対談:瀧見憲司 × 梶野彰一「今振り返るセルジュ・ゲンズブールの音楽・映画・生きざま」─後編─

作詞・作曲家・歌手から小説家、俳優に映画監督まで務めた多芸な才人。モラルに抵触する表現を行うことも厭わなかった挑発者。「レノマ」のジャケットに裾を切ったデニムを合わせ「レペット」のシューズを素足で履いたファッション・アイコン──。1928年にパリの地で生まれたロシア系ユダヤ人、セルジュ・ゲンズブール(1991年没)は、その生きざまや作品によりさまざまに評されてきた。そんなゲンズブールが初めて映画監督としてメガホンを取り、同氏と事実婚状態であったジェーン・バーキンが主演を務めた映画作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(フランスでの初公開は1975年)の4K完全無修正版が日本全国で順次公開中となっている。それを機として、改めて同氏の足跡や遺した音楽・映画について振り返るべく、対談企画を実施。

言葉を交わすのは、1991年に〈CRUE-L RECORDS〉を立ち上げ90年代以降の音楽シーンで際立った存在感を放ち続けるDJ/プロデューサーの瀧見憲司と、幾度もの現地訪問・滞在経験をもとに生きたフランス文化を日本に伝え続ける写真家/ジャーナリストの梶野彰一。90年代の国内シーンにおいて、ゲンズブールを含めたフレンチカルチャーの紹介者としての役割も果たしてきた両者による濃密な対話を前後編に分けてお届けする。日本の渋谷系カルチャーに与えた影響や音楽家としての側面にフォーカスした前編に続く今回は、映画作家としての側面や、同氏の生きざま、創作哲学について論じていく。

『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をはじめとした「タブー」だらけの映画作品

──タブーの話で言うと、ゲンズブールはタブーの塊みたいな人でもありますよね。しかも、今の時代性で見るとアウトなものばかりですし。

瀧見憲司(以下、瀧見):セクハラ、モラハラ、ミソジニー的女性蔑視、性倒錯、ドラッグ、ロリコン、炎上商法とか全部だよね。コンプラ的には全てNG(笑)。今だったら、ゲンズブールを好きな男性ってだけでNGって言う人もいるだろうし。あるタイプの女性にとっては、ゲンズブールがリトマス紙になっている可能性もあるよね。だから、もし彼が活躍する時代が今だったらどうなんだろうっていうのはあるよね。

梶野彰一(以下、梶野):映画も、今だったら作れないものばかりだし。彼の監督した映画って『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』はゲイの男性を愛してしまう女性の話。『シャルロット・フォー・エヴァー』は近親相姦の話。最後に撮った『スタン・ザ・フラッシャー』は少女趣味の露出狂の話って、字面だけ見るととんでもないですよ。

映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 4K完全無修正版』予告編

瀧見: 1本、『赤道』って一見まともな映画があったけど、それ以外はアウトだね。

──ゲンズブール没後30年を記念して再上映された彼の初監督作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』について、お2人はどんな感想がありますか。

瀧見:彼が監督してる4作とも画がきれいなんだけど、『ジュ・テーム』もすごく色彩がきれいだし、彼は画面比率に対して相当こだわりがある、とインタヴューで言っていたような。テンポ感は音楽とは違うかな。さっきのマルボロの話じゃないけど、『ジュ・テーム』の頃が彼が一番アメリカナイズされてた時代じゃない? 主演のジョー・ダレッサンドロは、ウォーホル映画に出てる有名なポルノスターで、アメリカのゲイアイコンなんです。それをゲンズブールが連れてきた。あと、ジェーン・バーキンの脱ぎっぷりのよさはすごい。『ジュ・テーム』もそうだし、『スローガン』『ガラスの墓標』とかの彼女の姿って、非グラマラスな美しさの一面を提示しているというか、胸のサイズを気にしている女性に確実に肯定感を与えてると思いますね。

【予告編#1】スローガン (1968) – セルジュ・ゲンスブール,ジェーン・バーキン,アンドレシア・パリシー 原題:SLOGAN

梶野:90年代、初めて観た時に僕はすごく不思議だったんですよ。あれ? フランスで撮ってるはずなのに、なんでこんなにアメリカンなの? って。

瀧見:フレンチを求めて見たら、あれ? ってなるよね(笑)。

梶野:まさにタイトルやテーマ曲からフレンチを求めて観たんです。それなのに、いきなり砂漠で、トラックにブリキのプレート、あんなアメリカンなダイナーみたいなのはフランスで見たこともないし、全然フレンチじゃないぞって(笑)。サントラにもバンジョーが入ってて、舞台はアメリカなのかな? と思いったら、最後までどこだかわからない。あえてノーウェアな感じにしたってあとから知ったんですけど、初めて観た時はとにかく違和感しかなかったですね。

瀧見:ファッションも含めて、彼なりにアメリカへの憧憬があったのではないかな? レコードもアメリカ盤は出てないでしょ。

梶野:そうですね。フランスのアメリカへの憧憬はなんか歪んでますよね。急に話が飛ぶんですけど、ダフト・パンクの映画『エレクトロマ』を観た時に『ジュ・テーム』と同じ感覚を覚えました。彼らの場合は完全にアメリカで撮ってましたけど、砂漠で車で急に走り出して、自ら爆破して突然終わってしまうって感覚にも同じものを感じましたね。

Daft Punk’s Electroma

瀧見:フランス人のアメリカへの憧れってことなんだろうね。

梶野:ですね。あと、『ジュ・テーム』ってあの曲とあの映画と結びついてるけど、もともとはバルドーのために書かれて、しかも録音したまま発売されなかったっていう事実も、あとから知った時に結構びっくりしました。

瀧見:お蔵入りだったバルドーのバージョンが発売されたのって86年ですしね。しかも、ジェーン・バーキンのバージョンがフランスだけじゃなく日本でも放送禁止だったから、リアルタイムじゃなくてもレコード買って聴くしかなかったんだよ。

梶野:そうだったんですね。かつての恋人のために書いた曲を新しい恋人と一緒にレコーディングして、さらにそれをテーマにあんな映画まで撮ってしまうという・・・ゲンズブールすごいなぁ。リトマス紙で言えば僕は完全アウトです(笑)。

キャリア最後の映画作品に残されていた、ゲンズブールとダフト・パンクのミッシングリンク

──梶野さんは「ジュ・テーム」の曲についてはどんな感想を持ってますか。

梶野:最初は単にエロティックな歌だなと思ってたけど、バルドーとのエピソード(自分のために世界で一番美しい曲を書いてと頼まれて、一晩で書いたという)などを含め、本当に美しい曲だと思ってます!

一同(笑)

瀧見:無限にカバーがあるしね。時代ごとのジャンルのカバーがあって、しかも悪いカバーがない。それだけ原曲が完成されてるんだよ。

Jane Birkin, Serge Gainsbourg – Je t’aime moi non plus

──瀧見さんはDJでかけたことあります?

瀧見:いや、オリジナルはテンポも含めてなかなかハードル高いよ(笑)。カバーはかけたことあるけどね。ニューウェイヴ時代にいくつかいいカバーがあって、それは直接的なエロさがあまりないから逆にかけやすいんだよ。

梶野:あと「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」って英語にすると、“I Love You, me neither”みたいなじゃないですか。“オレもそうじゃない”みたいなうまく訳せない彼の言葉のアヤにも痺れたものです。

瀧見:さっきダフト・パンクの話が出たけどさ、アレンジャー話に戻ると、ジャン=クロード・ヴァニエ、ジャン・ピエール・サバーとかと同時期に同じようなことやってた人がいるんですよ。ダフト・パンクのお父さんのダニエル・バンガルター。

梶野:そうだ、トーマのお父さん。

瀧見:70年代にCM曲とかやっていて、当然ディスコもさまざまな名義でやってるし、クラシックのディスコカバーとかやってるの。要するゲンズブールは同じような人にアレンジ頼んでたわけだから、絡む可能性もなくはなかったなって。

梶野:あり得たかもですね。その二者の絡みでいえば、ゲンズブールが最後に撮った映画『スタン・ザ・フラッシャー』で、露出狂に愛される女子高生役をやったエロディ・ブシェーズこそがトーマ・バンガルダーの奥さんなんです。ゲンズブールとダフト・パンクという自分にとっての2つの神のミッシングリンクがエロディだったんです。ちなみにこの夫婦はMr.オワゾことカンタン・デピュー監督の映画の中でこっそり共演してます。もちろんマスクなしで。

瀧見:(笑)。となると、ゲンズブールが生きてたらダフト・パンクが絡んでた感じはあったかもね。

梶野:絶対絡んでたでしょ!

反骨心と「裏」の表現の仕方

──おもしろいものができてたかもしれないですね。さて、ゲンズブールが生きた時代と今では状況もだいぶ違います。今の時代の中で、ゲンズブール的なものを活かすとすると彼のスピリット的な部分になるのかなと思いました。お2人はどのように感じますか。

瀧見:ゲンズブール的な露悪的な反骨心withダンディズムってことになると思うんだけど、それをどう表現するかが難しいよね。わかりやすい形で反抗しても反抗にならないし。

梶野:今、そのままやったら全部炎上するだけだし(笑)。ゲンズブールに惹かれた点でもあるんですが、僕は瀧見さんとかの影響を受けて、常に何かの裏ばっかり追っかけて来た感じなんです。ゲンズブールは今でこそ(?)国民的とか言われるけれど、絶対的な裏の存在。

──メインカルチャーに対してのカウンターって意味ですよね。

梶野:そうですね。ただ単に中指を立てたような何か単純なアンチみたいなものは、全然おもしろく感じられないんです。それに今って、裏を行くようなものが全部挑発的なものと受け取られて批判されて終わりじゃないですか。もちろん迷惑行為はダメだけど、皮肉っぽいユーモアを楽しむ余裕がない、正しさを求めすぎてるって風潮がつまらないなっていうのは思いますね。なので、今の裏ってなんだろう? ってわからないままずっと来てます。売れてないものが裏っていうのも違うし。

瀧見:それはマイナーだから。アンダーグラウンドとマイナーは違いますからね。

梶野:そうなんですよ。何かにメインストリームに対抗した裏が欲しいなとは思ってます。

瀧見:話は変わるけど(笑)、時代関係なく日本のフレンチって考えた時に、昨日ふと思ったことがあるんです。80年代の日本のジェーン・バーキン的な存在は小林麻美ですよね、結婚したのは田辺エージェンシーの社長。要するにスパイダース。スパイダースがすごいのは、メンバーの井上堯之と大野克夫は後に劇伴とかサントラとかやっていて、時代背景も含めてアラン・ホークショーとかの流れに近い。あと昔、僕は堺正章の家の裏に住んでたことがあって、マセラッティとかクラシックカーにきれいな奥さんを乗せてたのをよく拝見していて。本人はどう意識してるかわからないけど、70年代のゲンズブールのライフスタイルと絵的に近いなと、単純に思ってた時があって(笑)。

──しかもスパイダースには、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のムッシュかまやつさんもいますからね。

かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

瀧見:そう。だからスパイダース全員と内田裕也をプラスしたような存在が、ゲンズブールと相対する感じなのかなと思って。

梶野:あと、勝新(勝新太郎)も(笑)!

──それは強力です(笑)。

瀧見:芸能とサブカルには交わる部分と、決して交わらない部分があるけど、言ってみれば、フレンチカルチャーって当時はフランスの芸能界、ショービズ界だったわけだからね。結局エンタメとサブカルって、どこがマーケットの主体なのかで分かれるから。梶野くんが惹かれたのはそのサブカルチャーの部分。だから90年代以降のフレンチ再評価は、ファッションだったり、メインカルチャーじゃない部分に日本独自に勝手にスポットを当てて独自発展していったんだよね。

梶野:そうですね。まさにゲンズブールも80年代にはテレビにいっぱい出てるし、後期はある意味でショービズ界の人なんですよね。例えばテレビで500フラン紙幣に火をつけて燃やすとか、表の舞台でもいろんなことをやってたと思うと、それはそれですごいなって思いますよ。

スノッブとは、挑発的でありながらもエレガントでもあること

──では、今の時代で、ゲンズブールを感じるものってありますか。

梶野:僕は、多分90年代からずうっと「今のゲンズブールは?」というのを探し求めてたと思うんです。例えば、96年、ダフト・パンクの登場は1つの事件でしたけど、2000年以降、そういう存在を見出せずに、結局喪失感だけしかないですけど・・・。

瀧見:強いていえば、アメリカのラッパーとかになるんじゃない? カニエ(・ウェスト)とかだよね。わかりやすいメイク・マネー感は出ちゃうけど、さまざまな人種や性向の人々に新しい価値観や成功譚を提示しているのは間違いないでしょう。やってることではアンチモラルで成り上がって、しかもそれを全部見せるって意味では。

梶野:確かに、挑発ってところではそういうところに行くのかもしれないですね。ただ、ゲンズブールにはあのメイク・マネー感はなかったじゃないですか。常にエレガントさは残してたから。

瀧見:スノッブに対する感覚じゃない? ラッパーはいわゆる昔ながらのスノッブとは方向性が違うし。でもそれが現代なんですよ(笑)。

梶野:そうですよね。たぶん、お金持ったらバーキン買うじゃないですか(笑)。

瀧見:ジェーン・バーキンは知らなくてもね。実存主義が唯物主義に変わった悪例を象徴してるのが、バーキンという皮肉(笑)。なんか、前はスノッブってあまりいい言葉じゃなかったけど、最近はいいのかなって思うようになりましたね。

梶野:スノッブはゲップになるか屁になるか、迷っているシャンパンの泡。どっちにしても匂わせるものなんですかね。

瀧見:違うってことを態度で表すってことだよね。言葉であえて説明しない。だから、ゲンズブールは、そこがわかりにくいわけだよね。

ゲンズブールから学び、受け継いだものとは

──ゲンズブールは、受け取って感じ取ってくれっていうアーティストであったと。そんな彼から、お2人がどんなことを得たのか、学んだのかを聞かせてください。

瀧見:今、言葉で言わないって言ってしまったところですが(笑)。『スカトロジー・ダンディズム』と一緒にピエール・ブルデューの本でも読んどけって感じでしょうか。ゲンズブールが書いた本じゃないけど、『ディスタンクシオン』って本。自分の趣味趣向が社会的階層と自分の地位とかに全て影響してるって内容なんです。字面的には「『ディスタンクシオン』でも読んどけ、メルド」にしておこうかな(笑)。

梶野:意図して完全にゲンズブールに人生を狂わされたんだと思ってます。実家の墓よりモンパルナス墓地に行く回数が多いような人間ですよ(笑)。だから、多分俯瞰したら何も得ていないですよ。むしろ彼を知って、たくさん失ったはず。知らなければ知らないままで過ごせた快楽が多いというか。常にメインストリームを歩きたくないと思うようになったし、裏道はどこにある、っていうのを無意識に考えている気がします。例えるなら、最初、フランス・ギャルのかわいらしさに惹かれて、砂糖に包まれたものを食べてたら中に毒が入ってた。しかもその毒がかなり中毒性があって、数年後には甘いものは欲しくないけど毒だけ欲しい体になってしまった感じなんですよ(笑)。

──まさにですね(笑)。いい表現ですね。

梶野:言ったら『ジュ・テーム』も『シャルロット・フォーエバー』も罠だったんですよ。そんな感じで、常に毒に侵されたまま、抜けられなくなってます。

瀧見:ゲンズブール・ジャンキーだよね。自己投影の対象として。だって今の格好がもろだよね(笑)。ストレートに表現しないってことに影響受けてるのに、格好はストレートに影響受けてるパラドックスが面白いよ(笑)。

梶野:確かに、表面的な部分ではストレートに影響受けてます(笑)。一時は「レペット」(白いバレエ・シューズ)履いてましたし。そう、2年前にエディ・スリマンがセリーヌのショーをやった時に、ダンガリーシャツとか、アーミーのシャツにピンストライプのダブルのジャケットというルックが登場して、ゲンズブールだ! と思いました(笑)。エディ・スリマンは僕らと世代も近いし、カルチャーも器用に取り込む文脈の人なんで、ついに来たかって思いましたね。僕もね、とりあえず上下デニム合わせとけばいいやと思ってます(笑)。

CELINE 04 MEN SUMMER 20

瀧見:ある程度年とってくると、適当感というか、凝り過ぎないとりあえず感は重要。あと白い靴でしょ。

梶野:そうです。でも、このファッションはバーキンのアドバイスだったんですよね。ジーンズの裾を切りっぱなしにして、靴は清潔なバレエシューズにって。

瀧見:パンツは履いてる? ゲンズブールは履いてなかったでしょう。

梶野:履いてますよ(笑)。すみません、そこまでコピーしなきゃダメでしたね(笑)。

──ジェーン・バーキンのプロデュース目線が入ったことで、ゲンズブールの粋な感じが出たんですね。

梶野:そう、バーキンに会う前、バルドーと付き合ってた頃のセルジュはまだジャケットもシャツもピシッとしてたし。彼をドレスダウンさせたのはバーキンというのは有名な話なんです。無精髭にさせたのもバーキンでした。70年代の時代感もあったけど、彼女のプロデュースがあったから、いわゆるゲンズブールのスタイルが生まれたんじゃないですかね。

──あのスタイルが確立していなかったら、ここまでアイコン化されて無かったんじゃないですかね。

梶野:それはすごく思います。アーティストとしてバーキンをプロデュースしてたつもりが、セルジュ自身がバーキンにプロデュースされてしまっていたという。これも「ジュ・テーム」の呪力ですかね(笑)。

(5月某日渋谷にて)

瀧見憲司
DJ/プロデューサー。東京都生まれ。1988年頃からDJとして活動を開始し、1991年に〈Crue-L Records〉を設立。カヒミ・カリィやブリッジ、ラヴ・タンバリンズらを輩出し、「渋谷系」ムーブメントの隆盛を担った。2003年、初の自己名義となるミックスCD『KENJI TAKIMI THE DJ AT THE GATES OF DAWN-DANCESTONELIVE-』をリリース。ジャンルをまたぐ真にオルタナティブなDJスタイルと実力は世界中から高く評価されており、これまで欧米を中心とした海外DJ公演も多数行っている。

梶野彰一
フォトグラファー/アートディレクター/文筆家。1970年生まれ。10代の終わりにパリに魅せられて以降、パリと東京の往来を繰り返しながら、音楽やファッション、映画やアートのシーンと密に交流し、その写真と文章でパリのエスプリを伝え続けている。

Photography Tasuku Amada

author:

土屋恵介

1968年生。a.k.a. イナズマ★K。音楽ライター兼デスマッチ格闘技探究家。音楽、映画など面白い物発掘中。渋谷宇田川町にあったレコード店ZESTの元スタッフ。ロック、パンク、サイケ、インディ、ディスコ、ハウスなどの雑食リスナー。洋邦アーティスト、プロレスラー、アイドルなど幅広く取材中している。写真家としても活動。 Twitter:@inazzma

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