橋本倫史, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tomofumi-hashimoto/ Fri, 23 Apr 2021 07:23:09 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 橋本倫史, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tomofumi-hashimoto/ 32 32 岡田利規と金氏徹平が語る 人とモノの新しい関係性を示す「消しゴム」シリーズに込めた意味 https://tokion.jp/2021/04/19/toshiaki-okada-and-teppei-kaneuji-talk/ Mon, 19 Apr 2021 06:00:03 +0000 https://tokion.jp/?p=26011 人間中心主義からの脱却がコンセプトの「消しゴム」シリーズはどのように誕生し、取り組み続けてきたのか。岡田利規と金氏徹平の言葉から明らかにする。

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劇作家・岡田利規が主宰する演劇カンパニーチェルフィッチュが美術家・金氏徹平と取り組んできた演劇「消しゴム」シリーズ。今年、シリーズ最新作となる『消しゴム山』の東京公演が開催された。人とモノと空間と時間の新しい関係性を提示し、人間中心主義から脱却することを目的にした「消しゴム」シリーズを通して、人類の未来に向けた挑戦とは何なのか? 岡田と金氏の言葉から紐解く。

俳優と関わりを重点的に考えている中で生まれた「半透明」というキーワード

――お2人が最初にクリエイションをともにされたのは、2011年に上演されたチェルフィッチュの『家電のように解り合えない』だと伺いました。この作品で、金氏さんに舞台美術を依頼された経緯から、まずは伺えますか?

岡田利規(以下、岡田):作品を作る時、舞台美術っていつも困るんです。僕の場合、「こういう設えの具体的なものが欲しい」ということはほとんどないんですね。じゃあ抽象的であればいいのかっていうと、それもあまりにもざっくりしてて。舞台美術に求めるものをまだ言語化できていなくて。話が戻りますけど、いつも困るんです。僕自身が作れるわけではない以上、誰かにお願いする必要があるんですけど、金氏さんとやると困らないんですよね。

金氏徹平(以下、金氏):舞台美術って、『家電のように解り合えない』の時、初めて足を踏み入れる世界だったんです。依頼があった時からチェルフィッチュを観るようになったんですけど、観れば観るほど舞台美術は必要ないなと思うことが多かったんですね。特に昔のチェルフィッチュの作品は、舞台美術がなくても十分成立している。でも、岡田さんは自分でわからないものにも積極的に挑戦しているので、僕は僕で求められていること以外にもおもしろさを見つけられたらと思って取り組んでいるという感じですね。僕が主導した『tower』を含めると、岡田さんと一緒に作品を作るのは4回目なんですけど、岡田さんは同じことをするのを嫌うアーティストなので、毎回チャレンジがあって、それが自分の普段の制作にもフィードバックがあると実感できるので、前向きに挑戦しているというところです。

岡田:金氏さんに言われてその通りと思ったんですけど、そうなんです、僕は基本的に舞台美術っていらないと思ってるんです。でも、本当にないのはつまんないなとも思うんですよね。「必要だからある」じゃなくて、「なくてもできるけど、あってもできる」と考えたい。今、話していて改めて思いましたけど、舞台美術家に対して「あなたがいなくてもプロダクションできる」と言うのってひどいですよね。そこで普通は「じゃあ帰ります」となるんじゃないかと思うんだけど、「それならそれで、全然おもしろいことができます」って言ってもらえると、僕は助かるんです。だから、金氏さんに助けてほしいってことではなくて、僕には作れないレイヤーがあるから、そこをお願いしたいみたいな感じなんですよね。これって言葉だとあんまり違いがわかんないかもしれないけど、全然違うんです。

金氏:その感覚は理解できます。僕は普段いろんなものをコラージュして、いろんな要素を接続することで作品を作っているので、「あってもなくてもいい」という状態はすごく理解できる。余計なものを削ぎ落とせばいいというわけではなくて、いろんなものが接続されていく可能性が提示されている状態は心地がいいものだという認識があるので、そこはポジティブに捉えることができたんですよね。

――チェルフィッチュの舞台美術を金氏さんが担当したり、金氏さんの作品に岡田さんがテキストを寄せられることはこれまでにもありましたけど、『消しゴム山』はチェルフィッチュと金氏さんの連名によるコラボレーション作品です。あの特異な作品を、どんなふうに立ち上げられたのでしょう?

岡田:具体的なレベルで言うと、舞台美術に関しては全然関係なくていいっていうふうにお願いしました。「そこにこれがあると邪魔なんだけど」みたいなことでよくて。何もなくてもできるということは、何かがあって邪魔でもできるということなので。

金氏:今回に関しては、意図的に邪魔をしようとしている部分もありました。視界を遮るようなものや、すごく不安定なものを意識的に並べることで、モノがパフォーマンスとパラレルに存在しているように――パフォーマンスがなくても、そこにものが存在しているように――見えて欲しいなというのは意識したところです。

岡田:『消しゴム山』を作る直接のきっかけとなったのは、2017年に陸前高田の復興工事を観たことなんです。津波の被害を防げるように、もとの地面から10メートル以上も嵩上げする造成工事が行われていたんです。驚異的な速度で人工的に風景が作り替えられる様子を見て、「人間的尺度」に疑問を抱くようになったんですね。

 それとは別のエピソードですが、ある時レストランのテラス席でごはんを食べていたら、テーブルにハエが飛んできたんです。普通だったら多くの人と同じようにハエを手で払いのけるんですけど、その時はなぜかそうしない心の状態に僕はあったんです。僕にとっては食事をする空間だけど、ハエにとってはそうじゃないことがわかってたんです。その心の状態を用いたような舞台を作りたくて『消しゴム山』を作りました。

――そんな感覚を舞台作品を作る時に、具体的にはどんな作業が積み重ねられたんですか?

岡田:それに対して金氏さんが何をやったのか、僕は全くと言っていいぐらいわからないんですけど、僕サイドのことだけ話すと、客に向かって芝居しないということですね。単にお客さんを見て台詞を言わないってだけではなくて、観客に見せるためにパフォーマンスをやるのではなく、上に向かってやると決めたわけです。最初はやる側もポカーンなわけですけど、僕サイドでの最初のとっかかりはそうでした。

金氏:僕のほうでも、岡田さんとは別で考えたこともいろいろあって。たとえば、舞台上に配置するモノの選び方や並べ方の工夫もあるんです。いろんな文脈やルールの中に置かれたモノを、そこから切り離して並べるわけなんですけど、それが新しい物語に取り込まれないように工夫して配置してます。それが結構難しくて、バラバラで抽象的なものでも、つい何かっぽくなってしまう。だからあれは、観客が何かに見立ててしまうような状態を避けてできた配置なんです。具体的に言うと、モノが舞台上だけじゃなくて、荒野に永遠に広がっているうちの一部を切り取ったように見せる。そのためには、視界を遮るようなものがあっても、気にせず配置していく。それで言うと、モニュメントとかクリスマスツリーとか墓石とか御柱とか、そういう類のものが乱立していると、それぞれのテリトリーがむちゃくちゃに混ざって、モノが持っている意味が無効化していくんですよね。

岡田:僕がいまだに知らないこともたくさんあるんですけど、今の話も初めて知りました。モノの意味がゼロになるのは現実的に難しいけど、クリスマスツリーや御柱のように強い意味を帯びているもの同士を並べると、妨害しあってほぼ意味がなくなるというのはおもしろいですね。それって、お互いに迷惑を掛け合っているような状態でもある。

金氏:そういったモノの配置について考えたことを、どう岡田さんが考えていることと接点を持たせていくかって時に、僕が主導してワークショップをやらせてもらったんです。そこでどうやって俳優と関わるかを重点的に考えている中で、「半透明」というキーワードが出てきたんです。

あらゆる形式で展開させたことで見えてきたもの

――「半透明」というキーワードについて、改めてご説明いただけますか。

金氏:もともと川島小鳥という写真家の作品を分析するのに使った言葉なんですけど、彼の写真はアイドル写真だと思うんですね。例えば風景を撮った写真でも、アイドル写真のように見える。それが「半透明」ということなんですけど、川島さんの作品に関してだけ言うと、あの世に片足を突っ込んでいるような状態を作ることによって、アイドルを成立させているんじゃないか、と。その考え方を今回も活用できるんじゃないかと思って、川島さんの作品を分析したことをもとに、俳優にペアになってもらって、1人がモノとの関係を作って――ある意味ではポーズをとって――もう1人が写真を撮るというワークショップをやったんです。自分が半分モノになる、半分ここにいない状態を作ることが、客席とは違うところに向けてパフォーマンスをすることにも繋がっていく。

岡田:どうやって人間中心主義を脱するかという時に、「人とモノの関係がフラットになる」という言葉でも説明できるんですけど、それよりも「半透明」という言葉のほうが有効だったんですね。「半透明」という言葉のほうが具体的なんです。つまり、俳優への指示として「フラットに」というのは具体的じゃない。パフォーマンスする側からすると、半透明になるってことのほうが具体的なんです。半透明という概念を発見できたことで、大変具体的な武器を手に入れられた。「今のは半透明になってる、いいね」「今のはちょっと足りないね」という言葉が、創作の場で共有できるものとして使えたんです。それはほんとに大きいことだったと思います。

――『消しゴム山』という作品には、「人間中心主義からの脱却」というテーマが掲げられています。「消しゴム」シリーズはさまざまな媒体で発表されてきましたが、人間中心的になりがちな演劇という様式で上演するということは、お2人の中でどんな時間になったのでしょう?

岡田:人間の問題をテーマに扱ったテキストって、すでにいっぱいあると言っていいと思うんですけど、その外のものは足りないと思うんです。必要なのはそっちで、そういうものをやりたかったんだけど、具体的にどうやればいいかさっぱりわからなくて。でも、「人間中心じゃない演劇をやる」と、とりあえず風呂敷を広げたんです。その風呂敷が大きいのがまずよかったんですよね。それが空疎なコンセプトのまま最後まで行ってしまうと目も当てられないものになるんですけど、人間中心じゃない演劇とは何なのか、創作のプロセスを通じて見つけられたんですよね。ほとんどマニュアルと言ってもいいぐらい具体的なものを持つことができて、それがとてもよかったなと思ってます。

金氏:劇場で『消しゴム山』をやったあと、その美術館バージョンとして『消しゴム森』をやったんです。その時は2週間ずっと、俳優が何時間もパフォーマンスをやっていたんですけど、コンセプトが俳優の体に染みついていく状態に触発されたところもありましたね。あと、コロナの状況でツアーが延期になったことで『消しゴム畑』という作品が生まれて、『消しゴム石』という本もできて、さらに『消しゴム式』という小説も生まれた。そうやって形をどんどん展開させたことによって、見えてきたものもありました。それから、コロナの影響でツアーが延期になったのもすごく重要で、作品がずっと生き続けてるだけじゃなくて、ただ寝ているだけの状態を経たのもすごくよくて、時間の感覚みたいなものをそこで得られたんですよね。ニューヨークに送った舞台美術が届かなくなってしまうというトラブルもあったんですけど、海の上で『消しゴム山』のセットがずっと漂っているイメージがすごくおもしろくて。時間のスケールのことは最初から『消しゴム山』の中に含まれてましたけど、それが生々しく現実的に感じられるようになったのもあるかなと思います。

――『消しゴム山』の中には時間について語るシーンもありますが、この「消しゴム」シリーズを通して、お2人は時間についてどんなことを考えましたか?

岡田:あるミュージシャンと話してた時、その人「時間はない。空間だけがある」って言ったんですよ。それを聞いた時に、あ、そうかも、って思ったんですよね。

金氏:僕も作品を作る時に時間のことを考えることはあるんですけど、今回思ったのは、時間は1つのスケールでしかないということで。ものすごく膨大な時間や、ものすごく一瞬の時間を同じように認めると、それこそ時間なんてないようなものになる。それは今回特に思ったことですね。「消しゴム」シリーズは、時間もそうですし、全く別の距離感や全く別の空間によって、全然違う経験が生まれることにすごく意識的な作品だと思います。それはいろんなシリーズとして展開していることもそうなんですけど、『消しゴム山』だけをとってもそうだと思っていて。「『消しゴム山』がひとつの完成された作品である以上、同じようにそれが経験されないと、作品として成立しない」ということではなくて、全く違う経験が生まれうるということを積極的に扱っている作品だということは、今話した時間の感覚みたいなことと繋がっている気がします。

岡田:今の金氏さんの言葉にあった「スケール」っていうのは、その通りだなと思います。僕はどんなものだって扱うんだけど、いつもスケールを扱っているなと思います。例えば『消しゴム山』という演劇の上演作品は、当たり前の話ですけど、劇場という物理的な空間のスケールの中で行われるわけです。あるいは、2時間という上演時間のフレームがある。でも、そういったフレームを無視したスケールのものが、作品の中に確かにあるんですよね。僕の中には、『消しゴム山』という作品を通じて陸前高田で感じたことをものすごく忠実に再現できてるって感覚があるんですけど、その根拠の大きな1つはたぶんそこにありますね。

「消しゴム」シリーズの作品1つ1つが独立した作品

――「消しゴム」シリーズはさまざまな媒体や空間で展開されてきましたが、今、劇場というスケールについて、どんなことを感じていますか?

岡田:1つの物理的な場所を共有するってことは、すごく力を持つことなんですよね。それを昨年奪われた経験を持つわれわれは、そのことを実感していますよね、

病気になって「健康は大事だ」と思うのと同じような意味において、劇場は大事だと。演劇という制度の基本的な場所である劇場は、美術館と比べて、すごく人間中心的な場所です。美術館だと、洞窟の壁画まで遡らなくても、いわゆる昔の名画っていうだけでも何百年前の絵があるわけだから、そういう時間のスケールがある。だけど、劇場では今そこで行われているものしか生まれないんですよ。そういう場所において、それを乗り越える試みをすることに価値があると思っているんです。『消しゴム山』を京都でやったあと、金沢で『消しゴム森』をやった。そして、それはとてもしっくりきました。でも、美術館という制度の中で「消しゴム」コンセプトをやるのがしっくりくるというのは、最初からわかっていた。人間中心的な場所である劇場で『消しゴム山』が行われることが、チャレンジング。東京公演では、それをある一定のところまで到達させられたのでハッピーです。

――2月に池袋で上演された『消しゴム山』には、事前にワークショップが行われたり、音声ガイダンスを導入したり、劇場にアクセスする障壁を減らすバリアフリーの取り組みが行われたり、「鑑賞マナーハードル低めの回」が設けられたりと、劇場という空間をときほぐすような取り組みも数多くありました。そこでどんな手応えを得たのでしょう?

岡田:鑑賞マナーハードル低めの回には可能性、手応えを感じました。だって、「鑑賞マナーハードル低めの回です」と宣言するだけで、人の心は寛容になる、ハードルが低くなる。これってほとんどコンセプチュアルアートというか、インストラクション・アートというか。

金氏:今回はオンライン配信版もあったし、音声ガイドもあったし、ワークショップもあって。その全部が、『消しゴム山』という1個の作品の説明ということではなくて、それぞれ作品として成立するようなものとしてあったんです。そのスタンスがすごくおもしろかったなと思います。その取り組みを1個1個独立した作品のように考えていくのがおもしろいし、同じ1つの作品が多面的であるということを超えて、経験する人のそれぞれの距離、状況、状態などによって別々の作品として成立するという作り方にとても可能性があると思っています。

岡田:今回は上演のライブ配信もやったんですけど、観てくれた人はとても少なかったんですよね。残念。物理的な場所で行われる上演の観客であること、劇場に行くって決めて、スケジュールを確定し、それに縛られることは人にとって重要なんだなと、あらためてわかりました。

金氏:配信の内容自体はすごく良かったのに、観られなかったんですよね。

岡田:でも、その映像『消しゴム山は見ている』っていうタイトルなんですけど、作品は、アーカイブされて今でも観られます。観てほしい。

■『消しゴム石』
『消しゴム山』、『消しゴム森』の戯曲や上演 記録、インタビュー、批評などが凝縮された『消しゴム』シリーズの書籍版で、同シリーズを読み解く上で鍵となる1冊
価格:¥2,000
仕様:A4変形
ページ数:144ページ
仕様:日英バイリンガル
発行:SHUKYU

■『消しゴム畑』配信版『消しゴム山は見ている』
バリアフリー型プラットフォームTHEATRE for ALLにて配信中。
期間:2021年2月22日〜2021年4月30日
字幕:日本語・英語 / 155分
料金:¥1,800
視聴:https://theatreforall.net/movie/erasermountain_archive

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『アダンの風』をめぐるクロストーク:青葉市子×梅林太郎×小林光大 https://tokion.jp/2021/02/21/ichiko-aoba-discuss-windswept-adan/ Sun, 21 Feb 2021 06:00:43 +0000 https://tokion.jp/?p=17941 “架空の映画のためのサウンドトラック”をコンセプトとする青葉市子の新作は、どのように生まれ、育まれたのか。青葉と2人の共作者によるクロストーク。

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澄みやかでいて深みをたたえた歌声と詩情ゆたかなクラシックギターにより、幻想的な音世界を紡ぎあげてきた音楽家、青葉市子。そんな彼女が前作から約2年ぶりとなる新作アルバム『アダンの風』をリリースした。“架空の映画のためのサウンドトラック”をコンセプトとする今作は、昨年1月に長期滞在した沖縄で得た着想から生まれた物語に基づき制作が進められたのだという。サウンドアプローチにおいても、ピアノやストリングス、フルートにハープといった、クラシックギター以外の多種多彩な音色が鳴り響く楽曲も並ぶなど、表現者として新境地を切り拓いた渾身作に仕上がっている。

その新しいクリエイティビティの発露に大きく寄与しているのが、全楽曲の共同作編曲を手掛けた音楽家・梅林太郎と、今作のアートディレクション・撮影を手掛けた写真家・小林光大という2人のクリエイターである。今作はどのように生まれ、育まれていったのか。青葉と同時期に沖縄を訪れていたライターの橋本倫史が、青葉・梅林・小林の3者に訊ねる。

物語の発生をトリガーした、「アダン」という言葉と光に透けた海ぶどう

――今回の作品について伺う前に、まずは市子さんがおふたりと出会ったきっかけから聞かせてください。

青葉市子(以下、青葉):昨年、Sweet Williamさんというビート・メイカーの方と一緒に『からかひとあまねき』という12インチのEPを作ったんですけど、そのときのジャケットとブックレットの撮影で小林光大さんが入ってくださって。そのときに初めましてだったんですけど、その写真がとても素晴らしくて、光の捉え方みたいなところでとても共鳴するものがありました。

小林光大(以下、小林):ミュージシャンの方って、ある程度撮られかたが決まっている方が多いと思うんですけど、青葉さんはあんまりそういうのがなくて。『からかひとあまねき』のジャケット撮影のとき、青葉さんが地面に丸を描いたんです。けんけんぱをするときみたいに。そうしたら、公園にいたこどもたちが青葉さんの後ろをぞろぞろついて行って。そういうハプニングと言いますか、何かが起きる感じと言いますか、予測不可能なところが撮っていて面白いなという印象があります。

青葉:梅林さんとは、最初にお仕事したのはCM音楽ですよね。

梅林太郎(以下、梅林):最初はコマーシャル音楽だったんですけど、2020年1月にリリースしたシングル『amuletum bouquet』に収録されている「守り哥」で、作品という形で共作させてもらいました。僕と市子ちゃんは同じ事務所にいるんですけど、ひとつの小説を読むような世界観をギターと歌だけで確立されているのはすごく印象的だなと思っていました。

青葉:私が歌とクラシックギターで表現している音の背景には、自分にしか聴こえていない音が――オーボエの旋律がここにあって、クラリネットの三重奏があって、ここでハープが鳴って、という具体的な音像が――鳴っていたんです。そのことを梅先生にお話しして、その上で「守り哥」をレコーディングしてみると、私がもともと思い描いていた音がほんとうに具現化できたんです。言葉で説明しなくても、梅先生は欲しい音、願っていた音でメロディを書いてくださるので、とてもスムーズでした。

――今回の『アダンの風』という作品は、市子さんがひとりで作り上げたというより、皆で一緒にイメージを膨らませて形になった作品だと伺いました。作品を立ち上げる一歩目はどんなふうに踏み出したんですか?

青葉:今年の1月に沖縄に滞在して、橋本さんと別れたあとに光大さんがやってきて、座間味島をまわっているとき、光大さんが運転しながら「あれがアダンです」言って、そこで私は初めてアダンというものを認識したんです。そっか、アダンって食べれるの、いや、美味しくないらしいですと、そんな話をしていたときに、「アダンの風」って言葉がもう浮かんでいて、「作品ができるとしたら、『アダンの風』になる気がする」って、車の中で話した記憶があります。そこから沖縄本島に帰ってきて、「うりずん」という居酒屋で海ぶどうをお箸でつまんで、光に透かしたときに、ビビッと降りてくる瞬間があって。その場でお皿をどかして、ノートを広げて書き始めたのが「その島には言葉がありませんでした」という言葉で。そこからすべてのプロットが始まりました。

――物語を書く前にプロットを用意するという話はよく聞きますが、アルバムを制作する前にプロットを作ることになったのはなぜですか?

青葉:プロットに関しては、梅林さんから「作曲するにあたって、それが地図になるから、ぜひ書いて欲しい」というリクエストがありました。

梅林:市子ちゃんがさっき話していた「ここでオーボエが鳴っている」とか「ここでハープが」とかっていう世界観って、オペラの発想に近いと思ったんです。オペラって総合芸術なので、皆で共有できるものがあれば、その世界観を作るときに強みになる、と。それは小林光大君や、今回音響で参加してくれている葛西(敏彦)君だけじゃなくて、この作品のために動いてくださる皆がイーブンに共有できるものになると思ったんで、プロットを書いてくださいとお願いした次第なんですよね。それが市子ちゃんが沖縄に行くっていうタイミングだったんです。

青葉:だから、何かを作るんだろうなというものは気配として持ちながら、沖縄に滞在していました。でも、まだきっかけがないなと思っていたときに、「アダンです」と言ってくださったのと、海ぶどうが透けていたのがトリガーになって、物語が発生したんです。最終的に書き上がったのは10月とかだったので、マスタリングの直前までプロットを書き直してました。どんどん曲が肉付けされて、梅先生がデモを書いてくださると、そこからまた文章を整える力をもらって、そこでまたプロットを書いて、それを今度は葛西さんが読んで「じゃあミックスを変えよう」と。

梅林:いろんなものが相互作用で生まれて行った感じですね。

全員がインスピレーションで繋がり、イーブンの力を出し合って作った

青葉:もう、ずっとやわらかい状態のまま最後まで持って行きました。だんだん写真が上がってくると、光大さんの写真を梅先生が見て作曲したり、そういうこともあったので。音楽アルバムって、デザイナーや写真家の方はパッケージの部分でかかわってくるはずが、最初から中にいたのが面白いバランスでした。

小林:あまりないですよね。だいたいでき上がったものを受けて、「じゃあ、ここからどういうビジュアルにしていこう?」というのが普通ですけど、一緒に何かを作っていくのはあまりなかった経験なので、面白かったです。自分の視点が作品に関わっていくかもしれないという体感も刺激的でしたし、まだプロットも書き上がっていないタイミングだったので、未知の領域を走っていく感覚でした。そうすると、写真に関しても「これが正解」というものがない状態なので、何を撮ってもよくて、それを撮ったときにいい風が吹くかどうかとか、そういうふわっとした判断になってくる。ふわっとした判断というとよくないけど――。

青葉:ふわっとしているときって、とても勘に頼るってことですよね。思考ではなく勘で繋いで行けるから、それって心の奥のものと繋がっていると思うんです。イマジネーションの前の、インスピレーションで皆が繋がれたことが、『アダンの風』の地盤としてとても強いものになったんじゃないかと思っています。

小林:遊びの感覚がすごく強かったですね。

梅林:その感覚をチーム全体が共有してたと思うんですよね。「作曲だから」とか、「写真だから」とか、「詞だから」とかっていうよりも、皆がイーブンの力を出し合って作ったというのが、今回一番誇らしいところだと思っています。

光を肯定する、自分の中の確信みたいなものが戻ってきた

――このアルバムは2020年に制作されたアルバムです。時代状況と過剰に結びつけた話をしたいわけではありませんが、皆さんが2020年の日々に感じたことも、作品のどこかに影響しているのだと思います。皆さんはこの1年、どんなことを感じながら過ごしていましたか?

梅林:今の状況というのは、目の前にあるすごく大事なことに気づくチャンスだと思います。僕が音楽を使って表現したいと思っているのは、誰か特別な才能を持っている人じゃなきゃわからないことではなくて、皆が等しく気づけることなんです。そこが今回の作品でいちばん伝えたかったことだと僕は思っていて、皆が等しくそこに協力してくれたから、さっき言ったように誇れる作品になったな、と。

小林:これはここの制作チームで散々話したことなんですけど、家にいる時間が長くなった時期があったので、食べることにしても触ることにしても歩くことにしても、感覚は日々鋭くなっていく。その中で、目の前で起こる出来事をちゃんと見ようと思ったんです。そこで風が吹いたり、花が咲いたり、そういったものを自分の体感としてキャッチしていく。それを今年は大切にしようと思っていたし、それは『アダンの風』の写真を撮るのにあたってもシンクロしていたかなと思います。

青葉:光大さんが今おっしゃったことは、とても共感できる部分で。東京で暮らしていると、音楽を生業にしているということもあって、音がたくさん聴こえるんですよね。街が静かになったことで、音を無意識のうちに閉じる能力を身につけていたんだなってことがわかったんですよね。そうすると、今まで閉じていて当然だった都会の耳みたいなものが、どんどんやわらかく柔軟に、生まれたときに聴こえていたようになってきて。そこで聴こえるようになったのは、自分の中に眠っている声。まわりがうるさくて聴こえなかった声が、とってもよく聴こえるので、中に潜りやすかったです。あ、そうなんだ、そう思ってるんだねっていうのを、自問自答してわかっていく。耳だけじゃなくて、嗅覚も視覚も同じように感覚が開いていって。命のつながりについても、「プランクトンはどうして光ったのかな」とか――「光」というのは、まわりのアーティストの皆も慎重に使っている言葉ではあったと思いますけど、純粋な気持ちで光というものをおもいっきり肯定する、自分の中の確信みたいなものが戻ってきたんです。これからもずっと今年にもらった確信で生きていくんだろうなと思える、強いお守りをもらえたような年でした。

――市子さんの中でも、光というイメージを捉え直したところがあったんでしょうか?

青葉:さっき梅先生が言ったように、特別なもの=光っているということじゃなくて、たとえば「今日は雨が降っていなくて、太陽が昇っている」ということも、それがすごく特別に思えてくる。当たり前だと思っていたことが、全然当たり前じゃないことで。今この瞬間に大きな地震がきたら、私たちは死んでしまうかもしれないし、明日コロナにかかって、ひとりで暮らしている家で静かに死んでしまうかもしれない。そういうことが目の前にあり続ける世界だったので、「ここには見えないけど、遠くで生きている人がいる」とか、「今も座間味の海の中でウミガメが泳いでいるんだ」とか、そういう一個一個のことがとても光って見える。だから、びっくり屋さんみたいに、一瞬一瞬に驚き続ける毎日でした。

最初に生まれたプランクトンが放った光を想像すること。永遠に驚き続けること

――この作品を聴くリスナーというのも、同じように2020年という日々を生き延びてきた人たちですね。この作品をどんな人たちに届けようかということで、意識されたことはありますか?

青葉:遠くに届けるってことは、とても大きなテーマだったと思います。とてもパーソナルなことが詩になったり、音楽になったりしているんですけど、それを今生きている人たちだけじゃなくて、300年後に生きているかもしれないクリーチャーや生命に向けて作りたいなっていうことは早い段階から皆で話してました。音響の葛西さんも、音として聴こえている部分だけをとらえようってことじゃなくて、そこに漂っている空気ごと収めたいという気持ちがとても強かったと思うんです。なので、全部の空間で鳴っている音が録れるマイクをいちばんいい場所に立てて、今生きている人だけじゃないところに届くような録音方法にトライしてくださってました。写真と作曲からはどうですか?

小林:僕はまだ、自分が撮ったものが何なのか、噛み砕けてないんですよね。葛西さんは「何を作ったのか、まだわかってない」と言ってましたけど、それはちょっとわかる気がします。

梅林:皆がそれぞれ見ている宇宙というものがあって、この『アダンの風』はそのひとつの中継地点だと僕は思っているんですね。この先、市子ちゃんや光大君はおのおのそういう中継地点をドットとして打っていくんだと思うけど、それは今の時代における意思表示だと思うんです。300年後に人間という生態系や地球がどうなっているかはわからないけど、秩序というものを重んじている作品を作っていけば、未来の秩序には届くのかな、と。なので、『アダンの風』はひとつの中継地点であって、また次の作品に繋がるものだと思っているので、またこのチームで作れたらいいなと思っているし、まだ見ぬ秩序を皆で模索している段階だなと思っています。

青葉:昨日、梅先生と電話でこの話をしていたんですけど、『アダンの風』は一発作って終わることではなくて、私たちの最初の扉を作っただけだから、まだこれからなんだと思います。

――今の話の中で出てきた「300年後」という言葉はとても印象的でした。言語も文化も変わってしまった300年後の未来を生きる誰かがこの作品を受け取るかもしれないということは、視点を反転させると、300年前の誰かの信号を今のわたしたちが受け取るということでもありますね。

青葉:最後の「Dawn in the Adan」の詩で書いていることは、まさにそういうことなんです。彼岸の向こうにいるおばあちゃん、ひいおばあちゃん、もっともっと前の人たちがたしかにいたから、私は今ここでこうやって話をしているわけで、そのことにとても感動しているし、びっくりしていて。そのことに永遠に驚いているし、さっきしゃべってから時間が経っているのに、まだ生きていることにもびっくりしていて。だから、「300年後」と言ったのはその逆で、私が生まれるもっともっと前のことを――ずっと遡って、最初のプランクトンが生まれた瞬間のことを――思っていたから、300年後のことを考えているのかもしれないです。

 これは個人的な思い出ですけど、2015年に『cocoon』でえっちゃんの役をやったときに、1秒先でぷつっ、ぷつっと弾の音がして、次の一弾で自分が死んでしまうかもしれなくて。私は実際にその砂浜にいたのか、いなかったのかはわからないけれど、でもたしかに経験したと言い切れる。それを経て、今こうして音楽にして生きているわけだから、やっぱりびっくりしていることがとまらないんです。最初に生まれたプランクトンが、生まれたことに驚いて、嬉しくて、でも自分は個だからひとりだということを知っていて、相手を見つけるために光って求愛する――そういうプランクトンの最初の動機みたいなものをずっと体の中に蓄えて、私もまわっていきたいと思っています。私という体が終わったあとも、そうありたいという願いはありますね。

小林:そういう驚きみたいな光を、いかに損なわずに届けるかっていうことが、300年っていう遠さの表現なのかなと思うんです。驚いた瞬間の光や、「自分はここにいるよ」という光は、その光量がたとえ弱いものだったとしても、それをそのままあらわすことができれば、時間をかけてでも光速でゆっくり届くことができると思っていて。

青葉:星の光も、ずっと前の光だもんね。

小林:その光を損なわずに、どうやって届けるか。それを皆で考えて、遊びながら作った作品じゃないかなと思います。

青葉市子
音楽家。1990年1月28日生まれ。2010年にファーストアルバム『剃刀乙女』を発表以降、これまでに6枚のソロアルバムをリリース。うたとクラシックギターをたずさえ、日本各地、世界各国で音楽を奏でる。弾き語りの傍ら、ナレーションやCM、舞台音楽の制作、芸術祭での作品発表など、さまざまなフィールドで創作を行う。活動10周年を迎えた2020年、自主レーベル「hermine」(エルミン)を設立。体温の宿った幻想世界を描き続けている
http://www.ichikoaoba.com
Twitter:@ichikoaoba

梅林太郎
作曲家、編曲家。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。2012 Rallye Labelよりアーティスト[milk]として1stアルバム「greeting for the sleeping seeds」をリリース。プロデュースワーク、楽曲提供、映画音楽、アニメ音楽、CM音楽と幅広いジャンルで活動している。現在2ndアルバムを鋭意製作中。
http://piano.tt/umebayashi

小林光大
新潟県生まれ。写真家。今作『アダンの風』のアートディレクションのほかにも、公開中のMV「Porcelain」の監督を担当している。

Photography Kodai Kobayashi

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