瀧見憲司 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/瀧見憲司/ Thu, 25 Aug 2022 11:55:44 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 瀧見憲司 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/瀧見憲司/ 32 32 瀧見憲司が語るセカンド・サマー・オブ・ラヴ期のプライマル・スクリームのサウンドと変遷について https://tokion.jp/2022/08/16/kenji-takimi-talks-about-primal-scream/ Tue, 16 Aug 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=140687 セカンド・サマー・オブ・ラブ期のプライマル・スクリームのサウンドと変遷について、DJの瀧見憲司が語る。

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もうすぐ開催される「SONICMANIA」「SUMMER SONIC」への出演および大阪・名古屋での単独公演が決定しているプライマル・スクリーム。今回のライヴで彼等は、1991年にリリースしたロック史上に残る名盤『Screamadelica』を全編演奏するという。ロックンロールとダンスミュージックを絶妙なバランスで融合させ、後のインディーロックに計り知れない影響を与えたプライマル・スクリーム。その後も作品を出すごとに進化を繰り返しながら、シーンの最前線を走り続ける彼等は一体どのような存在だったのか。当時、下北沢ZOO/SLITSで伝説のレギュラーイベント〈Love Parade〉をオーガナイズし、マッドチェスターやシューゲイザー・ムーヴメントに沸き立つUKの空気を東京に住む人々と共有していた瀧見憲司 / Kenji Takimi(Crue-L / Being Borings)に、プライマル・スクリームの魅力を存分に語ってもらった。

プライマル・スクリームとの出合い

──瀧見さん、ボビー・ギレスピーの自伝『Tenement Kid』はどうでしたか?

瀧見憲司(以下、瀧見):かなり引き込まれました。単なるミュージシャンの自伝を超えて、労働者階級文化の美しさの肯定と貪欲な音楽リスナーとしての客観性からくるディテールへの固執と洞察、音楽的シオニズムを追求しながら自己矛盾に溢れ、でも実感と信用のあるナイーブで誠実な人生のロードノベルとして最高におもしろい。すべての若者、特に音楽リスナー、バンドマン、DJは必読ですね。映像化は必至なのではないでしょうか。

──瀧見さんがプライマル・スクリームを初めて認識したのはいつ、どんなタイミングだったのでしょうか。

瀧見:ジーザス&メリーチェインのドラマーがやっているバンドということで、1985年のデビューシングル「All Fall Down」を確かUK EDISONかイースタン・ワークス(いずれもレコードショップ)で買ったのが最初ですね。単純に、「粗いけどいい曲を書くバンドだな」と思いましたし、ボーカルの甘さがかなり印象的でした。B面の「It Happens」のほうが好きでしたね。当時Creation Recordsの10番台は輸入盤店にも入荷するようになったので、ほとんど買っていたと思います。どれも音も悪くて粗いけど、惹きつけられるものがありました。2枚目のシングル「Crystal Crescent」も、B面の「Velocity Girl」のほうが好きでしたね。

──その頃、瀧見さんはどのような活動をされていましたか?

瀧見:音楽雑誌の編集者だったのですが、10代後半~20代前半だったことやCD普及前夜ということもあり、全体や歴史を「捉えず」に、というか「囚われず」に単眼的にUKの新しい音楽を追っていたと思います。

──具体的には?

瀧見:単純に洋楽の洗礼を受けたのがニューウェーヴ/ポストパンク、風俗的には新宿のディスコなので、その流れを汲んだものを追いかけつつ、社会勉強として業界の構図や編集の視点や作業を学んだ感じでしょうか。

ニューウェーヴ/ポストパンクはバウハウスなどの4AD周り、キリング・ジョークやザ・キュアーのような鋭角的でダークな世界観のバンドと同時に、ザ・スミスやアズテック・カメラのような、見た目的には陽性ナチュラルでシンプルなギターサウンド、それから実験精神に溢れたインダストリアルの一群や、さらに思春期の男としては(笑)、デートサウンドとしてのシャーデーやブルーアイドソウル群が同時期に存在していたので、多動分裂的な視聴体験が身についた感じですね。当時はボビーがまさかザ・ウェイクに参加していたとは知らなかったので、Creation Recordsの一連のバンドは音の質感も含めて「次世代の若者達」という認識でした。

──そんな中で、プライマル・スクリームについてはどんな評価をされていましたか?

瀧見:彼等のシングルや、ファーストアルバム『Sonic Flower Groove』についてはレビューを書いた記憶がありますが、当時自分の周りで評価している人にはまだ出会っていなくて。ボビーのルックスとスタイルは光っていましたけどね。当時の体感では、1960~1970年代のバンドのスタイルを写し絵的に再現するバンドは、いくら精度が高くて強度やコンセプトがあっても、リバイバル以上の評価はされなかったように思います。彼等やレーベルメイトのウェザー・プロフェッツ等は、ファッションも含めて1990年代以降に起きるリバイバル/リサイクル現象に先鞭をつけていたと思いますけど。レニー・クラヴィッツとストーン・ローゼズの登場が、そこら辺を力技で変革して認めさせた感じですかね。

音楽的なタームポイントとなった「Loaded」のリリース

──プライマル・スクリームの1990年の初来日公演はご覧になっていますか?

瀧見:もちろん観ています。渋谷 CLUB QUATTROだったかな。今だったら絶対にやらないことはわかるのですが、当時は友達と「『Tomorrow Ends Today』(未発表曲、当時ブートレグのテープが出回っていた)や『All Fall Down』やらないかなぁ」とか言って観ていました(笑)。セットリストのほとんどがセカンドアルバムの曲でしたが、「Loaded」と「Come Together」は確かやったんじゃなかったかな?

──その「Loaded」は彼等にとって、最も大きな音楽的タームポイントでした。この楽曲と、その後にリリースされた「Come Together」や「Higher Than The Sun」などのシングルに関しては、当時どのような評価をされていましたか?

瀧見:やはり「Loaded」のリリースは衝撃的でしたね。なぜならヴォーカルが入ってないから(笑)。ドラムも打ち込みで。例えとしてはたぶん合ってないと思いますが(笑)、BTSやBLACKPINKの新曲が、アコギ1本で歌のないインストだったら、的な衝撃ですかね。

──なるほど(笑)。

瀧見:しかも現代と違って前情報が全くない状態で、レコードを買ってきて針を落とした時の衝撃の実感はなかなか伝わらないと思いますが、かなり呆然とした記憶があります。現場でも同様で、自分がDJを始めたのは確か1988年の終わり頃で、ニューウェーヴ / ポストパンク流れの様々なUKサウンドとインディーロックを同時にかけていて、ザ・スミスはもちろん、プライマル・スクリームでいえば「It Happens」や「Crystal Crescent」、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Strawberry Wine」やマッカーシー、ボディーンズなどで盛り上がっていた記憶がありますね。「Ivy Ivy Ivy」が出たのが1989年の夏、当然ファンの間では盛り上がっていましたが、この頃は海外のメディア上で「マッドチェスター」が騒がれていたのもあり、アダムスキーや808ステイトのレコードも輸入盤屋の壁に大量に並び始めていました。

──「Loaded」のリリースは、「Ivy Ivy Ivy」から半年後の1990年初頭でしたね。

瀧見:現場や友達の間では、当初はB面の「Ramblin’ Rose」のほうが盛り上がっていました。ただ、ほぼ同時期にハッピー・マンデーズの「Madchester Rave On」とザ・ストーン・ローゼズの「What The World Is Waiting For」が出ているので、ここら辺で現場や周りの空気はかなり変わった気がします。「What The World Is Waiting For」のB面には「Fools Gold」が入っていて、この曲が当初B面だった(その後入れ替えて再リリース)のと、「Loaded」の関係は当時の現地の状況が垣間見られて興味深いですね。A&Rとメンバーの現場の距離というか。

アンドリュー・ウェザオールの名前はリミックスではなくプロデューサーとしてクレジットされていて、これとハッピー・マンデーズの「Hallelujah」のリミックスで彼を認識したのだと思います。「Loaded」はすぐにテリー・ファーリーのリミックスでボーカル入りがリリースされたので、それであの音が自分や現場でも完全に馴染みましたね。「Loaded」のリズムは当時リリースされたエディ・ブリケル・アンド・ニュー・ボヘミアンズのブートレグからサンプリングされていて、それはソウル・トゥ・ソウルをサンプリングしてるので孫引きなんですが(笑)、グルーヴが微妙に削ぎ落とされていて、グラウンド・ビートとつなぐ感じにならないところを含めて絶妙なんですよ。当時のスタジオ環境を考えると、時間的な制約も含めて、持って行ったレコードのこれがはまったからこれでいいや的な、いい意味での適当な感じがミラクルを起こしたのだと思いますね(笑)。

Tribute To Andrew Weatherall Mix Pt.2(All Vinyl) by Kenji Takimi
04:20あたりを参照

──さらにその半年後には「Come Together」がリリースされました。下北沢ZOOで開催されていた瀧見さん主催の〈Love Paradeに僕は足しげく通っていたのですが、いつも「Come Together」でものすごく盛り上がっていたのを記憶しています。

瀧見:この年、1990年、特に夏は本当に熱くて、「Come Together」はそれを象徴する決定打でしたね。ボビー自身が伝記でウィリアム・デヴォーンの名曲を引き合いに出しているように、当時の時代の熱気と普遍的なソウル/ロックのフィールが融合した名曲だと思います。この頃からプロモ盤をもらえるようになったのでリリース前に聞くことができたのですが、これは聴いた瞬間に全身の穴から体液が出たというか(笑)、テリー・ファーリーとピート・ヘラーによる原曲を生かしたプロダクションも素晴らしく、現場でも最初から爆発的に受け入れられたのを覚えています。

この年は毎月出る12インチが本当にすさまじくて、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Glider e.p. Remix」やスープ・ドラゴンズの「I’m Free」、エレクトロニックやEMF、フラワード・アップ、モック・タートルズ、ワールド・オブ・ツイストなどが同時多発的にギターバンドから変節して、いわゆるインディーダンスの名曲を連発していました。

──本当に、猫も杓子も16ビートを導入している感じでしたよね。

瀧見:ほとんどがBPM100あたりで、この手のバンドの人達が当時アシッドハウスを体験して「俺達もこういのやろう!」と考えて、なぜ皆このような、ハウスより遅いテンポ感になったのか謎なんですよね。「Loaded」や「Hallelujah」の影響なんですかね。

プライマル・スクリームがいわゆるハウスのフォーマットのトラックをリリースしたのは、メンバーのアンドリュー・イネスとヒプノトーンが手掛けた「Come Together」のリミックス盤(ザ・ヒプノトーン・ブレイン・マシーン・ミックス)で、これはBPM112なんですが、当時すごく速く感じたことを覚えています。

──DJ的な視点がとても貴重です。

瀧見:自分の「ハウス童貞」はこれらより少し前の、1987~1988年あたりのブロウ・モンキーズやファイン・ヤング・カニバルズ(彼等の変名、トゥー・メン、ア・ドラム・マシン・アンド・ア・トランペット)、スタイル・カウンシルやペット・ショップ・ボーイズの一連の12インチで破られていて、当時の自分は、「速い打ち込みの4つ打ちに歌の上手い姉ちゃんがコーラスやヴォーカルで入ってるのがハウス」という認識だったので(笑)、彼等が翌1991年に「Don’t Fight It, Feel It」をリリースした時、納得しながらも複雑な気持ちになったのを覚えています。

また、この時期はダンスアクトはもちろん、さまざまなアーティストが通常の12インチをリリース後、チャート対策もあって必ずリミックスや別バージョン入りで同素材別デザインのジャケットで同曲の2枚目の12インチをリリースしていて、それも含めて12インチシングルというフォーマットが熱かったですね。

歴史的名盤が量産された1991年

──この頃から、例えばフリッパーズ・ギターがプライマル・スクリームに強く影響を受けたり、Venus Peterのようなバンドが誕生したり、日本でもUKインディシーンが盛り上がり始めました。瀧見さんは、そうした動きをとても近い場所でご覧になっていましたよね?

瀧見:いい意味でも悪い意味でも時差とエラーがあって、本質的なことがわかってなかったからおもしろかったのかもしれないですね。よくわからないけど、これで盛り上がっているはずだから盛り上がろう、という共同幻想がクラブやレコード屋の現場を動かしていたような気がします。ほぼレコードからの情報だけで、いろいろなことを想像していたわけで。バンドはアレンジとしてはダンスミュージックのフォーマットを取り入れても、やはりそれはアレンジに過ぎなくて、それでもそれを続けていけば、先代のように独自のものになった可能性はあったかもしれませんが、現象としては続かなかった。自分達にとってのエクスタシーは、宇田川町のレコードだったんですよ(笑)。

──すてきな例えです。1991年にリリースされた『Screamadelica』については、当時どう評価していましたか?

瀧見:1990年の「Loaded」と「Come Together」の爆発的な盛り上がりがあったので、そこからの1年がすごく長かったように感じました。その後「Higher Than The Sun」と「Don’t Fight It, Feel It」がそれぞれリミックス盤2種も含めてリリースされ、9月にアルバムがリリースされるわけですが、自分が思うキーポイントは、「Come Together」がボビーの歌なしの10分超のウェザオール・ミックスなのと、「Higher Than The Sun」が2バージョン収録、しかもその1つはジャー・ウォブル(P.I.L)がベースを弾いているア・ダブ・シンフォニー・イン・ツー・パーツで、それを絶妙な位置に置いているところ。

普通のA&R視点で考えると、これはあり得ないと思う。実際にUS盤「Screamadelica」に収録された「Come Together」は、テリー・ファーリーのボーカル入りバージョンに差し替えられていますし。要するに、自分のエゴよりも共同体やコミュニティの状況に奉仕するという、ダンス・カルチャーの本質に耽溺没入していた時期の思いとこだわりが、「Inner Flight」と「Shine Like Stars」をもう1つのキーとして相対して『Screamadelica』を稀有な存在にしていると思いますね。そして「Movin’ On Up」と「Damaged」があることによって、ロックアルバムとして奇跡的なバランスを取れている。

──『Screamadelica』の特徴と本質を見事に言語化した非常に素晴らしい見立てです。

瀧見:個人的な思い出としては、まずライナー原稿を落としていること……本当にすみません! それからアルバムリリース直後に行われた2回目の来日公演では、川崎のCLUB CITTA’で当時バンドとDJの組み合わせで初めてレイヴ形式のオールナイト公演が行われ、そこでDJをしたこと。その時彼等がカバーしている曲の原曲をかけていたら、楽屋にいるメンバーが喜んでいたと聞いたことと、来るはずだったウェザオールが来なかったことですね。未だに代わりのDJが誰だったのかがわからない。このアルバムに関わっていた主要メンバーのうち3人、ロバート・ヤング、アンドリュー・ウェザオール、デニース・ジョンソンがもうこの世にいないと思うと泣けてきますね。

──同作は、ロックとダンスミュージックが接近した記念碑的な扱いを受けていますが、実際、後進のダンスミュージックにどの程度影響を与えたと思いますか?

瀧見:このアルバムは時代性が強く出ていて、総体としてはおぼろげな中に強固な全体像は見えるけど、個々の音楽性としては型ができる前の未分化な状態が並列されているので、もしもこのままいってくれたら独自の型とテクスチャーを獲得できたのではないかな、という思いはありましたね。結果的にアルバムに間に合わなかった、曲としての「Screamadelica」(Dexie-Narco EP」に収録)にはその片鱗が伺えますしね。型を作って、後に様々なシーンに影響を与えたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』や、数年後にUKでダンス・インダストリーが一大産業化した事を思うとそこは惜しいところかもしれません。そのあたり、『Demodelica』(『Screamadelica』制作時のデモ音源集)を聴くと、かなり興味深い発見がありますね。

──1991年にはティーンエイジ・ファンクラブの『Bandwagonesque』やマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』、スロウダイヴの『Just For A Day』などCreation Recordsから歴史的名盤が数多くリリースされました。

瀧見:1991年は、とにかくたくさんの歴史的作品がリリースされた年なので忘れがたいですね。自分としては、モーマスやフェルト、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが移籍してきた1987~1988年がCreationの第2黄金期だと考えると、この時期は間違いなく第3黄金期でしょうね。制作陣でエド・ボールもいて、独立したジェフ・バレットもHeavenly Recordingsで名作を連発していましたしね。あと、1991年のCreationのアルバムでは、ラヴ・コーポレーションの『Lovers』とモーマスの『Hippopotamomus』が自分にとっては重要です。

──『Screamadelica』以降のプライマル・スクリームの作品に関しては、どのように評価していましたか?

瀧見:続けてUKでの状況を考えれば、次作で当時急成長していたBoy’s Ownの関連アーティストと組んで『Screamadelica』の方法論を踏襲する事もできたと思うのですが、数年ダンスシーンに浸かりきって心身ともに疲れた揺れ戻しとして、バンド自体にチル・アウトが必要だったのと、ソングライターとしての原点回帰の2つの理由でアメリカ行きを選んだのが、転機になったのではないかと思います。

──なるほど。

瀧見:そういう部分は「Dexie-Narco EP」と、「Shine Like Stars」のウェザオール・リミックスが、当時予定があったのにリリースされなかった事に象徴されていると思いますね。メンタル的にもモード・チェンジをせざるを得ない状況だったのではないかと。彼等は実際に次作『Give Out,But Don’t Give Up』からのシングルで、リミックスをダスト・ブラザーズ(後のケミカル・ブラザーズ)やポーティスヘッドに頼んでいるので、これをウェザオールとやった時のような方法論でアーティストとともにオリジナル・トラックに寄せれば、ダウナーとアッパーに分化した当時のイギリスの状況を反映した時代性の高いものになる可能性もあったと思うのですが、バンドとしてはロックンロール回帰の方向へ行ったと。確かに先の方法論を進めるとバンドである必要性が薄れていくし、ライヴでどう再現するかという問題が出てくるので、それも含めてボビーが性格的にもバンド運営の方に重点を置いたのだろうと思いますね。勝手な想像ですが(笑)。『Give Out,But Don’t Give Up』のレーベルやハイプステッカーに『Screamadelica』のSunマークがある事を思えば、いろいろなことが想像できましたね。

自伝には彼の幼少期からのさまざまなエピソードが出てくるのですが、出自や共同体に対する抜き差しならないオブセッションと愛情が垣間見れるので、あながち間違いではないような気がします。見た目はロックスター然としてますが、美しき敗残者の気持ちがわかる人なのではないかと。

──今年プライマル・スクリームは「SONICMANIA」「SUMMER SONIC」への出演および大阪・名古屋での単独公演が決定し、「Screamadelica Live」を行う予定です。現在の彼等に期待すること、もしこれから彼等の音楽を聴こうと思っている若い音楽リスナーにおすすめの聴き方、楽しみ方などありますか?

瀧見:まず彼等に対しては、もう解散はないと思うので続けるところまで続けていってほしいですね。若い人達には、自分達にとっての『Screamadelica』や『Loveless』を見つけてほしいなと思います。その時代の音をリアルタイムで聴くのは、その時にしかできないことなので。

ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid

ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid
価格:¥3,000
出版:イースト・プレス

Photography Masahiro Arimoto

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対談:瀧見憲司 × 梶野彰一「今振り返るセルジュ・ゲンズブールの音楽・映画・生きざま」─後編─ https://tokion.jp/2021/09/14/kenji-takimi-x-shoichi-kajino-part2/ Tue, 14 Sep 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=57303 セルジュ・ゲンズブールの生きざまや音楽・映画について、〈CRUE-L RECORDS〉主宰・瀧見憲司と写真家/ジャーナリスト・梶野彰一が振り返る対談企画。後編は映画作家としての側面や、同氏の創作哲学について。

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作詞・作曲家・歌手から小説家、俳優に映画監督まで務めた多芸な才人。モラルに抵触する表現を行うことも厭わなかった挑発者。「レノマ」のジャケットに裾を切ったデニムを合わせ「レペット」のシューズを素足で履いたファッション・アイコン──。1928年にパリの地で生まれたロシア系ユダヤ人、セルジュ・ゲンズブール(1991年没)は、その生きざまや作品によりさまざまに評されてきた。そんなゲンズブールが初めて映画監督としてメガホンを取り、同氏と事実婚状態であったジェーン・バーキンが主演を務めた映画作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(フランスでの初公開は1975年)の4K完全無修正版が日本全国で順次公開中となっている。それを機として、改めて同氏の足跡や遺した音楽・映画について振り返るべく、対談企画を実施。

言葉を交わすのは、1991年に〈CRUE-L RECORDS〉を立ち上げ90年代以降の音楽シーンで際立った存在感を放ち続けるDJ/プロデューサーの瀧見憲司と、幾度もの現地訪問・滞在経験をもとに生きたフランス文化を日本に伝え続ける写真家/ジャーナリストの梶野彰一。90年代の国内シーンにおいて、ゲンズブールを含めたフレンチカルチャーの紹介者としての役割も果たしてきた両者による濃密な対話を前後編に分けてお届けする。日本の渋谷系カルチャーに与えた影響や音楽家としての側面にフォーカスした前編に続く今回は、映画作家としての側面や、同氏の生きざま、創作哲学について論じていく。

『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をはじめとした「タブー」だらけの映画作品

──タブーの話で言うと、ゲンズブールはタブーの塊みたいな人でもありますよね。しかも、今の時代性で見るとアウトなものばかりですし。

瀧見憲司(以下、瀧見):セクハラ、モラハラ、ミソジニー的女性蔑視、性倒錯、ドラッグ、ロリコン、炎上商法とか全部だよね。コンプラ的には全てNG(笑)。今だったら、ゲンズブールを好きな男性ってだけでNGって言う人もいるだろうし。あるタイプの女性にとっては、ゲンズブールがリトマス紙になっている可能性もあるよね。だから、もし彼が活躍する時代が今だったらどうなんだろうっていうのはあるよね。

梶野彰一(以下、梶野):映画も、今だったら作れないものばかりだし。彼の監督した映画って『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』はゲイの男性を愛してしまう女性の話。『シャルロット・フォー・エヴァー』は近親相姦の話。最後に撮った『スタン・ザ・フラッシャー』は少女趣味の露出狂の話って、字面だけ見るととんでもないですよ。

映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 4K完全無修正版』予告編

瀧見: 1本、『赤道』って一見まともな映画があったけど、それ以外はアウトだね。

──ゲンズブール没後30年を記念して再上映された彼の初監督作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』について、お2人はどんな感想がありますか。

瀧見:彼が監督してる4作とも画がきれいなんだけど、『ジュ・テーム』もすごく色彩がきれいだし、彼は画面比率に対して相当こだわりがある、とインタヴューで言っていたような。テンポ感は音楽とは違うかな。さっきのマルボロの話じゃないけど、『ジュ・テーム』の頃が彼が一番アメリカナイズされてた時代じゃない? 主演のジョー・ダレッサンドロは、ウォーホル映画に出てる有名なポルノスターで、アメリカのゲイアイコンなんです。それをゲンズブールが連れてきた。あと、ジェーン・バーキンの脱ぎっぷりのよさはすごい。『ジュ・テーム』もそうだし、『スローガン』『ガラスの墓標』とかの彼女の姿って、非グラマラスな美しさの一面を提示しているというか、胸のサイズを気にしている女性に確実に肯定感を与えてると思いますね。

【予告編#1】スローガン (1968) – セルジュ・ゲンスブール,ジェーン・バーキン,アンドレシア・パリシー 原題:SLOGAN

梶野:90年代、初めて観た時に僕はすごく不思議だったんですよ。あれ? フランスで撮ってるはずなのに、なんでこんなにアメリカンなの? って。

瀧見:フレンチを求めて見たら、あれ? ってなるよね(笑)。

梶野:まさにタイトルやテーマ曲からフレンチを求めて観たんです。それなのに、いきなり砂漠で、トラックにブリキのプレート、あんなアメリカンなダイナーみたいなのはフランスで見たこともないし、全然フレンチじゃないぞって(笑)。サントラにもバンジョーが入ってて、舞台はアメリカなのかな? と思いったら、最後までどこだかわからない。あえてノーウェアな感じにしたってあとから知ったんですけど、初めて観た時はとにかく違和感しかなかったですね。

瀧見:ファッションも含めて、彼なりにアメリカへの憧憬があったのではないかな? レコードもアメリカ盤は出てないでしょ。

梶野:そうですね。フランスのアメリカへの憧憬はなんか歪んでますよね。急に話が飛ぶんですけど、ダフト・パンクの映画『エレクトロマ』を観た時に『ジュ・テーム』と同じ感覚を覚えました。彼らの場合は完全にアメリカで撮ってましたけど、砂漠で車で急に走り出して、自ら爆破して突然終わってしまうって感覚にも同じものを感じましたね。

Daft Punk’s Electroma

瀧見:フランス人のアメリカへの憧れってことなんだろうね。

梶野:ですね。あと、『ジュ・テーム』ってあの曲とあの映画と結びついてるけど、もともとはバルドーのために書かれて、しかも録音したまま発売されなかったっていう事実も、あとから知った時に結構びっくりしました。

瀧見:お蔵入りだったバルドーのバージョンが発売されたのって86年ですしね。しかも、ジェーン・バーキンのバージョンがフランスだけじゃなく日本でも放送禁止だったから、リアルタイムじゃなくてもレコード買って聴くしかなかったんだよ。

梶野:そうだったんですね。かつての恋人のために書いた曲を新しい恋人と一緒にレコーディングして、さらにそれをテーマにあんな映画まで撮ってしまうという・・・ゲンズブールすごいなぁ。リトマス紙で言えば僕は完全アウトです(笑)。

キャリア最後の映画作品に残されていた、ゲンズブールとダフト・パンクのミッシングリンク

──梶野さんは「ジュ・テーム」の曲についてはどんな感想を持ってますか。

梶野:最初は単にエロティックな歌だなと思ってたけど、バルドーとのエピソード(自分のために世界で一番美しい曲を書いてと頼まれて、一晩で書いたという)などを含め、本当に美しい曲だと思ってます!

一同(笑)

瀧見:無限にカバーがあるしね。時代ごとのジャンルのカバーがあって、しかも悪いカバーがない。それだけ原曲が完成されてるんだよ。

Jane Birkin, Serge Gainsbourg – Je t’aime moi non plus

──瀧見さんはDJでかけたことあります?

瀧見:いや、オリジナルはテンポも含めてなかなかハードル高いよ(笑)。カバーはかけたことあるけどね。ニューウェイヴ時代にいくつかいいカバーがあって、それは直接的なエロさがあまりないから逆にかけやすいんだよ。

梶野:あと「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」って英語にすると、“I Love You, me neither”みたいなじゃないですか。“オレもそうじゃない”みたいなうまく訳せない彼の言葉のアヤにも痺れたものです。

瀧見:さっきダフト・パンクの話が出たけどさ、アレンジャー話に戻ると、ジャン=クロード・ヴァニエ、ジャン・ピエール・サバーとかと同時期に同じようなことやってた人がいるんですよ。ダフト・パンクのお父さんのダニエル・バンガルター。

梶野:そうだ、トーマのお父さん。

瀧見:70年代にCM曲とかやっていて、当然ディスコもさまざまな名義でやってるし、クラシックのディスコカバーとかやってるの。要するゲンズブールは同じような人にアレンジ頼んでたわけだから、絡む可能性もなくはなかったなって。

梶野:あり得たかもですね。その二者の絡みでいえば、ゲンズブールが最後に撮った映画『スタン・ザ・フラッシャー』で、露出狂に愛される女子高生役をやったエロディ・ブシェーズこそがトーマ・バンガルダーの奥さんなんです。ゲンズブールとダフト・パンクという自分にとっての2つの神のミッシングリンクがエロディだったんです。ちなみにこの夫婦はMr.オワゾことカンタン・デピュー監督の映画の中でこっそり共演してます。もちろんマスクなしで。

瀧見:(笑)。となると、ゲンズブールが生きてたらダフト・パンクが絡んでた感じはあったかもね。

梶野:絶対絡んでたでしょ!

反骨心と「裏」の表現の仕方

──おもしろいものができてたかもしれないですね。さて、ゲンズブールが生きた時代と今では状況もだいぶ違います。今の時代の中で、ゲンズブール的なものを活かすとすると彼のスピリット的な部分になるのかなと思いました。お2人はどのように感じますか。

瀧見:ゲンズブール的な露悪的な反骨心withダンディズムってことになると思うんだけど、それをどう表現するかが難しいよね。わかりやすい形で反抗しても反抗にならないし。

梶野:今、そのままやったら全部炎上するだけだし(笑)。ゲンズブールに惹かれた点でもあるんですが、僕は瀧見さんとかの影響を受けて、常に何かの裏ばっかり追っかけて来た感じなんです。ゲンズブールは今でこそ(?)国民的とか言われるけれど、絶対的な裏の存在。

──メインカルチャーに対してのカウンターって意味ですよね。

梶野:そうですね。ただ単に中指を立てたような何か単純なアンチみたいなものは、全然おもしろく感じられないんです。それに今って、裏を行くようなものが全部挑発的なものと受け取られて批判されて終わりじゃないですか。もちろん迷惑行為はダメだけど、皮肉っぽいユーモアを楽しむ余裕がない、正しさを求めすぎてるって風潮がつまらないなっていうのは思いますね。なので、今の裏ってなんだろう? ってわからないままずっと来てます。売れてないものが裏っていうのも違うし。

瀧見:それはマイナーだから。アンダーグラウンドとマイナーは違いますからね。

梶野:そうなんですよ。何かにメインストリームに対抗した裏が欲しいなとは思ってます。

瀧見:話は変わるけど(笑)、時代関係なく日本のフレンチって考えた時に、昨日ふと思ったことがあるんです。80年代の日本のジェーン・バーキン的な存在は小林麻美ですよね、結婚したのは田辺エージェンシーの社長。要するにスパイダース。スパイダースがすごいのは、メンバーの井上堯之と大野克夫は後に劇伴とかサントラとかやっていて、時代背景も含めてアラン・ホークショーとかの流れに近い。あと昔、僕は堺正章の家の裏に住んでたことがあって、マセラッティとかクラシックカーにきれいな奥さんを乗せてたのをよく拝見していて。本人はどう意識してるかわからないけど、70年代のゲンズブールのライフスタイルと絵的に近いなと、単純に思ってた時があって(笑)。

──しかもスパイダースには、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のムッシュかまやつさんもいますからね。

かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

瀧見:そう。だからスパイダース全員と内田裕也をプラスしたような存在が、ゲンズブールと相対する感じなのかなと思って。

梶野:あと、勝新(勝新太郎)も(笑)!

──それは強力です(笑)。

瀧見:芸能とサブカルには交わる部分と、決して交わらない部分があるけど、言ってみれば、フレンチカルチャーって当時はフランスの芸能界、ショービズ界だったわけだからね。結局エンタメとサブカルって、どこがマーケットの主体なのかで分かれるから。梶野くんが惹かれたのはそのサブカルチャーの部分。だから90年代以降のフレンチ再評価は、ファッションだったり、メインカルチャーじゃない部分に日本独自に勝手にスポットを当てて独自発展していったんだよね。

梶野:そうですね。まさにゲンズブールも80年代にはテレビにいっぱい出てるし、後期はある意味でショービズ界の人なんですよね。例えばテレビで500フラン紙幣に火をつけて燃やすとか、表の舞台でもいろんなことをやってたと思うと、それはそれですごいなって思いますよ。

スノッブとは、挑発的でありながらもエレガントでもあること

──では、今の時代で、ゲンズブールを感じるものってありますか。

梶野:僕は、多分90年代からずうっと「今のゲンズブールは?」というのを探し求めてたと思うんです。例えば、96年、ダフト・パンクの登場は1つの事件でしたけど、2000年以降、そういう存在を見出せずに、結局喪失感だけしかないですけど・・・。

瀧見:強いていえば、アメリカのラッパーとかになるんじゃない? カニエ(・ウェスト)とかだよね。わかりやすいメイク・マネー感は出ちゃうけど、さまざまな人種や性向の人々に新しい価値観や成功譚を提示しているのは間違いないでしょう。やってることではアンチモラルで成り上がって、しかもそれを全部見せるって意味では。

梶野:確かに、挑発ってところではそういうところに行くのかもしれないですね。ただ、ゲンズブールにはあのメイク・マネー感はなかったじゃないですか。常にエレガントさは残してたから。

瀧見:スノッブに対する感覚じゃない? ラッパーはいわゆる昔ながらのスノッブとは方向性が違うし。でもそれが現代なんですよ(笑)。

梶野:そうですよね。たぶん、お金持ったらバーキン買うじゃないですか(笑)。

瀧見:ジェーン・バーキンは知らなくてもね。実存主義が唯物主義に変わった悪例を象徴してるのが、バーキンという皮肉(笑)。なんか、前はスノッブってあまりいい言葉じゃなかったけど、最近はいいのかなって思うようになりましたね。

梶野:スノッブはゲップになるか屁になるか、迷っているシャンパンの泡。どっちにしても匂わせるものなんですかね。

瀧見:違うってことを態度で表すってことだよね。言葉であえて説明しない。だから、ゲンズブールは、そこがわかりにくいわけだよね。

ゲンズブールから学び、受け継いだものとは

──ゲンズブールは、受け取って感じ取ってくれっていうアーティストであったと。そんな彼から、お2人がどんなことを得たのか、学んだのかを聞かせてください。

瀧見:今、言葉で言わないって言ってしまったところですが(笑)。『スカトロジー・ダンディズム』と一緒にピエール・ブルデューの本でも読んどけって感じでしょうか。ゲンズブールが書いた本じゃないけど、『ディスタンクシオン』って本。自分の趣味趣向が社会的階層と自分の地位とかに全て影響してるって内容なんです。字面的には「『ディスタンクシオン』でも読んどけ、メルド」にしておこうかな(笑)。

梶野:意図して完全にゲンズブールに人生を狂わされたんだと思ってます。実家の墓よりモンパルナス墓地に行く回数が多いような人間ですよ(笑)。だから、多分俯瞰したら何も得ていないですよ。むしろ彼を知って、たくさん失ったはず。知らなければ知らないままで過ごせた快楽が多いというか。常にメインストリームを歩きたくないと思うようになったし、裏道はどこにある、っていうのを無意識に考えている気がします。例えるなら、最初、フランス・ギャルのかわいらしさに惹かれて、砂糖に包まれたものを食べてたら中に毒が入ってた。しかもその毒がかなり中毒性があって、数年後には甘いものは欲しくないけど毒だけ欲しい体になってしまった感じなんですよ(笑)。

──まさにですね(笑)。いい表現ですね。

梶野:言ったら『ジュ・テーム』も『シャルロット・フォーエバー』も罠だったんですよ。そんな感じで、常に毒に侵されたまま、抜けられなくなってます。

瀧見:ゲンズブール・ジャンキーだよね。自己投影の対象として。だって今の格好がもろだよね(笑)。ストレートに表現しないってことに影響受けてるのに、格好はストレートに影響受けてるパラドックスが面白いよ(笑)。

梶野:確かに、表面的な部分ではストレートに影響受けてます(笑)。一時は「レペット」(白いバレエ・シューズ)履いてましたし。そう、2年前にエディ・スリマンがセリーヌのショーをやった時に、ダンガリーシャツとか、アーミーのシャツにピンストライプのダブルのジャケットというルックが登場して、ゲンズブールだ! と思いました(笑)。エディ・スリマンは僕らと世代も近いし、カルチャーも器用に取り込む文脈の人なんで、ついに来たかって思いましたね。僕もね、とりあえず上下デニム合わせとけばいいやと思ってます(笑)。

CELINE 04 MEN SUMMER 20

瀧見:ある程度年とってくると、適当感というか、凝り過ぎないとりあえず感は重要。あと白い靴でしょ。

梶野:そうです。でも、このファッションはバーキンのアドバイスだったんですよね。ジーンズの裾を切りっぱなしにして、靴は清潔なバレエシューズにって。

瀧見:パンツは履いてる? ゲンズブールは履いてなかったでしょう。

梶野:履いてますよ(笑)。すみません、そこまでコピーしなきゃダメでしたね(笑)。

──ジェーン・バーキンのプロデュース目線が入ったことで、ゲンズブールの粋な感じが出たんですね。

梶野:そう、バーキンに会う前、バルドーと付き合ってた頃のセルジュはまだジャケットもシャツもピシッとしてたし。彼をドレスダウンさせたのはバーキンというのは有名な話なんです。無精髭にさせたのもバーキンでした。70年代の時代感もあったけど、彼女のプロデュースがあったから、いわゆるゲンズブールのスタイルが生まれたんじゃないですかね。

──あのスタイルが確立していなかったら、ここまでアイコン化されて無かったんじゃないですかね。

梶野:それはすごく思います。アーティストとしてバーキンをプロデュースしてたつもりが、セルジュ自身がバーキンにプロデュースされてしまっていたという。これも「ジュ・テーム」の呪力ですかね(笑)。

(5月某日渋谷にて)

瀧見憲司
DJ/プロデューサー。東京都生まれ。1988年頃からDJとして活動を開始し、1991年に〈Crue-L Records〉を設立。カヒミ・カリィやブリッジ、ラヴ・タンバリンズらを輩出し、「渋谷系」ムーブメントの隆盛を担った。2003年、初の自己名義となるミックスCD『KENJI TAKIMI THE DJ AT THE GATES OF DAWN-DANCESTONELIVE-』をリリース。ジャンルをまたぐ真にオルタナティブなDJスタイルと実力は世界中から高く評価されており、これまで欧米を中心とした海外DJ公演も多数行っている。

梶野彰一
フォトグラファー/アートディレクター/文筆家。1970年生まれ。10代の終わりにパリに魅せられて以降、パリと東京の往来を繰り返しながら、音楽やファッション、映画やアートのシーンと密に交流し、その写真と文章でパリのエスプリを伝え続けている。

Photography Tasuku Amada

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対談:瀧見憲司 × 梶野彰一「今振り返るセルジュ・ゲンズブールの音楽・映画・生きざま」―前編― https://tokion.jp/2021/07/12/kenji-takimi-x-shoichi-kajino-part1/ Mon, 12 Jul 2021 08:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=44609 セルジュ・ゲンズブールの生きざまや音楽・映画について、〈CRUE-L RECORDS〉主宰・瀧見憲司と写真家/文筆家・梶野彰一が振り返る対談企画。前編は90年代日本での再評価、音楽家としての全貌について。

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作詞・作曲家・歌手から小説家、俳優に映画監督まで務めた多芸な才人。モラルに抵触する表現を行うことも厭わなかった挑発者。「レノマ」のジャケットに裾を切ったデニムを合わせ「レペット」のシューズを素足で履いたファッション・アイコン──。1928年にパリの地で生まれたロシア系ユダヤ人、セルジュ・ゲンズブール(1991年没)は、その生きざまや作品によりさまざまに評されてきた。そんなゲンズブールが初めて映画監督としてメガホンを取り、同氏と事実婚状態であったジェーン・バーキンが主演を務めた映画作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(フランスでの初公開は1975年)の4K完全無修正版が日本全国で順次公開中となっている。それを機として、改めて同氏の足跡や遺した音楽・映画について振り返るべく、対談企画を実施。
言葉を交わすのは、1991年に〈CRUE-L RECORDS〉を立ち上げ90年代以降の音楽シーンで際立った存在感を放ち続けるDJ/プロデューサーの瀧見憲司と、幾度もの現地訪問・滞在経験をもとに生きたフランス文化を日本に伝え続ける写真家/文筆家の梶野彰一。90年代の国内シーンにおいて、ゲンズブールを含めたフレンチカルチャーの紹介者としての役割も果たしてきた両者による濃密な対話を前後編に分けてお届けする。前編となる今回は、90年代「渋谷系」での再評価や、音楽家としての創作の全軌跡を振り返る。

ゲンズブールとのファースト・コンタクト

──2人が、最初にゲンズブールを知ったのはいつ頃ですか。

瀧見憲司(以下、瀧見):僕は、たぶん「レノマ」の広告だと思う。80年代頭頃だと思うけど、日本で「レノマ」の代理店だったアルファキュービックっていう会社が、「レノマ」の広告を雑誌に打ちまくっていて、彼がジェーン・バーキンと一緒に写ってた記事か広告を見たのが最初だと思いますね。子ども心にいい女連れてるおじさんだなって印象があったかな(笑)。後にその写真を撮っていたのがデヴィッド・ベイリーだと知って驚いたり。この会社とゲンズブールの関係は強くて、来日に関して70年代から、ほとんどこの会社絡みだと思いますね。レコードは、いわゆる90年代再評価の前に3枚手に入れてるんだけど、僕は変な入り方をしていて。最初に「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のシングル、2枚目がなぜか『ラ・パレス・ライブ』(『Au Theatre Le Palace 80』)ってレゲエ時代のライブ盤(笑)。当時、それしかみつけられなかったんだよ。演奏はスライ・アンド・ロビーだから、後からカッコよさを認識するのだけど。あとは『ガラスの墓標』(『Cannabis』)のサントラをゲンズブールって意識しないで偶然買ってたという。

梶野彰一(以下、梶野):さすが、マニアックな入りですね(笑)。

瀧見:でも、ニューウェイヴ全盛期の10代には、良さとすごさはあんまりわからなかったかな。『ガラスの墓標』のサントラは、のちのちアレンジャーも含めてすごいレコードだなって自分内再発見するのですがね。

梶野:僕は、80年代の後半から90年代の頭に瀧見さんが下北沢ZOOでやってたイベント『LOVE PARADE』に通っていたんです。カヒミ・カリィさんがDJでフレンチをいっぱいかけた夜があって、それでジェーン・バーキンもフランス・ギャルもブリジッド・バルドーも知ったんですよ。

瀧見:そこが初めてだったんだ(笑)。

梶野:そうなんです。ジェーン・バーキンの存在やフランス・ギャルの曲は知ってたけど、レコードを買ったりって感じではなかったんです。その翌日に渋谷のHMVとかで買えるものは買って、そしたら全部の共通項がゲンスブール・プロデュースだったんです。あとは速攻でディグる感じでした(笑)。

瀧見:梶野くんは、その前は、僕がDJやってる時にプライマル・スクリームのボビーのコスプレしてステージに上がって来てマラカス振ってたような人間だったんですよ(笑)。

梶野:それまでUKの音楽が一番だと思ってた人間なのに、やっぱ俺はフレンチだったって気付いたんです(笑)。

──一気にフレンチに染まり、興味あるレコードを買いまくったと。

瀧見:しかも梶野くんは、いきなりフランスに行ってフランス・ギャルのレコードをものすごい量買って帰ってきたんですよ。それは当時結構衝撃でした。90年代当時の東京で、見たことないレコードいっぱい買ってきて、こいつすごいなと思いましたね(笑)。

梶野:それ以前もパリには行っていたのですが、それまでの影響はフランス映画や小説だけでした。フレンチ・ポップというものに目覚めて半年以内にまたすぐにパリに行ったんです(笑)。というのも、当時日本でフランス・ギャルのレコードって新譜だとベスト盤くらいしか売ってなかったんです。

──顔がどアップのフランス・ギャルのベスト盤をみんな買ってましたね。

瀧見:中古盤屋にあるのも、当時の日本盤の7インチくらいだったしね。あのベスト盤は当時渋谷界隈だけで1000枚以上売れたんじゃないかな。

梶野:そうでした。だから、フランスに行けばあると思ってフランスに行ったんです。それまでイギリスにレコード買いに行ってたけど、フランスでレコード屋をすっごい回りました。特にフランス・ギャルとジェーン・バーキンは、今では考えないくらい安い値段でした。

瀧見:フランスの人にしてみたら歌謡曲だからね。

梶野:ですよね。60年代のフランス・ギャルの4曲入りのコンパクト7インチというフォーマットがかわいくて、あれば全部買うくらいな勢いでした(笑)。

瀧見:そうやって梶野くんのフレンチ人生が始まったと。

梶野:ハイ、それから僕はロンドンは行かなくなりました。パリしかないと思って。

──職業フランス人が本格的にスタートしたと。

梶野:そうです(笑)。その頃はまだゲンズブール生きてたんですよ。亡くなったのが1991年だから、すれ違うチャンスがあったんです(笑)。

瀧見:当時のゲンズブールは、ピンと来なかったでしょ?

梶野:そうでした。当時は酔ってタバコを吸ってよぼよぼ歌ってるおじさんって感じで、その魅力にはたどり着けてなかったですね。

90年代「渋谷系」に端を発する日本での再評価

──90年代の渋谷系がきっかけで日本でのゲンズブール再評価熱が高まったわけですが、その理由ってなんだったと思いますか。

瀧見:簡単に言うと、90年代のフレンチ再評価のきっかけは間違いなくフリッパーズ・ギターとカヒミ・カリィだよね。そもそもカヒミがなんでゲンズブールに引っかかったかというと、彼女は20代の頭に音楽雑誌でカメラマンをやっていて、80年代後半に「レノマ」関係でゲンズブールが来日したとき彼女は彼を撮りに行っているんです。そこでゲンズブールへの熱が深まった感はあるのではないかな。アイコンとしての存在感やファッション、周りにいる女の人も含めて刺激を受けたんだと思う。

──ファッションアイコン、アーティスト、カルチャー感、音楽プロデューサーであり、周りの女性も魅力的だった。それが渋谷系の広がりとともにゲンズブールの人気も高まったと。

瀧見:そうだね。でも、やっぱり一番はファッションアイコン、カップルアイコンってところが強かったんじゃないかな。「レノマ」のイメージ戦略も含めて。カジュアルドレスダウンの先駆けというか、デニムの裾切って、煙草吸うっていうのも取り入れやすかったし。ゲンズブールとジェーン・バーキンのカップルって絵は強いよね。ただ、日本は特殊だよね。彼が親日家だったというのがあるにせよ、他の国に比べて彼の人気は圧倒的に高いと思いますね。男的にはいろいろな年代で自己投影と憧憬の対象としての親和性が高いのかもしれませんね。

梶野:そうですね。僕らがゲンスブールにハマったのが90年代頭だったじゃないですか。しばらくして、95年に映画『ジュ・テーム』の再上映があったんです。当時僕はレコード会社で働いてて、それを盛り上げる企画に誘われたんです。永瀧(達治)さん、サエキ(けんぞう)さん、川勝(正幸)さんを中心に映画配給会社、レコード会社、出版社などの業界の方々が集ってゲンスブール委員会みたいなのができて、ゲンスブール関連の映画が次々とリヴァイヴァル上映されたり、『ゲンスブール・トリビュート’ 95』ってカバーアルバムを作るなんてこともありました。そこからまた時代が進むと、日本の特異なゲンズブール再評価がソニック・ユースやベックにまで伝播したんですよ。サーストン・ムーアが日本に来るたびに、ゲンスブールのレコードがいっぱいあるぞって買いに行ったり、ベックは『メロディ・ネルソン』にオマージュしたような曲を作ったじゃないですか。

──ベックのアルバム『Sea Change』に収録されている「Paper Tiger」ですね。

Beck – Paper Tiger

梶野:さらに付け加えれば、ベックはシャルロットのアルバム『IRM』(2010年)をプロデュースするってとこまでたどり着くストーリーがありますね。

──音楽やカルチャーに鋭い視点を持った人達が、ゲンズブールのすごさに次々と魅了されていったということですね。梶野さんは、ゲンズブール本人の音楽にハマったタイミングはいつでしたか。

梶野:女優達の音楽にハマったあと、すぐにゲンスブールの9枚組CDボックス『De Gainsbourg À Gainsbarre』を買って本人の音楽的な魅力に取り憑かれました。特に初期の方のはよくわからなかったじゃないですか。シャンソンといえばシャンソンだし。それがボリス・ヴィアンの影響を受けてこんな内容の歌を歌ってるみたいなものがわかって徐々に沁み入ってきたんです。

音楽家としての全軌跡を1958年のデビューから振り返る

──では、1958年のデビューから初期のゲンズブールの音楽について聞かせてください。

瀧見:初期は10インチレコードでリリースされてるんだけど、最初からアレンジャーがボリス・ヴィアンをサポートしてたアラン・ゴラゲールなんです。デビューした時から、会社側も含めて周りは彼をボリス・ヴィアンの後継者として考えていたんだよね。

梶野:デビューの時に、ボリス・ヴィアンが推薦文を書いたんです。「彼をピアノとペンのある部屋に入れて、ぶらぶらしたり、考えたり、火をつけたり、また小さな穴を開けたり、好きなようにさせてみて下さい。その穴は、今にシャンソン界の大きな穴になるに違いありません!」とヴィアンのお墨付きをもらってるんですよ。

瀧見:ただ、ボリス・ヴィアンが若くして亡くなり共演はできなかったっていう。

梶野:ボリス・ヴィアンもさまざまな分野で多才を発揮して、歌手としては大きな成功は収めなかったけれど、ゲンスブールは完全にその血と精神を引きついでいました。

瀧見:もともとはゲンズブールは実存主義の影響下にあった人だから。彼ももともとはフランス人ではないし。

梶野:ロシア系ユダヤ人ですね。

瀧見:ゲンズブールは戦争を体験してナチスの迫害も受けてる。それは人生観は全然違うものになるよね。

──確かにそうですね。ゲンズブールの音楽でいうと、サウンドを変化させていくのが特徴的です。60年代の中盤は『ゲンズブール・パーカッション』(Gainsbourg Percussions)でラテン、アフロミュージックまで行きました。さらにはフランス・ギャル、フランソワーズ・アルディでポップソングを手掛け、大ヒットさせてしまったというのもすごい話です。

『ゲンズブール・パーカッション』(Gainsbourg Percussions)

梶野:そういう大衆性や柔軟さもゲンスブールは持っていたってことなんでしょうね。亡き川勝さんの言葉を借りると「ビートのプレイボーイ」。

瀧見:サウンドの変化で言うと、プロデューサー、アレンジャーも時代ごとに変わっていくので、彼のアレンジャー遍歴を追うとおもしろいんです。デビューから6枚目くらいまでがアラン・ゴラゲールで、彼は『ファンタスティック・プラネット』のサントラも手掛けていて、時代ごとにサウンドも変遷していくのですが、電子音時代の前までですね。その後がミシェル・コロンビエで、その流れで酩酊感とグルーヴが同居したサイケデリック期の『ガラスの墓標』と『メロディ・ネルソンの物語』がジャン=クロード・ヴァニエ。ジャン・ピエール・サバー(Jean-Pierre Sabard)はサントラで、『ジュ・テーム』『さよならエマニエル夫人』(Goodbye Emmanuelle)と『マダム・クロード』(Madame Claude)も手掛けてます。あと、イギリス人のアラン・ホークショーが、ゲンズブール版女性飼育論(Vu de l’extérieur)と『第四帝国の白日夢』(Rock Around the Bunker)、『くたばれキャベツ野郎』(L’Homme à tête de chou)をアレンジしてるんです。今言ったほとんどのアレンジャーが、数多くの劇伴とかライブラリーミュージックを手掛けている人で、ゲンズブールは、視覚的に音楽を表現するのが上手い人にアレンジを全部頼んでるんですよ。

──音楽も映画もやっていたゲンズブールらしいですね。

瀧見:これは想像だけど、たぶんゲンズブールって、曲を作る時に譜面だけ書いて、後は丸投げしてると思う(笑)。彼のリリース量も考えるとね。しかも、頼む相手が的確なんだよね。

サイケロックな名盤『メロディ・ネルソンの物語』が生まれた70年代

『メロディ・ネルソンの物語』(Histoire de Melody Nelson)

──なるほど。70年代のゲンズブールの才能の爆発ぶりはすごみを感じるほどですが、中でも『メロディ・ネルソンの物語』(Histoire de Melody Nelson)は現在に至っても評価を高めてるアルバムですよね。

瀧見:優雅なサイケデリックロックだよね。アレンジャーのジャン=クロード・ヴァニエは、リズム、メロディ、酩酊感って感じで、サイケデリックの揺れと音像を完全にわかってる人ですね。さらにオーケストラアレンジ等で、ロマンティシズムも加わる。その頃のゲンズブールは、ある種のブリティッシュ・ロックに傾倒していた。彼の70年代のアルバムでギターを弾いてるアラン・パーカーは、アラン・ホークショーのバンドの人で、さらにBlue Minkってサイケブルースバンドの人なんです。

──『メロディ・ネルソン』の演奏陣を調べたんですが、キーボードのロジャー・カラムもBlue Minkのメンバーでした。インパクトのあるベースを弾いてるのは、マンフレッド・マンにいたデイヴ・リッチモンドだったという。あと、エレクトリックバイオリンがジャン・リュック・ポンティ、ジミー・ペイジの師匠と言われてるビッグ・ジム・サリバンがギターを弾いてたり、ドラムのダギー・ライトって人はジョン・バリー・セブンのメンバーでした。

瀧見:ジョン・バリーということは、ジェーン・バーキンの元夫としてつながるね(笑)。

梶野:おぉ〜(笑)。

──バンド演奏はイギリス・レコーディングで、まさに腕利きのセッションマンが集結してる感じがします。

瀧見:アラン・パーカーもそうだけど、そこら辺はイギリス側のアラン・ホークショーが選んだと思う。その流れでいうと、劇伴作る人はみんな時代によって作るものが変わるんです。依頼されるしそれに応えるから(笑)。実はレア・グルーヴで有名なモホークスも彼なんだけど、アラン・ホークショーも、70年代後半には当然ディスコやるわけですよ。さまざまな名義で。それでゲンズブールが出したシングルが、映画『Les Bronzés』の挿入歌だった「Sea, Sex and Sun」なんです。

梶野:そうなんですね。あの映画はパトリス・ルコントのデビュー監督作なんですけど、映画がまたくだらなくて最高なんですよ(笑)。

瀧見:そうなんだ。パトリス・ルコントの映画『フェリックスとローラ』にはシャルロットが出てるし、そういう意味ではつながってるんだね。でも「Sea, Sex and Sun」はアルバムに入らなかったけど、その時代にあの路線でディスコアルバムを1枚作ってほしかったなって。

梶野:そうですね。あの軽い感じのノリはいいですよね。ゲンスブールはこの曲についてだったと思うんですけど、こうも言ってましたね。「5分で作った曲ばかりヒットする」。

瀧見:その1年後に、スライ・アンド・ロビーがアレンジャーの『フライ・トゥ・ジャマイカ』(Aux armes et cætera)でレゲエになっちゃったからね。なんで彼がディスコアルバム出さなかったかっていうと、たぶん『マダム・クロード』(Madame Claude)と『さよならエマニエル夫人』(Goodbye Emmanuelle)でやっちゃったからだと思う。

──なるほど。ゲンズブールのディスコアルバムは欲しかったですね。

瀧見:そうですね。「Sea, Sex and Sun」は未だにDJでかけてる曲なんですよ。10年くらい前かな、クロアチアのフェスで昼間の船上パーティでDJをやる機会があって、そのときもかけたんです。紺碧のアドリア海の船上であの曲をかけると当然盛り上がり、そしたらみんな脱ぐんですよ。すごい美人の人とか。その絵が忘れられないですね(笑)。

梶野:いい話じゃないですか(笑)。

瀧見:その思い出もあり、夏の海辺でDJやる時は今でも必ずかけます(笑)。あと、2001年にゲンズブールのリミックス集『I Love Serge』が出ているのだけど、「Sea, Sex And Sun」のDemon Ritchieリミックスがいいんですよ。原曲を活かしたすごくいいバージョンで。あれには「Requiem pour un c…」のThe Orb Remixが入ってるんだけど、あれも永遠のクラシックだね。ちょっと、ジャン=クロード・ヴァニエの話をしてもいい?

──どうぞ。

瀧見:僕も90年代に梶野くんに負けないくらいフランスに行ってる時があったんです(笑)。年に4〜5回とかカヒミのレコーディングとかで行ってたんですよ。その頃、知らないレコードをあてずっぽうにたくさん買ってて(笑)、その中にジャン=クロード・ヴァニエのレコードがあったんです。2000年代の頭くらいにレコードを聴き返してる時に、この名前見たことあるなと思ってふとゲンズブールのレコードを見たら、ジャン=クロード・ヴァニエで衝撃を受けましたね。ジャン=クロード・ヴァニエって2000年代中盤からいろいろ作品が再発されたんだけど、歌の無い『メロディ・ネルソン』みたいなのとか、びっくりするくらいいいサントラとかあるんですよ。

梶野:フランスのサントラ専門レーベルから出たんですか?

瀧見:いや、アンディ・ヴォーテルってアーティストがやってるファインダー・キーパーズ(Finders Keepers)ってレーベル。だから、イギリスのレアサイケの再発見のラインで再発してるんだよね。その頃バレアリック文脈で自分の家のレコード掘ってたんで、ゲンズブールとは別のラインで捉えてたから、ヴァニエとゲンズブールがつながってたってことに驚きましたね。後、ジャン・ピエール・サバーがArpadysというコズミック・ディスコのユニットやってたり、ゲンズブールのアレンジャー人脈の相関音楽地図は本当に興味深いですよ。

更新を止めなかった80年代のゲンズブール、そして90年代のリミックスヒット〜再評価へ

──長く音楽を聴いてると、偶発的に点と点がつながったみたいな瞬間ありますよね。さて、ゲンズブールは80年代に入ると、81年の『星からの悪い知らせ』(Mauvaises Nouvelles des étoiles)で前作『フライ・トゥ・ジャマイカ』に続きレゲエをやり、そのあとデヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』に影響を受けてアメリカで84年に『ラヴ・オン・ザ・ビート』(Love on the Beat)を制作しました。

『ラヴ・オン・ザ・ビート』(Love on the Beat)

瀧見:『ラヴ・オン・ザ・ビート』と87年に出た最後のアルバム『囚われ者』(You’re Under Arrest)のアレンジャーは、ビリー・ラッシュってサウスサイド・ジョニー&ジ・アズベリー・ジュークスの人なんです。

──まさにゲンズブールは、自分の更新を止めない人ですね。

瀧見:そうだよね。いろいろ飽き性なのも含めて(笑)。だから、その後のゲンズブールも聴きたかったですよね。そのあと、91年に「Requiem Pour Un Con (Remix 91)」が出たよね。あのリミックス盤が渋谷系ジャストのタイミングだった。あれは日本では渋谷系ヒットだけれど、原曲のブレイク・ビーツはテンポ問わず多くのトラックに相当援用されてるクラシックですね。

「Requiem Pour Un Con (Remix 91)」

梶野:彼の死後に出されたんでしたね。

フレンチはそもそもマニアなジャンルで「レア・グルーヴ」的

──2パックとかデヴィッド・ボウイみたいな感じですね。ではここで、90年代に梶野さんがゲンズブールにずぶずぶハマっていったの話を改めて聞かせてほしいです。そこまでゲンズブールに惹かれた理由が知りたいです。

梶野:僕は、とにかくゲンズブールの深みにどんどんハマっていったわけですけど、UKのニューウェイヴ、ポストパンクから一気に“自分はフレンチだ!”って自分を正当化する存在としてゲンズブールがいてくれたんです(笑)。2000年代に入る前に各アルバム再発されたんですけど、その前はレコードもすごく高かったんですよ。

瀧見:『メロディ・ネルソン』のダブルジャケットが1万とか2万だったもんね。

梶野:日本でフランス盤のレコードを買えるお店ってほとんど無かったし、輸入盤の量も少なかったし、そもそも欲しがる人も少なかった。

──もともとはマニアが買うものでしたよね。

梶野:そうなんですよ。フレンチって、音楽ではマニアックなジャンルなんですよ。

瀧見:だから、一種のレアグルーヴの流れなんだよね。

梶野:そうでした。ゲンスブールって、瀧見さんのようにレアグルーヴ的、DJ的に音を掘っていくこともできるし、さらに進むと彼の歌詞の言葉遊びも楽しくなってくるじゃないですか。そっちの方もわかるようになりたいなと思っていろいろ勉強しました。

瀧見:フランス語の勉強はいつ頃からしたの?

梶野:大学でもちょっとやってたけど、それだけだとゲンスブールのことまではわからないのでその後に勉強しました。

瀧見:フランス人も、彼の言葉はわからないって言ってた。

──言葉的に難しい表現をしてるってことですか?

梶野:表現が難しいというよりは、言葉遊びが上手なんだと思います。そもそもフランス人は普段の会話も歌のようだし、語尾の韻を踏んでるような文章を書くような人達だと思うんですが、ゲンスブールは挑発が上手いんだと思います。これは言葉遊びというよりは隠喩ですけど、有名なのはフランス・ギャルが「アニーとボンボン」という曲を歌って大ヒットしたんですけど、それが実はフェラの歌だったってあとで知った彼女が怒っちゃったってこととか。そういういたずらっぽい仕掛けがいろんなところにあるのに気づかされたんです。音的じゃないところでも楽しめるアーティストだなと思ってどんどん好きになっていきましたね。

瀧見:梶野くんは、レアグルーヴ的にゲンズブールって人そのものを人間レアグルーヴ的に掘って行ったんだよね。歌詞もファッションも含めて、ジタン吸ったり(笑)。

梶野:ハイ、その頃はジタン吸ってましたね(笑)。不味いし臭いんですよ、あれ。

瀧見:ショートホープみたいなもんでしょ。

梶野:そうです。ジタンを吸うのをやめたのは、ある時シャルロットも含めてフランス人はマルボロライトしか吸わないって知ったからなんです。それからはマルボロライトにしました(笑)。

瀧見:吸う吸わない関係なく、フランス行くとジタンはパッケージのよさで買ってたよね。

梶野:ですね。ただ、今ヨーロッパのタバコのパッケージって全面エグい病気の写真じゃないですか(笑)。そこに持ってるかっこよさはもはや無いんですよね(笑)。

瀧見:タブーの概念って変わっていくからね。

後編に続く)

瀧見憲司
DJ/プロデューサー。東京都生まれ。1988年頃からDJとして活動を開始し、1991年に〈Crue-L Records〉を設立。カヒミ・カリィやブリッジ、ラヴ・タンバリンズらを輩出し、「渋谷系」ムーブメントの隆盛を担った。2003年、初の自己名義となるミックスCD『KENJI TAKIMI THE DJ AT THE GATES OF DAWN-DANCESTONELIVE-』をリリース。ジャンルをまたぐ真にオルタナティブなDJスタイルと実力は世界中から高く評価されており、これまで欧米を中心とした海外DJ公演も多数行っている。

梶野彰一
フォトグラファー/アートディレクター/文筆家。1970年生まれ。10代の終わりにパリに魅せられて以降、パリと東京の往来を繰り返しながら、音楽やファッション、映画やアートのシーンと密に交流し、その写真と文章でパリのエスプリを伝え続けている。

Photography Tasuku Amada

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瀧見憲司による「クルーエル」×WAVEがコラボ 限定ヴァイナル3枚とコラボTシャツをリリース https://tokion.jp/2021/06/04/crue-l-x-wave/ Fri, 04 Jun 2021 03:56:00 +0000 https://tokion.jp/?p=36851 瀧見がディレクションした「クルーエル」×WAVE初の限定ヴァイナル。1月に急逝したオオスミタケシをフィーチャリングした幻の楽曲等も収録。

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DJの瀧見憲司が主宰するインディペンデント・レーベル「クルーエル・レコード(以下、クルーエル)」と WAVE のコラボレーションアイテム第1弾が6月11日に、第2弾が6月18日にそれぞれ発売する。WAVE店舗とオンラインストアの他THE CONTEMPORARY FIX京都のWAVEコーナーで取り扱う。WAVEオンラインストアでは、第1弾が6月10日、第2弾が6月17日の20:00にそれぞれ一部商品を先行販売する。

今回のコラボでは瀧見がディレクションした「クルーエル」×WAVE初の限定ヴァイナル3枚をリリースする。第1弾は、「クルーエル」の特徴である折衷主義を抽出した6曲入りのコンピレーションアルバムで、数々のサブ・ジャンルの先鞭を付けたトラックを全曲ニューリマスタリングした作品だ。GonnoやDJハーヴィー、セイント・エティエンヌによるリミックス、ティアーズ・フォー・フィアーズの名作カバー、1月に急逝したオオスミタケシをフィーチャリングした幻の楽曲等、未発表や初ヴァイナル化を含む楽曲を収録した。


第2弾は、瀧見によるNew Re-Editをカップリングした “Crue-L Grand Orchestra feat. Philip Ramirez – Spend The Day Without You (KT Re-Edit)”と“Magic Touch & Laura Ingalls / 9dw – Being Borings Remix”がリリースされる。“Crue-L Grand Orchestra feat. Philip Ramirez – Spend The Day Without You (KT Re-Edit)”は多くの著名 DJ にプレイされたディスコ・クラシックの名曲のリミックスとKeita Sano による未発表 Doomy Piano Techno Remixを編集した限定の7インチ。“Magic Touch & Laura Ingalls / 9dw – Being Borings Remix”は瀧見とTomoki KandaのBeing Borings によるニュー・リミックスをカップリングした限定の12インチだ。

6月11日の発売に合わせて瀧見による DJ MIX “CRUE- LWAVE MIX”がWAVEオフィシャルサイトにて公開。第1弾リリース作品の収録曲も使用しつつ、ジャンルを超えたモダン・バレアリックな内容になっている。なお、グラフィックアーティスト・YOSHIROTTEN によるコラボレーションビデオも公開している。動画の音楽には、同作の収録曲「BEING BORINGS / The Cult Of Elegance feat.EDDIE C(GONNO Re-Edit)」を使用している。

Artworks YOSHIROTTEN
Animation Tatsunori Kasai (YAR)
Music BEING BORINGS / The Cult Of Elegance feat.EDDIE C(GONNO Re-Edit)

また、各リリース時に合わせて、“CRUE-LWAVE”のコラボレーショングラフィックや「クルーエル」が1990年代にリリースした名盤コンピレーションアルバム“Hello Young Lovers”などを使用したTシャツやロンT、コーチジャケットなども発売する。

第2弾では、YOSHIROTTENがアートディレクションを手掛けた「クルーエル」×ウィメンズシューズブランド「サキアス」の7インチレコードサイズのバッグと“FIX IT IN THE MIX”のプリントTシャツも発売する。

店頭とオンラインストアともに CRUE-LWAVE の商品購入者には先着でコラボレーションステッカーのノベルティが付く。(なくなり次第終了)。

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