連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第4回/「グッチ」が提示してきた「セクシー」の変遷と、ヒップホップにおける「ビッチ」の意味変容の相関

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回では「グッチ」の「身軽さ」から拓かれたラップミュージックの表現の可能性を紐解いたが、この第4回では同ブランドにおいてトム・フォード以降の3人のクリエイティブ・ディレクターが提示してきた「セクシーさ」の変遷を振り返りながら、それに歩幅を合わせるように変容してきたヒップホップにおける「ビッチ」というワードの用法について、考察を進めていく。

「ビッチ」という言葉は「グッチ」というブランドの変化と歩幅を合わせ意味変容してきた

連載vol.3では「グッチ」というブランドの持つ身軽さがラップミュージックのリリックにも観察されることを明らかにしていった。優れた作詞家は感覚的にそういった“身軽さ”をつかむもので、実は1978年という時代に、松本隆が太田裕美の「茉莉の結婚」(『海が泣いている』収録)において「最初のスピーチは小夜子/ちょっぴり翳のある小夜子/あの頃名うてのおしゃれ狂いで/グッチのバッグを粋に抱いていた」と詠っている。

太田裕美「茉莉の結婚」

「ロエベ」や「バリー」ではないだろうし、1970年代の「プラダ」は長い低迷期に突入していたため、この小節にぴったりとはまる短い三音の、高級かつ上質な革製品のバッグであることを示す記号としてのブランドはやはり「グッチ」しかなかっただろう。音の小回りが利きつつもラグジュアリーであるという特徴は、多くのポップミュージックでアクセントとなりブランドの魅力を引き立ててきた。

中でも「グッチ」がその三音を「チ」の破擦音で受けることで猥雑さを生んできたという効果はすでに論じた通りだが、ここで避けて通れないのはやはり「グッチ」と「ビッチ」の蜜月についてであろう。「グッチ」というワードは「ビッチ」との押韻で頻繁に使われ、その擦り切れたような跳ねた破擦音で我々リスナーを痙攣させてきた。と同時に、「ビッチ」は「グッチ」というブランドの変化と歩幅を合わせるような形で現代言語史において大きな意味生成の変遷を辿ってきたとも言えるだろう。「ビッチ」という記号の持つ猥雑さの意味合いは、「グッチ」がもはや俗語として「かっこいい、イケている」という広い意味合いを持っていることと同じように、ますますビッグワードとして巨大化してきているのである。

3人のクリエイティブディレクターが提示してきた「グッチ」の「セクシーさ」とは

近年、私たちの中で、“性”の持つ猥雑さというものが大きく変わろうとしている。常に時代の先を見据えてセクシュアリティというテーマを表現してきた「グッチ」の変遷を辿っていくことで、その意味合いの変化は、華麗にひも解かれるに違いない。1994年にブランドのクリエイティブディレクターに就任したトム・フォードは、低迷していた「グッチ」に許される“上品”と“下品”の絶妙なバランスで大胆なセクシーさを表現し、センセーションを巻き起こし、結果的に莫大な利益を生み、ブランドを復活させた。フォード自身「グッチとして許されるぎりぎりのところまで、セクシー路線を進めていこうとしていた」(サラ・ゲイ・フォーデン著、実川元子訳『ザ・ハウス・オブ・グッチ』講談社、2014年)と語る、“ポルノ・シック”と呼ばれたそのクリエイションは、Tバック、ボディジュエリー等のアイテムを駆使しながら男女の間に立ち上がる高貴な肉体的セクシーさを表現することに成功した。

Gucci A/W 1996-1997

2005年からクリエイティブディレクターに就くことになったフリーダ・ジャンニーニは、「グッチ」の伝統的なコア価値を現代にアップデートさせることに苦心した。トム・フォードの功績によりブランドの1つの価値となっていたセクシーさを彼女も自身の視点で絶妙に表現したが、そのセクシーさは男女の間に立ち上がるものというよりは、むしろガールズ・コミュニティから弾ける瑞々しいきらめきとして昇華されていたのが興味深い。心躍るチャーミングなアクセサリーに始まり、新たにローンチされたレディースのフレグランスやコスメ。軽やかで自由なフリーダ・ジャンニーニの手つきは、「グッチ」に新しい価値を与えた。

Gucci Women’s Fall/Winter 2013-14 Runway Show

さらに今、アレッサンドロ・ミケーレによって、「グッチ」は新たな時代のセクシーさを探求している。そこにもはや性差はなく、空想のおとぎ話のような世界観が構築されているが、実はグロテスクな性のメタファーが潜んでいたりもするので侮れない。特に2018-19AWや2020SSのプレタポルテ・コレクションで見せたSMモチーフを彷彿とさせるアイテムはロマンティックなミケーレ・ワールドに隠れた暴力的な一面であり、極端な潔癖化が進む日常の中で性の概念がメタファーとしての存在しか許されず、息を潜めながらグロテスクに熟されていくしかないという現状を、如実に反映しているようである。

Gucci Spring Summer 2020 Fashion Show

Elle TeresaとSophiee、Tohjiらが「ビッチ」で表現するもの

そしてラップミュージックにおける「グッチ」の扱いも、「ビッチ」の指す意味変容とリンクしながら鮮烈な変化を見せている。本国USでの「ビッチ」の扱いに倣い、国内でも例えば2016年「KUNOICHI MONEY」においてフィメールラッパーのElle Teresa とSophiee自身が「グッチのベルト外すビッチは/もちろん私に決まってんでしょ」とライムしている。蔑称として一方的に投げかけられる「ビッチ」から、能動的にボースティングする「ビッチ」へ。大きな変化を遂げた「グッチ」と「ビッチ」をライムするこの曲はTikTokでも人気を獲得し、若い女性によって次々に拡散されていった。「グッチ」のベルトを見せつけながら茶目っ気たっぷりに映る女性たち。ついに、フリーダ・ジャンニーニの描いていた、フェミニンでガーリーなセクシーさを自由に謳歌する女性像に世の中が追いついたのである。

Elle Teresa & Sophiee – Kunoichi Money [Official Video]

さらに近年、ビッチの用法は男性にも拡大している。例えば、今や現行シーンにおける最重要ラッパーに成り上がったTohjiは、2019年にリリースした「On my own way」で「だるい奴の絡みそれはブッチ/俺の体に触るなよビッチ/金がないとこから買ったグッチ/俺は神の子 Yeahマジでビッチ/寂しそうにしてるお前ビッチ/お前泣かせてる俺もビッチ/全部が全部うまくいくように/やることやるだけ」とラップした。ZEEBRAが2002年に「Baby Girl」で試した「ブッチ」「グッチ」での押韻が17年の時を経てここで回収されるのだが、彼はそこに「ビッチ」を挟み、お前も俺もビッチであると吐露する。アレッサンドロ・ミケーレの探求しているジェンダーレスなセクシュアリティはTohjiによって着実にキャッチされているし、彼特有の極端に泥酔したような痺れたフロウは、ミケーレ印のグロテスクさにすら接近している。

Tohji – on my own way

あるいは、2020年に満を持してドロップされたKEIJUの傑作ファーストアルバム『T.A.T.O.』にも耳を傾けたい。本作に収録された哀愁感漂うナンバー「Play Fast feat.Gottz」においても、「グッチ」はその存在を刻印されていた。美しくはかないトラックに乗る「I don’t want no friends/I got gucci on my belt/早く走る毎日がRace/今は忘れたくないこと彫る体」というリリック。ストイックに紡がれていく言葉の果てに、KEIJUの美意識が水墨画の如く情景として浮かび上がる。こうして、今日もまたどこかで、「グッチ」はあらゆるラップミュージックの魅力を形作っていく。

KEIJU – Play Fast feat. Gottz (Official Audio) / Album “T.A.T.O.”

なぜヒップホップにおいて「グッチ」はかくも特権的たりえたのか

そもそもイタリアのファッションは、いかに日常にラグジュアリーを導入するかという提案をしてきた。「イタリア語のラグジュアリーはLussoだが、むしろそのラグジュアリー概念は「趣味の良さ(Gusto)」に近い。イタリア的な趣味の良さは、必ずしも特権階級だけのものというわけではなく、所得に関係なくあらゆる人々が身につけることのできる民主的なものである。」(小山太郎「グッチ・グループの形成」〈長沢伸也編『グッチの戦略』東洋経済新報社、2014年〉)とある通り、「日常でラグジュアリーなアイテムを身につける自分」を自慢げにラップするヒップホップカルチャーとイタリアンファッション、並びに「グッチ」は、非常に相性が良いと言えるだろう。だからこそ、「グッチ」は重要なブランドとして、これからもラップミュージックのリリックを豊かに、猥雑に、彩っていくに違いない。

そして、リスナーの身体を中毒に浸し痙攣を喚起するファッションブランドについてのリサーチは、次へと進んでいく。次回、私たちはフランスへと目を向けなければならない。昨年偉大なデザイナーを亡くした、あのメゾンについて。

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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