Elle Teresa Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/elle-teresa/ Wed, 23 Jun 2021 09:29:33 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png Elle Teresa Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/elle-teresa/ 32 32 「ルイ・ヴィトン」とヒップホップの関係性を振り返る/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第10回 https://tokion.jp/2021/06/24/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol10/ Thu, 24 Jun 2021 06:00:33 +0000 https://tokion.jp/?p=38994 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第10回は「ルイ・ヴィトン」とヒップホップの関係性について、同ブランドの軌跡とストリートミュージックの表現者たちのリリックを通して読み解いてく。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

第10回から論じていくのは、ヴァージル・アブローがメンズの、ニコラ・ジェスキエールがウィメンズのアーティスティック・ディレクターを務める「ルイ・ヴィトン」。多種多彩なカルチャーと共振してきた同ブランドとヒップホップの関係性や、ストリートミュージックの表現者たちのリリックに表れる表象を読み解いていく。

多様なカルチャーと異種配合を繰り返してきた「ルイ・ヴィトン」

レコーディングの前に必ず買い物をするというJP THE WAVYは、インタビューで次のように告白する。

例えば、前のアルバムに入っていた「Stay」って曲は、スタジオに入っても全然書けなくて、「やばい、どうしよう」って状況になって、「ちょっと1回、(ルイ・)ヴィトン行ってきます」ってタクシーに乗って、ルイ・ヴィトンでサングラスを買って戻ってきたんです。そうしたらリリックがバーっと全部書けたんですよ(笑)。
出典:GQ JAPAN「JP THE WAVY×LEX対談──2人の出会いや制作秘話から、ファッション観までを語る(前編)」

「ルイ・ヴィトン」とアーティストたちは常にインスピレーションを与え合ってきた。ゆえに、このメゾンが私たちにサプライズを届けないシーズンはない。先日もBTSの新アンバサダー就任のニュースがリリースされ、ヴァージル・アブローは「ラグジュアリーとコンテンポラリーカルチャーの融合、まさしく私たちの新たな章の幕開け」とコメントした。同時期に都内にて開催されていた展覧会「LOUIS VUITTON&」も記憶に新しいが、“コラボレーション”がテーマになっていた本展示は、時代やジャンルの壁を越えて自由な旅を続けるこのブランドがたくさんの話題性を振りまいてきた歴史をとらえ編纂していた。その歴史とは、特にモードファッションへ参入した1998年以降、多様なカルチャーへと接近し異種配合を繰り返してきた軌跡である。「ルイ・ヴィトン」にアクセスすることは、もはや古典から現代アートまでの芸術文化を観光/鑑賞するような旅体験である――そう言わんばかりの自信と、めくるめく時代の革新を再定義するプレゼンテーション。それら影響源の1つとして、間違いなく音楽も挙げられることだろう。例えば当時アーティスティック・ディレクターだったマーク・ジェイコブスのオファーにより実現したサングラスやジュエリーでのファレル・ウィリアムスとの協業、キャンペーンで広告に起用されその世界観の演出に一役買ったマドンナやキース・リチャーズ、デヴィッド・ボウイ等との共演は、今でも私たちの記憶に焼きついている。

2000年代半ば以降は、ポール・エルバースやキム・ジョーンズのメンズディレクター就任によりメンズウェアの人気を着実に築いたのち、ヴァージル・アブローの手腕によってヒップホップ分野での人気もさらに盤石なものとなっており、その“旅”の行方はますます境界線なく進んでいるように見える。まさに今シーズン、2021メンズサマーコレクションにおいては21サヴェージのイメージモデル起用もあった。ボーダーラインをにじませ曖昧にしていくようなダイバーシティ的価値観が水彩画の手法によって表現され、それらを装いながらたたずむ21サヴェージの姿を見ると、このブランドが国境と人種の壁を越えて愛されていく未来をヒップホップカルチャーに託しているようにも映る。

MEN’S 2021 SUMMER CAPSULE COLLECTION | LOUIS VUITTON LOUIS VUITTON

ヒップホップは「ルイ・ヴィトン」をどのように綴り歌ってきたか

一方でヒップホップ側からブランドへのラブコールはというと、その最たるものがカニエ・ウエストであることは間違いないだろう。他にも2 Chainzが「Birthday Song」(2012年)で「グッチ」と並び「ルイ・ヴィトン」を「When I die, bury me inside the Louis store」とまで崇めたように、多彩な意味性を擁した“ラグジュアリーブランドの王様”のごときこのブランドをリリックに参照した例は非常に多い。

2 Chainz – Birthday Song ft. Kanye West (Official Music Video) (Explicit Version)

それは国内においても同様で、まずは紋切り型の用法として“贅沢品”としての意味付けを多く探すことができるだろう。例えば、代表例はNORIKIYO「Hey Money feat.ZORN,ACLO&OMSB」(2014年)である。日常の仕事や家族との慎ましやかな暮らしに理想の生活を見る価値観が謳われている本曲において、白いシャツとパンツという飾らない服装に対比して挙げられるのが「ヴィトンドルガバ/今じゃパジャマ化」というラインだ。同様の記号性は「貧乏なんて気にしない」(2014年)でKOHHによっても「大金持ちでも心の中が貧乏じゃ意味無い/わざわざ見栄張って/値段が高いルイ グッチ ヴェルサーチ/本当に必要な物以外全く必要じゃない」とライムされる。

NORIKIYO / Hey Money(Remix) feat. ZORN, AKLO & OMSB
KOHH – “貧乏なんて気にしない” Official Video

並んで、「ルイ・ヴィトン」をいわゆる“ブランド”の代名詞としてとらえたケースも観察される。“ネオチンピラ”を名乗る兄弟ラッパーGOBLIN LANDは「アイコンはGL/ブランドなる俺/LOUIS,GUCCI,FENDI,Chrom,BG,PRADAみたい俺らが流行る/俺らが流行る」(2019年「icon feat. Mackey」より)というラインで“ブランドなるもの”の筆頭に「ルイ・ヴィトン」を挙げ、自分たち自身がブランドであると同時にアイコンであるとも主張することでLVのロゴを視覚化する。

GOBLIN LAND – icon feat. Mackey (Prod. ZOT on the WAVE)

この手法はElle Teresaが「アタシの事好きならこっちにおいでよ/ティファニーみたいな私とも」(2018年FEMM「Dolls Kill feat.ELLE TERESA」より)と告げることで自らとブランドをイコールで結んだ芸当に近いが、GOBLIN LANDの例は「ルイ・ヴィトン」がラグジュアリーブランドの代表格でありつつそのアイコンの記号性が我々の知覚にしっかりと刻印されているからこそ成立する方法であろう。

FEMM – Dolls Kill feat. ELLE TERESA (Music Video) Prod. LAZ¥$TAR

BAD HOPやKOWICHI、YDIZZYらの巧みな押韻アプローチ

多くの意味内容を持ち合わせているがゆえにリリックへと多用される「ルイ・ヴィトン」だが、実はそれらを言語芸術としてのラップフォームに紛れ込ませることについては多くのラッパーが四苦八苦しているように見受けられる。「グッチ」と違って、この「ルイ・ヴィトン」という音がなかなか料理の難しいワードであることは容易に想像がつくだろう。結果的に、優れたラッパーたちは音を切り取り/変形させることでその道を切り拓いてきた。そこで凝らした工夫とはつまり、「ルイ・ヴィトン」を「ルイ」「ルイヴィ」「エルヴィ」と短縮させることによる打開である。前掲のGOBLIN LANDがまさにその例だが、他にもBAD HOPの「Foreign feat.YZERR&Tiji Jojo」(2019年)では「プラダにルイ/シャネルのブーティー」で「ブーティー」と踏むために「ルイ」が選択されている。

BAD HOP – Foreign feat. YZERR & Tiji Jojo / Prod. Wheezy & Turbo (Official Video)

「エルヴィ」の用法としてはKOWICHIの「No Lease」(2019年)を挙げたい。「借り物じゃない/洋服とかジュエリー/借り物じゃない/Versace FENDI GUCCI LV BALENCIAGA」というように、彼はラグジュアリーブランドのアイテムを購入できるようになった成功者の様子をブランド名を羅列しライムするのだが、「ヴェルサーチ(ェ)」「フェンディ」「グッチ」との脚韻を果たすために「エルヴィ」と詠まれていることがわかる。

KOWICHI – No Lease (Official Video)

中でも、近年の国内ラップミュージックにおいて最も官能的に「ルイ・ヴィトン」が処理されたのは、YDIZZYの「OOOUUU(REMIX)」(2016年)ではないだろうか。同年にYoung M.Aによってストリートで絶大なヒットを記録し多くのラッパーがビートジャックで反応したナンバーだが、原曲に見られる小節ごとのシンプルな脚韻を踏襲しつつもYDIZZYはこのリリックを自身の色に染め上げ、スリリングな魅力を与えることに成功している。「笑わせんな根暗/早口ことばすごい/なんも食らわない/寝てな終わり」というラインで言い放つ通り、ゆったりとしたリズムで丁寧にライムすることで早口ラッパーの面々をけん制しつつ、そこで展開されるのは「kiLLaははばたく準備/これは初めの前戯/先を見据えた行為/からだにつけたダイヤとLV」というラインである。「準備→前戯→行為→ルイヴィ」という順で踏まれ、かつLVを纏うものとして「からだ」というワードが挿入される。流れるような情景描写と卓越した構成力は、当時東京ストリートシーンで最大の注目を集めていたYDIZZYのセンスが凝縮されている。

YDIZZY – OOOUUU(Remix)

「炎」へと投げ込まれる「ルイ・ヴィトン」

もう一例、アクロバティックなテクニックが披露されるDJ CHARI,DJ TATSUKI「YAKEDO feat. Candee & OGF Deech」(2020年)にも触れておくべきだろう。前述の例からもわかる通り「i」で受けることでその他ブランド名との脚韻を行いやすい「ルイ・ヴィトン」だが、ここでは「CartierにBurberry/Amiriに巻くLouis Vuitton/触れられない誰にも/まるで俺は炎/煙昇る街 俺らが火元/次から次へと残してくヤケド」というヴァースにおいて、前半は「バーバリー」「ルイヴィー」と「i」の長音で受けつつも後半は「(ルイヴィー)ト(ン)」と「炎」「火元」「ヤケド」の「o」で受ける展開が見られる。「i」と「o」の押韻をつなぐブリッジの役割として「ルイヴィート(ン)」は存在しており、テクニカルな用例として、また外せない存在としてのこのブランドの立ち位置に注目させられるのだ。

DJ CHARI,DJ TATSUKI – YAKEDO feat. Candee & OGF Deech

「カルティエ」等のラグジュアリーブランドと一緒に並べられつつも、その後「炎/火元/ヤケド」という火の中に投げ込まれるLouis Vuittonだが、最後に1つの補助線を添えつつこの回を終えたい。実は、この描写が持つドラマ性を激しく増幅させるような1つの作品があることをご存知だろうか。ヒップホップを愛するあなたであればすでにお気付きであろうその曲とは、同じく2020年にリリースされ、光と暗い影が画面を覆いつくす禁欲性に支えられた1本のMVを指している。カメラによってえぐり出される抗い難い感情の揺れ、煙のごとく不安定に漂う情緒を頼りに、次回は「ルイ・ヴィトン」と「炎」の関係性について論を進めていきたい。

lustration AUTO MOAI

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「シャネル」がストリートミュージックの文脈で出会う「意外な相手」とは/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第6回 https://tokion.jp/2021/02/27/shockwaves-in-music-and-fashion-vol6/ Sat, 27 Feb 2021 11:00:46 +0000 https://tokion.jp/?p=20515 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第6回は、ラッパーたちが「シャネル」と関連づけて綴り歌ってきた「意外な相手」について。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論――トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

第6回の主役となるのは、前回に引き続き「シャネル」。現代のストリートミュージックの文脈において、ラッパー達が同ブランドと関連づけて綴り歌ってきた「意外な相手」について、リリックを参照しながら紐解いていく。

前回N0.5では、「シャネル」がショーやコレクションにおいて女性讃美や独自の比喩性、快楽性を表現してきたメゾンであり、それら要素が現在ストリートで人気を博しているFrank OceanやBAD HOPらアーティストの紡ぎ出すリリックにも表徴されていることを明らかにした。

今回は、もう一歩踏み込んだ分析を進めていきたい。以前No.4でリリックにおける「グッチ」と「ビッチ」の蜜月について論じたが、「シャネル」にもそういった親密さを共有する相手が存在する。現代のストリートミュージックの文脈で「シャネル」を語る際に避けて通れないその相手こそが「コカイン」であり、「ココシャネル」と「コカイン」という2つのワードは一見遠くにありそうで決して遠くない、興味深い連関を見せている。

「ココ」という言葉が指し示してきた、もう一つのもの

古くはEric Claptonの「Cocaine」などコカインについて歌われた曲は多いが、近年はラップミュージック、中でもコカインと言えばO.T.Genasisによるいくつかのナンバーが想起されるだろう。特に、2014年にリリースされLil Wayneもビートジャックで反応した大ヒット曲「CoCo」はコカインの隠語を指す「ココ」がそのまま曲タイトルになっており、「ココ」は「ココ・シャネル」という固有名詞や「魅力的な女の子」という意味だけでなく「コカイン」までをも捉えた幅広い意味内容を指し示すものとして世界中に認知されていった。

O.T. Genasis「CoCo」

この「ココ」の意味拡大は、国内のラップミュージックでも散見されるようになる。DJ PMXが2017年にリリースした「MAKE MONEY feat.ONE-G,Kayzabro (DS455),KOWICHI」(『THE ORIGINALⅢ』収録)では、次のようなリリックが読まれている。

「シャネル、フェンディ着てフレンチでドンペリ/どうぞEnvy me/でKushかCokie Cokies/Cali産のBae/超いいWoo Weee/ちょっと待ったHold on/もうすでに上々/万券丸めてどうよ/I’m in love with the Coco」

DJ PMX「MAKE MONEY feat.ONE-G,Kayzabro (DS455),KOWICHI」

「I’m in love with the Coco」のCocoはコカインを指しており、同ヴァース内に「シャネル」が配置されることで「シャネル」と「Coco」はやや遠い距離を越えて見事に結ばれる。「ココ」の持つ幅広い意味内容が凝縮された大胆なリリックであるが、その発想をさらに推し進めたのが、同時期にドロップされたElle Teresaの「CHANEL feat. Yuskey Carter & ゆるふわギャング」だろう。本曲はタイトル通り「シャネル」について歌う曲でありながら、巧妙なメタファーによって「ココ=コカイン」についても語られる複雑な構造を有している。

Elle Teresaとゆるふわギャングが綴り歌ったリリックの比喩性と快楽性

Elle Teresa「CHANEL feat. Yuskey Carter & ゆるふわギャング」

「CHANELのウォレット/四次元ポケット」「ピンク 水色 紫 黄色」と呼ばれる“それ”は一見カラフルな「シャネル」の財布について歌っているように見えるが、「可愛いあの子が欲しがるCOCO/使い過ぎたら危ないCOCO/キマるCHANELはオシャレじゃない方/ハマりすぎたら危ない中毒」というヴァースを経ることで徐々にそのメタファーが紐解かれていく。続いてゆるふわギャングは「お財布に入れとく大事な物/好きな監督もちろんタランティーノ/私が主役のそうパルプフィクション」「君はイカれてるミア・ウォレス」「真っ白い雪の中踊る姫」と続け、映画『パルプフィクション』で描かれた、ミア・ウォレスがコカインと間違えヘロインを吸引しオーバードースを起こすシーンが引用される。

タイトルを「CHANEL」と置き、シャネルのウォレットを四次元ポケットに喩え、ポケットに隠された真っ白い雪=コカインをCOCOと呼び、ここまでの一巡で「ココ・シャネル」を完成させた上で、四次元ポケット=ドラえもんの道具のように自由自在にハイになれるコカインを暗喩させる。そしてMVでは「シャネル」のロゴとドラえもんのアニメーションがイリーガルに切り貼りされ、コカインの非合法性がより強調される。

幾層にも重ね構築された比喩性にとどまらず、さらに本曲には「シャネル」特有の女性讃美と快楽性も十分に読み取ることができる。「わたしにとっては、自分より強い男と暮らすことは、できない相談です」(髙野てるみ『ココ・シャネル 凛として生きる言葉』PHP文庫、2015年)というココ・シャネルの発言にもある通り、「シャネル」は女性をエンパワーメントする存在としてブランドのパーセプションを創造してきた。それは衣服製作においても同様であり、かつてないほどのラディカルな手つきで女性の活動しやすいフォルムや素材を取り入れ、着衣した際の身体の快楽性を世に広めてきた歴史は前回no.5ですでに述べた通りである。

本曲で「大人の女性に憧れ/ちょっと背伸びして今日はCOCO CHANEL」と描写

される主人公は、一方で男性からは「真っ白い雪の中踊る姫/もちろんキツめな顔でキメキメ/俺は君のためならすぐに死ねる」と称される。「ココ」の摂取でトリップしていく物語の裏で、女性としての「ココ」の魅力に中毒になり堕ちていく男性の物語、女性讃美が歌われるのだ。と同時に、軽快に押韻がなされた単純なリリックと、コカインによって蝕まれた身体を表現したかのような空洞化したトラップのリズムは、幼児退行を重ねながら快楽の極致へと聴く者を誘い、痙攣させたまま、ひたひたの薬漬けにしてしまうような魅力を放っている。

「シャネル」に対する“正しい”オマージュの捧げ方

本曲を論じるにあたりもう一点、「シャネル」が果たしたブランドマーケティングについての功績にも言及したい。ココ・シャネルはメゾンの商品を同業社から模倣されることを厭わないスタンスだった――つまりコピー品を容認していた、というエピソードがある。「最高級の品質を保ち続けていれば、コピーされることなど怖くはなかったからだ」(横田尚美『20世紀からのファッション史 リバイバルとスタイル』原書房、2012年)というのは全くの正論だが、それは広く大衆までコピーが出回りつつも、一方でヒエラルキーの最上級としてのブランド価値は増幅され続けるという、ブランドビジネスなるものの正体を的確に捉えていたこそのスタンスである。同様に、「CHANEL feat. Yuskey Carter & ゆるふわギャング」を捉える上でも、“コピー品”という側面に着目したい。本曲はKodie Shaneの「Drip On My Walk」を流用したビートジャック曲であり、トラックだけでなくフロウも当時USで流行していたスタイルを大胆に借用した、まさに“コピーに徹した”作品であった。その曲のテーマを「シャネル」に置いた策略は見事であり、先に述べた「シャネル」の本質を突いた、この上ない“正しさ”を持った行為であったと言えよう。

最後に、ここまでたどり着いたあなたは、脳の刺激と身体の快楽に身を委ねながら、Awichが2017年にリリースしストリートの話題をさらった曲「WHORU?  feat. ANARCHY」に耳を傾けてみるのも良いだろう。「街の喧嘩小僧/ダチは前科者/見てきた色んなもの/Chanelに取り憑かれた女の子/物が溢れてる/影にいい物が隠れてる」というリリックで、ここでもまた「シャネル」はブランドとしての意味/コカインとしての意味を投影されることとなった。ブランドという物欲に溺れること、薬物に溺れること、その中毒性、脱出することのできない嗜癖――アディクション。「シャネル」はますます、ストリートで、インターネットで、様々な意味変容を起こしながら、音楽作品に対して物語性を付与していく。

Awich「WHORU? feat. ANARCHY」

ところで、音声としての側面においては、「シャネル」は音楽に対しどのような貢献をしてきたのだろうか?次回は、「シャネル」にまつわる押韻をつぶさに分析しながら、時代を彩った数々の楽曲に隠された“音”の秘密を暴いてみよう。

Illustration AUTO MOAI

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連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第5回/「シャネル」が提示してきた価値観と、同ブランドをリリックに綴り歌ってきたアーティスト達について https://tokion.jp/2021/01/18/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol5/ Mon, 18 Jan 2021 06:00:49 +0000 https://tokion.jp/?p=17107 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第5回からは、「シャネル」のクリエイションの本質と、同ブランドをリリックに綴り歌ったアーティストについて論じていく。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回までの「ヴェルサーチ」「グッチ」に続き、考察の対象はこの第5回から「シャネル」へとシフト。同ブランドが提示してきたクリエイションの本質について、そしてその価値観に呼応・共振しながら「シャネル」をリリックに綴り歌ってきたアーティスト達について、論じていく。

アイデンティティを大切にしながらも革新をやめない「シャネル」と、フランク・オーシャンのリリックが交差するところ

2017年3月、パリにて開催された「シャネル」の2017-18AWコレクションは近年私が最も衝撃を受け痙攣してしまったファッションショーで、それは何も崇高なメッセージ性が発信されていたという類いのものではなく、単に馬鹿馬鹿しいまでの俗っぽいメタファーを巨大なセットで表現するという、全力で陳腐なことをやり切るカール・ラガーフェルドらしさが最も詰め込まれた素晴らしいコレクションだったからである。

CHANEL “Fall-Winter 2017/18 Ready-to-Wear CHANEL Show”

宇宙にインスパイアされたフューチャリスティックな世界観のもと衣装や小物が作りこまれ、ランウェイの中央には巨大なロケットが置かれている。一見いつものエレガントでエンターテイメント性あふれる大掛かりな「シャネル」のショーなのだが、目を凝らして見てみよう、煌めくシルバーが輝いた衣装や、トップにボリュームが入ったヘアスタイルはどこかヘヴィメタルバンドを思わせる風貌であり、フィナーレへ進むにつれて彼女らモデルが円になり、囲まれた巨大なロケットが白い煙を上げて発射するさま――エルトン・ジョンの『ロケット・マン』をBGMに――という演出は、男根とセックスをテーマにした、どこまでがジョークでどこまでがアイロニーなのか判別しにくい、そのシュールさに笑うしかない大胆なパフォーマンスだった。

長年カール・ラガーフェルドが作りこんできた「シャネル」のショーは、数々の(時に笑ってしまうくらい俗っぽく、時に清々しいくらい陳腐な)メタファーを生み、観る者のファンタスティックな想像を誘発してきた。それは、ココ・シャネルが導入したブランドのシグニチャーを構成する要素――ツイードやレース、ジャージー素材、黒の世界観といった数々の“縛り”をベースにしながらも、最新のモードを更新していくためにメゾンが選択した最適な手法だったのかもしれない。

周知の通り「シャネル」は女性のためのブランドであり、ココ・シャネルは20世紀のポピュラーカルチャーを象徴する偉人の1人として、その生き方自体に大きな意味性を付与されてきた。女性らしさを駆動する存在としての立ち位置は、「シャネル」が数多のポピュラー音楽で同様の言及をされていることからも証明されていて、例えばそれは大森靖子の『絶対彼女』にある「よそ行きで使うシャネルのリップも/いつかはぬってあげたいな/絶対女の子がいいな/絶対少女」といった歌詞でもことさらに強調されている通りである。

大森靖子「絶対彼女」

「シャネル」は近年スニーカーやコスメといったカテゴリーにおいて男性へのマーケティングにも注力しており、ファレル・ウィリアムスがブランドアンバサダーに起用されたのは記憶に新しい。JP THE WAVYなど「シャネル」を積極的にファッションアイテムに取り入れるラッパーも多く、中でも最も印象的だったのはFrank Oceanがその名も『Chanel』というタイトルの曲を発表したことで、奇しくもそれは「シャネル」の2017-18AWコレクションが開催された数日後のことだった。

「シャネル」が女性のブランドとしてのアイデンティティを大切にしながらも近年男性にもファン層を拡大していること、そして多くのメタファーを重ねながらショー演出をしてきたこと、それらの文脈の上でFrank Oceanのこのリリックを聴くと、より一層の深読みが可能になる。

「My guy pretty like a girl/And he got fight stories to tell/I see both sides like Chanel=俺の彼氏は女の子みたいに可愛くて/でも男らしく喧嘩した話も持っている/シャネルみたいに両面が見える」

Frank Ocean「Chanel」

バイセクシャルとしての自らを語る際に、彼氏のキャラクターを“女の子らしさ”から“男の子らしさ”へ滑らせたうえで“シャネルみたいに”という比喩で受ける。その構造自体がまさに前述した「シャネル」の特徴に依拠したものであるが、ここでFrank Oceanが指しているのは当然ながら「シャネル」のロゴのことでもあり、例の左右対称から成るシンボリックなブランドアイコンが視覚的に浮かび上がることでリリックの立体性は一気に高まる。

実は国内において同様の芸当をやってのけたのが、かのBAD HOPである。『Asian Doll』において、「俺を困らすAsian Doll/全部君のせい/欲しがるシャネルにルブタン/バレンシアガにプラダ/いくら稼いでも足りない/全部君のせい」と歌いながら愛する女性に贈る物として真っ先に「シャネル」を挙げたうえで、次のヴァースでは「夜はベッドで遊ぶ/まるでCHANELのロゴ」と続ける。彼女と自らを「シャネル」の“C”に見立て、それらが絡み合うロゴを視覚化させることでリリックの解像度を高めたこの手法は、(意図的ではないにせよ)「シャネル」の本質を的確に捉えたものであろう。

BAD HOP「Asian Doll」

Elle Teresaが綴り歌った、女性賛美と“ココ・シャネル的快楽性”

さらに、「シャネル」は身体的な心地よさを追求するブランドでもある。かつてココ・シャネルは「ファッションがジョークになってるわ。服の中に女性がいるってこと、デザイナーは忘れてしまっている。大抵の女性は男性のために、そして褒められたくて装う。でも自由に動けなければいけないし、縫い目を破かずに車に乗れなくちゃいけないのよ」(ブロンウィン・コスグレーヴ著、鈴木宏子訳(2013年)、『VOGUE ON ココ・シャネル』ガイアブックス)と語り、それまでの常識であったコルセットで身体を縛りつけるデコラティブでゴージャスな衣装を厳しく批判した。新たに始まったアール・デコ時代の幕開けを飾る彼女の機能性に長けたスタイルは、活動的な女性の日常を考慮した衣服として男性中心の美意識を過去に葬り、1947年ディオール“ニュールック”の登場まで、約20年間にわたり時代を先導していった。

それら「シャネル」の信念は現代にも脈々と息づいており、2017年に1人のフィメールラッパーによって、ファッションからやや飛距離のあるラップという手法で、再解釈されることとなる。『Make Up』という曲で「セーラームーンみたいにね/強い女の子/MAKE UP」「男社会の音楽HipHop/意味が分からない/主役わたし/ちょい役は無理/セーラームーン戦士とかみたいに変身」とストレートな女性讃美を訴求したラッパーこそがElle Teresaであり、この曲には、「シャネル」が守り続けてきた女性のためのブランドというアイデンティティはもちろんのこと、ココ・シャネルの信念であった“身体的な心地よさ”も、半ば強引に表現されているのだ。

Elle Teresa「Make Up」

メークアップブランドが羅列されるヴァースでElle Teresaは「Chanel Coco/Shu Uemura/PAUL&JOE/Saint Laurent」とライムする。ここでは「シュウウエムラ」との語感合わせを狙うためにわざわざ「ココシャネル」が「シャネルココ」と反転され、「シャネルココ/シュウウエムラ」という並びになるのだが、これは身体的な心地よさを追求する極めてココ・シャネル的な快楽性を優先したリリックであり、「シャネル」として、ラップミュージックとして、絶対的な正しさを有しているだろう。

「シャネル」というブランドが表現してきた女性讃美、比喩性、快楽性…それらの特徴が最大に活かされたストリートミュージックの例は他にも存在しており、次回はさらに詳細なアナリシスをお届けしたい。今回指摘されなかった「シャネル」の戦略――コピー品に対するスタンスについて――にも言及することで、その音楽のもつ“正しさ”を主張していく。

Illustration AUTO MOAI

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連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第4回/「グッチ」が提示してきた「セクシー」の変遷と、ヒップホップにおける「ビッチ」の意味変容の相関 https://tokion.jp/2020/12/14/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol4/ Mon, 14 Dec 2020 06:00:37 +0000 https://tokion.jp/?p=14315 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第4回では、「グッチ」が提示してきた「セクシー」の変遷と、ヒップホップにおける「ビッチ」の意味変容の相関を探る。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回では「グッチ」の「身軽さ」から拓かれたラップミュージックの表現の可能性を紐解いたが、この第4回では同ブランドにおいてトム・フォード以降の3人のクリエイティブ・ディレクターが提示してきた「セクシーさ」の変遷を振り返りながら、それに歩幅を合わせるように変容してきたヒップホップにおける「ビッチ」というワードの用法について、考察を進めていく。

「ビッチ」という言葉は「グッチ」というブランドの変化と歩幅を合わせ意味変容してきた

連載vol.3では「グッチ」というブランドの持つ身軽さがラップミュージックのリリックにも観察されることを明らかにしていった。優れた作詞家は感覚的にそういった“身軽さ”をつかむもので、実は1978年という時代に、松本隆が太田裕美の「茉莉の結婚」(『海が泣いている』収録)において「最初のスピーチは小夜子/ちょっぴり翳のある小夜子/あの頃名うてのおしゃれ狂いで/グッチのバッグを粋に抱いていた」と詠っている。

太田裕美「茉莉の結婚」

「ロエベ」や「バリー」ではないだろうし、1970年代の「プラダ」は長い低迷期に突入していたため、この小節にぴったりとはまる短い三音の、高級かつ上質な革製品のバッグであることを示す記号としてのブランドはやはり「グッチ」しかなかっただろう。音の小回りが利きつつもラグジュアリーであるという特徴は、多くのポップミュージックでアクセントとなりブランドの魅力を引き立ててきた。

中でも「グッチ」がその三音を「チ」の破擦音で受けることで猥雑さを生んできたという効果はすでに論じた通りだが、ここで避けて通れないのはやはり「グッチ」と「ビッチ」の蜜月についてであろう。「グッチ」というワードは「ビッチ」との押韻で頻繁に使われ、その擦り切れたような跳ねた破擦音で我々リスナーを痙攣させてきた。と同時に、「ビッチ」は「グッチ」というブランドの変化と歩幅を合わせるような形で現代言語史において大きな意味生成の変遷を辿ってきたとも言えるだろう。「ビッチ」という記号の持つ猥雑さの意味合いは、「グッチ」がもはや俗語として「かっこいい、イケている」という広い意味合いを持っていることと同じように、ますますビッグワードとして巨大化してきているのである。

3人のクリエイティブディレクターが提示してきた「グッチ」の「セクシーさ」とは

近年、私たちの中で、“性”の持つ猥雑さというものが大きく変わろうとしている。常に時代の先を見据えてセクシュアリティというテーマを表現してきた「グッチ」の変遷を辿っていくことで、その意味合いの変化は、華麗にひも解かれるに違いない。1994年にブランドのクリエイティブディレクターに就任したトム・フォードは、低迷していた「グッチ」に許される“上品”と“下品”の絶妙なバランスで大胆なセクシーさを表現し、センセーションを巻き起こし、結果的に莫大な利益を生み、ブランドを復活させた。フォード自身「グッチとして許されるぎりぎりのところまで、セクシー路線を進めていこうとしていた」(サラ・ゲイ・フォーデン著、実川元子訳『ザ・ハウス・オブ・グッチ』講談社、2014年)と語る、“ポルノ・シック”と呼ばれたそのクリエイションは、Tバック、ボディジュエリー等のアイテムを駆使しながら男女の間に立ち上がる高貴な肉体的セクシーさを表現することに成功した。

Gucci A/W 1996-1997

2005年からクリエイティブディレクターに就くことになったフリーダ・ジャンニーニは、「グッチ」の伝統的なコア価値を現代にアップデートさせることに苦心した。トム・フォードの功績によりブランドの1つの価値となっていたセクシーさを彼女も自身の視点で絶妙に表現したが、そのセクシーさは男女の間に立ち上がるものというよりは、むしろガールズ・コミュニティから弾ける瑞々しいきらめきとして昇華されていたのが興味深い。心躍るチャーミングなアクセサリーに始まり、新たにローンチされたレディースのフレグランスやコスメ。軽やかで自由なフリーダ・ジャンニーニの手つきは、「グッチ」に新しい価値を与えた。

Gucci Women’s Fall/Winter 2013-14 Runway Show

さらに今、アレッサンドロ・ミケーレによって、「グッチ」は新たな時代のセクシーさを探求している。そこにもはや性差はなく、空想のおとぎ話のような世界観が構築されているが、実はグロテスクな性のメタファーが潜んでいたりもするので侮れない。特に2018-19AWや2020SSのプレタポルテ・コレクションで見せたSMモチーフを彷彿とさせるアイテムはロマンティックなミケーレ・ワールドに隠れた暴力的な一面であり、極端な潔癖化が進む日常の中で性の概念がメタファーとしての存在しか許されず、息を潜めながらグロテスクに熟されていくしかないという現状を、如実に反映しているようである。

Gucci Spring Summer 2020 Fashion Show

Elle TeresaとSophiee、Tohjiらが「ビッチ」で表現するもの

そしてラップミュージックにおける「グッチ」の扱いも、「ビッチ」の指す意味変容とリンクしながら鮮烈な変化を見せている。本国USでの「ビッチ」の扱いに倣い、国内でも例えば2016年「KUNOICHI MONEY」においてフィメールラッパーのElle Teresa とSophiee自身が「グッチのベルト外すビッチは/もちろん私に決まってんでしょ」とライムしている。蔑称として一方的に投げかけられる「ビッチ」から、能動的にボースティングする「ビッチ」へ。大きな変化を遂げた「グッチ」と「ビッチ」をライムするこの曲はTikTokでも人気を獲得し、若い女性によって次々に拡散されていった。「グッチ」のベルトを見せつけながら茶目っ気たっぷりに映る女性たち。ついに、フリーダ・ジャンニーニの描いていた、フェミニンでガーリーなセクシーさを自由に謳歌する女性像に世の中が追いついたのである。

Elle Teresa & Sophiee – Kunoichi Money [Official Video]

さらに近年、ビッチの用法は男性にも拡大している。例えば、今や現行シーンにおける最重要ラッパーに成り上がったTohjiは、2019年にリリースした「On my own way」で「だるい奴の絡みそれはブッチ/俺の体に触るなよビッチ/金がないとこから買ったグッチ/俺は神の子 Yeahマジでビッチ/寂しそうにしてるお前ビッチ/お前泣かせてる俺もビッチ/全部が全部うまくいくように/やることやるだけ」とラップした。ZEEBRAが2002年に「Baby Girl」で試した「ブッチ」「グッチ」での押韻が17年の時を経てここで回収されるのだが、彼はそこに「ビッチ」を挟み、お前も俺もビッチであると吐露する。アレッサンドロ・ミケーレの探求しているジェンダーレスなセクシュアリティはTohjiによって着実にキャッチされているし、彼特有の極端に泥酔したような痺れたフロウは、ミケーレ印のグロテスクさにすら接近している。

Tohji – on my own way

あるいは、2020年に満を持してドロップされたKEIJUの傑作ファーストアルバム『T.A.T.O.』にも耳を傾けたい。本作に収録された哀愁感漂うナンバー「Play Fast feat.Gottz」においても、「グッチ」はその存在を刻印されていた。美しくはかないトラックに乗る「I don’t want no friends/I got gucci on my belt/早く走る毎日がRace/今は忘れたくないこと彫る体」というリリック。ストイックに紡がれていく言葉の果てに、KEIJUの美意識が水墨画の如く情景として浮かび上がる。こうして、今日もまたどこかで、「グッチ」はあらゆるラップミュージックの魅力を形作っていく。

KEIJU – Play Fast feat. Gottz (Official Audio) / Album “T.A.T.O.”

なぜヒップホップにおいて「グッチ」はかくも特権的たりえたのか

そもそもイタリアのファッションは、いかに日常にラグジュアリーを導入するかという提案をしてきた。「イタリア語のラグジュアリーはLussoだが、むしろそのラグジュアリー概念は「趣味の良さ(Gusto)」に近い。イタリア的な趣味の良さは、必ずしも特権階級だけのものというわけではなく、所得に関係なくあらゆる人々が身につけることのできる民主的なものである。」(小山太郎「グッチ・グループの形成」〈長沢伸也編『グッチの戦略』東洋経済新報社、2014年〉)とある通り、「日常でラグジュアリーなアイテムを身につける自分」を自慢げにラップするヒップホップカルチャーとイタリアンファッション、並びに「グッチ」は、非常に相性が良いと言えるだろう。だからこそ、「グッチ」は重要なブランドとして、これからもラップミュージックのリリックを豊かに、猥雑に、彩っていくに違いない。

そして、リスナーの身体を中毒に浸し痙攣を喚起するファッションブランドについてのリサーチは、次へと進んでいく。次回、私たちはフランスへと目を向けなければならない。昨年偉大なデザイナーを亡くした、あのメゾンについて。

Illustration AUTO MOAI

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連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第2回/KOHHやSALU、Elle Teresaのリリックにおける「ヴェルサーチ」の表象について https://tokion.jp/2020/10/18/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol2/ Sun, 18 Oct 2020 06:00:41 +0000 https://tokion.jp/?p=8482 国内のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主対象として、「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を考える連載コラム。第2回ではKOHHやSALU、Elle Teresaのリリックから「ヴェルサーチ」の表象を読み解く。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回はヴェルサーチというブランドが米ヒップホップシーンに与えた衝撃について論じたが、この第2回ではその舞台を日本へ転じ、キングギドラやAK-69、そしてKOHH、SALU、Elle Teresaらのリリックを参照しながら、国内シーンにおける同ブランドの受容の変遷について紐解いていく。

ラップミュージックとラグジュアリーブランドの関係性

2013年にリリースされたMigosの「Versace」が起こした、ストリートミュージックとファッションブランドによる革命。それは本能に訴えかけ痙攣を起こしていくようなショッキングな方法で日本国内にも影響を拡大させていった――という前回のイントロダクションに続き、今回はまず当の「ヴェルサーチ」がこの国の音楽における表象としてどのように扱われてきたかを具体的にレポーティングしなければならない。

中でもラップミュージックはボースティングの一環としてラグジュアリーブランドを取り上げるリリックが多く、その頻度は時代におけるブランドの人気を如実に反映する。近年だと2019年に故Pop Smokeが新たに盛り上がり始めたブルックリン・ドリルをフォーマットに「Dior」で全米チャートを駆け上がっていったのが象徴的で、それまでラップミュージック界ではほとんど縁のなかった「ディオール」が2018年からキム・ジョーンズのクリエイションによってストリートでの人気を得始めたという状況に瞬時に反応したのは、次世代スター(になるはずだった)Pop Smokeならではのスピーディなアクションだった。

POP SMOKE「DIOR」

「ヴェルサーチ」にとっても同様で、国内ラップミュージック周辺のリリックを仔細に見てみると興味深い傾向が観察される。前回述べた通り、ジャンニ・ヴェルサーチェの死後ブランドとしての求心力を徐々に落としていった中で、2000年代においては「ヴェルサーチ」がリリックに登場する頻度は非常に少ない。

その希少な例を紹介してみると、2002年にキングギドラが「リアルにやる」で「ガキの頃/この街は超バブリー/誰もがハスラー/派手な大博打/当たりゃ即ベルサーチ/即ジャグジー」とライムし、2006年にはAK-69が「7 targets」で「仕立てろ/My suits/D&G/あのパーティーにゃあ/Versace」と綴っている。AK-69が「ベルサーチ」とともに今はブランドをクローズしてしまった「D&G」を並べている点に当時の時代感が表れているのだが、同様にMINMIも2003年に「You need a…」で「何としてもハイソサエティーライフ/VERSACE/D&G/全身DIORで覆う/つきあうならステイタス持つ彼と」と歌っており、ここでも「ヴェルサーチ」とともに「D&G」が並べられている。いわゆるゴージャスでバブリーなブランドの象徴としてここでは扱われているようだ。

AK-69「7 targets」
MINMI「You need a…」

KOHHが火をつけた国内シーンでの「ヴェルサーチ」人気

事態が変わるのは、Migosが「Versace」をリリースした後、ドナテラ・ヴェルサーチェがブランドのコアを守りつつもトレンドと格闘することでストリートからの評価を獲得することになった2010年代半ば以降である。「ヴェルサーチ」は多くのラップミュージックのリリックで、存在感を発揮し始めた。国内ラップミュージックでのリリックにおけるヴェルサーチ人気に火をつけたのはやはりKOHHに違いない。Migos「Versace」のビートジャックに始まり、2013年に「十人十色」で「Versace/ブレスレット/ヴィンテージの/Gold」と、ZEEBRA「Hate That Booty」での客演で 「時計ヴェルサーチ/errrthing for my bitch」とライムし、翌2014年には「貧乏なんて気にしない」で「わざわざ見栄張って値段が高い/ルイ グッチ ヴェルサーチ」と続けた。同年にはSALUも「weekend」において「ジーンズはNudie/お気にのHoodie/グラスはRay/あとWell.. Versace?」と畳みかけ、「ヴェルサーチ」はその人気を決定づけた。

KOHH「貧乏なんて気にしない」
SALU「Weekend」

10年代における「ヴェルサーチ」の扱われ方には、00年代のそれと比較し明らかな変化が見られる。「ヴェルサーチ」と「bitch」、「グッチ」と「ヴェルサーチ」等にあるように、押韻の素材として扱われており、特にそれを「チ」の破擦音で受けることで、軽薄で下品な――さらに言うとエロティックかつバイオレントな――野蛮さが現出している。この「チ」の破擦音での押韻は、10年代後半に入ると夥しい数の事例が上がり、一つの定型として成立していく。CIMBA「イイカンジ」での「足元にはヴェルサーチ/タトゥーだらけの友達」、Elle Teresa「hello kitty」での「グッチグッチ/ヴェルサーチにヴィトン」など、ここでは到底網羅しきれないくらいの勢いで「チ」の快楽への追求がなされているのだ。

CIMBA「イイカンジ」
Elle Teresa「hello kitty」

かつて友達を「ダチ」と呼び警察を「サツ」と呼んでいたいわゆるヤンキー的言語感覚が我々には根付いているが、それらは言葉を省略することでの“乱暴さ”やコミュニティ内のスラングとして使用することでの“連帯感”を示すという目的の他に、末尾にアクセントが置かれることでの“破擦音の強調”という作用も隠されていないだろうか。破擦音とは、言語を操る上で私たちがついつい強調して使ってしまう、野蛮な本能を呼び覚ますためのエロティックでバイオレントな音であり、その押韻は聴く者を痙攣させマゾヒスティックな中毒に溺れさせるものである。

それゆえに、私は快楽にひたひたに漬けられたその身体を痙攣させながら、こう断言してしまうだろう。「Migos以降のラップミュージックの快楽とは、破擦音によって演出されているのだ」と。そして、前出のKOHHやElle Teresaの例にある通り、「ヴェルサーチ」と同様の破擦音を末尾に持ち、私たちの耳を痙攣させてきたもう1つの偉大なるブランド「グッチ」についても触れなければならないだろう。才能あるラッパー/アーティストが創作してきた、「ヴェルサーチ」とはまた一味違う「グッチ」ならではの表現について、次回は論じていく。

Illustration AUTO MOAI

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