流線形 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/流線形/ Fri, 16 Apr 2021 03:28:07 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 流線形 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/流線形/ 32 32 クニモンド瀧口と「シティ・ミュージック」の時代――【後編】キャリアの原点と現在地、そしてシーンの今と未来への想い https://tokion.jp/2021/04/15/cunimondo-takiguchi-breaks-down-the-era-of-city-music-part2/ Thu, 15 Apr 2021 11:00:05 +0000 https://tokion.jp/?p=29389 現行シティ・ポップ・シーンのキーパーソンであるクニモンド瀧口(流線形)が、キャリアの原点や現在地、シーンに対する想いや見据える未来を語る。

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今や世界中に熱心なリスナーを持つに至った、日本のシティ・ポップ。なぜ、かの音楽は数多の人々をかくも惹きつけるのか。そしてそれは、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。その魅力と来し方・行く末を明らかにするべく、クニモンド瀧口を訪ねた。同氏は、自身のソロプロジェクト・流線形として、ゼロ年代以降に生まれた「新しいシティ・ポップ」の金字塔的作品の1 つである『CITY MUSIC』を2003年にリリースしシーンに登場。以降、流線形での楽曲制作の他、プロデュースワークやDJ、著述活動なども行い、現在のシティ・ポップ隆盛の礎を築いてきた人物だ。

前編に続く今回は、アーティストとプロデューサーその双方のキャリアにおける原点となる2枚の名盤と、最新作『Talio』について、そして海外に広がりゆく日本のシティ・ポップに対する想いや見据える未来について、語ってもらった。

現在のブームの起点とも語られる2枚の名盤の誕生背景

――後編では、まず、クニモンドさんのキャリアのスタート地点である流線形の『CITY MUSIC』(2003年)についてお話を伺いたたいと思います。当時、どのような思いを込めてこのアルバムを制作されたのでしょうか?

クニモンド瀧口:2001年に流線形の活動を始めた時、そこで実現したかったのは、山下達郎さんの『IT’S A POPPIN’ TIME』というライヴ・アルバムで感じたような、「都会的で洗練されていて大人なサウンド」だったんです。当時の日本の音楽シーンを振り返ると、90年代から流行が続いているアシッドジャズやディーバ系があったり、はっぴいえんどの系譜を感じさせるものやネオアコ~渋谷系の系譜にあるポップスがあったりして。かっこいい音楽は沢山ありましたが、僕がやろうとしていたようなサウンドを鳴らしているバンドは、あまりいなかったと思います。そんな中で、時代に合わせることなく、自分が好きな音を曲げずに作ったのが『CITY MUSIC』なんです。それと、これは今も心がけていることなんですが、「全てシングルカットできるような曲でアルバムを作る!」という気持ちで制作に臨んでいたのを覚えています。

流線形『CITY MUSIC』

――流線形は「バンド」ではなく、クニモンドさんが主宰する「プロジェクト」として定義されています。改めてその活動の在り方やこだわりについて教えてください。

クニモンド瀧口:流線形は僕のオウン・プロジェクトなんです。目指しているのが生バンドサウンドのプロダクションなので、バンド風に見せているのですが、実は他はサポートメンバーという(笑)。ただ、最近は固定のメンバーでやることが増えました。楽器にもこだわりがあって、ソフトウェア音源ではなく、極力本物を使いたいと考えています。例えばドラムの北山ゆう子が使うドラムセットは70年代のラディックを、鍵盤の平畑徹也はローズピアノや、クラビネットD6などを使用しています。それらに共通しているのは、単に僕が好きな音であるということ。つまり、流線形は僕の理想のバンドサウンドを追求するプロジェクトなんです。

――そんな流線形として活動する一方、クニモンドさんはプロデューサーとしても活動されています。その最初の代表作となる一十三十一さんの『CITY DIVE』(2012年)はどのような経緯でプロデュースを担当することになったのでしょうか?

クニモンド瀧口:初めて一十三ちゃん(一十三十一)を知ったのは2005年ぐらいかな? NHKの音楽番組で、大貫妙子さんと一緒にシュガーベイブの「いつも通り」を歌っているのを見て、「良い歌声だな〜」と思ったのが第一印象です。その後、実は知り合いとつながっていることが分かって、2006年にリリースした流線形の『TOKYO SNIPER』に、変名(江口ニカ)でヴォーカルとして参加してもらいました。その流れもあって、一十三ちゃんがレーベルを移った際に、(『CITY DIVE』プロデュースの依頼で)声をかけてくれたんです。

一十三十一『CITY DIVE』

――CITY DIVE』のサウンドは、流線形のバンドサウンドとは異なるところがありますね。

クニモンド瀧口:『CITY DIVE』に参加してくれたDORIANの作品を既に聴いていたこともあって、そこで鳴らされていた音像——「トラックメイカーやDJ視点のプロダクション」でアルバムを作りたいと考えていました。もう1人の参加者であるKASHIFも、ギタリストとしても有名ですが、トラックメイカーとして素晴らしい作り手なので、3人トラックメイカーとして、それぞれアレンジを進めていきました。

この「打ち込みで作る」ことをコンセプトとした『CITY DIVE』には、明確なリファレンス作品がありました。それは、佐藤博さんの『awakening』(1982年)です。

佐藤博は1947年生まれのシンガーソングライター・キーボーディスト・作曲家・プロデューサー。『awakening』は、鈴木茂&ハックル・バック、ティン・パン・アレーなどでの活動を経て渡米、帰国後の初作品としてリリース。山下達郎もギタリストとしてゲスト参加している。

この作品は佐藤さんがほとんど打ち込みで作ったアルバムで。「30年経ってここに帰ってきた」みたいな気持ちで制作を進めていましたね(笑)。実は、『CITY DIVE』制作時よりも前に、『BARFOUT!』誌の企画で佐藤博さんにインタビューしたことがあるんです。『CITY DIVE』が完成したら聴いていただこうと思っていたのですが、本当に残念なことにこの年に佐藤さんがお亡くなりになってしまい、その願いはかないませんでした。

――一十三十一さんのヴォーカルの魅力はどんなところだと思いますか?

クニモンド瀧口:一十三ちゃんの歌声は、聴けばすぐに誰が歌っているかわかるんです。それってなかなかすごいことですよね。スモーキーな感じでちょっと甘ったるい感じの歌い方——“媚薬系”と言われたりもしていますが——に彼女の独特の世界観が込められていて、「何を歌ってもその人の歌になる」というか、唯一無二の存在だと思います。

――両作品は、現在に続くシティ・ポップ・リヴァイバルの嚆矢、起点としても語られる作品となりましたが、改めて思うところをお聞かせください。

クニモンド瀧口:振り返ると、「これがいろいろなことのきっかけになっていたんだな」とは感じるんですけど、当時、何かを変えてやろうとか、リヴァイバルを起こしてやろうとか、そういった気持ちは微塵もありませんでした。ただ自分がやりたいことをやっていただけで、注目されたのは結果論というか、狙ったものではないんです。

流線形と一十三十一がタッグを組んだ『Talio』

――流線形として一十三十一さんとタッグを組み昨年11月にリリースした『Talio』は、ドラマ『タリオ 復讐代行の2人』のサウンドトラックとして制作されていますが、今作が生まれた経緯について教えてください。

クニモンド瀧口:『サイタマノラッパー』や『モテキ』なども手がけてきた岩崎太整さんがドラマの音楽プロデューサーを務めていて、最初に一十三ちゃんに声がかかったんです。その後、「シティ・ポップ」がキーワードに挙がっていたこともあって、一十三ちゃん経由で「流線形として一緒にやりませんか?」と僕に話が来たという経緯になります。ただ、劇伴音楽を作ると聞いた時に、「シティ・ポップ」というよりも、大野雄二さんや井上堯之さん、ミッキー吉野さんたちが作ってきたようなサウンドが思い浮かんでいて。流線形として参加するのであれば、そういったジャズファンク的な音楽をバンドサウンドでやりたいと思ったんです。それで、主題歌はシティ・ポップにするにしても、劇伴はそっち(ジャズファンク)の方向でやらせてもらえませんかと岩崎さんにお話をしたところ、OKをいただいたんです。

とはいえ、劇伴全体がジャズファンクになってしまうのもどうかと思って、一十三ちゃんと共同制作ということもあり、(流線形と一十三十一の両者で)曲を分担することにして。流線形はジャズファンク調の曲を作り、ヒトミちゃんはKASHIFと組んでシティ・ポップ調の曲を作るという役割分担で制作を進めていきました。

流線形/一十三十一『Tlio』

――初めての劇伴音楽の制作を進めていくにあたり、参考にした作品などがあれば教えてください。

クニモンド瀧口:作品が「復讐代行人」というテーマ・内容だったので、「刑事モノ」というよりは「探偵モノ」で、しかもアクションがあるドラマをまずはイメージしました。具体的に言うと、小さい時に見ていた「俺たちは天使だ!」「傷だらけの天使」「ザ・ハングマン」「探偵物語」などの作品ですね。

――オリジナルアルバムとは制作プロセスも異なるところがあったと思いますが、実際にはいかがでしたか?

クニモンド瀧口:音楽を制作する段階ではまだ映像ができていないので、「スリル」や「楽しい」、「哀しい」といったお題・キーワードに合わせて楽曲を作っていきました。具体的な制作方法は、メロディーをガッツリ固めるというよりは、アレンジ重視で、コード進行やアレンジのモチーフをメンバーに伝えて、スタジオでセッションして作り上げていくというような流れでした。中にはコード進行がワンフレーズしか決まっていなくて、メンバーが別の曲を録音している時に、別室で次の曲を考えている、という場面も多々ありました(笑)。

――非常にライブ感あふれる制作現場だったのですね。

クニモンド瀧口:その時にみんなで、「ティン・パン・アレーって、こういう感じでレコーディングしていたんだろうね」みたいな話をしていて。彼らは全員スタジオミュージシャンでもありましたし、レコーディングの現場でみんなでアレンジしながら作っていくような感じだったのかな、と。流線形でも最近はアレンジをバンドで行うことも多くて、僕が最初に元ネタというかラフを作って、膨らませていくような感じなんです。この『Talio』でも、例えば「The Sectionの曲『Bad Shoes』のリーランド・スクラーみたいなベースで」と言うと、ベースの松木俊郎はすぐ対応してくれました。ギターの山之内俊夫や、パーカッション&エンジニアの平野栄二も、付き合いが長いので僕が意図していることをすぐに汲んでくれます。人としても気持ちのいい人たちで、本当に一緒にバンドをやることが楽しくて仕方ないですね。僕の未熟な部分をフォローしてくれているメンバーには感謝しかありません。ともあれ、劇伴の制作は初めで大変なところもありましたが、今回でいろいろと学べたので、ぜひまたやってみたいですね。

――今作には元キリンジの堀込泰行さんがゲストで参加されていますが、その経緯について教えてください。

クニモンド瀧口:エンディング曲は一十三ちゃんが歌うと決まっていたのですが、オープニング曲は差別化したいという気持ちがあったんです。それで、岩崎さん、一十三ちゃん、僕の3人が合致して誘いたいヴォーカルとして堀込泰行さんにオファーしたところ、快諾していただきました。そして実は、堀込さんとは、この曲以外にも既に数年前に流線形として一緒にレコーディングをしているんです。アレンジに納得がいかないところがあって直しているんですけど、近いうちに発表できたらいいなと思っています。

――それは楽しみですね。あと、今作については、永井博さんがジャケットを手がけているというのも大きなトピックだと思います。

クニモンド瀧口:中学生の頃に(永井博がジャケットを手がけた)大滝詠一さんの『ロングバケーション』の洗礼を受けた世代なので、永井博さんは僕にとって長く憧れの存在でした。そんな永井さんとまさか知り合いになると思っていなかったんですが、2009年に発売した流線形と比屋定篤子の「ナチュラル・ウーマン」を聴いていただいていて、そのことをTwitterに書いてくださったのをきっかけにDJをご一緒するようになったんです。今回の作品で「メインビジュアルがあったら良い」という話が出たので、僕も一十三ちゃんも知り合いだった永井さんにお願いしてみようということになり、即決でした。狙い通り、番組でも特別な役割を果たした作品を提供していただきました。

永井さんの絵は、海外でも非常に人気が高く、今もどんどん広がっていっています。永井さんの絵を見ると、どこか心地よい場所へ運んでくれるような印象をいつも受けます。「どこの海かプールかわからないけど、なんかいいな」みたいな――。この感覚って、まさしくシティ・ポップの音楽を聴いた時に受けるものと似ていると思うんです。だから、シティ・ポップにおいて永井さんが特別な存在というのは、とても納得のいくところがありますね。

国境を越えるムーブメントへの想いと、今見据える未来

――近年の海外でのシティ・ポップ人気について、どのように考えていますか? 『Pacific Breeze: Japanese City Pop AOR & Boogie 1976-1986』に代表されるようなストレートな再評価から、ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンク文脈での再評価、アジア圏での独自進化などいろいろな文脈はありますが……

クニモンド瀧口:「ヴェイパーウェイヴでシティ・ポップが使われている」みたいな流れを意識したのは、2012年にGreeen  Linezというユニットが「Hibiscus Pacific」という曲で菊池桃子をサンプリングしているのを聴いた時が最初で。好き嫌いは置いておいて、海外の方たちがいろんな解釈で日本のシティ・ポップを発信するのはおもしろいと思うし、良いことだと思っています。時には日本で聴いていた僕らでも思いもよらないところに目をつけていたりして新鮮ですし、彼らの音楽を通して再発見することがあったりもします。あと、最近になってmacross 82-99を聴いてみたんですが、僕のアレンジがサンプリングされていてビックリしました(笑)。

――シティ・ポップの海外での広がりについて、クニモンドさんご自身で体感していることはありますか?

クニモンド瀧口:最近YouTubeを見て驚いたんですが、流線形の『TOKYO SNIPER』がアップされてから3ヵ月で35万再生になっていたんです。しかもコメントが1000件以上ついていて、そのほとんどが海外の方という状況で(笑)。ここ5年ぐらいは海外の方からの問い合わせも増えていて、最近やたら多いなと思っていたところだったのですが、ここから来ている方も多いのかもしれません。

――日本のシティ・ポップが海外に聴かれる経路として、YouTubeの存在はとても重要なのではないかと思います。

クニモンド瀧口:この数年で、YouTubeでシティ・ポップのミックスやフルアルバムを上げている人が増えましたね。その人たちが、日本人か海外の方かはわかりませんが、僕も聴いたことがない良盤がフルで上がっていたりします。これは、権利的な問題は考えなくてはなりませんが、海外の音楽好きにとっては嬉しいでしょうね。こういったことを含めて5年前とは状況が変わってきていて、さらにシティ・ポップの人気は加速しているようにも思えます。

――最後に、現在のシティ・ポップブームに対する思いと、ご自身の今後の目標について、お聞かせてください。

クニモンド瀧口:「シティ・ポップ」という言葉自体、解釈が曖昧なのでどの辺を切り取るかにもよるんですが、いろんな解釈のシティ・ポップが同時に進行していると思います。日本では、親の影響を受けた若手ミュージシャンやベテランがブームに乗ってシティ・ポップをやりはじめたり、海外では、言葉はわからないけどサンプリングソースとして使ったり、トラックメイカー解釈のシティ・ポップをやったり。その中で、「僕の役割は何だろう?」と考えることがあるんです。最近の音楽を聴いていると「親しみやすいメロディーが減ったな」と感じることが多くて、(自分の役割は)そこにあるのかな、と。シティ・ポップの良さは、アレンジの役割が大きいのですが、やはりメロディーや歌詞も大切で。僕は昭和歌謡の洗礼を受けた世代なので、特にメロディーの良さにはこれからもこだわっていきたいです。あとは、海外のミュージシャンと一緒にやりたいという気持ちはありますね。例えば、ジョーダン・ラカイやカマシ・ワシントンに参加してもらうとか……。海外と日本の境界線なしに音楽を作ることができたらいいなと思っています。

■流線形/一十三十一 Guest:堀込泰行/シンリズム/KASHIF
会期:4月16日、5月1日
会場:ビルボードライブ東京
住所:東京都港区赤坂9丁目7番4号 東京ミッドタウン ガーデンテラス4F
時間:1stステージ:開場 14:00/開演 15:00、2ndステージ:開場 17:00/開演 18:00
入場料:サービスエリア:7,300円/カジュアルエリア:6,800円

※本公演は新型コロナウイルス感染症対策用の座席レイアウトを使用し、公演を実施いたします
※ご来場前に必ず〈営業再開時の新型コロナウイルス感染症対策について〉内の〈お客様へご協力のお願い〉をご確認ください
※2021年4月16日の公演の2ndステージではライブ配信が行われます。お客様が映像に映り込む場合もございますので、あらかじめご了承ください
詳細は会場HPより確認のこと。

Photograpy Ryosuke Kikuchi

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クニモンド瀧口と「シティ・ミュージック」の時代――【前編】コンピレーション盤『CITY MUSIC TOKYO invitation』から、その来し方をたどる https://tokion.jp/2020/12/20/cunimondo-takiguchi-breaks-down-the-era-of-city-music-part1/ Sun, 20 Dec 2020 06:00:52 +0000 https://tokion.jp/?p=15301 世界中のリスナーを惹きつける日本のシティ・ポップ。その魅力と来し方を、現行シーンのキーパーソンであるクニモンド瀧口(流線形)が紐解く。

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今や世界中に熱心なリスナーを持つに至った、日本のシティ・ポップ。なぜ、かの音楽は数多の人々をかくも惹きつけるのか。そしてそれは、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。その魅力と来し方・行く末を明らかにするべく、クニモンド瀧口を訪ねた。同氏は、自身のソロプロジェクト・流線形として、ゼロ年代以降に生まれた「新しいシティ・ポップ」の金字塔的作品の一つである『CITY MUSIC』を2003年にリリースしシーンに登場。以降、流線形での楽曲制作の他、プロデュースワークやDJ、著述活動なども行い、現在のシティ・ポップ隆盛の礎を築いてきた人物だ。

2回にわたりお届けするインタビューの前編となる今回は、彼が選曲・監修を務めこの11月にリリースされた往年の名ポップソング・コンピレーション『CITY MUSIC TOKYO invitation』を糸口としながら、かの音楽の歴史を紐解いていく。

フォーキーな音楽とは差別化したくて「シティ・ミュージック」という言葉を使った

――11月にリリースされたコンピレーションアルバム『CITY MUSIC TOKYO invitation』のタイトルに使われている「シティ・ミュージック」という言葉は、クニモンド瀧口さんが主宰する流線形の1stアルバムのタイトルでもあります。まず、クニモンドさんが考える「シティ・ミュージック」の定義を教えてください。それは「シティ・ポップ」と異なっているのでしょうか?

クニモンド瀧口:流線形の1stが出たのは2003年なんですが、その頃は今みたいに「シティ・ポップ」という言葉が根付いていませんでした。「シティ・ポップス」と呼ばれている音楽はあったんですけど、それは、はっぴいえんどの系譜に連なるような、ロックやフォーキーなアーティストのものが多くて。そういう音楽とは差別化したいという思いがあったんです。僕がやっていた音楽は、はっぴいえんどではなくティン・パン・アレーの方が近くて、クロスオーバーなサウンドを目指していました。なので当時は、「シティ・ポップ」と言ってしまうとそっち(フォーキーな音楽)にイメージが引っ張られてしまうと思って、あえて「シティ・ミュージック」という言葉を使ったんです。

――用語の違いにはそのような背景があったんですね。

クニモンド瀧口:ただ、その「シティ・ミュージック」という言葉は、その時に僕が生み出したわけではありません。アメリカで、70年代後半になると「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」という言葉が誕生するんですけど、それまでは一般的なポップスよりももう少し洗練されたサウンドの音楽を「シティ・ミュージック」と呼んでいたんです。そのサウンドを定義する象徴的な作品を1つ挙げるとしたら、1975年にホルヘ・カルデロンというシンガー・ソングライターがリリースした、ずばり『CITY MUSIC』っていうタイトルのアルバムですね。そのあたりがターニングポイントというか、当時のニューヨークの、例えばローラ・ニーロとかその周辺の人達の作品が、70年代半ばぐらいになると、それまでフォーキーであたたかい感じだったのに、ジャズっぽい要素を持った都会的なサウンドに変化していくんです。そういったアメリカの流れをいち早く聴いていた細野晴臣さんや山下達郎さん達が、「日本でもこういうのやらない?」みたいな感じで始めたのが、ティン・パン・アレーやシュガー・ベイブだったんじゃないかなと思っていて。僕は、そういった「シティ・ミュージック」の定義の中で音楽を作っていきたいと思い、流線形の最初の作品のタイトルに掲げたんです。

――そんな「シティ・ミュージック」と、クニモンドさんはいつどのように出会ったのでしょうか?

クニモンド瀧口:家の近くに住んでいた大学生のお兄さんお姉さん達の影響もあって、小学生ながらにシュガー・ベイブも聴いたりしていました。ただ、小学生の時はフォークの方が好きでしたね。フォークギターも持っていて、アルペジオを練習して弾いたりもしていて。その頃はシュガー・ベイブと山下達郎も結びついていませんでしたね。中学生になると、周りの友達で何人かが山下達郎の『FOR YOU』のレコードを持っていて、そこで本格的に聴き始めるんです。僕は中学生の誕生日プレゼントに親にエレキギターを買ってもらったんですけど、(山下達郎の『FOR YOU』収録曲の)「スパークル」のカッティングをコピーしたりしていました。ティン・パン・アレーとかを聴き出すのもその頃ですね。

――山下達郎やティン・パン・アレーの音楽が、フォーク以上にクニモンドさんを夢中にさせたのはなぜでしょうか?

クニモンド瀧口:それについては決定的なエピソードがあって。中学2年生の時に、陸上部の仲良い3人組のうちの1人から「熱海に伯父さんが持っている別荘のマンションがあるから、遊びに行かない?」と誘われて、3、4日ほど泊まりに行ったんです。そして、マンションに着いて夜になった頃、たそがれてウォークマンを聴きながらベランダに出ると、ホテルやマンションの明かりや車のテールランプが見えて――。そんな中で山下達郎の『FOR YOU』の「FUTARI」とかがかかったりすると、たまらないものがありましたね。まるで自分が「物語の主人公」になったみたいな感覚になったんです。「ああ、なんか俺達いいよね、イケてるよね」みたいなことを実際に言った記憶があります(笑)。もし、そこでかかっていた音楽がフォークだったら、きっと違ったと思うんですよね。そのシチュエーションで山下達郎を聴いたっていうのは、気持ち的にすごく大きかった。音楽は元からすごく好きでしたが、「こういうサウンドが好きだ」と強く感じたのはその時が初めてで。ここが僕の音楽家としての原点だと思います。

――そこからは「シティ・ミュージック」をひたすら聴き続けてきたのでしょうか?

クニモンド瀧口:高校でバンドを始めた時はニュー・ウェイヴにハマって、ザ・キュアーやジョイ・ディヴィションなどのコピーをやっていました。だけど、変わらず山下達郎が大好きなままで、ずっと並行して聴いていましたね。その後、ザ・ジャムを好きになってポール・ウェラーを聴き始めて。その時にポールはスタイル・カウンシルで、ソウルミュージック的な音楽をやっていて、彼を通してニュー・ソウルを聴いたりもしていました。そこでソウルミュージックと「シティ・ミュージック」との親近性を感じたんです。「山下達郎がやっていることはソウルミュージックだよね」みたいなことを仲間達と話したりしていましたね。

20代になってからも、リアルタイムにリリースされる日本のポップミュージックはCDで買い続けていました。DJをやるようになった時は、「和物」が自分のアイデンティティーみたいなところがあったので、当時は珍しかったと思うんですが、日本語の曲を多くかけていましたね。僕は昔から日本と海外のポップミュージックに差があるとは感じてこなかったんです。ただ歌詞に使われている言葉が違うだけで。だから、「クラブで日本の曲がかかってもOKでしょ」と思っていました。

「シティ・ミュージック」は途絶えることなく連綿と続いてきている

――『CITY MUSIC TOKYO invitation』は、そのように日本のポップミュージックを「シティ・ミュージック」という観点から追い続けてきたクニモンドさんが初めて手掛けるコンピレーション作品です。そのコンセプトについて教えてください。

クニモンド瀧口:まず、90年代の曲を入れたかったというのはありますね。今はシティ・ポップのコンピレーション盤やYouTubeチャンネルもたくさんあって、そこでは80年代のものまではわりと聴けるんですけど、90年代になるとガクッと減っちゃうんですよ。90年代はCDの時代で、8cmCDでしか聴けない曲もあったりするんですが、廃盤になっていたり、サブスクが解禁されていないものも多い。それを拾いたかったんです。

それに、90年代のポップスは「J-POP」と一口に括られがちなんですけど、僕の中の感覚だと90年代も「シティ・ミュージック」をやっている人がたくさんいるんですよね、それは、70、80年代から脈々と続いているという感覚があります。その人達自身が「シティ・ミュージック」という括りを意識していたかは分かりませんが、ソウルやAORが好きで、その音楽性を自分達の楽曲に落とし込んでいたアーティストの系譜は90年代にも続いています。意外だと思うんですけど、今回のコンピレーションにも入れている、プリンセス・プリンセスの奥居香さんとかね。

クニモンド瀧口が選曲・監修を務めた『CITY MUSIC TOKYO invitation』

――90年代には「渋谷系」もありました。

クニモンド瀧口:そう、この間もその話題になったんですけど、今振り返るとピチカート・ファイブなんて完全に「シティ・ミュージック」だと思います。都会的で洗練された音楽っていう意味で。僕は90年代頭ぐらいの頃はタワーレコードでジャズのバイヤーとして働いていて、当時はアシットジャズをすごい売っていたんですけど、それを消化したポップミュージックをやり始めている日本人アーティストもいたりして。それも「シティ・ミュージック」の系譜と言えるんじゃないですかね。

――昨今、シティ・ポップのリヴァイバルということが声高に唱えらえていますが、クニモンドさんとしては、それは「途絶えることなくずっと続いてきたもの」という感覚なのでしょうか?

クニモンド瀧口:そうですね。その時代その時代に、後になったら「シティ・ポップ」と呼ばれそうな楽曲は今振り返るとたくさんあったなと思います。例えば今の時代のポップミュージックでサカナクションなんかも、後々そう呼ばれたりすることだってあるかもしれません。結局のところ、考え方というか、解釈の問題なんだと思います。昔、橋下徹さんが「フリー・ソウル」のコンピレーションシリーズを始めた時に、ソウルミュージックを昔から好きな人から「フリー・ソウルってなんだよ?」とか言われたと思うんですよ。シリーズも続くとルー・リードが入ってきたりして、「これソウルじゃねえよ」とか言われたりもあったかもしれません。でも、そこで重要なのは、橋下徹さんというフィルターを通してカテゴライズされた「フリー・ソウル」という視点・解釈で、その意味で統一感はあったと思っていて。この『CITY MUSIC TOKYO invitation』は、それと同じように、僕の解釈ということなんです。タイトルに「インビテーション」とつけたのは、シリーズ化していきたいという気持ちから。この一枚は招待状みたいなイメージで、この後も引き続き、僕の考える「シティ・ミュージック」を提示していきたいと考えています。

クニモンド瀧口が語る、『CITY MUSIC TOKYO invitation』収録楽曲の選曲ポイント

・01: ⾬のケンネル通り/EPO
僕にとっては定番の曲。1曲目に元気をつけたいなというところもあって、この曲を選びました。ラヴ・アンリミテッドとかあのあたりのサウンドへのオマージュの感じもあって、いいんですよね。

・02: 心から好き/宮沢りえ
「東京エレベーターガール」というドラマの主題歌で、「なんてオシャレな曲なんだろう!」と当時から思っていました。アシッド・ジャズとかグランド・ビートを取り入れた、海外に劣らないサウンドが印象的です。

・03: アップル -Apple-/PLATINUM 900
タワーレコード勤務時代に偶然聴いて大好きになりました。ジャミロクワイみたいなサウンドと、かわいらしいボーカルのギャップも良くて。山下達郎さんもいた〈エアレコード〉というレーベルから出ていたのは驚きでした。

・04: Easy Love/国分友⾥恵
国分友⾥恵さんは、昨今のシティ・ポップ・リバイバルで相当再評価された方ですね。この曲は小林和子さんが作詞しているんですけど、時代感と都会感をすごく感じさせる歌詞で、とても素敵なんです。

・05: 私達を信じていて/Cindy
シンディを意識したのは、山下達郎さんのバックでコーラスをやっていたからですね。この曲はアルバムにしか入っていないんですけど、特に好きな一曲で。クラリネットが入っていたりして都会感のあるサウンドに魅力を感じます。

・06: あなたがそばにいる理由/奥居香
プリンセス・プリンセスの奥居さんの曲を聴いた時に、「この人は絶対にAOR好きだ」と思っていたんですけど、ソロ作が出て聴いたら完全にそんな感じで。この曲は当時8cmCDでリリースされたのを買って聴いていました。

・07: 花を買う/野⽥幹⼦
90年代前半の曲で、ちょっと渋谷系的なところもあったり。このあたりは再評価されている傾向はありますよね。この曲が入っているアルバムの2曲目もいいんですけど、わりとクラブでかかったりしているので、こっちを選びました。

・08: Bitter Sweet/SECRET CRUISE
シャムロックのメンバーの曲。シャムロック自体はロックな感じであまり聴いていないんですが、これは鳥山雄司さんがやっていたというのもあって、アシッド・ジャズに寄せている感じでとても心地よいサウンドなんです。

・09: EMPTY HEART/PAZZ
藤原美穂さんという、Chocolate Lipsなどでも活躍されていた方がボーカルを務めているグループなんですけど、この曲はネッド・ドヒニーのオマージュなんですよね。その辺が刺さって選びました。

・10: あの時計の下で/Chara
CHARAの曲の中で一番好きといっても過言じゃない曲ですね。K COLLECTIVEにもつながるようなサウンドで。初々しさがあふれているCHARAのボーカルも、キュンとする感じでたまらないですね。

・11: トップ・シークレット (最⾼機密)/PIZZICATO FIVE
佐々木麻美子さんから田島貴男さんにボーカルが変わって2枚目のアルバムの曲。都会的な雰囲気がコンセプトに合うなと思って選びました。田島さんがいた時期は「シティ・ミュージック」感が強いですよね。

・12: さよならの景原曲:INVITATIONS/
大野さんは、NHKの子ども番組の歌とかを歌いつつ、その傍らでジャズシンガーもやっていた方で。これはシャカタクの曲が原曲で、まず演奏が素晴らしくて。大野さんの甘ったるい歌い方もいいんですよ。

・13: ほろほろ草⼦/マナ
マナさんは細野晴臣さんとCMの仕事をやっていたりした方です。この曲が入っているアルバムは、演奏がサディスティックスのメンバーで、言うことないですね。いい曲がたくさんが入っています。

・14: クリスタル・ナイト/KAORU
KAORUは、『ロフトセッション』っていうコンピレーションに入っている「星屑」という曲で知ったんです。この曲は、ソリーナっていうストリングスシンセの音が入っていたりして、クロスオーバーなサウンドが印象的ですね。

・15: ラスト・チャンス/ラジ
これはもう最高傑作。フリー・ソウルのコンピに入っていてもおかしくないようなアーバンな曲ですね。シンセベースを坂本龍一さんが弾いていて、アレンジが素晴らしい。アルバム自体は高橋幸宏さんプロデュースで、サディスティックスの延長みたいな感じもありますね。

・16: スターダスト・レディ/長谷川みつ美
この曲と出会ったのは10年くらい前で、誰かがDJでかけていたんです。アルファレコードから出ていたことにも驚きました。リクエストしたら許可がおりて、これが初CD化になります。メロウな感じで歌謡曲テイストなんですけど、ストリングスが入っていたりキラキラ感のあるアレンジで、とても魅力的な曲なんです。

・17: Love Light/YUTAKA
YUTAKAは、元々NOVOっていうセルジオ・メンデスの影響下にあるサウンドを奏でていたバンドのメンバーで。この曲は、アルファレコード設立者の村井邦彦さんが立ち上げた、アルファ・アメリカから出た最初の曲なんです。これから、もっと日本の「シティ・ミュージック」が世界に広がっていけばいいという願いを込めて、この曲を最後の曲に選びました。

Photograpy Ryosuke Kikuchi

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