連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第2回/KOHHやSALU、Elle Teresaのリリックにおける「ヴェルサーチ」の表象について

音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では、noteに発表した「2010年代論―トラップミュージック、モードトレンドetc.を手掛かりに」も話題となった気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

前回はヴェルサーチというブランドが米ヒップホップシーンに与えた衝撃について論じたが、この第2回ではその舞台を日本へ転じ、キングギドラやAK-69、そしてKOHH、SALU、Elle Teresaらのリリックを参照しながら、国内シーンにおける同ブランドの受容の変遷について紐解いていく。

ラップミュージックとラグジュアリーブランドの関係性

2013年にリリースされたMigosの「Versace」が起こした、ストリートミュージックとファッションブランドによる革命。それは本能に訴えかけ痙攣を起こしていくようなショッキングな方法で日本国内にも影響を拡大させていった――という前回のイントロダクションに続き、今回はまず当の「ヴェルサーチ」がこの国の音楽における表象としてどのように扱われてきたかを具体的にレポーティングしなければならない。

中でもラップミュージックはボースティングの一環としてラグジュアリーブランドを取り上げるリリックが多く、その頻度は時代におけるブランドの人気を如実に反映する。近年だと2019年に故Pop Smokeが新たに盛り上がり始めたブルックリン・ドリルをフォーマットに「Dior」で全米チャートを駆け上がっていったのが象徴的で、それまでラップミュージック界ではほとんど縁のなかった「ディオール」が2018年からキム・ジョーンズのクリエイションによってストリートでの人気を得始めたという状況に瞬時に反応したのは、次世代スター(になるはずだった)Pop Smokeならではのスピーディなアクションだった。

POP SMOKE「DIOR」

「ヴェルサーチ」にとっても同様で、国内ラップミュージック周辺のリリックを仔細に見てみると興味深い傾向が観察される。前回述べた通り、ジャンニ・ヴェルサーチェの死後ブランドとしての求心力を徐々に落としていった中で、2000年代においては「ヴェルサーチ」がリリックに登場する頻度は非常に少ない。

その希少な例を紹介してみると、2002年にキングギドラが「リアルにやる」で「ガキの頃/この街は超バブリー/誰もがハスラー/派手な大博打/当たりゃ即ベルサーチ/即ジャグジー」とライムし、2006年にはAK-69が「7 targets」で「仕立てろ/My suits/D&G/あのパーティーにゃあ/Versace」と綴っている。AK-69が「ベルサーチ」とともに今はブランドをクローズしてしまった「D&G」を並べている点に当時の時代感が表れているのだが、同様にMINMIも2003年に「You need a…」で「何としてもハイソサエティーライフ/VERSACE/D&G/全身DIORで覆う/つきあうならステイタス持つ彼と」と歌っており、ここでも「ヴェルサーチ」とともに「D&G」が並べられている。いわゆるゴージャスでバブリーなブランドの象徴としてここでは扱われているようだ。

AK-69「7 targets」
MINMI「You need a…」

KOHHが火をつけた国内シーンでの「ヴェルサーチ」人気

事態が変わるのは、Migosが「Versace」をリリースした後、ドナテラ・ヴェルサーチェがブランドのコアを守りつつもトレンドと格闘することでストリートからの評価を獲得することになった2010年代半ば以降である。「ヴェルサーチ」は多くのラップミュージックのリリックで、存在感を発揮し始めた。国内ラップミュージックでのリリックにおけるヴェルサーチ人気に火をつけたのはやはりKOHHに違いない。Migos「Versace」のビートジャックに始まり、2013年に「十人十色」で「Versace/ブレスレット/ヴィンテージの/Gold」と、ZEEBRA「Hate That Booty」での客演で 「時計ヴェルサーチ/errrthing for my bitch」とライムし、翌2014年には「貧乏なんて気にしない」で「わざわざ見栄張って値段が高い/ルイ グッチ ヴェルサーチ」と続けた。同年にはSALUも「weekend」において「ジーンズはNudie/お気にのHoodie/グラスはRay/あとWell.. Versace?」と畳みかけ、「ヴェルサーチ」はその人気を決定づけた。

KOHH「貧乏なんて気にしない」
SALU「Weekend」

10年代における「ヴェルサーチ」の扱われ方には、00年代のそれと比較し明らかな変化が見られる。「ヴェルサーチ」と「bitch」、「グッチ」と「ヴェルサーチ」等にあるように、押韻の素材として扱われており、特にそれを「チ」の破擦音で受けることで、軽薄で下品な――さらに言うとエロティックかつバイオレントな――野蛮さが現出している。この「チ」の破擦音での押韻は、10年代後半に入ると夥しい数の事例が上がり、一つの定型として成立していく。CIMBA「イイカンジ」での「足元にはヴェルサーチ/タトゥーだらけの友達」、Elle Teresa「hello kitty」での「グッチグッチ/ヴェルサーチにヴィトン」など、ここでは到底網羅しきれないくらいの勢いで「チ」の快楽への追求がなされているのだ。

CIMBA「イイカンジ」
Elle Teresa「hello kitty」

かつて友達を「ダチ」と呼び警察を「サツ」と呼んでいたいわゆるヤンキー的言語感覚が我々には根付いているが、それらは言葉を省略することでの“乱暴さ”やコミュニティ内のスラングとして使用することでの“連帯感”を示すという目的の他に、末尾にアクセントが置かれることでの“破擦音の強調”という作用も隠されていないだろうか。破擦音とは、言語を操る上で私たちがついつい強調して使ってしまう、野蛮な本能を呼び覚ますためのエロティックでバイオレントな音であり、その押韻は聴く者を痙攣させマゾヒスティックな中毒に溺れさせるものである。

それゆえに、私は快楽にひたひたに漬けられたその身体を痙攣させながら、こう断言してしまうだろう。「Migos以降のラップミュージックの快楽とは、破擦音によって演出されているのだ」と。そして、前出のKOHHやElle Teresaの例にある通り、「ヴェルサーチ」と同様の破擦音を末尾に持ち、私たちの耳を痙攣させてきたもう1つの偉大なるブランド「グッチ」についても触れなければならないだろう。才能あるラッパー/アーティストが創作してきた、「ヴェルサーチ」とはまた一味違う「グッチ」ならではの表現について、次回は論じていく。

Illustration AUTO MOAI

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

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