竹内菜奈, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nana-takeuchi/ Mon, 05 Feb 2024 05:42:27 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 竹内菜奈, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/nana-takeuchi/ 32 32 髙橋優香によるブックストア「Hi Bridge Books」が誕生 人と人をつなぐ、ジャンルにとらわれない自由な空間 https://tokion.jp/2024/02/02/hibridgebooks-yukatakahashi/ Fri, 02 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222795 「小宮山書店」でキャリアを積んだ髙橋に、オープンに至った経緯からアート業界に歩むことになった理由までを聞いた。

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髙橋優香(たかはし・ゆか)

2023年11月末に東京・代々木八幡にオープンしたブックストア「Hi Bridge Books」。オーナーを務めるのは、神保町で80年以上続く老舗の古書店「小宮山書店」でキャリアを積んだ髙橋優香さんだ。住所は非公表で、来店は完全アポイント制。店内にはビジュアルブックを中心に、新書から古書まで並んでいる。そんなシークレットスポットのような空間に足を運び、オープンに至った経緯からアート業界に歩むことになった理由までを聞いた。

――「小宮山書店」から独立し、自身のブックストアを立ち上げた経緯を教えてください。

髙橋優香(以下、髙橋):「小宮山書店」を退社した時は、具体的なことはまだ決めていなかったんです。場所やオープン日などは辞めてから徐々に進めていこうと思っていましたが、ありがたいことに話はとんとん拍子に進み、形になったという感じ。もともとは原宿に出店しようと考えていましたが、縁があり場所を代々木八幡に決めました。

――アポイント制にしている理由は?

髙橋:お客さんとのコミュニケーションを大切にしているので。足を運んでくれた人からはよく「接客されるのが新鮮」と言われます。滞在時間は1時間程度。気になる本があれば自由に広げて見てもらったり、その人の好みを聞いて、少し違う切り口でおすすめの本を提案したりもしています。新しい出合いや発見を楽しんでもらいたいので、お客さんが知らなかった、わくわくするような1冊を手に取ってもらえたら嬉しいです。

――ショップ名の“Hi Bridge”は、ご自身の名字髙橋からとったそうですね。

髙橋:「ベドウィン&ザ ハートブレイカーズ」で勤務していた時、同会社に「Bridge」というショップがありました。“Bridge”という名前はなんか親近感があり、とても好きなショップで。店名を決める時、自分の名字にも“橋(Bridge)”が入っていることにふと気付き、“Hi Bridge Books”と名付けました。私の仕事は、人と人をつなぐ懸け橋の役目もあります。作家や買い手とのコミュニケーションをとることで、新しい出会いやカルチャーが生まれる。私も橋のような存在になれたらいいなぁという思いもあり付けました。

――店内に並んでいる写真集や雑誌はどんなジャンルのものが多いでしょうか?

髙橋:写真集や雑誌などのビジュアルブックが中心。新書から古書までを取り扱っていますが、あえてジャンル分けをせず棚に並べています。ジャンルという固定観念にとらわれてしまうと、1冊1冊の本質を知ることができない。良い紙を使っているから価値がある、サイズが小さいから安価というわけではありません。ものとしての美しさがすべて評価されるから、そこに価値の基準やジャンルはないと思います。人を何かでくくってしまうと固定観念に縛られてしまい、その人の本当の良さを見落としてしまいます。本もそれと同じではないでしょうか。

ファッション業界から異業種へ

――「ベドウィン&ザ ハートブレイカーズ」に勤務後、ブックキュレーターに転身されております。ファッション業界からアート業界の道に進もうと思ったきっかけは?

髙橋:「ベドウィン&ザ ハートブレイカーズ」を退職後、ニューヨークに2年間留学しました。その時に小宮山書店がアートブックフェアに出店していたんです。荒木経惟さんのような日本を代表する写真家の本を販売していたので、手に取って見ると、写真がもつ力強さに感動したのを今でも覚えています。海外にいる時は日本のことがとても新鮮に感じたり、今まで知らなかったことに気付けたりしますよね。海外の方は自国に対するプライドや知識がありますが、私の場合は本を通して日本を見るまでは自国を深く知ろうと思わなかった。それがきっかけでアートに興味を持つようになり、帰国後に親交があった小宮山書店に入社することを決めました。

――ファッション業界を経て、アート業界に身を置いてから感じる本の魅力とは?

髙橋:ファッションは時代性を映すものなので、時代で物事を見ていきます。私の場合は本をセレクトする上でもそれを感じることが多いですね。本は知らない人の話を聞けるのが魅力。自分が生まれていない時代のことを知れることができるし、知の範囲が広がります。なかでもビジュアルブックは言葉がないけれど、読む人に気付きを与えてくれる。人によって捉え方や見るところも異なるし、時代性や登場人物の内面を知ることもできる。本1冊だけでもさまざまな見方があるので、自分の視点を誰かにシェアできるのも良いですよね。私もお客さんや作家さんなどの多角的な視点を得ることでたくさん学びがあります。

――髙橋さんが引かれるアーティストに共通する点はありますか?

髙橋:周りに左右されずに、自分の意志を貫いている人でしょうか。あとは悲しみを知っている人の作品には心動かされる事が多いです。本当の悲しみを知っているからこその強さがあり、人の心を動かす力も持っているのではないかと感じています。

――最近おすすめの本はありますか?

髙橋:ストリートカルチャーマガジンの『LILYPAD』。ニューヨークとモントリオールを拠点とし、年1回発行しています。ドユン・ベックとバーゲン・ヘンドリクソンが編集し、毎号彼等のコミュニティーの仲間を取り上げています。DIY精神で制作している雑誌は、90年代の純度の高いZINEのようで、ページをめくるたびにワクワクします。この「ISSUE 4」は他国では反響を呼び完売したほど。昨年彼等が日本に来ていた事もあり、今号は交流のある日本人作家もたくさん掲載されています。ニューヨークの友人と彼等が親しくて日本に来た際に仲良くなりました。本号が発売された時、ちょうど「Hi Bridge Books」がオープンしたタイミングで、「ISSUE 4」を国内ではうちだけに置いてくれることになりました。

――最後に、書店オーナーとしての視点も備わった今、今後はどんな活動をしていきたいと考えていますか?

髙橋:展示スペースもあるので、1カ月半に1回のペースで国内外の作家さんの作品を展示していきたいと考えています。今年はブックローンチも予定しており、みなさんに新しい本を紹介できればいいなと。アーティストと本を作ろうという話も控えているので、たくさんのプロジェクトが進行しています!みなさんに楽しんでもらえる良いお店を作っていければと思っています。

Photography Miyu Terasawa

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2023年の私的「ベストブックス」 「flotsam books」オーナー小林孝行が選ぶ本5冊 https://tokion.jp/2023/12/31/the-best-book-2023-flotsambooks/ Sun, 31 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=221201 2023年に発表された作品から「TOKION」ゆかりのアーティスト・執筆陣が年間のベストブックスを紹介する。東京・代田橋のアートブックショップ「フロットサムブックス」オーナーの小林孝行が選ぶマイベスト5。

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長引くコロナ禍の収束を感じながら幕開けした2023年。揺り戻しから、街は以前の活気を取り戻したようだった。一方で、続く紛争や事件、はやり廃り、AIとNI……多くのトピックを巻き込みながら、日常の感覚にあらゆる変化をもたらした。

そんな2023年に生まれたたくさんの素晴らしい作品群から、ベストブックスを東京・代田橋のアートブックショップ「flotsam books」のオーナーである小林孝行が紹介する。

『Section vol.1』

題府基之くんによるビジュアルブック『Section vol.1』が創刊。本書では、彼自らが1980〜1990年代生まれの国内外のコンテンポラリーアーティストを選定し、「4649」のメンバーである高見澤ゆうさんや小林優平さん、ジェイソン・ヒラタ、イリヤ・リプキン等10人が参加しています。デザインは『STUDIO VOICE』などを手掛けた坂脇慶さんが担当。印象的なページは題府くんが撮影した「Pee(小便)」というスナップシリーズ。実際には水をかけて演出しているらしいのですが、シニカルな感じが彼らしいですね。あとは小林くんのページ。カメラの中のフィルムとフライヤーや雑誌の切り抜きを重ねて露光した写真が載っています。本書を通して新進のアーティストを知ることができるので、新しい世界に出合えるきっかけとなるでしょう。

『Fading Smile:West Knoll』

ある日、ウェス・ノール本人から売り込みのメールが届いたんです。それまでは彼のことを知らなかったんですが、本書に関する資料を読んでみると興味深い内容だったので取り扱うことにしました。お店に対するリスペクトを感じたのも仕入れることを決めた理由の1つですね。『Fading Smile』はニューヨークのキッズ達を10年間にわたり撮影したもので、彼等が成長する真の姿をとらえています。ドラッグを売ったり、落書きしたり、互いをだましたり……そんな生々しい社会構造を写し出すウェスの作品からは、同都市が抱える真実を知ると同時に力強さも感じます。ページの途中途中には彼のメモが載っているため、グラフィカルにまとめている雑多な構成も本書ならではの見どころ。

『THEE ALMIGHTY & INSANE: Chicago Gang Business Cards from the 1970s & 1980s』

本書は、1970〜1980年代のシカゴギャングによる名刺を集めたもの。コレクターのブランドン・ジョンソンが収集したコレクションの中から60枚以上のオリジナルカードとエッセイを紹介しています。実は5年前に発売されたんですが、しばらく品切れ状態が続いていたほど。復刻版がようやく出たので仕入れることにしました。「ギャングが名刺を持っているの!?」という意外性に加えて、名刺の中心や両脇にギャング名やメンバーの名前が書いてあるのもおもしろい。また当時はPCがないから、ギャングが版を作って刷っていたという彼等のこだわりも感じますね。デザイナーのお客さん達は、名刺に使われている書体やデザインなどに興味を持ってくれて、デザインの資料として参考にしているそうです。

『YUSUKE YAMATANI: ONSEN I 』

オンラインストアのみの運営だった頃からのお客さんでもある、山谷佑介くんの写真集『ONSEN I』をうちで初めて出版しました。山谷くんは自然の中にある“野湯”と呼ばれる温泉を巡るプロジェクトを約15年前に始め、現地で撮影した自然や野湯を楽しむ人々の様子など、ありのままの風景がとらえられています。デザインを手掛けたのは、山谷くんと知り合いで、うちのロゴも手掛けてくれた山田悠太朗くん。表紙のデザインは、山田くんが同行した際に厚紙を持っていたので、湧き出る温泉や硫黄を直接紙に写しとり、その時に生まれた模様をシルクスクリーンと特殊加工で再現しているそうです。手で触るとボコボコしているので、写しとった際に紙が水でヨレてしまったというリアルさも楽しめます。

『A Period of Juvenile Prosperity』

アメリカ人フォトグラファーのマイク・ブロディによる写真集。貨物列車に無賃で乗車し、アメリカ本土を旅する“トレインホッパー”の車上生活を記録しています。マイク自身も17歳の時にヒッチハイクや列車を乗り継ぎながら旅をし、その時にポラロイドカメラを拾ったことがきっかけとなり仲間達を撮り始めるように。本作は2006〜2009年に撮影したもので、35mmカメラで過酷な車上生活を続ける若者達や出来事をとらえています。アメリカの一面を切り取ったリアリティーさが圧巻。彼はもう写真家を辞めてしまったようですが、今でも根強いファンが多い。最近イギリスの出版社「STANLEY BARKER」からポラロイドを復刻した印刷物が出ました。その印刷自体も当時の汚れまでを再現していて、ファンをうならすプロダクトです。

Photography Kazushi Toyota

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「カジサック」チャンネルでおなじみ“トンりお夫妻”が築く、夫婦の対等な関係 「毎日が未来へのネタ作り」 https://tokion.jp/2023/11/28/tombo-rio-yamaguchi-interview/ Tue, 28 Nov 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=216696 1回り近く歳が離れている2人が夫婦として対等な関係を築くために意識していることとは?

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「カジサック」チャンネルでおなじみ“トンりお夫妻”が築く、夫婦の対等な関係 「毎日が未来へのネタ作り」

YouTuberカジサックの右腕であり、放送作家としても活躍している山口トンボさん。その妻であり、映像ディレクターでもある理緒さん。2人は、YouTubeチャンネル「カジサック KAJISAC」で “トンりお夫妻”としても登場するおしどり夫婦だ。動画の中で繰り広げられるユーモアたっぷりな2人の掛け合いが視聴者の間で共感を集め、同チャンネルで配信された「晩酌トーク」のコメント欄には「理想の夫婦」などの声が寄せられるほどファンを増やしている。現在、44歳のトンボさんと32歳の理緒さん。1回り近く歳が離れている2人が夫婦として対等な関係を築くために意識していることとは? 取材を敢行すべく、愛犬のコロッケと一緒に住む2人の家に伺った。

結婚して3年目というトンボさんと理緒さんは、お互いを「親友」と呼ぶ。出会った当初から物事に対する価値観や、おもしろいと思うツボが似ているほど波長が合うという。

「しょうもないことでも笑い合える。夫婦という関係でも親友のような存在だからこそダメなところも受け入れられるし、リスペクトもできる。一緒に肩を組んで人生を歩んでいくなかで、いつまでも信頼し合えるパートナーでありたいです」(トンボ)。

対等な気持ちで向き合うようになったきっかけの1つは、コロナ禍のステイホーム生活。制限された環境下においても、何事にもイベント性を持たせるように工夫していた。

「日々のなんてことのないことにちょっとしたスパイスを加えると、生活に抑揚が生まれるんです。大掃除の時は2人して頭にタオルを巻いたり、焼きそばを作ったらお祭り気分を味わえるように透明な容器に入れたり、即興でドラマを撮ったり(笑)。私達の場合は自分のことを客観視して、くだらないなって思うことを全力で楽しむのが好きなのかもしれません」(理緒)。

毎日が未来へのネタ作り

取材中も笑顔が絶えない夫婦だが、良好な関係を保つうえで日々心掛けていることはなんだろうか。老後の夫婦像をいつもイメージしながら、毎日過ごしていると2人は語る。「おばあちゃんとおじいちゃんになった時、あの時こんなことしたよねって思い出を話し合いたい。だから、その瞬間瞬間の感情や出来事をいつでも振り返れるように、毎日必ず1回は2ショットを撮っています」(理緒)。

「僕達は思い出を残すことが好きなんです。それは未来の自分達に向けてネタを作っているのかもしれませんね」(トンボ)。

トンボさんと理緒さんが、「カジサック」チャンネルに夫婦として登場するようになったのは2021年。動画内では2人のほほ笑ましい関係が見られるだけでなく、理緒さんがトンボさんに痛快なツッコミをする姿も印象的だ。何気ないやりとりにも思えるが、「コミュニケーションの答えは相手にある」という彼女の言葉のように、お互いに尊重し合い、認め合っているのが随所から伝わってくる。

「コミュニケーションにおいて、これからも一緒に長く過ごしていくうえでリスペクトの心を持っていれば、意見や考え方も相手に響くはず。『自分はこういう意志を持って人生を過ごしてきた』『自分の人生はこうありたい』ということをちゃんと伝えて、お互いにその理想に向けて何ができるかを考えることが大切ですね。言葉選びにも気を遣います。年上だからこそプライドもあるだろうし、自分から弱音も吐きづらいんじゃないかって。『彼にはこの言葉を絶対に使わせない』という思いがあるので、先を見越して行動しています」(理緒)。

理緒さんの言葉には人を引きつける強いパワーがある。そんな彼女からのアドバイスを素直に受け止めるトンボさんの姿勢に共感するファンも多数。これまでに何度も心救われたことがあったとトンボさんは話す。

「僕が放送作家として携わっている番組に出演した時、大スベリしちゃって。帰宅後もずっと落ち込んでいたので、『演者ではないあなたに、みんなウケてほしいという期待は良い意味でしていなかったはず。放送作家として出演したんだから、スベったことに対して落ち込むのは逆に恥ずかしいし、傲慢だよ』と言葉をくれました。物事がうまくいかなった時、『自分は足りていない』と劣等感を持つことがあります。それって自分の勝手なイメージであり、ただの妄想なんですよね。彼女に気付かされたことで、スッと心が軽くなりました」(トンボ)。

1日の終わりに、必ず答え合わせ

「カジサック」チャンネルでおなじみ“トンりお夫妻”が築く、夫婦の対等な関係 「毎日が未来へのネタ作り」

2人は共働きで、クリエイティブな職種に就いていることから、常に意見交換をする。「自分達が正しいと思っていた企画の立て方や構成の作り方と、現代の若い子達がおもしろいと思う立て方や作り方が違っていることがあって。例えば一緒に見た番組のルール。僕達の間ではいまいちしっくりこなかったので、他の人の意見も気になってエゴサーチしてみると、同じ考えの人が全然いなかったんです(笑)。2人の感覚が世の中とズレているんじゃないかと話し合いながら、日々アップデートしています。違和感を持った時は、1日の終わりに必ず答え合わせをする。クリエイティブという職業は同じだけれど、立場と業種が違うから異なる視点を吸収し合えるのがいいですね」(トンボ)。

最後に2人に今後の展望について尋ねると、「今が1番楽しいから、こんなに気が合う人と暮らせるのが幸せ。このままでいられることが、自分達の豊かな人生だと思います」と笑顔で話してくれた。

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モデルからアートの世界へ 「ペロタン」ディレクターのアンジェラ・レイノルズが異業種の道を歩んだ理由 https://tokion.jp/2023/05/27/angela-interview/ Sat, 27 May 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=186934 アート業界での経験がなかったという彼女が、30代で新たな世界に挑戦した理由について語る。

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アンジェラ・レイノルズ

モデル業と並行し、現代美術ギャラリー「ペロタン東京」のディレクターも務めているアンジェラ・レイノルズ。14歳からファッションモデルのキャリアをスタートし、20歳の時に自身のルーツであるイギリス・ロンドンに拠点を移す。これまでには「VOGUE Italia」や「British VOGUE」「Jalouse」「Dazed & Confused」「Numero Tokyo」「Harpers Bazaar Japan」「流行通信」等数々の雑誌に出演する他、ランウェイショーや資生堂、ナイキ、ユニクロ等の広告にも携わる。

モデルのキャリアを確立した後、フリーランスのジャーナリストとして活動し始める。アート業界での経験がなかったアンジェラだが、当時出合ったコンテンポラリーアートに感銘を受けて、新たな世界にチャレンジすることを決意。他業界から転身して活躍する彼女に、美術の道を歩むことになった理由について話を聞いた。

――異業種のモデルからアートの世界に踏み込んだ理由は?

アンジェラ・レイノルズ(以下、アンジェラ):30歳の頃、毎回の撮影現場でモデルとして褒めてもらえることに違和感を覚えたのがきっかけ。14歳からキャリアを築いてきましたが、「このままではダメだ。心が太っちゃう」という危機感があったんです。自分がこの仕事を続けるなら新たな表現方法にもチャレンジしてみたいと思い、当時興味を持っていたNPOの仕事に携わったり、記事を書いたり、ジュエリーやファッションブランドとコラボレーションしてデザインしたりもしました。なかでも文章を書くことが好きだったので、フリーランスのジャーナリストとして活動することに。自分が書いた英語の文章でお仕事をいただきたかったので、あえて日本の雑誌ではなく、モデルの“アンジェラ”を知らない海外誌に寄稿していました。

しばらくして建築家やデザイナー等、いろんなジャンルのクリエイターを取材していくなかで、ファインアートの話をすることが多かったんです。相手のことをリサーチしていても、彼等が影響を受けてきたアーティストや作品について知らないことばかりで……自分が興味ある人達を理解するために、とにかく必死に勉強しましたね。ギャラリーや美術館に通い詰めていたら、どんどんハマっちゃって。初見で特に惹かれないタイプの作品と思っても、足を運んで観に行くと、意義を見出せることがよくありました。アートが持つ多大な可能性やエネルギーを体感し、この業界に携わりたいと思いましたね。

――アートはどうやって学びましたか?

アンジェラ:実は美術のバックグラウンドはなかったんです。英語力はあったので、よく通っていた「スカイザバスハウス」というギャラリーでアーティストの方とお話ししたり、オープニングに参加させていただいたりしていました。そこである日、アピチャッポン・ウィーラセタクンの展示作品に衝撃を受け、「もっとレギュラーで携わらせてほしい。何でもやらせてください!」としつこいぐらいお願いしたら、試用期間を設けてもらえることに。アートスクールで学んでいないし、会社で働いたこともなかったので、まずは雑務からスタートしました。徐々に現場でも業務を覚えていきましたが、はじめは失敗を繰り返すばかり。がむしゃらに勉強して、また失敗しても立ち上がるみたいな。私の下積みといえる時期でしたね。

30代で新たな世界に挑戦

――年齢を重ねると、新しいことにチャレンジするのが不安になりませんか?

アンジェラ:せめて70代まではアクティブに活動していたいので、そのような気持ちは全くありません。むしろ、新しいことにチャレンジしないと自分がダメなタイプ。アート業界を目指す前は、UNHCR の難民キャンプの現場に行ったり、発展途上国の子ども達に給食を届けるプロジェクト「テーブル・フォー・ツー」のアンバサダーとしてルワンダに行ったり、フェアトレードブランド「ピープルツリー」とのプロジェクトでバングラデシュに飛んだりもしました。チャレンジしないと失敗しないし、失敗しないと喜びは生まれない、新しい学びもない。学びがあるから感謝ができて、謙虚でいられる、そして人の苦しみがわかると思います。私の場合は安定しているよりも、常に自分と向き合いながらチャレンジする方が取り組んでいるものに対して意義を感じるし、答えが見えてくるんです。だからアートという異業種に飛び込んだのもその理由ですね。

――現在は「ペロタン」のディレクターに加えて、アーティストリエゾンのお仕事もされていますね。

アンジェラ:アーティストリエゾンは、一言で表すならマネージャーみたいな仕事です。アーティストのキャリアを長期的にプランニングし、美術館やクライアント、企業等にプレゼンする作家の資料を作ったり、作品の値段をつけたり、アーティストを色々な人と繋げたり、制作のためのリサーチを手伝ったり、展覧会のオープニングに行ったり……全面的にアーティストをサポートします。今はエディ・マルティネズ、バリー・マッギー、マーク・ライデンの3人の作家を抱えていますが、「ペロタン」として彼等に関する全ての事柄を担当しています。

――展示するアーティストはどのような基準で選んでいますか?

アンジェラ:「ペロタン」のグローバルディレクター達が話し合いながら時間をかけて選定していきます。アーティストとの関係性は一生モノですし、私達にとっても作家にとってもアイデンティティに関わってくる、とてもインティメートな関係です。なので色々な要素を検討しながらじっくり決めていきます。

――アーティストとの関係性を築く上で大切にしていることは?

アンジェラ:アーティストのテリトリーに、自分が入っていい領域と入ってはいけない領域を早い段階で見極めるようしています。モデルの仕事は常にマネージャーにサポートしてもらっているので、「ここは触れてほしくない」や「これは言ってほしくない」とか、人の気持ちにいかに寄り添えるかということを彼等から学びました。どのジャンルでも、アーティストやアーティスティックな人は感受性が豊かだったり、独自の濃厚な世界観を持っていたりする人が多いですが、その人にとってはそれが自然なことなので、彼等のパーソナルスペースを尊重することが大切です。

――真摯にアーティストと向き合っていることが伝わってきます。

アンジェラ:さまざまなアーティストと関わってきましたが、みんな命をかけて作品を生み出しているので、私も愛と敬意を持って接する責任を感じています。日常でも、自分が理解しきれない人や状況においても敬意を持って向き合うようにしていますね。これは、過去に末期癌になった時に強く感じたことです。当時はロンドンで療養していて、抗がん剤の影響で髪や爪も抜け落ちました。でもウィッグをすれば、自分が大病を抱えていることなんて誰もわからない。それと同じように、スーパーで対応してくれる人だって、自分の隣人だって、もしかしたら同じように病気を患っているかもしれない。自分が知らないだけであって、街を見渡せばひどく辛いものを抱えている人もいる。それに気付いてからは、どんなに嫌な対応をされても「この人にも恐ろしい痛みや経験、そして命をかけて大事にしているものがある」と思い出すよう心掛けています。みんな戦っていて、必死に生きているんですから。

――プライベートでは妻であり、母でもありますが、ワークライフバランスはどうやって保っていますか?

アンジェラ:人生のチャプターや出来事が起こるタイミングは、人によってバラバラだと思うんです。例えば、家庭があると仕事との関係性も変わってくる。もちろん仕事でチャレンジすることや没頭することを大切にしていますが、業務を終えたら家庭の時間。はじめは仕事と家庭の両立の仕方を模索しましたが、思い切って線引きをしたら意外とできるものだなと思いました。制限された中でも人は変わらず結果を出せるということを、その時初めて気付かされましたね。それまでは起きている時間は、仕事と勉強に費やさないと自分の責任を果たせないという焦燥感にかられていたことも。経験が少ないながらもすばらしいギャラリーで働かせてもらい、エリートの方々と一緒に仕事をさせてもらっているので、そこにいる権利をもらうためには寝る暇もないと思っていました。

――お話を聞いていると、とてもストイックな印象を受けました。

アンジェラ:そうですか(笑)。意外とソフトな性格ですが、逆境には強いかもしれません。生きていくなかで、「自分は足りていない」や「みんなより劣っている」といった劣等感を持つことがあると思います。でもそれは自分に対する勝手なイメージであり、ただの妄想なんですよね。結果を見て評価しているのではなく、そのプロセスや変えられない過去から判断してできあがっているイメージなので、結局いつまでも、何をしても変わらないんです。その気持ちを思い切って捨てて、次に繋がる作業をしてみることが大事。環境を整えれば自分が出した答えの価値も変わってくるはずだから。

――コロナや戦争、地震等、揺れ動く時代の中でアートが持つ力はなんだと思いますか?

アンジェラ:不透明な時代こそアートは重要な役割を持っていると思います。平穏な時でさえも人は痛みや空虚感を感じたり、意義を模索したり、葛藤しながら生きている。そんな苦しみから1分たりとも救ってくれるのがさまざまな形のアート。例えば、大好きな絵画を前にして座っている時、ツーっと涙が流れるのは人を救うんですよね。音楽も映画も演劇等も同じ。目の前の作品を通して心のオアシスと繋がったことによってエネルギーが充電され、自分の現実に戻り、向き合う勇気も与えてくれるんです。

Photography Anna Miyoshi(TRON)
Hair & Make-up Mikako Kikuchi(TRON)


ジャケット ¥29,000、パンツ ¥19,000/ともにstyling/(styling/ ルミネ新宿1店 03-6302-0213)、その他本人私物


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20種類以上の食物アレルギーと向き合って10年 黒田エイミが語る苦悩とセルフケア https://tokion.jp/2023/05/04/eimikuroda-interview/ Thu, 04 May 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=182937 20種類のフードアレルギーを抱える彼女に、日常生活で気をつけていることや前向きに過ごす秘訣等を聞いた。

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黒田エイミ

モデルとして雜誌や広告で活躍するかたわら、私生活では妻であり、一児の母でもある黒田エイミ。生き生きとした美しさを持つ彼女だが、20代前半の時に突然重い遅延型フードアレルギーを発症したことがきっかけで、ライフスタイルを根本から見直したという。反応する食品をとると肌荒れや倦怠感、頭痛等、さまざまな不調に見舞われ、発症してから10年経った現在は20種類以上のフードアレルギーを抱えている。

食事制限を余儀なくされた黒田だが、自身のYouTube「EIMI CHANNEL」やInstagramではアレルギーとの上手な向き合い方を発信し、彼女のポジティブな姿勢に背中を押されるファンも多い。真剣にアレルギーと向き合う彼女に、日々の苦労からセルフケアまでを語ってもらった。

――フードアレルギーがあることに気づいたきっかけは?

黒田エイミ(以下、黒田):20代前半まではジャンクフードを食べたり、不規則な生活を送ったりしていましたが、健康面では特に問題ありませんでした。でも24歳ぐらいから突然ニキビのような湿疹が顔や首にでき始めてしまったんです。当時は「ニキビかな?」と思ったぐらいで、ニキビの薬やビタミン剤を飲んだり、当時流行っていたファスティングをしたりしましたが一向に治らなくて。その時通っていた松倉クリニックの松倉先生に相談してみたら、遅延型アレルギーの検査を勧めてもらいました。今よりも受診料は高く、検査結果が出るのも約3ヵ月かかるんですが、遅延型アレルギーについては何も知らなかったので、まずは試しに受けてみることに。検査結果の数値からは乳製品に対してアレルギーを持っていることが判明し、その後は卵と小麦も受け付けられなくなりました。それから原因となる食べ物を控えたら、今まで悩んでいた肌荒れや、顔や手の腫れが落ち着いたんです。

――アレルギー反応があった食べ物は何種類ありましたか?

黒田:検査した当時は3種類ぐらい。アレルギー反応が下がればまた食べられるようになるので、1年に1回(もしくは2年に1回)は検査を受けていましたが、今では20種類以上に増えてしまいました。原因は腸の粘膜が傷つき、有害物質が血液中に漏れ出ることでアレルギー反応を引き起こす、リーキーガット症候群(腸漏れ)。腸の不調によってトラブルを招くことが分かったので、食習慣を改善することにしました。

――20 種類以上もアレルギーがあることを知り、その現実を受け入れるのに最初は不安だったのではないでしょうか?

黒田:とにかく前に進むしか方法がなかったので、食生活を見直しながら抜け道を探していきました。私の場合は醸造用イーストや乳糖が含まれている調味料も使えないので、スーパー等で買う時は原材料やアレルギー表示の有無を細かく見るようにしています。時にはおいしいものを食べたいという諦められない気持ちがあって、大好物のピザやチーズ等にトライしたこともありましたが、やっぱり症状が出てしまって…はじめはストレスなことばかりでした。でも、もともと料理をするのが好きだったので、まずは素材を見直しながら作ることに挑戦。今では自分でチーズやパンを作ったり、代替できる調味料を探したり、新しいことにチャレンジするのが楽しいんです。

――YouTube「EIMI CHANNEL」ではアレルギーに配慮したレシピも紹介しています。メニューは自身で考案しましたか?

黒田:一般的なレシピを見て、自己流にアレンジしています。例えばクッキー。小麦粉が使えないので生地にはオートミールを使ってみたり、サクッとした食感を出すためにくず粉を入れてみたり。摂取頻度が高いものからアレルギー症状が出るので、よく食べるものは1、2日必ず空けて、偏らないようにメニューは毎日変えています。

健康維持は「知識」と「準備」が鍵

――アレルギーと向き合うために心掛けていることは?

黒田:とにかくストレスを溜めないこと。自分なりにおいしいものを食べて、よく運動して、よく寝て、あまり無理をしないというシンプルなことを常に心掛けています。私の場合はこれらの一つでも欠けてしまうと心身ともにボロボロになってしまうので、きちんと両方のバランスを保つようにしていますね。あとは知識を持って、準備をしっかりしておくことも大切。知識があれば対策を考えたり、選択できたり、間違えて食べてしまったりすることもないですから。準備においては、朝ごはんの作り置きや冷蔵庫に何かしら用意しておくと、急な外出がある場合はお弁当が作れるから安心です。

――客観的に物事を見ている印象がありますが、アレルギーで苦労した経験があるからでしょうか?

黒田:夫の影響が大きいですね。もともと感受性が強いタイプで、いろんなことに対して一喜一憂してしまうんです。そんな私の性格を知る、当時まだ友人関係だった夫から「物事をパーソナルに捉えないこと。自分事のように受け止めてしまうのは自意識過剰になっているのが原因なんじゃないかな」とアドバイスされました。彼の言葉のおかげで、一歩引いて、広い視野で物事を見られるようになりましたね。あとは妊娠・出産した時に、ホルモンバランスが崩れて産後うつ手前の状態になったことも理由かもしれません。ネガティブな気分が続いた時期があったので、自分の感情をコントロールする方法を学んだことも生かされています。

――どうやって学びましたか?

黒田:とにかくいろんな本を読みました。ありがたいことに、本にはもう自分が思ったことや経験したことが書かれているんですよね。私の場合は、本に書いてあることを鵜呑みにするのではなく、自分に合う部分をピックアップして実践しました。「こっちの方が自分に向いているから、これはやめよう」と、徐々にトライしながら自分にとってぴったりな方法を探すようにしています。

――同じ悩みを持つ読者に向けて伝えたいことは?

黒田:周りに同じような悩みを持っている人がいるわけではないので、孤独に感じる時があるかもしれません。まずはこの経験をポジティブに捉えられるようになってみましょう。限られたものの中から自分が楽しめるものはないか探してみてください。料理をしてみたり、おいしい食べ物を見つけてみたり、何かしらプラスになるものがあるはずだから。時にはトライアンドエラーなこともありますが、自分と向き合う良いきっかけにもなると思います。

Photography Anna Miyoshi

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「トゥ エ モン トレゾア」デザイナーの佐原愛美と写真家のジェナ・ウェストラが語る、女性の表現者としての感性の共鳴 https://tokion.jp/2022/12/29/aimi-sahara-x-jenna-westra/ Thu, 29 Dec 2022 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=161089 サマー・レジデンシー・ショップ「1977-」でタッグを組んだ「トゥ エ モン トレゾア」の佐原愛美と写真家ジェナ・ウェストラによる対談。自身の表現を通して考える、女性としての体や感性との向き合い方とは。

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Kayla with Found Slide Projections 1-3, 2022

デザイナーの佐原愛美が手掛けるデニムブランド「トゥ エ モン トレゾア」。女性の体型や感性に寄り添うデザインを生み出す同ブランドは、これまでパリーヘルシンキ発のファッション誌「SSAW」でのコラボレーションを通してさまざまな女性アーティストとタッグを組んできた。その1人としてニューヨークを拠点に活動する写真家ジェナ・ウェストラがいる。同誌の2022年秋冬号で共に撮影に取り組んで以来、今年5月に建築家の吉村順三設計による熱海の邸宅で開催されたサマー・レジデンシー・ショップ「1977-」で写真展を行うなど、親交を深めている。表現に対する考えや姿勢において共鳴するものが多いという佐原デザイナーとジェナに、コラボレーションした経緯から、自身の女性としての体や感性との向き合い方までを聞いた。

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Vivian (Mirror, Camera), 2020

――まずはお2人がコラボレーションした経緯を教えてください

ジェナ・ウェストラ(以下、ジェナ):「SSAW」に掲載された私のフォトストーリーを見て、愛美は私の作品を知ってくれたようです。同誌の編集長であるクリス(クリス・ヴィダル・テノマ)は、私と愛美の共通の友人で、彼が一緒にプロジェクトをやらないかと声を掛けてくれたんです。そこから同誌の2022年秋冬号での「トゥ エ モン トレゾア」のフォトストーリーを経て、「1977-」でも継続してコラボレーションすることになりました。またブランドのウェブサイトや日本でのイベントで私の写真集を取り扱いたいと言ってくれたこともあり、愛美とは親しい関係を築いてきましたね。彼女の女性アーティストの存在や声を届けたいという考えに強く共感しています。

佐原愛美(以下、佐原):「SSAW」とは、3年以上プロジェクトに取り組んできました。これまで取り組んできたフォトストーリーでは、いろんな女性写真家と協業してきましたが、クリスが「次の撮影ではジェナとやらないか」と提案してくれたんです。私も彼女の作品を気に入っていて、感性が似ている同世代の女性と一緒にストーリーを作れたらいいなという思いから実現しました。

写真と服を通して向き合う自身の体や感性

――お2人は表現者という立場で、女性としての自身の体や感性に向き合っていると思います。デザイナー、写真家として、それぞれが追求しようと思ったきっかけは?

ジェナ:大学ではペインティングを専攻していたんです。当時は、自分の体という具体的な対象を、パフォーマンス的に写し取るという方法を試みていました。自分の体の輪郭を線に描き、余白に体を使って色を塗る。この写し取るという行為は、写真とも共通点があったように思います。像と光が印画紙に触れることで写真が現れるように、体と絵の具をキャンバスと触れさせることで絵を描いていたのですから。写真に関心を持ったのは大学卒業後で、はじめは写真を撮ることよりもカメラ自体に引かれていましたね。カメラの仕組みやプリントの技術に関心があり、フリーマーケットや古道具屋で見つけたカメラを自分で修理して使っていました。当初はカメラをテストするために、自分を被写体にして写真を撮り始めました。その後、写真を表現の手段として意識的に捉えはじめ、より撮影の目的や方向性が明確になった時から、自分は被写体になることをやめ、スタジオに友人を招いて撮影を行うようになりました。思い返すと、体を写し取るという行為は、自分探しの手段の一つになっていたのかもしれません。

佐原:私の場合、女性であることで受けたダメージをファッションを通して克服しようとしたのかもしれません。多くの女性が多かれ少なかれ、女性であることで傷ついた経験はあると思います。ブランドを始めた2010年は、男性の労働着として生まれたジーンズにパールやビジューを刺しゅうして、女性の視点で作り変えることが、私自身の精神的な解放につながっていました。それから自分も社会も成熟してきたことで、記号的な「女性らしさ」や「男性らしさ」でなく、もっと女性の体に向き合いたいと考えるようになりました。これまではヴィンテージライクのジーンズにオリジナルの刺しゅうを施すようなデザインでしたが、現在は女性が快適かつ安心して着られるように、ジーンズというアイテム自体を一から再解釈してデザインするようにしています。以前よりジーンズの生地は柔らかくなり、パターンは曲線的になりました。また1カ月の中で変化する女性の体に合わせて、バックルベルトは必要な機能になりました。表現方法は変化しましたが、女性の体や感性への関心が常に表現の原動力にあったように思います。

2度目のタッグを組んだサマー・レジデンシー・ショップ「1977-」

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「1997-」の会場になった建築家の吉村順三設計による邸宅 1977- Summer Residency and Shop exterior
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1977- Summer Residency and Shop interior

――写真展の全体像について、当初はどんな絵が思い浮かびましたか?

ジェナ:まず思い浮かんだのは、邸宅の施主であり前オーナーの女性実業家の存在です。「私の作品を飾ることを彼女はどう思うだろう?」と想像しましたね。また、女性(の施主)のために作られた家というのは、自分の作品を展示する場所として完璧だと感じました。そして、空間の色や質感も展示を考える上で重要な要素となりました。今回の構成は、ブランドのために撮り下ろした作品と2010年以降に手掛けた作品を組み合わせたもの。過去のネガを眺めていると、自分の写真の傾向が見えてきます。撮影はしましたが、作品として印刷はしていないんです。そうした傾向を理解することで、新たに何を撮影するかということも自然に決まっていったように思います。例えば、イメージの連なりと重なり。これまでの作品では、鏡、水、影などを通して、イメージの連なりと重なりが現れていました。また展示のために撮り下ろした作品「Kayla with Found Slide Projections 1-3」では、1970年代に撮影された植物のファウンドフォトを、被写体の体にプロジェクターで投影するという新しい手法を通して、イメージの重なりを表現しました。

――実際に届いた写真を見て、「トゥ モン トレゾア」の世界観とジェナさんの作品に共通点はありましたか?

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Braid, Demi Plie, 2021

佐原:ジェナから届いた写真はとても素晴らしく、どの空間にもぴったりだったのですごく興奮しました。自分の考えを言葉で相手に伝えるのは本当に難しいんですが、同年代でもある彼女の時代の捉え方や表現方法にも共鳴するものがありますね。感情や美意識を通した人間的なつながりや、表現を通して、生きるということに何らかのポジティブな影響を与えようとする姿勢がうかがえます。ジェナが日本滞在中に、文学について話す機会があって、不思議と好きな作家や詩人(ケイト・ザンブレノ、ジョーン・ディディオン、シルヴィア・プラス)の好みも似ていたんですよね。これまでのコラボレーションで感じていた親近感の正体がわかったような気がしました。芸術や文学、そしてファッションというものは、言葉のコミュニケーションを越えて人を強く結びつけるのだと。

――「1997-」でのコラボレーションを経て、ジェナさんが感じたことは?

ジェナ:これまで「SSAW」のプロジェクトではメールや電話でコミュニケーションを取っていたので、今回のプロジェクトを経て、みんなで同じ時間や空間を共有することが大切だと実感しましたね。邸宅に滞在したんですが、自分の作品に囲まれて過ごす時間は、まるで自分の作品の世界に暮らしているような感覚でした。

――ブランドのコンセプトに掲げている“女性のセーフプレイス”とは、佐原さんにとってどんな意味でしょうか?

佐原:“セーフプレイス”とは、自分が現実逃避できる場所のこと。誰にでも、音楽に没頭したり、本を読んだり、旅に出たり、目の前の現実や悩みから解放される術、すなわち心の支えがあると思いますが、私にとってはファッションの世界に浸ることが“セーフプレイス”なんです。心の拠り所みたいな場所を、今度は私がファッションを通して作りたいと思っています。

――写真作品からも“セーフプレイス”の言葉から想起されるような静謐な雰囲気を感じました。

ジェナ:男性写真家が撮影した女性の写真からは、被写体の女性に対する消費や支配欲求を感じることがあります。一方で、女性同士の撮影では、お互いへの共感や承認が根底にある気がします。私の撮影現場では、女性が外部のあらゆる干渉から守られた環境を作ることを心掛けています。例えば、モデルの女性に普段から着慣れている、自分が心地よいと感じられる服を着てもらいます。撮影中も常に話しかけて、彼女達のコンディションを確認するようにしています。撮影は常に被写体との同意があって行われるので、決して服を脱ぐことを強要しません。これまでの撮影では、被写体からの提案によって服を脱いで撮影したこともありました。もしかしたら、安全だと感じられる環境では、女性はより大胆になることができるのかもしれませんね。社会において、このように女性が自分の体や感性を用いて自由に表現できる場所がもっと必要だと思います。

佐原愛美
「トゥ エ モン トレゾア」デザイナー。2010年にブランドを設立。「女性のためのセーフプレイスを作りたい。女性の視点を通して、女性の体型や感性に寄り添ったデニムを提案する」という考えのもと、2020年にクリエイティブなデニムブランドとしてリローンチ。
https://tu-es-mon-tresor.com/

ジェナ・ウェストラ
写真家・映像作家としてニューヨークを拠点に活動。ニューヨーク、ロサンゼルス、ボストン、マドリード、ペスカーラ、ワルシャワ、コペンハーゲン、ベルリン、東京、熱海での作品発表のほか、これまでに『Atlas』 (2018 年)、『Afternoons』(2020 年)の二冊の写真集を発表している。 Lubov(ニューヨーク)、Schwarz Contemporary(ベルリン)所属。
https://www.jennawestra.com/

All images courtesy of Lubov, New York and Schwarz Contemporary, Berlin 

Text Nana Takeuchi

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