2021年第6週(1/31〜2/6)の人気記事 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/popular-articles-in-the-6th-week-of-2021/ Mon, 26 Feb 2024 07:57:05 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 2021年第6週(1/31〜2/6)の人気記事 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/popular-articles-in-the-6th-week-of-2021/ 32 32 新しいアイドル像を表現する和田彩花 業界に必要な変革とは? https://tokion.jp/2021/02/05/ayaka-wada-idol-industry-needs-to-change/ Fri, 05 Feb 2021 06:00:22 +0000 https://tokion.jp/?p=17635 元アイドルグループ「アンジュルム」のリーダーの和田彩花。ハロー!プロジェクトを卒業後も、アイドルという肩書きを名乗り続けながら、さまざまな分野で活動を続ける彼女の思いに迫る。

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「私が女であろうが、なかろうが、私がアイドルであろうが、なかろうが、私の未来は私が決める。こんなことを口にせずとも叶えたいものだが、口にしなければ未来を自分でつかむことは難しそうだ」。

 この言葉はアイドル、和田彩花のサイトに掲載された一文だ。和田は2019年6月にハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)のアイドルグループ「アンジュルム」を卒業。ライブや執筆などの活動を続ける今も、肩書きはアイドルのままだ。一方、アイドルにとって不文律のタブーとされるフェミニズムやジェンダーについて積極的に発信することで大きな注目を集めた。和田がアイドルを続けてつかみたい“未来”とはどんなものなのか。

「濃い色のリップは良くない、なぜならアイドルだから」

――10歳の若さでハロプロに入りましたが、アイドルを目指したきっかけは?

和田彩花(以下、和田):両親の勧めでオーディションを受けてハロプロに入ったんですが、当時小学4年生だった私には習い事や部活のような感覚でした。それで2009年、15歳でS/mileage(スマイレージ、現・アンジュルム)のメンバーとしてデビューしたんですけれど、その時からアイドル活動を仕事として意識するようになりましたね。

――フェミニズムの意識を持つようになったのはいつ頃からですか?

和田:10代後半になって、自我が芽生え始めた頃に「なんだかモヤモヤするなぁ」と思うことが増えたような気がします。例えばある時、大人っぽくなりたくて前髪を伸ばし始めたんです。私はそれまで前髪パッツンの“かわいい”感じのスタイルだったので、急に大人っぽい雰囲気に変わって否定的な意見も出ました。そのほかにも周囲の人に、「濃い色のリップを塗るのは良くない、なぜならアイドルだから」と言われたこともあります。良かれと思って言ってくれていたと思うんですが、私は「音楽を表現する上でそうするべき」だと考えていたので、その説明だけでは納得できなくて。

――アイドルの中にはそういった周囲やファンの期待に反することがないよう、自分の意見や趣向を控える人もいます。和田さんはどう向き合いましたか?

和田:グループ卒業の2年ほど前、23歳の頃にフェミニズムというものにすごく自覚的になってきて、人前でもジェンダーの話をするようになりました。やっぱり批判の声もありましたけど、それ以上に、私の発言をきっかけに問題を知ったという方、共感してくださる方もいたので、その喜びの方が大きかったです。

絵画の中で描かれる女性と、現代のアイドルの共通点

――フェミニズムという概念を知ったきっかけは?

和田:美術を学ぶ中で女性の描き方からフェミニズムに行きついて、強く意識するようになりました。フェミニズムを知ってからは、今まで感じていた違和感が「おかしいと思っていいものだったんだ」と気がつくことができたんです。

――そもそも美術を学ぶきっかけになったのは、高校時代に美術館でエドゥアール・マネ(19世紀・フランスの画家)の絵を見たことだそうですね。なぜ美術を学ぼうと考えたんですか?

和田:私は好きなものができると、熱中して深掘りしたくなるタイプ。作品や画家自身に興味を持っていて、よく美術館に行っては、買ってきた絵画の解説書を読んでいたんです。そうしたら当時のマネージャーさんが美術史という学問があることを教えてくれて、自然と大学進学を考えるようになりました。

――大学ではどういったテーマで深掘りしていったのですか?

和田:エドゥアール・マネについて学び、卒論ではマネと先行する世代の流れについて研究しました。マネは近代美術の画家ですが、どうしてマネの時代の絵が生まれたのか知るために、前の世代との比較研究を行ったり、その革新性とともにマネの作品や画業に見られる伝統的な側面との接点も理解しようと努めました。その流れで、私は一つの作品を選んで研究していたのですが、それがベルト・モリゾという女性を描いた肖像画だったんです。ベルト・モリゾもまた画家だったんですが、彼女の作品はフェミニズムの視点から考察されることも多く、私もアートやフェミニズムに関する本を読みようになりました。

――マネが描いた肖像画は、他の作品とどう違うんでしょうか?

和田:美術作品の中では、女性は受け身で描かれることが多いんです。描き手の対象を見るまなざしが反映されている作品も多いですし、体のラインが強調された描写も多いです。また鑑賞者が一方的に「見る対象」として、その場面を覗くような描かれ方もよくあります。一方でマネが描いたベルト・モリゾの肖像画は、描かれた女性がこちらを見返してくる構図になっているから、すんなりとは見ることができない。視線だけでなく、女性の体の向きも正面だと「向き合う」という印象が強くなります。こうやって「見る」「見られる」という構図ができていくんだなと学びました。

――アイドルもまた「見られる対象」ですが、そこで感じる違和感はありましたか?

和田:私はずっとアイドルという仕事をしているので人から見られることに慣れてはいますが、見られ方、受け取られ方に違和感を持つことがあります。私はセクシャリティの揺れ動きやジェンダー規範(男性と女性がどのようにあるべきで、どう行動し、どのような外見をすべきか、という考え)に疑問を持っていたので、異性愛を前提にしたアイドルという職業にまつわるあれこれに疑問を抱きました。曲の歌詞1つ取っても、多くの場合は異性愛で成り立つ心情描写や、従来的なジェンダー規範にならう曲の主人公が登場したりもします。なぜ、こんなにも性が限定され、従来的な役割が当てはめられがちなのだろうと違和感を覚えましたし、それをステージで演じる私自身もそう見られ、受け取られていることをたびたび感じていました。

「根本的には変わっていない」これからのアイドル界に必要な変化は?

――ハロプロを卒業してからは、アート関連に関する仕事が増えていますが、今でも「アイドル」という肩書きで活動を続けているのは、どんな意図があるのでしょうか。

和田:私は今のアイドルに幅を持たせたいんです。これまで、10代後半から20歳にかけては、「アイドルだからダメだ」と言わる不自由さの理由がわからず、悔しい思いをたびたびしてきました。同じ思いを次世代のメンバーにはしてほしくないんです。私は、主に美術を通してさまざまな文化に触れることで、不自由は男性中心的な視点に傾倒することで生まれるものだと気付けました。だからこそ、気付きや声を発信することで、アイドル像の幅を1つ増やせられたら嬉しいです。

――最近は、以前と比べていろいろなタイプのアイドルが出てくるようになりましたが、それでもまだ変わらないことは多いですか?

和田:確かにアイドル界も以前よりもさまざまタイプの人やグループが出てきていますし、アイドル像も広がってきています。それでもまだ根本的には変わらなくて、何か社会的な発信するのはとても勇気がいることです。だからこそ、発信することは気が付いた私にできることの一つかなと思ってます。

――ジェンダーの話をするのも、勇気がいることだったのでは?

和田:私がジェンダーの話を始めたときに、「アイドルがジェンダーの話を持ち込むなんておかしい」と言われたこともありました。ジェンダーの話をしておかしいところなんてないはずだけど、そういう風潮の中で発言するのはアイドルにとって勇気がいることだとは思います。

――そういう風潮が変わるにはどういう変化が必要だと考えますか?

和田:服装や見た目、発言も、どんなことも選択できるようになればいいですよね。ただしアイドルには未成年も多いので、全部本人に任せちゃうというのも無責任だと思います。例えばグラビアの仕事で、水着を着るか、着ないかという選択であれば、まず年齢制限を設けて、自分で考えられる歳になってから本人が決めるとか。事務所が何よりもその子を大切にすることが大事だと思います。その上で「その子の何を大切にするのか」という視点でプロデュースしてあげるのがいいかなと思います。

――自分の意見を発信する今の和田さんを、ファンの方はどう見ていると思いますか?

和田:最近はジェンダーだけでなく、生理の話もするようになりました。アイドルってあまりそういう話しませんけど、生理って普通のことで、おかしいものじゃない。アイドルという世界に限らず、一般的に生理にまつわるさまざまな情報がオープンになることは少なかったこれまでを踏まえると、必要な情報に誰もがアクセスできる環境や人の意識の変化は、重要なことだと思います。ファンの方の中には同じように生理がある人もいるので「あやちょ(和田さん)が同じように、同じ人間として生きているんだって知れてうれしい」と言ってくれる人もいて、こちらもうれしくなりました。

――和田さんは、アイドルの新しいロールモデルですね。

和田:後輩達はこれまで、あまり多様性やジェンダーを意識する機会もなかったと思うので、感じるところはあるかもしれないですね。けれどその子たちに意見することで不用意に影響を与えるようなことはしたくない。それでもいつか、悩んだり、おかしいと思うことがあったら、私もその子のために協力したいなと思っています。

和田彩花
1994年8月1日生まれ。群馬県出身。アイドル。2009年4月アイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)の初期メンバーに選出。リーダーに就任。2010年5月「夢見る15歳」でメジャーデビューを果たし、同年「第52回日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞。2019年6月18日をもって、アンジュルム、およびHello! Projectを卒業。アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる。特技は美術について話すこと。特に好きな画家は、エドゥアール・マネ。好きな作品は《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》。特に好きな(得意な)美術の分野は、西洋近代絵画、現代美術、仏像。趣味は美術に触れること。
http://wadaayaka.com
Instagram:@ayaka.wada.official
Twitter:@ayakawada

Photography Kosuke Matsuki

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注目の漫画家・和山やま 独特な世界観が生まれるアイデアの源は? https://tokion.jp/2021/02/03/rising-manga-artist-wayama-yama/ Wed, 03 Feb 2021 06:00:34 +0000 https://tokion.jp/?p=16506 漫画家・和山やまに、これまでのキャリアを振り返りつつ、影響を受けた作品から現在連載中の『女の園の星』についてなど、幅広く語ってもらった。

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2019年夏に発売した単行本『夢中さ、きみに。』(KADOKAWA)で第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第24回手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、今最も注目を集める漫画家・和山やま。2020年2月からは雑誌『FEEL YOUNG』(祥伝社)で初連載となる『女の園の星』を開始。9月には単行本『カラオケ行こ!』(KADOKAWA)を出版し、いずれもヒット。『このマンガがすごい!2021』(宝島社)では、『女の園の星』がオンナ編の第1位に選ばれるとともに、『カラオケ行こ!』も第5位にランクインし、話題となった。自身が思い描く理想の世界を中高生の日常を舞台とした漫画の世界に置き換え、1人自由に描いていると話す和山やまに、そのアイデア源を聞いた。

——これまでもたくさん聞かれていると思いますが、改めて漫画を描くようになったきっかけから教えてください。

和山やま(以下、和山):高校2年生の時に読んだBL(ボーイズラブ)がきっかけです。もともと中学生の頃から、誰からも見られていなかったですが、細々とアメブロに少女漫画っぽいイラストに色鉛筆で彩色したものを載せていて、ゆくゆくはイラストだけではなく、物語も考えてみたいなと思っていました。それで高校2年生でBLに影響を受けて、初めて描いた漫画もBLでしたね。ただ、その時点では全く漫画家になろうという気持ちはなくて、高校3年生になって進路に悩んでいた時に、漫画かイラストを描く職業に進もうと思ったんです。それで大学ではマンガ学科に進学しました。

——やはり漫画は昔から好きだったんですか?

和山:漫画は昔からずっと読んでいて、最初に読んで今でも一番好きな漫画は古谷実先生の『僕といっしょ』です。母親が古谷先生を好きだったので、自宅にあったものを確か幼稚園生ぐらいの年に読んでいたんです。今となってはよく親が止めなかったな、という作品ですが、当時は文字は読めないながらも絵本感覚で絵だけ楽しんでいましたね。小学生、中学生になってもずっと読み続けていた作品です。そのほかにも、姉の影響で中原アヤ先生などのマーガレット系の作品と『うる星やつら』を、兄の影響で『遊戯王』『ドラえもん』などは繰り返し読んでいました。

——これまでのインタビューで影響を受けた漫画家は、古屋兎丸先生、野中英次先生、伊藤潤二先生、小林まこと先生と話していましたね。

和山:直接的に影響を受けた漫画家を挙げると、その4人の先生ですね。シリアスな絵でギャグ漫画を描くのは、まさに野中先生の作風そのものなのですが、実は女の子の描き方とか絵の影響を受けているのは小林先生です。これいいな、と思って自分の漫画に取り入れる時にはバレないように自分のものにできてから描くようにしているので、まだ「小林先生の絵に似ているね」と指摘されたことがないのはそれがうまくいっている証拠だなと(笑)。学生を描くのが好きなのは、『ライチ☆光クラブ』や『帝一の國』など中高生を描かれている古屋先生の影響が強いかもしれません。

漫画家以外では、映画にも大いに影響を受けています。特に邦画をよく観るのですが、中でも映画監督の矢口史靖さんの作品が特に好きです。何が良いかって、キャラクター全てが愛すべき存在で、セリフもおもしろくて、日本人の良い部分も悪い部分も全部出ているのに嫌らしさが全くないところ。漫画を描く際のキャラクター作りや、人間のユーモアを描く部分というのは、矢口さんの作品から影響を受けていると思っています。

——和山さんの漫画には独特の間というかテンポを感じます。

和山:私の作品を読んだ方から「ゆったりしている」と言われることが多いのですが、それは私が、皆がゆったりと過ごしている沖縄で生まれ育ったからかもしれません。沖縄の湿度とか、生暖かい感じが漫画のじめっとした雰囲気を生んでいるのかなと。また、沖縄って良くも悪くも変わった人が多いんです。その人達を見ていると、人間には本当にいろんな人がいて、人それぞれ感じ方も生き方も違って、みんな愛すべきところがあって。そう思いながらあの土地で育ってきたからこそ、染みついたものが作品やキャラクターに自然と反映されているのかもしれません。

本当に好きなものを自由に描くことが評価につながった

——ペンネームの「和山やま」は独特の響きですが、どういった由来なんですか?

和山:中学生の頃にアメブロでイラストを描いていた時から「ワヤマ」っていうペンネームでやっていて。いざ本格的に漫画をやるってなった時に、「和山」以外のペンネームが思いつかなくて、そのまま使っています。最初の頃は、「和山友彦(わやま・ともよし)」名義で読み切りなどを描いていたんですが、なかなか名前を覚えてもらえなくて(笑)。それで「和山やま」に変えました。「やまさん」が私の高校時代のあだ名だったので、そこから付けました。

——現在、『夢中さ、きみに。』、『女の園の星』1巻、『カラオケ行こ!』の3冊が単行本化されていますが、最初のキャリアは青年誌だったそうですね。現在の作品を見ると、青年誌というのは意外です。

和山:当時は女性誌だと恋愛ものがメインになってしまうのかなと思っていて、日常的なことを書くなら青年誌のほうがいいのかなと考えていました。大学2年の頃に和山友彦名義で描いた『優等生の問題』で第67回ちばてつや賞に入選したことをきっかけに、講談社『モーニング』で担当編集者と一緒に連載を目指していていたのですが、全然うまくいかなかったんです。その頃は、担当編集者に認めてもらうためだけに漫画を描いていたようなところがあって、完全に自分が描きたいものを見失っていました。

それではいけないと思い、自分の本当に好きなものを誰にも何も言われず自由に描いてみようと思って誕生したのが『夢中さ、きみに。』に掲載されている『うしろの二階堂』でした。それをPixivに掲載したら想像していたよりも反響をたくさんいただいて、多少自信がついたので、1人で同人誌を描いてみようと思い、2019年2月の「コミティア127」で同人誌『夢中さ、きみに。』を発表しました。ありがたいことに、その年の8月に単行本になって。自由に1人で考えて形にした作品が第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第24回手塚治虫文化賞短編賞という素晴らしい賞をいただけたので、このやり方が自分に合っているんだと、その後の作品も自由にやらせてもらっています。そうした作品を読者の方にも評価していただき、今はありがたい環境で描かせていただいています。

——どの作品でも男性の友情を超えた、でも恋愛まで行かない絶妙な関係性を描いていますが、そこに着目したのは?

和山:男同士にこんな関係があるのかは私自身わからないながらも、こんな2人がいたらいいなという気持ちを込めて描いています。どの作品もそうですが、誰も嫌な人がいなくて、みんなが平和に過ごしているのも、私が思う理想の世界だからなんです。現実では、嫌な人間に出会ったり、嫌な思いをしたりすることも多いけれど、漫画の世界だけではせめて良いものを見せたいなと思って、ストレスのない作品を目指しています。こういう人達がいたらいいなって。男同士の関係性についてはこれがBLと思って描くものもあればそうじゃないものもあります。自分の中で答えははっきりあるのですが、読む人によって自由に捉えて楽しんでほしいです。

初連載『女の園の星』に込められた細かいアイデア

——『カラオケ行こ!』から比べて、『女の園の星』では絵の線がシャープになったように感じるのですが、描き方を変えたんですか?

和山:『カラオケ行こ!』は全部デジタルで描いているので、線が太めです。当時130ページ近くあるものを1ヵ月もない期間で描かなくてはならず、本当はアナログで描きたかったところを、多少時間短縮になるデジタルで描きました。アナログと違ってデジタルは線が太くなってしまうので、ヤクザとか迫力を出さなきゃいけない部分が多かった本作では結果的に太いペンで描けるデジタルにして良かったと感じています。

一方で『女の園の星』は、人物も背景も含めた全ての線がアナログで、その原稿をスキャンしてトーンやベタなどの仕上げをデジタルでやっています。だから、割と細かいというか、より丁寧なタッチになっているかと思います。

——『女の園の星』で初連載を経験してみて、大変だなと思うことはありますか?

和山:毎月締め切りに追われて大変ですが、何を描いても褒めていただけるので、とても安心して描いています。ストーリーは自分の中でこういうことを描きたいというアイデアはいくつかあるんですが、「今はまだ出すタイミングではないな」となったりして、急遽考えることもあります。

——『女の園の星』は女子校に勤める男性教師・星先生の日常を描いた漫画ですが、登場人物にモデルとなる人はいるんですか?

和山:それはいないですが、もし実際にいたら誰だろうなとは想像しますね。星先生だったら、俳優の中村倫也さんや、吉沢亮さんを若干意識しながら描いています。でも、小林先生は誰だろうと考えたんですが、思い浮かびませんでした(笑)。

——(笑)。小林先生は最初に登場した時は少しうざい感じがしたんですが、だんだんと好きになってきました。

和山:その通りで、最初は小林先生はうざく見せようと描いていたんですが、意外と星先生と2人でうまくやれているのかなと。だから当初の小林先生像からは丸くなっている気がしていて。それこそ、始めは星先生が陰で、小林先生が陽のイメージだったんですが、最近はどちらかといえば小林先生の方が陰になっているかもしれません。

——登場人物の言葉づかいもすごくいいなと思っていて。1話で星先生が生徒に「気をつけてお帰りくださいませ」と言って、生徒が「敬いすぎ」って返すとか。ちょっとしたセリフにおもしろさを感じます。

和山:セリフはジワジワとおもしろさが感じられるように考えています。最初にプロットから考えるんですが、それは全部セリフで考えるんです。だから、セリフを考える時間が一番長いかもしれません。

——でも、ギャグって本当に難しいですよね。やり過ぎても読者がしらけたりして。そんな中でも、絶妙ですね。お笑いも好きなのかなと思ったんですが。

和山:読者を置き去りにしないように、ギャグも含めて全体のテンションは低めで描いています。仕事のBGMとして、お笑い番組をつけっぱなしにしているんですが、そうした芸人さん達の言葉も参考にさせていただいています。会話のテンポなどもそこから影響を受けていると思います。

——作中では、全体的に「ねむい」という言葉や先生や生徒の眠そうな描写が多いのですが、それは和山先生の実体験と関係しているんですか?

和山:それは今言われて初めて気付きました。全く意図していなかったです。でも、学校ってみんな眠いですよね(笑)。だから先生も生徒もみんな頑張っているなという気持ちで描いていたら、自然と眠い感じが出てしまったんだと思います。

——『女の園の星』の3話目に掲載された劇中漫画はお母さまが描かれたそうですね。

和山:私が描くとどうしても下手に描けなくて、ちょうど母親が東京に来ていたので、私が下書きだけ描いて、上からボールペンで描いてもらいました。描いているうちに、どんどん上手くなっていって、母もノリノリで「また描いてもいいよ」なんて言ったりして(笑)。でも、もう下手な絵が描けなくなってしまって、頼めないですね。

——星先生はスタンドカラーシャツ、小林先生はポロシャツなど、服装がいつも同じだったりするのはどういった狙いなんですか?

和山:単に毎回違う服を考えるのが面倒くさいっていうのがありまして。あと、同じ洋服を着てもらうことで、それがキャラ付けにもなるのかなとも考えています。

——小林先生のポロシャツの絵柄を毎回変えるなど、セリフ以外の細かい部分にまで遊び心が存分に発揮されています。

和山:誰も見ていないだろうなという細かい部分まで描くのは好きです。それを見つけてファンレター等で教えてもらうと「やったー」っていう気持ちになります。何回も読み返していると、キャラクターの後ろに何かいたりとか、新たな発見がある作品にしたくて。読者もそこを楽しみにしてくれているので、私も手を抜かずに描いていこうと思います。

——最後に今後、どんな漫画を描いてみたいですか?

和山:作品としてはホラーに挑戦したいと思っていて、実際に構想は考えているので機会があれば発表したいです。あと、恋愛漫画は読むのは大好きなのですが、自分で恋愛漫画を描くのは本当に厳しくて……。でも、私が70歳や80歳になった頃に描いてみようかなとは思っています(笑)。そのためには長生きしなきゃいけないですね。これからも、いろいろな漫画を描いていきたいと思っています。そのためには健康第一で。細くのんびりやっていけたらいいなと。それが今一番の理想です。

和山やま(わやまやま)
漫画家。2019年2月の「コミティア127」にて頒布した同人誌『夢中さ、きみに。』が話題となり、2019年8月にKADOKAWAより同名の単行本を出版。同作は第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第24回手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、2021年1月より実写ドラマ化。2020年1月からは『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて商業誌初連載となる『女の園の星』を開始し、『このマンガがすごい!2021』(宝島社)オンナ編の第1位に輝いた。2020年9月に出版した『カラオケ行こ!』(KADOKAWA)も第5位にランクインし、同作家による2作同時ランクインも話題に。
Instagram:@yama_wayama
和山やま[女の園の星]公式Twitter:@onna_sono_Hoshi

Photography Yohei Kichiraku
Text Kei Watabe
Special Thanks Hi +LIM

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「好きなことのために苦しみたい」 古舘佑太郎が走り続ける理由 https://tokion.jp/2021/02/01/yutaro-furutachi-runs-none-stop/ Mon, 01 Feb 2021 06:00:25 +0000 https://tokion.jp/?p=18181 10代から音楽活動を開始し、近年は俳優としても活躍する古舘佑太郎。今年30歳を迎え、少年から大人になった彼の現在地と未来に迫る。

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現在、人を1つの職業でカテゴライズすることは困難だ。誰もがアーティストやクリエイターになり得る時代だが、一本筋が通りながら幅広い活動をしている人達は独自の存在感を放っている。

古舘佑太郎は高校時代にThe SALOVERSのボーカルとしてバンド活動を開始し、無期限活動休止からソロ活動を経て2(ツー)を結成。精力的に音楽活動を続けており、近年では演技や執筆など他分野での活躍も目立つ。

今回はThe SALOVERSのメジャーデビューアルバム『珍文完聞』のフライヤーを未だに実家の自室に貼ってあるというライター・絶対に終電を逃さない女が、古舘佑太郎の疾走感のある音楽と対照的にどこか冷めた歌詞、活動の原動力や演技への考えを聞いた。

――古舘さんは今まで2つのバンドとソロ活動を経験していて、昨年にはメンバー脱退も経験されています。音楽を続けることの楽しさや難しさについて、どのように考えていますか?

古舘佑太郎(以下、古舘):16歳頃から曲を作り始めて、かれこれ13〜14年くらい音楽活動を続けてきましたけど、去年の5月に独立してからが、今までで一番楽しいです。なぜかというと、純粋に好きで音楽をやってた時間って、コピーバンドを始めた中3から高2の中盤くらいまでの、3年弱しかなかったんですよ。それ以降は仕事という感じだったので、「みんなの期待に応えなきゃ」「もう大人なんだし頑張らなきゃ」みたいな義務感で苦しみがちだったんですよね、ずっと。

でも2019年末から去年の始めくらいに気付いたんですよね。そもそも好きで始めたことだし、今だって基本的には誰かに頼まれたわけでもなく好きでやってるんだから、楽しまないと意味ないなって。例えば山登りで言うと、絶対に頂上から景色を見たいと思って登る苦しさと、無理してでも頑張って登らなきゃいけないっていう気持ちで登る苦しさは違うと思うんですよ。自分はその2種類の苦しさを履き違えてしまっていて。もちろん現実的な問題はいろいろありますけど、これからはやらなきゃいけないことじゃなくて、好きなことのために苦しもうと思ったんですよね。わかりやすく言うと、自分が絶対書きたい歌詞のために徹夜するとか、役者として出る好きな作品の撮影がめっちゃハードだとか、そういうしんどさは楽しめる。

――過去のインタビューなどで、たびたび「自分はロックじゃない」と発言されていますが、その考えは今も変わってないですか?

古舘:それはずっと思っています。親戚とかに「どんな音楽やってんの?」って聞かれたら適当に「ロック」って言っちゃいますけど、内心は思ってなくて。僕はそこまでロックに惚れ込んだ人間じゃないので……。そもそもロックという言葉の定義が曖昧ですけど、昔から脈々と受け継がれるロック像があって、それをそのままやることはロックじゃない。逆張りじゃないですけど、壊すことなのかなって思うんですよね。例えば、本当に忌野清志郎さんが好きだったら忌野清志郎さんと真逆のことをやらなきゃいけない。

――踏襲するだけではロックじゃないかもしれませんね。

古舘:でも新しい解釈のロック像みたいなものを、ちゃんとロックという言葉を使って今の人達に届けられるミュージシャンも、一握りはいるんですよね。例えば銀杏BOYZの峯田(和伸)さんとか、同世代だとMy Hair is Badの椎木(知仁)君とか。そういう人はめちゃくちゃかっこいいと思うし正直憧れもあります。でも僕はできないし、僕の役割じゃない。

――では、古舘さんが音楽でやりたいことはなんでしょうか?

古舘:ソロ時代に歪まない・がならないスタイルをやって、その揺り返しで2のファーストとセカンド・アルバムはUSインディー的な音楽をやったんですけど、ここからまた変わってくと思います。今作ってる音楽は、今までと全く違う感じで、単純なジャンルとしてのロックからもちょっと離れていくんじゃないかなと。

だから「2変わっちゃったね、昔のほうが良かったね」って離れていく人達もいるかもしれないですけど、人生は絶対に出会いと別れがあるものなので、僕はそれをあんまり恐れてないです。その人達が冷たいとも思わないし、過去に応援してくれてた人達は永遠に自分の中で残り続ける。それよりもずっと同じことを繰り返すほうが怖い。今までの僕らの音楽が好きな人達には寂しい思いをさせるかもしれないですけど、それでもついてきてくれる人は大事にしたいし、離れる人とは笑顔でお別れしたい。そしてまた新たに出会える人もいるだろうし。

――俳優としては映画『日々ロック』(2014年公開)でデビューされていますが、きっかけはなんだったのでしょうか?

古舘:21歳頃に、僕の大好きな漫画『日々ロック』を、僕の大好きな入江悠監督が映画化する、しかもミュージシャン役のミュージシャンを探してるって聞いて。それまで役者をやろうと思ったことすらなかったのに、これは関わりたいと思って、勢いでThe SALOVERSで応募したら、監督が僕らのMVをおもしろがって選んでくれたんです。

ただ僕らは何もわかってなかったんで、文化祭気分で撮影現場に行ってて、今振り返るとゾッとするくらい酷かったですね。休憩中に寝てる(共演者の)落合モトキ君を叩き起こしたり、「可愛いエキストラの子に声かけようぜ」とか騒いだり。でも皆さん優しくて許してくれて。監督には「指導しないから自由にやって」って言われたので、僕は演技未経験者なりに見たままを言葉にしてたんです。例えば、ライヴのチケットを渡す重要なシーンでは、アドリブで「紙だ!」って叫んだんですよ。絶対に邪魔なありえないセリフ。それを監督は褒めてくれて、実際に使われたのがめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。そこから役者の世界おもしろいなって思い始めました。

――運命的な出会いだったんですね。2019年公開の映画『いちごの唄』や『アイムクレイジー』では主演を務めるまでに至りましたが、今も演技は楽しいと感じていますか?

古舘:そのあと出演した行定勲監督の『ナラタージュ』でも、『日々ロック』と同じノリで行ったら良い感じにハマって、監督も褒めてくれたんですよ。けど、問題はそこからですよね。地上波ドラマや映画の主演をやっていくと、そのノリが通用しない実力勝負の世界になっていって。音楽と同じように、楽しかったはずのものが「うまくやらなきゃ」精神になっちゃって、難しくなってきて。

主演映画を撮ったあと、2年くらいはバンドに専念したんですけど、去年、これは出たいなって思うような作品に声をかけてもらったんです。それは結局スケジュールの都合で出られなかったんですけど、また役者をやりたい気持ちが戻ってきて、去年のテレビ東京のドラマ『あのコの夢を見たんです。』が、久しぶりのお芝居になりました。プライベートでも仲の良い(仲野)太賀君主演で、『日々ロック』で共演した落合君もいて、楽屋でもみんなとずっと喋ってたし、ト書きにないようなこともできたので、とにかく楽しかったんです。特にラストシーンで順番に大喜利するみたいなくだりがあったんですけど、自分はノリで意味もなく号泣してみたら、監督含めみんなおもしろがってくれて、「あの時の『紙だ!』と一緒だ! これだ!」ってなって。そこから、もう無理に上手くやろうと気負うのはやめようと思ったんですよね。短所を克服するよりも、ちょっとだけある長所を伸ばしていこうと思ってから、また楽しめるようになってきました。

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*この下に記事が続きます

――The SALOVERS時代から小説家の名前や「文学」という言葉が入っている歌詞や曲名がありますが、文学にはどのように影響を受けてきましたか?

古舘:文学で最初に衝撃を受けたのは村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー著)で、そこから村上春樹さんを読み始めました。影響どころか、The SALOVERSの最初の頃なんてほぼ村上春樹さんのパクリですよね(笑)。

――ご自身の考えを文章にまとめたりは普段からされているのでしょうか?

古舘:いや、今は全然やってないですね。去年始めた「古舘佑太郎のパッションフルーツ」(AuDee)というラジオが、その役割を担っている部分があるかもしれません。完全フリートークなので、まとめずに行って喋っていくうちに自然とまとまってくる、みたいな。「TOKYO FMの末端ラジオ」って呼んでて、これが今自分の中でイチオシなんですよ。

――小説やコラム、ブログなどの執筆活動もされていますが、古舘さんにとって執筆でしか表現できないものはあるのでしょうか?

古舘:そこまでがっつりやってないので偉そうなことは言えないですけど、書くことは好きで、歌詞と違って文章はあんまりカッコつけなくていいのは楽ですね。例えば「凧揚げ」って風になびいている感じが空中散歩みたいで叙情的ですけど、言葉の響きのせいで歌詞にはなかなかはまらない。もちろんそういう言葉を歌詞として成立させる人が本当にすごいんですけど、文章だとより成立させやすいんですよね。と言っても僕はまだ自伝小説のようなエッセイしか書いてないので、フィクションの小説も書きたいですね。去年の緊急事態宣言中に書いてたんですけど、まだ完成してなくて。

――歌詞は実体験ベースとフィクション部分、どちらが多いですか?

古舘:なんらかの強烈な実体験があって、その思いのままに書いた結果、説明的でなくちょっと抽象的になってる歌詞が理想なんですけど、難しいんですよね。ある出来事を元に書こうとしても、着眼点とかが弱いと膨らまなくてただ説明してるだけのつまらない詞になってしまったり。かといって完全にフィクションで作ると、説得力のない薄っぺらい詞になっちゃったり。最近は書きたい出来事がないので、歌詞も全然生まれなくて困ってます。

――コロナ禍であまり出歩けないし人と会うことも減って、生まれにくいかもしれませんね。

古舘:それもあります。あといろんなことやって忙しなさすぎて、腰を据えて何かを感じることがあんまりないというか。

――「限界突破」と名付けたワンマンでは1日3本ライヴをやったりだとか、2の疾走感のある音楽と同じように、古舘さんの活動全体も疾走感があって、それを楽しんでいるようにも見えます。ご自身でも楽しいといった感覚はありますか?

古舘:ありますね。これは公言していきたいんですけど、これから誘っていただいた仕事とかは、よっぽどのことがない限り断らないと思います。ライヴのオファーとかは、メンバーの都合などの兼ね合いがあるので難しいこともあるでしょうけど。やらなきゃじゃなくて、やってやろうみたいな気持ちで、僕個人に関しては基本的になんでもやるって決めました。

やっぱり誰かのためになんて生きられないんだなって思いましたね。まず自分のためにやることで、その先に誰かのためになれたらいいなって順番なんだと気付いてからは、まず自分を興奮させようと。自分のことが嫌いだった時期もあったし、ネガティブなことばっかり言ってる時期もあったけど、今は、自分くらいは自分のことを意地でも愛してあげなきゃいけないと思うし、誰かのためになんておこがましいんだなって。そう切り替えたら楽しくなりました。

古舘佑太郎
1991年、東京都生まれ。高校在学中に同級生とThe SALOVERSを結成。「閃光ライオット 2009」では審査員特別賞を受賞した。2015年にはThe SALOVERSを無期限活動休止し、ソロ活動を開始。その後、2017年に新バンド2を結成。2021年1月までに『VIRGIN』『GO 2 THE NEW WORLD』『生と詩』の3枚のアルバムをリリースしている。古舘個人では映画・ドラマ出演や雑誌等への寄稿も行っている他、AuDeeではベーシスト・森夏彦とともにラジオ番組「古舘佑太郎のパッションフルーツ」を配信中。また2の公式サイトでは古舘による「DIARY」を更新している。
www.2band.tokyo

■4th aniversary oneman LIVE「THE 2 新章」OSAKA
会期:2021年2月2日
会場:ミュージッククラブジャニス
住所:大阪府大阪市中央区東心斎橋2-4-30 5F
時間:OPEN 17:30 / START 18:30
入場料:前売り¥4,400

■4th aniversary oneman LIVE「THE 2 新章」TOKYO
会期:2021年2月22日
会場:渋谷クラブクアトロ
住所:東京都渋谷区宇田川町32-13-4 5F
時間:OPEN 18:45 / START 19:30
入場料:前売り¥4,400

Photography Mariko Kobayashi

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