現在、人を1つの職業でカテゴライズすることは困難だ。誰もがアーティストやクリエイターになり得る時代だが、一本筋が通りながら幅広い活動をしている人達は独自の存在感を放っている。
古舘佑太郎は高校時代にThe SALOVERSのボーカルとしてバンド活動を開始し、無期限活動休止からソロ活動を経て2(ツー)を結成。精力的に音楽活動を続けており、近年では演技や執筆など他分野での活躍も目立つ。
今回はThe SALOVERSのメジャーデビューアルバム『珍文完聞』のフライヤーを未だに実家の自室に貼ってあるというライター・絶対に終電を逃さない女が、古舘佑太郎の疾走感のある音楽と対照的にどこか冷めた歌詞、活動の原動力や演技への考えを聞いた。
――古舘さんは今まで2つのバンドとソロ活動を経験していて、昨年にはメンバー脱退も経験されています。音楽を続けることの楽しさや難しさについて、どのように考えていますか?
古舘佑太郎(以下、古舘):16歳頃から曲を作り始めて、かれこれ13〜14年くらい音楽活動を続けてきましたけど、去年の5月に独立してからが、今までで一番楽しいです。なぜかというと、純粋に好きで音楽をやってた時間って、コピーバンドを始めた中3から高2の中盤くらいまでの、3年弱しかなかったんですよ。それ以降は仕事という感じだったので、「みんなの期待に応えなきゃ」「もう大人なんだし頑張らなきゃ」みたいな義務感で苦しみがちだったんですよね、ずっと。
でも2019年末から去年の始めくらいに気付いたんですよね。そもそも好きで始めたことだし、今だって基本的には誰かに頼まれたわけでもなく好きでやってるんだから、楽しまないと意味ないなって。例えば山登りで言うと、絶対に頂上から景色を見たいと思って登る苦しさと、無理してでも頑張って登らなきゃいけないっていう気持ちで登る苦しさは違うと思うんですよ。自分はその2種類の苦しさを履き違えてしまっていて。もちろん現実的な問題はいろいろありますけど、これからはやらなきゃいけないことじゃなくて、好きなことのために苦しもうと思ったんですよね。わかりやすく言うと、自分が絶対書きたい歌詞のために徹夜するとか、役者として出る好きな作品の撮影がめっちゃハードだとか、そういうしんどさは楽しめる。
――過去のインタビューなどで、たびたび「自分はロックじゃない」と発言されていますが、その考えは今も変わってないですか?
古舘:それはずっと思っています。親戚とかに「どんな音楽やってんの?」って聞かれたら適当に「ロック」って言っちゃいますけど、内心は思ってなくて。僕はそこまでロックに惚れ込んだ人間じゃないので……。そもそもロックという言葉の定義が曖昧ですけど、昔から脈々と受け継がれるロック像があって、それをそのままやることはロックじゃない。逆張りじゃないですけど、壊すことなのかなって思うんですよね。例えば、本当に忌野清志郎さんが好きだったら忌野清志郎さんと真逆のことをやらなきゃいけない。
――踏襲するだけではロックじゃないかもしれませんね。
古舘:でも新しい解釈のロック像みたいなものを、ちゃんとロックという言葉を使って今の人達に届けられるミュージシャンも、一握りはいるんですよね。例えば銀杏BOYZの峯田(和伸)さんとか、同世代だとMy Hair is Badの椎木(知仁)君とか。そういう人はめちゃくちゃかっこいいと思うし正直憧れもあります。でも僕はできないし、僕の役割じゃない。
――では、古舘さんが音楽でやりたいことはなんでしょうか?
古舘:ソロ時代に歪まない・がならないスタイルをやって、その揺り返しで2のファーストとセカンド・アルバムはUSインディー的な音楽をやったんですけど、ここからまた変わってくと思います。今作ってる音楽は、今までと全く違う感じで、単純なジャンルとしてのロックからもちょっと離れていくんじゃないかなと。
だから「2変わっちゃったね、昔のほうが良かったね」って離れていく人達もいるかもしれないですけど、人生は絶対に出会いと別れがあるものなので、僕はそれをあんまり恐れてないです。その人達が冷たいとも思わないし、過去に応援してくれてた人達は永遠に自分の中で残り続ける。それよりもずっと同じことを繰り返すほうが怖い。今までの僕らの音楽が好きな人達には寂しい思いをさせるかもしれないですけど、それでもついてきてくれる人は大事にしたいし、離れる人とは笑顔でお別れしたい。そしてまた新たに出会える人もいるだろうし。
――俳優としては映画『日々ロック』(2014年公開)でデビューされていますが、きっかけはなんだったのでしょうか?
古舘:21歳頃に、僕の大好きな漫画『日々ロック』を、僕の大好きな入江悠監督が映画化する、しかもミュージシャン役のミュージシャンを探してるって聞いて。それまで役者をやろうと思ったことすらなかったのに、これは関わりたいと思って、勢いでThe SALOVERSで応募したら、監督が僕らのMVをおもしろがって選んでくれたんです。
ただ僕らは何もわかってなかったんで、文化祭気分で撮影現場に行ってて、今振り返るとゾッとするくらい酷かったですね。休憩中に寝てる(共演者の)落合モトキ君を叩き起こしたり、「可愛いエキストラの子に声かけようぜ」とか騒いだり。でも皆さん優しくて許してくれて。監督には「指導しないから自由にやって」って言われたので、僕は演技未経験者なりに見たままを言葉にしてたんです。例えば、ライヴのチケットを渡す重要なシーンでは、アドリブで「紙だ!」って叫んだんですよ。絶対に邪魔なありえないセリフ。それを監督は褒めてくれて、実際に使われたのがめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。そこから役者の世界おもしろいなって思い始めました。
――運命的な出会いだったんですね。2019年公開の映画『いちごの唄』や『アイムクレイジー』では主演を務めるまでに至りましたが、今も演技は楽しいと感じていますか?
古舘:そのあと出演した行定勲監督の『ナラタージュ』でも、『日々ロック』と同じノリで行ったら良い感じにハマって、監督も褒めてくれたんですよ。けど、問題はそこからですよね。地上波ドラマや映画の主演をやっていくと、そのノリが通用しない実力勝負の世界になっていって。音楽と同じように、楽しかったはずのものが「うまくやらなきゃ」精神になっちゃって、難しくなってきて。
主演映画を撮ったあと、2年くらいはバンドに専念したんですけど、去年、これは出たいなって思うような作品に声をかけてもらったんです。それは結局スケジュールの都合で出られなかったんですけど、また役者をやりたい気持ちが戻ってきて、去年のテレビ東京のドラマ『あのコの夢を見たんです。』が、久しぶりのお芝居になりました。プライベートでも仲の良い(仲野)太賀君主演で、『日々ロック』で共演した落合君もいて、楽屋でもみんなとずっと喋ってたし、ト書きにないようなこともできたので、とにかく楽しかったんです。特にラストシーンで順番に大喜利するみたいなくだりがあったんですけど、自分はノリで意味もなく号泣してみたら、監督含めみんなおもしろがってくれて、「あの時の『紙だ!』と一緒だ! これだ!」ってなって。そこから、もう無理に上手くやろうと気負うのはやめようと思ったんですよね。短所を克服するよりも、ちょっとだけある長所を伸ばしていこうと思ってから、また楽しめるようになってきました。
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――The SALOVERS時代から小説家の名前や「文学」という言葉が入っている歌詞や曲名がありますが、文学にはどのように影響を受けてきましたか?
古舘:文学で最初に衝撃を受けたのは村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー著)で、そこから村上春樹さんを読み始めました。影響どころか、The SALOVERSの最初の頃なんてほぼ村上春樹さんのパクリですよね(笑)。
――ご自身の考えを文章にまとめたりは普段からされているのでしょうか?
古舘:いや、今は全然やってないですね。去年始めた「古舘佑太郎のパッションフルーツ」(AuDee)というラジオが、その役割を担っている部分があるかもしれません。完全フリートークなので、まとめずに行って喋っていくうちに自然とまとまってくる、みたいな。「TOKYO FMの末端ラジオ」って呼んでて、これが今自分の中でイチオシなんですよ。
――小説やコラム、ブログなどの執筆活動もされていますが、古舘さんにとって執筆でしか表現できないものはあるのでしょうか?
古舘:そこまでがっつりやってないので偉そうなことは言えないですけど、書くことは好きで、歌詞と違って文章はあんまりカッコつけなくていいのは楽ですね。例えば「凧揚げ」って風になびいている感じが空中散歩みたいで叙情的ですけど、言葉の響きのせいで歌詞にはなかなかはまらない。もちろんそういう言葉を歌詞として成立させる人が本当にすごいんですけど、文章だとより成立させやすいんですよね。と言っても僕はまだ自伝小説のようなエッセイしか書いてないので、フィクションの小説も書きたいですね。去年の緊急事態宣言中に書いてたんですけど、まだ完成してなくて。
――歌詞は実体験ベースとフィクション部分、どちらが多いですか?
古舘:なんらかの強烈な実体験があって、その思いのままに書いた結果、説明的でなくちょっと抽象的になってる歌詞が理想なんですけど、難しいんですよね。ある出来事を元に書こうとしても、着眼点とかが弱いと膨らまなくてただ説明してるだけのつまらない詞になってしまったり。かといって完全にフィクションで作ると、説得力のない薄っぺらい詞になっちゃったり。最近は書きたい出来事がないので、歌詞も全然生まれなくて困ってます。
――コロナ禍であまり出歩けないし人と会うことも減って、生まれにくいかもしれませんね。
古舘:それもあります。あといろんなことやって忙しなさすぎて、腰を据えて何かを感じることがあんまりないというか。
――「限界突破」と名付けたワンマンでは1日3本ライヴをやったりだとか、2の疾走感のある音楽と同じように、古舘さんの活動全体も疾走感があって、それを楽しんでいるようにも見えます。ご自身でも楽しいといった感覚はありますか?
古舘:ありますね。これは公言していきたいんですけど、これから誘っていただいた仕事とかは、よっぽどのことがない限り断らないと思います。ライヴのオファーとかは、メンバーの都合などの兼ね合いがあるので難しいこともあるでしょうけど。やらなきゃじゃなくて、やってやろうみたいな気持ちで、僕個人に関しては基本的になんでもやるって決めました。
やっぱり誰かのためになんて生きられないんだなって思いましたね。まず自分のためにやることで、その先に誰かのためになれたらいいなって順番なんだと気付いてからは、まず自分を興奮させようと。自分のことが嫌いだった時期もあったし、ネガティブなことばっかり言ってる時期もあったけど、今は、自分くらいは自分のことを意地でも愛してあげなきゃいけないと思うし、誰かのためになんておこがましいんだなって。そう切り替えたら楽しくなりました。