MUSIC Archives - TOKION https://tokion.jp/category/genre/music/ Wed, 28 Feb 2024 10:06:47 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png MUSIC Archives - TOKION https://tokion.jp/category/genre/music/ 32 32 ララージやフィル・ラネリンら錚々たる面々が集結 LA音楽家のジェシー・ピーターソンがカルロス・ニーニョとスタートさせたターン・オン・ザ・サンライトの新作が3月20日に世界同時リリース https://tokion.jp/2024/02/28/ocean-garden/ Wed, 28 Feb 2024 10:15:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225947 LA拠点の音楽家ジェシー・ピーターソンを中心とするコレクティヴ、ターン・オン・ザ・サンライトの新作『Ocean Garden』が3月20日にCD/LP/デジタルで世界同時リリースとなる。

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LA拠点のマルチインストゥルメンタリスト、作曲家、プロデューサーのジェシー・ピーターソンが、2010年に同地シーンのキーパーソンであるカルロス・ニーニョとともに立ち上げたプロジェクト/コレクティヴ、ターン・オン・ザ・サンライト。

前作から4年ぶりとなる新作『Ocean Garden』には、アンビエント~ニューエイジの重要アーティストであるララージや、〈Tribe〉レーベル創設者の1人であるフィル・ラネリン、細野晴臣プロデュースのアルバム『み空』(1972年)発表後に渡米した金延幸子、ミシェル・ンデゲオチェロ『The Omnichord Real Book』のプロデュースでも話題を呼んだLAのマルチ奏者のジョシュ・ジョンソンなど、錚々たる面々が一同に介する。

「もしブライアン・イーノとジョン・フェイヒーが出会ったら――」という夢想から始まったプロジェクトの現在地で鳴り響く、有機的で深みあるサウンドスケープ&グルーヴを堪能したい。

『Ocean Garden』は3月20日にCD/LP/Digitalで世界同時リリースされ、先行曲としてフィル・ラネリンが参加した「Tune Up」が2月28日にデジタルリリースされた。

■Turn On The Sunlight『Ocean Garden』
リリース日:2024年3月20日
フォーマット:CD / LP / Digital
レーベル:rings / plant bass
オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/turn-on-the-sunlight-ocean-garden/

Turn On The Sunlight – Tune Up featuring Phil Ranelin (Official Visualizer)

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.3 Unkompress × 『Records Culture Magazine』対談 https://tokion.jp/2024/02/28/listening-bar-berlin-vol3/ Wed, 28 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225483 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第3回は「Unkompress」オーナーのケヴィン・ロドリゲスと『レコード カルチャー マガジン』編集長のカール・ヘンケルによる対談。

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ケヴィン・ロドリゲス(左)カール・ヘンケル(右)

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第3回は、クロイツベルク地区に2023年にオープンした、カジュアルさが人気のリスニングカフェ兼バー「Unkompress」。オーナーのケヴィン・ロドリゲス(Kevin Rodriguez)と交流のある『Record Culture Magazine』編集長のカール・ヘンケル(Karl Henkell)を迎えて、日本と海外のリスニングバーの違いや楽しみ方について話を聞いた。

日本と西洋で異なるリスニングバーの在り方

−−2人の出会いは「Unkompress」ですよね?

カール・ヘンケル(以下、カール):そう。初めて訪れたのは、オープンして数ヵ月後だったかな? とても居心地のいい空間で、マドリッドにある「Faraday」という友人のリスニングカフェを思い出した。優れたサウンドシステムがあるし、パーソナルな空間をつくり出してると思う。他のバーや商業スペースとは違って、家庭的な感じがするんだ。それにおいしいワインもあるし。

ケヴィン・ロドリゲス(以下、ケヴィン):ありがとう! 「レコード カルチャー マガジン」のことは知ってたよ。素晴らしい写真とインタビューが載ってる雑誌だからね。

−−以前はお互いNYに住んでいましたが、好きなリスニングバーはありましたか?

ケヴィン:ここ数年でオープンした店はたくさんあると思うけど、思いつくのは、「Public Records」だけ。

カール:僕も同じ。「Unkompress」や他のリスニングバーのような親密さにこだわって、ハイエンドな機材を揃えたスペースはあまりなかったよね。

ケヴィン:あと「mezcaleria milagrosa」という店があって、すごくおいしいタコス屋に併設されていたんだ。その2店が本当に際立ってるね。

−−「The Loft」を主催したDJのデヴィッド・マンキューソをはじめ、アメリカには日本とは違うリスニングバー文化がありますよね。

ケヴィン:ジャズ喫茶とリスニングバーがどういうものかわかってくると、みんな自分の好みだって気付くんだ。レコードを集めている人の多くは、他の人と一緒に楽しみたいからね。僕もデヴィッド・マンキューソの音響について考えてきたし、「素晴らしい音響とレコードと一緒にビールが飲める店を開きたい」と思ってたんだ。それから何年も経って、自分のアイデアがそもそも日本にあることを知って、正しかったんだと実感したよ。今ではNYだけでなく、アメリカの人里離れた場所にもあるしね。

カール:どちらもオリジナリティーがあるし、アメリカやヨーロッパではすべてが融合され始めている。日本では「The Loft」みたいな文化はないけど、だからこそ新しいスタイルが生まれたんだ。

−−西洋でバーは会話を楽しむ場であるのに対し、日本ではほとんどの人が静かに音楽を楽しんでいます。このような違いについてどう思いますか?

ケヴィン:個人的にはおもしろいと思う。日本の文化って、外から見るとすべてに目的があるように感じるよ。だから、ジャズ喫茶やリスニングバーについて語る時、そこには理由があって、人々はその理由のために行く。西洋でのバーは友人や家族、楽しい時間が集まる場所。音楽はいつもその背景にあるものなんだ。音楽が前面に出るようなリスニングバーを始めたことで、西洋の人達の認識は変わってきてると思うけど、みんながいつも静かにする場所にはならないね。だからこそ、多くのリスニングバーや「Unkompress」でさえ、特定の夜におしゃべりも電話も禁止のリスニングセッションを開くんだ。

カール:若い頃は、ただ座って聴くだけのアルバム・リスニング・パーティーというコンセプトがしっくりこなくて。でも僕にとってリスニングバーは新しい場所で、ナイトクラブの文脈とは違う音楽をかけたり聴いたりできる。より繊細で、瞑想的で、家で聴くような音楽、それがなんであれね。ナイトクラブやバーに行ってあれこれ聴くのではなく、もっと幅広い音楽を楽しめる。

世界的に広がる、食とサウンドに特化したコンセプト

−−海外のバーのよさも残しつつ、日本式の楽しみ方が浸透しているんですね。2人の住んでいたスペインはどうでした?

カール:マドリードには「Proper Sound」というリスニングバーがある。20人ほどの超小型店だけど、いつも賑わってるし、DJのプレイを毎晩聴ける。最近だと、オーストラリアのメルボルンには「Skydiver」っていう昼間はレコ屋、夜はバーになる店があるよ。こういうコンセプトは、とても理にかなっていると思うな。


ケヴィン:僕がバルセロナに住んでいた頃はまだなかったな。今は少なくとも3、4軒のリスニングバーがあるって聞いたよ。ロンドンには「Brilliant Corners」があるよね。でもあそこもレストランだし、食とサウンドって最近よく見かけるコンセプトだと思う。

カール:パリはワイン文化があるし、すでにカジュアルバーのコンセプトも根付いていて、その方向に進んでるよね。

ケヴィン:今考えてみると、こういった場所のほとんどは食事とワインを楽しむような場所で、リスニングバーといいつつ音にこだわってるとは限らないよね。多くの人が食事や会話をしてるし、100パーセント音楽にフォーカスしているかはわからない。

カール:フランスのボルドーに「Café Mancuso」ってカジュアルな高級レストランがあるんだけど、音がいいって評判だよ。同じコンセプトのレストランでも、いろんな工夫がされていると思う。

ケヴィン:ビジネスの観点から言えば、お酒を飲めば人はお腹が空くし、料理にはお酒が付きもの。そういう経済的な側面もあるよね。でも「Unkompress」のような場所では、食事ではなく、音楽と文化に重点を置きたいんだ。いいサウンドシステムがあっても、やっぱりレストランはレストラン。音楽を聴くために行くかどうかはわからないね。

その人に合ったリスニングバーの楽しみ方

−−2人はどんなリスニングバー が好きですか?

ケヴィン:その時の気分と、その場所が何を提供してくれるかによるかな。リスニングバーなら、音楽とサウンドに集中する。パートナーや友達だけなら、ちょっと小声で話しながら、ただ音に耳を傾ける。でも5人のグループだったら、あまり聴かないかもね。

カール:僕はのびのびとした性格だから、予約なしで行けて、混んでないお店っていうのが大事。「Unkompress」もきっと混んでいるんだろうけど、今のところいつ来ても席を見つけられるからよかった!一方で、ちょっとハプニングがあったりするような場所も楽しいね。よく友人と遊びに行ったり、社交的なことが多いから。

−−最後に、リスニングバーを楽しむベストな方法は何だと思いますか?

ケヴィン:オープンマインドで行けばいいと思う。友達と一緒でもいいし、グループで行ってもいい。会話ができないわけではないけど、音楽やサウンドに敬意を払うことを念頭に置いて、小声で話すこと。今聴いているものに感謝すること。

カール:おいしいワインと音楽を楽しむこと。友人がDJをやってたら、自分が知らない音楽や風変わりなアルバムを持ってたりして楽しいし、自分を驚かせることができる。文脈が特別なものをつくるんだ。選曲する人達も、観客を踊らせるってプレッシャーがない分、いろんなことができるしね。

■ Unkompress
住所:Fichtestraße 23, 10967 Berlin, Germany
営業時間:水木14:00~23:00、金土14:00~1:00
休日:日月火
unkompress.berlin
Instagram:@unkompress

Photography Shinichiro Shiraishi

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抑圧から自由になるために:Kassa OverallとTomoki Sandersが語る『ANIMALS』、アフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化 https://tokion.jp/2024/02/28/kassa-overall-x-tomoki-sanders/ Wed, 28 Feb 2024 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225786 ドラマー/プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overallとマルチ・インストゥルメンタリストのTomoki Sandersが、新アルバムやアフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化、そしてPharaoh Sandersについて語る。

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左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)、右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)

左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)
1982年10月9日生まれ、米・ワシントン州シアトル出身のミュージシャン、MC、シンガー、プロデューサー、ドラマー。前衛的な実験とヒップホップ・プロダクションのテクニックを融合させ、ジャズとラップの結びつきを想像だにしない方向へと進化させた楽曲で評価を高める。前作の『 I THINK I’M GOOD』から3年を経て、名門Warpから自身3作目となるスタジオアルバム『ANIMALS』をリリースした。
https://www.kassaoverall.com

右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)
1994年ニューヨーク州マンハッタン出身。4歳でピアノとドラム、6歳でクラリネット、10歳で父 Pharaoh Sandersから譲り受けたアルトサックス、14歳からテナーサックスを手にとり演奏を始める。バークリー音楽大学で演奏、現代作曲技術、音楽制作などを学び、2018年に卒業。現在までに、Pharoah Sanders、 Kassa Overall、Ravi Coltrane、OMSB、石若駿をはじめ、日本と米国で様々なミュージシャンとの共演を果たしてきた。現在は主にニューヨークを拠点に活動中。

ジャズ・ドラマーとして活躍する一方、プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overall(カッサ・オーバーオール)。前作『I Think I’m Good』(2020年)から3年を経て名門Warpから2023年の5月に発表した最新アルバム『ANIMALS』は、ジャズやヒップホップ、エレクトロの要素を絶妙に融合させた実験的な音楽性と思索的なリリック、そしてDanny Brown(ダニー・ブラウン)やNick Hakim(ニック・ハキーム)をはじめとする豪華なゲスト陣も相まって、大きな話題を集めた。

そんな彼が、サックスやパーカッションをはじめ、様々な楽器を弾きこなすマルチ・インストルメンタリストのTomoki Sanders(トモキ・サンダース)やピアニストのIan Fink(イアン・フィンク)、ドラマー/パーカッショニストのBendji Allonce(ベンジー・アロンス)らを引き連れ、昨年10月に自身2度目となる来日公演を行った。東京と大阪、そして朝霧JAMで圧巻のパフォーマンスを披露した彼らは、各会場で老若男女、そしてジャズファンとヒップホップファンの入りまじるオーディエンスを熱狂の渦に巻き込み、その唯一無二の音楽的価値と実力を改めて示してみせた。

TOKIONでは、彼らの来日公演の折に、Kassa OverallとTomoki Sandersにインタビューを敢行。お互いの音楽的素養やキャリアを尊重しつつ、兄弟や師弟にも似た関係を取り結ぶ2人に、アルバムタイトル『ANIMALS』の背景にある思想や、アフリカン・ディアスポラ・ミュージックを分つ「ジャンルに」対する考え方、「家(home)」への思い、Tomokiの実の父、Pharaoh Sandersとのエピソード、日本文化への興味、そして「バックパッキング・プロデューサー」としての心得など、あらゆることを語ってもらった。

『ANIMALS』と抑圧への抵抗

–3年ぶり2度目の来日公演ですね。どんな気分ですか?

Kassa Overall(Kassa):とても興奮しているよ。前回のツアーの後、ヨーロッパのツアーには8回くらい行ったかな。でも日本に来るのはいつも大きなイベントのように感じる。フライトは長いし、ビザを取るために何度も領事館に行かなければならない。とにかく大変なんだ。時差ボケもひどいし。でもそういうものを経て日本に来れたら、この国の独特のライフスタイルに触れることができる。とてもエキサイティングだよ。

–Tomokiさんは、Kassa Overallのバンドの一員として日本に戻って来たことについて、どう感じましたか?

Tomoki Sanders(Tomoki):とても感謝しているし、素晴らしいバンドの一員になれて光栄に感じています。それに、海外のバンドに参加して日本で演奏するのは初めてなんです。日本の音楽シーンで10年近く演奏してきた僕にとって、これは全く新しい経験で、日本ツアーでの3日間が本当に楽しみです。

Kassa: 帰ってきたぜ、マザーファッカー!みたいな気分なんじゃないの?

Tomoki: まあ確かに(笑)「いつか海外のバンドと日本に凱旋して演奏したい」って、周りの人たちにはずっと言ってきましたからね。今回それが叶って嬉しいです。

–まず『ANIMALS』というアルバムのタイトルについてお聞きしたいと思います。このタイトルには複数の意味が込められていると語っていましたよね。まず、観客の前で演奏をする自分を、ときにサーカスの動物のように感じることがあると。もうひとつは、人はときに他者を「動物だ」と形容して、その他者に対する自分の残忍な行為を正当化させると。これは、一義的にはアフリカ系アメリカ人としての視点からの言葉だと思いますが、ガザの問題のように、いま私たちが目の当たりにする世界の様々な問題にもリンクするように感じます。タイトルに込めたメッセージが、自分の想像していなかった、より広い意味で理解されることについて思うことはありますか?

Kassa: まず自分が音楽に取り組む時、そこには何かしらのインスピレーションがある。それはごく個人的なものかもしれないけれど、そこから生まれる作品は、普遍的で時代を超越するようなものにしたいと思って制作しているよ。作品を発表して数年後に何かが起きたとき、聴き返す価値があるようなものをね。つまり、過去に起こったこと、現在起こっていること、そして未来に起こることを物語りたいと思っているんだ。

先日、家族と話している時に、ヨーロッパ中心主義的な文化や、階級、人種、その他いろいろなことについて激しい議論になった。そして結局、僕は「抑圧」に抵抗しようとしている、という結論に行き着いたんだ。抑圧はさまざまなレベルで存在する。国家同士のようにすごく巨大な力が関わるものから、より小さなレベル、例えば家族の中や、マクドナルドでの店長と従業員の関係性に至るまで。どこにだって独裁者のように振る舞う人はいるからね。

だからこそ、人生に対する別の見方を提示するような作品を作ろうと思っている。それと同時に、聴く人がどんな状況にも当てはめることができるよう、透明性やわかりやすさも大切にしているよ。僕の音楽が、なんであれ大変なことを経験している人に、立ち上がるための力を与えられたらいいなと願いながらね。それから、自分自身が抑圧的に振る舞っていないかを考えることも大切だと思っている。自分から離れた物事に対してあれこれ言うだけじゃなくて、自分のことも省みないとね。誰が誰を抑圧しているのか、見分けるのが難しいケースも多い。まあ、善悪をジャッジするのは僕の仕事ではないから、ただ自分が正しいと思うことをするだけだよ。

–それに関して、Tomokiさんは何か思うところありますか?

Tomoki: 確かに、「動物」という言葉は、誰かが他の人の人間性を奪うような場面で使われていると思いますし、それはパレスチナの問題や、数年前のジョージ・フロイド事件やブリオナ・テイラーへの銃撃事件など見ても明らかだと思います。出来事としては、軍隊や警察官が市民を殺害していることだと言えるけれど、その内実を見てみれば、要は人間が、別の人間の命を奪っているということ。本当は命を奪っている側こそ「野獣」を抱えていると僕は思います。とは言え、人間というものの内側にはそれぞれ「内なる野獣」がいて、それを顕在化させるのか、制御するのかの違いなのかなとも思いますね。

音楽を文脈から解き放つこと

–「抑圧」への抵抗という点で言うと、Tomokiさんは別のインタビューで、アフリカ系アメリカ人にとって、フリージャズやヒップホップは、自分たちを抑圧するものや白人中心の社会が作り上げたものから解放されるための手段だったし、今もそうあり続けていると言っていましたよね。

Tomoki:あくまで個人的な解釈ですけど、僕にとってフリー・ジャズは、ジャズという言葉そのものを解放することでもあります。ジャズという言葉が嫌いだと言う人もいるかもしれないし、良いイメージを持っていない人も多いかもしれない。フリー・ジャズは、でたらめな音、でたらめなタイミング、もしくは思いつきのメロディーを演奏するものだと思っている人もいると思う。でもそれは、フリー・ジャズという言葉を説明する上では全く本質的な部分ではなくて。ぼくにとってのフリー・ジャズは、いろんな意味で自分自身を解放することであり、自分らしさや、アーティストとしての楽観的価値観を受け入れる自由さを身につけることなんです。

–なるほど。Kassaさんはそのようなフリー・ジャズ的なマインドセットを体現していると思いますか?

Tomoki:それは間違いないです。彼はブラック・ミュージックそのものを体現していると思います。ツアー中、彼はアンダーグラウンドヒップホップから、僕が聴いてこなかったジャズの名盤まで、音楽をたくさん教えてくれて、僕の音楽の関心の幅も広がったので感謝しています。

–Kassaさんはそれを聞いてどうですか?

Kassa: そうだね。自由(free)っていうのは、社会を成り立たせている文脈から自分を解き放つことじゃないかなと思う。あくまでこれは僕の個人的な意見だけど、音楽ジャンルっていうのは、アメリカの白人文化や、ヨーロッパの白人文化の文脈の中で作られてきたものだと思う。その文化の中で、「この黒人たちが作った音楽を何と呼ぶか?」っていう思案のもと、ある音楽は「ジャズ」と名付けられ、また別の音楽は「ヒップホップ」と名付けられた。でもそれって、文化に枷(かせ)をつけているようなものじゃないかと思う。つまり文化を時代や、特定のスタイルで縛り付けているだけなんじゃないかって。

–おっしゃる通りだと思います。

Kassa: それに対して、ディアスポラ的な性質を軸にして、これらの異なるジャンルをブラック・ミュージック、あるいはアフリカン・ディアスポラ・ミュージックとして、互いに結びつけることができたら、「Aというジャンルは絶対にAで、他のものにはなりえない」というジャンルの束縛から音楽を解き放つことができるんじゃないかな。これは世代間の断絶にも似ていると思う。つまり、孫、母親、祖父、叔父、叔母、いとこ、これらすべての人々が同じ空間に一緒にいれば、個々のパワーは統合されて、倍増する。でも、もしその人たちが1人ずつ100個の小さな空間に分断されていたとしたら、各々がただの単一な存在に過ぎないということになるよね。

そんなふうに分断された考え方で僕の音楽を聞くと、僕はただのラッパーで、何千と存在する他の要素とのつながりなんて意識せずに、ただドラムを叩いている奴ってことになってしまう。だからこそ、「僕にとっては明白だけど、他の人たちにとってはそうじゃないような音楽的なつながりを、作品を通していかに見せられるか」という問いは、自分が音楽を作る上でのモチベーションの1つでもある。それで最初の話に戻って、「どうすれば文脈から抜け出せるのか?」と考える。「僕は、既存の文脈の中で、自分以外の存在として定義されることなく、ただそれ自体として存在することはできないのか?」と。でも、こうやって話し始めると堂々巡りになってしまうし、話している僕自身も混乱してしまうから、結局は黙々と作品を作って、その作品自体に語らせる、っていうやり方のほうが好きかもしれないね。

–なるほど。ちなみに先ほどツアー中にTomokiさんはKassaさんからアンダーグラウンド・ヒップホップを色々と教えてもらっていたと言っていましたが、どんなアーティストを教えてもらったんでしょうか?

Kassa: さあTomoki、勉強の成果を披露する時だね。アンダーグラウンド・ヒップホップの名盤20選を挙げなさい(笑)

Tomoki: (ビートボックスをしながら)Kassaに教えてもらった曲のこのビートがずっと頭から離れないんですよね。

Kassa: それはSchoolly Dだね!フィラデルフィア出身の元祖ギャングスタ・ラッパーだよ。NWAやIce-Tにも影響を与えた人物。

Tomoki:そうそう。Schoolly DはKassaから教えてもらったラッパーの中でも印象に残っているアーティストです。他にも、主に90年代初期から90年代中期のヒップホップを色々と教えてもらいました。そのあたりを知ることで、改めてヒップホップ文化とは何たるかを深く知ることができた気がします。僕にとってのヒップホップのスタート地点は、Biggieや2Pacで、そこからA Tribe Called QuestやJay-Z、あとはKanye WestやThe NeptunesやTimbalandを聴いていました。僕は、それらの音楽のルーツはどこなのか、源流のようなものを知るのが好きなオタクなんですよね。Kassaは僕とは世代が違うし、子供の頃からヒップホップをたくさん聴いて育ってきた人。彼が聴いてきた音楽は、僕に取っては知識として欠けていた部分だったので、完全に勉強モードで、ヒップホップの源流に近い音楽をたくさん吸収させてもらいました。

Make My Way Back Homeの問い

Kassa Overall – Make My Way Back Home (feat. Nick Hakim & Theo Croker) [Official Video]

–『ANIMALS』に収録されている『Make My Way Back Home』についてお聞きします。最近個人的に、Eric B. & Rakimの『In The Ghetto』という曲を聴き返していて、この中で「It ain’t where you’re from, it’s where ya at(どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ)」というパンチラインがあるんです。それと対照的に、Kassaさんの『Make My Way Back Home』は、「別に家に帰ったっていいんだよ」というタイトルにも現れているように、人の弱さや繊細さを受け入れていて、まさに今の時代のヒップホップという感じがしました。それも、先ほどおっしゃっていた「抑圧」に抗うことにつながるのかなと思ったんですが、どうですか?

Kassa:なるほど。考え方がより現代的に進化したんじゃないかってことだよね?確かに、より繊細な物言いにはなっているね。でも、この曲のリリックをよく聞くと、「You could cry to your mama, but she don’t want no drama (母親に泣きついたっていい。でも、母親はドラマを望んではいない)」と言っているよね。確かに繊細な物言いにはなっているんだけど、結局のところErik B.とRakimの曲と同じメッセージを歌っているんだよ。つまり、「自分の世話は自分でするんだ」ってこと。その後の「I’ve been washin’ on my karma, got me working like a farmer(自分のカルマに向き合い、そのために農民のように働いた)」っていうリリックも同じだよ。わかるだろ?家が恋しくなったり、親のいる家に帰りたいと思ったりすることもあるだろうけど、実際のところ、世界は僕のことなんて大して気にもしていない。自分でレベルアップしなければならないってこと。

Erik B.とRakimの「どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ」っていうリリックには二重の意味があって、実際の場所というよりは精神性の話をしているよね。つまり、精神的な面において、どこからスタートしたかは重要ではなく、どこまで自分を高められたかが重要だってこと。だからどちらの曲にしても、自分を向上させないと始まらないよね、っていう話をしているんだよ。

–なるほど。ありがとうございます。ちなみにTomokiさんは文字通り日本の家に帰ってきたわけですけど、この曲に特に感じ入る部分はありますか?

Tomoki: 実は家にいる間、この曲をずっと聴いていました。今回のツアーで実家に帰って、1年ぶりに母に会ったんです。僕がKassaのツアーにも参加していることを、母はとても喜んでくれました。今回の来日を通して、母には僕の新しい一面を見せられると思いますし、自立した大人の姿を見せたいとも思っています。そういう意味で、この曲が自分の今のライフステージに共鳴する感覚はあります。日本にいられる期間は短いから「もう少しここにいたいよ」と母に泣き言を言うこともできるけれど、そこから成長する必要があるとも思っています。繰り返される物事や、懐かしく心地よいと感じるようなものを断ち切らないといけないなと。ある程度の年齢になって自立心が芽生えたら、誰かの子供であることに甘んじるのではなくて、自分の世話は自分で見られるようにならなきゃいけないんだと思います。

Kassa: そうそう、この曲にこめたメッセージはまさにそういうことだよ。

Pharaoh Sandersへの思い

–ご家族の話が出たので、もう少しだけTomokiさんにうかがいます。父親であるPharaoh Sanders氏が2022年に亡くなったことは、音楽ファンにとっても悲しい出来事でしたが、Tomokiさんが息子として経験した悲しみは想像を絶するものだと思います。話せる範囲で、お父様との時間について話してもらえますか?

Tomoki:父は、2022年のWe Out Here Festivalで一緒に演奏した数週間に亡くなりました。僕は最期の日まで、父のそばで身の回りの世話をしてきたので、彼を目の前で看取ることができたんです。もちろん亡くなってすぐは現実を受け入れるのがとても辛かった。2022年の後半から2023年の初めにかけて、まるでひどい悪夢を見ているかのようでした。でも時間が経つにつれて、痛みを経て少し強くなった実感もあるし、学びもありました。彼が亡くなったことで、僕の楽観的な考えを失ったり、自分という人間がわからなくなったり、あるいはこの世界で自分がやるべきことを見失ってはいけないし、そうならないための方法を見つけなきゃいけない。僕にとって父の音楽を聴いたり、演奏したりすることは、彼をただ懐かしんで思い出に浸ることではなく、彼がどんな人物であったかを改めて噛みしめる、ある種の癒しのようなものなんです。

–ありがとうございます。Pharaoh氏とのつながりで言うと、Lil BやShabazz Palaces、Francis and the Lightsをフィーチャリングに迎えた『Going Up』は、その楽曲の複雑さや完成度もさることながら、Pharaoh氏がトンネルの中で『Kazuko』を演奏している映像へのオマージュが含まれている感動的なMVも印象的でした。映像を制作したNoah Porter(ノア・ポーター)長年のコラボレーターですが、それぞれの曲のビデオはどのように作っているんですか?

Kassa:一緒に何かを作る上では、信頼関係が重要だと思っている。僕が作品を制作しているとき、一緒に仕事をしている人たちは僕が具体的に何をしているのかわかっていないことが多いんだ。まあ、単に作品作りの進め方が違うだけかもしれないね。だから、コラボレーターから「君がやりたいことってこういうこと?」みたいな感じで確認されることが多いんだ。僕は大抵「そうそう、そんな感じ。」と答えるんだけど。

つまりここで言いたいのは、僕も他の人たちと一緒に仕事をする方法をちゃんと学ばなければならないということ。僕は、Noahのようなコラボレーターと一緒に仕事をしているとき、彼らの持っているビジョンをちゃんと把握していないことが多い。彼らが僕のやっていることを理解していないようにね。とは言え、彼の仕事ぶりは理解しているし、彼が何を見て、どういう能力があるかはわかっている。要は信頼関係の問題なんだ。彼と一緒に仕事をするのはとても勉強になるし、毎回、最終的に出来上がる作品は、自分ひとりでは思いつかないようなものばかりだよ。だから、彼との仕事は大好きなんだ。

Kassa Overall – Going Up (ft. Lil B, Shabazz Palaces, Francis and the Lights)

–ではトンネルでの撮影も彼の提案なんですね?

Kassa:そうだね。曲に参加してるLil BもMVに出てもらいたくて結構長いこと調整したんだけど、結果的に参加できなかったのはちょっと残念だったけどね。

日本文化のレイヤー

–ちなみにPharaoh氏は、初めて触れた日本文化から受けた感銘を表現した美しい楽曲『Japan』を発表していますね。

Tomoki:確か、父はJohn Coltrane(ジョン・コルトレーン)との日本でのギグの後にあの曲を書いたはずです。父にとって最初の海外公演が、Johnが亡くなる1年前に行った彼の最後の日本ツアーで、父はその時26歳でした。父は、初めて乗った0系新幹線の中で、あの曲を書いたと言っていましたね。戦後の高度経済成長で盛り上がる日本で、ニューヨークや彼の故郷であるアーカンソー州リトルロックでは見ることのできない、まったく新しい世界を目の当たりにして、未知のことをたくさん経験したんだと思います。だからこの曲自体が、彼の日本での経験を、写真を撮るような感覚で記憶したものなんだと思います。僕も日本は好きだから、この曲を書いた父の思いは理解できますね。

–Kassaさんは、日本にたくさんのファンを抱えていますよね。

Kassa:そうだね。ファンの数で言ったら、アメリカより日本の方が多いかもしれないね。

–それは日本文化とKassaさんの音楽の相性が良いということなんでしょうか?Kassaさん自身は、日本文化にはどんな印象を持っていますか?

Kassa:実はさっき朝食をとったレストランが、現金払いのみだったんだ。そしたらバンドメンバーの1人が、「日本は未来のテクノロジーの国じゃないのか!なんで現金だけなんだよ!」って嘆いていたよ(笑)。

それで僕が思ったのは、どんな文化だって一枚岩じゃないってこと。そうだろ?東京はまるでスター・ウォーズの世界のように近未来的だけど、日本には、そういったテクノロジーと同じくらい、伝統的で有機的なエネルギーがある気がする。それは、僕の音楽のあり方にも似ている気がしていて、その部分が日本でたくさんの人が僕の音楽を聞いてくれている理由なのかなと思うことがある。僕の音楽はエレクトロニックでグリッチ的で奇妙だけど、すごく有機的でもあって、その両方が一緒になっている。うーん、言いたいことをいちから説明すると、とんでもなく長くなっちゃうな(笑)。今話したのは、ほんの前置きなんだ。

–全部話してくれて大丈夫ですよ(笑)

Kassa:まあ要約して言うと、あらゆる文化は何層にも折り重なった層になっているということ。そして日本文化に関して、僕はまだ、その層の表面に触れただけだと感じている。日本に滞在していて良いなと思うのは、公園の中でも、街中でも、朝食の時でも、とても静かなところだね。それは、僕の好きなレコードの音にも似ていて。僕は、繊細で、収録された時の「空気」が聴こえるようなレコードが好きなんだ。だから、そういう要素を持ち合わせたレコードをディグっているんだよね。

それから、日本で生まれたスピリチュアルな要素にも若い頃からずっと惹かれていた。瞑想とかね。でも、これらはすべて表面的なものに過ぎないということも理解している。だから、日本でこういった事象が起きている理由や、この両極的な要素がどこから生まれてくるのかをもっと深く知りたい。でもTomokiは、この日本の「静けさ」を、僕ほどは好きじゃないんじゃないかもしれないね。Tomokiはいつもアゲアゲだから、「こんな静かな場所は我慢できない」ってなるんじゃないかな(笑)僕はどんな文化も好きだけど、独特な特徴がある日本の文化にはとても興味があるし、もっと深く知りたいと思っているよ。

–なるほど。Kassaさんの音楽の多面的な部分が、日本で多くのファンを惹きつけている理由という分析は面白いですね。

Kassa: 何年か前、まだ今のように多くのファンがいなかった時、「僕は日本では有名なんだぜ!」ってよく冗談で言っていたんだ。SoundCloudとかに曲をアップして、「知らないのか?この曲は日本で売れてるんだぜ?」っていう感じでね(笑)まあ、正確にはわからないけど、僕の音楽は日本と相性のいい多面性を体現しているのかな。それでこうしてツアーに来られているんだから、日本のファンには感謝しているよ。

場所を言い訳にしない方法

–Kassaさんに日本の「静けさ」があんまり好きじゃないんじゃないかと言われていましたが、Tomokiさんは日本とアメリカ、どちらが自分らしくいられると思いますか?

Tomoki:比べるのは難しいけれど、状況によりますね。僕が拠点を置いているニューヨークは、夜中にジャムセッションに出かけたりできるし、そういう自由なライフスタイルを楽しめる場所です。一方で日本にはニューヨークにはない良さがありますね。安全だし、平和で穏やかな環境があるし、人もみんな礼儀正しいし。今回は、1ヶ月日本にいるけれど、母に会ったり、温泉に行ったりして、とても癒されました。そして、僕の地元である水戸市のスタジオにも行って、毎晩レコーディングをしたり、オーナーに70年代のラテン音楽や、アフリカ音楽のコンピレーションCDを聴かせてもらったり。でも同時に、僕は忙しく動き回っていたい人間なので、そういう部分は日本よりもニューヨークが合っているなと感じます。

–それに関連して、Kassaさんは、シアトルやニューヨークを行き来する生活をしていると思いますが、移動が多い生活の中で心地よい時間を過ごすために心がけていることはありますか?

Kassa:2013年から2016年くらいにかけて、Dee Dee Bridgewater(ディー・ディー・ブリッジウォーター)やTheo Croker(セオ・クロッカー)と一緒に、常にツアーをしているような生活を送っていた。その時は、日課や朝のルーティンを持つことに夢中で、どこにいたとしても、場所を言い訳にしない方法を模索していたんだ。だからまずはバッグいっぱいの本を持ち歩く代わりに、小さな電子書籍リーダーを買った。その中には、スピリチュアルな本から、瞑想的な自己啓発本、そしてどこでもできる運動法の解説本など、たくさんの本が入っていた。そんなふうに「何も必要としない」生活パターンを作り始めたんだ。次第に、居心地良く過ごすために必要なことは全てできるようになった。それからは自分がどこにいるかは問題ではなくなり、どのくらい時間があるか、という問題にフォーカスするようになった。それは音楽制作に関しても同じで、自分自身が音楽スタジオを「携帯」できるような方法を模索してきたんだよ。

–以前、自分自身を「バックパック・プロデューサー」と呼んでいましたもんね。

Kassa:そうだね。実は今朝も、ホテルでビートボックスをしていたんだ。そしたらガールフレンドがそのビートを気に入ってくれたから録音した。そのあと、一緒にジョギングに行くことになっていたんだけど、彼女は身支度に時間がかかっていた。だから彼女を急かす代わりに、録音したビートボックスを基にしてビートを作っていたんだ。

ビートボックスをやっていた時に、彼女がHerbie Hancockの『Watermelon Man』の冒頭のフレーズを歌っていたんだ。それが良い感じだったからサンプリングをして、ビートに合うようにスピードを上げ、少し音数を減らした。(録音したビートを流しながら)こんな感じにね。概して言えるのは、アイデアを得るためには様々なテクノロジーが必要で、スタジオに入ってあれこれ作業をしなきゃいけないと思うこともあるけれど、「速さ」が最良のテクノロジーってこと。より良いクオリティを追求するのは重要だけど、すぐに動き出せるってことが何より大切なんだ。おっと、どんどん話が逸れてきちゃったね(笑)

–いえいえ。面白いお話をありがとうございました。最後に日本のファンに何か伝えたいことがあればどうぞ。

Kassa: 僕の音楽を聴いてくれてありがとう。もし僕が作った作品を気に入らなかったとしても、僕は1人の人間で、常に成長し、変化し続ける人間であることを忘れないで。そして、やりたいことがある人は、それがたとえ他の人に認められなかったとしても、自分がいいと思うのならそれを追求してほしい。

Tomoki:じゃあ最後は日本語で話しますね!カッサ兄さんの素晴らしい音楽を聴いてくれているみなさんに感謝しています。これからもカッサ兄さんの音楽を楽しんでください!今後ともよろぴくー!

Kassa: ん?Tomokiはなんて言ったんだ(笑)?

Photography Mayumi Hosokura
Special thanks Miho Harada

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro https://tokion.jp/2024/02/27/listening-bar-berlin-vol2/ Tue, 27 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225461 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第2回は「Bar Neiro」のオーナー、エリック・ブロイヤーがこだわり抜いたHi-Fiシステムや空間づくりについて語る。

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エリック・ブロイヤー

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第2回は、「オーディオテクニカ(audio-technica)」発のグローバル・プロジェクト「アナログファウンデーション」から生まれた「Bar Neiro」。2023年、クラブが連立するクロイツベルク地区にオープンした、隠れ家的なリスニングバーだ。エントランスの暖簾をくぐると、オーナーのエリック・ブロイヤー(Erik Breuer)が出迎えてくれた。

レコーディングスタジオの公共スペースとしてオープン

−−エリックさんはレコーディングエンジニアとしても活躍されていますが、「Bar Neiro」をオープンしたきっかけについて教えてください。

エリック・ブロイヤー(以下、エリック):すべては「アナログファウンデーション」がベルリンに移転したことから始まったんだ。僕らの使命は、アナログ文化をサポートすること。その時に思いついたのが、オープンな場所として日本のジャズ喫茶のようなリスニング・バーを併設することだった。ミュージシャンやローカルの人達が一緒に音楽を楽しむためのスペースになるし、スタジオともうまく結びつくと思ってね。

−−日本のジャズ喫茶はどうやって知ったんですか?

エリック:レッドブル・ミュージック・アカデミーの仕事やDJで、日本をよく訪れていて。滞在中に行くのが楽しみだった。僕は人生の大半をHi-Fiに費やしてきたんだけど、日本のジャズ喫茶ではそれを実感できる。

−−印象に残っているお店はありますか?

エリック:最初の頃は東京にある有名店を回ったけど、友達が日本に引っ越したことをきっかけに、もっと特別で隠れ家的な場所へ行くようになった。前回は東京の「映画館」に行ったし、千葉の「JAZZ SPOT CANDY」もすごくよかった。次回はドライブがてら田舎に行って、Hi-Fiバー巡りをしたいな。30年代からある日本のジャズ喫茶がトレンドになっていること、人々がこのようなサウンドに夢中になっていることにとてもわくわくしてるし、「Bar Neiro」のオープンもみんなすごく喜んでくれてるよ。

レコーディングスタジオの経験を生かし、こだわり抜いた空間づくり

−−高級ヴィンテージ・コンポーネントで構成されたカスタムHi-Fiシステムを含め、サウンドシステムにかなりこだわってますよね。

エリック:長年に渡って多くのレコーディングスタジオをつくってきたけど、リスニングバーは正反対だからね。音響的に優れた別の空間をつくるのはとても楽しい挑戦だった。レコーディングスタジオだと、スピーカーは非常に精密な楽器でどんな小さな欠点も聴き取りたい。でも、あまり感情的な魅力がないんだ。スタジオ作業に最適なスピーカーでも、それって音楽を楽しむために聴いているのではないことに気づいて。数年前から、正確さよりも感情を重視するヴィンテージ機器にのめり込んだんだ。アメリカの映画館にあるような50年代初頭のスピーカー「アルテックA5」は、すべて当時のオリジナル・コンポーネント。木製のキャビネット部分をつくり直したんだよ。スピーカー・キャビネットは自分達でつくったけど、すべて50年代のオリジナルの部品を使ってるしね。古い映画館のためにつくられたものだから、音の拡散性がとても広いんだ。

−−音響的な観点から見たベストシートはありますか?

エリック:空間全体にいい音が行き渡るから、座る場所がそれほど重要ではないよ。フルに楽しみたいなら、スピーカーの間、バーの真ん中あたりに座った方がいいね。

−−インテリアも素敵ですが、何かから影響を受けているのでしょうか?

エリック:たくさんあるけど、特にキース・アッシェンブレナーかな。1970年代から1980年代のモダンなシーンで活躍した、アナログ的な真空管アンプとホーンスピーカーの達人の1人なんだ。実際にコンポーネントやシステムの調整など、多くのことを助けてくれたし、スペースのケーブルも彼が用意してくれたよ。

それ以外のインスピレーションは間違いなく日本だね。レッドブル・ミュージック・アカデミーで東京にレコーディングスタジオをつくった時、建築家の隈研吾と一緒に仕事ができたのは光栄だったし、かなりインスパイアされてる。特にバーカウンターの天井に施したシンプルなディテールをぜひ見てほしい。あと壁や天井には、90種類以上のレゾネーターや異なるチューニングを施した音響エレメントがあるから、すっきり見せるために天井グリッドや和紙の壁をつくったんだ。

−−家具もオーダーメイドだとか?

エリック:そう、バーや棚は僕らがデザインした。他の家具は、古いミッドセンチュリーの作品やイームズの椅子やテーブルなど、すべてヴィンテージ家具で揃えてる。

−−いろんなディテールへのこだわりが、居心地のよさを生み出しているんですね。

エリック:あと騒がしいバーにはならないように、1グループ最大4人まで。もちろん大人数になることもあるけど、なるべく少人数を保ってるよ。

ミュージシャンとベルリナーが集まる憩いの場

−−ハンガリーのプロデューサー兼マルチ奏者Àbáseやオーストラリアのドラマー兼プロデューサーZiggy Zeitgeistなど、ミュージシャンも訪れるんだとか。

エリック:Àbáseはスタジオでよく一緒に仕事をしてるし、家族の一員みたいなものだね。でもスタジオがあることで、新進気鋭の若手から大物アーティストまで、いろんなミュージシャンがやってくるんだ。あとHi-Fiオタクにも人気で、スピーカーの周りを歩き回ってはチェックしてるのをよく見かける。他にも落ち着いて飲みたい年配の人から、音楽が好きな若い人まで、いいミックスだよ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけているんですか?

エリック:普段は僕やバーのスタッフがレコードを持ち込んで、セレクトしてる。アーティストが来てセレクトする時もあるよ。ジャズが大半だけど、アンビエントなエレクトロやソウル・ミュージックとかメロウな音楽が多いかな。ある種の感覚的な体験を作り出すことで、ここに来て、この別世界に入って、ただリラックスして音楽を楽しんでもらうことを目指しているんだ。

−−ベルリンやヨーロッパの人達にとって、このようなスタイルのリスニングバーは受け入れられているのでしょうか?


エリック:そうだね。最近は何もかもがとても速いし、すべてがオンデマンドで、こうして音楽をじっくり聴く人が本当にいなくなっている。1人でヘッドホンから聴くのではなく、他の人達と一緒にここに座って音楽を聴くっていうのは、とてもいいことだと思うよ。

■ Bar Neiro
住所:Ohmstraße 11, 10179 Berlin, Germany
営業時間:18:00~1:00
休日:月、火曜
www.barneiro.com
Instagram:@bar.neiro

Photography:Rie Yamada

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ベルリン移住 ダモ鈴木との共演 南ドイツ・首謀者Kyotaro Miulaが語るクラウトロックの実験精神 https://tokion.jp/2024/02/26/interview-kyotaro-miula/ Mon, 26 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225227 南ドイツの首謀者Kyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて話を訊く。

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南ドイツ。ドイツのNEU!やCANを筆頭としたクラウトロック好きならその存在を知っている人もいるだろう。ただ一方で日本でのパフォーマンスを7年間もしてこなかった彼らの実像を知る人は必ずしも多くないはずだ。コロナ以降に日本人として、現役で海外を中心にライヴパフォーマンスを行う彼の精神性が気になった。

2016年に1stアルバム『Minami Deutch』をUKのサイケデリックレーベル〈Cardinal Fuzz〉から1stプレスを300枚リリースし即ソールドアウトする等、海外からの反響を受けたことを機に、ベルリンを拠点に置いて海外でのフェスやライヴを拠点に活動してきた南ドイツ。2023年は長きにわたる盟友である幾何学模様(現在活動休止中)のメンバーが運営する〈Guruguru Brain〉からレコードをリリースし、3rdアルバムの『Fortune Goodies』を7月にリリースしていた。

2024年も3月にオーストラリア、4月はヨーロッパ、5月はアメリカへのツアーが控えている。そして、2月26日に渋谷WWWで実に7年ぶりとなる日本公演を行うタイミングでインタビューを試みた。日本を離れ、海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて、首謀者のKyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに聞いてみた。肩の力が抜けて、時間軸が揺らぐリラックスした会話の中でも滲み出る、音楽に対するひたむきさが強く印象に残った。

「当時無名バンドのレコードがイギリスからリリースされるまで。海外志向はごく自然の流れだった」

−−主にヨーロッパを拠点に海外で活動する南ドイツですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

Kyotaro Miula(以下、Kyotaro):2013〜2014年くらいから幾何学模様のメンバーと一緒に高田馬場のスタジオでジャムセッションする遊び仲間だったんです。当時自分はバンドを組んでいなかったのだけど。遊び仲間が音楽を出して海外のリスナーからの反応が良いのを見ていたので。自分も活動の拠点を海外にすることに違和感がなかった。日本のサイケシーンとかクラウトロックシーン自体が小さかったから、少しでも需要のありそうなところでやりたいというのがあって。

−−その頃にはすでにクラウトロックのバンドを組みたいという構想があったんですか?

Kyotaro:順番は前後するけれど、10代の頃に初めてCANとかのクラウトロックを聴いた時は正直そこまでピンときてなくて。それよりも実は当時ポストロックやポストパンクが好きで。そうした類いのシュッとしたインディーズバンドをやりたいなと思っていた自分もいた。仲間と週3、4回セッションしていくうちにだんだんサイケとかクラウトとかのよさを再確認していった。

−−聴き方、楽しみ方がわかってきたのですか?

Kyotaro:そうかもしれない。仲間とスタジオに入れない時は、自分でNEU!とかを流して。ミニマルなハンマービート(8つ打ちの規則的なバスドラムサウンド)を流しながらギターソロ弾いてるとだんだん好きになってきた。ある時点でクラウトロックのバンドって自分達で名乗れるバンドを作りたいと思うようになっていった。

−−活動の背景には幾何学模様との交流が大きかったんですね。1stアルバム『Minami Deutch』の「Futsu Ni Ikirenai」なんか特にクラウトロック的ですよね。反復するビートでジリジリとして、後半突如ギターソロでスパークしていく感覚。繰り返される同じコードとビートが後半には気持ちよくてたまらなくなってきているというか。

Kyotaro:あの曲は実はベースレスで。ギターとドラムだけでやっていて。当時のギター担当とドラムの音を自分で後からミックスしていくタイミングで、裏ノリのグルーヴができた。「これならいける」みたいな発見があった。今思い返せば何をするにしてもトライアルの時期だったんだよね。ハンマービートのドラムとベースのパターンとかコードが一緒というコンセプチュアルなアルバムを作ろうと思って。ビートや展開の仕方が一緒という枠組みの中で、明るい曲とか爽やかな曲からサイケな曲まで作れたらおもしろいなと。

例えば、「Sunrise & Sunset」みたいに開けてくイメージの曲もあれば「Futsu Ni Ikirenai」みたいな曲もある。1枚のアルバムの中でいろいろなカラーの楽曲を入れる。具体的に言うと、同じコードやドラムパターンの制限の中で、違うトーンの印象の曲を作り切るのがコンセプトであり、やりたいことだった。

−−それで完成したレコードをUKのレーベルに送ったら、見事レコード版を出そうと声がかかる。まるで夢みたいな話ですが。

Kyotaro:それは本当に嬉しかったね。デジタルでの配信自体にはあまり興味がなかったけれど、自分のレコードを出すのが夢だったから。しかも海外のレーベルから人生初のレコードがプレスされて。それで、これは忘れられないのだけど、仕上がりを見たら、真ん中にあるべきデサインがちょっとだけ上にズレてて。それがショックだったことを何よりも覚えてる(笑)。

−−今となってはマニアとしてはそういう「ズレ」とか、初版のレコード特有のエラーって垂涎ものですけどね。

初となる海外ツアー。そして、ダモ鈴木との共演とベルリン移住。脂の乗り切った2ndアルバム期

−−1stアルバムをリリースした頃はまだ活動の拠点が日本でしたよね? そこから海外ツアー等、精力的に世界に打って出る流れが始まっていくと。

Kyotaro:UKのレーベルからレコードを出せたことがきっかけと、話は少しややこしくなるんだけど、幾何学模様が2014年に〈Guruguru Brain〉を始めたわけで、1stのカセットテープはそこからリリースされた流れがあって。リバプールのサイケフェスが彼等のレーベルをフィーチャーしたいって話があって、それで出演オファーがあった。でもそれだけだと赤字になるから、ツアーを組もうと。アムステルダムとかベルリンとか含めて、ヨーロッパでツアーをやろうと話が膨らんでいって。幾何学模様の人はみんな英語喋れるけど、当時俺らは誰も英語喋れなかったし、うん、色々と無茶苦茶だったんだと思う。

−−そのツアーの反応は良かったですか?

Kyotaro:反応は良かったような気がする。客観的なことはわからないけどね(笑)。

−−クラウトロック発祥のドイツへと移住していく流れがあって、2ndアルバムはバンドとしての移行期が反映されているわけですよね。

Kyotaro:そう。活動を続けていく上で、そっちの方が良さそうだったから。ドイツに行ってみたい気持ちとクラウトロックが生まれた街を本場で体験してみたいから行った。1stはコンセプチュアルなことをやった手前、2ndは広げようと思えば、いくらでも広げられるんだけど、結構他のクラウトロックのバンドが電子音に流れてしまうのが多い中で、エレクトロニカの感じに行ってしまうことが当時はダサいと思ってしたくなかった。だからこそ1stの匂いを残しつつ、ちょうどいい変化を見せられるかを念頭に置いていた。だから『Tunnel』とかはハンマーでやってるんだけれど、最後の曲はディスコっぽいこととかやってたりするんだよね。

−−確かにクラウトロックのバンドを聴いていても、CANの「Future Days」とか聴いてもアンビエント的なアプローチをしていました。意外とクラウトロックって懐が深い側面があるというか。実験的なことをやってたりする印象はありますね。とはいえ、2ndには勝手にDAF感を感じたりもしましたが。

Kyotaro:そうなんだよね。アルバムを作る時に参照したバンド以外にも、普段から意識しないで同時にいろんな音楽を聴いてるから。コンセプトは自分の中にあるけど、それ以外のものが入っちゃう感じはある。それが、勝手にオリジナリティになってくれるから嬉しい。自然とコンセプトを超えて、意図しないものが入ってくる。そんな感じのアルバムだね。

−−しかも2018年には先日亡くなられた元CANのダモ鈴木さんとステージで共演されるという出来事がありました。この経緯は?

Kyotaro:ダモ鈴木さんのヨーロッパのマネジメントと僕らのエージェントオフィスがたまたま近くにあって。共通の知り合いが間にいて。「一緒にできたらいいですね」みたいな話をしてくれていたんだ。ちょうど、オランダにある「Roadburn Festival 2018」というストーナーロック系のフェスからダモさんサイドと南ドイツサイド両方にオファーがあって。「だったら、ちょうどいいから、そこでジャムセッションをステージでやってしまいませんか?」という話しになった。

−−そんな奇跡みたいな流れがあるんですか。クラウトロック系のエージェントが同じビルだったとか。当時を振り返るとどんな思い出がありますか?

Kyotaro:めちゃくちゃ気合いが入っていたと思う。当時はクラウトロックを極めてやるぞ、という意識もあって。脂が乗ってたし「今もう1回同じテンションでやれ」って言われても結構大変なくらい……。でも、そんなチャンスないし、普通に見てきた人だし、「一緒にやれんの?」みたいな。そういえば、ステージ袖でダモさんから僕等に「お吸い物ありませんか?」って声かけてくれて。一緒にそれでグルーヴを調整してやったという感じで。

−−その共演にはどんな印象がありますか?

Kyotaro:その時できることをやりきったって感覚かな。1曲目の途中でダモさん疲れすぎて、やめちゃいそうになったりもしたけれど(笑)。ダモさんはダモさんで、経験豊富だから、ガンガン引っ張ってくれた。そういう振る舞いをステージ上で感じ取ったりして。当時のギターが、「いい旅しましたね」みたいに声をかけて、「そうでしたねぇ。楽しかったですね」みたいな。そのくらい。

コロナ以降のムードを経て、満を持して完成した3rdアルバム。そして日本でのライヴ

−−昨年リリースされた3rdアルバムはジャケットもカラフルでタイトルは『Fortune Goodies』。変化という意味では2ndより開けていく感がある。もうちょっとジャンルにとらわれていない余白がある感じ。肩の力が抜けている感じを受けました。とはいえ1、2曲目は完全インストで、3曲目でようやくポップな歌物という。

Kyotaro:だいぶひねくれちゃってると思う、良くないよね(笑)。でも、それでいいんだ。TikTokとか1分で曲を聴く時代に逆行していて、音楽好きしか受け付けてない。でも逆行してやろうみたいな意識はなくて、曲順を選んでいったらそうなったというか。

1回抑圧させてから、上げていくっていう方がドイツ式かなと思ったり。同時に電子音楽的なアプローチもしたかったから、いろいろなことを試せた。実を言うと当初2枚組にする予定だったから、もっと曲数があったんだけど絞った。

−−それはどうして?

Kyotaro:大体3rdアルバムってロックバンドの円熟期というイメージがあって。そこで南ドイツもかましたかった。1stアルバムの初期衝動も好きだけど、3rdは気合が入ってて好きだから。例えばクラッシュの『London Calling』とか。

でも少し先走っちゃったのかな? 俺も良くないのだけれど。制作プロセスは誰にも見せたくないから、1人でやって完成してようやく〈Guruguru Brain〉にシェアしたら、2枚組にするならうちでは出せないよと言われて。1ヵ月落ち込んで。

−−それは落ち込んでしまう……。

Kyotaro:他のレーベルに持っていってやろうか、と思ったりもしたんだけど。幾何学のメンバーとも馴れ合いでやってるわけじゃないからさ。それで曲を減らした。でもこれが結果として良かったんだと思う。少し編集をしすぎて、人間味の少ないアルバムになったのかもしれないけれど。おこがましいけれど、歴史に残るアルバムを作るんだみたいな野心で取り組んでいたから。それで気合入りすぎて、変な動きをしているという(笑)。

−−いや、楽曲のバリエーション含めて個人的には一番好きなアルバムです。タイトルもジャケットも極彩色サイケで。アルバムのタイトルに込められた意味は?

Kyotaro:そう言ってもらえると嬉しいんだけど。アルバムタイトルはドイツのライヴにきてくれた子が「私、Goodies持ってるよ」って言ってきた時のことを思い出して。「フォーチュンクッキー」ってあるけれど、Goodiesってのはまぁスラングで、スピリチュアルなお菓子って感じにしたかった。ご想像にお任せします(笑)。

−−2曲目の「Still Foggy」なんて、インダストリアルで。でもアシッドフォークのニュアンスもあれば、最後の「The border」のアンビエントで閉じるという。

Kyotaro:2曲目の「Still Foggy」の上物は、全くコピー&ペーストしないで1回1回サンプリングしたものをコラージュしていった。で、格好いいものができたと思ってる。3曲目とか歌詞も今まで以上に真剣に日本語に向き合ってみた。影響を受けたのはバロウズとかブコウスキーみたいなビート文学かな。最後の曲はサーフィンをするために抜けちゃった前のギタリストの最後の作品。不思議なんだけど、後日、オーストラリアのサーフ・ドキュメンタリー映画からその曲を使いたいというオファーが来て。勝手に何か横ノリの人たちに伝わる何かがあるのかなと思ったよ。

−−昨年からライヴはカネコアヤノバンドの照沼さんにbetcover!!の日高理樹等を加えて活動していて。ハンブルグでのパフォーマンスは個人のコンディションを含めて最高でした。今のメンバー間のグルーヴはどうですか?

Kyotaro:結構ライヴと音源は違うから2回作るような形なんだけど、去年一緒に欧州を回ったことで、いい感じにまとまっていると思うな。

−−今年もさらに精力的になりそう。26日東京WWWは貴重なライヴになりそうですね。

Kyotaro:うん。まずは自分達が演奏を楽しめたらいいなと。そしたらいい感じになってくると思うんだ。

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連載:Soya Itoの「Boylife in EU」Vol.2 デュッセルドルフのクラブ事情 https://tokion.jp/2024/02/23/soya-ito-boylife-in-eu-vol2/ Fri, 23 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223037 DJ、オーガナイザーの Soya Itoが留学先のドイツでの経験を発信するクラブレポート。第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談を収録。

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第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談です。昨年末ベルリンで過ごした年越しの様子と初めてのベルリンのテクノクラブ体験を回想して、他にも印象的だった出来事を振り返ります。

年末のベルリンで初めてのクラブ体験

Soya Ito(以下、Soya):じゃ、まず自己紹介から。

Taro Logic(以下、Taro):えー、これどっちで言おうか。一応2つあるじゃん?  Taro Logicと本名で。

Soya:まぁ好きな方で(笑)。

Taro:タカヤマユウゴです。

Soya:それで良いの?

Taro:え、ユウゴ タカヤマ? えーじゃあ Taro Logic にしとくか。

Soya:何してる人ですか?

Taro:普段はフォトグラファー、ベルリンではアーティストとして活動してます。

Soya:ベルリンはいつからいるんだっけ?

Taro:2022年の11月かな。

Soya:一昨年の年末に俺がベルリンに留学して、そのタイミングで東京の友達が結構ベルリンに来てたから、みんなでご飯食べようってなって。その時に集合したみたいな。

Taro:そうだね、東京でもSoyaとは会ってたけど、クラブ以外でちゃんと落ち着いて話したのは初めてだった。

Soya:で、年越しのタイミングで俺とユウゴともう1人の友達でクラブに行ったよね、あれがベルリンで初めてのクラブ体験だった。どこだったっけ?

Taro:OXIじゃない? あんま覚えてないけどOXI主催のニューイヤーみたいな感じだった。

Soya:俺もあんま覚えてない、ユウゴがバーカンでクレカ失くしたとこがピークだった(笑)。音楽はどんな感じだったっけ? 地に足ついてるけど若干トランスっぽい上メロあるみたいな感じだったかも?

Taro:結構トランシーな感じじゃなかった? あとその時、こっちの DJ ってクラシックだって話したよね、客がその時求めてる音とかバイブをしっかり提供するというか。DJ Fuckoff(ベルリンのユースに人気を誇るベルリン在住の DJ)とかは本当そうな気がする。東京にもそういうプロい人達いるけど、レベルが違った感じがした。

Soya:あと空間も良かったね。

Taro:そうそう。広めのラウンジスペースがあって、そこでみんなでゆっくりできる感じの。

Soya:神宮前のボノボの 2 階のノリを感じたね。OXI自体はフロアが3つあって、メインフロアとサブ、それにそのラウンジがあって、そこでもDJがBGMみたいな感じで音楽かけてて、みんなのコミュニケーションの場になってた。

Taro:あと日本との違いで言うとキュー(列)の⻑さってのがあるよね。

Soya:それは本当に違うね、並ぶことができないからキツかった。ベルグハイン(Berghain)も5時間とかザラに並ぶっていうし。その日は大晦日の23時くらいに着いたんだけど、列が⻑すぎてそのままその列の中で年越したね。

Taro:逆に外で年越せて良かったかも? 花火も見れたし。

Soya:OXIってベルリンのクラブの格付け的にはどんなポジションなんだろう? ベルグハインとかトレゾワ(Tresor/ベルグハインに次ぐ、ベルリンの老舗テクノクラブ)とかの名門クラブと、SameheadsとかPunkeとかのローカルアンダーグラウンドの中間って感じがするけど。他と比べると客層とか音はライトってか普通な感じだし、ポジ的には中間テックハウスなのかな。

Taro:東京でいったらContactみたいな感じかな?

アンビエントリスニングバー「Kwia」

Soya:イベントとか規模感的にはそうかも。年始の滞在の時は他に何したっけ? HOR のオフィスに凸ったのは覚えてる。

Taro:あれ、今考えると結構、おかしなムーブだったと思う(笑)。

Soya:HORっていうDJのオンラインストリーミングプラットフォームがあって、⻩緑のバスルームが特徴なんだけど、当時それに出たくて。メールで自分のミックスとか送りつけたりしてたんだけど、一向に返信が来ないからムカついて、そのままオフィスに1人で凸って交渉しに行った。結局そこには配信担当の人しかいなくて、その人にいろいろ説明してメール見るように言ったんだけど、「配信担当だからブッキングはわかんない」とか言われて。相手にしてもらえなかった(笑)。

Taro:なんか凸る前からキレてたし。あたかも「ブッキングされてたのに蹴られた」みたいなスタンスだったから俺びっくりした(笑)。

Soya:結局それは功を奏さなかったけど(笑)。

Taro:そうだね。あとそれでいうとKwiaも行ったじゃん!

Soya:そうそう、Kwiaっていうアンビエントリスニングバーがベルリンにあって。箱とバーの中間みたいなベニューなんだけど、そこではDJが流す音楽に指定があって、例えばテクノ禁止とか、うるさい音楽は流しちゃダメとか。箱自体もおもしろくて、入り口でみんな靴脱いで、フローリングのフロアとかソファとか椅子に座ったりする。ドリンクもお酒以外にめっちゃうまいお茶とか竹ベースのジュースがあって超チルなの。音楽も主にアンビエントとかエクスペリメンタルとかがかかるんだけど、1 月頭に初めて遊びに行った日はSpecial Guest DJがオールナイトでDJしてて。Shyて名前なんだけど、Shyは確かその1週間前くらいまで日本でツアーしてたらしくて、共通の友達も何人かいたと思う。オールナイトで朝までShyが1人で回すって聞いてたから、内心しめしめと思って、その夜自分のUSBも持って遊びに行った(笑)。で、3時間くらい経ったタイミングでShyに話しかけて、東京から来たこととアンビエントのDJしたいっていう気持ちを伝えたら、急遽その場で1時間やらせてくれることになって。だいぶ無作法だし失礼なのもわかってたけど、数ヵ月DJしてなかったから、フラストレーションで飛び入りしちゃった。

Taro:東京いる時からあんだけDJしてて、ドイツ来てから半年くらい1回もDJしてなかったじゃん。純粋に半年ぶりに機材触れて楽しかったでしょ? あと、後々仲良くなった人であの現場にいたのも何人かいて、みんなその時のこと覚えてるよね。

Soya:ん。やっぱ久しぶりにDJできてシンプルに楽しかった。あの時のベルリン滞在はこのくらいかな。

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BUTTERING TRIOの中心人物でイスラエルのビートメイカー、リジョイサーことユヴァル・ハヴキンが新作をリリース https://tokion.jp/2024/02/22/buttering-trio/ Thu, 22 Feb 2024 11:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225161 リジョイサーことユヴァル・ハヴキンがニューアルバム『This Is Reasonable』を4月12日にリリースする。

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リジョイサーとしても知られるユヴァル・ハヴキンが、4月12日にパリ拠点のレーベル〈Circus Company〉からニューアルバム『This Is Reasonable』をリリースする。同作は、ジャズとヒップホップの融合にインスパイアされたダウンテンポ・ミュージックの第1人者であるユヴァルの初期のサウンドを彷彿させつつ、アンビエントに近い穏やかなエレクトロニック・ミュージックで展開する。チルアウトなフィーリングやメロディアスな11曲を通して、アンビエントのような静けさと浮遊感を与える。

同作は、ユヴァルのより個人的で新しい音楽の方向性を示している。エレクトロニックでシーケンサーを多用したスタイルを選び、Prophet6と8のシンセ、Juno 60、Minimoog、Fender Rhodesのキーボードで演奏。特にベース、キーボード、パーカッションのハーモニーを追求しており、「フェラ・クティやトランペット奏者で友人のアヴィシャイ・コーエンからもインスピレーションを受けた」と話す。

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渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による “NO COMPUTER”な電子音響セッションがDOMMUNEで開催 https://tokion.jp/2024/02/19/tokyo-no-computer-live-session/ Mon, 19 Feb 2024 07:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224848 2月22日にDOMMUNEにて渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」が開催される。

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2月22日にDOMMUNEにて渋谷慶一郎 × galcid × 齋藤久師による初のセッション「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」が開催される。

掲げられたタイトルの通り、本セッションはコンピュータ非使用でモジュラー・シンセサイザーやアナログ・シンセサイザーなどハード機材のみを用いて展開されることとなる。

モジュラーシンセによる即興演奏を基軸としたスタイルで〈Detroit Underground〉や〈Force Inc.〉などからも作品をリリースしてきたLenaによるソロユニット、galcid。そんなgalcidのプロデュースを務め、Roland製品のプリセット音の制作なども手掛ける日本屈指のシンセサイザー・マエストロの齋藤久師。そして、「TOKION」での連載でも追ってきた通り、近年はMoog OneやProphet-5、Ninaなどのアナログ・シンセサイザーを愛用してきた渋谷慶一郎。

そんな三者が集う「TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION」は、計算可能性の埒外から生まれるスリリングで強度に満ちた電子音響を存分に堪能できること必至の一夜となるだろう。ゆめゆめ見逃すことないよう、スケジュールをチェックしておきたい。

■TOKYO “NO COMPUTER” LIVE SESSION
日付:2024年2月22日
会場:SUPER DOMMUNE
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ9階
時間:20:00〜21:00
入場料:1,000円(限定50人)
イベントURL:https://peatix.com/event/3851907

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謎多き音楽家・Hyuが語る「90年代後半から00年代前半の宅録事情」——目指したのは「いかに聴いたことのない音楽を作るか」 https://tokion.jp/2024/02/16/interview-hyu/ Fri, 16 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224107 アンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』をリリースした音楽家・Hyuへのインタビュー。

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Hyu(ヒウ)

Hyu(ヒウ)
1975年大阪生まれ。音楽家。1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する<Childisc>より作品をリリース。

1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する大阪のレーベル<Childisc>よりいくつかの作品をリリースし、エレクトロニック・ミュージック・ファンに限らない熱心なリスナーから厚い支持を得てきた音楽家、Hyu(ヒウ)。テクノやドラムンベース、エレクトロニカといった既存のジャンル概念に集約されないそのトラックの数々は、今もなお、いや、今になってこそ特異な輝きを増しているといえる。

その時々の最新テクノロジーを駆使した先鋭的なものながらも、宅録ならではの親密性を有し、現代音楽の語法を消化しつつも、あくまで聞き心地は「ポップ」。その多面的な楽曲の数々は、DTM全盛時代の今だからこそより一層興味深く聴けるものばかりだ。

この度、そんなHyuが過去に録音していた曲の数々を、バージョン違い等を含めて発掘したアンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』が、大阪のエム・レコード(EM Records)からリリースされた。謎めいた経歴から当時の制作秘話、さらには近年の音楽とその周辺文化に対して抱いている思いまで、じっくりと話を訊いた。

エイフェックス・ツインからの影響

——まずは生年から伺えますか。

Hyu:1975年大阪生まれです。

——音楽をやり始めたのは何歳の時なんでしょうか?

Hyu:17〜18歳の頃だったと思います。最初はスカム系のバンドをやってました。当時、大阪の若い奴らの間でボアダムスがカリスマ的な人気になっていたんですけど、自分も彼等に憧れて、とりあえず大暴れする、みたいなライヴをやってました。わけわからんものをみんな率先してやってみんなで面白がる、みたいな空気があったんです。

——それ以前から音楽はお好きだったんですか?

Hyu:流行りものも聴いてはいましたけど、基本は普通の運動部の少年って感じでした。あの当時、大阪の片田舎の高校で音楽をやるって言ったら軽音部でBOØWYとかユニコーンのカバーをやるみたなのが大勢、という時代……自分はそっちには興味が持てなかったんですけど、今言った通り、18くらいでいきなりわけわからんものに惹かれるようになったんです。けど、結局すぐ飽きるんですよね。めちゃくちゃ暴れるっていっても限度があるじゃないですか。すぐピークに達して、そっから先は何もないっていう(笑)。

——1人で音楽を作るようになったきっかけは何だったんですか?

Hyu:エイフェックス・ツインを聴いたのが大きかった気がします。エイフェックス・ツインも最初はなんかよくわからへんなという感じの音楽で、そういう変な部分に惹かれたんだと思います。テクノともアンビエントともいい難い、カテゴライズできない面白さというか。で、自分でもシンセサイザーとかサンプラーとかを買って作りはじめました。それが94年くらいですかね。

——そうすると、今回の『Inaudible Works 1994-2008』には、タイトル通りごく初期の音源も収録されているということですね。

Hyu:そうですね。多分「ガムランに憧れて」っていう曲が一番古いと思います。

——なぜガムランだったんでしょうか?

Hyu:みんながBOØWYとかを聴いている時期に、僕は芸能山城組にハマっていて。そこから民族音楽的なものに興味を持つようになったんです。芸能山城組を知ったのは、『AKIRA』の映画を観て、なんだこの音楽は!と思ったのが最初ですね。

——「ガムランに憧れて」はジャングル〜ドラムンベース調でもありますよね。

Hyu:はい。当時その辺りの音楽が流行りはじめた時期で、いろいろやっているうちにそうなってしまって(笑)。

——普段から最新のクラブ・ミュージックを追いかけている感じだったんですかね?

Hyu:自然と情報が入ってきましたね。けど、それまでのダンス・ミュージックって、どちらかっていうと匿名的なプロデューサーが12インチを切るみたいな感じだったと思うんですが、自分はそういう文化とはちょっと距離があって。そこにエイフェックス・ツインみたいな記名性の強いアーティストが出てきたので、一気に惹かれていったんです。そこから<Rephlex>とか<Warp>のアーティストを聴いていった感じですね。

——当時はマルチトラック・レコーダーで録っていたんですか?

Hyu:そうですね。そういうのを使ったり、サンプラーだけで作ってみたり。

——いわゆる「ローファイ」的なサウンドが当時の時代性を映し出していますね。

Hyu:『Selected Ambient Works 85-92』を聴いても、なんでこんなモコモコした音なのに良いんやろう、とか思ってましたし、電子音楽を作るにしても、必ずしもハイファイな音質でなくてもいいんだと気付いたのは大きかったですね。

——「奇妙な雷竹の舞」のように、平均律から離れた微分音を探求している曲も入っていますが、当時は現代音楽も聴いていたんですか?

Hyu:実はそんなに熱心に聴いていたわけじゃないんです。12音技法とか無調とかいう概念もあとになって知るんですけど、当時はあまり知らなくて。そういう楽典の歴史への知識というよりも、エイフェックス・ツインとかがやっていることを参考に、手元にある楽器をいじりながら「これ、どんな音が出るんだろう」とか「音階を換えてみたらどうなるんだろう」とかそういう試みをやっているうちに、だんだん通常の手法から離れていったんです。

後にシェーンベルクやらクセナキスの曲を図書館で借りて聴いたりもしたんですけど、なんかおもんないなあ、と……。実際ああいう西洋の現代音楽って、あくまで理知的っていうか、聴いて楽しむという観点が第一で作られているものじゃないわけで、なんかしっくり来なかったんですよ。反対に、自分が作るものは、腕組みしないで聴けるあくまで楽しい音楽を目指していた部分がありますね。

1998年にレコード・デビュー

——その後、1998年に『Sortie』というコンピレーション・アルバムに参加したのがレコード・デビューになるわけですね。

Hyu:はい。当時、大阪にビーイング系列の<Styling Records>っていうクラブ・ミュージックのレーベルがあったんですよ。今ではちょっと信じられませんけど、当時はCDバブルでお金が余っていたから……(笑)。『Sortie』はそこから出たものですね。関西クラブ・シーンの引率者的な存在だった松岡成久さんが監修を務めていて、僕にも声がかかったんです。それ以前に自分で作ったカセット・テープを心斎橋の服屋に置いてもらっていて、そこから徐々に広がっていって、コンピの参加に至ったという経緯ですね。

——コンピのコンセプトはドラムンベースだったようですけど、Hyuさんが提供した「Cutie Bam-boo Dance」(前出曲「奇妙な雷竹の舞」の元バージョン)はだいぶ様子が違いますよね。

Hyu:「よし、ドラムンベース作るぞ」って意気込んではいたんですが、結果的に全然違うものになってしまいました。そもそも8ビートだけど、「まあ、いっか」と。そしたらコンピの中のどこにもハマらなかったみたいで、ラストに収録されることになりました(笑)。当時は本当にドラムンベース全盛期で、大阪でもディスコ用の大箱みたいなところでそういうイベントが頻繁に催されていましたね。なぜか僕もそういうところに混じってライヴをやってました(笑)。

——さらに同じ年、竹村延和さん主宰の<Childisc>のコンピ『Childisc Vol. 1』にも参加されています。

Hyu:そうです。竹村さんも松岡さんの紹介で知り合いました。

——今でこそそのあたりの時代の動きは日本のエレクトロニカの黎明期みたいに理解されることもあるかと思うんですが、ご自身では自分の音楽をどういうふうに捉えていたんでしょうか?

Hyu:うーん、なんだろう。広い意味でのテクノ、って感じでしょうか。そもそもエレクトロニカっていう言葉は当時流通していなかったように思います。2000年前後からいろいろ変わったことをやっている人が出てきて、結果的にその中の一部の人が後にそう呼ばれるようになったっていう印象ですね。

——IDMとか、音響系という言葉もありましたけど。

Hyu:ありましたね。けど、自分の音楽がそれらに属していたかっていうとそんな自覚もなかったですかね。ガンガン踊らせる音でもないし、かといって難しい顔をして聴く音楽でもないし、なんというか、用途の定まっていない音楽……。それこそ<Rephlex>周辺の人達が「ブレイン・ダンス」っていうジャンル名を提唱していたことがありますけど、強いて言うならその感覚に近いのかもしれない。身体じゃなくて、脳が踊る感覚っていうか。

——その後<Childisc>からフル・アルバム『Wild Cards』(1999年)を出される前に、もう1枚コンピに参加していますよね。

Hyu:あ、はい。『Ao』(1998年)ですね。

——当時、ジム・オルークさんがそこに収録された「INDiRECT」(『Inaudible Works 1994-2008』収録の「みなれぬものたち」の別バージョン)という曲をいたく気に入って、周りの人達にダビングして配っていたという噂を聞いたんですが。

Hyu:そうらしいんですよね。たぶん竹村さんの繋がりだと思うんですが。ダビングによって人から人へ情報が伝播していったっていうのは、まさにインターネット以前ならではという感じで面白いですよね。

これは、倍音にフォーカスした曲なんですが、誰にも理解されないだろうけど自分的には面白いものができたなと思っていたら、そうやって理解してくれる人がいて驚いた記憶があります。ジム・オルークさんのアルバムを聴くと、確かに倍音がすごく効果的に使われているんですよね。

——「倍音にフォーカスした」というのを詳しく言うと?

Hyu:簡単にいえば、作曲と音色作りの境界を取り払って作ったということですね。特に西洋音楽とか楽譜をベースにした音楽の世界では、どうしても両者が別のものとして扱われてしまうんですよね。一般的にもメロディーを奏でることとシンセサイザーで音作りをすることって別の作業だと考えられていると思うんですけど、そもそも、どんな楽器の音であれ原則としていろいろな周波数の音が同時になっているわけなので、本来的に両者の概念が切り分けられている必要はないはずなんです。当時はコンピューターも持っていなかったので、電卓で周波数を計算しながらそういう曲を作っていました。

“いかに聴いたことのない音楽を作るか”

時代ごとに制作環境も変わっていったと思うんですが、今回のアンソロジー盤『Inaudible Works 1994-2008』を聴いていると、その時々の制作テクノロジーを駆使しながら、いかに聴いたことのない音楽を作るかということに注力している様子が浮かび上がってきます。

Hyu:そうだと思います。最初のほうはさっき言った通りサンプラーとかMTRを使っていたんですけど、後にコンピューターを買ってからはそれを使ってどんなことができるか試すようになりました。例えば、今回のアンソロジーのLP版に収録されているはっぴいえんど「風をあつめて」のカヴァーでは、FFTで音を分解して再構築するという作業をやりました。

——クオリティは別にして、現在では、やろうと思えばかなり手軽にDTMで曲ができちゃうわけですけど、当時はまだまだ相当な根気がいる作業だったわけですよね。

Hyu:確かにそうですね。

——なぜそこまで没頭できたんだと思いますか?

Hyu:うーん。どうだろう、逆に根気がいる作業だったからこそ没頭できたというか。それと、いろいろなソフトの黎明期だった分、竹村さんをはじめ周りの人達と「こういう手法があるよ」とか制作について話すことが多かったんですけど、それも刺激になっていたように思います。

——当時やっていた手法が、DAWの浸透によってかえって困難になったという例もあるんでしょうか?

Hyu:それは大いにあると思います。難しいどころか、不可能なことすらあると思います。もちろん、技術的に極めている人ならできることはたくさんあるとは思うんですが。今は音楽制作から離れて久しいですが、当時DAWの画面を見た時に、なんというか、暗黙の了解で設定された強い枠組みが設定されているような感覚を抱いたんですよね。そういう枠組みの中では、開発者が想定しているであろう音はすぐに作れるんですが、そうでないものを作ろうとするととたんに行き詰まってしまうんですよ。個人的には、そういう、枠が与えられていてその中に囲い込まれているような感覚があんまり肌に合わなくて。

——「こういう風に作るべし」という風にテクノロジー側からアフォードされているような感覚?

Hyu:そうですね。ピアノの前に座ると自然と平均律を弾かざるを得なくなるのと似ているというか。

——むしろ黎明期の技術のほうが自由度が高いのかもしれない……?

Hyu:そう感じてしまいますね。

——「離散とグリッドのインベンション」などの曲では、ボカロ以前の初期人声合成技術を使ったりもしていますよね。

Hyu:はい。あの頃、すごくハマっていたんですよ。当時は「スピーチ・シンセサイザー」って呼んでましたね。竹村さんも熱心に研究していて、2人でよくその話をしたのを覚えています。竹村さんは、初音ミク以前にクリプトン・フューチャー・メディアが輸入販売していた初期のボーカロイド・ソフトに対してクレームを入れるほど、人声合成技術について一家言のある人だったんですよ。僕も、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(柴那典・著)という本を読んで、そのあたりの詳しい顛末を知ったんですが。

初音ミクの「声」を初めて聴いた時、僕も「人っぽすぎる」と違和感を持ったのを覚えています。あくまで「音」として考えた時、「人間的な色」が過度にあるとちょっと違うというか。

——いわゆる「不気味の谷現象」的な違和感?

Hyu:そうですね。その点、昔のスピーチ・シンセサイザーは、人の声にも聴こえなくはないというレベルで、そのマシーン的な質感がかえって有機的に聴こえるんですよね。もちろん、できるだけ人の声に似せていくっていう追求の方向もありだとは思うんですが、究極を言えば、実際に歌ったほうが良いねという話にどうしても行き着いてしまうと思うので。

——近年では音楽制作の場でも生成AIの技術が大きな話題となっていますが、そういうものについてはどう思われますか?

Hyu:いろいろな技術があると思うし、例えば「ビートルズっぽい曲を作って」と指示してまさにそれっぽいものができるみたいに、シミュレーション的な方向性ではすごいレベルに達していくんでしょうけど、大きな枠組みから離れた何かをやってください、となった時には、たぶんかんばしい成果は得られないような気もしますね。

——プロンプトの精度を上げていけば、より一層創造的な可能性が開けていくのではないかという見方もありますが。

Hyu:でも、結局音楽の内容やイメージを自然言語で指示するのって限界があると思うんですよ。音作りにまつわるいろいろな象限とかパラメーターとかがあるわけですけど、それはそもそも自然言語では表記できないからそうなっているわけで、どこかで限界にぶち当たる気がして。音楽の根本的な構造を組み直したり、逆に細かいところを突き詰めたりというのにはAIは今のところ向いていないと思うんですよね。

——技術の発展が必ずしもマクロな音楽観の転換に繋がるわけではないということですかね。

Hyu:まさしく。そういえば、こないだYouTubeをなんとなく見ていたら、ヒップホップのビートメイカーの人が自分が普段どうやって音を作っているかを説明するチュートリアル動画みたいなのが流れてきたんですよ。「まず、このサイトでビートのパーツをダウンロードして、Ableton Liveにそれを取り込みます」「ここからが僕だけのオリジナリティなんですけど、そのパーツのピッチを変えます!これがクリエイティヴィティです」みたいなことを言っていて、ついにここまで来たのか……と思ってしまいました。そういう人達からしたら、AIに指示してそれっぽいビートを吐き出させるっていうのは、まさに「クリエイティブ」なことなんでしょうけど。

「いいね」中毒で自分を見失ってる人

——単純に「昔は良かったね」的な話にするのも違うと思うんですけど、少なくとも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』に収録されている曲を今から50年後くらいに聴いた時に、「DTMテクノロジー直前の特殊な音楽」みたいな形で歴史化されている可能性もあるなと思いました。

Hyu:あ〜、はい。なんというかこう、歯を食いしばりながらデジタル技術と対峙して面倒なことをやっていた人間の痕跡が刻まれているものとして……(笑)

——電気自動車が当たり前になった未来に「あの時代にはハイブリッド車っていうのがあったらしい」って振り返られる、みたいな……。

Hyu:わかります。本当に昔話になるかもしれないですよね。

——まさに、だからこそ今回のアーカイブ企画には深い意義がある気がします。風化とか伝説化じゃなくて、本来的な意味での歴史化のための第一歩というか。

Hyu:最初にエム・レコードの江村さんから話をもらった時には、「え、こんなのに興味持ってくれる人いるのかな」という気持ちでしたけどね(笑)。

——今後再び音楽を作り始める可能性はないんでしょうか?

Hyu:うーん……どうだろう。やるとしたら、昔みたいに1人でやって煮詰まっちゃうんじゃなくて、誰かとやりたい気持ちがありますね。せっかく転勤で東京に来ているし、誰か面白がってくれる人がいるならやろうかなくらいの気持ちはあります。けど、今となってはどんなモチベーションでやるのかっていうのも難しいよなと。

——当然、今っぽくネット上でのバズみたいなものを目的にしてやっていくっていうのも違うでしょうし……。

Hyu:たぶん、そうやって曲を作って面白い動画とくっつけてみたりとか、反応を推し量りながらやっていくようなスタイルからは、面白いものはに生まれにくい気がします。作品をインターネットで公開すると色々なフィードバックが返ってきますが、あれに支配されてしまうというか、SNSの操り人形になってしまってる人が増えてる気がします。日常の言動とか思考がすべて「バズ」という状態から逆算されたような状態になっていて、ある種の「道化」を自分から進んでやってしまう状態になる、そして、本人も薄々そんな状態に気づいていて自分でもイヤになってたりするんだけど、しかし「いいね」の誘惑に耐えきれずにまた元通りになってしまうっていう。まさに「いいね」中毒で自分を見失ってるというか。

——あ〜……。

Hyu:友人が面白いことを言っていて。「頻繁なフィードバックは人間をダメにする。中世のヨーロッパでは、一生に一回『最後の審判』という名の巨大なフィードバックがあるだけ、しかしそれぐらいで良かったのでは」って。なるほど面白い意見だと思いました。その1回以外は暗中模索で何かを作っているほうがむしろ健全なのかも。

——そういう意味でも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』は、ある時代へと移行する直前の創作のあり方の記録として貴重なドキュメントになっているような気がします。タイトルで「1994-2008」と謳っているのも、結果的に、ギリギリSNSが浸透する前の時期までの音源集であるということを現しているといえますね。

Hyu:実際、不特定多数の誰かからの肯定を日々受けながらというより、ひたすら孤独に作っていたものですからね(笑)。仮にこれを作っていた時代にSNSの「いいね」とか、アテンション・エコノミーみたいなものがあったら、いかにも無難なものに終わっていた可能性は高いと思います。

Photogaraphy Mayumi Hosokura

Hyu『Inaudible Works 1994-2008』
価格:(CD)¥2,970、(LP)¥4,400
TRACK(CD)
01. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
02. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
03. 茄夢 [4:58]
04. WigWig [4:44]
05. みなれぬものたち [3:22]
06. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
07. Robotomy Mam [2:24]
08. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
09. 猫屋オドレミ [6:36]
10. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]
11. ガムランに憧れて [5:34]
12. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
13. 1000万年後の子供たち [6:10]
14. 音の散逸構造 [6:00]
未発表:1, 6, 9, 10, 11, 13, 14
新バージョン: 5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 通常ジュエルケース、12ページブックレット、帯付
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689221

TRACKS(LP)
Side A
1. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
2. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
3. 茄夢 [4:58]
4. WigWig [4:44]
5. みなれぬものたち [3:22]

Side B
1. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
2. どんな音でも二度繰り返すと音楽に聞こえる [3:34]

Side C
1. Robotomy Mam [2:24]
2. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
3. 風をあつめて [2:39]
4. 猫屋オドレミ [6:36]
5. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]

Side D
1. ガムランに憧れて [5:34]
2. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
3. 1000万年後の子供たち [6:10]
4. 音の散逸構造 [6:00]
未発表曲:A1, B1, B2, C3, C4, C5, D1, D3, D4
新バージョン: A5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 12インチLP2枚組、見開きジャケット、DLクーポン封入
+ 2LP版のみボーナストラック収録
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689112

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進化するミュージシャン、中村卓也 革新的な姿勢が生み出したコズミック・ワールド https://tokion.jp/2024/02/16/interview-takuya-nakamura/ Fri, 16 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223668 ブルックリンを拠点に活躍するミュージシャン、中村卓也が提唱する革新的コズミック(宇宙)ワールド。

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中村卓也

中村卓也(Space Tak)
1966年生まれ。作曲家、ピアノ、トランペット奏者。国立音楽大学作曲科を卒業後、ボストンのニューイングランド音楽大学院へ留学。大学院在籍中よりジョージラッセルのバンドに参加。1994年からニューヨークに拠点を移し、さまざまなシーンにて活動開始。これまでにジョジョ・メイアー、オーガニック・グルーヴス、ココロージー、ブルックリン・ジプシーズ、マリアンヌなどのバンドにて活動してきた他、リー・スクラッチ・ペリー、アート・リンゼイ、ロバート・ウィルソン、エイサップ・ロッキーなど多様なアーティストの活動に参加。またクインシー・ジョーンズ、ビリー・ホリデイのリミックスを担当。パンデミックの最中は「Temple Nopgue」と題し八王子の法然寺や長野のスタジオよりさまざまなアーティストを招き実験的なライヴを配信。2023年は「The Lot Radio」での配信が100万回再生を超え話題を呼ぶ。現在はブルックリンを拠点に国内外にて活躍中。
https://solo.to/deertrapstudio
Instagram:@space_tak

ニューヨーク・ブルックリンを拠点にローカルのアヴァンギャルドな音楽シーンにて、幅広い活動を繰り広げるミュージシャン、中村卓也。日本バブル末期の1990年に渡米。ボストンのニューイングランド音楽院にてジョージ・ラッセルの教えの下にリディアン・クロマティック・コンセプトを学び、1994年にニューヨークへ活動の拠点を移して以来、トランペッター、ピアニストとして、アンダーグラウンドからメジャーまで幅広い音楽アーティスト達とステージを共にし、約40年以上、常に革新的な音楽活動を続けている生粋のミュージシャンだ。

コズミック(宇宙)をテーマに、楽器と音楽機材を駆使しソロでライヴ/DJを決行。ジャズ、ドラム&ベース、エレクトロ、ジュークなどジャンル問わずの選曲に、オリジナルのビートと演奏を重ねたインプロ的な独自スタイルが注目され、昨年は世界的に人気のブルックリン発のネットラジオ「The Lot Radio」でのDJプレイが100万回再生(スーパーバイラル)されるという快挙を遂げ、本人も驚きの“卓也の時代”が来ていることを感じて止まない。

これは個人的な印象だけど、初めて卓也さんの演奏を聴いた時、自分が思うニューヨークの空気を纏った音色だなと感じた。アーバンでモダン、品とストリートが交差した感じ。「俺はジャズ・ドロップアウト」と卓也さんは言うけど、自ら選んだ他とは異なる道と体験してきた環境が、孤高のスタイルを生み出したのだと感じて止まない。そして時代が今、卓也さんを捉え始めているのではないだろうか……よって気になるのは「一体、中村卓也というミュージシャンはどんな人物なのか」。

ジョージ・ラッセルの教えを受け、人生を謳歌するために1990年にボストンへ

——トランペットは父親が買ってきたから始めたそうですね。

中村卓也(以下、中村):父が音大の先生をしていた関係で、子どもの頃から楽器が家にあって、ピアノは仕事道具なので当然なんだけど、大学附属の楽器屋さんから型落ちしたエレクトーンやベース、スチューデントモデルの管楽器とかがうちに流れ着いてきたり。その頃のテレビのテーマソングとかに当時はインストポップとかもあって、トランペットの曲がよくあったから父にトランペットがやりたいとか言ったのかもしれない。それから父がいい感じのトランペットを買ってきてくれて、そこから父の生徒でもあった方にトランペットを教わる、というか遊んでもらう感じで始まりました。

——1990年に渡米されましたが、ジョージ・ラッセルが講師を務めていたニューイングランド音楽大学院へ行こうと思ったきっかけはなんだったのですか?

中村:ジョージ・ラッセルの音楽はすでに少しずつ聴いていたから、日本へ来日した時にコンサートに行ったんだけど、そこで衝撃を受けて。今まで教わってきたクラシックの理論では説明がなかなかつかないことが、彼の言う「リディアンスケール」を中心にした考え方ですっきりとわかるらしい、ということで興味を持っていたんだよね。その頃は国立音大に行って作曲を勉強するフリをしてジャズをやっていたんだけど、学校を卒業する頃に校内に「ニューイングランド音楽院生徒募集中」と書いた張り紙が偶然貼ってあって、彼がそこで教えていることはレコードのジャケットとかを見て知っていたし、日本でジャズをやるのもなんかよくわからなかったから、オーディションに行き、そのまま1990年にボストンに行くことになったんだよね。学校では他に、ポール・ブレイとかデイブ・ホーランド、ジュリ・アレンなど最先端の人達が教えていた。

——流れの中で行くことを決めたんですね。

中村:行くチャンスができたから何も考えないで行ってしまおうってことで、そのまま決めて行ってしまったんだよね。日本でアメリカのコピーをしてジャズやるより、どうせだったら実際に何が起こっているか見たかったというのもありました。

——ボストンでの大学院生活はどうでしたか?

中村:大学院だったから、自分で勉強しろっていう感じで。最初は英語もわからないまま、とりあえず入れたから行くという感じで。でも演奏をして仲間もできて、その中でなんとなく英語を覚えていくことができたし、アメリカに行くということ以前にジョージ・ラッセルを始め、今考えればすごいなと思えるいろいろなマスター達から学べるということしか考えていませんでしたね。だって彼のおかげでマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンとかの演奏が変わってしまったっていう人だし、これはぜひとも学びたいと思ったから。

——ジョージ・ラッセルからどんなことを教わったんですか?

中村:彼は1950年代にニューヨークジャズが革新している時期に、「シンプルなコード進行から複雑なものまで、現代の音楽に対応した新しいハーモニーをもっと自由にシンプルにインプロヴァイズ(即興演奏)できるように考えられた・発見された新しいコンセプト」をひらめいて、当時のニューヨークの仲間とともに研究をして広めた人で、アメリカの音楽をだいぶ変えてしまったような人です。

もともと自身もドラマーとして活躍していたんだけど、友達のマックス・ローチがすごすぎて作曲家に転身したらしい。マイルス・デイヴィスはジョージ・ラッセルの影響で「So What」のようなシンプルなグルーヴとコードの上で、いろんなスケールを使ってカラーを変えるようなやり方のモードジャズを演奏して、同じく影響を受けたジョン・コルトレーンは「Giant Steps」という曲を書いてさらに自由になって行ったんだと思う。

理論だけど感覚や自然の法則に根差しているんで、例えば昔のヒップホップの人達なんかは、サンプリングをして何か面白いものを作っちゃったけど、それもみんな感覚でいいサウンドかどうかってだけでやっているわけで。だから彼からは音楽を全体的に感じながら、その瞬間と共にいるということを学んだと思う。

ニューヨークで活動し、何かが生まれる瞬間の一員になる

——クラブ系の音に興味を持ったのはいつ頃ですか?

中村:1990年にボストンに行った時はまだ学生だったんだけど、先生でもあったボブ・モーゼスというドラマーのバンドに入って活動していたんだよね。その頃ボストンに「ウェスターン・フロント」ってすごく面白いクラブがあったんだけど、そこの2Fでレギュラーでサウンドシステムを出していて、バンドのショーの休憩の合間に見に行ったらどうもレゲエじゃないっていう……やたらとベースがでかいし、ビートは速いし、これは俺が若い頃に聴いていたレゲエとは違うなと。それが最初のジャングル体験なんだけど、「これはなんなんだ!」と思ってやられました。

——1990年代前半にニューヨークへ引っ越してからは、どんな音楽体験をしていたんですか?

中村:まあ、ジャズをやろうと思ってニューヨークに行ったんだけど、ちょうど1980年代後半頃からネオクラシックなジャズが、「これからはこれだ!」みたいにレコード会社の売り方で主流みたいなことになっていて、だけど俺はジョージ・ラッセルやサン・ラーとか、本当にアメリカのカルチャーに根差してジャズを革新してきた本物に接してしまったので、その方向に「それはないだろう」と感じてしまっていて。ちょうどその頃にニューヨークでやっていた「ジャイアント・ステップス(Giant Steps)」っていうパーティとか、そういったクラブへ行くようになったら、そこでのバイブスも良くて新しい何かをみんなで作っている感じだったから、こっちのほうが自分に合っているなと肌で感じたんだよね。トランペットでジャズを吹くのは基本的にどこでも一緒だけど、ビートはもっと新鮮だし、横のつながりも強い世界で、そっちのほうが自分を受け入れてくれたんだよね。

それからしばらくして、ジャミロクワイとかいろいろなアーティスト達のジャングル・リミックスが好きになって、「ボストンのサウンドシステムで聴いたあの音に似ているな」と。ちょうどその頃、ニューヨークでバンドを始めて「バー・ボブ(Bar Bob)」という、アシッドジャズやジャングル混ざったようなウィークリー・パーティにバンドで参加したら、人がたくさん来るようになって、バンドもどんどん人気が出てきたから、「こういうふうにジャズは進化していくんだな」「これは最高だ!」って。せっかくアメリカに来てニューヨークにいるんだし、そこで何かが生まれる瞬間の一員になりたいというか、そこからずっと今まできている感じです。

——「ジャイアント・ステップス」は1991年からニューヨークで始まった、アシッドジャズやクラブジャズを取り入れた、当時は新しいスタイルのパーティだったと思います。DJプレイやライヴもあって、人種もさまざま、そこにジャズを感じたんですね。

中村:その頃はエレクトロニックなジャズ・フュージョンとかもあったけど、あれはレコード会社、いわゆるコーポレート系で権威があってとかそういう世界だったから、ジャズフィールドも一時期は売れなくなって新しい売れ方はないのかって、そこに父親からビバップを教えてもらったような才能のある若手の黒人の人達が入り込むフィールドがあったんだよね。実際に90年代に「バー・ボブ」でやっていたパーティには、お客さんも来てエキサイトしていたし、何をやってもいいじゃないけど自分もその中にいるっていう感覚があった。

——90年代前半のダウンタウン・ニューヨークで起きていた音楽シーンの中に卓也さんはいらっしゃったんですね。

中村:そうだね。ジャズ・ミュージシャンだけど、ジャングルをやったおかげでニューヨークで認知度が広がったからね。「プロフィビット・ビーツ(Prohibited Beatz)」というパーティを1996年にマンハッタンのチェルシーにあった「シャイン」というクラブで毎週火曜日にやるようになって、3ヵ月くらいで「ニューヨークタイムズ」に紹介されて人がいっぱい来たりね。

その頃、俺はドラマーのジョジョ・メイアー(Jojo Mayer)という人がやっていたドラム&ベースの走りのバンド、ナーヴ(Nerve)にトランペットとキーボードで参加していたんだけど、自分のスタイルを探していた頃にそのバンドに入れたのはラッキーだった。「プロフィビット・ビーツ」は、そのジョジョ・メイアーが仕切って3~4年くらいやってたんだけど、ゲストでブレークビーツ・サイエンスなんかをDJで呼んだり、ズールー・ネイション(Zulu Nation)のT.Cイスラム(T.C. Isram)がMCチームで入ったり、サンフランシスコのレーベル「NAKED MUSIC」のアーティストでもあるリサ・ショー(Lisa Shaw)もいたり、10人ぐらいの大所帯のクルーでやっていたんだよね。そのパーティがきっかけで俺はアート・リンゼイに誘われて一時期キーボードで数年参加したりしていたこともあった。だけど自分のプロジェクトやナーヴも同時進行でやっていたから、自分のやっていることに戻ってきた頃には、ニューヨークでドラム&ベースが少し下火になっていたんだんだよね。それが90年代後半から2000年くらいの話。

ブルックリンのローカルコミュニティに音楽活動の根を張る

——2000年代はどのような活動をされていたのですか?

中村:ナーヴでは西ヨーロッパだけでなく、ポーランドをはじめ東ヨーロッパを回ったり、その頃の東ヨーロッパはソビエト連邦が崩壊した後で少し暗かったんだけどジャングルとかも流行っていて、ドラム&ベースが東ヨーロッパにも伝わっていることを生で体験したりした。それと並行してオーガニック・グルーヴス(Organic Grooves)って「CODEK RECORDS」というグループにも誘われて、オーガニック・グルーヴスはすごく人気だったからそこで頑張ったんだけど、911(アメリカ同時多発テロ事件)でダメージを受けてしまいパーティをやりにくくなってしまったんだよね。その頃、俺はブルックリンのウィリアムズバーグに住んでいたから、その周辺で演るようになってだけどだんだんと自分の中でダンスミュージックが厳しくなってきたというか、少し飽きてしまった時期でもあった。

——2000年代前半のウィリアムズバーグはまだこれからという感じで、新しいことが始まった時期なのではないでしょうか?

中村:そうそう。2000年くらいのウィリアムズバーグはイーストリバー沿いにあったシッピングドックがなくなって、人が住んでいなかったところに人が引っ越してきたような時期だったから、川沿いが少しずつ盛り上がり始めていた頃だった。「ドムジーズ」があって、その近くにタイレストランがあって、ケント・アヴェニューではジャングルのパーティもやっていたからよく行ってたし、後に俺も活動や運営に携わるようになった「スタジオBPM」という日本人がやっていたステージのあるスタジオもあったり。

そこからウィリアムズバーグはバンドブームになっていって、アニマル・コレクティブ、TV オン・ザ・レディオとか、俺が参加することになったココロージーもそうだったし、いろいろなバンドが出てきてみんな面白いことをやっていた時期だった。その頃のナーヴはドラム&ベースだけでなくダブステップも取り入れてツアーを始めていたんだけど、自分はダブステップには惹かれなくて、だんだんと離れてウィリアムズバーグのバンドのほうへ。クリエイティブなブルックリンがすごく面白くなっていた頃だったから、自分もマリアンヌというスペースロックなバンドを日本人3人と始めたりもして、ココロージーはそこから2019年ぐらいまで頻繁に彼女達のツアーに参加するようになった。

——ココロージーはどのようなバンドなのですか?

中村:姉妹2人組のユニットで、姉のシエラはクラシックをやっていてハープを弾いたり、きちんとオペラも歌える人で、妹のビアンカはポエトリーやおもちゃのサンプラーを演奏したりしてビョークみたいな感じ。俺はリー・スクラッチ・ペリーのバンドにも参加していたココロージーのベースに誘われて、ビアンカの(ソロの)ライヴに参加したのがきっかけで急遽ココロージーのツアーにも参加することになったんだよね。そこではアート系やLGBTの人達と出会って自分にとって新しい流れになっていたんだけど、2016年くらいからツアーが一段落してここから先何をやるか考えていた頃、2017年に「The Lot Radio」に呼ばれたんですよ。

100万回再生された「The Lot Radio」でのDJプレイ

——「The Lot Radio」はDJプレイが主体のネットラジオですが、最初はどのようなスタイルで参加しようと思ったのですか?

中村:フリージャズからテクノまですべてという感じで、そのスタイルを自分では「コズミック」と呼んでいるんだけど、コズミックというのは何でもミックスありという意味なんだよね。そもそもヨーロッパで1980年代とかに森の中でマッシュルームを食って、アフリカン・バンバータみたいに何でもかける「コズミック」なスタイルを楽しむムーヴメントがあったの。50歳前後のヨーロッパの人ならわかると思うんだけど、アメリカにはあまりないジャンルで「何でも」っていう意味で使っているんだけどね。

その感じでDJに関してはなんでも混ぜるというか、レコードはそんなに持っていないけど、DJを始める前は「CODEK RECORDS」に参加していたから、そのレコードがいっぱいあったのと、ココロージーやオーガニック・グルーヴスとかのツアーに出かけていた頃に昔のテクノのレコードが安い時期だったから、まとめて買っていたの。そのレコードに俺がサン・ラーとかそういう音楽をたくさん知っていたからフリージャズを混ぜてDJをやって、ちょうどニューヨークのサウンドエンジニアのヒデ君からOP-1(Teenage Engineering)を紹介してもらって使い始めていたから、当然だけどトランペットも入れてやるようになっていて。2017年にココロージーのツアーが落ち着いて終わってしばらくした頃に「The Lot Radio」に誘われて参加し始めたんだけど、ちょうど他のDJ系のインターネットラジオが急にいくつか盛り上がり始めた頃だったのもあって、自宅で働く人達や職場なんかで聴いてくれたりしていたんだろうね。そしたら2023年1月に「The Lot Radio」でやったプレイが自分でも驚くくらいバズっちゃって……。

——現在、100万回再生を超えていますよね! 卓也さん自身ここまでハズった理由はなんだと思いますか?

中村:カリブル(Calibre)っていうリキッド・ドラム&ベースの巨匠のレコードが近所のレコード屋で安くなっていて、懐かしいなと思って買って持っていたから、あの日はそのレコードのドラム&ベースの上にトランペットを混ぜて自分なりにプレイしたんだけど、そこで何が起こったかというと、「Wobbly Wobbly」という、イギリスの20代のドラムンベースのクルーがいて、彼等が俺がカリブルをかけながらトランペットを吹いている「The Lot Radio」のYouTube映像をを彼らのTikTokに上げたの。それが若い世代のドラム&ベース好きに引っかかってどんどん拡散されていって、それで1週間ぐらい経ってから「お前のプレイ“スーパーバイラル(Superviral)”だよ」って。「スーパーバイラル」なんて言葉はその時に初めて知ったんだけど、SNSでどんどん広がっていった感じだよね。

——何十年もの音楽に対する経験が詰まった内容のことをDJでやってのけてしまうプレイは若者達にとっては、確実にクールに映ったと思います。

中村:ズルいよね、あのスタイルは(笑)。だけどまだ日本ではあのスタイルを理解してもらえてはいないし、でもインターネットの世界でここまでいけたからもう大丈夫だとも思ってる。20代にウケればいいの。本当はもっと認知度を上げるためにも、バイオグラフィーにクインシー・ジョーンズのリミックスやっていました、とかそういうのを書いたほうがわかりやすのかなとか思う時もあるけど、やっぱり(東京の)国立市出身だからどこか俺はのんびりしてるんだよ(笑)。

若手達とともにパーティを開催

——DJは誰かに教わったりしたのですか?

中村:ニューヨークにWFMUというオールドスクールなラジオ局があるんだけど、そこにスモール・チェンジ(Small Change)という友達のDJがいて、彼がDJをするならとある程度の基本をほとんどくれたころがあったんだよね。ドラム&ベースはなかったけど、そこからジュークやジャンプスタイル、面白いテクノとかがわかってきた感じ。

——ハウスよりもテクノ寄りな感じのほうが好きなんですね。

中村:ハウスはあまり興味がない。自分がジャズ・ミュージシャンだから感じるのか、ハウスってそのジャズからすると一番わかりやすいコードチェンジを使ってジャズっぽくしてそこに歌を乗せるとか、それに自分は引っかからないというか。それに俺の場合はニューヨークにいても、ニューヨークで流行っていたハウスミュージックとは違うところでやっていたのもあるしね。

——ソロのライヴを行う時に使用しているビートはすべてオリジナルなのですか?

中村:ソロのライヴの時はすべてオリジナル。最近はシカゴジュークやフットワークなんかももっと多めにしてもいいかなって思ってる。今、俺とブルックリンでパーティをやっているDJのラムジー(RMZ)はメンフィス出身で、メンフィスラップのラジオ番組でもDJをしていてジュークが好きなんだよね。自分も好きでDJラシャド(DJ Rashad)やRP・ブー(RP Boo)なんかを聴いていたんだけど、ニューヨークにもそれが好きな若い人達がいることを知って「最高!」って思っていたら、パンデミックが終わった頃にラムジー、クッシュ・ジョーンズ、ナイジェルなんかとつながり始めて、今は少しずつ一緒にやるようになっている。

「止むを得ない状況に、俺達が合わせた」ことから生まれた新しい流れ

——トランペットやピアノの音色はアーバンなのに、ビートからはストリート、生きてきた道が音楽に現れているというか、他にはない驕らないリアルなスタイルに人々は気づいてしまったのではないでしょうか。

中村:最初はアメリカに来てジョージ・ラッセルに「リディアン・クロマティック・コンセプト」を元に、ハーモニーがどうなっているのか、音のつながりって何なのか、バイブレーションというのは何なのかを教わってさ。そもそもソニー・ロリンズというジャズのサックス演奏者が、日本のFMラジオでスティーヴィー・ワンダーの「Isn’t She Lovely」を紹介して、それにバチ!ときちゃったわけで、ソニー・ロリンズはジャズだけにとらわれないでやっている人で、それがすごいなと思っていたから。同時に自分はYMOやクラフトワークで育っている世代だから、ジャズ以外にもテクノもあればニューウェイヴもヒップホップも周りにあったから。だからレコード会社が「ジャズはクラシカルな方向で生き延びるしかない」と言い出した時、自分はそこに入る隙はないなと思ったんだよね。人種差別のある世界に行っても仕方がないし、だから「ジャイアント・ステップス」にも行ったんだと思うし。それでそこにサンプリングミュージックがあってアシッドジャズもいいなと思ったけど、だけどあの時(90年代前半)はジャングルが格好いいなと思って、そうしたら自分の周りにいるジャズの人でも同じようなことを感じている仲間がいたんだよ。

——そこからさまざまなバンドでのプレイ経験を経て、今のスタイルができあがったと。

中村:ニューヨークのクラブやライヴハウスは機材がそんなに良くないから、自分でスピーカーを持っていかないと自分の好きな音が出せないこともあるし、今は機材も進んできているから、お金かからないからバンドを組まずに1人でやる方向もあるわけ。ジャズの場合、ビッグバンドからあふれた人達がアフターワーズで少ない人数で演り始めて、それを日本から見たら大天才が現れたみたいな感じに捉えられているけど、どちらかというと止むを得ない状況に俺達が合わせたというか、実はたまたまこれをやってみたら良かった、みたいなことがほとんどなんだよ。

——自然発生的な感じがいいですね。“ない”状況から新しいことが生まれる状況とでも言いますか。

中村:だってそうじゃん。ドラムマシンだって303(Roland TB-303)や808(Roland TR-808)にしても、日本人からしたらリズムボックスの進化版みたいでダサいなって目で俺達は見ていたけど、ミドル・シカゴの人達がジャンクヤード屋で40ドルぐらいで買ってきて、作った人の意図とは違う目線で面白いことを始めちゃったら新しいことが生まれて、それはMPC(AKAI)もそうだよね。その頃はサンプリングをしたら著作権に引っかかるなんて考えもしていなかったろうし、作ってる側の意図なんか無視して、とにかく自分達ができることをその機材でやってみたら面白いことになったっていう感じだろうし。ニューヨークで生活をしていると、そういう感じのことをいろいろなところで目の当たりにするから「こうやって生まれたんだ、なるほどね」っていつも感じていたよね。

“ジャズ・ドロップアウト”から生まれた独自の進化

——ピアノやトランペットの演奏に関しては、最近はどのような方向になってきていますか?

中村:ピアノに関しては、パンデミック前は現代音楽みたいなのを弾いてみたいなと思い始めて、この5~6年はだいぶ上手になったんじゃないかな。その前は雰囲気はいいからと雇われて、普通のジャズやポップスはできるかもしれないけど、細かいところまでできなくてテイストでごまかしてたりしてたの。だけどもう少し上手くなりたいなと思って、今もチャレンジしているところ。まだできることがいっぱいあるし、ピアノに関しては人前で弾く弾かないは関係なくドビュッシーとかクラシックもどんどん弾けるようになりたいというか。ピアノのインプロヴィゼーションで、リアルタイムコンポジションというところでのボキャブラリーを増やしていきたいよね。トランペットはメロディー楽器だからボーカル的な楽器。そういう意味では、伴奏と演奏とストラクチャーの全体的なバランス、ハーモニーを作るという上でいろんなことが試せるのがトランペット。変な癖がついてしまう時もあるけど、そんな時は休んでまたどんどん吹いていくって感じかな。

——卓也さんは、ジャズの世界ではどのような立ち位置に自分はいらっしゃると思いますか?

中村:ジャズに関しては初めて聴いた時から吸い込まれてしまったというのがあるし、それができるようになりたいっていう単純な話から始まったこともあるしね。父がミュージシャンで音楽大学の先生でミュージシャンになるにはいい環境だったけど、ミュージシャンではなく「なんか違うことやろう」と思っていたこともあった……とはいえ10代の頃に病気になったということではそれしか選択肢がなかったということもあり。おかげで本当に自分自身で感動するものに出会えたし、だから俺の場合はジャズ・ドロップアウトっていう感じなのかな(笑)。 

——ドロップアウトしたことが、新しい世界を生み出していると感じます。

中村:自分が面白いことをしている人って、それぞれが好きなことをやってるイメージがある。だからドロップアウトしない人っていうのは、実はそこまで好きじゃないっていうのもあるかもしれないよね。自分の場合は例えばサン・ラーもそうだけど、個性の強い人に惹かれていたしね。正統派じゃないし、この人よくわからないけどすごく惹かれるみたいな。それを自分もできないかなとか、自分の個性を作ることは難しいことだから、どうしたらこういう風になれるんだろうということは常に考えていたかも。そもそもエリート的なのが好きじゃないし、というか苦手なんだよね。怖いというかさ(笑)。

DJセットにOP-1とトランペットを取り入れ世界を回る

——これから挑戦してみたいということはありますか?

中村:最近は曲を作ってるからそれをどうしようかなと。自分の好きなジュークやドラム&ベースが自分の中で急激に進化して、昔のジャングルとはまた違うものができ始めているから、自分なりに挑戦してみようと2年ぐらい前からシーズン2が始まっている感じ。ソロのライヴはやる会場によって少しずつスタイルを変えているけど、好きなことを何でもしてもいいよと言われたら、ジャングルやジュークを多めに取り入れると思う。昨年はニューヨークでも人気の「パブリック・レコーズ」や、インド4ヵ所を回るツアーに行ったり、マイアミのアートバーゼルでも演った。インドはツアーを組んでくれた人がナーヴを過去に聴いていて、「The Lot Radio」でプレイを見てブッキングしてくれたんだけど、バンガロールでは「Echoes of Earth 2023」っていう大きいフェスティバルにブックしてくれていい時間を過ごせた。今年はノースアメリカ、サウスアメリカのDJツアーをできたらいいなと思っています。

——オリジナルDJセットが注目され始めていますね。

中村:昨年は『Mixmag Asia』の注目のエレクトロニックDJに選ばれたり、ココロージーのツアーの間にパリの「RINSE FM」でDJをやったりしたんだけどそれが盛り上がってしまって。これからはトランペットとOP-1、それ2つを持って1人で世界中を回ってみようかなって。わざわざキーボードを持っていかなくても、今のセットだと身軽にどこでも行けるのがいい。そんな感じでボンボン始まってる感じ。これからが楽しみだよ。

Photography Koki Sato

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