2021年第8週(2/14〜2/20)の人気記事 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/popular-articles-in-the-8th-week-of-2021/ Tue, 01 Feb 2022 05:19:05 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 2021年第8週(2/14〜2/20)の人気記事 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/popular-articles-in-the-8th-week-of-2021/ 32 32 今泉力哉×劔樹人 映画『あの頃。』で描く「アイドルに捧げた大人の青春」 https://tokion.jp/2021/02/19/talk-about-the-film-in-those-days/ Fri, 19 Feb 2021 06:00:06 +0000 https://tokion.jp/?p=20564 劔樹人のコミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』が映画化された。今回、公開に合わせて映画で監督を務めた今泉力哉と原作の劔による対談を行った。主役を演じた松坂桃李のことからハロプロ愛まで語ってもらった。

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『あの頃。」の監督を務めた今泉力哉(左)と原作者の劔樹人

2014年、劔樹人(つるぎ・みきと)による自伝的コミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』(イースト・プレス)が気鋭の映画監督・今泉力哉によって映画化された。同作では、2000年代初頭、大阪・阿倍野を舞台に、モーニング娘。や松浦亜弥など、「ハロー!プロジェクト」のアイドルに青春を捧げた劔やその仲間達とのリアルな様子が描かれている。

映画『あの頃。』では、主役の劔役を松坂桃李が演じることでも話題に。ほかにも、仲野太賀、山中崇、若葉竜也、芹澤興人、そして本作が映画初出演となるお笑いコンビ「ロッチ」のコカドケンタロウなど、幅広い分野で活躍する俳優陣が集結。強烈なキャラクターを熱演している。

原作をどう映画化し、作品を通してどんなメッセージを伝えたいのか。監督を務めた今泉と原作の劔による対談から探っていく。

劇中の松坂桃李はまさに劔樹人だった

――劔さんが映画をご覧になった感想から聞かせてください。

劔樹人(以下、劔):まず言えるのは、監督、脚本の冨永昌敬さん、スタッフのみなさんに原作を大事にしていただいたということで。スティーヴン・キング的な、原作者が映画に不満だとかそういうのが全然ないんです。

――『シャイニング』とは違う(笑)。

劔:自分で作り直したいということになりませんでしたから(笑)。むしろ人に届けづらい作品をブラッシュアップしていただきました。本当にありがたいですね。それに尽きます。

――劔さんはかなり撮影現場に入られたんですよね。

劔:そうなんですよ。その時は普通のつもりだったんです。「明日もいらっしゃいますか?」と聞かれるので、「じゃあ明日も」みたいな感じで行ってたんですけど、あとになってあんなに原作者が現場にいることは珍しいと言われるので、だんだん恥ずかしい気持ちになってきちゃって(笑)。楽しいから行っていただけなんですけど、それもどうかと思いますよね。

今泉力哉(以下、今泉):これが例えば小説とか漫画の大先生みたいな人が毎日来たらすごい空気になると思うんですけど(笑)。むしろ劇中のイベントのセリフとかも書いてもらったりしたし、現場にいてもらうと、困った時に「ここ、変じゃないですか?」と確認できたりするので、原作者というより監修みたいな感覚もありました。

劔:当時のハロプロの状況や友達のことは僕にしかわからないことなので、そういう時に役者さんや監督から聞かれたら答えたりしていました。

――劔さんが現場に行くことで、松坂桃李さんが劔役を演じるにあたって特徴を観察するということもあったみたいですね。

劔:松坂さんはそうおっしゃってますよね。

――すでに映画を観た方がよく言うことですが、松坂さんが劔さんにしか見えないと。

劔:僕が言うのもなんですが、そうなんですよね(笑)。「松坂桃李がキモかった」みたいな感想も見るんですけど、それは単純に僕が気持ち悪かっただけですから。一般的なハロプロファンを表現しているわけではなくて、僕のことを表現しているので。松坂さんの演技が評価されるほど僕に刺さってくるんです(笑)。

今泉:劔さんと松坂さんの話をすると見た目のことでイジられることが結構あるけど、もしかしたら中身も似てるのかな。

劔:本当ですか!?

今泉:どちらかというと劔さんのほうがしっかりしてるのかな? そんな気もします。

劔:ああ、わかります。松坂さんは根がハンサムな感じじゃないというか。

今泉:普段は普通の人なんですよね。フラットというか。いい意味で。

劔:人からどう見られるとかを意識してないんでしょうね。だから僕みたいなのにもスッとなじめるんです。自分と松坂さんは近いと思うんですけど、映画に出てくる友達に関しては、劇中のキャラクターになっているなと感じました。

原作ものならではの難しさ

――今泉監督は、どの役者を誰役にするかのイメージが立ち上がってくるまでに時間が必要だったと言っていましたよね。

今泉:劇中の劔とかコズミンみたいにわかりやすい役割がある人は迷わなかったんですけど、最初は西野、イトウ、ナカウチ、ロビとかに関しては、役者さん達が達者ということもあって、誰が誰をやるというキャラクター付けが自分の中で明確になってなかったんです。この人ならどっちでもいけるのかなと思っちゃったり。でも、蓋を開けてみれば今の配役を入れ替えるのは想像もつかないから、これでよかったのかなと。人数の整理もあるので、実存する2人の人物を1人に投影している部分もあったりして。今回、「NO MUSIC, NO IDOL!」のポスターがあるじゃないですか。あそこには映画で省いてしまった人も劔さんが描いてくださっていたので、よかったなと思いました。

劔:タワーレコードさんのほうから原作のキャラクターを描いてほしいと言われたんです。

今泉:今回に限らずですが、登場人物みんな出すというのもいいけど、パンクしちゃわないように整理しないといけないことはありますよね。

――原作を読むと登場人物だけじゃなくて複数のエピソードもまとまったりしていることがわかって、改めて見事な脚本だと思いました。冨永昌敬さんとどんなやりとりをしてできていったのでしょうか。

今泉:まず大きな構成を冨永さんが作ってくれて、そこからでしたね。この作品にかかわらず、原作ものの脚本を自分で書くことはしないようにしていて。取捨選択や構成の能力というのは、オリジナルで物語を生み出すのとは別の力だと思うんです。俺は小さいエピソードが好きなので、自分でやり出すと捨てられなくて縮まらなくなっちゃう。2つの話をまとめるにしても、こことここの間には逡巡があるよな、とか、それをまとめるのは元の作品に失礼なんじゃないか、とか思って何もできなくなったりするんです。それを冨永さんがやってくれて、そのあと詰めていきました。最初のほうは劔のうだつの上がらない描写がもっと丁寧に書かれていたんですよね。職場の描写もありましたし。ただ、全体の温度感とかバランスを見ながら(シーンを)削っていった感じです。

劔:監督は細かいエピソードを大事にしてくれようとするんですよね。

今泉:だって西野さんがその後、クイズ王になってるとか、入れたくなっちゃうじゃないですか(笑)。それぞれのメンバーの現在の様子を点描で入れようとしたときが一瞬あって。『スタンド・バイ・ミー』みたいな(笑)。でも、それをやってるとウェイトがすごいことになる。あと、実際問題、クイズ王のシーンってどうやるんだ、みたいな。入れてもおもしろかったかもしれないですけどね。

劔:Netflixで10話のドラマとかだったらできるのかもしれないですけど(笑)。

今泉:たしかに。あとは大阪から上京してからの劔さんをどれだけのリアリティーでやるのかというのも意外と難しくて。劔さんがやっているバンド「あらかじめ決められた恋人たちへ」のことや、神聖かまってちゃんのマネージャーだったこともやりだすとしたら……みたいな。音楽事務所の仕事だと、自分が担当しているアーティストの取材に立ち会うとか、そういう描写になるじゃないですか。でも、その仕事のさまってどう伝わるんだ? みたいなことを考えたり、ロケハンしていく中で、今の形にまとまっていった感じですね。

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*この下に記事が続きます

見逃せない今泉監督の細かいこだわり

――ディテールへのこだわりも今作の見どころの1つだと思います。劔の部屋のエアコンに松浦亜弥「Yeah!めっちゃホリディ」のミュージックビデオと同じように「故障だってさ。」と書かれた紙が貼ってあったり。

劔:ああ、よくぞ(笑)。

今泉:嬉しいですね。初見で気付いてくれる人は少ないんじゃないかと思います。原作のなかに描いてありましたよね。

劔:はい、さりげなく。僕も当時、誰か気付くかなと思って描いてました。「Yeah!めっちゃホリディ」をちゃんと見てないと気付かないんですよね。

今泉:あのシーンも編集で飛ばせるっちゃ飛ばせるのでカット候補になっていたんですけど、これがどうというわけではないけど部屋があやや化した瞬間はあったほうがいいと思いますと話したのを覚えてます。

劔:文字も似た感じになってましたよね(笑)。何回も観ると細かいことにたくさん気づくと思います。

――今泉監督らしさも随所に見られます。劔が初めて仲間の家に行った時など、どこまでがセリフなのかなというやりとりはまさに今泉節を感じました。なかなか次のシーンにいかずに、素のような顔が垣間見れる瞬間があって。

今泉:一応、セリフがあるにはあるんですけど、間のごちゃごちゃの繋ぎの部分は役者さんの芝居です。ぶっつけで一発撮りではなく、何回かのリハーサルの中で役者さんがやったことを「それもおもしろいですね」と採用していく感じでした。それで言うとシチューのくだりも終わりをどうするか決めずに撮ってますね。

――監督も予期しないものを撮りたいという思いがあるのでしょうか。

今泉:それもありますし、さっき「どこまでがセリフなのか」と言われたみたいに、現実世界と近づくといいのかなというのもあって。作り物度が下がるし。ただ、一歩間違って素に戻り過ぎると役から離れてしまう危うさはあるんですけどね。ああいうシーンはテイクを重ねて固めていく時もあれば、一発でしか撮れない時もあります。現場で1人にだけ台本にないセリフをぶっこむ時もあります。今回はそんなになかったんですけど、準備を丁寧にして、役が固まっていく人を崩す時にたまにやりますね。どうしても決まったこと以上が出てこなくなっちゃうという時にやったりします。

『あの頃。』をきっかけに、今のハロプロを知ってほしい

――題材となったアイドルとファンについての話もお聞きしたいと思います。

今泉:劔さんはあややにハマる前、何かにハマったことはありますか?

劔:音楽とかはもちろんありますし、あとはグラビアアイドルが大好きだったんですよ。

今泉:ああ。それはなかなか表立って話さないことですよね。なんか恥ずかしくて。俺も当時は何人か好きな人がいましたね。杏さゆりさんを筆頭に。

劔:僕はそんなに隠してなかったんですけど、優香さんとか眞鍋かをりさんとか。めちゃくちゃチェックしてました。懐かしいなぁ。

――時とともに好きな対象が変わるじゃないですか。熱量が変わっていく寂しさというのも当然あって。

劔:わかります。熱量が変わってない人間からすると寂しいんですよね。最近興味ないのかな、みたいな。流動的なものじゃないですか。僕の知り合いでも急にハロプロに熱を持つ人がいれば、最近はNiziUが好きなんだなという人もいたりするし。

今泉:離れていく時の理由って、それだけ熱量を持っていたからだと思うんです。思い入れがあるからこそ、変わっていくことについていけない人もいるだろうし、変わることを否定的には捉えていないけど、これ以上増えるとちょっと覚えられないぞ、みたいなこともある。思い入れがあればあるほど、一番推してた人が卒業するとか、距離ができたりするそれぞれのきっかけはあるのかなと思います。

――きっと誰しもがそういう経験があるので、この映画もハロプロ関係なく広く共感できるのかなと思うんです。

今泉:この原作って、いま現在から見れば、ハロプロの歴史の中でも、ある過去の1つの時代を描いているということになるので、あの時が一番良かったと見られるこわさがあって。最初からそうはしたくないとずっと言ってました。でも実際、みんなが離れていったり、劔達が東京に行ったりしますよね。脚本上もそうなんですけど、後半はあまりハロプロの曲がかからないので、それで2008年前後から10年あたりのハロプロがあまり良くないように見えちゃったりしたらこわいな、とか。実際のコズミンは当時、Perfumeを聴いてたという話ですし。

劔:ですね。

今泉:タイトルがもう『あの頃。』ですし、過去は良かったね、というのが前面に出て勘違いされる危険性に関しては、俺がハマったりオタクだったりしてこなかったぶん、めちゃくちゃ気を使ったかなと思います。

――今が一番楽しいというメッセージが込められた作品でもありますよね。

劔:そのメッセージに辿り着いていただければと思います。

今泉:あとは単純に、映画をきっかけにして、現在のハロプロのライブを見に行くのがいいと思うんです。それが補完というわけじゃないけど、映画では現在のライブは描かれていないので、そっちに関してはいまのハロプロを見に行ってもらって、という。そういえば、最近、YouTubeでハロプロの番組とかを見ていて。変遷を知っていくと、こんなに変わることってある? というくらいメンバーも変わっているんですよね。ああいうのを見れば見るほどに道重(さゆみ)さんのすごさを知ったり、あるタイミングあるタイミングの新規メンバー加入時に(モーニング)娘。の平均年齢がめちゃくちゃ下がったことを知ったり。いま、どんどん詳しくなってるんですよね(笑)。後藤真希さんのYouTubeで柏木由紀さんとコラボしてるのを見て、ネットサーフィンの末、最終的にはハロオタの指原莉乃さんと峯岸みなみさんのコラボ動画にたどり着いて朝を迎える、みたいな(笑)。=LOVEのMVもいいし、ハロプロに戻って、BEYOOOOONDSもやっぱいいな、みたいな。

――このタイミングで監督がその方向に(笑)。

今泉:不思議ですよね。どういうハマり方なんだという。この間、映画『のぼる小寺さん』のトークゲストに出て。

――元モーニング娘。の工藤遥さん主演の。

今泉:はい。朝の戦隊もの(『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』)にモーニング娘。のOGの方が抜擢されたというのが最初の認識だったんですけど、最近、過去の番組とかを見てたら、工藤さんが当時まだ13歳とかで。ええ!? って驚いたり(笑)。その程度の知識のやつが監督したのかと思われたら申し訳ないんですけど、作ってる時は劇中の時代のことを認識するので精一杯だったので、最近になってわかったことも多いんです。

――はからずも監督がそうしているように、今回の作品からさかのぼったりする人が増える可能性も大いにありますよね。

劔:それに期待しています。僕にできることはそれだけなので。

――劔さんが10年ほど前に「今、自分が応援すべきは、あややなんだと。」とブログで決意したじゃないですか。それが巡り巡って、今泉監督が映画化することになり、結果的に劔さんは大きな規模で応援することになっているというのがすごい話だなと思います。

劔:本当にそうですよね(笑)。当時は松浦さんにもう一度表舞台に出てもらうための活動をしたりしていたんですよ。企画書持って事務所に行ったり。それがなかなかかなわぬままだったんですけど、こういう別のかたちになったというか。

今泉:こっちはあとから乗っかってる部分もあるので不思議です。俺は原作を書いているわけではなく、いただいた話なので。でもやっぱり、ハロプロはあれだけの歴史があるのがいいですよね。後藤真希さんがあややとバチバチだった話とかもあちこちでしてるじゃないですか。そういうのもおもしろいなと思うし。……いま話していたように、この映画からさかのぼってハロプロを知りたいと思う人の第一号が俺になった可能性がありますね(笑)。

今泉力哉
1981年生まれ、福島県出身。2010年『たまの映画』で長編映画監督デビュー。2013年『こっぴどい猫』がトランシルヴァニア国際映画祭で最優秀監督賞受賞。翌年には『サッドティー』が公開され、話題に。その他の長編映画に『パンとバスと2度目のハツコイ』(2018)、『愛がなんだ』(2019)、『アイネクライネナハトムジーク』(2019)、『mellow』(2020)、『his』(2020)など。2021年には、『あの頃。』の他に、全編下北沢で撮影した若葉竜也主演『街の上で』が4月9日に公開予定。
Twitter:@_necoze_

劔 樹人
1979年5月7日生まれ、新潟県出身。漫画家、「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト。また、過去にはパーフェクトミュージックで「神聖かまってちゃん」や「撃鉄」のマネジメントを担当。数々のウェブサイトで漫画コラムを執筆するなど、音楽の領域に留まらない幅広い活動が注目を集めている。2014年にエッセイストの犬山紙子と結婚し、「主夫の友アワード2018」を受賞。2020年12月には新作コミック『僕らの輝き ハロヲタ人生賛歌』(イースト・プレス)を刊行。
Twitter:@tsurugimikito

映画『あの頃。』
監督:今泉力哉
脚本:冨永昌敬
出演:松坂桃李、仲野太賀、山中崇、若葉竜也、芹澤興人、コカドケンタロウほか
2021年2月19日からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
https://phantom-film.com/anokoro/index.php

Photography Kazuo Yoshida

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アート連載「境界のかたち」Vol.3 日本発のクィア系アートZINE「マルスピ」遠藤麻衣と丸山美佳が語る、日本アート界の問題意識 https://tokion.jp/2021/02/18/mai-endo-and-mika-maruyama/ Thu, 18 Feb 2021 06:00:09 +0000 https://tokion.jp/?p=19467 アーティストとキュレーターが立ち上げたZINE「マルスピ」。創刊の背景には、90年代以降のアート界における断絶への問題意識と、ウィーン美術アカデミーでの共通体験があった。

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ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。コロナ禍で見える世界は変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクターらが、ポストコロナにおけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第3回は日本発のクィア系アートZINE『MULTIPLE SPIRITS/マルスピ』を創刊した、批評家・キュレーターの丸山美佳と、アーティストで俳優の遠藤麻衣の2人が登場。

「元始、女性は太陽であった」とは、1911年の『青鞜』発刊に際して平塚らいてうが書いた言葉である。そこから時代を下ること一世紀以上。2018年に創刊されたZINEは、「日本発のクィア系アートZINE」として『青鞜』創刊号の表紙をアプロプリエーションしている。

近年日本では、世界中の席巻する第四波フェミニズムと呼応するかたちで、ジェンダーやセクシュアリティへの関心が高まっている。書店では毎週のように新刊の関連エッセイや学術書が並び、ドラマや映画でもセクシャルマイノリティを描いた作品の数は10年前とは比べ物にならないほど増えている。

転じて、アート界はどうだろうか。2019年に開催されたあいちトリエンナーレでは、「ジェンダー平等」を掲げて参加作家の男女比率を50/50にするアファーマティブ・アクションが講じられたけれど、それに対する反発も少なからずあった。

複数性や複合的なあり方を意味する名を冠したZINE『MULTIPLE SPIRITS/マルスピ』は、こうした状況のなかで創刊された。立ち上げたのは丸山美佳と遠藤麻衣。創刊号は家のプリンターで印刷して、自分たちでホチキス留めた。

現在2号まで刊行されているが、その中身は、国内外で活躍するアーティストのインタビューから、人新世(アントロポセン)や共産圏のフェミニズムに関する論考の翻訳、おしゃべり形式の対談まで、硬軟織り交ぜた内容となっている。

「マルスピ」はどのような問題意識のもとに立ち上がったのか? 「日本発のクィア系アートZINE」であるのはなぜか? その背景には、海外のフェミニズム・クィア理論との出会い、そして「ジェンダー論争」以降日本アート界で支配的だった言説に対する問題意識があった。

――どうして「マルスピ」を始めようと思ったんですか?

丸山美佳(以下、丸山):私はウィーンに住んで今年で6年目なんですけど、2018年に麻衣ちゃんが留学でウィーンに来たのがきっかけでした。当時は仲がいいというわけでもなかったんですけど、フェミニズム表象を扱った作品を作っているのは知っていたので、私が在籍しているウィーン美術アカデミーの先生であるマリーナ・グルジニッチを紹介したんです。スロベニア出身の哲学者でアーティストとしても活動している人なんですが、彼女のクラスはアーティストも研究者もアクティビストもみんないっしょくたに議論をするかなり開かれた場所なんです。

遠藤麻衣(以下、遠藤):ウィーンに留学するちょっと前に、《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》という作品を フェスティバル/トーキョー17で発表したんですけど、この作品は、当時の夫と婚姻契約を作り、結婚式を演劇祭で行うというものでした。でもそのあとすぐ、作品とは別の私的な理由で離婚をして。作品と生活があまりにも近くなってしまって、今後何を作ればいいか、この先どんな生活をしていったらいいかがわからなくなってしまいまいした。そのタイミングでウィーンに行くことになったんです。

丸山:それでその悩みを聞いたり、腹を割って話したりすることがあったんです。私はウィーンに来てからとくにクィア理論やメディア理論を横断する活動に関心を寄せているんですが、日本語で話されていることと、ウィーンで議論していることにどうしてもギャップを感じでしまっていて。日本語で芸術実践と繋げてそういう話ができる場所をつくりたいと思っていたんです。けど、1人ではできない。麻衣ちゃんの悩みを聞きながら、お互いの活動は違うけれど共通する問題意識みたいなものを感じたので、「ジン作らない?」って誘ったのがはじまりです。

遠藤:お酒を飲みながら、いいねいいね! って意気投合して。2018年当時は、日本語でフェミニズムやクィアの文脈でアートが今ほど語られていなかったので、自分たちのリアルに沿った言葉を探したいというモチベーションもありました。

――ウィーン美術アカデミーはどんな学校なんですか?

丸山:美大なんですが、実践だけでなく理論も重視していて、ジェンダーやクィア理論もかなり充実しています。それが前提として共有されているので、アーティストであっても議論を求められるし、ジェンダーやセクシュアリティを扱った芸術実践もとても多い。あとは移民なり難民なり留学生なり、いろんなレベルでオーストリアに滞在している人も多いので、ジェンダーやクィアといっても異なる文脈で議論することの難しさもあります。

遠藤:私は東京芸大の交換留学制度を利用して行ったんですけど、芸大は教授の男性の割合が圧倒的に多いんです。アカデミーは真逆で、教授から事務職員まで含めて8割が非男性。私も自作と関連して、ジェンダーやセクシュアリティについてどういう意見を持っているかとか、日本ではどう議論されているのか、って周りからもよく訊かれました。でも、自分の作品を通して日本社会を対象にした意見を求められることがそれまでなかったので、はじめのうちは「日本のアートではまだ議論が不十分だ」とか、「自分はそのような日本の状況を内面化している」とか、紋切り型の返ししかできない自分にもどかしさを感じましたね。それとマリーナは、大学は知を求める人に開かれているので、私の生徒でなくても、学生ではなくても参加したい人はいつでも来たらいいって言っていて、めちゃくちゃかっこよかったです。日々、いろいろな人が出入りしていました。

――ステートメントで「日本発」を謳っているのはなぜでしょうか?

丸山:ふたりとも日本文化、特に90年代の少女文化のなかで育ったというのは間違いなくあって、美術やジェンダーについて話すときに、そういう文化の影響を避けては通れないと思ったのがまずひとつ。クィア文化との接続点でもありますしね。それから、知識がどういう土壌のうえに育っていくのかを重視したいのもあった。普遍的な知識っていうものはないと思うんです。私はブラック・フェミニズムなり南米のフェミニズムなり、自分たちの手で自分たちの言葉を獲得してきた歴史や実践に影響を受けているし、憧れもあります。なので「日本発」という言葉は、日本文化を発信するということではなく、日本語話者である自分たちの言葉を紡いでいきたいという思いなんです。もちろん日本の家父長的な言説のあり方を問題視していることは前提としてありますが。

あと、翻訳の問題も存在していて、英日バイリンガルなので日本語話者以外も意識しています。日本の文化で育った私たちは海外に出たり他文化に触れるときに、いろんなレベルで日本的なものに直面せざるを得ないところがあって。例えば、ジェンダーやセクシュアリティを考えるときには、日本の帝国主義や植民地主義、あるいは人種差別は避けては通れない。自分が透明な人間であることはできないし、日本の文化的な土壌を自覚せざるを得ない場面がすごくあるんです。だから、そういう視点も含めて芸術実践と言葉を繫ぐ場所を作っていきたいと思っています。

――ステートメントには「私たちは歴史的なフェミニズムの流れの中にもいると考えています」とも書かれています。

丸山:ジェンダーやセクシュアリティに関しては、先人たちの取り組みなしには突破できなかった壁が多くあり、クィアもその視点から捉えています。日本の文脈で言えば、フェミニズムやジェンダーはアート界でも90年代はよく取り上げられるテーマだったと思うんです。展示もあったし活発な言説もあった。

――どんな状況だったのでしょうか?

丸山:90年代は、千野香織さんや若桑みどりさんが立ち上げた「イメージ&ジェンダー研究会」が設立されたり、今でも活躍されていますが、帝国主義と接続しながらジェンダーの問題を提起していた嶋田美子さんがいたり、長谷川裕子さんがキュレーションした「デ・ジェンダリズム 回帰する身体」展(1997年)が開催されたり。パフォーマーのイトー・ターリさんがWomen’s Art Net Workを設立しり、ダムタイプのS/Nが発表されたのもこの時期ですよね。

遠藤:1991年の東京都写真美術館での笠原美智子さん(1989年から東京都写真美術館で学芸員を務め数々の展示を企画した、現在はアーティゾン美術館副館長)による企画展が日本の美術館で初めてフェミニズムやジェンダーの観点による展覧会だったそうで、笠原さんによると、それまでの日本にもフェミニズムに対するフォビアがあったそうです。欠落していた視点がたくさん芽生えた時期だったと思います。

丸山:当時は芸術におけるジェンダーやセクシュアリティの問題が活発にされていたようなんです。それが2000年代に入ると、なくなってしまう。ひとつの原因が「ジェンダー論争」と言われていて、日本のアート界の批評家・評論家たちが、フェミニズムは輸入された概念だから日本にはいらないんだ、といったことによって、言説が尻すぼみしてしまった。もうひとつは、日本社会全体でフェミニズムに対する大きなバックラッシュが起こりました。私たちはその下の世代に属しますが、ジェンダー問題について語らないどころか、女性の作家たちと話していても、男性中心主義的な目線から「女性特有の」とか「女性性がもたらす表象」といった言葉で作家活動が一緒くたにされてしまうことに違和感がありました。「女性らしい」という言葉で隠してしまった裏側には、本当は多様なものがあるのに。

――認識の解像度が粗いから、雑な語彙でしか表現できない。

丸山:言葉がないと感じました。だからさっき、言葉を紡がないといけないと言ったのは、そういった「女性らしい」という言葉に隠されたものが何なのか、自分たちも知りたかったからでもあって。

――なるほど。

丸山:例えば、笠原美智子さんがいた写真界と、そういう人がいなかったアート界って、言説や女性の作家の活躍においては差があるのではないかと、麻衣ちゃんと考えたことがあるんです。長島有里枝さんが『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(2020年)で書かれていたように、90年代の写真界もかなり男性中心的ですが、一方で笠原さんのようなキュレーターがいたから、長島さんやオノデラユキさんといったアーティストが第一線で活躍できたという面もあると思うんです。その反面、あの世代で日本で活躍している女性の現代美術作家ってすごく少ない。

――1人いるだけで全然違ってくる。

丸山:笠原さんはジェンダー理論の専門家であるし、写真美術館に学芸員としていて、フェミニズムやジェンダーを写真と接続して言説を作っていったのは大きかったと思います。私たちもその言説と実践にアクセスすることができますよね。

――遠藤さんは作り手として感じていることはありますか?

遠藤:ここ数年で、制作している現場での意識や考え方がすごい速さで変わってきているのは感じますね。しかも、ジェンダーやセクシュアリティをテーマにするだけではなくて、形式や構造や作る過程そのものをラディカルに考えている。例えば「マルスピ」2号に寄稿してくれたキュレーターの内海潤也さんは「フェミニズム・キュレーション」っていうコンセプトを立ち上げて、男性中心的で単線的な展覧会の枠組みそのものを批判していたり。あと、批評家の福尾匠さんと黒嵜想さんは、批評の男性的な語りに疑問をもって「マルスピ」2号で「おしゃべり」という形式を用いたことに興味を持ったと言っていました。

丸山:私たちもそういった表現活動に出会いたいし、共有したいし、もっと知りたいと思うんです。少女文化を正面から扱うのも、市原沙都子さんと高田冬彦さんのコラボレーションやそれぞれ2人の実践に影響を受けているからだし、「おしゃべり」をあえて強調しているのも、百瀬文さんや地主麻衣子さんの活動があったからなんです。一緒に翻訳をしているキュレーターの根来美和さんなども、抑圧されてきた言説に自覚的で、だからこそ方法は違えど、表現なり言説なりとして話さなきゃいけないっていう認識は共有しているんじゃないでしょうか。それは、今アートコレクティブが活発になってきていることとも関係があると思います。90年代もそういう横のつながりがあって、大きな流れを作っていったと思うんです。なくなってしまったからこそ、抑圧されてしまったことを、違う形でやっていこうというか。

遠藤:それはありますね。ジェンダー論争のとき、フェミニズムやジェンダーを扱う展示が増えたときにあがった批判ってフェミニズムは「借り物の思想や知」で、現実に促してないというものだったんですけど、そういう批判をする側の論理も「マルスピ」はもちろん踏まえてはいる。かといって、日本対西洋みたいな古い二項対立はすでに無効だと思うし、もっとトランスナショナルに、共有できる話をしていきたい。私が日本にいて、美佳ちゃんがウィーンにいて、2つの拠点があるというのはそういう点でとても風通しがいいんです。

丸山:ウィーンに来た当初日本で話されている芸術とジェンダーの話って90年代以降アップデートされてないんだと気づかされたんです。先生にも「まず考え方をアップデートしなさい」って言われて。日本でジェンダー理論があまりされなくなってからも、フェミニズムとクィアの接続点が発展し、有色人系のフェミニズムや、南米や東南アジアの新しい言説は生み出されてきたわけですよね。それは芸術の現場でもそうです。日本でも様々な活動は続けられているのに、まるでジェンダーの問題は終わったことであるかのように語られてしまっていたんだと思います。

――ジェンダー論争以降、日本は鎖国状態に……。

丸山:あいちトリエンナーレもあって日本でも以前よりジェンダーを扱った作品や議論が増えたと思いますが、昔と同じような議論が繰り返されているのも見かけます。もちろん歓迎すべき変化ですが、どうしてジェンダーだけを問題として取り上げる視点になってしまうのかと疑問にも思います。「マルスピ」ではインターセクショナリティ(交差性)を重要視していて、さまざまな問題がどう関わっていて、どう交差しているのかが重要だと思っています。これまでのフェミニストやクィアの歴史に私たちは立っているという意識はそこにあります。そのうえで、同じことを繰り返すのではなく、今ある可能性を使って、自分たちが経験していることを考えていきたいし、他の人がどう考えているのかを私たちも知りたい。

――今後やっていきたいことは何でしょうか?

遠藤:マルスピは、日英のバイリンガルだけど、英語圏でない人たちと文化交流をしたいし、すでに起っている文化交流をリサーチしていきたいです。言語を「壁」にしたくないですね。2019年にはソウルにいって、アーティストに直接会って話を聞いたり、ソウルのフェミニズムやクィアをテーマにした展覧会を見に行ったり、鍼灸を受けたりしたのですが、今後も気になったことにはジャンル問わず交わってゆきたいですね。

丸山:「マルスピ」をきっかけに出会いや交流がグッと増えたんです。特に、韓国とか中国とか、東アジアのつながりを大事にしていきたい。それから、日本の90年代に行われた議論との断絶は気になるので、そういう活動してきた方たちともつながっていきたいと思っています。あと、早く3号は出したいですね。2人とも博士課程を終わらせようとしていて、最後の編集に手がつけられてないんですけど……でも、お互い、無理をしないのを鉄則にしているので(笑)。

丸山美佳
長野県生まれ。横浜国立大学修了、現在ウィーン美術アカデミー博士課程在籍。東京とウィーンを拠点に、批評家・キュレーターとして活動している。主な展覧会に「When It Waxes and Wanes」(ウィーン、2020)、「Protocols of Together」(ウィーン、2019)、「Behind the Terrain」(ジョグジャカルタ、2016/ハノイ、2017/東京、2018)、「Body Electric」(東京、2017)など。主な寄稿先に「artscape」「美術手帖」「Camera Austria」「Flash Art」など。http://www.mika-maruyama.com/

遠藤麻衣
兵庫県生まれ。現在、東京芸術大学美術研究科博士後期課程美術専攻在籍。映像、写真、演劇などのメディアや方法論を横断しながら、いまここにある身体が発するメッセージと、社会規範や芸術のフォームとのずれを遊戯的に重ね合わせて表現を行う美術家・俳優。近年の主な展覧会に、「彼女たちは歌う」(東京藝術大学大学美術館陳列館、2020)、「新水晶宮」(TALION GALLERY、東京、2020)、「When It Waxes and Wanes」(ウィーン、2020)など。主な個展に「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」(ゲーテ・インスティトゥート東京、2017)など。http://www.maiendo.net/

Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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スノーピーク・山井梨沙が掲げる「都市と自然が共存する未来」 そこに込めた「野生への回帰」とは? https://tokion.jp/2021/02/14/snow-peak-lisa-yamai-city-and-nature/ Sun, 14 Feb 2021 06:00:29 +0000 https://tokion.jp/?p=19793 スノーピークの山井梨沙社長が語る「社長就任」から「人と自然との関わりの重要性」まで。

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2020年3月、32歳という若さでアウトドアメーカーの「スノーピーク」の社長に就任した山井梨沙。就任直後から新型コロナの感染拡大など、厳しい船出となった。一方で、コロナ禍で密を避けるという観点から、キャンプ人気が高まっている。「自然には都市生活で失われてしまったものがある」と山井。今回、社長就任を振り返るとともに、「人と自然との関わりの重要性」について語ってもらった。

「スノーピーク」の社長を務める山井梨沙

――2020年は社長就任や新型コロナなど、大きく環境や価値観が変わる出来事がありましたが、振り返ってみてどんな1年でしたか?

山井梨沙(以下、山井):本当に大変な1年ではありましたが、一度立ち止まって、今まで「スノーピーク」でやってきたことや描いていた未来が「間違ってなかった」と、再認識できた1年でもありました。

――当初想定していたものとは全く違う1年になりました。

山井:2020年は東京オリンピックで人が集まることを想定して、そのタイミングで自然への送客というか、「スノーピーク」がベースとしている「自然と人とをつなげるプラットフォーム開発」に注力していました。それで長野の「Snow Peak LAND STATION HAKUBA」や京都の「Snow Peak LAND STATION KYOTO ARASHIYAMA」、大阪の「スノーピーク 大阪りんくう」といった宿泊もできる大型体験型店舗をオープンしたんですが、京都と大阪に関しては予定よりもオープン日を後ろ倒しにするなど、コロナの影響はありました。ただオープン後は3店舗とも順調で、私達が予想していた以上にお客さまが来てくれています。

――昨年3月に社長に就任されて、変わったこと・変わらなかったことは?

山井:社長就任以前の1年間は副社長をしていました。その時は、フィールドワークをしながら仕事の原石を掘り出して、事業化するのが自分のスタイルでした。地方だったり、海外だったり、実際にその土地の人と会って話をして、そこから仕事を見出す。それは社長になっても変わらないんだろうなと思っていたんですけど、コロナの影響や、社長としても他に優先すべきこともあって、それがあまりできなくなりました。ただ、人や社会、そして地球が求める未来を作っていくのが自分の仕事だと思っているので、それに向けての役割は変わらないです。

――社長就任に関しては、発表された当初はかなり批判的な意見もありました。

山井:そうですね。就任当時は32歳で、しかも女性社長ということもあったと思うのですが、私のタトゥーのことを批判するコメントが多くて。私自身はそんなにタトゥーに対してネガティブな反応が起こるとは思ってはなかったんですけど、ネット上ではかなりの誹謗中傷があり、精神的にダメージを受けました。私のやってきた仕事について知らないのにという悔しい気持ちもありましたね。それで、「この文明社会、情報社会で何かが失われている」ということを再認識したのと、やっぱり私達が提供している「自然と人とのつながり」を本質的に再提示していかないといけないなと実感しました。

「野生」を現代的に再定義することで、1人1人が主体性を持ってほしい

——コロナ禍で、密を避けるということからも、アウトドアやキャンプの人気が高まっていますが、そのようなブームをどう捉えていますか?

山井:確かにコロナもあって、新しくキャンプを楽しむファミリー層や、20〜30代のソロキャンパー達は増えています。私自身も、やっぱり自然や人と触れ合うほうが人間らしく生きられるということを認識できました。都市はインフラも整っていて、1人でも生きていける設計になっていますが、本来人間は、地域でコミュニティを作って、そこで助け合いながら何かを生み出してきたし、生きる上でそれが必要なことでした。キャンプというのはそれを疑似的に体験させてくれるものだと思います。

私がアパレル業界にいた時は、アウトドアとファッションは大きく分かれていて、キャンプをする人も少なかったのですが、最近はアパレル業界でもアウトドア好きな人が増えているし、その要素をファッションにも取り入れていたりして、境界線がなくなってきています。アウトドアやキャンプが以前よりも身近なものになっていて、それはすごく良い流れだと感じています。

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*この下に記事が続きます

――山井さんが考える「自然と触れ合うこと」の重要性はどういったところですか? 

山井:私が自然を通して感じていることは、自然の中で生まれる信頼関係がもっとも深くて強いということ。自然の環境の中では何が起こるかわからない。5分後に土砂降りの雨になるかもしれないし、雨で土砂崩れが起こるかもしれない。だから常に予測しながら生活しなければいけないんです。そうなった時に絶対に1人の力では解決できなくて、普段から地域のコミュニティや人間関係を築いておくことが大事なんです。そこが都市とは全然違う。

でも都市で暮らしている人も、キャンプに行くと近隣のキャンパーさんに「すみません、お塩忘れたんで貸してもらえませんか?」と言える。そこにあまり壁がないんです。普段仕事している時の職業や肩書きなどは関係なく、自然の中だと1人の人間に戻れる。なんかそれが一番平和だなと思いますね。

都市も自然もどっちも知っていること、どちらにもメリット・デメリットがあるので、両方のバランスをとって生きていくことがこれからの時代には大事。もちろんテクノロジーで世の中が良くなっていくこともたくさんあるけど、人間らしい、自然の中での実体験やつながりは失っちゃいけない。そういうことを実感して生きていく人が増えると思うし、増えていってほしいとも思っています。

――昨年出版された著書『FIELDWORK─野生と共生─』(マガジンハウス)のように「野生」という言葉もキーワードとしてよく挙げられています。

山井:その「野生」という言葉も現代的に再定義したくて、この本を書きました。「野生」って男性的な荒々しいイメージがありますが、私が考えている現代的な「野生」の在り方は、それこそ自然の中で生きている状態そのもので、やっぱり常に何が起こるかを予測して行動したり、その状況に対してちゃんと自分の頭で考えて行動すること。そういう感覚がテクノロジーの発達によりかなり失われている。これからの未来に必要な「野生」というのは、自分なりの考え方で、何を感じ、何を考え、どう行動するのかということなんです。そうして1人1人が主体性を持って世の中ができあがっていけばいいなと思います。

今では「多様性を大切に」とよく言われるようになりましたが、東京もロンドンもニューヨークも同じようなものが街に集中していて、すごく均一化されている。こういうものが流行っているからとか、これで成功しているからとかではなく、状況に対して、自ら考え、答えを出して行動することが、もう一度生きる活力とか、そういうのを呼び起こす要素になるんじゃないかなと思っています。

――山井さんはアートや音楽といったカルチャーも好きですよね。昨年は「さどの島銀河芸術祭プロジェクト2020」にも参画されていました。

山井:子どもの頃からアートや音楽は大好きで、そこから影響を受けたことはたくさんありますし、自然と関わるのと同じくらいアートや音楽に触れて、感受性を育んでいくことも大事だと思っています。アートや音楽は必ずしも生きていく上で必要ではないかもしれないけど、あったほうがより人生が豊かになるのは間違いないですよね。昨年の佐渡の芸術祭では、GEZANやDJ QUIETSTORM、MOODMANにも来てもらってライヴやDJをしてもらいました。観客の7割ほどは地元の人達だったんですが、GEZANの時に地元のおばちゃん達が一緒にこぶしを上げていたり、DJで踊っているのを見て、こちらも嬉しくなって。地元の人達が喜んで、楽しんでくれて、その光景を見てやってよかったなと思いました。

「さどの島銀河芸術祭プロジェクト2020」でのGEZANのライヴ映像

「YAMAI」では生産者やその工程が感じられる服作りを目指す

――近年、アパレル業界の大量生産、大量廃棄が問題になっています。一方で山井さんは上場企業の社長として成長を求められると思いますが、それについてはどう考えていますか?

山井:「スノーピーク」では、お気に入りのアイテムをなるべく長く、愛着を持って使ってもらえるように、キャンプギアやアパレルなどすべての製品に永久保証を付けています。なのでありがたいことに弊社の製品を使ってくださるお客さまは、20年、30年と大切に使用してくださる方が多いですね。

生産に関しても、例えば年間に3万個供給しなきゃいけないという製品も、一度に大量に作って残るリスクを抱えないように、1回の生産数を少なくして、年間数回に分けて生産しています。それだと無駄なものを大量に作らなくてよくなる。もともと弊社の生産のサイクルは、年平均で5回転とか6回転。継続的に2ヵ月に1回発注する方が、工場としても経済的にもいい。環境的な配慮と同様に、一緒に働いてくれる人達にも配慮したモノづくりを心掛けています。

――そんな中、「YAMAI」というアパレルブランドもされていますが、そちらはどういう位置づけですか?

山井:「YAMAI」は、本当に私が洋服で実現したかったことが詰まったブランドです。洋服って原料栽培から糸にして、糸を染めて、生地にして、縫製して、と店頭に並ぶまでたくさんの細かい工程がありますが、多くの製品は見た時にそれをイメージできない。「YAMAI」では、生産者が見えるような、どんな原料から作られて、どんな工程を経て、この製品ができているのかをしっかりと伝えていければと思っています。原料もコットンやシルクリネンなど天然素材のみで、フェアトレードで栽培先がわかっていて、なおかつローカルの地域で生息しているものを使用しています。

洋服は全工程を人の手によって作られているのに、そこで働く人がないがしろにされ過ぎだと思うんです。そのせいで現場に人がいなくなり、工賃もまともに払わず、みたいな悪循環になっている。「YAMAI」ではそこで働く人にもっとスポットをあてて、しっかりと製品の良さを伝えていきたいと思っています。

――最後にこれからのスノーピークの展望を教えてください。

山井:「スノーピーク」の活動理念である「人間が本来持っている大事な感覚を呼び起こすこと」「自然とのつながりを喚起すること」は、これからどんどん文明と自然が二極化していく中で、そこをつなぐ役割としてとても意味があると思っています。今起きている社会問題や社会課題を解決していける力が「スノーピーク」にはあるので、“自然指向”のコミュニティを世界に広げて、世の中をより良く、豊かにしていきたいです。

山井梨沙
「スノーピーク」代表取締役社長。1987年新潟県生まれ。祖父は同社創業者の山井幸雄、父は代表取締役会長の山井太。文化ファッション大学院大学で服作り、洋服文化を専攻し、ドメスティックブランドで約1年間勤務。2012年に「スノーピーク」に入社し、アパレル事業を立ち上げる。その後同事業本部長、企画開発本部長、代表取締役副社長を経て、2020年3月より現職。
https://www.snowpeak.co.jp
https://yamaijapan.com
https://www.instagram.com/lisayamai/?hl=ja

Photography Mayumi Hosokura

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