世界的メイクアップアーティストの上田裕美、手探りでつかんだロンドンでの夢

内面の輝きを際立たせるメイクを得意とするメイクアップアーティスト、上田裕美。2000年代に単身でロンドンに渡り、現在も同都市を拠点に活躍する日本人クリエイターの1人だ。当時は、まだ海外に出て活動する日本人も少なく、80年代、90年代と少しずつ日本人のクリエイターが海外に活躍の場を広げていった。世界各国から若いクリエイターが集まり、誰もが新しいことにチャレンジしていたロンドンには、過去の慣習から解き放たれ、新しいことをつくる自由な環境があったのだ。

時代はちょうどデジタルに移行する直前で、トレンドをけん引していたのはSNSではなく雑誌だった。さまざまな業界の人々に影響を与え、その潮流は世界に飛び火し、ロンドンで認められたクリエイターは、やがて世界のトップクリエイターとして羽ばたいていった。

ロンドンに来た当初は、何をするかわからず模索していた、と当時を思い出しながら語る上田。しかしメイクアップアーティストになると決めてから、さまざまな段階でいつも自分にチャレンジし、まさに文字通り手探りで実力をつけ、トップメイクアップアーティストとして世界を舞台に活躍するように。そんな彼女に海外でチャレンジすることの大切さ、そして現在の自分の仕事と生活、クリエイティビティについて聞く。

将来を模索していた20代

 ――ロンドンに来た時期と理由を教えてください。

上田裕美(以下、上田):初めてロンドンに来たのは、高校3年生の夏休み中です。友達数人と軽い気持ちで2週間ほど遊びに来ました。でもその時に刺激を受け、本格的に留学をしたいと思い、語学勉強をしに大学中に戻ってきました。

 ――メイクアップアーティストになるきっかけは?

 上田:大学在学中に1年間休学してロンドンの語学学校に通ったあと、本格的に移住するために2000年に再度ロンドンに来ました。初めの数年間は自分探しの時間で、将来何がしたいのか模索していましたね。当時はまだ20代前半。偶然知り合いにファッション業界の仕事をしている人やメイクアップの勉強をしている人が数人いて、彼等と交流しているうちに感化されてメイクの勉強を始めました。

その後メイクアップアーティストの仕事がしたいと思うようになってから、学校に通い、アシスタントを経て、少しずつやりたい仕事ができるようになっていきましたね。

――今に至る一番の転機となったのは?

上田:そうですね、人生の転機はいろいろあったと思います。他の都市ではなくロンドンに来たこと、そしていろんな友達に出会って刺激を受けたこと。移住当初のロンドン生活は本当に楽しかったですね。

夢の舞台で見た“新しい景色”

「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから
「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」2024年春夏オートクチュール・コレクション。上田のインスタグラム(@hiromi_ueda)アカウントから

―― ロンドンでメイクアップアーティストを目指すことになり、大変だったこと、楽しかったことは?

上田:一番大変だったのは、フリーランスになった時。独立してからは、メイクの仕事をもらえるようになるために何から始めて良いかわからなかったです。資格のある職業ではないので、「私はメイクアップアーティストです」と決めたら次の日からでもなれますが、どうやって仕事をもらえるようになるのか見当もつきませんでした。そのため、とにかくアシスタントの仕事やファッション関係のアルバイトなどを率先して探し、少しずつ前進して行った感じですね。

この仕事に就いて良かったと思うのは、毎日違うチームやクライアントなど、違った形の仕事を世界各国の都市でできること。いろんな方とお仕事をご一緒させてもらって日々刺激を受けています。“ビューティ”に関わる仕事が好きなので、メイクしている時間はとっても楽しい。

――現在のエージェントはトップクリエイターが集まるエージェントとして有名ですが、ここに所属することになった理由は? 

上田:独立して最初に所属した事務所に7、8年いましたが、違う環境に入って新しいチャレンジをしてみたくなりました。その時期に知り合いのヘアアーティストから今のエージェントの話を聞き、興味があったので自分から連絡して会ってもらうことに。

――今まで仕事をされてきて、最も素晴らしいと感じたフォトグラファーやスタイリストはいますか?

上田:たくさんいますが、例えばパオロ・ロヴェルシのような大御所のフォトグラファーは、同じスタイルでクリエイションにこだわり続けられるのがすごいと思います。写真を見れば彼の作品だとわかりますから。

一方でデイビッド・シムズは常に新しいファッション・フォトグラフィーを探し続けている。ライトを何個も使ったり、いつも新しい写真を探したりする様子に感心させられます。ユルゲン・テラーもいつも斬新なフレームを探し続けており、本当に大好きな作品がたくさんあります。

――一番思い出に残っている仕事は? 

上田:デイビッド・シムズと『Arena homme plus』 のために撮影した仕事(2018年6月1日発売号「Avalon vs. The Fall」)で、数人のモデルにエアブラシで体全身にメイクをしたファッションストーリーですね。同じような作品は前にも後にも見たことがないです。たくさんのスタッフに手伝ってもらって、1日中モデルの体にスプレーしていました。

――メイクアップアーティストの魅力は?

上田:モデルや女優等がもともと持つ美しさを、メイクすることによってさらにきれいに見せることができたり、雑誌の撮影ではいつもと違うメイクをしたりすることでいろいろなキャラクターを作ることができる。さまざまな現場でいろいろな方と出会うことによって違う世界に出合えることも魅力の1つだと思います。

――仕事で最も気をつけていることは何ですか?

上田:私のメイク椅子に座られた方の良さを最大限に引き出すことです。

――メイクアップアーティストとして最も大切なことは?

上田:健康や体力に気をつけること。華やかに見られる世界ですが、メイクの仕事は体力勝負でもあります。いろんな国で仕事をするので飛行機に乗って移動の時間も多いですし、時差のある都市で早朝の暗い時間から働き始めることもたくさんあります。自分の時間が取れる時にはヨガやマッサージに行き、ゆったりとした時間を持つように心がけています。

――自分のスタイルを一言で表現すると? 

上田:「versatile (多面的)」です。

――あなたにとってクリエイティビティとは?

上田:カラフルなペイントなどで顔全体にする斬新なメイクだけではなく、いかに少量のプロダクトで肌をきれいに見せるかということも大切なクリエイティブです。写真や動画での光の中で、ヘアや洋服といった他の要素と合わせて、どのように見えるかを考えています。それによってメイクを調節して最高の美を全体でつくることも楽しいですね。

――インスピレーションを受ける映画や本などあったら教えてください。

上田:古い映画やいろんな国の映画を見るのが好きなので、そこから影響を受けていると思います。世界中に旅に出てさまざまな文化を持つ人達に出会っていろんなメイクを見るのが大好きです。

海外で感じた日本の美徳

――現在はメイクアップアーティストの仕事の他にデリカフェ「PINCH LA DELI」をオープンしましたね。 

上田:もともとレストラン関連の仕事をしていた主人が始めたデリで、飲食物以外の商品のキュレーションや内装のデザインを私が担当しました。自分の本職のメイクの仕事とは少し違った形でのクリエイションができて楽しいです。

――休日は何をしてリラックスしますか?

上田:リラクゼーションはヨガですね。普段出張が多いので、休日は息子と一緒に時間を過ごすのが楽しみです。

――ご自身の毎日の肌のケアはどのようなことをしていますか? 

上田:ほぼ毎日欠かさずやっているのは塗りマスクやシートマスク。またビタミンやレチノールなどのアクティブ剤を乳液に含めたり、リンパマッサージや顔の筋トレをしたりは、時間がある時にやっています。

――今一緒に仕事をされるチームの間で話題になっているスキンケアやメイクアップ製品は?

上田:サステナブルに力を入れている会社の商品にはみんな関心が高いですね。

――尊敬するメイクアップアーティストはいますか? 

上田:パット・マクグラス、ピーター・フィリップス、ダイアン・ケンダル……彼等は、長年トップの地位でいろいろなクリエイションをしていることや、常時メイクに注いでいる情熱と志の高さを尊敬します。

――海外で働くことの大変さ、そして楽しさは?

上田:長年海外にいるので大変さは忘れましたが、一番の楽しさは自由。周りの人や社会から干渉されることはロンドンで生活するなかで少ないと思います。もちろん、人に迷惑を掛けないことは基本ですが、あとは何をやっていても自分が納得していたらいい。ロンドンの生活ではいろいろな人種の方や違った文化の方と交わることで多くの刺激を受けています。

――自分が日本人だなあ、と一番感じる時は?

上田:いつも日本食を欲する時(笑)。

――実際に海外に出て、日本にいた時にはわからなかった日本の良さに気付いたり、日本人として誇りを感じたりすることはありますか?

上田:日本にいた時は、西洋優越主義的な考えを植え付けられていたのかもしれません。海外に出て日本の良さを痛感しています。そして日本の伝統文化や現代文化など海外の方に高い評価を受けていることを誇りに思います。ファッション界では特に日本のカルチャーに興味を持っている方も多く嬉しいです。素晴らしい文化を築いたご先祖や先輩方に感謝しています。

「アルマーニ ビューティ」グローバル メイクアップアーティストに就任

――今まで15年務めてきたリンダ・カンテロのあとを継いで「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストに新しく就任されましたね。おめでとうございます!

上田:ありがとうございます。グローバルメイクアップアーティストとして「アルマーニ ビューティ」に参加できることを、光栄に思いうれしい半面、責任の重さに身が引き締まる思いです。

――このお話はいつ承ったのですか?

上田:この半年間、「ジョルジオアルマーニ」「エンポリオ アルマーニ」「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ」のコレクションのメイクを担当後、昨年の秋のショーが終わった頃にこの役職に就く話が具体化していきました。でも最終的に決定のお知らせをいただいたのは1ヵ月ほど前です。

――「アルマーニ ビューティ」のグローバルメイクアップアーティストとしてこれからの抱負を聞かせてください。

上田:メイクアップアーティストとして、ファッション業界で約20年間の経験を積んできました。その間に培った経験や知識を生かして「アルマーニ ビューティ」のさらなる発展に全力で貢献していきたいと思います。

――これから海外に出ようと考えている人達へのメッセージを。

上田:海外生活が合うか合わないかはわかりません。ですが、思い切って行ってみたら100%良い経験になると思います。行ってみて、やはり日本のほうが合っている、日本で頑張りたいと思えることもあるでしょう。それはそれでプラスの経験になるはず。日本や日本人の素晴らしさに気付けるだけでも良いことです。何事もやってみないとわかりませんよね。

author:

田口 知世

東京でファッション誌の編集者として勤務後、90年代にロンドンに渡英。アレキサンダー・マックイーンのデビューコレクションなど、新ブリティッシュデザイナーブームを目の当たりにし、以降ロンドンをベースにフリーランスの編集・ジャーナリストとして活動し、これまで多くのファッションカルチャー&カルチャー誌に寄稿。ファッションコレクションレポート、デザイナーやクリエイターのインタビュー多数。現在は『ハーパース・バザー』や『TOKION』を中心に、『マノロ・ブラニクニュースペーパー』などにも寄稿。ファッション・アート・インテリアの分野において取材・翻訳、またファッション撮影のキャスティングやコーディネーションなども行う。ロンドン在住。

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