MOVIE Archives - TOKION https://tokion.jp/category/genre/movie/ Wed, 28 Feb 2024 08:59:50 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png MOVIE Archives - TOKION https://tokion.jp/category/genre/movie/ 32 32 映画『すべての夜を思いだす』で清原惟監督が描く「不在の存在」——「失われてしまったと思うものも存在している」 https://tokion.jp/2024/02/28/interview-yui-kiyohara/ Wed, 28 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225438 映画『すべての夜を思いだす』の清原惟監督へのインタビュー。本作で描きたかったことについて話を聞いた。

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清原惟
1992年生まれ。映画監督、映像作家。武蔵野美術大学映像学科卒業、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域修了。修了制作『わたしたちの家』がベルリン国際映画祭に正式出品、上海国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞。『すべての夜を思いだす』もベルリン国際映画祭に正式出品され、ほか世界各国の国際映画祭に招待される。昨年秋には北米で劇場公開された。最新作として、愛知芸術文化センターオリジナル映像作品『A Window of Memories』がある。ほかにも土地や人々の記憶についてリサーチを元にした映像作品の制作をしている。
X:@kiyoshikoyui
Instagram:@kiyoharayui

父親を失った少女と記憶を失った女性、2人の物語が一軒の家の中で交錯するデビュー長編作品『わたしたちの家』でPFFアワード2017グランプリ、第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたことで話題の映画監督、清原惟。5年ぶりの最新長編作品『すべての夜を思いだす』は、東京の郊外・多摩ニュータウンを舞台に、世代の異なる3人の女性の記憶や変化が小さく呼応する、ある一日の物語。本作も第73回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、世界各国の映画祭に出品された。

彼女の作品は、構造が美しい。独立しつつもお互いが影響し合うような関係で人々が存在し、映像、音など映画を構成するものが優しく、時に不穏に響き合う。また、舞台となる場所も、現存するのにそうは見えない摩訶不思議さがあり、想像を掻き立ててくれる。前作とはまた異なる世界観をつくりあげた清原監督に、幼少期の記憶をたどりながら多摩ニュータウンや本作で描きたかったことについて話を聞いた。

幼少期に過ごした「多摩ニュータウン」の記憶

——前作『わたしたちの家』は家が舞台だったこともあり、内向きな印象がありましたが、本作『すべての夜を思いだす』は他者や社会など外の存在と私が交錯し、前作とはまた違う温かさや余白を感じました。それは、撮影監督・飯岡幸子さんのカメラワークによるところもあると思うのですが、例えば冒頭、カメラが人を追いかけるのではなく左右に振れて、人々の表情を映すようにやり取りをとらえる。そこで画面の外で思わぬことが起きていると気がつき、ハッとさせられました。左端にいらした変なおじさんの映り込み、大好きでした。

清原惟(以下、清原):あのおじさん、よかったですよね。

——撮影を気にせず、ラジオ体操のような、不思議なポーズを取られていましたよね。

清原:あの方はキャストではなく、たまたまそこに居た人で、最初は普通に座っていただけだったんですけど、何度か撮影を重ねていたら、いつの間にかあのポーズになっていました(笑)。

——映画だとスクリーンに映ったことがすべてだと思いがちですが、私達の世界にもスクリーンの外にもいくつもの世界が広がっていて、人間が生きていて、そういう広い視点になれる素晴らしい冒頭でした。

清原:ありがとうございます、嬉しいです。

——「多摩ニュータウン」を舞台に選ばれた理由は?

清原:私が幼稚園くらいのころまで住んでいた街で、いつか映画に撮りたいと思っていました。コロナ禍で、私自身も家の周りをよく散歩していたのですが、そこで外に出たい気持ちが大きくなったのかもしれません。ある時、ふと思い出したように多摩ニュータウンを久しぶりに訪れてみたら、当時の記憶がぶわっと蘇ってきて。長い距離を歩きながら、この街全体を1つの空間のように撮りたいと思ったんです。

——どんな思い出がある街ですか?

清原:公園がたくさんある場所なんですね。団地と団地の間に必ず公園があって、名前の付いていない小さな公園も無数にありました。小さな頃は、いろんな公園を巡って遊んでいたことを懐かしく思い出しました。毎日冒険みたいで楽しかったけれど、一方でなんとなく“寂しかったこと”も覚えていて。ネガティブだけではない感情なのですが、公園の風景と寂しかった記憶は多摩ニュータウンの原風景としてあります。

——寂しさを感じたのは、どうしてでしょうか。

清原:はっきり覚えていないのですが、とてつもなく広い面積に対して人が少ない印象がありました。友達もいたけれど家族以外と頻繁な交流があったわけではなく、その日公園で会った友人と遊ぶ。年代によってはコミュニティが強固だったようですが、次第に解けていって、私自身は決まったところに属せていない感覚がありました。それが、寂しさに結びついたのかもしれません。

「死」が意図的に排除されたような街であえてそれを撮ろうと思った

——公式インタビューにある「多摩ニュータウンは基本的に生活に必要な機能がほぼすべて揃った形で開発されているのですが、実は火葬場やセレモニーホールのような『死』をあつかう場所は都市計画に含まれていない」というコメントが非常に印象的でした。それは、歩きながら気づかれたのですか。

清原:知らないところはないくらい多摩ニュータウンをたくさん歩いたのですが、その時に計画的に開発された区画とそうではない区画にはっきり違いがあることを知りました。本来なら、街と街は地続きに溶け合っているのに、ニュータウンは他と景色が全く違う。明確に境界線が引かれているんです。区画外に出ると急に神社が現れて、その階段をくだるとセレモニーホールが見えたりして「死」が都市計画から排除されていると感じました。そうした場所で、あえて死にまつわることを撮ろうと思ったんです。

——映画の中にも区画外の場所は登場しますか?

清原:多摩ニュータウンは多摩ニュータウン通りと南多摩尾根幹線道路という2つの大きな道に囲われるように建設されています。なので、街を出る時は必ず大きな道路を通らなきゃいけない。夏(見上愛)は隣町の写真屋を訪れるために、南多摩尾根幹線道路を走っていきます。

——登場する女性3人は、それぞれに「死」や「喪失」といった影を落としていますが、対称的なシーンとして「踊る」シーンが素晴らしかったのですが、なぜ入れたのでしょうか。

清原:まさに、踊りは生きていることを実感できる行為の1つだと思っています。「死」に対抗する手段としての踊りというものを、考えたりすることがあります。人工的なあの街で、人間が生きることの生々しさみたいなものを映したいと思った時に、「踊る」行為そのものを映したいと思いました。

——踊りのジャンルもユニークでしたよね。コンテンポラリーダンスのような。

清原:夏が踊っていたのは、ヒップホップをベースにした踊りです。ヒップホップを取り入れたのは、ストリートで始まり人々を魅了してきた踊りだからです。たった1人でも、道で踊ることで誰かの心を動かすことがあるかもしれないし、踊っている人がこの街にいることで風景が明らかに変わって見えるということもあるのではないかと思いました。

音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないように

——早苗(大場みなみ)が遭遇する記憶がおぼつかないおじいさんの足取りが、なんとなく死に向かって歩いていくような寂しさを漂わせていたのですが、そうした時に差し込まれる踊りのエネルギー、同時に音楽にも気持ちが高ぶりました。全編を通して音楽も素晴らしかったです。

清原:ありがとうございます。音楽はジョンのサンとASUNAさんにお願いしていて、私も好きなダンスシーンの音楽はESVさんが作ってくださった曲なんです。

——音楽に関してはどのようなやり取りがあったのでしょうか?

清原:基本的には音楽家の方々に脚本を読んだ上で任せるかたちでつくっていただきました。私が伝えていたのは、音楽が映画の感情みたいなものを増大させる装置にならないでほしい、ということ。

冒頭で登場するジョンのサンが劇伴をつくってくれたのですが、彼等がつくる音楽も1つの登場人物として映したかったので、映画に登場してもらいました。彼等の音楽が、今も街の何処かで鳴り響いているようなイメージで映画が進むといいなと思い、そうしたイメージも伝えました。

——街自体も人が住んでいるとは思えないような静けさがありましたよね。

清原:車が走る道と人が歩く道が分離されているエリアなので、都会ほど人間の生活音が聞こえてこない場所かもしれません。車の音が聞こえない代わりに、虫や風といった自然の音がよく聞こえる場所です。

——そういった静かな音にも集中できるくらい、あまり台詞の多い映画ではなかったと思うのですが「わかりやすさ」みたいなことは、どのくらい意識されて撮っていましたか?

清原:基本的には、一生懸命伝えようとしています。自分の中ではこれくらいなら伝わる、と思って作っているのですが、どうでしょう(笑)。その塩梅は難しいですよね。ただ、伝わらなくてもいいや、とは一切思っていないです。

前作『わたしたちの家』が、意図的だったわけではないのですが結果的にたくさんの謎を生み出してしまいました。それは「わかりやすさ」とは違うベクトルかもしれないのですが……謎があると人は答えを欲するんだと気がついて、その答え合わせのようなことは私自身興味を持てないんです。なので、今作は答えを求められるような謎みたいなものはつくらないように、とは心がけていました。

——伏線回収という言葉があるように、謎を見つけて意味を見出すことを求める流れがありますよね。もちろん、そうした物語のおもしろさもわかりますが、想像する楽しさや豊かさを映画に求めたいという思いもあります。

清原:説明台詞によって額面通りに受け取られてしまうと、それ以外の可能性がすべて消えてしまうような気がしていて、これくらいの台詞になっているのかもしれません。いろんな可能性を秘めながら映画を観たい、という個人的な考えもあると思います。

不在の存在を確かめるように描く

——映画を拝見して、物語において「不在」を意識的に撮られたのではないかと想像しました。ハローワークでぶち当たるアイデンティティの不在、親しい人の不在、ままならない態度の彼を横に見る幼少期のビデオから誰かに愛されていた事実の不在、のようなことを想像したのですがいかが思われますか。

清原:なるほど、そういう視点は新鮮です。私は、どちらかといえば「既に失われてしまったと思うものも存在している」という感覚でこの作品をつくったと思います。不在とも捉えられるのだけれど、見方によっては失われていない。例えばおじいさんがかつて住んでいた家は空き家で、そこにあった思い出も何もかも消えてしまったかのように感じるけれど「記憶」として残り続けていると思うんです。つまり、「不在の存在」のようなことを意識して撮っていました。ビデオテープも、忘れていた過去の記憶が存在しているというイメージでしたが、おっしゃっていただいたような捉え方もあるなと思いました。

——見方によって、全然違うものですね。

清原:私も普段は失ってしまったことに気がついて、落ち込んでしまうことはよくあります。そういう感覚は当然持っているけれど、この映画をつくる時は「失っていないと思いたい」という感覚でした。

——「失っていないと思いたい」と思うようなできごとがあったのでしょうか?

清原:たびたびそう思うのですが、今思い出したのは、私の家の近くに友達が住んでいたことがあって、すごく近かったのでしょっちゅう会っていたんですね。帰り際にちょっとだけ話したり、物を受け渡したり、まるで自分の家の離れのようなふしぎな距離感だったのですが、友達が引っ越してしまって。駅までの道に友達の家があり、がらんどうになった家の前を通るたびに「友達はもういない」と不在を確認していました。それが、最初は寂して、楽しかった思い出がすべてなくなってしまったような感じがしました。

でもあるとき、ふと、友達の家で遊んだ日のことや会話が蘇ってきて「あの時間はなくなったわけじゃなくて、今もここにある」と思えたんですね。家の中に時間が残っているような感覚を覚えて。

——時間が経つと、物事が多面的に見える瞬間がおとずれますよね。

清原:私は時間が決して直線ではないと思っていて、直線だと失うという感覚を持つけれど、時間は複数に点在しているかもしれない。年齢や時計に合わせて、ふだんは自分自身も一直線に進んでいるけれど、ときどき時間の複数性を感じて、見え方がガラリと変わります。

——その感覚はこの映画とつながりますね。3人それぞれの時間が過去・現在・未来と一直線ではなくて複数に点在していて、それぞれの時間や記憶を行ったり来たりしていたのかもしれないと思いました。撮影をしながら、幼い頃に抱いていた街に対する印象は変わっていきましたか?

清原:だいぶ変わったと思います。幼い頃の記憶なので、多摩ニュータウンは思い出の中の一部であり、外部の人間の視点しか持っていませんでした。映画を撮るにあたって、昔から住んでいる方々にインタビューをして、私が知らなかったかつての街の景色を教えていただいたんですね。そうした目線で街を歩き直すと、見え方や印象はずいぶんと変わりました。

——印象的なエピソードはありましたか?

清原:コミュニティが非常に強固だった、というお話ですね。特に1970、80年代は似たような家庭環境の方々が住んでいて、お母さん達は都心に通勤する旦那さんを見送ったあと、近所の子ども達と公園で遊ばせながら母同士でおしゃべりをして、何かあった時に助け合っていたそうです。共同保育のような、みんなで子どもを育てる意識があったと聞きました。

あとは、地域の課題を解決するために女性達で集まって話し合っていたと聞きました。例えば、当時はごみの分別ルールがなく、社会全体でリサイクルが課題になっていたそうです。そうした社会の動きを自分ごとにとらえて、リサイクルのルールを女性達で定めて街に働きかけたそう。街に対して具体的にコミットして、地域を変えていった歴史にはおどろきました。

——登場する3人が決して絶望的ではなく迷いながらも生きていく光のようなものを纏っていて、それは女性達が強く生きた土壌のある“ここ”だから交錯するのだと、今の話を聞いて思いました。

清原:かつての女性達のように、声を上げて具体的なアクションを起こすことも大事ですが、今の時代はそこまでできないこともあるかもしれない。それでも、踊ったり、自分なりにできることが誰かを動かしている可能性もあるのかなと思います。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

■『すべての夜を思いだす』

■『すべての夜を思いだす』
第26回PFFスカラシップ作品
3月2日からユーロスペースほか全国順次公開 
出演:兵藤公美、大場みなみ、見上愛、内田紅甘、遊屋慎太郎、 奥野匡、能島瑞穂、川隅奈保子、中澤敦子、佐藤駿、滝口悠生、高山玲子、橋本和加子、山田海人、小池波
脚本・監督:清原惟
製作:矢内 廣、堀 義貴、佐藤直樹 
プロデューサー:天野真弓 
ラインプロデューサー:仙田麻子 
撮影:飯岡幸子
照明:秋山恵二郎
音響:黄 永昌
美術:井上心平
編集:山崎梓 
音楽:ジョンのサン&ASUNA 
ダンス音楽:mado&supertotes, ESV 
振付:坂藤加菜
写真:黑田菜月 
メインタイトルロゴデザイン:石塚俊
制作担当:田中佐知彦 半田雅也 
衣裳:田口慧
ヘアメイク:大宅理絵 
助監督:登り山智志
製作:PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF 
制作プロダクション:エリセカンパニー
配給:一般社団法人 PFF 
©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』

■『清原惟監督作品「すべての夜を思いだす」オリジナル・サウンドトラック』
アーティスト:ジョンのサン、ASUNA、mado & supertotoes、ESV 
企画番号:WEATHER 85 / HEADZ 262
価格(CD):¥2,530
発売日:2024年3月8日 ※3月2日からユーロスペースにて先行発売予定
フォーマット:CD / Digital
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html

■映画『すべての夜を思いだす』公開記念コンサート
日程:2024年3月17日
出演:ジョンのサン & ASUNA、ESV
会場:パルテノン多摩オープンスタジオ
https://www.parthenon.or.jp/access/
時間:開場 13:00 / 開演 13:30
料金:予約 ¥2,500 / 当日 ¥2,800
http://faderbyheadz.com/release/headz262.html
https://twitter.com/HEADZ_INFO/status/1760575623926607965

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マヒトゥ・ザ・ピーポー × 富田健太郎 映画『i ai』が記録する「生きた時間の痕跡」 「自分が死んだらお墓ではなく、作ってきたものに祈ってほしい」 https://tokion.jp/2024/02/27/mahito-the-people-x-kentaro-tomita/ Tue, 27 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225316 マヒトゥ・ザ・ピーポーの初監督作『i ai』を通してマヒトと主演の富田健太郎が何を感じたのか。

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『i ai』の主演の富田健太郎(左)と監督のマヒトゥ・ザ・ピーポー(右)

マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲を行いボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである全感覚祭を主催。2019年には初小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画『Tribe Called Discord』が全国上映開始。2020年1月5th アルバム『 狂KLUE』をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ『ひかりぼっち』(イーストプレス)が発売。2023年2月にはGEZAN With Million WishCollective名義でアルバム『あのち」』をリリース。今作では初監督、脚本、音楽を担当。
X:@1__gezan__3
Instagram:@mahitothepeople_gezan

富田健太郎
1995年8月2日生まれ。東京都出身。主な出演作に、『サバイバルファミリー』(2017年/矢口史靖監督)、『モダンかアナーキー』(2023年/杉本大地監督)、ドラマ『来世ではちゃんとします』(2020年/テレビ東京)、ドラマ『前科者 -新米保護司・阿川佳代-』(2021年/WOWOW)、ドラマ『初恋、ざらり』(2023年/テレビ東京)、舞台『ボーイズ・イン・ザ・バンド ~真夜中のパー ティー~』(2020年)、舞台『雷に7回撃たれても』(2023年) などがある。本作オーディションで応募総数3,500人の中から主演に抜擢され、話題を集める。
X:@tomitatomita82
Instagram:@kentaro_tomita_

バンドGEZAN のフロントマンで、執筆や全感覚祭の主催など、独自の活動を続けるマヒトゥ・ザ・ピーポーが初監督を務めた映画『i ai(アイアイ)』が3月8日から公開される。

本作はマヒト監督の実体験をもとに、主人公のバンドマン・コウと、コウが憧れるヒー兄、そして仲間達が音楽と共に過ごした日々、出会いと別れなど、彼らの切実な時間が綴られていく。主人公コウ役には、“全感覚オーディション”と 銘打たれたオーディションで約 3,500 人の中から選ばれた富田健太郎を抜擢した。そして主人公の人生に影響を与え、カリスマ的な存在感を放つヒー兄役には森山未來を起用。そのほか、さとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子、吹越満らが出演する。

マヒトと富田、2人は『i ai』を通して、何を感じ、何を伝えようとしているのか。公開を前に今の想いを語ってもらった。

※本作にはストーリーに関する記述が含まれます。

初の映画監督について

——『i ai』はファンタジー要素も交えた独創的な青春映画でとても初監督作品と思えない作品でしたが、どのような経緯でプロデューサーの平体さんと出会い、本作を制作するに至ったんでしょうか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):パンデミックで、いろんなやりとりがリモートでしかできない期間が結構あったじゃないですか。もちろん情報交換はできるんだけど、自分が音楽やライブで大事にしていた「体温のやりとり」の感覚がどんどんわからなくなっていて。かつその頃ってライブハウスやクラブが槍玉に挙げられたりして、自分が大切にしていた景色が歴史になっていく瞬間をリアルタイムで眺めているような気持ちがあったんですよね。

そんなことが重なって「記録すること」について自覚的になっていって脚本を書いたんです。この本が映画になる価値があるのかどうかを公平に試したかったので、知人のプロデューサーとかではなく偶然行きつけのカレー屋の常連だった面識のない平体さんに渡してみたってのが監督をするに至った流れですね。映画にする価値がないのに参加してもらっても意味がないので、瑛太君も未來さんも面識のない状態で純粋に脚本を読んでもらった上で出演の判断をしてもらいました。

 ——映画を撮ることと音楽を作ることは同じ創造といえど、使う筋肉が大きく違ったかと思いますが、初の映画監督の仕事はいかがでしたか?

マヒト:感覚としては自分が主催している「全感覚祭」っていう祭りと似ていましたね。いろんな関係性や委ねたものが立体的になっていく構造といいますか。監督は関わってくれる大勢の才能や輝く瞬間を引き出して、それを記録していくわけじゃないですか。自分の作品ではあるんだけど、自分だけの作品ではない立体感を待つ表現媒体で。

最近ラッパーのCampanellaと喋ってて、映画のことを訊かれた時に「良い映画だよ」って答えたら「自分の作品を褒めるの珍しいね」って言われたんです。確かにこれまでアルバムだったら「頑張って作ったよ」って答えてたんですけど、今回は素直に褒めることができたんですよね。それは内容の良し悪しの問題ではなく、半分は自分だけのものじゃない現象の記録だからだと思っています。それって「全感覚祭」もそうなんですけど、だって自分のパフォーマンスはどうあれ「全感覚祭」は素直に褒められるので。そこは性質が似てるんだろうなって、Campanellaに気付かされました。

——今回は森山さんや瑛太さんをはじめとする素晴らしいキャストを揃えつつ、主演の富田さんはオーディションで抜擢されましたよね。

マヒト:俺は勝負所の一番大事なものは結構外に委ねるようにしています。だからGEZANのメンバーが抜けた時とかも全部オーディションでやっているのもあって、この映画の主演もオーディションで決めようと。オーディションでは映画の最後の台詞を読んでもらったんです。この映画は詩を獲得していくグラデーションの話だと思っていたから、主演もまだ羽の生えてない役者が羽を手にしていくって過程を大事にしたくて。得た知識とか経験はもう消せないし、未來さんも瑛太君も、俺だって余白しかなかった最初の頃には戻れない。そんな中オーディションで富田を見た時に、上手い下手を超えて、羽を手にして外に飛び出していくヤツだと直感したのでコウを託すことにしたんです。

 ——富田さんは何がきっかけでオーディションに応募したんですか?

 富田健太郎(以下、富田):マヒトさんのインスタをフォローしていて、オーディション情報を知ったんです。その時の俺は金もないし、未来も見えないし、俳優としてすごく迷ってたんですよね。そんな時にマヒトさんが書いた映画のステートメントを読んで、その優しさとか切実さにすごく胸を打たれて「俺この人と出会いたい」って思ったのがきっかけですね。

——主演以外はどのように選んだんでしょうか?

マヒト:他のキャスティングは自分が求めてオファーしたんです。ヒー兄に関しては未來さんしか想像できなかったんですよね。未來さんと瑛太君が共演するのはドラマの『WATER BOYS』(2003)以来なんですけど「俺はもっと映画の中で未來と殴り合いたいんだ」って脚本を読んだ瑛太君に言われて。この映画は現実とファンタジーの境界が曖昧な作りになっているから、できるだけ制作の上でもそれが溶け出すような環境を作りたいと思っていたんですよね。だから瑛太君のその提案はすごく面白くて、久我って役がさらに膨らんでいきました。

ただ自分のイメージしてることを再現してもらうより、その人自身が自発的に選んだ行動や言葉の方が絶対に強いので。すべて自分のイメージ通りに撮る監督もいると思うんだけど、俺は自分の投げた詩がどういう風にその人の体を通って発せられるかを撮りたかったんです。意識したわけではないけど、後々考えるとそれがテーマだったんだなと思いますね。

主人公・コウを演じて

——久我のキャラクターはユニークですよね。マヒトさんと富田さんは演技の面でどのような話をされたんでしょうか?

マヒト:そもそも映画経験のない俺が演技のメソッドに基づいた指導ができるはずもないことは撮る前から意識してました。ただどう読めば上手く見えるかは捨て、 どうすれば台詞ではない真の言葉として向き合えるのか、富田自身の生き様とリンクしていく話だと思うから、その辺りの精神面の話は結構したよね。

富田:シーンごとにマヒトさんはその時々の心情や精神について教えてくれて、感覚的には理解できるんだけど、その場ですぐ咀嚼できない自分にいつも悔しさを覚えていました。ホテルに戻っても頭の中でずっとそのことについて考える日々で。それでもなかなかわからないけど、マヒトさんの言葉は1つ1つ魂に訴えかけてきましたね。楽しいシーンで僕自身も楽しんじゃってたんですけど、その夜マヒトさんは「心で泣いてくれ」って言葉を掛けてくれたりとか。

マヒト:そんなことを言った記憶はないから、多分酔っ払ってたよね(笑)。

富田:カメラマンの佐内(正史)さんにもいろいろと言われて、どうしたらいいんだろうって。きっと台詞を覚えて演じるってことだけではなく、生き様を映してもらうという自分の意識が浅かったんでしょうね。それでも周りが助けてくれるって甘い考えが佐内さんに見破られたんじゃないかな……。

マヒト:「一番具体性のある言葉が詩なんだ」って最近知った言語学者の言葉があるんですよ。詩って抽象的なものとして皆認識してるじゃないですか。でも例えば「これとあれは赤色です」って限定的に断定することは、異なるものをひとまとめにする暴力性を持つわけですよね。本当は微妙に違っていても、断定して呼ぶとそれでしかなくなっちゃって、それ以外の余白がなくなる。詩はそんな余白も含むから、俺も何かを伝えたい時は一番詩が具体性を帯びると思ってて。だから俺や佐内さんは、伝える時は細かくどうこうじゃなく、詩としか言いようのない言い方を選ぶんです。その余白部分は、その人自身が解釈するしかない。だから詩が読めない人は大変だったと思います。

富田:人生で一番自分と対話した期間でしたね。撮影が終わったら区切りがついて自分の生活に戻ると思ってたんですけど、あまりにもらったものが大きすぎて終わってからのほうがいろんな気持ちが膨らんでいきましたね。

マヒト:クランクアップした時の佐内さんはすごかったね。 全部撮影が終了して「お疲れ!」って喜んでたら、「どうせお前らはこれで忘れるだろうけど、ここで忘れるやつはダメだ !」って皆を刺して(笑)。1つの愛の手渡し方でその通りなんだけど。

富田:撮影の日々にはすごく感謝してるし、今でも宝物だし、 青春だなって本当に思えるような時間でしたけど、終わっても迂闊に喜べなかったです。

マヒト:喜んでいいんだけどね。俺は喜んでたし。この映画は最終的に現実に溶け出してきますけど、今生きてるのだってほとんどファンタジーみたいな変な世界じゃないですか。各地で戦争や災害が起きて、政治も滅茶苦茶で。もしかしたら映画の中で生きてた時間のほうが健全な時間かもしれない。 映画って2時間の逃避とも言える場所なんだけど、それが終わったらまた現実の中で暮らしが始まる。そんな映画と現実の曖昧なグラデーションを俺も感じてたので、佐内さんが撮影終了して終わりじゃないって皆を刺してたのは流石だなって思いましたね。佐内さんは脚本を読んでこないと撮影前は言ってて、プロデューサーを凍りつかせてたけど、それでいて本質を誰より掴んでるから当て勘がすごくて。面白い人です。

ヒイ兄のキャラクターは生産性へのカウンター

——映画と現実が溶け出す最後の独白部分は印象的でしたね。

マヒト:あの独白の中で「言葉になんかできないけど、言葉にしなくちゃ」って言ってますけど、 大体難しい議題にぶつかった時って、「わからない」ってことを答えにするじゃないですか。それってすごく楽で安全な方法で。結論を出す時に「わからない」や「迷い続ける」ことで批評されることを避けて曖昧にすることもできるんですけど、俺はその答えにもう飽きたんですよね。何かを言い切ることは、時に誰かを傷つける可能性も孕んでるけど、その覚悟は発する側として持たないといけない。未だに自分にとっても死やお別れって何なのかって簡単には言い切れないんですけど、言い切ることと大切にすることは同時にできると思っているので、必ず向き合って言葉にしないとって思ったんです。あの独白にはそういった意思表示も含まれているのかもしれないな。

——この映画は順撮りですか?

マヒト:順撮りです。

——では独白は最後に撮ったんですね。他の部分と表現の異なる、すごみのある演技で驚きました。

富田:オーディションでその部分を読んだことがスタートっていうのもあって、独白は最初から頭にありましたね。映画が始まってからその独白に辿り着くまでの、コウのストーリーが何なのかを撮影中ずっと考えてて。それが成り立たないと、独白もただの意味のない言葉になるじゃないですか。あの言葉を言っていたのがもう富田健太郎なのかコウなのかわからないんですけど、濃厚な日々の集大成としての台詞だったから、それまで皆で過ごした時間とか明石の匂いとかすごくいろんなものを込めて言い切りたくて。合ってるかはわからないけれど、今の俺が自分を生かすためにもこの言葉を言いたいって思いで演じましたね。

——本作はマヒトさんの実体験をベースに脚本を書かれたと伺いましたが、物語のキーになるヒー兄のキャラクターはどのように固めていったんでしょうか?

マヒト:ヒー兄のモデルとなったやっちゃん兄ちゃんは劇中と同じように亡くなってしまったんですが、そばにいないはずのやっちゃん兄ちゃんが結果的に自分達に映画を撮らせて、こんなにたくさんの人を巻き込んでいったわけですよね。最初に動かしたのは俺だけだったかもしれないけど、それって何万枚セールスとか何万人動員って数字にも負けてないと思うんです。数字は横の広がりばかりが評価されるけど、本当は縦の深度もありますよね。たった1人でも深みがえぐかったら、 薄く伸ばされた1万より価値があるかもしれないし。

そんな生産性へのカウンターみたいな気持ちもヒー兄のキャラクターのベースにはあって。音楽でも映画でも、表現をやってる人なら、そういう人ってきっといると思うんです。未來さんの中にもヒー兄に当たるような人物がいたって話も聞いてましたし。未來さんのその人物像と、俺のイメージが掛け合わされたものが映画の中のヒー兄になってるんだと思いますね。

——富田さんはそんな森山さんとご一緒していかがでしたか?

富田:単純に役者としての力も、その場にいる存在感も、伝える力もすべてがすごくて。その強い輝きを近くで見られたことは間違いなく自分の中でとても大きかったし、それは撮影の日々が終わった今も残ってるんですよ。ああいう背中を見れる経験ってなかなかないと思うので本当に感謝してますね。撮影時には咀嚼できなかった部分が私生活の中でふと「あれってこういうことなのか」ってわかることがあるんですけど、その度に背中がまたでかくなるんですよ。あの人達の言葉にはそういう思いも含まれていたんだって。だからどんどん感謝の念が深くなります。

マヒト:未來さんは空間掌握能力が異常だよね。ルーツがあるからだろうけど、自分がどう動くと空間がどう作用するかということに自覚的で。未來さんが出演した過去の作品を観ると、本人自身の芝居はもちろんですが、実はどれも未來さんの作品全体に向けた身体的なプロデュースが入ってて、それ故に作品の質が上がっていくことを現場を終えた自分は思っていました。

映画館とライブハウス、2つの聖域

——本作ではある種の聖域として映画館やライブハウスが登場しますが、この2つはマヒトさんにとってどういう意味を持つ場所なんでしょうか。

マヒト:映画館って関係ない人と一緒の時間を共有しながら、画面とだけ向き合うっていう他にない空間だと思うんですよね。暗闇の中に飲まれて、同じ方向を向いて、同じ映画を共有しているのにそれぞれは必ず「個」である場所って他に思いつかないじゃないですか。それが聖域っぽいなって。ライブハウスは逆だと思うんです。ノリとかの一体感だけじゃなくて、体の70パーセントを占める水分を汗や飛沫として出して、ものすごい大きな水や振動を共有してるというか。それは言葉とか音色以上に、交換している情報が大きいと思っています。パンデミック中にライブ配信とかたくさんあったけど、 観ているのは家だから全然ライブだと思えなかったのはそれが起因している。データ情報は飛んでくるんだけど、振動は共有できないじゃないですか。それはライブって場が奪われたような時期だからこそ思ったことなんですけど。だからライブハウスもまた違った角度を持つ聖域ですよね。

その2つは自分にとっては教会やお寺より祈りの場所だと思うんです。人生が詰まったものが残っている場所ってお墓よりも「お墓的」だなと思うし。だから俺は自分が死んでいなくなっても、お墓じゃなく『i ai』や俺が作ってきたものに祈ってほしい。骨なんかはそこら辺の砂と自分にとっては変わらないから。だったら自分が今放出している、生きた時間の痕跡が残ってるものに気持ちを向けてほしいですね。そこに自分はいるので。

——GEZANのカラーといえば赤色ですが、本作でも火や血、風船や服など至る所に赤が配色されていましたよね。同じく青色も印象的に使われていましたが、それらの色に込めた意味はあるのでしょうか。

マヒト:もともと赤が好きなんですよね。赤って命の色じゃないですか。肌の色はどうであれ、全員赤い血が流れてて。そういう意味で根源的にピュアな色だと思うから今も魅了され続けてるんです。監督だから映画の衣装を決める権限もあって、やっぱり自然と赤に手が伸びちゃうんですよ。「だって好きなんだもん」って(笑)。作品に赤が溢れるのはそんな直感的な理由でずっと向き合ってきた命のイメージを込めていますね。一方で映画の中で青色は死のメタファーとして機能しています。放った風船が、青空に吸い込まれてるとか。実は青もすごく好きな色なんですよね。

——本作には痛みや喜びや怒りなど多くの感情が込められていますが、観た人に何を感じてもらいたいですか?

マヒト:試写を観終わった人を見てると、喰らいつつも言葉にできないって人が多いんです。一方映画のテーマは「言葉にできないけど言葉にしなくちゃ」って部分で、そこにハレーションがあるんですよね。面白い現象だなと思いながら反応を見てるんですけど、誰かに手渡された言葉ではなく、稚拙でもその人の血の通った言葉で語ることが大事だと思ってるんですよね。いわゆる青春映画にしては詩が多いし、アート映画と呼ぶには青すぎる作品じゃないですか。曖昧なグラデーションに揺れてると思うけど、混乱した世界を生きる中で切実に作品を作るってことは、同じように映画も混乱しないとチューニングが合わないし。その波形はすごく気に入ってるんです。だから観た人にはこの物語を手渡されて自分ごととして悩んでほしいですよね。簡単に答えを出せることじゃないと思うし、それはそのまま生と向き合うことでもある。それがフィードバックして返ってくる中で『i ai』は成長していくし、俺はその1つの生命体が旅する過程で見せた波紋を見て、見えなくなった友達と酒を飲みたい。

——ちなみに次回作の予定はあるんですか?

マヒト:脚本のイメージはすでにありますね。そのうち書こうかなと。

——本当ですか!次も楽しみにしています。

Photography Mayumi Hosokura
Stylist Masakazu Amino
Hair & Makeup Yurino Hamano

『i ai』(アイアイ)』3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開

■『i ai』(アイアイ)
3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
出演:富田健太郎
さとうほなみ 堀家一希
イワナミユウキ KIEN K-BOMB コムアイ 知久寿焼 大宮イチ
吹越 満 /永山瑛太 / 小泉今日子
森山未來
監督・脚本・音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
撮影:佐内正史  
劇中画:新井英樹
主題歌::GEZAN with Million Wish Collective「Third Summer of Love」(十三月)
プロデューサー:平体雄二 宮田幸太郎 瀬島 翔
製作プロダクション:スタジオブルー  
配給:パルコ
©STUDIO BLUE
(2022年/日本/118分/カラー/DCP/5.1ch)
https://i-ai.jp
X:@iai_2024

GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』

■GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』
アーティスト : GEZAN
レーベル : 十三月
発売日 : 2024年3月8日
フォーマット : CD/DIGITAL
CD価格 : ¥3,000
収録曲
Tr.01  Signs of summer
Tr.02  Toward a suspicious cloud
Tr.03  SOFT TWIST
Tr.04  Prayground
Tr.05  ROOM BLOOM
Tr.06  相逢 LIVE (AIAI LIVE) feat.森山未來
Tr.07  M A D O R O M I
Tr.08  M I N N A  S O K O N I  I T A
Tr.09  炸裂音(EXPLOSION SOUND)
Tr.10  THIS POP SHIT
Tr.11  AUGHOST feat.小泉今日子
Tr.12  TEN FINGER DISCOUNT
Tr.13  FLUXUS
Tr.14  P(i)ano
Tr.15  S U B A R A S I I  S E K A I
Tr.16  Pi(A)no or yes?
Tr.17  Tromborn
Tr.18  Howl
Tr.19  i ai
BONUS TRACK – CD ONLY
Tr.20  AUGHOST (ACOUSTIC VER)
https://gezan.lnk.to/iai_soundtrack

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『PERFECT DAYS』が世界に接続した新たな東京像 不完全な街と不完全な人間から生まれる静かな豊かさ——連載「ファッションと社会をめぐるノート」第3回 https://tokion.jp/2024/02/27/notebook-on-fashion-and-society-vol3/ Tue, 27 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225411 巨匠ヴィム・ヴェンダースが役所広司を主演に贈る映画『PERFECT DAYS』。そこに映し出された東京という都市の相貌・現在性を、小石祐介が紐解く。

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東京の都市像の映像化とその成功

 2023年10月の日比谷は夏のような熱気で、街は外国人観光客が溢れていた。そんな中、カンヌ国際映画祭で役所広司が男優賞を受賞したことでも話題を呼んだ映画『PERFECT DAYS』が、東京映画祭のオープニング作品としていち早く上映された。シートに座って館内が暗くなり、役所広司が演じる平山が小さな古いアパートで目覚めるシーンがスクリーンに映った。平山が木造の六畳間で覚醒するのと同時に私は映画の中に引き込まれた。日本を舞台にした日本語の映画だったが、間違いなくヴェンダースの映像だった。エンドロールが流れる前にこの作品は重要な作品になると直感した。特に日本と海外を往来するクリエイター達にとってだ。なぜなら、2020年代の「東京の都市像の映像化」に成功した作品は無かったからだ。視覚化された都市像は我々日本に住む人が、海外の人とコミュニケーションを取る際の共通言語になる。「あの東京」と言えるようになるから。年が明け、数ヵ月経ってもまだ映画の余韻が残っている。

 『PERFECT DAYS』が映し出した東京は「今の東京」を紛れもなく映していた。役所広司が演じる平山はトイレを清掃する清掃員。スカイツリーの見える東京の東側に小さく居を構えている。そして働くエリアは東京の西側、渋谷区の公共トイレ「THE TOKYO TOILET」だ。平日は目覚ましがなくても早朝に誰かが外で箒を掃く音でいつも目が覚める。ひげを剃り、歯を磨き、植木鉢に霧吹きをかけ、清掃員の格好に着替えて時計や小銭を持って外に出る。現金主義、QRコード決済なんて使わない。車は赤帽車としても使われるダイハツ・ハイゼット・カーゴ。労働者の車だ。朝食代わりの缶コーヒーとカセットテープの音楽をともにしながら、平山は東京の東側から西側に向かう。ダウンタウンからアップタウンへと向かう、東京近郊で生活する人々のリズムのリアルさがここでは描かれている。東と西の都市経済の濃淡のリアルを描くこのシーンは、ロードムービーの名手であるヴェンダースだからこそ、程よい湿度感で切り取られていると思う。朝日に照らされる道路の風景はヴェンダースの作品を知っている人にも既視感がある。1989年にヴェンダースが山本耀司を撮った『都市とモードのビデオノート』でも映る道路の風景だ。

TOKYOという幻影を求めて

 東京で海外旅行者を見かけない日は無くなった。2003年は521万人だった入国者数は2023年には2500万人、20年で約5倍に増えた。コロナパンデミックで落ち込んだ空白期を乗り越え、月間外国人入国者数はついに2023年の年末にコロナ前の2019年の数字を超えたのだ。京都あるいはニセコといった観光名所は外国人観光客で埋め尽くされているが、東京も同様だ。銀座、表参道を歩いているうち半分以上が海外からの旅行者ではないかと思う時がある。円安の状況も手伝ってTOKYOの街に引き寄せられる人は増えた。この外国の人たちが求める東京像とはどんなものだろうか。

 過去に東京の映像化を作り出すことに成功した作品で代表的なのはソフィア・コッポラによる『LOST IN TRANSLATION』(2003)だ。未だに海外の人を魅了するこの映画の作中には、当時の海外から見たTOKYOのカルチャーの断片が映し出されていた。テクノロジー、カラオケ、コスプレ、クラブ、フェティッシュカルチャー、ファッション、音楽、テレビ番組、伝統文化など、一見相容れないカルチャーの記号が街の中で撹拌し織り合わされた、エコノミックアニマルが住む得体のしれないTOKYO像。そこには藤原ヒロシや、DUNEの編集長であった林文浩、ロケハンに関わった野村訓市、HIROMIXなどがカメオ出演している。2003年に発表されたこの作品は、特にヨーロッパとアメリカの人々にとって、真新しさとエキゾチックさが共存する都市を求める人々の心を掴んだ。映画の舞台となったPARK HYATT TOKYOではNIGOが選曲した音源をホテルにリクエストすると聞くことができる。映画公開から20年が経過した今も映画の中で描かれた都市の幻影を追いかけて、この街とPARK HYATT TOKYOを訪れる人々が絶えない。この映画で描写された東京の生活は、渋谷、新宿といった東京の西側のシーンが中心だったことも指摘しておきたいと思う。一方、『PERFECT DAYS』で描かれた東京は誰もがアクセスできるという意味でリアルだ。知り合いがいないと入れないような秘密の東京(Best-kept secret Tokyo)ではない。公園、居酒屋、古書店、コインランドリー、木造のアパート、西側のトイレであり、永遠に終わらなそうな都市計画の途上にある東京の町並みと東西を結ぶ路上の風景だ。それは東京に暮らす多くの人々にとっては珍しくない、一度は触れたことがあるような日常の風景だ。

始まりが映画ではなかったからこそ生まれた映画

 『PERFECT DAYS』のプロデュースと共同脚本を務めた高崎卓馬、そして共同プロデューサーであり映画の資金提供者である柳井康治によれば、この作品は数々の偶然から生まれたものだという。映画の舞台となったTHE TOKYO TOILETは渋谷区に設置された公共のトイレだ。トイレと言えば、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で、その陰鬱さにこそおもしろみや独特の美があると評したが、読者はどう思うだろうか。THE TOKYO TOILETはトイレの影の部分をスターアーキテクト、デザイナー達によって照らすプロジェクトだ。坂茂、安藤忠雄、そしてNIGOやMark Newsonといった世界的建築家やデザイナーによって作られた17ヵ所のトイレは、ファーストリテイリングの柳井康治のキュレーションによって誕生した。実は、THE TOKYO TOILETのトイレを大切にきれいに使ってもらうにはどうしたらよいかという話について柳井康治と高崎卓馬の両名でカジュアルなブレストをしたことがきっかけとなって『PERFECT DAYS』が生まれたという。映画誕生の詳細については、『SWITCH』2023年12月号の「PERFECT DAYS特集号」に高崎と柳井の対談が掲載されているのでぜひご覧いただきたい(注1)。  

ハリウッドの対岸から制作された映画

 ヴェンダースは何と言ってもロードムービーの名手だ。『都会のアリス(Alice in den Städten)』(1974)、『まわり道(Falsche Bewegung)』(1975)、『さすらい(Im Lauf Der Zeit)』(1976)の三部作、そして、彼を不動の地位に押し上げた『パリ・テキサス』(1984)もアメリカのテキサス州を舞台としたロードムービーだ。そしてこの『PERFECT DAYS』も東京を東西に走るロードムービーである。ヴェンダースはハリウッド映画に対する反骨精神を持つ監督としても知られる(注2) 。彼のインスピレーション源にはハリウッドの対岸から生まれた小津安二郎の映画がある。小津の映画は「真に国際的でありながら、アメリカ的帝国の一員にはならず、独自の帝国を築き上げた」とヴェンダースは熱く語っている。

「ヴェンダース、小津を語る」 /Wenders Discusses Ozu Short Version

 小津の映画作品から筆者は、芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』(1927)に書かれた芥川と谷崎潤一郎との議論を思い出す。小説は筋のおもしろさ、物語の構造が最も重要であるという谷崎の立場に対し、話らしい話のない小説にも強い価値を見出すのが芥川の立場だ。小津の映画は芥川が良しとする要素から成立している。作品は静的で細部までこだわり抜かれたセット、美しいカメラワークから作り出された空気感がある。奇抜なシーンや派手な筋書きは無く、そこに存在するのはテクスチャーの機微の連続的変化から生まれる豊かさであり、それ自体が作品なのだ。そしてヴェンダースはこの小津に影響を受けて映画を制作してきた。そしてこのはヴェンダースの経験を完全な形で日本映画として投影した作品がこの『PERFECT DAYS』だ。

小津の平山、ヴェンダースと高崎の平山

 高崎卓馬は『PERFECT DAYS』の主人公に「平山」と名付けた。この名は小津映画にもたびたび登場するが、高崎によると意図したものではなく偶然だったらしい(注3)。小津の平山で有名なのは『東京物語』(1953)の主人公である平山周吉(笠智衆)、そして『秋刀魚の味』(1962)の平山周平(笠智衆)だ。映画で描写される小津の平山の日常は、当時の日本人にとって当たり前のものだったかのように錯覚するが実はそうではない。60年代も日本はまだ貧しかった。黒澤明の『どですかでん』(1970)は『秋刀魚の味』よりも後に制作されたものだが、貧しく荒んだ街が舞台だ。大島渚の『愛と希望の街』(1959)は小津の『東京物語』と同じく50年代に生まれた作品だが、舞台はやはり荒んだ東京であり、主人公は貧しい子どもだ。同じ昭和でも小津の描く世界は裕福だ。

『東京物語』の平山の息子は開業医や教師であり、『秋刀魚の味』の主人公の平山は丸の内近隣の大手企業の重役で登場人物の多くがホワイトカラーである(注4) 。

(注1)配給会社のBitters Endの公式アカウントではPERFECT DAYSに関わった関係者のインタビューが公開されている。映画と併せて見ると面白い。

(注2)ハリウッド映画といえば銃撃戦、戦争、英雄譚、ラブストーリー、資本主義のどん底とアメリカン・ドリームといった物語の様式だ。それらの多くは実際にアメリカ社会で起き得るシーンである。アメリカ社会の現実がハリウッド映画にリアリティを与えてきたとも言えるが、世界のどの国でもこのようなリアリティを持つかというとそうではない。

(注3)オンラインメディア「後現代 | POSTGENDAI」での高崎卓馬 (『PERFECT DAYS』共同脚本・プロデュース)のショートインタビューの中でこのエピソードが語られている。https://postgendai.com/blogs/postgendai_dictionary/takuma_takasaki

(注4)『秋刀魚の味』は、平山の娘である平山路子(岩下志麻)の縁談が物語に登場するが、ファッションの視点から見ても平山の生活が豊かなことがわかる。実際、この岩下志麻の衣装を手掛けたのは森英恵だった。平山家の調度品も、料亭もさながら『家庭画報』に登場するようなものたちだ。

『秋刀魚の味』のトレイラー(松竹)

 『PERFECT DAYS』の映画の中で、平山の妹が運転手付きのレクサスで登場する場面で、この平山は元来裕福な家の出身で自らの選択で家族と断絶し、東京の東側でひっそりと暮らしていることを我々は知る。もしかすると『PERFECT DAYS』の平山は、小津映画に登場する平山の親族なのかもしれないと筆者は思った。

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と書いた。小津と同時代に作られた映画の多くが、社会問題が燻る世界を舞台とした。しかし、大戦中に徴兵され激動の人生を歩んだ小津が、ある種、幸福な世界を舞台に選んだのは「どれも似たように描かれうる舞台」だからこそ、自分の美意識が特徴的に際立つと考えていたからかもしれない。

 『PERFECT DAYS』の平山は東京のトイレ清掃員という役割を与えられた。彼が住む東京は、小津や黒澤の時代とは異なり、高度経済成長を経た後の東京である。バブル後の経済成長が失われた20年を経た東京はハリウッド的物語が映える場所ではない。この平山の生活を通して、今の東京の忘れられがちな日々の豊かさに気付かされる。平山が植木鉢に霧吹きをかけ、木漏れ日の写真を撮り(注5)、読書しながら眠りに落ち、夢を見る姿を見ると、彼がその豊かさを知っている人だとわかり、静かに平山に同意したくなる(注6)。

オリエンタリズムのまなざしに対峙

 2023年、日本の国家ブランド指数(NBI)(注7)が初めて世界1位になったそうだ。ランキングといったものは個人的にはそこまで意味はないと思うものの、この日本発信の映画が発表された年に世界1位になったのは奇遇である。

 『PERFECT DAYS』は日本のみならず世界中のオーディエンスを惹きつけている。昨年のカンヌ国際映画祭では平山役の役所広司が主演男優賞を受賞し、今年はアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。1月にはイタリアでも興行一位を記録し、つい先日、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターで行われた北米公開前夜のイベントは大盛況だったようだ。

 日本から海外を視野に入れて作品を発表する時には、海外からオリエンタリズムのまなざしが向けられることは不可避で、求められるのは東洋のエッセンスだった。その期待に応えて成功した映画は数多い。前述した黒澤明も、そして裏社会の人間模様を舞台装置として映画を作った北野武もそうかもしれない。日本でニュースになった社会問題を抽出し、海外の人間が解せる形で演出した作品もそうだろう。『PERFECT DAYS』にもそのまなざしが向けられているだろうが、ヴェンダースという外国人監督が撮った東京はそのような過剰な期待を中和することに成功した。

 日本人には舶来主義が染みついている。音楽、文学、映画、ファッションに至るまで、欧米、特にアメリカの文化をオーバードーズ気味に摂取してきたため自然なことではある。その結果、日本のコンテンツの逆輸入による例外を除いて、西洋社会の対岸に住む我々日本人自体が日本生まれのコンテンツを過小評価する奇妙な状況が起こりやすい(注8)。アメリカの音楽や小説を好む平山を見れば、彼も我々と同様、欧米の文化に強く影響を受けてきたことがわかる。制作陣の高崎卓馬や柳井康治という面々もそうだろう。その彼らが、50年近く前から日本の映画に着目してきたヴェンダースと邂逅し、共に今の「東京像」を提示したこと自体、一つの大きな物語だと思う。 

 『PERFECT DAYS』が提示した「東京像」はTOKYOに新たな意味を付与した。我々の知っている東京の風景が世界に流れ、それについて国境を超えて語ることが可能になったことはこの映画の大きな成果だ。ニーナ・シモンの「Feeling Good」が鳴り響く最後のシーンは、平山が運転するワゴン車の車内だ。その車内は東京に限らず世界のどこにでも存在し得る小さな空間だ。その様子は我々を揺さぶる。揺れるのは我々の人生の記憶である。東京を東から西へ走る車のエンジン音を運転席で感じている平山のように、映画館の観客はシート越しに今の東京の振動を静かに感じるのである。

(注5)作中、登場する木漏れ日の映像はドナータ・ヴェンダースによって一部撮影された。またこの映像は 「KOMOREBI DREAMS: supported by THE TOKYO TOILET Art Project / MASTER MIND」の展示で2023年12月22日から2024年1月20日 の間、104 Galleryにて公開された。

(注6)村上春樹は、エッセイ『村上朝日堂』で「小さいけれど確かな幸せ」という意味で「小確幸」という言葉を使う。これは平山の日常に通じる。激しい運動をした後に冷えたビールを飲むことなど、日常の些細な、ただ確実に幸せに感じられることの豊かさを表す。

(注7)対象国の「文化」、「国民性」、「観光」、「輸出」、「統治」、「移住・投資」の6分野で評価するアンホルトGfKローパー国家ブランド指数(Anholt-GfK Nation Brands Index)のこと。2023年に日本が史上初の首位になった。過去のランキングはWikipediaで一覧できる。トランプ政権が誕生する2016年までアメリカがほぼトップを独走していた。https://en.wikipedia.org/wiki/Nation_branding

(注8) 劇中ホームレス役として登場する田中泯の踊りを映像化し編集した『Somebody Comes into the Light』(音楽は三宅純)というショートムービーが公開された。前述の「KOMOREBI DREAMS」展のクロージングイベントにて、田中泯は、古事記に登場する天宇受賣命(アメノウズメ)の踊りについて語った。現代では踊りというと西洋ではバレエに立脚するが、本来はあちこちの少数民族の文化であり、それが植民地支配、時代の流れの結果、滅びてしまった。踊りということに立ち返れば、西洋的枠組みに囚われるのは制約になると彼は言及していた。ヴェンダースのハリウッド映画に対する感覚と通じるものがそこにはある。

『PERFECT DAYS』全国大ヒット上映中
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬
製作: 柳井康治
出演: 役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
製作: MASTER MIND 配給: ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124 分
© 2023 MASTER MIND Ltd.
Webサイト:perfectdays-movie.jp

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対談:橋口亮輔 × 江口のりこ 『お母さんが一緒』で考えたドラマ制作のあり方 https://tokion.jp/2024/02/17/noriko-eguchi-x-ryosuke-hashiguchi/ Sat, 17 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224382 ホームドラマチャンネル開局25周年を記念して制作されたドラマ『お母さんが一緒』について、橋口亮輔監督と江口のりこに話を聞いた。

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江口のりこ(左)と橋口亮輔(右)

江口のりこ
1980年4月28日生まれ。1999年に柄本明が座長を務める劇団東京乾電池の研究生となり、2000年入団。2002年三池崇史監督『桃源郷の人々』で映画デビュー。2004年タナダユキ監督『月とチェリー』では本編初主演をつとめ注目を集める。その後、話題作に多数出演。ドラマ『時効警察』シリーズにレギュラー出演し個性を発揮。2021年中⽥秀夫監督『事故物件 恐い間取り』で第44回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞。ベテランから新鋭監督まで多くの監督の作品に出演し活動の場を広げている。
https://www.knockoutinc.net/artists/?id=1423254565-475633

橋口亮輔
1962年7月13日生まれ。長崎県出身。1993年、『二十才の微熱』で劇場監督デビューを果たす。続く『渚のシンドバッド』(1995)はロッテルダム国際映画祭グランプリをはじめ国際的な評価を得て、国内でも毎日映画コンクール脚本賞を受賞。3作目『ハッシュ!』(2002)はカンヌ国際映画祭監督週間で上映された。『ぐるりのこと。』(2008)は、主演の木村多江を日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に導いたほか多くの賞を受賞。その他の監督作にオムニバスコメディ『ゼンタイ』(2013)、『恋人たち』(2015)など。

親孝行のため母親を温泉旅行に連れてきた3姉妹。ところが旅館で3人が抱えていたさまざまな思いが爆発してしまう。ホームドラマチャンネル開局25周年を記念し、ペヤンヌマキの戯曲をドラマ化した『お母さんが一緒』は家族をめぐる笑いと涙の物語。姉妹の長女、弥生を江口のりこ、次女の愛美を内田慈、三女の清美を古川琴音が演じていて、『ぐるりのこと。』(2008年)、『恋人たち』(2015年)の橋口亮輔が監督を手掛けた。戯曲を原作に映画監督がドラマを撮る、というユニークな試みだが、その結果、他のドラマとはひと味違う作品になった。そこで今回、橋口監督と江口のりこに作品について語ってもらった。橋口監督が演出の仕事について改めて考え、江口が役者という仕事の面白さを再発見した舞台裏とはどんなものだったのか。対談を通じて、ドラマ作りの難しさ、面白さが浮かび上がってくる。

演出家の仕事は「ここに行きたいんです」と役者に示すこと

——『お母さんが一緒』は演劇作品が原作ですが、ドラマ化するにあたって心掛けたことはありますか?

橋口亮輔(以下、橋口):今回、松竹ブロードキャスティングさんから「ペヤンヌさんの舞台をドラマでやってみませんか?」と声を掛けて頂いたんです。それで舞台を拝見したら面白かったので、これだったら舞台をそのままドラマ化すればいけるなって思ったのが大間違いでしたね(笑)。実際、取り掛かってみたら思うようにはいかなかった。まず、自分がどういう距離感で作品に関わったらいいのか、ずいぶん考えたんです。というのも、いつもは自分がその作品を作る根拠があって、そこからどんな作品にするのか考えていく。今回みたいに原作をもらってドラマを撮ったこともありましたけど、深夜枠のドラマは余裕がなくて、役者さんとは事前に衣装合わせだけやって、2〜3日くらいで撮ってしまうんです。でも、今回の作品はそれでは難しいな、と思って。

——しっかり時間をとって撮りたかった?

橋口:僕は作品を撮る前に役者さんとリハーサルをやりたいと思っているんです。役者さんに役を掴んでもらいたいから。でも、他の監督さんに話をすると「リハーサルなんてやってるの!?」って驚かれることが多いんですよね。今回、出演してもらった皆さんに聞いても、ふだんリハーサルはやってないそうなんです。

この前、『ぐるりのこと。』に出演してもらった木村多江さんやリリーフランキーさんと久しぶりにお会いしたんですけど、2人とも「やっぱりリハーサルはやったほうがいいですね」とおっしゃっていました。だから、今回のドラマでもリハーサルはやりたかったんです。皆さん超売れっ子で多忙な方達でしたが、幸いにもその時間が取れて、出演者の皆さんも進んでリハーサルに参加してくれました。嫌がる役者さんもいるんですよ。リハーサルをやったおかげで撮影前に役者さんといろんなお話ができたんです。

——江口さんはリハーサルをやってみていかがでした?

江口のりこ(以下、江口):リハーサルがあったおかげで撮影を乗り切れたなって思います。リハーサルがすごく楽しかったんですよ。そこでいろんなことを考えたり見つけたりすることができたんです。私だけじゃなく、共演者のみんなもそうだったと思います。なので、撮影に入ったら、あとはやるだけって感じでしたね。

——リハーサルは役者さんが役を掴む時間であり、出演者同士、そして出演者と監督がコミュニケーションを築く時間でもあるんですね。

橋口:「演出家が役に魂を与える」とか言うじゃないですか。そんなの無理なんですよ。演出家は魂なんか与えられない。じゃあ、演出家の仕事ってなんだろう?と考えた時に、「ここに行きたいんです」って役者さんに示すことだな、と今回改めて思いました。行く先を指し示すことで、「ここに行けばいいんですね」ってみんなが目的を共有して一緒にそこに向かうことができる。そういうこと以外に演出家の仕事ってあるのかな?って思いましたね。

江口:役者として何をしたらいいのかわからない現場ってあるんですよ。セリフを覚えてシーンを成立させるだけなら誰でもできるし、それが面白いかというとそうとは思えない。じゃあ、どうやったら面白くなれるのか。どういう風に役を掴んでいくのかっていうことを、今回リハーサルを通じて橋口さんに教えてもらいました。だから、リハーサルの期間は学校に行っているような感じでしたし、改めて役者っていう仕事って面白いな、と思えたんです。

舞台からドラマへ

——江口さんが演じた長女の弥生は、自分の容姿にコンプレックスを抱いていてネガティブ思考。癖の強いキャラクターですが橋口監督は弥生というキャラクターをどんな風に捉えていたのでしょうか。

橋口:弥生は非常に振幅のある役なんです。「それってどうなの?」っていうはじけ方をして周囲が振り回され、それが笑いになっていく。そんな彼女のキャラクターにこの作品のテーマも含まれているんです。舞台版をそのまま映像に置き換えると誇張されすぎに感じるところや、弥生を現実に生きている女性にするために、舞台にないエピソードも作りましたし、江口さんといろんな話をさせていただきました。

江口:リハーサルの時に監督ご自身で演じて見せてくれるんですよ。こんな風じゃないのかな?って。それがめちゃくちゃ面白くて(笑)。その様子を見て、こっちはイメージを膨らませることができました。監督は内田慈さんとか古川琴音さんの役も演じて見せるんですけど、それも面白いんですよね。

——内田さん、古川さんとの共演はいかがでした?

江口:3人とも監督を信頼して「頑張ろうね!」ってやっていたので絆みたいのがありました。それに琴音ちゃんも慈ちゃんも芝居がすごく好きな方達だから、一緒に芝居をしててもすごく楽しかったし、芝居以外の時間もくだらない話をして楽しかった。あの2人が共演者で良かったなって、すごく思います。

橋口:ドラマの中で内田さんが演じる次女の愛美が、弥生に「私と顔が似てるって言われて喜んどったよね。あれ何なん?」って詰め寄るシーンがあるんですよ。本番直前に内田さんに「あれ何なん?」って言い方をどんな風にするのか伝えたんです。相手をなめ切っているような感じにしたくて。そのことは江口さんには伝えていなかったんですけど、本番で内田さんがヘラヘラ笑いながら「あれ何なん?」ってやったら、江口さんがキレて内田さんをバン!って叩いたんです。あの反射的な反応には痺れましたね。江口さん、ここで反応するんだ!って。

江口:あそこは本当に嫌でした(苦笑)。

——ドラマにはそういうヒリヒリしたシーンがちりばめられてましたね。笑いを交えながらも地雷原を歩くような緊張感がある。

橋口:作品の中に生な部分がないと面白くないっていう話はリハーサルの時にさせてもらいました。滑らかに物語が進んでいるけど、その中に「今、何か変なものあったぞ」とか「何かザラッとしてたな」っていうものがないと面白くない。それがドラマを観ている人を引っ掛ける小さな釣り針で、そういう針が1つでもあれば視聴者の心の中にある何かが引っ張り出されて作品に引き込まれる。そして、ドラマを観た後に何かが残るんです。

江口:リハーサルをやる度に心がヒリヒリするんですよね。人間を演じるというのは大変なことなんです。とっても難しいことで、何を手掛かりにしてやっていけばいいのかさえわからない。でも、そういうことをしっかりやろうとする現場って、あまりないんですよ。でも橋口さんはそれをやろうとしていて。橋口さんと一緒にやっていると、自分が何をやるべきなのか、1つずつ見つけていくことができるんです。

家族について

——今回、家族をテーマにしたドラマに出演されて、改めて家族について思ったことはありますか?

江口:家族はやっぱり面倒だなって思いましたね(笑)。喧嘩すると相手に残酷なことも言ったりしますけれども、最後にはやっぱり優しさが残るというか、憎みきれないところもある。その後も同じように喧嘩するんでしょうけど、結局、完全には切り離せないんですよね。私にも妹がいるんですけど、やっぱり弥生みたいに、ああしたほうがいい、こうした方がいい、とか言っちゃうんですよ。これからはあまり言わないでおこうと思いました(笑)。

橋口:このドラマを見てくれた人の感想を聞くと、僕の演出や役者さんの演技の話をする前に、自分の家族について話される方が多いんですよ。奥さんが3姉妹でお祝い事がある度に揉めていたとか、母親がどうだったとか。そんな風に、自分の家族のことを考えるきっかけになる作品になっているのは良いなって思います。そういえば、試写の後、江口さんが「こんなドラマは他にないですよね」って言ってて、確かにそうかもしれないなと思いました。

——他のドラマとどんなところが違うと思われますか?

橋口:撮り方が映画的なのかな。僕の中ではドラマと映画との違いはそんなにないんですけど、いま作られているドラマとは何か違う。何が?って言われるとうまく説明できないんですけど、(江口さんを見て)作品に求めているものが違うのかな?

江口:いまのドラマって観ている人にすごく親切っていうか。お皿を洗いながらでもわかるぐらい親切な感じがするんですよ。でも、このドラマは観ている人を置いて、どんどん進んでいくような図太さがある。

橋口:そうかなあ。今回は随分親切だと思うけど(笑)。

江口:橋口さんの作品の中ではそうかもしれないですけど、他のドラマと比べると全然違う。

橋口:あー。それはそうかもしれない。

江口:だから、最初からしっかり観てもらいたいですね。

橋口:今回、姉妹が本音をぶつけ合うけど重いドラマにしたくなかったんですよ。「これが人間だ! これが家族だ!」みたいな主義主張を打ち出すものにはしたくなかった。すっと物語が滑らかに流れていくようなものにしたかったんです。そこで思い浮かべたのは向田邦子さんのドラマでした。

——向田さんは家族の機微を題材にしたドラマを数多く作られましたね。

橋口:僕は向田さんのエッセイも好きなんです。日常の些細なことの描写から始まって、「あ、親ってこうだな。男って、女って、そうかもしれない。人生ってそういうものかもしれないな」ってしみじみとしながら、最後に手のひらに乗るくらいのほどよい重さの人生の手触りが感じられるんです。今回のドラマも、ちょっと笑ったり、しみじみしたり、切なくなったりしながら、さらっと楽しめる作品になっていたら良いな、と思っています。

Photography Takuya Maeda(TRON)
Styling Naomi Shimizu
Hair & Makeup Aya Suzuki

■『お母さんが一緒』(CSホームドラマチャンネル)
2024年2月18日から毎週日曜日22時放送 (全5話 +アナザーストーリー1話 / 各話30分) 
出演:江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち(ネルソンズ)
監督・脚本:橋口亮輔 
原作:ペヤンヌマキ
製作:松竹ブロードキャスティング 
https://www.homedrama-ch.com/special/okasangaissho
©松竹ブロードキャスティング

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Girls’ Film Fanclub Vol.3 ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』ゲスト:清水知子(東京藝術大学准教授)後編 https://tokion.jp/2024/02/16/girls-film-fanclub-vol3-part2/ Fri, 16 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224383 「Sister」の長尾悠美が、ゲストと映画を語り合うTOKIONの映画連載、Girls’ Film Fanclub。第3回は、清水知子氏を迎え、話題作『哀れなるものたち』にフォーカス。後編は、ベラのファッション、セックスワークと女性、「殺す権力」と「生かす権力」、そして本当に「哀れなるもの」とは誰かを考える。

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清水知子(左)
愛知県生まれ。現在、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授。専門は文化理論、メディア文化論。著書に『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』(月曜社)、『ディズニーと動物―王国の魔法をとく』(筑摩選書)、共訳書にジュディス・バトラー『アセンブリ——行為遂行性・複数性・政治』(青土社)、『非暴力の力』(青土社)、アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『叛逆』(NHK出版)、デイヴィッド・ライアン『9・11以後の監視』(明石書店)他。

長尾悠美(右)
渋谷区松濤にあるセレクトブティック「Sister」代表。国内外から集めたデザイナーズブランド、ヴィンテージ、書籍や雑貨など豊富に扱う。映画やアート作品を通してフェミニズムやジェンダー問題へも関心を寄せ、自らも発信や企画を積極的に行っている。

前編はこちら

渋谷区松濤のセレクトショップ「Sister」の長尾悠美をホスト役に、ゲストとともに女性をテーマにした映画を語り合うTOKIONの映画連載、Girls’ Film Fanclub。第3回は、メディア文化論の専門家、清水知子(東京藝術大学准教授)を迎え、昨年のベネチア映画祭で金獅子賞を受賞、本年のアカデミー賞にも11部門ノミネートする話題作『哀れなるものたち』を取り上げる。

イギリス・スコットランド出身の小説家、アラスター・グレイの同名小説を下敷きに、『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』、『女王陛下のお気に入り』などの個性的な作品で知られるギリシャの奇才、ヨルゴス・ランティモス監督の大胆なアレンジによって製作された映画『哀れなるものたち』。前作『女王陛下のお気に入り』でタッグを組んだ俳優エマ・ストーンが、プロデューサーと主演を務めている。

対談前編では、ファンタジー作品を中心に表象文化を研究してきた清水知子とともに、物語の展開を追いながら、主人公ベラとゴッドウィンとの擬似的な父子関係、ダンカンの「有害な男性性」、そして知性とジェンダーをめぐる問題にフォーカスしてきた。後編は、ベラのファッションを含めた視覚表現、セックスワークと女性の身体の権利をめぐる問題、対比的に描かれる「殺す権力」と「生かす権力」、そして本当に「哀れなるもの」とはいったい誰かを考えていく。

※以下の文中には映画のストーリーに関する記述が含まれます。

変化を可視化するファッション

長尾:ここで衣装について少し触れたいんですが、屋敷の中では身の回りのお世話をしていたプリム夫人が選んだ肌着やネグリジェのようなものを着ていたベラが、リスボン編では、クローゼットから選んできた服を使って、自分なりのコーディネートで服を着ていました。そのスタイルは既存のファッションの枠におさまならい奇天烈さとかわいらしさがあって、とっても魅力的です。

一方で、貧困の問題を目の当たりにするアレクサンドリアのシーンでは、ベラを含む船上の人々は白い服を身につけています。衣装を担当したホリー・ワディントンによると、ベラはこのシーンでは劇中で最もフォーマルなドレスを着ているそうです。そこには、ベラの上流階級的なバックグラウンドを強調することで、貧困にあえぐ人たちとの視覚的な対比を作り出すという意図があったようで、視覚を通してメッセージを伝えられる映画ならではの演出だなと感じました。

清水:確かに、それぞれのシーンのファッションがベラ自身の変化を可視化していますね。視覚的な効果でいうと、魚眼レンズによって普通とは少し異なる視覚が引き出されている箇所も気になりましたし、時空間もどこかSF的でしたよね。

長尾:そうですね。基本的な時代設定は18世紀後半から19世紀にありながら、現在とも未来とも錯覚させられるような瞬間が散りばめられているので、劇中で起きていることは、いつの時代も起きてきた/起こりうることなんだと思わせられた気がします。

清水:ええ。そういう意味でこの作品はサイエンス・フィクションでもあり、こういう未来もありえるかもしれないという思索を含んだスペキュラティブ・フィクションでもあるなと思いました。

自分の身体の権利を取り戻すこと

長尾:さて、一文無しとなったベラとダンカンはパリで途方に暮れ、ベラは売春宿で働くことを決めます。売春宿のマダム・スワイニーを演じるのは、数々の映画での魔女役で知られるキャスリン・ハンター。エマ・ストーンはパンフレットの中で「スワイニーの売春宿で働くことはベラにとっては明らかに仕事です」と書いていますが、売春宿で働くことを選択したベラをダンカンはひどく罵ります。一方でベラは、男性客の自分本位なセックスや振る舞いに不快感を抱き、女性から男性客を選ぶことなどを提案しますが、取り合ってもらえません。そんななかでベラは女性たちを商品として所有しコントロールしようとするマダム・スワイニーに対しても疑問を抱きはじめます。このパリで一連のシーンでは、セックスワークにまつわるスティグマや、女性のからだの自己決定権が問われていく場面かと思います。先生はこのあたりどう受け止められましたか?

清水:ここも興味深いところですよね。ベラが売春宿で働くのは経済的に自立するためでしたが、支配欲の強いダンカンにとっては耐えがたいことで、彼はパリでどんどん惨めになっていきます。パリでの一連のシーンは、セックスワークを労働と考えたとき、その仕事が誰にとって何を意味しているのかという点について再考させる場面でもあります。女性が男性客を選ぶというベラの提案も、他者の性的欲望の対象として消費されるモノではなく、搾取や暴力に陥りやすい労働環境そのものを問う試みにも見えますし、自分の身体の権利を取り戻す言動としてとらえることもできますよね。

さきほど魔女の話題を出しましたが、このシーンで同時に思い出したのは、かつて自分で身体、生殖をコントロールしようとした女性が魔女扱いされていたことです。シルヴィア・フェデリーチェが『キャリバンと魔女』で論じているように、16、17世紀、魔女狩りは資本主義と時を同じくして登場しました。そして資本主義の進展とともに、女性は二つのタイプに分断されていくことになります。家庭の規範に従属して生殖し、再生産労働に従事する「正しい」セクシュアリティを担う女と、家の外で男の快楽に携わる女。つまり、「家庭の天使」と「堕落した女」です。ベラの身体にはそんなふうに男性の視点を通して社会的に意味づけられ、分断されてきた女たちの歴史が刻印されており、にも関わらず、そうしたステレオタイプを覆し転化していく存在だと言えるかもしれません。

長尾:なるほど。とても興味深いです。パリでの生活は、将来への決意も含めて、ベラの中で確固たる考えが作られていくプロセスにも感じられましたね。

「殺す権力」と「生かす権力」

長尾:ゴッドウィン・バグスターの体調悪化を機に家に戻ったベラは、売春宿で働いていた自身を尊重しようとするマックス・マッキャンドレスの誠実さに触れ、あらためて彼と結婚する気持ちを固めました。しかしそこで、ベラの生前の夫であり、独占欲の強い軍人でPTSDを抱えるアルフィー・ブレシントンが登場します。ブレシントンは、女性のことを「領土」と呼んだり、ベラに割礼をしようと画策したりします。彼は、ダンカンとは別のタイプの有害な男らしさを体現しているとも言え、ダンカン、ブレシントン、マッキャンドレスという全くタイプの異なる3人の男性の対比が印象的です。

物語の終盤、ブレシントンとの関係に決着をつけたベラは自分の夢を叶えようと思いを新たにします。ベラを含む女性たちが、ゴッドウィンが好きだったマティーニを飲みながら庭園で平穏な時間を過ごす、ある意味で理想郷のような世界が提示されて物語は幕を閉じます。終盤は急展開でどんどん物語が動いていきますが、先生は特に気になったシーンはありましたか?

清水:何より衝撃を受けたのは、最後の展開ですね。ベラの生前の夫ブレシントンが出現し、ベラは暴力性に満ちた彼を殺すことなく、改心させるでもなく、山羊に「進化」させますよね。つまり、殺すことなく、生かすことを選択する。ブレシントンが体現していた古典的な「殺す権力」ではなく、従属者たちを「生かす権力」によって統治する生の管理の仕方を選択しているようにも思いました。ただ、このやり方が良い方向に向かっていくのかは未知数で、不気味さと怖さも感じさせるんですが(笑)

清水:山羊といえば、以前アーティストの百瀬文さんから興味深いお話を聞きました。第一次世界大戦の頃、イギリス海軍が日本海軍に性欲処理用として大量の山羊をプレゼントし、その意味が理解できなかった日本海軍は食糧として殺して食べてしまったという、嘘か真か謎とされる逸話です。ブレシントンが女性や動物を所有物のように扱い、恐怖によってコントロールしようと考えていたとすると、その彼が、こうした歴史をもつ山羊とのキメラになり、女たちに飼われる光景は、「有害な男らしさ」の顛末として、二重に強烈な皮肉が効いているように思いました。

それから、女性を領土と並べて語るブレシントンの発言で思い出したのは、アルゼンチンの政治思想家でフェミニズム活動家でもあるべロニカ・ガーゴの議論です。ラテンアメリカのフェミニストたちは、土地を採掘して資源と富を手に入れ、家父長的な方法で拡大してきた植民地主義を踏まえて、女性や女性化されてきた身体に対する暴力と領土における強奪の問題を重ねて論じてきたんです。

本当に「哀れなるもの」とは?

長尾:なるほど。それを考えると軍人のブレシントンが女性と領土を並べて語ることの意味があらためて見えてきますね。これまで映画のディテールについて色々とお話をうかがってきましたが、最後に、あらためて「POOR THINGS=哀れなるものたち」とは誰、もしくは何を指しているんでしょうか?

わたしは映画を見ていくなかで、具体的な登場人物を指しているというよりもむしろ、物語に出てくる女性蔑視やスティグマ、権力、支配、戦争など、そういったもの一つ一つに対して「哀れ」という言葉を使っているのかなと感じました。先生はどうお考えですか?

清水:映画を通して、「哀れなるものたち」はとても重層的に描き出されているように思います。もしかしたら、自ら命を絶った身体に胎児の脳を移植され蘇生した生命を、哀れな怪物のように感じる人もいるかもしれません。けれども、本作では、ベラは不公正な世界を知り、社会の「良識」に追従することなく、それが隠しもつバイヤスに反旗を翻して自分の人生を築いていきますよね。ベラやマーサの強さと対比されることで、富と社会的地位を手にし、女をコントロールしよう、あるいはコントロールできると思い込んでいる者たちこそが、現実が見えていない「哀れなるものたち」として浮き彫りになる物語でもあるように感じました。だからこそ、死体から蘇生した女たちのみならず、マッドサイエンティストとその家に共存するキメラな動物たちが集う最後の光景が、爽快かつ滑稽な風刺として機能してくるのではないでしょうか。

このユートピア的光景は、ある種、脱「人間」中心主義からなる世界のヴィジョンを示唆しているように感じ、ダナ・ハラウェイのサイボーグをめぐる議論を思い出しました。ハラウェイは、サイボーグが部分性、アイロニー、緊密さ、邪悪さと深く関係し、そして、生命があるか否か、人間か、動物か、植物か、機械かにかかわらず私たちすべてをコミュニケーション・システムとして考えるような「共通の存在論」を構想しています。サイボーグは、軍事計画の一部であると同時に、複雑なかたちで女性的でもあり、「レジスタンスの行為」でもあります。とはいえ、何より興味深いのは、サイボーグが非嫡出子で、権力を持った家父長的な父親が不要であるということです。最後の光景には家父長的な構造には還元しえない新たな親密圏とも言えるコミュニティが描かれているように思えました。

科学者の研究の一環として生み出されたベラは、自分の意思で身体を獲得したわけではありません。ですが、その身体には母に象徴される女たちの傷が刻印されています。ベラが生きていく過程で仲間になっていく存在もキメラなど、純血性とは無縁に存在するものたちでした。そう考えると、「人間」が歩んできた「成長」とは、「進歩」とは、「良識」とは何か。そう問い直すことなく、既存の社会に追従してきた「人間」そのものがどこか「哀れ」でもあり、だからこそ、矛盾した世界をたくましく生き抜き、新たなビジョンを見せてくれるベラに惹かれずにはいられないのかなと思いました。

TOKION編集部・佐藤:物語を通して、ベラの生き様そのものが、フェミニストの視点から近代から現代までの思想の歴史をなぞっているようにも感じました。船の上で19世紀に活躍したエマーソンやゲーテを学んだベラは、そこで啓蒙主義やモダニズム的な哲学に触れ、学ぶこと自体に目覚めます。ただそれらの本を読むベラは、すでにその男性中心的な思想に疑問を抱いてもいました。そのあと社会主義や共産主義に触れ、パリでは女性の性の快楽を能動的に捉え直そうと、男根中心主義に抗うラディカル・フェミニスト的な思想を経験を通して身につけていく。そして最終的には、ゴッドウィンが遺した屋敷で、ポスト・ヒューマニズム(脱人間中心主義)を体現するようなコミュニティを形成しています。それはまるで、ベラの人生を通じてフェミニズム的な思想の変遷を見せられているように感じました。

清水:確かにそうですね。本当にいろんなメッセージを受け取ることができるので、一度見ただけではいろいろなポイントを見落としてしまいそうです。「哀れなるもの」は、規範に囚われ、自分自身で思考する自由を手放してしまった人間の存在を示唆しているようにも思え、だとしたら、本作は「人間」をめぐる境界や「人間」の哀れさを問う映画でもあったのかな、と感じました。

長尾:なるほど。わたしは、本作を通じて改めてたくさんの気づきを得ることができました。今回は有意義なお話をたくさん聞かせていただき、本当にありがとうございました!

『哀れなるもの」予告編

■『哀れなるものたち』
監督:ヨルゴス・ランティモス
原作:「哀れなるものたち」 
    アラスター・グレイ著(ハヤカワepi文庫)
脚本:トニー・マクナマラ
製作:エド・ギニー p.g.a.
: アンドリュー・ロウ p.g.a.   
: ヨルゴス・ランティモス p.g.a.
: エマ・ストーンp.g.a.
撮影監督:ロビー・ライアン BSC, ISC
プロダクション・デザイン:ジェームズ・プライス 
: ショーナ・ヒース
衣裳デザイン:ホリー・ワディントン
ヘアメイクアップ&補綴デザイン:ナディア・ステイシー
音楽:ジャースキン・フェンドリックス
サウンド・デザイン:ジョニー・バーン
編集:ヨルゴス・モヴロプサリディス ACE
セット装飾:ジュジャ・ミハレク
原題:POOR THINGS
2023年度作品 / イギリス映画 / 白黒&カラー
ビスタサイズ / R18+
上映時間:2時間22分 
字幕翻訳:松浦美奈
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Photography Mika Hashimoto
Text & Edit Shinichiro Sato(TOKION)

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DYGLが4thアルバム『Thirst』のアナログ盤を4月20日にリリース 3月21日東京と29日大阪で先行販売 https://tokion.jp/2024/02/16/dygl-thirst/ Fri, 16 Feb 2024 09:05:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224698 アナログ盤を4月20日にリリース。昨年末の新代田FEVERでのライブ映像も公開。

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DYGL(デイグロー)が4thアルバム『Thirst』のアナログ盤を4月20日にリリースする。また、3月21日の東京と29日の大阪で開催されるDYGL自主イベントでは、アナログ盤の先行販売を行う。

21日の東京・Spotify O-EASTはORGE YOU ASSHOLEとTexas 3000、29日の大阪・味園ユニバースではNo Busesをゲストに迎える。

さらに昨年末の新代田FEVERでのライブ映像が2月16日20時に公開。『Thirst』収録曲である“Dazzling”と“I Wish I Could Feel”のライブパフォーマンスを見ることができる。

■DYGL『Thirst』(アナログ盤)
2024年4月20日リリース
カタログNo: HEA-008
発売元: HardEnough
販売元: ULTRA-VYBE
価格:¥4,000 
[side-A]
01. Your Life
02. Under My Skin
03. I Wish I Could Feel
04. Road
05. Sandalwood
06. Loaded Gun
[side-B]
01. Salvation
02. Dazzling
03. Euphoria
04. The Philosophy of the Earth 
05. Phosphorescent / Never Wait

■DYGL presents ”Crossing”
(東京)
日時:2024年3月21日 OPEN 17:00 / START 18:00
会場:東京・渋谷Spotify O-east
料金:ADV. ¥5,000 / U22 ¥3,500 (各1D代別途)
出演:DYGL, OGRE YOU ASSHOLE, Texas 3000
(大阪)
日時:2024年3月29日 OPEN 18:00 / START 19:00
会場:大阪・味園ユニバース
料金:ADV. ¥5,000 / U22 ¥3,500 (各1D代別途)
出演:DYGL, No Buses
ぴあ
https://t.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=E3130014
eplus
https://eplus.jp/sf/word/0000064909


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Girls’ Film Fanclub Vol.3 ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』ゲスト:清水知子(東京藝術大学准教授)前編 https://tokion.jp/2024/02/14/girls-film-fanclub-vol3-part1/ Wed, 14 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223817 「Sister」の長尾悠美をホスト役に、ゲストとともに女性をテーマにした映画を語り合うTOKIONの映画連載、Girls’ Film Fanclub。第3回は、清水知子を迎え、話題作『哀れなるものたち』にフォーカス。対談前編は、ベラとゴッドウィンとの父子関係、「有害な男性性」、そして知性とジェンダーについて。

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清水知子(左)長尾悠美(右)

清水知子(左)
愛知県生まれ。現在、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授。専門は文化理論、メディア文化論。著書に『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』(月曜社)、『ディズニーと動物―王国の魔法をとく』(筑摩選書)、共訳書にジュディス・バトラー『アセンブリ——行為遂行性・複数性・政治』(青土社)、『非暴力の力』(青土社)、アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『叛逆』(NHK出版)、デイヴィッド・ライアン『9・11以後の監視』(明石書店)他。

長尾悠美(右)
渋谷区松濤にあるセレクトブティック「Sister」代表。国内外から集めたデザイナーズブランド、ヴィンテージ、書籍や雑貨など豊富に扱う。映画やアート作品を通してフェミニズムやジェンダー問題へも関心を寄せ、自らも発信や企画を積極的に行っている。

渋谷区松濤のセレクトショップ「Sister」の長尾悠美をホスト役に、ゲストとともに女性をテーマにした映画を語り合うTOKIONの映画連載、Girls’ Film Fanclub。第3回は、メディア文化論の専門家、清水知子(東京藝術大学准教授)を迎え、昨年のベネチア映画祭で金獅子賞を受賞、本年のアカデミー賞にも11部門ノミネートする話題作、『哀れなるものたち』を取り上げる。

『哀れなるものたち』は、イギリス・スコットランド出身の小説家、アラスター・グレイの同名小説を下敷きに、『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』、『女王陛下のお気に入り』などの個性的な作品で知られるギリシャの奇才、ヨルゴス・ランティモス監督が大胆にアレンジを加えたS Fファンタジー映画だ。前作『女王陛下のお気に入り』でタッグを組んだ俳優エマ・ストーンが、プロデューサーと主演を務める。

脚本は、『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞にもノミネートしたトニー・マクナマラ。撮影監督は、マイク・ミルズ監督の『カモン・カモン』でも撮影を担当したロビー・ライアン。プロダクション・デザインは、ジェームズ・プライス、そして写真家のティム・ウォーカーとのコラボレーションで知られるショーナ・ヒースが手掛ける。独創的なベラの衣装は『戦火の馬』や『レディ・マクベス』を手がけたホリー・ワディントンが担当した。

ファンタジー作品を中心に表象分析を行ってきた清水知子は、この奇妙な魅力に満ちた傑作をどう見たのか。Sisterの長尾とともに、『哀れなるものたち』が今の時代を生きるわたしたちに投げかけるメッセージについて考え、語り合う。前編は、物語の展開に沿いつつ、ベラとゴッドウィンとの擬似的な父子関係、ダンカンの「有害な男性性」、そして知性とジェンダーをめぐる問題にフォーカスする。

※以下の文中には映画のストーリーに関する記述が含まれます。

ひとりの女性の成長物語として

長尾悠美(以下、長尾):まず、初見の衝撃が凄かったですね。わたしは原作を知らずに映画を見ましたが、ストーリーのインパクトもさることながら、魅力的な視覚表現にも圧倒され、興奮している間に2時間半が経ってしまっていたと言うのが正直なところでした。

ヨルゴス・ランティモス監督はかなり前から映画化を見越して原作者のアラスター・グレイを訪ねていたそうで、主演兼プロデューサーを務めたエマ・ストーンとも2018年の『女王陛下のお気に入り』の撮影時から話し合いを重ねてきたようです。この映画にかけるランティモスの熱意がうかがえますね。

わたしはこの映画を見ているとき、ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉を思い出したんですよね。映画は2度見ましたし、原作も早速読みました。もっと掘り下げたい作品ですね。ヨルゴス・ランティモス作品ではこれまでも登場人物同士の関係値を示すものとして、セックスや性描写がよく描かれてきたように思いますが、本作は特にセクシュアリティに関する問題提起が大きく取り上げられていると感じました。先生はこの映画について全体的にどんな印象を持たれましたか?

清水知子(以下、清水):わたしも2時間半あっという間でした。映画を通して、「良識ある社会」を内側から食い破っていくようなグロテスクな生命力を感じました。何よりラストが衝撃で、圧巻の風刺喜劇になっているなと思いました。ベラは、自殺した母の身体に新生児の脳を移植されて蘇生したキメラ的な怪物として誕生しますが、それはまた、母と胎児、死と生からなるハイブリッドな存在でもあります。

一見すると、成熟した男たちとは対照的に、ベラは感情を抑制できない「野蛮」で未熟な存在として描かれているように見えます。そして皮肉にも子どものまま大人の身体をもつという矛盾ゆえに、逆に先入観にとらわれず大胆な冒険心と好奇心によって自由と知性を獲得する。それによって従来の父権的な神話を解体し、社会の構造的な差別や偏見を脱臼させることができているかのように感じました。

長尾:なるほど。わたしは、天才外科医ゴッドウィン・バグスターによって一度死を選んだ女性を蘇生させるという突飛な発想に序盤は少々戸惑いました。まず、ゴッドウィンのいでたちそのものがフランケンシュタインを彷彿とさせますね。『哀れなるものたち』の原作者のアラスター・グレイは、明確に『フランケンシュタイン』をモデルとしてストーリーを展開させていて、ゴッドウィンという名前も、『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリーの父でアナキストだったウィリアム・ゴドウィンからとられています。(メアリーの母はフェミニストの先駆者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフト。)

そんな両親の思想を受け継いだメアリーによる『フランケンシュタイン』は「男性が科学の力をかりて生命を再生・創造するとどうなるのか」といった問題提起を持って、しばしばフェミニズム小説として取り上げられています。わたしは、『哀れなるものたち』を社会の抑圧や偏見に縛られない女性がどのように生きていくのかというフェミニズム的な物語であるとともに、有害な男らしさに対する痛烈な皮肉や批判を描いた作品として受けとりました。先生は、コロナ禍を経て、このような原作が映画化される意義についてはどうお考えですか?

清水:そうですね。原作では様々な視点から描かれていましたが、映画ではベラを軸に彼女の冒険物語、ある種のビルドゥングスロマン*1として再構成されています。とはいえ、男性を主人公にしたものとは展開が異なりますよね。それによって、社会的制圧から解放された生き方、有害な男らしさへの皮肉や喜劇風刺がより鮮明に浮かび上がっているように思いました。

*1 ビルドゥングスロマン:ドイツ語のBildungsroman。主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く物語。教養小説、自己形成小説とも訳される。

長尾:脚本のトニー・マクナマラも、映画化にあたり、この作品をベラの青春物語として描くと決めていたと話していますね。

清水:そのようですね。メアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン』のアダプテーションはいくつもありますが、本作は生命の創造と怪物をめぐる物語としてだけでなく、怪物とその創造者のイメージをどう描き出すかをめぐる物語でもあると思います。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』のような悲劇的な結末でもなく、アフマド・サワダーウィーの『バグダードのフランケンシュタイン』のように、複数の遺体の残骸から生み出された自らに死をもたらした者たちに復讐を遂げようとするのでもなく、女性の生/性に対する社会的通念にとらわれずに、前向きに世界を切り開いていく。そんなところが、21世紀らしい新しい怪物譚だなと感じました。

長尾:自分の意思で蘇ったわけではないのに、ベラはとにかくいろんなものを貪欲に吸収して、自分の人生を生きていますもんね。

清水:それから、この映画は、科学、医学とジェンダーをめぐるポリティクスについても多くの示唆を与えてくれます。ヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが組んだ前回作『女王陛下のお気に入り』の中で、エマ演じるアビゲイルが痛風をわずらう女王を薬草で手当てするシーンがありますよね。ああいった行為は、男性の医師がメスなどを使って行ってきた医療行為とは違う、ある種の「魔女的」な医療であり、西欧の医学の歴史の中でどんどん周縁化され、排除されてきた知恵でもあります。科学技術史を研究するロンダ・シービンガーが『植物と帝国』という本の中でも書いているように、西欧の医学の知識そのものがジェンダー化されて形成されてきた中で、女性の身体はつねに対象化/客体化されてきました。つまり女性は、おもに医療を受ける側や研究の対象としてとらえられてきたわけです。そう考えると、最後にベラ自身が医者になるという選択をするのも見逃せないポイントですね。あの時代に医者になるというベラの選択肢は、そうした身体のポリティクスへの参入としてとらえることもできるように思います。

ゴッドとベラの特異な父子関係

長尾:物語の序盤、ゴッドウィン・バグスターは自らが創造したベラに父権的に接しますよね。キメラ的に作られた風変わりな生き物たちに囲まれたバグスター邸で暮らしのシーンは閉鎖的でモノクロで描かれているのが印象的です。

そこに助手のマックス・マッキャンドレスが登場し、ベラ自身がセクシュアリティに目覚めていきます。ちなみにベラが自慰行為を試す時に使うのはキリスト教的に見ても象徴的な果実である「林檎」でしたね。そんなベラの奔放さを押さえつけようとしていたゴッドウィンも、徐々に彼女の意志を尊重するようになりました。

科学者と実験体だったゴッドウィンとベラの関係性が、本当の親子のような特別な関係性へと変化し、その関係性を通してお互いが成長していくようにも思いました。また、この父子のような関係性はゴッドウィンが性的に不能であることも大きく関係しているのかなと思います。この序盤のシーンを清水先生はどのようにご覧になられましたか?

清水:父子の関係性という点では、ゴッドウィンもまた父親の実験体であり、ある意味、虐待されたサバイバーですよね。彼が性を剥奪され、欲望をコントロールされた存在だったことは重要だと思います。また「フランケンシュタイン」を想起させる怪物的な存在であるゴッドウィンは、ベラに「ゴッド」と呼ばれていますね。そのことを考えてみても、旧来の価値観とは異なるポスト・キリスト教的な生命観からベラが生み出されているように感じました。

またゴドウィンの特殊メイクとしてフランシス・ベーコンの絵が参照されたといわれていて、これもおもしろいなと思いました。ベーコンの描く人間像は、不穏で、歪められ、大きな口を開けて叫ぶ奇怪さを伴うことで、人間存在の残酷さと不安を描き出したことでも知られています。

長尾:言われてみれば確かにフランシス・ベーコン的な見た目ですね。屋敷の中のシーンで言うと、個人的にはベラが「チー」と言って廊下でおしっこを漏らすシーンは、ベラの幼児的な無防備さを映画的に表現しているようで印象に残っています。

清水:そうですね。ゴッドウィンは、そんな無防備なベラを『マイ・フェア・レディ』のように育てることもできたかもしれないし、家に閉じ込めたままにすることも、あるいは性的に搾取することさえできたかもしれない。最初は実験体として慎重に彼女を観察し、言動を記録させながらも、次第に彼女の欲望と意志を尊重していくようになる姿は、軍国主義や家父長制資本主義を具現化する「父」とは異なりますよね。

長尾:わたしもゴッドウィンとベラが添い寝をするシーンを見て、きっとベラを性愛の対象にしているんだろうなと予想をしましたが、それがいい意味で裏切られて安心しました。自身も幼少期のトラウマを抱えるゴッドウィンが、ベラを一個人として尊重し、自分の父とはうまく築けなかったような温かい関係性を築いていくのを見られたのは良かったです。

清水:そうですね。その一方でベラの婚約者となったマックスも、ダンカンや終盤に出てくるベラの生前の夫、ブレシントンとは対照的に、ベラの精神と肉体の自由を尊重し、性愛というより、互いに信頼できる関係を築いているように思えました。ベラをとりまくこうした関係性は、血縁的な家族とは異なる親密な関係にも見えます。本作が、ベラの成長物語であると同時に、家父長制的な価値観や構造的な性差別を脱臼し、彼女をコントロールしようとする者たちの権力や偏見を崩していく物語として展開することができたのは、こうした基盤があったからかもしれません。

ダンカンと「有害な男らしさ」

長尾:そんなベラはダンカンと駆け落ちし、リスボンからのシーンが一気にカラフルになりました。リスボンではベラの好奇心が最高潮に達し、ファッションもますます解放的で色に溢れています。この頃のベラはどんどん能動的に選択し自分を解放していきますよね。

清水:そうですね。ベラが性に目覚め、家を出て「冒険」に踏み出すと、一気にスクリーンがモノクロからカラーに変わるシーンは印象的でした。

長尾:旅を通してどんどん自分らしさを確立して、自己表現をしていくベラに不安を覚え、ダンカンは船の旅で彼女を閉じ込め自分のものにしてしまおうとしますね。ナルシストで自己中心的、女性蔑視で所有欲の強い男のダンカンは、まさに「有害な男らしさ」を体現している存在でした。

清水:まさしくそうですね。そして、一言で「男性性」や「男らしさ」といってもじつは複数のレイヤーがあります。おっしゃるようにダンカンがナルシシストで自己中心的、女性蔑視で所有欲の強い男だとしたら、前夫であるブレシントンの方は、戦争を体験してPTSDを煩い、死に対する権利(殺す権利)を特徴とする君主制や家父長的権力によって他者をコントロールしようとする「有害な男らしさ」を持ち合わせていました。

「有害な男らしさ」は、性差別や暴力に結びつくものもありますが、他方でそれゆえに男性が自分の感情を抑圧し、他者に依存したり助けを求めたりすることを妨げるように働いてしまうこともあります。この意味では、ダンカンもブレシントンも覇権的な「男らしさ」から逃れられない存在ですよね。だからこそ、ステレオタイプな「らしさ」に囚われず生/性を謳歌するベラの存在が際立ちます。富も女も社会的地位—ブレシントンにいたっては人間としての脳—も失って破滅していく彼らの姿は、まさに「哀れなるもの」として浮かび上がってくるように思いました。

長尾:なるほど。脅しや説教をしてくる男性に屈せずに自分が思ったことを素直に語るベラを通して、「有害な男らしさ」の滑稽さや愚かさが見えてくると。

清水:おっしゃる通りです。ただし、男性性そのものは必ずしも有害なものだけではありません。アメリカのクィア理論家ジャック・ハルバースタムは「女性の男性性」について論じています。そこでは、思春期までは「お転婆」な女の子として許容されていた「女性の男性性」は、思春期以後、男性中心社会によって徹底的に抑圧され、「醜いもの」として排除されがちになると述べています。ベラの存在は、女性の男らしさ、あるいはオルタナティヴな男性性がどのような条件の下で可能になり、今後どのように再編していけるのかを考えるヒントにもなりそうです。

読書する女性、知性とジェンダー

長尾:確かに、この頃のベラは、大人の女性の見た目だけれど、内面はまだまだ少女的で、先生のおっしゃる「お転婆」と「醜いもの」のあいだを揺れ動いている感じがします。そんなベラは、船上で出会ったフェミニストのマーサに魅了され、大きな影響を受けました。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品への出演でも知られる俳優のハンナ・シグラ演じるマーサは、ベラにゲーテやエマーソンなど19世紀の哲学者たちの本を勧めました。また、同時に出会うハリーには世界の光と影を教わります。ハリーによってアレクサンドリアに連れ出されたベラは、世界の貧困を思い知り、はじめて残酷な現実に直面するとともに、自分が持っている上流階級としての特権性にも気付かされます。

この一連の経験は、ベラにとって思想の目覚めとなる重要な転機であったといえます。どんどん理知的になり、社会に対して目を開いていくベラに、ダンカンはますます抵抗感を示します。先生は、本と女性の関係について、著書『ディズニーと動物』の中で、宇野木めぐみさんの『読書する女たち』を引用しながら、「女性読者とは小説を読んでいたずらに感情を高ぶらせている存在であり、女性読者は女性の美徳にとって有害な墜落を意味していた」(284P)と書いていらっしゃいますが、このあたりのベラの変化をどんなふうにご覧になりましたか?

清水:これは知性とジェンダーをめぐる問題でもあるのかなと思いました。本を書く女もそうですが、本を読む女たちもまた歴史的には厳しい状況が続いていました。たとえば、『美女と野獣』のベルは「本の虫」として描かれています。『美女と野獣』に関して言えば、もともと神話「アモールとプシュケー」、そして1740年にガブリエル= シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ(ヴィルヌーヴ夫人)が執筆したフランスの異類婚姻譚があり、その後1756年にジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が子ども向けに書き下ろしたことで、翻訳、映画、ミュージカルとして数多くのアダプテーションが誕生することになりました。

ディズニーアニメのなかで、ベルが「少し風変わり」な女として村人から忌避されるのは、彼女が本を読む女だからです。当初、ベルを「本の虫」にしようというアイデアは、動きがなくて退屈なので映画には向いていないのではないかと懸念されました。ですが、逆にアニメでは、村の道をよく知っていて、一時も本から目を離さずに歩き回るというオープニングの光景になります。一見すると小さな村に暮らす「知性のある女」を表象しているようにも見えますが、舞台となる18世紀には、「男性の読書」とは対照的に「女性の読書」は小説が感情を高ぶらせ、女性の「美徳」にとって有害な「堕落」を意味するものとされていました。

清水:ちなみにディズニーアニメの『美女と野獣』の中でベルが一番気に入っている本は冒険の物語。遠く離れた地に冒険に赴く主人公が、決闘し、魔法の呪文が唱えられ、そこで姿を変えられていた王子が登場する話です。つまりベルは自分がこれから体験する冒険を、小説の中であらかじめ読んでいると言えます。その構造はベラとも少し似ていると感じました。「野蛮」で未熟な存在として描かれていたはずのベラが、「良識」ある成熟したはずの男たちを困惑させる理知さを獲得していく。本を通じて自分の冒険を予兆する知性、必要不可欠な見識を身につけていくんです。それは彼らに都合のよい女たちを作り出してきた社会ではなかなか教えられることのなかったものでした。

老婦人のマーサによって出会った本の世界や、黒人青年ハリーと目の当たりにした貧富の差。こうした不公正な構造は、社会のなかでは隠蔽ないし不可視化されてきました。けれどもベラは、現実に目を向け、様々な物語や思考と出会い直し、思考する自由を獲得していきます。わかったつもりになって思考放棄をしたり、無知のままで止まったりするのではなく、どこまでも自分の感覚をもとに思考を編んでいく。それがベラの強さや独自性になっていくと感じました。

長尾:冒険を予兆する知性。たしかに、ベラはマーサやハリーから得た知識をもとに、あくまで自分の感覚で今後の人生を方向づけていきますね。

後編に続く

『哀れなるものたち』予告編

■『哀れなるものたち』
監督:ヨルゴス・ランティモス
原作:「哀れなるものたち」 
アラスター・グレイ著(ハヤカワepi文庫)
脚本:トニー・マクナマラ
製作:エド・ギニー p.g.a.
アンドリュー・ロウ p.g.a. 
ヨルゴス・ランティモス p.g.a.
エマ・ストーンp.g.a.
撮影監督:ロビー・ライアン BSC, ISC
プロダクション・デザイン:ジェームズ・プライス 
ショーナ・ヒース
衣裳デザイン:ホリー・ワディントン
ヘアメイクアップ&補綴デザイン:ナディア・ステイシー
音楽:ジャースキン・フェンドリックス
サウンド・デザイン:ジョニー・バーン
編集:ヨルゴス・モヴロプサリディス ACE
セット装飾:ジュジャ・ミハレク
原題:POOR THINGS
2023年度作品 / イギリス映画 / 白黒&カラー
ビスタサイズ / R18+
上映時間:2時間22分 
字幕翻訳:松浦美奈
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Photography Mika Hashimoto
Text & Edit Shinichiro Sato(TOKION)

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マヒトゥ・ザ・ピーポーの初監督作『i ai』が3月8日に公開 約3500人からオーディションで抜擢された富田健太郎や森山未來、さとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子らが出演 https://tokion.jp/2024/01/25/i-ai/ Thu, 25 Jan 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222509 3月8日から全国順次公開。主人公コウ役は約 3,500人の中から抜擢された富田健太郎が務める。

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GEZAN のフロントマンであり、小説執筆や映画出演、フリーフェス・全感覚祭や反戦デモの主催など、独自のレイヤーによるカルチャーを紡ぐ活動で唯一無二の世界を作り上げるマヒトゥ・ザ・ピーポー。彼が初監督を務め、2022年の東京国際映画祭<アジアの未来部門>にも正式出品された映画『i ai(読み:アイアイ)』が3月8日から全国順次公開される。

本作はマヒト監督の実体験をもとに、主人公のバンドマン・コウと、コウが憧れるヒー兄、そして仲間達が音楽と共に過ごした日々、出会いと別れ、彼らの切実な時間が綴られていく。

主人公コウ役は、“全感覚オーディション”と 銘打たれたオーディションで約 3,500人の中から抜擢された富田健太郎が務める。そして主人公の人生に影響を与え、カリスマ的な存在感を放つヒー兄役には、映画だけでなく舞台やダンサーとしても活躍する森山未來。さらにさとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子、吹越満などが出演する。

公開決定にあたり監督のマヒトゥ・ザ・ピーポーは次のようにコメントを発表する。

やっと公開が決まりました。
これは咳を我慢し、つられて季節も息をとめたとある夏、愛しき仲間と生傷を絶やさず駆け抜けた生きることについての物語です。
なぜ人は記録するのか?人はなぜ永遠に対して挑戦するのか?その答えを映画というフォーマットでしかすくいとれない瞬間の連続が肯定している。生きてる時間の中で死を生かそうとする試み、その痕跡が詩を呼び込む。
i ai、相逢、もう一度逢う。ううん、何度でも真実に会おう。わたしは映画という嘘の時間の中でたどり着いた本当がお守りのように、未来を照らすことを知っている。この正しく混乱した118分が歪んだ現実をサバイブする武器になることを確信している。

■『i ai(アイアイ)』
出演:富田健太郎
さとうほなみ 堀家一希
イワナミユウキ KIEN K-BOMB コムアイ 知久寿焼 大宮イチ
吹越 満 /永山瑛太 / 小泉今日子
森山未來
監督・脚本・音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
撮影:佐内正史
劇中画:新井英樹
主題歌::GEZAN with Million Wish Collective「Third Summer of Love」(十三月)
プロデューサー:平体雄二 宮田幸太郎 瀬島 翔
製作プロダクション:スタジオブルー  
配給:パルコ
©STUDIO BLUE(2022年/日本/118分/カラー/DCP/5.1ch)
https://i-ai.jp

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注目のスペイン人映画監督、パブロ・ベルヘルが『ロボット・ドリームズ』でアニメーション映画に初挑戦 ジブリや手塚治虫からの影響を語る https://tokion.jp/2024/01/22/interview-pablo-berger/ Mon, 22 Jan 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222092 今秋、日本での公開が予定されているアニメーション映画『ロボット・ドリームズ』のパブロ・ベルヘルに今作に込めた思いを聞く。

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パブロ・ベルヘル(Pablo Berger)
1963年12月2日、スペインのバスク地方ビルバオ生まれ。アレックス・デ・ラ・イグレシア、ラモン・バレアと共に手掛けた短編映画『Mama』(1988/未)で監督デビューを果たし、高い評価を得る。その後、ニューヨーク大学にて映画学の芸術修士号を取得。長編デビュー作『Torremolinos 73』(2003/未)は、2003年マラーガ映画祭で初上映され、最優秀作品賞、監督賞、主演男優賞、女優賞を受賞したほか、同年スペイン国内の興行収入ランキングで1位となる大ヒットを記録。2012年、監督・脚本・製作を務めた『ブランカニエベス』では第85回アカデミー賞外国語映画賞にスペイン代表作として出品。1998年に日本のロックバンドSOPHIAの「黒いブーツ~oh my friend~」のMVも手掛けている。

近年、アニメーションが大きな盛り上がりを見せているスペイン。昨年10月にはスペインのアニメ作品を紹介するイベント『ドキドキ・アニメーションÑ』が東京で開催され、そこで上映されたのが『ロボット・ドリームズ』だ。1980年代のNYに暮らす孤独な犬、ドッグは、友達が欲しくて通信販売でロボットを購入。2人は仲良く暮らし始めるが、思いがけない出来事が2人の仲を引き裂くことになる。サラ・バロンのグラフィック・ノベルを映画化したのは、白雪姫の物語をモチーフにした実写映画『ブランカニエベス』(2012年)で注目を集めたパブロ・ベルヘル(Pablo Berger)。

今回、パブロは初めてアニメーションに挑戦したという。グラフィック・ノベルやアニメをこよなく愛し、根っからのシネフィルだというパブロに『ドキドキ・アニメーションÑ』にあわせて来日したタイミングで話を聞いた。

※本作は日本では今秋公開予定

——原作との出会いについて教えてください。どんなところに惹かれて映画化を考えたのでしょう。

パブロ・ベルヘル(以下、パブロ):原作を手にしたのは2010だった。私はグラフィック・ノベルのコレクターで、中でもセリフがない作品を集めているんだ。この原作を初めて読んだ時、楽しいだけではなく、オリジナル性もあるし、シュールなところもあって、ラストで涙してしまった、グラフィック・ノベルにそこまで感動させられるのは珍しいことで、それが自分の心の中にずっと心に残っていて。『ブランカニエベス』、『Abracadabra』(2017年/日本未公開)という長編を2作作った後、久しぶりにコーヒーを飲みながら原作を読んだら、以前よりも、ぐっときた。自分の人生から遠く離れてしまった、あるいは亡くなってしまった友人や家族に思いを馳せた時に心に響くものがあって、これを映画にしたいと思ったんだ。でも、初めてのアニメーション作品なので、自分にとっては大きな挑戦だったよ。

——セリフがないグラフィック・ノベルがお好きだそうですが、『ブランカニエベス』も今作もセリフがありません。サイレント映画に惹かれるところがあるのでしょうか。

パブロ:自分にとって映画はとてもユニークなもので、ビジュアルで物語が語られるところが面白いと思っているんだ。『ブランカニエベス』はサイレント映画へのオマージュだったけれど、あの作品と同じように観客と繋がれるものはないかと考える中で思いついたのが『ロボット・ドリームズ』だった。サウンドデザインはかなり複雑にやったから、まったくの無音(サイレント)というわけではなく、ジャック・タチや私が一番影響を受けたチャップリンに近いのかもしれない。世の中がトーキー時代にはなっても、チャップリンはまだ無声映画を作っていたんだ。例えば『街の灯』(1931年)のようなね。

『ロボット・ドリームズ』ではそういう感じを少し意識した。映画はビジュアルでストーリーテリングをするもの、ということを改めて思い出すきっかけになるような作品にしたくてね。映画は頭で考えるものではなく、肌で感じるもの。映画を観ている時は音楽や絵画に触れる時と同じように五感で感じて、後でじっくりと作品について考えてほしいんだ。

——音楽といえば、本作は劇中でアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」が印象的に使われています。物語にぴったりの歌詞ですね。

パブロ:劇中に何度も登場する「セプテンバー」はロボットとドッグの関係を表す2人のテーマ曲みたいなものだ。原作は月ごとに展開していって、ロボットが海辺で動けなくなるのが9月。そこに何か曲を使いたいと思って、パッと頭に浮かんだのが「セプテンバー」だった。プロデューサーに相談したら、使用料が高いんじゃないかって冷や汗をかいていたけど(笑)、なんとかクリアすることができた。そこで改めて歌詞を見て、「Do You Remember?」という最初の一節で驚いた。というのも、この映画は記憶についての作品で「覚えてる?」というのが映画のテーマそのものなんだ。しかも、次の歌詞が「The 21st Night of September?(9月21日の夜のことを?)」なんだけど、なんとその日は娘の誕生日なんだよ。

——すごい偶然ですね! 

パブロ:私は人生のマジックというものを信じている。そのマジックが進むべき道を教えてくれることがあって、「セプテンバー」がまさにそうだった。驚きのあまり頭が爆発しそうだったよ(笑)。

実写の経験をアニメに生かす

——マジックに導かれて初めてアニメを制作したわけですが、セリフがなくても感情が伝わってくる目の動き、雪が落ちた時の重さなど、繊細なアニメーション表現に引き込まれました。演出面で意識したことはありましたか?

パブロ:どんな形で実写の経験をアニメに生かせるかを考えたら、すぐに答えが出た。「演技だ!」ってね。私は役者との仕事が大好きで、真実に迫るような演技を求めてきた。アニメの場合、「この感情を伝えなければ!」みたいな大げさな表現をしがちだけど、それは絶対したくなかった。実写の作品のような演技を本作のキャラクターにもしてほしかったから、抑制が効いた、目で語るような表現を大事にしたんだ。そのためには素晴らしいコラボレーターが必要で、ブノワ・フェロウモンがアニメーションのディレクターとして参加してくれたのが大きかった。彼は『ベルヴィル・ランデブー』(2002年)や『ブレンダンとケルズの秘密』(2009年)に関わっている素晴らしいアニメーターで、彼が声をかけてヨーロッパの優れたアニメーター達が集まってくれた。そして、キャラクターに重みが感じられる、空間の中で存在しているような感覚が出せる昔ながらのアニメーションを目指したんだ。

——本作のリアルな演技は、高畑勲や宮崎駿の作品に通じるところがありますね。

パブロ:今回はジブリの作品から大きなインスピレーションを受けている。高畑さん、宮崎さんの作品は、アニメーションの監督が直面する問題の答えを全部持っていると思う。なかでも、キャラクターの演技が素晴らしくて、抑制が効いていて正直。真実に迫るものがあって、それが僕が求めているものだったんだ。日本以外のアニメーションで影響を受けたのはシルヴァン・ショメだね。彼等のスピリットがこの作品には宿っている。

——この映画は、さまざまな形で実写映画にオマージュが捧げられていますね。『クレイマー・クレイマー』(1979年)、『マンハッタン』(1979年)、『オズの魔法使』(1939年)、『シャイニング』(1980年)、『サイコ』(1960年)など、挙げればきりがありません。

パブロ:この作品はシネフィルのための『ウォーリーをさがせ!』といえるかもしれない(笑)。僕は映画作家である前にシネフで、映画を作るのはすごく疲れてしまうから、本当は観ている方が好きなんだ。映画においてストーリーはケーキだと思う。その上にこういったオマージュや遊びを通じてホイップクリームや苺を足していく作業が楽しいんだ。

——ジャック・タチと親交が深かったピエール・エテックスの映画『ヨーヨー』(1965年)のポスターがドッグの部屋に貼ってありましたね。大好きな作品です

パブロ:あの『ヨーヨー』を見つけてくれたとは嬉しいね! タチは知られているけど、エテックスのことはあまり知られていないからね。『ヨーヨー』とこの映画は似ているんだ。『ヨーヨー』も孤独な主人公が、ある種の冒険に出る話だった。『ヨーヨー』のポスターを使うことを思いついた時は、「セプテンバー」が降ってきた時と同じぐらい、「これだ!」と思った。それでポスターを使わせてもらうために、亡くなったピエールの奥さんに連絡を取って使用許諾をもらったんだ。奥さんが『ブランカニエベス』を気に入ってくれていたこともあって使えることになった。パリでこの作品をプレミア上映する際には、奥さんを招待する予定だよ。

スペインのアニメ事情

——お花畑でダンスするシーンを、ハリウッド・ミュージカルみたいにバークレー・ショット(映画監督のバスビー・バークレーが、ミュージカル映画でよく使用していた俯瞰のショット)で捉えた映像も素敵ですね。

パブロ:僕も大好きなシーンだ。最近知ったんだけど、『オズの魔法使』のミュージカル・パートを担当したチームにバスビー・バークレーがいたらしい。あと、この作品には手塚治虫へのオマージュもある。彼は『鉄腕アトム』など商業的な作品で知られているけれど、実験的な作品も制作していて、僕はそういう作品が大好きなんだ。

——手塚は実験アニメを数多く自主制作しましたが、そういう作品もご覧になっているんですね。今回、原作を脚色する際には、どんなことを大切にしましたか?

パブロ:原作をそのまま映画化したら30分で終わってしまっただろう。原作にはドッグに関する描写も少ないしね。だから、原作のシンプルなストーリーに肉付けをしていった。そして、物語の舞台になるニューヨークを細かく描きこんで、映画の3人目の主人公といえるくらい存在感を与えた。原作では背景はすごくシンプルに描かれているんだ。緻密な背景とシンプルなキャラクターというバランスはジブリを参考にしている。あと、映画ではロボットが見る夢の数を増やした。だから、原作と違うところは多いけど、原作のテーマと魂は同じで物語の綴り方が違うだけ。原作者のサラ・バロンも映画を気に入ってくれているよ。

——アニメの特色を生かした見事な脚色だったと思います。最後に現在のスペインのアニメ事情について教えてください。

パブロ:いまスペインはアニメーション黄金時代で、かつてないほど盛り上がっている。スペインの大きな映画祭、サンセバスチャン映画祭のコンペにアニメ作品が入るようになったんだ。僕の大好きな監督、アルベルト・バスケスの新作『ユニコーン・ウォーズ』も素晴らしい。今週末、インスティトゥト・セルバンテス東京というスペインの映画機関が、スペインのアニメのイベントをやることになっていて、そこで『ユニコーン・ウォーズ』や『ロボット・ドリームズ』が上映される予定なんだ。

——エンタメ系の作品よりも、作家性の強い作品が増えているのでしょうか?

ベルヘル:完全に作家系だね。監督は脚本も手掛けていて、パーソナルな作品を作っている。アメリカでは3Dが主流だけど、日本とヨーロッパでは1秒間に24コマを書く伝統なアニメを今も作り続けている。そうした手描きアニメがずっと続いてほしいと思っているよ。

Photography Masashi Ura

■『ロボット・ドリームズ』2024年秋公開予定

■『ロボット・ドリームズ』
2024年秋公開予定

2012年『ブランカニエベス』でスペインのゴヤ賞で最多10部門を受賞したほか、数々の受賞歴のあるパブロ・ベルヘル監督が手掛ける初の長編アニメーション映画。サラ・バロンのグラフィック・ノベルを映画化した。ニューヨーク・マンハッタンに暮らすドッグとロボットの友情を描く、かわいくてちょっと切ない、心温まるストーリー。

監督・脚本・製作:パブロ・ベルヘル『ブランカニエベス』
原作:サラ・バロン『Robot Dreams』
アニメーション監督:ブノワ・フェロウモン『ベルヴィル・ランデブー』『ブレンダンとケルズの秘密』
2023年|スペイン・フランス|101分(予定)
© 2023 Arcadia Motion Pictures S.L., Lokiz Films A.I.E., Noodles Production SARL, Les Films du Worso SARL

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ホラー映画初挑戦の古川琴音が『みなに幸あれ』で感じたこと 「現実をより理想に近づけるにはどうしたらいいかっていうのは常に考えておくべき」 https://tokion.jp/2024/01/20/interview-kotone-furukawa/ Sat, 20 Jan 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222231 映画『みなに幸あれ』に出演する俳優の古川琴音へのインタビュー。

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古川琴音

古川琴音
1996年10月25日生まれ、神奈川県出身。2018 年にデビュー。NHK 特集ドラマ『アイドル』(2022年 / NHK)、連続テレビ小説『エール』(2020年 / NHK)、『コントが始まる』(2021年 / 日本テレビ)や、映画『十二人の死にたい子どもたち』(2019年 / 堤幸彦監督)、『花束みたいな恋をした』(2021年/土井裕泰監督)、『偶然と想像』(2021年 / 濱口竜介監督)、『今夜、世界からこの恋が消えても』(2022年 / 三木孝浩監督)、『スクロール』(2023年 / 清水康彦監督)、Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』(2023年)、『雨降って、ジ・エン ド。』(2024年公開予定/髙橋泉監督)など、注目作品に続々登場している。
http://www.humanite.co.jp/actor.html?id=39
Instagram:@harp_tonehttps://www.instagram.com/harp_tone/

日本で唯一の、ホラージャンルに絞った一般公募フィルムコンペティション「日本ホラー映画大賞」(主催:KADOKAWA)。第1回大賞受賞作品である下津優太監督の『みなに幸あれ』が古川琴音主演で映画化され、1月19日から全国で順次公開されている。「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」という命題を、とある村を舞台にしたホラーとして描く本作。古川は村の特異な成り立ちにあらがい、行動を起こすが、どんどん追い込まれていく主人公を演じている。作品ごとに全く違う表情を見せてくれる古川琴音の魅力は、自身にとって初のホラーとなる本作でも健在だ。彼女の瑞々しい演技の秘密や、ホラー映画の醍醐味、作品のテーマについて聞いた。

※記事内には映画のストーリーに関する記述が含まれております。

『みなに幸あれ』を終えて

——今回の主演映画『みなに幸あれ』で改めて、古川さんのお芝居の魅力は表情の瑞々しさにあると実感しました。古川さんは「表情の演技」に関して意識していることはありますか?

古川:「表情を作ろうとしないこと」は大切にしています。

——『みなに幸あれ』で、田舎に暮らす祖父母の家に遊びに行く「孫」役を演じています。祖父母の奇妙な言動に覚えた違和感や、開かずの間にいる誰かの気配などが、恐怖に変わっていくわけですが、「孫」をどういう人物と捉え、どう演じましたか?

古川:「孫」は、本当にごく普通の感覚を持っていて、作品の中でお客さんが唯一共感できる人。普通であればあるほど周りの人が異様に見えてくると思いましたし、「孫」という役名に普遍性を感じたので、特に「こういう人」という役作りはせず、「これから何が起こるんだろう?」という気持ちで現場にいました。

——作品を拝見して、「これはどういうこと?」という謎や疑問がたくさん残っています。それをああだこうだ考えることが楽しいのですが、古川さんは現場で監督に、それらの答えを求めましたか?

古川:私も確か、「おばあちゃんはなぜ妊娠したんですか? それは生贄と関係ありますか?」と聞いたと思うんですけど、「自由に考えてください」みたいな反応でした(笑)。「孫」は何が起きているのかがわからない役なので、「わからないままやってください」と。

——わからないまま出したものが正解かどうか、不安や迷いはなかったですか?

古川:なかったです。私はとにかくリアクションだけをしていました。監督もその「わからない表現」を受け入れてくださる方だったので。わかって何かを作ろうとするよりも、わからないまま、その時感じた表情が出ればいいということなんだろうなと解釈しました。

——下津優太監督はどんな演出をされる方でしたか?

古川:監督は今回長編が初めてということで、いろいろ実験されてたのかなという印象がありました。そのシーンのシチュエーションを役者に知らせないで撮ろうとしたり。私が叔母の家に行って吊るしてあった布を取り外すシーンでは、布の後ろに何が置いてあるかはずっと内緒で、本番で初めて「あれ」を見たんです。そういうサプライズ的な演出で生まれるリアルなものを大切にされているなと感じました。

——役者として、そういう演出はどうでしたか?

古川:たくさんの発見がありました。自分が想像もしなかった反応が出たなと思う部分もありましたし……楽は楽でした(笑)。何も準備せず、周りに反応していればいいだけだったので。監督が、私が驚ける環境や怖がれる環境を作ってくださったおかげで、本当に楽でした。でも、体力的にはどんどん消耗していきました(笑)。泣いて叫んで逃げて怒ってびっくりしてという、感情表現にものすごく体力を使ったので。

——古川さんは89分間ほぼ出ずっぱりでしたよね。どうやって体力を回復させましたか?

古川:回復しなかったです(笑)。美味しいものはたくさん用意していただいていたんです。地元(ロケ地の福岡県田川郡)の方が用意してくださったイノシシ鍋とか、みんなでいただきました。今回スケジュールが順撮りだったので、体力が消耗していく様をそのままお芝居に生かせたんですね。だから「回復しなくてもいいや」って(笑)。

——ということは完成した作品を観て、「こんな表情をしていたんだ!」という驚きがありそうです。

古川:あります。叔母の家を飛び出して山の中で雨に打たれるシーンの表情は、自分でも結構好きです。体力が結構ギリギリの状態で、本当に寒くて寒くて、何も考えてなかったんですよね。自分に限界が来ていることが、ちゃんと顔に出てるなって(笑)。物語ともマッチしてるし、すごく真実味のある表情だったので、好きだなと思いました。

——つまりは「作為のない表情」ですね。

古川:毎回そうなればいいなと思いながらやってます。

——今作に限らず、古川さんが現場でお芝居をする時に大切にしてることを教えてください。

古川:カメラ前ではすべて忘れること、ですかね。自分の中に「こういう流れになったらいいな」みたいなイメージはあるんです。物語の軸としてそういうものをちゃんと持ちつつも、感情の面では相手の俳優と作っていく、相手に委ねる、相手の反応を見ながらその時に自分に湧き上がった感情に素直になる。それは忘れないようにしたいと思っています。

演技への思い

——本作のタイトルにちなみ、古川さんが幸せを感じる瞬間を、プライベート編と仕事編で教えてください。

古川:プライベートだと、家に帰ってきて猫がお出迎えしてくれた時! 毎回来てくれるんですよ。「ただいまー!」「疲れたよ〜」って言う私を癒してくれるので、すごく幸せです。仕事だと、出演作品を観た人から連絡をもらった時もそうだし、お芝居をしながら無になれた時。その時は無我夢中なんですけど、後から「あの時は楽しかったよね」って思います。さっきお話しした雨に打たれたシーンもそうだったんじゃないかなと思います。

——仕事において、目標や夢はありますか?

古川:実はあんまりないんです。

——そもそもこの世界に入った時は、「お芝居を仕事にしたい」ということだったんですよね?

古川:はい。就職活動の一環で自分の得意なことを探していった結果、「人からお芝居を褒められることが多いということは、得意なのかな」と思って、この仕事をやってみようかなって。でもまさか本当にできるとは思ってないから、「ドラマに出れたらいいな」「主演作とかできちゃったりして!」みたいな気持ちだったんですよね。今回の映画も含めてあの時の憧れみたいなものは叶えられてきているんですけど、その先のことっていうのはあまり考えられていないというか。自分がやりたい作品があったとしても必ずしもできるわけじゃなくて、ご縁だと思うので、あまり考えないようにしている部分もあります。

——古川さんはデビューしてまだ5年なんですね。もっと昔から見ている感覚でした。

古川;嬉しいです。ありがとうございます。

——この5年間を振り返ると、あっという間でしたか?

古川:6年目に入ったんですけど、小学1年生が小学6年生になると考えると、「え、もうそんなに経った?」みたいな感じです。デビューした時と気持ちはあんまり変わってないですし、まだまだ新人の気持ちです。でも確かに、最近若くて新しい子がたくさんいるなーとか思ったり(笑)。

——デビューした時の気持ちとは?

古川:ワクワク感、ですかね。ありがたいことに、今のところ同じような役も内容がかぶった作品もないと思ってるので、「次はどういうものが来るんだろう?」というワクワク感がずっとあります。

——「1本1本が勝負だ!」という緊張感みたいなものはありますか?

古川:勝負というよりも、1本1本実験をしている感覚が強いです。お芝居って正解もなければ間違いもないから、自分の中で毎回いろんなお芝居を試している感じです。「もうちょっとキャラクターに振ったらどうなるかな」とか、「ここの動きをいつもは自然体にやってたけどあえてポーズを決めたらどうなるかな」とか、細かいことなんですけど、そういう実験……というか「工夫」を繰り返しています。

『みなに幸あれ』が描くテーマ

——ホラー作品は普段ご覧になりますか?

古川:観ます。『パラノーマル・アクティビティ』とか『コンジアム』、最近だとNetflixの『呪詛』を観ました。日本映画に限らず、いろいろ観ます。

——古川さんが思うホラーの面白さとは?

古川:何なんでしょうね……。私は、意味がわからないものが怖いなと思うんです。「こういう原因があって、この恨みが発生したんだよね」っていう話よりも、「なんでこれがここにあるのかわからない」「なんでこの人がこんな動きをしてるのかわからない」のほうが怖いと感じるんです。好奇心というか、怖いもの見たさの気持ちが、自分にとってのホラーの醍醐味かなと思ってます。

——『みなに幸あれ』は「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマを、「生贄」というホラー的なアイテムを使って表現しています。古川さんはこのテーマについて、今現在どのような考えを持っていますか?

古川:最初にこれを言われた時、「すごい嫌なこと言うな」と思ったんです。見ないように生活できてるだけで、見ようと思えばいくらでも身の回りにあふれてることかなと思うんですよね。私は「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」と認めたくはないし、そういう世界になってほしくないという願いがあるからこそ、これを言葉にしてほしくなかったなとは思いました。でも、言葉にしたからこそ、向き合わざるを得ないという気持ちにもなりましたし、そこでいろいろ考えさせるところがこの映画の面白さだなと思いました。監督がいろいろな答えを散りばめてくれているなとも思います。

——目、耳、口を縫い合わされる描写がありました。それはつまり、「見ざる言わざる聞かざる」ということで、大人になったら自分を殺して社会の歯車になりなさい、という圧力も意味しているのかなと思いました。「孫」はちょうど、看護学校を卒業して社会に出る直前だったので。

古川:あ、なるほど。「孫」はそれに反発してもがくじゃないですか。そこに私はすごく共感できました。自分がもし同じ状況になったとしたら、同じようなことをするだろうなと思います。

——監督はおそらくこのテーマを「こうである」と押し付けているのではなく、問題提起していると感じました。孫の幼なじみの父親が、「みんながみんな自分の夢だけを追いかけたら世の中成り立たない」と言うと、幼なじみが「でもみんなが幸せになる方法もある」と言い返しますし。

古川:それはこの物語における理想の部分だなとは思いました。絶対に自分の中に持ってなきゃいけない部分でもあると思うんですよね。現実を見つつも、理想を掲げて、現実をより理想に近づけるにはどうしたらいいかなっていうのは常に考えておくべきことだと思っているので。みんながみんな一緒の意見じゃなくてもいいけれど、私はその気持ちは持っていたいと思ってます。

Photography Takuroh Toyama
Styling Makiko Fujii 
Hair & Makeup Yoko Fuseya(ESPER)

ドレス ¥99,000、ブーツ ¥165,000(ともにサカイ/sacai.jp)、アクセサリー(mamelon/@mamelon

■映画『みなに幸あれ』1 月19日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

■映画『みなに幸あれ』
1 月19日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

出演:古川琴音 松大航也ほか
原案・監督:下津優太 
総合プロデュース:清水崇 
脚本:角田ルミ 
音楽:香田悠真
主題歌:「Endless Etude (BEST WISHES TO ALL ver.)」 Base Ball Bear
製作:菊池剛 五十嵐淳之
企画:工藤大丈 
プロデューサー:小林剛 中林千賀子 下田桃子
製作:KADOKAWA ムービーウォーカー PEEK A BOO 
制作プロダクション:ブースタープロジェクト 
配給:KADOKAWA
©2023「みなに幸あれ」製作委員会
https://movies.kadokawa.co.jp/minasachi/

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