育てる Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/grow/ Tue, 27 Feb 2024 07:41:06 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 育てる Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/grow/ 32 32 ベルリンに広がるリスニングバー Vol.3 Unkompress × 『Records Culture Magazine』対談 https://tokion.jp/2024/02/28/listening-bar-berlin-vol3/ Wed, 28 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225483 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第3回は「Unkompress」オーナーのケヴィン・ロドリゲスと『レコード カルチャー マガジン』編集長のカール・ヘンケルによる対談。

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ケヴィン・ロドリゲス(左)カール・ヘンケル(右)

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第3回は、クロイツベルク地区に2023年にオープンした、カジュアルさが人気のリスニングカフェ兼バー「Unkompress」。オーナーのケヴィン・ロドリゲス(Kevin Rodriguez)と交流のある『Record Culture Magazine』編集長のカール・ヘンケル(Karl Henkell)を迎えて、日本と海外のリスニングバーの違いや楽しみ方について話を聞いた。

日本と西洋で異なるリスニングバーの在り方

−−2人の出会いは「Unkompress」ですよね?

カール・ヘンケル(以下、カール):そう。初めて訪れたのは、オープンして数ヵ月後だったかな? とても居心地のいい空間で、マドリッドにある「Faraday」という友人のリスニングカフェを思い出した。優れたサウンドシステムがあるし、パーソナルな空間をつくり出してると思う。他のバーや商業スペースとは違って、家庭的な感じがするんだ。それにおいしいワインもあるし。

ケヴィン・ロドリゲス(以下、ケヴィン):ありがとう! 「レコード カルチャー マガジン」のことは知ってたよ。素晴らしい写真とインタビューが載ってる雑誌だからね。

−−以前はお互いNYに住んでいましたが、好きなリスニングバーはありましたか?

ケヴィン:ここ数年でオープンした店はたくさんあると思うけど、思いつくのは、「Public Records」だけ。

カール:僕も同じ。「Unkompress」や他のリスニングバーのような親密さにこだわって、ハイエンドな機材を揃えたスペースはあまりなかったよね。

ケヴィン:あと「mezcaleria milagrosa」という店があって、すごくおいしいタコス屋に併設されていたんだ。その2店が本当に際立ってるね。

−−「The Loft」を主催したDJのデヴィッド・マンキューソをはじめ、アメリカには日本とは違うリスニングバー文化がありますよね。

ケヴィン:ジャズ喫茶とリスニングバーがどういうものかわかってくると、みんな自分の好みだって気付くんだ。レコードを集めている人の多くは、他の人と一緒に楽しみたいからね。僕もデヴィッド・マンキューソの音響について考えてきたし、「素晴らしい音響とレコードと一緒にビールが飲める店を開きたい」と思ってたんだ。それから何年も経って、自分のアイデアがそもそも日本にあることを知って、正しかったんだと実感したよ。今ではNYだけでなく、アメリカの人里離れた場所にもあるしね。

カール:どちらもオリジナリティーがあるし、アメリカやヨーロッパではすべてが融合され始めている。日本では「The Loft」みたいな文化はないけど、だからこそ新しいスタイルが生まれたんだ。

−−西洋でバーは会話を楽しむ場であるのに対し、日本ではほとんどの人が静かに音楽を楽しんでいます。このような違いについてどう思いますか?

ケヴィン:個人的にはおもしろいと思う。日本の文化って、外から見るとすべてに目的があるように感じるよ。だから、ジャズ喫茶やリスニングバーについて語る時、そこには理由があって、人々はその理由のために行く。西洋でのバーは友人や家族、楽しい時間が集まる場所。音楽はいつもその背景にあるものなんだ。音楽が前面に出るようなリスニングバーを始めたことで、西洋の人達の認識は変わってきてると思うけど、みんながいつも静かにする場所にはならないね。だからこそ、多くのリスニングバーや「Unkompress」でさえ、特定の夜におしゃべりも電話も禁止のリスニングセッションを開くんだ。

カール:若い頃は、ただ座って聴くだけのアルバム・リスニング・パーティーというコンセプトがしっくりこなくて。でも僕にとってリスニングバーは新しい場所で、ナイトクラブの文脈とは違う音楽をかけたり聴いたりできる。より繊細で、瞑想的で、家で聴くような音楽、それがなんであれね。ナイトクラブやバーに行ってあれこれ聴くのではなく、もっと幅広い音楽を楽しめる。

世界的に広がる、食とサウンドに特化したコンセプト

−−海外のバーのよさも残しつつ、日本式の楽しみ方が浸透しているんですね。2人の住んでいたスペインはどうでした?

カール:マドリードには「Proper Sound」というリスニングバーがある。20人ほどの超小型店だけど、いつも賑わってるし、DJのプレイを毎晩聴ける。最近だと、オーストラリアのメルボルンには「Skydiver」っていう昼間はレコ屋、夜はバーになる店があるよ。こういうコンセプトは、とても理にかなっていると思うな。


ケヴィン:僕がバルセロナに住んでいた頃はまだなかったな。今は少なくとも3、4軒のリスニングバーがあるって聞いたよ。ロンドンには「Brilliant Corners」があるよね。でもあそこもレストランだし、食とサウンドって最近よく見かけるコンセプトだと思う。

カール:パリはワイン文化があるし、すでにカジュアルバーのコンセプトも根付いていて、その方向に進んでるよね。

ケヴィン:今考えてみると、こういった場所のほとんどは食事とワインを楽しむような場所で、リスニングバーといいつつ音にこだわってるとは限らないよね。多くの人が食事や会話をしてるし、100パーセント音楽にフォーカスしているかはわからない。

カール:フランスのボルドーに「Café Mancuso」ってカジュアルな高級レストランがあるんだけど、音がいいって評判だよ。同じコンセプトのレストランでも、いろんな工夫がされていると思う。

ケヴィン:ビジネスの観点から言えば、お酒を飲めば人はお腹が空くし、料理にはお酒が付きもの。そういう経済的な側面もあるよね。でも「Unkompress」のような場所では、食事ではなく、音楽と文化に重点を置きたいんだ。いいサウンドシステムがあっても、やっぱりレストランはレストラン。音楽を聴くために行くかどうかはわからないね。

その人に合ったリスニングバーの楽しみ方

−−2人はどんなリスニングバー が好きですか?

ケヴィン:その時の気分と、その場所が何を提供してくれるかによるかな。リスニングバーなら、音楽とサウンドに集中する。パートナーや友達だけなら、ちょっと小声で話しながら、ただ音に耳を傾ける。でも5人のグループだったら、あまり聴かないかもね。

カール:僕はのびのびとした性格だから、予約なしで行けて、混んでないお店っていうのが大事。「Unkompress」もきっと混んでいるんだろうけど、今のところいつ来ても席を見つけられるからよかった!一方で、ちょっとハプニングがあったりするような場所も楽しいね。よく友人と遊びに行ったり、社交的なことが多いから。

−−最後に、リスニングバーを楽しむベストな方法は何だと思いますか?

ケヴィン:オープンマインドで行けばいいと思う。友達と一緒でもいいし、グループで行ってもいい。会話ができないわけではないけど、音楽やサウンドに敬意を払うことを念頭に置いて、小声で話すこと。今聴いているものに感謝すること。

カール:おいしいワインと音楽を楽しむこと。友人がDJをやってたら、自分が知らない音楽や風変わりなアルバムを持ってたりして楽しいし、自分を驚かせることができる。文脈が特別なものをつくるんだ。選曲する人達も、観客を踊らせるってプレッシャーがない分、いろんなことができるしね。

■ Unkompress
住所:Fichtestraße 23, 10967 Berlin, Germany
営業時間:水木14:00~23:00、金土14:00~1:00
休日:日月火
unkompress.berlin
Instagram:@unkompress

Photography Shinichiro Shiraishi

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro https://tokion.jp/2024/02/27/listening-bar-berlin-vol2/ Tue, 27 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225461 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第2回は「Bar Neiro」のオーナー、エリック・ブロイヤーがこだわり抜いたHi-Fiシステムや空間づくりについて語る。

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エリック・ブロイヤー

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第2回は、「オーディオテクニカ(audio-technica)」発のグローバル・プロジェクト「アナログファウンデーション」から生まれた「Bar Neiro」。2023年、クラブが連立するクロイツベルク地区にオープンした、隠れ家的なリスニングバーだ。エントランスの暖簾をくぐると、オーナーのエリック・ブロイヤー(Erik Breuer)が出迎えてくれた。

レコーディングスタジオの公共スペースとしてオープン

−−エリックさんはレコーディングエンジニアとしても活躍されていますが、「Bar Neiro」をオープンしたきっかけについて教えてください。

エリック・ブロイヤー(以下、エリック):すべては「アナログファウンデーション」がベルリンに移転したことから始まったんだ。僕らの使命は、アナログ文化をサポートすること。その時に思いついたのが、オープンな場所として日本のジャズ喫茶のようなリスニング・バーを併設することだった。ミュージシャンやローカルの人達が一緒に音楽を楽しむためのスペースになるし、スタジオともうまく結びつくと思ってね。

−−日本のジャズ喫茶はどうやって知ったんですか?

エリック:レッドブル・ミュージック・アカデミーの仕事やDJで、日本をよく訪れていて。滞在中に行くのが楽しみだった。僕は人生の大半をHi-Fiに費やしてきたんだけど、日本のジャズ喫茶ではそれを実感できる。

−−印象に残っているお店はありますか?

エリック:最初の頃は東京にある有名店を回ったけど、友達が日本に引っ越したことをきっかけに、もっと特別で隠れ家的な場所へ行くようになった。前回は東京の「映画館」に行ったし、千葉の「JAZZ SPOT CANDY」もすごくよかった。次回はドライブがてら田舎に行って、Hi-Fiバー巡りをしたいな。30年代からある日本のジャズ喫茶がトレンドになっていること、人々がこのようなサウンドに夢中になっていることにとてもわくわくしてるし、「Bar Neiro」のオープンもみんなすごく喜んでくれてるよ。

レコーディングスタジオの経験を生かし、こだわり抜いた空間づくり

−−高級ヴィンテージ・コンポーネントで構成されたカスタムHi-Fiシステムを含め、サウンドシステムにかなりこだわってますよね。

エリック:長年に渡って多くのレコーディングスタジオをつくってきたけど、リスニングバーは正反対だからね。音響的に優れた別の空間をつくるのはとても楽しい挑戦だった。レコーディングスタジオだと、スピーカーは非常に精密な楽器でどんな小さな欠点も聴き取りたい。でも、あまり感情的な魅力がないんだ。スタジオ作業に最適なスピーカーでも、それって音楽を楽しむために聴いているのではないことに気づいて。数年前から、正確さよりも感情を重視するヴィンテージ機器にのめり込んだんだ。アメリカの映画館にあるような50年代初頭のスピーカー「アルテックA5」は、すべて当時のオリジナル・コンポーネント。木製のキャビネット部分をつくり直したんだよ。スピーカー・キャビネットは自分達でつくったけど、すべて50年代のオリジナルの部品を使ってるしね。古い映画館のためにつくられたものだから、音の拡散性がとても広いんだ。

−−音響的な観点から見たベストシートはありますか?

エリック:空間全体にいい音が行き渡るから、座る場所がそれほど重要ではないよ。フルに楽しみたいなら、スピーカーの間、バーの真ん中あたりに座った方がいいね。

−−インテリアも素敵ですが、何かから影響を受けているのでしょうか?

エリック:たくさんあるけど、特にキース・アッシェンブレナーかな。1970年代から1980年代のモダンなシーンで活躍した、アナログ的な真空管アンプとホーンスピーカーの達人の1人なんだ。実際にコンポーネントやシステムの調整など、多くのことを助けてくれたし、スペースのケーブルも彼が用意してくれたよ。

それ以外のインスピレーションは間違いなく日本だね。レッドブル・ミュージック・アカデミーで東京にレコーディングスタジオをつくった時、建築家の隈研吾と一緒に仕事ができたのは光栄だったし、かなりインスパイアされてる。特にバーカウンターの天井に施したシンプルなディテールをぜひ見てほしい。あと壁や天井には、90種類以上のレゾネーターや異なるチューニングを施した音響エレメントがあるから、すっきり見せるために天井グリッドや和紙の壁をつくったんだ。

−−家具もオーダーメイドだとか?

エリック:そう、バーや棚は僕らがデザインした。他の家具は、古いミッドセンチュリーの作品やイームズの椅子やテーブルなど、すべてヴィンテージ家具で揃えてる。

−−いろんなディテールへのこだわりが、居心地のよさを生み出しているんですね。

エリック:あと騒がしいバーにはならないように、1グループ最大4人まで。もちろん大人数になることもあるけど、なるべく少人数を保ってるよ。

ミュージシャンとベルリナーが集まる憩いの場

−−ハンガリーのプロデューサー兼マルチ奏者Àbáseやオーストラリアのドラマー兼プロデューサーZiggy Zeitgeistなど、ミュージシャンも訪れるんだとか。

エリック:Àbáseはスタジオでよく一緒に仕事をしてるし、家族の一員みたいなものだね。でもスタジオがあることで、新進気鋭の若手から大物アーティストまで、いろんなミュージシャンがやってくるんだ。あとHi-Fiオタクにも人気で、スピーカーの周りを歩き回ってはチェックしてるのをよく見かける。他にも落ち着いて飲みたい年配の人から、音楽が好きな若い人まで、いいミックスだよ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけているんですか?

エリック:普段は僕やバーのスタッフがレコードを持ち込んで、セレクトしてる。アーティストが来てセレクトする時もあるよ。ジャズが大半だけど、アンビエントなエレクトロやソウル・ミュージックとかメロウな音楽が多いかな。ある種の感覚的な体験を作り出すことで、ここに来て、この別世界に入って、ただリラックスして音楽を楽しんでもらうことを目指しているんだ。

−−ベルリンやヨーロッパの人達にとって、このようなスタイルのリスニングバーは受け入れられているのでしょうか?


エリック:そうだね。最近は何もかもがとても速いし、すべてがオンデマンドで、こうして音楽をじっくり聴く人が本当にいなくなっている。1人でヘッドホンから聴くのではなく、他の人達と一緒にここに座って音楽を聴くっていうのは、とてもいいことだと思うよ。

■ Bar Neiro
住所:Ohmstraße 11, 10179 Berlin, Germany
営業時間:18:00~1:00
休日:月、火曜
www.barneiro.com
Instagram:@bar.neiro

Photography:Rie Yamada

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Dos Monos、奇奇怪怪、脳盗のTaiTan アンダーグランドな存在感のまま、大衆にも開かれる、令和のドン・キホーテを目指す  https://tokion.jp/2024/02/26/interview-taitan/ Mon, 26 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225047 Dos Monos、『奇奇怪怪』、『脳盗』と多岐に渡って活動するTaiTanへのインタビュー。2023年の活動を振り返りながら、個々の企画に込められた意図を聞く。

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TaiTan

TaiTan
Dos Monosのメンバーとして3枚のアルバムをリリース。台湾のIT大臣オードリータンや、作家の筒井康隆とのコラボ曲を制作するなど、領域を横断した活動が特徴。また、クリエイティブディレクターとしても¥0の雑誌『magazineii』やテレ東停波帯ジャック番組『蓋』などを手がけ、2022年にvolvoxを創業。Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪』やTBSラジオ『脳盗』ではパーソナリティを務める。
Instagram:@tai_____tan
X:@tai_tan
X:@kikikaikai_noto

3人組ヒップホップユニットDos Monosのラッパーであり、Podcast番組『奇奇怪怪』とTBSラジオ『脳盗』ではパーソナリティを務め、雑誌やウェブメディアへの寄稿、数々のインタビューにも登場しているTaiTan。2023年の活動を振り返りながら、個々の企画に込められた意図を探る。

コロナ禍を清算する物理的な表現

——2023年はDos Monosのライブやリリース、レギュラーのPodcastとラジオに加え、メディアへの露出もかなり多かったですね。

TaiTan:いま僕の活動はかなり多岐にわたっていて、いわばホールディングス化してきているんですよね。軸としては、Dos Monosのメンバーとしての活動、『奇奇怪怪』および『脳盗』のパーソナリティ、あとはクリエイティブディレクターとして企画を考える仕事と、この3つでまわっています。

——まずDos Monosとしては、2023年7月20日に、初のライブ・アルバム『Don’t Make Any Noise』が、アクリル盤という形式でリリースされました。

TaiTan:盤を販売してお金をつくる、という経済的な要請もあって、ライブ盤を出すことになり、でもライブ盤って、基本的には熱心なファンが買うもので、広く流通するものではない。収録されるライブはコロナ禍にやったもので、自分達なりに「コロナ禍とは何だったのか」というのも清算したかった。しかも、この時代にわざわざ盤という形を伴って出す以上は、それを物理的に表現するべきだろうと考えて、コロナが一旦終息して使われなくなり、各地で無用の長物化していたアクリルパネルを加工することにしました。

実際にライブハウスや飲食店をまわって、アクリルパネルをかき集めて、みんなで裁断して。500枚限定なので、数字的なヒットにはなり得ないですけど、韓国の「VISLA Magazine」とかから記事にしたいというオファーがきたり、海外からも反応がありました。言語に依存しない企画の性質もあり、届くところには届いたのかなと思います。

——こういった企画性のあるものについては、TaiTanさんが主導で考える?

TaiTan:そうですね。Dos Monosの音楽面については荘子it君が担っているので、僕はPRだったり、リリースにあたっての仕掛けだったり。これまでのオードリー・タン氏とのコラボ、トラックデータを全公開した広告、テレビ東京で上出遼平さんと組んだ番組『蓋』とかは、僕が主導で動かすことが多いです。

カルチャーの中でも音楽は最強

——荘子itさんのXでは「Dos Monos第一期終了、第二期始動。」という声明も発表されていました。「Dos Monosはヒップホップクルーを経て、ロックバンドになる(戻る)」と。

TaiTan:もともと僕らはラップユニットの前にバンドとして結成したので、原点回帰というか。荘子it君が、これからは楽器なりによるビビッドなリアクションや身体感覚を音に落とし込みたい、と言い始めたので、僕はもう「ついていきます」と(笑)。すでに新作のレコーディングも終わっていて、僕も久しぶりにドラムを叩いたり、バンドサウンドになっているので、楽しみにしていてほしいです。

——Dos MonosにおけるラッパーとしてのTaiTanと、『奇奇怪怪』をはじめとした各メディアで披露されるTaiTan個人としてのキャラクターは、一貫性があると見ていいのでしょうか。

TaiTan:別に名前を変えているわけでもないですし、一貫してますよ。リリックに落とし込む時には、韻だったりボースティングだったり、ある程度ラップマナーに則った表現になるので、Podcastのパーソナリティとしてのしゃべりとは微妙なニュアンスの違いはあると思いますけど、考えていることは変えようがないというか。なんなら、Dos Monosの新作の1曲では、とうとう僕しゃべってますから。

——最初にDos Monosとして世に出た当時から、個人としての活動も視野に入れていた?

TaiTan:デビューした時から、並行して企画を考える仕事とかはしていましたし、いろんなことに興味が分散する性分ではあるので、今のような活動を計画的に考えていたわけではないですけど、何かしらやっていたんだと思います。Podcastを選んだのも、ラジオが好きだったこともありつつ、あの時点での流れによるところが大きいので、この先スッと別の形になる可能性も全然ある。1つのことを深く掘り下げるよりも、同時多発的にやっていたいんです。

——多方面に及びながらも、Dos Monosの音楽活動がコアにあることは、表現者としては大きな強みになるのでは。

TaiTan:カルチャー全般を見渡しても、やっぱり音楽は最強ですよね。音楽にはすべてがある。バイラルする性質を持っていて、巻き込み力が違う。しかもラッパーなんて最も身軽ですから。ただ、バンドでもユニットでも、もともとあった形のまま、30代になっても音楽を続けていくことはすごく難しいので、Dos Monosがいまだに結成時のメンバーで活動を続けられていることは奇跡的だと思ってますし、大事にしていきたいですね。

——国内のラップシーンとの関わりというか、つながりは?

TaiTan:もちろん個々のアーティストや周辺の人達とのつながりはありますけど、Dos Monosがラップシーンにいるかって言ったら、まぁいないですよね。音楽性としてもオルタナですし。あと僕らは単純に友達が少ないっていう(笑)。なので、自分達で経済圏をつくって、音楽性はもちろん、アイデアなり企画力で勝負していくことを考え続けます。

書籍に広告を入れる、書店に3000冊を積み上げる

——2023年8月に刊行された『奇奇怪怪』書籍化の第2弾は、その装丁のオリジナリティはもちろん、単行本としては異例の、中に広告のページがあるという仕様でした。

TaiTan:せっかく本を自分で作るからには、本の作り方そのものから考え直して、オルタナを指向したかったんです。雑誌に広告が入っているのは当たり前ですが、書籍に広告が入ることは業界的にはありえない。でも、担当編集に調べてもらったら、暗黙の了解や慣習として入れていない面もあるということもわかり。だとするなら、書籍の母体となる『奇奇怪怪』という番組には、すでにコミュニティが存在していて、リスナーには個人でも法人でも事業者が多いことはわかっていたので、そのリスナーからの広告費で制作費を賄う、という枠組みはコンテンツとの相性がいいのではと考えました。それに、装丁自体が漫画雑誌風というアイデアだったので、広告が入ることがむしろ演出の補強にもつながるという判断も決め手になりました。結果、アイデアの太さと、売り上げとは関係なく、絶対に赤字にはならない経済的なメリットの両立が達成できたかなと思っています。

僕自身が出版業界の人間ではないというのと、版元が石原書房という、この『奇奇怪怪』が1冊目の刊行物になるインディーの出版社だったので、どうにか実現できました。そのぶん、とんでもない苦労をそれぞれが味わいましたけど……。

——販売方法にしても、代官山蔦屋書店でおよそ3000冊の本を積み上げる特設展示『密と圧』が話題になりました。

TaiTan:あれは「本そのものを本の広告にする」というコンセプトです。本は1冊が置いてあるだけではただの本でしかないけれど、それが10冊、20冊と積み上がっていけば、次第に物体としての存在感を獲得しますよね。つまり、本自体が本の広告をし出す閾値がどこかにあって、それを最大規模でやったらどうなるか、という実験でした。完璧な理想としては、お菓子の家みたいに、壁も扉も本でできている、本の家くらいの圧がほしかったんですけど、さすがに一般の書店ではレギュレーションにも限界があるので、結果こういう形になりました。それでも物量的に異常なインパクトですし、本が売れて減っていくと、中にはまた別の作品が隠れている仕様で、本を買うという行為自体を楽しんでもらう試みとしては上手くできたなと思います。

——1つの書店で3000冊も入荷するとなれば、記録にも残りますよね。

TaiTan:オルタナを指向するからには、相手のメリットになる記録なり数字なりの説得力がないと実現は難しい。なので、詳しい数字は言えないのですが、代官山蔦屋での売上記録を事前に聞いて、そこを目指して動きます、という形で企画の承認をもらいました。そして結果的に、それをちゃんと達成できたのでよかったなと。話の筋としても、いきなり代官山蔦屋書店に乗り込んだわけではなく、それまでに番組で本をたくさん紹介してきた経緯があったり、書店員さんに番組のファンがいたこともあって、こういう突飛な企画も通してもらえました。

もし僕に何か特徴があるとしたら、企画はがんばって考えるのは当然として、それよりも、相手のメリットにならないような、無茶な提示はしないようにしてるっていうことかなと思うんです。数字とか納期の話とか。それが結果的にいいアウトプットに繋がる気がしています。あとは、それを実現させてくれるチームに恵まれているのも大きいですね。

——TaiTanさんの仕事は、その企画性や新規性が前面に出るクールな印象がありますが、根底には情熱がこもっていますよね。

TaiTan:やっぱり根っこにあるのは、ラップでもPodcastでも、企画仕事でも一貫していて、言葉の力でオルタナティブな現実をつくりたい、ということに尽きるかなと思います。もっと言えば、受け手に「自分にも何かできるかもしれない」、そういうことを感じてほしい。そのへんはわりとピュアに、原動力になっていますね。

『奇奇怪怪』と『脳盗』と『品品』の明確な役割分担

——書籍版『奇奇怪怪』の発売と同じ8月には、Forbes JAPAN が選ぶ「世界を変える30歳未満」に選出されました。以降、各メディアへの露出も増えましたね。

TaiTan:声をかけてもらえるのはありがたいですが、いろいろなところへお呼ばれして出続けていると、便利屋的な存在として、あっという間に消費され尽くしてしまうことも自覚しています。そうならないためにも、きちんとクリエイティブディレクションを担当した成果物を見せたり、最近だと、武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』の文庫版の解説を書いたんですけど、そういうまとまったまともな文章を書く仕事を増やしたり、少しでも地に足のついた活動をプレゼンテーションし続けなければいけないな、と思ってますね。

——Podcast番組の『奇奇怪怪』と、そこから派生したTBSラジオの『脳盗』は、どういった住み分けをしていますか。

TaiTan:『奇奇怪怪』はノリや世界観を作る場所で、『脳盗』は仲間を作る場所。この2つに加えて、『品品』というプロジェクトもあって、それは売り上げを作る場所です。ちょうど2月に「品品団地」という拠点になるマーケットを開設しました。

——3本の柱で、明確に役割分担がある。

TaiTan:ありますし、それぞれが収斂していくことが理想ですね。『脳盗』は自主制作のPodcastと違い、キー局の番組なので、著名なゲストも呼びやすいし、同じTBSラジオで番組を持っているパーソナリティとの共演もしやすい。外部と交流を持つことで広がりが生まれて、僕らを知ってもらえる機会も増える。とはいえ、ゲスト頼みになると、広がりは生まれても、自分達だけの深みは失われていくので、『奇奇怪怪』は基本(玉置)周啓君と2人で、ゲストを呼んだとしても身内のノリが共有できる人達。そして、広さも深さも追求しながら活動を続けていくために、『品品』で資金を稼ぐ。という循環です。

——『脳盗』のゲストのラインアップを見ると、爆笑問題の太田光、ライムスターの宇多丸といったTBSラジオのパーソナリティとは別軸で、ダ・ヴィンチ・恐山やFranz K Endoといった、ネット発のクリエイターも呼んでいるところがユニークでいいですよね。

TaiTan:それも明確に狙いがあって、ネット発の人達を、テレビよりさらに古いメディアであるラジオに呼ぶことで、彼らの圧倒的なおもしろさを、誤配的にラジオリスナー達に届けられたらと思っています。ある種キュレーター的に「こんなおもしろい人がいる」ということをいろんな人に伝えたいというか。そこが公共放送ならではの醍醐味なのかなと思います。デジタル畑の人を、デジタルメディアのPodcast番組に呼んだとしても、聴く人の属性がそこまで変わらないじゃないですか。

——ひとまず『奇奇怪怪』は安定として、『脳盗』の今後はどのように考えていますか。

TaiTan:まさに近々の課題ですね。いま考えているのは、ラジオでは音楽を流せることが、Podcastではできない最大の利点なので、しゃべりと選曲を担当するという意味でのディスクジョッキーを目指したいなと思っています。つまり、パーソナリティというよりはDJとしての認識が強いです。ただ、陽気に音楽を紹介するFMラジオのノリではなく、しゃべりはあくまでAMのノリで。スタイルとしては『菊地成孔の粋な夜電波』が好きだったので、その影響を受けているかもしれません。

——AMラジオのトークと選曲がばっちりハマった時は、異様な高揚感がありますよね。

TaiTan:本当にそうで、僕は演劇に近いものがあると思っているんです。劇中のストーリーに音楽が完璧にハマった時の祝祭感は、暴力的と言ってもいいくらいの破壊力がある。その高揚感をラジオでも再現したい。あくまでも曲が中心にあって、トークはその前座的な役割にすぎないというか。知っている楽曲だったとしても、トークと接続されることで聴こえ方が変わったりするので、そういうおもしろを届けたいですね。そのためには、ラジオショーとしての演劇的な発話が必要になってくるので、『奇奇怪怪』みたいにボソボソしゃべっていてはダメだなと。Podcastとラジオでの求められる発話の違いなども模索してる最中です。

「品品団地」という新しい拠点

——先ほど話に出た「品品団地」について、改めて詳細を聞かせてください。

TaiTan:「品品団地」を作った最大の目的は、これまでSpotify独占配信だった『奇奇怪怪』を、Spotifyの援助を受けずに、自分達で資金繰りも含めて運営していく、ということです。そのために、リスナーから月額で支援を募る体制にしました。

企業からの制作援助は非常にありがたいし、Spotifyには感謝しかないですけど、特定の一社に生命線を委ね続けることのリスクはどうしてもある。SpotifyがいつPodcast事業から撤退するかわからないですし、それは僕らを信頼してくれている担当者の裁量ではどうにもならないことなので。

——直接課金制と聞くと、どうしてもオンラインサロン的な、せっかくのコミュニティが閉じていく可能性も感じてしまうのですが、そのあたりはどう考えていますか。

TaiTan:そこはコミュニケーションのとり方の問題かなと思っています。僕らからは、今のところ「番組を続けていくために支援してほしい」ということしか発信していません。いわゆるオンラインサロンの特徴とも言える、あなたの居場所を作りますとか、何かを伝授します的なことは一切言ってないし、言うつもりもありません。それに、番組自体をクローズドにしていくわけではないので、番組の性質自体が変わるわけでもないですし。

あとは、アンケートに答えてくれたリスナーの属性はある程度わかるようになったので、こっちから特性に合わせた相談をすることもあるかもしれない。

例えば、今回ブランドの拠点となるウェブサイトをしっかり作ったのですが、そのサイトもリスナーであるChooningというエンジニアチームと一緒に開発してたりします。そういうポジティブな広がりが生まれるのも期待してますね。

令和のドン・キホーテ、猫の玉置周啓

——TaiTanホールディングスとしての未来図は?

TaiTan:令和のドン・キホーテみたいな存在になりたいですね。超アンダーグラウンドな存在感を保ったまま、圧倒的に大衆に開かれている。さらに、言語の壁を超えて観光地的なおもしろさも獲得しているという。NewJeansが日本へ来た時にもわざわざドンキ行ってましたよね。そして何より経済的な成功も桁違いという。ドンキを超えるユニークなブランドはないと思います。

それに運命的なものも感じていて、ドン・キホーテの創業者である安田隆夫氏が、最初にディスカウントショップを開業したのが29歳の時で、僕が闇市を構想して『品品』を始めた歳と同じなんです。しかも、その最初につくったショップの名前が「泥棒市場」っていう。そういうセンス含めて、思想的にも近いものを感じています(笑)。これまでの活動で基盤はできたと思うので、今後は音楽、Podcast、クリエイティブディレクター業と、いろんな文脈で培った力を結集させて、訳のわからない作品や環境を作り出していきたいなと夢想しています。

——では最後に。ここまで多方面にわたって意図や計画を聞かせてもらいましたが、玉置周啓さんには、どういう役割を期待しているのでしょうか。

TaiTan:友達でいてくれたら、それでいいです。強いて言うなら僕自身、気質が完全に裏方タイプなので、いわゆる演者に向けられるスター的な視線を浴びることは、周啓君に任せているという感じですかね。音声メディアにはどうしたってヒューマニティが必要で、散々能書きを語ってきましたが、コンテンツとしては玉置周啓がいないことには成立しません。芸人コンビでもよくある構図ですよね。ネタも書かない、戦略を考えたりもしないけど、圧倒的にファンから愛されるのはあっち、っていう。最近はもはや猫みたいな存在と考えていて、ただそこにいる玉置周啓を動画に撮ってアップしています。究極のスターは猫なので(笑)。そして、それだけで喜んでもらえるのだから、羨ましいなと思っています。

Photography Keisuke Nagoshi(UM)

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「沖縄の戦後」と「パレスチナ」——これから世界がどうなるべきか 連載:小指の日々是発明 Vol.9 https://tokion.jp/2024/02/23/hibikorehatsumei-vol9/ Fri, 23 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225126 漫画家、随筆家として活動する小指。小林紗織名義で音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「score drawing」の制作も行っている。そんな小指による漫画エッセイ連載。第9回は「沖縄の戦後」と「パレスチナ」について。

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「沖縄の戦後」と「パレスチナ」——これから世界がどうなるべきか 連載:小指の日々是発明 Vol.9

先々週、私達は沖縄へ行った。きっかけは、オペラシティで開催されていた沖縄の写真家・石川真生さんの展覧会と、その帰りにギャラリーショップで買った『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(集英社)という1冊のルポルタージュだった。
この本は藤井誠二さんというノンフィクションライターの作品で、これが沖縄の戦後史を非常に緻密に取材されたすさまじい作品だった。無知な私は、この本で初めて戦後の沖縄の苦しみ、というより本土が沖縄に押し付け続けていた問題を知った。私は強烈に「沖縄を見たい、見なければ」と思った。
すると数日後、偶然見た旅行サイトに片道5000円という破格の飛行機を見つけた。半ば衝動的に同行者(夫)の分と往復分のチケットを買い、カバンの中に財布とボールペン、『沖縄アンダーグラウンド』の文庫だけを詰めて早速ブーンと沖縄へ飛んだ。そして、この本の中で語られている沖縄の街と歴史を辿っていったのだった。

那覇空港に着くと私達は高速バスに乗り込み、「キャンプハンセン」という米軍基地のある「金武町」へ向かった。一時間半ほどバスに揺られて金武町の社交街に着くと、横文字の看板ばかりの昔の横須賀のドブ板通りみたいな街並みが目に飛び込んできた。
はじめはちょっとした懐かしさも感じたが、建物はどれもかなり老朽化しており街全体ががらんどうとしている。夜の街だから昼に行っても人はいないだろうと思ってはいたものの、想像していた以上に人の気配がない。ここに暮らす人達は一体どこへ行ってしまったんだろうと不思議になるほどだった。
そこから数百メートル歩いた所には「いしじゃゆんたく市場」というバラック造りの小さな市場があり、そこはさっきの社交街とうってかわって昔の沖縄の空気を凝縮したようなのどかな雰囲気だった。木でできた台の上で南国の果物や野菜、日用品、家具、米軍の服やアメリカの缶詰なんかがフリマみたいに売られていて、その脇でお年寄り達がお茶とお菓子をひろげ、ゆんたく(世間話)していた。東京の私達にとってはどれも目新しいものばかりで見ているだけで面白かったが、その中でも特に度肝を抜かれたのは、ゴロゴロと積まれた見たこともない大きさの巨大やまいもだった。やっと両手で抱えられるほどの重さで、茶色のデコボコした表面にはびっしり逞しいヒゲ根が生えている。沖縄だけに自生する「クーガ芋」という希少種のやまいもがあると噂で聞いたことがあるが、この「クーガ」とは沖縄の方言で『男性の睾丸』という意味らしい。あの形からして、もしかしたらあれが伝説のクーガ芋だったのかもしない。

その後、私達はバスに乗って「コザ」へ向かった。コザとは、沖縄最大の米軍基地・嘉手納基地のある街だ。知人から「まるで外国だよ」と言われて気になってはいたものの、いざ行ってみると外国というより岐阜のシャッター商店街のような歴史と郷愁を感じた。コザ十字路に沿って伸びる広く長いアーケード商店街は店のほとんどがシャッターを下ろし、午後にも関わらずとても暗い。私達の他に歩いているのは、酒を片手に片足を引きずって歩く酔っ払いだけだった。さっきの金武町といい、基地のために作られた場所は時代と共に置き去りにされているように見えた。
商店街を歩いた後は、同行者がかねてから行きたがっていたゲームショップへ行くことにした。同行者はこのゲーム屋が唯一の沖縄旅の目的だったようで、ぜひ行かせてやりたい……と思って行ってみたものの、店の前について私達は言葉を失った。グーグルでは「営業中」と表示されているにも関わらず、店のドアのガラスは破られ、中は散乱し、挙げ句アーケードゲームの台は誰かに殴られたのかバリバリに画面を割られて外の歩道に打ち捨てられていた。
私達は肩を落とし、その日の宿へ向かった。

宿に着いた頃にはすっかり夜も更け、スマホの万歩計を見て私達は驚愕した。なんと、たった1日で23kmもの距離(ホノルルマラソン半周分)を歩いていたのだ。普段運動不足の私達にはあり得ないことだ。そのせいか同行者の足は蒸れに蒸れ、悶絶するほどの悪臭を放っていた。
宿のおじいさんが「どこから来たの」と声をかけてくれたので「東京です」と返すと、和室に招かれお茶を出してくれた。おじいさんの優しさに感激したが、この臭い足で本当に部屋にあがっていいものなのか、バレて人が変わったように怒られたらどうしようとか内心気が気でなかったが、おじいさんが子供の頃のコザの話や興味深い話をたくさんしてくれるのでいつの間にか夢中で聞き入っていた。

私が「商店街はほとんどお店が閉っちゃってますね」と言うと、おじいさんは手を大きく広げ「今日は日曜日だから。あなた達、今度は金曜日か土曜日に来るといいよ。もう、沖縄中のベース(基地)から人が集まって、すごいことになるよ。肩をぶつけないように歩くのが大変なくらい!」と言った。金と土は人が溢れるくらい大繁盛らしく、私達が来た今日(日曜日)はその祭りのあとだったようだ。他の曜日は店を開けなくていいくらい、その2日間だけで充分な稼ぎになるのだという。
このおじいさんは生まれも育ちもコザで、30代から大阪でトラックの運転手をして引退後戻ってきたらしい。だから内地(沖縄以外の県)は全部行った、沖縄よりもよく知ってるよ、と誇らしげだった。私が「今の私と同い年くらいですね」と言うと、「ちょうどその頃に返還されたからね」とサラッと言った。そうか、沖縄がアメリカから返還されたのは1972年。それまでは米国の統治下で内地へ行くにもパスポートが必要だった。返還と共に、おじいさんの日常はずいぶん変わったに違いない。少ししんみりして、「おやすみなさい」と別れ部屋に帰った。

翌日、私達は朝から開いているゴヤ市場の天ぷらとおにぎりを路上で食べながら散策をした。路地を一本入ると古い家屋が増え、東京では見ないようなヤシ科の木、埃っぽい白壁を眺めていると下手な観光名所を見るよりずっと濃い沖縄を感じた。時々、ニワトリのコケコッコーという威勢のいい鳴き声がどこかから聞こえてくる。コザと隣の胡屋という町の路地だけでもニワトリを飼っている家を3軒も見つけた。
しばらく歩き、この辺り懐かしいな、とふと電柱を見たら「照屋」という町名が書いてあった。『沖縄アンダーグラウンド』によると、ここはかつて”照屋黒人街”と呼ばれた特飲街だったとある。当時は歓楽街ごとに、利用する客の人種が分かれていたらしい。石川真生さんもかつてこの照屋のバーで働き、同僚の女性達を写真に撮っていた。私はあの展覧会で石川さんの作品に圧倒されたが、現在の照屋の街は意外なほどに静かで、やさしげな陽射しがさしていた。腰を曲げて歩くおばあさんが、ゆっくりと目の前を横切っていった。

旅先ではその地の銭湯に寄ると決めている私達は、沖縄で現存する最後の銭湯「中乃湯」に立ち寄った。入り口に座っていた高齢の女性が、店主さんのようだ。
浴場ではご近所さんと思われる婦人達が和気藹々とおしゃべりしていて、1人でいる私にまで「どこから来たの? 東京のどこ? 息子が所沢にいるよ」と、声をかけてくれた。結果のぼせて目の前がチカチカしてくるまで雑談の輪に混ざった。ここの湯は天然温泉らしく、まるであんかけのようにとろみがあり肌がすべすべとする。お湯から上がろうとすると「ここの湯は足の裏もツルツルになりすぎるから、床で滑らないように」と私の転倒まで気にかけてくれ、この沖縄の優しさあふれる銭湯をあとにした。

最後の日の夜は、一泊800円の宿に泊まった。8000円ではなく、800円だ。前の宿泊客のゴミも掃除されていない稀に見る酷い宿だったが、座布団みたいに薄べったい布団を2人でお腹に巻き付けているうち気付いたら朝になっていた。この日は「神の島」と言われている久高島に行ったが、その辺りの話はちょっと今回のコラムと大筋がずれてしまうので今度改めて漫画にでも描こうと思う。

私は帰りの飛行機の中で、道中ずっと持ち歩いていた『沖縄アンダーグラウンド』を読み返していた。沖縄でいろんな街を見て回ってからというものの、この本の中にある戦時中や戦後の占領下の様子が読んでいていっそう身につまされた。

<上陸時から米兵は沖縄の民間人に対して傍若無人にふるまい、凶悪犯罪、とりわけレイプ事件を頻発させた>(『沖縄アンダーグラウンド』より引用)
<強盗や暴行致死、クルマで轢き殺すなど、沖縄の人々を人と思わないような犯罪が日々重ねられた。沖縄戦を生き残った人々は、戦後は米兵たちの暴力に怯える日々を送らねばならなかったのである>(『沖縄アンダーグラウンド』より引用)

女性の被害に関する記録は特に、まるで自分の身に起きているかのように恐ろしく、胸が痛んだ。米兵による女性の連れ去りは日常茶飯事だったという。家にいても扉を蹴破られ自宅で襲われ、食べ物をあげるからと基地へ誘き寄せられて襲われ、食料を探しに海や山菜取りに行った先でも襲われ殺害された。”集団で”芋掘りをしている時さえも、女性達は襲われたという。そして、米兵がいくらこれらの蛮行を働いてもろくに処罰もされず闇に葬られた。

私はこの当時の沖縄の話が、頭の中でパレスチナの現状と重なった。
パレスチナ人もまた、ずっと入植者(イスラエル人)に人権を蹂躙されてきた。『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義〜』(著:岡真理)によると、イスラエルの不条理な暴力に耐え続けたパレスチナ人が対抗すれば逮捕されてしまい、イスラエルの刑務所に入れられたという。パレスチナ人というだけで子供まで逮捕される。だが入植者はというと、殺人をしても放火をしても逮捕されることはなかった。
ガザ地区が封鎖されてからは、物資の搬入出も制限され、燃料も食料も医療品も入らず、病院では足の切断手術も”麻酔なし”でおこなわれた。汚水処理施設も稼働していないので汚染された水で病気になり、貧困や栄養失調で命をおとしていく。そして今は、広島の原爆の2倍の火薬量に匹敵する爆発物を落とされ虐殺されている。その中でも使用されている「白リン弾」は、国際法では禁じられている非人道兵器だ。そんなものを使って逃げようのない民間人が日々殺されているのだ。
ガザの惨状を、ずっとSNSで見続けてきた。人の体があまりに破壊され尽くすと、人形か石や焦げた木切れに見えてくる。それはおそらく、自分の心が破壊されないようにするための脳の防衛本能だと思う。それでも息を止めて目を凝らすと、その遺体になってしまった人が殺される前は確かにここで生きて、笑ったり悲しんだり、家族や大切な人達と暮らしていた様子が見えてくる。もちろん一度も会ったこともない人だけど、時に自分の身内と重なって頭の中に浮かんでくることもある。
ある日、臓器を抜かれた(臓器売買のため)パレスチナ人の遺体が発見されたという報道を目にした。その時、それまでいた足元が一気に崩れるような衝撃と恐怖を感じた。もしかすると、私も知らず知らずに心を削られていて、こうやって理由をつけて無意識的に沖縄へ逃げたのかもしれない。

私はこれから世界がどうなるべきか、小さな脳みそで自分なりに考えてみた。
おそらくもう「停戦」だとか「人道」なんて言葉では足りなくて、この世界から植民地というものをなくすしかないんじゃないだろうか。虐殺をする国もそれを支持する国も、このままじゃ未来永劫、世界平和など口にする権利はない。

今、「ラファ」というガザ南部の唯一の避難エリアが攻撃を受けている。ここが爆撃されれば150万人が命を落とし、いよいよパレスチナ人は殲滅させられてしまう。
そこで殺されているのは、この旅で出会った銭湯の奥さん達や宿のおじいさんのご先祖様達のような、ただその時代に生まれ、その土地に生きていただけのパレスチナの人々だ。

現実を知ることはつらくて苦しい。できたら、私もずっと自分の世界にこもって夢を見ていたい。だけど、知らないままでいたら声をあげそびれてしまう。未来を変える機会を見過ごしてしまう。生活に追われてそれどころじゃないという人もいるかもしれない、資料を読んだり見聞きして情報を集めることも簡単なことではない。自分の心を守るためにはどうしても直視できないという人もいるかもしれないし、「知らないから教えて」と気軽に聞ける隣人がいなくて孤独と罪悪感を募らせている人もいるかもしれない。だから、私はどんな人でも今の状況を知れるような文や漫画をまた描かなきゃと思った。
そういうことに気づかせてもらうために、きっと私は沖縄に呼ばれたのだ。

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「3.11」から被災地はどう「復興」したのか 11年目の風景を写した写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』 https://tokion.jp/2024/02/22/new-habitations-from-north-to-east-11-years-after-3-11/ Thu, 22 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224270 写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』(YYY PRESS)について、トヤマタクロウ、瀬尾夏美、柴原聡子、米山菜津子の4人に話を聞いた。

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『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から
『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から
『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』から

2011年3月11日に起こった東日本大震災から11 年目に撮られた被災地の写真と、11 年の間に語られたその土地の言葉によって編み込まれた写真詩集『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』(YYY PRESS)が出版された。

本書は写真家のトヤマタクロウが撮影を担当し、そこにアーティストで詩人の瀬尾夏美が詩を寄せている。編集は柴原聡子が、装丁は米山菜津子が担当し、4人で作りあげた。

先日の能登半島地震をはじめ、地震や台風、豪雨など近年は大きな自然災害が増えている中で、今、この本が出版される意義とは何か。本書に込めた想いを4人に聞いた。

——今、なぜ「3.11」をテーマにした本を出版したのか。その経緯からを教えてください。

柴原聡子(以下、柴原):私自身、もともと建築を学んでいて、昨今の日本における自然災害の増加などから、人間と土地の関係を考えるようになりました。その時、建築や都市計画だけでなく、アートから何かアプローチできないかと思い、3年ほど前から「住む風景/Scenes of New Habitations」というウェブプラットフォームをスタートしました。

このプロジェクトでは当初から瀬尾さんには声を掛けていて、一緒にリサーチを始めました。手始めに東北沿岸部の街をいくつか訪れたのですが、東日本大震災から10年が経ち、いわゆる「復興」がひと段落したという雰囲気が日本全体にある中で、被災地の現在をもう少し丁寧に伝えたいという思いが出てきました。それで、この機会に一気に被災地を巡りなおして1冊の本にまとめることには意義があるんじゃないか、という話になったのがきっかけです。

いろいろと話し合ううちに、「写真と詩を組み合わせてまとめよう」となり、今回装丁を担当してくれた米山さんと相談しました。米山さんからは、風景をなるべくありのまま撮ってくれる写真家がいいのでは、というご提案もあり、撮影をトヤマさんにお願いすることにしました。

瀬尾夏美(以下、瀬尾):コロナ禍もあって、「東日本大震災から10年」みたいな感じであまり話題にはならなかったんですけど、大きく被災地という括りで見られていた街が、それぞれ震災後にどのような復興の選択をしてきたか、ようやくその地域ごとの暮らしが見えるようになってきたタイミングではあったかなと思います。

——実際にこの写真詩集のプロジェクトがスタートしたのはいつ頃だったんですか?

柴原:まずは2022年6月頃に私と瀬尾さんと下調べとして、岩手から東北の沿岸部を1度まわってみて。その後、2022年10月にトヤマさんと米山さんも加えて、4人で岩手県から福島県まで太平洋側の被災地を中心に撮影しながらまわりました。

人の暮らしが伝わる写真

——トヤマさんにはどんな写真を撮ってほしいとオーダーをしたんですか?

柴原:最初は瀬尾さんがトヤマさんにその土地の情報を伝えつつ、それを受けてトヤマさんに基本的にはお任せで撮影してもらいました

トヤマタクロウ(以下、トヤマ):被災地を撮るということで、当事者ではない自分がどうテーマに対して向き合ったらいいのかな、と最初は構えていましたが、そういった気構えでは見る風景にバイアスがかかってしまうと思い、基本的には普段通りに、「ドラマチック」にならないように意識して撮影を進めました。

米山菜津子(以下、米山):1回目にみんなでまわった後にトヤマさんが撮影した写真を4人で見ながら、「もう少しこういう写真があったらいいよね」と、イメージを擦り合わせて、その後に今度はトヤマさん1人で1週間ほどかけてもう一度東北をまわって撮ってきてもらいました。

その時にプラスの要望として、初回は天気が悪かったり、人の気配がなかったりして、自分達が現地で感じていた印象よりも寂しい印象に見えてしまうところがあったので、「もう少し人の気配があってもいいかもね」っていう話しをして。あとは追加で撮影をお願いしたい場所を伝えて、自由に撮影してきてもらいました。

——本書を見ると風景の中に人の暮らしが感じられるカットがあるのが印象的でした。それはある程度意図的だったんですか?

トヤマ:そうですね。1回目の撮影から戻って4人で話して、人の気配がするものや、説明的過ぎない寄りの写真がもっとあってもいいだろうということになりました。2回目の撮影は1人の時間が多かったので、自分のペースで、より時間をかけて生活感のある風景や人々の暮らしが感じられるものを撮影できたと思います。

——それで最終的にセレクトは米山さんが行なったんですか?

米山:トヤマさんに2回目をまわってもらった後に、また、4人で写真を見てみて。それで最後にもう少し南の方の茨城県とか関東に繋がっていく場所の写真もあった方がいいとなって、3回目はまたみんなで行って。

全体としては北から南へと順番に掲載して、最後に関東に繋がっていく感じでということをみんなで決めて、各場所の写真は私が1度セレクトして、レイアウトして、みんなと微調整をしつつ、この写真の隣に文章をお願いしますと瀬尾さんにお伝えしました。

作っているうちに最初に想像していた本とは少しずつ変わってきて、当初はページ数ももっと少なく写真も住宅や地形の様子だけのイメージでしたが、最終的にはページ数も300ページ以上で、暮らしを感じるカットも入ってきて。このプロセスを経て、変わってよかったなと思いますね。

——トヤマさんの写真だからこそ、より伝わるものがある気はします。

トヤマ:基本的に写真には物事の表面しか写りませんが、そこからいろいろなことが読み取れると思うので、その土地の表面の質感が伝わるよう丁寧に撮影しました。表面下の部分は瀬尾さんの詩で補完されるだろうとも思っていました。 また、他所から来た人間だからこそ気づくことや撮れるものもあると思い、ある程度の距離を保ちながら土地を巡りました。

——瀬尾さんは詩をどのように考えていったんですか?

瀬尾:最初は米山さんがつくってくださった仮のレイアウトを見ながら書いていたんですが、うまく進められなくて。写真には2022年の風景が写っているんですけど、私にとっては震災のすぐあとから見続けてきた場所なんですよね。それで、過去のエピソードを入れ込みたいという気持ちもあったので、写真1枚1枚にあて書きをするのではなく、今回の旅をメインにしつつ、これまでに聞いたお話や風景の変化などを含めて、北からずっと下りてくる感じで、まちごとに詩を書いていきました。

「3.11」以降の変化

——瀬尾さんは震災後に東北に移住したんですよね?

瀬尾:そうです。当時は美大生で、東京のシェアハウスに住んでいて。私とトヤマさんは1988年生まれで震災のタイミングで大学卒業だったんですが、地震で卒業式もなくなりました。大学の友人達と、何かできることはないか、東京でもやれることはあるんじゃないかとか、いろいろ話し合ってはいたんですけど、わたしはやっぱり現場で起きていることを直接知るべきだと思ったので、ボランティアに行くことにしました。実際の現場で大したことはできなかったかもしれないけど、そんな中でも、被災された方達が話を聞かせてくれて、そのことを誰かに伝えてほしいと言われたりもして。その時に聞いた話は貴重なものだから、同時代の人達に伝えること、そして記録して未来に残すことも必要だと感じて、翌年の春に岩手県陸前高田市に引っ越したんです。それから10年ほどは東北に居て、今は東京に戻ってきました。

——瀬尾さんはずっと被災地を見てきて、復興の具合に関してはどう感じていますか?

瀬尾:地域ごとに復興のコンセプトが違っていて、例えば堤防をつくるべきか否かの考え方も街によって違ったりもして、そこが興味深いですね。福島県は原発事故の影響があって、復興のタイミングがどうしても遅れてしまっています。

米山:一言で「復興」と言ってもいろんなレイヤーがありますよね。その結果として、家の建ち方や堤防の高さなどが土地によって全然違うというのは、行ってみて実感しました。元のコミュニティがそのまま移動して、別の場所に仲が良さそうに家が建っている地域もあれば、家が流されてしまったけど、同じ場所に住みたいとバラバラに戻ってくる人もいたりして。そういうことをなんとなくでもトヤマさんの写真から感じてもらえるといいなと思います。

——瀬尾さんが東北に移住したように、柴原さん、米山さん、トヤマさんも3.11を機に変わったことはありますか?

柴原:私はアートの仕事をメインにしているのですが、震災が起きた時は、ちょうど建築学会の仕事も手伝っていました。そこでお付き合いのあった、いろいろな先生から被災地を実際に見ておいた方がいいと言われて。2011年6月くらいに気仙沼にボランティアで行きました。築200年の歴史ある立派な民家の片付けを手伝ったのですが、家は津波でぐちゃぐちゃ、住民の方ももう同じ場所には住めないと話していました。日本は土地信仰を強く、代々土地を継いでいくという考えがあると思うんですが、その経験もあって、それは不安定なものなんだと実感しました。以来、土地と人間の関係だったり、アートでも災害をモチーフにしている人が気になりだしたり、自分にとっては大きな変化でした。

米山:私は震災当時はデザイン事務所で働いていて、ちょうど雑誌のリニューアルを手掛けていた時期で忙しくしていました。震災後は社会全体がとても不安定で何をしていても不安だったけれども、だからこそ自分はなんとか普通に仕事を続けよう、という気持ちでした。

今回のプロジェクトの前に自分は被災地にほとんど行ったことがなくて。あえて避けてた部分もあったというか、どう受け止めたらよいかわからない怖さみたいなものがありました。津波の映像とかも全然直視できなくて、10年が経って、柴原さんと瀬尾さんに今回の写真詩集の話を聞いた時に、今だったら自分も関わることができるのかも、とやっと思えるようになりました。

——復興した後に見る被災地はどのように感じましたか?

米山:復興がひと段落したと言われているとはいえ、ちょっと目を凝らすと、震災の爪痕が残っていて。何か圧倒的なことがここで起きたんだなという雰囲気はすごく感じました。そういう場所の隣には新しい綺麗な家が建ってて、普通に暮らしている人達もたくさんいる。なんというかあまり見たことのない風景だなという印象を受けました。まだそれを何と表現していいか、自分でもちょっと咀嚼できてないのですが。

——トヤマさんは?

トヤマ:大学の卒業式を目前にして地震があったんですけど、揺れが起こった時は洋服屋のバイトでお店に立っていて、もともとは卒業後もそこで働くつもりでいたのですが、いろいろと悩んでしまって震災直後に辞めてしまいました。僕は、自分ではどうしようもないような大きな出来事が起こった時に、すぐに行動を起こすことができなくて、とにかく立ち止まって考える時間が必要でした。当時はいろんな情報が錯綜していて自分自身も不安定だったと思います。それで、大学も卒業して仕事も辞めたのですが、写真を撮る枚数はどんどん増えていったので、写真屋でバイトをしたりしながら写真を続けて今に至るという感じです。震災がなければ今のようには写真を撮っていなかったと思うので、このような本を作ることになって、少し不思議な気持ちです。  

被災地への想像力

——今回、この写真詩集を通して、何を伝えたいですか?

瀬尾:こうした大きな災害が起こると、当事者と非当事者、当事者の中でも被害が大きかった人と少なかった人……など、いろんな境界線が出来てしまって、立場の異なる他者にどう関われるのか、どうやって寄り添っていいのか、みんな悩みますよね。これは災害だけにかかわらず、さまざまなマイノリティの問題に関しても似たようなことが起きていると思います。

日本でも大きな自然災害が増えている中で、いつ自分が被害にあうかもわからない。そこで、当事者になった人達がどのように“その後”を生きているか、どんな風に風景が回復してきたかを知ることで、すこしホッとしたり、関わり代が見つかったりもするかもしれないと思っていて。この本が少しでもそのきっかけになればと思っています。

柴原:日本では毎年のように豪雨や震災といった災害が増えています。今まで被害がなかった地域でも、いつどうなるかわからない状況になってきている。だから被災地で被害を受けた人が、どう暮らしを再建させていくのか、都市部に住んでいる人でも知っておいた方がいいと思います。

トヤマ: 基本的にはやっぱり瀬尾さん、柴原さんが言ってくれたようなことが、この本の役割みたいなこととしてはあると思います。

2023年11月に下北沢のB&Bという本屋で小説家の小野正嗣さんを迎えたトークイベントをやった時に、知り合いのアートディレクターの方が聞きに来てくれて。その時まで知らなかったのですが、実はその方はこの本で撮影した岩手県の野田村の出身で、被災後に自分でも地元や被災地に関しての本を作ろうかとずっと思っていたらしいのですが、それがどうしてもできなくて、写真もなかなか撮れなかったそうで。この本を見て、すごく腑に落ちたっていうふうに言ってくださって、それを聞いて僕も救われたんです。質問の答えになっていないかもしれませんが、なにかそういう、見た人が腹落ちできるような本になっているのなら、嬉しいです。

米山:この本は純粋なリサーチの結果を報告するっていうものでもないし、何か物語になっているわけでもなくて。4人が4人、それぞれで感じていることがあわさったり、それぞれだったり、行ったり来たりしながら作った本という感じがしていて。そういう本は、一言で「こういう本だ」と言いいづらいところはあるんですが、読み込んでもらえると、想像力が働く部分があるのかなと思っていて。

都市部に住んでいる人間として、遠い場所のことを想像するとか、場所は遠くてもなにか似たようなものを窓に置いてる家があるんだなとか、何かそういう繋がりを発見したりというような知らない場所のことでも親近感を持ってイメージするみたいな想像力を働かせていくことが、とても大事なのではないかと思っています。そういうきっかけになればすごくいいですね。

柴原:本書について被災者の方からの感想を聞くと、この本に写っているのは日々皆さんが見ているリアルな風景なんだっていうのは思いました。3月2日からは福島県の郡山で展覧会を開く予定で、今後も定期的にイベントを行っていきたいと思っています。そこでいろんな人の感想を聞くのが楽しみです。

■『New Habitations from North to East 11 years after 3.11』
写真:トヤマタクロウ
詩:瀬尾夏美
文・編集:柴原聡子
装丁:米山菜津子
定価:¥6,050
出版社:YYY PRESS
仕様:上製 312ページ 横 188 × 縦 263 mm
ISBN 978-4-908254-10-9 C0070
https://newhabitations.com
https://newhabitations.com/new-habitations-book-2/
Instagram:@new_habitations

■「New Habitations: from North to East 11 years after 3.11 in FUKUSHIMA」 
東日本大震災から11年目に撮られた写真と、11年の間に語られた土地の言葉。 被災地の現在と過去が織り成す、「あたらしい風景」 
写真:トヤマタクロウ 
詩:瀬尾夏美 
会場:トトノエル gallery café
住所:福島県郡山市希望ヶ丘1-2 希望ヶ丘プロジェクト内
会期:2024年3月2〜20日
時間:(日〜水)12:00〜18:00
休日:木〜土  
http://www.totonoel-gallery-cafe.jp
Instagram:@totonoel_gallery_cafe

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対談:橋口亮輔 × 江口のりこ 『お母さんが一緒』で考えたドラマ制作のあり方 https://tokion.jp/2024/02/17/noriko-eguchi-x-ryosuke-hashiguchi/ Sat, 17 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224382 ホームドラマチャンネル開局25周年を記念して制作されたドラマ『お母さんが一緒』について、橋口亮輔監督と江口のりこに話を聞いた。

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江口のりこ(左)と橋口亮輔(右)

江口のりこ
1980年4月28日生まれ。1999年に柄本明が座長を務める劇団東京乾電池の研究生となり、2000年入団。2002年三池崇史監督『桃源郷の人々』で映画デビュー。2004年タナダユキ監督『月とチェリー』では本編初主演をつとめ注目を集める。その後、話題作に多数出演。ドラマ『時効警察』シリーズにレギュラー出演し個性を発揮。2021年中⽥秀夫監督『事故物件 恐い間取り』で第44回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞。ベテランから新鋭監督まで多くの監督の作品に出演し活動の場を広げている。
https://www.knockoutinc.net/artists/?id=1423254565-475633

橋口亮輔
1962年7月13日生まれ。長崎県出身。1993年、『二十才の微熱』で劇場監督デビューを果たす。続く『渚のシンドバッド』(1995)はロッテルダム国際映画祭グランプリをはじめ国際的な評価を得て、国内でも毎日映画コンクール脚本賞を受賞。3作目『ハッシュ!』(2002)はカンヌ国際映画祭監督週間で上映された。『ぐるりのこと。』(2008)は、主演の木村多江を日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に導いたほか多くの賞を受賞。その他の監督作にオムニバスコメディ『ゼンタイ』(2013)、『恋人たち』(2015)など。

親孝行のため母親を温泉旅行に連れてきた3姉妹。ところが旅館で3人が抱えていたさまざまな思いが爆発してしまう。ホームドラマチャンネル開局25周年を記念し、ペヤンヌマキの戯曲をドラマ化した『お母さんが一緒』は家族をめぐる笑いと涙の物語。姉妹の長女、弥生を江口のりこ、次女の愛美を内田慈、三女の清美を古川琴音が演じていて、『ぐるりのこと。』(2008年)、『恋人たち』(2015年)の橋口亮輔が監督を手掛けた。戯曲を原作に映画監督がドラマを撮る、というユニークな試みだが、その結果、他のドラマとはひと味違う作品になった。そこで今回、橋口監督と江口のりこに作品について語ってもらった。橋口監督が演出の仕事について改めて考え、江口が役者という仕事の面白さを再発見した舞台裏とはどんなものだったのか。対談を通じて、ドラマ作りの難しさ、面白さが浮かび上がってくる。

演出家の仕事は「ここに行きたいんです」と役者に示すこと

——『お母さんが一緒』は演劇作品が原作ですが、ドラマ化するにあたって心掛けたことはありますか?

橋口亮輔(以下、橋口):今回、松竹ブロードキャスティングさんから「ペヤンヌさんの舞台をドラマでやってみませんか?」と声を掛けて頂いたんです。それで舞台を拝見したら面白かったので、これだったら舞台をそのままドラマ化すればいけるなって思ったのが大間違いでしたね(笑)。実際、取り掛かってみたら思うようにはいかなかった。まず、自分がどういう距離感で作品に関わったらいいのか、ずいぶん考えたんです。というのも、いつもは自分がその作品を作る根拠があって、そこからどんな作品にするのか考えていく。今回みたいに原作をもらってドラマを撮ったこともありましたけど、深夜枠のドラマは余裕がなくて、役者さんとは事前に衣装合わせだけやって、2〜3日くらいで撮ってしまうんです。でも、今回の作品はそれでは難しいな、と思って。

——しっかり時間をとって撮りたかった?

橋口:僕は作品を撮る前に役者さんとリハーサルをやりたいと思っているんです。役者さんに役を掴んでもらいたいから。でも、他の監督さんに話をすると「リハーサルなんてやってるの!?」って驚かれることが多いんですよね。今回、出演してもらった皆さんに聞いても、ふだんリハーサルはやってないそうなんです。

この前、『ぐるりのこと。』に出演してもらった木村多江さんやリリーフランキーさんと久しぶりにお会いしたんですけど、2人とも「やっぱりリハーサルはやったほうがいいですね」とおっしゃっていました。だから、今回のドラマでもリハーサルはやりたかったんです。皆さん超売れっ子で多忙な方達でしたが、幸いにもその時間が取れて、出演者の皆さんも進んでリハーサルに参加してくれました。嫌がる役者さんもいるんですよ。リハーサルをやったおかげで撮影前に役者さんといろんなお話ができたんです。

——江口さんはリハーサルをやってみていかがでした?

江口のりこ(以下、江口):リハーサルがあったおかげで撮影を乗り切れたなって思います。リハーサルがすごく楽しかったんですよ。そこでいろんなことを考えたり見つけたりすることができたんです。私だけじゃなく、共演者のみんなもそうだったと思います。なので、撮影に入ったら、あとはやるだけって感じでしたね。

——リハーサルは役者さんが役を掴む時間であり、出演者同士、そして出演者と監督がコミュニケーションを築く時間でもあるんですね。

橋口:「演出家が役に魂を与える」とか言うじゃないですか。そんなの無理なんですよ。演出家は魂なんか与えられない。じゃあ、演出家の仕事ってなんだろう?と考えた時に、「ここに行きたいんです」って役者さんに示すことだな、と今回改めて思いました。行く先を指し示すことで、「ここに行けばいいんですね」ってみんなが目的を共有して一緒にそこに向かうことができる。そういうこと以外に演出家の仕事ってあるのかな?って思いましたね。

江口:役者として何をしたらいいのかわからない現場ってあるんですよ。セリフを覚えてシーンを成立させるだけなら誰でもできるし、それが面白いかというとそうとは思えない。じゃあ、どうやったら面白くなれるのか。どういう風に役を掴んでいくのかっていうことを、今回リハーサルを通じて橋口さんに教えてもらいました。だから、リハーサルの期間は学校に行っているような感じでしたし、改めて役者っていう仕事って面白いな、と思えたんです。

舞台からドラマへ

——江口さんが演じた長女の弥生は、自分の容姿にコンプレックスを抱いていてネガティブ思考。癖の強いキャラクターですが橋口監督は弥生というキャラクターをどんな風に捉えていたのでしょうか。

橋口:弥生は非常に振幅のある役なんです。「それってどうなの?」っていうはじけ方をして周囲が振り回され、それが笑いになっていく。そんな彼女のキャラクターにこの作品のテーマも含まれているんです。舞台版をそのまま映像に置き換えると誇張されすぎに感じるところや、弥生を現実に生きている女性にするために、舞台にないエピソードも作りましたし、江口さんといろんな話をさせていただきました。

江口:リハーサルの時に監督ご自身で演じて見せてくれるんですよ。こんな風じゃないのかな?って。それがめちゃくちゃ面白くて(笑)。その様子を見て、こっちはイメージを膨らませることができました。監督は内田慈さんとか古川琴音さんの役も演じて見せるんですけど、それも面白いんですよね。

——内田さん、古川さんとの共演はいかがでした?

江口:3人とも監督を信頼して「頑張ろうね!」ってやっていたので絆みたいのがありました。それに琴音ちゃんも慈ちゃんも芝居がすごく好きな方達だから、一緒に芝居をしててもすごく楽しかったし、芝居以外の時間もくだらない話をして楽しかった。あの2人が共演者で良かったなって、すごく思います。

橋口:ドラマの中で内田さんが演じる次女の愛美が、弥生に「私と顔が似てるって言われて喜んどったよね。あれ何なん?」って詰め寄るシーンがあるんですよ。本番直前に内田さんに「あれ何なん?」って言い方をどんな風にするのか伝えたんです。相手をなめ切っているような感じにしたくて。そのことは江口さんには伝えていなかったんですけど、本番で内田さんがヘラヘラ笑いながら「あれ何なん?」ってやったら、江口さんがキレて内田さんをバン!って叩いたんです。あの反射的な反応には痺れましたね。江口さん、ここで反応するんだ!って。

江口:あそこは本当に嫌でした(苦笑)。

——ドラマにはそういうヒリヒリしたシーンがちりばめられてましたね。笑いを交えながらも地雷原を歩くような緊張感がある。

橋口:作品の中に生な部分がないと面白くないっていう話はリハーサルの時にさせてもらいました。滑らかに物語が進んでいるけど、その中に「今、何か変なものあったぞ」とか「何かザラッとしてたな」っていうものがないと面白くない。それがドラマを観ている人を引っ掛ける小さな釣り針で、そういう針が1つでもあれば視聴者の心の中にある何かが引っ張り出されて作品に引き込まれる。そして、ドラマを観た後に何かが残るんです。

江口:リハーサルをやる度に心がヒリヒリするんですよね。人間を演じるというのは大変なことなんです。とっても難しいことで、何を手掛かりにしてやっていけばいいのかさえわからない。でも、そういうことをしっかりやろうとする現場って、あまりないんですよ。でも橋口さんはそれをやろうとしていて。橋口さんと一緒にやっていると、自分が何をやるべきなのか、1つずつ見つけていくことができるんです。

家族について

——今回、家族をテーマにしたドラマに出演されて、改めて家族について思ったことはありますか?

江口:家族はやっぱり面倒だなって思いましたね(笑)。喧嘩すると相手に残酷なことも言ったりしますけれども、最後にはやっぱり優しさが残るというか、憎みきれないところもある。その後も同じように喧嘩するんでしょうけど、結局、完全には切り離せないんですよね。私にも妹がいるんですけど、やっぱり弥生みたいに、ああしたほうがいい、こうした方がいい、とか言っちゃうんですよ。これからはあまり言わないでおこうと思いました(笑)。

橋口:このドラマを見てくれた人の感想を聞くと、僕の演出や役者さんの演技の話をする前に、自分の家族について話される方が多いんですよ。奥さんが3姉妹でお祝い事がある度に揉めていたとか、母親がどうだったとか。そんな風に、自分の家族のことを考えるきっかけになる作品になっているのは良いなって思います。そういえば、試写の後、江口さんが「こんなドラマは他にないですよね」って言ってて、確かにそうかもしれないなと思いました。

——他のドラマとどんなところが違うと思われますか?

橋口:撮り方が映画的なのかな。僕の中ではドラマと映画との違いはそんなにないんですけど、いま作られているドラマとは何か違う。何が?って言われるとうまく説明できないんですけど、(江口さんを見て)作品に求めているものが違うのかな?

江口:いまのドラマって観ている人にすごく親切っていうか。お皿を洗いながらでもわかるぐらい親切な感じがするんですよ。でも、このドラマは観ている人を置いて、どんどん進んでいくような図太さがある。

橋口:そうかなあ。今回は随分親切だと思うけど(笑)。

江口:橋口さんの作品の中ではそうかもしれないですけど、他のドラマと比べると全然違う。

橋口:あー。それはそうかもしれない。

江口:だから、最初からしっかり観てもらいたいですね。

橋口:今回、姉妹が本音をぶつけ合うけど重いドラマにしたくなかったんですよ。「これが人間だ! これが家族だ!」みたいな主義主張を打ち出すものにはしたくなかった。すっと物語が滑らかに流れていくようなものにしたかったんです。そこで思い浮かべたのは向田邦子さんのドラマでした。

——向田さんは家族の機微を題材にしたドラマを数多く作られましたね。

橋口:僕は向田さんのエッセイも好きなんです。日常の些細なことの描写から始まって、「あ、親ってこうだな。男って、女って、そうかもしれない。人生ってそういうものかもしれないな」ってしみじみとしながら、最後に手のひらに乗るくらいのほどよい重さの人生の手触りが感じられるんです。今回のドラマも、ちょっと笑ったり、しみじみしたり、切なくなったりしながら、さらっと楽しめる作品になっていたら良いな、と思っています。

Photography Takuya Maeda(TRON)
Styling Naomi Shimizu
Hair & Makeup Aya Suzuki

■『お母さんが一緒』(CSホームドラマチャンネル)
2024年2月18日から毎週日曜日22時放送 (全5話 +アナザーストーリー1話 / 各話30分) 
出演:江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち(ネルソンズ)
監督・脚本:橋口亮輔 
原作:ペヤンヌマキ
製作:松竹ブロードキャスティング 
https://www.homedrama-ch.com/special/okasangaissho
©松竹ブロードキャスティング

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デンマークと日本にルーツを持つ注目のシンガー・ソングライター、ミイナ・オカベが語る「小袋成彬とのコラボ」から「エイミー・ワインハウスからの影響」 https://tokion.jp/2024/02/14/interview-mina-okabe/ Wed, 14 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223989 昨年放送されたドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌「Flashback feat. Daichi Yamamoto」などで注目を集めたミイナ・オカベへのインタビュー。

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ミイナ・オカベ

ミイナ・オカベ(Mina Okabe)
デンマーク人の父親と日本人の母親を持ち、コペンハーゲンを拠点に活動するシンガー・ソングライター。2021年8月にデビュー・アルバム『Better Days』をリリース。アルバムの収録曲である「Every Second」が世界中でトレンドになった。2023年9月に『Better Days』の国内盤をリリース。2023年10月にフジテレビ系月9ドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌となった「Flashback feat. Daichi Yamamoto」をリリース。
https://www.universal-music.co.jp/mina-okabe/
Instagram:@minaokabesings
YouTube:@MinaOkabeSings

デンマークと日本にルーツを持ち、「Every Second」(2021年)のバイラルヒットをきっかけに世界中のリスナーから注目を浴びたシンガー・ソングライター、ミイナ・オカベ。映画監督のジェームズ・ガン(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ)も彼女のファンを公言する1人。昨年9月には「Local Green Festival’23」に出演し日本初となるライヴ・パフォーマンスを行ったことも記憶に新しい。

そんな彼女は、フジテレビ系月9ドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌としても話題を集めた新曲「Flashback feat. Daichi Yamamoto」で初めての本格的な日本語でのヴォーカルを披露。小袋成彬をプロデューサーに迎えたサウンドはジャズやクラブ・ミュージックのフィーリングをまとい、「ドリーミーポップ」と彼女自ら呼ぶオーガニックで開放的なそれまでの楽曲とは異なるチルでアンニュイなムードを演出。そして、Daichi Yamamotoのフロウを伴い歌われる日本語のリリックがみずみずしい印象を残す――「Flashback」は「ミイナ・オカベ」というアーティストの新たな表情が引き出された1曲となった。

現在の活動拠点であるデンマークのコペンハーゲンをはじめ、ロンドンやニューヨーク、マニラなどさまざまな土地で幼い頃から暮らし、いろいろなアートやカルチャーに触れてきたという彼女。そうした環境の中で、ミイナ・オカベの音楽はどのようにして形作られてきたのだろうか。「Flashback」を入り口に、彼女のバックグラウンド、そしてこれからについて話を聞いた。

小袋成彬とのコラボレーション

——新曲の「Flashback feat. Daichi Yamamoto」はT Vドラマの主題歌ということで、これまでとは違った層にミイナさんの音楽を聴いてもらうきっかけになった曲だと思います。

ミイナ・オカベ(以下、ミイナ):私にとってフィードバックを実感できる方法の1つは、ライヴをすることなんです。昨年(2023年)の夏に「Local Green Festival’23」に出演して、その時はまだ「Flashback」がリリースされる前だったのですが、私の音楽を聴いてくれる人達の顔を見て、一緒に歌ってくれるファンと触れ合えたことはとてもエキサイティングな経験でした。それまで日本のリスナーに直接会ったことがなかったので。だから、もし来年ライヴをする機会があれば、「Flashback」で私の音楽に出会ってくれた、もっと多くの人達に会えるんじゃないかって楽しみにしています。

——本格的に日本語で歌うのは今回が初めてとのことですが、いかがでしたか。

ミイナ:少し緊張しました。日本語で、しかもTVドラマの主題歌を歌うということは、私にとってまったくなじみのないことだったので。月9のドラマ・シリーズで歌うというのは、日本ではとても大きなことなんだなって。スタジオで歌っている時は、フジテレビのスタッフやチームのみんな、この曲やドラマに関わるすべての人達に満足してもらえることを願っていました。「私の発音は大丈夫、問題ない」って思ってもらえるように(笑)。そう、だから緊張したし、同時にとても楽しみでもありました。私はずっと日本語で歌ってみたいと思っていたし、日本人の母とデンマーク人の父の子どもであることは、私の音楽において大きな部分を占めているから。なので、今回はとてもいい機会だったと思います。それに、みんなに(「Flashback」を)気に入ってもらえたようで嬉しいです。

——日本語で歌うというのもそうですが、今回の制作はこれまでとスタッフや環境も全く異なるチャレンジングなものだったと思います。

ミイナ:スタジオでは、この曲を手がけたプロデューサーの(小袋)成彬さんがZoomを通じて側にいてくれたことが本当に心強くて。レコーディングを始める前に彼に、「何かあったら言ってください」「発音が間違っていたら言ってください」ってお願いしたんです。日本語で歌うことに慣れていない私に対して彼は、辛抱強く、優しくサポートしてくれて、とてもいい経験になりました。準備する時間があまりなく、本当にあっという間の作業だったので、スタジオでは直感に従って、ただ流れに身を任せる感じでした。あまり考えすぎず、でもそれが結果的に良かったのかなって思います。

——小袋さんとの制作から学んだことは何かありましたか。

ミイナ:今回の経験全体を通じて、とても多くのことを学んだと思います。それは成彬さんとの作業に限ったことではなく、「Flashback」を制作するプロセス全部が、これまで音楽を作る時に試したどのプロセスとも違っていたので。これまでは自分が楽曲を完全にコントロールして、歌詞もメロディもすべて自分で書くし、プロデューサーの隣に座って、何が好きで何が嫌いかを伝えながら制作してきました。だから今回は、少し力を抜いて、成彬さんを信頼して、身を委ねてっていう、これまでとは違うけどとてもクールな経験になったと思います。なので、成彬さんが特にというわけではなく、すべてのプロセスから多くのことを学んだと思うし、新しいアプローチでスタッフと仕事をすることはとても刺激になりました。

——そうしてできあがった「Flashback」を聴いてみて、どんな印象を受けましたか。これまでのミイナさんの楽曲とは異なるテイストになったと思うのですが。

ミイナ:構成がとてもユニークで、とても面白いなって思いました。ふだん私が書く曲って、ヴァース・コーラス・ヴァースがあって、いわゆるポップスのフォルムをしたものが多いんです。でもこの曲には、まるで旅をしているような感覚があって。ピアノから始まって、とてもシンプルなんだけど、少しずつ楽器が重なっていって、Daichi(Yamamoto)のパートが続いて、そこからイントロにちょっと戻って……というふうに。その流れというものがとても新鮮でユニークだったので、初めてこの曲を聴いた時は驚いたし、とても興味深かったです。

エイミー・ワインハウスからの影響

——ミイナさんは両親の影響で小さい頃からいろいろな音楽に触れてこられたと聞きました。その中で、今のミイナ・オカベというアーティストを形作った音楽となると、どんなものを挙げることができますか。

ミイナ:生まれてから聴いた全ての音楽が私を形作ってきたと思います。なので、私の音楽や曲作りに直接影響を与えた曲やアーティストを見つけるのは難しいと思う。私はいろんな国で育ったので、いろんなタイプの音楽を聴くことができました。だから、何か特定のものからの影響があるってわけじゃなくて。

——じゃあ例えば、「この人の音楽に出会わなかったらミュージシャンになりたいと思わなかったかも?」というようなアーティストって誰かいましたか。

ミイナ:唯一と言えるようなアーティストはいないかな。でも、エイミー・ワインハウスは間違いなくその1人だと思う。彼女が私にインスピレーションを与えてくれた瞬間をはっきりと覚えているんです。高校生の時にあるプロジェクトがあって、そこでエイミー・ワインハウスについて調べて、彼女の音楽を分析して論文を書くみたいなことがあって。あるトーク・ショーで、彼女がギター1本で歌うパフォーマンスを観たのを覚えています。通常、そのトーク・ショーで披露されるパフォーマンスって、バンドやダンサーを従えた大掛かりで派手なものだったのだけど、でも彼女のパフォーマンスを観て、「私もこんなことをやってみたい!」って思ったんです。

彼女の歌やパフォーマンスには誠実さが感じられて、その姿にとてもインスパイアされました。自信に満ち溢れていて、とてもユニークな歌声だけど、堂々と歌っている姿が本当にかっこよくて。それまでの私は、例えば『X Factor』で観たビヨンセのパフォーマンスのように、歌ったり踊ったり、一度にいくつものことをこなすような大掛かりなものが“パフォーマンス”だと思っていたので。だからエイミーを観た時のインパクトはとても大きかったし、あれが自分の求めるパフォーマンスなんだって思ったんです。

——ミイナさんもシンガー・ソングライターですが、エイミー・ワインハウスはリリックにも共感したり刺激を受けるところがあったのではないでしょうか。

ミイナ:もちろん。私が曲を書く時はいつもパーソナルな経験や感情を歌にしています。なので、ありのままの姿をさらけ出して見せてくれる彼女の歌詞にはとてもインスパイアされました。

——ちなみに、ミイナさんの音楽の「サウンド」についてはいかがですか。ミイナさんが“ドリーミーポップ”と呼ぶ、オーガニックで開放的なサウンドはどういったものや影響が下地になっているのでしょうか。

ミイナ:たくさんありますね。具体的な名前を挙げるなら、小さい頃に父がオアシスやザ・キュアーのレコードを家でかけていたのを覚えているし、リリー・アレンも大好きだったし、10歳か11歳の時はアヴリル・ラヴィーンの大ファンだった(笑)。それで大きくなってからは、さっきも言った通りエイミー・ワインハウス。だからポップ・ミュージックも聴くけど、高校に入った頃ぐらいからはソウル・シンガーも聴くようになって。

それと、フィリピンで暮らしていた時はインターナショナル・スクールで合唱団に参加していて、そこではいろんな音楽をいろんな言語で歌いました。タガログ語の歌や中国語の歌、スペイン語の歌を歌ったし、妹は南アフリカ語の歌をクラスで歌っていました。そうすることでいろんな種類の音楽を知ることができたし、だから私の場合、インスピレーションを与えてくれた特定のものを見つけるのが難しいんだと思います。それに、いろんなものから何らかの形で影響を受けているのはいいことだと思うし。

日本をルーツに持つこと

——そうしたさまざまな音楽や文化に触れる機会に溢れていた環境の中で、ミイナさんが親しんできた日本のカルチャーやアートとなるとどんなものがありますか。

ミイナ:私にとって、例えば日本の音楽は“ノスタルジック”な気持ちにさせてくれるものなんです。母が宇多田ヒカルやレミオロメンの曲を家でかけていて。「Automatic」や「First Love」、「Flavor Of Life」、それに「粉雪」……だからそうした曲を聴くとスゴクナツカシイ(笑)。

——今回「Flashback」で日本語での歌唱に挑戦したということで、日本の音楽との向き合い方にも変化が生まれたところもあったりするのではないでしょうか。

ミイナ:そうですね。最近、自分が聴いて育ってきた音楽以外の日本の音楽も聴くようになって。例えば、母にすすめられて聴いたaikoの「カブトムシ」は大好きだし、あとVaundyや優里とか、日本の新しいアーティストの曲もよく聴いています。それとDaichiと出会って、彼の音楽を聴いた時、初めて“日本語の歌詞を聴いた”ような気がしたんです。

「Flashback」は私にとって初めてのフィーチャリング・ソングで、誰かと一緒に歌ったのも初めてでした。なので、自分の歌とDaichiの声が重なり合ったのを聴いた瞬間、これまでに感じたことのない感覚があって。それ自体が私にとって特別な経験で、サウンドもとてもクールで興味深かった。だから、たとえ私が作っているものと全くタイプの違った曲やアーティストだったとしても、そこからインスピレーションを得ることはできると思うんです。

——ここ数年、日本に限らずアジアにルーツをもつ若い世代のミュージシャンがグローバルに活躍していますが、それを見て刺激を受けるようなところはありますか。

ミイナ:そうですね。覚えているのは、私が初めて音楽をリリースするにあたってレーベルと話した時に、彼らに言ったことがあって。それは、デンマークのアーティストとして“だけ”見られたくはない。日本人のリスナー“だけ”に聴かれたり、イギリス人のリスナー“だけ”に聴かれるようにはなりたくはない。そうした何かの枠に押し込められるようなことはされたくない、って。私は“ここ”にいて、誠実な音楽を作るデンマーク人のアーティストとして認められたい。

私が若い頃は、共感できる人達や自分自身を重ね合わせることができる人達がいて、彼らを見て自分に自信を持つことができました。でも一方で、 欧米の音楽の世界には、自分がリスペクトしたり共感したりできるようなアジア系のアーティストがあまりいないのも事実で。だからできることなら、誰かのために(自分が)そうなりたいと思っています。自分のルーツがどこなのか悩んだり迷ったりしている人達にも、私の音楽を聴いて共感してもらいたい。それで自信を持ってもらえたり、音楽をやりたいと思ってくれたら嬉しい。

——例えば、同じようにアジアにルーツを持つミュージシャンに聞くと、そのことに誇りを感じたり、同じ立場の人々をエンパワーメントしたいと話してくれる人もいれば、逆に、カテゴライズされたり「代弁者」として意見を求められることに窮屈さを感じると訴える人もいて。ミイナさん自身は、そのあたりについて何か思うことはありますか。

ミイナ:そうですね……両方ともわかる気がします。でも、とても複雑な問題ですよね。例えば私の場合、言葉に関していうと、デンマークで暮らしていて、だけど基本的には英語で曲を書いていて。それは自分自身を表現するのに一番簡単な方法だからで、周りの多くの人はデンマーク語で曲を書いているのに、ね。そう、だからさっきの話と同じで、さまざまな影響が私を形作っているんだと思います。なので、「ミイナ・オカベ」という1人のアーティストとして見てもらえたら嬉しいです。ありのままの自分を見てもらえたらって。その上で、私はアジアのアーティストであり、デンマークのアーティストであることを誇りに思っています。

Photography Mayumi Hosokura

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「ダンスは抵抗である」というメッセージを掲げる〈Protest Rave〉が2月11日に新宿駅東南口で開催 #LetHumanityLive0211 https://tokion.jp/2024/02/08/lethumanitylive0211/ Thu, 08 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223760 “#LetHumanityLive0211”をキーフレーズに掲げ、今まさに戦禍に巻き込まれ続けるパレスチナ自治区などへの連帯を示すべく開催。

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「ダンスは抵抗である」というメッセージを掲げ、パンデミック前夜よりゲリラ的に活動を続ける〈Protest Rave〉が、2月11日17時から新宿駅東南口で開催される。

今回は“#LetHumanityLive0211”をキーフレーズに掲げ、今まさに戦禍に巻き込まれ続けるパレスチナ自治区——ガザ、ウエストバンク(ヨルダン川西岸地区)などへの連帯を示すべく、新宿を舞台にDJ・ポエトリーリーディング・ダブオペレーション、そして参加者によるチャントをもって虐殺と占領へ強く抗議する。

DJには〈SLICK〉を主催する7e × Mari Sakurai、〈Bad Vibes Only〉など数々のパーティーで並走するHIBI BLISS × Lil Mofo、クィア・コミュニティに新風を吹き込むMELEETIME × MUNÉOによる3組のB2Bに加え、1990年代末よりアンダーグラウンドの伝説的な現場で奮闘を続けてきたKEIHIN、日本に最新のアフリカンダンスミュージックの種を蒔くTYO GQOM(KΣITO、mitokon、K8、Hiro “BINGO” Watanabe、DJ MORO)を迎える。

また俳優・野坂弘によるポエトリーリーディングもプログラム内で行われ、ダブ・オペレーションを〈Protest Rave〉コアメンバーであるMars89、Miru Shinodaが務める。

主催者は「ダンス・ミュージックは快楽性のみで構成される文化ではなく、その背後には常に抵抗と慈愛が生き血のように巡り続けている。いまこの世界のどこかで起きている惨事を対岸の火事と思えない、そんな気持ちがわずかでもあれば、ぜひとも新宿駅に足を運んでいただきたい」とメッセージを寄せる。

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スネイル・メイルが語る「映画出演」から「Jホラー」や「シティポップ 」の魅力、そして次作への手応え https://tokion.jp/2024/02/07/intervies-snail-mail/ Wed, 07 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223520 2023年の年末に来日公演を行ったスネイル・メイルことリンジー・ジョーダンへのインタビュー。

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スネイル・メイル/リンジー・ジョーダン

スネイル・メイル(Snail Mail)
ボーカル / ギターを担当するリンジー・ジョーダンによって2015年に結成された。リンジーが16歳でリリースしたEP作品で注目を集め、2018年のデビュー作『Lush』で一躍USインディーを背負うスターへと成長を遂げ、2021年にはセカンドアルバム『Valentine』をリリース。2023年に『Valentine』の発売から2周年を記念し、『Valentine Demo』を〈Matador〉からリリース。
https://www.snailmail.band
Instagram:@snailmail
https://www.beatink.com/artists/detail.php?artist_id=2367
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12100

繊細な心の機微をオープンに歌い、アメリカを代表する新世代のシンガー・ソングライターとして共感を得たスネイル・メイル(Snail Mail)ことリンジー・ジョーダン(Lindsey Jordan)。そんなジョーダンにとって3年前の2作目『Valentine』は、失恋の痛みや環境の変化に翻弄される中で自身の感情、クィアネスと深く向き合った作品だった。いわく「スネイル・メイルという本の新たな章のページをめくる作品」。リリース直後のジョーダンはアルバムについてそう話し、その制作が“癒やしと再生”をもたらす経験だったと振り返っていたのを思い出す。自分自身が抱えているさまざまな感情のための居場所を作り、それについて理解すること――そして『Valentine』は同時に、10代で鮮烈なデビューを飾ったジョーダンが20代となり成長していく過程を捉えたドキュメンタリーでもあった、とも言える。

スネイル・メイルは昨年末、実に5年ぶりとなるジャパン・ツアーを開催。併せて『Valentine』の発売2周年を記念した作品『Valentine Demo』をリリースしたほか、今年には“役者デビュー”作となるA24プロデュースのホラー映画『I Saw the TV Glow』の公開も控える。『Valentine』以降の多忙を極めた時間を彼女はどんなふうに過ごしたのか。そしてキャリアの新たな一歩を踏み出し、次のアルバムも見据えた今の境地について話を聞いた。

——日本でのツアーは5年ぶりでしたが、いかがですか。

リンジー・ジョーダン(以下、リンジー):最高。ただ来る前は少しナーバスになっていて。日本のファンはみんな素晴らしいし、日本はこれまで自分が行ったことがある中で一番好きな場所。でも私の友達やバンドのメンバーのほとんどは日本に来たことがないし、日本でツアーをやるのも久しぶりで、だからいいショーにするために自分にプレッシャーをかけていたところがあって。でも本当に満足しているよ。

——東京公演ではオアシスの「Wonderwall」のカヴァーをやっていましたね。

リンジー:オアシスは大好きなバンド。正直、(「Wonderwall」を)うまく演奏できるか自信がなかったんだけど、ただあの曲をやることは自分の中である種の“通過儀礼”であるような気がしていて。避けては通れないというか(笑)、前にも口ずさんだりしたことはあったんだけど――練習なしにぶっつけ本番でね、でもあの日は誰かがあの曲を叫んだのを聞いて「今だ!」って思ったんだよね。内心、そこまでショーがうまくいっていたから祈るような気持ちだった。「Wonderwall」を台無しにしちゃいけない、あの曲を台無しにするなんてクレイジーだって(笑)。でも昨日はあの瞬間、「できるかもしれない」って思ったんだ。大好きな曲だし、うまくいってよかったよ。

——ちなみに、ノエルとリアムから同じタイミングでツアーに誘われたら、どっちのオファーを受ける?

リンジー:ノエル(即答)。ノエルはソングライターで、リアムはシンガーであり、オアシスというバンドの顔でもある。でも結局のところ、リアムって歌おうと思えばどんな曲でも歌える人なんだと思う。だけどノエルが曲を書くと、そこには彼にしかないサインのようなものを感じられるところがあって。ハイ・フライング・バーズ(※ノエルが結成した新しいバンド)のアルバムにもいくつか好きな曲があるし、自分とノエルは少し似ているような気がするんだ。猫 vs 犬というか……自分は猫に近いと思うけど(笑)、でもきっとうまくやれるんじゃないかな。それに、ノエルは私の叔父によく似ていて(笑)、だから一緒にいて居心地がいいと思うんだ。

——2023年はどんな1年でしたか。

リンジー:良かったよ。ストレスも多かったけどね。この1年、実家に戻って(新しく住む)家を探していたんだ。だから24歳の自分は、両親と一緒に実家で過ごした1年だった。新しい車も買わなくちゃいけなかったし、それにツアーの合間に別のレコードを作ったりして、いろいろなことをやっていたんだ。でも振り返ってみると、家も車も手に入れて、ツアーもできて、自慢の曲もたくさんできたし、最終的にとても満足しているよ。チャレンジングなことばかりだったけど、でも今まで生きてきた中で一番可能性を感じている。どのショーも素晴らしかったし、スネイル・メイルとしてもどんどん良くなっている気がする。今の私達は3ピースとして、もう他のメンバーは必要ないって感じなんだ。だからどうなんだろう? 謙虚な気持ちにさせてくれるようなことがたくさんあったし、それは自分にとっていいことだったんじゃないかな。人生が自分に与えてくれたいくつかの平手打ちは(笑)、そういう意味のあるものだったんだと思う。それで今こうして、私は海の向こう側の日本にいる、という。

——そういえば先日公開された「フェンダー(Fender)」のキャンペーン企画で、サーストン・ムーアと一緒にルー・リードのカヴァー(「Satellite of Love」)をやってましたね。

リンジー:最高! すごくクールだった。ソニック・ユースの大ファンだったし、物心ついた時から大きなインスピレーションを受けてきたバンドだったから。その話は最初、メールで連絡をもらったんだ。「もしかしたら実現するかもしれない」って。でもその手の話が持ち上がった時って、あまり期待しちゃいけないんだよね。だって、他にもたくさんの人達に話がいっているだろうから。だから本当に実現した時はびっくりしたよ。それから1日だけ、サーストンと一緒にやる曲を考える時間があって。彼はたくさんのアイデアを送ってきてくれて、でもいよいよ決断しなくちゃいけないってタイミングになった時に、「よし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドで何かやろう!」ってなったんだ。(サーストンとの共演は)まるでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの講義を受けるようなというか、とても恐れ多い経験だったよ.

——ええ。

リンジー:彼はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの大家であり、インディ・ロックやギタリストの巨匠でもある。だから夢のようだった。彼の演奏を側で聴けるのもそうだけど、彼とのジャム・セッションはクレイジーだったよ。彼のプレイはまさにソニック・ユースそのもので、一緒に演奏していると自分もソニック・ユースの一員になったような感覚だった。一緒の時間を過ごせて本当に楽しかったし、自分にとって大きな出来事だったのは間違いないね。他にもエキサイティングなことがたくさん起こっていた気がするし、そうした瞬間の1つひとつが自分にとってとても大切なものなんだ。

——サーストンとの会話で印象に残っていることは何かありますか。

リンジー:いろんなことを話したよ。今の音楽シーンについてだったり、1990年代のゴシップについて聞いたり(笑)。彼は本当にクールでお茶目な人で、でもとても普通の、地に足の付いた人だった。会う前はとても緊張していたんだけど……そういえば、すごく変わったコスチューム・デザインの人がいて。その人はどうしても自分が作ったコスチュームを着せたかったようで、でも自分達は「コスチュームなんて着たくない、そんなの絶対嫌だ!」「頼むから着てくれ!」っていろいろ揉めて。で、そうしたら「とりあえず試着しに来てくれないか?」ってメールが来たから行ってみたら、トゲトゲのレザーベストとか、赤い蛇革で稲妻のような模様が入ったブーツが用意してあって(笑)。バンドのメンバーも恥ずかしいから着たくないって言うし、だから「自分達の普段の服でやれないか?」って交渉しなくちゃいけなくて。それで、「もしサーストンが同じ格好をするなら着てもいいよ」って言ったんだ。そうしたら収録前日のバンド練習で、彼は「俺、こんなの着てやったことないよ、絶対に着ないよ」って言って(笑)、次の日にTシャツとジーンズで現れたんだ。それで自分達もコスチュームを着ることをなんとか回避できたんだよね。

映画『I Saw the TV Glow』への出演

——『Valentine』以降で言うと、映画『I Saw the TV Glow』への出演も大きなトピックだったと思います。

リンジー:最高にクールだったよ。私がこの世の中で一番興味があるのは映画で、中でもホラー映画は最も好きなジャンルなんだ。きっかけは、この映画のオーディションの話を聞いたことだった。で、面白いことに、その話を聞いた同じ週にマドンナの伝記映画で20歳のマドンナを演じるオーディションの依頼を受けたりもして(※その後、企画自体が白紙に)。まあ、それまでオーディションを受けたことなんて1度もなかったし、受かりっこないって思っていたけど、でも一生懸命やったよ。それで何種類ものオーディションをへて、あの役を掴み取ったんだ。今まで生きてきた中で一番クールな瞬間だったかも。役に決まったと聞いた時は、本当に飛び跳ねて喜んでいたような気がするし。あんなに飛び跳ねたのはいつ以来だろうって感じで……まあ、先日のライヴでも飛び跳ねたりしてたけどさ(笑)。

それに、映画の舞台裏を覗いたり、映画の撮影現場に忍び込んで見て回るのは最高にワクワクした。あちこち歩き回って「これは何に使うの?」「どうやってメイクするの?」ってスタッフにいちいち聞いたり(笑)。監督(ジェーン・シェーンブルン)とも仲良くなれたし、映画についてたくさん学ぶことができてオタク(nerd)になれた気がする(笑)。サンダンス映画祭に出品されることになったから、行けるのが楽しみだよ。

——自分の演技についてはどうですか。

リンジー:演技することはとても好き。不思議な感じだったけど、でも自然にできたと思う。思っていたよりもいい感じだったんじゃないかな。撮影現場に着いた時はとても緊張したけどね。それと、共演したヘレナ・ハワードが本当に素晴らしくて。彼女は驚異的な(phenomenal)女優だよ。今までに見たことのないような感じで。私の台詞はほとんどが彼女とのシーンのもので、私は彼女のパートナーになろうと必死だった。でも、彼女とのシーンは現実の世界で普通に会話をしているように自然で、だから自分が何をすべきなのかを考えるのは簡単だった。それに彼女は真摯な眼差しで私を見つめてきて、私は泣かされっぱなしだった。あの経験はとても得難いものだったし、運命が許してくれるならまたやりたいね。

——ちなみに、映画にはフィービー・ブリジャーズもキャストとしてクレジットされていましたが、話す機会はありましたか。

リンジー:彼女の出演はエキストラ的な感じで。だから撮影現場で彼女と一緒になることは1度もなくて。それに、彼女が出演するのも撮影現場に行くまで知らなかったんだ。誰かに「そこの衣装はフィービー・ブリジャーズが着ているものだよ」って言われて、それで彼女が出演しているのを知ったという感じで。この前、ヨーロッパのフェスティヴァルで一緒になった時に「映画はもう観た?」って聞いたら「まだ観てない」って。というか、現場に行くまで他のキャストのことを全く知らないって、ちょっとクレイジーな話だよね(笑)。

そういえばフレッド・ダースト(リンプ・ビズキット)は1度だけ見かけたよ。私が現場に入った最初の日にいたんだ。「おいおいおいおい、フレッド・ダーストが出演しているなんてどうして誰も教えてくれなかったんだ?」って(笑)。まあ結局彼とは絡むことはなかったんだけど、でも彼を見た時は衝撃的だったな。フレッド・ダーストにあいさつしたかったんだけど、「おい、彼は今仕事中だから邪魔するな」って誰かに言われてね。それで結局、その日が彼にとって撮影現場での最後の日だった。だからサンダンスで会えることを期待しているよ。

日本のカルチャーについて

——日本に来るのは(2022年のフジロックに続いて)3度目になりますが、日本のカルチャーやアートで好きなものや気になるものって何かありますか。

リンジー:私の好きなホラー映画の多くは日本で作られたものだし、クールな音楽――例えばシティポップも大好き。キミコ・カサイ(笠井紀美子)とかイエロー・マジック・オーケストラとか、お気に入りのレコードをよくかけているよ。世界中のいろんなところに行ってみて、どこを訪れても大抵の場合はそんなに違いを感じないけど――アメリカとイギリスだって昼夜が逆転しているぐらいだし、でも日本に初めて来た時に「わあ、こんな経験初めて!」って思ったんだ。スタイルがドープだし、ここで生まれた多くのアートはとてもユニークで。

私は8歳の頃からホラー映画にハマっていたから、“怖い”っていう感覚に麻痺していたところがあって。でも“Jホラー”を初めて観た時、本当に目を見開かされたような感じだった。使われている映像のアプローチが違うし、ストーリーテリングも異なる。本当に“戦慄”したんだ。実は最近、そのことばかり考えているんだよね。だからこの話についてはもう少し考える時間があったらいいんだけど……とにかく(“Jホラー”との出会いは)自分にとっては大きなことだったね。

——シティポップについてはどんなところに魅力を感じますか。

リンジー:いい質問。でも説明するのは難しくて、ただとにかく惹かれてしまう感じなんだよね。アキコ・ヤノ(矢野顕子)のレコードも全部持っているよ。他のポップ・ミュージシャンで彼女が作るようなメロディを聴いたことがないし、シンセの音とかもすごく独特で。一体何にインスパイアされてあんな音楽が生まれるのか……自分が知識不足のせいもあるかもしれないけど、とにかく全てが新鮮に聴こえるんだ。歌詞は理解できないけど、トラックもとても魅力的で、世界全体がまったく“色あせていない”というか。音楽をやっていてシティ・ポップにのめり込んでいる友達に教えてもらって聴くようになって、そこから自分でも面白そうなものを見つけるようになったんだ。「2、3年前までの自分は何をやっていたんだろう!?」って感じで(笑)、すっかりハマってしまって。だから私は、その道の“新入生”みたいなものだね。

YouTubeをサーフィンしたり、レコード・ショップでシティポップのコーナーを漁ってたくさんレコードを手に入れたけど、がっかりさせられたことは1度もないよ。中でもお気に入りは、キミコ・カサイの……なんてレコードだったかな? 紫のジャケットで、確か蝶に関係している作品だったと思うんだけど(※『Butterfly』、1979年)。いろんなところを見て回ってようやく探し当てたんだ。とにかくおすすめ。あと、1970年代後半の日本のディスコやシティ・ポップを集めたコンピレーションもよく聴いていて。どうして誰もそれを見つけられなかったのか、不思議で仕方ない(笑)。そうやって、昨日まで全く知らなかったような音楽を探求するのが好きなんだ。

次の作品に向けて

——『Valentine』のリリースから2年が経ちます。先ほども少し話に出ましたが、次の作品に向けた制作状況はどんな感じですか。

リンジー:順調だよ。今の状況にとても満足している。自分としては、これまでと全く別のプロジェクトのような感覚なんだ。同じ世界から生まれたはずなのに、人として大きく変わった気がする。でもそれって、15歳の時に10代のアーティストとしてキャリアを始めた自分にしてみたら当然のことだと思う。私の人生は変化の連続で、だから私自身も常に変化している。今のこの時点においてもそう。だから言いたいのは、何もかもが全く違うということ。それと、前に比べて音楽をあまり聴かなくなったような気がする。今でも気になる音楽はたくさんあるけど、常に聴いているレコードはほんの数枚だけ。以前はもっと、音楽に対するハングリー精神というか、“(音楽を)発見する”ことに貪欲だったしその範囲も広かったけど、今はもっと限られたアーティストから直接インスピレーションを受けるようになったというか。でも、それぞれから受けるインスピレーションはとても大きくて、そういう音楽を聴くと心を揺さぶられて、涙が出そうになるほど感動してしまうんだ。

リリシズムの部分についても全く違う方向に向かっている。“悲しい女の子(sad girl)”みたいなレッテルを貼られるのは違う気がするんだ。それは私ができることを示すものではないし、私が望んでいるものでもない。そうした“ブランド”の一部にはなりたくないし、正直、“悲しいアルバム”をまた作ることなんて簡単なんだ。目をつぶってもできてしまうと思う。いつまでも同じことを繰り返すようなことはしたくないし、自分に何ができるのか自分で見てみたいんだ。私のレコードはすべて、私が心から大切にしている音楽からインスパイアされた、とても真摯なものだから。それに、今はそれほど悲しくはないしね。

——はい。

リンジー:それと、ギターのプレイをもっと洗練させるためにたくさんの時間を費やしてきた。作詞家としてもそうだけど、作品を作るたびに「もっといいギタリストになりたい」っていつも思っている。映画を観てインスピレーションを集めてギターを弾いてみたり、そのこと自体を楽しみながら、なるべく自分にプレッシャーをかけないように気をつけている。そしてそういう時に、自ずと素晴らしいメロディが生まれたりするものなんだよね。

——『Valentine』をリリースした際、アルバムについて「スネイル・メイルという本の新たな章のページをめくる作品」と話していたのが印象的でした。実際に『Valentine』の制作やその後の時間を経て、自分の中で芽生えた変化を感じるところはありますか。

リンジー:今の時点での私は、まだ2枚半のレコードしか出していない。でもその中で、スタジオで作業をする時に自分が何を望んでいて、何を望んでいないのか、その判断についてより深く理解できるようになった気がする。おかげで自分自身をより信頼できるようになったし、例えば『Valentine』や(当時の)デモを聴き返しても「妥協しなくてよかった」って思うんだ。自分の直感に従うことができてよかったなって。あれは本当にクールだったからね。そして、自分がみんなにリスペクトされるような作品を作れるということを、自分自身に証明することができたと思う。決して偶然の産物じゃないってことを。他人の評価は必要ないってわけじゃないけど、自分が一度きりのアーティストじゃなくてよかったと心から思えた時は、本当に救われた気持ちになる。そして、自分にとってミュージシャンとしての最終的な目標があるとするなら、それは自分が誇りに思えるような作品をたくさん作って、それを継続することだと思う。自分が好きでやっているんだから。

——次のアルバムは『Valentine』とまた違った作品になりそうですね?

リンジー:『Valentine』は感情やインスピレーションが爆発して、あっという間にできたような作品だった。でも今は、そんなふうにがむしゃらになるって感じじゃないんだ。それって、ソングライターとしての自分を信頼できるようになったってことだと思う。手間をかけることでいいレコードができるって確信しているし、だからデモをダブルチェックしたり、時間をかけて遡ったりして作業を進めている。そうしたプロセスのすべてが今の自分にとっては重要だし、良い影響をもたらしていると思う。自分自身をちゃんと理解できているし、それに感情の部分でも以前よりもずっと成熟しているように感じる。

ソングライターとしての自分の面白いところは、自分の嫌いなところや嫌な思いをした記憶についてたくさんレコードに残していることで(笑)。今の自分が嫌いで、私が私であることを憎んでいて、でもそれを解決するのは自己責任だ、みたいな。でも今は、そうしたネガティヴな感情はあまり抱いていない。それに、以前の自分だったら間違いなくメンバーにも嫌われていたと思う。いいリリシストになるために、人として成長する必要があるんだと思う。『Valentine』を経て多くのことを学んだよ。1つのことに固執するのは嫌だし、かといって、みんなが好きなスネイル・メイルの良さを変えてしまうのも嫌だし……だから、あまり考えすぎないようにしているんだ。年齢を重ねるにつれて歌詞を書くこと、レコードを作ることは難しくなってきている気がするけど、でもいい感じだよ。すごくいいアルバムになると思う。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

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「ナイキ」から新たなエアを搭載した“エア マックス Dn”が登場 スムーズな履き心地と今までにない弾性を提供 https://tokion.jp/2024/02/02/nike-air-max-dn/ Fri, 02 Feb 2024 04:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223367 フットウェア クッショニング「ダイナミック エア」を採用した“ナイキ エア マックス Dn”は3月26日発売。価格は¥20,130。

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「ナイキ(NIKE)」は新しく開発したフットウェア クッショニング「ダイナミック エア」を採用した“ナイキ エア マックス Dn”を3月26日に発売する。価格は¥20,130。時販売は「NIKE.COM」「SNKRS」及び一部の「ナイキ」販売店で行う。オールデー カラーは大人用サイズのみの展開で、「SNKRS」 及び一部の取扱店で展開。詳しくは「SNKRS」で要確認。

今回、初めて採用された「ダイナミック エア」は4つのチューブ状のナイキ エア バッグからなる構造で、驚くような快適さ、スムーズな乗り心地と今までにない弾性を提供。エア ユニットの気圧は2種類で、踵は高め(15psi)、前足部は低め(5psi)に設定してあり、足を動かすと空気がエア ユニット内のチューブ間を自由に流れる。動いている足からの圧力にエアが反応することで、一歩進むごとに単に快適だけではなく、スムーズさを感じられる。

ナイキ ライフスタイル フットウェア担当のプロダクトディレクター レジー・ハンターは「これを『ダイナミックモーション』と呼んでいます。 気室が独立した構造なので、一歩進むごとに身体の荷重にエア バッグが反応することができます。エア バッグがリアルタイムで足に反応するので、踵からつま先への滑らかな動きを感じることができます。“ナイキ エア マックス Dn”で初めてこの感覚を実現することができました」とコメントする。

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