黒いペイントをどうみる?

ハンス・ウルリッチ・オブリスト(以下、ハンス):初めてお会いした時、アーティスト活動を本格的に始める前はラグビー選手だったと言ってましたね。

ピエール・スーラージュ(以下、ピエール):ええ、実はそうなんです。今も家のどこかにラグビーボールがあるはずです。

ハンス:ゲルハルト・リヒターも「ペインティングはペタンク(フランス発祥球技)に似ている」と言っていました。あなたにとっても、ラグビーとペインティングの間に何か類似するものがあるのではないかと思っていたんです。

ピエール:確かにラグビーと似ているものはあると思いますよ。ラグビーボールというものは、サッカーボールやベースボールのような球形ではなく、楕円形。つまりバウンドすると右へ行くか左へ行くか、前へ行くかそれとも後ろへ行くか、わからないところが面白い。私が何かについて調べている時も、ペインティングしている時も、ラグビーボールがバウンドするようなことが起こります。どっちに行くかは決してわかりません……。とあたかもラグビーが上手だったようなことを言っていますが、実はそんなに上手くはなかったですけどね。

ハンス:スポーツといえば、ジュ・ド・ポーム(テニスの先駆けとなったスポーツで、ラケット状の道具を用いてボールを打ち合う競技)もやっていると聞きました。ラグビーと比べるとどうですか?

ピエール:ジュ・ド・ポームをし始めたのは、ここ数年の話です。ラグビー選手だったわけではないですし、実際プレーしていたのは学生時代です。でも当時はいつも思いもしないことが起こるラグビーをものすごくおもしろいスポーツだと思っていました。

ハンス:ペインティングにおいても、思いもしないことが起こる、と。

ピエール:描く行為だけでなく、何かについて調べている時も思いもしない方向に転んでいくことがあります。それは絵画というアートをどのように捉えるかということになります。私は今まで絵を描くことと芸術史における文脈を紐づけるようなことを事前に考えたことがありません。アートにおける理論というものは、前もって考えることではなく、事後になって理解されていくものだと思います。

ハンス:ということは、アプリオリ(先験的)はなく、アポステリオリ(後天的)ということなんでしょうか。

ピエール:まさしくその通りです。

ハンス:ラグビーをきっかけに芸術の分野に興味を持ったわけではないと思いますが、あなたはどのように芸術と出会い、そしてどのように惹かれていったのかを知りたいです。初めてお会いした時にお話ししてくれたことに、文字を持たない、つまり文字による史料が残されることのなかった先史時代の芸術、それに1797年に南フランスで発見、保護された、視覚や嗅覚、味覚などの人間らしさを失っていた野生児(アヴェロンの野生児)をきっかけに芸術に惹かれていったと。

ピエール:そうですね。16歳の時、私達が受けている教育は数世紀に限られたものでしかないんだ、とふと思ったことがあったんです。学校の教育だけでなく、例えば美術館へ行っても、そこで見ることができるものの大半はわずか4~5世紀の間に描かれたり、作られたりしたものだけなんです。高校生の頃、芸術は25世紀前のギリシャで生まれたと教わりました。つまり、それはどういうことかと言うと、キリストが生まれた西暦元年から生まれた文化であると。だけども、195世紀前に描かれてきたアンタルヤ洞窟の壁画を目にした時に思ったんです。「今まで5世紀というわずかな時間だけを見てきたけど、人は195世紀前から絵を描いていたんだ」と。それにアンタルヤ洞窟の壁画よりもずっと古い洞窟も見つかっています。こうした気付きがあってから「なぜ人は絵を描くのか、自分がなぜ絵を描きたいのか」を考えるようになりました。

ハンス:ペインティングにおける根本的な問いかけですね。あなたが美術史家のゾエ・スティルパスに取材されている記事を読みました。その記事で、子どもだった頃にもうすでに黒のインクが好きだったと話していましたね。

ピエール:子どもの頃の話ですよ(笑)。5歳か6歳の時、パンをインク壺に浸していて、「一体、何をしているの?」と聞かれた時に、私は「雪」と答えたんですね。黒のインクがなぜ雪なのか……。みんな私の「雪」を見て笑ってくれたことを覚えています。この「雪」のことはみんな覚えていて、私が画家になる前、みんなで集まったことがあるのですが、この時の話をしましてね。ちょっと変わったヤツだとみんな思っていたはず。

ハンス:コンピューターにはインク壺が必要ないので、今では全く違った意味を持っているように思います。

ピエール:そうですね、全く違うでしょうね。でも、“黒”はなくなっていませんよ。

ハンス:白と黒。この極めてシンプルな色で表現するのはなぜでしょう? ドイツのペインター、ラルフ・フレックがおもしろい考察をしていました。白と黒を使うのは、物資が少なかった戦後のことを忘れてはいけないからだと。あなたが黒を使う理由に、戦争が関係あるのでしょうか?

ピエール:いや、何の関係もありません。5歳の時、黒が好きだったということにも理由なんてありませんでした。単純に黒という色がきれいに見えたし、きれいだったという理由でした。

ハンス:外から影響されたものではなく、内面から生まれた美的感覚だったわけですね。

ピエール:そうです。状況とか、政治的な意味合いなどは全くありません。その上、色における象徴的意義を示すこと自体、私にとってはすでに古い考え方です。あいまいな象徴的意義です。例えば、私達の文明において、黒は喪を表しています。しかし、歴史を辿るとほとんどの文明がかつては白でした。子どもの頃、色彩が濃いという理由で黒が好きでした。他の色と一緒に黒を配置すると、他の色がより一層明るく見えたり、それにグレーと黒を組み合わせると、グレーの度合が減り、くすみが少なくなったりと、不思議な色だなと思っていたんです。

ハンス:制作について教えていただけますか? 絵を描いているのは朝や午後になりますか?

ピエール:これはまたビックリさせる質問ですね、私は公務員じゃないんですよ(笑)。

ハンス:では、描きたくなったら描くという感じですか? アーティストや作家の中にはかたくなにルーティーンを守っている人もいますよ。

ピエール:私の場合は違っていて、気分がのったり、時間に余裕があれば、昼でも夜でも関係なくやっています。

ハンス:決まったスケジュールで仕事をするのではなく、描きたい時に絵を描いているというのは大変おもしろいですね。

ピエール:絵を描くだけでなく、本を読んだり、調べ物をしたりと、興味のあることを始めたらずっとそれが続き、時には深夜の3時になっていたということも多々あります。最近だったかな……。ここで寝泊まりしていた友達が深夜の3時に私が起きているのを見て「こんな遅くに何をしているの?」と聞いてきたんですね。私は「寝ようとしているんだけれども眠くないんですよね。あなたもこんな時間にどうかしたの?」と彼に聞くと「僕も同じですよ。ちょっと1杯やりましょうか?」と言うので、深夜の3時にシャンパンを飲んでいたことがありましたね。

ハンス:絵を描き始めたら、その日のうちに完成することが多いのですか? それとも数日間に及ぶこともありますか?

ピエール:長い時間かかってしまうこともあれば、短時間で描いて、これ以上描くことがないと思う時もあります。それがいいんですよね。定時勤務の公務員とか製造業の場合はどちらも超過勤務分というのがあります。私の場合はそのどちらでもないというか。

ハンス:あなたの作品は正面だけでなく、角度を変えて観ると印象が変わっていきます。

ピエール:そうですね、美術館やギャラリーで展示する私の絵は基本的に固定されていますが、絵の周りを歩き回って観ると、また違って観えるはずです。

ハンス:まるでステンドグラスを観ているかのように、同じ光景を2度と観ることがないのがあなたの作品の特徴です。

ピエール:そうですね。でもステンドグラスの場合は、さらに朝の光と夕方の光でも全く異なる表情に変化していきます。

ハンス:絵とは違うんですか?

ピエール:はい、違います。ステンドグラスの色は、時間の経過を示しているため1日中変化しています。ステンドグラスというのは、時計のようなもので、時間の流れや経過を教えてくれるものです。考えることをやめさせない、先人のトリックみたいなものですね。

ハンス:時間の概念は、あなたの作品でも表されています。

ピエール:もちろん。光を使って作品にする瞬間から、時間が関係してくるのは当然です。

ハンス:黒で覆われた絵画のウートルノワ(黒を超えた黒、Outrenoir)という名前は、どのように思い付いたのですか?

ピエール:私は芸術的ではなく、視覚的かつ物理的な現象を引き起こすプロセス自体に興味を持ちました。ウートルノワというのは芸術的な現象、つまり物理的な現象が私達の中に引き起こす美的感覚を表現したものです。では、美的感覚とは何か? 簡単にいうと、それは私達に喜びをもたらしてくれるもの。肉体的にも精神的にも“感動”をもたらしてくれるもの。結論として、「私達はなんで絵を見ることが好きなのか?」ということにつながっていく。

ハンス:感情を生み出すために描かれているからではないのですか? 夢を見させるということは許してくれるというか……。

ピエール:そうです。でもどんな感情なのか。 私はこの現象が精神的にもある影響を受ける可能性があるという事実に興味を持ち始めたのです。だから名前をつける時に、黒という単語だけでは不十分でした。Outre-Rhin(ラインの向こう)はドイツを意味し、outre-Manche(海峡の向こう)はイギリスを意味するので、Outrenoirは“黒を超えた黒”。つまり黒以外のものです。

ハンス:ゾエ・スティルパスとのインタビューで、あなたは今日における絵画の可能性について言及していました。絵画は夢を見させる。絵画は人間らしい感情を増幅させることができる、だから絵画があると生活がもっと有意義になると。だからこそ絵画が今の時代に必要なのだと。つまりあなたにとってのペインティングというのは、単に色合いがきれいだと楽しむものではなく、むしろ、絵画と向き合い、観察することを必要とするものだと。

ピエール:絵画を観ることは、ある種鏡を観ることと似ています。つまり自分自身と向き合う媒体です。私自身うまく説明できないことがありましてね、それは私が作品を展示していた会場で起きたことなのですが。涙を流している人達がいるんです。

コレット・スーラージュ(以下、コレット)そうなんです。

ピエール:ええ。実際、私の作品を観てくれた多くの人達から「あなたの作品を観ていると涙が出てきます」というような内容の手紙をいただきます。私がストラスブールで初めて作品を展示した時、1人の女性から手紙を受け取りました。私は彼女の事情を知りませんでしたし、実際に会ってもいません。しかしその手紙にはこのようなことが書いてあったんです。「コンク修道院であなたのステンドグラスを見ました。20世紀に作られたものが2世紀から存在する建築物に調和していることに大変な感動を受けました。それからというもの、私は定期的に修道院に行っていますが、毎回違う感動を得ています。その後、あなたの作品がポンピドゥー・センターにあるということを聞いて行ってみたんです。展示室に入ると、自然と涙が出てきました。作品を観れば観るほど涙がどんどんあふれてくる。展示会場の最後の部屋に辿り着いた時は、立ってはいられないほど泣いていました」と。

ハンス:彼女はものすごく特別な体験をされていますね。

ピエール:手紙はこのように続きます。「あなたの作品がなぜそんなにも私を感動させるのかということについてずっと考えてきました。明確な答えは出ませんが、きっとあなたが全身全霊をもって作品を描いているからだと思います」と。このことについてあまり詳しく話したくありませんが、とにかくその後も同じような手紙を4通も5通も受け取りました。手紙だけではありません。ポンピドゥー・センターのディレクターをしていたアラン・セバンが私に連絡をしてきたことがあって、「展覧会に多額の寄付をしてくれた人にお礼をしたいと思っているのですが、あなたも参加してくれないですか?」という内容の相談を受けました。私はもちろん参加しました。みんなとても優雅で、女性も男性もドレスやスーツで着飾っていました。私は、友人と約束があったため、少しの間会場から出るためにエレベーターに乗って下に降りたんです。1階のフロアに到着すると、ある1人の男性と出会ったんです。45歳くらいで体格がしっかりした男性でした。「こんなところで申し訳ありません。ただあなたにこうしてお会いできて、とても嬉しくて……声をかけてしまいました。あなたの作品がとても好きなんです」と私に伝えてくれたんです。それに対して私も感謝の言葉を述べました。彼は「あなたの展示を2度ほど観にいったことがあるのですが、その度に泣いてしまうんですね」と言うんです。私には、しっかりした体格の男性から涙が出てる姿が全く想像できなく、ビックリしてしまい、彼の名前すら聞くことを忘れてしまったんですね。

ハンス:呆然としてしまったんですね。

ピエール:その後、私達はそれぞれの車に乗ったわけですが、私はいろいろな人達が私の絵を観て涙を流すという“反応”自体に興味を持ち始めたんです。このことを美術史家のピエール・エンクレーヴに話したことがあります。「なにも彼らだけじゃなく、私も展示会場で泣いている人を見たことがありますよ。ある女性なんかは決まって金曜日の同じ時間に何度も来て、涙を流していましたよ」と。

ハンス:非常に珍しいことですね。きっとそれほど人の心を動かしたんでしょうね。

ピエール:問題は「なぜ涙が出てしまうのか?」ということです。きっとそれらは彼らの奥底にある“何か”に触れたんだと思います。 奥底にある「アートとは何か?」ということに。それは単純な構造や明快なものではない。私達を超えて存在する重要な何かなんでしょうね。

ハンス:とても感動的ですね。

コレット:私が本当にビックリしたのは、ピエールの絵を観る子ども達の目です。何かに取り憑かれたようにピエールの絵を観る彼らの姿は未だに忘れることができません。

ハンス:私も見ましたよ。ボーブールで開催されたエキシビションの時でした。観客がとても若く10歳か12歳の子ども達もたくさんいた素晴らしい展示でした。

コレット:ええ、子ども達はなぜかピエールの作品に興味津々なんです。

ハンス:ラルフ・フレックが自身の本の中で、あなたの白黒の絵画について書いていました。デジタル時代における0(ゼロ)と1(ワン)だと。そこで思ったのが、コンピュータの出現があなたのアートにどのような変化をもたらしたのか。デジタル技術があなたにもたらした影響は何かありましたでしょうか?

ピエール:コンピュータでは太陽を変えられませんよ。

※Full interview published in Pierre Soulages by Robert Fleck et Hans Ulrich Obrist, Manuella Editions, Paris, 2017

ピエール・スーラージュ 
1919年フランス・ロデーズ生まれ。現在はフランスのセテとパリを拠点に活動する。ピエール・スーラージュは、そのキャリアのすべてにおいて黒という色と向き合い、絵の具を広げ、刷毛で塗り、時には自作の道具を開発し、独特な光の効果を生み出す。昨年、100歳を迎えたピエール・スーラージュは、百寿を記念してルーヴル美術館にて新作を含む彼の作品の回顧展が開催された。

Interview Hans Ulrich Obrist
Photography Joe Hage
Artworks Perrotin Gallery

author:

Hans Ulrich Obrist

パリ市立近代美術館キュレーターを経て、2006年からロンドンのサーペンタイン・ギャラリーのアーティスティック・ディレクターを務める。91年の展覧会「World Soup(The Kitchen Show)」以来、300以上の展覧会をキュレーションしてきた。主な書籍として『キュレーションの方法』(河出書房新社)や『ザハ・ハディッドは語る』(筑摩書房)、『プロジェクト・ジャパン メタボリズムは語る…』(平凡社)などがある。

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