黒田隆憲, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/takanori-kuroda/ Mon, 01 May 2023 04:56:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 黒田隆憲, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/takanori-kuroda/ 32 32 アコースティックバンド、OAUが考える『Tradition』 さまざまな“伝統”が混じり合った「今のOAU」 https://tokion.jp/2023/04/13/interview-oau/ Thu, 13 Apr 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=180230 ニューアルバム『Tradition』がリリースしたOAUのマーティンへのインタビュー。新作の制作秘話をじっくり語ってもらった。

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OAUのマーティン

OAU(オー・エー・ユー)
2005年にBRAHMANの全メンバー、TOSHI-LOW(Vo,Bouzouki, A.Gt)、KOHKI(A.Gt)、MAKOTO(Cb)、RONZI(Dr)に、ヴァイオリニストでフロントマンも務めるMARTIN(Vo, Violin, A.Gt)とパーカッショニストKAKUEI(Perc)から成る、6人組アコースティック・バンドOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDを結成。欧米をはじめとしたトラッドやルーツ・ミュージックを巧みに織り込んだ有機的な音楽性に、繊細さとダイナミズムとを併せ持ったパフォーマンスで多くのオーディエンスを魅了。国内最大級のフェスをはじめ海外でもライブを重ねるほか、2010年からは全てのアーティストがアコースティック限定の編成で出演するキャンプフェス「New Acoustic Camp」のオーガナイザーを務めている。2019年4月にOAUに改名。2023年4月12日にニューアルバム『Tradition』をリリース。
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アイリッシュフォークやカントリーミュージックなど、ルーツ音楽を基調としつつも現在進行形の音楽へとアップデートして奏でる6人組のアコースティックバンド、OAUよるニューアルバム『Tradition』がリリースされる。フルアルバムとしては、自分達のバンド名を冠した前作『OAU』からおよそ4年ぶりとなる本作は、これまでのOAUのサウンドコンセプトを受け継ぎつつも、80’sや90’sの要素さえ「オールディーズ」とみなし貪欲に取り込んだ、OAUの定義そのものを拡張するような仕上がりとなっている。前作リリースの直後にコロナ禍が訪れ、ステイホームが強いられる世界で彼等は、この極上の「ダンスミュージック」をどのようにして作り上げたのだろうか。ソングライティングはもちろん、アルバムのサウンドプロデュースも手がけるマーティンに制作秘話をじっくり語ってもらった。

『Tradition』が意味するもの

——アルバム制作は、いつ頃から始まっていたのでしょうか。

マーティン:前作『OAU』を作り終え、コロナ禍に入ってからもずっと作り続けていました。去年にはもう結構な数の曲がそろったので、「アルバムの前に、ちょっとまとまった作品を出そう」という話になって5曲入りのEP『New Spring Harvest』をリリースしました。今作は、ためていた曲プラス、去年から新たに作った曲を足した14曲になっています。

アイデアの断片みたいなものは、コロナ禍の前からあったのかな。2019年に作った曲もあるからね。本格的に作り始めたのは、コロナ禍になってから。すでに海外ではロックダウンが始まって、この調子だとしばらくは家から出られなくなると思ったし、それをどこかチャンスとして感じる部分もあったんだよね。「今は大変だけど、いつか必ず終わりがやってくる」「その時にいい作品をバシッと出せれば、きっといいことにつながる」と信じていました。

——前作よりもモダンなサウンドに仕上がっている本作に、「伝統」を意味する『Tradition』というタイトルが付いているのも印象的です。

マーティン:OAUを始めたばかりの頃は、フォークミュージックをはじめとするさまざまな国の古い音楽を、ポップスと混ぜて作るというビジョンを掲げていた。なので、僕等の作る楽曲には必ずそういう古くて懐かしい感じの音が入っているんだけど、今の若い人達からすれば、80’sや90’sだって「オールディーズ」として聴こえるんじゃないかなと思ったんだよね。もう立派な「tradition」だよなって。

——確かに、「夢の続きを」の中にシンセのアルペジエーターのようなフレーズが入っていますよね。

マーティン:90’sっぽいよね(笑)。実はあれ、シンセじゃなくてアコギなんだけど。ディレイをかけて、指でスラップさせているからああいうサウンドになっている。ポール・オーケンフォールドとかああいう90年代のトランスミュージックに近い感じ……トランスだってもう30年前の音楽だから「オールディーズ」だよね。

ただ、それをシンセでやってしまうと面白味がないじゃない? あの曲は、自分達が普段使っているアコースティック楽器を使って、どこまで広げられるか? という実験の「始まり」と言ってもいいかもしれないね。あのサウンドを作ったKOHKIはやっぱり天才だと思う。

TOSHI-LOWによる日本語詞

——「tradition」と一言で言っても、いろんな時期の伝統音楽が散りばめられているわけですね。しかも、それを現代のポップスにアップデートしている。「This Song -Planxty Irwin-」は、400年前からずっと受け継がれているアイルランドの伝統曲をポップスにアレンジし、なおかつ日本語の歌詞を乗せていて。まさしく「今のOAU」という感じがします。

マーティン:この「Planxty Irwin」という曲は、ケルトミュージックを追求していると必ず行き着く盲目のハープ奏者、ターロック・オキャロランによるインスト曲。僕の両親はミュージシャンで、家族で楽器を持ち寄って演奏する時に必ずと言っていいくらい取り上げていたし、自分にとっては「子守唄」みたいになじみのあるトラディショナルソングなんだよね。

で、ある時スタジオでこの曲を演奏してみようということになったんだけど、それがもうめちゃくちゃエモーショナルだったんです。これ、インストじゃなくて「歌もの」にしたらもっと良くなるぞと思って、メロディをより際立たせたアレンジにしてTOSHI-LOWに歌詞を書いてもらった。「これ、いったいどこで生まれた曲?」と思うくらい、あちこちのルーツミュージックが混じり合った面白い曲に仕上がったと思う。

——英語の歌詞ではなく、TOSHI-LOWさんによる日本語詞をTOSHI-LOWさんに歌ってもらおうと思ったのは?

マーティン:単に英語詞を付けただけなら、英語圏のバンドでもできることじゃないかなと。よりオリジナルな楽曲に仕上げるなら日本語の歌詞のほうがいいし、僕達は日本で活動しているわけだから日本語のほうが伝わりやすいよな、と。古いアイルランドのトラディショナルソングが日本に渡って「日本の歌もの」になり、日本人のリスナーに広く知れ渡っているこの状況がめちゃくちゃ面白いなと思います。

——ケルトのメロディが、日本人の琴線に触れるのも不思議だなと思います。

マーティン:これ、前から思っていたことだけど、音楽って古くなればなるほどみんな同じになっていくよね。どこの国も「太鼓」と「笛」だけの演奏になってくるし、笛って基本的に単音だし穴もせいぜい8個くらいしかなくて、吹ける旋律も限られてくる。太鼓もシンプルになればなるほど、叩けるフレーズも似てくるじゃない?

今回、アルバムには他にも「Blackthorn’s Jig」というアイルランド民謡っぽいインスト曲が入っているんだけど、その曲も沖縄のノリに近いと思っていて。そこにアフリカのリズムも少し混じっているから、アイルランド、日本、アフリカのミクスチャーソングとして聴けるんじゃないかな。

——ちなみにこの曲、歌詞のテーマもTOSHI-LOWさんにお任せでしたか?

マーティン:まあ、歌詞はTOSHI-LOWが絶対にいいものを上げてくれるってわかっているから、僕からは特に何も言うこともないよね。そもそも前作『OAU』の時に、結構テーマを細かく決めたんですよ。今回はもうちょっと他のメンバー個々の「味」が濃く入っていると思う。

僕がレコーディングのプロデュースという形でずっとスタジオで作業をしていたんだけど、前作で自分達の方向性が明確になったからか、「こうやって弾いて」みたいな指示を出すこともほとんどなくて。みんながちゃんとイメージを共有していたから、「これ!」という期待通りのサウンドやフレーズが自然と出てきた気がする。

——マーティンさんの歌詞はどうでしょう。アルバムを通して何か一貫したメッセージなどありましたか?

マーティン:どうだろう……自分はTOSHI-LOWよりも、もうちょっとベーシックというか。そこまで1つのテーマを深く掘り下げるわけじゃなくて、ストーリーの中に何かテーマが見えて来ればいいのかなと思いながら作っていました。TOSHI-LOWも僕も、言いたいことは明確にあるけど、自分の方がちょっと明るい内容が多くて、それでバランスが取れているのかもしれない。「昼」と「夜」みたいな(笑)。

家族、娘への想い

——冒頭曲「Old Road」は、アフターコロナの世界で「再生」する意志を歌うマニフェスト的な曲だと思いました。

マーティン:それももちろんあるけど、あの曲のテーマは「旅」かな。旅をしている時の寂しさ、大事な人のもとへ走って帰りたいけど、「また同じ旅がしてみたい?」と聞かれたら多分「やる」と答えるだろうな、と。そういう気持ちを歌っています。とにかく、一番大事なのは家族。それはコロナ禍でより強く再認識したことだね。いろんな人と会えなくなったことで、誰が大事とか何が大切かとか、みんな改めてはっきりしたんじゃないかな。

——「Homeward Bound」の歌詞も、家族のもとへ帰りたいということを歌った曲ですよね。

マーティン:「もう、今すぐ帰るからね」「待ってて!」と家族に訴えかけるような歌詞。ちなみに、2020年の再録ベストアルバム『Re:New Acoustic Life』にも収録した「Change」でも、そういうことを歌っています。「世の中はすっかり変わってしまったけど、家族への気持ちは何も変わってない」って。OAUは、コロナ禍でもホールツアーとか回ることができたんだけど、だからこそ家族を思いながら書く曲が増えたのだと思う。

——「Time’s a River」は、時の流れを川にたとえた歌詞が印象的です。

マーティン:今年40歳になったんだけど、20歳になる娘がいて。今の娘と同じくらいの年齢の時に、彼女を授かったのかと思うと時の流れを感じるよね。「自分の娘が、もう20歳?」って、我ながらびっくりしてしまう(笑)。川の流れって止まらないじゃない? 本当にそんな感じ。

自分自身についてもそうで、若い頃は全く感じなかった「死」や「病気」についても、人生の折り返し地点に来てようやく意識するようになってきた。これからの人生をどう過ごしたいのか、常に考えているし、この曲ではそういうことを歌っている。要するに「俺も歳を取ったな」ってこと(笑)。もちろん、娘へのエールソングでもあるよ。

——川の水は海へと流れ、水蒸気になって再び川へと戻っていきます。時の流れも同じように「めぐる」と表現しているのも(The time has come again)この曲の特徴ですよね。

マーティン:そう。きっと娘も同じように自分の子供を持った時、その成長の早さに驚く日が来ると思うんだよね。そういうサイクルはこの先もずっと続いていくのだろうなって。そして、僕よりもいい人生を生きてほしいなと願ってる。自分の人生もなかなか面白いけどね(笑)。

「みんなの笑顔を早く見たい」

——本作にはインスト曲が「Blackthorn’s Jig」「Linden」と2曲入っています。「Blackthorn’s Jig」を聴くと、ケルトミュージックはダンスミュージックなのだと再認識しますね。リズムも躍動感があり、アイリッシュ音階で延々と繰り返されるフレーズを聴いているとだんだんトランスしてくる。

マーティン:本当にそう。TOSHI-LOWのブズーキと僕のバイオリンがずっとユニゾンしているので、これライブでやったらめちゃめちゃ楽しいし盛り上がると思う。ちなみにカクさん(KAKUEI)はアフリカの民族楽器シェケレを演奏してる。さっきも言ったように、アフリカのノリと沖縄のノリはすごく似ていて。ダド、ダド、ダド……って前のめりになっている感じが踊らずにはいられないよね(笑)。

——それとは対照的に「Linden」は静謐で美しいナンバーです。

マーティン:「Linden」はKOHKIがスタジオで、たった1人で作った曲。他の曲は、ベーシックの部分は僕が作っているから、どうしても自分っぽくなるんだけど、あの曲は完全にKOHKIの世界。彼はソウルやR&B、ファンクがすごく好きで、「Homeward Bound」にもそんなKOHKIの色がかなり濃い目に入っているんだけど、「Linden」はもっとスロウでジャジーな感じ。個人的にもすごく気に入っていますね。アルバムではインタールード的な役割を担っていて、尺も短いんだけどライブでは思いっきり長くやりたいな。

——「Without You」の、〈All I need Is all I want〉というフレーズも印象的です。

マーティン:この曲も、コロナ禍で気づいたことを歌ってる。さまざまな命が亡くなっていくのを目の当たりにして、シンプルな暮らしでいいし余計なものはいらないということを思い知らされたんだよね。いろいろ物を集めたって、死んだ後は持っていけない。それだったら、目の前にある命、友人や家族の命を俺は大事にしたい。もともとそんなにモノを持ってないんだよ。父親がめちゃめちゃ物持ちがよくて、家の中にモノがあふれてるから、その反動かもしれない(笑)。

——お話を聞いていて、このアルバムはコロナ禍や戦争が続く中、自分にとって何が大事なのか、何を大事にすべきなのかを再認識させられるというか。きっとメンバーの皆さんも、作りながら再認識していったのだろうなと思いました。作り終えて今はどんな気持ちですか?

マーティン:「早く次のアルバムを作らなきゃ」って(笑)。マスタリングを確認した瞬間、「よしじゃあ、次!」という気持ちになった。やっぱり、このアルバムにいい感じで繋がる作品を来年には出したいし、そのためには今から仕込んでおかないと間に合わないじゃん?

——もうすぐツアーが始まりますが、最後に意気込みをお聞かせください。

マーティン:この間フェスをやったんだけど、お客さんの「声出し」がすごかった。大勢の人逹と一緒に歌うなんて、3年間ずっとなかったから、その光景を見た時には泣きそうになりましたね。踊ってもいいし、声を出してもいい。きっとツアーが始まる頃は、マスクを取ってもいいってなるかもしれない。めちゃくちゃ楽しみですよね。しかも今回は札幌をはじめ、毎回必ず行けるとは限らない場所でも演奏することが決まっていて。みんなの笑顔を早く見たいな。

Photography Hironori Sakunaga

■New Album『Tradition』
2023年4月12日発売
価格:¥3,300
CD収録曲 全14曲
1. Old Road
2. セラヴィ -c’est la vie-
3. 夢の続きを
4. Time’s a River (New Acoustic Camp 2022 テーマ)
5. 世界は変わる (映画『追想ジャーニー』主題歌)
6. Homeward Bound
7. Blackthorn’s Jig
8. 月だけが
9. Whispers
10. Family Tree
11. Linden
12. This Song -Planxty Irwin-
13. Without You
14.懐かしい未来 (J-WAVE「HEART TO HEART」テーマ)
https://oau.lnk.to/tradition

■OAU Tour 2023「Tradition」
・6月3日 北海道 札幌サンプラザホール
・6月7日 大阪 サンケイホールブリーゼ
・6月9日 岡山 ルネスホール 
・6月14日 愛知 名古屋市芸術創造センター
・6月23日 宮城 トークネットホール仙台 小ホール 
・6月30日 福岡 電気ビルみらいホール
・7月5日 新潟 新潟市音楽文化会館
・7月8日東京 昭和女子大学人見記念講堂

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瀧見憲司が語るセカンド・サマー・オブ・ラヴ期のプライマル・スクリームのサウンドと変遷について https://tokion.jp/2022/08/16/kenji-takimi-talks-about-primal-scream/ Tue, 16 Aug 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=140687 セカンド・サマー・オブ・ラブ期のプライマル・スクリームのサウンドと変遷について、DJの瀧見憲司が語る。

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もうすぐ開催される「SONICMANIA」「SUMMER SONIC」への出演および大阪・名古屋での単独公演が決定しているプライマル・スクリーム。今回のライヴで彼等は、1991年にリリースしたロック史上に残る名盤『Screamadelica』を全編演奏するという。ロックンロールとダンスミュージックを絶妙なバランスで融合させ、後のインディーロックに計り知れない影響を与えたプライマル・スクリーム。その後も作品を出すごとに進化を繰り返しながら、シーンの最前線を走り続ける彼等は一体どのような存在だったのか。当時、下北沢ZOO/SLITSで伝説のレギュラーイベント〈Love Parade〉をオーガナイズし、マッドチェスターやシューゲイザー・ムーヴメントに沸き立つUKの空気を東京に住む人々と共有していた瀧見憲司 / Kenji Takimi(Crue-L / Being Borings)に、プライマル・スクリームの魅力を存分に語ってもらった。

プライマル・スクリームとの出合い

──瀧見さん、ボビー・ギレスピーの自伝『Tenement Kid』はどうでしたか?

瀧見憲司(以下、瀧見):かなり引き込まれました。単なるミュージシャンの自伝を超えて、労働者階級文化の美しさの肯定と貪欲な音楽リスナーとしての客観性からくるディテールへの固執と洞察、音楽的シオニズムを追求しながら自己矛盾に溢れ、でも実感と信用のあるナイーブで誠実な人生のロードノベルとして最高におもしろい。すべての若者、特に音楽リスナー、バンドマン、DJは必読ですね。映像化は必至なのではないでしょうか。

──瀧見さんがプライマル・スクリームを初めて認識したのはいつ、どんなタイミングだったのでしょうか。

瀧見:ジーザス&メリーチェインのドラマーがやっているバンドということで、1985年のデビューシングル「All Fall Down」を確かUK EDISONかイースタン・ワークス(いずれもレコードショップ)で買ったのが最初ですね。単純に、「粗いけどいい曲を書くバンドだな」と思いましたし、ボーカルの甘さがかなり印象的でした。B面の「It Happens」のほうが好きでしたね。当時Creation Recordsの10番台は輸入盤店にも入荷するようになったので、ほとんど買っていたと思います。どれも音も悪くて粗いけど、惹きつけられるものがありました。2枚目のシングル「Crystal Crescent」も、B面の「Velocity Girl」のほうが好きでしたね。

──その頃、瀧見さんはどのような活動をされていましたか?

瀧見:音楽雑誌の編集者だったのですが、10代後半~20代前半だったことやCD普及前夜ということもあり、全体や歴史を「捉えず」に、というか「囚われず」に単眼的にUKの新しい音楽を追っていたと思います。

──具体的には?

瀧見:単純に洋楽の洗礼を受けたのがニューウェーヴ/ポストパンク、風俗的には新宿のディスコなので、その流れを汲んだものを追いかけつつ、社会勉強として業界の構図や編集の視点や作業を学んだ感じでしょうか。

ニューウェーヴ/ポストパンクはバウハウスなどの4AD周り、キリング・ジョークやザ・キュアーのような鋭角的でダークな世界観のバンドと同時に、ザ・スミスやアズテック・カメラのような、見た目的には陽性ナチュラルでシンプルなギターサウンド、それから実験精神に溢れたインダストリアルの一群や、さらに思春期の男としては(笑)、デートサウンドとしてのシャーデーやブルーアイドソウル群が同時期に存在していたので、多動分裂的な視聴体験が身についた感じですね。当時はボビーがまさかザ・ウェイクに参加していたとは知らなかったので、Creation Recordsの一連のバンドは音の質感も含めて「次世代の若者達」という認識でした。

──そんな中で、プライマル・スクリームについてはどんな評価をされていましたか?

瀧見:彼等のシングルや、ファーストアルバム『Sonic Flower Groove』についてはレビューを書いた記憶がありますが、当時自分の周りで評価している人にはまだ出会っていなくて。ボビーのルックスとスタイルは光っていましたけどね。当時の体感では、1960~1970年代のバンドのスタイルを写し絵的に再現するバンドは、いくら精度が高くて強度やコンセプトがあっても、リバイバル以上の評価はされなかったように思います。彼等やレーベルメイトのウェザー・プロフェッツ等は、ファッションも含めて1990年代以降に起きるリバイバル/リサイクル現象に先鞭をつけていたと思いますけど。レニー・クラヴィッツとストーン・ローゼズの登場が、そこら辺を力技で変革して認めさせた感じですかね。

音楽的なタームポイントとなった「Loaded」のリリース

──プライマル・スクリームの1990年の初来日公演はご覧になっていますか?

瀧見:もちろん観ています。渋谷 CLUB QUATTROだったかな。今だったら絶対にやらないことはわかるのですが、当時は友達と「『Tomorrow Ends Today』(未発表曲、当時ブートレグのテープが出回っていた)や『All Fall Down』やらないかなぁ」とか言って観ていました(笑)。セットリストのほとんどがセカンドアルバムの曲でしたが、「Loaded」と「Come Together」は確かやったんじゃなかったかな?

──その「Loaded」は彼等にとって、最も大きな音楽的タームポイントでした。この楽曲と、その後にリリースされた「Come Together」や「Higher Than The Sun」などのシングルに関しては、当時どのような評価をされていましたか?

瀧見:やはり「Loaded」のリリースは衝撃的でしたね。なぜならヴォーカルが入ってないから(笑)。ドラムも打ち込みで。例えとしてはたぶん合ってないと思いますが(笑)、BTSやBLACKPINKの新曲が、アコギ1本で歌のないインストだったら、的な衝撃ですかね。

──なるほど(笑)。

瀧見:しかも現代と違って前情報が全くない状態で、レコードを買ってきて針を落とした時の衝撃の実感はなかなか伝わらないと思いますが、かなり呆然とした記憶があります。現場でも同様で、自分がDJを始めたのは確か1988年の終わり頃で、ニューウェーヴ / ポストパンク流れの様々なUKサウンドとインディーロックを同時にかけていて、ザ・スミスはもちろん、プライマル・スクリームでいえば「It Happens」や「Crystal Crescent」、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Strawberry Wine」やマッカーシー、ボディーンズなどで盛り上がっていた記憶がありますね。「Ivy Ivy Ivy」が出たのが1989年の夏、当然ファンの間では盛り上がっていましたが、この頃は海外のメディア上で「マッドチェスター」が騒がれていたのもあり、アダムスキーや808ステイトのレコードも輸入盤屋の壁に大量に並び始めていました。

──「Loaded」のリリースは、「Ivy Ivy Ivy」から半年後の1990年初頭でしたね。

瀧見:現場や友達の間では、当初はB面の「Ramblin’ Rose」のほうが盛り上がっていました。ただ、ほぼ同時期にハッピー・マンデーズの「Madchester Rave On」とザ・ストーン・ローゼズの「What The World Is Waiting For」が出ているので、ここら辺で現場や周りの空気はかなり変わった気がします。「What The World Is Waiting For」のB面には「Fools Gold」が入っていて、この曲が当初B面だった(その後入れ替えて再リリース)のと、「Loaded」の関係は当時の現地の状況が垣間見られて興味深いですね。A&Rとメンバーの現場の距離というか。

アンドリュー・ウェザオールの名前はリミックスではなくプロデューサーとしてクレジットされていて、これとハッピー・マンデーズの「Hallelujah」のリミックスで彼を認識したのだと思います。「Loaded」はすぐにテリー・ファーリーのリミックスでボーカル入りがリリースされたので、それであの音が自分や現場でも完全に馴染みましたね。「Loaded」のリズムは当時リリースされたエディ・ブリケル・アンド・ニュー・ボヘミアンズのブートレグからサンプリングされていて、それはソウル・トゥ・ソウルをサンプリングしてるので孫引きなんですが(笑)、グルーヴが微妙に削ぎ落とされていて、グラウンド・ビートとつなぐ感じにならないところを含めて絶妙なんですよ。当時のスタジオ環境を考えると、時間的な制約も含めて、持って行ったレコードのこれがはまったからこれでいいや的な、いい意味での適当な感じがミラクルを起こしたのだと思いますね(笑)。

Tribute To Andrew Weatherall Mix Pt.2(All Vinyl) by Kenji Takimi
04:20あたりを参照

──さらにその半年後には「Come Together」がリリースされました。下北沢ZOOで開催されていた瀧見さん主催の〈Love Paradeに僕は足しげく通っていたのですが、いつも「Come Together」でものすごく盛り上がっていたのを記憶しています。

瀧見:この年、1990年、特に夏は本当に熱くて、「Come Together」はそれを象徴する決定打でしたね。ボビー自身が伝記でウィリアム・デヴォーンの名曲を引き合いに出しているように、当時の時代の熱気と普遍的なソウル/ロックのフィールが融合した名曲だと思います。この頃からプロモ盤をもらえるようになったのでリリース前に聞くことができたのですが、これは聴いた瞬間に全身の穴から体液が出たというか(笑)、テリー・ファーリーとピート・ヘラーによる原曲を生かしたプロダクションも素晴らしく、現場でも最初から爆発的に受け入れられたのを覚えています。

この年は毎月出る12インチが本当にすさまじくて、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Glider e.p. Remix」やスープ・ドラゴンズの「I’m Free」、エレクトロニックやEMF、フラワード・アップ、モック・タートルズ、ワールド・オブ・ツイストなどが同時多発的にギターバンドから変節して、いわゆるインディーダンスの名曲を連発していました。

──本当に、猫も杓子も16ビートを導入している感じでしたよね。

瀧見:ほとんどがBPM100あたりで、この手のバンドの人達が当時アシッドハウスを体験して「俺達もこういのやろう!」と考えて、なぜ皆このような、ハウスより遅いテンポ感になったのか謎なんですよね。「Loaded」や「Hallelujah」の影響なんですかね。

プライマル・スクリームがいわゆるハウスのフォーマットのトラックをリリースしたのは、メンバーのアンドリュー・イネスとヒプノトーンが手掛けた「Come Together」のリミックス盤(ザ・ヒプノトーン・ブレイン・マシーン・ミックス)で、これはBPM112なんですが、当時すごく速く感じたことを覚えています。

──DJ的な視点がとても貴重です。

瀧見:自分の「ハウス童貞」はこれらより少し前の、1987~1988年あたりのブロウ・モンキーズやファイン・ヤング・カニバルズ(彼等の変名、トゥー・メン、ア・ドラム・マシン・アンド・ア・トランペット)、スタイル・カウンシルやペット・ショップ・ボーイズの一連の12インチで破られていて、当時の自分は、「速い打ち込みの4つ打ちに歌の上手い姉ちゃんがコーラスやヴォーカルで入ってるのがハウス」という認識だったので(笑)、彼等が翌1991年に「Don’t Fight It, Feel It」をリリースした時、納得しながらも複雑な気持ちになったのを覚えています。

また、この時期はダンスアクトはもちろん、さまざまなアーティストが通常の12インチをリリース後、チャート対策もあって必ずリミックスや別バージョン入りで同素材別デザインのジャケットで同曲の2枚目の12インチをリリースしていて、それも含めて12インチシングルというフォーマットが熱かったですね。

歴史的名盤が量産された1991年

──この頃から、例えばフリッパーズ・ギターがプライマル・スクリームに強く影響を受けたり、Venus Peterのようなバンドが誕生したり、日本でもUKインディシーンが盛り上がり始めました。瀧見さんは、そうした動きをとても近い場所でご覧になっていましたよね?

瀧見:いい意味でも悪い意味でも時差とエラーがあって、本質的なことがわかってなかったからおもしろかったのかもしれないですね。よくわからないけど、これで盛り上がっているはずだから盛り上がろう、という共同幻想がクラブやレコード屋の現場を動かしていたような気がします。ほぼレコードからの情報だけで、いろいろなことを想像していたわけで。バンドはアレンジとしてはダンスミュージックのフォーマットを取り入れても、やはりそれはアレンジに過ぎなくて、それでもそれを続けていけば、先代のように独自のものになった可能性はあったかもしれませんが、現象としては続かなかった。自分達にとってのエクスタシーは、宇田川町のレコードだったんですよ(笑)。

──すてきな例えです。1991年にリリースされた『Screamadelica』については、当時どう評価していましたか?

瀧見:1990年の「Loaded」と「Come Together」の爆発的な盛り上がりがあったので、そこからの1年がすごく長かったように感じました。その後「Higher Than The Sun」と「Don’t Fight It, Feel It」がそれぞれリミックス盤2種も含めてリリースされ、9月にアルバムがリリースされるわけですが、自分が思うキーポイントは、「Come Together」がボビーの歌なしの10分超のウェザオール・ミックスなのと、「Higher Than The Sun」が2バージョン収録、しかもその1つはジャー・ウォブル(P.I.L)がベースを弾いているア・ダブ・シンフォニー・イン・ツー・パーツで、それを絶妙な位置に置いているところ。

普通のA&R視点で考えると、これはあり得ないと思う。実際にUS盤「Screamadelica」に収録された「Come Together」は、テリー・ファーリーのボーカル入りバージョンに差し替えられていますし。要するに、自分のエゴよりも共同体やコミュニティの状況に奉仕するという、ダンス・カルチャーの本質に耽溺没入していた時期の思いとこだわりが、「Inner Flight」と「Shine Like Stars」をもう1つのキーとして相対して『Screamadelica』を稀有な存在にしていると思いますね。そして「Movin’ On Up」と「Damaged」があることによって、ロックアルバムとして奇跡的なバランスを取れている。

──『Screamadelica』の特徴と本質を見事に言語化した非常に素晴らしい見立てです。

瀧見:個人的な思い出としては、まずライナー原稿を落としていること……本当にすみません! それからアルバムリリース直後に行われた2回目の来日公演では、川崎のCLUB CITTA’で当時バンドとDJの組み合わせで初めてレイヴ形式のオールナイト公演が行われ、そこでDJをしたこと。その時彼等がカバーしている曲の原曲をかけていたら、楽屋にいるメンバーが喜んでいたと聞いたことと、来るはずだったウェザオールが来なかったことですね。未だに代わりのDJが誰だったのかがわからない。このアルバムに関わっていた主要メンバーのうち3人、ロバート・ヤング、アンドリュー・ウェザオール、デニース・ジョンソンがもうこの世にいないと思うと泣けてきますね。

──同作は、ロックとダンスミュージックが接近した記念碑的な扱いを受けていますが、実際、後進のダンスミュージックにどの程度影響を与えたと思いますか?

瀧見:このアルバムは時代性が強く出ていて、総体としてはおぼろげな中に強固な全体像は見えるけど、個々の音楽性としては型ができる前の未分化な状態が並列されているので、もしもこのままいってくれたら独自の型とテクスチャーを獲得できたのではないかな、という思いはありましたね。結果的にアルバムに間に合わなかった、曲としての「Screamadelica」(Dexie-Narco EP」に収録)にはその片鱗が伺えますしね。型を作って、後に様々なシーンに影響を与えたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』や、数年後にUKでダンス・インダストリーが一大産業化した事を思うとそこは惜しいところかもしれません。そのあたり、『Demodelica』(『Screamadelica』制作時のデモ音源集)を聴くと、かなり興味深い発見がありますね。

──1991年にはティーンエイジ・ファンクラブの『Bandwagonesque』やマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』、スロウダイヴの『Just For A Day』などCreation Recordsから歴史的名盤が数多くリリースされました。

瀧見:1991年は、とにかくたくさんの歴史的作品がリリースされた年なので忘れがたいですね。自分としては、モーマスやフェルト、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが移籍してきた1987~1988年がCreationの第2黄金期だと考えると、この時期は間違いなく第3黄金期でしょうね。制作陣でエド・ボールもいて、独立したジェフ・バレットもHeavenly Recordingsで名作を連発していましたしね。あと、1991年のCreationのアルバムでは、ラヴ・コーポレーションの『Lovers』とモーマスの『Hippopotamomus』が自分にとっては重要です。

──『Screamadelica』以降のプライマル・スクリームの作品に関しては、どのように評価していましたか?

瀧見:続けてUKでの状況を考えれば、次作で当時急成長していたBoy’s Ownの関連アーティストと組んで『Screamadelica』の方法論を踏襲する事もできたと思うのですが、数年ダンスシーンに浸かりきって心身ともに疲れた揺れ戻しとして、バンド自体にチル・アウトが必要だったのと、ソングライターとしての原点回帰の2つの理由でアメリカ行きを選んだのが、転機になったのではないかと思います。

──なるほど。

瀧見:そういう部分は「Dexie-Narco EP」と、「Shine Like Stars」のウェザオール・リミックスが、当時予定があったのにリリースされなかった事に象徴されていると思いますね。メンタル的にもモード・チェンジをせざるを得ない状況だったのではないかと。彼等は実際に次作『Give Out,But Don’t Give Up』からのシングルで、リミックスをダスト・ブラザーズ(後のケミカル・ブラザーズ)やポーティスヘッドに頼んでいるので、これをウェザオールとやった時のような方法論でアーティストとともにオリジナル・トラックに寄せれば、ダウナーとアッパーに分化した当時のイギリスの状況を反映した時代性の高いものになる可能性もあったと思うのですが、バンドとしてはロックンロール回帰の方向へ行ったと。確かに先の方法論を進めるとバンドである必要性が薄れていくし、ライヴでどう再現するかという問題が出てくるので、それも含めてボビーが性格的にもバンド運営の方に重点を置いたのだろうと思いますね。勝手な想像ですが(笑)。『Give Out,But Don’t Give Up』のレーベルやハイプステッカーに『Screamadelica』のSunマークがある事を思えば、いろいろなことが想像できましたね。

自伝には彼の幼少期からのさまざまなエピソードが出てくるのですが、出自や共同体に対する抜き差しならないオブセッションと愛情が垣間見れるので、あながち間違いではないような気がします。見た目はロックスター然としてますが、美しき敗残者の気持ちがわかる人なのではないかと。

──今年プライマル・スクリームは「SONICMANIA」「SUMMER SONIC」への出演および大阪・名古屋での単独公演が決定し、「Screamadelica Live」を行う予定です。現在の彼等に期待すること、もしこれから彼等の音楽を聴こうと思っている若い音楽リスナーにおすすめの聴き方、楽しみ方などありますか?

瀧見:まず彼等に対しては、もう解散はないと思うので続けるところまで続けていってほしいですね。若い人達には、自分達にとっての『Screamadelica』や『Loveless』を見つけてほしいなと思います。その時代の音をリアルタイムで聴くのは、その時にしかできないことなので。

ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid

ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid
価格:¥3,000
出版:イースト・プレス

Photography Masahiro Arimoto

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マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが日本の音楽シーンに与えた影響とは https://tokion.jp/2021/05/06/my-bloody-valentine/ Thu, 06 May 2021 06:00:50 +0000 https://tokion.jp/?p=32206 『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』著者の黒田隆憲が紐解く、シューゲイザーの代表格バンドが日本の音楽シーンに与えた影響。

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シューゲイザーの代表格バンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのサブスクリプションが解禁され、5月には新装盤のCD/LPもリリースとなる。これを機として、同バンドの軌跡と革新性を振り返り、日本の音楽シーン・アーティスト達に与えた影響を探るべく、『シューゲイザー・ディスク・ガイド』(共著)や『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』を著書に持つ黒田隆憲に寄稿を依頼。後続に絶大な影響を与え、今に引き継がれるサウンド・美学の接続線をたどり直していく。

ブライアン・イーノやパティ・スミスも絶賛したシューゲイザー・バンド

アイルランド出身の男女4人組バンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(以下、マイブラ)がDomino Recordingに電撃移籍を果たし、過去にリリースした4枚の作品(『Isn’t Anything』『loveless』『m b v』『ep’s 1988-1991 and rare tracks』)のサブスクおよびダウンロード販売を解禁。さらに5月には新装盤CD / LPをリイシューすることが決定した。

「シューゲイザー」と呼ばれる音楽スタイルの代表格であり、1991年にリリースしたセカンドアルバム『loveless』によって、ロックの金字塔を打ち立てたマイブラ。彼らの作り出すそのサウンドは、ブライアン・イーノをして「ポップの新しいスタンダード」と言わしめ、パンクの女王パティ・スミスも「生涯で最も影響を受けた」と絶賛するほど革新的だった。他にも、アイスランドの至宝シガー・ロスをはじめ、モグワイやレディオヘッド、テーム・インパラ、カニエ・ウェストなどさまざまなジャンルの第一人者に大きな影響を与えている。

また音楽シーンのみならず、アートやファッションにもマイブラは強い影響を与えてきた。昨年4月にはSupremeが彼らとのコラボコレクションを発表し、話題になったのも記憶に新しい(数年前にはカニエがマイブラTシャツを着用、彼らのヴィンテージTシャツが高騰する騒ぎもあった)。カルチャーの分野においてもカリスマ的な人気を誇りながら、ソニーUKとの契約解除により一時はサブスクリプション・サービスから姿を消していた彼らの音源が、再び多くの人の耳に触れるようになったのは嬉しい限りだ。

革新的なサウンドを奏でたバンドの軌跡

1983年、ダブリンにて結成されたマイブラ。活動初期はガレージロックやポストパンクに影響を受けたサウンドを奏でていたが、メンバーチェンジを経てビリンダ・ブッチャー(Vo, Gt)、ケヴィン・シールズ(Vo, Gt)、デビー・グッギ(Ba)、コルム・オコーサク(Dr)という現体制になると飛躍的な進化を遂げる。

1988年、ジーザス&メリーチェインやプライマル・スクリームらが所属し、のちにオアシスを見出すレーベルCreationからファーストアルバム『Isn’t Anything』をリリースすると、ノイジーなギターサウンドとポップなメロディを組み合わせたその音楽スタイルによって、シーンに大きな衝撃を与えた。

My Bloody Valentine『Isn’t Anything』

それからおよそ3年後に発表したセカンドアルバム『loveless』(1991年)では、輪郭が曖昧になるほど幾重にもレイヤーされたフィードバックギターや中性的な男女ボーカル、それらが等価で配置されたサイケデリックかつエクスペリメンタルなサウンドスケープを展開。前述の通り、今に至るまで数多くのフォロワーを生み出し続けている。

My Bloody Valentine『loveless』

日本の音楽シーンでいち早く応答したフリッパーズ・ギターとスピッツ

『loveless』リリース当時、メインストリームではさほど話題にはならなかったものの、コアな音楽ファンからは熱狂的な歓迎を受けていた。ここ日本でも状況は同じで、1991年11月に行われた初来日ツアーは川崎クラブチッタで急遽「昼の部」が決まるなど大盛況を博している。本稿では、そんな日本のミュージックシーンにおいて、マイブラがどのような影響を及ぼしてきたのかを振り返ってみたい。

当時、彼らのサウンドを日本で早速取り入れていたのはフリッパーズ・ギターだ。1991年7月にリリースされた彼らの通算3枚目にしてラストアルバム『DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』には、マイブラの「to here knows when」に触発された「AQUAMARINE/アクアマリン」という楽曲が収録されている。吉田仁(SALON MUSIC)のプロデュースの下、サンプラーに取り込んだフィードバックギターを何度も重ねることによって、ヒプノティックなサウンドスケープを生み出すことに成功。「to here knows when」が収録されたEP「Tremolo」をマイブラがリリースしたのは同年2月だから、その反応は驚くべきスピードである。

フリッパーズ・ギター『DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』

同じ頃、スピッツの草野マサムネも当時マイブラやライド、スロウダイヴといったシューゲイザー・バンドに深く傾倒しており、『loveless』と同月にリリースしたセカンドアルバム『名前をつけてやる』では、メンバー曰く「ライド歌謡」というコンセプトのもと、シューゲイザーと歌謡曲を融合したサウンドを作り上げていた。

スピッツ『名前をつけてやる』

独自のサウンド・美学は、オルタナ勢からヴィジュアル系まで幅広く影響を与えた

ところで、ギターの新たな可能性を押し広げたマイブラの最大の発明は、「グライドギター」と呼ばれるケヴィンのプレイスタイルだ。変則チューニングをしばしば用いながら、ギターのアームを持ったままコードをかき鳴らすことでサウンドを変調させ、さらに「リヴァース・リヴァーブ」と呼ばれるエフェクトをかけることで、唯一無二のサウンドを作り上げる。このグライドギターに魅せられ、自らの楽曲に導入するアーティストは後を絶たない。日本でも、例えばDIPの「My Sleep Stays Over You」(1992年)や、SPIRAL LIFEの「ネロ」(1995年)といった楽曲に用いられている。そう、ケヴィンが生み出したグライドギターは「ジャンル」ではなく「スタイル」であり、さまざまな音楽に応用できるところも、その影響の大きさの理由の1つと言えるかもしれない。

DIP『love to sleep』
SPIRAL LIFE『FLOURISH』

マイブラの持つ美学は、いわゆる「ヴィジュアル系」のバンドにも受け継がれた。例えば1993年に結成されたPlastic Treeが、ライブのSEでマイブラ の「Only Shallow」を使用していることはファンの間では有名な話。また、彼らの通算9枚目のアルバム『ウツセミ』(2008年)は、メンバーが共通してフェイヴァリットに挙げるマイブラの影響を深く受けたサウンドを展開していた。一方、LUNA SEAのギタリストSUGIZOもケヴィンからの影響を公言しており、ソロ名義でリリースしたアルバム『音』(2016年)収録の「Decaying」では、まるでケヴィンとノイバウテンがコラボしたようなサウンドを作り上げている。

Plastic Tree『ウツセミ』
SUGIZO『音』

MBV遺伝子を継承し「今の音」として進化させるアーティスト達

シューゲイザーという90年代のムーヴメントそのものはあっという間に収束し、マイブラも長らく「活動休止」状態が続いていた。が、その遺伝子は2000年以降も確実に受け継がれていく。くるりが2014年にリリースしたアルバム『THE PIER』には、その名も「loveless」という楽曲が収録されていた。ただ、この曲はホーンを導入したいわゆるオーガニックなバンド・アンサンブルで、マイブラからの直接的な影響下にあるのはむしろ、2001年のアルバム『TEAM ROCK』に収録された「LV30」だろう。“ツタタタ”というドラムフィルから始まるイントロは、言うまでもなく「Only Shallow」(『loveless』収録)のオマージュだし、浮遊感たっぷりのサウンドスケープはマイブラを連想せずにはいられない。

くるり『TEAM ROCK』

『loveless』リリースからおよそ15年、マイブラが奇跡の再始動を果たすとそれに呼応するかのように、彼らに影響を受けた新世代のアーティストが次々と登場する。例えば、1960年代〜1990年代の主にUKロックから影響を受けたラブリーサマーちゃんが、2016年にリリースした『LSC』には、マイブラの轟音を彷彿とさせる「天国にはまだ遠い」という楽曲がある。また男女4人組バンドLuby Sparksは、マックス・ブルーム(ヤック)とロンドンで共同制作したデビューアルバムで、初期マイブラが内包していたジャングリーポップを「今の音」として鳴らしていた。

ラブリーサマーちゃん『LSC』
Luby Sparks『Luby Sparks』

他にもTHE NOVEMBERS、羊文学、For Tracy Hydeといったバンドの中に、マイブラ〜シューゲイザーの遺伝子は受け継がれている。『loveless』リリース直後は、そのあまりにも強烈なサウンドの影響をダイレクトに受けた作品が、国内外からたくさん生まれていた。が、あれから30年が経った今、マイブラや『loveless』の呪縛から解き放たれたアーティスト達は、そのサウンドを抽象化し「スタイル」として取り込み、各々のオリジナリティと融合しながら新たなカタチへと進化させているように思う。 マイブラによる現時点での最新作は、2013年にリリースされた『m b v』。あれからすでに8年もの月日が流れている。今回のサブスク解禁〜新装盤CD / LPのリイシューによって、初めてマイブラに触れた未来のアーティスト達は、その意思をどのような形で受け継ぎ新たな作品を生み出すのだろうか。

My Bloody Valentine『mbv』

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