TOKION MAGAZINE ISSUE 1 OBSERVE Archives - TOKION https://tokion.jp/series/tokion-magazine-issue1-observe/ Tue, 25 Jan 2022 09:54:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png TOKION MAGAZINE ISSUE 1 OBSERVE Archives - TOKION https://tokion.jp/series/tokion-magazine-issue1-observe/ 32 32 黒いペイントをどうみる? https://tokion.jp/2020/07/28/observe-insight/ Mon, 27 Jul 2020 18:20:02 +0000 https://tokion.jp/?p=1019 真っ黒の作品を目の前にして感動できるだろうか? キャリアのほとんどを“黒”を使い表現する芸術家のピエール・スーラージュとパートナーのコレット、キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストによる鼎談。

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ハンス・ウルリッチ・オブリスト(以下、ハンス):初めてお会いした時、アーティスト活動を本格的に始める前はラグビー選手だったと言ってましたね。

ピエール・スーラージュ(以下、ピエール):ええ、実はそうなんです。今も家のどこかにラグビーボールがあるはずです。

ハンス:ゲルハルト・リヒターも「ペインティングはペタンク(フランス発祥球技)に似ている」と言っていました。あなたにとっても、ラグビーとペインティングの間に何か類似するものがあるのではないかと思っていたんです。

ピエール:確かにラグビーと似ているものはあると思いますよ。ラグビーボールというものは、サッカーボールやベースボールのような球形ではなく、楕円形。つまりバウンドすると右へ行くか左へ行くか、前へ行くかそれとも後ろへ行くか、わからないところが面白い。私が何かについて調べている時も、ペインティングしている時も、ラグビーボールがバウンドするようなことが起こります。どっちに行くかは決してわかりません……。とあたかもラグビーが上手だったようなことを言っていますが、実はそんなに上手くはなかったですけどね。

ハンス:スポーツといえば、ジュ・ド・ポーム(テニスの先駆けとなったスポーツで、ラケット状の道具を用いてボールを打ち合う競技)もやっていると聞きました。ラグビーと比べるとどうですか?

ピエール:ジュ・ド・ポームをし始めたのは、ここ数年の話です。ラグビー選手だったわけではないですし、実際プレーしていたのは学生時代です。でも当時はいつも思いもしないことが起こるラグビーをものすごくおもしろいスポーツだと思っていました。

ハンス:ペインティングにおいても、思いもしないことが起こる、と。

ピエール:描く行為だけでなく、何かについて調べている時も思いもしない方向に転んでいくことがあります。それは絵画というアートをどのように捉えるかということになります。私は今まで絵を描くことと芸術史における文脈を紐づけるようなことを事前に考えたことがありません。アートにおける理論というものは、前もって考えることではなく、事後になって理解されていくものだと思います。

ハンス:ということは、アプリオリ(先験的)はなく、アポステリオリ(後天的)ということなんでしょうか。

ピエール:まさしくその通りです。

ハンス:ラグビーをきっかけに芸術の分野に興味を持ったわけではないと思いますが、あなたはどのように芸術と出会い、そしてどのように惹かれていったのかを知りたいです。初めてお会いした時にお話ししてくれたことに、文字を持たない、つまり文字による史料が残されることのなかった先史時代の芸術、それに1797年に南フランスで発見、保護された、視覚や嗅覚、味覚などの人間らしさを失っていた野生児(アヴェロンの野生児)をきっかけに芸術に惹かれていったと。

ピエール:そうですね。16歳の時、私達が受けている教育は数世紀に限られたものでしかないんだ、とふと思ったことがあったんです。学校の教育だけでなく、例えば美術館へ行っても、そこで見ることができるものの大半はわずか4~5世紀の間に描かれたり、作られたりしたものだけなんです。高校生の頃、芸術は25世紀前のギリシャで生まれたと教わりました。つまり、それはどういうことかと言うと、キリストが生まれた西暦元年から生まれた文化であると。だけども、195世紀前に描かれてきたアンタルヤ洞窟の壁画を目にした時に思ったんです。「今まで5世紀というわずかな時間だけを見てきたけど、人は195世紀前から絵を描いていたんだ」と。それにアンタルヤ洞窟の壁画よりもずっと古い洞窟も見つかっています。こうした気付きがあってから「なぜ人は絵を描くのか、自分がなぜ絵を描きたいのか」を考えるようになりました。

ハンス:ペインティングにおける根本的な問いかけですね。あなたが美術史家のゾエ・スティルパスに取材されている記事を読みました。その記事で、子どもだった頃にもうすでに黒のインクが好きだったと話していましたね。

ピエール:子どもの頃の話ですよ(笑)。5歳か6歳の時、パンをインク壺に浸していて、「一体、何をしているの?」と聞かれた時に、私は「雪」と答えたんですね。黒のインクがなぜ雪なのか……。みんな私の「雪」を見て笑ってくれたことを覚えています。この「雪」のことはみんな覚えていて、私が画家になる前、みんなで集まったことがあるのですが、この時の話をしましてね。ちょっと変わったヤツだとみんな思っていたはず。

ハンス:コンピューターにはインク壺が必要ないので、今では全く違った意味を持っているように思います。

ピエール:そうですね、全く違うでしょうね。でも、“黒”はなくなっていませんよ。

ハンス:白と黒。この極めてシンプルな色で表現するのはなぜでしょう? ドイツのペインター、ラルフ・フレックがおもしろい考察をしていました。白と黒を使うのは、物資が少なかった戦後のことを忘れてはいけないからだと。あなたが黒を使う理由に、戦争が関係あるのでしょうか?

ピエール:いや、何の関係もありません。5歳の時、黒が好きだったということにも理由なんてありませんでした。単純に黒という色がきれいに見えたし、きれいだったという理由でした。

ハンス:外から影響されたものではなく、内面から生まれた美的感覚だったわけですね。

ピエール:そうです。状況とか、政治的な意味合いなどは全くありません。その上、色における象徴的意義を示すこと自体、私にとってはすでに古い考え方です。あいまいな象徴的意義です。例えば、私達の文明において、黒は喪を表しています。しかし、歴史を辿るとほとんどの文明がかつては白でした。子どもの頃、色彩が濃いという理由で黒が好きでした。他の色と一緒に黒を配置すると、他の色がより一層明るく見えたり、それにグレーと黒を組み合わせると、グレーの度合が減り、くすみが少なくなったりと、不思議な色だなと思っていたんです。

ハンス:制作について教えていただけますか? 絵を描いているのは朝や午後になりますか?

ピエール:これはまたビックリさせる質問ですね、私は公務員じゃないんですよ(笑)。

ハンス:では、描きたくなったら描くという感じですか? アーティストや作家の中にはかたくなにルーティーンを守っている人もいますよ。

ピエール:私の場合は違っていて、気分がのったり、時間に余裕があれば、昼でも夜でも関係なくやっています。

ハンス:決まったスケジュールで仕事をするのではなく、描きたい時に絵を描いているというのは大変おもしろいですね。

ピエール:絵を描くだけでなく、本を読んだり、調べ物をしたりと、興味のあることを始めたらずっとそれが続き、時には深夜の3時になっていたということも多々あります。最近だったかな……。ここで寝泊まりしていた友達が深夜の3時に私が起きているのを見て「こんな遅くに何をしているの?」と聞いてきたんですね。私は「寝ようとしているんだけれども眠くないんですよね。あなたもこんな時間にどうかしたの?」と彼に聞くと「僕も同じですよ。ちょっと1杯やりましょうか?」と言うので、深夜の3時にシャンパンを飲んでいたことがありましたね。

ハンス:絵を描き始めたら、その日のうちに完成することが多いのですか? それとも数日間に及ぶこともありますか?

ピエール:長い時間かかってしまうこともあれば、短時間で描いて、これ以上描くことがないと思う時もあります。それがいいんですよね。定時勤務の公務員とか製造業の場合はどちらも超過勤務分というのがあります。私の場合はそのどちらでもないというか。

ハンス:あなたの作品は正面だけでなく、角度を変えて観ると印象が変わっていきます。

ピエール:そうですね、美術館やギャラリーで展示する私の絵は基本的に固定されていますが、絵の周りを歩き回って観ると、また違って観えるはずです。

ハンス:まるでステンドグラスを観ているかのように、同じ光景を2度と観ることがないのがあなたの作品の特徴です。

ピエール:そうですね。でもステンドグラスの場合は、さらに朝の光と夕方の光でも全く異なる表情に変化していきます。

ハンス:絵とは違うんですか?

ピエール:はい、違います。ステンドグラスの色は、時間の経過を示しているため1日中変化しています。ステンドグラスというのは、時計のようなもので、時間の流れや経過を教えてくれるものです。考えることをやめさせない、先人のトリックみたいなものですね。

ハンス:時間の概念は、あなたの作品でも表されています。

ピエール:もちろん。光を使って作品にする瞬間から、時間が関係してくるのは当然です。

ハンス:黒で覆われた絵画のウートルノワ(黒を超えた黒、Outrenoir)という名前は、どのように思い付いたのですか?

ピエール:私は芸術的ではなく、視覚的かつ物理的な現象を引き起こすプロセス自体に興味を持ちました。ウートルノワというのは芸術的な現象、つまり物理的な現象が私達の中に引き起こす美的感覚を表現したものです。では、美的感覚とは何か? 簡単にいうと、それは私達に喜びをもたらしてくれるもの。肉体的にも精神的にも“感動”をもたらしてくれるもの。結論として、「私達はなんで絵を見ることが好きなのか?」ということにつながっていく。

ハンス:感情を生み出すために描かれているからではないのですか? 夢を見させるということは許してくれるというか……。

ピエール:そうです。でもどんな感情なのか。 私はこの現象が精神的にもある影響を受ける可能性があるという事実に興味を持ち始めたのです。だから名前をつける時に、黒という単語だけでは不十分でした。Outre-Rhin(ラインの向こう)はドイツを意味し、outre-Manche(海峡の向こう)はイギリスを意味するので、Outrenoirは“黒を超えた黒”。つまり黒以外のものです。

ハンス:ゾエ・スティルパスとのインタビューで、あなたは今日における絵画の可能性について言及していました。絵画は夢を見させる。絵画は人間らしい感情を増幅させることができる、だから絵画があると生活がもっと有意義になると。だからこそ絵画が今の時代に必要なのだと。つまりあなたにとってのペインティングというのは、単に色合いがきれいだと楽しむものではなく、むしろ、絵画と向き合い、観察することを必要とするものだと。

ピエール:絵画を観ることは、ある種鏡を観ることと似ています。つまり自分自身と向き合う媒体です。私自身うまく説明できないことがありましてね、それは私が作品を展示していた会場で起きたことなのですが。涙を流している人達がいるんです。

コレット・スーラージュ(以下、コレット)そうなんです。

ピエール:ええ。実際、私の作品を観てくれた多くの人達から「あなたの作品を観ていると涙が出てきます」というような内容の手紙をいただきます。私がストラスブールで初めて作品を展示した時、1人の女性から手紙を受け取りました。私は彼女の事情を知りませんでしたし、実際に会ってもいません。しかしその手紙にはこのようなことが書いてあったんです。「コンク修道院であなたのステンドグラスを見ました。20世紀に作られたものが2世紀から存在する建築物に調和していることに大変な感動を受けました。それからというもの、私は定期的に修道院に行っていますが、毎回違う感動を得ています。その後、あなたの作品がポンピドゥー・センターにあるということを聞いて行ってみたんです。展示室に入ると、自然と涙が出てきました。作品を観れば観るほど涙がどんどんあふれてくる。展示会場の最後の部屋に辿り着いた時は、立ってはいられないほど泣いていました」と。

ハンス:彼女はものすごく特別な体験をされていますね。

ピエール:手紙はこのように続きます。「あなたの作品がなぜそんなにも私を感動させるのかということについてずっと考えてきました。明確な答えは出ませんが、きっとあなたが全身全霊をもって作品を描いているからだと思います」と。このことについてあまり詳しく話したくありませんが、とにかくその後も同じような手紙を4通も5通も受け取りました。手紙だけではありません。ポンピドゥー・センターのディレクターをしていたアラン・セバンが私に連絡をしてきたことがあって、「展覧会に多額の寄付をしてくれた人にお礼をしたいと思っているのですが、あなたも参加してくれないですか?」という内容の相談を受けました。私はもちろん参加しました。みんなとても優雅で、女性も男性もドレスやスーツで着飾っていました。私は、友人と約束があったため、少しの間会場から出るためにエレベーターに乗って下に降りたんです。1階のフロアに到着すると、ある1人の男性と出会ったんです。45歳くらいで体格がしっかりした男性でした。「こんなところで申し訳ありません。ただあなたにこうしてお会いできて、とても嬉しくて……声をかけてしまいました。あなたの作品がとても好きなんです」と私に伝えてくれたんです。それに対して私も感謝の言葉を述べました。彼は「あなたの展示を2度ほど観にいったことがあるのですが、その度に泣いてしまうんですね」と言うんです。私には、しっかりした体格の男性から涙が出てる姿が全く想像できなく、ビックリしてしまい、彼の名前すら聞くことを忘れてしまったんですね。

ハンス:呆然としてしまったんですね。

ピエール:その後、私達はそれぞれの車に乗ったわけですが、私はいろいろな人達が私の絵を観て涙を流すという“反応”自体に興味を持ち始めたんです。このことを美術史家のピエール・エンクレーヴに話したことがあります。「なにも彼らだけじゃなく、私も展示会場で泣いている人を見たことがありますよ。ある女性なんかは決まって金曜日の同じ時間に何度も来て、涙を流していましたよ」と。

ハンス:非常に珍しいことですね。きっとそれほど人の心を動かしたんでしょうね。

ピエール:問題は「なぜ涙が出てしまうのか?」ということです。きっとそれらは彼らの奥底にある“何か”に触れたんだと思います。 奥底にある「アートとは何か?」ということに。それは単純な構造や明快なものではない。私達を超えて存在する重要な何かなんでしょうね。

ハンス:とても感動的ですね。

コレット:私が本当にビックリしたのは、ピエールの絵を観る子ども達の目です。何かに取り憑かれたようにピエールの絵を観る彼らの姿は未だに忘れることができません。

ハンス:私も見ましたよ。ボーブールで開催されたエキシビションの時でした。観客がとても若く10歳か12歳の子ども達もたくさんいた素晴らしい展示でした。

コレット:ええ、子ども達はなぜかピエールの作品に興味津々なんです。

ハンス:ラルフ・フレックが自身の本の中で、あなたの白黒の絵画について書いていました。デジタル時代における0(ゼロ)と1(ワン)だと。そこで思ったのが、コンピュータの出現があなたのアートにどのような変化をもたらしたのか。デジタル技術があなたにもたらした影響は何かありましたでしょうか?

ピエール:コンピュータでは太陽を変えられませんよ。

※Full interview published in Pierre Soulages by Robert Fleck et Hans Ulrich Obrist, Manuella Editions, Paris, 2017

ピエール・スーラージュ 
1919年フランス・ロデーズ生まれ。現在はフランスのセテとパリを拠点に活動する。ピエール・スーラージュは、そのキャリアのすべてにおいて黒という色と向き合い、絵の具を広げ、刷毛で塗り、時には自作の道具を開発し、独特な光の効果を生み出す。昨年、100歳を迎えたピエール・スーラージュは、百寿を記念してルーヴル美術館にて新作を含む彼の作品の回顧展が開催された。

Interview Hans Ulrich Obrist
Photography Joe Hage
Artworks Perrotin Gallery

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大友昇平が「グッチ」とのコラボレーション作品に込めた魂 直感に訴えかけるアート https://tokion.jp/2020/07/28/gucci-shohei-otomo/ Mon, 27 Jul 2020 18:15:38 +0000 https://tokion.jp/?p=577 アーティスト・大友昇平は、ボールペンを使って作品にメッセージと魂を込めている。今回新たに描き下ろした「グッチ」とのコラボレーション作品から大友の魅力に迫る。

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アーティスト・大友昇平は、ボールペンを使って作品にメッセージと魂を込めている。大友は今回描き下ろした「グッチ」とのコラボレーション作品でもそれを実行している。ボールペンで描き上げたとは思えないような緻密で圧倒的な描写力。そして作品に表現される“日本”らしさ。グローバル化が進み日本人が忘れかけている、“日本”を感じさせる作品はどのように生まれ描かれるのか。制作過程のラフ画と完成した作品を観察しながら、大友昇平の魅力を考察する。

アートはテクノロジーの進化とともに幅が広がっている。AIにVR、さらにARと、表現方法は時代が進むにつれて多種多様に広がっている。この進化と広がりは、表現者も観る者もアートを欲しているからだ。今やアートはテクノロジーのみならず、ファッションや音楽といったカルチャーとも深く絡み合い、大きな海のように広がっている。それはSNSを見ればたくさんのアートが日々投稿されていることでもわかるはず。これだけ身近になったアートは観る人が自由に楽しめばよいのだが、ただ鑑賞するだけではなく、ときには表現者の気持ちや視点、制作背景にも目を向けたい。

白黒の緻密で繊細なドローイング作品をボールペンで生み出す画家、大友昇平。大友の作品は、どこにでもある事務用のボールペンを使って描かれている。このやり直しがきかない一筆きりという緊張感が漂う表現方法に観る者は引き込まれてしまう。今回は大友が「グッチ」のアイコニックなエレメントをテーマに描いた新作と、その制作途中のラフスケッチをじっくりと観察し、その背景に込められたメッセージと作品の魅力を本人のコメントとともに探りたいと思う。

「グッチ」のエレメントと“希望”を込めた2作品

2作品のうち、1つは躍動的で美しい女性のモチーフ、もう1つは漆黒の中に浮かび上がる獅子が描かれている。ともにボールペンで描いたとは思えないような細かく写実的な作品だ。両作品を見比べてみると、陰と陽という対の関係にあるように感じる。「グッチ」の総柄のエレメントを下から上へグラデーションで表している女性の作品が陽とするならば、かたや暗闇にダブルGが浮かび上がった獅子口は陰。このような対照性ゆえに、込められたメッセージが異なっているのかと推測すると、答えは違う。「白と黒、2作品でコントラストを持たせてみました。女性の絵は上昇していくイメージで、日本で古くから厄災や邪気を退散する意味を持つ獅子は、内に宿る力強さのようなイメージです」。両作品についてそう語る大友は、ボールペンをもってして作品に“希望”を込めているのである。

次に本作の制作過程のラフスケッチを観察してみる。特攻服を着た暴走族風の女性に、脇差を持った女性の腕、そしてサングラスをかけた花魁。過去の作品を見てもそうだが、大友は日本の伝統文化やカルチャーを積極的に作品に取り入れている。日本文化にサングラスといった現代の象徴を融合させるこの表現方法で、大友はオリジナリティを確立している。そう、このスタイルが観る者に新しい価値を提示し、心を揺さぶるのだと思う。

もっと観察してみる。よく見てみると、女性はサングラス、獅子は闇によってと、ともに“目”が隠されていることに気が付く。目を描かない作品は過去にも多く見られる大友の特徴だ。大友は過去のインタビューで「全部描くことでリズムが崩れる、というか描かないことでリズムが生まれる気がする。(中略)そうすることで謎めいた深みが出るし、そこが作品に近づく入り口になってほしいという思いもあります」と答えている。すべてを描かないことで、余白や間を生み出している。この余白や間というのも日本人ならではの感性であり、大友の個性だと観察することで見えてくる。

先が見えない不安な世界をボールペンで切り開く大友昇平

学生時代に油絵を専攻していた大友は、なぜ筆ではなくボールペンで絵を描くのだろう。「自分にとって絵を描くスタンスは、ノートに落書きしていた頃から根本的に変わっていません。専門的な画材よりも文房具のほうがしっくりくるんです。授業中に落書きをするのも、字を書くために作られたもので絵を描くのも感覚が似てるんですよね。ボールペンは事務用の安くて描きにくいやつがいいんです」。大友は幼い頃からの愛用品を使い続け、長い年月をかけていくつもの作品を作り上げてきた。この積み重ねが大友の真骨頂である高い描写力につながっている。

新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中に生み出された、大友の魂が込められた2つの作品。それは希望や不安が入り混じった日々を過ごす私たちの心を勇気づけてくれる熱い力強さがある。過去と現在をボールペンで紡ぎ続ける大友昇平。そんな稀有な表現者はこれからどこへ向かうのだろうか。

大友昇平
1980年東京都武蔵野市生まれ。多摩美術大学卒業後、アーティストとしての活動をスタート。ボールペンを使った作品をウェブ上に公開してきたことで、ネットを経由し世界中でアーティストとしての認知を獲得。これまでに日本、パリ、イタリア、オーストラリア、香港などで作品を展示する。最近では、スカルプチャー作品やARフィルター作品を手掛けるなど、新たな表現にも挑戦している。

Photography Yoshimitsu Umekawa
Motion & Sound Shigeru Suzuki (THE ME)
Cooperation Abilio Marcelo Hagiwara

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コロッケは芸術である https://tokion.jp/2020/07/28/observe-pictures/ Mon, 27 Jul 2020 18:05:15 +0000 https://tokion.jp/?p=1118 独自の進化を遂げるモノマネ芸人コロッケの“人間観察”とは。ゴッホ、マリリン・モンローなどさまざまな人物を自身で扮したポートレート作品を手掛ける芸術家・森村泰昌によるコロッケ論。

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コロッケさんは芸術である。芸術をやっている私が言うのだから、たぶんこれは正しい、はずである。

ことわっておくが、今私は、コロッケさんは“芸術家”であるとは言わなかった。そう、コロッケさんは正真正銘の芸能人である。でもやっていることはとても“芸術”に近いと、芸術家の私はあたりをつけている。

そもそもの話をするなら、芸能と芸術とでは、世間様に対するお役目が違っている。

まず芸能のほうだが、こちらはともかくウケなければいけない。ウケない芸人はたちどころに干されてしまう。なかなか過酷な商売である。だからみんな必死でウケをねらってくる。ウケてパッと盛り上がりブームに火がつく。芸能とは、世の中を短期間で一気に活性化させる、元気回復の即効薬である。

これに対し芸術のほうはどうか。こちらはだいぶん様子が違う。やるべきだと思いたったら、もうやり続けるほかはない。たとえウケなくてもやるべきことはやる、これが芸術家気質というものであろう。あのゴッホだってそうだった。生前は、弟のテオとかそういう一握りの人だけにしかウケなかった。でも俺がやらなきゃ誰がやるとばかり、37年の短い生涯で、売れない油絵を1000枚近くも描き続けた。そしてそれらが、やがてボディブローのように効き始める。今になってやっと世の中はその大きな効能に気付くことになったのである。効きめは遅いが、心身の奥からじわりとくる。まるで漢方薬のようである。

芸能は即効薬。芸術は漢方薬。この両輪によって世の中の元気が作られる。文化の成り立ちとは、そういったものである。

コロッケさんは、四六時中どうやったらウケるかをマジで考えている。正真正銘の芸能人である。ところが最初に述べたように、そのプロの芸には、本来芸能とは対極に位置するはずの芸術と、不思議に思えるくらい多くの共通点が見出せる。
 
例えば芸術の業界筋でよく取りざたされる、「オリジナルとコピー」というテーマがある。昔は、やっぱり本物は素晴らしいとみんな考えていた。コピーすなわちモノマネなんて、本物よりもワンランク劣ったまがいものにすぎないという、いわゆるオリジナル神話がまかり通っていた。

これを覆したのが、アンディ・ウォーホルだった。このポップアート界のスターが1962年に制作した<マリリン>という作品がある。女優マリリン・モンローのモノクロ写真をカラフルなシルクスクリーン印刷に置き換えただけの、こう言ってよければコピー作品だった。でも私達は、ウォーホルの<マリリン>を観て、「これこそがポップだ」とか、なんだかんだと大騒ぎして、そのかなりあとになり、やっと元絵となったオリジナル写真の存在を知るにいたる。つまりここでは、コピーのほうが本物扱いされ、オリジナル写真のほうは、「ウォーホルさんにマネしていただいたものです」的な遠慮深げな態度で、おずおずと後発的に登場してくることになる。
以上のようなオリジナルとコピーをめぐる芸術的エピソードは、そのまま芸能界のコロッケさんにもあてはまる。

コロッケさんのお得意芸に、美川憲一さんの声帯&形態模写がある。美川さんは言うまでもなく、めっぽう歌のうまいプロ歌手である。ところがコロッケさんは、歌手美川憲一の付加価値とでも言うべき、その独特のキャラのほうに注目する。歌唱時の流し目やひねるような口の使い方、美川節のオネエトーク。そんな歌唱力以外のところで発散している美川さんのエンターテインメント性に反応し、そこを念入りに研究して、その成果をモノマネ芸として披露する。
 
すると、コロッケさんがマネするところの美川憲一キャラがウケているのを察知して、今度は御本家の美川さんが、これをさらにマネて人気を博す。どちらがオリジナルで、どちらがコピーかなどという詮索自体がどうでもよくなるこの不思議なダブルのブレイク現象は、ウォーホルの<マリリン>におけるオリジナル神話への異議申立てと、なんだかとてもよく似ている。

もう1つ例をあげてみよう。芸術業界でよく使われる“デペイズマン”という専門用語がある。あれもコロッケさんのモノマネ手法にぴったりあてはまる。
 
デペイズマンとは、シュルレアリスム芸術の表現テクニックの代表格で、それはこんなキャッチフレーズによって説明される。

「解剖台の上で、ミシンとコウモリ傘が、偶然出会ったように美しい」
ロートレアモンの詩<マルドロールの歌>からの一節で、シュルレアリスム的手法の好例として、よく引用される。意外な組み合わせが、斬新な驚きを与えるというような意味合いである。

これをコロッケさんにあてはめるなら、さしずめ、こんな文言になるかと思う。
「コロッケさんの身体上で、歌手の五木ひろしと、ターミネーター風のロボットが、思いがけず出会ったようにおもしろい」

五木ひろしさんの歌マネや顔マネと、ロボットのメカニカルな動作が奇妙に絡まって、シュールな光景がステージ上に展開する。そう、コロッケさんは、モノマネ業界の超現実主義者に他ならない。

もちろんコロッケさんには、芸能と芸術を結びつけようなんていう野心はさらさらないだろう。芸術家ぶった芸能人や、芸能人ノリの芸術家がはびこる中で、コロッケさんはそのどちらにも属さず、ひたすらモノマネ芸を進化させてゆく。
思うにコロッケさんは芸能人も芸術家も飛び越えている。「超・芸人」である。私は彼のことを勝手にそう呼ばせてもらっている。

まねるという行為には、“一歩を踏み出す”ことと“自分のなかに受け入れる”こと、このふたつの勇気があります。あえて言えば、ふたつの勇気とともに、素直になれる「潔さ」も大事かもしれません。大人になればなるほど、恥ずかしい気持ちやプライドが邪魔をして、何かを受け入れることを拒んでしまいがち。でも、そこで“勇気”を持って、観て、観察して、受け入れることができたとしたら、間違いなく自分は変わります。

周りを見渡していると、一人として同じ人はいません。カッコいい人、歌がうまい人、話の楽しい人、おっかない人……。私からすれば、どんな人も面白がる対象です。少なくともそう考えているから、いろいろな人の影響を受けたいし、その人柄を感じてみたいと思ってしまいます。そうやって人の観察を続けていくうちに“インスピレーションの芽”が生まれれば、ものすごく興奮します。何となく観察しているだけのつもりが、自分の脳内に新たなイメージ、考え、思索が巡ってくることになるのですから。だから「観察」は面白いし、やめられない。生きていく中で、人間を観察する以上に楽しい“遊び”はないと思います。それが仕事にもなり、生活の糧にもなる。だから私は、続けている。ただ、それだけなんです。

コロッケ
1980年8月、NTV系「お笑いスター誕生!!」でデビュー。TV・ラジオなどに出演するかたわら、全国各地でのものまねコンサートを定期的に開催。現在のものまねレパートリーは300種類以上となり、ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、落語にものまねを取り入れた「爆笑ものまね楽語会」、さらにはオペラやオーケストラとのコラボなどエンターテイナーとして常に新境地を開拓している。長年にわたり、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献した功績が認められ、2014年文化庁長官表彰を受彰。そして、2016年2月「ものまねタレントの代名詞的な存在になり、唯一の特徴をデフォルメする独特のパフォーマンスはピカソの領域にまで達した」と日本芸能大賞を受賞した。

Text Yasumasa Morimura
Photography TAKAY
Edit Takuhito Kawashima(kontakt)

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美術家の横尾忠則と「グッチ」がコラボレーション 象徴的なGGパターンが極彩色の中に大胆に浮かぶ https://tokion.jp/2020/07/28/gucci-tadanori-yokoo/ Mon, 27 Jul 2020 18:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=552 「HANGA JUNGLE」と「廣家-Kohke-」の背景に「グッチ」のエレメントがダイナミックにコラージュされている。同作の創作背景とインスピレーションを紐解く。

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美術家の横尾忠則は1960 年代から50年以上にもわたりキャリアを積み重ねてきた。日本では概念派と呼ばれるコンセプチュアルな作品が多かった1960年代において、当時の美術では考えられない色彩感覚と複雑な構図の作品は世界中を驚かせた。ニューヨーク近代美術館のピカソの回顧展に衝撃を受け、1981年に商業デザインから身を引く、俗に言う「画家宣言」を発表して以来、絵画に全力を注ぎ続けているのは有名な話。最近では展覧会『奇想の系譜展』のスペシャルヴィジュアル、画文集『タマ、 帰っておいで』(講談社)の他、Twitterで過去作や写真から街の風景、テレビ画面にいたるまであらゆる対象物にオリジナルのマスクをコラージュしたマスクアート『WITH CORONA』を発表している。そして、今回80歳を超えてなお、世界中のクリエイターに多大な影響を与え続ける奇才が、『HANGA JUNGLE』展のモチーフと『廣家/Kohke』の2作品に「グッチ」のエレメントであるGGパターンをコラージュした作品を作り上げた。同作において美術家・横尾忠則は「グッチ」の図柄をどう観察したのか、はたまたしなかったのか。

制作において“考える”プロセスを排除する

横尾の作品には決まった様式もスタイルも存在しない。だからこそファンタジーであったり、現実的なイメージの作品が共存している。論理的には説明しがたいモチーフも多い。そのような発想源はどこから来るのだろうか。

「過去の記憶の様々な視覚体験のストックから、直感的、刹那的に選択する。論理的な整合性にはあまり興味がないんです。予測不可能な物と物の出会いを演出するだけです。目的を持って何かを創ろうとかっていう考えがなくて、結局描く側はでき上がった作品について興味はないんです。描くこと自体が目的で結果とか何かのための大義名分で描いてるわけじゃないってことです」。

作品の制作において“考える”プロセスを排除することは、相手の考えが自分の考えにもなりうる“受信能力”があれば良いという横尾独特のスタンスでもあり、それゆえに数え切れないほど多くの作品を今まで残してきた。では、これまでもファッションブランドとのコラボレーションを続けてきた横尾は今回の「グッチ」との共作についてどんな思いを込めたのか。

©TADANORI YOKOO

ブランドロゴがストレートに目に飛び込んでくる、『廣家/Kohke』シリーズの作品では、黄色とピンクの極彩色を組み合わせた背景が「グッチ」カラーである緑と赤に塗り替えられ、GGパターンが燦然とコラージュされている。

また、2018年に兵庫県政150周年記念先行事業で横尾忠則現代美術館の開館5周年記念展として開催された「HANGA JUNGLE」のモチーフに「グッチ」のエレメントを配した作品にも驚かされる。世界的に通用する英単語の“Hanga”というワードに伝統的なイメージである「版画」とは異なる“超版画”の意味を持たせているのだが、「グッチ」のブランドロゴとキーカラーである赤と緑が組み合わさった作品は、横尾の表現の多様性を“ジャングル”というワードに重ねた同展のテーマ同様に「グッチ」のロゴを直感的にコラージュしている。

「今回いくつかあった『グッチ』のロゴの候補から作品に選んだ理由は特にありません。コラージュしたバランスも直感的に即興的に決めました。他のロゴや文字でも良かったかもしれないですね。僕は二次元作品が三次元化して、社会の中で新たな機能を果たす、その状況に興味があるんです。ある作品や作家、ファッションブランドもそうでしょうけれど、オマージュはある意味で権威失墜を目的とするんです。そのためには悪意が必要。尊敬、美化だけでは対象を超えられないということ。あとは、無意識にマーケットでの価値を拒否しているのかもしれないですね。マーケットに迎合し過ぎると自由が奪われます。自由のためなら、自己の目的を否定してもいいとさえ思っています。要は社会的評価以前に自己評価を優先すべきということ。慣例化された様式はアートの“死”です」。

自らの作品でさえ“模写”の対象とする唯一無二のオリジナリティ

特定のスタイルを持たない横尾作品の特徴として、モチーフが繰り返し描かれることがあげられる。1960年代の代表的なシリーズ「ピンクガールズ」は、1990年代に再び発表し、近年まで断続的に描き続けられている。また、2000年以降の作品を象徴する「Y字路」も、同じ場面が少しずつ変化しながら何度も描き続けられている。元来、横尾は、既存のイメージを描き写す“模写”を自己作品において、重要な要素ととらえている。そして、自らの作品をも“模写”の対象とすることは唯一無二のオリジナリティといえる。単なる自己模倣ではない、確信犯的な取り組みは「作品は年代を追って発展する」という考え方にも裏付けられていて、横尾流の常識に対するアンチテーゼでもある。

「僕は常に新しくありたいと思っているんです。昨日描いた絵と今日は違う絵を描きたい。絵がどのように変化して発展していくかを常に考えています。段取りを組むのとは違う。特定の様式を持たないのもある時、先輩のアーティストに『お前はスタイルがバラバラや、精神分裂症と違うか?』と言われた時に、はたと『これで行こう』と腹を決めたから。絵画に転向して間もなくの時でした。元々描き方や構図のバリエーションも最初からネタがないんです」。

最後に手書きのメッセージをリクエストすると「私は未完、絵も未完」という言葉が返ってきた。今回の「グッチ」のモチーフをテーマにした作品は、横尾の真骨頂でもある“反復”と視覚的な隠喩や換喩、コラージュのすべてをまとめあげたもの。“すべてが未完”と内面に込めたメッセージを感じさせるアートワークは、横尾からの最高のプレゼントと言えるのではないだろうか。

横尾忠則
1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1981年に「画家宣言」を発表し画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。近年は、東京都現代美術館(1997年)、原美術館(2001年)、京都国立近代美術館(2003年)などで個展を開催。現在、横尾忠則現代美術館で「兵庫県立横尾救急病院」を8月30日まで開催している。

Photography Masahiro Sanbe
Motion & Sound Shigeru Suzuki (THE ME)

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自己観察≠ナルシズム https://tokion.jp/2020/07/28/self-observation/ Mon, 27 Jul 2020 17:55:28 +0000 https://tokion.jp/?p=1069 「あれがいい!」「これがいい!」世の中にはたくさん魅力的なものが存在する。だけどもまずは自分を見つめることだ、とデザイナーのキコ・コスタディノフは言う。キコから教わる創作に自己観察が必要なわけ。

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キコ・コスタディノフは現在のファッションシーンにおける注目すべきファッションデザイナーの1人である。メンズ服飾史への強い関心、現代のメンズウェアにおける構造の分析、さらにジェンダーに縛られた洋服の解放などに対する強い好奇心から生まれるデザイン。そしてコレクションを通じて、21世紀における男性の身体のあり方について問い続ける。
1つひとつの洋服をみてみると、彼の洋服は、典型的なスポーツウェアを再構築しつつも、時にはファッションとは全く関係のない場所からレファレンスを引っ張り出し表現するまっさらのキャンバスのようである。実用性に富んだ機能服やクラシックな仕立て服、さらには女性の舞台衣装など、コスタディノフにとってはどれも同等な価値を持つもの。しかし彼の目や手によって個々の価値がすくい上げられ、特有のシルエットやボリュームが生み出されていく。
デザイナーズブランドのヴィンテージからノーブランドまで、境目なくヴィンテージウェアの蒐集をするコスタディノフ。ノースロンドンにあるスタジオにその古着をため込み、そこでスポーツウェアにクチュールならではの膨らみを出す技術を掛け合わせたり、アーチェリーの道具やさらには実用性に富んだミリタリーウェアなどをマッシュアップしていく。スタジオはまるで研究室のような場所となっている。さまざまな実験材料を基に、革新的な色使いへの挑戦や新しいファブリックへの関心も相まって、コスタディノフの洋服は複雑なレイヤーと意味を持ち合わせていくのだ。しかし彼は、“ワークウェアの再構築者”や“ラディカルなコンセプチュアルデザイナー”などといったレッテルを貼られることを望んでいるわけではない。そんな表層的なカテゴライズよりも、デザイナー自らの身体を使い、自分のクリエイションに真実と可能性があることを証明したいだけなのだ。

ダン・トゥリー(以下、ダン):自己観察と実験はファッションデザイナーであるあなたのクリエイションにおける重要なプロセスとなっています。この本に掲載しているセルフポートレートの写真は、体現者であるキコと「キコ・コスタディノフ」というブランドとの明確な関係性を示しているように思います。

キコ・コスタディノフ(以下、キコ):自分のことをエリートデザイナー集団の中に属させたいというわけではありませんが、僕と同じようなことをしているデザイナーはあまりいないはず。ほとんどのデザイナーは、自分とは離れた場所でストーリーを探し、それを洋服に落とし込んでいます。僕と同じようなことをしている(現在活躍している)ファッションデザイナーは、数人しか思い浮かびません。例えば、リック・オウエンスやマーク・ジェイコブス、そしてステファノ・ピラーティなど。彼らに共通していることは、自分が手掛ける洋服だけでなく、いろいろな服を買って、実際に服に袖を通してドレスアップすることを楽しんでいるところです。実際、彼らのデザインには、そんな行動が反映されているように感じます。彼らは本当にファッションや服が大好きで、自分が着ているものからインスピレーションを受け、新しい提案に変えることができる力を持っている。ここで大切なことは、そんないろいろな服を着ている彼らが自身の手掛けるブランドを着ている姿を見ると、そこに信憑性が生まれてくるところ。僕がコレクションを手がける時、どれを見ても“僕らしさ”を感じとれるのも同じ理由です。その服がどんな文化的背景を持っているのか、などのストーリーだけではなく、シルエットも同等に大切なこと。これをどうやって着ればいいんだろうという自問自答を続けること。多くのデザイナーは専属のスタイリストをつけています。そしてスタイリストの意見をやみくもに信頼し、コレクションに反映することも少なくありません。ただ僕の場合は違う。ムードボードと呼ばれる参考写真を持ってきて、「こんな感じのコレクションをやろうよ!」と言ってくるような人は誰もいません。むしろコレクションを作り始める時は、外部の情報よりもまずは内側を探っていくことから始める。それが自分のクリエイションに対してうそをつかないことでもあるから。ルネッサンス期やケネス・ノーランなどのインスピレーションが入ってくるのは自分と向き合った結果、つまりあとの話です。そんなことよりも僕は単純に洋服自体に興味がある。例えば新しいフィッシングジャケットやサイクリングパンツとか、ヴィクトリアンのブラウスなどを見つけたいという好奇心を大切にしています。

ダン:だから自分自身をフィットモデルとして使うわけですね?

キコ:自分に着つける過程は、僕がセント・マーチンでマスターコースを選択した時から始めた習慣のようなものです。授業に作品を持っていくと、教授に「あなたの作品にはあなたらしさが全くない」とよく言われていました。ファッションの専門学校に通っていると、自分の存在感を際立たせるために、普段の何倍も時間をかけてドレスアップをしていくと思うんです。そんな僕の服装を見た教授に「君は知識も豊富だ。いろいろな服を知るために日本へ行ったり、インターネットで買い物をしたり、ポートベローのようなフリーマーケットにも頻繁に通っている。だけど、もっと自分を見たほうがいい。自分を信じて、自信を持たなくちゃいけない」と言われたんです。教授にこんなことを言われるまで、自分を観察して自分に自信をつけるなんてことを考えたこともありませんでした。むしろどこかナルシストっぽくてダサいと思っていたぐらい。そんなネガティブな態度をとる僕に対して、先生達は本当に厳しかった。「これだけのリソースを持っているのに、それを使うことすらできないのか……。これ以上やっても情熱と才能を無駄にすることになるから、デザイナーになることをあきらめたほうがいい」とまで。だから自分は何を着て、何を表現したいのかを考えました。そして自分に対して自信を持てるようになるためのスイッチを入れるのは、今しかないのかもしれない! と。でも自分に自信を持つことは、あの段階では難しかったです。いくら自己肯定しようとしても、やっぱりコレクションを作って、他の人に着てもらって共感してもらわないと、それが本当に意味のあるものなのかどうかは自分ではわからないですからね。

ダン:どのようにコレクションに反映されたのでしょうか?

キコ:それまでは、自分自身を信頼することだけに注力していたので、最初の数シーズンは、ワークウェアや機能服をテーマにコレクションを作っていました。すると、周りは僕をわかりやすくカテゴライズするようになったんです。だからこそ、もっと自分のクリエイションをプッシュする必要があると思いました。同じアイデアやコンセプトを繰り返してしまうリスクはありましたが、視覚的に挑戦することがどれほどエキサイティングなことかにも気付くことができたし、ゆっくりとですが、自分のチームを作っていくこともできました。そうはいっても、時には彼らに任せっきりになってしまう部分も当然出てくるので、その度にやり直して、もう少し自分らしいものにしなければならない時もたくさんありますけどね。

ダン:あなたの好奇心がどのように進化してきたかを教えてください。今でも同じリサーチのプロセスを実践していますか? それとも今はイメージを重視しているのでしょうか?

キコ:当時はより視覚的でしたが、今はより実用的で物理的なものへと変化しているように思います。だからサンプリング自体も、もっと物理的な方向へ向かっています。僕は立体的な視点でモノ作りをするタイプなので、服の内側を見たり、ボタンのクオリティを調べたり、ポケットの位置やデザインをチェックしたり、ヘリンボーンテープといわれる特定のボンディングのディテールを見たり……。以前は、高価なヴィンテージ服を前にして「これを買うべきか買わざるべきか」とか真剣に考えていましたが、今ではある程度の立場になり、先の投資として考えられる余裕も生まれてきました。コレクションを成す1つのデザインになれば、元なんて返ってきますからね。あと、これは毎シーズン行っていることなんですが、あるシルエットの服を考える時、そのヴィンテージのアイテムを毎日自分の生活に取り入れてその服を着るであろう人になりきって試しています。例えば、クロップド丈のジャケットの下に長めのシャツを着て、ボトムスにタイツを合わせて、サンダルを履き続けてみるとか……。何を合わせればいいんだろうとかを日常の生活レベルで考えていくんです。最初の3シーズンは、より一般的に受け入れられやすい服で構成していたと思います。オーバーサイズのパーカージャケットや布をたっぷり使ったワイドパンツ、あるいはユーティリティシャツに帽子とか。これらのアイテムは、自分で“どうにかする”のではなく、すでに存在しているものの延長線上にあるものでしたし、トレンド感あるシルエットの中での提案で、それほどの真新しさは正直なかったように思います。ですが、今ではお客さんが店舗に入ってきた時に、彼らが服を前にし、手に取って、さらに身体に当ててみた時にどんな反応をするのかを見ることが楽しくなりましたね。

ダン:ここ数年間で、普段買わないようなものをあえて買ってみたいなことはありますか?

キコ:毎シーズン、そのコレクションにおいてキーとなるようなアイテムを購入しています。でもあまりにも変なものだと、それが自分にとって現実味がなくなってしまう。個人的には、現実と非現実の境目にあるような服に惹かれていく傾向があります。リサーチに時間をたっぷりかけて、本当におもしろいものを見つけては、生地やプロポーションを変えていくことで、その服がもともと持っていた文脈から外していくというヘルムート・ラングのデザインに対する考え方に似ているのかもしれません。例えば、ラングが昔、ある時代のある戦争で使われた非常に珍しいミリタリージャケットの要素をどんどん剥ぎ取ることで、日常でも着られるようなミニマルな黒のポプリンジャケットにしたことがありましたね。私もときどき、そういう考え方をしているように思います。

キコ・コスタディノフ
自身の名前を冠したメンズブランド「キコ コスタディノフ」のファッションデザイナーで、ロンドンを拠点に活動する。革新的なパターンメイキングやディテールへのこだわり、複雑な構造のシルエットは、現代におけるメンズウェアの再解釈を促している。

ダン・トゥリー
『A Magazine Curated By』の編集長。アートへの造詣も深く、新しい才能を見つけることに注力を注ぐ。またフリーランスとしてアメリカやイタリア版『ヴォーグ』『インタビューマガジン』『i-D』などにも寄稿する。

Text and Interview Dan Thawley
Self Portrait Kiko Kostadinov
Edit Takuhito Kawashima(kontakt)
Editorial Support Junsuke Yamasaki(MATT.)

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渋谷の音をきく-街の足音に耳をすます- https://tokion.jp/2020/07/28/shibuya-soundscape/ Mon, 27 Jul 2020 17:40:56 +0000 https://tokion.jp/?p=1488 2020年春、緊急事態宣言後。人が消えてしまったかのような静寂が訪れた渋谷の街。「渋谷の音が嫌いだった」と語るオノセイゲンと東京の音を聞いて育ったという蓮沼執太。音楽家であり異なる視点を持つ2人の“音の観察者”が捉えた渋谷の街の音とは。

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2020年春、緊急事態宣言後。人が消えてしまったかのような静寂が訪れた渋谷の街の中で一言で表されていた“喧騒”という音が、いかに小さな音の重なりから成っていたものだったのかに改めて気が付く。エレベーターの動く音や車のエンジン音、機械が回転する暗騒音のリピート。“音”を観察する音楽家でありながら全く違う視点を持つ音楽家のオノ セイゲンと蓮沼執太。彼らは今の渋谷の街の音をどう捉えるだろうか。Zoomを介した合計3回の対談と、15回以上に及ぶ2人の観察眼で収集された音の交信、セッションを通じて行われた渋谷の音をきく。

サウンドスタディーズ
街の音はどうやって作られたのか

蓮沼執太(以下、蓮沼):環境音って、“録りに行く”じゃないですか。拳銃を構えるみたいな感じというか、狩りに行くような感じというか、いわゆる主体的な行為。けれど、マイクを持って録りに行くぞ、とかいい音を探しに行くぞ、みたいな感じはもともと好きではないんですよ。いつも音を録る時はできる限り普段の生活をしていて、あ、これいい音だと思った時だったり、何か観察したくて森にレコーダーを置きっぱなしにしておいて1時間後に戻ってくるという感じが多くて。今回はそういった観察したいことと自分が予期していなかった音との出会い、どちらの要素もあっておもしろかったですね。

オノ セイゲン(以下、オノ):自然の音を録る時は、マイクの近くにいると自分の音が入ってしまうからマイクを置いたら何時間も離れておくんだよね。定置網とかはえ縄漁の漁師と同じだね(笑)。今回僕は網(マイク)を振り回して、動き回ってみたけど。

蓮沼:今回は音を録りに行ったのが緊急事態宣言の出た翌日だったので、僕の主観で都市の音を切り取る、というよりも街がどうなっているんだろうという観察的な好奇心が大きかったんですが、有事の渋谷がどういう状況になっているのかという観察をした結果、広告の音が大音量で鳴り響くスクランブル交差点の状況はちょっと狂ってると思いました。もともとわかっていたつもりだけど、人がいない中で改めて耳を傾けてみると街の音を構成している要素やサウンドデザインが浮き彫りになる。センター街に鳴り響くポップミュージックを始めとして、広告で埋め尽くされた渋谷の音環境には頭がクラクラしました。

オノ:スクランブル交差点の無観客ライヴだね。普段なら雑踏のノイズで響きはマスキングされて聞こえてないのが、人がいないから、普段は気付かない高いビルが平行に並んでいる場所なんか大きな反響音が際立つからすさまじい。広告の音が止まってる早朝か終電の後に楽器を持っていって演奏したらおもしろい響きで演奏も録れるはず。

蓮沼:逆に空間的におもしろかったのは、明治神宮の原宿側。明治神宮側に向けてマイクで音を録ると後ろに山手線が通っているんですよ。その電車の響きが、いわゆる電車の音というよりエコーのかかった電車の音だったので、後ろのほうからトゥワーっといういい音に聞こえたというか。

オノ:明治神宮の森がエコーチェンバーになっている感じかな?

蓮沼:その通りです。かつ、マイクは静かな森のほうに向いているのでそのコントラストがとても好みでしたね。

オノ:それはおもしろい。人がいない分、森の小鳥の声とかも入ってきて今しか録れない音だ。

蓮沼:音を録るために街中を自転車で走ってみて、わずかな距離の中でもそういう自分の意識の傾け方、何を聴いているのかというレンジの変化があるんだということに改めて気が付きましたね。音の質感や居心地がいいか悪いかというよりも、なぜこの音ができあがったんだろう、ということに興味がある。都市設計というか都市環境の音というのはなぜこんな音になってしまったんだとか。フィールドレコーディングって音の内容だけではなくてその土地の歴史の音を録っていると思っていて。緊急事態宣言も含め、歴史が積み重なっていって今の音になっているということじゃないですか。音を観察して変化を知ることが街の歴史を紐解くことにも繋がっていたりする。

オノ:そうそう歴史だよね。都市設計の話でいうとヨーロッパの中世の村の石畳って、石畳以前に建物自体も石でできていて、小さな村に行くと道の両脇の建物はほぼ向かい合わせで建っていて道は長くてグニャグニャ続いていく。いい感じの響き方なんだよね。村の中心には教会や広場があって、細い路地が広がっていく。石造りの築300~400年の建物だから無意識のうちにみんな反射音を聞いて生活している。日本にはない石の建物の反射音が日常。1980年代のニューウェーブでゲートエコーとかいわゆるドン! ガン! という音楽が生まれたのはやっぱりイギリスから。日本のように紙と木の文化ではない、石の反響音が日常にあったからじゃないかな。ブラジルのカーニバル、サンバスクールの練習は、高速道路の高架下とか週末のオフィスビルの谷間的な広場でやるんだよね。そうするとコンクリートの構造物の反響音がサンバの迫力のある音のイメージにピッタリ。「迫力のあるドラムの音」って結局はわりと大きな空間の反響音が7割ですよ。

蓮沼:小さい時にそういう街に住んでいたらそれがあたりまえになると思いますけど、大人になってから別の街に行ってみて、意外なことだったんだとかって気が付くとおもしろいですよね。足音の記憶というのも石畳を踏みしめた足の裏の感触と結びついて記憶されているから、人それぞれ唯一無二の経験になる。最近だとグローバル化とともにどこもアスファルトになってきてしまって足音も均質化されてきているけど、音楽における打楽器はこの足音の個性を再現しようとしている、ともいえるかもしれない。

音の地図
音と記憶の関係性

オノ:音と記憶の関係でいうと、いわゆる森や海の音というのは、DNAに記憶されているといわれますね。海のない国で育った人でもビーチの波音は落ち着くんです。またスクランブル交差点の広告のような僕にとっては苦手な音でも、育った環境によってはそれが懐かしい音になる人もいる。いわゆる街の騒音、エレベーターとか車のエンジン音とか機械の回転系の暗騒音がリピートしているような音でも、都心で育った人はこの音がないと落ち着かないという人もいるからね。

蓮沼:道路側の部屋がいい人とかね(笑)。

オノ:アパートで電車がすぐ横を走ってるのが青春の思い出とか。

蓮沼:自分の経験だったりリテラシーによっても音の感じ方は影響するんでしょうね。だからその人の中で鳴っていた音、聴いていた音というのは実際の“音”とは限らない。音の情報の中には育った場所の記憶が多く含まれていて、記憶とともにマッピングされているんだと思います。

オノ:マッピングで思い出したけど、『イマジン』って目の見えない人たちの物語を描いた映画があるんです。視覚障害のある主人公が、リスボンの街をエコーロケーションといって舌を鳴らしながら歩いていくと、壁面や家、車とか周りの環境で反射音(エコー)がどんどん変わっていく。彼はそれを頭の中で地図として記憶してるんですよね。クリック音(指をパチンと鳴らす音)でもインパルス応答が返ってくるから健常者でも訓練すればできるんですが、視覚障害のある人は日常的に跳ね返ってくる音の響きでここはコンクリート、ここは交差点、こちらから車が来てる、ここにお店がある、とかを音でマッピングしていくんです。

蓮沼:例えば、レベッカ・ソルニットという人の著書『ウォークス 歩くことの精神史』は、歩くことの意味を考える上ではとてもおもしろいと思います。音で空間を記憶することと歩くことってとても密接に関係しているので。

オノ:そうだね。今回歩いて気になったのは、音を録るため立ち寄った渋谷駅での銀座線から井の頭線に乗り換える時の動線。乗り換えをしようとした時たまたま視覚障害のある人が僕の前にいて。向かい側からブワーっと人が来てあまりに危ない場面で、僕の肘を持ってもらいガイドして行ったんだけど、点字ブロックがなんでこの動線なの? って。アナウンスの音声も中国語や英語、多言語対応はしているけど、駅構内のあらゆる方向から流れてきて、実際に動こうと思った時に音がどこから聞こえてくるのかはすぐにはわからない。視覚障害者の立場になると渋谷駅の乗り換えのデザインは動線や音、階段の上下も含めて問題だと思う。そんなことを考えつつ移動しながら音を録ってたな。

蓮沼:反響音もありますし、音の帯域もありますしね。空間によって音の帯域が詰まったりする。お風呂とかもそうなんですけど、ある場所に行くと、エコーが響いてロー(低い音)が回ったり。アルヴィン・ルシエというアメリカの作曲家の作品「Music on a Long Thin Wire」はワイヤーを張って微々たる振動を増幅発生させたような作品もありますが、それと同じことが街の中でも起きている。

オノ:そう、空間の大きさに共振する周波数がある。お風呂みたいに四角い空間だとわかりやすいんだけど、そこに弦を張ってみると思えばいいかな。定在波といって、空間に弦を張った時に響く音の高さと同じ音程の音は強調される性質がある。例えば、床材なんかも叩いてみると小さいもののほうが低い音が鳴るのね。だからこのスタジオ内の床材は、大きいもの小さいものもランダムに配置することで同じ音程で共振しないようにしているんだけど。空間と音は複雑に繋がっている。ちなみに僕の録った渋谷駅の音は移動しながらバイノーラルで録ってみたのでヘッドホンで聴くと音が空間的に聞こえます。

蓮沼:まさしくセイゲンさんの環境音をヘッドホンで聴いてすごいなって思ってた次第です(笑)。今回セイゲンさんが動きながら音を録られているのに対して僕の場合は定点観測的に動かないで録っているところが多いです。僕もそうだしセイゲンさんもそうだと思うんですけど、ただ音を録るとかではなくてバックグラウンドに「音を録るとは?」「音を聴くとは?」という、何かしらの姿勢が感じられますよね。その考え方の違いが音にも出ているのがおもしろいですね。

朝の音、朝の響き
聞く人が音楽を作っていく

蓮沼:僕は今36歳で東京育ちですけど、渋谷の音はやっぱりもうちょっと良くなるんじゃないかなと思うんです。サウンドデザインだけでなく、もう少し建築も何とかなるんじゃないかな。今渋谷駅もたくさん駅ビルが並んでますけど、建築と同じように聴覚的なデザイン設計をきちんと行ってほしいですね。

オノ:センター街からね。奥渋(オクシブ)あたり、商店街の風景も含めてデザインし直したらいいかもしれない。1970年の大阪万博の時にパビリオン、鉄鋼館の演出プロデューサーだった作曲家の武満徹さんが彫刻家のフランソワ・バシェを呼んで展示した「音響彫刻」は、2017年にクラウドファンディングで東京藝術大学が復元をするというので話題を呼んだけど、大阪万博に2基、京都市立芸大に2基、東京藝大に1基、合計5基の音響彫刻がそれぞれ展示されていて。現代版のバシェのような渋谷でそういう都市空間のデザインをしたいね。

蓮沼:僕全部演奏しに行ったんですよ、京都と大阪と東京。バシェの音響彫刻は誰でも触ることができるというのがとても良いところですよね。1970年代の万博の時代に生まれたバシェのような発想は、2020年でも有効ですし、そういったものを作れたらいいですよね。

オノ:おお、全部回ったんだ! 渋谷の街中だとヒカリエとGoogleのある方面は新しく大きな建物ができているから、ビルのおもしろい音の谷間がありそうな気もするんだよね。行ってみないとわからないんだけど。

蓮沼:そうですね、ありそうですね、あの辺。

オノ:時間でいうと終電の後というか夜中とか朝とかおもしろい音が響きそう。1980年代とか1990年代、仕事帰りに朝の5時まで飲んで帰るなんてこともよくあったんだけど、朝の音って8時より前と後ですごく変わるんだよね。8時から学校行く子ども達や通勤ラッシュが始まって、5時、6時だとまだ人がほとんどいないから静かなので反射音や遠くの音がよく聴こえてくる。

蓮沼:ありますよね、そういう朝の音、というか朝の響き。今までお話してきて、なんかやっぱり空間と音の響きだったり時間軸っていうお話もしましたけど、そういった複雑な要素の兼ね合いで作品が作られていく。要は音を聴く人が主役。音を聴く人自身が音を音楽にしていくみたいなところはありますね。

オノ:今はスマホさえあれば誰でも簡単に録音できる時代。読者のみなさんにもぜひ自分にしか見つけられない街の音に出会ってほしいですね。体験と気付きあるのみです。

雑誌『TOKION #01』ではオノ セイゲン、蓮沼執太により本企画のために作曲された新曲『Period 20200408』SEIGEN ONO + SHUTA HASUNUMAを収録。2人の観察眼によりレコーディングされた渋谷の音の響き合いは、15回以上に及ぶセッションの中で交錯し、今の渋谷の街の音を浮かび上がらせる唯一無二の協奏曲となった。新曲の視聴に加え2者による街の観察記録は誌面で読むことができる。

オノ セイゲン
作曲家/アーティストとして1984年にJVCからデビュー。1987年に日本人として初めてヴァージンUKと契約。1987年「サイデラ・レコード」、1996年「サイデラ・マスタリング」設立。VRなどの音響技術の共同開発、音響空間デザインやコンサルティングなど、音を軸とした多様な仕事を手掛ける。2019年度ADCグランプリ受賞。

蓮沼執太
音楽家。映画、演劇、ダンスなど多数の音楽を制作。「作曲」という手法を応用し、物質的な表現を用いた展覧会とプロジェクトを行う。アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティでアメリカ・NY、文化庁東アジア文化交流使に指名され中国・北京へ。主な個展に『~ing』(東京・資生堂ギャラリー 2018)など。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

Photography Seigen Ono, Shuta Hasunuma
Edit Moe Nishiyama

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空間現代監修  “つまずき”の観察 https://tokion.jp/2020/07/28/observation-of-stuumbling/ Mon, 27 Jul 2020 17:25:08 +0000 https://tokion.jp/?p=1142 平坦な場所には何もない。出っ張りや凹みがあるからこそ何かが生まれる。スリーピースバンド空間現代がキューレーションする音や文章、空間における“つまずき”の観察。

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「つまずき」それは例外の出来事として扱われるものだろう。「歩く」という言葉の内に「つまずき」が前提として含まれていないように、それはどこか起きるはずのないものとして捉えられている。私たちが、DJや建築家、さらには写真家やエッセイストへ題材として依頼したのは「つまずきの観察」である。一瞬の事故、裂け目、非日常、意識の外側に追いやられてしまったもの、失敗、ずれ、安定を脅かすもの……「つまずき」に目を向けることで そのような事態と直面することを目指している。
出そろったテキスト/イメージには通底して、自己完結的な私性を越えた、名指しがたい、しかし確かに存在している「謎」の領域のようなものへの接近が見られたように思う。
私達は改めて「つまずき」について考えさせられた。それは一体何なのだろうか。そもそも何故この言葉をテーマにしようと思ったのかと言えば、私達にとって「つまずき」を考えるということは「リズム」について考えることでもあったからである。 空間現代より

DJ FULLTONO

Concept MIX “BPM and Feels”

ダンスミュージックにおいて、「つまずき」とは最も楽しい部分。最も人を惹き付ける部分。例えば、カフェで聴くBGMにはつまずきは不要かもしれない。でも人の体を揺らすには、つまずきは必要不可欠なものかもしれない。そんなことを考えながら、今回DJ MIXを作りました。このミックスで特に着目していただきたいのは、「体感的な速さ」です。そこにフォーカスし、いろいろな要素を詰め込みました。

「つまずき」の話をする前に、安定的なリズムとは何かを先に説明しなければいけません。ダンスミュージックにおける安定的なリズムとは、反復するリズムです。起源となるのは、1960年代以降ファンク・ソウルミュージックを経て生まれた音楽。つまり、1974年にクラフトワークが発表した『Autobahn』。そして1975年のドナ・サマーの『I Feel Love』を手掛けたジョルジオ・モロダー。これらの音楽家が打ち出した、曲の始まりから終わることなく反復するビート。その手法はやがて、ハウス・テクノミュージックに形を変え、現在まで受け継がれます。この反復ビートこそが安定したリズムの代表と言えます。
初めて聴くビートは、その音1つひとつがリズムに対してどのように作用しているかわからないこともあります。しかし、ほとんどの音はそこに置かれた理由があります。ビートには「進む」と「動く」があると僕は考えます。可視化すると、ビートは必ず左から右へ進みます。つまり、前に進むためにその場所に音が置かれていきます。それが等間隔に置かれれば同じスピードで進みますが、どれか1つを少し前に置くことによってその箇所のみ時間が速く流れます。ここで言う「速い」とは、BPMの速い遅いではありません。すべてが等間隔に置かれている状態はBPM通りの速さですが、音をずらして「動き」を作ることによって、体感的には違った速度に聴こえる部分を作り出します。その細かい変化の繰り返しでグルーヴが生まれるのです。

また、もう1つの考え方として、奏でた1つのビートのBPMと連動して、いくつもの異なるBPMが並行して進んでいると考えた場合、本体とは別のBPMとして聴いてみたり錯覚したりする、いわゆるポリリズムと言われますが、この時に得られる速度感も見逃せません。例えば、iTunesで曲のBPMが表示されるのをご存じでしょうか。僕はDJの時、160BPMの曲をたくさん使うのですが、160BPMのはずなのに80、120、107BPMなど誤表記(理論的には間違いではないがここでは割愛)されることが頻繁にあります。しかし、これは実はおいしい部分で、その曲は異なるBPMのグルーヴも持っているとも考えられます。

ところで、良いグルーヴとは何か。ただ闇雲に音の数を増やしただけや、同じパターンが単純にループしているだけでは良いビートはできません。機械で打ち込んだリズムであったとしても「有機的」であることが最も重要です。例えば、人体に例えると、つまずいた時に転ばないように体を支える動きは誰でも同じです。従ってドラムの音を1つずらした時に次に音を置く場所はおのずと数パターンに絞られてくるのです。雨の音がたまたまファンキーに聞こえることもあるけど、基本的には音楽を奏でるのも聴くのも人間なので、打ち込み音楽であったとしても、無機的なビートに魅力はありません。こういう話をする時にいつも思い出すのが、スペインのガウディ建築の話です。アントニ・ガウディの「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」という建物を設計する際の有名な理論がありますが、ダンスミュージックにおけるビートに関して言えば、良いビートは生命の動きに習うのが最も理にかなっていて心地良い。ということになります。つまり、つまずきとは、安定したビートの「延長線上」にあるもの。あるいは、安定したビートを「誇張」したものと言えます。

以上のようなことを考えながら今回のミックスを作成したのですが、意図的に作り出したグルーヴもあれば、正直なところ偶然もあります。DJやビートメイクというのは将棋のように何通りも手があって、試行錯誤が永遠に繰り返され、磨かれていくのです。

さて、1970年代に電子楽器が誕生し、さまざまなビートが生まれ、なおも新しいビートを求めるのが人間というものです。新しいジャンルが流行った時には、新しい! 未来の音楽! と感じるのは当然ですが、それはもしかすると、本来あるべきだった音楽が発見されたとも取れるわけで、人間の欲求や探究心は最終的にどこへ向かっているのかということを考えた時、もしかすると、今あるビートのカタチを本来の姿に戻す作業をわれわれはしているのではないかということを最近考え始めています。

音楽を聴いて踊ったりするのにそこまで考える必要はないかもしれませんが、「なぜこのビートに魅かれるのか」という根本的な疑問が湧いた時には、参考にしてもらえたらいいかもしれません。

(※雑誌「TOKION」の本誌では音源の視聴も可能)

DJ Fulltono
大阪を拠点に活動。レーベル〈Booty Tune〉主宰。2014年に発表したEP『My Mind Beats』は、シカゴのジュークサウンドを、独自のスタイルで表現し、米国の音楽メディア『Rolling Stone』年間チャートに選出された他、ヨーロッパのフェスなどにも出演。

建築家・中山英之

ホテルの廊下に住んでみたいと思ったことはありますか?

あまり泊まったことはないけれど、上質なホテルの廊下には客室に靴音が響かないよう、毛足の長い絨毯が敷かれています。ルームサービスを運ぶ優雅なクロムメッキの台車が、オフロードカーのように大きな車輪を履いているのはそのためです。照明はすれ違いざまの宿泊客を無用に照らさぬよう、極力絞られています。その下を、廊下幅に合わせた特別あつらえの柄が、繋ぎ目なしに永遠に延びている。行き止まりやコーナーに目をやると、スポットライトが季節や風景から拾った花や絵を控えめに照らす一方で、かすかな機械音と殺菌灯のような光が漏れる小さなニッチに入ると、そこにはいつでも作りたての氷が常備されているのです。翌朝、少し寝坊して同じ場所を歩くと、半分開いた扉の奥に、掃除機の唸りと一緒に乱れたベッドカバーが朝日に照らされていたりするのも、なんとなく好きです。ドアの数だけ夜と朝が並んだ廊下を抜けた先のエレベーターは、その扉にたいてい鏡があしらわれていて、宿泊客達は身だしなみをそれとなく確かめながら、新しい1日に繋がるロビーへと下りて行くのでした。

音楽スターがワンフロア貸し切り、なんて景気のいい話は最近聞かなくなりましたが、自分ならきっと、そんな廊下で一夜を過ごすに違いない。部屋の中からソファやスタンドライトやベッドを運び出させて、普段飲まないようなお酒をルームサービスのカートに乗せて、ここにしかない空気の中で過ごしてみたい。吸音の効いた細長い空間にスピーカーを置いたら、どんな音が鳴るのでしょう。馬鹿げた空想かもしれませんが、時々そんなことを思います。

なんでこんな話をしているのかというと、本当にホテルの廊下のような家を設計したことがあるからです。必ずしもそうするつもりではなかったものが、結果的にそうなってしまった、と言ったほうが正確なのですが、設計の過程を説明すると長くなるのでそれはまた別の機会に。ただ実際、ここに暮らす家族の生活は、同じドアが並んだ廊下のような場所に、無造作に散らばった家具達と一緒にあります。ルーム1のドアを開くと、そこは外です。ルーム2と3はバスルームやサニタリーに繋がっていて、ルーム4(日本のホテルでは欠番ですが)を開けるとそこにはまた別の小さな外があります。言い方を変えてしまうとそれらは、単に玄関やトイレや庭の扉ということになる。けれどもみな同じ顔で並ぶと、そういう違いはどこかに消えてしまいます。微妙に湾曲した廊下は、片側に窓が並んでいるせいか、客船のそれに近いかもしれません。10メートルにも満たない短い廊下ですが、先が見通せないと無限に続いているかのようです。あるいはカーブにさしかかった列車の車窓に、少し先を走る同じ列車の先頭車両が見えた記憶が、ふと蘇ったりするかもしれません。廊下のもう片方の行き止まりを振り向くと、そこには風景画の代わりに街角がそのままあります。街の側から見ると、ばっさりと切り落とされた断面がドールハウスのようです。

ホテルの廊下だ、船だ、列車だ、ドールハウスだと、施主はずいぶんな目に逢っているとあやしまれても仕方ありませんが、この家は形や色に厳しい規定の敷かれた景観条例地区にある家にならって建っています。使われている材料も特別なものは何もなく、床も古い足場板にペンキを塗っただけ。ただし上質なカーペットの代わりに床暖房を敷いておいたので、ごろごろしても快適です。床暖房対応を謳ったフローリングは大変高価なので、長年使われて十分に乾燥の進んだ中古の杉板が選ばれた、というのが真相です。北向きに抜けるトンネルが内壁に見事な光のグラデーションを描くことも、建築家なら知っています。そんなふうに、形や色が決められた根拠や選ばれた材料の出自を、ごく一般的な順番で説明することでも、たぶんこの家を書き表すことはできる。けれどもその同じ場所を同時に、たわいのない空想のつぎはぎでできた作り話として、読むこともできる。ひとつの会話に二重の意味が、互いにその勘違いに気付かぬまま進む、落語の「蒟蒻問答」みたいに。

この家の生活は、蒟蒻屋の側なのか、禅僧の側なのか。どっちがどっちというわけではないけれど、たぶんその両方であることが、設計する側にはとても大事だったのだと思います。ホテルの廊下で過ごす空想の自由さは、たぶん頭のどこかでそれが廊下であることを知っていながら、そうではない時間がそこに流れる、その落差と無関係ではないでしょう。ただしそれは単純な背徳的快感とも違う、もっとずっと多義的なものです。建築というトリセツのない大きなプロダクトは、そもそもが条例や法律にとどまらず、社会的な慣習や、ともすればコモディティ化の行き着いた果てに現れざるを得ない。だからその存在はそれ自体が私達に、それと知らぬまま同じくびきを課しもするのです。僕達の仕事はいつだって、その狭間にあります。ストリートの手すりでかっこいいトリックを決めるスケーターがどんなにクールでも、建築家はそのための手すりを設計することはできないのです。だからってスケートパークのダミー手すりとストリート、どっちがクールかなんて聞くまでもないでしょう。かっこよくあることはかくも難しい。だから、と言ってしまうとそれだけでもないけれど、たぶん誰にも頼まれずにこっそりと手摺の肉厚を倍に増やしておく建築家だって、この世にはいるかもしれないよ、と。そういう何かとして、家という存在に、別の時間と場所を埋め込んでおくことの、まどろっこしい説明をこれで終わります。

いいえ、もう少しだけ。

フランツ・リストの名曲「ラ・カンパネラ」には、3つの楽譜が残っているのをご存じでしょうか。あの、鐘の音を模した有名な出だしは第2稿から登場するのですが、広く知られている第3稿とは譜面の表記が違います。弾く鍵盤は同じ。2稿ではそれがミの♭、3稿ではレの♯と記されているのです。僕はピアノを弾けませんが、ピアニストにとってこの2つの音は違う。半音上か半音下か。同じ鍵盤でも斜め下に向かう心理と、斜め上に切れ上がる心理では、鳴る鐘の音が違うのです。そこに込められたリストのメッセージを語る資格はないけれど、酸いも甘いも経験した元祖“音楽スター”の行きついた境地が、過去の盤面をそのままに、そっとその記号を書き換えさせたなら……。建築の設計に置き換えてみると、僕にはその感覚が少しだけわかるような気がします。僕にとって何かを作ることは、新しい真理や秩序が結晶化することとは少し違う。むしろ自分自身の近過去の判断もろとも、それが街や社会や、もっというと時空に投げ出される、その状態に忘我のまま目を凝らし、耳を傾けてみることに近いです。そうやってめいっぱい突き放して聴いた時、同じ音にまったく別の像が見えた時初めて、何かが1つできたと思える。たとえそれがホテルの廊下に住むような、でたらめな作り話だったとしても。

中山英之
1972年福岡県生まれ。東京藝術大学卒業後、伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て2007年に中山英之建築設計事務所を設立。2014年から東京藝術大学准教授。国内外で様々な建築プロジェクトに携わる一方で、『中山英之/スケッチング』(新宿書房)、『中山英之|1/1000000000』(LIXIL出版)『建築のそれからにまつわる5本の映画, and then: 5 films of 5 arhitectures』(TOTO出版)などの著書もある。


川尻竜一

13 Cherries 12 Letters

2020年になり、果物を描くことに熱中している。個展で発表しようと「果報」という名前をつけたこの表現手法は「果=FRUITS/報=REPORT」と、読んで字のごとく「果物と報せ」がテーマのグラフィックシリーズ。どのフルーツも簡略化したシルエットにモチーフ由来の着色をした絵文字のメールマークを組み合わせて描いた。その中の1つにチェリーがある。チェリーは「1対の果肉に1通のメールマーク」という設定だ。今回は、空間現代からの問いかけ「つまずき = 安定したリズムにおける一瞬のズレ・裂け目・非日常」への回答として、前述のチェリーを13個並べ、1コマごとに果肉を伝ってメールマークが右方向に移動して見えるような連続したグラフィック作品「13 cherries 12 letters」を円形および直線で制作した。ともに一見、安定した図案。つまずくにはルールとカウントが必要だ。

川尻竜一 
グラフィックデザイナー。1982年北海道留萌市生まれ、札幌市在住。デザインプロダクション「デザ院株式会社」に所属し、広告などのアートディレクションおよびデザインを手掛ける他、自身の平面図画作品も制作。2017年から、大阪でグループ展『発展』」に参加。2020年、初の個展「果報」を開催。

Curation Kukagendai
Edit Takuhito Kawashima, Victor Leclercq (kontakt)

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オノセイゲン x 松山晋也 聞こえるもの、聞こえないもの、聞いているもの https://tokion.jp/2020/07/28/observe-between-sound-and-music/ Mon, 27 Jul 2020 17:20:54 +0000 https://tokion.jp/?p=1457 音を楽しむと書いて“音楽”。人の声から、あるいは道具から、音楽発祥の起源には諸説あるけれど、音はいかにして“音楽”になるのだろう。作曲家のオノセイゲンと音楽評論家・松山晋也との対談。“意識”と“無意識”の先にある音楽について探る。

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“音と音楽の間”はどこにあるのだろうか。作曲家またはアーティストとして、音響空間デザインやコンサルティングを手掛けるほか、コム デ ギャルソンの川久保玲からの依頼を受け、ファッションショーのための音楽を制作した『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』など多様な“音”を手掛けるオノセイゲン。そしてそのオノセイゲンが信頼する数少ない音楽批評の指標であり、オノセイゲンの観察者でもある音楽評論家・松山晋也が観察する“意識”と“無意識”の先にある音楽とは。

『20200609_HARAJUKU 1』
© Seigen Ono

調和を生む音、ノイズとの出会い

松山晋也(以下、松山):セイゲンさんは日々“音”にふれているわけだけど作品を作っていない時、日常の中でも音や音楽って意識的に耳を傾けているんですか?

オノ セイゲン(以下、オノ):意識的ではないかな。仕事が音や音楽の録音だから、むしろ日常では意識してないはず。あっ、だけど好きではない音楽が聞こえてくると、タバコの煙と同じくらいの拒否反応を示す(笑)。店ならそこから出る。それと無意識なんだけど、はっと気付くことはある。最近のことなんだけど、毎朝通っていたカフェのパンをこねる、ガタッゴトッツカ、ガタッゴトッツカって機械の音がサンバのリズムそのもので、サンプリングして曲にしようと思ったくらい。

松山:要するにセイゲンさんは楽器の音ではない音、自然の音や生活音からも音楽を感受していると。

オノ:そのパンこね機械の音をiPhoneで録音するじゃない? 音だけ聴けば完全なサンバのビートなんだよ。わざわざポータブル・レコーダーで録音もした。ある時からBGMがかかり出しちゃって、そうなると単なるガチャガチャノイズにしか聞こえなくなり、そのカフェにも行かなくなっちゃった。

松山:セイゲンさんが作品の中でいわゆる楽器の音、楽音ではない音を使うようになったのっていつからでしたっけ?

オノ:いわゆる楽器の音ではない音、つまりノイズを曲に取り入れたのは、実はファースト・アルバムの『SEIGEN』(1984)から。ニューヨークの街角や公園の音などを入れた。次のセカンド・アルバム『The Green Chinese Table』(1988)ではあらゆるところに暗騒音的なノイズを使ってる。「The Pink Room」という曲では、コンサートホールの開演前のざわざわをリバースした音をキーボードのパッド的に使ったりして。開演前とか演奏の間(ま)、そこには独特の緊張感が記録されているわけ。街角のざわざわ、ホールのざわざわ。ランウェイの実況音、始まる前の空気で会場の広さや人数……文字にすると全部“ざわざわした音”なんだけど、風景が全く違うよね。

松山:つまり、音楽制作者としては最初期からノイズをポジティブに意識していたわけですね。

オノ:今、こうして聞かれるまで考えたことなかったけど、高校生の頃に観てた映画の影響が大きかったんだろうなあ。僕は大学にも行かず1978年から1980年、たった2年間だけど老舗スタジオの音響ハウスにアシスタントとして在籍してたんです。あの時代に、CMフィルムの編集や映写係、撮影現場でブームマイクを役者さんに向けたりと、映像につける音を録るプロの現場経験ができたのは、今思えば貴重な体験だったなあ。音楽録音に移ってもそのまま映像的なコラージュは自然に僕のスタイルになった。

松山:アンサンブルの中の1つの要素として、ノイズそのものも一種の楽音のように捉えているということですかね?

オノ:そうです。まさにノイズも楽器の演奏やサンプラーやテープ編集の音と同じように音楽要素として扱えるようになってきた。台本に「バーで女性がヒールで歩く」と書かれてるとします。バーを表すにはグラスのカチャカチャが遠めに聞こえてて、床はマーブル? フローリング? そこで靴底の材質が硬めのほうがヒールに聞こえる。女性の歩くテンポとか。実際よりそれらしく概念的に聞こえる効果音を作るフォーリー・アーティストっていう職業もあるくらいで。楽器として捉えているというより、録音現場で働いていればノイズの重要性に気付きます。

よくその音だけ狙ってきれいに録ろうとするじゃないですか。マイクを近づけるか、周りの音が被らないように、狙った方向の音だけを録るスーパーカーディオイド(超単一指向性)のマイクとかガンマイクもある。ズームレンズみたいに寄せていったオブジェだけを切り取るわけです。でも、その時に抜け落ちてしまう要素、つまりオブジェ以外のすべて、アンビエンスとか暗騒音とか言いますけど、これが意外に重要でね。

例えば今テラスでお皿に太陽の光が当たっていてカレーがとても美味しそうに見えるけど、同じ光の状況をスタジオで再現しようとするととても大変。スポットライトとして直射日光があって、反射している光が陰影を作りだしていて、音でいうところの反射音がカレーに回り込む陰影を作って空間を支配している。スポットライトやスーパーカーディオイドでオブジェを捉えたように思えても、実はそれを引き立てていた重要なノイズ、反射音などが抜け落ちてしまうんだなあ。

松山:この世界のあらゆる音のフィードバックや調和で音楽は成り立っていて、その中にはノイズも必然的に含まれていると。

オノ:そうです。僕のアルバムに『Forest and Beach』(2003)っていう5chサラウンドのアルバムがありますけど、ビーチの中から波の音だけ抜き出してってできない。波の音、風の音ってなんでしょう? 波が小石や砂をザーっと動かしぶつかり擦れる音、ミクロの泡がパチパチっと弾けるとすごい高周波も出ている。風が木の葉をすり合わせるのも、考えてみれば波や風には音はなくて、風や波のエネルギーでできたさまざまなノイズのことを風の音と感じている。で、そこに例えば、繊細で静かな音楽が流れていて、ゴォーっと風が吹いてて、風の音とか波の音がパタッと止んでシーンとなった途端、音量を上げていないのに音楽がふっとスポットライトを浴びたみたいに際立つのね。 “ノイズ”と表現すると音楽を録音する時には、まるでゴミのように言われるけど、音楽的に言えば、調からずれてクラッシュしたデコードのように捉えることもできる。

音で景色を描いていく

松山:ノイズといえば去年『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』の再発盤と一緒に出された『CDG Fragmentation』の前半40分には「コム デ ギャルソン」のショーのランウェイの実況音が入ってましたよね。

オノ:“fragmentation”というのは“断片”という意味だけど、SACDのチャプター1~6は、1997年のパリコレにおけるリアルタイムの実況音で、カメラマンがモデルに向かって叫ぶ声やカシャカシャってシャッター音、拍手、靴の音、ざわめきなどが入っている。現場で僕はモデル1人につき1つ、サンプラーに仕込んだいろんな音をピッと出した。最初の5人くらいまで観客は、音響の事故だと思ったみたい。でも、音をアニメみたいに歩きに合わせたりしていくと、だんだんとそれが演出だとわかってくる。あの場に立ち会っていた人にはよりリアルにね。日本コロムビアというメジャーから発売する、新作アルバムの最初の40分(SACDでは全編100分ほどある)が実況音のみで構成されてていいものか……ギリギリまで迷ってたんだけど、写真家の繰上和美さんにこれを聴いてもらったら「スタジオで使いたい」と言ってくれたんです。彼はたぶんスタジオで撮る時、いわゆるBGMをかけないのかな。音楽というよりショー会場の緊張感が再現されるのをおもしろがってくれた。それで決まりです。約40分の空気、緊張感って音で記録再現できるんだという発見でもありましたね。松山さんはどう思いました?

松山:服、あるいは服を取り巻く環境や文化、さらにはデザイナーの顔や熱意までも想像させるという点では、ある意味、音楽以上に雄弁かつリアルだと思いました。

オノ:「コム デ ギャルソン」は1997年以前の何回かのショーでは音楽を全く使わなかったそうです。で、川久保さんから僕にきた注文は“音楽”は使わないけど“音”は使いたい。禅問答みたいですけど、音楽と音の境目をそのプレゼンテーションのために定義付けしたんです。「コム デ ギャルソン」ですから適当にレコードから断片をサンプリングするという発想にはなりませんでした。それで、音の断片をわざわざレコーディングしたんです。といってもミュージシャンに闇雲に断片を演奏してとはオーダーできません。そこで、ミュージシャンに渡す楽譜を書き、ガイドとなる僕のピアノを録音しました。でも、そこにあるのはコードと簡単なメロディだけ。僕は“Lurking Tonality Piano(潜んでいる調性ピアノ)”と呼んでます。発明とも言えるかな(笑)。そのガイド的ピアノをベースに、アンサンブルしないようにという指示で1人か2人ずつ録音を重ねていきます。ただし前の人の音は聴かせずに。ミックスの時は僕のピアノはミュートします。結果、明らかに何かトーナリティはあってるんだけどアンサンブルすることなく、仕組まれた偶然として生まれてきた曲がアルバムの9曲目にある「三丁目のジャン」と11曲目の「三丁目のジョン」です。映画の台本にあたる楽譜を役者がどう読んで演技をするか?みたいな解釈もできるかな。プレゼンテーション(ショー)では、これらの曲から断片だけを使ってるわけです。そして、その時の“Lurking Tonality Piano”を土台に今回新しく録音したのが10曲目にある「あげくの果て」です。このやり方がおもしろくて、#StayHome期間中の今作っている新しいアルバムでも、今度はシンセサイザーでこの手法を用いている。

松山:映画から受けた影響も大きいというか、土台になっているわけですよね?

オノ:僕のアルバム『バー・デル・マタトイオ(屠殺場酒場)』(1994)は、1988年から1994年までサンパウロ、リオ、パリ、ミラノ、東京、ニューヨーク……とあちこちで録音したんだけど、今になって改めてあのアルバムを作ってよかったと思う。大好きなカエターノ・ヴェローゾがライナーノーツを書いてくれたことで作品として完結したから。松山さんの質問の答えもそこに。サントラを作ってるわけじゃないけど、映画から受けてた影響が大きいですよね。フェリーニやニーノ・ロータ、小津安二郎などの映画。それらの作品を念頭に置いたモンタージュ録音というジャンルができた(笑)。

あと、ジャン=リュック・ゴダールの映画のように映像と音で時空が違うのもおもしろい。映画では、画面には映らない部分とか次の展開にいくために音や音楽でつなぐことがありますよね。それこそファースト・アルバム『SEIGEN』につながる日本ビクター発売の映像作品『MANHATTAN』(1984)では、音楽監督として、笹路正徳さんに冒頭シーンの曲を依頼する時、CMなどと同じく楽器編成やコード感などの打ち合わせの他、サンプルとしてまさにルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971)の挿入曲(グスタフ・マーラーの交響曲第5番の4楽章「アダージェット」)がイントロで、あとはビル・エヴァンスがストリングスとやったみたいに……といった説明をしたし。世界観というか、大きな枠を指定したらそこから先は作曲家と演奏家のものです。その中で自由にやってもらう。

松山:そこまで具体的に見本を指定していたとは(笑) ……映画で言うと、音と音楽の間を語るには、僕は武満徹さんの映画音楽作品が特に重要だと思っていて。

オノ:武満さんの音は音楽といっても景色を描いているような感じがするよね。

松山:音で映像を作っている感覚だと思うんですけどね、彼の場合は。職業作曲家であり1人の映画監督でもある。使っている音も譜面に書かれた音楽だけではなくて、録った音を電子的に変調させてノイズ化させたりとか。環境音も多用していて、彼の中ではノイズもまた音楽であり映像であるという意識があったんじゃないかと。

オノ:最近の映画音楽で印象に残っているものだと『レヴェナント:蘇えりし者』(2016)の坂本龍一さんのサントラ。大自然や寒さが圧倒的な映像もすごいんだけど、あのサントラでは自然音と音楽の境目がないですよね。一部では、自分のアルバム『out of noise』(2009)の収録曲「glacier」なども使っているようです。ライナーノーツの「何千年か前のピュアな水の音をベースにして、いろいろな音を置いていった」という北極圏の氷河とか水の音? こういうのはDVDやテレビ放送になっちゃうとAACで圧縮されちゃうので音のディテールまでは聞こえないから、『レヴェナント:蘇えりし者』は、良い劇場で聴くのが一番いいんですが、ブルーレイでもいいシステムで聴くとすごくいい。静かで繊細な自然の音とその後ろにヒューっと入って来るシンセサイザーの音の境目がない。見事でしたね。 

松山:坂本さんは自然のノイズ的な音と繊細なエレクトロニクスをすり合わせるのがものすごくうまいんですよね。1970年代から一貫してそうですけど、音とノイズの境目、あるいは共存領域を常に考えているんだと思いますね。

『20200609_HARAJUKU 2』
©Seigen Ono

意識と無意識の先にある音楽の観察

オノ:それでいうとね、例えば“風の音” って台本のト書きにあった場合、何をイメージしますか?

松山:風の音ね……ガラス窓がガタガタ揺れる音とか……。

オノ:風ってね、本当は音なんかないんですよ。風自体には。“雨の音”という言葉もあるでしょ。でも雨にも音なんてない。“波の音”も、波打ち際とかいうけれど波が崩れて岩に当たるか、砂がサーっと波で移動する音だよね。風も同じで、葉っぱに当たって、ざわざわと聞こえているのは葉が擦れている音。ダメなノイズはね、今まさに野外でこのインタビューしているので、後でテープ起こしする時にボコボコっと聞き取りにくくなる。なんでボコボコってなるかっていうとICレコーダーのマイクの網目に風が当たっている風切り音で、運転中の車の窓を開けるとびゅーっとなるのと同じ。これはインタビューには不要なノイズ。もっともト書きに“風の音”ってあった場合、そのビューっという音でいいんだけど。葉っぱがサラサラっと擦れている音を録るのは結構難しいかも。

松山:心配になってきたのでちょっと(ICレコーダーのマイク部分をカフェのペーパーナプキンで包む)。テープ起こしする時にノイズで起こせないのがいかに地獄か、よく知っているので(笑)。

オノ:今まさにね、羽田新ルートの飛行機が上を飛んだでしょ、だけど会話はできてたでしょ。そのICレコーダーに入っている音は、飛行機の音のほうが声よりずっと大きく入っているはず。でも人間は立体的に音を捉えていて、意識がこっち(会話)に向いていると、頭の中で周囲の音(ノイズ)をキャンセル(無視)することができる。これは機械ではできないことで、後でテープ起こしをしようとするとノイズばかり録音されてて肝心のインタビューが聞こえない(笑)。カクテルパーティ効果っていうんだけど、パーティで同時に複数の会話の中でも聞きたい話だけに集中できる。人間の耳ってすごくて、聞き分けって無意識に誰でも使ってる能力なんだよね。

松山:要するに、聞きたい音と周囲の音の区別なく機械的にすべての音を同等に拾ってしまうのがICレコーダーだけど、人間もそれと同じように、無意識のうちに取り除いてしまっている音に意識して耳を傾けてみると、それがノイズではなく音楽になる可能性もあるかもしれないと。

オノ:そうそう! 今食べてるカレーのお皿とスプーンの擦れる音だったり。これ美味しい! って感じる要素にいい音も影響してたりしてね。その味の思い出にこの音サンプリングして録っておこうとなったり。

松山:楽器でないものも楽器になる。

オノ:お皿とスプーン、キッチン周りの道具は実際に楽器ですよ。僕の曲には「アンチョビパスタ」があったり「サンマサンバ」があったり。キッチン道具っておもしろい音が出るものが多いです。特にのし棒(めん棒)とか箸はキリがない。クラベス的に、シンバルをレガートでソフト・タッチに叩くには、ドラム・スティックより箸(笑)。楽器として太鼓バチを買おうとすると3千円から5万円するところが、めん棒だと中華街に行けば1本1ドルですから、山積みしてあるのからいい音が出るものを選りすぐったりしますね。

レシピを作るように作曲する

オノ:昨日急に思い立ってね、新作の一部になる予定の曲をアップしてみた。開発中のヘッドホン用の立体のエンコードもしてるけど、まだほとんど視聴者いない(笑)。

20200403 Seigen Ono Fragmentation 2
© Seigen Ono

松山:とてもいいですね。生々しくて、ドキドキする。オノセイゲンの美意識、表現のべクトルやエモーションが作品としてはっきり感じ取れる。

オノ:松山さんにそう言ってもらえると嬉しいです。2010年ブラジル、マナウスのジャングルや、2003年ニースのモンテカルロ・バレエ団のリハーサル・ルームでダンサーたちに床を這ってもらった音、駆け抜ける子供の声、それらをいろんな楽音とコラージュした。パスタ・ソースを作るのと同じ感覚かな。

松山:音から風の匂いや湿度が伝わってきそうな生々しさという点で、クリス・ワトソンの作品を思い出した。キャバレー・ヴォルテールの初期メンバーで、その後、英BBCで録音技師の仕事をしながら、自分の作品もたくさん作ってきた人なんだけど、キャバレー・ヴォルテール時代から音楽とは何か、音と音楽はどういう関係にあるのかをひたすら探求してきた。あと日本人でも、フィールド・レコーディングを音楽作品の中に取り込んできた重要人物としては、アメフォンとか、ニューヨーク在住の恩田晃(Aki Onda)とかがいますね。恩田晃は安物の携帯カセット・テープレコーダーをいつも持ち歩いていて、いろんな土地の音を録り、そのロウファイ音源だけでコラージュ作品も作っているけど、素晴らしく音楽的なんですよ。

オノ:いいチャンスを捉えられるかどうかは、高価なマイクや機材よりロケハンとマイク位置の方が重要だよね。予約して三つ星レストランに行くのではなく、ローカルの人が通う漁港近くの店に飛び込んだ方が本日の魚に巡り会えるし、美味しかったりもする。音質も映像も機材や技術より内容でしょ。何を撮り、録音したいのか。曲自体とエモーショナルな演奏であるかどうかの方が絶対大事、当たり前なんだけど。

松山:今は音楽に限らず、あらゆる面でミスとか誤差とかノイズを恐れすぎる気がしますね。日本では特にそれが顕著だと思う。表面的な完成度とアートとしての深度や強度はほとんど無関係なのに。伝えるべきものがよりちゃんと伝わること、そしてそこに込められたエモーションが何よりも大事なわけで、往々にして誤差やノイズがその本質を明瞭にすることもある。

オノ:パソコンでレコーディングしてると、みんな修正ばかりしてるのが商業音楽では当たり前になっててね。僕はそれは人生の時間の無駄使いにしか思えないんだよね。小さなミスがないものなんてないと思っていて。それを直そうとするより、演奏している方も聴いている方も気持ちの良いもの、感情が入っているものの方が最終的に美味しいものになるんじゃないかな。

オノ セイゲン
作曲家/アーティストとして1984年にJVCからデビュー。1987年に日本人として初めてヴァージンUKと契約。1987年「サイデラ・レコード」、1996年「サイデラ・マスタリング」設立。VRなどの音響技術の共同開発、音響空間デザインやコンサルティングなど、音を軸とした多様な仕事を手掛ける。2019年度ADCグランプリ受賞。

松山晋也
音楽評論家。1958年鹿児島県鹿児島市生まれ。著書に『ピエール・バルーとサラヴァの時代』(青土社)、『めかくしプレイ:BLIND JUKEBOX』(ミュージックマガジン)、編著『プログレのパースペクティヴ』(ミュージック・マガジン)、その他共著のディスクガイドなど多数。

Interview Shinya Matsuyama
Photography Erina Takahashi
Edit Moe Nishiyama

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石の声を聴く https://tokion.jp/2020/07/28/observe-nature-note/ Mon, 27 Jul 2020 17:15:14 +0000 https://tokion.jp/?p=1086 動かずにじっとする、立ち止まることで見えてくるものはあるんだろうか。ある時、“石の声を聴く”人達がいることを知る。400年にわたりその技術を紡いできた“穴太衆”と言われる彼らの観察眼を紐解くべく半年をかけて取材と考察を重ねた。

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上を向けば、オリンピックに向け着々と何かが作っては壊されていく東京。手元の携帯を見れば数えきれない情報が飛び交う。立ち止まることが許されないどこか息苦しい空気と目まぐるしく過ぎ去る日々に、何か大切なものを見逃してしまっている気がしてふと立ち止まってみたくなった。動かずにじっとする、立ち止まることで見えてくるものもあるんじゃないかと。

とある地域新聞の記事で“石の声を聴く”人達がいることを知った。“穴太衆”と言われる彼らは400年以上石積みの技術を口承で伝えてきた石工集団であり、自然石をありのまま、つまり加工することなく積み上げて石垣を作り上げていくらしい。記事中には「粟田純徳」という名の石工職人が紹介されていた。自然石との対話、という言葉に興味が湧いたが、この穴太衆についてさらに調べようとしても(“口伝”であるからなのだろうか)断片的な情報は見つかるものの、確かな文献がほとんど出てこない。インタビュー記事で紹介された一節を手がかりに、わかったことはこれぐらいのことだった。


穴太衆とは近江国、琵琶湖西岸の穴太(あのう・あのお:現在の滋賀県大津市坂本)に居住し、古墳築造や比叡山延暦寺などの寺院の石工を行っていた技術者集団の末裔であるということ。そして自然石を加工せずに積む野面積みを得意とし、安土桃山時代に比叡山延暦寺の石垣が崩せなかったことから織田信長に高い技術力を買われ、安土城を築城したことをきっかけに全国で活躍するようになったということ。そして現在、日本で技術を継承する穴太衆は粟田家のみであるということ。

「石の声を聴く?」。一見、スピリチュアルな何かなのだろうかとも思ったが、400年以上続く確かな伝統技術でもある。一体、穴太衆と言われる人達はどんな修業を積んでいるのか。もしかすると、東京の変わりゆく姿を見て感じた不安のようなものに対する答えを、彼らは持ち合わせているのかもしれない。そんな疑問と好奇心と希望にも似た確信を持った私は、穴太衆の末裔、第15代穴太衆頭である粟田純徳さんに話を聞きたいと思った。ほどなくして、粟田さんにお話を伺う機会を得る。

西山萌(以下、西山):はじめまして。編集者の西山萌と申します。「観察」というテーマで特集を作っているのですが、近年、どんな情報でも簡単に調べることができることもあってか、純粋に自分の感覚を研ぎ澄ませてみる、自分の目を信じてみることがますます難しくなっていると感じていて。そんな中、“石の声を聴く”ことを400年以上にもわたって引き継がれているという粟田さんをはじめ穴太衆の方達の姿勢に、今の時代に考えるべき大切なヒントがあるのではないかと思ってご連絡させていただきました。“石の声を聴く”ということは言葉で説明していただくとしたら、実際にはどのようなことなのでしょうか?

粟田純徳(以下、粟田):「石の声を聴け」という言葉は先祖代々ずっと伝えられてきたものです。まず石を見てから、自分がどういう石垣を積みたいんやと。自分の目でよく見て、想像する。この石はここに行きたい言うてるな、と頭の中でだんだんと組み合わせていくんです。僕らの仕事で一番大事なんがこの石選びの作業になるんですわ。その仕事が終われば7、8割終わる。だからその時に石を見る目というのがすごく大事でね。

西山:その石選びというのはどれくらい時間をかけてするものなんでしょうか?

粟田:石積みの規模にもよりますけど、少なくとも大体1日2日はじっくり石を見ますね。大きな石垣の時であれば1週間かかる時もありますし。先々代(第13代穴太衆頭・粟田万喜三さん)からは「石の声を聴き、石の行きたいところに石を置け」という言葉を伝えられてきました。今の言葉で言えば、よく観察しなさい、ということに近いんやと思います。自分の目で見て、考える。僕らは石垣の見えてる部分は“顔”というんですよ。その顔と上下横がわかるというのは石積みの一番基本です。「顔もわからんのか!」ってはじめはよく怒られましたわ。

西山:石にも顔があるというのは知らなかったです……。そうすると粟田さんにとって石を選ぶ、石の声を聴くというのは自分の目を信じるということに近い感覚なんでしょうか?

粟田:そういうことになりますね。なので石の選び方っていうのは性格とか個性が出るんで僕も親父もおじいさんも全部やっぱり違います。例えば同じ石が100個あって、それを3人が同時に積んだらそれは全然違う石垣ができる。性格そのままですわ。

西山:石垣を見るだけで誰が積んだのかもわかったりするんですか?

粟田:大体わかりますね。おじいさんは結構繊細でキメが細かい。親父はどっちかというと荒々しい。僕は、2人の間くらい。先々代のおじいさんはたぶん全部が自分の頭の中で描けたような人なのであれですけど、僕らはまだまだなんで、規模が大きくなればなるほど、何度も何度も石を探しに行く。そうして見て考えてでき上がっていく度に、自分の頭の中でまた図面が書き換えられていくんです。

西山:石積みの図面というのは実際にはどのようなものなんでしょうか?

粟田:頭の中だけにあるものです。石を見る前から、いい石垣を積もうという気持ちが先にあると、きれいな石を選んでしまう。形がきれいとか、積みやすそう、とかね。でもそんなものだけで作られた石垣なんて全くおもしろないんです。だから図面にしてしまうとその通りの石、いわゆる削る工程とかも必要になって、“自分の都合”になってしまう。同じようなパターンができ上がってしまうんですね。なのであまり“理想の石垣”とかは考えんようにしているんです。

西山:図面を頭でイメージされていながら、いい石垣を積もうとしてはいけない……。その言葉を聞いて、よりわからなくなってしまいました。石を選ぶ時、何か基準のようなものはあるんでしょうか?

粟田:よく先々代からも言われたんが、石垣っていうのは人間社会と一緒やと。きれいな石もありゃ、汚い、不細工な石もある。大きい人もいれば小さい人もいる、尖った人がいりゃ丸い人もいる。そういう関係性で世の中が成り立ってるのと、石垣は一緒やということを先々代からも言われてたんですよ。僕らも最初の頃というのはきれいに積みたいと思うわけです。だからきれいな石ばっかり選んでしまう。すると先々代が「ほなお前、世の中にべっぴんさんばっかりいたらおもしろいけ? べっぴんさんばっかりやったら誰選ぶねん?」と(笑)。「不細工な子がいるからべっぴんさんって思うんやろ」って。だから、大きい石も小さい石もすべて役割がある。すべて大事なんやっていうことを教わりました。

西山:不揃いな石が積まれているのを俯瞰で見ると、不思議と調和している感じがあるのはそういう理由だったんですね

粟田:例えば小さい石の役割ってなんやねんていうたら、大きい石の横にわざと小さい石を置いてあげると、大きい石がより一層大きく見える。大きく見えるっていうのは、横にある小さな石のおかげなんですわ。だからいかにそれぞれの石の個性を引き出してあげるか。きれいな石の横にはちょっと顔の悪いゴツゴツとした石をわざと置いてあげることで、よりべっぴんさんに見えたりとかね。ちなみにきれいな石っていうのは苔が生えにくく、ゴツゴツした石っていうのは生えやすいんです。だから生えにくいものの横に生えやすいものを入れてあげて、何十年、何百年か後にどんな石垣になっているのかを想像して積み上げています。あとは色合いも、産地で微妙に色が違ってくるんでなるべくバラバラに配置してあげたり。ある程度積んだら1歩引いて見ろ、1歩引いて全体を見て、観察しなさいということです。ここ(手元)ばっかり見てたら絶対にわからへんことがある。

西山:1つの石だけを見るというよりも、関係性の中で違いの調和を大切にされているわけですね。ちなみにその石を関係性の中で見出す力というのはどのように培われるものなんでしょうか?

粟田:最初、若い子に任せられるのが、石と石との間に入れる小さい石を探してくる仕事なんですわ。1日中、山を歩き回って石を探さないと、自然の石なんで隙間に合うような石ってなかなか見つからないもんでね。もちろん、割ったり加工したりすれば三角形にもなりますし、簡単かつきれいに入りますよね。でも入ればいいっていう問題じゃないので、それもやっぱり修業。いくらきれいにぴったり入っても、きれいすぎるから「ちょっとそこやり直せ」って僕は言ってしまいます。僕らの仕事は自然石を扱っている仕事じゃないですか。そこに自然以外のものが入っていると、目立ってしまって不自然に見えてしまう。隙間ができようが、別にいいっていうことは説明しますけど。

西山:ぴったりはまりすぎてもよくない。なかなか、簡単にはいかないんですね。

粟田:意味がやっぱりあるんで、石を選ぶというのは。はじめはみんな格好をつけてしまう。そうすると見た目だけが良くなるというか、中身が全然ともなってこない。良い悪いってのは一概に表面上だけでは言えない。過程も大事ですし。「あ、こいつあんまり考えてないな」というのはすぐにわかるので「お前ちゃんと見たん?」って問い直しますよね。

西山:その石を選べるようになる瞬間というのは自分でもわかるものなんでしょうか? 粟田さんご自身が修業の身から石を選べるようになったと感じた瞬間について教えていただけますか。

粟田:いや、もうそれは全然まだまだですよ。未だにわからないですよねえ。僕のおじいさんも穴太積みの第一人者として有名やったんですけど、おじいさんですら「死ぬまで修業や」って言うてたんで。僕ら石積み職人の究極は、100個の石を採ってきたらその100個を使い切る、最後に石が1つも残ってないていうのが理想なんです。でも簡単なことではない。だからそこに近づいていけるように、日々鍛錬というか修業なんです。

西山:石を選ぶか選ばないかが重要なのではなく、選ばずしてすべての石がはまっているということですね。

粟田:だから石工の腕の良し悪しは、石垣ができ上がった時の残りの石を見たらわかりますね。エゴになってはいけないんです。やっぱりもともとお城でもなんでもそうですけど地域に根付いたものなんで、地域のみんながずっと守ってきたものなんでねえ。やっぱりその人達が喜んでくれるのが僕らとしても一番ありがたい。腕の良い悪いだけでなく、街の人に喜んでもらえる、思い入れを持って大切にしてもらえるいうことは一番大事やと思ってますね。

初めて会ってからたった1、2時間の間に、私は緊張していたことも忘れて粟田さんの話にすっかり引き込まれていた。1つとして同じものがない多様な石の集積が、唯一無二の調和を作り出しているという事実。禅問答のようなやりとりの中に、石積みに秘められた真理らしきものを垣間見た気がして、くらっとした。そして正直なところ、話を聞いてもなお、なんだか信じられない思いだった。人の手で作られながらも恣意的な意図を介入することなく、それでいて絶妙なバランスで調和しているものなんて地球上で一体どれほどあるのだろう。粟田さんは石を見ていながらも、石の先にある何か、人が生きる社会の根本的な部分に近いものを見ているんじゃないのか……と。

取材を終え、建物の外に出る。兎にも角にも石積みを見なくては始まらない。ぜひ粟田さんの積んだ石積みをいくつか誌面で紹介させてほしいと申し出たら、まずは坂本のここの通りを、とにかく歩いてみてくださいと言われたのでさっそく歩くことにした。思い返してみると、普段であれば10分ぐらいで歩ける道のりを、30分ほどかけて歩いていたのだと思う。粟田建設を出て、日吉大社の方角へ坂道を上る。急な石段を上って、上り切ったら石段を下りる。目的地を決めずに、ただひたすら坂本の参道を歩き続ける。時間を気にしていなかったこともあるかもしれないが、お昼頃から歩き始めて坂本の街を出る時には、すっかり日も落ちて夕暮れ時になっていた。半日かけて歩いた坂本の参道の景色は、今でも鮮明に思い出すことができる。少し曇った灰色の空の下、春の初めの少しひんやりした静かな空気の中でのびのびと枝を伸ばす桜と、形も大きさもさまざまな石の連なりが調和して、生命力にあふれたその光景は、言葉にすると陳腐になってしまうけれど、本当に、とても美しいものだった。そして参道の中腹で食べたそば饅頭と抹茶の味が忘れられない。

こうして1度目の取材を終えて坂本の街並みを巡る旅から東京に戻ってきた私は、数日間、頭を抱えることになった。どういうわけか粟田さんの言葉の意味について考えれば考えるほど、「?」が頭の中で増えていく。粟田さんの言葉は、経験によってしか語りえない真実であることは確かだった。それでいて、これは石積みだけに限った話ではないのではないか、とも感じていた。そして一番頭を悩ませたのは、石積みを前に感じたあの心地よい幸福感だった。言語化するのが難しい空気は確かに穴太積みの石積みを前にしてしか感じられないもののようだったが、これを伝えるためにはどうしたらいいのだろう(東京に帰ってきて、石垣という石垣を目にするとじっと見つめてみたりしたが、坂本で感じたのびのびした生命力のある感動は一向に感じられなかった)。粟田純徳さん、そして石積みについて、第三者の視点が必要だと感じた私は、ポートランド日本庭園とダラス・ロレックスタワーの建設で粟田さんと2度仕事をともにされた建築家・隈研吾さんに話を聞くことにした。そして坂本をはじめ、穴太積みの石垣をめぐる粟田さんへの取材に再出発することになった。半年に及ぶ考察と取材については、雑誌『TOKION #01』7月28日発売号の誌面に掲載している。

粟田純徳
第15代穴太衆頭。株式会社粟田建設社長。日本各地の石積みの現場に連れていってもらう幼少期を過ごし、中学卒業とともに第13代である祖父・万喜三さんの弟子に。万喜三さんの後を継ぎ、20歳にして頭に。父である純司さんとは親子でありながら唯一の兄弟弟子にあたり、2017年の純司さんの引退まで、2人の頭として暖簾を守ってきた。現在、海外での石積みワークショップなど、国内外で技術を伝える活動を積極的に行っている。

Interview Moe Nishiyama
Photography Kazumasa Harada

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「ステイ・ホーム映画」-徹底観察記録- https://tokion.jp/2020/07/28/observe-at-home-with/ Mon, 27 Jul 2020 17:05:21 +0000 https://tokion.jp/?p=1028 遠くに手を伸ばさなくとも、海外旅行へ行かなくとも、家の中でできることってたくさんある。ステイ・ホーム映画を徹底観察し記録し、妄想する。

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今、私達はかつて体験したことがない困難と向き合いながら生活している。それまでの現代社会で理想とされてきた「より早く、より大量に、より珍しいものを消費することが素晴らしい」といった価値観は急速に色褪せつつある……というか、やりたくてもできなくなってしまった。その代わりに新たな価値観が浮上してきた。身近なものから素晴らしさを見つけることだ。さて、映画といえば現代社会が生み出した最高の娯楽である。だから登場人物は、退屈な日常生活を離れて「より早く、より大量に、より珍しい」冒険を繰り広げるものと相場が決まっていた。でも今はそんな姿を観ても、自分の置かれた境遇との差ばかりが目について、ため息ばかりが出てしまうはず。むしろ映画の中では少数派といえる、「登場人物が家で日常生活を淡々と送り続ける映画」を観たほうが、共感できること、学べることが多いかもしれない。そんなわけで、こうした「ステイ・ホーム映画」を10本ピックアップして登場人物を徹底観察。身近なものから素晴らしさを見つけて生きる彼らや彼女たちにまつわる記録をあれこれ妄想してみた。

『地球に落ちて来た男』(1976)

But it is private

やあ、地球の諸君、久しぶり。トーマス・ジェローム・ニュートンだ。
えっ、4年前に死んだはずじゃないかって? ハハハ。実はあれは偽装だったんだ。故郷の星に帰っただけだったのだよ。
今回、あるミッションで別の惑星に出張する機会があったので、ついでにこっ
そり地球に立ち寄ってみたのだが、どうやら状況が様変わりしたようだな。街を歩く人々の数が妙に少なくて困惑しているよ。
本当は誰かをとっつかまえて理由を聞くのが一番てっとり早いのだろうけど、私の顔はそこそこ知られているからな。「えっ、あなた生きていたんですか?」と騒がれてしまったら面倒くさいことになってしまう。一体どうすればいいんだろう……そうだ、最初にこの星に来た時に用いた情報収集法を使うか。そう、ひたすらテレビを観まくるのだ。
そんなわけで、久しぶりにテレビというやつを観ようとしているのだが、放送局の数がものすごく増えていないか? なるほど、配信チャンネルと呼ばれているものか。Netfilx、Amazonプライム、Apple TV。聞き覚えがない名前ばかりだな。どうせ水で薄めたような番組ばかり流しているに違いない……ふむ、この『ストレンジャー・シングス 未知の世界』ってドラマが人気のようだな。見たところ子ども向けの他愛ないファンタジードラマのようだ。どれどれ、ちょっと観てやろう。あれっ? しっかり予算をかけて丁寧に作られているぞ……ていうか、1980年代カルチャーへのオマージュがいちいち絶妙で、オッサンのハートのツボを突きまくり。どんどん物語に引き込まれていく……ああ、気が付いたら3シーズン分をぶっ通しで観てしまった!
ふっ、私としたことが。たまたまおもしろい番組に当たって動揺してしまったようだ。今度は『マーベラス・ミセス・メイゼル』でも観てやるか。お気楽なスウィーツドラマに違いない……と思いきや、1950年代後半を舞台にスタンダップコメディアンを目指す主婦の姿を通して、芸人の業やカウンターカルチャーの胎動期を描いた野心作だった。しかも時代考証がパーフェクトだし服も小物も鬼キュート! 
ええい、ドラマ以外の番組も観てやる。なにっ、この『タイガーキング』という番組は本当にドキュメンタリーなのか? こんなおかしな人間、銀河系広しといえどもなかなか会える奴らじゃないぞ! 
私は唖然としてしまった。なぜならこの星には、同時並行でいくつもの番組を観ることができる私の能力をもってしても、一生かけても観きれない量のテレビ番組がアップロードされているのだから。街を歩く人々の数が激減している理由はこれだったのか。よし、私も別の惑星への出張は後回しにして、観たい番組をビンジウォッチングするとしよう……。

『ホーム・アローン』(1990)

I made my family disappear

坊やもヒヤリ? クリスマス強盗御用

米シカゴ郊外の高級住宅街で12月25日午後8時(日本時間26日午前11時)すぎ、強盗容疑で2人の男が現行犯逮捕された。
シカゴ市警によると、容疑者の名前は住所不定無職のハリー・ライム(47)とマーヴ・マーチャント(43)。2人は以前から長期のクリスマス休暇で空き家になる邸宅を狙っており、リンカーン通りのマカリスター邸に侵入したものの、何も盗み出すことなく逮捕された。マカリスター邸には一家の5人兄弟の末っ子ケビンくん(8)が手違いから1人取り残されていたが、怪我などはなく両親は胸を撫で下ろしている。
地元メディアの取材にケビンくんは笑顔でこう答えている。
「クリスマスだったからね。うるさい家族はいなくなってほしいって神様にお祈りしたんだ。そうしたら叶っちゃったんだ。だからずっとやってみたかったことを全部やってみたよ。髭剃りとかベッドでジャンプしたり、宅配ピザを頼んで1人で食べるとかね。でもだんだんさみしくなっちゃって、教会で家族のみんなを返してくださいって神様にもう一度お願いしたんだ。1人は気楽でいいけど、やっぱりみんなと一緒に家で過ごすのが一番だね」。
不思議なのは、ケビンくんが傷ひとつないのに、逮捕された犯人達が全身傷だらけだったこと。当人達は警察に「あの悪魔にやられた」とうめくばかりで真相は不明だ。(シカゴ支局=ジョン・ヒューズ記者)

『ハイ・フィデリティ』(2000)

Autobiographical

Q1 名前 
Q2 職業
Q3 あなたの休日のとっておきの健康法は?
Q4 それはあなたにとってどんな効果を与えていますか?

A1 ロブ・ゴードン
A2 中古レコードショップ、チャンピオン・シップ・ヴァイナル店主
A3 家でアナログレコードのコレクションの整理をしています。
A4 僕は体に良いことは一切していないんだけど、黙々とこの作業を行うことが心に良いのは確かだな。大量のレコードをジャンル別に分け直したり、買った順番を思い出しながら並べ直してみると、忘れていた記憶を思い出したり、自分の人生を自然と振り返ることができるんだ。もっとも、過去にしでかした失敗を思い出して、その場で立ち尽くしてしまって、気が付けば日が暮れていることもしばしばなんだけど(笑)。

Movie Selection & Text Machizo Hasegawa
Movie Capture & Design HATO PRESS
Edit Takuhito Kawashima(kontakt), Moe Nishiyama, Victor Leclercq (kontakt)
Graphic Design Akinobu Maeda(MAEDA DESIGN LLC)

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