楽やライブで大事にしていた「体温のやりとり」の感覚がどんどんわからなくなっていて。かつその頃ってライブハウスやクラブが槍玉に挙げられたりして、自分が大切にしていた景色が歴史になっていく瞬間をリアルタイムで眺めているような気持ちがあったんですよね。

そんなことが重なって「記録すること」について自覚的になっていって脚本を書いたんです。この本が映画になる価値があるのかどうかを公平に試したかったので、知人のプロデューサーとかではなく偶然行きつけのカレー屋の常連だった面識のない平体さんに渡してみたってのが監督をするに至った流れですね。映画にする価値がないのに参加してもらっても意味がないので、瑛太君も未來さんも面識のない状態で純粋に脚本を読んでもらった上で出演の判断をしてもらいました。

 ——映画を撮ることと音楽を作ることは同じ創造といえど、使う筋肉が大きく違ったかと思いますが、初の映画監督の仕事はいかがでしたか?

マヒト:感覚としては自分が主催している「全感覚祭」っていう祭りと似ていましたね。いろんな関係性や委ねたものが立体的になっていく構造といいますか。監督は関わってくれる大勢の才能や輝く瞬間を引き出して、それを記録していくわけじゃないですか。自分の作品ではあるんだけど、自分だけの作品ではない立体感を待つ表現媒体で。

最近ラッパーのCampanellaと喋ってて、映画のことを訊かれた時に「良い映画だよ」って答えたら「自分の作品を褒めるの珍しいね」って言われたんです。確かにこれまでアルバムだったら「頑張って作ったよ」って答えてたんですけど、今回は素直に褒めることができたんですよね。それは内容の良し悪しの問題ではなく、半分は自分だけのものじゃない現象の記録だからだと思っています。それって「全感覚祭」もそうなんですけど、だって自分のパフォーマンスはどうあれ「全感覚祭」は素直に褒められるので。そこは性質が似てるんだろうなって、Campanellaに気付かされました。

——今回は森山さんや瑛太さんをはじめとする素晴らしいキャストを揃えつつ、主演の富田さんはオーディションで抜擢されましたよね。

マヒト:俺は勝負所の一番大事なものは結構外に委ねるようにしています。だからGEZANのメンバーが抜けた時とかも全部オーディションでやっているのもあって、この映画の主演もオーディションで決めようと。オーディションでは映画の最後の台詞を読んでもらったんです。この映画は詩を獲得していくグラデーションの話だと思っていたから、主演もまだ羽の生えてない役者が羽を手にしていくって過程を大事にしたくて。得た知識とか経験はもう消せないし、未來さんも瑛太君も、俺だって余白しかなかった最初の頃には戻れない。そんな中オーディションで富田を見た時に、上手い下手を超えて、羽を手にして外に飛び出していくヤツだと直感したのでコウを託すことにしたんです。

 ——富田さんは何がきっかけでオーディションに応募したんですか?

 富田健太郎(以下、富田):マヒトさんのインスタをフォローしていて、オーディション情報を知ったんです。その時の俺は金もないし、未来も見えないし、俳優としてすごく迷ってたんですよね。そんな時にマヒトさんが書いた映画のステートメントを読んで、その優しさとか切実さにすごく胸を打たれて「俺この人と出会いたい」って思ったのがきっかけですね。

——主演以外はどのように選んだんでしょうか?

マヒト:他のキャスティングは自分が求めてオファーしたんです。ヒー兄に関しては未來さんしか想像できなかったんですよね。未來さんと瑛太君が共演するのはドラマの『WATER BOYS』(2003)以来なんですけど「俺はもっと映画の中で未來と殴り合いたいんだ」って脚本を読んだ瑛太君に言われて。この映画は現実とファンタジーの境界が曖昧な作りになっているから、できるだけ制作の上でもそれが溶け出すような環境を作りたいと思っていたんですよね。だから瑛太君のその提案はすごく面白くて、久我って役がさらに膨らんでいきました。

ただ自分のイメージしてることを再現してもらうより、その人自身が自発的に選んだ行動や言葉の方が絶対に強いので。すべて自分のイメージ通りに撮る監督もいると思うんだけど、俺は自分の投げた詩がどういう風にその人の体を通って発せられるかを撮りたかったんです。意識したわけではないけど、後々考えるとそれがテーマだったんだなと思いますね。

主人公・コウを演じて

——久我のキャラクターはユニークですよね。マヒトさんと富田さんは演技の面でどのような話をされたんでしょうか?

マヒト:そもそも映画経験のない俺が演技のメソッドに基づいた指導ができるはずもないことは撮る前から意識してました。ただどう読めば上手く見えるかは捨て、 どうすれば台詞ではない真の言葉として向き合えるのか、富田自身の生き様とリンクしていく話だと思うから、その辺りの精神面の話は結構したよね。

富田:シーンごとにマヒトさんはその時々の心情や精神について教えてくれて、感覚的には理解できるんだけど、その場ですぐ咀嚼できない自分にいつも悔しさを覚えていました。ホテルに戻っても頭の中でずっとそのことについて考える日々で。それでもなかなかわからないけど、マヒトさんの言葉は1つ1つ魂に訴えかけてきましたね。楽しいシーンで僕自身も楽しんじゃってたんですけど、その夜マヒトさんは「心で泣いてくれ」って言葉を掛けてくれたりとか。

マヒト:そんなことを言った記憶はないから、多分酔っ払ってたよね(笑)。

富田:カメラマンの佐内(正史)さんにもいろいろと言われて、どうしたらいいんだろうって。きっと台詞を覚えて演じるってことだけではなく、生き様を映してもらうという自分の意識が浅かったんでしょうね。それでも周りが助けてくれるって甘い考えが佐内さんに見破られたんじゃないかな……。

マヒト:「一番具体性のある言葉が詩なんだ」って最近知った言語学者の言葉があるんですよ。詩って抽象的なものとして皆認識してるじゃないですか。でも例えば「これとあれは赤色です」って限定的に断定することは、異なるものをひとまとめにする暴力性を持つわけですよね。本当は微妙に違っていても、断定して呼ぶとそれでしかなくなっちゃって、それ以外の余白がなくなる。詩はそんな余白も含むから、俺も何かを伝えたい時は一番詩が具体性を帯びると思ってて。だから俺や佐内さんは、伝える時は細かくどうこうじゃなく、詩としか言いようのない言い方を選ぶんです。その余白部分は、その人自身が解釈するしかない。だから詩が読めない人は大変だったと思います。

富田:人生で一番自分と対話した期間でしたね。撮影が終わったら区切りがついて自分の生活に戻ると思ってたんですけど、あまりにもらったものが大きすぎて終わってからのほうがいろんな気持ちが膨らんでいきましたね。

マヒト:クランクアップした時の佐内さんはすごかったね。 全部撮影が終了して「お疲れ!」って喜んでたら、「どうせお前らはこれで忘れるだろうけど、ここで忘れるやつはダメだ !」って皆を刺して(笑)。1つの愛の手渡し方でその通りなんだけど。

富田:撮影の日々にはすごく感謝してるし、今でも宝物だし、 青春だなって本当に思えるような時間でしたけど、終わっても迂闊に喜べなかったです。

マヒト:喜んでいいんだけどね。俺は喜んでたし。この映画は最終的に現実に溶け出してきますけど、今生きてるのだってほとんどファンタジーみたいな変な世界じゃないですか。各地で戦争や災害が起きて、政治も滅茶苦茶で。もしかしたら映画の中で生きてた時間のほうが健全な時間かもしれない。 映画って2時間の逃避とも言える場所なんだけど、それが終わったらまた現実の中で暮らしが始まる。そんな映画と現実の曖昧なグラデーションを俺も感じてたので、佐内さんが撮影終了して終わりじゃないって皆を刺してたのは流石だなって思いましたね。佐内さんは脚本を読んでこないと撮影前は言ってて、プロデューサーを凍りつかせてたけど、それでいて本質を誰より掴んでるから当て勘がすごくて。面白い人です。

ヒイ兄のキャラクターは生産性へのカウンター

——映画と現実が溶け出す最後の独白部分は印象的でしたね。

マヒト:あの独白の中で「言葉になんかできないけど、言葉にしなくちゃ」って言ってますけど、 大体難しい議題にぶつかった時って、「わからない」ってことを答えにするじゃないですか。それってすごく楽で安全な方法で。結論を出す時に「わからない」や「迷い続ける」ことで批評されることを避けて曖昧にすることもできるんですけど、俺はその答えにもう飽きたんですよね。何かを言い切ることは、時に誰かを傷つける可能性も孕んでるけど、その覚悟は発する側として持たないといけない。未だに自分にとっても死やお別れって何なのかって簡単には言い切れないんですけど、言い切ることと大切にすることは同時にできると思っているので、必ず向き合って言葉にしないとって思ったんです。あの独白にはそういった意思表示も含まれているのかもしれないな。

——この映画は順撮りですか?

マヒト:順撮りです。

——では独白は最後に撮ったんですね。他の部分と表現の異なる、すごみのある演技で驚きました。

富田:オーディションでその部分を読んだことがスタートっていうのもあって、独白は最初から頭にありましたね。映画が始まってからその独白に辿り着くまでの、コウのストーリーが何なのかを撮影中ずっと考えてて。それが成り立たないと、独白もただの意味のない言葉になるじゃないですか。あの言葉を言っていたのがもう富田健太郎なのかコウなのかわからないんですけど、濃厚な日々の集大成としての台詞だったから、それまで皆で過ごした時間とか明石の匂いとかすごくいろんなものを込めて言い切りたくて。合ってるかはわからないけれど、今の俺が自分を生かすためにもこの言葉を言いたいって思いで演じましたね。

——本作はマヒトさんの実体験をベースに脚本を書かれたと伺いましたが、物語のキーになるヒー兄のキャラクターはどのように固めていったんでしょうか?

マヒト:ヒー兄のモデルとなったやっちゃん兄ちゃんは劇中と同じように亡くなってしまったんですが、そばにいないはずのやっちゃん兄ちゃんが結果的に自分達に映画を撮らせて、こんなにたくさんの人を巻き込んでいったわけですよね。最初に動かしたのは俺だけだったかもしれないけど、それって何万枚セールスとか何万人動員って数字にも負けてないと思うんです。数字は横の広がりばかりが評価されるけど、本当は縦の深度もありますよね。たった1人でも深みがえぐかったら、 薄く伸ばされた1万より価値があるかもしれないし。

そんな生産性へのカウンターみたいな気持ちもヒー兄のキャラクターのベースにはあって。音楽でも映画でも、表現をやってる人なら、そういう人ってきっといると思うんです。未來さんの中にもヒー兄に当たるような人物がいたって話も聞いてましたし。未來さんのその人物像と、俺のイメージが掛け合わされたものが映画の中のヒー兄になってるんだと思いますね。

——富田さんはそんな森山さんとご一緒していかがでしたか?

富田:単純に役者としての力も、その場にいる存在感も、伝える力もすべてがすごくて。その強い輝きを近くで見られたことは間違いなく自分の中でとても大きかったし、それは撮影の日々が終わった今も残ってるんですよ。ああいう背中を見れる経験ってなかなかないと思うので本当に感謝してますね。撮影時には咀嚼できなかった部分が私生活の中でふと「あれってこういうことなのか」ってわかることがあるんですけど、その度に背中がまたでかくなるんですよ。あの人達の言葉にはそういう思いも含まれていたんだって。だからどんどん感謝の念が深くなります。

マヒト:未來さんは空間掌握能力が異常だよね。ルーツがあるからだろうけど、自分がどう動くと空間がどう作用するかということに自覚的で。未來さんが出演した過去の作品を観ると、本人自身の芝居はもちろんですが、実はどれも未來さんの作品全体に向けた身体的なプロデュースが入ってて、それ故に作品の質が上がっていくことを現場を終えた自分は思っていました。

映画館とライブハウス、2つの聖域

——本作ではある種の聖域として映画館やライブハウスが登場しますが、この2つはマヒトさんにとってどういう意味を持つ場所なんでしょうか。

マヒト:映画館って関係ない人と一緒の時間を共有しながら、画面とだけ向き合うっていう他にない空間だと思うんですよね。暗闇の中に飲まれて、同じ方向を向いて、同じ映画を共有しているのにそれぞれは必ず「個」である場所って他に思いつかないじゃないですか。それが聖域っぽいなって。ライブハウスは逆だと思うんです。ノリとかの一体感だけじゃなくて、体の70パーセントを占める水分を汗や飛沫として出して、ものすごい大きな水や振動を共有してるというか。それは言葉とか音色以上に、交換している情報が大きいと思っています。パンデミック中にライブ配信とかたくさんあったけど、 観ているのは家だから全然ライブだと思えなかったのはそれが起因している。データ情報は飛んでくるんだけど、振動は共有できないじゃないですか。それはライブって場が奪われたような時期だからこそ思ったことなんですけど。だからライブハウスもまた違った角度を持つ聖域ですよね。

その2つは自分にとっては教会やお寺より祈りの場所だと思うんです。人生が詰まったものが残っている場所ってお墓よりも「お墓的」だなと思うし。だから俺は自分が死んでいなくなっても、お墓じゃなく『i ai』や俺が作ってきたものに祈ってほしい。骨なんかはそこら辺の砂と自分にとっては変わらないから。だったら自分が今放出している、生きた時間の痕跡が残ってるものに気持ちを向けてほしいですね。そこに自分はいるので。

——GEZANのカラーといえば赤色ですが、本作でも火や血、風船や服など至る所に赤が配色されていましたよね。同じく青色も印象的に使われていましたが、それらの色に込めた意味はあるのでしょうか。

マヒト:もともと赤が好きなんですよね。赤って命の色じゃないですか。肌の色はどうであれ、全員赤い血が流れてて。そういう意味で根源的にピュアな色だと思うから今も魅了され続けてるんです。監督だから映画の衣装を決める権限もあって、やっぱり自然と赤に手が伸びちゃうんですよ。「だって好きなんだもん」って(笑)。作品に赤が溢れるのはそんな直感的な理由でずっと向き合ってきた命のイメージを込めていますね。一方で映画の中で青色は死のメタファーとして機能しています。放った風船が、青空に吸い込まれてるとか。実は青もすごく好きな色なんですよね。

——本作には痛みや喜びや怒りなど多くの感情が込められていますが、観た人に何を感じてもらいたいですか?

マヒト:試写を観終わった人を見てると、喰らいつつも言葉にできないって人が多いんです。一方映画のテーマは「言葉にできないけど言葉にしなくちゃ」って部分で、そこにハレーションがあるんですよね。面白い現象だなと思いながら反応を見てるんですけど、誰かに手渡された言葉ではなく、稚拙でもその人の血の通った言葉で語ることが大事だと思ってるんですよね。いわゆる青春映画にしては詩が多いし、アート映画と呼ぶには青すぎる作品じゃないですか。曖昧なグラデーションに揺れてると思うけど、混乱した世界を生きる中で切実に作品を作るってことは、同じように映画も混乱しないとチューニングが合わないし。その波形はすごく気に入ってるんです。だから観た人にはこの物語を手渡されて自分ごととして悩んでほしいですよね。簡単に答えを出せることじゃないと思うし、それはそのまま生と向き合うことでもある。それがフィードバックして返ってくる中で『i ai』は成長していくし、俺はその1つの生命体が旅する過程で見せた波紋を見て、見えなくなった友達と酒を飲みたい。

——ちなみに次回作の予定はあるんですか?

マヒト:脚本のイメージはすでにありますね。そのうち書こうかなと。

——本当ですか!次も楽しみにしています。

Photography Mayumi Hosokura
Stylist Masakazu Amino
Hair & Makeup Yurino Hamano

『i ai』(アイアイ)』3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開

■『i ai』(アイアイ)
3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
出演:富田健太郎
さとうほなみ 堀家一希
イワナミユウキ KIEN K-BOMB コムアイ 知久寿焼 大宮イチ
吹越 満 /永山瑛太 / 小泉今日子
森山未來
監督・脚本・音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
撮影:佐内正史  
劇中画:新井英樹
主題歌::GEZAN with Million Wish Collective「Third Summer of Love」(十三月)
プロデューサー:平体雄二 宮田幸太郎 瀬島 翔
製作プロダクション:スタジオブルー  
配給:パルコ
©STUDIO BLUE
(2022年/日本/118分/カラー/DCP/5.1ch)
https://i-ai.jp
X:@iai_2024

GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』

■GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』
アーティスト : GEZAN
レーベル : 十三月
発売日 : 2024年3月8日
フォーマット : CD/DIGITAL
CD価格 : ¥3,000
収録曲
Tr.01  Signs of summer
Tr.02  Toward a suspicious cloud
Tr.03  SOFT TWIST
Tr.04  Prayground
Tr.05  ROOM BLOOM
Tr.06  相逢 LIVE (AIAI LIVE) feat.森山未來
Tr.07  M A D O R O M I
Tr.08  M I N N A  S O K O N I  I T A
Tr.09  炸裂音(EXPLOSION SOUND)
Tr.10  THIS POP SHIT
Tr.11  AUGHOST feat.小泉今日子
Tr.12  TEN FINGER DISCOUNT
Tr.13  FLUXUS
Tr.14  P(i)ano
Tr.15  S U B A R A S I I  S E K A I
Tr.16  Pi(A)no or yes?
Tr.17  Tromborn
Tr.18  Howl
Tr.19  i ai
BONUS TRACK – CD ONLY
Tr.20  AUGHOST (ACOUSTIC VER)
https://gezan.lnk.to/iai_soundtrack

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro https://tokion.jp/2024/02/27/listening-bar-berlin-vol2/ Tue, 27 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225461 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第2回は「Bar Neiro」のオーナー、エリック・ブロイヤーがこだわり抜いたHi-Fiシステムや空間づくりについて語る。

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エリック・ブロイヤー

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第2回は、「オーディオテクニカ(audio-technica)」発のグローバル・プロジェクト「アナログファウンデーション」から生まれた「Bar Neiro」。2023年、クラブが連立するクロイツベルク地区にオープンした、隠れ家的なリスニングバーだ。エントランスの暖簾をくぐると、オーナーのエリック・ブロイヤー(Erik Breuer)が出迎えてくれた。

レコーディングスタジオの公共スペースとしてオープン

−−エリックさんはレコーディングエンジニアとしても活躍されていますが、「Bar Neiro」をオープンしたきっかけについて教えてください。

エリック・ブロイヤー(以下、エリック):すべては「アナログファウンデーション」がベルリンに移転したことから始まったんだ。僕らの使命は、アナログ文化をサポートすること。その時に思いついたのが、オープンな場所として日本のジャズ喫茶のようなリスニング・バーを併設することだった。ミュージシャンやローカルの人達が一緒に音楽を楽しむためのスペースになるし、スタジオともうまく結びつくと思ってね。

−−日本のジャズ喫茶はどうやって知ったんですか?

エリック:レッドブル・ミュージック・アカデミーの仕事やDJで、日本をよく訪れていて。滞在中に行くのが楽しみだった。僕は人生の大半をHi-Fiに費やしてきたんだけど、日本のジャズ喫茶ではそれを実感できる。

−−印象に残っているお店はありますか?

エリック:最初の頃は東京にある有名店を回ったけど、友達が日本に引っ越したことをきっかけに、もっと特別で隠れ家的な場所へ行くようになった。前回は東京の「映画館」に行ったし、千葉の「JAZZ SPOT CANDY」もすごくよかった。次回はドライブがてら田舎に行って、Hi-Fiバー巡りをしたいな。30年代からある日本のジャズ喫茶がトレンドになっていること、人々がこのようなサウンドに夢中になっていることにとてもわくわくしてるし、「Bar Neiro」のオープンもみんなすごく喜んでくれてるよ。

レコーディングスタジオの経験を生かし、こだわり抜いた空間づくり

−−高級ヴィンテージ・コンポーネントで構成されたカスタムHi-Fiシステムを含め、サウンドシステムにかなりこだわってますよね。

エリック:長年に渡って多くのレコーディングスタジオをつくってきたけど、リスニングバーは正反対だからね。音響的に優れた別の空間をつくるのはとても楽しい挑戦だった。レコーディングスタジオだと、スピーカーは非常に精密な楽器でどんな小さな欠点も聴き取りたい。でも、あまり感情的な魅力がないんだ。スタジオ作業に最適なスピーカーでも、それって音楽を楽しむために聴いているのではないことに気づいて。数年前から、正確さよりも感情を重視するヴィンテージ機器にのめり込んだんだ。アメリカの映画館にあるような50年代初頭のスピーカー「アルテックA5」は、すべて当時のオリジナル・コンポーネント。木製のキャビネット部分をつくり直したんだよ。スピーカー・キャビネットは自分達でつくったけど、すべて50年代のオリジナルの部品を使ってるしね。古い映画館のためにつくられたものだから、音の拡散性がとても広いんだ。

−−音響的な観点から見たベストシートはありますか?

エリック:空間全体にいい音が行き渡るから、座る場所がそれほど重要ではないよ。フルに楽しみたいなら、スピーカーの間、バーの真ん中あたりに座った方がいいね。

−−インテリアも素敵ですが、何かから影響を受けているのでしょうか?

エリック:たくさんあるけど、特にキース・アッシェンブレナーかな。1970年代から1980年代のモダンなシーンで活躍した、アナログ的な真空管アンプとホーンスピーカーの達人の1人なんだ。実際にコンポーネントやシステムの調整など、多くのことを助けてくれたし、スペースのケーブルも彼が用意してくれたよ。

それ以外のインスピレーションは間違いなく日本だね。レッドブル・ミュージック・アカデミーで東京にレコーディングスタジオをつくった時、建築家の隈研吾と一緒に仕事ができたのは光栄だったし、かなりインスパイアされてる。特にバーカウンターの天井に施したシンプルなディテールをぜひ見てほしい。あと壁や天井には、90種類以上のレゾネーターや異なるチューニングを施した音響エレメントがあるから、すっきり見せるために天井グリッドや和紙の壁をつくったんだ。

−−家具もオーダーメイドだとか?

エリック:そう、バーや棚は僕らがデザインした。他の家具は、古いミッドセンチュリーの作品やイームズの椅子やテーブルなど、すべてヴィンテージ家具で揃えてる。

−−いろんなディテールへのこだわりが、居心地のよさを生み出しているんですね。

エリック:あと騒がしいバーにはならないように、1グループ最大4人まで。もちろん大人数になることもあるけど、なるべく少人数を保ってるよ。

ミュージシャンとベルリナーが集まる憩いの場

−−ハンガリーのプロデューサー兼マルチ奏者Àbáseやオーストラリアのドラマー兼プロデューサーZiggy Zeitgeistなど、ミュージシャンも訪れるんだとか。

エリック:Àbáseはスタジオでよく一緒に仕事をしてるし、家族の一員みたいなものだね。でもスタジオがあることで、新進気鋭の若手から大物アーティストまで、いろんなミュージシャンがやってくるんだ。あとHi-Fiオタクにも人気で、スピーカーの周りを歩き回ってはチェックしてるのをよく見かける。他にも落ち着いて飲みたい年配の人から、音楽が好きな若い人まで、いいミックスだよ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけているんですか?

エリック:普段は僕やバーのスタッフがレコードを持ち込んで、セレクトしてる。アーティストが来てセレクトする時もあるよ。ジャズが大半だけど、アンビエントなエレクトロやソウル・ミュージックとかメロウな音楽が多いかな。ある種の感覚的な体験を作り出すことで、ここに来て、この別世界に入って、ただリラックスして音楽を楽しんでもらうことを目指しているんだ。

−−ベルリンやヨーロッパの人達にとって、このようなスタイルのリスニングバーは受け入れられているのでしょうか?


エリック:そうだね。最近は何もかもがとても速いし、すべてがオンデマンドで、こうして音楽をじっくり聴く人が本当にいなくなっている。1人でヘッドホンから聴くのではなく、他の人達と一緒にここに座って音楽を聴くっていうのは、とてもいいことだと思うよ。

■ Bar Neiro
住所:Ohmstraße 11, 10179 Berlin, Germany
営業時間:18:00~1:00
休日:月、火曜
www.barneiro.com
Instagram:@bar.neiro

Photography:Rie Yamada

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Dos Monos、奇奇怪怪、脳盗のTaiTan アンダーグランドな存在感のまま、大衆にも開かれる、令和のドン・キホーテを目指す  https://tokion.jp/2024/02/26/interview-taitan/ Mon, 26 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225047 Dos Monos、『奇奇怪怪』、『脳盗』と多岐に渡って活動するTaiTanへのインタビュー。2023年の活動を振り返りながら、個々の企画に込められた意図を聞く。

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TaiTan

TaiTan
Dos Monosのメンバーとして3枚のアルバムをリリース。台湾のIT大臣オードリータンや、作家の筒井康隆とのコラボ曲を制作するなど、領域を横断した活動が特徴。また、クリエイティブディレクターとしても¥0の雑誌『magazineii』やテレ東停波帯ジャック番組『蓋』などを手がけ、2022年にvolvoxを創業。Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪』やTBSラジオ『脳盗』ではパーソナリティを務める。
Instagram:@tai_____tan
X:@tai_tan
X:@kikikaikai_noto

3人組ヒップホップユニットDos Monosのラッパーであり、Podcast番組『奇奇怪怪』とTBSラジオ『脳盗』ではパーソナリティを務め、雑誌やウェブメディアへの寄稿、数々のインタビューにも登場しているTaiTan。2023年の活動を振り返りながら、個々の企画に込められた意図を探る。

コロナ禍を清算する物理的な表現

——2023年はDos Monosのライブやリリース、レギュラーのPodcastとラジオに加え、メディアへの露出もかなり多かったですね。

TaiTan:いま僕の活動はかなり多岐にわたっていて、いわばホールディングス化してきているんですよね。軸としては、Dos Monosのメンバーとしての活動、『奇奇怪怪』および『脳盗』のパーソナリティ、あとはクリエイティブディレクターとして企画を考える仕事と、この3つでまわっています。

——まずDos Monosとしては、2023年7月20日に、初のライブ・アルバム『Don’t Make Any Noise』が、アクリル盤という形式でリリースされました。

TaiTan:盤を販売してお金をつくる、という経済的な要請もあって、ライブ盤を出すことになり、でもライブ盤って、基本的には熱心なファンが買うもので、広く流通するものではない。収録されるライブはコロナ禍にやったもので、自分達なりに「コロナ禍とは何だったのか」というのも清算したかった。しかも、この時代にわざわざ盤という形を伴って出す以上は、それを物理的に表現するべきだろうと考えて、コロナが一旦終息して使われなくなり、各地で無用の長物化していたアクリルパネルを加工することにしました。

実際にライブハウスや飲食店をまわって、アクリルパネルをかき集めて、みんなで裁断して。500枚限定なので、数字的なヒットにはなり得ないですけど、韓国の「VISLA Magazine」とかから記事にしたいというオファーがきたり、海外からも反応がありました。言語に依存しない企画の性質もあり、届くところには届いたのかなと思います。

——こういった企画性のあるものについては、TaiTanさんが主導で考える?

TaiTan:そうですね。Dos Monosの音楽面については荘子it君が担っているので、僕はPRだったり、リリースにあたっての仕掛けだったり。これまでのオードリー・タン氏とのコラボ、トラックデータを全公開した広告、テレビ東京で上出遼平さんと組んだ番組『蓋』とかは、僕が主導で動かすことが多いです。

カルチャーの中でも音楽は最強

——荘子itさんのXでは「Dos Monos第一期終了、第二期始動。」という声明も発表されていました。「Dos Monosはヒップホップクルーを経て、ロックバンドになる(戻る)」と。

TaiTan:もともと僕らはラップユニットの前にバンドとして結成したので、原点回帰というか。荘子it君が、これからは楽器なりによるビビッドなリアクションや身体感覚を音に落とし込みたい、と言い始めたので、僕はもう「ついていきます」と(笑)。すでに新作のレコーディングも終わっていて、僕も久しぶりにドラムを叩いたり、バンドサウンドになっているので、楽しみにしていてほしいです。

——Dos MonosにおけるラッパーとしてのTaiTanと、『奇奇怪怪』をはじめとした各メディアで披露されるTaiTan個人としてのキャラクターは、一貫性があると見ていいのでしょうか。

TaiTan:別に名前を変えているわけでもないですし、一貫してますよ。リリックに落とし込む時には、韻だったりボースティングだったり、ある程度ラップマナーに則った表現になるので、Podcastのパーソナリティとしてのしゃべりとは微妙なニュアンスの違いはあると思いますけど、考えていることは変えようがないというか。なんなら、Dos Monosの新作の1曲では、とうとう僕しゃべってますから。

——最初にDos Monosとして世に出た当時から、個人としての活動も視野に入れていた?

TaiTan:デビューした時から、並行して企画を考える仕事とかはしていましたし、いろんなことに興味が分散する性分ではあるので、今のような活動を計画的に考えていたわけではないですけど、何かしらやっていたんだと思います。Podcastを選んだのも、ラジオが好きだったこともありつつ、あの時点での流れによるところが大きいので、この先スッと別の形になる可能性も全然ある。1つのことを深く掘り下げるよりも、同時多発的にやっていたいんです。

——多方面に及びながらも、Dos Monosの音楽活動がコアにあることは、表現者としては大きな強みになるのでは。

TaiTan:カルチャー全般を見渡しても、やっぱり音楽は最強ですよね。音楽にはすべてがある。バイラルする性質を持っていて、巻き込み力が違う。しかもラッパーなんて最も身軽ですから。ただ、バンドでもユニットでも、もともとあった形のまま、30代になっても音楽を続けていくことはすごく難しいので、Dos Monosがいまだに結成時のメンバーで活動を続けられていることは奇跡的だと思ってますし、大事にしていきたいですね。

——国内のラップシーンとの関わりというか、つながりは?

TaiTan:もちろん個々のアーティストや周辺の人達とのつながりはありますけど、Dos Monosがラップシーンにいるかって言ったら、まぁいないですよね。音楽性としてもオルタナですし。あと僕らは単純に友達が少ないっていう(笑)。なので、自分達で経済圏をつくって、音楽性はもちろん、アイデアなり企画力で勝負していくことを考え続けます。

書籍に広告を入れる、書店に3000冊を積み上げる

——2023年8月に刊行された『奇奇怪怪』書籍化の第2弾は、その装丁のオリジナリティはもちろん、単行本としては異例の、中に広告のページがあるという仕様でした。

TaiTan:せっかく本を自分で作るからには、本の作り方そのものから考え直して、オルタナを指向したかったんです。雑誌に広告が入っているのは当たり前ですが、書籍に広告が入ることは業界的にはありえない。でも、担当編集に調べてもらったら、暗黙の了解や慣習として入れていない面もあるということもわかり。だとするなら、書籍の母体となる『奇奇怪怪』という番組には、すでにコミュニティが存在していて、リスナーには個人でも法人でも事業者が多いことはわかっていたので、そのリスナーからの広告費で制作費を賄う、という枠組みはコンテンツとの相性がいいのではと考えました。それに、装丁自体が漫画雑誌風というアイデアだったので、広告が入ることがむしろ演出の補強にもつながるという判断も決め手になりました。結果、アイデアの太さと、売り上げとは関係なく、絶対に赤字にはならない経済的なメリットの両立が達成できたかなと思っています。

僕自身が出版業界の人間ではないというのと、版元が石原書房という、この『奇奇怪怪』が1冊目の刊行物になるインディーの出版社だったので、どうにか実現できました。そのぶん、とんでもない苦労をそれぞれが味わいましたけど……。

——販売方法にしても、代官山蔦屋書店でおよそ3000冊の本を積み上げる特設展示『密と圧』が話題になりました。

TaiTan:あれは「本そのものを本の広告にする」というコンセプトです。本は1冊が置いてあるだけではただの本でしかないけれど、それが10冊、20冊と積み上がっていけば、次第に物体としての存在感を獲得しますよね。つまり、本自体が本の広告をし出す閾値がどこかにあって、それを最大規模でやったらどうなるか、という実験でした。完璧な理想としては、お菓子の家みたいに、壁も扉も本でできている、本の家くらいの圧がほしかったんですけど、さすがに一般の書店ではレギュレーションにも限界があるので、結果こういう形になりました。それでも物量的に異常なインパクトですし、本が売れて減っていくと、中にはまた別の作品が隠れている仕様で、本を買うという行為自体を楽しんでもらう試みとしては上手くできたなと思います。

——1つの書店で3000冊も入荷するとなれば、記録にも残りますよね。

TaiTan:オルタナを指向するからには、相手のメリットになる記録なり数字なりの説得力がないと実現は難しい。なので、詳しい数字は言えないのですが、代官山蔦屋での売上記録を事前に聞いて、そこを目指して動きます、という形で企画の承認をもらいました。そして結果的に、それをちゃんと達成できたのでよかったなと。話の筋としても、いきなり代官山蔦屋書店に乗り込んだわけではなく、それまでに番組で本をたくさん紹介してきた経緯があったり、書店員さんに番組のファンがいたこともあって、こういう突飛な企画も通してもらえました。

もし僕に何か特徴があるとしたら、企画はがんばって考えるのは当然として、それよりも、相手のメリットにならないような、無茶な提示はしないようにしてるっていうことかなと思うんです。数字とか納期の話とか。それが結果的にいいアウトプットに繋がる気がしています。あとは、それを実現させてくれるチームに恵まれているのも大きいですね。

——TaiTanさんの仕事は、その企画性や新規性が前面に出るクールな印象がありますが、根底には情熱がこもっていますよね。

TaiTan:やっぱり根っこにあるのは、ラップでもPodcastでも、企画仕事でも一貫していて、言葉の力でオルタナティブな現実をつくりたい、ということに尽きるかなと思います。もっと言えば、受け手に「自分にも何かできるかもしれない」、そういうことを感じてほしい。そのへんはわりとピュアに、原動力になっていますね。

『奇奇怪怪』と『脳盗』と『品品』の明確な役割分担

——書籍版『奇奇怪怪』の発売と同じ8月には、Forbes JAPAN が選ぶ「世界を変える30歳未満」に選出されました。以降、各メディアへの露出も増えましたね。

TaiTan:声をかけてもらえるのはありがたいですが、いろいろなところへお呼ばれして出続けていると、便利屋的な存在として、あっという間に消費され尽くしてしまうことも自覚しています。そうならないためにも、きちんとクリエイティブディレクションを担当した成果物を見せたり、最近だと、武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』の文庫版の解説を書いたんですけど、そういうまとまったまともな文章を書く仕事を増やしたり、少しでも地に足のついた活動をプレゼンテーションし続けなければいけないな、と思ってますね。

——Podcast番組の『奇奇怪怪』と、そこから派生したTBSラジオの『脳盗』は、どういった住み分けをしていますか。

TaiTan:『奇奇怪怪』はノリや世界観を作る場所で、『脳盗』は仲間を作る場所。この2つに加えて、『品品』というプロジェクトもあって、それは売り上げを作る場所です。ちょうど2月に「品品団地」という拠点になるマーケットを開設しました。

——3本の柱で、明確に役割分担がある。

TaiTan:ありますし、それぞれが収斂していくことが理想ですね。『脳盗』は自主制作のPodcastと違い、キー局の番組なので、著名なゲストも呼びやすいし、同じTBSラジオで番組を持っているパーソナリティとの共演もしやすい。外部と交流を持つことで広がりが生まれて、僕らを知ってもらえる機会も増える。とはいえ、ゲスト頼みになると、広がりは生まれても、自分達だけの深みは失われていくので、『奇奇怪怪』は基本(玉置)周啓君と2人で、ゲストを呼んだとしても身内のノリが共有できる人達。そして、広さも深さも追求しながら活動を続けていくために、『品品』で資金を稼ぐ。という循環です。

——『脳盗』のゲストのラインアップを見ると、爆笑問題の太田光、ライムスターの宇多丸といったTBSラジオのパーソナリティとは別軸で、ダ・ヴィンチ・恐山やFranz K Endoといった、ネット発のクリエイターも呼んでいるところがユニークでいいですよね。

TaiTan:それも明確に狙いがあって、ネット発の人達を、テレビよりさらに古いメディアであるラジオに呼ぶことで、彼らの圧倒的なおもしろさを、誤配的にラジオリスナー達に届けられたらと思っています。ある種キュレーター的に「こんなおもしろい人がいる」ということをいろんな人に伝えたいというか。そこが公共放送ならではの醍醐味なのかなと思います。デジタル畑の人を、デジタルメディアのPodcast番組に呼んだとしても、聴く人の属性がそこまで変わらないじゃないですか。

——ひとまず『奇奇怪怪』は安定として、『脳盗』の今後はどのように考えていますか。

TaiTan:まさに近々の課題ですね。いま考えているのは、ラジオでは音楽を流せることが、Podcastではできない最大の利点なので、しゃべりと選曲を担当するという意味でのディスクジョッキーを目指したいなと思っています。つまり、パーソナリティというよりはDJとしての認識が強いです。ただ、陽気に音楽を紹介するFMラジオのノリではなく、しゃべりはあくまでAMのノリで。スタイルとしては『菊地成孔の粋な夜電波』が好きだったので、その影響を受けているかもしれません。

——AMラジオのトークと選曲がばっちりハマった時は、異様な高揚感がありますよね。

TaiTan:本当にそうで、僕は演劇に近いものがあると思っているんです。劇中のストーリーに音楽が完璧にハマった時の祝祭感は、暴力的と言ってもいいくらいの破壊力がある。その高揚感をラジオでも再現したい。あくまでも曲が中心にあって、トークはその前座的な役割にすぎないというか。知っている楽曲だったとしても、トークと接続されることで聴こえ方が変わったりするので、そういうおもしろを届けたいですね。そのためには、ラジオショーとしての演劇的な発話が必要になってくるので、『奇奇怪怪』みたいにボソボソしゃべっていてはダメだなと。Podcastとラジオでの求められる発話の違いなども模索してる最中です。

「品品団地」という新しい拠点

——先ほど話に出た「品品団地」について、改めて詳細を聞かせてください。

TaiTan:「品品団地」を作った最大の目的は、これまでSpotify独占配信だった『奇奇怪怪』を、Spotifyの援助を受けずに、自分達で資金繰りも含めて運営していく、ということです。そのために、リスナーから月額で支援を募る体制にしました。

企業からの制作援助は非常にありがたいし、Spotifyには感謝しかないですけど、特定の一社に生命線を委ね続けることのリスクはどうしてもある。SpotifyがいつPodcast事業から撤退するかわからないですし、それは僕らを信頼してくれている担当者の裁量ではどうにもならないことなので。

——直接課金制と聞くと、どうしてもオンラインサロン的な、せっかくのコミュニティが閉じていく可能性も感じてしまうのですが、そのあたりはどう考えていますか。

TaiTan:そこはコミュニケーションのとり方の問題かなと思っています。僕らからは、今のところ「番組を続けていくために支援してほしい」ということしか発信していません。いわゆるオンラインサロンの特徴とも言える、あなたの居場所を作りますとか、何かを伝授します的なことは一切言ってないし、言うつもりもありません。それに、番組自体をクローズドにしていくわけではないので、番組の性質自体が変わるわけでもないですし。

あとは、アンケートに答えてくれたリスナーの属性はある程度わかるようになったので、こっちから特性に合わせた相談をすることもあるかもしれない。

例えば、今回ブランドの拠点となるウェブサイトをしっかり作ったのですが、そのサイトもリスナーであるChooningというエンジニアチームと一緒に開発してたりします。そういうポジティブな広がりが生まれるのも期待してますね。

令和のドン・キホーテ、猫の玉置周啓

——TaiTanホールディングスとしての未来図は?

TaiTan:令和のドン・キホーテみたいな存在になりたいですね。超アンダーグラウンドな存在感を保ったまま、圧倒的に大衆に開かれている。さらに、言語の壁を超えて観光地的なおもしろさも獲得しているという。NewJeansが日本へ来た時にもわざわざドンキ行ってましたよね。そして何より経済的な成功も桁違いという。ドンキを超えるユニークなブランドはないと思います。

それに運命的なものも感じていて、ドン・キホーテの創業者である安田隆夫氏が、最初にディスカウントショップを開業したのが29歳の時で、僕が闇市を構想して『品品』を始めた歳と同じなんです。しかも、その最初につくったショップの名前が「泥棒市場」っていう。そういうセンス含めて、思想的にも近いものを感じています(笑)。これまでの活動で基盤はできたと思うので、今後は音楽、Podcast、クリエイティブディレクター業と、いろんな文脈で培った力を結集させて、訳のわからない作品や環境を作り出していきたいなと夢想しています。

——では最後に。ここまで多方面にわたって意図や計画を聞かせてもらいましたが、玉置周啓さんには、どういう役割を期待しているのでしょうか。

TaiTan:友達でいてくれたら、それでいいです。強いて言うなら僕自身、気質が完全に裏方タイプなので、いわゆる演者に向けられるスター的な視線を浴びることは、周啓君に任せているという感じですかね。音声メディアにはどうしたってヒューマニティが必要で、散々能書きを語ってきましたが、コンテンツとしては玉置周啓がいないことには成立しません。芸人コンビでもよくある構図ですよね。ネタも書かない、戦略を考えたりもしないけど、圧倒的にファンから愛されるのはあっち、っていう。最近はもはや猫みたいな存在と考えていて、ただそこにいる玉置周啓を動画に撮ってアップしています。究極のスターは猫なので(笑)。そして、それだけで喜んでもらえるのだから、羨ましいなと思っています。

Photography Keisuke Nagoshi(UM)

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ベルリン移住 ダモ鈴木との共演 南ドイツ・首謀者Kyotaro Miulaが語るクラウトロックの実験精神 https://tokion.jp/2024/02/26/interview-kyotaro-miula/ Mon, 26 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225227 南ドイツの首謀者Kyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて話を訊く。

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南ドイツ。ドイツのNEU!やCANを筆頭としたクラウトロック好きならその存在を知っている人もいるだろう。ただ一方で日本でのパフォーマンスを7年間もしてこなかった彼らの実像を知る人は必ずしも多くないはずだ。コロナ以降に日本人として、現役で海外を中心にライヴパフォーマンスを行う彼の精神性が気になった。

2016年に1stアルバム『Minami Deutch』をUKのサイケデリックレーベル〈Cardinal Fuzz〉から1stプレスを300枚リリースし即ソールドアウトする等、海外からの反響を受けたことを機に、ベルリンを拠点に置いて海外でのフェスやライヴを拠点に活動してきた南ドイツ。2023年は長きにわたる盟友である幾何学模様(現在活動休止中)のメンバーが運営する〈Guruguru Brain〉からレコードをリリースし、3rdアルバムの『Fortune Goodies』を7月にリリースしていた。

2024年も3月にオーストラリア、4月はヨーロッパ、5月はアメリカへのツアーが控えている。そして、2月26日に渋谷WWWで実に7年ぶりとなる日本公演を行うタイミングでインタビューを試みた。日本を離れ、海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて、首謀者のKyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに聞いてみた。肩の力が抜けて、時間軸が揺らぐリラックスした会話の中でも滲み出る、音楽に対するひたむきさが強く印象に残った。

「当時無名バンドのレコードがイギリスからリリースされるまで。海外志向はごく自然の流れだった」

−−主にヨーロッパを拠点に海外で活動する南ドイツですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

Kyotaro Miula(以下、Kyotaro):2013〜2014年くらいから幾何学模様のメンバーと一緒に高田馬場のスタジオでジャムセッションする遊び仲間だったんです。当時自分はバンドを組んでいなかったのだけど。遊び仲間が音楽を出して海外のリスナーからの反応が良いのを見ていたので。自分も活動の拠点を海外にすることに違和感がなかった。日本のサイケシーンとかクラウトロックシーン自体が小さかったから、少しでも需要のありそうなところでやりたいというのがあって。

−−その頃にはすでにクラウトロックのバンドを組みたいという構想があったんですか?

Kyotaro:順番は前後するけれど、10代の頃に初めてCANとかのクラウトロックを聴いた時は正直そこまでピンときてなくて。それよりも実は当時ポストロックやポストパンクが好きで。そうした類いのシュッとしたインディーズバンドをやりたいなと思っていた自分もいた。仲間と週3、4回セッションしていくうちにだんだんサイケとかクラウトとかのよさを再確認していった。

−−聴き方、楽しみ方がわかってきたのですか?

Kyotaro:そうかもしれない。仲間とスタジオに入れない時は、自分でNEU!とかを流して。ミニマルなハンマービート(8つ打ちの規則的なバスドラムサウンド)を流しながらギターソロ弾いてるとだんだん好きになってきた。ある時点でクラウトロックのバンドって自分達で名乗れるバンドを作りたいと思うようになっていった。

−−活動の背景には幾何学模様との交流が大きかったんですね。1stアルバム『Minami Deutch』の「Futsu Ni Ikirenai」なんか特にクラウトロック的ですよね。反復するビートでジリジリとして、後半突如ギターソロでスパークしていく感覚。繰り返される同じコードとビートが後半には気持ちよくてたまらなくなってきているというか。

Kyotaro:あの曲は実はベースレスで。ギターとドラムだけでやっていて。当時のギター担当とドラムの音を自分で後からミックスしていくタイミングで、裏ノリのグルーヴができた。「これならいける」みたいな発見があった。今思い返せば何をするにしてもトライアルの時期だったんだよね。ハンマービートのドラムとベースのパターンとかコードが一緒というコンセプチュアルなアルバムを作ろうと思って。ビートや展開の仕方が一緒という枠組みの中で、明るい曲とか爽やかな曲からサイケな曲まで作れたらおもしろいなと。

例えば、「Sunrise & Sunset」みたいに開けてくイメージの曲もあれば「Futsu Ni Ikirenai」みたいな曲もある。1枚のアルバムの中でいろいろなカラーの楽曲を入れる。具体的に言うと、同じコードやドラムパターンの制限の中で、違うトーンの印象の曲を作り切るのがコンセプトであり、やりたいことだった。

−−それで完成したレコードをUKのレーベルに送ったら、見事レコード版を出そうと声がかかる。まるで夢みたいな話ですが。

Kyotaro:それは本当に嬉しかったね。デジタルでの配信自体にはあまり興味がなかったけれど、自分のレコードを出すのが夢だったから。しかも海外のレーベルから人生初のレコードがプレスされて。それで、これは忘れられないのだけど、仕上がりを見たら、真ん中にあるべきデサインがちょっとだけ上にズレてて。それがショックだったことを何よりも覚えてる(笑)。

−−今となってはマニアとしてはそういう「ズレ」とか、初版のレコード特有のエラーって垂涎ものですけどね。

初となる海外ツアー。そして、ダモ鈴木との共演とベルリン移住。脂の乗り切った2ndアルバム期

−−1stアルバムをリリースした頃はまだ活動の拠点が日本でしたよね? そこから海外ツアー等、精力的に世界に打って出る流れが始まっていくと。

Kyotaro:UKのレーベルからレコードを出せたことがきっかけと、話は少しややこしくなるんだけど、幾何学模様が2014年に〈Guruguru Brain〉を始めたわけで、1stのカセットテープはそこからリリースされた流れがあって。リバプールのサイケフェスが彼等のレーベルをフィーチャーしたいって話があって、それで出演オファーがあった。でもそれだけだと赤字になるから、ツアーを組もうと。アムステルダムとかベルリンとか含めて、ヨーロッパでツアーをやろうと話が膨らんでいって。幾何学模様の人はみんな英語喋れるけど、当時俺らは誰も英語喋れなかったし、うん、色々と無茶苦茶だったんだと思う。

−−そのツアーの反応は良かったですか?

Kyotaro:反応は良かったような気がする。客観的なことはわからないけどね(笑)。

−−クラウトロック発祥のドイツへと移住していく流れがあって、2ndアルバムはバンドとしての移行期が反映されているわけですよね。

Kyotaro:そう。活動を続けていく上で、そっちの方が良さそうだったから。ドイツに行ってみたい気持ちとクラウトロックが生まれた街を本場で体験してみたいから行った。1stはコンセプチュアルなことをやった手前、2ndは広げようと思えば、いくらでも広げられるんだけど、結構他のクラウトロックのバンドが電子音に流れてしまうのが多い中で、エレクトロニカの感じに行ってしまうことが当時はダサいと思ってしたくなかった。だからこそ1stの匂いを残しつつ、ちょうどいい変化を見せられるかを念頭に置いていた。だから『Tunnel』とかはハンマーでやってるんだけれど、最後の曲はディスコっぽいこととかやってたりするんだよね。

−−確かにクラウトロックのバンドを聴いていても、CANの「Future Days」とか聴いてもアンビエント的なアプローチをしていました。意外とクラウトロックって懐が深い側面があるというか。実験的なことをやってたりする印象はありますね。とはいえ、2ndには勝手にDAF感を感じたりもしましたが。

Kyotaro:そうなんだよね。アルバムを作る時に参照したバンド以外にも、普段から意識しないで同時にいろんな音楽を聴いてるから。コンセプトは自分の中にあるけど、それ以外のものが入っちゃう感じはある。それが、勝手にオリジナリティになってくれるから嬉しい。自然とコンセプトを超えて、意図しないものが入ってくる。そんな感じのアルバムだね。

−−しかも2018年には先日亡くなられた元CANのダモ鈴木さんとステージで共演されるという出来事がありました。この経緯は?

Kyotaro:ダモ鈴木さんのヨーロッパのマネジメントと僕らのエージェントオフィスがたまたま近くにあって。共通の知り合いが間にいて。「一緒にできたらいいですね」みたいな話をしてくれていたんだ。ちょうど、オランダにある「Roadburn Festival 2018」というストーナーロック系のフェスからダモさんサイドと南ドイツサイド両方にオファーがあって。「だったら、ちょうどいいから、そこでジャムセッションをステージでやってしまいませんか?」という話しになった。

−−そんな奇跡みたいな流れがあるんですか。クラウトロック系のエージェントが同じビルだったとか。当時を振り返るとどんな思い出がありますか?

Kyotaro:めちゃくちゃ気合いが入っていたと思う。当時はクラウトロックを極めてやるぞ、という意識もあって。脂が乗ってたし「今もう1回同じテンションでやれ」って言われても結構大変なくらい……。でも、そんなチャンスないし、普通に見てきた人だし、「一緒にやれんの?」みたいな。そういえば、ステージ袖でダモさんから僕等に「お吸い物ありませんか?」って声かけてくれて。一緒にそれでグルーヴを調整してやったという感じで。

−−その共演にはどんな印象がありますか?

Kyotaro:その時できることをやりきったって感覚かな。1曲目の途中でダモさん疲れすぎて、やめちゃいそうになったりもしたけれど(笑)。ダモさんはダモさんで、経験豊富だから、ガンガン引っ張ってくれた。そういう振る舞いをステージ上で感じ取ったりして。当時のギターが、「いい旅しましたね」みたいに声をかけて、「そうでしたねぇ。楽しかったですね」みたいな。そのくらい。

コロナ以降のムードを経て、満を持して完成した3rdアルバム。そして日本でのライヴ

−−昨年リリースされた3rdアルバムはジャケットもカラフルでタイトルは『Fortune Goodies』。変化という意味では2ndより開けていく感がある。もうちょっとジャンルにとらわれていない余白がある感じ。肩の力が抜けている感じを受けました。とはいえ1、2曲目は完全インストで、3曲目でようやくポップな歌物という。

Kyotaro:だいぶひねくれちゃってると思う、良くないよね(笑)。でも、それでいいんだ。TikTokとか1分で曲を聴く時代に逆行していて、音楽好きしか受け付けてない。でも逆行してやろうみたいな意識はなくて、曲順を選んでいったらそうなったというか。

1回抑圧させてから、上げていくっていう方がドイツ式かなと思ったり。同時に電子音楽的なアプローチもしたかったから、いろいろなことを試せた。実を言うと当初2枚組にする予定だったから、もっと曲数があったんだけど絞った。

−−それはどうして?

Kyotaro:大体3rdアルバムってロックバンドの円熟期というイメージがあって。そこで南ドイツもかましたかった。1stアルバムの初期衝動も好きだけど、3rdは気合が入ってて好きだから。例えばクラッシュの『London Calling』とか。

でも少し先走っちゃったのかな? 俺も良くないのだけれど。制作プロセスは誰にも見せたくないから、1人でやって完成してようやく〈Guruguru Brain〉にシェアしたら、2枚組にするならうちでは出せないよと言われて。1ヵ月落ち込んで。

−−それは落ち込んでしまう……。

Kyotaro:他のレーベルに持っていってやろうか、と思ったりもしたんだけど。幾何学のメンバーとも馴れ合いでやってるわけじゃないからさ。それで曲を減らした。でもこれが結果として良かったんだと思う。少し編集をしすぎて、人間味の少ないアルバムになったのかもしれないけれど。おこがましいけれど、歴史に残るアルバムを作るんだみたいな野心で取り組んでいたから。それで気合入りすぎて、変な動きをしているという(笑)。

−−いや、楽曲のバリエーション含めて個人的には一番好きなアルバムです。タイトルもジャケットも極彩色サイケで。アルバムのタイトルに込められた意味は?

Kyotaro:そう言ってもらえると嬉しいんだけど。アルバムタイトルはドイツのライヴにきてくれた子が「私、Goodies持ってるよ」って言ってきた時のことを思い出して。「フォーチュンクッキー」ってあるけれど、Goodiesってのはまぁスラングで、スピリチュアルなお菓子って感じにしたかった。ご想像にお任せします(笑)。

−−2曲目の「Still Foggy」なんて、インダストリアルで。でもアシッドフォークのニュアンスもあれば、最後の「The border」のアンビエントで閉じるという。

Kyotaro:2曲目の「Still Foggy」の上物は、全くコピー&ペーストしないで1回1回サンプリングしたものをコラージュしていった。で、格好いいものができたと思ってる。3曲目とか歌詞も今まで以上に真剣に日本語に向き合ってみた。影響を受けたのはバロウズとかブコウスキーみたいなビート文学かな。最後の曲はサーフィンをするために抜けちゃった前のギタリストの最後の作品。不思議なんだけど、後日、オーストラリアのサーフ・ドキュメンタリー映画からその曲を使いたいというオファーが来て。勝手に何か横ノリの人たちに伝わる何かがあるのかなと思ったよ。

−−昨年からライヴはカネコアヤノバンドの照沼さんにbetcover!!の日高理樹等を加えて活動していて。ハンブルグでのパフォーマンスは個人のコンディションを含めて最高でした。今のメンバー間のグルーヴはどうですか?

Kyotaro:結構ライヴと音源は違うから2回作るような形なんだけど、去年一緒に欧州を回ったことで、いい感じにまとまっていると思うな。

−−今年もさらに精力的になりそう。26日東京WWWは貴重なライヴになりそうですね。

Kyotaro:うん。まずは自分達が演奏を楽しめたらいいなと。そしたらいい感じになってくると思うんだ。

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異文化の間で躍動するチベットの作家達 https://tokion.jp/2024/02/24/the-world-of-tibetan-writers/ Sat, 24 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224980 2010年代、世界で急速に広まったチベット文学。2020年に日本で刊行された『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』は発売わずか2ヵ月で重版となった。 その魅力を研究者の星泉とたどる

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星泉

星泉
1967年千葉県生まれ。東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 教授。専門は、チベット語学、言語学。博士(文学)。1997年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に着任。チベット語研究のかたわら、チベットの文学や映画の紹介活動を行っている。編著書に『チベット牧畜文化辞典(チベット語、日本語)』、訳書に『チベットのむかしばなし しかばねの物語』、ラシャムジャ『路上の陽光』『チベット文学の新世代 雪を待つ』、共訳書に『チベット幻想奇譚』、トンドゥプジャ『チベット現代文学の曙 ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』、ペマ・ツェテン『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』、タクブンジャ『ハバ犬を育てる話』、ツェラン・トンドゥプ『闘うチベット文学 黒狐の谷』等がある。『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』編集長。

チベットの研究者、翻訳者の星泉はチベットの文学作品には今を生きる人達の心情がよく表れていると話す。ニュースで報道される情報では、人々の生活や何を感じているのかまでを伝えきれないことも多く、チベット人達の日常の姿を知ることは難しい場合が多いという。一方でチベットの文学作品には、今を生きる人達の心情がよく描かれていて、日本人の読者の間では「チベットの物語の中には、宗教や人種を超えて共感できる内容が多く、多忙な現代を生きる日本人が忘れがちな思いやりやユーモア、他者への理解を深めるヒントに溢れている」と話す人も少なくない。

星が現在まで日本語に翻訳したチベット文学には、作家であり亡命チベット人の医師であるツェワン・イシェ・ペンバが遺した長編歴史小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』、現代チベット文学を牽引するラシャムジャの日本オリジナル作品集『路上の陽光』『雪を待つ』等がある。『路上の陽光』に収録されている日本を舞台にした短編「遥かなるサクラジマ」では、チベットの地を踏んだことのない、日本に暮らす亡命2世のチベット人女性の、生きる苦悩や葛藤が描かれている。星は同書のあとがきに「チベットでも近年増えている、進学や就職、出稼ぎなどで都会暮らしをする孤独な若者に呼びかけるような、力強いメッセージ性のある作品」と記している。

ラシャムジャの作品は、日本人が今読みたい海外文学として紹介されている。一方で、まだ知られていないチベット人作家は多く、その中には女性の作家や詩人も多い。チベット文学における異文化に触れる時の知的なアプローチは、迫害や抑圧の歴史によって培われた発想が元になり、多様性のある時代を生きる現代人に必須の考えが根付いている。世界的にチベット文学が注目を集めたきっかけと特異性、今注目すべき女性作家から、チベット語と漢語を使い分ける制作の意図までを聞いた。

創作活動の最前線に立つ、豊かな口承伝承の語り手達

ーー2010年代以降、日本を含めた世界各地で同時多発的にチベット文学が翻訳出版されたということですが、どのような経緯だったのでしょうか? 

星泉(以下、星):まず、現代のチベット文学を語る上で重要な作家に、ペマ・ツェテンさんとツェラン・トンドゥプさんがいます。私の推測ですが、この2人が日本、フランスやアメリカ等の研究者や翻訳家達と交流を深めたことがきっかけとなり、各国で同時多発的にチベット文学が翻訳出版されたのではないかと考えています。

ペマさんは作家であり、世界的に評価される映画監督です。2000年後半から本格的な映画界に入った彼は、すぐに実力を認められ、国際舞台で活躍するようになります。私は、2011年に映画祭でお会いした際にて小説を頂いたのですが、とてもおもしろい作品だったので、日本語に翻訳をして多くの人に届けたいと思いました。当初は翻訳をする予定ではなかったのですが、ペマさんから「英語の翻訳が始まって、多分来年には刊行されると思うんだけど、日本語ではどうかな?」と連絡がありました。作家から翻訳を期待されることは今までにない体験でしたし、連絡が気軽に取り合える仲になれたことで相互関係が始まり、翻訳出版に至りました。フランスやアメリカの映画祭でペマさんに本を渡された翻訳者達も同じように彼の作品と人柄に魅了されたのではないでしょうか。ペマさんは関わる人に喜びを与える人格者でした。個人的にもとても大切な人だったため、昨年5月に亡くなった時は本当に悲しかったですね。

ツェラン・トンドゥプさんの小説も、アメリカやフランスで翻訳されています。近著が出ると連絡をくれたり、交流のある各国のチベット研究者や翻訳者と引き合わせてくれて、彼を中心にして輪が広がっていきました。何か相談すると即座に応えてくれる協力的な人で、貴重なチベットの情報を提供してくれます。この2人が、世界の翻訳者達の影で動いてくれたことがとても大きいと思います。なるべくして同時多発的にチベット文学が刊行されたんですね。

加えて、過去のチベット研究の蓄積、翻訳書籍はありますが、2010年代にはチベット語でやりとりのできるネット環境が充実したこと、自分達の活動を広く世に届けやすくなったことも関係していると思います。

ーー近年、日本でもチベット文学が取り上げられる機会が増えているように感じます。どのような特徴がありますか?

星:チベットには「語り」を重視する文化があります。チベット文学は口承が中心で、一般の人達にとって物語とは読むものではなく、聞いて楽しむものでした。そういった背景から、説得力を持った言葉を用いて自分の声で語ることが重要視されます。

私が仲間達と作ったチベット語、日本語辞書『チベット牧畜文化辞典』 の中に「男の備えるべき9つの能力」という単語があります。そこには「力が強く、泳ぎがうまく、動きが素早く、土地の歴史を熟知し、笑い話が得意、議論に強く、物知りで賢く、忍耐強く勇敢で、言語明晰であること」とあります。そのうち5つが語りに関わることなのです。土地の歴史を熟知して語れると一人前として周りに認められることが読み取れます。

チベット文字の成立は1300年ほど前と古く、また仏教に支えられた長い古典文学の伝統もあるのですが、一般の人達がそうした文学を読んだり書いたりする文化はありませんでした。彼らは自分達の経験を語り継いでいくことで記憶に残してきたのです。

激動の時代に学び、物語を書いた希少な女性作家達

ーー日本で紹介されているチベット文学の魅力の1つとして「ことわざ」を巧みに使うことが挙げられます。ことわざはチベットの人々の暮らしの中では欠かせないもので、上手に使えるようになることは大人の証でもあるそうですね。

星:はい。ことわざは、問題が起きたときに闘ったり解決したりするためのプロセスでよく使われます。例えば、物語の中では喧嘩の場面でことわざが頻出するのですが、「威張った犬ほどよく吠える、威張った人間ほどよく喋る」と言って、ここぞという時、相手を打ち負かしたい時に繰り出します。意味合いとしては、古くから積み上げられてきた真実や結果が凝縮された「ことわざ」を根拠に、自分の言ってることが正しいという論理にもっていきます。自分の主張を助けてくれる援軍のようなイメージです。

もう1つ、理解し難い奇想天外な複雑な事柄を整理して納得するためのツールともいえます。理不尽な出来事をよく理解して受け入れられなければ、自分の心が壊れてしまいますよね。そんな時に、昔から語り継がれてきたことわざを引用し、わからない出来事を理解するための手がかりとしても使っている。「長く伝えられてきた言葉だから正しいだろう」「似たような出来事は過去にも起こっている、人間ってしょうがないね」という風にことわざを通して、現実を理解しているのでしょう。

ーー昨年日本で出版された『チベット女性詩集』には、女性達が現代詩を発表してから40年とあり、1960~1980年代生まれのチベットを代表する7人の女性詩人の詩が収められています。星さんは、1960年代生まれの詩人達の作品を重要視されているそうですね。

星:そうですね、1970年代後半に、学齢期だった1960年代生まれの男女は、チベットにおける時代の転換期を経験しています。中国全土で1966年から1976年まで起こった文化大革命を経験した女性達は、男女共に1960年代は学校に行けなかったものの、1976年ぐらいにようやく通学できるようになります。ただ、女性の場合は、親の協力を得られたほんの一握りしか学校に行けなかった世代です。そういった意味でも、この世代の女性達が書いたものは大変貴重です。例えば、女の子は学校にいくことを許されませんでした。なぜなら、当時多くのチベット人が従事していた牧畜、農業においては、家事労働は欠かせない労働であり、家事を親から子にしっかりと継承することが重要視されたからです。牧畜民として生きていく上での重要な家事を、母親が娘にしっかりと仕込んでおかないと、村で生きていけませんから、家事を教える機会が失われないように学校に行かせなかったんですね。

他には、女の子が学校に行くと「ろくなことにならない」とも言われていました。1967年生まれの詩人、デキ・ドルマさんは、学校に行きたいと言ったことが、村中で大騒動になり、学校に行きたいなんて、あの娘には鬼でも取りついたのではないかと噂が立ち、とても悲しい思いをしました。でも、諦められずにいる娘をかわいそうに思った父親が、馬で寮制の学校に連れていったことで、学校に通えた。大変な苦労や辛い思いをしなければ女の子は学校にいけない世代でした。

創作をするという点では、1960年代生まれの作家は男女共に、詩や物語をチベット語で書く先達がいなかったために苦労も多かったと思います。その理由は、根本的にチベット語というものが一般の人々の心情を描くような言葉ではなく、宗教のための言葉だったことも関係しています。

ーーチベット語で書くのが難しい状況下で、漢語で書く場合はどうだったのでしょうか?

星:チベット人女性で、1960〜1970年代に漢語で教育を受け、中学、高校、大学で漢語を習得し、中国や海外の文学を男性と同じように受容した人達は限られた数ですが存在します。

その時代の特徴としては、幹部の子弟は優先的に学校教育を受けられる、つまり庶民ではなく、役人になることを期待されて、男女共に進学することができました。そうすると、北京大学等に進学したチベット人が現れるんですね。その中には物語が好きな女性がいて、大学を卒業して、漢語で文学作品を書いた人達もいます。 中国の大学では、古典の漢文の基礎を教えますから、それが女性達の書きたいという思いを助けたんです。漢語だと大勢の先達の作家がいるので、自分も書けると思えたのではないでしょうか。

異文化の間で躍動するストーリーテラー達

ーーチベット文学は、漢語で書かれた長編小説もたくさんあるそうですね。チベット人作家はどのような理由で、チベット語と漢語の使い分けをしているのでしょうか?

星:まず、ほとんどのチベット人は、チベット語と漢語のバイリンガルです。漢語を使わないと生きていけないということもありますし、学校でもチベット語だけを教えるところはありません。テレビやインターネットが普及して手軽に学べる環境があることも関係していますが、それ以前からバイリンガル化が進んでいました。ただ、読み書きの方はどういう教育ルートを通ったかで異なります。

作家を分類すると、漢語だけで書く作家、チベット語だけで書く作家、そしてバイリンガルで書く作家がいるんですが、漢語だけで書く作家は、小さいうちは親元で育ったとしても中学校からは中国の漢語学校に通います。すると、チベット語を学ぶ環境がほぼないので、親が頑張って教えなければ、チベット語の読み書きは習得せずに大学まで進学します。 でも、自分達のアイデンティティはチベットにあるため、漢語で故郷のチベットの物語や詩を書いています。

あまり多くはないものの、チベット語で書く作家達のほとんどはチベット語で教える各県の民族学校に進学し、チベット語による高等教育を受け、民族大学のチベット語課程で学び、作家になります。バイリンガルで書く作家は、先述したペマ・ツェテンさんとツェラン・トンドゥプさんで、チベット語と漢語の翻訳も自分達でしています。

ーー同じところで生を受けても、教育ルートによって、言語だけでなくインプットされる知識も大きく変わりそうですね。

星:そうですね。漢語教育を受けるか、民族学校でチベット語の教育を受けるかでインプットするものも変わりますし、特に古典作品の受容が全然違いますよね。古典の勉強は、その人の教養の素地を作りますから、同じ場所で育ったとしても、親に与えられた言語教育の中で読み書きを習得していく過程で、全く違う表現を身につけていきます。

先述したペマさんは、民族中学に進学しましたが、最初に書いた作品は漢語です。 その作品が、ラサのチベット自治区で発行されている漢語の文芸誌に発表されて、高く評価されてからは、チベット語で書き始めました。ただ、チベット語だけで映画を撮りはじめてからは、小説は漢語だけで書くことにシフトし、漢語の読者を獲得することに努めていました。

ーー漢語で書くことにこだわった理由は何でしょうか?

星:まずは漢語で書けば読者が増えるからでしょうね。教育環境の影響で漢語でしか読み書きのできないチベット人も大勢いるので、そういう人達にも届けることができます。チベットの人達にとって物語は目で読むものというより、耳を傾けるものという意識が根強いようで、ラジオで文学作品が朗読されることもあるそうです。特にコロナ禍のチベットではロックダウンが長期間続いたのですが、チベットの古典文学から現代文学まで、さまざまな朗読がインターネット上に掲載され、多くの人が耳を傾けたそうです。作家達はいろいろなことを考えてチベット語と漢語を使い分け、受容する方もそれぞれの環境で目で読んだり耳で聴いたり、選択しているのが今のチベットの状況ですね。

声で語ることを大事にする文化という意味では、日本でも漢文の素読であったり、落語があります。日本人が落語を楽しむようなイメージで文学を楽しんでいるチベット人がいるということですね。私もチベット人方式を真似て、日本語に訳した文学作品を朗読で紹介してみよう等と考えています。

ーー英語原作の小説『白い鶴』で、作中に「グリーン・ブレインド」とあり、英語では「環境問題に意識の高い」という意味があるものの、チベット語では「レバ・ジャング(脳+緑色の)」というイディオムをふまえ、思想的に腐っている、遅れたという意味で使われているそうですね。星さんは、混合語や作家が創作した言葉を、チベット語と英語の変換も踏まえながら翻訳をされているんですね。

星:『白い鶴』に限らず、チベット人作家の作品は、括弧で強調したり、注釈なしに「チベット語化した英語」と「チベット語を踏まえた英語」を多用したり、チベット語を英語風に書いてみたりと、複数の言語を自由に使った表現方法に富んでいます。そういった表現を「言語の脱領土化」と言いますが、英語という大言語に完全に乗っ取られるのではなく、大言語の中でチベット語の存在感をしっかりと放つ営みでもあります。

例えば、それを口頭でやっているのがシングリッシュやインド英語で、少言語で大言語を変容させていくような営みです。だから、英語で書かれた本でも、紛れもなくチベット人の作家が書いたものであり、英語しか知らない人には絶対に書けない表現がたくさん散りばめられていると思います。

ーー近日、日本では初となるチベットの女性作家の長編小説が刊行されるそうですね。

星:はい、ツェリン・ヤンキーという女性作家の長編小説『花と夢』 の翻訳が4月中旬に出ます。ラサの小さなアパートで共同生活をしながらナイトクラブで働く4人の娼婦のシスターフッドの物語です。4人共つらい過去があり、彼女達を待ち受ける運命も悲痛なものなのですが、それを温かく見守るようなまなざしで描いた素晴らしい作品です。女性達の会話がとても生き生きとしていて、彼女達がすぐ側にいるような感覚を味わえると思います。刊行は「春秋社」から。新しいシリーズ「アジア文芸ライブラリー」の1冊です。楽しみにしていただけるとうれしいです。

Photography Seiji Kondo

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世界的メイクアップアーティストの上田裕美、手探りでつかんだロンドンでの夢 https://tokion.jp/2024/02/23/hiromiueda-interview/ Fri, 23 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224754 「アルマーニ ビューティ」グローバル メイクアップアーティストとしても活躍する上田にインタビュー。

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上田裕美(Hiromi Ueda)/メイクアップアーティス

内面の輝きを際立たせるメイクを得意とするメイクアップアーティスト、上田裕美。2000年代に単身でロンドンに渡り、現在も同都市を拠点に活躍する日本人クリエイターの1人だ。当時は、まだ海外に出て活動する日本人も少なく、80年代、90年代と少しずつ日本人のクリエイターが海外に活躍の場を広げていった。世界各国から若いクリエイターが集まり、誰もが新しいことにチャレンジしていたロンドンには、過去の慣習から解き放たれ、新しいことをつくる自由な環境があったのだ。

時代はちょうどデジタルに移行する直前で、トレンドをけん引していたのはSNSではなく雑誌だった。さまざまな業界の人々に影響を与え、その潮流は世界に飛び火し、ロンドンで認められたクリエイターは、やがて世界のトップクリエイターとして羽ばたいていった。

ロンドンに来た当初は、何をするかわからず模索していた、と当時を思い出しながら語る上田。しかしメイクアップアーティストになると決めてから、さまざまな段階でいつも自分にチャレンジし、まさに文字通り手探りで実力をつけ、トップメイクアップアーティストとして世界を舞台に活躍するように。そんな彼女に海外でチャレンジすることの大切さ、そして現在の自分の仕事と生活、クリエイティビティについて聞く。

将来を模索していた20代

 ――ロンドンに来た時期と理由を教えてください。

上田裕美(以下、上田):初めてロンドンに来たのは、高校3年生の夏休み中です。友達数人と軽い気持ちで2週間ほど遊びに来ました。でもその時に刺激を受け、本格的に留学をしたいと思い、語学勉強をしに大学中に戻ってきました。

 ――メイクアップアーティストになるきっかけは?

 上田:大学在学中に1年間休学してロンドンの語学学校に通ったあと、本格的に移住するために2000年に再度ロンドンに来ました。初めの数年間は自分探しの時間で、将来何がしたいのか模索していましたね。当時はまだ20代前半。偶然知り合いにファッション業界の仕事をしている人やメイクアップの勉強をしている人が数人いて、彼等と交流しているうちに感化されてメイクの勉強を始めました。

その後メイクアップアーティストの仕事がしたいと思うようになってから、学校に通い、アシスタントを経て、少しずつやりたい仕事ができるようになっていきましたね。

――今に至る一番の転機となったのは?

上田:そうですね、人生の転機はいろいろあったと思います。他の都市ではなくロンドンに来たこと、そしていろんな友達に出会って刺激を受けたこと。移住当初のロンドン生活は本当に楽しかったですね。

夢の舞台で見た“新しい景色”

「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから
「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから

―― ロンドンでメイクアップアーティストを目指すことになり、大変だったこと、楽しかったことは?

上田:一番大変だったのは、フリーランスになった時。独立してからは、メイクの仕事をもらえるようになるために何から始めて良いかわからなかったです。資格のある職業ではないので、「私はメイクアップアーティストです」と決めたら次の日からでもなれますが、どうやって仕事をもらえるようになるのか見当もつきませんでした。そのため、とにかくアシスタントの仕事やファッション関係のアルバイトなどを率先して探し、少しずつ前進して行った感じですね。

この仕事に就いて良かったと思うのは、毎日違うチームやクライアントなど、違った形の仕事を世界各国の都市でできること。いろんな方とお仕事をご一緒させてもらって日々刺激を受けています。“ビューティ”に関わる仕事が好きなので、メイクしている時間はとっても楽しい。

――現在のエージェントはトップクリエイターが集まるエージェントとして有名ですが、ここに所属することになった理由は? 

上田:独立して最初に所属した事務所に7、8年いましたが、違う環境に入って新しいチャレンジをしてみたくなりました。その時期に知り合いのヘアアーティストから今のエージェントの話を聞き、興味があったので自分から連絡して会ってもらうことに。

――今まで仕事をされてきて、最も素晴らしいと感じたフォトグラファーやスタイリストはいますか?

上田:たくさんいますが、例えばパオロ・ロヴェルシのような大御所のフォトグラファーは、同じスタイルでクリエイションにこだわり続けられるのがすごいと思います。写真を見れば彼の作品だとわかりますから。

一方でデイビッド・シムズは常に新しいファッション・フォトグラフィーを探し続けている。ライトを何個も使ったり、いつも新しい写真を探したりする様子に感心させられます。ユルゲン・テラーもいつも斬新なフレームを探し続けており、本当に大好きな作品がたくさんあります。

――一番思い出に残っている仕事は? 

上田:デイビッド・シムズと『Arena homme plus』 のために撮影した仕事(2018年6月1日発売号「Avalon vs. The Fall」)で、数人のモデルにエアブラシで体全身にメイクをしたファッションストーリーですね。同じような作品は前にも後にも見たことがないです。たくさんのスタッフに手伝ってもらって、1日中モデルの体にスプレーしていました。

――メイクアップアーティストの魅力は?

上田:モデルや女優等がもともと持つ美しさを、メイクすることによってさらにきれいに見せることができたり、雑誌の撮影ではいつもと違うメイクをしたりすることでいろいろなキャラクターを作ることができる。さまざまな現場でいろいろな方と出会うことによって違う世界に出合えることも魅力の1つだと思います。

――仕事で最も気をつけていることは何ですか?

上田:私のメイク椅子に座られた方の良さを最大限に引き出すことです。

――メイクアップアーティストとして最も大切なことは?

上田:健康や体力に気をつけること。華やかに見られる世界ですが、メイクの仕事は体力勝負でもあります。いろんな国で仕事をするので飛行機に乗って移動の時間も多いですし、時差のある都市で早朝の暗い時間から働き始めることもたくさんあります。自分の時間が取れる時にはヨガやマッサージに行き、ゆったりとした時間を持つように心がけています。

――自分のスタイルを一言で表現すると? 

上田:「versatile (多面的)」です。

――あなたにとってクリエイティビティとは?

上田:カラフルなペイントなどで顔全体にする斬新なメイクだけではなく、いかに少量のプロダクトで肌をきれいに見せるかということも大切なクリエイティブです。写真や動画での光の中で、ヘアや洋服といった他の要素と合わせて、どのように見えるかを考えています。それによってメイクを調節して最高の美を全体でつくることも楽しいですね。

――インスピレーションを受ける映画や本などあったら教えてください。

上田:古い映画やいろんな国の映画を見るのが好きなので、そこから影響を受けていると思います。世界中に旅に出てさまざまな文化を持つ人達に出会っていろんなメイクを見るのが大好きです。

海外で感じた日本の美徳

――現在はメイクアップアーティストの仕事の他にデリカフェ「PINCH LA DELI」をオープンしましたね。 

上田:もともとレストラン関連の仕事をしていた主人が始めたデリで、飲食物以外の商品のキュレーションや内装のデザインを私が担当しました。自分の本職のメイクの仕事とは少し違った形でのクリエイションができて楽しいです。

――休日は何をしてリラックスしますか?

上田:リラクゼーションはヨガですね。普段出張が多いので、休日は息子と一緒に時間を過ごすのが楽しみです。

――ご自身の毎日の肌のケアはどのようなことをしていますか? 

上田:ほぼ毎日欠かさずやっているのは塗りマスクやシートマスク。またビタミンやレチノールなどのアクティブ剤を乳液に含めたり、リンパマッサージや顔の筋トレをしたりは、時間がある時にやっています。

――今一緒に仕事をされるチームの間で話題になっているスキンケアやメイクアップ製品は?

上田:サステナブルに力を入れている会社の商品にはみんな関心が高いですね。

――尊敬するメイクアップアーティストはいますか? 

上田:パット・マクグラス、ピーター・フィリップス、ダイアン・ケンダル……彼等は、長年トップの地位でいろいろなクリエイションをしていることや、常時メイクに注いでいる情熱と志の高さを尊敬します。

――海外で働くことの大変さ、そして楽しさは?

上田:長年海外にいるので大変さは忘れましたが、一番の楽しさは自由。周りの人や社会から干渉されることはロンドンで生活するなかで少ないと思います。もちろん、人に迷惑を掛けないことは基本ですが、あとは何をやっていても自分が納得していたらいい。ロンドンの生活ではいろいろな人種の方や違った文化の方と交わることで多くの刺激を受けています。

――自分が日本人だなあ、と一番感じる時は?

上田:いつも日本食を欲する時(笑)。

――実際に海外に出て、日本にいた時にはわからなかった日本の良さに気付いたり、日本人として誇りを感じたりすることはありますか?

上田:日本にいた時は、西洋優越主義的な考えを植え付けられていたのかもしれません。海外に出て日本の良さを痛感しています。そして日本の伝統文化や現代文化など海外の方に高い評価を受けていることを誇りに思います。ファッション界では特に日本のカルチャーに興味を持っている方も多く嬉しいです。素晴らしい文化を築いたご先祖や先輩方に感謝しています。

「アルマーニ ビューティ」グローバル メイクアップアーティストに就任

――今まで15年務めてきたリンダ・カンテロのあとを継いで「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストに新しく就任されましたね。おめでとうございます!

上田:ありがとうございます。グローバルメイクアップアーティストとして「アルマーニ ビューティ」に参加できることを、光栄に思いうれしい半面、責任の重さに身が引き締まる思いです。

――このお話はいつ承ったのですか?

上田:この半年間、「ジョルジオアルマーニ」「エンポリオ アルマーニ」「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」のコレクションのメイクを担当後、昨年の秋のショーが終わった頃にこの役職に就く話が具体化していきました。でも最終的に決定のお知らせをいただいたのは1ヵ月ほど前です。

――「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストとしてこれからの抱負を聞かせてください。

上田:メイクアップアーティストとして、ファッション業界で約20年間の経験を積んできました。その間に培った経験や知識を生かして「アルマーニ ビューティ」のさらなる発展に全力で貢献していきたいと思います。

――これから海外に出ようと考えている人達へのメッセージを。

上田:海外生活が合うか合わないかはわかりません。ですが、思い切って行ってみたら100%良い経験になると思います。行ってみて、やはり日本のほうが合っている、日本で頑張りたいと思えることもあるでしょう。それはそれでプラスの経験になるはず。日本や日本人の素晴らしさに気付けるだけでも良いことです。何事もやってみないとわかりませんよね。

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