『PERFECT DAYS』が世界に接続した新たな東京像 不完全な街と不完全な人間から生まれる静かな豊かさ——連載「ファッションと社会をめぐるノート」第3回

東京の都市像の映像化とその成功

 2023年10月の日比谷は夏のような熱気で、街は外国人観光客が溢れていた。そんな中、カンヌ国際映画祭で役所広司が男優賞を受賞したことでも話題を呼んだ映画『PERFECT DAYS』が、東京映画祭のオープニング作品としていち早く上映された。シートに座って館内が暗くなり、役所広司が演じる平山が小さな古いアパートで目覚めるシーンがスクリーンに映った。平山が木造の六畳間で覚醒するのと同時に私は映画の中に引き込まれた。日本を舞台にした日本語の映画だったが、間違いなくヴェンダースの映像だった。エンドロールが流れる前にこの作品は重要な作品になると直感した。特に日本と海外を往来するクリエイター達にとってだ。なぜなら、2020年代の「東京の都市像の映像化」に成功した作品は無かったからだ。視覚化された都市像は我々日本に住む人が、海外の人とコミュニケーションを取る際の共通言語になる。「あの東京」と言えるようになるから。年が明け、数ヵ月経ってもまだ映画の余韻が残っている。

 『PERFECT DAYS』が映し出した東京は「今の東京」を紛れもなく映していた。役所広司が演じる平山はトイレを清掃する清掃員。スカイツリーの見える東京の東側に小さく居を構えている。そして働くエリアは東京の西側、渋谷区の公共トイレ「THE TOKYO TOILET」だ。平日は目覚ましがなくても早朝に誰かが外で箒を掃く音でいつも目が覚める。ひげを剃り、歯を磨き、植木鉢に霧吹きをかけ、清掃員の格好に着替えて時計や小銭を持って外に出る。現金主義、QRコード決済なんて使わない。車は赤帽車としても使われるダイハツ・ハイゼット・カーゴ。労働者の車だ。朝食代わりの缶コーヒーとカセットテープの音楽をともにしながら、平山は東京の東側から西側に向かう。ダウンタウンからアップタウンへと向かう、東京近郊で生活する人々のリズムのリアルさがここでは描かれている。東と西の都市経済の濃淡のリアルを描くこのシーンは、ロードムービーの名手であるヴェンダースだからこそ、程よい湿度感で切り取られていると思う。朝日に照らされる道路の風景はヴェンダースの作品を知っている人にも既視感がある。1989年にヴェンダースが山本耀司を撮った『都市とモードのビデオノート』でも映る道路の風景だ。

TOKYOという幻影を求めて

 東京で海外旅行者を見かけない日は無くなった。2003年は521万人だった入国者数は2023年には2500万人、20年で約5倍に増えた。コロナパンデミックで落ち込んだ空白期を乗り越え、月間外国人入国者数はついに2023年の年末にコロナ前の2019年の数字を超えたのだ。京都あるいはニセコといった観光名所は外国人観光客で埋め尽くされているが、東京も同様だ。銀座、表参道を歩いているうち半分以上が海外からの旅行者ではないかと思う時がある。円安の状況も手伝ってTOKYOの街に引き寄せられる人は増えた。この外国の人たちが求める東京像とはどんなものだろうか。

 過去に東京の映像化を作り出すことに成功した作品で代表的なのはソフィア・コッポラによる『LOST IN TRANSLATION』(2003)だ。未だに海外の人を魅了するこの映画の作中には、当時の海外から見たTOKYOのカルチャーの断片が映し出されていた。テクノロジー、カラオケ、コスプレ、クラブ、フェティッシュカルチャー、ファッション、音楽、テレビ番組、伝統文化など、一見相容れないカルチャーの記号が街の中で撹拌し織り合わされた、エコノミックアニマルが住む得体のしれないTOKYO像。そこには藤原ヒロシや、DUNEの編集長であった林文浩、ロケハンに関わった野村訓市、HIROMIXなどがカメオ出演している。2003年に発表されたこの作品は、特にヨーロッパとアメリカの人々にとって、真新しさとエキゾチックさが共存する都市を求める人々の心を掴んだ。映画の舞台となったPARK HYATT TOKYOではNIGOが選曲した音源をホテルにリクエストすると聞くことができる。映画公開から20年が経過した今も映画の中で描かれた都市の幻影を追いかけて、この街とPARK HYATT TOKYOを訪れる人々が絶えない。この映画で描写された東京の生活は、渋谷、新宿といった東京の西側のシーンが中心だったことも指摘しておきたいと思う。一方、『PERFECT DAYS』で描かれた東京は誰もがアクセスできるという意味でリアルだ。知り合いがいないと入れないような秘密の東京(Best-kept secret Tokyo)ではない。公園、居酒屋、古書店、コインランドリー、木造のアパート、西側のトイレであり、永遠に終わらなそうな都市計画の途上にある東京の町並みと東西を結ぶ路上の風景だ。それは東京に暮らす多くの人々にとっては珍しくない、一度は触れたことがあるような日常の風景だ。

始まりが映画ではなかったからこそ生まれた映画

 『PERFECT DAYS』のプロデュースと共同脚本を務めた高崎卓馬、そして共同プロデューサーであり映画の資金提供者である柳井康治によれば、この作品は数々の偶然から生まれたものだという。映画の舞台となったTHE TOKYO TOILETは渋谷区に設置された公共のトイレだ。トイレと言えば、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で、その陰鬱さにこそおもしろみや独特の美があると評したが、読者はどう思うだろうか。THE TOKYO TOILETはトイレの影の部分をスターアーキテクト、デザイナー達によって照らすプロジェクトだ。坂茂、安藤忠雄、そしてNIGOやMark Newsonといった世界的建築家やデザイナーによって作られた17ヵ所のトイレは、ファーストリテイリングの柳井康治のキュレーションによって誕生した。実は、THE TOKYO TOILETのトイレを大切にきれいに使ってもらうにはどうしたらよいかという話について柳井康治と高崎卓馬の両名でカジュアルなブレストをしたことがきっかけとなって『PERFECT DAYS』が生まれたという。映画誕生の詳細については、『SWITCH』2023年12月号の「PERFECT DAYS特集号」に高崎と柳井の対談が掲載されているのでぜひご覧いただきたい(注1)。  

ハリウッドの対岸から制作された映画

 ヴェンダースは何と言ってもロードムービーの名手だ。『都会のアリス(Alice in den Städten)』(1974)、『まわり道(Falsche Bewegung)』(1975)、『さすらい(Im Lauf Der Zeit)』(1976)の三部作、そして、彼を不動の地位に押し上げた『パリ・テキサス』(1984)もアメリカのテキサス州を舞台としたロードムービーだ。そしてこの『PERFECT DAYS』も東京を東西に走るロードムービーである。ヴェンダースはハリウッド映画に対する反骨精神を持つ監督としても知られる(注2) 。彼のインスピレーション源にはハリウッドの対岸から生まれた小津安二郎の映画がある。小津の映画は「真に国際的でありながら、アメリカ的帝国の一員にはならず、独自の帝国を築き上げた」とヴェンダースは熱く語っている。

「ヴェンダース、小津を語る」 /Wenders Discusses Ozu Short Version

 小津の映画作品から筆者は、芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』(1927)に書かれた芥川と谷崎潤一郎との議論を思い出す。小説は筋のおもしろさ、物語の構造が最も重要であるという谷崎の立場に対し、話らしい話のない小説にも強い価値を見出すのが芥川の立場だ。小津の映画は芥川が良しとする要素から成立している。作品は静的で細部までこだわり抜かれたセット、美しいカメラワークから作り出された空気感がある。奇抜なシーンや派手な筋書きは無く、そこに存在するのはテクスチャーの機微の連続的変化から生まれる豊かさであり、それ自体が作品なのだ。そしてヴェンダースはこの小津に影響を受けて映画を制作してきた。そしてこのはヴェンダースの経験を完全な形で日本映画として投影した作品がこの『PERFECT DAYS』だ。

小津の平山、ヴェンダースと高崎の平山

 高崎卓馬は『PERFECT DAYS』の主人公に「平山」と名付けた。この名は小津映画にもたびたび登場するが、高崎によると意図したものではなく偶然だったらしい(注3)。小津の平山で有名なのは『東京物語』(1953)の主人公である平山周吉(笠智衆)、そして『秋刀魚の味』(1962)の平山周平(笠智衆)だ。映画で描写される小津の平山の日常は、当時の日本人にとって当たり前のものだったかのように錯覚するが実はそうではない。60年代も日本はまだ貧しかった。黒澤明の『どですかでん』(1970)は『秋刀魚の味』よりも後に制作されたものだが、貧しく荒んだ街が舞台だ。大島渚の『愛と希望の街』(1959)は小津の『東京物語』と同じく50年代に生まれた作品だが、舞台はやはり荒んだ東京であり、主人公は貧しい子どもだ。同じ昭和でも小津の描く世界は裕福だ。

『東京物語』の平山の息子は開業医や教師であり、『秋刀魚の味』の主人公の平山は丸の内近隣の大手企業の重役で登場人物の多くがホワイトカラーである(注4) 。

(注1)配給会社のBitters Endの公式アカウントではPERFECT DAYSに関わった関係者のインタビューが公開されている。映画と併せて見ると面白い。

(注2)ハリウッド映画といえば銃撃戦、戦争、英雄譚、ラブストーリー、資本主義のどん底とアメリカン・ドリームといった物語の様式だ。それらの多くは実際にアメリカ社会で起き得るシーンである。アメリカ社会の現実がハリウッド映画にリアリティを与えてきたとも言えるが、世界のどの国でもこのようなリアリティを持つかというとそうではない。

(注3)オンラインメディア「後現代 | POSTGENDAI」での高崎卓馬 (『PERFECT DAYS』共同脚本・プロデュース)のショートインタビューの中でこのエピソードが語られている。https://postgendai.com/blogs/postgendai_dictionary/takuma_takasaki

(注4)『秋刀魚の味』は、平山の娘である平山路子(岩下志麻)の縁談が物語に登場するが、ファッションの視点から見ても平山の生活が豊かなことがわかる。実際、この岩下志麻の衣装を手掛けたのは森英恵だった。平山家の調度品も、料亭もさながら『家庭画報』に登場するようなものたちだ。

『秋刀魚の味』のトレイラー(松竹)

 『PERFECT DAYS』の映画の中で、平山の妹が運転手付きのレクサスで登場する場面で、この平山は元来裕福な家の出身で自らの選択で家族と断絶し、東京の東側でひっそりと暮らしていることを我々は知る。もしかすると『PERFECT DAYS』の平山は、小津映画に登場する平山の親族なのかもしれないと筆者は思った。

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と書いた。小津と同時代に作られた映画の多くが、社会問題が燻る世界を舞台とした。しかし、大戦中に徴兵され激動の人生を歩んだ小津が、ある種、幸福な世界を舞台に選んだのは「どれも似たように描かれうる舞台」だからこそ、自分の美意識が特徴的に際立つと考えていたからかもしれない。

 『PERFECT DAYS』の平山は東京のトイレ清掃員という役割を与えられた。彼が住む東京は、小津や黒澤の時代とは異なり、高度経済成長を経た後の東京である。バブル後の経済成長が失われた20年を経た東京はハリウッド的物語が映える場所ではない。この平山の生活を通して、今の東京の忘れられがちな日々の豊かさに気付かされる。平山が植木鉢に霧吹きをかけ、木漏れ日の写真を撮り(注5)、読書しながら眠りに落ち、夢を見る姿を見ると、彼がその豊かさを知っている人だとわかり、静かに平山に同意したくなる(注6)。

オリエンタリズムのまなざしに対峙

 2023年、日本の国家ブランド指数(NBI)(注7)が初めて世界1位になったそうだ。ランキングといったものは個人的にはそこまで意味はないと思うものの、この日本発信の映画が発表された年に世界1位になったのは奇遇である。

 『PERFECT DAYS』は日本のみならず世界中のオーディエンスを惹きつけている。昨年のカンヌ国際映画祭では平山役の役所広司が主演男優賞を受賞し、今年はアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。1月にはイタリアでも興行一位を記録し、つい先日、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターで行われた北米公開前夜のイベントは大盛況だったようだ。

 日本から海外を視野に入れて作品を発表する時には、海外からオリエンタリズムのまなざしが向けられることは不可避で、求められるのは東洋のエッセンスだった。その期待に応えて成功した映画は数多い。前述した黒澤明も、そして裏社会の人間模様を舞台装置として映画を作った北野武もそうかもしれない。日本でニュースになった社会問題を抽出し、海外の人間が解せる形で演出した作品もそうだろう。『PERFECT DAYS』にもそのまなざしが向けられているだろうが、ヴェンダースという外国人監督が撮った東京はそのような過剰な期待を中和することに成功した。

 日本人には舶来主義が染みついている。音楽、文学、映画、ファッションに至るまで、欧米、特にアメリカの文化をオーバードーズ気味に摂取してきたため自然なことではある。その結果、日本のコンテンツの逆輸入による例外を除いて、西洋社会の対岸に住む我々日本人自体が日本生まれのコンテンツを過小評価する奇妙な状況が起こりやすい(注8)。アメリカの音楽や小説を好む平山を見れば、彼も我々と同様、欧米の文化に強く影響を受けてきたことがわかる。制作陣の高崎卓馬や柳井康治という面々もそうだろう。その彼らが、50年近く前から日本の映画に着目してきたヴェンダースと邂逅し、共に今の「東京像」を提示したこと自体、一つの大きな物語だと思う。 

 『PERFECT DAYS』が提示した「東京像」はTOKYOに新たな意味を付与した。我々の知っている東京の風景が世界に流れ、それについて国境を超えて語ることが可能になったことはこの映画の大きな成果だ。ニーナ・シモンの「Feeling Good」が鳴り響く最後のシーンは、平山が運転するワゴン車の車内だ。その車内は東京に限らず世界のどこにでも存在し得る小さな空間だ。その様子は我々を揺さぶる。揺れるのは我々の人生の記憶である。東京を東から西へ走る車のエンジン音を運転席で感じている平山のように、映画館の観客はシート越しに今の東京の振動を静かに感じるのである。

(注5)作中、登場する木漏れ日の映像はドナータ・ヴェンダースによって一部撮影された。またこの映像は 「KOMOREBI DREAMS: supported by THE TOKYO TOILET Art Project / MASTER MIND」の展示で2023年12月22日から2024年1月20日 の間、104 Galleryにて公開された。

(注6)村上春樹は、エッセイ『村上朝日堂』で「小さいけれど確かな幸せ」という意味で「小確幸」という言葉を使う。これは平山の日常に通じる。激しい運動をした後に冷えたビールを飲むことなど、日常の些細な、ただ確実に幸せに感じられることの豊かさを表す。

(注7)対象国の「文化」、「国民性」、「観光」、「輸出」、「統治」、「移住・投資」の6分野で評価するアンホルトGfKローパー国家ブランド指数(Anholt-GfK Nation Brands Index)のこと。2023年に日本が史上初の首位になった。過去のランキングはWikipediaで一覧できる。トランプ政権が誕生する2016年までアメリカがほぼトップを独走していた。https://en.wikipedia.org/wiki/Nation_branding

(注8) 劇中ホームレス役として登場する田中泯の踊りを映像化し編集した『Somebody Comes into the Light』(音楽は三宅純)というショートムービーが公開された。前述の「KOMOREBI DREAMS」展のクロージングイベントにて、田中泯は、古事記に登場する天宇受賣命(アメノウズメ)の踊りについて語った。現代では踊りというと西洋ではバレエに立脚するが、本来はあちこちの少数民族の文化であり、それが植民地支配、時代の流れの結果、滅びてしまった。踊りということに立ち返れば、西洋的枠組みに囚われるのは制約になると彼は言及していた。ヴェンダースのハリウッド映画に対する感覚と通じるものがそこにはある。

『PERFECT DAYS』全国大ヒット上映中
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬
製作: 柳井康治
出演: 役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
製作: MASTER MIND 配給: ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124 分
© 2023 MASTER MIND Ltd.
Webサイト:perfectdays-movie.jp

author:

小石祐介

株式会社クラインシュタイン代表。東京大学工学部卒業後、コム デ ギャルソンを経て、現在はパートナーのコイシミキとともにクラインシュタインとして、国境を超えた対話からジェンダーレスなユニフォームプロダクトを発信する「BIÉDE(ビエダ)」(biede.jp)のプロデュース、スロバキア発のスニーカーブランド「NOVESTA」(novesta.jp)のクリエイティヴディレクション、マルチカルチャーメディアの後現代 | POSTGENDAI(postgendai.com)はじめ、国内外のブランドのプロデュースやコンサルティングなどを行っている。また、現代アートとファッションをつなぐプロジェクトやキュレーション、アーティストとしての創作、評論・執筆活動を行う。 kleinstein.com Instagram:@yusukekoishi X:@yuurat

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