連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第5回/「シャネル」が提示してきた価値観と、同ブランドをリリックに綴り歌ってきたアーティスト達について

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回までの「ヴェルサーチ」「グッチ」に続き、考察の対象はこの第5回から「シャネル」へとシフト。同ブランドが提示してきたクリエイションの本質について、そしてその価値観に呼応・共振しながら「シャネル」をリリックに綴り歌ってきたアーティスト達について、論じていく。

アイデンティティを大切にしながらも革新をやめない「シャネル」と、フランク・オーシャンのリリックが交差するところ

2017年3月、パリにて開催された「シャネル」の2017-18AWコレクションは近年私が最も衝撃を受け痙攣してしまったファッションショーで、それは何も崇高なメッセージ性が発信されていたという類いのものではなく、単に馬鹿馬鹿しいまでの俗っぽいメタファーを巨大なセットで表現するという、全力で陳腐なことをやり切るカール・ラガーフェルドらしさが最も詰め込まれた素晴らしいコレクションだったからである。

CHANEL “Fall-Winter 2017/18 Ready-to-Wear CHANEL Show”

宇宙にインスパイアされたフューチャリスティックな世界観のもと衣装や小物が作りこまれ、ランウェイの中央には巨大なロケットが置かれている。一見いつものエレガントでエンターテイメント性あふれる大掛かりな「シャネル」のショーなのだが、目を凝らして見てみよう、煌めくシルバーが輝いた衣装や、トップにボリュームが入ったヘアスタイルはどこかヘヴィメタルバンドを思わせる風貌であり、フィナーレへ進むにつれて彼女らモデルが円になり、囲まれた巨大なロケットが白い煙を上げて発射するさま――エルトン・ジョンの『ロケット・マン』をBGMに――という演出は、男根とセックスをテーマにした、どこまでがジョークでどこまでがアイロニーなのか判別しにくい、そのシュールさに笑うしかない大胆なパフォーマンスだった。

長年カール・ラガーフェルドが作りこんできた「シャネル」のショーは、数々の(時に笑ってしまうくらい俗っぽく、時に清々しいくらい陳腐な)メタファーを生み、観る者のファンタスティックな想像を誘発してきた。それは、ココ・シャネルが導入したブランドのシグニチャーを構成する要素――ツイードやレース、ジャージー素材、黒の世界観といった数々の“縛り”をベースにしながらも、最新のモードを更新していくためにメゾンが選択した最適な手法だったのかもしれない。

周知の通り「シャネル」は女性のためのブランドであり、ココ・シャネルは20世紀のポピュラーカルチャーを象徴する偉人の1人として、その生き方自体に大きな意味性を付与されてきた。女性らしさを駆動する存在としての立ち位置は、「シャネル」が数多のポピュラー音楽で同様の言及をされていることからも証明されていて、例えばそれは大森靖子の『絶対彼女』にある「よそ行きで使うシャネルのリップも/いつかはぬってあげたいな/絶対女の子がいいな/絶対少女」といった歌詞でもことさらに強調されている通りである。

大森靖子「絶対彼女」

「シャネル」は近年スニーカーやコスメといったカテゴリーにおいて男性へのマーケティングにも注力しており、ファレル・ウィリアムスがブランドアンバサダーに起用されたのは記憶に新しい。JP THE WAVYなど「シャネル」を積極的にファッションアイテムに取り入れるラッパーも多く、中でも最も印象的だったのはFrank Oceanがその名も『Chanel』というタイトルの曲を発表したことで、奇しくもそれは「シャネル」の2017-18AWコレクションが開催された数日後のことだった。

「シャネル」が女性のブランドとしてのアイデンティティを大切にしながらも近年男性にもファン層を拡大していること、そして多くのメタファーを重ねながらショー演出をしてきたこと、それらの文脈の上でFrank Oceanのこのリリックを聴くと、より一層の深読みが可能になる。

「My guy pretty like a girl/And he got fight stories to tell/I see both sides like Chanel=俺の彼氏は女の子みたいに可愛くて/でも男らしく喧嘩した話も持っている/シャネルみたいに両面が見える」

Frank Ocean「Chanel」

バイセクシャルとしての自らを語る際に、彼氏のキャラクターを“女の子らしさ”から“男の子らしさ”へ滑らせたうえで“シャネルみたいに”という比喩で受ける。その構造自体がまさに前述した「シャネル」の特徴に依拠したものであるが、ここでFrank Oceanが指しているのは当然ながら「シャネル」のロゴのことでもあり、例の左右対称から成るシンボリックなブランドアイコンが視覚的に浮かび上がることでリリックの立体性は一気に高まる。

実は国内において同様の芸当をやってのけたのが、かのBAD HOPである。『Asian Doll』において、「俺を困らすAsian Doll/全部君のせい/欲しがるシャネルにルブタン/バレンシアガにプラダ/いくら稼いでも足りない/全部君のせい」と歌いながら愛する女性に贈る物として真っ先に「シャネル」を挙げたうえで、次のヴァースでは「夜はベッドで遊ぶ/まるでCHANELのロゴ」と続ける。彼女と自らを「シャネル」の“C”に見立て、それらが絡み合うロゴを視覚化させることでリリックの解像度を高めたこの手法は、(意図的ではないにせよ)「シャネル」の本質を的確に捉えたものであろう。

BAD HOP「Asian Doll」

Elle Teresaが綴り歌った、女性賛美と“ココ・シャネル的快楽性”

さらに、「シャネル」は身体的な心地よさを追求するブランドでもある。かつてココ・シャネルは「ファッションがジョークになってるわ。服の中に女性がいるってこと、デザイナーは忘れてしまっている。大抵の女性は男性のために、そして褒められたくて装う。でも自由に動けなければいけないし、縫い目を破かずに車に乗れなくちゃいけないのよ」(ブロンウィン・コスグレーヴ著、鈴木宏子訳(2013年)、『VOGUE ON ココ・シャネル』ガイアブックス)と語り、それまでの常識であったコルセットで身体を縛りつけるデコラティブでゴージャスな衣装を厳しく批判した。新たに始まったアール・デコ時代の幕開けを飾る彼女の機能性に長けたスタイルは、活動的な女性の日常を考慮した衣服として男性中心の美意識を過去に葬り、1947年ディオール“ニュールック”の登場まで、約20年間にわたり時代を先導していった。

それら「シャネル」の信念は現代にも脈々と息づいており、2017年に1人のフィメールラッパーによって、ファッションからやや飛距離のあるラップという手法で、再解釈されることとなる。『Make Up』という曲で「セーラームーンみたいにね/強い女の子/MAKE UP」「男社会の音楽HipHop/意味が分からない/主役わたし/ちょい役は無理/セーラームーン戦士とかみたいに変身」とストレートな女性讃美を訴求したラッパーこそがElle Teresaであり、この曲には、「シャネル」が守り続けてきた女性のためのブランドというアイデンティティはもちろんのこと、ココ・シャネルの信念であった“身体的な心地よさ”も、半ば強引に表現されているのだ。

Elle Teresa「Make Up」

メークアップブランドが羅列されるヴァースでElle Teresaは「Chanel Coco/Shu Uemura/PAUL&JOE/Saint Laurent」とライムする。ここでは「シュウウエムラ」との語感合わせを狙うためにわざわざ「ココシャネル」が「シャネルココ」と反転され、「シャネルココ/シュウウエムラ」という並びになるのだが、これは身体的な心地よさを追求する極めてココ・シャネル的な快楽性を優先したリリックであり、「シャネル」として、ラップミュージックとして、絶対的な正しさを有しているだろう。

「シャネル」というブランドが表現してきた女性讃美、比喩性、快楽性…それらの特徴が最大に活かされたストリートミュージックの例は他にも存在しており、次回はさらに詳細なアナリシスをお届けしたい。今回指摘されなかった「シャネル」の戦略――コピー品に対するスタンスについて――にも言及することで、その音楽のもつ“正しさ”を主張していく。

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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