クニモンド瀧口と「シティ・ミュージック」の時代――【前編】コンピレーション盤『CITY MUSIC TOKYO invitation』から、その来し方をたどる

今や世界中に熱心なリスナーを持つに至った、日本のシティ・ポップ。なぜ、かの音楽は数多の人々をかくも惹きつけるのか。そしてそれは、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。その魅力と来し方・行く末を明らかにするべく、クニモンド瀧口を訪ねた。同氏は、自身のソロプロジェクト・流線形として、ゼロ年代以降に生まれた「新しいシティ・ポップ」の金字塔的作品の一つである『CITY MUSIC』を2003年にリリースしシーンに登場。以降、流線形での楽曲制作の他、プロデュースワークやDJ、著述活動なども行い、現在のシティ・ポップ隆盛の礎を築いてきた人物だ。

2回にわたりお届けするインタビューの前編となる今回は、彼が選曲・監修を務めこの11月にリリースされた往年の名ポップソング・コンピレーション『CITY MUSIC TOKYO invitation』を糸口としながら、かの音楽の歴史を紐解いていく。

フォーキーな音楽とは差別化したくて「シティ・ミュージック」という言葉を使った

――11月にリリースされたコンピレーションアルバム『CITY MUSIC TOKYO invitation』のタイトルに使われている「シティ・ミュージック」という言葉は、クニモンド瀧口さんが主宰する流線形の1stアルバムのタイトルでもあります。まず、クニモンドさんが考える「シティ・ミュージック」の定義を教えてください。それは「シティ・ポップ」と異なっているのでしょうか?

クニモンド瀧口:流線形の1stが出たのは2003年なんですが、その頃は今みたいに「シティ・ポップ」という言葉が根付いていませんでした。「シティ・ポップス」と呼ばれている音楽はあったんですけど、それは、はっぴいえんどの系譜に連なるような、ロックやフォーキーなアーティストのものが多くて。そういう音楽とは差別化したいという思いがあったんです。僕がやっていた音楽は、はっぴいえんどではなくティン・パン・アレーの方が近くて、クロスオーバーなサウンドを目指していました。なので当時は、「シティ・ポップ」と言ってしまうとそっち(フォーキーな音楽)にイメージが引っ張られてしまうと思って、あえて「シティ・ミュージック」という言葉を使ったんです。

――用語の違いにはそのような背景があったんですね。

クニモンド瀧口:ただ、その「シティ・ミュージック」という言葉は、その時に僕が生み出したわけではありません。アメリカで、70年代後半になると「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」という言葉が誕生するんですけど、それまでは一般的なポップスよりももう少し洗練されたサウンドの音楽を「シティ・ミュージック」と呼んでいたんです。そのサウンドを定義する象徴的な作品を1つ挙げるとしたら、1975年にホルヘ・カルデロンというシンガー・ソングライターがリリースした、ずばり『CITY MUSIC』っていうタイトルのアルバムですね。そのあたりがターニングポイントというか、当時のニューヨークの、例えばローラ・ニーロとかその周辺の人達の作品が、70年代半ばぐらいになると、それまでフォーキーであたたかい感じだったのに、ジャズっぽい要素を持った都会的なサウンドに変化していくんです。そういったアメリカの流れをいち早く聴いていた細野晴臣さんや山下達郎さん達が、「日本でもこういうのやらない?」みたいな感じで始めたのが、ティン・パン・アレーやシュガー・ベイブだったんじゃないかなと思っていて。僕は、そういった「シティ・ミュージック」の定義の中で音楽を作っていきたいと思い、流線形の最初の作品のタイトルに掲げたんです。

――そんな「シティ・ミュージック」と、クニモンドさんはいつどのように出会ったのでしょうか?

クニモンド瀧口:家の近くに住んでいた大学生のお兄さんお姉さん達の影響もあって、小学生ながらにシュガー・ベイブも聴いたりしていました。ただ、小学生の時はフォークの方が好きでしたね。フォークギターも持っていて、アルペジオを練習して弾いたりもしていて。その頃はシュガー・ベイブと山下達郎も結びついていませんでしたね。中学生になると、周りの友達で何人かが山下達郎の『FOR YOU』のレコードを持っていて、そこで本格的に聴き始めるんです。僕は中学生の誕生日プレゼントに親にエレキギターを買ってもらったんですけど、(山下達郎の『FOR YOU』収録曲の)「スパークル」のカッティングをコピーしたりしていました。ティン・パン・アレーとかを聴き出すのもその頃ですね。

――山下達郎やティン・パン・アレーの音楽が、フォーク以上にクニモンドさんを夢中にさせたのはなぜでしょうか?

クニモンド瀧口:それについては決定的なエピソードがあって。中学2年生の時に、陸上部の仲良い3人組のうちの1人から「熱海に伯父さんが持っている別荘のマンションがあるから、遊びに行かない?」と誘われて、3、4日ほど泊まりに行ったんです。そして、マンションに着いて夜になった頃、たそがれてウォークマンを聴きながらベランダに出ると、ホテルやマンションの明かりや車のテールランプが見えて――。そんな中で山下達郎の『FOR YOU』の「FUTARI」とかがかかったりすると、たまらないものがありましたね。まるで自分が「物語の主人公」になったみたいな感覚になったんです。「ああ、なんか俺達いいよね、イケてるよね」みたいなことを実際に言った記憶があります(笑)。もし、そこでかかっていた音楽がフォークだったら、きっと違ったと思うんですよね。そのシチュエーションで山下達郎を聴いたっていうのは、気持ち的にすごく大きかった。音楽は元からすごく好きでしたが、「こういうサウンドが好きだ」と強く感じたのはその時が初めてで。ここが僕の音楽家としての原点だと思います。

――そこからは「シティ・ミュージック」をひたすら聴き続けてきたのでしょうか?

クニモンド瀧口:高校でバンドを始めた時はニュー・ウェイヴにハマって、ザ・キュアーやジョイ・ディヴィションなどのコピーをやっていました。だけど、変わらず山下達郎が大好きなままで、ずっと並行して聴いていましたね。その後、ザ・ジャムを好きになってポール・ウェラーを聴き始めて。その時にポールはスタイル・カウンシルで、ソウルミュージック的な音楽をやっていて、彼を通してニュー・ソウルを聴いたりもしていました。そこでソウルミュージックと「シティ・ミュージック」との親近性を感じたんです。「山下達郎がやっていることはソウルミュージックだよね」みたいなことを仲間達と話したりしていましたね。

20代になってからも、リアルタイムにリリースされる日本のポップミュージックはCDで買い続けていました。DJをやるようになった時は、「和物」が自分のアイデンティティーみたいなところがあったので、当時は珍しかったと思うんですが、日本語の曲を多くかけていましたね。僕は昔から日本と海外のポップミュージックに差があるとは感じてこなかったんです。ただ歌詞に使われている言葉が違うだけで。だから、「クラブで日本の曲がかかってもOKでしょ」と思っていました。

「シティ・ミュージック」は途絶えることなく連綿と続いてきている

――『CITY MUSIC TOKYO invitation』は、そのように日本のポップミュージックを「シティ・ミュージック」という観点から追い続けてきたクニモンドさんが初めて手掛けるコンピレーション作品です。そのコンセプトについて教えてください。

クニモンド瀧口:まず、90年代の曲を入れたかったというのはありますね。今はシティ・ポップのコンピレーション盤やYouTubeチャンネルもたくさんあって、そこでは80年代のものまではわりと聴けるんですけど、90年代になるとガクッと減っちゃうんですよ。90年代はCDの時代で、8cmCDでしか聴けない曲もあったりするんですが、廃盤になっていたり、サブスクが解禁されていないものも多い。それを拾いたかったんです。

それに、90年代のポップスは「J-POP」と一口に括られがちなんですけど、僕の中の感覚だと90年代も「シティ・ミュージック」をやっている人がたくさんいるんですよね、それは、70、80年代から脈々と続いているという感覚があります。その人達自身が「シティ・ミュージック」という括りを意識していたかは分かりませんが、ソウルやAORが好きで、その音楽性を自分達の楽曲に落とし込んでいたアーティストの系譜は90年代にも続いています。意外だと思うんですけど、今回のコンピレーションにも入れている、プリンセス・プリンセスの奥居香さんとかね。

クニモンド瀧口が選曲・監修を務めた『CITY MUSIC TOKYO invitation』

――90年代には「渋谷系」もありました。

クニモンド瀧口:そう、この間もその話題になったんですけど、今振り返るとピチカート・ファイブなんて完全に「シティ・ミュージック」だと思います。都会的で洗練された音楽っていう意味で。僕は90年代頭ぐらいの頃はタワーレコードでジャズのバイヤーとして働いていて、当時はアシットジャズをすごい売っていたんですけど、それを消化したポップミュージックをやり始めている日本人アーティストもいたりして。それも「シティ・ミュージック」の系譜と言えるんじゃないですかね。

――昨今、シティ・ポップのリヴァイバルということが声高に唱えらえていますが、クニモンドさんとしては、それは「途絶えることなくずっと続いてきたもの」という感覚なのでしょうか?

クニモンド瀧口:そうですね。その時代その時代に、後になったら「シティ・ポップ」と呼ばれそうな楽曲は今振り返るとたくさんあったなと思います。例えば今の時代のポップミュージックでサカナクションなんかも、後々そう呼ばれたりすることだってあるかもしれません。結局のところ、考え方というか、解釈の問題なんだと思います。昔、橋下徹さんが「フリー・ソウル」のコンピレーションシリーズを始めた時に、ソウルミュージックを昔から好きな人から「フリー・ソウルってなんだよ?」とか言われたと思うんですよ。シリーズも続くとルー・リードが入ってきたりして、「これソウルじゃねえよ」とか言われたりもあったかもしれません。でも、そこで重要なのは、橋下徹さんというフィルターを通してカテゴライズされた「フリー・ソウル」という視点・解釈で、その意味で統一感はあったと思っていて。この『CITY MUSIC TOKYO invitation』は、それと同じように、僕の解釈ということなんです。タイトルに「インビテーション」とつけたのは、シリーズ化していきたいという気持ちから。この一枚は招待状みたいなイメージで、この後も引き続き、僕の考える「シティ・ミュージック」を提示していきたいと考えています。

クニモンド瀧口が語る、『CITY MUSIC TOKYO invitation』収録楽曲の選曲ポイント

・01: ⾬のケンネル通り/EPO
僕にとっては定番の曲。1曲目に元気をつけたいなというところもあって、この曲を選びました。ラヴ・アンリミテッドとかあのあたりのサウンドへのオマージュの感じもあって、いいんですよね。

・02: 心から好き/宮沢りえ
「東京エレベーターガール」というドラマの主題歌で、「なんてオシャレな曲なんだろう!」と当時から思っていました。アシッド・ジャズとかグランド・ビートを取り入れた、海外に劣らないサウンドが印象的です。

・03: アップル -Apple-/PLATINUM 900
タワーレコード勤務時代に偶然聴いて大好きになりました。ジャミロクワイみたいなサウンドと、かわいらしいボーカルのギャップも良くて。山下達郎さんもいた〈エアレコード〉というレーベルから出ていたのは驚きでした。

・04: Easy Love/国分友⾥恵
国分友⾥恵さんは、昨今のシティ・ポップ・リバイバルで相当再評価された方ですね。この曲は小林和子さんが作詞しているんですけど、時代感と都会感をすごく感じさせる歌詞で、とても素敵なんです。

・05: 私達を信じていて/Cindy
シンディを意識したのは、山下達郎さんのバックでコーラスをやっていたからですね。この曲はアルバムにしか入っていないんですけど、特に好きな一曲で。クラリネットが入っていたりして都会感のあるサウンドに魅力を感じます。

・06: あなたがそばにいる理由/奥居香
プリンセス・プリンセスの奥居さんの曲を聴いた時に、「この人は絶対にAOR好きだ」と思っていたんですけど、ソロ作が出て聴いたら完全にそんな感じで。この曲は当時8cmCDでリリースされたのを買って聴いていました。

・07: 花を買う/野⽥幹⼦
90年代前半の曲で、ちょっと渋谷系的なところもあったり。このあたりは再評価されている傾向はありますよね。この曲が入っているアルバムの2曲目もいいんですけど、わりとクラブでかかったりしているので、こっちを選びました。

・08: Bitter Sweet/SECRET CRUISE
シャムロックのメンバーの曲。シャムロック自体はロックな感じであまり聴いていないんですが、これは鳥山雄司さんがやっていたというのもあって、アシッド・ジャズに寄せている感じでとても心地よいサウンドなんです。

・09: EMPTY HEART/PAZZ
藤原美穂さんという、Chocolate Lipsなどでも活躍されていた方がボーカルを務めているグループなんですけど、この曲はネッド・ドヒニーのオマージュなんですよね。その辺が刺さって選びました。

・10: あの時計の下で/Chara
CHARAの曲の中で一番好きといっても過言じゃない曲ですね。K COLLECTIVEにもつながるようなサウンドで。初々しさがあふれているCHARAのボーカルも、キュンとする感じでたまらないですね。

・11: トップ・シークレット (最⾼機密)/PIZZICATO FIVE
佐々木麻美子さんから田島貴男さんにボーカルが変わって2枚目のアルバムの曲。都会的な雰囲気がコンセプトに合うなと思って選びました。田島さんがいた時期は「シティ・ミュージック」感が強いですよね。

・12: さよならの景原曲:INVITATIONS/
大野さんは、NHKの子ども番組の歌とかを歌いつつ、その傍らでジャズシンガーもやっていた方で。これはシャカタクの曲が原曲で、まず演奏が素晴らしくて。大野さんの甘ったるい歌い方もいいんですよ。

・13: ほろほろ草⼦/マナ
マナさんは細野晴臣さんとCMの仕事をやっていたりした方です。この曲が入っているアルバムは、演奏がサディスティックスのメンバーで、言うことないですね。いい曲がたくさんが入っています。

・14: クリスタル・ナイト/KAORU
KAORUは、『ロフトセッション』っていうコンピレーションに入っている「星屑」という曲で知ったんです。この曲は、ソリーナっていうストリングスシンセの音が入っていたりして、クロスオーバーなサウンドが印象的ですね。

・15: ラスト・チャンス/ラジ
これはもう最高傑作。フリー・ソウルのコンピに入っていてもおかしくないようなアーバンな曲ですね。シンセベースを坂本龍一さんが弾いていて、アレンジが素晴らしい。アルバム自体は高橋幸宏さんプロデュースで、サディスティックスの延長みたいな感じもありますね。

・16: スターダスト・レディ/長谷川みつ美
この曲と出会ったのは10年くらい前で、誰かがDJでかけていたんです。アルファレコードから出ていたことにも驚きました。リクエストしたら許可がおりて、これが初CD化になります。メロウな感じで歌謡曲テイストなんですけど、ストリングスが入っていたりキラキラ感のあるアレンジで、とても魅力的な曲なんです。

・17: Love Light/YUTAKA
YUTAKAは、元々NOVOっていうセルジオ・メンデスの影響下にあるサウンドを奏でていたバンドのメンバーで。この曲は、アルファレコード設立者の村井邦彦さんが立ち上げた、アルファ・アメリカから出た最初の曲なんです。これから、もっと日本の「シティ・ミュージック」が世界に広がっていけばいいという願いを込めて、この曲を最後の曲に選びました。

Photograpy Ryosuke Kikuchi

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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